国鉄の電気機関車
2013年2月20日 (水) 13:11時点における>I.T.Revolutionによる版 (→EF67形)
- 記事を見やすくするため、新たに追加される場合は形式順・動軸数順でお願いします。
主な形式
旧型直流機
- 形式番号が50代の高速機=P機、10代の低速機=F機という傾向が強い。
- 10代の旅客用機関車の勇姿を見た人はかなりの年配者。
ED16形
- 初の省形D形機。
- 次の制式D形機のED60の登場までは30年ほど待たなければならなかった。
- EF52とEF10という2つの有名な形式に挟まれて微妙な存在感の形式。
- 旧型D形機の中では廃車がかなり遅く、後発のF形機よりも後まで残っていたりした。でも譲渡もされなかった。
ED17形
- イギリス出身の昭和一桁生まれ。
- 晩年までほぼ一貫して中央東線で運用されていたため、末期は機関区の主と呼べる存在になっていた。
- 2010年現在、トップナンバー機は大宮の鉄道博物館で余生を送っている。
- 実は他形式の種車から改造され、同形式になったものも少なくない。
- 旧ED50系統から改造されたED18形は飯田線専用機。
- 一見どこにも変化がない様に見えるが、実は台車を「B-B」から「A1A-A1A」とする大掛かりなもの。
- 1992年に動態復元され、「トロッコファミリー号」の牽引が最後の活躍の場となった。
- そのため普通のED17のイメージとは違うデッキ付の車両までこの形式に纏められていた。
- 旧ED50系統から改造されたED18形は飯田線専用機。
- 出力は840kwと書いてある資料と915kwと書いてある資料がある。どっちが本当なんだ?
EF13形
- D52、63系、トキ900と並ぶ戦時型車両の一角。車体は凸型だった。
- 後にEF58から車体をもらった。
- とはいってもその車体もそれほど質のいいものではなかった。
- 後にEF58から車体をもらった。
- 戦時設計にも関わらず、色々な部分が補修され1980年頃まで日本の輸送を支えていた。
- 粗悪な設計は乗務員を苦しめたが、その一方で部品の削減や軽量化技術は戦後の車両設計に大きな影響を与えた。
EF15形
- 貨物専用のジミなやつだけど日本の色々な場所で幹線用電気機関車として活躍していた。
- どこにでもいるしたくさんいるし、ということで鉄道ファンはこぞってマイナーだけど何か魅力のあるED17、EH10、EF13等を追いかけたため、気づいたら国鉄解体とともにいつの間にか消えていた。
- しかし保存車はそれなりにある。国鉄解体まで残っていた最後の制式貨物用旧型電機のためだろうか。
- どこにでもいるしたくさんいるし、ということで鉄道ファンはこぞってマイナーだけど何か魅力のあるED17、EH10、EF13等を追いかけたため、気づいたら国鉄解体とともにいつの間にか消えていた。
- EF58とはほぼ同一設計だが人気の差も見た目の差も歴然。
- 製造両数としてはEF58をわずかに上回ってた。
- 貨物機ながらイベントで12系客車を牽引したらしい。
- 数年前までプラレールで販売されていた、現在は絶版。
- 全廃は実は2011年。
EF16形
- EF15を勾配区間用に改造(回生ブレーキ取り付けなど)して誕生。
- 補機専門で、活躍したのは奥羽本線板谷峠区間と上越線水上~石打間。
- 数や活動範囲では EF15 >>> EF16 だが、人気は EF16 > EF15 だったかも。
- 当時の水上~石打間では、EF16(ブドウ色でデッキ付)+EF58(青塗装)+ブルトレ「北陸」、という編成が実現していた。そりゃ人気も出るわ。
- 当時の鉄道誌の「北陸」紹介の写真は多くがこれ。撮影の難しい深夜帯にもかかわらず。
- 当時の水上~石打間では、EF16(ブドウ色でデッキ付)+EF58(青塗装)+ブルトレ「北陸」、という編成が実現していた。そりゃ人気も出るわ。
EF55形
- 通称「ムーミン」。
- 流線型で有名だが、片方の前面は当時の普通の機関車である。
- こちら側の従台車は貨物用EF10形と同じものなので、本来の最高速度は95km/h(戦後の制動600m制限による。設計時は換算10両で平坦線釣合最大速度120km/h)だが、こちらを向いているときは75km/hまでしか出せない。
