ページ「埼玉の駅/所沢市・狭山市」と「室町時代」の間の差分

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{{日本の駅|関東|埼玉|西部}}
__NOTOC__
{{お願い/日本の駅|[[埼玉]]県西部}}
==室町時代の噂==
==八高線・川越線==
#海驢(あしか)が天下を取った。
===金子駅の噂===
#明に対する貿易黒字でバブル到来。
{{駅名標/東日本|name=金子|ruby=かねこ|back=箱根ヶ崎|next=東飯能|back2=Hakonegasaki|roma=Kaneko|next2=Higashi-Hann&#333;|back-link=東京の駅/南・西多摩#箱根ケ崎駅の噂|color=#a8a39d}}
#*儲けたついでにバブル資金で南朝と北朝を買収・合併。
所在地:入間市大字南峯
#金閣寺と銀閣寺ができる。(銅閣寺は構造計算書の偽造がばれて、建設中止)
#何気に入間市で唯一のJRの駅。
#*税金の無駄遣いという世論を受けて、銅閣寺の建設計画は取り消される。
#*しかし、入間市民の多くは気づかないほど、影が薄い駅。
#*それ以前に銀閣寺に銀が貼れなかった。
#**朝ラッシュに少しだけ、中央線に直通する列車がある。しかし、大抵の入間市民は西武池袋線を使って新宿や池袋に行ってしまう。
#**いや、このネタの場合は建設中止だから貼れないんだろ
#川越線(川越~八王子)で最もローカル線っぽい雰囲気を味わえる駅。
#**「銀閣寺建設は内外装の完成を待たずに中断、以後放置」ってとこですかね。
#*拝島側は先の見えない直線、高麗川側はちょっとした山が広がっていて、双方に緑が生い茂っていて雰囲気が堪らない。
#***銀閣には元々銀を貼る予定はなかった。金閣に対応して、「銀閣」と呼ぶようになったとさ。
#**真夏なんか携帯プレーヤーで合う音楽を聴きながら、1時間ぐらい佇んでいられる。ベンチは温まり過ぎて座ってられないけど。
#*×金閣寺、銀閣寺 ○(鹿苑寺)金閣、(慈照寺)銀閣
#**ただし近くの畑からか、たい肥の臭いが漂って来るのが玉に瑕。
#**銅閣寺はないのか?
#*ここから高麗川方の隣駅の東飯能までは、絶好のかぶりつきスポット。ローカル線の如く山間部を抜けて、西武池袋線を跨ぐ辺りまでの高架(盛り土?)は気持ちが良い。
#***正式名称は(鹿苑寺)金閣(慈照寺)銀閣なのに、旅行行った時もらったパンフレットにはしっかりと「金閣寺」と書いてあったのはアレはいいのか?
#改修工事済みで小綺麗。
#***銅閣は平等院鳳凰堂。
#*無人駅に近い業務委託駅ながらエレベーター完備で、トイレも非常に綺麗。周りの雰囲気もあって気持ちの良い駅。
#浦島太郎が竜宮城へ行く。
#撮影スポット。
#*丹後あたりで行方不明になったのに木曽で目覚める。
#*高麗川方からポイントを経て駅に進入する電車が順光で撮れる。単線なので列車被り等を心配する必要は一切無い。順光時間は正午前ぐらいから。ただし夏場も冬場も綺麗に順光で撮れる時間は短いので注意。
#時の政治家が政治そっちのけで茶道にのめりこみ、戦国時代に突入。
#お坊さんが無駄に強い。
#*ファンタジーRPGでもプリースト職は何気に強く、定番の人気職業。
#一休さん活躍。
#*お墓は宮内庁の管轄(本当)
#*新衛門さんの顎が割れる。当時としては珍しかった。
#*桔梗屋さんは実在した。
#*弥生さんももちろん実在した。
#*さよちゃんも当然のごとく実在した。
#*母上様は若いころ峰不二子と名乗り、世の男性をメロメロにしていた。
#**バカボンのママでもあった。
#**キューティハニーでもあった。
#*成長したのち、美人三姉妹怪盗団の長女として活躍…
#**現在の由美かおるである。
#当時苦しい生活を強いられた農民たちが始めた遊びがセクシーコマンドーの原形。
#*↑が従来の説だが、近年、「せくし~斎」なる人物が創り上げたという記述のある文献が出てきた。
#京の都に多いもの、それは金貸し屋。
#*寺院が金貸しをしていたから。
#**興福寺とかが有名。
#*酒屋、油屋、米屋など、比較的裕福な商人はみんな金貸しをしてた。
#*御台所も金貸しをして、甲斐性無しの夫のために銀閣寺建設費用をひねり出す。
#*平成時代になっても全国的に金貸しが大量発生し、首をくくる者が後を絶たない。
#**徳政令を求めて暴動が起きるかもね。
#室町が京都のどこにあるかは21世紀では誰も知らない。
#*東京の日本橋室町の事だと思い込んでる奴もいた。
#くじ引きで決まった将軍、足利よしのりがごーまんかましすぎて家臣に殺される。
#*あれ、あれってよしのりって読むっけ?
#義満が本気で天皇になろうとした。
#*息子はそんなオヤジが大嫌いだった。
#**なぜならオヤジの血を引いてたれ目だったから。
#*たぶん室町時代が衰退した原因。
#*将軍なのに、寺の小坊主には頭が上がらなかった。
#**一休さんの時代の将軍様は確か義政だろう。
#***一休さんはかなり長命だったので。生年の応永元年は義満時代、没年の文明13年は義尚時代ですな。
#将軍になる条件は「たれ目」。
#*そして「色白」。そして「小太り」。
#ところで山名と細川以外で有名な大名知ってるか?
#*富樫を忘れないで。百姓如きに倒された情けない守護大名だ!
#**え、あの載るほうが稀な漫画家?
#***いつの間にか消え去った弟の方じゃなくて?
#****弟健在だよ!
#*京の山は赤松一色だ!
#*斯波っていたような。
#*一色を忘れてもらっては困る。
#*大内と大友はこの時代から有力大名だ。
#*甲斐の武田氏や遠江駿河の今川氏も有力な守護大名だった。
#*関東管領の上杉氏もかつては有力だった。末期の落ち目っぷりは涙を誘うが。
#*薩摩の島津もいてはりましたよ。
#*滋賀には京極と六角もおりましたがな。
#*河内には畠山もいるでよ。
#*えーと・・・誰だっけ?たしか美濃にものすごく影の薄くて、気がついたら滅んでいた守護だいみょうだったが・・・・確か土から始まったていたな。土田だっけ?いやそもそもあそこに守護大名っていたっけ?
#**土岐なら立派な守護大名。
#茶道が大成されたのはこの時代の末期。決して韓国から伝わったのではない。
#*サドにも目覚めた。
#シシ神殺害。
#蕎麦屋多数創業。


*路線 - [[八高線]]
==室町幕府の将軍==
*バス - [[西武バス]]
*初代の尊氏以外、すべて名前に「義」がつく。
**「義」は、武家源氏宗家の嫡子につけられる通字。八幡太郎義家が親父の頼義から義の字を貰って以来、たいていつけられている。
**頼朝は義朝の三男だったので義の字はついていない。この系統は「頼」か「朝」を受け継いでいる。
***頼朝の代の本来の嫡子は悪源太と呼ばれた義平。イトコの義仲や弟の義経は自分で名をつけたようで、頼朝が彼らを目の敵にしたのは「嫡子でもないくせに、俺についてない義の字を名乗りやがって~~」と憤慨したからかも。
****平治の乱の時点で、頼朝は従五位下・右兵衛佐、義平は無位無冠なことから、頼朝が嫡子扱いされていたことはほぼ確実。それに「義」の字がそんなに重要なら、後に改名していたはず。巧くできた話だが、正直成り立たないと思う。
*代々日野氏から正室を娶っているため、ものすごい近親婚。


