ページ「甲信越のインターチェンジ・ジャンクション」と「もしあの駅が別の年に開業していたら/近畿」の間の差分

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{{Pathnav|日本のインターチェンジ・ジャンクション|name=甲信越・北陸地方}}
*特定の路線のみの場合はそれを明記すること。
{{広域情報|text=各都道府県内の新規追加は<br />路線別かつ起点から順にお願いします。}}
==滋賀==
==山梨==
===栗東駅===
===上野原ICの噂===
;1889年
*[[中央自動車道]]
#駅名は所在地の村名をとって「大宝」駅になっていた。
#東京からこんな近くで早くもT字型ランプ(ランプ内平面交差)である。当初計画になかったので仕方の無いところか。アクセス県道もすごい高低差である。
#*後に開業した関東鉄道の駅は「常陸大宝」に。
#*東関道四街道インターのが近くないかな?しかもこちらは信号もない。
#*この場合「栗東」という自治体名は誕生しなかったかもしれない。
#休日はここまで来てしまったらそのまま20号を走るか甲武トンネルであきる野に抜けよう、ね?
#人口希薄な場所だったため当初は貨物のみの取り扱い。
#上り線は3車線→2車線に減少する。その為、ここが特に渋滞の要因になり易い。
;1950年代後半
#このインターが出来たのは平成に入ってから。インター番号振り直しが無かったとしたら「6-1」になってたか?
#おそらく栗東町誕生と同じ頃の設置。
#*振り直し〜開通までの期間は「9」も欠番になっていたってわけ。
#貨物を取り扱ったことはない。
#90年頃に橋上駅化される。
#市制施行がやや早まった可能性あり。


===大月IC・JCTの噂===
===南草津駅===
*中央自動車道
;1889年
#2003年、上野原~大月間の拡幅に合わせて下り線の河口湖方面分岐点が高井戸寄りに変更された。そのため、インター番号が[11][10]の順番となっている。
#駅名は周辺の地名に合わせて「野路」あたりになっていた。
#*大月ICの出口ランプは上下ともJCT分岐で河口湖方面のランプに入った先でさらに分岐する。
#開業以来長い間利用客は少なかったが、1990年代に[[立命館大学]]が進出して以降周辺の開発が進み利用客が急増していった。
#東京方面から来ると大月をかなり過ぎた場所で下に降ろされる。国道20号に直接接続するので戻れば着くが、大月市の中心部はいつも渋滞・・・バイパスの完成が待たれる。
#*いずれは近隣にある野洲駅と紛らわしいということで現駅名に改称されていただろう。
#*土休日の上りは河口湖IC方面に向かわないと、東京方面と国道20号の渋滞で地獄を見る事になる。
#瀬田駅の開業が1969年なので、同駅よりも早く開業したことになっていた。
#*それどころか石山駅(1903年開業)よりも早かった。


===勝沼ICの噂===
===瀬田駅===
*中央自動車道
;1889年
#山岳地帯から盆地となり、視界が開ける。夜景もきれい。
#熊本県にある豊肥本線の瀬田駅はこの駅との混同を防ぐために「肥後瀬田」駅になっていたかもしれない。
#高速バス新宿~甲府線の大半の便はここで出入りする。甲府南IC経由の方が高速道区間が長い分早そうな筈だがそちらはマイナー系統扱い。
#逆に石山駅の開業が戦後になっていたかも。
#*その場合、京阪石山坂本線のルートも変わっていた可能性がある。
#**京阪石山寺駅の方が「石山」駅を名乗っていた。


===一宮御坂ICの噂===
==京都==
*中央自動車道
===JR小倉駅===
#長野方面⇔富士山麓方面はここを利用し、御坂みちを通るべし。
;国鉄時代
#恐らく駅名は「山城小倉」になっていた。
#*「小倉」は[[北九州市]]や近くを通る[[近鉄京都線]]にすでにあったので別の駅名にするにも駅所在地の地名が「小倉」なので恐らく旧国名をつけて区別していた。


===笛吹八代SICの噂===
===太秦駅===
*中央自動車道
;1930年代
#ようやく開設されました。河口湖や笛吹川上流域方面への裏口です。
#嵐電にも「太秦駅前」という電停ができていた。
#*(立地的には思いっきり地域住民向けだよなぁ・・・通過交通で通るには降り立つ場所が微妙すぎ・・・)
#*現実の「帷子ノ辻」がそれを名乗っていた。
#*「太秦」電停の改称は現実よりも早かった。
#**恐らく「嵯峨野→有栖川」と同時期に行われていた。
#駅の雰囲気によっては複数の東映映画の撮影で使用されていた。
#*少なくとも映画関係者の利用は多かったはず。
#周辺の開発による用地不足のせいで駐輪場が史実より貧弱だったかもしれない。
#国鉄の駅だったので、難読駅名としての知名度は現実よりも高く、かつ早くから知られていた。


===甲府南ICの噂===
===円町駅===
*中央自動車道
;昭和10年代
#当初は甲府市ですらなかった。
#西大路通開通か市電西大路線全通と同時に開業。
#*とりあえず、某大物議員や某知事の影が・・・
#市電の停留所は「円町駅前」と名乗っていた。
#峡南方面の北側の玄関口。新山梨環状道路の起点も近いので韮崎までの高速代をケチりたい人はここから下道で。
#*だが方向幕の表示は史実通り「円町」。
#中央道から朝霧高原・富士方面も実はここが一番速い。高低差はご愛嬌。
#*円町折り返しの系統はもっと多かった。
#駅の位置はもう少し東寄りの西大路通から見えるところ。
#一部の急行が停車していた。
;昭和40年代
この時期から駅設置を求める請願が実際にあった。
#新丸太町通の整備を考慮に入れて建設された。
#立命館大学の広小路キャンパス撤退がやや早まっていたかもしれない。
#中京区の人口減少が抑えられた。
#それでも京都市電の全線廃止は避けられなかった。
;昭和53年
#同年の紀勢線和歌山-新宮間電化と同時に開業。前日に廃止された市電円町電停の代替を兼ねる。
#中京区の人口減少は少し抑えられた。
#高架化・複線化されるまで1面1線しかない。
#当初から快速停車駅である(中京区民からの要望,市電全廃の代替が主な理由)。


===甲府昭和ICの噂===
===六地蔵駅(JR)===
*中央自動車道
;1960年代
#実は甲府市が所在地ではない。
#山科川を挟んだ京都市側、イズミヤのあたりの築堤上に単式ホームで新設、電化時期にホームが増設。つまりイズミヤが存在しない。御蔵山商店街の位置が、現京阪六地蔵駅との間になる。
#*中道町合併まで甲府市には高速のインターがなかったわけである。
#*イズミヤがMOMOの場所に出店していたかも。
#山梨県で国道20号と直接接続する最も西にあるインター。
#*イズミヤが出店しなかった場合、イトーヨーカドーは閉店しなかった。
#*長距離切符においては京都市内駅に含まれている。
#繁華街の位置が違うため、京都アニメーション周囲は人通りが多く、あの惨事が起きていない。外環状はおそらく木幡寄りを抜ける。
#京都市営地下鉄東西線の駅は京阪とJRの間に作られ、京阪との乗り換えも便利になっていた。
#*京都市営地下鉄が宇治市内に路線を持つこともなかった。
;1994年以降
#駅名は「JR六地蔵」となっていた。
#*Wikipediaでの項目も京阪六地蔵駅とは別になっていた。
#2004年に京都市営地下鉄東西線が乗り入れてくるものの、そちらは単に「六地蔵」駅となっていた。
#*そのため京阪を含めた駅名の関係がややこしくなっていた。


===韮崎ICの噂===
===洛西口駅===
*中央自動車道
;1980年代
#市街地からインターに向かう道のショボさときたら・・・今必死に拡幅工事やってるみたいだけど。
#早くても、1979年に開業していた。
#洛西ニュータウンの整備に合わせて建設された。
#*阪急資本の進出が史実より進んでいたかもしれない。
#**それでもラクセーヌのメインテナントが阪急百貨店になるようなことはあるまい。
#駅周辺の開発が史実より進んでいた。
#*西口にちょっとしたバスターミナルのようなものが建設された。
#高槻市より東(北)が各駅停車となる優等列車の本数が開業の頃から若干増えた。


===須玉ICの噂===
;2001年
*中央自動車道
#駅周辺の開発が史実より進んでいた。
#ここから長野県境に向かって一気に標高を上げていく。
#その分、西山天王山駅か摂津市駅の開業が2003年に早まっていたかもしれない。
#スキーバブルのころ、このインターの渋滞は結構えげつなかった。
#6300系電車のラッピング列車が当駅の開業を機に運行され、6000系電車と7000系電車よりも早く実現していたことになっていた。
#*清里・野辺山・八ヶ岳と、一大リゾートの玄関口だしなぁ。今は夏の混みも結構なもの。鉄道に少なからず流れているだけまだいいが・・・
#鉄道しか興味のない人間にとっては双葉SA/JCTと共にどこだココなIC。中央本線のすぐ近くではあるのだが・・・
#国道141号に接続しているにも関わらずIC入口交差点から料金所までの区間が県道に指定されている。その距離'''たったの200m'''、その名も「須玉インター線」。
#*多くの地図ではこの県道は中央自動車道の一部とみなされ、県道表記されていない。あのGoogleMapでさえも。[[近畿の国道#国道174号|あの国道]]を思い浮かべてもらうといいだろう。


===長坂ICの噂===
===西山天王山駅===
*中央自動車道
*1985年頃から要望があったそうです。
#近くにある高速バス乗場は「長坂高根」という通り、場所的には長坂町と高根町の境に位置する。
;1970年代
#清里へ向かうならここが一番走りやすい。(途中、元有料道路を通過する)
#早くても、1972年に開業していた。
#*有料時代には誰にも使われなかった悲運の道路。無料になった途端交通量が急増した。
#駅名は「円明寺」駅あたりになっていた。
#*2013年or2014年あたりに「西山天王山」駅に改称されていた。
#**阪急のことなので「円明寺天王山」のほうがありそう。
#当駅近くにある円明寺団地の規模が史実よりも大きくなっていた。
#京都縦貫自動車道にバス停ができたのは、史実通り。
;2013年春以前
#2012年に開業した場合、神戸線のダイヤ改正とともに、京都線のダイヤ改正も行われた。
#京都縦貫自動車道は2011年頃に開業していたら、あり得た。
#*もしくは、駅開業が先行して、その後に高速長岡京バスストップが整備された。


