ページ「もしあの鉄道路線が開業していたら/近畿」と「香川/小豆島」の間の差分

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*モノレールは[[もしあの鉄道路線が開業していたら/モノレール]]へ記載するようお願いいたします。
{{地域|name=小豆島|reg=四国|pref=香川|ruby=しょうどしま|eng=Shodoshima}}
*地下鉄は[[もしあの鉄道路線が開業していたら/地下鉄]]へ記載するようお願いいたします。
==小豆島(小豆郡)の噂==
[[画像:DofuchiKaikyo00.jpg|thumb|240px|ドフチの海峡幅は世界一ィィィ!!]]
[[画像:Kankake00.jpg|thumb|240px|寒霞渓(かんかけい)の険しい山。むかしは神懸。]]


==滋賀・京都==
#24の瞳。
===京阪六地蔵線===
#*「二十四の瞳」と書いて欲しい。「にじゅうよん」ではなく「にじゅうし」と読んで欲しい。
大阪から大津への短絡ルートとして六地蔵 - 醍醐 - 大津市馬場に建設を予定していた。
#*壷井栄は有名だが、尾崎放哉(俳人)、黒島伝治(プロレタリア作家)ゆかりの地でもある。
#大津直通特急びわこ号もこのルートを通って運転されていた。
#*24の瞳の舞台になり廃校になった小さな小学校やその近くで給食セットという小学校での給食を再現したようなメニュー(牛乳、砂糖をまぶしてあるパン、スープ、冷凍蜜柑、食器は給食で使われるようなブリキの奴)が食べられる♪
#1997年以降も京阪電鉄だけで滋賀に行くことができた。
#*そして、小学校跡の近くから、渡し舟が出ていて500円で渡し舟に乗船できる。
#*それでもおけいはんの苗字が「醍醐」や「馬場」になることはまだない。
#*二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)、24の瞳(トゥエンティフォーのひとみ)、十二の瞳(じゅうにしのひとみ)
#京都市営地下鉄東西線の開通に影響が出ていた。
#*24の瞳(にーよんのひとみ)
#*そもそも京津線が東西線に乗り入れる事は無かったかもしれない。その代わり大谷近辺まで地下鉄が延びて乗り換える形となる。
#県の花であるオリーブの産地。香川県最大の島。
#優等列車以外は中書島折り返しが基本となっている。
#*この記事見るまで岡山県だとおもってました
#醍醐寺の近くを通ることになっていたので五大力さんや花見の客の輸送に大活躍していた。
#**昔は備前国だったので無理もないです。いまも中国電力だし。
#奈良線の六地蔵駅は国鉄時代に開業していた。
#**明治初期は2つの県に分かれていた。
#ルート次第では名神高速の大津ICの位置にも影響が出ていた。
#*日本のオリーブ産地と言えばここの独壇場だったが、[[熊本/天草|最近ライバルが現れた]]。
#京阪六地蔵駅は分岐のためやや西側に移転していた。
#島民は[[兵庫/淡路島|淡路島]]よりも小豆島の方が知名度的には上だと思っている。
#京阪線の車両が大津まで顔を出していた。
#香川県の[[シチリア]]島と言われている。
#大津市内における京阪の存在感は現実よりも強くなっていた。
#*しかしシチリア島とではなく、[[ギリシャ]]のミロス島と「姉妹島」の契りを結んだ。
#*そのため、港にはギリシャ語で歓迎の言葉が書いてある。誰も読めない。
#**旧内海町の草壁港。
#*マフィアがうどんよりもいっぱいいるらしい。
#*内海の島ということで[[コルシカ]]島っぽくもある
#**生態系が豊かなのでイビサ島(スペイン)も似ている。
#旧3町(土庄、内海、池田)は猛烈に仲が悪い。
#*1島1市を目指すも、土庄の反対で残りの2町のみ合併した。
#コンビニの配送車は朝一番のフェリーに乗り込むことに命をかけている。
#*3回乗り遅れると首になるらしい…
#*その代わり、特別手当も出るらしい
#「おまめじま?聞いたことないなぁ。」と他県民には思われている。
#*よく「あずきじま」とも言い間違えられる。
#*昔は「あずきじま」だった。漢字を音読みして[[中華人民共和国|中国]]ぶるのが賢いと思っていた昔(いまもそうか?)の学者が「しょうどしま」と言ったことから「しょうどしま」が定着。(「ふたら・二荒」だった地名が二荒を音読みして「にこう→[[日光市|日光]]」になったり、「むこ・六甲or武庫」が「ろっこう」になったりと、この手の地名変遷は多い。)
#**代馬(しろうま)→白馬(はくば)も同様。
#**小豆島第一の景勝地・寒霞渓(かんかけい)も、神懸(かんかけ)という山の名前に、どこかの儒者が無理矢理漢字を当てたと思われる。
#**ちなみに現在四国フェリーの予備船として使われているフェリーに「あずき丸」がある。かつては他にも「にゅうあずき」という船もあった。
#*「あづきじま」だった説の元としては、古事記に出てくる大宜都比売神(おおげつひめのかみ)の伝説によるもので、吉備(雑穀のキビ)、飯野山に代表される米、徳島県の阿波(雑穀のアワ)と穀物の名前で揃っている。
#*一方、異説として、海上から見たときに、山が低い淡路島が薄く見えるので「あわきしま」がなまり、山が高く厚く見える小豆島が「あづきしま」となったとの説もある。
#*小豆島町(しょうどしまちょう)だが、小豆郡(しょうずぐん)なのは秘密だ。
#**昔は「しょうずしま」と読んでいたので、「しょうずぐん」が正しい。
#*硬筆などの練習用紙にも地域は「小豆」と表記する。決して「あずき」ではない。「しょうず」だ。
#*「しょうどしま」というのがよく難読地名として紹介されるが、むしろ「あずき」と読むほうが難しい。
#**難読であっても、「小豆」(あずき)は「大豆」同様に身の回りで見かける[[豆]]で漢字表記もポピュラーなものですから……「煙草」や「珈琲」も難読とは余り言われないでしょう。
#醤油工場が多い。住民は[[千葉]]県産の醤油を買うと死刑。
#*キッコー●ンもダメ?
#**千葉県の[[船橋市]]では安田のり(佃煮)を給食で扱っている
#*県外にでて丸金を置いてるスーパーが少ないことにがっかりする。でもどこにいっても角屋のごま油は、置いてあるので少し安心する。
#*マルキンは兵庫県の忠勇と合併してマルキン忠勇になった。けど本社は小豆島。
#**本社隣の「マルキン記念館」では、来場記念に醤油がもらえる。ちなみに記念館横の売店の醤油ソフトクリームはかなり美味しい。
#*「加登屋」が正しい。今は「かどや製油」。本社はなぜか東京だったりする。
#**かどや製油はごま油では全国シェア50%を誇っていたりもする。
#*丸金とか以外の醤油を使ったことがない。そして俺は丸金と丸島の違いがわからない。
#**丸島はだしの素の方が有名かも。他にもタケサンがあるが、どちらかというと醤油よりも佃煮の方がメイン。
#電気はなぜか中国電力
#*四国側よりも本州側の方が海底が浅いかららしい。隣の豊島も同様に中国電力。
#高校野球の県予選で『小豆島高校旋風』を巻き起こしている。
#地図で見ると牛のような形だ。
#*犬じゃない?
#実は二つの島でできていて、間に世界一狭いとされる海峡がある。
#*[http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.29.11.591&el=134.11.4.421&la=1&sc=4&skey=%BE%AE%C6%A6%C5%E7&CE.x=194&CE.y=264 ここ]
#**土渕海峡?ギネス認定です。あと、どぶちかいきょうって変換すると「ドブ近い今日」になった
#***「土庄」と「渕崎」の間にあるので「土渕」。しかし国土地理院の地図に載ったのは最近のことと聞く。
#*普通は両方まとめて「小豆島」だが、地元の人間は小さい島を「まえじま」と呼ぶ、でも大きい島だけをさす言葉はない。
#*近くの役場でその海峡の横断証明書(100円)を発行している。
#*どう見ても海峡じゃなくて川。
#[[岡山・香川のメディア|岡山と香川の民放テレビ局]]の相互乗り入れが認められる前の一時期、瀬戸内海放送が小豆島の美しの原から岡山向けに25チャンネル・出力1kW(のちに5kW)の高出力で送信していた。
#*昔から岡山と香川は同一放送エリアだった。民放がRSK[[山陽放送]](岡山)・RNC西日本放送(香川)しかなかった頃。
#*その他、[[兵庫のメディア#NHK神戸放送局|NHK総合神戸]]・[[サンテレビ]]・[[大阪のメディア|大阪のメディア(NHK総合・テレビ大阪を除く)]]を視聴される世帯も多い。
#あまり知られていないが、小豆島・豊島・直島諸島は、旧備前国だった。郡は児島郡に所属していた。明治初期の廃藩置県後の府県の統廃合の中でいろいろ経て岡山県となり、そして香川県に移管された。そのとき、小豆島は児島郡から独立し小豆郡となったが、豊島・直島諸島は香川郡に編入となった。
#*そんな元備前国の小豆島なのに、「讃岐の味 小豆島のそうめん」などと宣伝されるとなんだか微妙な思いがする。ホントは備前の味。
#夜9時以降は孤島となり、本土との連絡が途絶える。
#*[[姫路市|姫路]]・福田と高松・土庄の夜間便は9時台にある。
#*もっと遅くなったときは海上タクシーがある。
#*祝・[[ジャンボフェリー]]寄港決定!(2011年7月6日より)ようやく神戸と再び繋がる。
#*ジャンボフェリーで坂手-高松間を利用できるようになった後は、シーズンによって(2015年は3/21~年末)土日祝日お盆のみ、坂手22:55発高松24:10着の便がある。
#なぜかとてもオリーブを活用したがる。オリーブチョコとかカレーとかお茶とかサイダーとか。周りにはほとんど食べる人はいない。私的にオリーブチョコはうまいと思う。
#*学校の給食にオリーブの塩漬けが出て定番となっている。
#**小豆島でオリーブ牛カレーを食べたけど、クスクスという地中海料理で食べられるのまであってめっちゃうまかった♪♪♪
#1980年頃までは国道のない島だった。現在も国道436号([[姫路市]]~[[高松市]])が小豆島唯一の国道。
#醤油サイダー
#昼ドラ「ラブレター」の舞台。出てくる方言はちょっと胡散臭いけど…。
#たまに醤油アイスなるもの(または醤油ソフト)が売ってあるが、甘露煮っぽい味がする。嫌いな人は食べないほうがいい。
#*もろみアイス、佃煮アイスなるものもある。
#こんな島だが[[しまむら]]がある……が、「小豆島店」があるのは和歌山県。ここにあるのは土庄店。
#香川県と言えばうどんのイメージがあるが、小豆島はそうめん。
#一部、何故か[[兵庫]]県にあると誤解されている。
#性スキャンダルの疑いを掛けられた某俳優さんがこの島にある寺社で謹慎生活を過ごした。
#「小豆島」が危うく中国国内で商標登録されかけた。
#*但し中国の法律に「著名な外国地名はNG」という規定があったことで回避された。
#*香川県庁は中国語版観光案内パンフレットの発行部数で著名性を主張し、それが中国の裁判所でも認められた形である。
#橋で繋がっていない島なのに、唯一何の振興法も受けていなかった。


