京都市の住所と道路
2018年8月22日 (水) 08:50時点における>名古屋駅13番線による版 (→四条通: 内容追加)
京の住所と通りの噂
- 住所に番地がない
- 上下左右を、東西南北で語る。西に入る、東に入るといわず、右折・左折といってほしい。
- それでは、どっちを向いてはるかで違う方向になってしまいますやんか。
- 上下左右で語るのは、東西南北で語ると逆に混乱する構造をしている東京のローカルスタンダード。
- というよりも、東西南北で語れることをあえて自慢するのは、基本的に東京生まれ東京育ちの移住者(全国問わず)。
- 京都や大阪は基本的に碁盤目状になっているので東京の放射状の道が理解できない。東京の路線図を見ると頭が痛くなる。
- 上下東西だよ
- 「〜入る」は登記時の住所表記にもなっている。その後に町名と番地がある。
- 京都人にとって辻(交差点)毎に方角を指すのは日常の感覚。
- 町名は同じ区内でも同名の町があるため場所を一意に区別できない。逆に通り名+上ル下ル東入ル西入ル(ルは片仮名が正しい)で場所を一意に指定できるため町名番地は普段使われない。
- 郵便番号が7桁になるまでは京都人でも町名番地を知らない人が少なくなかった。というか、あれはどう考えても、郵政省を利用して国が京都の町名を忘れ去られないように画策したとしか思えない。
- あれって東(あずま)国人が京都のことを知らなかったからでしょ?
- 郵便番号が7桁になるまでは京都人でも町名番地を知らない人が少なくなかった。というか、あれはどう考えても、郵政省を利用して国が京都の町名を忘れ去られないように画策したとしか思えない。
- 三条通り、四条通り、五条通り、七条通り。。。あれ、六条通りは?ってほど、六条通りに存在感がない。
- 一条通り、二条通りはもっと存在感がない。
- 9系統堀川通縦断バスは、一条戻り橋・二条城前・堀川三条〜七条堀川停留所があるが「堀川六条」だけがない。
- 元処刑場だからです。…ってけーねが言ってた。
- 堀川六条は西本願寺前あたりなのに?
- 堀六に当たるバス停は「西本願寺前」
- 五条が南にズレた。今の松原が昔の五条。なので六条がないがしろにされてる。
- 五条を南にずらしたのは太閤秀吉。
- 現在は「花屋町通り」が六条にあたります。
- 五条を南にずらしたのは太閤秀吉。
- 「二条」は駅があるが、「一条」「六条」は駅すらない。
- 「六条郵便局」は現存する。
- 通りそのものは堀川~河原町の非常に短い距離しか現存してない。
- そもそも、京都の場合は「通り」と送りがなをふらず「通(とおり)」と書く。四条通、烏丸通など。
- 道幅も非常に狭く、油小路通から新町通の間は歩行者専用道路に指定されるレベルの幅員しかない。
- そもそも、京都の場合は「通り」と送りがなをふらず「通(とおり)」と書く。四条通、烏丸通など。
- 羅生門跡地を観に行くととてもガッカリする。
- 近所の公園の中にある。
- そのまた近所には、平安京南端を東寺と並んで護った、西寺跡も公園となっている。
- バス停は「羅城門」と表記したような気がする。
- 「まるたけえびすにおしおいけあねさんろっかくたこにしきしあやぶったかまつまんごじょう せきだちゃらちゃらうおのたなろくじょうさんてつとおりすぎひっちょうこえればはっくじょうじゅうじょうとうじでとどめさす」という謎の呪文があり、これを覚えないと「石の中にいる!」
- 正しくは「丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高松万五条、雪駄チャラチャラ魚の棚、六条三哲通り過ぎ、七条超えれば八九条、十条東寺で止めさす」であり、東西の通りを北から順に唄ってます。憶えると迷う確率が90%減少。
- 一時話題となった電波ソング「巫女みこナース」にも「姉三六角」が。
- 名探偵コナンの映画でも使われたな。
- なお和葉は姉小路を嫁小路と勘違いしている。
- 六条から下は複数パターンがあるようで……どうやら口頭伝達での間違いや地勢変化に応じた改造があった模様
- 著名なのが「六条七条通り過ぎ 八条越えれば東寺道 九条大路でとどめさす」。
