もしあの人が健在だったら/大相撲

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沖ツ海福雄

  1. フグで逝かなければ、双葉山単独時代はなかった。
    • 双葉山の69連勝は、もちろんあり得ない。
  2. 大関には間違いなく昇進。1936~38年辺りに横綱昇進。
  3. 史実で"弱い横綱"として有名な武藏山、男女ノ川は横綱に昇進していない。
  4. 1945年11月場所で引退(双葉山、笠置山らと同時)。その後、若藤部屋を無事継ぎ、角界を代表する大部屋に成長させている。
  5. ところで「もしあの人が健在だったら」の対象は「昭和20年以降に亡くなった人物」ですよね?
    • 沖ツ海は昭和8年(1933)没。

北出清五郎(NHK相撲アナウンサー)

  1. 現在の相撲アナウンサーはもっと充実していた。
  2. 力士の心をつかむのが巧いので、朝青龍が本音で話せる数少ない人になっていたかも知れない。

蔵間龍也

  1. 大相撲解説者やタレント活動などを継続。
    • 舞の海の仕事もいくつも奪っていた。
    • デーモン小暮閣下と優勝力士予想を続けていた。
      • そしてやっぱり何度も負けていた。
  2. その後も大相撲の裏話を何度も本にする。
    • 朝青龍や白鵬を何度も取り上げている。
  3. 白血病から生還を果たしていた場合、やはり骨髄バンク登録を呼びかけている。
  4. 今頃、日本テレビ「スポーツうるぐす」の大相撲解説をやっていたかも。
    • いや、TBS系「ブロードキャスター」の相撲解説を担当していたかも。
  5. 2007~2008年の角界の一連の不祥事に対していち早く相撲協会の責任を追及し、北の湖理事長に辞任を勧告していた。
    • されど、北の膿、ではなかった、北の湖は、現役時代、蔵間と10数回対戦して無敗であった。北の湖は、蔵間の追及を一笑に付した可能性も大。
  6. 相撲協会に残っていた場合、2002年8月に師(元大関豊山)を継いで時津風親方となっていたかも。
    • 確かに、元大関豊山の弟子で関脇以上に昇進したのは蔵間だけだった!!
      • あの忌まわしいリンチ殺人事件も起きなかった。
    • 白血病が相撲協会を離れる一因だったとも言われているから、発病がなければ確実に時津風を継承していた。
  7. 朝青龍が心を許していた。

剣晃敏志

  1. 貴乃花、若乃花、曙の横綱昇進が若干遅れていた。
    • 若乃花の横綱昇進が遅れていた可能性、もしくは大関止まりだった可能性はあったかもしれない。ただ曙と貴乃花は剣晃の幕内在位中には既に横綱に昇進していたからあまり関係なかったかも。ただ優勝回数は少し変わっていた可能性もあると思うが。
  2. 安芸乃島と共に「角界のヒール」として一時代を築いていた。
    • 若貴にもちょくちょく勝ってたし、十分一時代を築いてたと思うが。
  3. 引退後は無事に高田川部屋を継いでいたことでしょう。
    • 奇しくも、貴乃花と「仲違い」になった、元関脇・安芸乃島が高田川部屋に移籍して部屋を継いだ。また、一部では、「剣晃関と安芸乃島関って、何となく顔の雰囲気が似ている。」とも言われていた。
  4. 近くの大阪府寝屋川市出身・豪栄道関(2009年5月場所新関脇、大阪府からの関脇は剣晃関の師匠・元・前の山=のち大関=以来となった)よりも早く関脇に昇進していたと考えられる(後述の龍興山関と競って。因みに剣晃関は守口市、龍興山関は堺市出身)。
    • また、豪栄道関は特に京阪電鉄沿線出身の先輩・剣晃関を「兄貴」と呼んでいたであろう。

小坂秀二(相撲評論家)