===京鶴鉄道===
==地域別==
*京都-舞鶴
===土庄町の噂===
#ルート次第だが分割民営化後しばらくまでは舞鶴まで国鉄・JRの優位に立っていたとみられる。
#土庄町中心地にある土庄小と淵崎小は土淵海峡を挟んで仲が悪い
#*対抗して舞鶴線の電化が国鉄時代にすでに行われていたかもしれない。
#*僻地の小学校は廃校になり100mしか距離のないこの二校が残った。
#**京北・美山ルートであれば嵯峨野線とも共存できていた可能性がある。
#**北浦小学校、四海小学校は廃校になっていない。さらに言うと豊島小学校も土庄町に入るので、土庄町には五つの小学校があることになる。
#***この場合、美山から小浜に伸ばす計画も策定されるも挫折。
#***2015年4月、渕崎・四海・北浦の3小学校が土庄小学校に統合された。
#戦後天橋立方面への延長計画が持ち上がるも挫折。
#*仲が悪いというよりは、単に小学校同士の交流が少ないだけという印象。いずれにしても、卒業後はほぼ全員が土庄中学校に入学することになるので、出身小学校に関係なく友人関係を築くことになる。
#史実の嵐電と叡電は京都電燈の解散時にこの会社の路線になっていた。
#「とのしょう」である。
#他の大手に合併されずに存続していたら準大手私鉄あたりに分類されている。
#前の町長はコンバットマーチを作曲したらしい
#京都財界でもそれなりに力を持っていた。
#*前町長の三木佑二郎。早稲田大学在学中に作曲。それと「エンジェルロード」を名付けたのもこの人。
#**エンジェルロードがいつの間にか観光地化が進んでる。こないだまで貝掘りするとこだったのに
#***今でも貝掘りしている地元民は少なくない。
#[[マルナカ]]は島内最大の集客スポット
#*小豆島にこんな大きなショッピングモ-ルがあったのに驚いた。値段も離島とは思えないほど変わらない。そしてオリ-ブ温泉が併設されている。
#**マルナカのなかにはAUの携帯屋があり、小豆島を放浪中に携帯の電源が切れた場合は無料で充電をしてくれる。<!--そして、充電が終わるのを待っている間に、近くにオリーブ温泉に入浴しながら売国奴生活を味わいまくる。-->
#*よく誤解(?)されるけど小豆島は離島じゃありません。
#**それでも、しばしば通販で送料に離島料金を請求される。
#**自賠責保険料は離島料金だけど。
#*しばらく前に「オリーブタウン」が出来てからは、そっちにもある程度人が集まるようになった。
#土庄は都会だと内海(小豆島町)は思っている。
#そしてなぜか土圧に行くのをめんどくさがる。
#小豆島で食べた鯛の刺身は、しめて直ぐ刺身にするから、ゴリゴリして美味しくない。うどんは総て美味しく頂きました。
#*というより瀬戸内では、魚はしめて直ぐ刺身にするのが基本。都市部で売るような歯ごたえのない刺身は美味しくないと感じる。
#つい[[因島]]の土生と混同してしまう。正しい読み方を知るまで土生を「とのしょう」と読んでいた。
#*「とのしょう」も「はぶ」も難読だから、、、まて、そもそも漢字が違うじゃないか。
#*「庄」と「生」、ぱっと見は似てるような気もするし。
#*[[岸和田市]]にも土生(はぶ)がある。
#*[[坂道シリーズファン#櫻坂46ファンの噂|櫻坂46ファン]]なら土生を読める。
#とのしょう駅はここではなく[[城陽市]]にありしかも富野荘。


