バ合戦誌/海外
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ペルシャ戦争
テルモピュライの戦い
- 300程のスパルタ軍が、100万とも言われるペルシャ軍に挑んで玉砕した戦い。
- ハリウッド映画「300」で有名に。
- スパルタ側が寡兵なのは、実は当時のギリシャが「オリンピック休戦中」だったかららしい。
- 正直、日本の世界史の教科書に載せる程の戦いなのか、疑問を感じる面も…
- 兵力差からすると大善戦だったが、戦局は全く変わっていない。
- 冷たく言うと、ペルシャ戦争の局所戦の1つに過ぎない。
- 祖国防衛のため寡兵で大敵に当たって玉砕した例なら、他の時代、他の地域にも幾つもあることだろう。その中でこの戦いだけをやたらフィーチャーするのは、欧米の古代ギリシャ&ローマ贔屓に付き合っているようで、何か不公平な感じも…
ポエニ戦争
ザマの戦い
- 散々煮え湯を飲まされてきたカルタゴのハンニバルに、ローマが遂に勝った。
- カルタゴ自慢の戦象を、ローマ軍が華麗にスルー。
- ようやくカルタゴ軍に雪辱を果たしたローマ軍は、カルタゴの市民に対し「ザマを見ろ」と言い、これが「ざまあ見ろ」の語源に...な訳ねえだろ。
- 「座間の戦い」ではない
アクティウムの海戦
- 古代エジプトの滅亡を決定づけた
- この後は200年の平和が訪れたとされる。
三国時代 (中国)の戦闘
- 黄巾の乱から晋の天下統一までとします。
黄巾の乱
- 紅巾の乱と紛らわしい。
- 教祖様こと張角率いる黄巾党を何進率いる後漢が鎮圧。
- なお張角は途中で病死した。
- 三国時代の発端となった戦い。
- 豫洲では曹操が援軍として参戦、荊州では孫堅の活躍により宛城が落城した。
陽人の戦い
- 演義では「虎牢関の戦い」。
迷名族の袁紹・袁術らの連合軍とデブ独裁者董卓の軍との戦い。- 正史では孫堅に討ち取られた華雄が大活躍を見せるも関羽に瞬殺されたり、孫堅軍が防衛体制を敷いたためいい所を見せられなかった
ゴキブリ呂布が本領を発揮するなど、演義での脚色が目立つ。 - 最終的に董卓は洛陽を燃やして長安に逃げた。
襄陽の戦い
- 孫堅と劉表の戦い。
- 勝利目前だった孫堅が黄祖の部下に矢で射抜かれ、戦死。劉表軍が大逆転勝利。
江東平定
- 孫策の快進撃。
- 太史慈との一騎討ちや、袁術の皇帝即位で孫策が独立したのもこの時期。
宛城の戦い
- 張繍と参謀の賈ク(詡)が曹操に降伏後、曹操が張繍の義理の叔母を妾にしたため、張繍大激怒。これにより曹操は張繍を殺害する計画を立てるが、バレて先手を打たれた。
- この戦いで曹操の子曹昂、甥の曹安民、そして典韋が曹操を守るために奮戦し、戦死した。
官渡の戦い
- 乱世の奸雄・曹操VS善政を敷いた
迷名族・袁紹。結果は兵数が少なかった曹操の勝利。 - 関羽が曹操軍の客将として参戦、一方劉備は袁紹軍側で参戦。
長坂の戦い
- 曹操、劉備を追いかけるが逃げられる。
- 趙雲が阿斗様を救出。
- 張飛が
レインボーブリッジ長坂橋を封鎖・落橋させ、曹操軍を威嚇。劉備を逃がすことに成功。
赤壁の戦い
- レッドクリフ。
- 呉=火計のイメージが強くなっている原因。
- 演義では諸葛亮が祈祷で東南の風を吹かせるというチート能力を使った。
潼関の戦い
- 賈クの離間の計炸裂。
- 正史と演義では馬超の挙兵の経緯が逆。
濡須口の戦い
- 第三次まであった。いずれも孫権軍が曹操軍に勝った。
トゥール・ポワティエ間の戦い
- 「間」て…
- 世界史の授業でこの戦いを知った後で、一部の学生が思うこと・・「雑な命名やな」「手抜き?」「間に地名無いんかい!」
- 本家フランス語では単に「ポワティエの戦い」(Bataille de Poitiers)と呼んでいる。
- 日本の教科書でこんな変な命名がされていることをフランス人が知ったら、どう思うのだろうか?
