ページ「もしあの私鉄路線が廃止されていなかったら」と「中国地方の城」の間の差分

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*国鉄路線については[[もしあの国鉄路線が廃止されていなかったら]]を、路面電車については[[もしあの路面電車が廃止されていなかったら]]を参照。
{{Pathnav|城|日本の城|name=中国地方}}
*公営鉄道も含む。
*新規追加はある程度都道府県順に並べるようにして下さい。
==全般==
#私鉄が日本中にあった。
#地方路線の場合、各地で「ICカード使えません」の張り紙を目にする。
#大手私鉄の車両の地方鉄道への譲渡が頻繁に行われている。


==北海道・東北==
→[[もしあの私鉄路線が廃止されていなかったら/北海道・東北]]


==関東==
==[[鳥取]]==
[[もしあの私鉄路線が廃止されていなかったら/関東]]
===鳥取城===
[[画像:TottoriCsl00.jpg|240px|thumb|現代アートチックな球形の石垣]]
*所在地:[[鳥取市]]
#羽柴秀吉の干殺しの舞台。
#麓にも二の丸、三の丸、天球丸がある。一見、天球丸が本丸の平山城でも良さそうに見えるが、本丸は山の上の山城。
#*その向かいの山には秀吉が陣を置いた山がある。
#*本丸まで行く道のりは普通に山登り。正直、吉田郡山城や岩村城よりキツい。
#江戸時代、天球丸あたりの石垣が崩れてしまったらしく、対策として石垣の元に丸く石垣を新たに作って抑えた。それを復元してある。
#*丸く、本当に球形に石垣を積んでいる様は一見すると現代アートチック。
#戦前には鳥取砂丘以上の観光名所だったらしい。
#明治の頃、鳥取県と島根県が合併したとき、一つの県に複数城は要らんと言うことで壊されたらしい。
#*今になって、鳥取県主導で再建事業が行われているそうな。
#*[[島根/石見#津和野町の噂|津和野]]~鳥取で城一つで充分って、なんか悲しいなあ。


==甲信越==
===鹿野城===
===善光寺白馬電鉄===
*[[鳥取市#鹿野|鳥取市鹿野町]]
#社名の通り、白馬まで延伸されていた。
#因州鹿野藩1萬石の城だったが、短期間で破却されたらしい。
#*もちろん電化も行われていた。
#*その割に未だに堀と石垣が残ってたりする。
#**1968年以降は上野からの169系急行「白馬」が直通していたが、1985年に廃止。
#鳥取池田藩の支藩があった。けど誰も赴任してこなかった。
#***全通時期にもよるが「白馬」は金沢からの大糸線急行だったので別愛称だと思われる。
#*その割に城下町は江戸の末期まで栄えていたのが珍妙。
#1998年の長野オリンピックのときには観客輸送に大活躍していた。
#*北陸新幹線長野開業時に小田急3100形NSE車をリニューアルの上譲り受け、特急「はくば」として登場していた。
#白馬村は現実以上に[[長野市]]との結びつきが強くなっていた。
#長野電鉄に合併していた…か?
#*あるいは国鉄に買収されて信越西線と名乗っていたかもしれない。
#**もし国有化されていたら特急「あさま」の一部が白馬まで乗り入れていた。
#***更には特急「みのり」も乗り入れている。
#*長野電鉄と合併した場合は長野線を繋げて特急「ゆけむり」や「スノーモンキー」が白馬発着になっていた。
#[[大糸線]]の利用者が史実以上に減っていた。
#*特急「あずさ」の大糸線直通はなかった。急行「アルプス」が1~2往復大糸線に直通する程度。


===上田電鉄(別所線以外)===
===鬼ヶ城===
#上田市内に数本の路線を保有していただろう
*所在地:[[鳥取/因幡#若桜町の噂|若狭町]]
#菅平高原への延伸も実現していた。
#因州の深い山々に抱かれた山里、若桜町の町並みを一望できる山城。
#*ついでに西丸子線の丸子町延伸やドル箱丸子線の複線高架化、真田傍陽線の松代延伸などもされているだろう。
#*いまとなっては人の流れが智頭街道へ移った(国道373号・鳥取道・智頭急行)関係でどうってことはないけど、元は播州街道(播州では因幡街道)沿いの城だったので、今では想像できないほど重要な城だったと思われる。
#*流石に青木線の松本延伸は史実通り断念。
#*実際播州から因州へ攻め込んだ[[豊臣秀吉|猿の戦隊]]はここを拠点の一つにして鳥取攻めを進めていったとか何とか。
#**もし実現できていたとしたら松本電気鉄道も上田交通の路線に組み込まれていた。
#そこそこ石垣が残っている。けど杉が生い茂っている関係で、但馬竹田城みたいに観光地として売り出すことはできなさそう。
#1500V線は東急のお下がりで統一されるが、それ以外はめちゃくちゃな経緯の車両たちがごった返す。現実以上に鉄道ファンに注目される。
#*そこそこ味があるし、名城感は伝わってくるんだが、それでもムリなものはムリな感じがする。ただマニア受けはしそうな感じがする。
#*東急の支援で全線1500V化しているだろう。
#*実は結構遺構が残っているらしい。木々の生い茂っている関係で気づきにくいだけで。
#**但し1000系が導入されるのは別所線と丸子線のみで、他の路線には7000系が導入されていた。
#[[若桜鉄道#若桜駅|若桜駅]]から、さほど離れていないけど、目立たない。
#青木線は普通鉄道規格に改良されて存続していた。
#別所温泉・田沢温泉・沓掛温泉は長野の観光スポットになっていたか?
#*ちょっと待った、別所温泉まではまだ路線が残ってるぞ・・・。


===長野電鉄===
===米子城===
====河東線(木島線)====
[[画像:YonagoCsl00.jpg|120px|thumb|本丸で重なる石垣]]
#野沢温泉まで延伸
*所在地:[[米子市]]
#*と同時に、戸狩野沢温泉駅は戸狩駅になっていた。
#石垣は残る平山城。特に本丸近辺はしっかり石垣が残っている。
#(長電)長野発特急制定され、「のざわ」と命名されたかも。
#正直、あんまり米子に城下街なイメージはない。
#*対抗馬とばかりに、JR長野発の快速「野沢」制定は無いと思う…(過去に定期急行「野沢」があったが、JR東日本は快速に変えての愛称復帰はしないと思うので)
#中海展望台とかいうものがあるが、木が生い茂っていてちっとも展望がきかない。素直に本丸に登ろう。
#各駅に「K○○」という駅番号が付いていた。
#正式に「木島線」となっていた。


====屋代線====
==[[島根]]==
#しなの鉄道への直通を含めた生き残り政策を考えなければ厳しかったかもしれない。
===松江城===
#*169系による「懐かしの急行志賀」みたいな列車がどこかの段階で運転されていた。
[[画像:MatsueCsl00.jpg|240px|thumb|松江城と松]]
#*しなの鉄道の車両保守を長野電鉄が一任し、史実では実現しなかった中古リクライニングシート車(小田急7000形辺りか?)を使って軽井沢~湯田中間に直通観光列車を投入、なんて展開もあったかもしれない。
*所在地:[[松江市]]
#通称千鳥城である。
#堀川遊覧船が大ヒット。
#*高齢者雇用にも一役。
#*堀の白鳥等は羽の筋を切断手術されてます。サギは飛来。
#堀周辺東側の地上げがやっと成功し、再開発完成間近。
#桜のシーズンは、天守閣下の庭が無料開放。
#名家令嬢と出会いたければ、大茶会の席内スタッフを探せ。
#立てこもり準備の名残で、食用の木の実が多数取れる。
#城内用スリッパがあるが、急勾配階段なので脱げ、ストッキングだと伝線。
#'''松江地域の経済に貢献している。'''
#この城を囲っている堀は中堀で宍道湖や大橋川は外堀の機能を果たしている。
#[[ヴァン・ヘイレンファン]]御用達。
#松江城で結婚式を挙げれるようになったが、利用者のほとんどが県外在住者。
#25年位前まで、サルやクジャクがいた。
#現在観光協会などが国宝指定を目指し運動中。
#*HPを見ると「旧国宝→重要文化財」は格下げであるという勘違いをうまく利用しているように思える。
#*最近、国宝に登録されたようでお祝いムードが漂っている。(2016年)
#*松江市の自治体史である『松江市史 別編1 松江城』を読むと、国宝指定を目指す松江市の執念を感じる。
#駐車料金は300円、登閣料は550円。
#*姫路城や首里城よりは安価だが・・・。
#*丸亀城が駐車料金無料、登閣料は200円。宇和島城は駐車料金100円分がプラスされるだけ。そして現存天守ではないとはいえ、松江よりも大規模の熊本城が駐車料金200円、登閣料が500円なのを思うと。
#*その分、現存天守としては比較的大規模。
#*確かに城内の駐車場だと300円取られてしまうが、県庁や商工会議所など公共施設の駐車場は休みの日なら無料で一般開放されている。どうせ城まで歩いて5分程度なんだし、そっちに駐めて歩けばよいかと。
#城の中に洋館や神社がある。[[画像:松江城の洋館.JPEG|thumb|180px|興雲閣]]
#*神社があるのは大阪城と豊國神社などのようにそれほど珍しいものでもないだろうが、天守閣が現存していて、なおかつそれなりに歴史的価値のある洋館もある城というのは結構珍しい様に思う。
#**この洋館、興雲閣という名前があるそうで、なんでも元々は明治天皇の山陰行幸時の御宿泊のための施設として、松江市が建造したらしい。だから内装もゴージャス。
#***でも肝心の天皇陛下は、諸事情のため、山陰行幸の予定が潰れたため、ついぞ御利用になることはなかったとか。
#***その後は、松江市の迎賓館代わりに使われていたとか。
#**とはいえ、城の中に神主の居る神社があるのは、やっぱり珍しいといえば珍しい気がしなくもない。そりゃ高岡みたいに城跡がそっくりそのまま神社なんてところもあるから一概には言えないけどさ。


