「大阪市の神社」の版間の差分
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#*駅から近いのは北側なので、間違えたふりしてこっそり入っていく人間が居ないわけではない。 | #*駅から近いのは北側なので、間違えたふりしてこっそり入っていく人間が居ないわけではない。 | ||
#*ここに限らず神社は大体南側が正門で本殿も南向きになっていることが多い。例えば京都の八坂神社も祇園交差点に面した西側ではなく南側が正門。 | |||
#上方落語を始め古典芸能が見られる天満天神繁昌亭があるのはここ。 | #上方落語を始め古典芸能が見られる天満天神繁昌亭があるのはここ。 | ||
#初詣の際には臨時の授与所もできる。 | #初詣の際には臨時の授与所もできる。 | ||
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#境内には「すべらんうどん」の店がある。 | #境内には「すべらんうどん」の店がある。 | ||
#*視覚障害者の人が開発したらしい。 | #*視覚障害者の人が開発したらしい。 | ||
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===歯神社=== | ===歯神社=== |
2021年5月4日 (火) 18:23時点における版
分割済み
西区の神社
土佐稲荷神社
- 西区
- 三菱グループの神社。
- そのため賽銭箱には三菱のスリーダイヤのマークがあり、境内と外を仕切る玉垣にも三菱関係の会社が目立つ。
- 元々は土佐藩のお稲荷さんだった。
- 桜の時期には混雑する。夜店も出るし。
サムハラ神社
- 西区
- まず、字が書けん読めん。
- 機動警ら隊の隣にある。
- 先の大戦の折、ここで千人針を祈願して、それを持たせた兵隊は、みんな帰ってきたとか言う伝説がある。
- 字で書くとサとハがてへんに上に合で下に辛いと書いて、ムがてへんに台、ラがてへんに上に包むと書いて下に口を書く。
- 神字なのでパソコンでは変換不可。
- お守り指環「御神環」が異様に人気ある。
- あまりに人気なので月に1~2回しか授与されず、詳細な授与日も一切知らされない。
- しかも入荷しても、自分に合うサイズでなければ授与して貰えないので、本当に運次第。
- 御神環をオークションサイトに高値で出品する転売屋にとうとうぶちギレて、「御魂抜きの神事」を行った。
- つまり過去の個体含めて、出品される御守りは御利益を一切無効化されたということ。
- 以前から頒布当日の参拝客のマナーが悪く、近所迷惑をかけまくってたことから、とうとう御神環の頒布が無期限休止になってしまった。
- 御神環と同じご利益がある「銭形肌守り」は頒布継続中なので、どうしてもご利益にあやかりたい人はそちらをどうぞ。
- あまりに人気なので月に1~2回しか授与されず、詳細な授与日も一切知らされない。
- 創建は1950年と、割りと新しい。
- 一部のファンに人気。
北区の神社
大阪天満宮
- 受験のシーズンは特に賑わう。あと7月の天神祭も有名。
- 節分の日の昼間も、ある理由で賑わう。
- 日本三大天神の一つ。
- 防府他多数と、北野、太宰府の確定した後の一枠を争っている。
- 神社のお祭りは日本三大祭の一つ。
- ギャルみこしで有名。
- 天神祭は7月25日だが、ギャルみこしは2日早い23日。
- 今の天神祭のルートは、昔と逆。昔なら、神様のお帰りの時のルートだった。
