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== | {{Otheruses|中国の王朝|中華人民共和国の通貨|人民元}} | ||
# | __NOTOC__ | ||
# | *[[元#元の噂(一般)|元の噂]] | ||
*[[元#元の皇帝|皇帝(ハーン)の噂]] | |||
==元の噂(一般)== | |||
#皇帝の名前は炒飯。 | |||
#日本を侵略しようとした。 | |||
#フビライがハンに就任。「強いモンゴルの復活」をフビライ政権のスローガンとして掲げる。とりあえずすげー遠くまで自分の陣地にした。 | |||
#*モンゴルが世界一の領土を持ったのは、周辺諸国が弱かったためでモンゴル帝国がずば抜けて強かったわけではないという話を聞いたことがある。 | |||
#**当時の文明先進地域、中東中国を支配したんだから、ずば抜けて強かったといえると思うよ。 | |||
#マルコポーロ、このあたりで世界一周の旅に挫折。 | |||
#*日本まで行ったことにして、適当な紀行文をでっちあげる。黄金の建物って金閣寺のこと? | |||
#**[[岩手/内陸南部#平泉町の噂|平泉]]の中尊寺を指しているとの説が有力。 | |||
#***そういやあの頃金閣寺ってあったっけ? | |||
<!-- #****室町時代と鎌倉時代。 --> | |||
#****中尊寺金色堂は鎌倉時代なのであるけれど、金閣寺は室町時代でまだない。 | |||
#*嘘っぽい内容にも関わらず、まさかのベストセラー。 | |||
#*その上中国側にはマルコポーロが来たという記録がない。[[ヨーロッパ|欧州]]側の資料にだけしかない。 | |||
#**いやいや妖夢、盧溝橋橋を知ってるかしら?あれはマルコポーロ橋と読むのよ? | |||
#*実はマルコポーロは彫りの深い[[日本人]]だったことが判明。[http://www.tokyo-gas.co.jp/] | |||
#ゴールドロジャースが黄金の国を求めて航海。 | |||
#この頃の民俗音楽がのちに[[ドイツ]]でリメイクされる。 | |||
#*日本ではつんくによってリメイクされ、モーニング娘。が歌って大ヒットした。 | |||
#*さらにドイツでできたほうもBerryz工房が歌った。 | |||
#モンゴル連邦大元帝国本国モンゴル、華北州、華南州、金州、西夏州の歴史的呼称。 | |||
#*父親が死んでも欧州攻略を続けるべきであった。そしたら今頃有色人種の天下に・・・。 | |||
#**チンギス・ハーンはハンニバル・バルカの生まれ変わりである!(ぉ | |||
#***だったら義経はハンニバルの生まれ変わりかwww | |||
#****あー、でも軍事の天才って意味なら納得。 | |||
#**ハンニバル如きと一緒にすんなよ。チンギス汗は生涯に一度も負けなかった真の天才だぜ?それに義経程度の軍才でもあるわきゃない。人望のなかった義経如きと一緒にしたらチンギス汗に失礼だろう。 | |||
#***若い頃はジャムカに負けたり、金との戦いでは攻城戦で失敗している。そもそも彼程度の英雄は、冒頓単于を初めとして遊牧民族では結構いる。彼が有名なのは子孫たちの征服活動のおかげ。 | |||
#シャーマンカーンが生まれた。 | |||
#必殺技で「モンゴリアンチョップ」が使用され始める。 | |||
#中国の貨幣はこの頃つくられはじめた。 | |||
#*'''紙幣'''ね。 | |||
#名将「冬将軍」は元に勝てなかった。 | |||
#中国を支配したついでに日本も支配しようとするが、タイミングを誤り見事撃沈。 | |||
#*2回突撃して2回撃沈。3回目は未遂に終わるが、仮に3回目の突撃があったらどうなっていただろうか。 | |||
#*なお最近の教科書では「日本の武士がよく戦ったため元寇は失敗に終わった」ということが書かれている。 | |||
#現在[[人民元|中国で使われている通貨単位]]ではない。 | |||
#*某マンガのよく「ギギギ」や「くやしいのう」と口走る主人公でもない。 | |||
== | ==元の皇帝== | ||
#「世祖クビライ」の項目にもあるが、最初に中華の皇帝を称したのはクビライ。その前の[[モンゴル]]帝国大ハーン4代はそんなことは全く意識していなかった。 | |||