===布引電気鉄道===
===浜田城===
#望月まで延伸されていた。
*所在地:[[浜田市]]
#戦時統合で、上田丸子電鉄(現:上田電鉄)に統合されていた。
#建物とかは残っていない。何しろ長州征伐で敗北した後、逃げ帰った浜田藩の自らの手によって焼き払われたから。
#*もしくは千曲自動車(現:千曲バス)に統合され、千曲バスの社名が「千曲交通」になっていたかも。
#石垣とかは残るが、当時と違う位置に置かれてしまった門とか、石垣が崩れて当時はなかったルートで登れるようになっているとか、何とも不遇な扱い。
#電化設備を廃止して気動車による運行に切り替えられていた。
#「死んでもラッパを離しませんでした」の像がある。(日清戦争中の話しです。)


===池田鉄道===
===津和野城===
#確実に国有化されていた。
[[画像:TsuwanoCsl00.jpg|240px|thumb|急峻な山の上に建つ城]]
#もしかしたら生坂、大岡、信州新町を経由して篠ノ井まで延伸していたかもしれない。
[[画像:TsuwanoTown00.jpg|240px|thumb|津和野城から見た街並み。赤瓦が目立つ。]]
#池田町に住居する人が増えて池田は市になっていた。
*所在地:[[島根/石見#津和野町の噂|津和野町]]
#*大阪府池田市に配慮して「信濃池田市」に改名。
#山城。山の上にあるので登るのに一苦労、だが、リフトもあるよ。
#尾根沿いに石垣が残る。
#何よりも足下に広がる津和野の街並みが良い。ミニチュアみたい。
#津和野は城下街の風情が良く残っていて良い。当時の武家屋敷や町人屋敷などは門くらいしか残っていないけれど。
#城主は鎌倉時代から関ヶ原後まで居た吉見氏と、その後つかの間居た坂崎氏(宇喜多氏の流れ)、亀井氏(尼子の家臣の流れ)と長期間存在した城にも関わらずたった3氏だけ。でもって中国地方の人ばっかり。
#*因みに、この亀井氏の嫡流は[[国民新党|郵政解散でできた政党]]に居た両亀井のうち、静かな方の亀井さんである。まあ、静香な方の亀井さんも傍系らしいんだけど。
#*坂崎氏ってのは一代で断絶になるのだが、その人(坂崎直盛)は宇喜多家を内戦状態にして関ヶ原の戦いで東軍が有利になるようにしてしまった人物。宇喜多家時代から、並の中小大名よりも格上だったらしい。
#**この坂崎直盛という人は[[近畿の城#大阪城|大阪夏の陣]]の時に[[女子伝/戦国#千姫|千姫]]を助けて[[徳川家康|タヌキ]]の許しを得て許嫁になりかけたにもかかわらず、その時の火傷を千姫に嫌われたというかわいそうな武将である。
#**しかも、それでもめげずに、千姫と京都のお公家さんとの縁談をまとめて婚約まで取り付けたのに、千姫が坂崎が嫌いなばかりに、それを破談にさせるべく本多忠刻に嫁ぐと急遽決める。
#**それでは、流石に武士の名が廃ると焦った&腹立てた坂崎は怒って、千姫拉致を画策するもバレてタヌキにキレられて改易を食らった可哀想にもほどのある人物である。
#♪城跡から見下ろせば 青く細い川 橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突… さだまさし氏の「案山子」はここが舞台。


===新潟交通電車線===
==[[岡山]]==
*[[もしあの鉄道路線が開業していたら/中部#新潟交通電車線(未成区間)|もし新潟交通電車線が新潟駅まで延びていたら]]・・・当初の計画通りに延伸できた時の妄想はこちら。
[[岡山の城]]
#白山前~東関屋間はLRT化した。
#*富山ライトレールみたいになっていた。
#*もしかしたら全線LRTに改装されたかも。
#*[https://www.youtube.com/watch?v=nof1otK54Xc// これ]が実現していた。
#**当然、新潟駅まで延伸していた可能性も。
#2220形以降、中古車は全て元小田急となっている。
#*[[小田急電鉄|小田急]]通勤車の20m4ドア化は早かったから、後に大手私鉄から中古車を譲り受けるとしたら[[京王井の頭線|井の頭線]]、または[[東急電鉄|東急]]辺りから18m級・3ドア車を譲り受けていたのでは。
#*南海21000・22000系あたりを購入していた可能性もある。
#**こうなれば特急が制定されていたかもしれない。
#***特急列車名は「ときめき」と命名されたかも。
#あるてぃめっとニパ子ちゃんのラッピングの電車が登場していた。
#いずれは「新潟電鉄」として分社されていたかも。
#沿線にある燕三条系などのラーメンとタイアップした企画も行われていた。
#「かぼちゃ電車」をデザインにしたバスは登場しなかった。


===越後交通===
==[[広島]]==
====長岡線====
===広島城===
#市街地の近くに駅の位置を改め、利便性を高める。
[[ファイル:広島城天守閣.JPEG|thumb|240px|水堀と天守閣]]
#信濃川を越えて長岡駅方面の市街地へ延伸する。
[[ファイル:広島城太鼓櫓.JPEG|thumb|240px|太鼓櫓]]
#*さすがに難しければ、国鉄に乗り入れて長岡駅まで直通する。
*所在地:[[広島市/中区]]
#*貨物営業を行っていた西長岡~来迎寺間の廃止は実際の越後関原~大河津(現・寺泊)間廃止の時になった。
#毛利氏によって建てられる。毛利氏の本拠だった。
#存続にあたって、あの政治家の関与が噂される。
#*と、いうイメージが強いが毛利元就の孫の輝元が建てたので、元就公とはゆかりはありません。
#周辺の市町村合併も少なかった。
#福島正則が改易された原因。
#*三島町だけが長岡市に編入されていた。
#*台風だかで崩れた石垣の補修を幕府に届けてなかったのを咎められたとか。一説には届けていたけど通じてなかった説も。
#現在は貨物営業は行われていない。
#板張りの茶色っぽい城。
#原爆で倒壊した天守閣の部材は薪などに再利用された。
#日清戦争の際には大本営が置かれた。
#*現在その名残は建物跡の基礎と石碑くらい。
#石垣の一部が原爆の熱線で焦げている。
#別名「鯉城」。
#*広島では企業名などでおなじみ。
#*なにより[[広島東洋カープ]]の名前の由来である。広島県民およびカープファンなら常識。
#太鼓櫓等々もなかなかいい感じに復元されている。
#城の縄張りの内側に護国神社がある。
#*いかにも県庁所在地の城址という感じ。
#電車賃ケチって市電に乗らず新白島から歩いていくと、普通の住宅街の間を走る幹線道路を10分くらい歩いたら、目の前の堀越しに天守閣があって、ちょっと戸惑った。
#*というのも一般的に大都市の城跡って、そこそこのビジネス街を抜けていかないとたどり着けないから。
#*某高校からは窓の向きにもよるが、毎日広島城天守閣を見ることができる。ただし大阪城とかと比べたら雲泥の差があるが・・・


