もしあの鉄道が国有化されていたら
2011年8月30日 (火) 19:35時点における>りょうちによる版 (→JR西日本へ)
もしあの鉄道が国有化されていたらどうなっていただろうか…。
JR東日本へ
十和田鉄道
みさわ | |||
三沢 | |||
Misawa | ● | ||
むつおおまがり Mutsu-Omagari |
- 「JR三本木線」→「JR十和田線」という名称になっていた。
- 非電化のローカル線で、八戸への直通列車が存在していた(車両はキハ40八戸車 or キハ100-200)。
- 国鉄末期に特定地方交通線に指定され、「十和田鉄道(2代)」になっていた。
弘南鉄道
つがるおのえ | |||
津軽尾上 | |||
● | Tsugaru-Onoe | ||
はくのうこうこうまえ Hakuno-koko-mae |
- 「JR尾上線」という名称になっており、黒石へ延伸されず、JR黒石線が現存していた。
- キハ40秋田車によるワンマン運転。
- 国鉄末期に特定地方交通線に指定され、「弘南鉄道(2代)尾上線」になっていた。
津軽鉄道
かなぎ | |||
金木 | |||
● | Kanagi | ● | |
かせ Kase |
あしのこうえん Ashino-Koen |
- 「JR金木線」という名称になっていた。
- 弘前への直通列車が存在していた(車両はキハ40秋田車五能線色)。
- 国鉄末期に特定地方交通線に指定され、「津軽鉄道(2代)」になっていた。
- ストーブ列車など存在しなかった。
- 三厩まで延伸。
下野電気鉄道
新高徳 | ||||
しんたかとく | ||||
大桑 | 小佐越 | |||
Ōkuwa | Shin-Takatoku | Kosagoe |
- 現実の野岩鉄道・会津鉄道と合わせて「JR野岩線」。
- JR今市駅と接続している。
- スペーシアは全て東武日光行きになっている。
- 東武は下今市駅-鬼怒川温泉にバスを走らせている。
- 電化された場合、会津田島駅で直流/交流が切り替わる。
- 鬼怒川温泉の開発は現実ほど進んでいない。その代わり東武は日光線を中禅寺湖・日光湯元方面に路線を伸ばしている。
常総鉄道
みつかいどう | |||
水海道 | |||
● | Mitsukaido | ● | |
こきぬ Kokinu |
きたみつかいどう Kita-Mitsukaido |
- 「JR常総線」という名称になっていた。
- 戦後に電化されるも、地磁気観測所の影響で、取手~水海道間は直流電化、北水海道~下館間は交流電化され、直流区間ではE231系、交流区間では415系→E531系が用いられていた。
- むしろ全区間交流では?取手~水海道間が直流でOKなのなら、現実の関東鉄道も電化したかった。
- いや水海道までは内房線同様変電所数を増やした方式で直流電化され、現実では取手止まりの快速電車が乗り入れていた。
- そもそも北水海道駅が開業しなかった可能性がある。
- むしろ全区間交流では?取手~水海道間が直流でOKなのなら、現実の関東鉄道も電化したかった。
- 上野からの直通列車が存在していた(例:通勤快速下館発・常総線経由・上野行、通勤快速上野発・常総線経由・下館行、ホリデー快速常総)。
- 国鉄時代の急行「つくばね」はこっちを経由していたかも(下館から普通列車として水戸線乗り入れ)。
- 結城方面の需要を考えると「つくばね」は史実通り間々田経由で、常総線(・真岡線)直通は別の列車名になっていた気がする。
- JR化後、上野~取手~下館間に特急「ホームタウン常総」が運転開始。車両は485系→E653系。
- TX開業後は水海道発着の上野直通特別快速が運行される。
- 国鉄時代の急行「つくばね」はこっちを経由していたかも(下館から普通列車として水戸線乗り入れ)。
- 常総線沿線の宅地化が進んでいた。
- 真岡線からの直通列車が運行されていた。
- 取手駅構内の管轄が東京北局→東京支社ではなく水戸局→水戸支社になっていたかもしれない。
竜崎鉄道
りゅうがさき | |||
竜ヶ崎 | |||
● | Ryugasaki | ||
いれじ Ireji |
- 「JR竜ケ崎線」になっていた。
- 常磐線と同じく、交流電化になっており、E531系5連が用いられていた。
- 上野からの直通列車が存在していた(例:竜ヶ崎発上野行、上野発竜ヶ崎行)。
- 佐貫駅が竜ヶ崎駅、竜ヶ崎駅が本竜ヶ崎駅になっていた。
- 江戸崎辺りまで延伸されていたかも。
上信電鉄
ぐんまとみおか | |||
群馬富岡 | |||
● | Gumma-Tomioka | ● | |
ひがしとみおか Higashi-Tomioka |
にしとみおか Nishi-Tomioka |
- 「JR下仁田線」という名称になっていた。
- 107系によるワンマン運転。
- 115系も入線していたかも。高崎地域のほかのJR線を考えるとツーマンのままのような気が。
- 運賃が安くなっていた。
- 下仁田発前橋行、前橋発下仁田行が存在していた。
- 平日の朝夕は快速が運転されていた。
- 「上州○○」の駅名は、国有化後一律「群馬○○」に変更されていたと思う。
- S30年代くらいに上野~高崎~下仁田間に、準急「荒船」(?)が運転開始。
- 今も生き残っていれば、特急列車として、185系-200で運転されている。
川越鉄道
いるまがわ | |||
入間川 | |||
● | Irumagawa | ● | |
いりそ Iriso |
しんさやま Shin-sayama |
- 中央線や武蔵野鉄道(現:西武池袋線)の並行路線となるため、東村山以東は敷設されないか、高度成長期にバイパス線として敷設された。
- よって田無、小平の開発が遅れる。
- 西武新宿は存在せず、新宿駅に独自の複線で乗り入れていた。
- 新宿-東村山は開業せず、国分寺-川越間でキハ35が1時間に1往復ていど走る。
- 東上鉄道開業でローカル線に転落するが、JR化後に相模線や八高線と合わせて電化。
- 相模線や八高線よりも都心寄りに立地しているし、遅くとも五日市線と似たような時期には電化されているのでは…?
