もし日本国有鉄道が存続していたら/列車・車両

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列車

  1. 琵琶湖線新快速が米原止まり。
    • いや、彦根止まりのままだろ。
      • 米原が大鉄の管轄に入ってからは米原止まり
        • 現在は大垣まで行っている。
          • 逆に一部は彦根止まりのまま。
        • 中京圏の新快速も一部は彦根まで行っている。
          • 一部は大垣止まりのままである。
    • 新快速は2007年時点でもまだ117系で運転。
      • 流石に混雑がやばい事になってきて対策として3扉車が導入されるが、115系……
        • あるいは関西地区に211系が投入されていた。
          • 大鉄局が要求を押し通した結果転換クロスシート仕様となり、4000番台とでも区分される。
          • 213系では?
            • それだと混雑対応になるまい。
              • 2000年前後に名古屋、関西地区向けに3扉転換クロスの219系(211系風のデザイン)が導入される。
                • 219系は史実のE217系のような車両になる。
                  • ボックスシートの一般仕様と転換クロスシートの新快速仕様は番台区分で区別。
                  • それまでは意地でも213系で間に合わす。
      • 大阪・京都~長浜間に高速バスが運行されていた。
        • 名神ハイウェイバスの急行便も途中の中小停留所も未だに健在。史実では廃止された名神彦根には全便が停車していた。
      • 滋賀県の東部は大阪よりも名古屋志向の方が強くなっている。
      • 新大阪通過も健在。
        • 新大阪停車は国鉄時代ですが。
  2. 特急は全部アイボリーに赤。
    • 10両編成位の特急がまだまだ全国各地で走り続けている。
      • 食堂車・ビュッフェも開店休業状態で残っている。
        • 食堂車の人手不足で深刻化していた。
    • 急行もまだまだ全国各地で走り続けている(車両は勿論165系とキハ58系が基本)。
      • 夜行急行も健在。帰省シーズンになると上野東京発の臨時急行(夜行含む)が走る。車両は各地からの寄せ集めで。
    • つばめやソニックをデザインした水戸岡氏は鉄道デザイナーではなくバスや建築のデザイナーとして有名になっていた。
      • むしろ私鉄の車両をデザインしていたかも。大手私鉄にも水戸岡デザインの車両が登場していたかもしれない。
        • 水戸岡氏がデザインした車両は存在していても、奇抜なものにはならなかった。(JR九州にデザインの案を提示するとき、普通のものと奇抜なものを出すらしい。)
          • もし奇抜なデザインを出したら、現場から猛反対されて不採用にされた(史実の787系は実際に現場から反発があったものの会社幹部のゴリ押しで採用された)。
  3. 長距離鈍行が健在。
    • 客車列車もまだまだ健在。
      • 稚内から鹿児島まで客車鈍行で旅行できる。
      • 但し、最低でも4日はかかる。
    • 2000年になってからもローカル用の客車が作られている。
      • さすがに冷房化はされているだろう。
      • 50系客車にAU75型冷房装置が取り付けられていた。
        • 方向幕も設置されていた。
      • 動力分散式?何s(ry
  4. 女性運転士?女性車掌?何者だ?
    • 男女雇用機会均等法が登場したから、採用されていた可能性はある。その場合、「国鉄初の女性車掌」「国鉄初の女性運転士」となって話題になる。
    • むしろ女性車掌、女性運転士が増やされる。
    • 但し東名阪の国電区間に限る。安全上の理由が表向きだが、宿泊所の改築をしたくないので。
    • こちらも、東名阪のどこかの大手私鉄が先かな?