# | #例外除き、基本的に素質は優れているが酒か女に溺れるタイプが多い。 | ||
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=== | ===太祖チンギス=== | ||
# | #西方ばかりに目をやり、さほど中国に興味はなかった。つまり、実は中国史とはあんまり関係ない人物。 | ||
# | #なぜか日本の官公庁でとった「理想の上司」アンケートで1位に輝いた事がある。 | ||
#*自分は働かなくても引っ張ってくれそうだから、お役人には理想の上司なんだろう。 | |||
#何が凄いのかよく分からないが、とにかく世界最強の戦闘民族を一つにまとめた。 | |||
#*刃向かう町はペンペン草まで鏖殺。降服する町は手つかずスルー。とにかく徹底していた。 | |||
#*年がら年中草原の縄張り争いを繰り返していたモンゴル人に「俺たちが団結すりゃもっとヤリたい放題できるんだぜ?」と教えた。 | |||
#**「モンゴル」は元々テムジンが属していた一部族の名前。 | |||
#*部族抗争の最中に鉄器の採掘場を手中に収めた(らしい)こと、他国の攻城兵器を手に入れて使用したことなどが大きいようだ。あとはモンゴル騎馬隊が元々強かったとしか・・・ | |||
#妾妃とその庶子は多数いたが後継者候補としたのは正妻ボルテが産んだ4人だけ。 | |||
#*女の子に至っては征服した町の酋長とかに気前よく呉れてやったりしている。 | |||
=== | ===太宗オゴデイ=== | ||
# | #チンギス汗の三男。[[宋・金|金]]を亡ぼした殊勲者。 | ||
# | #*ここに書き込む人なら知っているだろうが、チンギスの生前からはじまっていた金の攻略を完了させた人。 | ||
# | #*当時の遊牧民の慣例では末子相続が原則だったが、チンギスの指名だったことを受けてトゥルイが譲歩した。後継者争いによる分裂の危機は回避された。 | ||
# | #ちなみに、長兄ジュチはチンギス汗と不仲だったせいか、遠く[[ロシア]]方面へ行ったきり。その子孫がキプチャク汗国を作る。次兄チャガタイは[[キルギス]]・[[ウズベキスタン]]あたりに領地を得てチャガタイ汗国を作る。 | ||
#* | #*ジュチの仲が悪かったのはチンギスではなく、「メルキト族の奴と母の間に生まれたんじゃねーの」と難癖をつけたチャガタイのほう。チンギスは勘違いで1度叛心ありとした以外はちゃんと息子として愛した。 | ||
=== | ===定宗グユク=== | ||
# | #オゴデイの息子だが、子孫は後を継げず、[[カザフスタン]]のあたりに追いやられ、そこでオゴデイ汗国を建てた。 | ||
=== | ===憲宗モング=== | ||
# | #オゴデイの末弟トゥルイの息子。 | ||
# | ===世祖クビライ=== | ||
# | #モングの弟。南宋を亡ぼし中国を統一。実際にはここから「元」がはじまる。祖父チンギスをはじめとする先代までの大汗に中国風の廟名をつけたりしたものだから誤解を招くことになった。 | ||
#* | #二回にわたって[[日本]]に攻め寄せたが二回とも撃退される。 | ||
#*しかし犠牲になったのは[[高麗]]軍や南宋残党が主で、モンゴル人はほとんど死んでないため、日本に負けたという気は全然してなかったらしく、こりずに三回目の軍を送ろうとしていた。 | |||
#『宇宙刑事シャイダー』に登場した悪の組織である不思議界フーマの支配者の名前は、帝王クビライであるが、別に、モンゴル帝国の世祖・クビライとは関係があるわけではない。 | |||
#*一応そこから拝借しているが、当時は「フビライ」のほうが有名だった。同時に「首ライ」という意味合いもあったのだが、クビライのほうが有名になった今ではモンゴルに版権料を払わなければならないのだろうか・・・? | |||
=== | ===成宗ティムール=== | ||
# | #クビライの孫。彼の父(クビライの長男)は早く死んだ。 | ||
# | #後に[[中央アジア]]で帝国を建てたのは同名の別人。イスラム化していたが、やはりモンゴル系の出自を名乗っていた。 | ||
#*さらにそのなれの果ての一派が[[インド]]に南下して建てたのが「ムガル帝国」ムガルとはモンゴルが訛ったものである。 | |||
=== | ===武宗カイシャン=== | ||
# | #ティムールの甥。弟に乗せられて、重臣たちの反対を押し切り即位。 | ||
===仁宗アユバリバトラ=== | |||
#カイシャンの弟。兄を皇帝に擁立するが、4年で死んでしまったので自分が即位した。 | |||
