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2021年3月1日 (月) 12:35時点における版
独立項目
- もし東上鉄道が東武に併合されなかったら
- もし総武鉄道が東武に併合されなかったら
- もし越生鉄道が東武に併合されなかったら
- もし五島慶太が東武買収に成功していたら
- もし東武の路線が開業していたら(都内の路線はこちらへ)
- もし東武の路線が開業していたら
日光線が佐野経由だったら
東武日光線は当初、佐野線の葛生ないし佐野あたりから延伸する予定であり、山岳地帯を通ることによる工事の難易度を考慮したのと、国鉄との競合を鑑みての距離短縮を兼ね、杉戸(現:東武動物公園)分岐に変更された。
では予定通り、起点が葛生や佐野であったら?
全般
- JRとの直通列車が設定された場合、連絡線は久喜に設けられる。
- 地下鉄の直通電車は、久喜よりもう少し先、館林辺りまで乗り入れていた。
- 幸手や栗橋の街は衰退していた。
- あるいは杉戸~栃木~東武宇都宮間が「東武宇都宮線」となっていた。
- 幸手市はとっくに久喜市に吸収合併されていた。
- 栗橋はJRがあるので衰退しない。栗橋駅西口周辺開発中だし
- 伊勢崎線の久喜~館林は早期に複線化された。
- らき☆すたでこなたが、寝過ごして日光へ行ってしまったというネタが消える。またこなたの通学がバスに変更。
- 宇都宮線戸として建設されていた場合は、行き先が宇都宮になるだけ。
- 日光への特急で国鉄に負けていた。
- JRになっても日光観光を独占。
- 東北本線は特急が史実より走るため余裕が無く湘南ラインはできなかった。
- あるいは日光線が改軌され、ミニ新幹線が東京〜日光間で運行されていた。
- 東武動物公園〜佐野間の快速停車駅は久喜・羽生・館林・佐野市。
- 快速が伊勢崎線にも走る。停車駅は春日部~久喜~羽生~館林~佐野~といったところか。
- 杉戸駅は早い段階で東武動物公園駅か、あるいは宮代町の圧力で宮代杉戸駅に改名していた。
葛生から日光へ延伸していた場合
- 佐野線は全線複線化され、館林から先が日光線になっていた。
- 栃木の街は佐野に客を奪われて衰退していた。
- 東京〜栃木間の輸送は急行「わたらせ」が主力となり、特急に格上げされて現存している。
- くずう原人祭りの知名度が上がる。
佐野で分岐していた場合
- 佐野から栃木までは両毛線と並行する予定だったので、同線の利用者の多くは本数の多いこちらに移行していた。
- 佐野~葛生間が葛生線という支線になり、館林~佐野~日光が日光線となった。
宇都宮線は・・・
- 佐野~栃木~宇都宮
- 大きく迂回するため、競合であっさり負けていたかも。
- 杉戸~宇都宮(実史のまま)
- 大体変わらない。
- 変わるとしたら日光行き特急が宇都宮行きになってたくらいか。
- 努力次第ではJRに勝っていた。
伊勢崎線の起点が○○だったら
伊勢崎線都心延伸
越中島
- 東武鉄道は当初起点を東京湾に近い越中島とする予定であったが越中島~北千住間は審査に慎重を要するとしてすぐには免許が下りなかった。
- そのままターミナルが浅草に変更になったことで現亀戸線区間は支線となり、越中島への延伸計画も敷設予定地の市街化が進み用地取得が困難になってきたことなどから着手できないまま免許が失効した。(参考)
- 構想段階では、新橋への延伸も視野に入れていたが、東武鉄道の都心側ターミナル計画は本所、越中島などと続いていた。最終的には予定通り、越中島までの認可が出たが、用地買収が困難のため断念をした。
ではもしすぐに免許が下り越中島~亀戸~曳舟~伊勢崎が本線として運用されていたら?