- 東上鉄道開業でローカル線に転落するが、JR化後に相模線や八高線と合わせて電化。
- 中央線・国分寺線と伴に川越へのルートを形成するため、現実の川越線が敷設されず、西武大宮線がかなり後期まで残っていた。
- または鉄道路線に改造されて、武蔵野鉄道の路線となって現存。
- 高麗川へは安比奈線が延線され、高麗川~安比奈~南大塚というルートになる。
- 新宿線の開業が遅れる分国分寺線の重要度が増し、複線化と中央線との直通、優等列車の設定が実施される。
- 線名は新宿線の東村山以北とあわせ、川越線となる。現実の川越線は上記の通り存在しない。
- 西武園線は多摩湖線や狭山線と競合するため、存在しない。
- 拝島線も青梅線などと競合することから敷設されず、現実の青梅線や中央線のラッシュが今以上に過酷なものとなった。
- ゆえに、中央線は立川まで複々線化された。
- 西武新宿~小平~小川~拝島が「新宿線」になっていた。
- どっちみち久米川駅は存在しない。
- 西武農業鉄道や西武鉄道といった社名はなく、今日に至るまで武蔵野鉄道を名乗り続ける。
- 略称は「武鉄」。
- あるいは「武蔵野」。
- 略称は「武鉄」。
- 多摩湖線は堤が介入していたため武蔵野鉄道に統合されるものの、多摩川線と同様、武蔵野鉄道の孤立線区となってしまうため、山口線がおとぎ列車やAGTではなく普通鉄道となり、狭山線と一貫した運行が行われた。
- 国分寺―西武遊園地(実際には武蔵野遊園地か?)―西武球場前(同じく武蔵野球場前?)―西所沢の路線が「多摩湖線」か「狭山線」となる。プロ野球の試合開催時は国分寺からも球場へ向けて臨時列車が設定される。
- そもそも駅名板の狭山市駅が入間川のままで残ってたんじゃ。入間市駅?他社線だからシラネ
- 直しといた。入間市駅も「豊岡」のままだろうな。
- 豊岡だとこことかぶるから「武蔵豊岡」だと思う。
- 直しといた。入間市駅も「豊岡」のままだろうな。
- 所沢駅はJRと武鉄のいずれかが高架化され、両者の線路が十字交差する様になっていた。
- 武蔵野線は新小平ではなく萩山に駅ができる。
- もしくは武蔵野貨物線が小川・国分寺を経由し、西国分寺駅は誕生しないか中央線単独駅として開業する。
- 史実の西武池袋線が「武蔵野鉄道」を名乗り続けるとしたら、史実の武蔵野線に当たる路線は別の路線名で開業した可能性がある。
- 武蔵野線が恋ヶ窪-東村山を通るルートになり、国分寺-恋ヶ窪は廃止。取り残された東村山-川越はキハ35が走るローカル線に。
- だから、なぜキハ35にこだわる?
- もしくは武蔵野貨物線が小川・国分寺を経由し、西国分寺駅は誕生しないか中央線単独駅として開業する。
- 管轄は全線八王子。
武蔵野鉄道
ところざわ | |||
所沢 | |||
● | Tokorozawa | ● | |
あきつ Akitsu |
にしところざわ Nishi-Tokorozawa |
- 「JR飯能線」という名称になっていた。
- 秩父方面への延伸はなかった。
- 特急は運転されず、飯能特快が運転されていた。
- E231系で運行されている。
- 冷遇されて、今でも205が主力で走ってる気がする。
- 103系なら解るが205系が冷遇とか…感覚おかしくないか?
- 冷遇されて、今でも205が主力で走ってる気がする。
- 早い時期に元加治~飯能~東飯能は廃止。元加治から直接東飯能に接続している。
- 武蔵野線建設時に秋津駅がやや所沢寄りに移設される。武蔵野線の駅も実際よりやや北側に建設される。
- 現在の管轄は池袋-大泉学園:東京、保谷-吾野:八王子。
東武鉄道
たてばやし | |||
館林 | |||
● | Tatebayashi | ● | |
もりんじまえ Morinjimae |
たたら Tatara |
- 鉄道国有法後に東武鉄道が計画した日光線系の各線は敷設されない。
- よって日光、鬼怒川の観光開発は進まない。
- 幸手、栗橋、栃木などの開発も現実以上に進まない。
- 現実の鬼怒川線・野岩鉄道は国鉄の手によって「野岩羽線」(今市-米沢)として開通。上野から山形・秋田へのバイパスルートとなっていた。
- 国鉄日光線・野岩羽線は少なくとも1970年代前半までは非電化のままであった。
- 他線との連絡の観点から、総武鉄道(現:総武本線)時代みたいに旧:浅草駅(現:業平橋駅)が廃止され、亀戸線経由で両国駅がターミナルになっていた。
- 国鉄の優等列車は当初から伊勢崎線ルートで設定され、東北本線ないし高崎線から両毛線に直通するものは、日光線が来なかった栃木、ないし前橋までしか乗り入れない。
- 東武鉄道の根津が当初から計画に加わっており、支援も行っていたので、東上鉄道の敷設は実現せず、別体系での敷設になった。
- 社名は「東上鉄道」のままで、根津の介入が無いため、堤の武蔵野鉄道(現:西武鉄道)に買収されていた可能性も。
- 地下鉄日比谷線は18m級ではなく、東西線・千代田線と同様に20m級規格で敷設された。
- 千代田線より先に、抵抗制御車の発熱や電力消費による「迷惑乗り入れ」の問題が顕在化した。
- 日比谷線は東急東横線とは直通運転をしなかったかもしれない。
- 管轄支社は
- 竹ノ塚まで:東京
- 谷塚-久喜:大宮
- 鷲宮以遠:高崎 といったところか。
上武鉄道
よりい | |||
寄居 | |||
● | Yorii | ● | |
さくらざわ Sakurazawa |
はぐれ Hagure |
- 「JR秩父線」という名称になっていた。
- 西武池袋線からの直通列車が存在しなかった。
- 高崎鉄道管理局→JR東日本高崎支社の管轄になっていた。
- 石灰石輸送が、とっくの昔に廃止になっていた。
- 石灰石輸送の全盛期には軌道の強化が行われ、EF64形1000番台が貨車を牽いていた。
- 「急行秩父路」を「ホリデー快速秩父路」に格下げ。
- 羽生から栗橋か古河まで延伸されていた。
- この場合羽生で管轄が変わり、以東は東京北局→大宮支社に。
- 東京方面直通の優等列車が設定されていたら、以下のようになっていたかも。