- 「八条越えれば東寺道 九条東寺でとどめさす」ってのもある。
- 正しくは「丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高松万五条、雪駄チャラチャラ魚の棚、六条三哲通り過ぎ、七条超えれば八九条、十条東寺で止めさす」であり、東西の通りを北から順に唄ってます。憶えると迷う確率が90%減少。
- 南北の通りは「寺御幸麩屋富柳堺、高間東車屋町、烏両替室衣、新町釜座西小川、油醒井で堀川の水、葭屋猪黒大宮へ、松日暮に智恵光院、浄福千本はては西陣」(てらごこふやとみやなぎさかい、たかあいひがしくるまやちょう、からすりょうがえむろころも、しんまちかまんざにしおがわ、あぶらさめがいでほりかわのみず、よしやいのくろおおみやへ、まつひぐらしにちえこういん、じょうふくせんぼんはてはにしじん)。これを憶えれば洛中で99%迷いません。(京都人でも、丸竹夷は歌えてもこっちは歌えない人が多い)
- 「丸竹夷」と「寺御幸」の歌さえ暗記すりゃ同じ碁盤目状の札幌の街区よりはるかに目的地を探しやすいと思う。(by札幌市民)
- 俺は札幌の方が座標になっているし覚えやすいな~。京都の場合は通りの名前を知っているという前提じゃないとわからん。
- 「J-AC TOP40」を初期の頃から聞いてる者にとってはちょろいもの。
- 南北の通り歌は京銀が積極的にCMで流していた。
- 「丸竹夷」と「寺御幸」の歌さえ暗記すりゃ同じ碁盤目状の札幌の街区よりはるかに目的地を探しやすいと思う。(by札幌市民)
- 「烏丸」を「からすま」と読まないと、冷ややかな眼差しの笑顔で訂正されてしまう。
- アニヲタにまで訂正されてしまう。
- 大路、ちとせ、キリオ
- 京介、与一、さくら、あとまた別の千歳が。
- 修学旅行の中学生は地下鉄車内で「とりまるおいけで乗り換え」と何度も確認する。
- 修学旅行生に「よんじょう」には止まりますか?と確認されたことがある。
- 東京方面からの修学旅行生が「シジョー」と一本調子で読んでたのを聞いたことがある。思わず「訛ってはんなぁ」と思ってしまった。
- 恥ずかしいことに、「とりまる」と勘違いしていました。
- 「鳥」と「烏」は根本的に字が違うと思う。「烏」の読み方は京都に限らず全国何処でも「からす」
- 字が似てるから勘違いするんじゃない?
- 実際には違うが、パソコンで見ると同じに見える。間違うのも無理はない。
- というより「烏」という漢字を使う機会は少ないからでは、とも思う。カタカナで表記することの方が多いから。
- カラスは真っ黒で目が見当たらないから、「鳥」の目の部分がなくて「烏」。だから白いカラスは「鳥」。
- 「鳥」と「烏」は根本的に字が違うと思う。「烏」の読み方は京都に限らず全国何処でも「からす」
- 「笛吹」「人里」東京都奥多摩の地名ですが、読めますか?読めないと奥多摩町民に冷ややかな眼差しの笑顔で訂正されてしまいますよ。
- そんな蛮地と都の中心部とで知名度比べされてもー
- それより先に「日暮里」と「御徒町」を挙げていい気がする。
- 「笛吹」と書いて「うすい」と読む苗字のアナウンサーがいますね…。
- アニヲタにまで訂正されてしまう。
- 北海道にも「ウトロ」があると初めて聞いたとき「北海道も京都と同じで大変なんやなあ」と思った人は多いはずだ。
- 読み方は「うとぐち」ね。
- 「烏丸丸太町」のことを「からすまるまるふとるまち」と読んだ人がいると聞いて大爆笑したことがある。
- 他、河原町で「しんでいち」行きのバス停はどこですか?と修学旅行生に聞かれたことがある。もちろん「深泥池」のことである。
- とにかく読み方が厄介な京都の地名だが「七条」は地元でも時々混乱する。「しちじょう」「ななじょう」両方あり。
- 「ひっちょう」だ。ちなみに八条は「はっちょう」だ。
- そんなん聞いたことも言うたこともおへんえ。「しちじょう」「はちじょう」や。
- 普通に言っているけど(by京都に親戚がいる大阪人)。
- 耳を澄ませてよく聞いてごらん。京阪のアナウンスも、実は「hichijo」と発音していることがわかる。