- 史実の京葉線と同じようなルートで東京駅に乗り入れていた。
- その京葉線の越中島駅が地味な存在にはならなかった。
- 自力での延長ではなく東西線か有楽町線に乗り入れた。
- 実際、新橋までの延伸も目論んでいたらしい
- その京葉線の越中島駅が地味な存在にはならなかった。
- 日比谷線が東武線に乗り入れていたかは微妙。
- 常磐線に乗り入れていたかもしれない。
- 平成に入りお台場方面への支線が出来てた。
- ゆりかもめが越中島まで伸びていた可能性も。
- 有明も勿論通る為コミケ期間中はとてつもないラッシュになる。
- スカイツリーは別の場所に建設されていた。
- 場所的には豊洲か?そのため豊洲駅の名称がメトロもゆりかもめもひっくるめてスカイツリー駅に改名されていた。
- おしなりくんは誕生しない。
- 京成電鉄が押上から浅草・上野へ延伸した。
- 越中島に百貨店ができていた。
- 地下鉄も来ていた。
- 国鉄の越中島貨物線は存在せず、東武線に国鉄の貨物列車が乗り入れていた。
- この東武鉄道が伊勢崎線の本線になっていたと思う。
- スペーシアが新橋駅まで通っている事に。
- 一方の史実の伊勢崎線は支線であり、東武上野線と名乗っている。
- 新橋駅にも東武百貨店が出店している。
上野
東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)は本来上野駅まで乗り入れるつもりだった。だが、浅草~上野間は東京地下鉄道(現・東京メトロ銀座線)も申請していたため、東武鉄道に認められた区間は現在の浅草駅まで乗り入れる事になってしまった。
- こちらも参照。
- JRの乗り入れは無かった。
- よって東武特急は現在でも北千住通過。
- 浅草経由なら地下鉄銀座線はいきなり上野から万世橋まで開業、もしくは計画を潰して開業せず。
- とばっちりで京成が浅草止まり。
- どう考えても浅草駅の急カーブは出来なかった。
- 現在の京成上野~青砥は京成が買収した筑波高速度電気鉄道の免許で建設されたが、実は京成に買収されるより前に東武に買収を持ちかけていた。なのでその時に東武が買収を吞んでいたら上野乗り入れは実現していたかも。
- 現実の京成上野~千住大橋付近は東武の路線になっていた。当然青砥以西の区間は存在しないので京成電鉄のターミナルは押上のまま。
- 新橋延伸も開業していたら、伊勢崎線の支線になっていただろう。
- 本来は東武亀戸線が東武伊勢崎線の本線になる予定になるはずだったため。
- 東武銀座線と乗り入れが出来ていたのは確実。
- 上野駅の先も延伸構想するかも。
- 上野駅に東武百貨店が出店していたか?
- 少なくとも、上野東京ラインが開通しても史実ほど影響は出ていない。
- 但し、直通運転があった場合は別の話に。
東陽町
- 上記の越中島延伸が困難になった後、区間を短縮して西平井(現在の東陽町付近)までの延伸計画に変更したものの、結局用地買収困難で失効。
- 東西線と直通運転していた。
- 有楽町線の支線(豊住線)構想は計画すらされなかったかもしれない。
- 場所によっては京葉線に接続していた。
業平橋
- 川を越えられなかった代わりに、伊勢崎線は全列車10両編成。
- 地平ホームは現存。ただし日中は特急や快速のみ発車。
- 地下鉄乗り入れは史実通り実施。
- スカイツリーの建設計画は白紙。難視聴区域は全世帯ケーブル加入で代替。
- 史実でも候補地だったさいたまに出来ていたかもしれない。
- 当然ながら伊勢崎線の愛称がスカイツリーラインになる事は無かった。もしかすると野田線もそのままかもしれない。
- 駅名は業平橋だが行き先案内では「東京業平橋」と案内される。
- 京成押上駅との総合駅化が構想されていた。
- 業平橋では不便なので亀戸線が伊勢崎線に組み込まれ、総武線と接続する亀戸駅がターミナルとなっていた。
北千住
- 0キロポストがあるのを誰も不思議に思わない。
- 常磐線がパンクした。
- 半蔵門線は北千住~渋谷になり全線開通が10~20年早かった。
- 日比谷線は完全に伊勢崎線と一体の運用になり特急や快速も乗り入れていた。
新橋
戦後、北千住~新橋間の免許を申請しました。もし、これが実現したら