- S30年代に上野~熊谷~三峰口間に準急「ちちぶ」が設定(のち急行に)。
- が、西武秩父線開通後は秩父市方面の客をごっそり奪われ、長瀞~三峰口間普通列車に格下げ。
- S57.11改正で特急に格上げ、185系-200が投入された。
- JR化後、新宿~熊谷~寄居間に、特急「ホームタウン寄居」が運転開始。
- 現実の行田市駅が「行田」駅を名乗り、高崎線の行田駅は、「南行田」か「新行田」駅になっていた。
- 熊谷~寄居間は、東京の準通勤圏のような扱いになっており、現実よりも人口が増えていた。
- 寄居町は単独で市制施行条件を満たし、「寄居市」になっていたかも。
- 普通列車は115系3両編成が主体となっていた。
- そしてJR化後は、107系主体になった。
- 沿線人口は他の高崎支社管内のローカル線よりも多いだろうから、211系5連が主体となっていた可能性もありえそう。
多摩鉄道
しらいとだい | |||
白糸台 | |||
● | Shiraitodai | ● | |
たま Tama |
きょうていじょうまえ Kyoteijo-mae |
- 南武線の南武是政駅まで延伸され、「西是政」駅になっていた。
- 延伸先はむしろ南多摩駅か府中本町では?
- 白糸台駅が京王線の武蔵野台駅と統合していた。
- 205系4連によるワンマン運転。
- どうやらJR-E社員の知り合いによれば、内規では2両までしかワンマンで運転できないらしい。多分ツーマン。
- または、E233系4連が折り返し運転していた。
- 平日朝にはE233系の西是政発東京行、平日夕方には東京発西是政行が存在していた。
- 三鷹or武蔵境で分割が行なわれ、前側4両が西是政行き、後ろ側6両は三鷹止まりor武蔵小金井行き。
- 1960年代まで非電化。五日市線と同時期に電化される。
- ひょっとしたら中央緩行線が武蔵境まで延びてきて、中央・総武緩行線の運転系統は「西是政-武蔵境-御茶ノ水-千葉」になっていたかもしれない。
- その場合複々線区間は武蔵境までとなる。
- 白糸台の車両基地はない。
- 管轄は当然八王子。
- 府中本町まで延長した上で、旧競馬場線の代替となって、競馬開催日は10両で都心から直通、平日は4両or6両で線内折り返しって感じだろ。
- 府中競馬場南門の利用者が増え、門が今よりもっと大きくなる。
- あるいは多摩ニュータウンまで延伸され、新宿~多摩ニュータウンの間では小田急・京王と3つ巴のバトルが展開されていた。
- 東京~多摩センター間で「多摩特快」を運転。
- 意外と利用が多くない割には時間当たり2本は運行されており、国分寺以西の利用者からは不評に。
- 東京~多摩センター間で「多摩特快」を運転。
富士山麓電気鉄道
ふじよしだ | |||
富士吉田 | |||
● | Fuji-Yoshida | ||
げっこうじ/かわぐちこ Gekkoji/Kawaguchiko |
- 「JR河口湖線」という名称になっていた。
- 115系によるワンマン運転。
- もちろん現実同様通勤型(201系→E233系)の直通もあり。
- 115系の編成単位が最低3両なのでおそらくツーマン。
- 「フジサン特急」は運転されず、「ホリデー快速河口湖」が運転されている。
- E257系特急が河口湖まで乗り入れ、1時間ごとに運転していた。
- 安い高速バスに対抗するため、普通列車の往復分より安い「かわぐちきっぷ」を一時期発売していた。
- 新宿~富士山麓の高速バスは今ほど充実していなかった、もしくは新宿以外のターミナルを発着していた。
- 高速化工事が行われ、少なくとも最高時速120km/hでの運転が可能となっていた。
- 沿線に車両基地が設置されて、中央本線の東京-大月が増発された。
- 中央快速線は大月まで延伸され、その大半の列車が河口湖に乗り入れていた。
- 富士急ハイランドは「JRハイランド」になり、Suicaで入園できる。
- JR東日本に、女子スピードスケート部が出来ていた。
長野電鉄
すざか | |||
須坂 | |||
● | Suzaka | ● | |
いのうえ/しなのひの Inoue/Shinano-Hino |
きたすざか Kita-Suzaka |
- 長野~信濃吉田は建設されず、北長野駅で分岐していた。
- 屋代~須坂~信州中野~木島は「JR千曲川線」、北長野~須坂は「JR須坂線」、信州中野~湯田中は「JR湯田中線」になっていた。
- 史実通り信州中野~木島は廃線。湯田中線も廃止されていたかも。
- 木島から先が延伸され、JR飯山線につながっていた可能性もある。
- 非電化で、キハ110系による普通列車だけの運転になっていた(例外として須坂線は平日の朝夕には快速列車が運転)。
- 国有化の時期にもよるが、国鉄→JRの路線ですでに電化されていた路線の電化設備を撤去した例ってあまり聞かないけど…。
- 電化設備が存置されていた場合、信越本線が電化されるまでは買収時の車両を継続運行したあと、70系を経て現在は115系(E127系の可能性もあるか)。
- 戦時中非電化なら、信州中野以北の電化設備が丸ごとなくなっていたかも。屋代線を非電化にしちゃってたら、駅が間引きされまくったあげく貨物線となり1980年代に廃止済み。一方、戦時中に吾妻線が延伸され、死者出しまくりながら高熱隧道を掘って須坂まで全通、横軽がいらない子に。
松本電気鉄道
しんしましま | |||
新島々 | |||
● | Shin-Shimashima | ● | |
えんどう Endo |
しましま Shimashima |
- 路線名は「上高地線」。
- 上高地線は当初の予定通り、松本~島々~籠島で開業。浅間線は開業せず。
- JR発足と同時期に島々~籠島が廃止。
- 非電化で、キハ110系による運転になっていた。
- 戦後島々~高山間の延伸が計画されるも、難工事のため結局中止に。
- もし実現していたら、JR東日本が岐阜県内に路線を持っていた。
- 場合によっては高山以北の岐阜県内の高山本線も東日本もしくは西日本の路線になっていた。