  5. 新幹線は今でも当然食堂車やビュフェを連結・営業。
    • 食堂・ビュフェの営業は今も日本食堂・ビュフェとうきょう・帝国ホテル・都ホテル・じゅらく。
  6. 東京-九州を結ぶ寝台特急もまだまだ多くが健在。食堂車も当然連結・営業。
    • 長距離を走る深夜鈍行列車もまだまだ健在。
    • 逆に「トワイライトエクスプレス」や「カシオペア」の様な高級志向の寝台特急は無し。
      • 却って道内の行き先はもっと豊富だったかもしれない。釧路行きや網走行きなどもある。
        • 四国側でも東京発高松行きのほか松山行きや高知行き、徳島行きがある。
      • 国鉄時代末期には個室寝台車も作られたし、トワイライトくらいのは出来たかもしれない。
        • 『寝台特急』にシャワー室設置…絶対有り得ない。
          • スハネ25 700番台「えっ?」
        • 国鉄がトワイライト並の寝台特急を、定期列車として走らせていたかは微妙なところ(ジョイフルトレインならあるかも)。せいぜい北斗星かあさかぜ1・4号程度のレベルに留まっていたかも。
          • その北斗星も、個室寝台車よりも開放B寝台車が多く連結され、内装も国鉄特有の芋臭い感じだったりと、史実よりもしょぼい編成だった。
          • トワイライトは誕生せず、本来の計画だった、日本海へ食堂車や個室寝台車連結によるグレードアップが実行されていた。
    • 夜行バスに利用客を奪われるのは現実と同じだが、たとえ利用客が一人になっても運行し続ける。
      • むしろ日本における航空規制緩和が'80年代末に行われる。
        • 結果、地方側に設立された格安航空会社に押されて、寝台列車や夜行バスが早期に廃止の憂き目に。
        • 1990年頃には修学旅行に航空機を利用するのが当たり前になっている。
        • でも、実史で起きた1985年8月12日の日航機墜落事故後、国鉄の列車がもてはやされる。(実史では、日航機墜落事故後、航空機の利用が減り、東海道新幹線の利用が増加した。)
          • だが国鉄の高運賃・低サービス・商売気のなさといった親方日の丸ぶりに改めて呆れ、事故のほとぼりが冷めると再び飛行機利用に戻る。
    • 客車の設備がどんなにボロくなっても継続使用。寝台も開放式が当たり前で個室寝台何それ?状態。
      • 個室寝台車は国鉄時代に存在したけど。
    • 近年は外国人観光客のの増加などによりホテル不足が深刻になっているので、こういった夜行列車が見直されているような気がする。
  7. 未だに0系新幹線と100系新幹線が現役バリバリ。むしろそれ以降の車両が登場しているかどうか。
    • 東北、上越では未だに緑の200系が現役バリバリ。オール2階建てなMAXは需要もないとして作られず。
    • 300系は2000年代初頭に開発された。
      • 塗装は勿論白地に窓枠青。
    • 東京-大阪でさえ航空に客を大きく奪われて新幹線のシェアは50%以下になっている。大阪-福岡に至っては30%を切っている。
      • 東京-大阪の新幹線特急料金込みの値段は普通車指定席でも2万円ぐらいになっていて、空路よりも高くなっている。
        • 新幹線が高すぎるので東京~大阪間を安く移動できる交通手段として夜行バスが現実以上に定着し、東名及び名神の両高速道路は深夜時間帯高速バスだらけとなっていた。
          • 夜行だけでなく昼間も東京~大阪間に10分間隔でバスが運行されている。しかも常に満席。
            • ツアーバスが史実よりもシェアを伸ばし、急成長して国鉄並みの資本力を得て経団連入りし、既存高速バスを壊滅に追いやっている。
      • あまりの混雑っぷりから三重県や奈良県の出資した名阪急行電鉄が開通、近鉄特急が乗り入れ、北越急行や成田スカイアクセスばりの高速短絡線となっていた。
    • 羽田-伊丹便は全便B747-400でも輸送力が足りず、2000年代後半にはついに総2F建ジャンボ機に置き換える羽目に。
      • 伊丹は単発機と双発機しか入れないから総2階建(A380)どころかB747すら無理なのでB777-300になるかと。
        • LCCは新幹線の高い運賃のせいで乗れない客を取り込むことに成功し、史実以上に航空業界は戦国時代となる。
        • 伊丹空港の容量が限界に達したことから関空が現実以上にフル稼働し、神戸空港の開港も早まっていた。羽田も現実より早いペースで拡張されている。
        • 東阪間の航空需要も史実の倍以上と大きいために伊丹の4発機乗り入れ禁止措置は採られなかったので、2015年時点では大手三社(史実とは異なりJASも存続)の羽田-伊丹・関空便はほぼ全便A380(国内線仕様で1機当たり800席)での運航になっていた。
    • 新幹線電車のモデルチェンジは20年に一度しか行わない。つまり300系の登場は2005年頃、700系は2025年頃、N700系は2045年頃になる。500系は存在すらしていない。
      • 東北・上越新幹線に至ってはずーっと200系のまま。途中、主制御器だけが変わり回生ブレーキ化されるが、労組対策のため区分番台だけ変えて「これは200系です」と言い張る。
  8. 特急「北近畿」は存在せず、前身の「まつかぜ」が福知山線をちんたら走っている。
    • 「はまかぜ」の方が圧倒的に利用者が多い。
      • 智頭急行が実現したかどうかは不明。
        • その代わり鳥取自動車道などが史実より早く完成し、高速バスの独壇場と化す。
        • 鳥取-京阪神間高速バスにおいて日本交通に加え、日ノ丸自動車なども参入。メガライナーなどの2階建てバスも投入されているはず。
