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{{Pathnav||日本の城|name=中国地方}}
{{地域|name=山城|pref=京都|reg=近畿|ruby=やましろ}}
==山城地方の噂==
{{山城}}
*エリア内の鉄道駅については[[京都の駅/山城]]を参照。
#JR[[奈良線]]という名前なのに、95%京都府を走る。しかも正式な奈良線は100%京都府。(京都駅〜木津駅:JR奈良線、木津駅〜奈良駅:関西本線)
#*百歩譲って「奈良に向かう線」という意味ではぎりぎり通るか?(曖昧)
#*水戸市を通らないJR水戸線があります。
#*みやこ路快速は珍しく普通区間がないのだが大和路快速が停車する平城山にも停車しない。京都~奈良間は近鉄の圧勝だが当面の課題は全線複線化だろう。
#*みやこ路快速で京都へ行く時、棚倉駅で行き違い停車するのが時間掛かる。休日でも宇治駅で観光客は殆ど降りてしまい、奈良までガラガラになる。奈良へ行く観光客は近鉄利用だな。
#*福知山線も福知山駅以外の駅は全部兵庫県。
#快速系電車の停車駅は、通勤時に少なく昼間は多目に(途中から各駅になったり)なるが、JR京都〜奈良間では昼間の方が停車駅が少ない。
#*近鉄京都線も急行より速い快速急行は昼間のみの運転だった(有料特急に乗る客が減るので快速急行は廃止)。
#**ちなみに近鉄は全線複線だが、JRは城陽以南は単線。京都市内の一部もガケ沿いを走るため単線。
#**前方後円墳のど真ん中をぶっちぎっている所もある。
#***上狛駅~棚倉駅の間だね。
#**しかも30分に1本だったから利用するチャンスが少な過ぎた。
#***京都線急行はLCカーの運用があっても京都駅が手狭で終日ロングシートの運用(2009年3月19日に京都線と橿原線平端以南からLCカーは撤退予定)。
#*そのJR・私鉄も含め人口規模のわりに意外と鉄道網は充実している(本数はともかく)。道路は酷いが。
#京都・奈良間にある為、観光の殆どの人が通るんだがホントに通るだけでこの場所の記憶にも残っていないのが現状。
#*この地にも実は隠れた歴史的遺産は多いんだけどな・・・。
#[[京都市]]内の人(旧市内)から京都ではないと思われている
#木津や精華、加茂辺りはどっちかと言ったら[[奈良市]]や[[大阪市]]の都市圏だ。
#*他府県の人に場所を聞かれると説明に窮する。奈良市内にある高の原駅から通勤 or 通学していると特に。
#*天気予報では京都府南部ではなく奈良県北部を参考にする。
#**特に冬は。冬に京都市以北が雪でも木津や加茂では晴れているというケースもよくある。
#*京田辺や、井手辺りにもある程度は言えるか…。
#*奈良市や大阪市の…、ってか殆ど前者では?
#*京田辺市から南は奈良のイメージが強くなる。[[近畿日本鉄道|近鉄]]沿線であるしエリア内を運行するバスも[[奈良交通]]。
#その昔、かなりやばいくらい大きい『'''巨椋池'''』という池があった。[[ファイル:巨椋池干拓地.jpg|240px|thumb|巨椋池干拓地]]
#*風水では平安京にとってかなり重要だった。埋めてから京都の凋落が始まった。
#**埋め立てじゃなくて干拓。
#*小学校の時の授業の話の中で少しだけ紹介された程度に聞いた話だが唯一、衝撃的な話だった。 最近、その話を思い出してネットでいろいろ調べてみたがかなり昔に埋め立てられてるため情報が少ないのですが、やっぱりありえないほど大きな池だったようです。 漁業も営まれていたとか。
#**漁業を営んでいた人は補償金で金持ちになったとか。
#*そんなモンが残ってたら、湖山池を擁する鳥取市民が泣くと思う。
#*ちなみに「巨椋」は「おぐら」と読む。[[京滋バイパス]]のインター名にもある。だが、駅名・旧村名だと「小倉」と書く。
#*槇島、向島はホントに島だった。