- さすがに松本高山間のどこかで東海と東日本の境界線が出来ていたと思うけど。
- もし実現していたら、JR東日本が岐阜県内に路線を持っていた。
- 特急「あずさ」に新島々発着が生まれていた。
- 電化も行われていたかも。
総武鉄道
春日部 | ||||
かすかべ | ||||
八木崎 | 藤の牛島 | |||
Yagisaki | {{{roma}}} | Fujino-Ushijima |
- こちらも参照。
- 「JR北総線」という名称になっていた。
- 103系や205系の転属先になっていた。
- 京浜東北線の岩槻(もしくは春日部)乗り入れが実現していた。
- 管轄支社は
- 大宮-南桜井:大宮
- 川間-柏:東京
- 新柏-船橋:千葉 か。
- 武蔵野線と競合…していたか?
小田原急行鉄道
下北沢 | ||||
しもきたざわ | ||||
東北沢 | 世田谷代田 | |||
Higashi-Kitazawa | {{{roma}}} | Setagaya-Daita |
下北沢 | ||||
しもきたざわ | ||||
代田二丁目 | 池ノ上 | |||
Daita-nichome | {{{roma}}} | Ikenoue |
- もしあの鉄道がJRの路線だったらも参照。
- 「JR小田原線」という名称になっていた。
- ラインカラーは新宿で紛らわしくないスカイブルー…ってあれ?
- 旧帝都線は「下北沢線」か現行と同じ「井の頭線」か。ラインカラーは下の車両の記述からオレンジになりそう。
- 登戸までの複々線化がとっくの昔に完成していた。
- 関西での阪和線のように、103系の古参車が集められていた。
- 千代田線直通開始の頃に半分ぐらいは203系で置き換えられていたと思う。そのあとE231系か他線から押し出された205系によって全廃。
- あさぎりが1時間ごとに運転されていた。
- 車種は183系→E257系。
- 千代田線への直通列車が現在よりも増えていた。
- ブルートレインの一部が新宿発着になっていた。
- 帝都線は中央線の支線のような扱いになり、201系→E233系6連で運行される。
- 旧帝都線は現在も各駅停車のみの運行で、1時間あたりの列車本数も若干減少する。
- 駅間距離が短いため、201系が本領を発揮できたわずかな路線の1つとなっていた。
- あるいは1時間に1本ぐらい八王子方面から直通する渋谷行きの特快が運転されるが、新宿志向の強い利用者からは不評。
- 原町田駅・新原町田駅の統合は国有化直後に行われ、横浜線のホームは現実よりさらに小田原線に近い場所に移動していた。
- 町田市が誕生した辺りで「町田駅」になり、九州の宮原線にあった町田駅は「豊後町田駅」に改名されていた。
- 「町田市駅」かも。
- 町田市が誕生した辺りで「町田駅」になり、九州の宮原線にあった町田駅は「豊後町田駅」に改名されていた。
- 管轄支社は多摩川を境に新宿方が東京、小田原方が横浜。旧帝都線が国有化されていた場合、久我山以西は八王子の管轄。
- 湘南新宿ラインが存在しなかったか、この小田原線と東北本線方面を直結して湘南新宿ラインになっていた(横須賀線方面は、現実と一緒)。
蒲原鉄道
えちごいまいずみ | |||
越後今泉 | |||
● | Echigo-Imaizumi | ● | |
ごせん Gosen |
むらまつ Muramatsu |
- 「JR蒲原線」となっていた。
- 高松駅が越後高松駅に、今泉駅が越後今泉駅に改称されていた。
- 長岡への直通列車が運行されていた。
筑波鉄道
つくば | |||
筑波 | |||
● | Tsukuba | ● | |
ひたちほうじょう Hitachi-Hōjō |
かみおおしま Kami-Ōshima |
- 「JR筑波線」になっていた。
- 国鉄時代は上野直通の急行「つくばね」が運行されていた。
- 土浦までは「ときわ」と併結。
- 水戸線の急行列車は別の愛称になっていた。
JR東海へ
豆相鉄道
しゅぜんじ | ||
修善寺 | ||
Shuzenji | ||
まきのごう Makinogo |
(静岡県伊豆市) |
- 「踊り子」の修善寺乗り入れ列車の本数がもう少し増えていた。
- 大仁から修善寺までが敷設されず、未だに大仁折り返しだったかもしれない。
- 下土狩駅が三島駅を名乗る時期は短くなった。代わりに三島田町駅が三島駅を名乗っていた。
- 無論、丹那トンネル開業と同時に現在の三島駅が出来るため、南三島とでも改称されただろうが。
- 普通列車の本数はJR化後にようやく増加した。
- 電化は伊東線と同時期(昭和戦前)になった。
尾西鉄道
- 相模線や片町線同様、国鉄時代は都市近郊路線なのに非電化の状態が続いた。
- 武豊線同様、今も非電化で残っている可能性も結構高い。
- 名鉄津島線の終端は「新津島駅」のままだった。
- 新一宮・玉ノ井・木曽川港間は開業しなかった。
志摩電気鉄道
- 近鉄鳥羽線は建設されていなかった。
- その代り近鉄は宇治山田~内宮前に新線を建設していた可能性もある。
- 国有化と同時に電化設備が撤去されていた。
- もしくは参宮線や関西本線を電化…する計画が出るも戦争によって結局電化設備を軍事転用、非電化路線に。
- 鳥羽市並びに志摩半島の観光開発が進まなかった。
- 志摩半島は紀伊半島東部と同じくらい不便な場所というイメージがついてまわった。
- 志摩スペイン村も建設されなかった。
- あったとしても親会社は近鉄ではない。
- 名古屋・JR難波・名古屋~賢島間にJRの気動車特急が運転されていた。
- 関西本線や参宮線も現実ほどには衰退しなかった。
- 近鉄の「伊勢志摩ライナー」は登場しなかった。
渥美電鉄
みかわたはら | ||
三河田原 | ||
Mikawa-tahara | ||
かんべ Kanbe |
(愛知県田原市) |
- 「JR渥美線」となっていた。
- 飯田線の119系と共通運用となっていた。
- 伊良湖岬までの延伸が実現していた。
- そして鳥羽との間に国鉄による鉄道連絡船が就航する。名称は「伊鳥連絡船」か?