  1. 朝青龍の品格面を非難し、横綱として認めようとしない。
  2. 引き技が目立ち、全体に稽古不足の大相撲に警鐘を鳴らしていたろう。

琴櫻傑將

  1. 琴欧洲・琴光喜に続き琴奨菊の大関昇進伝達式にも立ち会っていた。
  2. 琴光喜が野球賭博で解雇された際には怒り悲しんだであろう。

佐賀ノ花勝巳

  1. 押尾川事件はなかった。
    • 天龍のプロレス転向もなかった。
    • 押尾川部屋も創設されない。

大翔鳳昌巳

  1. 「立浪親方」の座を巡り、現親方(元小結・旭豊)との間で、激しい争奪戦を演じた可能性がある。
    • 旭豊は分家の大島部屋出身、大翔鳳は本家の立浪部屋出身の元小結。
    • 本家出身の、元横綱・双羽黒(北尾光司) が「立浪部屋のマネージャー」に就任することはなかったはず。

貴ノ花利彰

  1. 兄である初代若乃花の葬儀委員長を務めていた。
  2. 現役時代最大のライバルだった高見山(初代東関親方)の相撲協会定年の際、労いのメッセージを送っていた。
  3. がんの発症もなかった場合、息子2人の仲裁に全力を注いでいたかもしれない。

玉の海正洋

  1. 輪島や北の湖の横綱昇進はかなり後にずれ込んでいた。
    • 栃東、高見山の優勝はなかった。
  2. 男児が誕生し、後に若貴や曙のライバルとなっていた。
  3. 「中日・玉の海・エビフライ」が流行語になった。
  4. 1980年頃まで現役で、その後は片男波親方として協会の重要なポストに収まっている。
    • 現役時代の実績によっては「玉の海親方」になっていたかもしれない。
    • 2002年2月に日本相撲協会理事長に就任していたかも。
  5. 北の富士勝昭の現役引退がもう少し先だった。実際、玉の海亡き後、北の富士の成績は悪化している。
  6. 琴櫻や2代目若乃花(間垣親方)、三重ノ海(武蔵川親方、元理事長)の横綱昇進は無理だったにちがいない。いずれにしても、大相撲史はがらりと変わっていたであろう。
  7. 大相撲ダイジェストで解説者をやってたかも。
  8. 76年、史実より2年遅れて横綱昇進の北の湖と入れ替わるように引退か?
  9. 自らが在日韓国人だということは未だに公表していない。

千代の山雅信

  1. 弟子の千代の富士と孫弟子の北勝海は別門だったかも。
    • 史実の八角部屋が井筒部屋、史実の井筒部屋が君ヶ濱部屋になっていた。
      • 鶴嶺山・逆鉾・寺尾が「君ヶ濱三兄弟」と呼ばれていた。
    • あの伝説の猛稽古もなかった。
      • 北勝海は大関・横綱への昇進を果たせず、四股名も「保志」のままだった。
    • 同部屋横綱による優勝決定戦は未だに実現していない。

双葉山定次

  1. 停年(1977年2月)まで理事長職にある。
    • その場合、旧武蔵川理事長は実現しない。
      • 国技館は未だに蔵前のままだったかも。
        • 北の湖は1985年まで現役を続けていなかった。また引退後も理事長にはなっていなかった。
        • 蔵前駅に都営地下鉄浅草線のエアポート快特が停車している。
    • 停年後は相撲博物館館長就任。
  2. 無気力相撲一掃に全力を傾けていた。
    • 八百長皆無の現役時代、説明無用の実績で発言力、説得力が抜群。
  3. 朝青龍、白鵬が頭が上がらない。
    • 双羽黒も双葉山の話なら真剣に聞くだろうから、改心しあのようなことはなかった。
    • 外国人力士がそもそも多くいただろうか。あまり外国人力士受け入れに積極的ではなかった話も聞くし。
  4. 爾光尊事件は無かったことにされていた。

龍興山一人

  1. 少なくとも三役に昇進していた。
    • 大関・更には横綱に昇進していた可能性も有り。
  2. 少なくとも1回は幕内優勝を果たしていた。
  3. 曙・貴乃花・若乃花の壁になっていた。
  4. 泉州山の角界入りは無かった。
  5. 小城ノ花はもっと活躍していた。
  6. 久島海が平幕止まりなどということはなかった。

若乃花幹士(初代)

  1. 2011年の八百長騒動に激怒していた。