====栃尾線====
===福山城===
#<!--もし廃止しなければ-->軽便鉄道から普通の鉄道になっていた。
[[画像:FukuyamaCsl00.jpg|240px|thumb|駅のそばです。]]
#*小田急や東急から引越してきた車両が増えてきた。
*所在地:[[福山市]]
#*特急形電車も登場する。
#意外と徳川さんには重要視されていたようで、この城の主は松平家とか水野家のように、元を正せば[[徳川家康|家康]]の親戚筋(母方)に当たる家か前の老中の子供などが多い。
#*廃止は長岡~悠久山間のみだった。
#*水野さんが入った時は既に一国一城令が出ていたにもかかわらず、新規築城を許された珍しい城であった。
#上見附駅が東見附駅に、下長岡駅が越後愛宕駅に改称していた。
#*備前以西のエリアの幕府備蓄米の統括管理も担っていたらしい。[[長崎/対馬|対馬]]で大火事があった時もここから救援米が出されたとか。
#*スイッチバックの上見附駅は廃止されていた。
#*勤皇派で恭順の意思を示してあったにも関わらず、幕末に新政府軍に攻めこまれたのは、毛利の徳川への恨みの捌け口にされたかららしい。
#軽便鉄道のままだったら四日市あすなろう鉄道みたいになっていたかもしれない。
#**この時は、家老が機転を利かせて広島藩主の子供を跡目に据えて、御家だけは助けてもらったとか。
#栃尾市は長岡市に編入されることはなかっただろう。
#*おかげで江戸時代には地方にしてはありえないくらい水道網が発達していたらしい。神田や赤穂と並んで三大上水と呼ばれていたとか何とか。尾張の御用水の立場はどうなる?
#福山大空襲の影響で残された遺構は少ないが、残っているものはどれも歴史と風格あるものである。[[画像:福山城伏見櫓.JPEG|thumb|120px|伏見櫓]]
#*伏見櫓は、元々[[近畿の城#伏見城|伏見城]]にあったものである。
#**伏見櫓は2代将軍秀忠公からの貰い物。秀忠の下賜品の中で、一番高級な品なんじゃなかろうか?
#**地味だけど丸亀城とか宇和島城の天守閣とかよりも贅沢な感じがする。
#**ところでこの櫓を新幹線ホーム以外から撮影しようと思ったらどこから撮るのが一番ベストなんだろうか。情報をお持ちの方はぶら下げコメよろ。
#*筋鉄御門も伏見城からの移築である。[[画像:筋鉄御門.JPEG|thumb|120px|筋鉄御門]]
#**と盛んに謳われているが、近年はそれはガセネタであると見るのが一般的な歴史学者の見解らしい。でも福山市民は、あくまで伏見城から移築されたものと信じて疑わない。どっちにしたって重要な文化財であることには変わりないのにね。
#**なんだかんだ言っても結構な風格が漂う。頑丈そうな門の雰囲気が非常によろしい。
#模擬天守はエレベーターこそ無いものの近代的な内装で、単なる博物館と化している。
#*もとの天守は、台座のサイズは岡山城や広島城より小さかったものの、最上段のサイズはソイツらよりもデカかったらしい。
#*この模擬天守。東側から見ると石垣もあって風格のある感じがするが、南側から見るとどことなくちゃちい感じがするのは気のせいだろうか?
#表面は結構、硬い雰囲気が出ているが、裏側は、守りがめちゃくちゃ甘そう。
#*神辺側からなら容易に攻め入れそうな雰囲気さえ有る。
#おそらく日本で最も新幹線の駅に近い城。
#*ただし三原城や長岡城のような駅が城跡にあるケースを除外した場合。
#**三原駅って、そんなことやってたの。なんちゅう文化財破壊。
#**除外しなくても問題なし。それを言ってしまえば、福山城三の丸跡地の真上に立つのがJR福山駅であるという屁理屈も成り立つ。
#映画「転校生」に、デートスポットとして出てくる。
#*あの映画、[[尾道市|尾道]]が舞台なのに[[城郭風建築物#尾道城|尾道城]]は出てこないんだよね……
#天守閣は、確かに美しいが、それを見終わったら帰りしなには是非、湯殿の前の小庭を見ていってください。[[画像:福山城湯殿.JPEG|thumb|120px|御湯殿(復元)]]
#*近代的な博物館を見たために失われたあなたの古への想いが少し取り返せるかも。
#*まじめに書くと小奇麗な前庭と、伏見城から来た湯殿が、小奇麗で、単に私が天守閣よりも好きなだけのことなんだが。
#*実は戦時中空襲で焼けたため今あるのは復元物。元々あったのは国宝だった。
#新幹線の高架用の鉄筋コンクリートの柱が見事に石垣を突き破っている場所があったりする。
#*そもそもそれ以前に、在来線の府中行きホームが堀の跡地の真上だしなあ。本丸が残っただけでもマシと思うべきなんだろう……


===蒲原鉄道===
===鞆城===
#村松駅がバスターミナルになることはなかった。
*所在地:福山市[[鞆の浦|鞆町]]
#五泉から磐越西線への乗り入れが行われていた。
#室町幕府のラストエンペラー・足利義昭公が落ち延びてきた城。
#*信楽高原鐡道事故の影響もあるのでそれは微妙。
#小高い岡の上にある公園という感じ。資料館もあるよ。
#仮に村松~加茂間が廃止されても芝山鉄道の次に距離が短い鉄道になっていた。
#石垣とかは残ってなかったはず。石垣に使われてた石は転がっているけど。
#*[[紀州鉄道]]は?
#モハ41などの車両の塗装が変更されていた可能性も。


==東海==
===三原城===
[[もしあの私鉄路線が廃止されていなかったら/東海]]
[[ファイル:三原城・三原駅.JPEG|thumb|240px|駅と合体した天守台]]
*所在地:[[三原市]]
#村上水軍と親戚だった[[戦国武将/か行#小早川隆景|小早川隆景]]が造っただけのことはあり、水を意識した造りである。
#*満潮になると城が浮く。
#*干潮でもある程度のサイズの船なら入って来られる様になっている。
#**これは、[[中国地方の河川#沼田川|川の水]]を引き入れて繋いだりしていたからなせる技である。
#***ところが、後にこれが仇となる。(後述)
#*隆景は、秀吉の命で筑前を所領にした後も、この城を気に入っていたらしい。家督を秀秋に譲った後は、ここへ隠居して再び造成に精を出した。
#*その後、福島、浅野と広島藩の物になるが、必ずといっていいほど、重鎮が常駐していた。
#**この時代には三原支藩3万石が置かれたが、3万石には不釣り合いな城と言われまくったらしい。
#**しかも、なぜか、外様の城にもかかわらず一国一城令の影響を受けていないという謎がある。
#明治維新後は、中国地方の拠点として帝国海軍が常駐して糸崎とともに軍都化しようとしたが、前述した沼田川のせいで御破算になる。
#*川の堆積作用で、軍艦が使い物にならなくなると踏んだかららしい。
#*結局最後は、城の石垣の石を一個単位で売るなどの究極の競売にかかり、隆景以下、数多くの武将に愛された、三原城はその生涯を終えた。
#**[[近畿の城#膳所城|膳所城]]みたいなコトしてたんだな。
#新幹線が天守台を貫いていることで有名だが、新幹線ができる前ですら、雑草に覆われたまま放置されていた状態だったらしい。
#*中途半端に水堀と天守台が駅前広場の一部のように残されているのが、悲しいのだが、慣れというのは恐ろしいものでここまで同化していると逆にそれが普通に見えて、天守閣の再建なんかをやってしまうと、多分、逆に気持ち悪くなる。
#*天守台に上がろうと思うと、一度[[広島の駅/備後#三原駅の噂|三原駅]]の構内に入らないといけない。こんな城、日本全国でここくらいやろ。


==北陸==
===吉田郡山城===
===富山地方鉄道===
*所在地:[[広島/安芸#安芸高田市|安芸高田市]]
====射水線====
#毛利元就の城として有名。
#再び万葉線と接続してした。
#*町全体で毛利押し。
#*新湊大橋は鉄道道路併用橋で建設されていた。
#*こんな田舎の山城から中国地方の覇者になった元就はやっぱり凄いわ・・・。
#*あるいは富山新港の南側に新線を敷設していた。
#広島バスセンターか[[広島市の駅#横川駅の噂|横川駅]]から吉田営業所行きのバスで行くのが一番ラク。1時間半かかるけど。
#電鉄富山駅へ延伸していた。
#山城なためけっこう登る。
#富山と高岡を結ぶ列車も存在した。
#*通は下の方はそれなりに整備されているが、本丸付近は手をつかないと昇り降りできない場所が幾つかある。
#臨海鉄道的な性質を持った路線となっていた。
#*国鉄も対抗して新湊線と富山港線を結ぶ鉄道や呉羽~富山新港の鉄道を建設していた。