- ちなみに英語では「トゥールの戦い」(Battle of Tours)となっている。
- キリスト教圏にとってはイスラムのヨーロッパ侵入を阻止した歴史的戦い、としているが、実際の戦闘は勝ったフランク側も拍子抜けする内容だったらしい。
百年戦争
アジャンクールの戦い
- イングランド軍7千がフランス軍2万を破った戦い。
- 長弓が重騎兵を圧倒した戦いとして知られているが・・・。
- 実際は狭い地形とぬかるみで重騎兵側が勝手に自滅しただけらしい。なんだかなあ。
- イングランドが捕虜を処刑してしまったことから、「騎士道終焉の戦い」とも。
薔薇戦争
- 早い話が、イギリスの源平合戦。ともに紅白歌合戦のルーツとされる。
- 結局、紅白どちらが勝ったのかはっきりしない。
- 平家(ランカスター)の傍系が源氏(ヨーク)の娘と結婚して、新王朝を作ったようなもの。
- 北条氏(一応平家)が鎌倉幕府を乗っ取ったのと、似ていなくもない。
レグニツァの戦い
- 別名ワールシュタットの戦い。モンゴル帝国遠征軍2万とドイツ・ポーランド連合軍2万5千が衝突した。結果はモンゴルの圧勝。
- この後ポーランドを蹂躙したモンゴルはウィーン目前まで進撃するが、第二代ハーン・オゴテイの死亡で撤退。死ななかったらどうなってた事やら…
フランス革命戦争
- ナポレオン戦争の噂もここで
- 両陣営にそれぞれ生涯不敗を誇る元帥がいた。
- 初めて気球が戦争に使用された。
- なぜかフランス革命政府とアメリカ合衆国との間で戦争が起きた。
- 王政時代のルイ16世がアメリカ独立戦争を支援したから?
- 百年後にナポレオンと同じ失敗をやらかす人間がドイツに現れる。
- ナポレオン戦争の際には缶詰が開発された。
- ただし当初のものは殺菌がまずかったせいであまり使い物にならなかった模様。
- 缶詰が発明された当時は缶切りがなかったため、兵士は銃で缶詰を開けた。
- 第2次大戦でも活躍した名将「冬将軍」の初陣。
- ワーテルローの戦いの敗因はナポレオンは痔のためなかなか乗馬出来なかったためだという。
- ロスチャイルドが一躍大金持ちになったのはこの戦争がきっかけ。
南北戦争
- アメリカ史上最大の戦争。
- 史上唯一?の要塞同士の砲撃戦が起きた。
- 地図で見ると北部の首都ワシントンと南部の首都リッチモンドは隣接している。
- 意外と写真記録が多い。
- 並行してインディアン掃討をやっていた北軍。
- 南軍の敗戦により南部の古い文化は風と共に去った。
- 潜水艦(動力:人力)による初の敵艦撃沈が記録された。
- ここで使われる予定だった兵器が日本の戊辰戦争で使われた。
クリミア戦争
- 地味に日本史に影響を与えた。
- ナイチンゲールが看護婦として大活躍した。
- この活躍のおかげで看護婦の有用性が認識されるようになった。
- フランス軍はコックリさんでナポレオン1世の霊を呼び出して命令を出した。
- 実はカムチャツカでも戦闘が行われている。
- ロシア軍犠牲者の遺骨は肥料として売りさばかれた。
- フランスの軍艦が嵐で沈んだため、天気図が作成され、これが天気予報の起源となった。
普仏戦争
- プロイセンが周到な準備のおかげで銃の質と人口で優っていたフランスを破る。
- フランス国境まで6本の軍用鉄道を建設。
- 開戦前には情報将校が戦場になりそうな地域を見物していた。
- 皇帝が生け捕りにされたフランスでは帝政が終わった。
- どさくさ紛れに社会主義政権までできかけたがすぐ消滅した。
- 包囲されたパリから内相が気球で華麗に脱出。
- もう少し後の時代なら確実に一部のフランス植民地もドイツに取られていたと思う。
- 日本陸軍がフランス式からドイツ式に切り替えたのは、この戦争のため。
太平洋戦争(1879-84年)
- 60年後の日本対米英などの戦争と同じく海戦メインの戦いだった。
- この戦争に敗れたボリビアは海を失い内陸国となった。
- だが海軍は今も残っている。
- その一方でもっと細長くなったチリは南米の大国としての地位を築くことができた。
- とにかく第2次大戦の一部であった戦いと紛らわしい。
- 英語名は古い方が"War of the Pacific"で後に発生した方が"Pacific War"。
- 古い方は「太平洋戦争」というより「太平洋の戦い」みたいな感じ。
- 英語名は古い方が"War of the Pacific"で後に発生した方が"Pacific War"。
- 現在の「太平洋戦争」(第二次世界大戦における太平洋戦線)と区別するため、「硝石戦争」とも称される。
- アタカマ砂漠一帯は硝石の主産地(「チリ硝石」とも呼ばれる)。世界遺産「ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群」もここにある。