===高麗川駅の噂===
===足利尊氏===
{{駅名標/東日本2|name=高麗川|ruby=こまがわ|back=ひがしはんのう|next=むさしたかはぎ
#気前の良さで天下をとったが、気前が良すぎて自分の領地が減ってしまい、後難を招いた。
|back2=Higashi-Hanno|roma=Komagawa|next2=Musashi-Takahagi}}
#*中国・漢の高祖は打算ありきで気前良く振舞ったが、こちらは正真正銘のお人よし。でも誠実さがウケて何度失脚しても復活。
{{駅名標/東日本2|name=高麗川|ruby=こまがわ|back= |next=もろ|back2=
#けっこう情緒不安定かつ優柔不断な人。
|roma=Komagawa|next2=Moro}}
#*それでいて戦いは強いというのが不思議だ。
[[画像:KomagawaST00.jpg|frame|気動車と電車]]
#*よく見るザンバラ髪の肖像は、後醍醐天皇に朝敵扱いされてショックを受け、自暴自棄になって、出家すると言い張って寺で髪を切って貰った時の姿。
所在地:日高市大字原宿
#**あの肖像画は、実は尊氏を描いたモノではない。どうやら、高師直か、その一族の肖像画らしい。一方。神護寺三像は、源頼朝・平重盛・藤原光能を描いたといわれていたが、実は、源頼朝→足利直義、平重盛→足利尊氏、藤原光能→足利義詮だったのが有力となっている。
#気動車が来る東京から一番近い駅。(距離)
#***NHK大河ドラマ「太平記」(1991年)では、足利尊氏(真田広之)と高師直(柄本明)が同じザンバラ髪をして馬で走るラストシーンがあった。
#*時間では、久留里線の木更津駅。
#***年配の美術史家は非常に否定的。周辺の文献資料では確かに通説の方が有利だが、筆者は[[宋/金|]]時代の頂相の描法と、伝統的な大和絵技法を非常に高いレベルで習得しており、これを13世紀中に描くのは不可能だ思う。
#*関東鉄道守谷駅は?
#***どの肖像画にも言えることだが、通説が長い間受け入れられていたからには、それぞれの肖像画のモデルとされていた人物の実際の容姿も'''”当たらずといえども遠からず”'''程度には似通っていたのかもしれない。
#**JRだけで考えてるから。
#****「似ていたから混同した」というのは、現代人の発想。神像や仏画だとそういう例はあるが、肖像画の場合、像主や絵師の周辺資料や描法である程度推測できるため、そうした混同は普通起こらない。この論争も、論拠となる資料を前に持ってくるか後に持ってくるかに多くを拠る。
#*(修正)東京から一番近い、気動車が来る駅。
#***神護寺には、こちらは鎌倉時代に描かれたのが確実な文覚上人象があり、これと三像は全く似ていない。元の頼朝像らは、この文覚上人に似た作品だったと解釈した方が妥当だろう。
#西武とアクセス悪い。
#尊氏を名乗る前は「高氏」(読み変わらず)。後醍醐天皇の諱・尊治(たかはる)の一字をもらって尊氏に改める。
#知らない人は「''こうらい''がわ」と読み間違えている。(byついさっきまでそう読んでいた人)
#駅名の由来は、満州から朝鮮半島にかけて存在していた「[[三国時代 (朝鮮半島)|高句麗]](こうくり・日本名は「こま」)」という国らしい。
#*なぜ他国の国名が由来なのかと言うと、朝鮮半島でドンパチがあった→避難民が来日→じゃあこの辺に住んでねと指定された地がここ→高麗という地名がついた→地名が駅名になった。
#八王子支社(八高南線)、大宮支社(川越線)、高崎支社(八高北線)の3支社の路線が集まる駅(当駅は八王子支社管轄)。
#職員向けかホームの電柱に「身なりは正しく」という標語が掲げてある。
#かつては転車台があった。八高線と川越線の分岐脇にある公園の辺り。
#実はここから[[新宿駅|新宿]]、更には[[東京駅|東京]]まで1本で行けることがある。
#*朝夕に[[青梅線・五日市線|青梅線]]経由で[[中央快速線|中央線]]に直通の電車があるからね。朝は高麗川始発が2本、夕は東京始発が1本と本数は少ないけど。
#**東飯能駅以南は西武線(池袋線と拝島線)の競合があるから当駅始発の電車がもっとあれば良いと思う。
#有効長を無理矢理4両にしている部分がある。
#*中央線直通があるなら当駅以南は10両(かグリーン車に対応して12両)に対応するべきだと思う気が…。


*路線 - 八高線 [[川越線]]
===足利義詮===
*バス - 国際興業バス イーグルバス
#異母兄・直冬との争いで生涯を費やしてしまった。
#いつの時代も二代目の将軍って影薄いよな


===武蔵高萩駅の噂===
===足利義満===
所在地:日高市大字高萩
#金閣寺を建てた。
#川越西線の単独駅では唯一の橋上駅舎。
#[[明]]から日本国王に封じられた。
#*西線単独駅では北口と南口の両方にロータリーが整備されている。
#*天皇はその上なのだから構わないと思ったか、そんなところまでは考えていなかったか微妙。
#**南口は「さくら口」、北口は「あさひ口」と名付けられている。
#**当時の北朝系天皇は将軍に推戴されなければ地位を保てない存在。天皇が何を思っても、義満を止める手立てはなかった。
#皇室を乗っ取ろうとしたらしい。
#*厳密に言うと、長男の義持を征夷大将軍・源氏の長者とし、次男の義嗣を天皇の養子に押し込み、武家・公家の頂点に立とうとした。
#「一休さん」にたびたび登場したが、史実ではたぶん一休さんとは会ってない。
#*昭和時代に一般家庭に知れ渡った「一休さん」のお陰で、頭脳はかなりアレだと思われている。
#世阿弥を寵愛。能楽の恩人と言うべき。
#*だが、義満は世阿弥に殺されたという説も有り。
#**皇統の断絶を恐れた朝廷が差し向けた刺客だったという話だと思うけど、どうですかねえ……


*路線 - 川越線
===足利義持===
*バス - イーグルバス
#弟・義嗣と仲が悪く、親父が死んだのを幸い、義嗣を天皇の養子にする話を白紙に戻す。
#*ついでに「日本国王」も返上。とにかく親父の策をことごとく潰そうとした。
#息子の義量に早いうちに将軍位を譲り、大御所として後見しようとしたが、病弱な息子が先に死んでしまう。そのあと義持は復職しなかったので、3年ほど将軍が不在の時期があった。
#義量の死後、後継将軍を決めず、臨終の席で、「お世継ぎはどうなさいます」と重臣に訊ねられたが、<BR>「俺が言い置いてもどうせ無駄だろう。くじ引きでもして決めるがいい」<BR>と投げやりな答え。本当にくじ引きをして義教が就任。
#あまり知られていないが、水墨画は当時としてはかなり上手い。重要文化財に指定されている作品があるほど。


==武蔵野線==
===足利義量===
===新座駅の噂===
#16歳の時に将軍位を譲られたが、2年後に病死。子供の頃から大酒飲みだったらしい。
所在地:[[新座市]]野火止
#一応新座市の中心駅。新座市役所の最寄り駅。
#*しかし近年までは畑が多く利用者も少なかった。最近になってようやくマンションが立ち並ぶようになった。
#*その一方で駅の傍を国道254号が通っていて、ロードサイド店が立ち並んでいる。買い物をするにはそれほど困らない。
#駅メロが[[東京23区の駅/新宿区#高田馬場駅の噂|高田馬場駅]]と同じ鉄腕アトム。ただし、アレンジは高田馬場のものとは違う。
#西船橋から来ると、ここで管轄が大宮支社から八王子支社に変わる。
*路線 - [[武蔵野線]]
*バス - 西武バス にいバス


===東所沢駅の噂===
===足利義教===
所在地:[[所沢市]]東所沢
#くじ引き将軍。
#西武王国所沢にある唯一のJR駅。
#*義持が義量の死後、後継者を決めないで死んでしまったので、本当にくじ引きがおこなわれた。他の候補者は、梶井義承・大覚寺義昭・虎山永隆。みんな兄弟。
#*他の所沢市内の駅は西武特有の賑わいがあるが、東所沢駅前は典型的な郊外のJR駅という感じがする。というより所沢ではないような空気すら感じる。
#**この時「他の誰かがくじに当たっていたら?」というイフは、あまたのシミュレーション小説の設定に較べて、ずっと現実に起こりえたと思うのだが。
#埼玉県内でありながら、管轄は八王子支社。
#***室町時代のシミュレーションでは読者がついてこないかな。
#[[都営地下鉄大江戸線|大江戸線]]をここまで延伸する計画が在るけど、いったい いつに成るやら‥‥。
#***でも結果は対して変わらない。
#東所沢駅電車区があるが駅から電車区を繋ぐ線路が単線。
#*研究者でも、実はイカサマをしたとする人と、本当にくじ引きで選んだとする人と真っ二つに別れる。
#*尤も複線用地は取られているが本当に複線化するだろうか?尚、武蔵野線の本線は複線化しているのでご安心を。
#**イカサマを示唆する資料と、そんなことはなかったと暗に強調する資料の二種類が残されているため。
#**籤引に深く関わった僧の日記だと不正は無かった事を強調しており、素直に考えればこちらが正しいように思われるが、自分がイカサマしたことを正直に書く訳ないだろう・・・。
#もともとは僧として比叡山に登り、天台座主になっていた。
#*天台宗始まって以来の逸材とまで呼ばれていたという。
#**それが将軍になってからは仏教弾圧とは。飼い犬に手を噛まれた気分だったろう。
#**座主として山門のやり方を知り尽くしていたのが、強みだったのだろう。歴代の権力者にありがちな比叡山恐怖症がまったくと言っていいほどなかった。
#*高僧上がりにしては、やたらと武断的だったりえこひいきをしたりと、仏門にあった者とは思えない行動が多い。
#**ぶっちゃけ当時の寺院はそういう存在。世俗の身分制度が寺の内部にも行き渡り、高位の僧侶はやりたい放題出来た。
#*なぜか彼の代に「盟神探湯」(古代の神明裁判)が復活している。
#**口を出してくる有力者連中を神の威光を傘にきて跳ね除ける為だったらしい。境界や朝廷問題関連でのみ行われた。
#**「くがたち」と読む。
#[[九州]]を平らげ[[関東]]を蹴散らし、幕府の全国支配を完成させるが、その戦勝祝賀の席で赤松満祐に討たれる。全国支配はたちまち瓦解。
#*後花園天皇の父にあたる伏見宮貞成親王は「将軍が犬死するなんて聞いたこともない」と半ば馬鹿にする口調で日記に記している。これほどまでに皆に憎まれていた将軍も珍しい。
#*何せ、赤松満祐は将軍を討った後、逮捕どころか妨害もされず悠々と領地に戻っている。追討の軍が発せられたのはかなり後のこと。
#*赤松満祐が将軍を弑したのは、領地の裁定で不利益をこうむりそうだったからだが、満祐は先代の義持の時も不利益な裁定を受けている。個人的にイヤな奴だったのかもしれない。
#やり方の強引さはともかく、義満ですら成しえなかった関東・九州を一時的にせよ平らげ、史上初の比叡山の抑制(悪く言えば弾圧だが)を成し遂げるなど、政治手腕は確かだったと思われる。ただ、いかんせん最期が…。
#*信長が手本にしたという説もなんとなくうなずけるかな。