====笹津線====
==[[山口]]==
#市内線直通が廃止されなければ可能性は低くなかった気がする。
===岩国城===
#*実際に一部の駅では廃止前に利用者が増えていたらしい。
[[画像:岩国城.JPEG|thumb|180px|偽天守閣]]
#富山インター付近の開発に影響していた。
*所在地:[[岩国市]]
#富山空港への支線建設が検討されるが北陸新幹線開通によりほぼ絶望的に。
#観光パンフなんかで、錦帯橋のバックに写っているお城がこれ。
#サントラムはこの路線への乗り入れも考慮した車両として開発された。
#*写真では橋の後ろにそれなりに大きく写っているが、実際に見ると意外と遠くて小さい。あの手の写真は結構引いて取っているはず。
#*天守閣復元の際には麓からの見栄えを重視して本来の位置から若干ずらした。
#**そのため現在の天守閣のそばにもう一つ天守台がある。
#*昭和期の再建らしく、岩落としは付いてるものの銃眼が小窓のよう。まあ、7年しか存在しなかった城の銃眼がどうだったかなんて分からないだろうけど。
#山城。山の上に天守閣。ロープウェイで登れます。
#ここに入った吉川家が支藩(半独立状態)になれたのは明治維新よりも後に明治天皇の御声がかかってからのことである。
#案内板が極めて不案内。実を言うと錦帯橋の近くの吉香公園から城の直ぐ側まで直登するルートもあるのに、何故か案内板ではそのルートの存在が抹消されている。恐らくその目的はロープウェーへの誘導。
#*紅葉谷経由という無駄に遠回りで時間のかかる林道コースのみは流石に舗装路だからというのもあるのだろうか? きちんと案内が出ていたりする。
#**朝は地元の方のウォーキングコースである。
#*因みに直登するルートを下ってみたところ、そこそこ急斜面ではあるものの城から吉香公園まで12分で下りられた。ある程度歩き慣れた人は是非このルートでどーぞ。
#*いやいや、案内板に載せないのは妥当。あまりにも山道過ぎて全く万人向けでは無い上に、夏場には蜂も出るらしいし。
#錦帯橋からロープウェイまでは観光地が集まっている。
#*岩国徴古館は無料。2016年からは、事実上最後の岩国領主・吉川経幹を中心に、幕末の岩国情勢を[[男性声優ファン/た~わ行#若本規夫ファン|若本規夫]]氏がいつもの巻き舌で解説してくれる映像が流れている。
#*土産物屋だけじゃなくて、一応 昔の武家屋敷のあとや神社などがある。
#麓の吉香公園に石垣っぽい感じの台があったりするが、歴史的なものではなく、オブジェだったりするので注意(景観に配慮してああいうものになったと思われる)。
#天守閣は下層よりも上層の方が大きく張り出している部分のある南蛮造り。2ヶ所くびれているのだけれど、左上の写真を見ればわかるかな?
#上記にもあるが、関ヶ原後に建てられたが天守閣は完成後7年だけで廃城。なのに日本百名城に登録されている。[[北陸の城#高岡城|高岡城]]も同様だが。


===北陸鉄道(浅野川線・石川線以外)===
===萩城===
{{駅名標/北鉄|name=加賀一の宮|ruby=かがいちのみや|roma=Kaga Ichinomiya|back=なかつるぎ|back2=Naka Tsurugi|next=てどりなかじま|next2=Tedori Nakajima}}
[[画像:HagiCsl.jpg|240px|thumb|城下町の方が有名かも]]
#金名線は、調子がいいので名古屋まで延伸。
*所在地:[[萩市]]
#*ちなみに実際の目標は郡上八幡。
#平山城。麓にも山頂にも石垣が残る。
#*国鉄越美南線(現長良川鉄道)ともども[[名古屋鉄道|名鉄]]の1路線となっていた可能性もある。
#*山頂は2、30分くらい登るので、あんまり人が来ないかも。
#鶴来~加賀一の宮間の廃止はありえん。
#山の上の本丸には石垣に使うために割ろうとしたくさび跡のある石が残っている。
#*石川線にも特急が走っていた可能性がある。
#入場料を取られるが、出入り口が2つあり、通り抜けが出来るように自転車はそのまま入って良い。
#加南線の特急に新型車が投入されている。
#*入場料を取られずに済む裏口があるような気がするのだが…
#*それ以前に加賀温泉駅接続が行われている。
#城下街も街並みや武家屋敷、商人の屋敷が残されていって良い。
#金沢市内線が残っていた場合は鉄軌道直通運転が実現している。
#*曰く、江戸時代の地図がだいたいそのまま使えるほど残されているのだとか。
#*松金線と金石線が直通運転か。
#**江戸時代の地図を使って町歩きをするイベントも行われている。
#*なんで野町駅と金沢駅は鉄道でつながってないの?という声があがることはなかった。
#*変わったところといえば、市内へ入ってくる国道と県道くらいなもんらしい。
#北陸地区では唯一の大手私鉄となっていた。
#*城下町には夏みかんの木がたくさん植わっている。最近(かな?)山口県土産に使われるようになっている夏みかんは元々この城下町で武家が植えていたのが発祥とか。
#松金線が残っていれば北陸本線の代替え運行も可能だった。
#金石線が残っていれば金沢駅西再開発に併せて中橋→金沢と路線を延長しJR線に乗り入れる。
#*北陸新幹線は金石に駅を設置し、「新金沢」と改名する。
#*金石線は複線化し北陸線在来線との連絡に活躍する。
#浅野川線と石川線が地下線で直通していたかも。


===のと鉄道七尾線(穴水-輪島間)===
===且山城===
*JRの路線のまま存続した場合は[[もしあの鉄道路線が経営転換されていなかったら#七尾線・能登線(現・のと鉄道)|こちら]]を参照。
*所在地:[[下関市]]
#この路線の廃止に対する見返りの側面もある能登空港はまだ実現していない。
#一つは、大内義長の最期の地と言って良い山城。
#能登半島地震でしばらく運休に追い込まれるのは避けられなかった。
#*結構な山の中に石垣がぽつりとあるだけ。<!--言いすぎたかな-->
#連続テレビ小説「まれ」の劇中によく登場していた。
#もう一つは、その近所にある幕末の城。
#*例:希が横浜に旅立つシーンで輪島駅が使われる。
#*通称勝山御殿。御殿にしては、立派すぎる規模。
#*列車がオープニングに登場していた可能性も高い。
#*放映期間中にはスイーツが食べられる特別列車が運転されけっこうにぎわった。
#北陸新幹線金沢開業後には特急「能登かがり火」接続の快速を走らせていた。
#*場合によっては七尾以南ののと鉄道移管が行なわれていた。
#永井豪作品のラッピング列車を記念して輪島駅の内装が一部リニューアルされていた。


===福井鉄道===
===高嶺城===
====鯖浦線====
#所在地:[[山口市]]
#やはり元名鉄車が導入される。
#山口県庁の裏山にある。
#織田駅はバスアンドライドが可能な構造となっていた。
#*場所を考えると、跡地に[[城郭風建築物|城郭風]]スーパー銭湯でも建てりゃ、[[温泉スポット#山口|湯田温泉]]のいいお湯を堪能しながら戦国浪漫とやらに浸れそうだ。
#全線が残っていたとすれば運転系統が水越-鯖江、田原町・福井駅前-水越-織田に分断されていた。
#大内義長の築城。
#完成前に攻められたので、本来の実力を発揮せず陥落。
#*立地条件としては絶妙なのが惜しまれる。
#*でも、大内輝弘の乱の時は、大内輝弘を撃退している。


====南越線====
#社武生駅と越前武生駅が統合されていた。
#*間違いなく駅名が武生新だった頃にもうやっている。
#北陸新幹線の南越(仮)駅は南越線と接続する形で建設される事になっていた。
#武生からスイッチバックする形になるので、この路線だけは岐阜市内線廃止後も高床車がメインのままだったかもしれない。
#*とは言え低床車もそれなりに使われている。


===京福電鉄越前本線(勝山-京福大野間)===
[[Category:日本の城|ちゆうこく]]
#2004年の水害時に大野から福井への抜け道として重宝した。
[[Category:中国地方|しろ]]
#*実際に地元テレビや、福井新聞にその様な意見が載っていました。
 
==近畿==
[[もしあの私鉄路線が廃止されていなかったら/近畿]]
 
==中国==
===中国鉄道稲荷山線===
#吉備線ともども国有化された。
#備中高松行きは稲荷山行きになっていた。
#最上稲荷のケーブルカー復活計画はもう少し進んでいた。
 
===下津井電鉄線===
#762mm路線の生き残りとして更に注目されていた。
#*車両の老朽化により、後に三岐鉄道で運転されているタイプの車両に取り替えられる。
#部分廃止後の状態で残った場合、児島駅はJR駅の隣に移転していた。
# =下津井や鷲羽山への観光客呼び込みが成功していたら。である
#当時下電の稼ぎ頭だった岡山-児島のバス路線は都市間高速バスとなっていた。
#アニメ映画「ひるね姫」にも出てきていた。
#*劇中ではメリーベル号っぽい車両が物語のキーになっていたかも。
 
===同和鉱業片上鉄道===
#吉ヶ原駅の猫駅長「コトラ」が[[和歌山電鐵]]貴志駅の「たま」より先に有名になっていた。
#現在は両備グループに移管されている。
#*和歌山電鐵とは同じ両備グループという縁から「たま」とのコラボも盛んに行われていた。
#*「コトラ」をラッピングした車両も運行されている。
#一部の[[新快速 (JR西日本)|新快速]]が備前片上駅発着となっていた。
#新潟鐵工所製(→新潟トランシス)のNDCが投入されている。
#*今はワンマン運転が行われている。
#大新東による引き継ぎが実現したら、サロンカーなにわみたいな客車やSLが導入されていた。
#*ただ、倉敷チボリ公園閉園前後に存廃問題になっている。
#かつてCM撮影をした縁で菊池桃子が吉ヶ原駅のイベントに度々出演し、列車を迎えたり見送ったりしていた。
#同じ会社の経営する鉄道がある縁で、秋田県大館市・小坂町との交流が盛んになったり、災害時の相互物資供給協定が結ばれる。
#線内にある「周匝(すさい)」駅が全国有数の難読駅名として注目されていた。
#岡山県東部にあるので関西から気軽に行けるローカル私鉄として鉄道ファンが訪れていた。
 
