もしローマ帝国が今でも存在していたら
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ローマ帝国
- イタリアが多数の小国に分裂する事はなかった。
- イタリア文化は史実と全く異なるものになっていた。
- 当然ながら某国家擬人化マンガでもイタリアは1人しか出てこない。
- しかももっと強そうなキャラになっている。ということは作品名も違ったかも?
- ローマ皇帝はカトリック教会の法王を兼任していたかも。
- バチカン市国はない。
- ラテン語は現在でも普通に使われていた。
- しかし当然ながら現実のラテン語と違い近代化(ようは簡略化)されている。
- 要するに現実の「イタリア語」を「ラテン語」と呼び、現実にラテン語と呼んでいる言語は「古代ラテン語」となっている。
- 当然のように覇権言語になっている。
- 現在の領土は現実のイタリアとあまり変わらない。
- ゲルマン民族やイスラム勢力の侵入により大幅に国力が落ちていた。
- ムッソリーニが実権を握ることはなかった。
- むしろムッソリーニがローマ皇帝になっていた。
- ベルルスコーニもローマ皇帝になっていたか?
- 「皇帝」と言いながら世襲されるとは限らず、大統領に近い存在になっていたかもしれない。
- 全盛期の版図で存続していた場合世界史がどうなっていたか想像もつかない。
- フランク王国もオスマン帝国もスイスもオーストリア・ハンガリー帝国もイスラエルも誕生しなかった。
- キリスト教は発展せず、ローカル宗教のまま終わった。
- 公衆浴場の文化が世界中に広がる。
- 市民革命が起きていたかどうか怪しい。
- 地中海地域でのオスマン帝国の台頭が遅れていた。
- 史実でのスペインが相手したオスマン帝国海軍はローマ帝国が殆ど相手をしていた。
- よってスペインの負担が史実より減りスペインの黄金時代が長続きしていた。
- 北アフリカ対岸のチュニジアとリビア西岸地域を所有していたかも知れない。
- その場合北アフリカがイスラム文化に染まることは無くキリスト教文化が普及している。
- アルジェリアの独立は無かったかも知れない。
- 宗教が一緒になるのでアルジェリアからフランスへの移民は史実ほど抵抗感が無かった(増えていたかも知れないが)。
- 現実世界のローマはローマシティ或いはローマ市と呼ばれる事が多かった(現実世界のメキシコシティのように)。
西ローマ帝国
- 現在のイタリア・フランス・スペイン・ポルトガル・オーストリア・スロベニア・クロアチアにイングランド、スイス、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア西部トリポリタニアを合わせた範囲なので国力からいえば今のEUにも匹敵するかもしれない。
- 皇帝は形だけのもので、現在は立憲君主制が採られている。
- 通貨はユーロではなくデナリ。
- 議会は国の端のブリュッセルやストラスブールではなく、ローマに置かれる。
- 近代はドイツ、近世はオスマントルコ、中世はアラブのイスラム王朝や東ローマ帝国と覇権を争い、勝ち残ってきた。
東ゴート王国
- 現在の正式な名称は「イタリア王国」(東ゴート王の君主号がイタリア王のため)。
- フランク王国から分離後のイタリア王国は無かった事になる。
- イタリア半島を統一する国家なので上記のローマ帝国が現在まで存続していたらの場合に近い形になる。
- 滅亡せず長続きしていればビザンツ帝国とはバルカンを巡って度々対立。
- とにかくローマ教皇との関係がどうなっているか気になる処。
- ローマ教皇が皇帝の位を与える伝統は無かった。
- そのためカール大帝の即位も無く、神聖ローマ帝国は成立せず、国名も「ドイツ王国」か「ゲルマニア王国」になっていた。
- オーストリアの君主も皇帝を名乗る事は無かった。
教皇領
- 国家元首は勿論、ローマ教皇
- 現在ではバチカン領になっているだろうから、世界一小さい国はモナコになっていた。
- 国名もバチカン「市国」では無かった(バチカン皇国?)。
- 国旗は現在のバチカン国旗と昔の教皇領国旗のどちらを使っていたんだろうか?
- ラテラノ条約の内容はムッソリーニ政権による教皇領の存続承認(史実ではバチカンの独立承認)になっていた。
- 国名もバチカン「市国」では無かった(バチカン皇国?)。
- イタリアの首都は今でもフィレンツェのまま
- 当然ながらリソルジメントは失敗していた。
- イタリア最大の都市はフィレンツェになっている現実世界のパリのように郊外に近代的な建造物が立ち並ぶことになっていたかも知れない
- 日本が「最後の帝国」と呼ばれることもなかった。
- 南アフリカ帝国が70年代であったため日本は関係ない。
- 中央アフリカ帝国でなくて?