- ゆえにこちら側の運転席は滅多に使われずターンテーブルで方向転換して流線型側を使っていた。
- 一応平たい方にも簡易運転台は付いている。
- 流線型側と比べるとかっこ悪い。 かといって両端が流線型のものを想像すると、微妙すぎる…。
- 日本国内ではないが、ペンシルバニア鉄道GG1形というのがある。なかなかのかっこ良さだ。
- 半流線型程度の(前進する風を切るイメージのデザイン)なら、日本にもEF58やEF66がある。どっちも人気機種。
- 流線型側と比べるとかっこ悪い。 かといって両端が流線型のものを想像すると、微妙すぎる…。
- プッシュプルにしたらよかったかもしれない。
- こちら側の従台車は貨物用EF10形と同じものなので、本来の最高速度は95km/h(戦後の制動600m制限による。設計時は換算10両で平坦線釣合最大速度120km/h)だが、こちらを向いているときは75km/hまでしか出せない。
- イベントには欠かせない存在だったが、ついに引退が決まった。
- 最後は高崎~横川で最後を飾った。
- しかし、新幹線0系の引退と被ったため、あまり注目されずに引退。 ほんとに在来線が好きな人はこちらへ、新幹線好きやこの人たちは新幹線へ。
- 最後は高崎~横川で最後を飾った。
EF57形
- 何故かパンタグラフとライトが車体屋根からはみ出ている。
- デッキが広く取られている似た様な容姿の機関車は幾つかあるものの、パンタが飛び出しているのはこのEF57だけ。もはや一種のチャームポイント。
- 1号機だけはパンタが真ん中寄りに設置されているものの、これはこの1号機が当初EF56として作られた名残り。
- 7号機が宇都宮の公園に静態保存されている。
EF58形
- 鉄道ファンの間では人気が高い。
- 重厚感と流麗な美しさを兼ね備えたすばらしいデザインだと思う。
- お召し列車には欠かせない存在である。
- 惜しまれつつも引退。専用編成もろとも引退したのは、老朽化だけが理由ではなく、機関士の確保が難しいという問題もあったはず。
- よっぽど手間のかかる大型蒸気機関車2両も保有(まもなく3両に)しておいて、電気機関車の機関士が確保できないなど悪い冗談。
- それに対して……「やっぱりJR西日本」と思ってしまう。まぁ、蒸気機関車も梅小路にたくさん保有しているけど。
- 惜しまれつつも引退。専用編成もろとも引退したのは、老朽化だけが理由ではなく、機関士の確保が難しいという問題もあったはず。
- 動態保存車両も年々廃車になっている。
- ロイヤルエンジン61号機は休車、予備機60号機は国鉄時代に廃車解体…
- 61号機はまだ使う予定だったのに突然故障して不動になったためやむなく運用を離脱したらしい。さすがに保存する予定とのこと。
- 本来は60号機が本務機で61号機が予備機として作られた。しかし60号機が踏切事故で事故車になってしまった為、61号が本務機になった。
- 他のEF58より納入価格が高かった。にもかかわらず、メーカーは大赤字を出した。
- 20系ブルートレインの牽引機として一番美しいと賞賛するファンも多い。
- EF65Pのファンとは半永久的に抗争中。
- 塗装はブルトレ色か。
- レトロブームでどいつもこいつもぶどう色に塗られてしまい、青塗装が好きなファンを悲しませている。
- 古くて修理できないので引退、とJRは言うが、EF58より古い機関車は地方私鉄に掃いて捨てるほどあるんだがそれをどう説明してくれるのか。
- 下手すりゃ上のEF55よりも古くて、しかも現役(動態保存ではない)って機関車もいる。
- JR西日本の150の中身はEF65
- 速い速度で走り回った機関車と、入れ替えや小貨物牽引の地方私鉄の機関車と比べたら老朽化の度合いが大きいのは当たり前だろ?
- 最近どっかのJRがこの機関車を解体したため経営陣が、鉄ヲタどころか、株主からも批判された。
- 特急「つばめ」の「青大将」で有名だが、実は優等列車に限定すれば、青大将として活躍した時期より、ブルートレンとしての活躍が長かった。
- もともと戦前製機関車に代表される箱形の車体だったが、製造途中で載せ替えられて今の形になった。
- 箱形車体だったものも、のちに改造されて半流線形の車体に。
EF59形
- あれ、おまえいたの!?
