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==複数地方==
==列車==
[[もしあの地域が別の県に属していたら/複数地方]]
#[[琵琶湖線・JR京都線|琵琶湖線]][[新快速 (JR西日本)|新快速]]が米原止まり。
#*いや、彦根止まりのままだろ。
#**米原が大鉄の管轄に入ってからは米原止まり
#***現在は大垣まで行っている。
#****逆に一部は彦根止まりのまま。
#***中京圏の新快速も一部は彦根まで行っている。
#****一部は大垣止まりのままである。
#*新快速は2007年時点でもまだ117系で運転。
#**流石に混雑がやばい事になってきて対策として3扉車が導入されるが、'''115系'''……
#***あるいは関西地区に211系が投入されていた。
#****大鉄局が要求を押し通した結果転換クロスシート仕様となり、4000番台とでも区分される。
#****213系では?
#*****それだと混雑対応になるまい。
#******2000年前後に名古屋、関西地区向けに3扉転換クロスの219系(211系風のデザイン)が導入される。
#*******219系は史実のE217系のような車両になる。
#********ボックスシートの一般仕様と転換クロスシートの新快速仕様は番台区分で区別。
#********それまでは意地でも213系で間に合わす。
#**大阪・京都~長浜間に高速バスが運行されていた。
#***名神ハイウェイバスの急行便も途中の中小停留所も未だに健在。史実では廃止された名神彦根には全便が停車していた。
#**滋賀県の東部は大阪よりも名古屋志向の方が強くなっている。
#**新大阪通過も健在。
#***新大阪停車は国鉄時代ですが。
#特急は全部アイボリーに赤。
#*10両編成位の特急がまだまだ全国各地で走り続けている。
#**食堂車・ビュッフェも開店休業状態で残っている。
#***食堂車の人手不足で深刻化していた。
#*急行もまだまだ全国各地で走り続けている(車両は勿論165系とキハ58系が基本)。
#**夜行急行も健在。帰省シーズンになると[[上野駅|上野]]や[[東京駅|東京]]発の臨時急行(夜行含む)が走る。車両は各地からの寄せ集めで。
#***[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄#新系列急行形気動車|新系列急行形気動車]]は実用化されていた。
#*つばめやソニックをデザインした水戸岡氏は鉄道デザイナーではなくバスや建築のデザイナーとして有名になっていた。
#**むしろ私鉄の車両をデザインしていたかも。大手私鉄にも水戸岡デザインの車両が登場していたかもしれない。
#***水戸岡氏がデザインした車両は存在していても、奇抜なものにはならなかった。(JR九州にデザインの案を提示するとき、普通のものと奇抜なものを出すらしい。)
#****もし奇抜なデザインを出したら、現場から猛反対されて不採用にされた(史実の787系は実際に現場から反発があったものの会社幹部のゴリ押しで採用された)。
#長距離鈍行が健在。
#*客車列車もまだまだ健在。
#**稚内から鹿児島まで客車鈍行で旅行できる。
#**但し、最低でも4日はかかる。
#*2000年になってからもローカル用の客車が作られている。
#**さすがに冷房化はされているだろう。
#**50系客車にAU75型冷房装置が取り付けられていた。
#***方向幕も設置されていた。
#**動力分散式?何s(ry
#女性運転士?女性車掌?何者だ?
#*男女雇用機会均等法が登場したから、採用されていた可能性はある。その場合、「国鉄初の女性車掌」「国鉄初の女性運転士」となって話題になる。
#*むしろ女性車掌、女性運転士が増やされる。
#*但し東名阪の国電区間に限る。安全上の理由が表向きだが、宿泊所の改築をしたくないので。
#*こちらも、東名阪のどこかの大手私鉄が先かな?
#新幹線は今でも当然食堂車やビュフェを連結・営業。
#*食堂・ビュフェの営業は今も日本食堂・ビュフェとうきょう・帝国ホテル・都ホテル・じゅらく。
#東京-九州を結ぶ寝台特急もまだまだ多くが健在。食堂車も当然連結・営業。
#*長距離を走る深夜鈍行列車もまだまだ健在。
#**大垣夜行(現実の[[ムーンライトながら]])の廃止など絶対にありえない。
#*逆に「トワイライトエクスプレス」や「カシオペア」の様な高級志向の寝台特急は無し。
#**却って道内の行き先はもっと豊富だったかもしれない。釧路行きや網走行きなどもある。
#***四国側でも東京発高松行きのほか松山行きや高知行き、徳島行きがある。
#**国鉄時代末期には個室寝台車も作られたし、トワイライトくらいのは出来たかもしれない。
#***『寝台特急』にシャワー室設置…絶対有り得ない。
#****スハネ25 700番台「えっ?」
#***国鉄がトワイライト並の寝台特急を、定期列車として走らせていたかは微妙なところ(ジョイフルトレインならあるかも)。せいぜい北斗星かあさかぜ1・4号程度のレベルに留まっていたかも。
#****その北斗星も、個室寝台車よりも開放B寝台車が多く連結され、内装も国鉄特有の芋臭い感じだったりと、史実よりもしょぼい編成だった。
#****トワイライトは誕生せず、本来の計画だった、日本海へ食堂車や個室寝台車連結によるグレードアップが実行されていた。
#*夜行バスに利用客を奪われるのは現実と同じだが、たとえ'''利用客が一人'''になっても運行し続ける。
#**むしろ日本における航空規制緩和が'80年代末に行われる。
#***結果、地方側に設立された格安航空会社に押されて、寝台列車や夜行バスが早期に廃止の憂き目に。
#***1990年頃には[[修学旅行]]に航空機を利用するのが当たり前になっている。
#***でも、実史で起きた1985年8月12日の日航機墜落事故後、国鉄の列車がもてはやされる。(実史では、日航機墜落事故後、航空機の利用が減り、東海道新幹線の利用が増加した。)
#****だが国鉄の高運賃・低サービス・商売気のなさといった親方日の丸ぶりに改めて呆れ、事故のほとぼりが冷めると再び飛行機利用に戻る。
#*客車の設備がどんなにボロくなっても継続使用。寝台も開放式が当たり前で個室寝台何それ?状態。
#**個室寝台車は国鉄時代に存在したけど。