*路線 - 武蔵野線
===足利義勝===
*バス - 西武バス ところバス
#9歳で将軍になったが、8ヶ月で死去。死因は諸説あって謎に包まれている。
===足利義政===
#義勝の弟。
#8歳で将軍になったが、20歳くらいになるともう飽きて、やたらと引退したがる。
#*弟の義視に将軍位を譲ろうとした。もちろん奥さんの富子さんは猛反対。応仁の乱の遠因となる。
#**義視を後継者に指名した直後に息子の義尚誕生。何とタイミングの悪い…。
#奥さんと顔を合わせたくないばかりに家出。小川邸に移り趣味三昧の生活を送る。
#自分の息子(義尚)が成長したのでこれ幸いと譲位。
#*しかし父子で女を取り合って大喧嘩したりしている。
#要するに政治的には零点な人だが、文化史上では東山文化を創始した偉大な存在。
#*経済観念もゼロ。奥さんに無理やり算段させた資金で庭造りを堪能。文化史上では奥さんの功績も認めてやりたい。
#*今の日本家屋の基本を作った(畳・床の間など)。そういう意味ではかなり偉大。


==西武池袋線系統==
===足利義尚===
===所沢駅の噂===
#足利将軍きってのイケメン。緑髪将軍と称された。
{{駅名標/西武|name=所沢|ruby=ところざわ|roma=Tokorozawa|back=秋津|back2=あきつ|back3=Akitsu|next=西所沢|next2=にしところざわ|next3=Nishi-Tokorozawa}}
#将軍家の所領を奪った六角氏征伐のためみずから出陣したが、戦が長引いている間に病死。
{{駅名標/西武|name=所沢|ruby=ところざわ|roma=Tokorozawa|back=航空公園|back2=こうくうこうえん|back3=Koku-Koen|next=東村山|next2=ひがしむらやま|next3=Higashimurayama}}
#*戦死説もある。現職の将軍が戦死ではみっともないので病死と取り繕ったとか。
[[画像:TokorozawaST00.jpg|frame|左:池袋線上り 右:新宿線上り]]
所在地:[[所沢市]]日吉町
#[[西武鉄道]]の本社はここにある。
#以前は駅の隣に車両工場まであった。
#*駅の南側から西のほうに分岐して、現在そごう西武所沢センターがあるところ辺りにあった。現在も線路は残っている。
#駅が複雑怪奇になっている。(なぜか、新宿線から、池袋線に行く電車があったりする・・・。)
#*おかげさまで、ナイスな運用(西武新宿⇔西武球場前等)が出来るのであります。
#昔、新宿線と池袋線の会社は別だった。元々池袋線は所沢に寄る予定がなかったためあんなカーブを描くことに。
#*西武新宿行きと池袋行きが逆方向に出て行く。初めて見た人は少なからず驚く。
#**お陰で「上り」同士の乗り換えは楽。
#[[大宮駅]]行きの[[西武バス]]最長路線がここから出ている。
#*嘗ては3系統あった。
#*西武大宮線の唯一の名残といえる。
#**それはむしろ大宮―川越線じゃないか?近頃はグリーンパークで分断されたけど。
#***いや、西武沿線と関係のない大宮に西武バスが走っているのは西武大宮線があった為だから、名残と言えなくもない。
#*埼玉県内トップのロングランバス路線であるが、さすがに通しで乗る利用者数が少ない所為か一日一往復に・・・。
#20年前までは更地だった東口の整備及び小手指駅までに距離を短縮した関係で西口に乗り入れるバスが激減した。
#*駅前~旭町付近の渋滞解消の為とも言われる。
#*所沢駅西口周辺のお粗末なバス路線網は全国の中核市レベルの街では最低。繁華街を抱えるにもかかわらず流し営業のタクシーもいない。
#2009年現在、[[名古屋市|名古屋]]を通過するバスが出ている。
#*高速バスの場合、「経由しない」といった方が正確だが。2008年までは名古屋行きもあったが運休になった。
#**所沢発で名古屋を通過するといえば、東口から出ている志木駅行きのバスのことだろ?
#嘗て橋上通路は、コンコースと自由通路の2つの通路に分断されており、東口と南口の2つの小規模な改札口が設けられていた。切符売り場や事務所は、現在のプロントのある場所にあった。
#2013年に向けて絶賛駅改良工事中。改札が線路上のコンコースに統合され、何店舗か入るとのこと。
#*新しいコンコースが完成するも現時点では西口専用。多分初見は戸惑うんじゃね? なお方向案内には明らかに隠されてる部分が・・・。
#*今度は東口で工事が始まった。なんでも地上5階建ての駅ビルを建てるらしい。
#夕刻以降新宿線ホームにある狭山そばからは'''反則的な誘惑の匂いが漂う'''。誘惑に負けること数知れず。
#*駅改装工事に伴い2011年末をもって閉店、39年間の歴史に幕を閉じた。
#**2013年の駅改良工事終了を以って再開店した。
#ここから[[新宿]]に向かう場合、新宿線に乗るよりも副都心線直通電車に乗る方が早い。
*路線 - [[西武池袋線]] [[西武新宿線]]
*バス - 西武バス


===西所沢駅の噂===
===足利義稙===
所在地:所沢市西所沢
#義政の弟・義視の息子。
#通称「にしとこ」
#*日野富子が彼に将軍位をやりたくなかったのが原因で応仁の乱が始まったのに、義尚が死んでみると彼しか適格者が居なかったという皮肉。
#池袋線と西武ドームに行く狭山線の分岐駅。
#**日野富子にしてみれば「何故あやつに将軍職をやらねばならぬ…」だろうけど、実子・義尚が子作りしないまま死んだのも絡んでる。
#*なのに快速急行は通過。渋谷や横浜に行くのは不便な駅。
#管領の細川一族と反目して、京都を追われては、あちこちの大名の力を借りて復帰、また反目して追われ……という忙しいというか懲りない人生を送った。
#西武ライオンズの選手の写真看板がホーム上から見え西武球場前駅よりライオンズの駅らしくもある。
#*最後は阿波で死去。
#西武球場に行く人はここでの乗り換えを強いられる。
#**管領家の跡継ぎ争いに左右され、それに伴う政変に翻弄され、結局京都に帰れないまま死ぬという無念さ。
#義材という別名もある。
#*義材(よしき)は将軍職に最初に就いた時。諸国放浪中に義尹(よしただ)に改名。再度将軍職に返り咲いて義稙(よしたね)に。
#跡継ぎ息子がいないまま死んだ。なので、次期将軍の座を巡る戦乱の原因に。


*路線 - 西武池袋線
===足利義澄===
#義政・義視の弟、伊豆堀越公方・足利政知の息子。
#父の死後、異母兄の茶々丸がご乱心して、家族を斬殺。義澄だけ命からがら逃れて京都へ走る。
#*ちなみにそのあと北条早雲が茶々丸を追って伊豆を乗っ取ってしまい、堀越公方は消滅。
#義稙と反目した細川政元に擁立されて将軍位に。
#*しかし、大内義興の支援を受けた義稙に追われて都落ち。
#*六角高頼の支援を受けて逆襲しようと準備していた時に病死。
===足利義晴===
#父・義澄が都落ちしていた時に生まれ、赤松義村のもとで養育される。
#返り咲いていた義稙が、またも細川高国と反目して逃げ出したのち、高国に擁立されて将軍位に。
#義晴も、細川晴元と反目したり仲直りしたり、忙しい人生を送った。
#ちなみに戦国武将の細川幽斎(藤孝)は管領細川氏直系ではなく、義晴の落胤らしい。