- EF53、EF57形の改造で、EF67登場前のセノハチで補機として活躍していた。
- 西村京太郎の小説に出てきたが、今一つ地味。というか最近の鉄ちゃんで知ってるやついるのか?
EH10形
- 別名「マンモス」。
- 車体や台車の構造は新性能機っぽいが、主電動機はEF15形と共通。
- よって旧式機扱いされる。
- 東芝製の15号機はギア比を変更し、高速度試験に使われた。
- 以前に当時最新鋭の10系客車を120km/hで牽引する動画がYouTubeに上がっていたのだが、その姿はド迫力だった。
- なお、残念ながら現在は削除されている模様。
- 公式にはそういうことになっているが、実は戦前の頃から横浜あたりから小田原にかけて電気機関車で120km/hでぶっ飛ばすのは常態化していたらしい。
- 以前に当時最新鋭の10系客車を120km/hで牽引する動画がYouTubeに上がっていたのだが、その姿はド迫力だった。
- 新性能機関車が実用化されると、何から何まで上位互換な彼らのせいでかなり早くお役御免になってしまった。
- かつてHOゲージでこれをモデルにしたEB10なる機関車が発売されていた。
- ウドの大木
新性能直流機
- 今となっては「新」なのか……。
- 実はこれより前の従台車のついた電気機関車の足回りというのは、蒸気機関車の足回りを背中合わせにつなげた構造をしていた(ED15やEH10といった例外はあったが)。これ以降、大型電機も電車形のボルスタ台車を採用するようになった。
ED60形
- 新性能電機第1弾。
- ローカル線に居座っていた戦前製の機関車を置き換えるために登場。
ED61形
- ED60の親戚。というか兄弟機。
- ED62の素
ED62形
- JR貨物更新色が居た。
- 1号機が長野で、17号機が大宮で保存されている。大宮のものはたまに宇都宮線の電車の中から見えることがある。
EF60形
- EH10を置き換える性能を持つ。
- ただし、高速特性もEH10程度。なのでブルトレ牽引に当たらせたところ(500番台)、弱メ界磁多用で故障しまくった。
- EF65Pにバトンタッチして以降はブルトレの先頭に立つことはなく、EF65が不足した際はEF58の再登板になった。
- ただし、高速特性もEH10程度。なのでブルトレ牽引に当たらせたところ(500番台)、弱メ界磁多用で故障しまくった。
- 2011年現在、今尚現役。
- ただし専らのイベント担当。
- 4次型は形式名を見ないと……。
- EF60 19号機は沖縄県に行ったことのある唯一の電気機関車。
- 19号機はかつてジョイフルトレイン「やすらぎ」の相方として白地の専用塗装にされていた車両。「やすらぎ」廃車後もしばらくはそのままだったものの、その後再び青の国鉄色に戻された。かつては特徴的なブタ鼻ライトだったのに近年になって大型の単眼ライトに変えられてしまった。
- ちなみにこの19号機こそ2012年現在でもイベント等で働いている唯一の現役車両。
EF61形
- ブルトレを引いたこともあるのに今一つ地味。というかほぼ空気扱い。
- むしろセノハチ補機限定の200番台(EF60改造)の方が存在感があったのでは。JR化後も暫く残っていたし。
- あっちはEF60からの改造だけどね。
- 広島車両所に4号機の生首が保存されている。
EF62形
- 碓氷峠、信越本線といえばEF63ばかり持て囃され、こいつの存在は軽視されている。
- 保存車両の数も大きな差がある。
- EF63程ではないが、山岳用として特殊化している部分はたくさんある。
- しかしそのせいで運用に柔軟性を持たせられず、かと言ってEF63と違い碓氷峠という定位置もないので早めにお役御免になってしまった。
- 日本で一般的なB-B-B台車ではなく、欧米で一般的なC-C台車を履いているのが個性的。
- 「A列車で行こう」では「5(Windows版)」まで常連だった。
- 蒸気暖房が付いていたので山陽本線で荷物列車を引いていたこともあるが、故障が頻発し前任のEF58が代走に入ることがしばしばあったらしい
EF63形
- 別名「峠のシェルパ」、または「ロクサン」。
- 碓氷峠専用の、何から何まで特殊な奴。
- おかげで他線区への転用が効かず、同区間廃止とともに運用終了。
- 2両重連での運用がデフォ。
- 碓氷峠専用の、何から何まで特殊な奴。
- 横川→軽井沢間の上り坂では、機関士は後ろ向き(最後尾車両の第1エンド搭乗)の姿勢で坂を登っていった。