- 曳舟~浅草間は廃止され、北千住~曳舟~亀戸間が「東武亀戸線」になっていた。
- 新橋・汐留の再開発に東武グループが加わっていた可能性もある。
- JR宇都宮線と相互直通運転する特急「日光」・「きぬがわ」・「スペーシアきぬがわ」はなかった。
- 東武伊勢崎線沿線の価値が史実より向上し、沿線住民も史実より増えていた。
- 東武鉄道は、西武鉄道とともに、戦後に都心乗り入れを果たした関東の私鉄会社として、注目された。
野岩鉄道や会津鉄道を買収していたら
- 浅草~会津若松間に直通特急が運行されていた。
- 会津田島以北が非電化のため、気動車で運行されている。
- 2012年現在、大手私鉄では唯一気動車を保有する会社となっている。
- あるいはJR只見線西若松~会津若松間を含む区間が直流電化されている。
- この場合JRの電化費用は東武持ちとなる。
- この場合だと会津若松駅構内は交流電化のため、会津田島以北は交流電化になる可能性が強い。JR線を含まない場合は西若松まで直流電化となる。
- 4両編成のスペーシアが登場するか、6両対応の有効長になる。
- 史実でも「南会津」の乗車率が思わしくなかったそうだから結局廃止になっていると思う。快速は喜多方辺りまで走っていそうだけど。
- 会津若松まで直通していたら利用客はもっと多かったのでは。その代わりJR特急「あいづ」の区間短縮が早まる。
- スキーシーズンを中心に夜行列車も運行。
- 東武は福島県にも路線を保有していた。
- 東北地方では唯一の大手私鉄の路線となっている。
- 名鉄や近鉄が路線を縮小したことから2012年現在日本最大の路線長を誇る私鉄となっている。
- 東武も野岩・会津を買収した代わりに栃木・群馬両県内の既存ローカル線などを縮小しているだろうから結局同じ。
- 近鉄の路線長は582.3kmあるが、東武は野岩鉄道・会津鉄道区間(新藤原~会津若松)を足しても554.5kmなのでやっぱり2位のまま。
- 芦ノ牧温泉駅の猫駅長「ばす」は存在しなかった。
- 国鉄線だった路線が大手私鉄のものになる珍しい例になっていた。
- 場合によっては他に勝田線・富山港線などの「返還」も実現していた。相模線は微妙だが。
- 西若松から喜多方を経由し米沢まで伸ばしていた可能性もある。
- これが実際に計画されていたかも。
旧国鉄日中線も買収し、さらに米沢に延伸していたら
あつしおおんせん | |||||
熱塩温泉 Atsushio-onsen | |||||
● | |||||
あいづかのう Aizu-kano |
(福島県喜多方市) | にっちゅうおんせん Nicchu-onsen |
- こちらも参照。
- なお、史実の日中線は米坂線西米沢への延伸予定でしたが、ここでは米沢市街地に東武米沢駅を建設すると仮定します(会津線と同様)。
- それでも東武浅草~東武米沢への路線ができていたかは微妙。
- 只見線の他、会津若松~喜多方は磐越西線。
- 場合によっては、磐越西線会津若松以西の移管も・・・ないか。
- 只見線の他、会津若松~喜多方は磐越西線。
- 会津田島~会津若松~喜多方~米沢は交流電化だろう。
- それでも山形新幹線には敵わないだろうw
- 米沢~東武浅草を走る特急「ようざん」が設定されるも、採算が取れず会津田島発の快速に。
- そして勝手にダイヤ改正で中央林間やら元町中華街やらを走らされる。
- 米沢~東武浅草を走る特急「ようざん」が設定されるも、採算が取れず会津田島発の快速に。
- 熱塩温泉や日中温泉の知名度が上がっていた。
- 熱塩温泉は鬼怒川並みに歓楽温泉化していた。日中温泉には東武系の巨大リゾートホテルが建設されていた。
- 日光鬼怒川よりも距離があるのでさすがにそこまでは栄えないとは思う。ただ会津若松・喜多方と組み合わせて観光するルートはできていたため、東武も積極的だったかもしれない。
- 仮に開通時がバブルとかだったらわからんが、さすがに米沢まで開通できるのは2000年くらいになりそう。
- 熱塩温泉は鬼怒川並みに歓楽温泉化していた。日中温泉には東武系の巨大リゾートホテルが建設されていた。
- 移管に伴い、熱塩駅は熱塩温泉駅に改名する。
- 少なくとも「日中走らない日中線」とは言われなかった。
- 震災時には東北と東京を結ぶバイパスとして活躍・・・するか?