#*近年は外国人観光客のの増加などによりホテル不足が深刻になっているので、こういった夜行列車が見直されているような気がする。
#未だに0系新幹線と100系新幹線が現役バリバリ。むしろそれ以降の車両が登場しているかどうか。
#*東北、上越では未だに緑の200系が現役バリバリ。オール2階建てなMAXは需要もないとして作られず。
#*300系は2000年代初頭に開発された。
#**塗装は勿論白地に窓枠青。
#*東京-大阪でさえ航空に客を大きく奪われて新幹線のシェアは50%以下になっている。大阪-福岡に至っては30%を切っている。
#**東京-大阪の新幹線特急料金込みの値段は普通車指定席でも2万円ぐらいになっていて、空路よりも高くなっている。
#***新幹線が高すぎるので東京~大阪間を安く移動できる交通手段として夜行バスが現実以上に定着し、東名及び名神の両高速道路は深夜時間帯高速バスだらけとなっていた。
#****夜行だけでなく昼間も東京~大阪間に10分間隔でバスが運行されている。しかも常に満席。
#*****[[ベタなツアーバスの法則|ツアーバス]]が史実よりもシェアを伸ばし、急成長して国鉄並みの資本力を得て[[経団連]]入りし、既存高速バスを壊滅に追いやっている。
#**あまりの混雑っぷりから三重県や奈良県の出資した名阪急行電鉄が開通、近鉄特急が乗り入れ、北越急行や成田スカイアクセスばりの高速短絡線となっていた。
#*羽田-伊丹便は全便B747-400でも輸送力が足りず、2000年代後半にはついに総2F建ジャンボ機に置き換える羽目に。
#**伊丹は単発機と双発機しか入れないから総2階建(A380)どころかB747すら無理なのでB777-300になるかと。
#***LCCは新幹線の高い運賃のせいで乗れない客を取り込むことに成功し、史実以上に航空業界は戦国時代となる。
#***伊丹空港の容量が限界に達したことから関空が現実以上にフル稼働し、神戸空港の開港も早まっていた。羽田も現実より早いペースで拡張されている。
#***東阪間の航空需要も史実の倍以上と大きいために伊丹の4発機乗り入れ禁止措置は採られなかったので、2015年時点では大手三社(史実とは異なりJASも存続)の羽田-伊丹・関空便はほぼ全便A380(国内線仕様で1機当たり800席)での運航になっていた。
#*新幹線電車のモデルチェンジは20年に一度しか行わない。つまり300系の登場は2005年頃、700系は2025年頃、N700系は2045年頃になる。500系は存在すらしていない。
#**東北・上越新幹線に至ってはずーっと200系のまま。途中、主制御器'''だけ'''が変わり回生ブレーキ化されるが、労組対策のため区分番台だけ変えて「これは200系です」と言い張る。
#特急「北近畿」は存在せず、前身の「まつかぜ」が福知山線をちんたら走っている。
#*「はまかぜ」の方が圧倒的に利用者が多い。
#**智頭急行が実現したかどうかは不明。
#***その代わり鳥取自動車道などが史実より早く完成し、高速バスの独壇場と化す。
#***鳥取-京阪神間高速バスにおいて日本交通に加え、日ノ丸自動車なども参入。メガライナーなどの2階建てバスも投入されているはず。
#****阪急・阪神・近鉄・南海など関西大手私鉄系のバス会社も日ノ丸・日交両社と共同運行する形で続々と参入。挙句の果てには国鉄自身も京阪神~鳥取間に高速バスを開設し、現実の京阪神~徳島間のような高速バス銀座となっている。
#[[もし東海道・山陽新幹線が○○だったら#のぞみが誕生しなかったら|のぞみが誕生することはなかった]]。
#*もちろんはやてが誕生することもなかった。
#**「はやぶさ」なんかもってのほか、というかまだ寝台特急のほうが残っている。
#*当然、東海道新幹線の最速列車は2011年現在でも二階建て車両連結の「ひかり」である。
#**国鉄時代から260km/h対応の新車両である「スーパーひかり」用の車両を作る計画はあったらしいので、多分そっちが最速になっている。
#***といっても史実の「のぞみ」重視ダイヤの様にはならず、毎時1本程度に抑えられていた。
#***この為新幹線の最速種別は全て「スーパー○○」になっていた。
#***そのような列車にも食堂車が連結されていた。
#*東海道新幹線の東京駅毎時0分発のスジは博多行き(もしくは西鹿児島行き)の最速達列車にずっと充てられていた。
#未だに貨物列車に機関助士が乗務していたり、回送電車の二人乗務が当たり前になっている。
#*回送の二人乗務は今でも当たり前だろ
#九州の特急列車が現実より地味な存在になっていた。
#*「つばめ」は復活せず、博多~鹿児島中央間を結ぶ特急は今も「有明」。
#**鹿児島中央じゃなくて西鹿児島。
#*現実以上に高速バスに客が奪われていた。
#今でも平然と特急列車を担当する機関士や運転士が飲酒運転をしている。
#貨物列車・回送列車や、単行気動車の列車にも必ず車掌が乗務している。
#*ワンマン運転?何それおいしいの?
#*貨物輸送の合理化も進まず、コンテナ輸送は普及しなかった。様々な種類の貨車が入り交じった編成を操車場で行き先別に組み替える旧態依然な手法が健在。
#**結果、貨物輸送もトラック・航空輸送が現実より発達している。
#**操車場廃止は国鉄時代の実施ですが。むしろ荷物輸送が残る。
#***勿論[[ヤマト運輸|民間の]][[佐川急便|競合]][[岐阜の企業#西濃運輸|相手]]にやられっぱなしで、カートレイン(自動車の鉄道輸送)に最後の望みをかける。
#現在でも多くの鉄道車両が喫煙可能となっている。
#*大都市圏には「禁煙区間」が設定されている。
#*車内は常にタバコの臭いが充満する体に悪い環境に。
#*むしろ国の方針で禁煙区間が拡大する。新幹線の喫煙ルームは存在せず、駅構内の売店でタバコ販売がなくなる。
#**[[JT|専売公社]]からの圧力に常に怯えている。
#長距離乗務の本務機関士・運転士の疲労対策で未だに機関士・運転士二人乗務や機関助士・運転助士乗務が継続されている。
#頭が堅いので、ラッピング列車は走らせない。
#カートレインやMOTOトレインが、赤字無視で史実より長く運行されていた。
#*貨物のピギーパックもゴリ押しで走らせていた。
#史実ほど特急至上主義にはなっていない。
#*そもそも[[もしあの列車・種別が○○だったら#特急列車の制定に制限があったら|特急の制定には制約があった]]