          • 阪急・阪神・近鉄・南海など関西大手私鉄系のバス会社も日ノ丸・日交両社と共同運行する形で続々と参入。挙句の果てには国鉄自身も京阪神~鳥取間に高速バスを開設し、現実の京阪神~徳島間のような高速バス銀座となっている。
  9. のぞみが誕生することはなかった
    • もちろんはやてが誕生することもなかった。
      • 「はやぶさ」なんかもってのほか、というかまだ寝台特急のほうが残っている。
    • 当然、東海道新幹線の最速列車は2011年現在でも二階建て車両連結の「ひかり」である。
      • 国鉄時代から260km/h対応の新車両である「スーパーひかり」用の車両を作る計画はあったらしいので、多分そっちが最速になっている。
        • といっても史実の「のぞみ」重視ダイヤの様にはならず、毎時1本程度に抑えられていた。
        • この為新幹線の最速種別は全て「スーパー○○」になっていた。
        • そのような列車にも食堂車が連結されていた。
    • 東海道新幹線の東京駅毎時0分発のスジは博多行き(もしくは西鹿児島行き)の最速達列車にずっと充てられていた。
  10. 未だに貨物列車に機関助士が乗務していたり、回送電車の二人乗務が当たり前になっている。
    • 回送の二人乗務は今でも当たり前だろ
  11. 九州の特急列車が現実より地味な存在になっていた。
    • 「つばめ」は復活せず、博多~鹿児島中央間を結ぶ特急は今も「有明」。
      • 鹿児島中央じゃなくて西鹿児島。
    • 現実以上に高速バスに客が奪われていた。
  12. 今でも平然と特急列車を担当する機関士や運転士が飲酒運転をしている。
  13. 貨物列車・回送列車や、単行気動車の列車にも必ず車掌が乗務している。
    • ワンマン運転?何それおいしいの?
    • 貨物輸送の合理化も進まず、コンテナ輸送は普及しなかった。様々な種類の貨車が入り交じった編成を操車場で行き先別に組み替える旧態依然な手法が健在。
      • 結果、貨物輸送もトラック・航空輸送が現実より発達している。
      • 操車場廃止は国鉄時代の実施ですが。むしろ荷物輸送が残る。
        • 勿論民間の競合相手にやられっぱなしで、カートレイン(自動車の鉄道輸送)に最後の望みをかける。
  14. 現在でも多くの鉄道車両が喫煙可能となっている。
    • 大都市圏には「禁煙区間」が設定されている。
    • 車内は常にタバコの臭いが充満する体に悪い環境に。
    • むしろ国の方針で禁煙区間が拡大する。新幹線の喫煙ルームは存在せず、駅構内の売店でタバコ販売がなくなる。
  15. 長距離乗務の本務機関士・運転士の疲労対策で未だに機関士・運転士二人乗務や機関助士・運転助士乗務が継続されている。
  16. 頭が堅いので、ラッピング列車は走らせない。
  17. カートレインやMOTOトレインが、赤字無視で史実より長く運行されていた。
    • 貨物のピギーパックもゴリ押しで走らせていた。
  18. 史実ほど特急至上主義にはなっていない。

車両

  1. 国鉄の鉄道車両のモーターは今でも直流直巻が主流。VVVFインバータ? 何それ?
    • チョッパー制御が主流になっていた。
      • それはない。チョッパ制御採用で製造コストがかかることが問題となって、止むを得ず安価な界磁添加励磁制御が開発された経緯があるから。
    • さすがに1990年代にはVVVF制御に移行していただろう。207系900番台が量産されていた。
      • 900番台は試作車両に与えられる番台区分なので、量産に当たっては207系0番台となっていた。当然現実の207系0番台は登場せず。
      • 国労・動労の力が強いままであったら20世紀のうちは直流直巻モーター・中空軸並行カルダン・抵抗制御・発電併用電磁直通ブレーキといった方式のままだっただろう。21世紀に入ってやっとVVVF制御・電気指令式回生ブレーキになる。
  2. 東北本線の普通列車はまだまだ非冷房(=50系客車)。
    • 最近になってようやく417系に置き換えられる。
      • 恐らく、2002年の「日韓ワールドカップ」の時だな。(実史は1993年12月のダイヤ改正で50系客車や12系客車から701系電車に置き換え。)
      • ヘタすりゃ、2020年東京五輪前まで、客車を走らせるかも。
    • 北海道・東北はキハ56・58系DC急行でさえ、普通車自由席は未だに非冷房のまま。
  3. 2010年位まで205系が製造され続ける。
    • 103系みたいに途中で何回か前面部のデザインが変更される。
    • 本格的に導入されるのは東京圏のみ。
      • そして205系の導入で余剰になった103系が関西圏や名古屋圏に流れてくる。
        • しかも一部非冷房車というシロモノ。
        • 東京で使い古した車両は関西や名古屋に回されるので、中古車両がインドネシアなど海外に譲渡されることはなかった。
      • 史実でも1986年に京阪神緩行線へ投入されたから、むしろ大鉄局管内への新製配置はもっと多かっただろう。
    • 山手線の205系は2020年位まで使用。中央線の201系も2010年位までは使い続ける。
      • 2010年現在、今日も201系は(現実の)中央線を走っていた。
        • というか実際、ちょうど2010年に引退した。
    • もしかしたら最終的には今の209系0番台になってたかもしれない。
    • 6ドア車は登場していない。
    • 地下鉄東西線直通車両に、未だに301系が走っている?