- 船渡御もかつては道頓堀川方面へ下っていっていたらしいが、今は逆に桜ノ宮方面へ上っていくコースになっている。ただこれは橋の高さと船の高さの兼ね合いによるものらしい。
- ギャルみこしで有名。
- 混雑することが想定される日は、参拝順路が南から北への一通になる。因みに南側は正門。
- 駅から近いのは北側なので、間違えたふりしてこっそり入っていく人間が居ないわけではない。
- ここに限らず神社は大体南側が正門で本殿も南向きになっていることが多い。例えば京都の八坂神社も祇園交差点に面した西側ではなく南側が正門。
- 上方落語を始め古典芸能が見られる天満天神繁昌亭があるのはここ。
- 初詣の際には臨時の授与所もできる。
- 御朱印はこちらのほうが断然早い。
- 本来の授与所では列が長いうえ割り込みも多数発生する。
- 天満宮ではあるがえびす祭にも力を入れている。
- 六代目の文枝師匠(旧三枝)も復活に貢献したとか。
- 現在の本殿は大塩の乱後に建て直されたもので太平洋戦争でも無事だった。
- 境内にある大将軍社は天満宮自体よりさらに300年古い。
- 学業成就のお守りだけ異常に高い。
- 境内には「すべらんうどん」の店がある。
- 視覚障害者の人が開発したらしい。
- JR東西線の駅名にもなった。
歯神社
- 北区
- 全国で唯一、歯痛にご利益のある神社。
- かつてここに大きな石があり、それが淀川の氾濫によって襲来した大水を食い止めたことから歯止め→歯痛止め、ということになったらしい。
- 本殿の前にある石を撫でて歯の痛い場所をさすると痛みが和らぐらしい。
- 梅田の繁華街のど真ん中にある。
- 位置的にはHEP FIVEの環状線の線路を挟んだ裏あたり。
- 神社とは言っても、小さい祠があるだけ。
- 実際には北区内にある綱敷天神社の末社という扱い。
- 大阪駅から見えるダイキン工業のぴちょんくんの広告塔のほぼ真下にある。
- すぐ横に大阪環状線の高架も通っているが、大多数の人は気づかないだろう。
- 所在地は北区角田町。つまり阪急百貨店うめだ本店と同じ。
堀川戎神社
- 北区西天満
- えびす祭の時期だけで、1年間の賽銭の9割を稼ぐ神社。西宮や今宮でもここまでではない。
- 普段は大阪天満宮にはとてもじゃないけど敵わないくらいに、参拝客数が少ないが、1月9日~11日だけは、エゲツない混み方をする。
- 関西では西宮えびす神社、今宮戎神社に次ぐえべっさんとして知られるが、どこにあるかを知らない人が多い。
- 尼崎戎神社などよりも参拝客数は多いし、知名度も高い。
- 最寄駅は大阪メトロ南森町駅。
- 14世紀中頃にこの地に遷座したとか。
- それまでは、何故か何鹿郡山家村にあったらしい。結構遠距離の遷座である。
露天神社
- 北区曽根崎
- 通称の「お初天神」のほうがずっと有名。
- かの『曽根崎心中』(近松門左衛門)の舞台になった神社。
- だが公式サイトのアドレスは「tuyutenjin.com」。
- 商店街(むしろ歓楽街かも)の曽根崎センター街は「お初天神通り」とも呼ばれている。
- 梅田・曽根崎地区の総鎮守らしい。
- もともとは広大な境内を誇っていたが現在は建物に埋もれかけている。
- 御所さながらに左近の桜と右近の橘がある。
- この神社最大の恩人とでも言うべきお初と徳兵衛の現代化されたキャラを募集していた。
- 「ろてんじんじゃ」ではなく「つゆのてんじんしゃ」と読む。
天王寺区の神社
大江神社
- 狛犬ならぬ狛虎で有名。
- というわけで、結局ここも虎党の聖地。
- 実際に狛虎の回りに朽ち果てた黄色いメガホンが置いてあったりすることもある。多分備えた当初は新品だったんだろうと思うが、もはや不法投棄のような汚さ。