==東北==
==車両==
===二戸地域が青森県===
#国鉄の鉄道車両のモーターは今でも直流直巻が主流。VVVFインバータ? 何それ?
現在、岩手県北の二戸地域は岩手県に属していますが、1871年の廃藩置県実施から約5年間は青森県に属していました。もし、そのまま二戸地域が青森県に属していたら。
#*チョッパー制御が主流になっていた。
#実史の二戸郡は青森県の郡となる。
#**それはない。チョッパ制御採用で製造コストがかかることが問題となって、止むを得ず安価な界磁添加励磁制御が開発された経緯があるから。
#*九戸郡が'''青森県の郡'''と勘違いする人が出てくる。
#*さすがに1990年代にはVVVF制御に移行していただろう。207系900番台が量産されていた。
#2002年12月1日の東北新幹線八戸開業時には、「戸」を巡るツアーが企画されたりして。
#**900番台は試作車両に与えられる番台区分なので、量産に当たっては207系0番台となっていた。当然現実の207系0番台は登場せず。
#*四戸が復活する。
#**国労・動労の力が強いままであったら20世紀のうちは直流直巻モーター・中空軸並行カルダン・抵抗制御・発電併用電磁直通ブレーキといった方式のままだっただろう。21世紀に入ってやっとVVVF制御・電気指令式回生ブレーキになる。
#2010年12月の東北新幹線新青森(=全線)開業時には、青森県内の新幹線途中駅にすべて'''「戸」'''が付されることになる(二'''戸'''・八'''戸'''・七'''戸'''十和田)。
#[[東北本線]]の普通列車はまだまだ非冷房(=50系客車)。
#折爪岳・二戸中継局の出力は、実史ほど強くなっていない。
#*最近になってようやく417系に置き換えられる。
#*階上岳・八戸中継局が無指向性で送信されていた。(実際は南側(岩手県側)に電波を発射していない。)
#**恐らく、2002年の「日韓ワールドカップ」の時だな。(実史は1993年12月のダイヤ改正で50系客車や12系客車から701系電車に置き換え。)
#*(実史上での)青森県三八上北地域で、在盛テレビ局を視聴する事はできなかった。(二戸が青森県に属する上、紫波新山・盛岡送信所からの距離が有り過ぎる(約150km以上)為。)代わりに二戸地域で、在盛テレビを視聴する習慣ができる。
#**ヘタすりゃ、2020年東京五輪前まで、客車を走らせるかも。
#IGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道の境界駅は、目時駅ではなく御堂駅。
#*北海道・東北はキハ56・58系DC急行でさえ、普通車自由席は未だに非冷房のまま。
#*もしかしたら、東北本線「盛岡⇔御堂間」はIGRいわて銀河鉄道に転換されなかったか…。
#2010年位まで205系が製造され続ける。
#八幡平市は誕生しなかった。(安代町が青森県に所属していたため)
#*103系みたいに途中で何回か前面部のデザインが変更される。
#盛岡市に本部がある「スーパーマーケットジョイス」が二戸地域(更に実在する青森県八戸市の店舗も)に出店できず、代わりに「ユニバース」が、二戸地域に出店している。
#*本格的に導入されるのは東京圏のみ。
#**そして205系の導入で余剰になった103系が関西圏や名古屋圏に流れてくる。
#***しかも一部非冷房車というシロモノ。
#***東京で使い古した車両は関西や名古屋に回されるので、中古車両がインドネシアなど海外に譲渡されることはなかった。
#**史実でも1986年に京阪神緩行線へ投入されたから、むしろ大鉄局管内への新製配置はもっと多かっただろう。
#*[[山手線]]の205系は2020年位まで使用。[[中央快速線|中央線]]の201系も2010年位までは使い続ける。
#**2010年現在、今日も201系は(現実の)中央線を走っていた。
#***というか実際、ちょうど2010年に引退した。
#*もしかしたら最終的には今の209系0番台になってたかもしれない。
#*6ドア車は登場していない。
#*地下鉄東西線直通車両に、未だに301系が走っている?
#広島周辺だけはなぜか現実と変わらない...
#*いえ。70系や80系が健在です。
#*70系・80系は現実でも国鉄時代(1984年)に引退したような…
#**あれは、国鉄分割民営化が決まって、新会社に余計な負債を背負わせないということで国が予算を認めてくれたから早急に取り替えられた。もしJR化がなければ'''今でも'''平気で使っていただろう。
#**最近になってようやく大阪地区から113系がやってくる。
#*むしろ旧型国電は103系3000番台になる。
#2010年代になっても地方では、DD51が客車を牽引しているのが日常の光景。
#*DD51の後継機も労組との関係で、形式だけDD51になる。
#*通票閉塞が健在なので、オールシーズン機関助士が乗務している。
#反マル生闘争が成立するから、D51がいまだに主力。
#*蒸気機関車の廃止自体は1960年に決まっており、1975年にはどっちにしろ廃止される。
#在来線の列車の便所は未だに垂れ流し式が主流。新幹線も最近まで循環式しかなく、2005年登場の300系でやっと真空吸引式になる。因みに日本で初めて真空吸引式便所を導入したのは[[近畿日本鉄道|近鉄]]だった。
#*加えて列車の便所といえば汽車式の和式便所。洋式便所、なにそれおいしいの。
#**史実ではJR後にJR東が新造した新幹線のトイレはすべて洋式トイレで東北上越の現役の車両はオール洋式だが国鉄が存続していたら東北上越の新幹線も和式トイレが大半だろう。
#***後女性専用トイレは登場しないと思われる。これは全洋式化してから出てきた概念だし。
#**流石に周辺環境への配慮を考えれば1990年前後に変わってただろ。ただし、洋式化はバリアフリー新法が施行された後から開始になる。
#史実のJR東日本の車両が全国に導入されている。
#*E231・233系が名古屋地区や関西地区にも走っている。
#**逆に東海道線や常磐線などでは逆に311系か221系のような3扉の代物(ただし車内はボックスシート)が18両編成とかで走っている。
#**国鉄が存続する限りE231系などは製造されない。むしろ205系・211系の車体構造をベースとした車両が製造され続ける。
#*北陸・九州にはE653系が投入されている。
#*新幹線はすべてE2系。
#**新幹線は東海道山陽の車両(史実の300系や700系)がベースだろ。国鉄が存続する限り東海道の車両がベースになるのは間違いないから。東北上越も300系や700系をベースに耐寒耐雪構造とした車両になる。
#*全国各地の非電化地方ローカル線はキハE120系・キハE130系の天下になる。
#**近鉄・阪神・京阪・京成・名鉄も走るんですに汚染されていた。
#***国鉄が存続する限り走るんですはない。もしあったとしても東急車輛による独自開発で東急だけが採用していた。
#****気動車については、キハ31・キハ54から発展した車両が投入されるだろう。
#***90年代の南海のようにステンレス塗装な車両を採用しだす会社はあるかも。関西私鉄の経営は今よりいいだろうから現行車がより増備されていただろう。
#**小田急3000形も正真正銘の走るんですになる。
#**[[京急の車両/銀色電車|この車両]]は特に叩かれなかった。
#***逆に京急が史実以上の混雑っぷりから未だにアルミ塗装車体を採用していそう。
#*国鉄が存続する限り走るんですの投入はない。20世紀のうちは205系や211系の増備が続けられ、2000年以降は205系や211系の車体構造のままで下回りをVVVFにしたような車両(207系、215系、何れも史実とは別)が投入される。
#**走るんですを投入したのは[[東急電鉄|東急]]1社だけ。
#**その結果、他の鉄道車両メーカーも独自色が出せず国鉄の要求に沿った車両をだらだら製造され続けていただろう。Aトレインやブロック工法はなかった。
#**1990年代段階じゃ205系の増備が続けられたのは間違いないだろうけど、90年代末からは流石に変わるだろうし、客へのサービス一つ考えない国鉄なら21世紀に入るあたりから走ルンですを投入するのは目に見えてる。JR東日本の車両が国鉄通勤型の正当進化って知らないの?それは分かるよね?
#***21世紀以降は走ルンですが導入され、それまでの設計の通勤形や近郊形は20世紀で終わっていた。
#201系・203系・205系が首都圏から引退しても、大阪地区に同時投入された車両と併せて、[[琵琶湖線・JR京都線|京阪神]][[JR神戸線|緩行線]]・[[阪和線・関西空港線|阪和線]]・[[関西本線#大和路線(加茂~JR難波)の噂|関西本線]]・[[大阪環状線]]で主力車両として活躍する。
#*103系・113系・201系・203系・205系などの中古車両が海外に譲渡されることはなかった。
#山陰本線京都口・福知山線宝塚以北・和田岬線では、DD51・DE10牽引の旧型客車が主力。沿線の景観美共々、雑誌などで取り上げられるが、沿線住民の反応は冷ややか。
#*宝塚以北からの福知山線利用者の多くは宝塚でわざわざ阪急に乗り換えるので、大阪-宝塚間ではガラガラの状態が続いている。
#*[[三田市]]のニュータウンは開発されず、同市が大阪の通勤圏になることもなかった。大阪からはいまだに三田市は遠い所だと信じられている。
#**バブル期に三田市や[[神戸市/北区|神戸市北区]]のニュータウン開発が行われたとしても阪急宝塚駅から新線が建設されていた。
#***現実では福知山線が使用している生瀬-道場間のトンネル区間は阪急の路線として建設されていた。西宮名塩は阪急の駅となり、武田尾(新線の方の)は「阪急武田尾」駅となっていた。
#**北神急行が三田まで延伸されていた。そしてそのせいで神戸電鉄三田線はボロボロ。ただし粟生線は加古川線が電化せず現状よりほんの少しマシになっていた。神姫バスにやられて結局危なそうだが。
#***加古川線が非電化のままであることに加えて山陽本線の西明石以西も新快速・普通が各30分ヘッドとまばらなダイヤのままなので、粟生以北-神戸市中心部の移動では神戸電鉄を利用する者もそこそこいた。
#****北神急行開業までは大阪~三田で阪急・阪神~神戸電鉄利用も結構あった。
#*どっちみち福知山線は全線電化されている。
#客車・気動車には電子チャイムかオルゴールが必ず搭載されている。
#[[総合車両製作所]]は東急車輛製造のままだった。
#四国の普通列車の車両は121系、キハ54のみ。
#*そもそもこの2つは存在するのか?出来たとしていても1990年代に入ってからかもしれない。
#**というか地方再生の切り札として、九州や北海道、果ては山陽や東北にも交直版・交流版やら耐雪版と称して121系系統・キハ54・キハ32辺りが大量に増備されていた。
#783系は交直流形として製造され、681系を名乗っていた。
#*後に直流形の281系も製造される。
#*九州の681系の一部は関門トンネルを抜けて本州まで乗り入れている。
#「リゾートしらかみ」などのリゾートトレインは、開発されない。
#*存在していても独自開発ではなく、旧型客車・車両の改造車になる。
#国鉄が大赤字のため車両の置き換えが進まず、現実のJR北海道のように「残った車両を使うしかない状況」になって列車の減便が相次いでいたかも。
#*実際に山手線向けの205系投入の条件が「山手線で使用していた103系を埼京線に回すこと」だったのでこういう事例が全国で続出。
#**現在も埼京線を103系が爆走している。
#***流石に2010年代には、山手線への新車投入で追い出された205系によって置き換えられる。
#*新車を入れる金がないので通勤型車両は80年使い倒す。
#首都圏の混雑が激化したので4扉近郊型電車が導入されるが、京阪神の新快速や塩害で故障が続出しているマリンライナーもこの車両に置き換えられる。
#*大鉄局は本社に反発して117系や213系を独自に導入した過去があるから、これらの置き換えも大鉄局独自の車両になっていたかと。
#21世紀になっても車内広告は紙媒体。液晶ディスプレイ?デジタルサイネージ?なんですかそれ。
#*2010年代ごろからようやく採用。
#鉄道友の会ブルーリボン・ローレル賞は1980年代後半以降も私鉄車両の受賞が現実よりも多かった。
#*1990年のブルーリボン賞は京阪8000系か西鉄8000形が受賞していた可能性が高い。