  4. 広島周辺だけはなぜか現実と変わらない...
    • いえ。70系や80系が健在です。
    • 70系・80系は現実でも国鉄時代(1984年)に引退したような…
      • あれは、国鉄分割民営化が決まって、新会社に余計な負債を背負わせないということで国が予算を認めてくれたから早急に取り替えられた。もしJR化がなければ今でも平気で使っていただろう。
      • 最近になってようやく大阪地区から113系がやってくる。
    • むしろ旧型国電は103系3000番台になる。
  5. 2010年代になっても地方では、DD51が客車を牽引しているのが日常の光景。
    • DD51の後継機も労組との関係で、形式だけDD51になる。
    • 通票閉塞が健在なので、オールシーズン機関助士が乗務している。
  6. 反マル生闘争が成立するから、D51がいまだに主力。
    • 蒸気機関車の廃止自体は1960年に決まっており、1975年にはどっちにしろ廃止される。
  7. 在来線の列車の便所は未だに垂れ流し式が主流。新幹線も最近まで循環式しかなく、2005年登場の300系でやっと真空吸引式になる。因みに日本で初めて真空吸引式便所を導入したのは近鉄だった。
    • 加えて列車の便所といえば汽車式の和式便所。洋式便所、なにそれおいしいの。
      • 史実ではJR後にJR東が新造した新幹線のトイレはすべて洋式トイレで東北上越の現役の車両はオール洋式だが国鉄が存続していたら東北上越の新幹線も和式トイレが大半だろう。
        • 後女性専用トイレは登場しないと思われる。これは全洋式化してから出てきた概念だし。
      • 流石に周辺環境への配慮を考えれば1990年前後に変わってただろ。ただし、洋式化はバリアフリー新法が施行された後から開始になる。
  8. 史実のJR東日本の車両が全国に導入されている。
    • E231・233系が名古屋地区や関西地区にも走っている。
      • 逆に東海道線や常磐線などでは逆に311系か221系のような3扉の代物(ただし車内はボックスシート)が18両編成とかで走っている。
      • 国鉄が存続する限りE231系などは製造されない。むしろ205系・211系の車体構造をベースとした車両が製造され続ける。
    • 北陸・九州にはE653系が投入されている。
    • 新幹線はすべてE2系。
      • 新幹線は東海道山陽の車両(史実の300系や700系)がベースだろ。国鉄が存続する限り東海道の車両がベースになるのは間違いないから。東北上越も300系や700系をベースに耐寒耐雪構造とした車両になる。
    • 全国各地の非電化地方ローカル線はキハE120系・キハE130系の天下になる。
      • 近鉄・阪神・京阪・京成・名鉄も走るんですに汚染されていた。
        • 国鉄が存続する限り走るんですはない。もしあったとしても東急車輛による独自開発で東急だけが採用していた。
          • 気動車については、キハ31・キハ54から発展した車両が投入されるだろう。
        • 90年代の南海のようにステンレス塗装な車両を採用しだす会社はあるかも。関西私鉄の経営は今よりいいだろうから現行車がより増備されていただろう。
      • 小田急3000形も正真正銘の走るんですになる。
      • この車両は特に叩かれなかった。
        • 逆に京急が史実以上の混雑っぷりから未だにアルミ塗装車体を採用していそう。
    • 国鉄が存続する限り走るんですの投入はない。20世紀のうちは205系や211系の増備が続けられ、2000年以降は205系や211系の車体構造のままで下回りをVVVFにしたような車両(207系、215系、何れも史実とは別)が投入される。
      • 走るんですを投入したのは東急1社だけ。
      • その結果、他の鉄道車両メーカーも独自色が出せず国鉄の要求に沿った車両をだらだら製造され続けていただろう。Aトレインやブロック工法はなかった。
      • 1990年代段階じゃ205系の増備が続けられたのは間違いないだろうけど、90年代末からは流石に変わるだろうし、客へのサービス一つ考えない国鉄なら21世紀に入るあたりから走ルンですを投入するのは目に見えてる。JR東日本の車両が国鉄通勤型の正当進化って知らないの?それは分かるよね?