===高雄電気鉄道===
====豊島の噂====
円町~梅ヶ畑中島の本線と嵐山への支線からなる。詳しくは[http://blog.livedoor.jp/hathuyukigasane/tag/%E9%AB%98%E9%9B%84%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE こちら]を参照。
#「とよしま」でも「としま」でもなく「てしま」。
#市電との乗り入れは確実に行われていた。
#産廃の問題がかつてあった。土光弁護士があたってたんじゃなかった?
#*嵐山側も愛宕山鉄道と乗り入れが検討されていた。
#*中坊弁護士のことでしょ。
#国鉄バスとの競合に悩まされていた。
#産廃事件で香川県民一同、県庁のアホさ加減に呆れ返った。
#*国有化されいれば構想であった周山延伸や小殿線接続が実現していた。
#**その場合SNOW作中に主人公が龍神村に向かうシーンで小殿線共々登場していたかも知れない。
#国有化されなければ京福電鉄に吸収合併されていた。
#*その場合嵐山側が本線になっていたと思われる。
#*史実で京福が愛宕山鉄道の再建が出来なかった事から周山延伸は厳しいと思われる。
#社名がそのままだと[[台湾]]の鉄道と勘違いされる。
#山陰線円町駅の建設時期が早まっていた可能性あり。
#この路線に対抗すべく高雄方面への市バス(8系統)も均一区間に含まれていた。
#*あるいは大原方面への路線のように撤退に追い込まれていた。


===新京阪鉄道山科線===
===小豆島町の噂===
*西向日-山科(京阪バス山科営業所付近)
#オリーブ栽培発祥の地は小豆島町域にある。
#西向日駅は2面4線になっていた。
#寒霞渓は小豆島町だがなぜか山頂の売店があるところは小豆島町ではなく土庄町。
#戦後は阪急の路線となり、山科区における阪急の影響力が強まっていた。
#実は、姫路と隣同士。あくまで海上であるのと平成大合併の結果だが。
#*阪急オアシス山科店は20世紀中に開店していた。
#現実の名神高速のルートで大津市内まで延長していた。
#*京阪大津線あたりが打撃を受けていたかもしれない。
#**京阪のままだったら、大津線を高規格化したうえで乗り入れさせていたかもしれない。戦時買収で阪急に持ってかれちゃったら三社対決になるが。
#*城南宮近辺で名神高速道路の位置が移動しているかもしれない、京都南インターのラブホ街は場所が大きくずれるか歓楽街と風俗街になっている。
#*竹田駅はもっと巨大化しており、奈良電からのデルタ線ができた可能性もある。
#伏見区を東西に移動するのが便利になっていた。
#*区の西部が鉄道空白地帯になることはなかった。
#山科駅はJRの同名駅との区別のため駅名は「新山科」あたりになっていた。


===近江鉄道近鉄線接続計画===
====池田====
戦前に近畿日本鉄道が近江鉄道に接続する計画があった。もし実現していたら…
#池田で地元の利用客が多いスーパー「フタバ」。閉店すると豪語し、長い間閉店セールを行った末に閉店したが、数日後あっさりと開店した。


#近畿日本鉄道という社名は名だけではないと思う。
====内海====
#近江鉄道も関西急行鉄道が吸収した可能性がある。米原~伊賀神戸間直通列車が走った。
#内海は「うつみ」じゃなくて「うちのみ」だ。
#*むしろ近江鉄道に買収されて、大堤商店の一員になるんじゃない?
#島内最高峰の星ヶ城山がある。
#**近江鉄道の計画は参宮急行電鉄に乗り入れて宇治山田まで直通させるつもりだったらしい。大軌のやり口から言って直通運転まで行っている会社を他に渡すとは思えん(ちなみに大堤商店が近江鉄道に目をつけたのは戦時中で延長計画より後年の話)。
#内海地区には、マルナカとマルヨシが1店舗ずつあるが、いずれも土庄の店舗の半分程度の大きさである。
#バスも黄色で日野主体になっていた。
#*というか、今の様なバス優先の企業になってなかった。
#近江鉄道も近畿日本鉄道の一部となり、「近鉄」と呼ばれていた。
#*西武グループは滋賀に来ず、湖南・湖西は京阪の、湖東・湖北は近鉄(近畿日本鉄道)の縄張りとなっていた。
#**でも堤家は滋賀出身だから何らかの形で関わるのでは?
#ルートは米原ー貴生川ー伊賀上野ー名張か。
#*伊賀と甲賀を結ぶ路線のため忍者絡みの観光列車が走っていた。


===近江鉄道八日市線永源寺延長計画===
==出身有名人==
御園~永源寺間
*石倉三郎(漫才師・俳優)
#新八日市~御園間は廃止されず、八日市~永源寺間を近江鉄道永源寺線として、整理された。
*正司敏江(漫才師)
#*愛称は「永源寺もみじ線」でラインカラーは橙。
*中田ボタン(漫才師)
#*あるいは近江八幡から共通の愛称になっていた。
*山本いつみ(タレント)
#*もしくは、新八日市駅が本線と交差しているところに移転し、近江八幡~永源寺間が近江鉄道永源寺線になっていた。
*伊藤君子(ジャズシンガー)
#紅葉の名所で有名な永源寺に訪れる観光客が増えていた。
*武部はる奈(ピアニスト)
#ルートと設置駅はどうなっていたのであろうか。(御園~永源寺間)
*高橋薫子(のぶこ)(オペラ歌手)
#もっとうまくいけば亀山まで延伸していた。
*ヨシケン(売れないロック歌手・ストリートミュージシャン)
*勝詩(ローカルミュージシャン)…有名人とはいえないか。