- 直接バイパスにはならなくとも、仙台~山形~米沢~東武線(または福島~米沢~東武線)というルートができるのは大きいだろう(惜しむらくは奥羽本線が新幹線規格なことだが)。
- 奥羽本線との直通は難しそう(山形新幹線の開業時期的にも)。
路線網がより盤石かつ最大限に活用されていたら
東武鉄道は関東最大の路線網を持つ鉄道会社ですが微妙な起終点や分断された運行系統のせいでそのアドバンテージをあまり活かせていません。
- 今でも東武の会津方面に向かう快速や伊勢崎や東武宇都宮方面に向かう準急は種別が変わっても現役。
- 特急りょうもうは上毛電鉄を介して中央前橋まで乗り入れていた。急行南会津は特急に格上げされていた。
- いっそ上毛電鉄も買収していたか?
- 上毛線は規格が良くないので、高規格化して駅も削減されていた。
- 国鉄足尾線にも手を出し(史実の野岩鉄道・会津鉄道のような東武の息のかかった第三セクターにして)、間藤から中禅寺湖を経由して日光へのルートを作っていたかもしれない。
- 伊勢崎線準急は半蔵門線直通に伴うダイヤ改正で快速に改名していた。
- 特急りょうもうは上毛電鉄を介して中央前橋まで乗り入れていた。急行南会津は特急に格上げされていた。
- 半蔵門線直通電車は群馬県方面、日比谷線直通電車は栃木県方面に直通。
- 半蔵門線経由の特急・快速も存在していた。
- 東上線池袋駅では寄居行きや越生行きのほかに秩父鉄道直通の三峰口行きもある。
- 高崎・渋川方面と熊谷・太田方面への路線の計画も史実以上に進行していた。
- 現在でも高崎・前橋方面にも路線を持っていた。
- 伊香保線が高規格化されていたら、東上線や上毛線との直通も計画されていただろう。
- 小川町・越生連結や、寄居・熊谷連結の列車も存在していた。
- 北関東が今より車社会になることはなかった。
- スバルなどがあるにせよ、市街地は鉄道圏になっていた。
- 館林方面~太田方面へは距離の短い小泉線を経由する系統もあった。
- 熊谷線が全通していたら、東上線池袋~館林・太田行きと伊勢崎線浅草~熊谷行きが存在していた。
- 特急は小泉線経由・快速(準急)は足利経由になっていた。
- 両毛線の客をかなり奪っていたと思われる。
- 都心~宇都宮でも無料快速があれば値段で優位に立つはず。
- これに対抗するため、両毛線の高規格化と湘南新宿ラインの直通が本気で計画されていた。
- むしろ東武のフィーダー路線としての役割に徹していた。
- (上記の「盤石」を満たしていたというなら)もしかしたら伊勢崎線も上野あたりを終点にできていたかもしれない。
- そもそも信楽高原鐵道の事故さえなければ多くの線区で系統を分断されることはなかった。
- 特急列車も地下鉄や東急の直通が構想される。
川越線を買収していたら
東上線と伊勢崎線を接続する案の一つとして、川越線を買収して野田線と接続する案があったそうです。
- 勿論川越線の電化は早期に行われていた。
- 何度か高麗川からの巾着田・秩父方面への延長が検討されるも没に。
- 埼京線は当初の構想通り高崎線に直通していた。
- それでも最終的に川越~高麗川間はローカル化している気がする。
- 野田線とともに東武メガループを形成していた。
- なぜか八高線(南北共々)に手を出したりして。
東武動物公園が別の時期に開業していたら
東武東上線の愛称が森林都市線になっていたら
某不動産屋さんがこの愛称で呼ぼうとしたところ東武鉄道が怒られたらしいですが、逆にこの愛称が定着していたら
- 2005年以降池袋~小川町間はこの路線名で呼ばれていた。
- 小川町~寄居間だけかろうじて東上線と呼ばれるように。
- ライナー列車も「TJライナー」ではなく「STライナー」になっていたかも。
- 伊勢崎線や野田線の愛称がカタカナにならなかったかもしれない。
- 史実通りだったら不動産屋の方につけてもらえと言われたかも。