===小淵沢ICの噂===
===梅小路京都西駅===
*中央自動車道
;1972年
#山梨県最北のインター。
#梅小路蒸気機関車館の開館に合わせて開業していた。
#インター手前に謎のスピーカーあり。冬になるとここを境によく交通規制がかかるのでそのためのものかな?
#駅名は単に「梅小路」になっていた。
#国道20号へ向かうとあっという間に長野県に入る。
#当時は山陰本線の本数が少なかったため駅があっても不便だった。
#緑化フェア梅小路駅はなかった。


===都留ICの噂===
;1976年
*中央自動車道
#同年の山陰本線京都口の高架化に合わせて開業していた。
#もとは大月方面へのハーフICだった。
#この場合も駅名は「梅小路」になっている。
#*当初は大月方面入口だけしかなかった。
#場合によっては丹波口駅は高架化に合わせて廃止されていたかも。


===河口湖・富士吉田ICの噂===
;2016年
*中央自動車道 [[東富士五湖道路]]
#京都鉄道博物館の開館と同じ時期に開業していた。
#位置は若干異なるが、これ2つで1つのインターってことで。
#そのために、京都鉄道博物館へ訪れる観客が史実より多くなっていた。
#*両インター間に本線料金所がある。東京方面は東富士五湖道路の料金を支払った上で中央道の通行券を貰う。
#*京都水族館も。
#河口湖ICは富士急ハイランドに隣接。富士山をバックに絶叫マシンが並ぶ様は富士五湖観光の印象的光景の一つ。
#*IC出路から直接ハイランドの駐車場に行ける道があるが、使われなくなって久しい。
#*国道から富士吉田ICを目指す場合、ハイランドの駐車場の脇を経由する。一応県道なのだが、ほとんどハイランドの敷地内みたいで…。
#ここに「中央高速終点」という標識がある。開通当時「中央高速道路」だった面影を残すもの。
#*番号振り直し前のIC番号は「8」だった。


===山中湖ICの噂===
==大阪==
*東富士五湖道路
===大阪城公園駅===
#両隣の富士吉田・須走で料金を払うため、このインターには料金所はない。
;1930年代
#平成の合併前より、山梨県で唯一村にあるインターだった。
#大阪城公園ではなく周辺の軍事工場の最寄駅として開業していた。
#多分開業時の駅名は「大阪城公園」ではなかった。
#*1980年代に現駅名に改称。
#*当初は「工廠」という言葉が入った駅名だったが日中戦争期に防諜のため「青屋門」あたりに改名される。
#『日本アパッチ族』(小松左京)の中にも何らかの形で登場していた。


===富沢ICの噂===
===新今宮駅===
*中部横断自動車道
;1880年代
#中部横断自動車道で山梨県最南端のICだが、甲府より静岡の方が近い。
#恐らく駅名は「霞町」になっていたか?
#*ちなみに料金所は静岡方面のみにある。
#*村名から取って「木津」だったのでは。
#*ICの合流部に信号機がある。
#**この場合1896年開業の京都府の駅が「山城木津」だった。
#**ICに入る際には静岡方面は左折、南部方面は直進する必要がある。
#南海天王寺線の廃止が早まっていた。
#*そもそも建設されなかった可能性もある。
#地下鉄の動物園前駅もこの駅に接続するように建設されていた。


===南部ICの噂===
===樟葉駅===
*中部横断自動車道
;1970年代
#近くに道の駅なんぶがある。
#くずはローズタウンの開発に伴って開業した駅となっていた。
#*新直轄区間にある為、ICを降りて利用できる。
#*ちなみに道の駅なんぶはICより先に開業している。パーキングエリアとしての役割も持つ。


===下部温泉早川ICの噂===
===東部市場前駅===
*中部横断自動車道
;国鉄時代
#下部温泉はすぐそこ。
#駅名は地名に合わせて「杭全(くまた)」になっていた。
#早川町はすぐそこじゃない。
#*難読駅名として知られていた。
#*横を流れているのは常葉川である。
#すぐ近くにある百済貨物駅と一体的に整備されていたかも。
#*その場合、駅は今里筋を挟んだ東側に設けられていた。


===中富ICの噂===
===北梅田駅===
*中部横断自動車道
;1990年代
#身延町役場最寄インター
#「くろしお」の新大阪・京都発の設定or「はるか」の登場と共に旅客用ホームが設置されていた。
#[3-1]が作られる予定もないのにインター番号は[3-2]。
#*特急しか来ないので駅名もすんなり「大阪」で確定していたかもしれない。
#JR難波と違い、なにわ筋線用の準備構造は設置できなかったと思われる。
#梅田貨物駅が現役なので、旅客用ホームは大淀寄りに設置されていた。
#*その為大阪駅と無理やり地下通路で連絡運輸を図っていた。これが原因で「はるか」の対関空シェアも史実とあまり変わらない。
#**東京駅の京葉線ホーム、渋谷駅の埼京線ホームと共に「乗り換えに不便な主要駅のホーム」として名を馳せてしまう。
#*ホームの規模もつい最近まで1面2線程度だったが、再開発を機に史実の建設地点に近い場所への移転を含めた抜本的改修が成される。


===六郷ICの噂===
===高井田駅(JR)===
*中部横断自動車道
;2008年以降
#国道300号に出られれば、本栖湖から近い。
#JRにおける「高井田」という駅名は現実の[[おおさか東線]]高井田中央駅が名乗っていた。
#*下部温泉も道の駅しもべも近い。
#*JR河内永和やJR俊徳道と同様「JR高井田」だったかも。
#*そのうち国道300号接続のインターチェンジができるのでしばしお待ちを。その頃には国道300号の方も改良されているだろう。
#こちらは「東柏原」か「JR河内国分」を名乗っていた。
#ここから南も有料区間にすれば、中央道の渋滞緩和に繋がると思うけどな。
#*どうしても「高井田」を入れる必要があるのなら「柏原高井田」とかになっていた。
#国道52号峡南橋西詰交差点から当ICまで新たに県道が指定された。
#「高井田」というと東大阪市の方を思い浮かべる人が大半だった。


===増穂ICの噂===
===衣摺加美北駅===
*中部横断自動車道
;2008年
#増穂PAと本線料金所が併設する珍しいPA。
#おおさか東線の開業と同時に開業していた。
#*静岡方面はICを出ないと道の駅富士川を利用する事が出来ない。
#放出~新大阪間の開業が史実より早まっていたらあり得た。
#ICを出て南下するとショッピングモールがすぐそばにある。
#ホームは2008年に開業した他の駅と同じ島式ホームになっていたかも。
#場合によっては、放出~久宝寺間の開業が史実より早まって、その時に開業した可能性もある。


===南アルプスICの噂===
===摂津市駅===
*中部横断自動車道
*史実では、2010年3月に開業しましたが、摂津市が市制化される1966年以前から構想があったそうです。
#山梨環状道路と接続しているIC。
;1928年
#所属している自治体が南アルプス市なので南アルプスICである。
#駅周辺にダイヘンの事業所が開設されることはなかったかもしれない。
#せめて一般道接続は立体交差にしてほしかったとは思わないでもない。せっかくの新山梨環状の高規格区間が・・・
#*仮に、開設されたとしても、史実と異なるものになっていた。
#摂津市が史実よりも大きく発展していた。


===白根ICの噂===
;1950年代~1960年代
*中部横断自動車道
#1966年以前に開業した場合、「三島」駅となり、市制化されてから「摂津市」駅に改称されていた。
#静岡方面が全通したら甲府駅に最も近くなると思われるIC。
#*1967年以降に開業した場合、史実通り「摂津市」駅として開業していた。
#*一方、中央道方面からはそこまで便利ではないIC。
#*甲府昭和ICが甲府駅の最寄ICとなる為。


==長野==
;1970年代
===諏訪南ICの噂===
#近くに、ダイヘンがあったので、通勤専用出口が設けられていた。
*[[中央自動車道]]
#*駅近辺に大阪府立摂津高等学校、星翔高等学校があるので、通学専用出口も設けられていた。
#諏訪地域の南にあって、諏訪南。諏訪市の南にあるわけではない。
#日本初の「カーボン・ニュートラル・ステーション」は洛西口駅か西山天王山駅になっていた。
#*伊北ICとは兄弟関係。
#1973年11月に山田駅とともに開業していた。
#所在地は諏訪郡富士見町。


===諏訪ICの噂===
;2000年代
*中央自動車道
#ダイヘンの六甲事業所の新設が史実よりも早まっていた。。
#甲府昭和以来の20号接続インター。なので、インター周りは結構賑やか。
#2007年か2001年に開業した場合、京都線のダイヤ改正の実施と同時に開業していた。
#立体交差させるつもりっぽい線形になっている。バイパス全通の暁にはやるつもりなのか、それは誰も分からない。
#*場合によっては、ダイヤ改正が数年ずれ込んでいた可能性もあった。
#開業を機にラッピング装飾と特製ヘッドマークが掲出されたのは9300系電車ではなく、8300系電車になっていた可能性が高い。
#2007年か2008年に開業した場合、新駅設置を行っていたJR西日本に対抗するために設置された駅として注目されていた。
#2007年に開業した場合、阪急電鉄が創立100周年を迎える年でもあったので、駅開業と重なっていた。
#南千里丘まちづくりの街開きも史実よりも早まっていた。