- 関西では「質屋」も「ひちや」と発音する。
- そんなん聞いたことも言うたこともおへんえ。「しちじょう」「はちじょう」や。
- 混乱も何も、交通機関によって言い方が異なる。市バスでは「ななじょう」で、京阪では「しちじょう」。
- 市バスは市電時代から「一条(いちじょう)」との聞き間違いを防ぐため意図的に「ななじょう」と発音している。
- 「ひっちょう」だ。ちなみに八条は「はっちょう」だ。
- 京阪三条と三条京阪のニュアンスの違いが理解できるようになったらプロの京都民。
- 「東大路通」を「東山通り」と言うようになったらこれまたプロ京都民ですな。
- 「東山三条」は「東大路三条」
- 町名との逆変換ができるのもプロ京都市民。「円町」=「西大路丸太町」、百万遍=「東大路今出川」、「白梅町」=「西大路今出川」、「熊野神社前」=「東大路丸太町」、「祇園石段下」=「東大路四条」
- とうとう、東西で並行している通り同士が交わってしまう交差点「三条御池」ができてしまった。
- 場所は地下鉄東西線太秦天神川駅・嵐電天神川駅がある右京区役所の前。
- じつは七条通と八条通も交差している
- しかし、その交差点名は「桂大橋」
- 七条通と八条通の双方ともバス路線が通っているが七条通のそれはかなり狭い。おおよそバスが通るとは思えない道。
- 交差点名称(交差点にある標識に書かれた地名)は南北と東西の通り名の組み合わせ。「河原町五条」とか。しかし、南北の通が先か、東西の通が先かはバラバラ。挙げ句、同じ交差点内なのに「河原町七条」「七条河原町」と、標識のついている位置によって名称が違うところまである。
- 同一交差点内で標識に書かれた名称が変わるのは他に北海道くらい。
- 住所と緯度経度座標とを関連づけた「アドレスマッチング(ジオコーディングとも)」では京都市内でも通常の住所には対応しているが、「西入ル」「上ル」などの通り名には対応していない。ので、わざわざそれ用のアドレスマッチングジオどすが作られた。その努力には頭が下がります。
- 中心エリアは、座標表示のような住所表記だが、その外側はそういう表記がない代わりに町名の文字数が多い。5文字町名なんてまだ「平均レベル」の部類。
- 合併した町村の大字小字を殆どそのまま流用した町名だからねぇ。例えば南区吉祥院石原堂ノ後西町とか。
- 実は政令指定都市としては唯一住居表示制度を採用していない。なので妙に長い町名が未だに多く残っている。
- 合併した町村の大字小字を殆どそのまま流用した町名だからねぇ。例えば南区吉祥院石原堂ノ後西町とか。
- 「北大路通」「東大路通」「西大路通」は存在するが「南大路通」だけ存在しない。その役割を果たしているのは九条通。
- 場合によっては「九条大路」とも呼ばれる。
- 「九条通」は存在するけど、「カータレット通」は存在しない。念のため。
- 単語で分解すると車屋町通になるとかならないとか。
- 作者曰く何となくらしいが…
- 単語で分解すると車屋町通になるとかならないとか。
- 「千本通」はアホみたいに長い。しかも途中で新旧に分かれる。
通りごとの噂
東西方向
北山通
- 北大路通より更に北側を東西に通る道。
- 京都ではおしゃれなイメージがする地域らしい。
- 例:マールブランシェの紙袋には「京都北山」という地名が明記されている。
- 五山送り火の「妙法」が間近に見える場所がある。
今出川通
- 学生の街・京都を感じられる通り。
- 西側はいわゆる「西陣」を貫通している。
- 沿道の公共施設や店舗などには名前に「西陣」が入ったものが多い。
- 京都でいわゆる「上(かみ)」と呼ばれるのはこの辺りから北。
- この通りにLRTを走らせる計画は結局消滅してしまった模様。
一条通
- 元平安京北端。
- 今は京都市内ならどこにでもありそうな一方通行の細い通りになってしまっている。
- 現在有名な見所と言えば一条戻橋くらい。
- 橋の下の堀川が整備されたため式神が住めそうにない環境になっている。
- 西大路通より西側は狭い道をバスが走りまくっている。市バスだけでなくJRバスも。
丸太町通
- 沿道には京都地裁や京都市中央図書館などの公共施設が結構ある。