===青森県南部地方(青森県東部)が岩手県===
[[カテゴリ:もし日本国有鉄道が存続していたら|れつしやしやりよう]]
#青森県は誕生せず弘前県のままで県庁も弘前にある
#*県の面積が小さくなるので弘前県は秋田県と統合する可能性も
#チャクウィキでは岩手県vs弘前県の対決がネタにされていた
#*月曜から夜ふかしでもネタにされる
#県の領域が大きいので岩手県南部は宮城県だったかも知れない
 
===岩手県南部(旧仙台藩領)が宮城県===
#平泉が宮城県の世界遺産になる
#*松島は史実ほど観光開発されない?
#仙台市が政令指定都市に昇格後、県の中央に位置する大崎市が県庁移転の運動を起こしている
#史実と同じく、三陸沿岸(女川、[[気仙沼市|気仙沼]]、大船渡など)は冷遇されたまま。
#*むしろ仙台との連絡のため三陸縦貫道などの整備は進んでいた?
#水沢も含まれるので宮城県が「小沢王国」と呼ばれていた。
#*安住淳は史実の達増拓也的なポジションとなり、村井嘉浩を破って宮城県知事に転身していた。
 
===南三陸地方が岩手県===
#三陸と言えば100%岩手県。
#岩手県の観光地が増えるかも。
#三陸自動車道石巻以北やみやぎ県北幹線道路の整備は(震災があったとしても)遅れていた。その分仙台~石巻間の4車線化や国道284号線の高速化が優先されていた。
#気仙郡も気仙沼も岩手県にある。
 
===宮城県旧磐城国が福島県===
#福島市の求心力は現在以上に高かった。
#*相馬市や南相馬市も現在ほど仙台への一方的な流出、依存とはならなかった。
 
===福島県県北地方が宮城県===
#福島県…じゃなくて郡山県が出来ていて県庁も郡山市。
#福島市と郡山市はライバル意識は持っているか?
#*福島市に県庁も国立大学も医大もないということになるので、石巻や大崎レベルの人口だったかも(奥羽線や国道13号の起点という重要性はあるだろうが)
#**そもそも奥羽線や13号の分岐点にならなかった可能性もある
#福島空港ではなく郡山空港である。
 
===浜通り夜ノ森以北が宮城県===
*[[もし福島県浜通りが宮城と茨城で分割されていたら]]
 
==関東==
→[[もしあの地域が別の県に属していたら/関東]]
 
==甲信越・北陸・東海==
→[[もしあの地域が別の県に属していたら/中部]]
 
==近畿==
→[[もしあの地域が別の県に属していたら/近畿]]
 
==中国・四国==
===隠岐諸島が鳥取県===
#隠岐と結ぶフェリーは米子発着だった。
#*空路は米子空港発着。出雲空港は存在せず。
#島根県が返還を求めてる。
#島根県から村が消滅している。
 
===備後地方が岡山県===
#広島空港はもっと[[広島市]]に近い場所に建設されていた。
#[[福山市]]は現実以上に岡山志向が強くなっていた。
#*広島~福山間の高速バスは運行されていなかったかもしれない。
#山口県の周南市以東は広島県に属していた。
#三原市や三次市は存在しなかった。あるいは存在したとしても現実より遥かに小さな市となっていた。
 
===美作地方が鳥取県===
#[[島根]]の人口を超える。面積は超えない。
#旧小田県は全域岡山県になっていた。
#*[[岡山市]]、[[倉敷市]]、[[福山市]]が全部同じ県に。
#南勝線が全通していた。
#津山市が鳥取県となるので因美線は現実よりも利用客が多かった。
#*タブレット閉塞も現実よりも早く廃止されている。
#[[智頭急行]]は岡山県を通らなかった。
#*車両型式の「HOT」は「HT」になっていた。
#当県の天気予報は鳥取市、米子市、津山市。
#この世界でも相変わらず島根県と混同するし、存在感も薄い。
#*しかし、中国自動車道で本気を出す。
#岡山県は深津県のみ合併している。
#*新見地区の出っ張りぷりが。
#人口は相変わらず少ないか?
#県庁は鳥取市。
#島根県側は史実通り。
#津山地区はテレ朝系が見れなくなるかも。
#兵庫県と大部分に接近する事に。
#大山と蒜山を一緒くたにした観光PRが行われる。
#高校サッカーの県大会は作陽と米子北の2強になる。
#*ただし青山敏弘(倉敷市出身)は作陽に進学しなかった可能性が高い。
 
===板野郡が香川県===
#都道府県で一番狭いのは大阪府。
#徳島阿波おどり空港は別の名前になっている。
 
===宇摩郡が香川県===
#この場合でも都道府県で一番狭いのは大阪府だと思う。
#四国中央市が香川県に!
 
===幡多郡が愛媛県===
#半家駅が愛媛県の物に…。
#「日本一長い」校名の篠山小学校と篠山中学校の校名が短くなる(校区全体が愛媛県になるため)。
 
===三好郡が愛媛県===
#それでも四国中央市の市名にクレームを付けていた。
#*あるいは現実の三好市+東みよし町で四国中央市。
#**その場合愛媛の市は宇摩市になって愛知県の某市は三好市になった。
#徳島線が川之江駅まで伸びていた。
#池田高校は甲子園で一時代を築けていただろうか?
 