===岡谷JCTの噂===
===吹田貨物ターミナル駅===
*中央自動車道、[[長野自動車道]]
;1980年代
#高速道路ナンバリングがこのJCTを境に東がE20、西がE19となる。
#早くても、1982年11月に、遅くても、1985年3月に開業していた。
#高速道路ナンバリングは並走する1桁-2桁国道にちなんでつけられていることが多い。上記の場合は岡谷以東は国道20号と並走し、以西は国道19号と並走することから。
#大阪貨物ターミナルの開業が1975年3月or1978年11月or1980年10月に早まっていた。
#*実際は国道19と並走するのは中津川ICより西である。
#*オオサカガーデンシティにおける再開発事業も史実早く完成していた。
#長野道側は結構な高さの高架橋になっている。冬場は凍結注意。
#*サウスゲートビルディングの開業も史実よりも早まっていた。
#**大丸梅田店の開業も早まっていた。
#梅田貨物駅が1986年11月に廃止されていた。
#吹田貨物ターミナル駅の規模は史実よりも大きくなっていた。
#*本来の計画では、梅田駅の貨物取扱施設を吹田貨物ターミナル駅に全面移転させる予定であった。
#*百済貨物ターミナル駅の規模が史実ほど大きくならなかったかもしれない。
#*国立循環器病研究センターが岸辺に移転することはなかったかもしれない。
#**むしろこれもうめきたに移転してきたりして。
#大阪駅北地区における再開発事業が史実よりも早く進み、史実と異なるものになっていた。
#*遅くても、街開きが2000年代初頭に早まっていた。また、全体の開発工事が2010年代に完了していた。
#**バブル崩壊やリーマンショックのせいでどうせ遅れていたのでは。
#*ノースゲートビルディングの開業も史実よりも早く開業していた。
#*無論、三越が予定通り梅田に開業していた。
#**伊勢丹も三越とは別に開業していたかもしれない。また、梅田近辺における百貨店の競争がさらに激しいものになっていた。
#***阪急・阪神両百貨店の建て替えも現実よりも早く行われ、阪急は2000年代前半に、阪神は2000年代後半に建て替えが完了していた。
#*ヨドバシ梅田の開業は史実通りだが、史実よりも遅れて開業していた可能性が高い。
#**サーカス会場などで利用された後に開業していた可能性が高い。
#*グランフロント大阪の開業も2000年代初頭に早まっていた。
#*朝日放送の社屋が中之島ではなく、梅田駅北地区に移転していたかもしれない。
#**関西テレビ放送が1998年10月頃に梅田駅北地区に移転していた可能性もあり得る。
#*大阪府庁も大阪駅北地区に移転していたかもしれない。
#*高層ビルが乱立していた可能性が高い。
#大阪駅のホームが5面10線にまで縮小されることはなかったかもしれない。
#北梅田駅は1994年の[[関西国際空港]]開港に合わせて開業していた。
#*恐らく大阪駅と同一駅扱いになっていた。
#*[[はるか]]が大阪駅を経由しない問題は起こらなかった。
#*なにわ筋線も2010年代のうちに開通していた。
#**[[おおさか東線]]も2010年までに全通していた。
#*上記のように朝日放送や大阪府庁がうめきたエリアに移転していたので、[[京阪中之島線]]も中之島ではなくこのエリアに乗り入れていた。
#**路線名も「京阪梅田線」になっていた。
#**地下鉄の空白地帯を埋めるのが主な目的だったので無関係かと。
#場合によっては新幹線の大阪駅乗り入れが検討されていた。
#*建設費やダイヤ調整を考慮すると相当な難易度になるので不可能では。


===伊北ICの噂===
===南茨木駅===
*中央自動車道
;1928年
#もう少し後の開業なら「辰野箕輪IC」になってたかも。
#駅名は「南茨木」ではなかったかも。
#ここで降りて、国道153号で塩尻方面に抜けるのが主流だった時代もあった。
#*「沢良宜」か「奈良」になっていた。
#ここから西は名古屋支社、東は八王子支社(IC自体は名古屋支社の管轄)。
#**前者だったら大阪モノレールの沢良宜駅も駅名が変わっていた。後者だったら奈良県にあると勘違いされていた。
#***後者の場合紛らわしいのでいずれは改称されていた可能性が高い。
#1970年の大阪万博開催に合わせて駅舎が整備され、現在の形になっていた。


===伊那ICの噂===
;1990年
*中央自動車道
#大阪モノレール開通に合わせて開業していた。
#権兵衛トンネルの完成で、木曽方面の最寄りインターの座を塩尻ICから奪いつつある。
#伊那と南箕輪の境界線上にあるが、北側が伊那で南側が南箕輪。


===駒ヶ根ICの噂===
===島本駅===
*中央自動車道
*国鉄時代から地元住民から設置して欲しいという要望がありました。
#脇にある「女体入口」バス停が一部マニアに有名。
;国鉄時代
#さすがに、「桜井ノ駅駅」になることはなかった。
#開業に合わせ,日中の快速が高槻以東各駅停車になったかもしれない。
#駅周辺の開発速度は1990年頃に早くなる。上手く進めば,島本町は単独で市制施行する。


===松川ICの噂===
;1990年代
*中央自動車道
#駅周辺の開発が史実よりも進んでいた。
#このインターを起点とする県道名は「松川'''インター大鹿線'''」ただのインター接続道路にあらず、中央構造線で有名な大鹿村へのメインルートでもある。
#*当駅と阪急水無瀬駅を結ぶ道路が史実よりも早く整備されていた。
#*料金所を出て直ぐに県道起点。その証拠にか、起点すぐの所に時間貸駐車場(パークアンドライド狙い)と大鹿行のバス停がある。ただし、'''歩行者進入禁止'''とも書かれているのだが…
#*島本町立歴史文化資料館の開業が史実よりも早まっていた。
#201系電車と205系電車と113系電車が当駅に停車する光景を見ることができた。
#1997年に発売したテレビゲームの「電車でGO!」で登場していたかもしれない。
#場合によっては、大阪府立青年の家の閉鎖が史実よりも早まっていたかもしれない。


===飯田ICの噂===
;2001年
*中央自動車道
#3を除く1990年代における項目が全て実現していた。
#飯田山本ICが出来るまで、次の中津川インターまで36kmも降りられなかった。
#この年に実施されていた阪急京都線のダイヤ改正は当駅の開業に伴って、実施されたものになっていた。
#*次の園原ICはハーフインターの為。
#*この区間は魔のカーブあり、長大トンネルありと山がちな中央道のハイライト区間である。
#ここにあるバス停は伊賀良バスストップという。一旦飯田ICの敷地を出るためこんなマイナーな名前になったようだ。


===飯田山本IC/JCTの噂===
===門真市駅===
*中央自動車道、[[東海の国道#国道474号|三遠南信自動車道]]
;1970年
#長大な飯田~中津川間に追加された救世主パート2。
#同年開催された[[大阪万博]]に合わせての開業だった。
#遠い将来、[[浜松市|浜松]]に行けるようになる。
#京阪沿線から万博会場へのシャトルバスはここから出ていた(現実では守口市駅)。
#*とりあえず、上村まで繋がるだけでも大きな変化があるかもしれない。
#*そのため、万博期間中は優等列車が臨時停車していた。
#*三ヶ日までつながる構想。繋がるとは思えないが。
#開業時はやはり新門真駅だった。
#*門真市への駅名改称も史実通り。


===園原IC===
;1997年
*中央自動車道
#大阪モノレールの延伸と同時に開業していた。
#すぐ西側は恵那山トンネル。
#旧門真駅は元の位置のまま高架複々線となり、それと同時にこちらが「門真市」に改称されていた。
#*出口予告標識は恵那山トンネル内の電光掲示板で代用。
#*現実の門真市駅は「東門真」駅あたりになっていた。
#**宙吊りの電光掲示板は撤去されて、壁付けの通常看板に更新されました。
#開業当初から橋上駅舎だった。
#[[長野/下伊那#阿智村の噂|阿智村の噂]]にもあるが、岐阜県方面しか利用できない。'''長野県のインターなのに。'''
#駅前のイズミヤはなかったかも。
#*岐阜県方面にとっては長大な飯田~中津川間に追加された救世主パート1。
#阿智PAが既にあったからしょうがないとはいえ、よく村の小字名をインター名にしたもんだ。
#インター標識は「出口」の横にある矢印が通常のものよりちょっと縦寄り。
#*看板更新で普通の斜め矢印になりました。ついでに別看板だった昼神は園原と一枚の看板に統合されました。


===佐久ICの噂===
==兵庫==
*[[上信越自動車道]]
===西明石駅===
#佐久小諸JCTが出来てから国道141号を南下する際は向こうの佐久小諸JCT経由の方が便利になっている。
;1930年
#明石操車場と同時に駅も設置された。
#川崎航空機の工場ができるまで利用客は少なかった。
#*あるいは他の会社の工場がもっと早い時期にできていた。
#駅名は史実通り。
;1972年
#駅名は「新明石」になっていた。
#電車区の用地が駅の敷地に一部転用された。
#在来線と新幹線のホームはやや離れている。


===佐久小諸JCTの噂===
===摩耶駅===
*上信越自動車道 中部横断自動車道
;1994年以前
#実は、このJCTから中部横断自動車道を介すれば国道141号の南下や国道254号に楽に出られる。
#[[阪神・淡路大震災]]で六甲道駅の高架が崩壊した際、全線復旧までこの駅折り返しの電車が設定された。
#「韮崎<small>方面</small>」=中央道には行けません。
#国鉄時代に開業した場合、駅名が「東灘」駅になっていたかもしれない。
#国鉄時代に開業した場合、神戸港駅方面に向かう貨物列車のことを考慮して、待避線が設けられていた。


===小諸ICの噂===
;2008年
*[[上信越自動車道]]
#須磨海浜公園駅と島本駅と同時に開業していた。
#長野方面から軽井沢に向かう場合はこちらが便利。
#*摩耶駅か須磨海浜公園駅か島本駅のいずれかが2007年までに開業していた可能性もあり得る。
#*佐久だと遠回りになり、碓氷軽井沢では山越えが必要なため。
#場合によっては、神戸貨物ターミナル駅の開業と神戸港駅の廃止が史実よりも早まっていたかもしれない。


===東部湯の丸ICの噂===
;2012年
*上信越自動車道
#この年に開催されていた「KOBE de 清盛 2012」と関わったイベントが行われていたかもしれない。
#下りからはSAを利用する事が出来ないが、上りからは利用する事が可能。
#東姫路駅の開業もこの年に開業していた。(史実では、摩耶駅と同時に開業していた。)
#松本・諏訪方面へのショートカットに使える。
#*インターの交差点をずーっとまっすぐ走れば丸子でR152に合流する。
#しかし東部なんてとっくに合併で消えたのにいつまで名乗っているんだろうな。隣の小諸ICはそんなに遠くは無い。


===上田菅平ICの噂===
==奈良==
*上信越自動車道
===JR五位堂駅===
#R144下りからのオンランプがないので、完全立体交差インターではない。
*史実では、2004年3月に信号場から旅客駅に昇格しました。しかし、1960年代後半から、地元住民からの要望がありました。
#東部湯の丸も似たようなもんだが、菅平高原はここから20km位離れている。
;国鉄時代
#駅名は「五位堂駅」になっていた。
#駅前にバスターミナルが整備されていた。
#上手く進めば,1980年の和歌山線王寺-五条間電化と同時に実現した。


===坂城ICの噂===
;1990年代
*上信越自動車道
#駅周辺には、住宅が多くなっていった。
#最寄り駅はテクノさかき駅で、坂城駅ではない。
#*畑が少なくなっていた。
#*なので坂城町役場(最寄駅は坂城駅。)まで意外と遠い場所にある。
#同時に、「下田駅」が「香芝駅」に改称されるのが史実よりも早まっていた。
#利用客が史実よりも多くなっていた。