===京福電気鉄道北大路線===
[[Category:香川]]
鞍馬電鉄時代宝ヶ池~北大路~二軒茶屋の免許が取得されていた。
[[Category:日本の島]]
*二軒茶屋-北大路、宝ヶ池-北大路
[[Category:所属に議論のある地域]]
#1978年までに京都市電と乗り入れ、京都駅前までに運行されていた。
#*京都市営地下鉄烏丸線の開業により、京都駅(JR、新幹線、近鉄)、烏丸駅(阪急)から鞍馬、貴船、八瀬に向かう客にとって、便利になっていた。
#*京福叡山線の利用客数回復も現実よりも早く、叡山電鉄への分社もなかったかもしれない。
#京阪鴨東線の開業は史実通り。
#後者が開業していた場合、京都市営地下鉄烏丸線(北大路~国際会館)の開業は混雑緩和の目的で開業していた。その代わりに、北大路~岩倉間で競合していた。
#*後者の場合、烏丸線の北大路以北は新規建設ではなく京福北大路線を改良して乗り入れる形になっていたかもしれない。
#キタオオジタウンは、叡山電鉄北大路駅の駅ビルとなり、京阪グループの手によって、開発された。
#*あの場所はもともと市電の烏丸車庫跡地で交通局の持ち物だったためそこはよく分からない。
#*もしくは、その北大路駅近辺に建設された。
#京都市内の渋滞も、若干緩和されていた。
#京都産業大学に通学する学生も史実より増えていた。
#*それでも獣医学部はできなかった。
#二軒茶屋ルートの場合、上賀茂神社への参拝も便利になっていただろう。
#後者の場合、森のゆうえんち(スポーツバレー京都)に訪れる入場者が増えていた。また、閉鎖が史実よりも遅れていたかもしれない。(史実では、2001年に閉鎖)
#900系「きらら」や700系「ひえい」も北大路駅に乗り入れていた。
#*前者のみの開業の場合、900系「きらら」だけが乗り入れていた。
#後者の場合、出町柳~宝ヶ池~八瀬比叡口間が叡山本線となり、北大路~宝ヶ池~鞍馬間が鞍馬線になっていた。
#*駅ナンバリングも、北大路駅はE09、八幡前駅はE12、鞍馬駅はE20となっていた。
#後者の場合、宝ヶ池駅は乗換駅として賑わい、また、淡路駅や大和西大寺駅と同様に叡山本線と鞍馬線が平面交差している駅になっていた。
#どちらの場合でも、複線で開業していた。
#*朝夕ラッシュ時と土曜・休日の時と行楽シーズン時には、2両編成で運行されていた。
#後者の場合、宝ヶ池駅付近に叡山電鉄の本社があったかもしれない。
#京都市営地下鉄は北大路までしか開業しなかった。
#*いや北山までは開業していた。
#*前者のみの開業の場合、ルートが大きく異なるので、史実通りに国際会館までに開業していた。
#宝ヶ池駅はさらに混み合っていた。
#戦時中の単線化がそのままの状態になっていた。
#北大路で地下鉄烏丸線と接続できていたため、京阪鴨東線の開通を待たずとも利用客数が増加に転じていた。
#*[[京都駅]]との連絡は現実よりも便利になっている。
#前者のみの開業の場合、京阪鴨東線との乗り入れは、二軒茶屋と八瀬比叡口までに相互直通運転が行われていた可能性が高い。
#前者が開業した場合、北大路~二軒茶屋~鞍馬間の列車と出町柳~二軒茶屋~鞍馬間の列車が各2本ずつ運行されていた。
#*出町柳~二軒茶屋間の列車と北大路~二軒茶屋間の列車も各2本ずつ運行されて、二軒茶屋で鞍馬行きの列車に接続していた。
#*二軒茶屋駅で北大路行きの列車と出町柳行きの列車との連結・切り離し作業が行われていたかもしれない。
#北大路駅は「キタオオジタウン前」という副駅名がついていた。
#*前者が開業した場合、二軒茶屋駅に「京都産業大学前」という副駅名がつくことはなかった。
#市原駅と二軒茶屋駅周辺において、住宅化がさらに進んでいた。
#*二軒茶屋~市原間が複線化されていたかもしれない。
#地下鉄烏丸線の利用客が鞍馬口駅で降りる人が史実よりも少なくなっていた。
#*鞍馬へ向かう利用客がよく間違えて降りる人が多いらしい。
#*その代わりに京都駅と四条駅と烏丸御池駅に注意書きが張られていた。
#立命館小学校に通う小学生も利用していた。
 
===叡山電鉄(出町柳-三条)===
#1930年代後半には開業にこぎ着けていた。
#*なお史実では免許は取っていたが室戸台風や水害の影響で着工できず。
#*1950年代に開業していた可能性もあった。
#途中駅は「出町柳-丸太町橋-川端二条-三条」といった感じか。
#*もしくは、出町柳~東一条~丸太町~三条になっていた。
#京阪本線や京津線との直通が実現していたかもしれない。
#*場合によっては京都電燈解散後の叡山線が京阪の手に入っていた可能性もある。
#*叡電沿線から京都市中心部にダイレクトに行けるようになっていたので、現実よりも叡電の利用客数は多く、京阪の4両編成が直通できていた可能性もある。
#*京阪の車両は二軒茶屋、八瀬遊園までに乗り入れ、叡山電鉄の車両は中書島までに乗り入れていた。
#**淀屋橋~八瀬遊園間の京阪特急が運行されていた。その際は3000系電車は全て7両化されて、三条駅で増結・解放が行われ、三条~八瀬遊園間は4両編成で運行されていた。
#*それでも叡山電鉄のホーム延伸が厳しいことなどの理由で、京阪本線の電圧が1500Vへ昇圧されたのを機に直通運転が取りやめていた。
#**むしろ叡電も京阪線と同時に1500Vに昇圧していた。
#三条京阪は現実以上に大規模なターミナルになっていた。
#*[[京阪百貨店]]が開店していたかも。
#*行楽シーズンの時はとても混雑していた。
#出町商店街はやや寂れている。
#今出川通・丸太町通に大規模な踏切ができ後に渋滞を引き起こしていた。
#*結果として京阪本線の鴨川河畔区間とともに地下化される。
#**その場合、叡山電鉄叡山本線の三条~出町柳間が廃止され、1988年までに京阪本線が三条から出町柳に延伸される形で開業していた。
#**地下化された場合、その跡地は川端通の建設工事に利用されていた。
#**地下化と同時に8000系電車と7000系電車が登場していた。
#叡電沿線の開発は現実より進んでいる。
#*二軒茶屋~市原間が複線化されていた。
#*貴船、鞍馬、比叡山、八瀬の知名度が史実よりも高くなり、これらへ訪れる観光客が1989年以前から賑わっていた。
#出町柳は叡電の中間駅となるため、知名度は現実よりもかなり低くなっていた。
#*京阪本線の京都地下線の開業とともに、出町柳まで延伸されてから知名度が高くなっていた。
#1960年代から乗客が大きく減少することはなかった。
#*それでもモータリゼーションによる影響を受けていた。
#最初から叡山電鉄は京阪の子会社として設立されていた。
#京都大学や同志社大学に通う学生で賑わっていた。
#*1960年代後半に起きていた大学闘争による混乱に巻き込まれていたかもしれない。
#森のゆうえんちの閉鎖が史実よりも遅れていた。
#京都市電今出川線と丸太町線と交差していたので、ダイヤ上のネックになっていた。
#京阪本線の乗客もそれなりに増加していた。
#*3000系電車は全て7両編成化されていた。
#*京阪電鉄は「八瀬・貴船・鞍馬へは京阪特急で」という広告が使用され、行楽シーズンにおいて、それらに関する運行標示板も掲げられていた。
#**京阪電鉄の主要駅のホーム案内に「八瀬、貴船、鞍馬(三条で乗り換え)」と書かれていた。
#**1990年代以前でも「八瀬・貴船・鞍馬へは京阪特急で」というTVCMが流れていた。
#*京阪本線の電圧が1500Vへ昇圧されるのが史実よりも早まっていたかもしれない。
#京阪の京都地下線が開業したのを機に三条~出町柳間が廃止され、出町柳駅が現在の形になっていた。
#*それ以前の出町柳駅は、相対式ホーム2面2線を有するホームになっていた。
 