===石見地方が広島県===
#国鉄今福線の工事が継続され、かつ芸備線吉田口起点で大朝経由の芸石線として開業しただろう。
#広島県は兵庫県と同様瀬戸内側から日本海側まで県域があるので、本州を陸路で縦断する際必ず通らなければならない県となっていた。
 
===佐伯郡が山口県===
#広島県が兵庫県より小さくなり、山口県が栃木県より大きくなっていた。
#*しかし、人口はあまり変わらない。
#広島市は佐伯区や西区の一部を失うので今より小さくなっていた。
#*しかし、山口県との県境として今と同じくらい発展はしている。
#大竹市と廿日市市、江田島市の一部も山口県のものとなっていた。
#*岩国市・大竹市・廿日市市は今よりもさらに寂れる。
#**宮島は現在よりも観光客が少なくなっていた。
#*工場地帯もないので和木町は貧乏なまま岩国市に編入されていた。
#*小瀬川が県境を成すことはなく二級河川になっていた。
#佐伯区と西区の一部は五日市市として独立していた。
#*東の拠点として今よりも発展していた。
#*廿日市市と五日市市と連続するので間違える人が多数。
 
===玖珂郡が広島県===
#広島県が山形県より広くなり、山口県が千葉県よりも狭くなっていた。
#*広島県は面積が9位となる。
#岩国市は西の拠点として今より発展していた。
#*岩国市は人口が30万人を超え中核市となっていた。
#**小瀬川は周辺人口のおかげで一級河川になれた。
#*岩日線はJRのものとなり未成区間やとことこトレインは存在しなかった。
#**岩国市北部が秘境の地なんて言うこともなかった。
#柳井市も県境の町として今より少し発展する。
#*残った熊毛郡の方は周辺と合併して熊毛市とかになっていたかもしれない。
#広島岩国都市圏として広島市はさらに発展していた。
#*その間にある廿日市市や大竹市も発展し人口も増えていた。
#**広島市は湯来町との合併を拒否したかもしれない。
#*和木町は10km²ぐらいしか満たない中に2万人以上が住んでいた。
#**大竹市も人口が3倍以上となり、廿日市市も20万人を超え中核市となっていた。
#***安芸太田町や北広島町も今より過疎が緩やかだった。
#*広電宮島線は岩国市まで延伸し、錦帯橋線や空港線もできていた。
 
==九州・沖縄==
===壱岐・対馬が別の県===
;福岡県
#誰も疑問に思わない。めでたし、めでたし。
#*「現実に福岡県じゃないの?」とか言ってるのは誰だ?
#*そこの市外局番が「0920」だから、疑問に思わないね。
#唐津-長崎間の高速バスは運転されない。
#博多~壱岐~対馬の船便や航空便はもっと増便されるので、島の人も大喜び。
#*長崎~壱岐の便が存在しないので、壱岐空港は定期便のない空港になっていた(対福岡ではジェットフォイルに敗れているため)。
#福岡県と[[韓国|あの国]]の結びつきがますます強く…
#本当に「福岡市壱岐区」が誕生していたかもしれない。
 
;佐賀県
#壱岐島はそんなに違和感は無いが…。
#唐津東~通寺浦の船便は増便している。
#唐津~壱岐~対馬でトンネルを掘ろうという計画が出てくる。
 
===佐賀県東部が福岡県===
#佐賀県ではなく伊万里県のまま。
#*県の面積は非常に小さいが…ダメなら長崎県に合併していたか。
#有明佐賀空港は別の名前になっていた。
#九州新幹線は佐賀県を通らない事に。
 
===佐賀県東部が福岡県、佐賀県西部が長崎県===
;全般に言えること
#長崎新幹線計画がこんなに揉めることはなかった。
#福岡・長崎ブランドのおかげて地域全体のイメージは良くなった。
 
;東部→福岡編
#ここでは北松浦(唐津)・三養基(鳥栖)・神埼・佐賀・小城(多久)を東部とします。
#*唐津は福岡地方(玄界地方)、それ以外は筑後地方(有明地方)の一部になっていた。
#「福岡県唐津市」が福岡を代表する観光地となる。
#*福岡市民が観光地を尋ねられたらまず「唐津」というようになった。
#福岡・久留米のベッドタウンというイメージが現状より強かった。
#県庁を失った佐賀市の人口は市全体で10~15万人(=諫早・飯塚)程度。
#*しかし柳川~佐賀間の通学需要があったので佐賀線は廃止されなかった。
#*一方久留米は拠点性が増し人口40万人程度(福山と同じくらい)。
 
;西部→長崎編
#ここでは西松浦(伊万里)・杵島(武雄)・藤津(鹿島)を西部とします。
#佐賀県を代表する観光地の殆どが長崎ブランドとなるためもっと観光客が多かった。
#*佐世保周辺と合わせて長崎北部の周遊ルートになっていた。
#武雄は県の交通の中心地となり人口が増えた。
#*長崎~佐世保を高速で移動するときに佐賀県内を通ることはなかった。
#*規模は小さいながら肥前山口も県内幹線の分岐点ということもありある程度発展。
 
===島原半島が熊本県===
#熊本市と島原市の間に海底トンネルか橋ができていた。
#*天草との間にもできていた可能性がある。
#島原半島へのアクセスは熊本経由がメインとなっていた。
 
===諸県地方が鹿児島県===
#これも違和感なさそう。
#「宮崎県には中小多数の県がある」が「鹿児島県には中小多数の県がある」に。
#肥薩線は宮崎線を通っていない。
#東国原英夫が宮崎県知事になることはなかった。
#*鹿児島県知事になっていたか。
#[[もしあの地域が1つの県だったら/九州#旧鹿児島県・旧都城県]]との違いは[[日南市]][[宮崎/南部#串間市|串間市]]が含まれるか否かのみ。
 
===奄美地方が沖縄県===
1609年に薩摩に琉球が侵攻されるまでは琉球王国の一部でした。
しかし、その後も琉球文化は色濃く残り、戦後アメリカに占領されたときも沖縄と同時返還を望んで先に返還されたという経緯、さらに現在、道州制計画でも沖縄と1つの地域にする案があります。
#沖縄県の県土は2倍近くに広がっていた。
#人口も20万くらい増えていた。
#以上の結果を踏まえ、沖縄の経済は少し向上し、[[もし沖縄戦がなかったら]]にあげられていることのいくつかは・・・・・・
#奄美はこうなる
#*奄美市以外は沖縄県奄美郡になる。
#**史実の経緯だと「大島郡」じゃない?
#*旧名瀬市に沖縄県奄美合同庁舎が開設される。
#ダイエーは奄美からも撤退していた。
#*跡地にサンエーがオープンする。
#奄美は、言語的には沖縄方言に近いけど、文化的には鹿児島と沖縄の中間だよ。「琉球文化」に近い所だけ見て奄美を沖縄の一部だと言うのは覇権主義。
#*こんなところで「覇権主義」と言うのはよくない。ここに書かれているのは「もし」だから。
#*そんなの百も承知だし、それをいうなら宮古・八重山も同じ。宮古・八重山が琉球処分や戦後の占領政策で中国に取られなかっただけでもまし。
#*歴史も環境も市民の流動も全て無視で、食い込んでいるだけで他地域扱いされる[[町田市|この都市]]よりかはマシでしょ。
#*というか、元々琉球だった沖永良部や与論と後に琉球に制圧された徳之島以北は分けて考えるべき。
#奄美の高校が沖縄県代表として甲子園や国立、花園や総体等の大会に出場していたかも。
#鹿児島から喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島への航空便は存在しない。
#*与論島へは代わりに那覇空港からの便が多数飛び、本土からの客は那覇経由で行くのが一般的になっている(沖永良部も?)。
#**現実でも与論島と那覇空港を結ぶ便は存在する。
#*奄美空港が県内第2ハブ空港のような役割となり、喜界島、徳之島へは奄美空港で乗り継ぐかたちとなる。
#*鹿児島から奄美大島への便はさすがに存在する。
#県道の番号がひっ迫しかける。
#*ただし主要地方道のみ。一般県道は大丈夫。そしたら本島の一部の県道の番号が変わっていた。
#沖縄一高い山は湯湾岳になる。
#龍郷、喜界、伊仙、天城、和泊、知名、与論は町昇格の人口要件(8000人)に届かず今でも村。
#*このような経緯から平成の大合併で「沖永良部町(知名村+和泊村)」「南徳之島町(天城村+伊仙村)」が誕生する。
#**訂正 誤:南徳之島町 正:西徳之島町
#**あるいは史実の徳之島町も含めて新設合併して「徳之島町」かもよ。
#電力会社の管轄は沖縄電力になる。
#奄美地方が「薩南諸島」と言われることはなかった。
#トカラ列島(十島村)の帰属でもめる。
#奄美大島の国道58号に相当する路線は、330号前後の番号になっているかもしれない。
#*それは無いと思う。恐らく史実通りに58号が指定される。
#A&Wやローソン、ファミマが奄美大島に進出している。
#*徳之島、沖永良部島、与論島、喜界島は微妙。
#逆に奄美文化と鹿児島文化の近さが注目されていた。
#*それでも沖永良部島、与論島は名実ともに「沖縄」だっただろう。
#**知名、和泊、与論は国頭郡の一部だった。
 