===小手指駅の噂===
===足利義輝===
{{駅名標/西武|name=小手指|ruby=こてさし|roma=Kotesashi|back=西所沢|back2=にしところざわ|back3=Nishi-Tokorozawa|next=狭山ヶ丘|next2=さやまがおか|next3=Sayamagaoka}}
#剣豪将軍。
所在地:[[所沢市]]
#*塚原卜伝から免許皆伝を受けた。おそらく鎌倉・室町・江戸期の全将軍のうち、個人的戦闘力では最強の人。
#昔、バナナマンの設楽が勤めていた。
#**それ以外の[[征夷大将軍]]では、坂上田村麻呂・木曽義仲あたりが個人技でも強そうな気がするが、それについての史料は無いので、義輝より強いかどうかはわからない。
#「がんばれタブチくん」でタブチ家最寄り駅。
#あちこちの大名に偏諱を授けて謝礼金をねだった。
#車両基地でのイベントに参加する客は基本的に南口迂回を強いられる。車両基地正門には北口のほうが近いはずだけど…(線路の北側に住宅が密集しているのに対して、南側はそれほどでもないからか)。
#*伊達'''輝'''宗、毛利'''輝'''元、上杉'''輝'''虎(=謙信の本名)……
#「[[ぷよぷよファン|ぷよぷよ]]」のコンパイル終焉の地まで徒歩5分。
#*毛利輝元の場合は、「'''義'''元」と名乗っても良かったのだが、それだと桶狭間で討死にした[[静岡|駿河]]の某大名と同じ名前になるからいやだとゴネてこの名前になった、とどっかで聞いたことがある。
#歴史的にはそれなり知られているはずなのだが(小手指原の戦い)、県民でも駅名を読めない人が多い。
#**大河ドラマ「毛利元就」でそういうシーンがあったけど、ほんとかなあ……。
#*むしろ、西武のネットワークを考えると東京都民のほうが読める人が多そうな気がする。
#**ちなみに「義」の字のほうが謝礼金は高くなる。こちらを貰った人としては、武田信玄の長男・'''義'''信が代表例。
#*義輝の前は義藤と名乗っていた。細川'''藤'''孝(幽斎)がこの偏諱を受けた人物として有名。
#最後は松永久秀に攻められ、みずから十数本の刀をふるって戦ったが、力及ばず戦死。
#*辞世の句にも無念さがにじみ出ている。
#**辞世の句 五月雨は露か涙か不如帰(ほととぎす)我が名をあげよ雲の上まで
#上述の偏諱を授けるほか、各地の抗争の調停をしたりと、とにかく将軍の名前と存在感を売り込んで、幕府の権威の復活に熱心だった。


*路線 - 西武池袋線
===足利義栄===
*バス - 西武バス
#義晴と反目していた弟・義維の息子。
#*阿波平島で生まれる。平島は現在の[[阿南市]]にある。
#朝廷への献上金が足りなくて、一時は将軍宣下を断られた貧乏な人。
#義昭を担いだ織田信長に追われて都落ち。再起を図っている途中で病死。
#子孫は平島公方と呼ばれ、代々阿波平島に住んだ。


===狭山ヶ丘駅の噂===
===足利義昭===
所在地:所沢市西狭山ヶ丘
#義輝の弟。
#手前の小手指で折り返す列車が多いため、不便である。
#織田信長に頼って京都入りし、この世の春かと思っていたら、実権を全部信長に奪われているのに気づき、キレる。
#ところざわ自動車学校の最寄り駅。
#*信長に対抗するため、あっちこっちの勢力に手紙を書きまくる。まあ、できることがその程度しかなかったわけだが。
#*学校内の敷地内にレストランがあり、2018年10月ごろの某ニュース番組で紹介された。
#*当初は信長のことを「お兄ちゃん」と呼ぶほど親しかった。
#かつて貨物の発着があった名残で、毎日1本ずつ当駅始終着の回送がある。
#**「お父ちゃん」じゃなかったっけ?
#*10両編成が充当されるため、地下直対応車以外の通勤型が入る。
#何度も信長を陥れようとするが失敗し、毛利家に預かりとなる。
#西武バスは通っているが、本数が少ない。
#毛利家の庇護下では[[福山市|鞆の浦]]にいた。ここでいろいろと反信長の活動を行っていた。
#*路線バスは土休日に箱根ヶ崎駅発小手指駅行きが1本あるのみで、平日に関しては存在しない。
#*だから、鞆時代とか鞆幕府と言っても良いような気がしなくもない。
#*ところバスが西口を発着とした系統を運行しているが、いつの間にか車両が小さくなった。
#**しかもこの時点ではまだ将軍だったんだよなぁ、確か。
#***名ばかりの将軍だから相当な貧乏生活だろうと思われがちだが!足利将軍家の専権事項実行して礼金とれたのと、日明貿易で繋がりのあった大名からの援助もあったのでカネには困らなかった。
#明智光秀を焚きつけたのは彼だったという噂も。
#数奇な運命ではあったが、ちゃんと天寿を全うしている。
#*秀吉が関白になってからは、大名として復活??してるし・・
#**朝鮮出兵にも参陣してる。
#***秀吉に願われて参陣したが、朝鮮に渡ってない。まぁ秀吉の天下統一完成までは前将軍だし、その為待遇はそこらの大名以上だったし。山城国(現在の京都南部)に1万石もらって悠々自適だったそうだし。
#玉置浩二の当たり役。
#どうにかして将軍になりたい秀吉の「あんたの子供にしてくんない?名目だけでいいからさぁ。」という勝手な申し出を一蹴したとか。気位だけは失わなかったらしい。


*路線 - 西武池袋線
{{日本史}}
*バス - 西武バス
[[category:日本史|むろまち]]
 
===武蔵藤沢駅の噂===
所在地:[[入間市]]下藤沢
#最近、橋上駅舎化された。
#*しかしロータリーは西口のみ。
#神奈川県の藤沢駅とは無関係。
#*それゆえに「武蔵」がつく。
 
*路線 - 西武池袋線
*バス - 西武バス
 
 
===稲荷山公園駅の噂===
所在地:[[狭山市]]稲荷山一丁目
#西武池袋線で狭山市内にある唯一の駅
#*二駅離れた狭山ヶ丘駅は実は所沢市の駅
#実は西武新宿線の狭山市駅とは二キロしか離れていない。
#*入間市駅に至っては一キロも離れていない。
#*狭山市駅までバスだと7~8分、歩くと25分前後。なお電車を利用すると30分かかる。
#この駅でしか見ないであろう内容の注意書きが池袋寄りに存在する。要約すると「ここから先に立ち入るな」と言うことなんだが。
#石神井公園駅とは異なり、「いなりやまコウペンえき」にはなれなかった。
 
*路線 - 西武池袋線
*バス - 西武バス
 
===入間市駅の噂===
所在地:入間市河原町
#1番ホームは特急専用。
#*しかし専用ホームがあるのは下り(秩父方面)だけで、上り(池袋方面)は普通列車と共用。
#開業時は「豊岡町駅」だった。
#改札口が飯能寄りに在るため池袋駅の乗り降りに便利な反対側の車両に行くのに時間が掛かる駅の1つ。
 
*路線 - 西武池袋線
*バス - 西武バス
 
===仏子駅の噂===
所在地:入間市野田
#読みは『ぶし』。
#*とはいえ、特にキラキラした様子は見られない。
#上り線と下り線の間に中線が1つある。
#北口駅舎は上り池袋寄り、南口駅舎は下り飯能寄りにある。
 
*路線 - 西武池袋線
*バス - 西武バス
 
===元加治駅の噂===
所在地:入間市野田
#飯能駅以東の池袋線(狭山線除く)の駅では最も利用者が少ない。
#敷地は入間市と飯能市にまたがる。
 
*路線 - 西武池袋線
 
===飯能駅の噂===
所在地:[[飯能市]]仲町
#[[東京メトロ有楽町線]]・[[東京メトロ副都心線|副都心線]]の車両が乗り入れるのはここまで。
#*[[東急東横線]]と[[横浜高速鉄道みなとみらい21線|みなとみらい線]]も。
#初めて飯能駅を使う人は、池袋行きと西武秩父行きが同じ方向に発車していく事に疑問を抱く。
#2019年3月に構内を'''[[フィンランド]]'''風にリニューアル。
 
*路線 - 西武池袋線
*バス - 西武バス [[国際興業|国際興業バス]] イーグルバス
 
===正丸駅の噂===
所在地:飯能市
#西武で最も利用者が少ない駅。
#だが、[[国道299号]]の秩父方面の利用者にとっては重要な休憩所。
#*飯能方面は芦ヶ久保駅にある道の駅芦ケ久保が休憩所になる。
 
*路線 - 西武池袋線
 
===西武球場前駅の噂===
[[画像:Seibukyujo-maeST00.jpg|thumb|240px|コンサート終わりの駅(左手に改札)]]
所在地:所沢市上山口
#頭端式3面6線10両フル規格(+山口線)という、関東私鉄としては最大のターミナル駅。まさに「東の阪急梅田」。
#*利用者数が伴ってないけどね。
#*東急蒲田駅「なぬっ!」
#*これだけの規模にも関わらず、何れも単線で発車間隔には限界がある為、試合やコンサート終わりは入場規制で地獄絵図と化す。
#山口線を除いても3面6線と比較的規模の大きい駅だが普段はそのうちの1本しか使っていない。
#*しかし周辺はファミマと中華料理店のみ…
#駅自体も[[西武ドーム|球場]]と一体化している。
#*その球場のほうはドーム化やネーミングライツの導入などで度々名称が変わっているが駅名は開場以来そのまんま。
#**駅自体は開場前から存在するが流石にその頃は違う名前だった。
#***昔は村山貯水池際駅だった。そのころ西武遊園地駅は村山貯水池駅、西武園駅は村山貯水池前駅を名乗っていた。
#***ただ、ドーム化したりネーミングライツなどで本体が名称しても駅名は開場時のまま。
 