遠州鉄道
鉄道線
- 「JR西鹿島線」となっていた。
- 新浜松駅は浜松駅に吸収合併された。
- 佐久間線が開通していたかもしれない。
中勢鉄道
- 勿論、線路幅は全路線1067mmに改軌されていた。
- 軌道区間も普通の鉄道線に改造。
- 阿漕経由で津駅まで乗り入れる。
瀬戸電鉄
- 路線名は「JR瀬戸線」
- 名鉄に孤立路線は無かった。
- 大曽根から先は廃止され、代わりに名古屋駅まで乗り入れるようにしていた。
- 新瀬戸と瀬戸市の二駅は同じ駅になっていた。
- 愛環は高蔵寺へは行かず瀬戸市止まりになってたかも。
- エキスポシャトルもこちらを経由。
- 愛環は高蔵寺へは行かず瀬戸市止まりになってたかも。
JR西日本へ
近江鉄道
- 米原・彦根間が開業することはない。
- 多賀線も開業したか怪しい。
- 八日市-近江八幡間も。
- 代わりに彦根から東海道本線に乗り入れた。
- 八日市鉄道はそのまま残った。
- 信楽線ともども、特定地方交通線になっていた可能性も結構ある。
- あるいは信楽~加茂間の未成線が開通し、北陸から奈良への最短ルートとなっていた。
- 大和路快速が加茂から先信楽・貴生川経由で彦根まで延長されていた。
- あるいは信楽~加茂間の未成線が開通し、北陸から奈良への最短ルートとなっていた。
- 戦前は北陸方面から伊勢への直通列車が走ったかも。
- 果たしてバスは何処がやっていたんだろう・・・
- 「滋賀西武バス」とか?w
- 京阪系の企業が運営していたのでは?
南海鉄道・高野鉄道
南海線
- この路線を得るため、阪和電気鉄道(現:JR阪和線)に対する国の後押しは存在せず、もし阪和電気鉄道が開業したとしても、関西の他私鉄同様に標準軌路線となって、現在まで存在している。
- 無論、同一会社の運営となったことはないため、交点に接続駅となる三国ヶ丘駅は設置されなかっただろう。
- 浜寺→羽衣支線は現実同様に開業するだろうが、阪和電鉄側のみが海水客輸送に熱心であって、抗争には至らない。
- 大阪市営地下鉄堺筋線は恵美須町から天王寺に延伸され、阪和電鉄と相互直通運転を行っていた。
- 河原町~東和歌山間に直通特急が運転されていたりして。
- 他の国鉄線との接続が重視されるため、天王寺支線がメインになっていた。
- 難波駅は湊町駅と統合される。旧:南海鉄道線か旧:関西鉄道線のどっちかが付け替えられて廃線となる。
- 新今宮駅は開業しなかったか、大阪環状線の開業と同時に接続駅として開設された(現実には南海線の駅は一足遅れて開業した)。
- JR関西空港線は当然、現在の南海空港線となり、阪和電気鉄道の空港連絡線が現実のJR関西空港線のルートになった。
- 阪和電気鉄道が標準軌路線となるため、阪和の関空特急は阪急河原町発堺筋線経由となっていた。
- 地下鉄堺筋線は恵美須町から天下茶屋ではなく阪和天王寺駅に向かい、阪和電鉄と直通していた。
- 阪和電気鉄道が標準軌路線となるため、阪和の関空特急は阪急河原町発堺筋線経由となっていた。
- 南海フェリーは国鉄連絡船の一つとなり、現在まで残る貴重な連絡船として数えられる。
- 瀬戸大橋開通後は宇高連絡船「讃岐丸」も転属するが、明石海峡大橋開通後に紀阿連絡船は大幅縮小されて「讃岐丸」は廃船になる。
- その後は史実と同じく、宇高にいた僚船とともにインドネシアに譲渡される。
- この番組における「四国特別編」は瀬戸大橋のほかこの連絡船があるため通常ルートに組み込まれていた。
- 瀬戸大橋開通後は宇高連絡船「讃岐丸」も転属するが、明石海峡大橋開通後に紀阿連絡船は大幅縮小されて「讃岐丸」は廃船になる。
- 和歌山市駅が国鉄のターミナルとなるため、ここが和歌山駅と改称され、現実の和歌山駅となった東和歌山駅はそのままの名で残る。
- 後に紀勢西線→紀勢本線との直通をスムーズにするため、紀和駅ルートが廃線となり、和歌山市駅から南下して紀勢方面へ向かうようにルート変更が行われるか、紀和駅付近に移設される。