===更埴JCTの噂===
==和歌山==
*長野自動車道 上信越自動車道
===和歌山大学前駅===
#長野自動車道⇔上信越自動車道が本線になっている構造。
1984年頃から構想がありました。
#*松本方面は更埴ICと一体化している。
;1980年代
#*本線は松本方面と上越方面で上田方面が分岐している。
#和歌山大学栄谷キャンパスが開設された1985年に開業した。
#特急「サザン」の停車は1994年9月のダイヤ改正で実現していた。
#ふじと台は南海グループの主導によって、整備されていた。
#1990年頃に駅周辺の人口が増える。孝子以北から栄谷キャンパスに通学する学生も多くなる。
;1990年代
#早くても、1993年頃に開業していた。
#ふじと台の整備も史実より進んでいた。
#*イオンモールではなく、ダイエーもしくはオークワが出店していた。
#特急「サザン」の停車は1996年10月のダイヤ改正で実現していた。
;2000年代
#早くても、2001年頃に開業していた。
#ふじと台の整備も史実よりも進んでいた。
#*イオンモール和歌山の開業も史実より早まっていたかもしれない。
#**オークワが主体としているガーデンパーク和歌山がふじと台に開業していた可能性もあり得る。
#**そうなると、イオンモールは別の場所にできていた可能性が高い。
#特急「サザン」の停車は2005年11月のダイヤ改正で実現していた。
#*2001年3月のダイヤ改正で実現していた可能性もある。


===長野ICの噂===
;2010年
*上信越自動車道
#2009年10月に実施された南海線のダイヤ改正が2010年3月に当駅の開業と同時に実施された。
#長野道のインターじゃない。(長野道の頁も参照)
#特急「サザン」の停車が2012年4月のダイヤ改正で実現していた。
#北関東から白馬に向かうインターの一つ。
#*その代わりに、2014年3月にイオンモール和歌山が開業したことに伴う区間急行の延長運転はなかった。
#松代城もすぐそばに。


===須坂長野東ICの噂===
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 鉄道駅史|へつのとしにかいきようしていたらきんき]]
*上信越自動車道
[[カテゴリ:近畿地方|もしあのえきかへつのとしにかいきようしていたら]]
#長野駅に向かうならこっちからのが分かりやすい。
#某雑誌で「東名」と書かれていた。
#須坂市と長野市の境にある。
 
===信州中野ICの噂===
*上信越自動車道
#冬はここ以北でよくチェーン規制がかかる。
#インターに接続する交差点の信号も皆縦型に。
#*以前、ここに450φの縦型信号があった。
#インター降りて直進すると志賀中野有料道路に入ってしまう。道路の作り方が「有料ホイホイ」で露骨すぎ。志賀高原に行く際はインター出口の交差点を右折することをお勧めします。
 
===豊田飯山ICの噂===
*上信越自動車道
#豊田市に属していないICでは唯一、豊田を冠しているIC。
#長野・松本方面から新潟県の十日町・小千谷に下道(国道117号)で行くときに使えるインター。
#降雪時、交差するR117長野方面はインター交差点手前が下り坂+高速ガードにより日陰であるためか、ほぼ確実に詰まっている。
 
===信濃町ICの噂===
*上信越自動車道
#野尻湖はここからが近い。
#ここから上越JCTまで暫定2車線区間。但し、4車線工事をしています。
#信濃町駅からは遠い。
 
===岡谷ICの噂===
*長野自動車道
#ここから新和田トンネル方面に抜ければ、東信・関越・北関東方面のショートカットになる。
#長野方面から来ると、塩嶺トンネルを抜けてすぐ出口になる。
 
===塩尻ICの噂===
*長野自動車道
#塩尻市街地へのアクセス道路(国道20号)が、この辺りでは珍しく4車線道路の上、線形の良い下り坂になっているのでスピードを出す車が多い。
#*注意喚起の看板が「この道は高速道路ではない」と妙に文面が素っ気ない。
#木曽方面へのアクセスの役割を伊那ICに奪われつつあるが、北から来るならまだ最寄り。
#*[[国道19号#中津川~塩尻(木曽高速)|木曽高速]]へのジャンクションという意味ではこれからも現役。
 
===塩尻北ICの噂===
*長野自動車道
#松本空港の最寄りIC。
#国道19号にほぼ直結するので、朝は高速・下道共にインター周辺で渋滞が起こる。
#周辺道路も含めてグルグルに丸まっている。
 
===松本ICの噂===
*長野自動車道
#整備状況があまりにも悪い松本の道路の中で数少ない4車線区間に接続する。
#出口看板の「高山」・・・いやもちろんその流動が多いのはわかっているのだが、なんでか腑に落ちない。
 
===安曇野ICの噂===
*長野自動車道
#旧「豊科IC」合併に伴って変更された。
#名古屋・南関東から白馬に向かうインターの一つ。
#インター周辺は外食だらけ。
#NEXCO中日本とNEXCO東日本の境界IC。
#*インター自体はNEXCO中日本管轄。
#インターを降りて真っ直ぐ進むと馬に乗れるところがある(ホースランド安曇野)
 
===麻績ICの噂===
*長野自動車道
#地味に駅が近い。
#長野道の上山田方面の最寄りインターだったが、姨捨SAにスマートICができたので立場が微妙に。
#*青木村ならまだ最寄りになるか。
#(地形的には厳しいが)筑北PA辺りにインターがあれば、本城・坂北の住民にも使いやすかったと思う。
#*最も、四賀と本城に緊急進入路があるためスマートICへ転用しようと思えば出来なくは無い気はする。
#「おみ」と読めない人が多い
 
===更埴ICの噂===
*長野自動車道
#ジャンクションと新幹線としなの鉄道線に挟まれていて肩身が狭い。
#千曲市内だけでなく、篠ノ井方面も最寄り。
 
==新潟==
===親不知ICの噂===
*[[北陸自動車道]]
#世界初の海上IC。
#*新潟方面は信号機がある。
 
===糸魚川ICの噂===
*北陸自動車道
#糸魚川市街地のみならず、白馬のスキー場が最寄りIC。
#*というわけで補助標識には「松本 白馬」の文字が。
#インター横にでかいセメント工場がある。
 
===能生ICの噂===
*北陸自動車道
#ランプ路は能生川を渡って料金所へ。
#駅の方は「No(oの上に棒)」だが、インターは「Nou」
 
===名立谷浜ICの噂===
*北陸自動車道
#SAと併設しており、富山方面(上り線)には信号機が付いている。
#*しかし東部湯の丸SA上りみたいにICからSAを利用できるわけではないようだ。
#新潟方面は本線からICのみの利用の場合、SAからの合流車に要注意。
#*場合によってはSAを利用した方が吉。
 
===上越JCTの噂===
*北陸自動車道 [[上信越自動車道]]
#北陸道富山方面はここからトンネル連続区間に突入する。
#*しかも朝日ICまでトンネルが連続する。
 
===上越ICの噂===
*北陸自動車道
#佐渡島の玄関口ICの1つ。
#将来的には上沼道が接続する予定。
 
===柿崎ICの噂===
*北陸自動車道
#8号新潟方面出入口のループ上に柿崎城跡がある。
 
===米山ICの噂===
*北陸自動車道
#新潟方面だけSAと併設されているIC。
#*富山方面はICの手前にSAがある。
 
===柏崎ICの噂===
*北陸自動車道
#信越線茨目駅が近いが、特にバス接続は図られてはいない模様。
 
===西山ICの噂===
*北陸自動車道
#富山方面から新潟都心部へ行く際には最短で行けるIC。
#*IC降りて国道116の交差点を右に曲がれば新潟まで一直線。
#実は、柏崎刈羽原発の最寄りIC。
 
===長岡JCTの噂===
*北陸自動車道 [[関越自動車道]]
#関越自動車道⇔北陸自動車道新潟方面が本線になっている。
#*長岡で降りるときは関越道方面に向かった方が良い。
#**北陸道方面同士を利用するには両方とも分岐路を使う必要がある。
#***本線をそのまま使うと関越道に入ってしまう為。
#嘗ては新潟方面は関越自動車道の一部だった。
#*北陸道全線開通で新潟方面も北陸道に吸収された。
 
===中之島見附ICの噂===
*北陸自動車道
#新潟方面から長岡市の線路より東側だったらここが定石。
#*降りたら長岡東バイパスに直結。
#新潟-長岡の高速バスで一日数本だけここから高速に乗り降りする便がある。
#*例外もあるが、ほぼ全ての便が所要時間がちょっとだけ短い。
#ここから3つ続けて(旧)市町村名の連名ICが続く。
 
===三条燕ICの噂===
*北陸自動車道
#[[燕三条駅]]とは逆に、[[燕市]]に所在する。
#*でも、インターに入るための交差点は[[三条市]]。
#*たまに「燕三条インター」と間違えられる。駅のほうが「三条燕駅」と間違えられることはほぼない。
#**燕市と三条市の紛争に対する田中角栄の仲裁の結果、新幹線を「燕三条駅」にして駅長室を三条市に置き、高速道路を「三条燕IC」にして燕市に所在させることとなった。「[[もしあの市が実現していたら#燕三条市|燕三条市]]」と間違われるほどになったのはIC名より駅名のほうが多くの人の耳に触れやすいためだろうか。
#***IC名の知名度はどうしても駅名より低いため、駅名に限定した話でもないのに[[るろうに剣心_-明治剣客浪漫譚-|るろ剣]]がらみで「燕三条ならあるのに」などと言っている人を見て[[見ていてもどかしくなる光景の法則|モヤモヤする]]。
#日本一新幹線駅に近いインターチェンジ。運がいいとインターの前後で新幹線と並走できる。
#*新幹線駅に限定しなくても、ここまで駅とインターチェンジが近いところはないと思う。
#*両市の軋轢の結果なのか、目の前に見えているのにインターから直接行ける道がなく、案内標識もない。インター直進して酒のやまやを右折、弥彦線ぶつかったら左折してすぐ右の狭いガードを抜けてトヨレンの裏に出る、が最短?(県外人)
 
===巻潟東ICの噂===
*北陸自動車道
#読みは「巻 潟東」(まき がたひがし)と読む。
#*「まき '''が'''たひがし」ではなく「まき '''か'''たひがし」。また、「巻潟+東」でもなく誤認・誤読が続発。
#116号線、8号線とも双方に行く事が可能。但し、国道460号を介するが。
 