===玉野市電気鉄道===
#備南電鉄のままだった場合、水島まで延伸されている。
#市営移管後の場合、清輝橋か渋川まで延伸されている。
#路面電車・地下鉄以外では珍しい公営の鉄道となっていた。
#*ただいずれは両備グループに経営が移管される。
#宇野線末端(茶屋町~宇野)が三セク化されてたら、直通していたかも。
 
===尾道鉄道===
#新尾道駅との乗り換え駅が設置される。
#*栗原駅が「新尾道」に改称されていた。
#*新尾道駅の利用客数が間違いなく増えていた。
#**一部の「ひかり」「のぞみ」が新尾道駅に停車していたかも。
#広島電鉄の路線になっていた。
#*さらに調子に乗った広電は呉市電の路線も買収し「広島電鉄呉市内線」としていた。
#**鞆鉄道も残っていた場合、こちらも広電に買収され「広島電鉄鞆の浦線」となっていた。
#*その後も大規模な新線建設を計画している。
#**何を思ったか上下まで延伸させてしまい、アンガールズが一日駅長に呼ばれる。
#**ちなみに上下延伸の計画は実在した。
#尾道工業団地への通勤を[http://www.nitto.co.jp/dpage/30.html マイカーから公共交通機関へシフトしよう]と言うことで、バスではなく'''木梨口からの支線'''が山の上まで建設される。元々高出力モーターを積んでるので気合で登るよ!
#*日○電工もちょっとだけ金を出す代わりにラッピング広告車が走り回る。
#*現実社会では[http://onomichibus.jp/route-bus/timetable/ts213-c.pdf こんな感じ]。朝7時代、どこの都会かと…
 
===一畑電鉄(広瀬線・立久恵線)===
#足立美術館へのアクセスが現実より良くなっていた。
#*もちろん「鷺湯温泉前」は「足立美術館前」に改称していた。
#立久恵線も電化していた。さらに立久恵峡の観光客は間違いなく現実より多くなってた。
#松江や米子から広瀬、出雲須佐までの直通列車も運行されていた。
#広瀬線は奥出雲町まで延びていた。
 
===法勝寺電鉄線===
#一畑電鉄広瀬線も残ってた場合、広瀬まで延びていた。
#母里から井尻へ延伸していた。
 
===防石鉄道===
#徳地町は防府市と合併していた。
#防府市に新幹線の駅が設置されたかもしれない。
#電化されて、東京の私鉄から古い電車を買って走らせている。
#*近鉄グループで狭軌だから、その前は養老鉄道同様に近鉄南大阪線の中古車が走っていた?
#防石鉄道の防府駅も高架化されている。
#やはり当初の目的は果たせないものの、延伸して山口線と繋がる。
 
===鞆鉄道===
#宮崎駿監督映画「崖の上のポニョ」のモデルとなった鞆地区へのアクセスが便利になっていた。
#*「崖の上のポニョ」の劇中にもそれらしき鉄道が登場。
#「鞆」が読みにくいので、広島電鉄に合併され同社福山支社の管轄に。
#*福山でも広電バスが走っている。
#*「読みにくいから合併」というのは流石に無いかと…
#1960年頃に改軌・電化されている。
#*JRと同規格の車両を導入。
#架橋問題にも大きく影響していた。
#*一時福山駅から離れた場所に始発駅があったそうだが、再び福山駅に乗り入れる。
#福山駅には高架橋で乗り入れ、JR-W福塩線の隣のホームを借用。
#*車両はおそらく元東急7000系ぐらいが適当か。
#福山ー鞆の浦間の所要時間は約25~30分程度。
#*運賃はバスより安い300円程度。
 
==四国==
===塩江温泉鉄道===
#電化されていた。
#高松空港へのアクセス路線となっている。
#戦時中に琴電に統合され「琴電塩江線」になっていた。
#*史実でも1938年に琴電に吸収合併されたのを忘れていた・・・。
#戦後になって塩江温泉の開発がさらに進む。
#琴電が大正時代の阿讃中央鉄道構想に目をつけ塩江線を美馬市まで延伸しようともくろむ。
 
===琴平急行電鉄線===
#戦時中に琴電に統合され「琴電坂出線」になっていた。
#*むしろ史実と同じく琴参に合併されていた。
#琴電唯一の狭軌の路線となっていた。
#*標準軌に改軌されていたかもしれない。
#琴参に合併されていた場合、路面電車廃止後も生き残り同社唯一の鉄道線になっていたかもしれない。
#*近鉄グループ入りしていたので車両は近鉄のお古ばかりに。
#*飯野山の観光開発や沿線での宅地開発を進めていた。
#坂出港への延伸や、飯野~栗熊の支線建設が行われていた。
#*瀬戸大橋直通も計画された。
 
===伊予鉄道森松線===
#高浜線に次いで電化・複線化がなされ、砥部への延伸を機に砥部線に改称。
#*代わりに横河原線・郡中線の電化が遅れ、更に末端部(平井以東・松前以南)が廃止になって、やはり改称されているかも……。
#**森松線廃止時に未開発だった横河原線はともかく郡中線の電化の遅れ・縮小はない。1950年に電化完了していたり・・・。
#***その後廃止区間の開発が進んで伊予鉄道は先見の明のなさを嘆くかもしれない。
#***堀之内にあった国立がんセンターは、史実での梅本駅圏でなく別の所に移転か?
#**横河原線の電化が遅れる可能性はあるが、郡中線には影響しないはず。史実では郡中線の電化は森松線廃止よりも相当前。当時、森松線・横河原線の赤字を高浜線・郡中線の黒字で補填してた。
#*市内線(路面電車)の本町線も廃止になっているかもしれない。
#**意外だけど本町線が完全開通したのは森松線の廃止直前。当時から松山市が山越延伸という夢を描き続けてる以上、廃止されなかった。
#名実ともに松山市駅起点になって、直通運転の組み合わせが「高浜-砥部」「郡中(松前)-横河原(平井)」に。
#*横河原線と違って郡中線は当時も黒字だから電化の遅れや末端廃止は無い。つまり「郡中港-横河原(平井)」か。
#椿まつりの時期になると、伊豫豆比古命神社(椿神社)最寄りの石井駅の混雑ぶりが夕方のローカルニュースで放送される。
#*愛媛FCのホームゲームでも臨時便を設定。
#愛媛FCや白くまピース、「坂の上の雲」のラッピング電車が走っている。
#国道33号拡張の際に邪魔になるためLRT化されている。
#*もしくは線路を移転。
#*それなら郡中線もLRT化されてるはずだが、現実は・・・。たぶん普通鉄道のまま。
#利用客を食い合うので森松線の区間を走るバス路線は存在していない。
 
===土佐電気鉄道安芸線===
*一応法律上は鉄道線の為ここに。
#日本一の路面電車は[[広島電鉄]]ではなく[[高知の交通#とさでん交通|土佐電気鉄道]]になっていた。
#土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線は安芸~奈半利間の路線になっていた。
#*高知~安芸間は[[岩手の鉄道#IGRいわて銀河鉄道|IGRいわて銀河鉄道]]と[[青森の交通#青い森鉄道|青い森鉄道]]を通る北斗星・カシオペアの様になる。
#*あるいは奈半利までの全区間が土佐電気鉄道の路線となっていた。
#*安芸~奈半利間も電化で開業する。
#*高速化のため県が後免~安芸間の高規格化と安芸線の1500V昇圧を計画し、100形「ハートラム」は複電圧車で製造され、10編成ぐらいは製造されていた。
#*奈半利~室戸の鉄道も同時に建設されていた。
#高知まで急行運転を行っていた。
#広島電鉄宮島線のように後年全列車が軌道線車両での運行になる(後免からJR高知駅に乗り入れる列車が設定された場合はこの限りではない)。
#立田or日章から高知空港への路線建設の話が浮上する。
 
==九州・沖縄==
===西鉄大川線===
#電化されていた。
#1435ミリに改軌され佐賀まで延長することが決定した。
#*佐賀まで延長された場合急行や特急が多く乗り入れる。
#*行き違い設備の有効長は6両分あると思われる。
#大善寺に特急が止まっても誰も文句を言わない。
#大善寺~荒木~安武の支線が建設されていた。
#大牟田線と大川地区などの客を案分していた。
 
===三井三池鉄道===
#三井グリーンランドまでの連絡鉄道になっていた。
#*直通列車も走っていた。
#**電圧が違うので乗り入れてくる列車はディーゼルカー。
#西鉄の子会社で生き残ったかもしれない。
#*貝塚線のお古が三池で走っていたかもしれない。
#栄町で西鉄と交差する部分に新駅が作られていた。
#ゆめタウン前駅ができていた。
#平井駅はグリーンランド前駅に駅名が変わっていた。
#三池浜駅と三池港駅が繋がって環状線になっていた。
#*その中間にネイブルランド前駅ができるが、潰れたのちは「諏訪公園前駅」か「イオン・帝京大前駅」になっていた。
 