- 南アフリカ帝国が70年代であったため日本は関係ない。
- 一応EU加盟国になっていたんだろうか。
- EU非加盟だがシェンゲン協定のみ加盟、になっていたかもしれない。
- EUに加盟するが、ユーロを導入せず「教皇領リラ(仮)」を継続使用もありうる。
- EU非加盟だがシェンゲン協定のみ加盟、になっていたかもしれない。
- 冷戦期は明確に「西側陣営」の一員となっていた。
- 共産主義国家との国交を断絶していた。またそれらの国々の民主化活動家を支援していた。
- 日本では史実よりも早く「ローマ法王」ではなく「ローマ教皇」と呼ばれるようになっていた。
- 国連に加盟していた。
神聖ローマ帝国
- もし三十年戦争でハプスブルク家が勝利していたらである
- ベネルクス三国とスイスは今でも神聖ローマ領のままだったかも知れない
- ハプスブルク家による中央集権化が成功し後に正式にドイツ帝国に改称していた
- 領域は史実のドイツ帝国領に加え、史実のオーストリア=ハンガリー帝国、ベネルクス三国、スイス、リヒテンシュタインを統一する欧州屈指の大国になっていた
- 事実上の首都になっていたウィーンは現実以上に発展し都市圏の人口は1000万人を突破していた
- ウィーンはロンドン、パリに並ぶ大都会として発展
- 事実上の首都になっていたウィーンは現実以上に発展し都市圏の人口は1000万人を突破していた
- 首都のウィーンが現実のドイツ語(中部ドイツ語)と違いが大きい南ドイツ語の地域にあった事やスラブ民族とマジャール民族の居住地の接点にあった事を考えると、現実のドイツ語とかなり違うものになっていた
- 神聖ローマ帝国の言語は現実の南ドイツ語(バイエルン・オーストリア語)がハンガリー語とその他スラブ諸語(チェコ語、スロバキア語、スロベニア語)の影響を受けて変形する形になっていた
- ウェストファリア条約はやはり締結されていた。つまり、「お前はもう死んでいる」
- アメリカ大陸(カナダ辺りか?)やアフリカやオーストラリアに植民地を持つ植民地帝国になっていた。
- 江戸時代にはオランダに代わり、鎖国中の日本と通商関係にあった。
ビザンツ帝国
- 現在の領土はギリシャ+トルコかな?
- ビザンツ帝国はヨーロッパで最も古い歴史をもつ国となる。
- あくまで自称は「ローマ帝国」。
- イタリアのローマを指すのかこちらのローマを指すのか紛らわしくなっていた。
- ルーマニアも(この国の領土でない限り)その国名を名乗れず「ダキア」あたりを国名にしていた。
- オスマン帝国は逆にビザンツ帝国に滅ぼされる。
- 第一次世界大戦でビザンツ帝国は史実では残っていたトルコを獲得したため。
- ついでにブルガリアも滅亡。とするとビザンツ帝国は第一次世界大戦で一番得をした国になる?
- ただオスマン帝国に都(コンスタンチノープル)を奪われた時期が長かったのでギリシャ帝国(つまり第二のニケア帝国)になってそう・・・・
- 第一次世界大戦でビザンツ帝国は史実では残っていたトルコを獲得したため。
- 欧州におけるイスラーム勢力にたいする防波堤だったはずだが、やっぱり近世にはそれがすっかり忘れられて、列強にいじめられる。
- 史実のオスマン帝国同様、ロシア南下に対する防波堤になってイギリスあたりと同盟することになる。
- 世界金融危機で分裂も?
- 経済危機で国家分裂…どういうメカニズムだとそんなことが起きるんですか?
- 経済危機→社会が不安定化→不満を抱いた少数民族が独立運動を展開、とか?
- 実際、1929年の世界恐慌でも分裂した国は存在しなかった。
- 経済危機で国家分裂…どういうメカニズムだとそんなことが起きるんですか?
- もちろん「飛んでイスタンブール」という歌はない。
- 飛んでこんすたんちの~ぷるぅ~♪
- 無論「イスタンブール」という地名はなかった。
- 飛んでこんすたんちの~ぷるぅ~♪
- コンスタンチノープルを現在保持していた場合2004年のオリンピックはコンスタンティノープルで開催されていた。
- ただしアテネは第1回大会の開催地なので特例として一部競技の分散が認められていた。
- コンスタンチノープルが現実世界のイスタンブールと同規模の都市なら2004年大会の会場が廃墟になる事は少なかったかも知れない。