#在世中に科挙を復活するなどの漢人を優遇する政策を行ったおかげで、後世の歴史家の評価は高い。 | |||
===英宗シデバラ=== | |||
#アユバリバトラの子。先帝の息子が順当に帝位を継承できたのは、元朝を通じて彼だけ。 | |||
#権臣テムデルを退けたのはいいが、その子テクチに暗殺される。 | |||
===泰定帝エセンティムール=== | |||
#テクチが擁立した成宗の甥。カイシャン・アユバリバトラの従弟にあたる。 | |||
#先々代と異なり、モンゴル人至上主義政策をとった。 | |||
===天順帝アスキーパ=== | |||
#エセンティムールの息子だが、即位した途端にカイシャンの息子たちにひきずり下ろされる。 | |||
#エセンティムールとアスキーパの即位は無かったことにされ、廟名(「○宗」とかいうヤツ)が与えられなかった。 | |||
===明宗コシラ=== | |||
#カイシャンの息子。権臣エンティムールに擁立されるが、エンティムールを煙たがったので暗殺されたらしい。 | |||
===文宗トクティムール=== | |||
#コシラの弟。エンティムールに遠慮しておとなしくしていたが即位3年で病死。 | |||
===寧宗イリンジバル=== | |||
#コシラの息子。6歳でエンティムールに擁立されたがわずか43日で病死。 | |||
#*どうも、草原の活力を失ってきたようである。 | |||
=== | ===順帝トゴンティムール=== | ||
# | #イリンジバルの兄で元のラストエンペラー。母が高麗人だったためにイリンジバルに先を越されたらしい。 | ||
#* | #*まったく、半島人がからむと(ry | ||
#南宋最後の皇帝恭宗の落胤ではないかとの噂が…… | |||
#*明宗が寵愛した高麗女が、召された時にすでに懐妊していて、その相手が恭宗ではなかったかというお話。 | |||
# | #**子供の頃に南宋皇帝となり、じきに退位した恭宗は、順帝が生まれた時にまだ50歳くらい。時期的には不可能な話でないので、まことしやかに噂された。 | ||
# | #朱元璋の革命軍が迫ると整然と北京から退去。余力を充分残して北へ去ったモンゴル軍は、以後長いこと[[明]]朝に祟ることになる。 | ||
# | #*このような元王朝滅亡のことを「北帰」、北帰後も北方で存続したモンゴル人国家のことを「北元」という。 | ||
#*しかしながら、東西に分裂し、それぞれ「○○部」と呼ばれることになる。 | |||
{{中国史}} | |||
# | [[category:中国史|けん]] | ||
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2017年1月23日 (月) 14:31時点における版
この項目では、中国の王朝について記述しています。中華人民共和国の通貨については「人民元」をご覧ください。
元の噂(一般)
- 皇帝の名前は炒飯。
- 日本を侵略しようとした。
- フビライがハンに就任。「強いモンゴルの復活」をフビライ政権のスローガンとして掲げる。とりあえずすげー遠くまで自分の陣地にした。
- モンゴルが世界一の領土を持ったのは、周辺諸国が弱かったためでモンゴル帝国がずば抜けて強かったわけではないという話を聞いたことがある。
- 当時の文明先進地域、中東中国を支配したんだから、ずば抜けて強かったといえると思うよ。
- モンゴルが世界一の領土を持ったのは、周辺諸国が弱かったためでモンゴル帝国がずば抜けて強かったわけではないという話を聞いたことがある。
- マルコポーロ、このあたりで世界一周の旅に挫折。
- ゴールドロジャースが黄金の国を求めて航海。
- この頃の民俗音楽がのちにドイツでリメイクされる。
- 日本ではつんくによってリメイクされ、モーニング娘。が歌って大ヒットした。
- さらにドイツでできたほうもBerryz工房が歌った。
- モンゴル連邦大元帝国本国モンゴル、華北州、華南州、金州、西夏州の歴史的呼称。
- 父親が死んでも欧州攻略を続けるべきであった。そしたら今頃有色人種の天下に・・・。
- チンギス・ハーンはハンニバル・バルカの生まれ変わりである!(ぉ
- だったら義経はハンニバルの生まれ変わりかwww
- あー、でも軍事の天才って意味なら納得。
- だったら義経はハンニバルの生まれ変わりかwww