- 和歌山マリーナシティに鉄道が通ることから便利になり、来場客も増えていた。
- ホークスや大阪球場、中モズ球場も作られない(がっかりだ・・・・orz)
- 代わりに阪和電鉄が球団を保有していた可能性がある。
- 貴志川線は阪和電鉄に合併されていた。
- もちろん標準軌に改軌されている。
高野線
- 河内長野から先が建設されず、ここから先はバス連絡になった。
- ないしは和歌山線と接続する橋本、または高野下までが開業し、高野山電気鉄道が存在しないため、高野山の観光開発はあまり進まない。
- 中小私鉄の手で、国鉄終端から高野山へのアクセスが果たされた可能性もあるが、運賃が今以上に高額となった。
- 河南鉄道(大阪鉄道を経て今の近鉄南大阪線・道明寺線・長野線)も15私鉄の中に含まれており、それも国有化されるため、大阪方面では関西本線も巻き込んで国鉄線同士の競合となる。
- 汐見橋駅は他の私鉄との接続観点より、湊町駅(現:JR難波駅)か難波駅に機能を統合されて早期に廃止されるか、貨物駅に格下げされて昭和後期に廃駅。
- 泉北高速鉄道は南海本線から分岐する形となっていた。
- または大阪市営地下鉄御堂筋線を我孫子から延伸する形をとった。
- この場合、御堂筋線の我孫子―中百舌鳥間は1970年代初頭に開業していた。
- または大阪市営地下鉄御堂筋線を我孫子から延伸する形をとった。
河南鉄道
国鉄→JR側
- 長野線か柏長線、柏原線とでも名付けられる。
- 国有化後、長らく非電化の地方交通線であったが、国鉄末期にようやく電化。
- 桜井線や和歌山線と同じ。
- 関西本線湊町-奈良と同時(1973年)だった可能性も。
- 現在ではJR難波・天王寺~河内長野間に区間快速が設定され、南海と輸送を競っている。
- 無論、高野鉄道も国有化されていれば同線は未だローカル線のままだろう。
近鉄側
- 現在の南大阪線や御所線は存在しない。
- 吉野線は国鉄の貨物輸送廃止後、狭軌から標準軌に改められ、京都と大阪上本町から直通特急が走る。
- 桜のシーズンには三宮直通の快速急行も走っている。
- 大和高田駅は近鉄高田駅を名乗っていたかも。
- 松原市は鉄道空白地帯となり、長きにわたって開発から取り残されることに。
- 藤井寺市は道明寺市を名乗っていた。
- 道明寺駅が市の代表駅となる。
- 当然藤井寺球場は建設されなかった。
- 近鉄バファローズの本拠地は花園に建設されていた。
片上鉄道
- 赤穂線が建設されなかった。
- 赤穂鉄道の廃止は史実より遅れていた。
- あるいは山陽電鉄が網干から相生、赤穂を経て岡山まで延伸されていた。
- 「JR片上線」になっていた。
- キハ120によるワンマン運転。
- 国鉄末期に特定地方交通線に指定されて廃止されていたかも。
北陸鉄道
石川線・金名線
- 買収区間は、新西金沢~鶴来~白山下間。白菊町~野町~新西金沢間は北陸鉄道に残され、金沢市内軌道線に取り込まれる。
- 線名は、石川線・金名線を一体化して「白山線」となる。あるいは「鶴来線」かも。
- 国鉄の手で越前大野までの延長が計画されるが、実現はしなかっただろう。
- ただ、特定地方交通線入りは免れなかった。鶴来~白山下の過疎区間が輸送密度を下げてしまうため。
- 生き残ってJR線となった場合、90年代のスキーバブル期に、京阪神から白山下までスキー列車「シュプール白山」が運転された(西金沢でスイッチバック)。
- 全線電化(直流)されているので、車両は485系か583系が使用されたかも。
- 新西金沢駅は西金沢駅に吸収合併された。
- この線に既に野々市駅があったため、北陸本線の駅は「野々市」ではなく「北野々市」か「新野々市」駅となった。
能美線
- 線名はそのまま「能美線」。
- 国鉄末期に特定地方交通線入りし、第三セクター「能美鉄道」となった。
加南線
- 線名は、大聖寺~山中が「山中線」、河南~粟津温泉~粟津が「粟津線」、宇和野~動橋~片山津が「片山津線」?