==関連項目==
*[[もしあの市が隣の県だったら]]
 
[[カテゴリ:もしあの地域が別の県だったら|へつのけん]]

2021年3月4日 (木) 20:59時点における版

列車

  1. 琵琶湖線新快速が米原止まり。
    • いや、彦根止まりのままだろ。
      • 米原が大鉄の管轄に入ってからは米原止まり
        • 現在は大垣まで行っている。
          • 逆に一部は彦根止まりのまま。
        • 中京圏の新快速も一部は彦根まで行っている。
          • 一部は大垣止まりのままである。
    • 新快速は2007年時点でもまだ117系で運転。
      • 流石に混雑がやばい事になってきて対策として3扉車が導入されるが、115系……
        • あるいは関西地区に211系が投入されていた。
          • 大鉄局が要求を押し通した結果転換クロスシート仕様となり、4000番台とでも区分される。
          • 213系では?
            • それだと混雑対応になるまい。
              • 2000年前後に名古屋、関西地区向けに3扉転換クロスの219系(211系風のデザイン)が導入される。
                • 219系は史実のE217系のような車両になる。
                  • ボックスシートの一般仕様と転換クロスシートの新快速仕様は番台区分で区別。
                  • それまでは意地でも213系で間に合わす。
      • 大阪・京都~長浜間に高速バスが運行されていた。
        • 名神ハイウェイバスの急行便も途中の中小停留所も未だに健在。史実では廃止された名神彦根には全便が停車していた。
      • 滋賀県の東部は大阪よりも名古屋志向の方が強くなっている。
      • 新大阪通過も健在。
        • 新大阪停車は国鉄時代ですが。
  2. 特急は全部アイボリーに赤。
    • 10両編成位の特急がまだまだ全国各地で走り続けている。
      • 食堂車・ビュッフェも開店休業状態で残っている。
        • 食堂車の人手不足で深刻化していた。
    • 急行もまだまだ全国各地で走り続けている(車両は勿論165系とキハ58系が基本)。
      • 夜行急行も健在。帰省シーズンになると上野東京発の臨時急行(夜行含む)が走る。車両は各地からの寄せ集めで。
    • つばめやソニックをデザインした水戸岡氏は鉄道デザイナーではなくバスや建築のデザイナーとして有名になっていた。
      • むしろ私鉄の車両をデザインしていたかも。大手私鉄にも水戸岡デザインの車両が登場していたかもしれない。
        • 水戸岡氏がデザインした車両は存在していても、奇抜なものにはならなかった。(JR九州にデザインの案を提示するとき、普通のものと奇抜なものを出すらしい。)
          • もし奇抜なデザインを出したら、現場から猛反対されて不採用にされた(史実の787系は実際に現場から反発があったものの会社幹部のゴリ押しで採用された)。
  3. 長距離鈍行が健在。
    • 客車列車もまだまだ健在。
      • 稚内から鹿児島まで客車鈍行で旅行できる。
      • 但し、最低でも4日はかかる。
    • 2000年になってからもローカル用の客車が作られている。
      • さすがに冷房化はされているだろう。
      • 50系客車にAU75型冷房装置が取り付けられていた。
        • 方向幕も設置されていた。
      • 動力分散式?何s(ry
  4. 女性運転士?女性車掌?何者だ?
    • 男女雇用機会均等法が登場したから、採用されていた可能性はある。その場合、「国鉄初の女性車掌」「国鉄初の女性運転士」となって話題になる。
    • むしろ女性車掌、女性運転士が増やされる。
    • 但し東名阪の国電区間に限る。安全上の理由が表向きだが、宿泊所の改築をしたくないので。
    • こちらも、東名阪のどこかの大手私鉄が先かな?
  5. 新幹線は今でも当然食堂車やビュフェを連結・営業。
    • 食堂・ビュフェの営業は今も日本食堂・ビュフェとうきょう・帝国ホテル・都ホテル・じゅらく。
  6. 東京-九州を結ぶ寝台特急もまだまだ多くが健在。食堂車も当然連結・営業。
    • 長距離を走る深夜鈍行列車もまだまだ健在。
    • 逆に「トワイライトエクスプレス」や「カシオペア」の様な高級志向の寝台特急は無し。
      • 却って道内の行き先はもっと豊富だったかもしれない。釧路行きや網走行きなどもある。
        • 四国側でも東京発高松行きのほか松山行きや高知行き、徳島行きがある。
      • 国鉄時代末期には個室寝台車も作られたし、トワイライトくらいのは出来たかもしれない。
        • 『寝台特急』にシャワー室設置…絶対有り得ない。
          • スハネ25 700番台「えっ?」
        • 国鉄がトワイライト並の寝台特急を、定期列車として走らせていたかは微妙なところ(ジョイフルトレインならあるかも)。せいぜい北斗星かあさかぜ1・4号程度のレベルに留まっていたかも。
          • その北斗星も、個室寝台車よりも開放B寝台車が多く連結され、内装も国鉄特有の芋臭い感じだったりと、史実よりもしょぼい編成だった。
          • トワイライトは誕生せず、本来の計画だった、日本海へ食堂車や個室寝台車連結によるグレードアップが実行されていた。
    • 夜行バスに利用客を奪われるのは現実と同じだが、たとえ利用客が一人になっても運行し続ける。
      • むしろ日本における航空規制緩和が'80年代末に行われる。
        • 結果、地方側に設立された格安航空会社に押されて、寝台列車や夜行バスが早期に廃止の憂き目に。
        • 1990年頃には修学旅行に航空機を利用するのが当たり前になっている。
        • でも、実史で起きた1985年8月12日の日航機墜落事故後、国鉄の列車がもてはやされる。(実史では、日航機墜落事故後、航空機の利用が減り、東海道新幹線の利用が増加した。)
          • だが国鉄の高運賃・低サービス・商売気のなさといった親方日の丸ぶりに改めて呆れ、事故のほとぼりが冷めると再び飛行機利用に戻る。
    • 客車の設備がどんなにボロくなっても継続使用。寝台も開放式が当たり前で個室寝台何それ?状態。