*路線 - 西武狭山線 [[西武鉄道#西武山口線(レオライナー)の噂|西武山口線]]
*バス - 西武バス(イベント開催時のみ)
 
==西武新宿線==
===航空公園駅の噂===
所在地:所沢市並木
#西武鉄道の駅では練馬高野台に次いで新しい。
#所沢市役所移転に伴い誕生。当初の駅名は所沢中央駅だった?
#*市役所の他、所沢警察本部、所沢郵便局、税務署、検察庁など官庁主要が集まり実際に所沢市の中枢地域。
 
*路線 - 西武新宿線
 
===新所沢駅の噂===
所在地:所沢市緑町
#通称「しんとこ」
#ラッシュ時の新宿線は新所沢止まりが多い。
#*この駅と隣の入曽駅の間に車庫がある為。
#当駅から本川越駅までバスが出ている。地図上のほぼ最短距離・r6を真っ直ぐ進むルートだが本川越駅を目指すなら当然電車を使ったほうが早い(電車で20分、バスだと45分前後)。
 
*路線 - 西武新宿線
*バス - 西武バス
 
===入曽駅の噂===
所在地:[[狭山市]]大字南入曽
#地味だけど西武全駅の中でも古い部類に入る。
#埼玉県内の新宿線の駅では最も地味。
#*しかし利用者は、池袋線の稲荷山公園駅や元加治駅より多い。
 
===狭山市駅の噂===
所在地:狭山市入間川
#ボロ駅舎だったのは今や昔、新駅舎となり一気に綺麗になった。
#*ただし新駅舎になってからはホームに行くのが少々めんどくさくなった。改札を抜けるとホームの頃が懐かしい。
#開業時の名前は「入間川駅」
 
*路線 - 西武新宿線
*バス - 西武バス 狭山市内循環バス
 
===新狭山駅の噂===
所在地:狭山市新狭山三丁目
#狭山工業団地が出来て開設された事で狭山市駅と区別する為、『新狭山駅』と名付けられた。
#*但し橋上駅舎になったのはこちらの方が早い。
#当駅にロッテの工場があるからロッテ製品のCMソングの『噛むとフニャン』と『コアラのマーチ』が発車メロディーになっている。
 
*路線 - 西武新宿線
*バス - 西武バス 狭山市内循環バス
 
==東武鉄道==
===和光市駅の噂===
{{駅名標/東上2|name=和光市|ruby=わこうし|back=なります|back2=Narimasu|back-link=東京23区の駅/板橋区・練馬区#成増駅・地下鉄成増駅の噂|next=あさか|next2=Asaka|roma=Wakoshi|place=埼玉県和光市}}
[[画像:WakoshiST00.jpg|frame|南口駅舎]]
所在地:[[和光市]]本町
#最近[[東武東上線|東上線]]の特急が止まるようになった。
#*と思ったら特急自体がなくなった。
#**最近、川越特急が出来た。だが、当駅を通過する。
#東京メトロ唯一の埼玉県の駅。
#*ただ、ほかの東京メトロ駅ユーザーからすればこの駅に何があるか分からない模様。
#副都心線経由で乗り入れてる東横線の[[東京23区の駅/品川区・目黒区#中目黒駅の噂|中目黒]]と似てる。
#*東横線直通電車に乗ると、和光市では内側に発着、中目黒では外側に発着。
#*違いは和光市のほうがホームが広い、ホームドアが中目黒は外側だが和光市は内側に付いている。
#*代々木上原も同じ。
#**寧ろ、構造的に代々木上原駅の方が似ているのでは?
#*名古屋の上小田井や京都の竹田も。
#地下鉄方面ホームでは発車ベルが使われている。
#*ホームドア設置時には発車メロディが使われていたはずなのだがいつの間にか元に戻っていた。
#事故や悪天候などではこの駅どまりの折り返し運転になることが多いが、実はここから朝霞方面に向かうバス路線が一切ない。どうしても先に行きたい場合、歩くかタクシーを拾うかの二択を迫られることになる。
#*[[西武バス]]で大泉学園駅北口へ行けるので実際は朝霞駅へは終点で乗り継ぐことで乗り換え可能。
#**また志木駅へは大泉学園駅北口から福祉センター入口行きか新座営業所行きや1本しか走って居無い新座駅南口行きに乗って、更に乗り換えると志木駅南口へ乗り継げられる。
#2・3番線がメトロ、1・4番線が東武というわかりやすい表示。
#*3番線の電光掲示板には有楽町線だと行き先表示には「Y」が表示されるが、副都心線では「F」と表示されることはない。
#**あと行き先表示の前には始発か直通かが表示。直通の場合は川越市始発か森林公園始発かが表示される。
#*電光掲示板はフルカラー版と通常版がある。
#2016年に東上線側のホームにもホームドアが設置された。
#2020年春に商業施設とホテルが一体となった駅ビルができる予定。
#実は東武の駅では池袋駅、北千住駅に次いで多い。
 
*路線 - [[東武東上線]] [[東京メトロ有楽町線]]・[[東京メトロ副都心線|副都心線]]
*バス - [[東武バス|東武バスウエスト]] [[西武バス]]
 
===朝霞駅の噂===
所在地:[[朝霞市]]本町
#朝霞市役所の最寄り駅である。
#*しかしながら、止まる種別は普通と準急のみ。
#**それでも利用客は比較的多く、線内の急行通過駅では最多で、なおかつ急行停車駅のふじみ野を上回っていたりする。
#駅の至る所に「武蔵野線の乗換駅は当駅ではありません。1つ先の朝霞台駅です。」という看板がある。
#毎年8月初めに行われる彩夏祭の花火大会開催日は、会場が近いため大混雑する。
#*最近の開催日では、3番線に待合室代わりの臨時始発を待機させ、上り列車を全て4番線に流す措置がとられているが、ホームドアと待合室設置でこれも変化するかもしれない。
#駅構内にはエキア朝霞という施設がありファミマや銀だこなどがあって賑わっているが、駅を出て歩いて1分もすると駅の賑わいがウソのような雰囲気になる。
#2019年3月頃上りホームにホームドアが設置される。
#*同時に待合室が上下ホームに、また来年には下りにもホームドアが設置される。ついでに屋根周りにも交換の手が回っている。まさにオリンピック様々w
 
*路線 - 東武東上線
*バス - [[東武バス]]ウエスト [[西武バス]] [[国際興業|国際興業バス]] 朝霞市内循環バス
 
===朝霞台駅・北朝霞駅の噂===
所在地:[[朝霞市]]東弁財・浜崎
#東上線の駅と武蔵野線の駅で駅名が異なる。
#*なんとなく[[埼玉の駅/東部#南越谷駅・新越谷駅の噂|南越谷・新越谷]]との関係に似ている。こちらも東武と武蔵野線の乗換駅だが、両社で駅名が違う為。
#**但し、乗り換えはこちらの方が楽。あちらは3階から1階まで降りなければいけないから。
#[[東洋大学]]朝霞キャンパスの最寄り駅。
#東上線の駅では池袋駅、和光市駅に次いで多く、新越谷駅より利用者が多い。
#*逆に武蔵野線では西船橋駅、南越谷駅に次いで多い。
#2019年のダイヤ改正から設定された川越特急の停車駅。それも、快速急行の停車駅の和光市や志木を差し置いて。ちなみにその快速急行は通過するのだが。
 