- 「愛染さん」こと勝鬘院のすぐ隣にある。
- 因みに神社の横の坂は天王寺七坂の1つ、愛染坂。
- 大江千里ファンが反応する神社。
- 堀越神社などと並んで四天王寺七宮の1つ。
- 同じ四天王寺七宮の1つだった熊野古道の上野王子にあった上之宮神社を合祀している。同様に小儀神社も合祀。
- 聖徳太子が四天王寺建立の記念に創建した神社。
- 明治初期に神仏分離令にが出るまでは大きな神宮寺を抱えたりするなど、仏教とは、他の神社以上にズブズブの関係だった。
- それだけ歴史がある神社だったのに、旧社格は郷社。
生國魂神社
- 天王寺区天王寺区生玉町
- とにかく鳥居が大きい。
- サントリー提供らしい。サントリー創業者鳥井さんの鳥居。
- 日本総鎮守の神社
- 神武天皇東征の折、天皇自ら起請なさったとかで、天皇家公認。とにかくエライのである。
- かなりの歴史と由緒があるはずなのに、一宮にならなかったのが不思議。
- 上方落語の聖地でもある。
- 神武天皇東征の折、天皇自ら起請なさったとかで、天皇家公認。とにかくエライのである。
- とにかく、よく焼失する、
- 大坂夏の陣、ミナミの大火の巻き添え、大阪大空襲・・・。
- そう言えば、ジェーン台風で本殿が倒壊したこともあったような。
- 2018年の台風21号では手水舎が倒壊してしまい、今は仮の屋根が付けられている。
- 東側には回廊付きの表門が建ってたものの、大阪大空襲で焼失したまま再建されていない。
- 神社側としては再建を諦めたわけではないらしい。
- 境内に合祀されている鴫野神社は淀君が篤く崇敬した縁結びと悪縁切りに霊験あらたかな御宮。
- その裏手に生玉さんの御神木がある。その裏手はすぐ急崖。上町断層の切れ目。
- 同じく合祀されている源九郎稲荷神社は元々大和吉野の神社の御分祀で歯痛の神様。なのに、なぜか歌舞伎役者や松竹の芸人の崇拝を集めていたりする。
- 道頓堀の中座で、芸能の神として祀られていた八兵衛大明神が、中座閉館によって源九郎さんへ合祀されたから。
- 普通の「稲荷神社」も末社として鎮座しているのだが、何故か祐徳稲荷神社から勧請して建てられた。
- 全国で唯一、家造りの神を祀った家造祖神社がある。
- 大阪城の築城時に御神徳を発揮しまくったんだとか。
- 他にもたくさんの境内末社があり、それぞれの末社に対応した絵馬もあるので、いくつもの御利益を得ようとするなら、あちこちの神社へ行かなくても、生玉さんへお参りするだけで十分事足りる。
- 上方落語の聖地であるというのは上述のとおりだが、その起こりは米沢彦八。
- 米沢彦八は、京都で露の一門が始めた上方落語を大阪に持込み、生玉さんの境内で始めた。これが大阪での上方落語の起こりだったりする。
- でも落語だけではなく芸能全般において生玉さんは神様扱い。なぜなら浄瑠璃神社に浄瑠璃七功神が祀られていたり、井原西鶴が一昼夜4千句も俳句を読み続けるというアホみたいな記録を生んだりしたところだから。
- 神社を出て前の道路を80mほど歩いて谷町筋迄出て左へ10mほど歩くと今□耕司の実家の寺がある。
- 1月に御朱印をお願いすると、その年の干支朱印も押してくれる。
- その数は60種類もあり、全部集めようとしたら、文字通り一生かかる。
- 御朱印ではない、普通の記念スタンプも常設されてあったり。
- 昔は新歌舞伎座付近まで表参道が続いていたが、谷町筋の開通で分断されてしまった。
- 谷町筋の東側の旧参道には、商店が立ち並んでいて、生玉表門商店会と呼ばれる。