      • 個室寝台車は国鉄時代に存在したけど。
    • 近年は外国人観光客のの増加などによりホテル不足が深刻になっているので、こういった夜行列車が見直されているような気がする。
  7. 未だに0系新幹線と100系新幹線が現役バリバリ。むしろそれ以降の車両が登場しているかどうか。
    • 東北、上越では未だに緑の200系が現役バリバリ。オール2階建てなMAXは需要もないとして作られず。
    • 300系は2000年代初頭に開発された。
      • 塗装は勿論白地に窓枠青。
    • 東京-大阪でさえ航空に客を大きく奪われて新幹線のシェアは50%以下になっている。大阪-福岡に至っては30%を切っている。
      • 東京-大阪の新幹線特急料金込みの値段は普通車指定席でも2万円ぐらいになっていて、空路よりも高くなっている。
        • 新幹線が高すぎるので東京~大阪間を安く移動できる交通手段として夜行バスが現実以上に定着し、東名及び名神の両高速道路は深夜時間帯高速バスだらけとなっていた。
          • 夜行だけでなく昼間も東京~大阪間に10分間隔でバスが運行されている。しかも常に満席。
            • ツアーバスが史実よりもシェアを伸ばし、急成長して国鉄並みの資本力を得て経団連入りし、既存高速バスを壊滅に追いやっている。
      • あまりの混雑っぷりから三重県や奈良県の出資した名阪急行電鉄が開通、近鉄特急が乗り入れ、北越急行や成田スカイアクセスばりの高速短絡線となっていた。
    • 羽田-伊丹便は全便B747-400でも輸送力が足りず、2000年代後半にはついに総2F建ジャンボ機に置き換える羽目に。
      • 伊丹は単発機と双発機しか入れないから総2階建(A380)どころかB747すら無理なのでB777-300になるかと。
        • LCCは新幹線の高い運賃のせいで乗れない客を取り込むことに成功し、史実以上に航空業界は戦国時代となる。
        • 伊丹空港の容量が限界に達したことから関空が現実以上にフル稼働し、神戸空港の開港も早まっていた。羽田も現実より早いペースで拡張されている。
        • 東阪間の航空需要も史実の倍以上と大きいために伊丹の4発機乗り入れ禁止措置は採られなかったので、2015年時点では大手三社(史実とは異なりJASも存続)の羽田-伊丹・関空便はほぼ全便A380(国内線仕様で1機当たり800席)での運航になっていた。
    • 新幹線電車のモデルチェンジは20年に一度しか行わない。つまり300系の登場は2005年頃、700系は2025年頃、N700系は2045年頃になる。500系は存在すらしていない。
      • 東北・上越新幹線に至ってはずーっと200系のまま。途中、主制御器だけが変わり回生ブレーキ化されるが、労組対策のため区分番台だけ変えて「これは200系です」と言い張る。
  8. 特急「北近畿」は存在せず、前身の「まつかぜ」が福知山線をちんたら走っている。
    • 「はまかぜ」の方が圧倒的に利用者が多い。
      • 智頭急行が実現したかどうかは不明。
        • その代わり鳥取自動車道などが史実より早く完成し、高速バスの独壇場と化す。
        • 鳥取-京阪神間高速バスにおいて日本交通に加え、日ノ丸自動車なども参入。メガライナーなどの2階建てバスも投入されているはず。
          • 阪急・阪神・近鉄・南海など関西大手私鉄系のバス会社も日ノ丸・日交両社と共同運行する形で続々と参入。挙句の果てには国鉄自身も京阪神~鳥取間に高速バスを開設し、現実の京阪神~徳島間のような高速バス銀座となっている。
  9. のぞみが誕生することはなかった
    • もちろんはやてが誕生することもなかった。
      • 「はやぶさ」なんかもってのほか、というかまだ寝台特急のほうが残っている。
    • 当然、東海道新幹線の最速列車は2011年現在でも二階建て車両連結の「ひかり」である。
      • 国鉄時代から260km/h対応の新車両である「スーパーひかり」用の車両を作る計画はあったらしいので、多分そっちが最速になっている。
        • といっても史実の「のぞみ」重視ダイヤの様にはならず、毎時1本程度に抑えられていた。
        • この為新幹線の最速種別は全て「スーパー○○」になっていた。
        • そのような列車にも食堂車が連結されていた。
    • 東海道新幹線の東京駅毎時0分発のスジは博多行き(もしくは西鹿児島行き)の最速達列車にずっと充てられていた。
  10. 未だに貨物列車に機関助士が乗務していたり、回送電車の二人乗務が当たり前になっている。
    • 回送の二人乗務は今でも当たり前だろ
  11. 九州の特急列車が現実より地味な存在になっていた。
    • 「つばめ」は復活せず、博多~鹿児島中央間を結ぶ特急は今も「有明」。
      • 鹿児島中央じゃなくて西鹿児島。
    • 現実以上に高速バスに客が奪われていた。
  12. 今でも平然と特急列車を担当する機関士や運転士が飲酒運転をしている。
  13. 貨物列車・回送列車や、単行気動車の列車にも必ず車掌が乗務している。
    • ワンマン運転?何それおいしいの?
    • 貨物輸送の合理化も進まず、コンテナ輸送は普及しなかった。様々な種類の貨車が入り交じった編成を操車場で行き先別に組み替える旧態依然な手法が健在。
      • 結果、貨物輸送もトラック・航空輸送が現実より発達している。
      • 操車場廃止は国鉄時代の実施ですが。むしろ荷物輸送が残る。
        • 勿論民間の競合相手にやられっぱなしで、カートレイン(自動車の鉄道輸送)に最後の望みをかける。
  14. 現在でも多くの鉄道車両が喫煙可能となっている。
    • 大都市圏には「禁煙区間」が設定されている。
    • 車内は常にタバコの臭いが充満する体に悪い環境に。
    • むしろ国の方針で禁煙区間が拡大する。新幹線の喫煙ルームは存在せず、駅構内の売店でタバコ販売がなくなる。
  15. 長距離乗務の本務機関士・運転士の疲労対策で未だに機関士・運転士二人乗務や機関助士・運転助士乗務が継続されている。
  16. 頭が堅いので、ラッピング列車は走らせない。
  17. カートレインやMOTOトレインが、赤字無視で史実より長く運行されていた。
    • 貨物のピギーパックもゴリ押しで走らせていた。
  18. 史実ほど特急至上主義にはなっていない。

