もし北九州市の地形が山がちではなかったら
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北九州市の地形は、ゆったりとした平野が無く山がちです。これは大都市には珍しいこと。北九州市が衰退していった理由の一つに「地形」も考えられます。では、その厄介な地形が関東平野のような広々としたものであったらどうなっていたのでしょう?
- 早くから発展していたため、今の福岡市以上の都市に成長。
- 日本三大港は横浜、神戸、北九州。
- 福岡には「タイタイタウン」なるものができていた。
- 小倉市だけで政令指定都市レベルの人口になれる。
- つまり、そもそも北九州市は誕生しない。
- いや、「小倉市」という名前だけど狭いから結局周りを合併して今と同じ規模に。
- 区割りは、
- 戸畑区と若松区はそのまま。
- 門司区(現実の門司区の北部)
- 大里区(現実の門司区の大里・馬寄地区など)
- 松ヶ江区(現実の門司区の東半分)
- 小倉区(現実の小倉北区-中区)
- 中区(現実の小倉北区西部・八幡東区東部。JR以東、猪蔵以西)
- 曽根区(現実の小倉南区の長野以東)
- 南区(現実の小倉南区-曽根区)
- 八幡区(現実の八幡東区-中区)
- 黒崎区(現実の八幡西区中心部)
- 折尾区(現実の八幡西区陣の原以西、永犬丸以北)
- 筑原区(現実の八幡西区の引野口・上津役以南)
- 区割りは、
- いや、門司市だけと合併して「北九州市」に。
- 区割りとしては、
- 門司区(後に吉志区/東区や、大里区などを分区)
- 小倉区
- 曽根区
- 方野区(北方・南方にちなんで。)/南区
- 以上は最低限必要かと。
- 「企救区」では?
- 区割りとしては、
- いや、「小倉市」という名前だけど狭いから結局周りを合併して今と同じ規模に。
- 小倉市を中心に北九州大都市圏が形成されていた。
- 宗像どころか香椎あたりまでが小倉の影響下に。
- つまり、そもそも北九州市は誕生しない。
- 直方平野は「小倉平野」に飲み込めれることになる。
- 小倉市VS八幡市。勝つのはどっち?
- 門司
- 現実の北九州市は福岡県ではなく小倉県となっていた。
- 大分県も小倉県に合併されていた。
- 日本の三大都市圏と言えば首都圏・京阪神圏・北九州圏となっていた。
- 北九州市に地下鉄が通っていた。
- 100万人都市で地下鉄が無いのは川崎市のみになっていた。
- 1945年8月9日に上空が曇らなかったかも。
- 西鉄北九州線の総延長が伸びていた。
- 西鉄は門司・小倉~福岡間に鉄道路線を建設していた。
- 西鉄の本社は現実とは異なり小倉にある。
- 新関門トンネルは現実より短い。
- 岡山のような都市になっていた。八幡と小倉は岡山と倉敷の関係になり、北九州市として合併してなかったかも。
- 下関は完全にベッドタウン化する。
- 九州新幹線内の列車は博多駅ではなく小倉駅発着となっている。