- 表参道に立てられている当社の手書き看板を読む限り、谷町筋に対しては色々と思うことがあるらしい。
- 日本橋方面から北門へ登ってくると、石垣が積まれていて、一瞬お城へ来たのかと錯覚してしまう。
- 難波大社(なにわのおおやしろ)を自称している。
- だが、秀吉公に移転させられた時は、難波神社の方がデカかった(生玉さんは3百石で難波神社は2千石)。
- 本殿は、生國魂造りと言われる、独特の建築様式を採用。
- 緑色に塗られた社務所も異彩を放つ。
三光神社
- 御存知、真田の抜け穴のあるところ。因みに真田丸の最東端はこの辺。
- この抜け穴がなければ、豊臣秀頼が薩摩へ逃げたという伝説もなかったに違いない。
- というわけで真田幸村の銅像が立っている。わりと凛々しい。
- 真田の抜け穴は毎年11月の真田祭の日のみ中に入れるらしい。
- 玉造界隈では玉造稲荷神社と並んで崇められている神社。
- 因みにどっちも桜の花が美しいことで界隈では有名という共通点もある。
- 反正天皇の頃の創建だとか。そんなに歴史がありそうな気配は感じられない普通の神社だが、意外と古い歴史を持つ。
- 境内には野見宿禰社が勧請されている。なんでも明治のはじめに天満の方の相撲場から移ってきたんだとか。
- 境内には軍人墓地がある。
堀越神社
- 天王寺区茶臼山町
- 天王寺と四天王寺の間の谷町筋沿いにある。
- 神社名の由来は昔は神社の南側に堀があり、それを越えて参拝したからだとか。
- 実は聖徳太子の頃からあるらしい。四天王寺と同じくらい歴史が古いとか。
- なんつっても聖徳太子が四天王寺建立の記念に建てた四天王寺七宮の1つですからねえ。
- 大阪夏の陣のときに東軍の誰ぞやったかが、陣を置いた所とされる。
- 歴史はあるのに、旧社格は村社。
- 江戸時代に、神君ゆかりの神社として祀られていたことと、仏教関連の神社(四天王寺七宮)だったことが影響したんじゃないかと邪推してみる。
東高津宮
- 天王寺区東高津町
- 高津宮の東にあるからこの名前。
- なのだが、創建当初は生國魂神社の南にあり、「仁徳天皇社」と言われていた。
- 社殿は高津宮のお古。
- 高津宮より先に御朱印帳の授与を開始した。
安居神社
- 天王寺区逢阪
- 「安居天満宮」とも。真田幸村が戦死した場所として知られる。
- 御朱印にも「真田幸村公戦死の地」とわざわざ書かれる。
- 神職不在らしい。
- そのせいか、夜間は参拝できない。
- 摂津名所図会、浪速名所図会で花見の名所扱いされていた。
- 落語通には「天神山」の舞台。
- 大宰権帥として太宰府赴任を仰せつかった菅原道真公が、風待ちのため休息をとったことから安居神社となったとされる。
- 祭神は菅原道真公と少彦名神。
- あべの橋にもほど近い、天王寺区の一角とは思えないほど、物静か。
五條宮
- 天王寺区真法院町
- 敏達天皇を祀る。
- 即位前に、この地に居所を構えていらっしゃったらしい。その縁で、敏達天皇を祀っているんだとか。
- 源平藤橘の4家の1つ橘氏の祖神を祀っている唯一の神社。
- 源氏も平家も藤原氏も祖神を祀る神社は多くあるが、橘氏の祖神を祀るのはここだけ。
- 聖徳太子が四天王寺建立の記念に、医療病院の鎮護として医道の祖神五条大神・少彦名命を祀ったことに始まる。
- 後に五條エリアの鎮守となり、鬼門・火災除けの神扱いされるようになった。
- 上町筋はこの神社の近くでちょっとずれている。
旭区の神社
日吉神社
- 本店はもちろん大津坂本の日吉大社。
- 元々でっかい寺がありそこの鎮守として創建された社だったが、寺が大阪の陣で燃え神社だけ残ったという。