車両

  1. 国鉄の鉄道車両のモーターは今でも直流直巻が主流。VVVFインバータ? 何それ?
    • チョッパー制御が主流になっていた。
      • それはない。チョッパ制御採用で製造コストがかかることが問題となって、止むを得ず安価な界磁添加励磁制御が開発された経緯があるから。
    • さすがに1990年代にはVVVF制御に移行していただろう。207系900番台が量産されていた。
      • 900番台は試作車両に与えられる番台区分なので、量産に当たっては207系0番台となっていた。当然現実の207系0番台は登場せず。
      • 国労・動労の力が強いままであったら20世紀のうちは直流直巻モーター・中空軸並行カルダン・抵抗制御・発電併用電磁直通ブレーキといった方式のままだっただろう。21世紀に入ってやっとVVVF制御・電気指令式回生ブレーキになる。
  2. 東北本線の普通列車はまだまだ非冷房(=50系客車)。
    • 最近になってようやく417系に置き換えられる。
      • 恐らく、2002年の「日韓ワールドカップ」の時だな。(実史は1993年12月のダイヤ改正で50系客車や12系客車から701系電車に置き換え。)
      • ヘタすりゃ、2020年東京五輪前まで、客車を走らせるかも。
    • 北海道・東北はキハ56・58系DC急行でさえ、普通車自由席は未だに非冷房のまま。
  3. 2010年位まで205系が製造され続ける。
    • 103系みたいに途中で何回か前面部のデザインが変更される。
    • 本格的に導入されるのは東京圏のみ。
      • そして205系の導入で余剰になった103系が関西圏や名古屋圏に流れてくる。
        • しかも一部非冷房車というシロモノ。
        • 東京で使い古した車両は関西や名古屋に回されるので、中古車両がインドネシアなど海外に譲渡されることはなかった。
      • 史実でも1986年に京阪神緩行線へ投入されたから、むしろ大鉄局管内への新製配置はもっと多かっただろう。
    • 山手線の205系は2020年位まで使用。中央線の201系も2010年位までは使い続ける。
      • 2010年現在、今日も201系は(現実の)中央線を走っていた。
        • というか実際、ちょうど2010年に引退した。
    • もしかしたら最終的には今の209系0番台になってたかもしれない。
    • 6ドア車は登場していない。
    • 地下鉄東西線直通車両に、未だに301系が走っている?
  4. 広島周辺だけはなぜか現実と変わらない...
    • いえ。70系や80系が健在です。
    • 70系・80系は現実でも国鉄時代(1984年)に引退したような…
      • あれは、国鉄分割民営化が決まって、新会社に余計な負債を背負わせないということで国が予算を認めてくれたから早急に取り替えられた。もしJR化がなければ今でも平気で使っていただろう。
      • 最近になってようやく大阪地区から113系がやってくる。
    • むしろ旧型国電は103系3000番台になる。
  5. 2010年代になっても地方では、DD51が客車を牽引しているのが日常の光景。
    • DD51の後継機も労組との関係で、形式だけDD51になる。
    • 通票閉塞が健在なので、オールシーズン機関助士が乗務している。
  6. 反マル生闘争が成立するから、D51がいまだに主力。
    • 蒸気機関車の廃止自体は1960年に決まっており、1975年にはどっちにしろ廃止される。
  7. 在来線の列車の便所は未だに垂れ流し式が主流。新幹線も最近まで循環式しかなく、2005年登場の300系でやっと真空吸引式になる。因みに日本で初めて真空吸引式便所を導入したのは近鉄だった。
    • 加えて列車の便所といえば汽車式の和式便所。洋式便所、なにそれおいしいの。
      • 史実ではJR後にJR東が新造した新幹線のトイレはすべて洋式トイレで東北上越の現役の車両はオール洋式だが国鉄が存続していたら東北上越の新幹線も和式トイレが大半だろう。
        • 後女性専用トイレは登場しないと思われる。これは全洋式化してから出てきた概念だし。
      • 流石に周辺環境への配慮を考えれば1990年前後に変わってただろ。ただし、洋式化はバリアフリー新法が施行された後から開始になる。
  8. 史実のJR東日本の車両が全国に導入されている。
    • E231・233系が名古屋地区や関西地区にも走っている。
      • 逆に東海道線や常磐線などでは逆に311系か221系のような3扉の代物(ただし車内はボックスシート)が18両編成とかで走っている。
      • 国鉄が存続する限りE231系などは製造されない。むしろ205系・211系の車体構造をベースとした車両が製造され続ける。
    • 北陸・九州にはE653系が投入されている。
    • 新幹線はすべてE2系。
      • 新幹線は東海道山陽の車両(史実の300系や700系)がベースだろ。国鉄が存続する限り東海道の車両がベースになるのは間違いないから。東北上越も300系や700系をベースに耐寒耐雪構造とした車両になる。
    • 全国各地の非電化地方ローカル線はキハE120系・キハE130系の天下になる。
      • 近鉄・阪神・京阪・京成・名鉄も走るんですに汚染されていた。
        • 国鉄が存続する限り走るんですはない。もしあったとしても東急車輛による独自開発で東急だけが採用していた。
          • 気動車については、キハ31・キハ54から発展した車両が投入されるだろう。
        • 90年代の南海のようにステンレス塗装な車両を採用しだす会社はあるかも。関西私鉄の経営は今よりいいだろうから現行車がより増備されていただろう。
      • 小田急3000形も正真正銘の走るんですになる。
      • この車両は特に叩かれなかった。
        • 逆に京急が史実以上の混雑っぷりから未だにアルミ塗装車体を採用していそう。
    • 国鉄が存続する限り走るんですの投入はない。20世紀のうちは205系や211系の増備が続けられ、2000年以降は205系や211系の車体構造のままで下回りをVVVFにしたような車両(207系、215系、何れも史実とは別)が投入される。
      • 走るんですを投入したのは東急1社だけ。
      • その結果、他の鉄道車両メーカーも独自色が出せず国鉄の要求に沿った車両をだらだら製造され続けていただろう。Aトレインやブロック工法はなかった。
      • 1990年代段階じゃ205系の増備が続けられたのは間違いないだろうけど、90年代末からは流石に変わるだろうし、客へのサービス一つ考えない国鉄なら21世紀に入るあたりから走ルンですを投入するのは目に見えてる。JR東日本の車両が国鉄通勤型の正当進化って知らないの?それは分かるよね?
        • 21世紀以降は走ルンですが導入され、それまでの設計の通勤形や近郊形は20世紀で終わっていた。
  9. 201系・203系・205系が首都圏から引退しても、大阪地区に同時投入された車両と併せて、京阪神緩行線阪和線関西本線大阪環状線で主力車両として活躍する。
    • 103系・113系・201系・203系・205系などの中古車両が海外に譲渡されることはなかった。
  10. 山陰本線京都口・福知山線宝塚以北・和田岬線では、DD51・DE10牽引の旧型客車が主力。沿線の景観美共々、雑誌などで取り上げられるが、沿線住民の反応は冷ややか。
    • 宝塚以北からの福知山線利用者の多くは宝塚でわざわざ阪急に乗り換えるので、大阪-宝塚間ではガラガラの状態が続いている。
    • 三田市のニュータウンは開発されず、同市が大阪の通勤圏になることもなかった。大阪からはいまだに三田市は遠い所だと信じられている。
      • バブル期に三田市や神戸市北区のニュータウン開発が行われたとしても阪急宝塚駅から新線が建設されていた。
        • 現実では福知山線が使用している生瀬-道場間のトンネル区間は阪急の路線として建設されていた。西宮名塩は阪急の駅となり、武田尾(新線の方の)は「阪急武田尾」駅となっていた。
      • 北神急行が三田まで延伸されていた。そしてそのせいで神戸電鉄三田線はボロボロ。ただし粟生線は加古川線が電化せず現状よりほんの少しマシになっていた。神姫バスにやられて結局危なそうだが。
        • 加古川線が非電化のままであることに加えて山陽本線の西明石以西も新快速・普通が各30分ヘッドとまばらなダイヤのままなので、粟生以北-神戸市中心部の移動では神戸電鉄を利用する者もそこそこいた。
          • 北神急行開業までは大阪~三田で阪急・阪神~神戸電鉄利用も結構あった。
    • どっちみち福知山線は全線電化されている。
  11. 客車・気動車には電子チャイムかオルゴールが必ず搭載されている。
  12. 総合車両製作所は東急車輛製造のままだった。
  13. 四国の普通列車の車両は121系、キハ54のみ。
    • そもそもこの2つは存在するのか?出来たとしていても1990年代に入ってからかもしれない。
      • というか地方再生の切り札として、九州や北海道、果ては山陽や東北にも交直版・交流版やら耐雪版と称して121系系統・キハ54・キハ32辺りが大量に増備されていた。
  14. 783系は交直流形として製造され、681系を名乗っていた。
    • 後に直流形の281系も製造される。
    • 九州の681系の一部は関門トンネルを抜けて本州まで乗り入れている。
  15. 「リゾートしらかみ」などのリゾートトレインは、開発されない。
    • 存在していても独自開発ではなく、旧型客車・車両の改造車になる。
  16. 国鉄が大赤字のため車両の置き換えが進まず、現実のJR北海道のように「残った車両を使うしかない状況」になって列車の減便が相次いでいたかも。
    • 実際に山手線向けの205系投入の条件が「山手線で使用していた103系を埼京線に回すこと」だったのでこういう事例が全国で続出。
      • 現在も埼京線を103系が爆走している。
        • 流石に2010年代には、山手線への新車投入で追い出された205系によって置き換えられる。
    • 新車を入れる金がないので通勤型車両は80年使い倒す。
  17. 首都圏の混雑が激化したので4扉近郊型電車が導入されるが、京阪神の新快速や塩害で故障が続出しているマリンライナーもこの車両に置き換えられる。
    • 大鉄局は本社に反発して117系や213系を独自に導入した過去があるから、これらの置き換えも大鉄局独自の車両になっていたかと。
  18. 21世紀になっても車内広告は紙媒体。液晶ディスプレイ?デジタルサイネージ?なんですかそれ。
    • 2010年代ごろからようやく採用。
  19. 鉄道友の会ブルーリボン・ローレル賞は1980年代後半以降も私鉄車両の受賞が現実よりも多かった。
    • 1990年のブルーリボン賞は京阪8000系か西鉄8000形が受賞していた可能性が高い。