- 円町以西の区間は開通する前に映画の撮影に使われたという。
- その映画は権利関係で色々あった末現在は祇園祭の時期にしか上映できなくなっている。
- かつて市電が通っていたのに「市電復活」の計画では予定ルートから外されている。
- NHKの近くで曲がっているのはかつて存在した監獄をよけるためだという。
- 西大路通より西側は狭くなっている道が多いが、丸太町通は通りの西端までずっと片側2車線の広い道が続く。
- 嵯峨・嵐山地区では珍しく広い道である。
- 円町から西側「新丸太町通」の別名あり。
- 嵯峨・嵐山地区では珍しく広い道である。
- 東西どちらの端も山が立ちはだかっている。
- 京都市バスの93系統がほぼ全線を走る。
夷川通
- 家具屋が多い。
- 烏丸通と寺町通のところには「家具の街夷川」という看板もある。
- 昭和初期の鴨川の洪水で橋が流されて以来ずっと鴨川で分断されたまま。
二条通
- 疏水の東側では美術館や図書館といった文化施設が沿道の両側に建っている。
- 相当昔に「六勝寺」があったのも同じ場所。
- 梶井基次郎がレモンを持って丸善へと歩いたのもこの通り。
- 烏丸通と交差するあたりは薬の店が多い。
- 西の端は堀川通なので二条駅までは届いていない。
- 千本通より西でも一応「新二条通」とか呼ばれてるらしい。
- 二条駅の目の前から東に延びる道は御池通。
御池通
- 京都市役所の前を通っているので、京都のメインストリートと呼べなくもない。
- 確かに烏丸御池の辺は最近来てるからなあ。
- 防火のため、道幅はかなり広い。
- 但し広いのは川端通りから堀川通まで。堀川通から西はこれまでが嘘のような狭い道になる。
- 嵯峨野線の二条のガードより西側になるとちょっとだけマシになる。でもこの道路から直進で接続するのは二条城南側の押小路通。
- 「御池」という名前の由来は神泉苑の池。
- 昔はケヤキ並木があったが地下鉄東西線の工事により消滅した。
三条通
- 東の端は京都東ICの流入路に見えるが……
- 側道っぽい1号線への流入道路までが三条通らしい。京都市中心部の通で唯一大津まで伸びる通りである。といっても大津へ入ってすぐの横木2丁目だが。
- 反対側の西の端は嵐山渡月橋のたもと。
- 山科では旧国道1号線。三条通という人もいれば東海道という人も居る。
- 三条大橋を渡り京の都へ入るやいなや、幹線から西行一通に大変動を起こす。旧市街に入った途端渋滞する幹線道路の見本。
- 三条大橋は言うまでもなく東海道五十三次の終点。高山彦九郎像が目印。
- 割とバラエティーに富んだ道。路面電車はあるわ、高速のインターになるわ、旧道とはいえ国道1号線の一部を構成するわ、アーケード商店街に変貌するわ……
- 三条通の商店街と言えば河原町通から寺町まで延びる三条名店街と堀川通~千本通の三条会商店街がある。前者は新京極などに繋がる京都一の繁華街の一角を形成し後者は京都一長い商店街。
- 三条会商店街は抹茶ソフトクリーム発祥の地でもある。
- 明治時代になると早くから赤煉瓦の建物が建ち並んだ。
- そのせいで道路の幅を広げられず市電を通すことができなかったらしい。
錦小路通
- 言わずと知れた京の台所。
- この通り沿いの店の人は意外とパン食派が多いらしい。
- かつては「屎小路」という名前だった。
- 正直この名前のまま食品市場にならなくてよかったと思う。
- さらに昔は「具足小路」だった。
- 奇想の画家伊藤若冲を育んだ通り。
四条通
- 東の端も西の端も神社。
- 東端:八坂神社、西端:松尾大社
- 烏丸以東はいつ行ってもとにかく人が多いという印象がある。
- 交通量も多いためこの通りを通る市バスは遅れることが珍しくない。
- 昔は四条大宮から松尾橋までトロリーバスが走っていた。
- 全通当時のニュース映画によるとさらに嵐山方面への延伸も計画されていたらしい。
- 今は西大路通~鴨川西岸までの間の地下を阪急京都線が通っている。お陰で市営地下鉄を建設できない。もしここに市営地下鉄があったら京都駅~四条河原町を地下鉄だけで移動できるので運賃も安くなり京都市内の交通事情は改善されていただろう。