===新潟西ICの噂===
*北陸自動車道
#新潟市街へはこのICを利用する。出口→116号新潟西BP→黒埼ICと繋がっている。開通当時は黒埼ICが終点だった。
#*東京方面出入口の料金所は、新潟本線料金所の名残り。この付近のバイパスには、かつて黒埼方面だった車線が残っている。
#暫定開通区間でもないのに「速度落せ」の標識があったり、出口道路が2車線ある。
#*明らかに昔本線料金所だったような形をしている。
#**かつての新潟本線料金所。上にあるように、当初黒埼IC(新潟黒埼IC)終点だった頃は、ここで料金を徴収していた。北陸道延伸時に料金所の左右部を出入口用として残し、中心部を村上方面の本線にした。
#北陸道(亀田方面)は右にカーブしていく。BPは3車線のためどっちが本線だか・・・。
#*黒埼終点だった頃は北陸道と新潟バイパスは直結していたので、昔はバイパスが本線で正解だった。
#上りの料金所の前で本線と並行する。
 
===新潟中央IC・JCTの噂===
*北陸自動車道、[[磐越自動車道]]、[[東日本高速道路#日本海東北自動車道|日本海東北自動車道]]
#ICは磐越道のもの、JCTは北陸道のものと取り決めでもあったのか、同じ場所なのにIC番号が違う。
#*この為一般道から新潟中央ICへ向かうための標識の表記は、全て特定の道路名を映し出さない「高速道路」になっている。
#新潟バイパスの紫竹山ICの方が新潟市中央部に近い、と言ったら負け。
#下の新潟亀田ICが県外高速バスなら、こっちは県内高速バス。
 
===新潟亀田ICの噂===
*日本海東北自動車道
#実は新潟駅にはここを利用した方が最も近い。
#*国道49号を北上して途中で数回、曲がれば到達する為。
#**というか、弁天線に出ればあとは一直線である。
#*ただ、北陸道方面からなら新潟西ICを利用した方が便利。
#*新潟発着の県外高速路線バスは北東方面も南方面もここから高速に乗り降りする。
 
===新潟東SICの噂===
*日本海東北自動車道
#新潟空港ICとは1.8kmしか離れていない。
 
===新潟空港ICの噂===
*日本海東北自動車道
#新潟空港からは遠い場所に位置している。
#*ついでに鉄道では大形駅が最寄り駅だが、鉄道でさえも遠い場所に位置している。
 
===豊栄新潟東港ICの噂===
*日本海東北自動車道
#一応、月岡温泉の最寄りIC。
 
===聖籠新発田ICの噂===
*日本海東北自動車道
#5ヶ月だけ、ここが日東道・新潟県区間の最後のICだった。
 
===荒川胎内ICの噂===
*日本海東北自動車道
#新潟県区間の有料区間最北端。
#*料金所は南隣の中条ICのすぐそばにある。
#*同時に新潟県区間の追越車線最北端でもあるので、ここから先は遅い車がいるとすぐに渋滞が起こる。
#新潟山形南部連絡道路の絡みもあって、案内に国道113号経由で南陽がある。
 
===朝日まほろばICの噂===
*日本海東北自動車道
#今のところ日東道新潟県区間の最北端。ゆくゆくはあつみ温泉ICまでつながるらしい。
#IC降りてすぐ近くに道の駅朝日がある。
#*ちなみに道の駅朝日の愛称は「まほろば」。ICの名前もこれにちなんだんだろうか?
#**北陸道の朝日ICと区別するためかと。
 
===湯沢ICの噂===
*関越自動車道
#危険物積載車が強制的に降ろされる。(上り線)
#一大スキーリゾートだけあって冬の混雑はなかなか。インター付近の本線から特に目立つのは岩原の斜面とガーラ湯沢の駅舎であろうか。
#シーズン中の混雑の対策か、下り線出口のみ2車線ある。
 
===塩沢石打ICの噂===
*関越自動車道
#下り線のみSAと併設している。
#*しかも信号機がある。
#**このIC、東部湯の丸SAみたいにICからSAに入れればかなり便利になるような気がする。
#*一方、上り線のSAはICから入って数キロ先にある。
 
===六日町ICの噂===
*関越自動車道
#雪国まいたけの本社がすぐそば。
#上沼道もここで接続する・・・らしいが、どうやって接続させるのだろうか。
#*上沼道はここから国道17号まであるらしいが、接続したら矢吹中央ICみたいに迷宮化しそう。料金所の間が広がっているあたり、ここにそのまま直結させるかもしれない。ICの構造は若干違うが、首都高接続後の横浜青葉ICみたいになるのかもしれない。
#インター南側にあるトンネルの入口形状が独特。
 
===小出ICの噂===
*関越自動車道
#このインターの北側しばらく走ると半地下構造になっている。
#*圏央道の北本付近に似ている。
 
===堀之内ICの噂===
*関越自動車道
#同じ関越道の赤城ICと比較されやすい。
 
===越後川口ICの噂===
*関越自動車道
#サービスエリアが併設されている。それにしてもなんで新潟県だけこんなにインターとサービスエリアがくっついている所が多いのか。
#飯山線沿線への北の玄関口は小千谷ではなく、ここ。
 
===小千谷ICの噂===
*関越自動車道
#小千谷駅より小千谷の市街地に近い。
#長岡市小国地区はこのインターが最寄。
#*チャーザー村も。
 
===長岡南越路SICの噂===
*関越自動車道
#近くには岩塚製菓の本社がある。
#*西側には来迎寺駅もある。
#読み方は「ながおかなんえつろ」ではなく「ながおかみなみこしじ」。
 
===長岡ICの噂===
*関越自動車道
#北側にある長岡JCTから距離が近い。だが、JCT利用には一度、本線に入る必要がある。
#*同様の構造になっているのは谷田部東⇔つくばJCTなどが該当する。
#*構造上は上下線共に3車線に対応出来るようになっているが、塞がれている。
#関越道東京方面は長岡市街地だけでなく柏崎市街地からもここを利用した方が早い。
 
===妙高高原ICの噂===
*上信越自動車道
#晴れていればインター手前のれいめい橋から妙高連山がどーんと見渡せる。
#妙高山の3大スキー場へはインターでうまいこと3方向に別れる(←赤倉、↑池の平、→杉ノ原)
 
===中郷ICの噂===
*上信越自動車道
#フルインターにおける妙高市新井市街地玄関口。
#*新井SICができたとはいえ、なんで素直に新井に作らなかったのか。
#妙高サンシャインランドもこちらから。
 
===上越高田ICの噂===
*上信越自動車道
#上信越道最終インター
#高田より上越妙高駅のが行きやすい位置にある。
 
===津川ICの噂===
*磐越自動車道
#取付道路を降りると阿賀町役場がすぐそばにある。
 
===三川ICの噂===
*磐越自動車道
#磐越道、いや日本でも屈指の秘境インターかも…
#*インターを降りても建物が見えない。
 
===安田ICの噂===
*磐越自動車道
#長い山間部に別れを告げ、新潟平野へ入った所にある。
 
===新津ICの噂===
*磐越自動車道
#すぐそばを阿賀野川が流れる。「新津 阿賀野」の標識に偽り無し。(もちろん本当は阿賀野市の玄関口の意味)
 
 
==富山==
===小矢部ICの噂===
*北陸自動車道
#北上すれば石動駅へ向かう事が出来る。
#*だが、国道8号からは遠い一方、国道359号からは非常に近い。
#小矢部アウトレットへの最寄りICは能越道福岡IC。なので新潟方面の標識には福岡ICへ誘導する看板がある。
#IC付近の南側にミニサイズの自由の女神がある。自由の像というらしい。
#*代表的なメルヘン建築の一つである蟹谷小学校もIC付近にある。
 
===小矢部砺波JCTの噂===
*北陸自動車道 [[東海北陸自動車道]] [[自動車専用道路#能越自動車道|能越自動車道]]
#1つのジャンクションに3つの路線が交わる。
#*但し、東海北陸自動車道⇔能越自動車道は対面通行なのが難点。
#東海北陸道に設置されている標識がやけにボロい気が…
 
===砺波ICの噂===
*北陸自動車道
#「北陸道=国道8号の高速版」だと思っていると「あれ?なんでいきなり砺波が?」ってなる。
#*富山~金沢はどっちかというと8号線よりも国道359号に沿っている。
#*8号線が高岡をがっつり通り砺波に触れもしないのに対し、北陸道は高岡は申し分程度にかするくらいで砺波をしっかりと通る。
#下り線の標識に高岡が出てくるが、手前の小矢部砺波JCTで能越道に入ったほうが行きやすそうな気もする。
#*降りてすぐの{{国道|北陸|156}}をそのまま北上していけば高岡には着くっちゃ着く。
 
===高岡砺波SICの噂===
*北陸自動車道
#高岡市と砺波市の境にあるから、というそのままな理由で名づけられたSIC。
#*近くに有名な地名があるわけでもないし、「高岡南」とか「砺波東」とか名づけようにも端っこ過ぎるし、これが一番いいのかもしれない。
#*ただ、出入口以外の大半は砺波市内にある。
#*一応高岡市唯一の北陸道のIC。このICができるまで高岡市内に北陸道のICはなかった。
#新高岡駅へアクセスしやすい位置にある。コカコーラやパナソニックの工場からも近い。
 
===小杉ICの噂===
*北陸自動車道
#上り線の標識は「小杉 射水 高岡 氷見」となかなか盛りだくさん。
#*高岡や氷見は、能越道が開通した今となってはそっち経由の方が分かりやすい気もする。でも近いのは確か。
#酷道と名高いかの国道472号線に接続している。でもこの辺りは普通の国道。
#*ここを境に南部が酷道
 
===富山西ICの噂===
*北陸自動車道
#標識の大きさが他のICに比べて小さめ。追加ICだから?
#*「富山西」以外に乗っける地名が無かったから、というのもあるかも。
#位置的には呉羽町あたりにある。ファミリーパークとか附属病院が近い。
#*旧八尾町へも富山ICよりは近い。
#*すぐ近くだが高速道路からは見えない。
#富山西ICを過ぎたあたりの下り線からは一瞬富山平野が見渡せる。勿論眺望スポットとして紹介されているような場所には劣るけど。
 