住吉区の神社
神須牟地神社
- ヤクルト・大引啓次の実家として有名。
- 大引は契約金の全額を神社の修繕などに使ったらしい。
- 修繕はされてもおみくじやお札そしてお守りなどは売っていないみたい。
- オリックス時代の応援歌に「天より授かりし」とか「神の申し子」とか入ってたのはこのため。
- 大引は契約金の全額を神社の修繕などに使ったらしい。
大依羅神社
- 今でこそその辺の神社よりちょっとだけ格上かなという感じの神社だが、元を正せば開化天皇の四男坊を祀る由緒正しき神社だった。
- この四男坊は依羅氏の先祖に当たるとやらで、神功皇后の命でこの神社ができて以来、南北朝期に依羅家が没落するまでずっと神主を務めていたとか。
- 摂津国では、住吉大社の次に偉い神社とされたこともあったと、社伝に記載されているらしい。
止止呂支比売命神社
- 住吉区沢之町
- 名前のインパクトが強い。
- 「とどろきひめのみことじんじゃ」と読みます。
- 別名「若松神社」。
- 後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒すために兵をかき集めている道中で、この神社の松林に「若松御所」を造営し、国家安泰と武運を祈祷させたことが由来とされる。
浪速区の神社
今宮戎神社
- 「えべっさん」といえば、こちらのこと。
- 一年の稼ぎを3日で賄っている。
- しょ~ばいばんじょでささもってこぃ♪
- 縁日で約4日間難波から神社までほぼ終日歩行者天国になるほどなので、その凄さがわかるであろう。その3日以外は、至ってよくある静かな神社の姿になる。
- その「えべっさん」の福娘の採用は有名人の娘さんや大企業のエライさんの娘さんとか、縁故採用(?)があるらしい。
- 天満宮のギャルみこしと並んで競争率高し。
- その福娘は、履歴書に書けるらしい。
- 何故か、元・福娘には女子アナが多い。
- 名探偵コナンの昔の映画に登場する「難波布袋神社」のモデルがここ。
難波八阪神社
- 浪速区
- でっかい獅子舞の形の社がある。はじめて見るとギョッとする事請け合い。
- そのおかげで、近年はインスタ映えするスポットとして話題になっている。
- 海外にも知られてるようで、外国人観光客も多数訪れる。
- そのおかげで、近年はインスタ映えするスポットとして話題になっている。
- 戦艦陸奥の記念碑がある。
- 戦艦陸奥の主砲抑気具の記念碑だったかな。
- 難波神社の片割れ。
- 今の本殿は、難波神社とほぼ同時期に完成したうえ、建築意匠も似通っている。
阿倍野区の神社
阿倍王子神社
- 阿倍野区阿倍野元町
- 熊野古道沿いにある。
- おそらく昔は、熊野古道側から入って参拝するしたんだろうが、今は阿倍野筋の方に王子商店街もあったりする関係で、そちら側が表筋。
- 王子というのは、別に親王などという意味ではない。
- 藤白王子や切目王子、発心門王子など、熊野古道の九十九王子の1つだったことに由来する。
- 仁徳天皇の夢の中に出てきた八咫烏。その八咫烏を探していたらこのあたりで見つかったらしく、それ以来この地を神域化したのが、この神社の始まり。
- 鎮座地域に勢力を持っていた豪族・阿倍(安倍)氏の氏神神社だったという説もある。
- 下記の安倍晴明神社を末社としているのは、その由縁もあるからかと。
- 鎮座地域に勢力を持っていた豪族・阿倍(安倍)氏の氏神神社だったという説もある。
- 3階建てくらいの鉄筋コンクリートの建物(社務所)の下を抜けて本殿にお参りするという、味気ないつくり。