- 北陸本線の特急停車駅は、作見駅(現:加賀温泉駅)ではなく、大聖寺駅に整理された。
- 作見駅は改称されることなく、現在は無人駅になっている。
- 大聖寺から山中、片山津(動橋経由)、粟津温泉(山代経由)まで特急接続の普通列車を運転。
金石線
- 買収後、中橋~金沢間を延長、金沢駅に乗り入れを果たす。
- 金沢市の郊外の住宅地を走るので、通勤・通学に結構利用され、特定地方交通線入りは免れた可能性も。
- 終点が港(金沢新港)なので、旅客が振るわなくても、新湊線のように貨物の輸送量だけで幹線入りし、存続できたかも。
能登線
三明 | ||
さんみょう Sanmyou | ||
のうみ Noumi |
→ |
- 線名は「西能登線」か。
- 輪島を目指して延長工事が行われるが、富来町辺りで力尽きる。
- 急行「能登路」が一部乗り入れていたかもしれない。
- 国鉄末期に特定地方交通線に指定。
- 廃止されてもおかしくない状況だったが、原発交付金が見込めた志賀町が尽力し、第三セクター「能登金剛鉄道」となる。
- 当然、北陸電力も資本参加。
- 廃止されてもおかしくない状況だったが、原発交付金が見込めた志賀町が尽力し、第三セクター「能登金剛鉄道」となる。
- 七尾線経由で金沢駅まで直通。
浅野川線
内灘 | ||
うちなだ Uchinada | ||
あわがさき Awagasaki |
→ |
- 北鉄金沢駅と金沢駅は統合。
- 現実に浅野川線が北陸鉄道に合流したのは戦後なので、浅野川電気鉄道として買収された可能性が高い。
- 流石に駅間距離が短すぎるので駅は幾つか減らされたかも。
- JR化後、JR西よりライトレール化の提案がなされる。
- が、富山市の真似をする(風下に立つ)のを潔しとしない金沢市が見事にスルー。
北陸鉄道側
- 北陸鉄道は残った上記の白菊町~野町~新西金沢間と金沢市内軌道線、路線県内全域の路線バスのみの会社として存続。
- 現実同様S30年代に労使紛争に見舞われ、経営立て直しのために金沢市内軌道線を全廃、鉄道のない会社となる。
- これにより社名を「北陸バス」に変更したかも(「北陸交通」は既に存在したらしいので)。
京都電燈
- 戦時中の配電統制令による会社解散時に、鉄道部門を国鉄が買い取ることに。但し、買収対象は福井県側(福井~大野三番)のみ。
- 嵐山線は軌道線だし、叡山線は離れ小島なので国鉄が所有する意味がないため。
- 現実の越美北線の南福井~越前大野間は、建設されない。
- ↑の建設費が越美線の九頭竜湖~北濃間に回るため、越美線は国鉄時代に全通していた。
- その場合、急行「おくみの」は福井行きの列車となる。当然越美線内も急行運転化。
- 越美線内の停車駅は、美濃関、美濃市、郡上八幡、美濃白鳥、九頭竜湖、越前大野(大野三番から改称)、勝山、東古市、松岡あたりか。
- 全通後の越美線は、輸送密度的にはアウトだったと思われるが、冬季の道路事情を理由に廃止対象路線入りを免れ、JRに引き継がれている。
- JRの会社境界は、越前大野を境に西側がJR西日本、東側がJR東海となっていた。
- 福井~越前大野間が直流電化されていることが、考慮されたため。
- その場合、急行「おくみの」は福井行きの列車となる。当然越美線内も急行運転化。
- 京都電燈の鉄道事業の継承会社は、福井県内に基盤を持たなくなるため、社名は「京福」ではなく、「京都電気鉄道」となった。
- 北陸本線が交流電化された際に、列車運用の関係から交流に変更されていた。
大和鉄道
- 現在はJR田原本線となっている。
- もちろん1067→1435mmへの改軌は行われず、1980年代中盤まで非電化の状態が続いた。
- 新王寺駅はJR王寺駅に統合されていた。
- 西田原本~桜井間は廃止されなかった。
- 王寺から桜井方面への短絡ルートとなり、JR難波~桜井間に直通快速が運行されていた。
- さらに桜松線も開通していた場合、鳥羽・尾鷲経由新宮方面に向かう特急もここを経由していた。
永平寺鉄道
- 京都電燈の福井~大野三番間も買収されていた場合、国鉄時代に大阪や米原から松岡経由永平寺行の急行列車が運転されていた。
- 単独買収だった場合は、ただのローカル線。
丸岡鉄道
- 流石に単独買収はありえず、永平寺鉄道との同時買収となる。
- 三国芦原電鉄を買収しなかった場合、西長田~丸岡間は買収時に廃止されていたかも。
和歌山鉄道
- 国有化後は国鉄貴志川線となっていた。
- 1970~80年代には現実の仙石線や可部線(横川~可部)と同じくモハ72系が運用され、旧型国電のメッカとして知られていた。
- 1980年代の和歌山線電化と同時に105系に置き換えられる。
- 和歌山電鐵への経営移管は現実通り。
- 「たま電車」や「おもちゃ電車」、「いちご電車」は105系をリニューアルしたことになっている。
三国芦原電鉄
- 買収後、芦原~三国間は国鉄三国線を統合し、福井口~三国港間が「国鉄三国芦原線」となる。
- 元の三国線は史実同様金津~芦原間に短縮(この区間だけ非電化で性格が異なるため)。線名も金津線に変わったかも。
- 北陸本線とほぼ並行状態で中間に大きな街もないため、下手すると戦争末期に福井口~芦原間が休止(金属供出)の憂き目に遭ったかも。
- 戦後も復活しなかった場合、その跡地を使って福井鉄道が田原町から新田塚まで軌道線として進出。
- 残った芦原~三国港間は芦原~金津に合わせて一旦非電化になるが、戦後すぐに金津まで含めて直流で再電化されたかも。
- 特に永平寺鉄道を買収していた場合は、その可能性が強い。その場合三国港~永平寺間の直通運転が行われていた。
江若鉄道
- ここでは戦時中に国に買収されていた場合を想定します。
- 買収時は「国鉄江若線」となっていた。
- 戦後現実の湖西線開業と同時期に近江今津~近江塩津間が延伸され、路線名も「湖西線」に改められる。
- 起点が浜大津から山科に変更されていた。
- 但し大津京~近江今津間は旧江若線を複線電化して活用したので、現実より高速運転がしにくくなっていた。
- 旧江若鉄道に「滋賀」駅が存在したので、滋賀県には県名と同じ駅が存在することになっていた。
一畑電鉄
- おそらく戦時買収で国有化されていた。
- 路線名は「島根線」か「松雲線」になっていた。
- 国有化と同時に小境灘~一畑間が廃止された。