===富山ICの噂===
*北陸自動車道
#富山市内だけでなく富山空港や猪谷駅にも近いIC。
#*国道41号に接続しているから飛騨古川駅方面にも一直線で行ける。
#**故に危険物搭載車両は新潟から名古屋へ行く際には当ICで降りて高山ICを経由した方が早くて便利。
#***東海北陸道は福光IC~五箇山IC、白川郷IC~飛騨清見ICまでは通行できない為。
#*富山空港はメチャクチャ近い。かの「航空機通過 わき見注意」の看板も富山ICの近くにある。
#出口標識の案内は「富山 高山」。でも高山目当てでこのICで降りる人っているんだろうか…?
#*国道8号のおにぎりもついてるけど、8号線までもそこそこ遠い気が…
 
===立山ICの噂===
*北陸自動車道
#新潟方面は上市町へも最寄りICとなるが、米原方面はそうではないので表記が「立山」オンリー。
#*国道に接続していないのでおにぎりマークもない。富山西ICと違って標識のサイズは標準なので余白が広く、どことなく寂しさが…
#ここでいう「立山」は立山町なのでリアル[[立山]]からは結構遠い。
 
===黒部ICの噂===
*北陸自動車道
#宇奈月温泉の最寄りIC。
#*下り線は「黒部」「宇奈月」に加え補助標識に「入善」の文字もある。ETC搭載車はお隣入善SICの方が近い。
#[[富山の駅/下新川#黒部宇奈月温泉駅・新黒部駅の噂|黒部宇奈月温泉駅]]が真横にある。
 
===朝日ICの噂===
*北陸自動車道
#ここから新潟方面は長いトンネル連続区間に入ります。
#*上越JCTまで続き、その数26本。1本1本がやたらと長いので朝日~上越は距離のわりに長く感じる…
#NEXCO中日本とNEXCO東日本の境界IC。
#*朝日IC自体はNEXCO中日本管理なので、東隣の{{SA/PA|甲信越・北陸|越中境PA}}だけ富山県内で取り残されたようにNEXCO東日本管理になっている。
#*上記の通り、トンネル連続区間はNEXCO東日本区間になる。
 
===五箇山ICの噂===
*東海北陸自動車道
#ここより北は危険物搭載車両の通行が出来ない。
#*しかし南にある白川郷以南も飛騨トンネルの影響で危険物搭載車両は通行する事が出来ない。
#富山県最南端のインターチェンジ。
#この辺りでちらっとだけ合掌造り集落が見える。
 
===福光ICの噂===
*東海北陸自動車道
#福光駅及び城端駅はこのICから近い。
#危険物搭載車両はここで降ろされる。
#*故にここから飛騨清見ICまで事実上、危険物搭載車両は通行できない。
#ここからトンネルが多くなる。(岐阜県関市あたりまで?)
 
===南砺SICの噂===
*東海北陸自動車道
#福野駅からは近いSIC。
#SICとして珍しくハイフン(追加SIC)になっていない。
#*一宮方面からIC番号がふられていて、かつ北隣は小矢部砺波JCT(北陸道の番号)のため。
#「南砺」の指す範囲が広すぎて正直どこにあるのかよく分からない。
#*位置的には旧[[南砺市#福野|福野町]]の範囲。
 
===福岡ICの噂===
*能越自動車道
#九州の福岡ICと紛らわしい。
#*しかも出て直進したら金沢市に出てしまう。
#九州の福岡と紛らわしいからこっちは旧国名を含めて越中福岡ICにした方が良いと感じる。
#小矢部のアウトレットへの最寄りIC。
#*高岡市の地名を冠しているが、小矢部市街地へも近い。ひょっとしたら小矢部ICより近いかも。
 
===高岡ICの噂===
*能越自動車道
#高岡市駅、新高岡駅共に近い。
#ここから氷見方面は無料になる。
#*いつからか(1~2年ほど前)福岡ICから無料になって、福岡ICまで利用する人が多くなったとか。
#ICを出てすぐのところに道の駅[[甲信越・北陸の道の駅#万葉の里 高岡|万葉の里 高岡]]がある。
 
==石川==
===加賀ICの噂===
*北陸自動車道
#山代温泉、山中温泉の最寄ICである。
#*但し、出口に信号機がないので注意が必要となる。
#石川県最西端、最南端のIC。
#インターの形状が隣の金津インターとよく似ている。
 
===片山津ICの噂===
*北陸自動車道
#元々、ICを作る計画はなかったが地元の要望で作られたIC。
#*番号にハイフンがないのは全線開通時に番号を振りなおしたた為。
#**それは金津ICと美川IC。
 
===小松ICの噂===
*北陸自動車道
#小松市街地より小松空港の方が近い。
#*安宅SICが出来るまで迄は小松空港の最寄りICだった。
#**ETCを除けば今でも最寄りIC。
 
===美川ICの噂===
[[画像:Mikawa.jpg|thumb|120px|美川 県一の町]]
*北陸自動車道
#かつてここに'''美川県一の町'''の看板が存在した。
#*厳密に言えば美川下水処理場の水槽塔。
#**もちろんご本人(美川憲一)からも了承済み。
#昔は枝番のインターだった。
 
===白山ICの噂===
*北陸自動車道
#白山市だけでなく金沢港にも近い。
#*こちらは海側環状と接続している。
#金沢西ICが混んでる時はこっちを使った方が早いことも
 
===金沢西ICの噂===
*北陸自動車道
#嘗ては福井方面のみのハーフICだった。
#*後から富山方面の流出路が作られた。
 
===金沢東ICの噂===
*北陸自動車道
#嘗ては富山方面のみのハーフICだった。
#*後から福井方面の流出路が作られた。
 
===金沢森本ICの噂===
*北陸自動車道
#山側環状と接続している。
#*但し、合流部分が暫定2車線区間なのは注意が必要。
#*兼六園や金沢城へ向かう際にはこちらが便利。金沢市街地のマナーの悪い車を避ける事も可能です。
#*料金所を出ると山側環状と月浦バイパスのJCTに入るという、この辺では複雑な作りになっている。
#七尾や輪島に向かうときもこちらから。
#山環兼六園方面はほとんど混んでる。
#インターに入るまでにかなりグルグル回って方向感覚が狂う
 
==福井==
===敦賀JCTの噂===
*北陸自動車道 [[舞鶴若狭自動車道]]
#舞鶴若狭道側はは合流したらすぐに暫定2車線区間に入る。
#舞鶴若狭道から北陸自動車道福井方面に出て合流車線をそのまま進むと敦賀ICに入ってしまう。
 
===敦賀ICの噂===
*北陸自動車道
#敦賀市街地だけでなく京都から北陸に出る際には最も便利なIC。
#*直ぐ南へ行けば国道161号に出られる事、161号を走って行けば京都市街地に出られる為。
#米原方面の合流車線をそのまま進むと舞鶴若狭道に入ってしまう。
#福井方面はここから上下線が別の経路で今庄ICまで向かう。
 
===今庄ICの噂===
*北陸自動車道
#旧・今庄町中心部から遠い場所に位置している。
#*勿論、今庄駅からも遠く、国道8号からも遠い、
#**但し、ICを出た国道365号は本来の北陸道になる。
#*逆に湯尾駅からは近い。
#国道305号の終点はインターの出口
 
===武生ICの噂===
*北陸自動車道
#越前市市街地はここからが近い。
#米原方面はここから敦賀ICまで国道8号と距離が遠くなる。
 
===鯖江ICの噂===
*北陸自動車道
#ICからは直接接続していないが、福井バイパスが近くに存在する。
#*その為、敦賀方面から福井市街地に出る時はこちらの方が利便性が高い。
#*又、当IC~福井ICまで並行する国道8号は北陸本線と福井鉄道の間を走行する。
#勿論、鯖江駅などの鯖江市街地も近い。
 
===福井ICの噂===
*北陸自動車道
#福井市街地の他、北陸道側からの大野市街地及び九頭竜湖の玄関口。
#*こちらは近畿地方から九頭竜湖への玄関口。
#**中京圏からは東海北陸自動車道白鳥ICが玄関口となる。
 
===福井北IC・JCTの噂===
*北陸自動車道 [[高速道路#中部縦貫自動車道|中部縦貫自動車道]]
#福井市街地より永平寺や勝山の方が近い。
 
===大飯高浜ICの噂===
*舞鶴若狭自動車道
#高浜町から近いけど、おおい町から遠いIC。
 
===小浜西ICの噂===
*舞鶴若狭自動車道
#小浜と表記してあるが、おおい町はこのICの方が近い。
#*ついでに大飯原発もここからが近い。
 
===小浜ICの噂===
*舞鶴若狭自動車道
#綾部PA~敦賀JCTまでの暫定2車線区間では貴重な4車線が付いているIC。
#*但し、他の舞鶴道と同じく距離は短い。
#NEXCO中日本とNEXCO西日本の境界IC。
 
===若狭上中ICの噂===
*舞鶴若狭自動車道
#若狭町の玄関口のみならず、滋賀県の近江今津駅にも出やすい。
#*福知山方面からなら玄関口になれる。北陸道からは敦賀ICを利用して国道161号経由が早いが。
 
===若狭美浜ICの噂===
*舞鶴若狭自動車道
#美浜町中心部からは遠い。
#*若狭美浜ICと当ICの間に役場と市街地がある。
#*代わりに海水浴場と美浜原発が近くにある。
#舞鶴方面から敦賀市街地に出る際はここから利用した方が便利。
#*国道27号金山バイパスを利用すれば敦賀IC利用より便利な為。
#**敦賀ICだと行って戻る格好になりますからね。
 
===敦賀南SICの噂===
*舞鶴若狭自動車道
#敦賀市街地からはそこまで便利なSICじゃない。
#SICとしては珍しくハイフン(追加IC)になっていない。
#*南砺SICと同様。舞鶴若狭道の終点間際にあるからかな?
 