- 碓氷鉄道文化むらにて動態保存されている。
- 鉄道会社に就職しなくても運転できる唯一?の機関車。
- ただし研修を受けたうえで試験に合格してから。
EF64形
- 中央線の貨物列車を引っ張る機関車といえばこれ。
- JR貨物が全体(132両)の9割近い113両を引き継いだ。
- 多くが昭和50年代製で比較的新しい1000番台は、暖房装置がついていないという理由だけで、JR貨物が殆ど持っていってしまい、旅客会社から大顰蹙を買ったらしい。
- そもそもこの当時、機関車から暖房供給を必要とした客車列車は、交流区間と非電化区間にしか残っていなかった(長距離列車は自前でサービス電源を持つ12系、14系、24系で運転されていた)。
- 実際、夜行急行「ちくま」がPCだった頃の担当機はJR貨物からの借り物だったらしい。
- 0番台と1000番台で見た目が大きく違う。
- 電車と連結できる1031号機は「死神」というあだ名がある。
- こいつが通ると大宮駅は戦場と化す。
- 最近死神が増えつつある(1031のほかに、EF64 1030・1032、EF81 134・136・139)
- 1000番台機はナンバープレート下に作業灯があり、深夜にジャンパ連結器等付け外し時の照明として使われる。上越線の貨物運用で使用実績あり。0番台機には無い。
- 名誉の為に言っておくと、ドナドナするだけではなくて、ちゃんと配給にも使われます。
- ってゆーかそっちが本業。元々は新津車両製作所で造られた新車を首都圏に配給する目的で改造されたもの。その特性を買われて廃車回送にも使われているだけ。
- こいつが通ると大宮駅は戦場と化す。
- 77号機はブロック型ナンバープレート装備。国鉄最後のお召し列車牽引。
- 稲沢で保存決定!
- 存在も仕事も地味な機関車だけどファンは結構ついてる。
- なぜか新しい1000番台の方に先に廃車が出た。
- 1029号機は故障が頻発どころじゃなくて、しばらく保留車扱いになったあとに復旧困難で廃車。
- 上越線で活躍していた1000番台はEH200の登場で愛知に飛ばされてしまった。
- 雪の中、重連走行で長いコキを引っ張る姿は本当にカッコ良かった。
EF65形
- ブルートレインを牽引する印象が強いが、貨物列車を牽いてもサマになるので牽引する車両を選ばない。
- EF66やEF81と並ぶ電気機関車の象徴。
- 国鉄時代、貨物専門のF型(0番代)・客車専門の500番代(P型と一部F型)・客貨両用の1000番代(PF型)と区分はあった。501号機・535号機がイベントん時顔出すだけで、ほとんど失業状態。今は車年若いPFがナンデモカンデモ引いてる。
- 東海所属の112号機(ユーロライナー塗装)は書類上廃車扱いだが、まだ解体されずにいる。
- F型って言うのは500番台のうち10000系貨車用のCLEブレーキ指令線と空気管付連結器を持っている車体のことで、0番台はF型ではないよ。
- 真っ赤な車体・白塗り裾で、側面に形式ペイントしたSRE(スーパーエクスプレスレインボー)2代目牽引機1118号機がイベントやら何やらで頑張っている。
- 初代は1019号機。ただ残念ながらこの車両は既に廃車。2代目は健在ながら、どうやら定期運用の列車は受け持っていないらしい。
- レインボー色は他にEF81の95号機と、何故かED75の1028号機に施された。前者はバリバリの現役ながら、後者は既に廃車。好きだったのに。
- あだ名は「ゲッパ」。由来は専門用語で「1」を「ゲ」と呼ぶ為で、「ゲゲゲパ」→「ゲッパ」となった。
- 0番台の中から、東京発ブルトレ増発のために500番台P型に改造された車体がある。
- 地味な汎用機から旅客特急専用機への昇格だったので、後にシンデレラ65と呼ばれるようになった。
- これはRail Magazine 233号の記事によるものなのだが、なぜかこの事をWikipediaに書くと消される。
- 地味な汎用機から旅客特急専用機への昇格だったので、後にシンデレラ65と呼ばれるようになった。
- 確か電気機関車では日本一生産量数が多かった気がする。
- 日本一はED75。
- 2012年になって新鶴見所属機にまさかの新番台、2000番台登場。でも実際はPFの元の番号に+1000したナンバーを取り付けただけで、改造らしい改造は一切ない。
- その通り「改造をしなかった個体」という意味の改番。
EF67形
- あれ?お前いたの?