===叡山本線大原三千院延伸===
#本線系統も2連運行が基本となっていた。
#鞍馬線より更に狭隘な谷間を縫う線形になっていた。
#*それなりの距離のトンネルも掘られていた可能性が高い。
#観光シーズンの出町柳駅の混雑が更に加速していた。
#*叡山電鉄自体の利用客も増えていたこともあり、京阪との直通が実現していたかも。
 
===奈良電気鉄道大阪線===
奈良電気鉄道はかつて大阪進出を目論見、「京阪急行電鉄」という新会社まで設立しましたが、結局大阪進出は実現しませんでした。もし奈良電の大阪進出が実現していたら・・・
玉造~小倉間
#小倉駅に急行が停車していた。
#もし、近鉄と合併していたら、「近鉄京阪線」か「近鉄北大阪線」になっていた。
#*もしくは、奈良電気鉄道は準大手私鉄会社として、独立していた。
#*この路線ができていたら戦時統合の枠組みが変わっていた可能性大。
#玉造駅はターミナル駅化していた。
#(近鉄と合併した場合)、玉造~京都間を結ぶ有料特急が運行されていた。
#*その代わりに。大阪難波~京都間を結ぶ阪京特急はなかった。
#宇治線(小倉~宇治間)を開業していたら、玉造~宇治間を結ぶ急行が運行されていた。
#久御山町唯一の鉄道路線として町民に重宝されていた。
#*交通便利になるため京都飛行場が撤去される可能性が減り、京都おぐら池空港として現存。21世紀には過密空港となる。
#京阪間は新幹線を除いても4路線がひしめく過当競争状態になっていた。
#路線は玉造―諸堤―四宮―西長尾―上津屋―小倉となっていた。
#*戦後になって難波―玉造間が延長され、大阪ミナミと京都を結ぶ初めての私鉄路線となっていた。
#*[[心斎橋]]までの可能性が高い。もちろん[[大阪市高速電気軌道長堀鶴見緑地線|長堀鶴見緑地線]]は間違いなく存在しなかった。
#奈良電は近鉄に合併されず、単独で大手私鉄の一員になっていた。
#*西大寺も独立した駅(乗り換えは可能)になり、そこから単独で現在のJR奈良駅まで延長させていた。そして、JR奈良駅近辺も近鉄奈良駅に匹敵するほどの賑わいを見せていた。
#*仮にこの路線が開業した上で近鉄と合併した場合、玉造~京都間が京都線、小倉~橿原神宮前間が橿原線になっていた。
#**難波線開業と同時期に、ターミナルの集約も兼ねて鶴橋~放出間に連絡線を敷設していたかもしれない。
#社名は奈良電区間も含め「京阪奈電鉄」になっていた。
#*「京阪奈急行電鉄」だと思う。
#**略称は京急となり、京浜急行電鉄の略称は現在まで「京浜」。
#JR[[片町線]]のライバルとなっていた。
#*片町線はこの路線に利用客が奪われたため、現実の[[奈良線]]と同様に国鉄末期まで放置されていた。
#**松井山手の開発が史実通りできたかどうか怪しい。
#近鉄難波-大和西大寺-京都なんていう系統の近鉄特急(阪京特急)は設定されなかった。
#*近鉄奈良線の有料特急設定が遅れる。
#京阪本線と阪急京都線の客は少なからず減少する。
#*よって京阪と阪急が昭和18年に戦時統合したのち、昭和24年に京阪本線部分だけで再独立することはなかったかもしれない(→[[もし京阪電気鉄道が京阪神急行電鉄から分離独立しなかったら|当該]])。
#*京阪の複々線化工事は現実ほど進展していない。
#*[[京阪中之島線|中之島線]]も建設されなかった。
#大阪延伸線同様に計画としてあった、小倉-宇治間の路線も敷設されただろう。大阪・宇治間35分の直通列車が設定された。
#*京阪宇治線は当然ながら大打撃。
#*京阪交野線も当然ながら大打撃。
#[[京阪バスグループ#京阪宇治バス|京阪宇治交通]]はここのグループバス会社となる。
#現実の[[第二京阪道路]]と同じようなルートをたどっていたと思われる。
 
==大阪==
→[[もしあの鉄道路線が開業していたら/大阪]]
 
==兵庫==
→[[もしあの鉄道路線が開業していたら/兵庫]]
 
==奈良・和歌山==
===近鉄御所線五条延伸===
#[[五條市]]は現実よりも発展していた。
#*奈良県内ではJRよりも近鉄の方が運転本数が多いので。
#御所線の運転本数は尺土~御所が1時間当たり4本に対し御所~五条は1時間当たり2本になっていただろう。
#*現在も阿部野橋から急行が乗り入れている。
#*むしろ尺土~五条間で1時間当たり4本になっていたかもしれない。
#五新線が開通し、大阪阿部野橋~新宮の直通特急が実現していたかも。
#*全く手つかずだった阪本以南は結局未成線で終わっていたと思う。
#智辯学園高校へ通う学生で賑わっていた。
#*松原市、藤井寺市、羽曳野市、富田林市、橿原市から通う学生にとって、通いやすくなっていた。
#尺土~近鉄御所間が複線化されていた。
#路線名が「近鉄五条線」になっていた。
 
===南海和歌浦線===
;築港町~和歌浦間
#特急「サザン」や急行も運行されていた。
#*加太線で運行されている「めでたいでんしゃ」のような観光列車が運行されていた。
#和歌浦地区では史実より賑わっていた。
#和歌山港線の開業は史実通り。
#*和歌山港~水軒間の開業はなかった。
#和歌山軌道線の寿命が史実より早く尽きていた。
#*下手をすると南海入りすることもなく廃止されていた。
 
===南海貴志川線粉河延伸===
;貴志~粉河間
#和歌山電鐵に移管されていた。
#紀泉鉄道も開業していたら、粉河駅はもっと賑わっていた。
#JR和歌山線と競合していた。
 