===大野ICの噂===
*中部縦貫自動車道(永平寺大野道路・大野油坂道路)
#大野市街地を外れた田園地帯に下ろされるが、近年この開通に合わせて道路整備が急速に進んでいる。
#ところで、このICの開通による福井方面への移動経路の転換はさほど大きくなかったとか。
 
===永平寺参道ICの噂===
*中部縦貫自動車道(永平寺大野道路)
#永平寺への最寄りインターチェンジだが大野勝山方面からは下りられない。すぐ脇を国道が併走していてまるで4車線のようだが暫定2車線である。
#永平寺と一乗谷は国道で繋がっているが、おそらくこの経路を採る人はそんなにいないんだろうな。
 
==関連項目==
*[[甲信越・北陸のサービスエリア・パーキングエリア]]
 
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{{高速道路総合}}
 
[[Category:日本のインターチェンジ・ジャンクション|こうしんえつほくりく]]
[[Category:甲信越地方|いんたあ]]
[[Category:北陸地方|いんたあ]]

2021年7月28日 (水) 19:05時点における版

  • 特定の路線のみの場合はそれを明記すること。

滋賀

栗東駅

1889年
  1. 駅名は所在地の村名をとって「大宝」駅になっていた。
    • 後に開業した関東鉄道の駅は「常陸大宝」に。
    • この場合「栗東」という自治体名は誕生しなかったかもしれない。
  2. 人口希薄な場所だったため当初は貨物のみの取り扱い。
1950年代後半
  1. おそらく栗東町誕生と同じ頃の設置。
  2. 貨物を取り扱ったことはない。
  3. 90年頃に橋上駅化される。
  4. 市制施行がやや早まった可能性あり。

南草津駅

1889年
  1. 駅名は周辺の地名に合わせて「野路」あたりになっていた。
  2. 開業以来長い間利用客は少なかったが、1990年代に立命館大学が進出して以降周辺の開発が進み利用客が急増していった。
    • いずれは近隣にある野洲駅と紛らわしいということで現駅名に改称されていただろう。
  3. 瀬田駅の開業が1969年なので、同駅よりも早く開業したことになっていた。
    • それどころか石山駅(1903年開業)よりも早かった。

瀬田駅

1889年
  1. 熊本県にある豊肥本線の瀬田駅はこの駅との混同を防ぐために「肥後瀬田」駅になっていたかもしれない。
  2. 逆に石山駅の開業が戦後になっていたかも。
    • その場合、京阪石山坂本線のルートも変わっていた可能性がある。
      • 京阪石山寺駅の方が「石山」駅を名乗っていた。

京都

JR小倉駅

国鉄時代
  1. 恐らく駅名は「山城小倉」になっていた。
    • 「小倉」は北九州市や近くを通る近鉄京都線にすでにあったので別の駅名にするにも駅所在地の地名が「小倉」なので恐らく旧国名をつけて区別していた。

太秦駅

1930年代
  1. 嵐電にも「太秦駅前」という電停ができていた。
    • 現実の「帷子ノ辻」がそれを名乗っていた。
    • 「太秦」電停の改称は現実よりも早かった。
      • 恐らく「嵯峨野→有栖川」と同時期に行われていた。
  2. 駅の雰囲気によっては複数の東映映画の撮影で使用されていた。
    • 少なくとも映画関係者の利用は多かったはず。
  3. 周辺の開発による用地不足のせいで駐輪場が史実より貧弱だったかもしれない。
  4. 国鉄の駅だったので、難読駅名としての知名度は現実よりも高く、かつ早くから知られていた。

円町駅

昭和10年代
  1. 西大路通開通か市電西大路線全通と同時に開業。
  2. 市電の停留所は「円町駅前」と名乗っていた。
    • だが方向幕の表示は史実通り「円町」。
    • 円町折り返しの系統はもっと多かった。
  3. 駅の位置はもう少し東寄りの西大路通から見えるところ。
  4. 一部の急行が停車していた。
昭和40年代

この時期から駅設置を求める請願が実際にあった。

  1. 新丸太町通の整備を考慮に入れて建設された。
  2. 立命館大学の広小路キャンパス撤退がやや早まっていたかもしれない。
  3. 中京区の人口減少が抑えられた。
  4. それでも京都市電の全線廃止は避けられなかった。
昭和53年
  1. 同年の紀勢線和歌山-新宮間電化と同時に開業。前日に廃止された市電円町電停の代替を兼ねる。
  2. 中京区の人口減少は少し抑えられた。
  3. 高架化・複線化されるまで1面1線しかない。
  4. 当初から快速停車駅である(中京区民からの要望,市電全廃の代替が主な理由)。

六地蔵駅(JR)

1960年代
  1. 山科川を挟んだ京都市側、イズミヤのあたりの築堤上に単式ホームで新設、電化時期にホームが増設。つまりイズミヤが存在しない。御蔵山商店街の位置が、現京阪六地蔵駅との間になる。
    • イズミヤがMOMOの場所に出店していたかも。
    • イズミヤが出店しなかった場合、イトーヨーカドーは閉店しなかった。
    • 長距離切符においては京都市内駅に含まれている。
  2. 繁華街の位置が違うため、京都アニメーション周囲は人通りが多く、あの惨事が起きていない。外環状はおそらく木幡寄りを抜ける。
  3. 京都市営地下鉄東西線の駅は京阪とJRの間に作られ、京阪との乗り換えも便利になっていた。
    • 京都市営地下鉄が宇治市内に路線を持つこともなかった。
1994年以降
  1. 駅名は「JR六地蔵」となっていた。
    • Wikipediaでの項目も京阪六地蔵駅とは別になっていた。
  2. 2004年に京都市営地下鉄東西線が乗り入れてくるものの、そちらは単に「六地蔵」駅となっていた。
    • そのため京阪を含めた駅名の関係がややこしくなっていた。

洛西口駅

1980年代
  1. 早くても、1979年に開業していた。
  2. 洛西ニュータウンの整備に合わせて建設された。
    • 阪急資本の進出が史実より進んでいたかもしれない。
      • それでもラクセーヌのメインテナントが阪急百貨店になるようなことはあるまい。
  3. 駅周辺の開発が史実より進んでいた。
    • 西口にちょっとしたバスターミナルのようなものが建設された。
  4. 高槻市より東(北)が各駅停車となる優等列車の本数が開業の頃から若干増えた。
2001年
  1. 駅周辺の開発が史実より進んでいた。
  2. その分、西山天王山駅か摂津市駅の開業が2003年に早まっていたかもしれない。
  3. 6300系電車のラッピング列車が当駅の開業を機に運行され、6000系電車と7000系電車よりも早く実現していたことになっていた。

西山天王山駅

  • 1985年頃から要望があったそうです。
1970年代
  1. 早くても、1972年に開業していた。
  2. 駅名は「円明寺」駅あたりになっていた。
    • 2013年or2014年あたりに「西山天王山」駅に改称されていた。
      • 阪急のことなので「円明寺天王山」のほうがありそう。
  3. 当駅近くにある円明寺団地の規模が史実よりも大きくなっていた。
  4. 京都縦貫自動車道にバス停ができたのは、史実通り。
2013年春以前
  1. 2012年に開業した場合、神戸線のダイヤ改正とともに、京都線のダイヤ改正も行われた。
  2. 京都縦貫自動車道は2011年頃に開業していたら、あり得た。
    • もしくは、駅開業が先行して、その後に高速長岡京バスストップが整備された。

梅小路京都西駅

1972年
  1. 梅小路蒸気機関車館の開館に合わせて開業していた。
  2. 駅名は単に「梅小路」になっていた。
  3. 当時は山陰本線の本数が少なかったため駅があっても不便だった。
  4. 緑化フェア梅小路駅はなかった。
1976年
  1. 同年の山陰本線京都口の高架化に合わせて開業していた。
  2. この場合も駅名は「梅小路」になっている。
  3. 場合によっては丹波口駅は高架化に合わせて廃止されていたかも。
2016年
  1. 京都鉄道博物館の開館と同じ時期に開業していた。
  2. そのために、京都鉄道博物館へ訪れる観客が史実より多くなっていた。
    • 京都水族館も。

大阪

大阪城公園駅

1930年代
  1. 大阪城公園ではなく周辺の軍事工場の最寄駅として開業していた。
  2. 多分開業時の駅名は「大阪城公園」ではなかった。
    • 1980年代に現駅名に改称。
    • 当初は「工廠」という言葉が入った駅名だったが日中戦争期に防諜のため「青屋門」あたりに改名される。
  3. 『日本アパッチ族』(小松左京)の中にも何らかの形で登場していた。

新今宮駅

1880年代
  1. 恐らく駅名は「霞町」になっていたか?
    • 村名から取って「木津」だったのでは。
      • この場合1896年開業の京都府の駅が「山城木津」だった。
  2. 南海天王寺線の廃止が早まっていた。
    • そもそも建設されなかった可能性もある。
  3. 地下鉄の動物園前駅もこの駅に接続するように建設されていた。

樟葉駅

1970年代
  1. くずはローズタウンの開発に伴って開業した駅となっていた。

東部市場前駅

国鉄時代
  1. 駅名は地名に合わせて「杭全(くまた)」になっていた。
    • 難読駅名として知られていた。
  2. すぐ近くにある百済貨物駅と一体的に整備されていたかも。
    • その場合、駅は今里筋を挟んだ東側に設けられていた。

北梅田駅

1990年代
  1. 「くろしお」の新大阪・京都発の設定or「はるか」の登場と共に旅客用ホームが設置されていた。
    • 特急しか来ないので駅名もすんなり「大阪」で確定していたかもしれない。
  2. JR難波と違い、なにわ筋線用の準備構造は設置できなかったと思われる。
  3. 梅田貨物駅が現役なので、旅客用ホームは大淀寄りに設置されていた。
    • その為大阪駅と無理やり地下通路で連絡運輸を図っていた。これが原因で「はるか」の対関空シェアも史実とあまり変わらない。
      • 東京駅の京葉線ホーム、渋谷駅の埼京線ホームと共に「乗り換えに不便な主要駅のホーム」として名を馳せてしまう。
    • ホームの規模もつい最近まで1面2線程度だったが、再開発を機に史実の建設地点に近い場所への移転を含めた抜本的改修が成される。

高井田駅(JR)

2008年以降
  1. JRにおける「高井田」という駅名は現実のおおさか東線高井田中央駅が名乗っていた。
    • JR河内永和やJR俊徳道と同様「JR高井田」だったかも。
  2. こちらは「東柏原」か「JR河内国分」を名乗っていた。
    • どうしても「高井田」を入れる必要があるのなら「柏原高井田」とかになっていた。
  3. 「高井田」というと東大阪市の方を思い浮かべる人が大半だった。

衣摺加美北駅

2008年
  1. おおさか東線の開業と同時に開業していた。
  2. 放出~新大阪間の開業が史実より早まっていたらあり得た。
  3. ホームは2008年に開業した他の駅と同じ島式ホームになっていたかも。
  4. 場合によっては、放出~久宝寺間の開業が史実より早まって、その時に開業した可能性もある。