- ハンニバル如きと一緒にすんなよ。チンギス汗は生涯に一度も負けなかった真の天才だぜ?それに義経程度の軍才でもあるわきゃない。人望のなかった義経如きと一緒にしたらチンギス汗に失礼だろう。
- 若い頃はジャムカに負けたり、金との戦いでは攻城戦で失敗している。そもそも彼程度の英雄は、冒頓単于を初めとして遊牧民族では結構いる。彼が有名なのは子孫たちの征服活動のおかげ。
- チンギス・ハーンはハンニバル・バルカの生まれ変わりである!(ぉ
- 父親が死んでも欧州攻略を続けるべきであった。そしたら今頃有色人種の天下に・・・。
- シャーマンカーンが生まれた。
- 必殺技で「モンゴリアンチョップ」が使用され始める。
- 中国の貨幣はこの頃つくられはじめた。
- 紙幣ね。
- 名将「冬将軍」は元に勝てなかった。
- 中国を支配したついでに日本も支配しようとするが、タイミングを誤り見事撃沈。
- 2回突撃して2回撃沈。3回目は未遂に終わるが、仮に3回目の突撃があったらどうなっていただろうか。
- なお最近の教科書では「日本の武士がよく戦ったため元寇は失敗に終わった」ということが書かれている。
- 現在中国で使われている通貨単位ではない。
- 某マンガのよく「ギギギ」や「くやしいのう」と口走る主人公でもない。
元の皇帝
- 「世祖クビライ」の項目にもあるが、最初に中華の皇帝を称したのはクビライ。その前のモンゴル帝国大ハーン4代はそんなことは全く意識していなかった。
- 例外除き、基本的に素質は優れているが酒か女に溺れるタイプが多い。
太祖チンギス
- 西方ばかりに目をやり、さほど中国に興味はなかった。つまり、実は中国史とはあんまり関係ない人物。
- なぜか日本の官公庁でとった「理想の上司」アンケートで1位に輝いた事がある。
- 自分は働かなくても引っ張ってくれそうだから、お役人には理想の上司なんだろう。
- 何が凄いのかよく分からないが、とにかく世界最強の戦闘民族を一つにまとめた。
- 刃向かう町はペンペン草まで鏖殺。降服する町は手つかずスルー。とにかく徹底していた。
- 年がら年中草原の縄張り争いを繰り返していたモンゴル人に「俺たちが団結すりゃもっとヤリたい放題できるんだぜ?」と教えた。
- 「モンゴル」は元々テムジンが属していた一部族の名前。
- 部族抗争の最中に鉄器の採掘場を手中に収めた(らしい)こと、他国の攻城兵器を手に入れて使用したことなどが大きいようだ。あとはモンゴル騎馬隊が元々強かったとしか・・・
- 妾妃とその庶子は多数いたが後継者候補としたのは正妻ボルテが産んだ4人だけ。
- 女の子に至っては征服した町の酋長とかに気前よく呉れてやったりしている。
太宗オゴデイ
- チンギス汗の三男。金を亡ぼした殊勲者。
- ここに書き込む人なら知っているだろうが、チンギスの生前からはじまっていた金の攻略を完了させた人。
- 当時の遊牧民の慣例では末子相続が原則だったが、チンギスの指名だったことを受けてトゥルイが譲歩した。後継者争いによる分裂の危機は回避された。
- ちなみに、長兄ジュチはチンギス汗と不仲だったせいか、遠くロシア方面へ行ったきり。その子孫がキプチャク汗国を作る。次兄チャガタイはキルギス・ウズベキスタンあたりに領地を得てチャガタイ汗国を作る。
- ジュチの仲が悪かったのはチンギスではなく、「メルキト族の奴と母の間に生まれたんじゃねーの」と難癖をつけたチャガタイのほう。チンギスは勘違いで1度叛心ありとした以外はちゃんと息子として愛した。
定宗グユク
- オゴデイの息子だが、子孫は後を継げず、カザフスタンのあたりに追いやられ、そこでオゴデイ汗国を建てた。
憲宗モング
- オゴデイの末弟トゥルイの息子。
世祖クビライ
- モングの弟。南宋を亡ぼし中国を統一。実際にはここから「元」がはじまる。祖父チンギスをはじめとする先代までの大汗に中国風の廟名をつけたりしたものだから誤解を招くことになった。
- 二回にわたって日本に攻め寄せたが二回とも撃退される。
- しかし犠牲になったのは高麗軍や南宋残党が主で、モンゴル人はほとんど死んでないため、日本に負けたという気は全然してなかったらしく、こりずに三回目の軍を送ろうとしていた。
- 『宇宙刑事シャイダー』に登場した悪の組織である不思議界フーマの支配者の名前は、帝王クビライであるが、別に、モンゴル帝国の世祖・クビライとは関係があるわけではない。
- 一応そこから拝借しているが、当時は「フビライ」のほうが有名だった。同時に「首ライ」という意味合いもあったのだが、クビライのほうが有名になった今ではモンゴルに版権料を払わなければならないのだろうか・・・?