- 7月になると山鉾の組み立てが始まり通っているだけでも「もうすぐ祇園祭か」と意識させられる。
- 京都外国語大学の前あたりから西は片側1車線と狭くなる。
- 烏丸~川端も片側1車線になってしまった。
- 烏丸通~河原町通の信号機は祇園祭の山鉾が通るために折りたたむことができる。
- 市電があった時代は架線を撤去していた。
綾小路通
松原通
- かつてはこちらが五条通だった。
- 弁慶と牛若丸が橋の上で戦ったのもこの通りなのに二人の石像は現在の五条大橋のたもとにある。
- 清水坂もこの通りに属する。
- 穂乃花ファンの聖地
五条通
- 太平洋戦争の時に建物疎開をしたのでやけに広い通りになった。
- 戦前はどんな町があったかということを記録する取り組みも行われている。
- 豊臣秀吉が方広寺参拝のため整備したので秀吉本人同様の出世を遂げた。
- 西京極総合運動公園から西大路通までの間はよく駅伝やマラソンのコースとなる。
- 全区間が1桁国道(堀川通を境に東が国道1号・西が9号)。
- 三条通とともに東山を越えて山科に通じている。
- 五条坂交差点は京都市中心部に近い所としては珍しく立体交差構造となっている。
- 立体区間は二輪車通行禁止となっている。
- 五条坂交差点は京都市中心部に近い所としては珍しく立体交差構造となっている。
七条通
- 「しちじょう」なのか「ななじょう」なのかよくわからない。
- 京阪の駅は「しちじょう」なのに対し市バスの停留所は「ななじょう」。
- 正式には「しちじょう」だけど、市バスは市電時代から「一条」との混同を避けるために意図的な「ななじょう」という読みにしたとか。
- 京阪の駅は「しちじょう」なのに対し市バスの停留所は「ななじょう」。
- かつて市電の通っていた中心部は片側2車線以上あって比較的広いが、西大路通から少し行った場所から西はこれまでが嘘のような狭い道になる。
- しかもそこをバスが通っているが、すれ違いに苦労するほど。
- 西端は桂大橋の東詰で、八条通と合流する。
塩小路通
- 京都駅烏丸口を出ると見えてくる東西の通り。
- 京都駅の位置がもう少し南北方向にずれていたら地味な通りで終わっていたことは間違いない。
- かつては三哲通と呼ばれていた。
- JRバスには現在もこの名称のバス停がある。
南北方向
白川通
- 東大路通より更に東にある大通り。
- 一般的には南禅寺前から宝ヶ池通までの区間を指す。
- 銀閣寺道から修学院道の間は街路樹が立ち並んでいる。
- その光景はけいおん!でも再現されている。
- 丸太町通以南は道幅が狭い。
- 銀閣寺道から修学院道の間は街路樹が立ち並んでいる。
- 京都市北部では珍しく道路側が上の叡電との立体交差がある。
- 大原方面から来る京都バスはここから川端通に入るため、陸橋脇の側道に入っていく。
- 立体交差には歩道が無いため、この辺を徒歩か自転車で行こうとすると、ちょっと面倒臭い道のりとなる。
- 大原方面から来る京都バスはここから川端通に入るため、陸橋脇の側道に入っていく。
- 京都の有名ラーメン店である天下一品と魁力屋の本店がこの通りに面している。
東大路通
- 沿道にいろいろありすぎて一言では表現できそうにない。
- 北の方は京都大学の校舎や関連施設がかなりある。
- 八坂神社や知恩院、清水寺、智積院など観光名所が多いため年中渋滞している。
- 特に紅葉シーズンはひどい。
- 一応片側2車線はあるものの重要な道の割には幅が狭い。
- この通りの地下にこそ地下鉄が欲しい所だけど…。
- バス停名などではもっぱら旧名の「東山」が使われている。
- だが今熊野辺りに置かれる話が出ているJR駅の仮名は「東大路」。
- 通りの北端は北大路通と交差する高野交差点と思われがちだが、実は叡電修学院駅のすぐ西側である。
- 高野以北は道幅も狭くなるので東大路通だという実感が薄い。
- 一乗寺のラーメン店密集地も含まれる。
川端通
- 三条から南はもともと京阪電車が走っていたところ。
- そんなに歴史がない通りなので「川端○○」という交差点の呼び名はあまり見かけない。
- むしろ『京阪』が使われる。
- 位置の割に意外と静かな印象がある。