===雲仙鉄道===
#史実で廃止された頃に「島原鉄道小浜線」となった。
#*この時点で諫早への直通列車が誕生した。
#戦後に加津佐や雲仙温泉への延伸が検討されるが幻に。
#一時期福岡や長崎から国鉄の列車が乗り入れていた。
#*列車名はズバリ「雲仙」。
#雲仙ロープウェイも島鉄の傘下に入っていたかもしれない。
#現在もよく利用されていた場合はこの路線の収益で南目線が数年長く生き残った可能性もある。
 
===熊本電気鉄道菊池線(御代志-菊池間)===
#今頃熊電はつぶれていた。
#都営6000形・南海22000系を入れる余裕なんぞ絶対ない。
#*このご時世非冷房100%達成!
#完全西鉄の子会社に。
 
===熊延鉄道===
#嘉島町まではイオンモールや通勤通学客のおかげで儲かっている。
#*それに対し甲佐以遠は廃止されていた可能性あり。
#起点となる南熊本駅に一部の特急が停車していた。
#*市電の春竹線も生き延びていたかもしれない。
#**この場合標準軌に改軌して市電との相互直通を求める声が出ていた。
#豊肥線への乗り入れは少なくとも信楽高原鉄道の事故までは継続された。
#沿線は熊本のベッドタウンの色彩が強くなった。
 
===荒尾市営電気鉄道===
#やはりある段階で熊本電気鉄道に全ての事業が譲渡されている。
#*最末期まで5000形が残っていたのはこの路線だったかもしれない。
#*事業譲渡されたのは西鉄かもしれない。
#**西鉄に譲渡された場合は、(時代により)旧南海和歌山市内線の車両を譲受したか、旧北方線の車両が転用された。
#**その場合(グループの)筑豊電鉄のようになり、2000年代に入ってからLRT化が進められた。
#荒尾駅はのちに国鉄→JRの駅に近い場所に移転していた。
 
===大分交通===
#国東線に「大分空港」駅ができていた。
#*日豊線との直通が実現していたらホバー航路の寿命は確実に縮んでいた。
#*うまくすれば電化もありえた。
#宇佐参宮線の竹田津延伸が計画されるが実現せず。
#耶馬渓線が残っていれば耶馬渓の観光客はもっと増えていた。
#*地元が世界ジオパークへの登録を求める動きを起こしていたかもしれない。
#現在は豊後高田市の「昭和レトロ」路線に合わせ宇佐参宮線に古いディーゼルカーを走らせている。
#*耶馬溪線で走っていたキハ603が走っていた。
#別大電車こと別大線は、とくに近年はインバウンドの影響をモロに受け、大分や別府と沿線にある高崎山自然動物園やうみたまごを行き来する人でごった返している。
#*別院停留場に「高崎山・うみたまご前」という副停留場名が付いていた。
#かんたん停留所が珍駅名として有名になっていた。
 
===高千穂鉄道高千穂線===
#観光鉄道として観光客で賑わっていた。
#高森駅までの延伸のためトンネル工事が再開され夢の九州横断鉄道になっていた。
#黒川紀章が生きていたら営業再開してたかも。
#日本一高い鉄橋も残存していた。
#東国原英夫知事が宣伝舞台にしていた。
#*自民党の道路族の顔色ばかり窺う一方、実際にこちらが被災した時には完全無視していたので100%ありえない。
#**被災したのは2005年。廃止が決まったのも2005年。知事就任は2007年。念のため。
#**本人の著書に「観光客誘致のため高千穂への鉄道を復活させなければならない」という内容が書かれていたのでそこまで断言できないはず。
#JR九州やくま川鉄道に倣って水戸岡氏の車両が走っていたかもしれない。
 
===鹿児島交通枕崎(南薩)線===
#枕崎駅の旧駅舎が取り壊される事は無く、移設も無かった。
#[[wikipedia:ja:永吉駅|永吉駅]]が[[男性歌手ファン/さ~わ行#矢沢永吉ファン|矢沢永吉ファン]]の聖地となっていた。
#逆に指宿枕崎線の山川~枕崎の方が廃止されていたかも。
 
===沖縄県営鉄道===
#糸満駅は日本最南端の駅として多くの鉄道ファンがつめかけるようになった。
#*下にある那覇糸満間の短絡線が実現していない場合は日本最西端の駅も兼ねていた。
#復旧時に改軌されていた。
#*それと同時に米軍基地を避けるようなルート変更も各地で行われていた。
#嘉手納線の名護延長が実現していた。
#*旧糸満馬車軌道のルートに近い那覇~糸満間の短絡線もできていたかもしれない。
#*場合によっては那覇空港へのアクセス路線も実現していた。
#返還時に国鉄に編入され、現在は「JR沖縄」となっている。
#*JRと名乗るが経営規模は地方私鉄程度。
#*いや、[[九州旅客鉄道|JR九州]]沖縄支店が経営している。上記改軌が1067mm軌間で行なわれた場合、車両はJR九州本体のお下がり(キハ40あたり?)が入っている。
#**鉄道として走らせるなら、寒冷地仕様ならぬ亜熱帯仕様の車両が設計されると思う。だからお下がりは無いか、そうであっても結構な改造が施されて投入される。
#**国鉄時代は関西本線などからキハ35系が転属して使用されていた。
#**JRになってからはキハ200系をベースにした沖縄仕様の専用車両が投入されていた。車両のデザインも水戸岡デザインではあるものの、沖縄向けにアレンジしたものとなっていた。
#ゆいレールはなかった。
#沖縄の鉄道が存続していたとしても松浦鉄道のたびら平戸口駅は「全国の各駅とレールで繋がっていない」として日本最西端の称号を譲ろうとしない。
#指宿枕崎線西大山駅は何の変哲も無い駅だった。
#流石に現在までに一部が電化されている。
#返還前は「琉球政府営鉄道」だったか?
#*当時の命名パターンを考えると「琉球鉄道公社」になっていたと思われる。
 
===沖縄海洋博KRT===
*現在の新交通システムに近い形で海洋博会場内を運行していた。他にCVSと言う別の新交通システムもあったらしいが詳細は不明。
#「戦後初の沖縄の鉄道路線」である事を記念し、観光鉄道として存続する形となっていた。
#美ら海水族館の開館と共に車両が置き換えられていた。
#沖縄都市モノレールの建設時に、案内軌条式鉄道やガイドウェイバス方式の導入が検討されていた。
#*正式にAGTで建設する事が決まった場合、ここで運転研修や試運転を行っていたかもしれない。
 
===南大糖業砂糖運搬専用軌道===
#おそらく観光鉄道になっていた。
#SLやトロッコ客車を走らせていた。
#2017年に観光列車で復活する予定。
 
==関連項目==
*[[もし武州鉄道が廃止されなかったら]]
 
[[Category:もしあの路線が廃止されていなかったら|*してつ]]

2021年4月13日 (火) 10:44時点における版


鳥取

鳥取城

現代アートチックな球形の石垣
  1. 羽柴秀吉の干殺しの舞台。
  2. 麓にも二の丸、三の丸、天球丸がある。一見、天球丸が本丸の平山城でも良さそうに見えるが、本丸は山の上の山城。
    • その向かいの山には秀吉が陣を置いた山がある。
    • 本丸まで行く道のりは普通に山登り。正直、吉田郡山城や岩村城よりキツい。
  3. 江戸時代、天球丸あたりの石垣が崩れてしまったらしく、対策として石垣の元に丸く石垣を新たに作って抑えた。それを復元してある。
    • 丸く、本当に球形に石垣を積んでいる様は一見すると現代アートチック。
  4. 戦前には鳥取砂丘以上の観光名所だったらしい。
  5. 明治の頃、鳥取県と島根県が合併したとき、一つの県に複数城は要らんと言うことで壊されたらしい。
    • 今になって、鳥取県主導で再建事業が行われているそうな。
    • 津和野~鳥取で城一つで充分って、なんか悲しいなあ。

鹿野城

  1. 因州鹿野藩1萬石の城だったが、短期間で破却されたらしい。
    • その割に未だに堀と石垣が残ってたりする。
  2. 鳥取池田藩の支藩があった。けど誰も赴任してこなかった。
    • その割に城下町は江戸の末期まで栄えていたのが珍妙。

鬼ヶ城

  1. 因州の深い山々に抱かれた山里、若桜町の町並みを一望できる山城。
    • いまとなっては人の流れが智頭街道へ移った(国道373号・鳥取道・智頭急行)関係でどうってことはないけど、元は播州街道(播州では因幡街道)沿いの城だったので、今では想像できないほど重要な城だったと思われる。
    • 実際播州から因州へ攻め込んだ猿の戦隊はここを拠点の一つにして鳥取攻めを進めていったとか何とか。
  2. そこそこ石垣が残っている。けど杉が生い茂っている関係で、但馬竹田城みたいに観光地として売り出すことはできなさそう。
    • そこそこ味があるし、名城感は伝わってくるんだが、それでもムリなものはムリな感じがする。ただマニア受けはしそうな感じがする。
    • 実は結構遺構が残っているらしい。木々の生い茂っている関係で気づきにくいだけで。
  3. 若桜駅から、さほど離れていないけど、目立たない。