*路線 - 東武東上線 [[武蔵野線]]
*バス - [[東武バス]]ウエスト [[西武バス]] [[国際興業|国際興業バス]] 朝霞市内循環バス
 
===志木駅の噂===
{{駅名標/東上2|name=志木|ruby=しき|back=あさかだい|back2=Asakadai|next=やなせがわ|next2=Yanasegawa|roma=Shiki|place=埼玉県新座市}}
所在地:[[新座市]]東北・[[志木市]]本町
#志木駅の所在地は実は新座市。
#*[[東武東上線]]柳瀬川駅には志木駅の北方約1/4が志木市にされている地図がある。(あった?)
#*このため駅近辺の銀行支店は埼玉りそな以外は「'''新座志木'''支店」
#**駅近くの大きな病院の名前も、「'''新座志木'''中央総合病院」
#*小学校時代、新座の子に言われるとなぜか悔しい。
#*旧駅舎はもう少し北側の志木市内にあった。
#**志木駅東口交番そばに、かつての志木駅の写真と記念碑がある。
#*駅周辺に新座市、志木市、朝霞市の3市の境界があるため再開発がしにくいらしい。
#**特に東口側の境界線がかなり凄いことに。
#*新座駅ができる前まで、ここを新座駅にしようという話があったという。ちなみに、志木市内にある駅は隣の柳瀬川駅。
#かつては志木駅も特急が停車する駅だった。
#*現在は和光市駅が停車駅に。
#**志木に停車しなくなった時は、特急列車は[[池袋駅|池袋]]から[[川越駅|川越]]までノンストップで駆け抜けていた為、利用者は少なかったらしい。
#*2008年から特急が快速急行に変わって再び停車駅に。
#駅の掲示によると近々発車メロディが導入される予定。
#*発車メロディは無事導入された。
#[[立教大学|立教]]と[[慶應義塾大学|慶應]]が交わる駅。
#朝霞台駅よりの陸橋の下に無料駐輪場があったが、東口側だけ廃止された。
#*南口側も廃止された。
#08年6月に登場するTJライナーは通過するが、快速急行は停車する予定。
#*TJライナー以外はすべて停車する。
#**しかし川越特急は通過。
#08年7月から南口に成田空港行きのリムジンバスが乗り入れるようになった。
#東上線内でも拠点といえる駅で、小さいながら駅ビルもある。複々線区間はここから和光市まで。
#*利用者も10万人弱とかなり多く、普通電車は東上線直通、地下鉄直通ともにここ始発の電車が多い。朝、時間がかかっても座って通勤したいという人には穴場。
#*東武全体では10番目、東上線全体では5番目だが、'''東武での他線乗り換えのない駅では堂々の乗降客数1位'''である。
#*2012年度以降は利用者が10万人を超えた状態で維持しており、私鉄単独駅では本厚木駅、青葉台駅に次いで多い。
#*因みに改札の出入りは所沢駅より多い。
#東上線がストップしてしまった場合、北朝霞まで歩く。
#*[[西武バス]]の清瀬駅行きに乗る人っているのかな・・・。
#**所沢駅行きとかひばりヶ丘駅行きのバスもあるよ。あと朝霞台駅行きもあるし、東武バスの朝霞駅行きもある。結構便利だね。
#*いそうな気もする。逆に西武が止まった時はどうなのかな?
#朝霞、志木、新座の3市の広報が置いてある。
#密かにリニューアル中。切符売り場がきれいになった。お店も変わるかもしれない。
#*変わった。すごく変わった。はっきり言って和光市駅よりもきれいで便利。
#**和光市駅を引き合いに出しても仕方ない、あそこは利用客数にかかわらず駅規模的にも駅施設的にも何もないし。
#高校生の待ち合わせが非常に多い。
#ヤマザナドゥ。
#最近、駅の有人改札がカウンター式になった。東上線では池袋、川越、成増に次いで4番目…かな?
#東上線の駅では珍しい、駅前に[[イオン]]がある。
#*東武練馬やふじみ野のそれともども[[マイカル|サティ]]上がりの店舗なのだが、ここのはニチイ(サティの前身)時代からの古株である。
#当駅始発の池袋行き準急ができた。
 
*路線 - [[東武東上線]]
*バス -  東武バスウエスト 西武バス 国際興業バス
 
===柳瀬川駅の噂===
所在地:[[志木市]]館二丁目
#駅周辺は団地やマンションが立ち並んでいる。
#駅名の由来ともなった柳瀬川が駅のすぐそばを流れている。
 
*路線 - 東武東上線
 
===みずほ台駅の噂===
所在地:[[富士見市]]東みずほ台二丁目
#西口、東口ともにマンションが併設された駅ビルとなっている。
#もともとは信号場だった。
 
*路線 - 東武東上線
 
===鶴瀬駅の噂===
所在地:[[富士見市]]鶴瀬東一丁目
#西口の駅舎がマンションになっている。
#東口には再開発から取り残されたようなビルがある。
#*富士ビルは思いきりレトロな雰囲気が漂っているが再開発に飲み込まれそうだ。
#*隣の鶴瀬駅前市場ビルも同じような雰囲気。
#**バス停も兼ねているらしく看板には「誰でも乗れる」ことを掲げている。
#ただいま駅前大改造中。バスが通るのがやっとな東口にもロータリーが完成する。
#実は鶴馬と勝頼の合成駅名。
#*と言うか鶴馬村と勝瀬村が合併して成立した鶴瀬村が由来。
#バスの本数が年々減っている。昔は西武バスが所沢へ東武バスが上福岡までバスで行けたのに。
#*先日ふじみ野駅から鶴瀬まで東武バスに乗ったが運賃も割高で客が自分一人だった。
#*一方でライフバスや富士見市内循環バスはそこそこの客。ららぽーと富士見が出来たらどうなるのやら。
 
*路線 - 東武東上線
 
===ふじみ野駅の噂===
所在地:富士見市ふじみ野東
#ふじみ野市ふじみ野にあるわけではない。
#*なぜなら市名と町名を隣に取られたからである。
#**ふじみ野駅は1993年開業、ふじみ野市は2005年に上福岡市と大井町の合併により誕生。
#よく急行と準急が待ち合わせをしている。
#小川町方面のTJライナーはここから無料で運行される。
#*池袋方面のモーニングTJも当駅のみ310円で乗れる(他は410円。)
#2017年の4月に富士見市でももクロのイベントが行われることを記念して一時期だけ「'''ももいろクローバー駅Z'''」に変更された。
 
*路線 - 東武東上線
 
===上福岡駅の噂===
{{駅名標/東上2|name=上福岡|ruby=かみふくおか|back=ふじみの|back2=Fujimino|next=しんがし|next2=Shingashi|roma=Kami-fukuoka|place=埼玉県ふじみ野市|next-link=埼玉の駅/川越・比企#新河岸駅の噂}}
[[画像:KamiFukuokaSTNG00.jpg|thumb|120px|北口駅舎]]
所在地:[[ふじみ野市]]上福岡1丁目
#市の合併前は、一日の利用者が市の人口よりも多かった。
#*川越市東部、旧大井町西部からも使えたため。
#*ふじみ野市唯一の鉄道駅。当然市役所等の最寄り。
#出入口は東西にあるが、名前は北口と南口。なのにバス停は「上福岡駅東口」、「同西口」。
#*現在はバス停通りの名前になりました。
#東側からバスで駅に来てはいけない。
#急行以上の種別が通過する駅だが、引き上げ線がある為、深夜にここどまりの電車が存在する。
#鶴瀬駅同様西側が綺麗で東側がごみごみしている。
#当駅のすぐ南を通るr56の踏切が開かずの踏切で連日渋滞を引き起こしている。市議会議員が立体化を目指しているが東武側が難色を示している模様。
 
*路線 - 東武東上線
 
[[Category:埼玉の駅|*せいふ]]

2010年6月7日 (月) 23:33時点における版

室町時代の噂

  1. 海驢(あしか)が天下を取った。
  2. 明に対する貿易黒字でバブル到来。
    • 儲けたついでにバブル資金で南朝と北朝を買収・合併。
  3. 金閣寺と銀閣寺ができる。(銅閣寺は構造計算書の偽造がばれて、建設中止)
    • 税金の無駄遣いという世論を受けて、銅閣寺の建設計画は取り消される。
    • それ以前に銀閣寺に銀が貼れなかった。
      • いや、このネタの場合は建設中止だから貼れないんだろ
      • 「銀閣寺建設は内外装の完成を待たずに中断、以後放置」ってとこですかね。
        • 銀閣には元々銀を貼る予定はなかった。金閣に対応して、「銀閣」と呼ぶようになったとさ。
    • ×金閣寺、銀閣寺 ○(鹿苑寺)金閣、(慈照寺)銀閣
      • 銅閣寺はないのか?
        • 正式名称は(鹿苑寺)金閣(慈照寺)銀閣なのに、旅行行った時もらったパンフレットにはしっかりと「金閣寺」と書いてあったのはアレはいいのか?
        • 銅閣は平等院鳳凰堂。
  4. 浦島太郎が竜宮城へ行く。
    • 丹後あたりで行方不明になったのに木曽で目覚める。
  5. 時の政治家が政治そっちのけで茶道にのめりこみ、戦国時代に突入。
  6. お坊さんが無駄に強い。
    • ファンタジーRPGでもプリースト職は何気に強く、定番の人気職業。
  7. 一休さん活躍。
    • お墓は宮内庁の管轄(本当)
    • 新衛門さんの顎が割れる。当時としては珍しかった。
    • 桔梗屋さんは実在した。
    • 弥生さんももちろん実在した。
    • さよちゃんも当然のごとく実在した。
    • 母上様は若いころ峰不二子と名乗り、世の男性をメロメロにしていた。
      • バカボンのママでもあった。
      • キューティハニーでもあった。
    • 成長したのち、美人三姉妹怪盗団の長女として活躍…
      • 現在の由美かおるである。
  8. 当時苦しい生活を強いられた農民たちが始めた遊びがセクシーコマンドーの原形。
    • ↑が従来の説だが、近年、「せくし~斎」なる人物が創り上げたという記述のある文献が出てきた。
  9. 京の都に多いもの、それは金貸し屋。
    • 寺院が金貸しをしていたから。
      • 興福寺とかが有名。
    • 酒屋、油屋、米屋など、比較的裕福な商人はみんな金貸しをしてた。
    • 御台所も金貸しをして、甲斐性無しの夫のために銀閣寺建設費用をひねり出す。
    • 平成時代になっても全国的に金貸しが大量発生し、首をくくる者が後を絶たない。
      • 徳政令を求めて暴動が起きるかもね。
  10. 室町が京都のどこにあるかは21世紀では誰も知らない。
    • 東京の日本橋室町の事だと思い込んでる奴もいた。
  11. くじ引きで決まった将軍、足利よしのりがごーまんかましすぎて家臣に殺される。
    • あれ、あれってよしのりって読むっけ?
  12. 義満が本気で天皇になろうとした。
    • 息子はそんなオヤジが大嫌いだった。
      • なぜならオヤジの血を引いてたれ目だったから。
    • たぶん室町時代が衰退した原因。
    • 将軍なのに、寺の小坊主には頭が上がらなかった。
      • 一休さんの時代の将軍様は確か義政だろう。
        • 一休さんはかなり長命だったので。生年の応永元年は義満時代、没年の文明13年は義尚時代ですな。
  13. 将軍になる条件は「たれ目」。
    • そして「色白」。そして「小太り」。
  14. ところで山名と細川以外で有名な大名知ってるか?
    • 富樫を忘れないで。百姓如きに倒された情けない守護大名だ!
      • え、あの載るほうが稀な漫画家?
        • いつの間にか消え去った弟の方じゃなくて?
          • 弟健在だよ!
    • 京の山は赤松一色だ!
    • 斯波っていたような。
    • 一色を忘れてもらっては困る。
    • 大内と大友はこの時代から有力大名だ。
    • 甲斐の武田氏や遠江駿河の今川氏も有力な守護大名だった。
    • 関東管領の上杉氏もかつては有力だった。末期の落ち目っぷりは涙を誘うが。
    • 薩摩の島津もいてはりましたよ。
    • 滋賀には京極と六角もおりましたがな。
    • 河内には畠山もいるでよ。
    • えーと・・・誰だっけ?たしか美濃にものすごく影の薄くて、気がついたら滅んでいた守護だいみょうだったが・・・・確か土から始まったていたな。土田だっけ?いやそもそもあそこに守護大名っていたっけ?
      • 土岐なら立派な守護大名。
  15. 茶道が大成されたのはこの時代の末期。決して韓国から伝わったのではない。
    • サドにも目覚めた。
  16. シシ神殺害。
  17. 蕎麦屋多数創業。