- 最近まで国鉄の新型電気機関車の最終形式はEF66だと思い込んでいた。
- 機関車なのに電気子チョッパ制御の変わり者。
- 同じく新型電機のくせに、一部車両にはデッキがついている。
- 0番代はEF60 4次型、100番台はEF65-0改造で、新型では……。
- 仕事場は山陽本線の瀬野八|セノハチ。
- ただし正面で待っていても見られない。編成のケツにひっ付いて後ろから押してあげるのが仕事。
- EF60改造のやつはそろそろ老朽化がやばい気がする。更新や廃車を行わなくて大丈夫なのだろうか。
- EF210に置き換えるらしい。
- パンタグラフを3種類(大型・下枠交差・シングルアーム)装着して営業したのはこの機関車くらい。
- 塗装は広島のもみじに因んで朱色。直流機関車なのに。
- そのため最初見たとき交流機関車かと思った。
- 補機だが、ホキではない。
- このホキではもっとない。
交流機
ED72形
- 鳩胸。
- SG搭載のため、同時期の交流機の中でこれだけ車体が長い。
- 末期は門司~博多間で「あさかぜ」を牽引していた。
ED73形
- 鳩胸Part2。
- 本来はED72形の貨物版でSGを搭載していない機体だったが、ブルトレ用客車はいずれも自前の電源を持っているため、ED72が指定のところをしばしば紛れ込んだ。
- なお、初期の交流機は全段電圧制御なので、直流機(EF60←→EF61)で問題になった定格速度の違いはこの両者にはない。
ED74形
- ED72、73より早くに全廃になった。
- 最後は大分に集結し、ブルートレインを牽引していたこともあるのに殆ど忘れ去られている。
- ED75形同様のショートボディに非貫通顔の珍しい車両。しかし全て解体され現存車0…。
ED75形
- 東北地方で活躍していることから「赤べこ」というあだ名がある。
- だからといって「モーモー」鳴かない(笑)
- 短い車体に似合わず(?)結構パワフル。
- 赤白パンダに進化したカマがたくさんいた。
- しかし既に絶滅した。
- 『ナナゴ』の愛称で呼ぶファンも多い。
- なぜかレインボー色の車両が一機ある。もちろんスーパーエクスプレスレインボーを牽引したことは無い。
- 1028号機のこと。2009年3月に運用離脱。
- あだ名は『センニッパ』。本家のEF81やEF65の虹ガマとは側面に大きく塗られた形式番号の書かれ方が違う。EF81やEF65は側面中央に左上から右下にかけての斜字で、ED75は真ん中から車体後方にかけて形式番号が大きく書かれている。
- 当初その予定は無かったのかも知れないけど、どうせなら当面廃車予定のない車両に塗って欲しかった。
- 1028号機のこと。2009年3月に運用離脱。
- 一般型・耐寒型・奥羽型・九州型・高速型・北海道型と分類出来る。九州型は走れる線区少なかったので、早い時期に全車廃車。
- 奥羽型700番代機は下枠交差形パンタ装備。屋根上が他機と違ってシンプル。一部ED79に改造された
- EH500の台頭で淘汰進んでるが、鉄道ファンのみならず現場のベテラン機関士にも人気がある。重連で貨物引く姿はEH500には無い迫力がある。
- ED93(のちED77-901)・EF90(のちEF66-901)のような試作機がいない。1・2号機が試作機で、3号機以降から本格的に増備されはじめた。
- 電気暖房表示灯装備が基本だが、撤去された機関車もいる。
- 津波には耐えたのです。が……。
- 1039号機。震災の爪痕を表すオブジェの様な形で敢えてそのままにしてあるのか、単に処置が決まらないだけなのか、現在でも当時のままの場所に物悲しく佇んでいる。
- -775が大宮で保存されている。
ED76形
- 九州の主。
- 中間台車装架しているので、九州全域走れないED75-300(九州版ED75)にとって代わった。
- 1000番台は桜島の降灰対策で運転台窓がアルミサッシ。
- ここではEH500型に仕事奪われつつあるが、まだまだ健在。
- 鹿児島市電新車製造時の電圧整流器の役割担った。
- 実は北海道にもいたらしい
- 顔付が全然違っていた