摂津市駅

  • 史実では、2010年3月に開業しましたが、摂津市が市制化される1966年以前から構想があったそうです。
1928年
  1. 駅周辺にダイヘンの事業所が開設されることはなかったかもしれない。
    • 仮に、開設されたとしても、史実と異なるものになっていた。
  2. 摂津市が史実よりも大きく発展していた。
1950年代~1960年代
  1. 1966年以前に開業した場合、「三島」駅となり、市制化されてから「摂津市」駅に改称されていた。
    • 1967年以降に開業した場合、史実通り「摂津市」駅として開業していた。
1970年代
  1. 近くに、ダイヘンがあったので、通勤専用出口が設けられていた。
    • 駅近辺に大阪府立摂津高等学校、星翔高等学校があるので、通学専用出口も設けられていた。
  2. 日本初の「カーボン・ニュートラル・ステーション」は洛西口駅か西山天王山駅になっていた。
  3. 1973年11月に山田駅とともに開業していた。
2000年代
  1. ダイヘンの六甲事業所の新設が史実よりも早まっていた。。
  2. 2007年か2001年に開業した場合、京都線のダイヤ改正の実施と同時に開業していた。
    • 場合によっては、ダイヤ改正が数年ずれ込んでいた可能性もあった。
  3. 開業を機にラッピング装飾と特製ヘッドマークが掲出されたのは9300系電車ではなく、8300系電車になっていた可能性が高い。
  4. 2007年か2008年に開業した場合、新駅設置を行っていたJR西日本に対抗するために設置された駅として注目されていた。
  5. 2007年に開業した場合、阪急電鉄が創立100周年を迎える年でもあったので、駅開業と重なっていた。
  6. 南千里丘まちづくりの街開きも史実よりも早まっていた。

吹田貨物ターミナル駅

1980年代
  1. 早くても、1982年11月に、遅くても、1985年3月に開業していた。
  2. 大阪貨物ターミナルの開業が1975年3月or1978年11月or1980年10月に早まっていた。
    • オオサカガーデンシティにおける再開発事業も史実早く完成していた。
    • サウスゲートビルディングの開業も史実よりも早まっていた。
      • 大丸梅田店の開業も早まっていた。
  3. 梅田貨物駅が1986年11月に廃止されていた。
  4. 吹田貨物ターミナル駅の規模は史実よりも大きくなっていた。
    • 本来の計画では、梅田駅の貨物取扱施設を吹田貨物ターミナル駅に全面移転させる予定であった。
    • 百済貨物ターミナル駅の規模が史実ほど大きくならなかったかもしれない。
    • 国立循環器病研究センターが岸辺に移転することはなかったかもしれない。
      • むしろこれもうめきたに移転してきたりして。
  5. 大阪駅北地区における再開発事業が史実よりも早く進み、史実と異なるものになっていた。
    • 遅くても、街開きが2000年代初頭に早まっていた。また、全体の開発工事が2010年代に完了していた。
      • バブル崩壊やリーマンショックのせいでどうせ遅れていたのでは。
    • ノースゲートビルディングの開業も史実よりも早く開業していた。
    • 無論、三越が予定通り梅田に開業していた。
      • 伊勢丹も三越とは別に開業していたかもしれない。また、梅田近辺における百貨店の競争がさらに激しいものになっていた。
        • 阪急・阪神両百貨店の建て替えも現実よりも早く行われ、阪急は2000年代前半に、阪神は2000年代後半に建て替えが完了していた。
    • ヨドバシ梅田の開業は史実通りだが、史実よりも遅れて開業していた可能性が高い。
      • サーカス会場などで利用された後に開業していた可能性が高い。
    • グランフロント大阪の開業も2000年代初頭に早まっていた。
    • 朝日放送の社屋が中之島ではなく、梅田駅北地区に移転していたかもしれない。
      • 関西テレビ放送が1998年10月頃に梅田駅北地区に移転していた可能性もあり得る。
    • 大阪府庁も大阪駅北地区に移転していたかもしれない。
    • 高層ビルが乱立していた可能性が高い。
  6. 大阪駅のホームが5面10線にまで縮小されることはなかったかもしれない。
  7. 北梅田駅は1994年の関西国際空港開港に合わせて開業していた。
    • 恐らく大阪駅と同一駅扱いになっていた。
    • はるかが大阪駅を経由しない問題は起こらなかった。
    • なにわ筋線も2010年代のうちに開通していた。
    • 上記のように朝日放送や大阪府庁がうめきたエリアに移転していたので、京阪中之島線も中之島ではなくこのエリアに乗り入れていた。
      • 路線名も「京阪梅田線」になっていた。
      • 地下鉄の空白地帯を埋めるのが主な目的だったので無関係かと。
  8. 場合によっては新幹線の大阪駅乗り入れが検討されていた。
    • 建設費やダイヤ調整を考慮すると相当な難易度になるので不可能では。

南茨木駅

1928年
  1. 駅名は「南茨木」ではなかったかも。
    • 「沢良宜」か「奈良」になっていた。
      • 前者だったら大阪モノレールの沢良宜駅も駅名が変わっていた。後者だったら奈良県にあると勘違いされていた。
        • 後者の場合紛らわしいのでいずれは改称されていた可能性が高い。
  2. 1970年の大阪万博開催に合わせて駅舎が整備され、現在の形になっていた。
1990年
  1. 大阪モノレール開通に合わせて開業していた。

島本駅

  • 国鉄時代から地元住民から設置して欲しいという要望がありました。
国鉄時代
  1. さすがに、「桜井ノ駅駅」になることはなかった。
  2. 開業に合わせ,日中の快速が高槻以東各駅停車になったかもしれない。
  3. 駅周辺の開発速度は1990年頃に早くなる。上手く進めば,島本町は単独で市制施行する。
1990年代
  1. 駅周辺の開発が史実よりも進んでいた。
    • 当駅と阪急水無瀬駅を結ぶ道路が史実よりも早く整備されていた。
    • 島本町立歴史文化資料館の開業が史実よりも早まっていた。
  2. 201系電車と205系電車と113系電車が当駅に停車する光景を見ることができた。
  3. 1997年に発売したテレビゲームの「電車でGO!」で登場していたかもしれない。
  4. 場合によっては、大阪府立青年の家の閉鎖が史実よりも早まっていたかもしれない。
2001年
  1. 3を除く1990年代における項目が全て実現していた。
  2. この年に実施されていた阪急京都線のダイヤ改正は当駅の開業に伴って、実施されたものになっていた。

門真市駅

1970年
  1. 同年開催された大阪万博に合わせての開業だった。
  2. 京阪沿線から万博会場へのシャトルバスはここから出ていた(現実では守口市駅)。
    • そのため、万博期間中は優等列車が臨時停車していた。
  3. 開業時はやはり新門真駅だった。
    • 門真市への駅名改称も史実通り。
1997年
  1. 大阪モノレールの延伸と同時に開業していた。
  2. 旧門真駅は元の位置のまま高架複々線となり、それと同時にこちらが「門真市」に改称されていた。
    • 現実の門真市駅は「東門真」駅あたりになっていた。
  3. 開業当初から橋上駅舎だった。
  4. 駅前のイズミヤはなかったかも。

兵庫

西明石駅

1930年
  1. 明石操車場と同時に駅も設置された。
  2. 川崎航空機の工場ができるまで利用客は少なかった。
    • あるいは他の会社の工場がもっと早い時期にできていた。
  3. 駅名は史実通り。
1972年
  1. 駅名は「新明石」になっていた。
  2. 電車区の用地が駅の敷地に一部転用された。
  3. 在来線と新幹線のホームはやや離れている。

摩耶駅

1994年以前
  1. 阪神・淡路大震災で六甲道駅の高架が崩壊した際、全線復旧までこの駅折り返しの電車が設定された。
  2. 国鉄時代に開業した場合、駅名が「東灘」駅になっていたかもしれない。
  3. 国鉄時代に開業した場合、神戸港駅方面に向かう貨物列車のことを考慮して、待避線が設けられていた。
2008年
  1. 須磨海浜公園駅と島本駅と同時に開業していた。
    • 摩耶駅か須磨海浜公園駅か島本駅のいずれかが2007年までに開業していた可能性もあり得る。
  2. 場合によっては、神戸貨物ターミナル駅の開業と神戸港駅の廃止が史実よりも早まっていたかもしれない。
2012年
  1. この年に開催されていた「KOBE de 清盛 2012」と関わったイベントが行われていたかもしれない。
  2. 東姫路駅の開業もこの年に開業していた。(史実では、摩耶駅と同時に開業していた。)

奈良

JR五位堂駅

  • 史実では、2004年3月に信号場から旅客駅に昇格しました。しかし、1960年代後半から、地元住民からの要望がありました。
国鉄時代
  1. 駅名は「五位堂駅」になっていた。
  2. 駅前にバスターミナルが整備されていた。
  3. 上手く進めば,1980年の和歌山線王寺-五条間電化と同時に実現した。
1990年代
  1. 駅周辺には、住宅が多くなっていった。
    • 畑が少なくなっていた。
  2. 同時に、「下田駅」が「香芝駅」に改称されるのが史実よりも早まっていた。
  3. 利用客が史実よりも多くなっていた。

和歌山

和歌山大学前駅

1984年頃から構想がありました。

1980年代
  1. 和歌山大学栄谷キャンパスが開設された1985年に開業した。
  2. 特急「サザン」の停車は1994年9月のダイヤ改正で実現していた。
  3. ふじと台は南海グループの主導によって、整備されていた。
  4. 1990年頃に駅周辺の人口が増える。孝子以北から栄谷キャンパスに通学する学生も多くなる。
1990年代
  1. 早くても、1993年頃に開業していた。
  2. ふじと台の整備も史実より進んでいた。
    • イオンモールではなく、ダイエーもしくはオークワが出店していた。
  3. 特急「サザン」の停車は1996年10月のダイヤ改正で実現していた。
2000年代
  1. 早くても、2001年頃に開業していた。
  2. ふじと台の整備も史実よりも進んでいた。
    • イオンモール和歌山の開業も史実より早まっていたかもしれない。
      • オークワが主体としているガーデンパーク和歌山がふじと台に開業していた可能性もあり得る。
      • そうなると、イオンモールは別の場所にできていた可能性が高い。
  3. 特急「サザン」の停車は2005年11月のダイヤ改正で実現していた。
    • 2001年3月のダイヤ改正で実現していた可能性もある。
2010年
  1. 2009年10月に実施された南海線のダイヤ改正が2010年3月に当駅の開業と同時に実施された。
  2. 特急「サザン」の停車が2012年4月のダイヤ改正で実現していた。
    • その代わりに、2014年3月にイオンモール和歌山が開業したことに伴う区間急行の延長運転はなかった。