米子城

本丸で重なる石垣
  1. 石垣は残る平山城。特に本丸近辺はしっかり石垣が残っている。
  2. 正直、あんまり米子に城下街なイメージはない。
  3. 中海展望台とかいうものがあるが、木が生い茂っていてちっとも展望がきかない。素直に本丸に登ろう。

島根

松江城

松江城と松
  1. 通称千鳥城である。
  2. 堀川遊覧船が大ヒット。
    • 高齢者雇用にも一役。
    • 堀の白鳥等は羽の筋を切断手術されてます。サギは飛来。
  3. 堀周辺東側の地上げがやっと成功し、再開発完成間近。
  4. 桜のシーズンは、天守閣下の庭が無料開放。
  5. 名家令嬢と出会いたければ、大茶会の席内スタッフを探せ。
  6. 立てこもり準備の名残で、食用の木の実が多数取れる。
  7. 城内用スリッパがあるが、急勾配階段なので脱げ、ストッキングだと伝線。
  8. 松江地域の経済に貢献している。
  9. この城を囲っている堀は中堀で宍道湖や大橋川は外堀の機能を果たしている。
  10. ヴァン・ヘイレンファン御用達。
  11. 松江城で結婚式を挙げれるようになったが、利用者のほとんどが県外在住者。
  12. 25年位前まで、サルやクジャクがいた。
  13. 現在観光協会などが国宝指定を目指し運動中。
    • HPを見ると「旧国宝→重要文化財」は格下げであるという勘違いをうまく利用しているように思える。
    • 最近、国宝に登録されたようでお祝いムードが漂っている。(2016年)
    • 松江市の自治体史である『松江市史 別編1 松江城』を読むと、国宝指定を目指す松江市の執念を感じる。
  14. 駐車料金は300円、登閣料は550円。
    • 姫路城や首里城よりは安価だが・・・。
    • 丸亀城が駐車料金無料、登閣料は200円。宇和島城は駐車料金100円分がプラスされるだけ。そして現存天守ではないとはいえ、松江よりも大規模の熊本城が駐車料金200円、登閣料が500円なのを思うと。
    • その分、現存天守としては比較的大規模。
    • 確かに城内の駐車場だと300円取られてしまうが、県庁や商工会議所など公共施設の駐車場は休みの日なら無料で一般開放されている。どうせ城まで歩いて5分程度なんだし、そっちに駐めて歩けばよいかと。
  15. 城の中に洋館や神社がある。
    興雲閣
    • 神社があるのは大阪城と豊國神社などのようにそれほど珍しいものでもないだろうが、天守閣が現存していて、なおかつそれなりに歴史的価値のある洋館もある城というのは結構珍しい様に思う。
      • この洋館、興雲閣という名前があるそうで、なんでも元々は明治天皇の山陰行幸時の御宿泊のための施設として、松江市が建造したらしい。だから内装もゴージャス。
        • でも肝心の天皇陛下は、諸事情のため、山陰行幸の予定が潰れたため、ついぞ御利用になることはなかったとか。
        • その後は、松江市の迎賓館代わりに使われていたとか。
      • とはいえ、城の中に神主の居る神社があるのは、やっぱり珍しいといえば珍しい気がしなくもない。そりゃ高岡みたいに城跡がそっくりそのまま神社なんてところもあるから一概には言えないけどさ。

浜田城

  1. 建物とかは残っていない。何しろ長州征伐で敗北した後、逃げ帰った浜田藩の自らの手によって焼き払われたから。
  2. 石垣とかは残るが、当時と違う位置に置かれてしまった門とか、石垣が崩れて当時はなかったルートで登れるようになっているとか、何とも不遇な扱い。
  3. 「死んでもラッパを離しませんでした」の像がある。(日清戦争中の話しです。)

津和野城

急峻な山の上に建つ城
津和野城から見た街並み。赤瓦が目立つ。
  1. 山城。山の上にあるので登るのに一苦労、だが、リフトもあるよ。
  2. 尾根沿いに石垣が残る。
  3. 何よりも足下に広がる津和野の街並みが良い。ミニチュアみたい。
  4. 津和野は城下街の風情が良く残っていて良い。当時の武家屋敷や町人屋敷などは門くらいしか残っていないけれど。
  5. 城主は鎌倉時代から関ヶ原後まで居た吉見氏と、その後つかの間居た坂崎氏(宇喜多氏の流れ)、亀井氏(尼子の家臣の流れ)と長期間存在した城にも関わらずたった3氏だけ。でもって中国地方の人ばっかり。
    • 因みに、この亀井氏の嫡流は郵政解散でできた政党に居た両亀井のうち、静かな方の亀井さんである。まあ、静香な方の亀井さんも傍系らしいんだけど。
    • 坂崎氏ってのは一代で断絶になるのだが、その人(坂崎直盛)は宇喜多家を内戦状態にして関ヶ原の戦いで東軍が有利になるようにしてしまった人物。宇喜多家時代から、並の中小大名よりも格上だったらしい。
      • この坂崎直盛という人は大阪夏の陣の時に千姫を助けてタヌキの許しを得て許嫁になりかけたにもかかわらず、その時の火傷を千姫に嫌われたというかわいそうな武将である。
      • しかも、それでもめげずに、千姫と京都のお公家さんとの縁談をまとめて婚約まで取り付けたのに、千姫が坂崎が嫌いなばかりに、それを破談にさせるべく本多忠刻に嫁ぐと急遽決める。
      • それでは、流石に武士の名が廃ると焦った&腹立てた坂崎は怒って、千姫拉致を画策するもバレてタヌキにキレられて改易を食らった可哀想にもほどのある人物である。
  6. ♪城跡から見下ろせば 青く細い川 橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突… さだまさし氏の「案山子」はここが舞台。

岡山

岡山の城

広島

広島城

水堀と天守閣
太鼓櫓
  1. 毛利氏によって建てられる。毛利氏の本拠だった。
    • と、いうイメージが強いが毛利元就の孫の輝元が建てたので、元就公とはゆかりはありません。
  2. 福島正則が改易された原因。
    • 台風だかで崩れた石垣の補修を幕府に届けてなかったのを咎められたとか。一説には届けていたけど通じてなかった説も。
  3. 板張りの茶色っぽい城。
  4. 原爆で倒壊した天守閣の部材は薪などに再利用された。
  5. 日清戦争の際には大本営が置かれた。
    • 現在その名残は建物跡の基礎と石碑くらい。
  6. 石垣の一部が原爆の熱線で焦げている。
  7. 別名「鯉城」。
    • 広島では企業名などでおなじみ。
    • なにより広島東洋カープの名前の由来である。広島県民およびカープファンなら常識。
  8. 太鼓櫓等々もなかなかいい感じに復元されている。
  9. 城の縄張りの内側に護国神社がある。
    • いかにも県庁所在地の城址という感じ。
  10. 電車賃ケチって市電に乗らず新白島から歩いていくと、普通の住宅街の間を走る幹線道路を10分くらい歩いたら、目の前の堀越しに天守閣があって、ちょっと戸惑った。
    • というのも一般的に大都市の城跡って、そこそこのビジネス街を抜けていかないとたどり着けないから。
    • 某高校からは窓の向きにもよるが、毎日広島城天守閣を見ることができる。ただし大阪城とかと比べたら雲泥の差があるが・・・