河原町通
- 烏丸通はビジネス街だが、こちらは京都一の繁華街を南北に貫く。
- 実は北大路通まで通じていない。出町で賀茂川を渡ると下鴨本通に名前が変わる。
- 四条通より南は地味な印象。
- 四条通から南、七条通までは実は斜めになっている。
- 四条河原町からまっすぐ南下すると鴨川にぶつかってしまう。
- 四条通から南、七条通までは実は斜めになっている。
新京極通
- 修学旅行でやってきた中高生がうろついている印象が強い。
- 昔の場合は「中高生の一部がお土産で買った木刀を持っている」というものも追加。
- もともと寺が多くあったが、江戸時代からすでに境内は縁日や見世物などに利用されていたらしい。
- 本格的に現在のような繁華街になったのは明治に入って境内の整理と道路の建設が行われてから。
- 「活動写真」の時代からずっと映画館がある。
- 表通りから少し奥に入るとサブカルチャー関連の店も見かける。
烏丸通
- 不甲斐ない朱雀大路に変わって、都の中心となっている通り。
- 明治時代に京都駅と京都御所を直結する行幸を想定した道路として大拡張された。
- 基本的には直線。でも東本願寺前のみ何故か捻ってある。遺跡でも避けとんかね。
- おかげでさながら東本願寺の車止め状態。
- あれは東本願寺の門前を市電が通らないようにしたため。
- 京都駅より南にも伸びているが、やや影が薄い。
- 丸太町通から五条通のあたりまでは赤く塗られた二輪用レーンがあるが、駐車帯状態になっていることもしばしば。
- 四条通との交点のみ烏丸があとに来る。他は烏丸○○と烏丸が先頭に来る。
- 七条通との交点は市電時代「七条烏丸」だったが現在はなぜか「烏丸七条」とひっくり返っている。
- 実は烏丸丸太町交差点付近で微妙にS字がかっている。
堀川通
- 堀川が地上に出ている部分では通りが東西に分かれている。
- 昭和36年までチンチン電車が走っていたのは狭い方の東堀川通。
- この通りも大戦中の建物疎開により大幅に拡張されている。
- その時に京都有数のにぎやかな商店街だった場所が一つ完全に消滅してしまったという。
- 日本で初めて「1階が店舗、2階以上が住居」の集合住宅が建てられたのはこの通り沿い。
- 交差点名などでは「ほ」にアクセントを置いて発音される。
- 南側は油小路通を経て第二京阪道路の側道(国道1号線)に繋がっている。
- 1度も右左折せずに道なりに行くと大阪市鶴見区に行くことができる。
千本通
- 見ただけでは、ここが朱雀大路だったとは絶対に思ってもらえない。
- 京の朱雀大路だったのに平安中期には既に風葬のための道路となっていた。高級貴族は紫野にて風葬されたが中級以下の庶民は、野辺送りなどされず途中で捨てられていた。そこに申し訳程度の供養目的で立った卒塔婆があまりにも多かったので千本通なんて名前になったらしい。
- 畑として使われた部分もあったらしい。
- これでも昭和の頃は歓楽街だった。今は全然大したこと無いけど。
- 水上勉の小説『五番町夕霧楼』に登場した色街もこの通り沿いだがかなり寂れている。
- 主な客が西陣織関係者だったため和服離れの影響を大きく受けてしまった。
- 三条通以北は広いが、以南は狭い。
- 逆に大宮通は四条大宮交差点以南が広く以北は狭い。その間を後院通が繋いでいる。
- 南端は何と京阪淀駅近くの納所交差点。
西大路通
- 左大文字を見通すことができる区間がけっこうある。
- 昭和になってできたせいかけっこう道幅が広い。
- 北の方は金閣寺、平野神社、北野天満宮(若干距離あり)などけっこう見どころがある。
- それに対し四条通以南はこれと言って有名な観光地はない。
- 八条のあたりでは神社のご神木を避けるためやや曲がっている。
その他
後院通
- 京都では数少ない斜めに通った道。
- この通りから細い道に入るとすぐ碁盤の目状の部分に戻るため一瞬方向感覚が狂う。
- 千本通と大宮通を北西から南東に向けて繋ぐ形になっている。
- 市電を通す時に千本通りを拡張する予定だったが用地買収でもめたあげく若干ずらす羽目になってしまったらしい。
- 餃子の王将の1号店はこの通りに面している。