- 末社に安倍晴明神社を抱える。
- その関係で、安倍晴明神社の御朱印はこちらで頂ける。1つ500円也。
- 京都の晴明神社と違って、こっちは手書きもきちんとやってくれる。
- 安倍晴明神社の分と平仄を取った関係で、今となっては九十九王子の1つということ以外、さして取り柄のない阿倍王子神社の御朱印も500円という高値。(元はこっちのほうが歴史的価値がある神社ではあったとはいえ、今はねえ……)
安倍晴明神社
- 阿倍野区阿倍野元町
- 言わずと知れた陰陽師安倍晴明の生誕地にある神社。
- 安倍保名が白狐と獣姦したところとも言える。
- そういう言い方やめてーなw
- 京都の晴明神社と同様、全国の晴明ファンやスピリチュアル好きがお参りにやって来る。
- だけど境内は広くないので、ある程度の数の参拝客が来るだけで、いっぱいいっぱいになってしまう。
- 安倍保名が白狐と獣姦したところとも言える。
- 江戸末期までは隆盛を極めたのに、幕末に廃れてしまった悲しき歴史を持つ。
- 当時は大坂城代が就任の都度、ご挨拶に訪れるほどだったとか。
- 大正年間に再興。現在はすぐ隣の阿倍王子神社の末社に成り下がっている。
- 戦時中、境内に焼夷弾が落ちるも、被災せずにすんだ。
- それが故に、厄除けの神様としても崇められるようになった。
- 境内にある水晶玉を撫でると、頭がよくなるとかなんとか。
- オリジナルのお守りや授与品があるが、ここを管理している阿倍王子神社の授与所でも貰える。
東成区の神社
深江稲荷神社
- 太古の昔、大和国から深江に一族郎党で移住してきた人たちの氏神様を祀る。
- この人達は、菅笠づくりが得意だったそうで、明治の頃まで実際に笠を編んでいたらしい。
- 今も帝にお納めするために笠は全てここから出されている。
- 中高野街道と暗越奈良街道の辻のすぐ近くにある。
- お伊勢参りの旅人は、深江稲荷に参拝し、菅笠を買ったとか。
- 深江稲荷神社のある辺りは、笠縫島と呼ばれていた。今は大阪府史跡「摂津笠縫邑」として境内が史跡扱いされている。
- これは、まだ、河内平野が内海だった時代の事のようで、島というのは比喩ではない。
- 豊臣秀頼が片桐市正らに命じ、社殿が改築されたのに大阪の陣で消失している。
- その後、1760年(宝暦10年)に本殿と絵馬堂を再興している。なお、拝殿等はその後複数回修理されている。
- 神社本庁モデル神社の指定を受けているらしい。
鶴見区の神社
阿遅速雄神社
- 年に一度、名古屋の熱田神宮から、お礼参りに人が来る。
- その昔、新羅の王族の1人が、熱田神宮に預けられている草薙神剣をパクって持って朝鮮半島へ持って行こうとした。その際、その盗人は草薙神剣の神威にビビって河内国で剣を捨てる。捨てられた剣が拾われて祀られた結果、のがここだからということらしい。
- まあ、天智天皇の頃の話だから、何とも言えんけども、れっきとした事実らしい。日本書紀と熱田神宮の社伝、それから、ウィキペディアとアンサイクロペディアにも出てくる。
- この頃から、某半島の民族は盗みやパクリが手に染み付いていたということなんだろう。日本では古来より不倫は文化だが、朝鮮半島では古来より盗みは文化だったと言えるのかも。
- その昔、新羅の王族の1人が、熱田神宮に預けられている草薙神剣をパクって持って朝鮮半島へ持って行こうとした。その際、その盗人は草薙神剣の神威にビビって河内国で剣を捨てる。捨てられた剣が拾われて祀られた結果、のがここだからということらしい。
- この神社、裏が児童公園につながっているが鳥居をくぐらずに神社って行ってもいいのか?