===紀泉鉄道===
#恐らく水間鉄道と合併し、社名も紀泉鉄道となっていた。
#[[和歌山/紀北#紀の川市の噂|紀の川市]]は現実より発展し、平成の大合併より以前に市制を施行していた。
#*[[和歌山/紀北#岩出市の噂|岩出市]]は昭和のうちに市制施行していた可能性がある。
#*紀の川市ではなく粉河市になっていた。あるいは打田と粉河で合併していた。
#熊取ニュータウンに鉄道が通り、利便性が高くなっていた。
#*ニュータウン自体の規模も拡大していた。
#貝塚から[[南海本線]]に直通し、難波~粉河間に直通電車が運行されていた。
#*あるいは[[泉北高速鉄道]]が清児まで延伸され、こちらに直通していた可能性もある。
#ルート上の犬鳴山温泉がもっと繁栄していた。
 
===野上電鉄高野山延伸===
*一時は高野山への延伸を計画していた。
#流石に高野山へは到達できないので、比較的近い南海高野線の紀伊細川駅に接続していた。
#*野上電鉄の車両が極楽橋まで乗り入れていた。
#史実のようなお粗末な業務対応、経営努力の怠りはなかった。
#現在は南海電鉄か、両備グループの傘下になっている。
 
===有田鉄道清水町延伸===
*かつて旧清水町への延伸構想があったが具体化せず。
#少なくとも土休日運休や一日2往復というダイヤにはならない。
#藤並の特急の一部停車が早まっていた。
#清水町から花園村(現かつらぎ町)への延伸も計画していた。
 
===湯崎白浜鉄道===
#いずれ明光バスに合併している。
#*明光バスは明光交通と名を変え当路線は白浜線となる。
#*同社は近鉄グループなので、近鉄(特に南大阪線)の中古車両が入っていた。
#白浜観光の客で賑わっていた。
#野上電鉄の廃止時、史実では断られた子会社設立と路線引き受けが行われる。
#*野上電鉄は同社の野上線となる。
#**さらに野鉄バスや野鉄タクシーの設備も明光バス・明光タクシーに編入されている。
#*御坊臨港鉄道(現[[紀州鉄道]])を引き受けていた可能性も。
#**その場合現実の紀州鉄道は他の鉄道路線を引き受けていた。
#南紀白浜空港開港後は空港アクセス鉄道となっている。
#ねこねこソフトのゲームにたびたび登場している。
#ねこねこソフトのキャラや自治体が公式キャラに採用したCLANNADキャラが書かれた痛電車が走る。
#「白浜」駅は「白浜口」駅のままだった。
#規格次第では国鉄→JR列車の乗り入れも考えられた。
#アドベンチャーワールドのイルカやパンダがモチーフのラッピング列車が走っている。
#それでも2000年代後半には両備入りし駅と車両は水戸岡デザインになる。
 
===参宮電気鉄道===
橿原市~御杖村~伊勢奥津~伊勢市
#戦時中に近鉄の路線になっていた。
#*狭軌の路線だったら、大阪阿部野橋と伊勢を結ぶ特急が存在していたかも。
#**紀勢本線との交点に連絡線を作り、大阪阿部野橋から尾鷲・熊野市を経由して新宮・紀伊勝浦に直通するディーゼル特急を運行していたかもしれない。
#伊勢奥津駅はJRと近鉄の共同使用駅になっていた。
#伊勢奥津以東が建設されなかった場合、ここから名松線を経由して松阪に向かっていた。
#*この場合国有化されていた可能性が高い(国鉄にも桜松線の計画があったので)。
#*名松線自体も改良され、大阪から三重県に向かうメインルートの1つとなっていた。
#**国鉄時代には天王寺or湊町から鳥羽まで急行が走っていた。
 
===近鉄大宇陀線===
榛原~大宇陀間
#大宇陀町に訪れる観光客が増えていた。
#第三セクター化されていたかも。
 
===近鉄桜井線===
橿原神宮前~桜井間
#阪伊特急、名阪特急、特急「しまかぜ」は、大阪阿部野橋発着になっていた。
#*大阪阿部野橋駅は史実よりターミナル駅として賑わっていた。
#鳥羽線の開業は史実通り。
#南大阪線系統は標準軌化していた。
 
===近鉄学文路線===
五条~学文路間
#南海高野線との直通特急(大阪阿部野橋~高野山間)が運行されていた。
#近鉄の路線が和歌山県にも広がることになっていた。
 
===和歌山港線紀三井寺延伸===
{{駅名標/南海|name=和歌浦|ruby=わかうら|roma=WAKAURA|back=新和歌浦|back2=SHIN-WAKAURA|next=紀三井寺|next2=KIMIIDERA|color=blue}}
和歌山港から水軒までの和歌山港線は廃止されました。では逆に水軒から、紀三井寺まで延伸されていたとしたら・・・
#和歌山市駅のJRとの渡り線がなくなる。
#*「きのくに」は廃止されず、こちらルートで存続していた。
#*関西国際空港開港後に「関空から白浜・新宮方面への直通列車を走らせろ」という要望が出るが、泉佐野駅の配線のせいで実現の見込みはない。
#**紀三井寺延伸がなっていたら、白浜方面にも走らせることを意識した配線にしていたかも知れない。
#*紀和駅が廃止されていた。
#**だが、その用地は南紀方面への列車の引きあげ線化されているかも。
#観光路線としての建設になっていた。
#*水軒駅が「養翠園前」あたりに改称されていた。
#おそらく途中駅は「和歌山港-養翠園前-雑賀崎-新和歌浦-和歌浦-紀三井寺」といった感じになっていた。
#南海が現在も和歌浦観光にけっこう力を入れている。
#*難波から特急「サザン」が乗り入れていた。
#*「サザン」以外に観光用に特化した全車座席指定の特急車も製造され、2列-1列のスーパーシート車や飲食コーナー付きのサロンカーも連結し、停車駅も新今宮・天下茶屋・堺・泉佐野・和歌山市・和歌山港・新和歌浦・和歌浦となっていた。
#LRT化が検討されていた。
#(1998年頃県議会で提案された)和歌山市内環状鉄道構想が早期に実現している。また貴志川線も早くから1500V化され南海に残留しているかも?
#紀勢本線への乗り入れを果たしていたら、紀三井寺以南の紀勢本線は、南海の所有になっていた。
#*国鉄(もしくはJR)が私鉄に本線を売却するような事態とは一体…?
#**実際、現在のような運用なら、例えば和歌山線なんか近鉄なり、南海に売却するように周辺住民や自治体が言っていたりするので、あり得ないとは言い切れない。
#*とりあえず南海がそこまで裕福だという話は聞いたことがない。
 
===南海貴志川線学文路延伸===
*戦前には学文路に延伸する計画がありました。
#学文路で南海高野線との相互直通運転が行われ、和歌山~高野山間の列車が運行されていた。
#*観光列車の「天空」が当路線に乗り入れていた。
#当路線が和歌山電鐵に移行されることはなかった。
#上の近鉄学文路線も開通していたらこの路線も近鉄の1路線となり、尺土~御所~五条~学文路~和歌山が1つの路線になっていた。
#*路線名は近鉄和歌山線となっていた。
#*近鉄の[[和歌山市|和歌山]]進出が実現していた。
#**和歌山駅前に[[近鉄百貨店]]があるのを誰も不思議に思わない。
 