成宗ティムール
- クビライの孫。彼の父(クビライの長男)は早く死んだ。
- 後に中央アジアで帝国を建てたのは同名の別人。イスラム化していたが、やはりモンゴル系の出自を名乗っていた。
- さらにそのなれの果ての一派がインドに南下して建てたのが「ムガル帝国」ムガルとはモンゴルが訛ったものである。
武宗カイシャン
- ティムールの甥。弟に乗せられて、重臣たちの反対を押し切り即位。
仁宗アユバリバトラ
- カイシャンの弟。兄を皇帝に擁立するが、4年で死んでしまったので自分が即位した。
- 在世中に科挙を復活するなどの漢人を優遇する政策を行ったおかげで、後世の歴史家の評価は高い。
英宗シデバラ
- アユバリバトラの子。先帝の息子が順当に帝位を継承できたのは、元朝を通じて彼だけ。
- 権臣テムデルを退けたのはいいが、その子テクチに暗殺される。
泰定帝エセンティムール
- テクチが擁立した成宗の甥。カイシャン・アユバリバトラの従弟にあたる。
- 先々代と異なり、モンゴル人至上主義政策をとった。
天順帝アスキーパ
- エセンティムールの息子だが、即位した途端にカイシャンの息子たちにひきずり下ろされる。
- エセンティムールとアスキーパの即位は無かったことにされ、廟名(「○宗」とかいうヤツ)が与えられなかった。
明宗コシラ
- カイシャンの息子。権臣エンティムールに擁立されるが、エンティムールを煙たがったので暗殺されたらしい。
文宗トクティムール
- コシラの弟。エンティムールに遠慮しておとなしくしていたが即位3年で病死。
寧宗イリンジバル
- コシラの息子。6歳でエンティムールに擁立されたがわずか43日で病死。
- どうも、草原の活力を失ってきたようである。
順帝トゴンティムール
- イリンジバルの兄で元のラストエンペラー。母が高麗人だったためにイリンジバルに先を越されたらしい。
- まったく、半島人がからむと(ry
- 南宋最後の皇帝恭宗の落胤ではないかとの噂が……
- 明宗が寵愛した高麗女が、召された時にすでに懐妊していて、その相手が恭宗ではなかったかというお話。
- 子供の頃に南宋皇帝となり、じきに退位した恭宗は、順帝が生まれた時にまだ50歳くらい。時期的には不可能な話でないので、まことしやかに噂された。
- 明宗が寵愛した高麗女が、召された時にすでに懐妊していて、その相手が恭宗ではなかったかというお話。
- 朱元璋の革命軍が迫ると整然と北京から退去。余力を充分残して北へ去ったモンゴル軍は、以後長いこと明朝に祟ることになる。
- このような元王朝滅亡のことを「北帰」、北帰後も北方で存続したモンゴル人国家のことを「北元」という。
- しかしながら、東西に分裂し、それぞれ「○○部」と呼ばれることになる。
中国史 |
伝説 - 殷 - 周 - 春秋 - 戦国 - 秦 - 漢 - 新 - 後漢 - 三国 - 晋・五胡十六国 - 南北朝 - 隋 - 唐 - 五代十国 - 宋・金 - 元 - 明 - 清 - 近代 - 現代 年表 |