- この神社は、大阪市内で唯一お陰灯籠が現存する。
- 幕末の頃、お伊勢さんお詣りをした記念で、各地に建てられたのに、大阪市内では残ったのはここだけ。
- でっかい楠が植わっている。
- 樹齢1,000年超と推定されているらしい。デカすぎて、写真には写しきれない。
- 主幹は大正期の落雷で焼失するも、支幹は当時この木の面倒を見ていた樹木医のおかげで、生き残って今に至る。
- 大阪府指定天然記念物に認定されている。堂々とした枝ぶりは見事である。
- 延喜式神名帳にも記されている式内社らしい。因みに当時も当社は阿遅速雄神社という名前だった。
- 江戸期には、何故か、八劔神社と呼ばれ、神社への参道を剣道と呼んでいたとか。剣道は「鶴見」の由来ともされる。
- でも、最終的には、歴史ある阿遅速雄神社の名称に戻されている。
- 江戸期には、何故か、八劔神社と呼ばれ、神社への参道を剣道と呼んでいたとか。剣道は「鶴見」の由来ともされる。
平野区の神社
杭全神社
- 杭全にあるわけではないけど、杭全神社。
- 大阪シティバスの杭全バス停からは遠く離れている。
- 地名としての杭全は隣の東住吉区にある。
- 日本で唯一残された連歌所がある。
- 毎年7月中旬に、夏祭りが開かれる。
- 平野郷にある9地区で地車を出したりと結構大きなお祭り。このために国道25号線は通行規制がかけられる。
- 平野宮前交差点をぶっ飛ばしながら地車が来る。パフォーマンスも含めなかなか見ごたえがある。
- 南港通上で9地区の地車が一斉に会す。これもなかなか。
- 夏祭りを見るためだけに、遠方から来る人も多い。大多数が平野周辺の出身者だけど。
- 平野郷にある9地区で地車を出したりと結構大きなお祭り。このために国道25号線は通行規制がかけられる。
- この辺り一帯を拝領した征夷大将軍坂上田村麻呂の孫当道が、862年(貞観4年)に祇園さんを勧請したのが始まり。
- 因みに田村麻呂の子にして、当道の父である広野麻呂は平野の地名の由来。
城東区の神社
八劔神社
- この神社にお詣りすると、数千人に1人の割合でタイムトラベルができ、人生をやり直すことができるらしい。
- 詳細は 「八劔神社 タイムトリープ」 で検索!
- 創建は応永3年(1396年)。
- 地元の人達が同時に、夢の中で「淀川まで我輩を迎えに来い」という神のお告げを聞いて、探しに行ったら、神の代わりに蛇が出てきて、その蛇の後を追ったら、鴫野の当地に来たとかなんとか。
- 大阪夏の陣のときに、上杉景勝の陣があった所らしい。
- 大日寺と隣接している。
- 江戸期に境内の一部を整備し直したらしい。その時、大阪城の石垣と同じものが使われたらしく、刻印石がいくつか今でも残っている。
諏訪神社
- 菅原道真ゆかりの神社。
- でも天満宮とか、天満神社とかではない。
- なのに、諏訪明神を勧請しているから
- でも天満宮とか、天満神社とかではない。
- 平安時代の創建と伝えられており、菅原道真も左遷決定後、太宰府へ行く前に道明寺の親類宅へ行く途中に詣ったとかいうのを地元で崇めて、神社にしたらしい。
関目神社
- 大阪城の京都方面の護りとして太閤秀吉が建てた社に始まるとされる神社。
- 神社の裏を都島通(京街道)が抜ける。
- 「関目」という地名の発祥の地らしい。詳しい由来は知らんけど。
野江水神社
- 水害除難の神様。
- 野江はなぜか元々湿地帯で、洪水になりやすいエリアなのに、あまり洪水被害を受けないでいる。
- とは言うものの、明治18年の淀川洪水(河内湖が1,500年の時を経て再出したやつ。)では、野江も流石に水没した。
- 野江はなぜか元々湿地帯で、洪水になりやすいエリアなのに、あまり洪水被害を受けないでいる。
- 元々は三好長慶が榎並城を建てたときに水害対策で勧請したのに始まるとか。
生野区の神社
清見原神社
- なんでも天武天皇の時代に遡るとかいう歴史ある神社。
- 天武天皇の難波行幸の際、この地で休憩をとり「飛鳥浄御原宮はどっちや」と部下に尋ねたことから、この地を神域としたとか。
- 江戸時代までは「天武天皇社」と呼ばれていたらしい。
- 旧社格は村社。
- 見る限り、地域の氏神を祀る普通の神社という感じしかしないし、まあしゃあないわな。