===大阪鉄道計画線===
*大阪から奈良・伊勢・和歌山に至る路線を計画していたが奈良までの路線が開業したところで買収されてしまった。
#現実の近鉄に相当する大手私鉄に成長している。
#*近鉄は近鉄奈良線・けいはんな線・生駒線のみの会社になっている。
#**それでも直線的に結ぶ大阪-奈良間では競争力を持ち、京阪以上の規模はある。
#伊勢への路線は桜井駅から、現実の近鉄大阪線のルートで建設されていた。
#奈良県は現実以上にJR不毛の地となっている。
 
[[カテゴリ:もしあの鉄道路線が開業していたら|きんき]]
[[カテゴリ:近畿地方|もしあのてつとうろせんかかいきようしていたら]]

2021年6月20日 (日) 10:17時点における版

小豆島(小豆郡)の噂

ドフチの海峡幅は世界一ィィィ!!
寒霞渓(かんかけい)の険しい山。むかしは神懸。
  1. 24の瞳。
    • 「二十四の瞳」と書いて欲しい。「にじゅうよん」ではなく「にじゅうし」と読んで欲しい。
    • 壷井栄は有名だが、尾崎放哉(俳人)、黒島伝治(プロレタリア作家)ゆかりの地でもある。
    • 24の瞳の舞台になり廃校になった小さな小学校やその近くで給食セットという小学校での給食を再現したようなメニュー(牛乳、砂糖をまぶしてあるパン、スープ、冷凍蜜柑、食器は給食で使われるようなブリキの奴)が食べられる♪
    • そして、小学校跡の近くから、渡し舟が出ていて500円で渡し舟に乗船できる。
    • 二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)、24の瞳(トゥエンティフォーのひとみ)、十二の瞳(じゅうにしのひとみ)
    • 24の瞳(にーよんのひとみ)
  2. 県の花であるオリーブの産地。香川県最大の島。
    • この記事見るまで岡山県だとおもってました
      • 昔は備前国だったので無理もないです。いまも中国電力だし。
      • 明治初期は2つの県に分かれていた。
    • 日本のオリーブ産地と言えばここの独壇場だったが、最近ライバルが現れた
  3. 島民は淡路島よりも小豆島の方が知名度的には上だと思っている。
  4. 香川県のシチリア島と言われている。
    • しかしシチリア島とではなく、ギリシャのミロス島と「姉妹島」の契りを結んだ。
    • そのため、港にはギリシャ語で歓迎の言葉が書いてある。誰も読めない。
      • 旧内海町の草壁港。
    • マフィアがうどんよりもいっぱいいるらしい。
    • 内海の島ということでコルシカ島っぽくもある
      • 生態系が豊かなのでイビサ島(スペイン)も似ている。
  5. 旧3町(土庄、内海、池田)は猛烈に仲が悪い。
    • 1島1市を目指すも、土庄の反対で残りの2町のみ合併した。
  6. コンビニの配送車は朝一番のフェリーに乗り込むことに命をかけている。
    • 3回乗り遅れると首になるらしい…
    • その代わり、特別手当も出るらしい
  7. 「おまめじま?聞いたことないなぁ。」と他県民には思われている。
    • よく「あずきじま」とも言い間違えられる。
    • 昔は「あずきじま」だった。漢字を音読みして中国ぶるのが賢いと思っていた昔(いまもそうか?)の学者が「しょうどしま」と言ったことから「しょうどしま」が定着。(「ふたら・二荒」だった地名が二荒を音読みして「にこう→日光」になったり、「むこ・六甲or武庫」が「ろっこう」になったりと、この手の地名変遷は多い。)
      • 代馬(しろうま)→白馬(はくば)も同様。
      • 小豆島第一の景勝地・寒霞渓(かんかけい)も、神懸(かんかけ)という山の名前に、どこかの儒者が無理矢理漢字を当てたと思われる。
      • ちなみに現在四国フェリーの予備船として使われているフェリーに「あずき丸」がある。かつては他にも「にゅうあずき」という船もあった。
    • 「あづきじま」だった説の元としては、古事記に出てくる大宜都比売神(おおげつひめのかみ)の伝説によるもので、吉備(雑穀のキビ)、飯野山に代表される米、徳島県の阿波(雑穀のアワ)と穀物の名前で揃っている。
    • 一方、異説として、海上から見たときに、山が低い淡路島が薄く見えるので「あわきしま」がなまり、山が高く厚く見える小豆島が「あづきしま」となったとの説もある。
    • 小豆島町(しょうどしまちょう)だが、小豆郡(しょうずぐん)なのは秘密だ。
      • 昔は「しょうずしま」と読んでいたので、「しょうずぐん」が正しい。
    • 硬筆などの練習用紙にも地域は「小豆」と表記する。決して「あずき」ではない。「しょうず」だ。
    • 「しょうどしま」というのがよく難読地名として紹介されるが、むしろ「あずき」と読むほうが難しい。
      • 難読であっても、「小豆」(あずき)は「大豆」同様に身の回りで見かけるで漢字表記もポピュラーなものですから……「煙草」や「珈琲」も難読とは余り言われないでしょう。
  8. 醤油工場が多い。住民は千葉県産の醤油を買うと死刑。
    • キッコー●ンもダメ?
      • 千葉県の船橋市では安田のり(佃煮)を給食で扱っている
    • 県外にでて丸金を置いてるスーパーが少ないことにがっかりする。でもどこにいっても角屋のごま油は、置いてあるので少し安心する。
    • マルキンは兵庫県の忠勇と合併してマルキン忠勇になった。けど本社は小豆島。
      • 本社隣の「マルキン記念館」では、来場記念に醤油がもらえる。ちなみに記念館横の売店の醤油ソフトクリームはかなり美味しい。
    • 「加登屋」が正しい。今は「かどや製油」。本社はなぜか東京だったりする。
      • かどや製油はごま油では全国シェア50%を誇っていたりもする。
    • 丸金とか以外の醤油を使ったことがない。そして俺は丸金と丸島の違いがわからない。
      • 丸島はだしの素の方が有名かも。他にもタケサンがあるが、どちらかというと醤油よりも佃煮の方がメイン。
  9. 電気はなぜか中国電力
    • 四国側よりも本州側の方が海底が浅いかららしい。隣の豊島も同様に中国電力。
  10. 高校野球の県予選で『小豆島高校旋風』を巻き起こしている。
  11. 地図で見ると牛のような形だ。
    • 犬じゃない?
  12. 実は二つの島でできていて、間に世界一狭いとされる海峡がある。
    • ここ
      • 土渕海峡?ギネス認定です。あと、どぶちかいきょうって変換すると「ドブ近い今日」になった
        • 「土庄」と「渕崎」の間にあるので「土渕」。しかし国土地理院の地図に載ったのは最近のことと聞く。
    • 普通は両方まとめて「小豆島」だが、地元の人間は小さい島を「まえじま」と呼ぶ、でも大きい島だけをさす言葉はない。
    • 近くの役場でその海峡の横断証明書(100円)を発行している。
    • どう見ても海峡じゃなくて川。
  13. 岡山と香川の民放テレビ局の相互乗り入れが認められる前の一時期、瀬戸内海放送が小豆島の美しの原から岡山向けに25チャンネル・出力1kW(のちに5kW)の高出力で送信していた。
  14. あまり知られていないが、小豆島・豊島・直島諸島は、旧備前国だった。郡は児島郡に所属していた。明治初期の廃藩置県後の府県の統廃合の中でいろいろ経て岡山県となり、そして香川県に移管された。そのとき、小豆島は児島郡から独立し小豆郡となったが、豊島・直島諸島は香川郡に編入となった。
    • そんな元備前国の小豆島なのに、「讃岐の味 小豆島のそうめん」などと宣伝されるとなんだか微妙な思いがする。ホントは備前の味。
  15. 夜9時以降は孤島となり、本土との連絡が途絶える。
    • 姫路・福田と高松・土庄の夜間便は9時台にある。
    • もっと遅くなったときは海上タクシーがある。
    • 祝・ジャンボフェリー寄港決定!(2011年7月6日より)ようやく神戸と再び繋がる。
    • ジャンボフェリーで坂手-高松間を利用できるようになった後は、シーズンによって(2015年は3/21~年末)土日祝日お盆のみ、坂手22:55発高松24:10着の便がある。
  16. なぜかとてもオリーブを活用したがる。オリーブチョコとかカレーとかお茶とかサイダーとか。周りにはほとんど食べる人はいない。私的にオリーブチョコはうまいと思う。
    • 学校の給食にオリーブの塩漬けが出て定番となっている。
      • 小豆島でオリーブ牛カレーを食べたけど、クスクスという地中海料理で食べられるのまであってめっちゃうまかった♪♪♪
  17. 1980年頃までは国道のない島だった。現在も国道436号(姫路市高松市)が小豆島唯一の国道。
  18. 醤油サイダー
  19. 昼ドラ「ラブレター」の舞台。出てくる方言はちょっと胡散臭いけど…。
  20. たまに醤油アイスなるもの(または醤油ソフト)が売ってあるが、甘露煮っぽい味がする。嫌いな人は食べないほうがいい。
    • もろみアイス、佃煮アイスなるものもある。
  21. こんな島だがしまむらがある……が、「小豆島店」があるのは和歌山県。ここにあるのは土庄店。
  22. 香川県と言えばうどんのイメージがあるが、小豆島はそうめん。
  23. 一部、何故か兵庫県にあると誤解されている。
  24. 性スキャンダルの疑いを掛けられた某俳優さんがこの島にある寺社で謹慎生活を過ごした。
  25. 「小豆島」が危うく中国国内で商標登録されかけた。
    • 但し中国の法律に「著名な外国地名はNG」という規定があったことで回避された。
    • 香川県庁は中国語版観光案内パンフレットの発行部数で著名性を主張し、それが中国の裁判所でも認められた形である。
  26. 橋で繋がっていない島なのに、唯一何の振興法も受けていなかった。