- 札幌近郊の客レ廃止の時にほぼ廃車となった。一機だけ青函トンネル用として生き残ったが、使い勝手が悪かったのかそれもあえなく廃車された。
- 一部では地元のJRから形式消滅したといわれている。
ED77形
- 磐越西線電化用に製作された。
- ED75形に類似するが、軸重制限のある路線で使用するため、中間台車を装架している。
- 試作機である901は元々はED93形として制作され、量産化改造されてED77形に編入された。
- 登場時は非貫通でED74形に類似していたが、量産化改造の時に貫通扉が設置された。
- 磐越西線の軌道強化でED75形が入線できるようになったため、全廃された。
ED78形
- 奥羽本線板谷峠区間と仙山線の全面交流電化用に製作された。
- 試作機である901は元々はED94形として制作され、量産化改造されてED78形に編入された。
- 軸重制限のある仙山線でも使用するため、中間台車を装架している。
- 貫通扉がある以外はED76形に類似している。
- ED78同士の重連では非力であったため、重連にはED78+EF71の組み合わせで運用された。
- EF71が全廃されたあとも仙山線での需要があったため、生き残っていた。
- その仙山線もED75が入線できるようになったため、全廃された。
- 最終増備車はED75より若かった。
- その仙山線もED75が入線できるようになったため、全廃された。
ED79形
- 青函トンネルの補機。
- ここを通る寝台特急は、青森(青森信号所)から函館までこの機関車のお世話になる。
- JR貨物機は交流機なのに青系の塗装。
- しかも増備したのは民営化後、外見は旧型だが新しい機関車である。
- 補機専用の改造が最小限の100番台より、金をかけた0番台の方が廃車が進んでいる。
- しかし両方とも北海道新幹線開業で大量廃車になる公算が高い。
- 貨物委託廃止で100番台の存在意義がなくなったので、一足先に鬼籍入り・・・
- しかし両方とも北海道新幹線開業で大量廃車になる公算が高い。
- 一部はED75-700を改造して生まれたカマ。
- 一部というか大多数が改造車。新造は貨物機のみ。
EF70形
- 北陸本線の交流電化に伴い開発された6動軸交流機。
- しかしEF81形の進出に伴い、次第に活躍の場を奪われていった。
- 初期型と後期型では見た目がかなり異なる。
EF71形
- 奥羽本線・板谷峠越え区間が交流電化されたのに伴って投入された、赤いマンモス機。
- 直流電化時代に走ってたED16やEF64を追放した。
- EF16じゃなくて?<ED16
- スマンセン、EF16ですた。ご指摘ありがとうございますた。(byED16云々書いた人)
- EF64を転出に追い込んだ車両だが、EF71が先に形式消滅してしまった。
- 直流電化時代に走ってたED16やEF64を追放した。
- 重連で走る時はED78+EF71の組み合わせ。EF71重連だと線路を傷めてしまうかららしい。
- ED78同士の重連では非力だったため、補機扱いでEF71が製作された。
- 実際は単機運用もあった。
- ED78同士の重連では非力だったため、補機扱いでEF71が製作された。
- 非奥羽型のED75やED76などと比べると屋根上が交流機らしくなく、シンプル。
- 気動車時代の「つばさ」の補機も勤めた。
交直流機
EF30形
- 関門海峡専用機第1号。無塗装のステンレスボディが最大の特徴。
- 第2号のEF81形300番代もステンレスだが、こちらはローズピンク(赤13号)に塗装された。
- 1台車に1モーター。つまり実質上は「EC30」。
- 実走する交流区間は実質門司駅構内のみ。最高出力も1/4に削がれてしまう。
- なぜか20号機は関門海峡とは全く関係ない碓氷峠鉄道文化むらで余生を送っている。
EF80形
- こちらも実質上は「EC80形」。1台車1モーター方式。
- 常磐線専用機として開発されるも、EF81形の進出により国鉄分割民営化前に全機淘汰された。
JNR 日本国有鉄道 |
---|
新幹線 / 成田新幹線 | 動労千葉 |