福山城

駅のそばです。
  1. 意外と徳川さんには重要視されていたようで、この城の主は松平家とか水野家のように、元を正せば家康の親戚筋(母方)に当たる家か前の老中の子供などが多い。
    • 水野さんが入った時は既に一国一城令が出ていたにもかかわらず、新規築城を許された珍しい城であった。
    • 備前以西のエリアの幕府備蓄米の統括管理も担っていたらしい。対馬で大火事があった時もここから救援米が出されたとか。
    • 勤皇派で恭順の意思を示してあったにも関わらず、幕末に新政府軍に攻めこまれたのは、毛利の徳川への恨みの捌け口にされたかららしい。
      • この時は、家老が機転を利かせて広島藩主の子供を跡目に据えて、御家だけは助けてもらったとか。
    • おかげで江戸時代には地方にしてはありえないくらい水道網が発達していたらしい。神田や赤穂と並んで三大上水と呼ばれていたとか何とか。尾張の御用水の立場はどうなる?
  2. 福山大空襲の影響で残された遺構は少ないが、残っているものはどれも歴史と風格あるものである。
    伏見櫓
    • 伏見櫓は、元々伏見城にあったものである。
      • 伏見櫓は2代将軍秀忠公からの貰い物。秀忠の下賜品の中で、一番高級な品なんじゃなかろうか?
      • 地味だけど丸亀城とか宇和島城の天守閣とかよりも贅沢な感じがする。
      • ところでこの櫓を新幹線ホーム以外から撮影しようと思ったらどこから撮るのが一番ベストなんだろうか。情報をお持ちの方はぶら下げコメよろ。
    • 筋鉄御門も伏見城からの移築である。
      筋鉄御門
      • と盛んに謳われているが、近年はそれはガセネタであると見るのが一般的な歴史学者の見解らしい。でも福山市民は、あくまで伏見城から移築されたものと信じて疑わない。どっちにしたって重要な文化財であることには変わりないのにね。
      • なんだかんだ言っても結構な風格が漂う。頑丈そうな門の雰囲気が非常によろしい。
  3. 模擬天守はエレベーターこそ無いものの近代的な内装で、単なる博物館と化している。
    • もとの天守は、台座のサイズは岡山城や広島城より小さかったものの、最上段のサイズはソイツらよりもデカかったらしい。
    • この模擬天守。東側から見ると石垣もあって風格のある感じがするが、南側から見るとどことなくちゃちい感じがするのは気のせいだろうか?
  4. 表面は結構、硬い雰囲気が出ているが、裏側は、守りがめちゃくちゃ甘そう。
    • 神辺側からなら容易に攻め入れそうな雰囲気さえ有る。
  5. おそらく日本で最も新幹線の駅に近い城。
    • ただし三原城や長岡城のような駅が城跡にあるケースを除外した場合。
      • 三原駅って、そんなことやってたの。なんちゅう文化財破壊。
      • 除外しなくても問題なし。それを言ってしまえば、福山城三の丸跡地の真上に立つのがJR福山駅であるという屁理屈も成り立つ。
  6. 映画「転校生」に、デートスポットとして出てくる。
    • あの映画、尾道が舞台なのに尾道城は出てこないんだよね……
  7. 天守閣は、確かに美しいが、それを見終わったら帰りしなには是非、湯殿の前の小庭を見ていってください。
    御湯殿(復元)
    • 近代的な博物館を見たために失われたあなたの古への想いが少し取り返せるかも。
    • まじめに書くと小奇麗な前庭と、伏見城から来た湯殿が、小奇麗で、単に私が天守閣よりも好きなだけのことなんだが。
    • 実は戦時中空襲で焼けたため今あるのは復元物。元々あったのは国宝だった。
  8. 新幹線の高架用の鉄筋コンクリートの柱が見事に石垣を突き破っている場所があったりする。
    • そもそもそれ以前に、在来線の府中行きホームが堀の跡地の真上だしなあ。本丸が残っただけでもマシと思うべきなんだろう……

鞆城

  1. 室町幕府のラストエンペラー・足利義昭公が落ち延びてきた城。
  2. 小高い岡の上にある公園という感じ。資料館もあるよ。
  3. 石垣とかは残ってなかったはず。石垣に使われてた石は転がっているけど。

三原城

駅と合体した天守台
  1. 村上水軍と親戚だった小早川隆景が造っただけのことはあり、水を意識した造りである。
    • 満潮になると城が浮く。
    • 干潮でもある程度のサイズの船なら入って来られる様になっている。
      • これは、川の水を引き入れて繋いだりしていたからなせる技である。
        • ところが、後にこれが仇となる。(後述)
    • 隆景は、秀吉の命で筑前を所領にした後も、この城を気に入っていたらしい。家督を秀秋に譲った後は、ここへ隠居して再び造成に精を出した。
    • その後、福島、浅野と広島藩の物になるが、必ずといっていいほど、重鎮が常駐していた。
      • この時代には三原支藩3万石が置かれたが、3万石には不釣り合いな城と言われまくったらしい。
      • しかも、なぜか、外様の城にもかかわらず一国一城令の影響を受けていないという謎がある。
  2. 明治維新後は、中国地方の拠点として帝国海軍が常駐して糸崎とともに軍都化しようとしたが、前述した沼田川のせいで御破算になる。
    • 川の堆積作用で、軍艦が使い物にならなくなると踏んだかららしい。
    • 結局最後は、城の石垣の石を一個単位で売るなどの究極の競売にかかり、隆景以下、数多くの武将に愛された、三原城はその生涯を終えた。
      • 膳所城みたいなコトしてたんだな。
  3. 新幹線が天守台を貫いていることで有名だが、新幹線ができる前ですら、雑草に覆われたまま放置されていた状態だったらしい。
    • 中途半端に水堀と天守台が駅前広場の一部のように残されているのが、悲しいのだが、慣れというのは恐ろしいものでここまで同化していると逆にそれが普通に見えて、天守閣の再建なんかをやってしまうと、多分、逆に気持ち悪くなる。
    • 天守台に上がろうと思うと、一度三原駅の構内に入らないといけない。こんな城、日本全国でここくらいやろ。

吉田郡山城

  1. 毛利元就の城として有名。
    • 町全体で毛利押し。
    • こんな田舎の山城から中国地方の覇者になった元就はやっぱり凄いわ・・・。
  2. 広島バスセンターか横川駅から吉田営業所行きのバスで行くのが一番ラク。1時間半かかるけど。
  3. 山城なためけっこう登る。
    • 通は下の方はそれなりに整備されているが、本丸付近は手をつかないと昇り降りできない場所が幾つかある。

山口

岩国城

偽天守閣
  1. 観光パンフなんかで、錦帯橋のバックに写っているお城がこれ。
    • 写真では橋の後ろにそれなりに大きく写っているが、実際に見ると意外と遠くて小さい。あの手の写真は結構引いて取っているはず。
    • 天守閣復元の際には麓からの見栄えを重視して本来の位置から若干ずらした。
      • そのため現在の天守閣のそばにもう一つ天守台がある。
    • 昭和期の再建らしく、岩落としは付いてるものの銃眼が小窓のよう。まあ、7年しか存在しなかった城の銃眼がどうだったかなんて分からないだろうけど。
  2. 山城。山の上に天守閣。ロープウェイで登れます。
  3. ここに入った吉川家が支藩(半独立状態)になれたのは明治維新よりも後に明治天皇の御声がかかってからのことである。
  4. 案内板が極めて不案内。実を言うと錦帯橋の近くの吉香公園から城の直ぐ側まで直登するルートもあるのに、何故か案内板ではそのルートの存在が抹消されている。恐らくその目的はロープウェーへの誘導。
    • 紅葉谷経由という無駄に遠回りで時間のかかる林道コースのみは流石に舗装路だからというのもあるのだろうか? きちんと案内が出ていたりする。
      • 朝は地元の方のウォーキングコースである。
    • 因みに直登するルートを下ってみたところ、そこそこ急斜面ではあるものの城から吉香公園まで12分で下りられた。ある程度歩き慣れた人は是非このルートでどーぞ。
    • いやいや、案内板に載せないのは妥当。あまりにも山道過ぎて全く万人向けでは無い上に、夏場には蜂も出るらしいし。
  5. 錦帯橋からロープウェイまでは観光地が集まっている。
    • 岩国徴古館は無料。2016年からは、事実上最後の岩国領主・吉川経幹を中心に、幕末の岩国情勢を若本規夫氏がいつもの巻き舌で解説してくれる映像が流れている。
    • 土産物屋だけじゃなくて、一応 昔の武家屋敷のあとや神社などがある。
  6. 麓の吉香公園に石垣っぽい感じの台があったりするが、歴史的なものではなく、オブジェだったりするので注意(景観に配慮してああいうものになったと思われる)。
  7. 天守閣は下層よりも上層の方が大きく張り出している部分のある南蛮造り。2ヶ所くびれているのだけれど、左上の写真を見ればわかるかな?
  8. 上記にもあるが、関ヶ原後に建てられたが天守閣は完成後7年だけで廃城。なのに日本百名城に登録されている。高岡城も同様だが。

萩城

城下町の方が有名かも
  1. 平山城。麓にも山頂にも石垣が残る。
    • 山頂は2、30分くらい登るので、あんまり人が来ないかも。
  2. 山の上の本丸には石垣に使うために割ろうとしたくさび跡のある石が残っている。
  3. 入場料を取られるが、出入り口が2つあり、通り抜けが出来るように自転車はそのまま入って良い。
    • 入場料を取られずに済む裏口があるような気がするのだが…
  4. 城下街も街並みや武家屋敷、商人の屋敷が残されていって良い。
    • 曰く、江戸時代の地図がだいたいそのまま使えるほど残されているのだとか。
      • 江戸時代の地図を使って町歩きをするイベントも行われている。
    • 変わったところといえば、市内へ入ってくる国道と県道くらいなもんらしい。
    • 城下町には夏みかんの木がたくさん植わっている。最近(かな?)山口県土産に使われるようになっている夏みかんは元々この城下町で武家が植えていたのが発祥とか。

且山城

  1. 一つは、大内義長の最期の地と言って良い山城。
    • 結構な山の中に石垣がぽつりとあるだけ。
  2. もう一つは、その近所にある幕末の城。
    • 通称勝山御殿。御殿にしては、立派すぎる規模。

高嶺城

  1. 所在地:山口市
  2. 山口県庁の裏山にある。
    • 場所を考えると、跡地に城郭風スーパー銭湯でも建てりゃ、湯田温泉のいいお湯を堪能しながら戦国浪漫とやらに浸れそうだ。
  3. 大内義長の築城。
  4. 完成前に攻められたので、本来の実力を発揮せず陥落。
    • 立地条件としては絶妙なのが惜しまれる。
    • でも、大内輝弘の乱の時は、大内輝弘を撃退している。