- 当然ながら北松江~松江間が建設され松江側でも山陰本線と接続している。
- 川跡~大社神門間は「大社支線」になっていた。
- 広瀬線、立久恵線は独立したまま史実と同じような時期に廃止された。
- 私鉄時代の車両が1960年代まで使われていた。
- その後は旧型国電の墓場となった。
- 現在は115系が使われている。
- 史実の「国鉄大社線」は一体どのような運命をたどったことか…。
- 雲州平田駅は「出雲平田」駅に改称されていた。
下津井軽便鉄道
- 当然ながら買収と同時に1067ミリに改軌。
- 線名は「下津井線」になっていた。
- 宇野線と同時に電化された。
- 本四備讃線は児島~宇多津間の路線になっていた。
- 茶屋町~児島間は高速化のためルート変更などが行われている。
- その一方児島~下津井間は放置状態。
- 下津井や鷲羽山を訪れる観光客の数が増えていた。
鞆鉄道
- 両備鉄道(現福塩線)と同時に国有化。
- 同時に改軌・電化も行われた。
- 運転系統上は福塩線と一体化されている。
- 確実に駅の統廃合が行われていた。
- おそらく昭和のうちに廃止されている。
- 奇跡的に現在まで生き延びていた場合は「崖の上のポニョ」塗装の電車が走っていた。
JR四国へ
高松琴平電気鉄道
- 勿論、線路幅は全路線1067mmに改軌されていた。
- 高徳線は瓦町経由に変更されていた。そのため、昭和町、栗林公園北口の両駅は存在しない。
- 瓦町~志度間は、琴電線か国鉄線かどちらかに一本化されていたと思われる。
- 電化設備が存置された場合、おそらく'80年代に72系あたりの最後の活躍の場になっていた。
- 予讃線+土讃線(高松~多度津~琴平)の電化が完了次第史実の琴電琴平線も使って環状運転を開始する・・・かも。
淡路交通
- 国鉄末期に特定地方交通線として廃止されていた。
- あるいは本四架橋との絡みで存続された。
- 国鉄末期に廃止されなかった場合、大鳴門橋の鉄道部分に線路が敷かれ、四国側のJR鳴門線とつながっていた。
- その関係で民営化後は兵庫県内にも関わらずJR西日本ではなくJR四国に帰属していた。
- 大鳴門橋開通までは淡路島側の福良から鳴門まで国鉄による鉄道連絡船が運航されていた。
- 洲本で南海深日港駅からのフェリー、高速船と連絡していた。
- 明石海峡大橋開通時に洲本~神戸間が延長され、本四連絡神戸~鳴門ルートに鉄道が通っていた。
JR九州へ
島原鉄道
- 「JR島原線」になっていた。
- しかし、国鉄再建法で第2次特定地方交通線に指定され、JRになってすぐに第三セクターの2代目「島原鉄道」が成立。
- 長崎からの直通列車が存在していた。
- 島原外港~加津佐間が現在も存続していた。
熊本電気鉄道
きくち | |||
Kikuchi 菊池 | |||
◄ |
|
► | |
ふかがわ Fukagawa |
- 「JR菊池線」になっていた。
- 旧型国電の聖地になっていた。
- 上熊本駅から熊本駅まで乗り入れていた。
- 藤崎宮前側は国鉄買収後に廃止されていた。
- 今はこれが走っている。
- 菊池から肥後小国まで延伸され、宮原線とつながっていた。
鹿児島交通
- 「JR加世田線」になっていた。
- 場合によってはこちらが鹿児島市から枕崎へのメインルートとなっていた。
- もちろん路線は存続し、逆に指宿枕崎線の山川~枕崎間が廃止されていた。
山鹿温泉鉄道
- 「JR山鹿線」になっていた。
- 水害で線路が流されてもすぐに復旧された。
- 熊本駅まで乗り入れていた。
沖縄県営鉄道
- 嘉手納線が名護まで延長されて、沖縄本線になっていた。
- 本土との連絡のため名護~鹿児島に鉄道連絡船が運行されていた。
- ここだけ改軌されず今も762mm軌間の軽便線のまま。
耶馬渓鉄道
- 戦後、国鉄の手で日田駅まで延長されたかも。
- その場合、小倉~中津~日田間に急行「耶馬渓」が運転開始。
- 小倉~日田間の急行列車の運転体系が現実より更にややこしくなり、(日田彦山線急行との間で)誤乗する客が続出した。
- その場合、小倉~中津~日田間に急行「耶馬渓」が運転開始。
- 特定地方交通線入りしていた可能性が高そう。
- が、大分県内でも観光地として有力な所を走るため、県のバックアップにより第三セクター「耶馬渓鉄道」(2代目)となった。
- 日豊本線と直通する列車もいる。
国東鉄道
きつき | |||
Kitsuki 杵築 | |||
◄ |
|
► | |
やさか Yasaka |
- 宇佐参宮鉄道も買収していた場合、豊後高田まで延長され、国東半島を一周していた。
- その場合、大分~杵築~国東~宇佐~大分というルートの循環急行列車が運転されたかも。
- JR化後、県の主導で大分空港に乗り入れ、空港アクセス鉄道になる。
- 空港自体は国鉄時代の開港だが(しかも路線のすぐそばに)、長距離客を奪われるのを恐れて国鉄が県の提案をスルーし続けた。
- 大分~杵築~大分空港間にDC特急を運転。車両は県が一部費用を負担し、新形式DCが投入される。
- 線路容量不足を口実に、ちゃっかり県の費用で日豊本線の単線区間(杵築~日出)の複線化も行われる。
宇佐参宮鉄道
- 線名は「豊後高田線」となる。
- 宇佐~豊後高田間は交流電化され、現実の宇佐止の普通列車が直通していたかも。
- 逆に、宇佐~宇佐八幡間は放置され、下手すると「赤字83線廃止」の時点で廃止されたかも。
- 豊後高田市が昭和レトロで一躍有名になった後、「昭和レトロ号」なる企画列車が運転されるようになった。
豊州鉄道
- 線名は「宇佐線」だろうか。
- 宇佐市の中心街に近い豊前四日市駅を「本宇佐」に改称、市の代表駅となる。
- ただ、日豊本線の接続駅が特急の停まらないマイナー駅(豊前善光寺)のため、利用が振るわず、国鉄末期に特定地方交通線に指定されてそのまま廃止された。
熊延鉄道
- 延岡への延伸を前提とした買収なので、線名は「熊延西線」(ゆうえんさいせん)となる。
- で、現実の高千穂線が「熊延東線」(ゆうえんとうせん)になったかも。
- 延岡目指して延長工事が行われるが、国鉄末期の財政難で、矢部あたりで力尽きる。
- 高千穂側は、ルートに高森トンネルが含まれないので異常出水に遭うこともなく順調に工事が進むが、やはり財政難で蘇陽町あたりでストップ。