地域別

土庄町の噂

  1. 土庄町中心地にある土庄小と淵崎小は土淵海峡を挟んで仲が悪い
    • 僻地の小学校は廃校になり100mしか距離のないこの二校が残った。
      • 北浦小学校、四海小学校は廃校になっていない。さらに言うと豊島小学校も土庄町に入るので、土庄町には五つの小学校があることになる。
        • 2015年4月、渕崎・四海・北浦の3小学校が土庄小学校に統合された。
    • 仲が悪いというよりは、単に小学校同士の交流が少ないだけという印象。いずれにしても、卒業後はほぼ全員が土庄中学校に入学することになるので、出身小学校に関係なく友人関係を築くことになる。
  2. 「とのしょう」である。
  3. 前の町長はコンバットマーチを作曲したらしい
    • 前町長の三木佑二郎。早稲田大学在学中に作曲。それと「エンジェルロード」を名付けたのもこの人。
      • エンジェルロードがいつの間にか観光地化が進んでる。こないだまで貝掘りするとこだったのに
        • 今でも貝掘りしている地元民は少なくない。
  4. マルナカは島内最大の集客スポット
    • 小豆島にこんな大きなショッピングモ-ルがあったのに驚いた。値段も離島とは思えないほど変わらない。そしてオリ-ブ温泉が併設されている。
      • マルナカのなかにはAUの携帯屋があり、小豆島を放浪中に携帯の電源が切れた場合は無料で充電をしてくれる。
    • よく誤解(?)されるけど小豆島は離島じゃありません。
      • それでも、しばしば通販で送料に離島料金を請求される。
      • 自賠責保険料は離島料金だけど。
    • しばらく前に「オリーブタウン」が出来てからは、そっちにもある程度人が集まるようになった。
  5. 土庄は都会だと内海(小豆島町)は思っている。
  6. そしてなぜか土圧に行くのをめんどくさがる。
  7. 小豆島で食べた鯛の刺身は、しめて直ぐ刺身にするから、ゴリゴリして美味しくない。うどんは総て美味しく頂きました。
    • というより瀬戸内では、魚はしめて直ぐ刺身にするのが基本。都市部で売るような歯ごたえのない刺身は美味しくないと感じる。
  8. つい因島の土生と混同してしまう。正しい読み方を知るまで土生を「とのしょう」と読んでいた。
    • 「とのしょう」も「はぶ」も難読だから、、、まて、そもそも漢字が違うじゃないか。
    • 「庄」と「生」、ぱっと見は似てるような気もするし。
    • 岸和田市にも土生(はぶ)がある。
    • 櫻坂46ファンなら土生を読める。
  9. とのしょう駅はここではなく城陽市にありしかも富野荘。

豊島の噂

  1. 「とよしま」でも「としま」でもなく「てしま」。
  2. 産廃の問題がかつてあった。土光弁護士があたってたんじゃなかった?
    • 中坊弁護士のことでしょ。
  3. 産廃事件で香川県民一同、県庁のアホさ加減に呆れ返った。

小豆島町の噂

  1. オリーブ栽培発祥の地は小豆島町域にある。
  2. 寒霞渓は小豆島町だがなぜか山頂の売店があるところは小豆島町ではなく土庄町。
  3. 実は、姫路と隣同士。あくまで海上であるのと平成大合併の結果だが。

池田

  1. 池田で地元の利用客が多いスーパー「フタバ」。閉店すると豪語し、長い間閉店セールを行った末に閉店したが、数日後あっさりと開店した。

内海

  1. 内海は「うつみ」じゃなくて「うちのみ」だ。
  2. 島内最高峰の星ヶ城山がある。
  3. 内海地区には、マルナカとマルヨシが1店舗ずつあるが、いずれも土庄の店舗の半分程度の大きさである。

出身有名人

  • 石倉三郎(漫才師・俳優)
  • 正司敏江(漫才師)
  • 中田ボタン(漫才師)
  • 山本いつみ(タレント)
  • 伊藤君子(ジャズシンガー)
  • 武部はる奈(ピアニスト)
  • 高橋薫子(のぶこ)(オペラ歌手)
  • ヨシケン(売れないロック歌手・ストリートミュージシャン)
  • 勝詩(ローカルミュージシャン)…有名人とはいえないか。