室町幕府の将軍

  • 初代の尊氏以外、すべて名前に「義」がつく。
    • 「義」は、武家源氏宗家の嫡子につけられる通字。八幡太郎義家が親父の頼義から義の字を貰って以来、たいていつけられている。
    • 頼朝は義朝の三男だったので義の字はついていない。この系統は「頼」か「朝」を受け継いでいる。
      • 頼朝の代の本来の嫡子は悪源太と呼ばれた義平。イトコの義仲や弟の義経は自分で名をつけたようで、頼朝が彼らを目の敵にしたのは「嫡子でもないくせに、俺についてない義の字を名乗りやがって~~」と憤慨したからかも。
        • 平治の乱の時点で、頼朝は従五位下・右兵衛佐、義平は無位無冠なことから、頼朝が嫡子扱いされていたことはほぼ確実。それに「義」の字がそんなに重要なら、後に改名していたはず。巧くできた話だが、正直成り立たないと思う。
  • 代々日野氏から正室を娶っているため、ものすごい近親婚。

足利尊氏

  1. 気前の良さで天下をとったが、気前が良すぎて自分の領地が減ってしまい、後難を招いた。
    • 中国・漢の高祖は打算ありきで気前良く振舞ったが、こちらは正真正銘のお人よし。でも誠実さがウケて何度失脚しても復活。
  2. けっこう情緒不安定かつ優柔不断な人。
    • それでいて戦いは強いというのが不思議だ。
    • よく見るザンバラ髪の肖像は、後醍醐天皇に朝敵扱いされてショックを受け、自暴自棄になって、出家すると言い張って寺で髪を切って貰った時の姿。
      • あの肖像画は、実は尊氏を描いたモノではない。どうやら、高師直か、その一族の肖像画らしい。一方。神護寺三像は、源頼朝・平重盛・藤原光能を描いたといわれていたが、実は、源頼朝→足利直義、平重盛→足利尊氏、藤原光能→足利義詮だったのが有力となっている。
        • NHK大河ドラマ「太平記」(1991年)では、足利尊氏(真田広之)と高師直(柄本明)が同じザンバラ髪をして馬で走るラストシーンがあった。
        • 年配の美術史家は非常に否定的。周辺の文献資料では確かに通説の方が有利だが、筆者は時代の頂相の描法と、伝統的な大和絵技法を非常に高いレベルで習得しており、これを13世紀中に描くのは不可能だ思う。
        • どの肖像画にも言えることだが、通説が長い間受け入れられていたからには、それぞれの肖像画のモデルとされていた人物の実際の容姿も”当たらずといえども遠からず”程度には似通っていたのかもしれない。
          • 「似ていたから混同した」というのは、現代人の発想。神像や仏画だとそういう例はあるが、肖像画の場合、像主や絵師の周辺資料や描法である程度推測できるため、そうした混同は普通起こらない。この論争も、論拠となる資料を前に持ってくるか後に持ってくるかに多くを拠る。
        • 神護寺には、こちらは鎌倉時代に描かれたのが確実な文覚上人象があり、これと三像は全く似ていない。元の頼朝像らは、この文覚上人に似た作品だったと解釈した方が妥当だろう。
  3. 尊氏を名乗る前は「高氏」(読み変わらず)。後醍醐天皇の諱・尊治(たかはる)の一字をもらって尊氏に改める。

足利義詮

  1. 異母兄・直冬との争いで生涯を費やしてしまった。
  2. いつの時代も二代目の将軍って影薄いよな

足利義満

  1. 金閣寺を建てた。
  2. から日本国王に封じられた。
    • 天皇はその上なのだから構わないと思ったか、そんなところまでは考えていなかったか微妙。
      • 当時の北朝系天皇は将軍に推戴されなければ地位を保てない存在。天皇が何を思っても、義満を止める手立てはなかった。
  3. 皇室を乗っ取ろうとしたらしい。
    • 厳密に言うと、長男の義持を征夷大将軍・源氏の長者とし、次男の義嗣を天皇の養子に押し込み、武家・公家の頂点に立とうとした。
  4. 「一休さん」にたびたび登場したが、史実ではたぶん一休さんとは会ってない。
    • 昭和時代に一般家庭に知れ渡った「一休さん」のお陰で、頭脳はかなりアレだと思われている。
  5. 世阿弥を寵愛。能楽の恩人と言うべき。
    • だが、義満は世阿弥に殺されたという説も有り。
      • 皇統の断絶を恐れた朝廷が差し向けた刺客だったという話だと思うけど、どうですかねえ……

足利義持

  1. 弟・義嗣と仲が悪く、親父が死んだのを幸い、義嗣を天皇の養子にする話を白紙に戻す。
    • ついでに「日本国王」も返上。とにかく親父の策をことごとく潰そうとした。
  2. 息子の義量に早いうちに将軍位を譲り、大御所として後見しようとしたが、病弱な息子が先に死んでしまう。そのあと義持は復職しなかったので、3年ほど将軍が不在の時期があった。
  3. 義量の死後、後継将軍を決めず、臨終の席で、「お世継ぎはどうなさいます」と重臣に訊ねられたが、
    「俺が言い置いてもどうせ無駄だろう。くじ引きでもして決めるがいい」
    と投げやりな答え。本当にくじ引きをして義教が就任。
  4. あまり知られていないが、水墨画は当時としてはかなり上手い。重要文化財に指定されている作品があるほど。