        • 21世紀以降は走ルンですが導入され、それまでの設計の通勤形や近郊形は20世紀で終わっていた。
  9. 201系・203系・205系が首都圏から引退しても、大阪地区に同時投入された車両と併せて、京阪神緩行線阪和線関西本線大阪環状線で主力車両として活躍する。
    • 103系・113系・201系・203系・205系などの中古車両が海外に譲渡されることはなかった。
  10. 山陰本線京都口・福知山線宝塚以北・和田岬線では、DD51・DE10牽引の旧型客車が主力。沿線の景観美共々、雑誌などで取り上げられるが、沿線住民の反応は冷ややか。
    • 宝塚以北からの福知山線利用者の多くは宝塚でわざわざ阪急に乗り換えるので、大阪-宝塚間ではガラガラの状態が続いている。
    • 三田市のニュータウンは開発されず、同市が大阪の通勤圏になることもなかった。大阪からはいまだに三田市は遠い所だと信じられている。
      • バブル期に三田市や神戸市北区のニュータウン開発が行われたとしても阪急宝塚駅から新線が建設されていた。
        • 現実では福知山線が使用している生瀬-道場間のトンネル区間は阪急の路線として建設されていた。西宮名塩は阪急の駅となり、武田尾(新線の方の)は「阪急武田尾」駅となっていた。
      • 北神急行が三田まで延伸されていた。そしてそのせいで神戸電鉄三田線はボロボロ。ただし粟生線は加古川線が電化せず現状よりほんの少しマシになっていた。神姫バスにやられて結局危なそうだが。
        • 加古川線が非電化のままであることに加えて山陽本線の西明石以西も新快速・普通が各30分ヘッドとまばらなダイヤのままなので、粟生以北-神戸市中心部の移動では神戸電鉄を利用する者もそこそこいた。
          • 北神急行開業までは大阪~三田で阪急・阪神~神戸電鉄利用も結構あった。
    • どっちみち福知山線は全線電化されている。
  11. 客車・気動車には電子チャイムかオルゴールが必ず搭載されている。
  12. 総合車両製作所は東急車輛製造のままだった。
  13. 四国の普通列車の車両は121系、キハ54のみ。
    • そもそもこの2つは存在するのか?出来たとしていても1990年代に入ってからかもしれない。
      • というか地方再生の切り札として、九州や北海道、果ては山陽や東北にも交直版・交流版やら耐雪版と称して121系系統・キハ54・キハ32辺りが大量に増備されていた。
  14. 783系は交直流形として製造され、681系を名乗っていた。
    • 後に直流形の281系も製造される。
    • 九州の681系の一部は関門トンネルを抜けて本州まで乗り入れている。
  15. 「リゾートしらかみ」などのリゾートトレインは、開発されない。
    • 存在していても独自開発ではなく、旧型客車・車両の改造車になる。
  16. 国鉄が大赤字のため車両の置き換えが進まず、現実のJR北海道のように「残った車両を使うしかない状況」になって列車の減便が相次いでいたかも。
    • 実際に山手線向けの205系投入の条件が「山手線で使用していた103系を埼京線に回すこと」だったのでこういう事例が全国で続出。
      • 現在も埼京線を103系が爆走している。
        • 流石に2010年代には、山手線への新車投入で追い出された205系によって置き換えられる。
    • 新車を入れる金がないので通勤型車両は80年使い倒す。
  17. 首都圏の混雑が激化したので4扉近郊型電車が導入されるが、京阪神の新快速や塩害で故障が続出しているマリンライナーもこの車両に置き換えられる。
    • 大鉄局は本社に反発して117系や213系を独自に導入した過去があるから、これらの置き換えも大鉄局独自の車両になっていたかと。
  18. 21世紀になっても車内広告は紙媒体。液晶ディスプレイ?デジタルサイネージ?なんですかそれ。
    • 2010年代ごろからようやく採用。
  19. 鉄道友の会ブルーリボン・ローレル賞は1980年代後半以降も私鉄車両の受賞が現実よりも多かった。
    • 1990年のブルーリボン賞は京阪8000系か西鉄8000形が受賞していた可能性が高い。