足利義量

  1. 16歳の時に将軍位を譲られたが、2年後に病死。子供の頃から大酒飲みだったらしい。

足利義教

  1. くじ引き将軍。
    • 義持が義量の死後、後継者を決めないで死んでしまったので、本当にくじ引きがおこなわれた。他の候補者は、梶井義承・大覚寺義昭・虎山永隆。みんな兄弟。
      • この時「他の誰かがくじに当たっていたら?」というイフは、あまたのシミュレーション小説の設定に較べて、ずっと現実に起こりえたと思うのだが。
        • 室町時代のシミュレーションでは読者がついてこないかな。
        • でも結果は対して変わらない。
    • 研究者でも、実はイカサマをしたとする人と、本当にくじ引きで選んだとする人と真っ二つに別れる。
      • イカサマを示唆する資料と、そんなことはなかったと暗に強調する資料の二種類が残されているため。
      • 籤引に深く関わった僧の日記だと不正は無かった事を強調しており、素直に考えればこちらが正しいように思われるが、自分がイカサマしたことを正直に書く訳ないだろう・・・。
  2. もともとは僧として比叡山に登り、天台座主になっていた。
    • 天台宗始まって以来の逸材とまで呼ばれていたという。
      • それが将軍になってからは仏教弾圧とは。飼い犬に手を噛まれた気分だったろう。
      • 座主として山門のやり方を知り尽くしていたのが、強みだったのだろう。歴代の権力者にありがちな比叡山恐怖症がまったくと言っていいほどなかった。
    • 高僧上がりにしては、やたらと武断的だったりえこひいきをしたりと、仏門にあった者とは思えない行動が多い。
      • ぶっちゃけ当時の寺院はそういう存在。世俗の身分制度が寺の内部にも行き渡り、高位の僧侶はやりたい放題出来た。
    • なぜか彼の代に「盟神探湯」(古代の神明裁判)が復活している。
      • 口を出してくる有力者連中を神の威光を傘にきて跳ね除ける為だったらしい。境界や朝廷問題関連でのみ行われた。
      • 「くがたち」と読む。
  3. 九州を平らげ関東を蹴散らし、幕府の全国支配を完成させるが、その戦勝祝賀の席で赤松満祐に討たれる。全国支配はたちまち瓦解。
    • 後花園天皇の父にあたる伏見宮貞成親王は「将軍が犬死するなんて聞いたこともない」と半ば馬鹿にする口調で日記に記している。これほどまでに皆に憎まれていた将軍も珍しい。
    • 何せ、赤松満祐は将軍を討った後、逮捕どころか妨害もされず悠々と領地に戻っている。追討の軍が発せられたのはかなり後のこと。
    • 赤松満祐が将軍を弑したのは、領地の裁定で不利益をこうむりそうだったからだが、満祐は先代の義持の時も不利益な裁定を受けている。個人的にイヤな奴だったのかもしれない。
  4. やり方の強引さはともかく、義満ですら成しえなかった関東・九州を一時的にせよ平らげ、史上初の比叡山の抑制(悪く言えば弾圧だが)を成し遂げるなど、政治手腕は確かだったと思われる。ただ、いかんせん最期が…。
    • 信長が手本にしたという説もなんとなくうなずけるかな。

足利義勝

  1. 9歳で将軍になったが、8ヶ月で死去。死因は諸説あって謎に包まれている。

足利義政

  1. 義勝の弟。
  2. 8歳で将軍になったが、20歳くらいになるともう飽きて、やたらと引退したがる。
    • 弟の義視に将軍位を譲ろうとした。もちろん奥さんの富子さんは猛反対。応仁の乱の遠因となる。
      • 義視を後継者に指名した直後に息子の義尚誕生。何とタイミングの悪い…。
  3. 奥さんと顔を合わせたくないばかりに家出。小川邸に移り趣味三昧の生活を送る。
  4. 自分の息子(義尚)が成長したのでこれ幸いと譲位。
    • しかし父子で女を取り合って大喧嘩したりしている。
  5. 要するに政治的には零点な人だが、文化史上では東山文化を創始した偉大な存在。
    • 経済観念もゼロ。奥さんに無理やり算段させた資金で庭造りを堪能。文化史上では奥さんの功績も認めてやりたい。
    • 今の日本家屋の基本を作った(畳・床の間など)。そういう意味ではかなり偉大。

足利義尚

  1. 足利将軍きってのイケメン。緑髪将軍と称された。
  2. 将軍家の所領を奪った六角氏征伐のためみずから出陣したが、戦が長引いている間に病死。
    • 戦死説もある。現職の将軍が戦死ではみっともないので病死と取り繕ったとか。

足利義稙

  1. 義政の弟・義視の息子。
    • 日野富子が彼に将軍位をやりたくなかったのが原因で応仁の乱が始まったのに、義尚が死んでみると彼しか適格者が居なかったという皮肉。
      • 日野富子にしてみれば「何故あやつに将軍職をやらねばならぬ…」だろうけど、実子・義尚が子作りしないまま死んだのも絡んでる。
  2. 管領の細川一族と反目して、京都を追われては、あちこちの大名の力を借りて復帰、また反目して追われ……という忙しいというか懲りない人生を送った。
    • 最後は阿波で死去。
      • 管領家の跡継ぎ争いに左右され、それに伴う政変に翻弄され、結局京都に帰れないまま死ぬという無念さ。
  3. 義材という別名もある。
    • 義材(よしき)は将軍職に最初に就いた時。諸国放浪中に義尹(よしただ)に改名。再度将軍職に返り咲いて義稙(よしたね)に。
  4. 跡継ぎ息子がいないまま死んだ。なので、次期将軍の座を巡る戦乱の原因に。

足利義澄

  1. 義政・義視の弟、伊豆堀越公方・足利政知の息子。
  2. 父の死後、異母兄の茶々丸がご乱心して、家族を斬殺。義澄だけ命からがら逃れて京都へ走る。
    • ちなみにそのあと北条早雲が茶々丸を追って伊豆を乗っ取ってしまい、堀越公方は消滅。
  3. 義稙と反目した細川政元に擁立されて将軍位に。
    • しかし、大内義興の支援を受けた義稙に追われて都落ち。
    • 六角高頼の支援を受けて逆襲しようと準備していた時に病死。

足利義晴

  1. 父・義澄が都落ちしていた時に生まれ、赤松義村のもとで養育される。
  2. 返り咲いていた義稙が、またも細川高国と反目して逃げ出したのち、高国に擁立されて将軍位に。
  3. 義晴も、細川晴元と反目したり仲直りしたり、忙しい人生を送った。
  4. ちなみに戦国武将の細川幽斎(藤孝)は管領細川氏直系ではなく、義晴の落胤らしい。

足利義輝

  1. 剣豪将軍。
    • 塚原卜伝から免許皆伝を受けた。おそらく鎌倉・室町・江戸期の全将軍のうち、個人的戦闘力では最強の人。
      • それ以外の征夷大将軍では、坂上田村麻呂・木曽義仲あたりが個人技でも強そうな気がするが、それについての史料は無いので、義輝より強いかどうかはわからない。
  2. あちこちの大名に偏諱を授けて謝礼金をねだった。
    • 伊達宗、毛利元、上杉虎(=謙信の本名)……
    • 毛利輝元の場合は、「元」と名乗っても良かったのだが、それだと桶狭間で討死にした駿河の某大名と同じ名前になるからいやだとゴネてこの名前になった、とどっかで聞いたことがある。
      • 大河ドラマ「毛利元就」でそういうシーンがあったけど、ほんとかなあ……。
      • ちなみに「義」の字のほうが謝礼金は高くなる。こちらを貰った人としては、武田信玄の長男・信が代表例。
    • 義輝の前は義藤と名乗っていた。細川孝(幽斎)がこの偏諱を受けた人物として有名。
  3. 最後は松永久秀に攻められ、みずから十数本の刀をふるって戦ったが、力及ばず戦死。
    • 辞世の句にも無念さがにじみ出ている。
      • 辞世の句 五月雨は露か涙か不如帰(ほととぎす)我が名をあげよ雲の上まで
  4. 上述の偏諱を授けるほか、各地の抗争の調停をしたりと、とにかく将軍の名前と存在感を売り込んで、幕府の権威の復活に熱心だった。

足利義栄

  1. 義晴と反目していた弟・義維の息子。
    • 阿波平島で生まれる。平島は現在の阿南市にある。
  2. 朝廷への献上金が足りなくて、一時は将軍宣下を断られた貧乏な人。
  3. 義昭を担いだ織田信長に追われて都落ち。再起を図っている途中で病死。
  4. 子孫は平島公方と呼ばれ、代々阿波平島に住んだ。

足利義昭

  1. 義輝の弟。
  2. 織田信長に頼って京都入りし、この世の春かと思っていたら、実権を全部信長に奪われているのに気づき、キレる。
    • 信長に対抗するため、あっちこっちの勢力に手紙を書きまくる。まあ、できることがその程度しかなかったわけだが。
    • 当初は信長のことを「お兄ちゃん」と呼ぶほど親しかった。
      • 「お父ちゃん」じゃなかったっけ?
  3. 何度も信長を陥れようとするが失敗し、毛利家に預かりとなる。
  4. 毛利家の庇護下では鞆の浦にいた。ここでいろいろと反信長の活動を行っていた。
    • だから、鞆時代とか鞆幕府と言っても良いような気がしなくもない。
      • しかもこの時点ではまだ将軍だったんだよなぁ、確か。
        • 名ばかりの将軍だから相当な貧乏生活だろうと思われがちだが!足利将軍家の専権事項実行して礼金とれたのと、日明貿易で繋がりのあった大名からの援助もあったのでカネには困らなかった。
  5. 明智光秀を焚きつけたのは彼だったという噂も。
  6. 数奇な運命ではあったが、ちゃんと天寿を全うしている。
    • 秀吉が関白になってからは、大名として復活??してるし・・
      • 朝鮮出兵にも参陣してる。
        • 秀吉に願われて参陣したが、朝鮮に渡ってない。まぁ秀吉の天下統一完成までは前将軍だし、その為待遇はそこらの大名以上だったし。山城国(現在の京都南部)に1万石もらって悠々自適だったそうだし。
  7. 玉置浩二の当たり役。
  8. どうにかして将軍になりたい秀吉の「あんたの子供にしてくんない?名目だけでいいからさぁ。」という勝手な申し出を一蹴したとか。気位だけは失わなかったらしい。
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