#**淀も淀島って言うて島でした。上島とか…
#**そういえば中書島も近くにある。
#*伏見は巨椋池に面した港だった。
#*豪雨によって一時的に復活したことがある。
#*宇治市内には木幡池という池が名残として残っている。
#京田辺市と木津川市は地図で見てると隣接していると言えるのか微妙な感じだ。
#京都市民からは宇治より南は奈良だと思われていた・・・
#*大阪府民も思ってます。
#*高槻市や枚方市の方が京都っぽい。(by大阪府民)
#*高槻市、枚方市、島本町は、京都にあげてもいいような・・・
#高槻や枚方、島本は京都府であっても正直違和感がない。木津川、精華は奈良県であっても正直違和感がない。(by大阪市民)
#当たり前といえば当たり前だが、由緒正しき古刹が点在している。
#*だが、京都と奈良という二大拠点に挟まれている関係で全然目立ってない。来るのは基本的にウォーキング兼ねてやって来る京阪神・奈良の中高年か、京都・奈良に飽きたマニア位なもん。完全に通過点として見られているのがまるわかり。
#***けいはんなや松井山手、八幡の男山地区など、京都・大阪のベッドタウンとして扱われがち。
#山城といえど市内、乙訓、宇治・城陽、南山城、田辺・八幡とそれぞれ微妙に空気が違う。
#*とりわけ、市内と乙訓とそれ以外の差は顕著。山背という感じがするのは、それ以外の地域で、乙訓は竹やぶと住宅街しかない感じ。因みに市内でも[[京都市/西京区|西京区]]は実質乙訓。
#**南区と伏見区も桂川以西は実質乙訓。
#**京都府も乙訓の独立性を認めているのか、京都市外を「もうひとつの京都」とし、山城地方を「お茶の京都」、丹波を「森の京都」、そして、丹後を「海の京都」とPRしている中、何故か乙訓だけはどれにも属さない「竹の里・乙訓」として並列させている。
#大阪湾から来た湿った海風が丁度この辺りで行き場を無くすため、夏場は積乱雲が発生しやすく、激しい雷雨に見舞われることが度々ある。
#*対照的に少し南の奈良市・生駒市辺りは風が生駒山に遮られるため、昔から渇水に悩まされて来た。
#意外だが、このエリアには京都市を除いて100平方kmを超える面積の市町村が存在しない(最大の木津川市でも85平方km)。
#*丹波・丹後と違い平成の大合併が殆ど無かったため(唯一合併で出来た木津川市も合併の機運は皆無な中合併した謎の合併と言われている)。
#京焼に欠かせない土の生産地。
#*機嫌を損ねると最終的に自分たちの茶席の楽しみが減ってしまうため、洛中の一部の人間は密かに恐れていた。
#実は同じ宇治茶と言えど、地域によってイチオシになる茶の種類は異なる。
#*例えば、京田辺の宇治茶は農家の丁寧な茶園管理と製茶技術の強みから玉露で飲むのが美味しいとされる一方、城陽の宇治茶は木津川河川敷という肥沃な土砂の入り混じった砂地での栽培が大半であることから碾茶、そして碾茶を元に精製される抹茶で飲むのが良いとされる。


==主な市町村の噂==
*[[京都市]]
*[[宇治市]]
*[[長岡京市]]
*[[京田辺市]]
*[[城陽市]]
*[[八幡市]]
*[[向日市]]
*[[木津川市]]
*乙訓郡
**[[大山崎町]]
*久世郡
**[[久御山町]]
*綴喜郡
**[[井手町]]
*相楽郡
**[[南山城村]]
**[[和束町]]
**[[精華町]]


==[[鳥取]]==
==乙訓郡の噂==
===鳥取城===
[[ファイル:Otokuni-tikurin.jpg|200px|サムネイル|乙訓地域には竹林が多い]]
[[画像:TottoriCsl00.jpg|240px|thumb|現代アートチックな球形の石垣]]
#京都や伏見、宇治ほどは華やかではないものの、乙訓も京都府内らしく由緒正しき神社や寺がそこかしこに存在する。
*所在地:[[鳥取市]]
#*また、大阪湾から川を遡上してくると行き着く盆地に入ってすぐのちょっとした丘陵地であったという立地が影響してか、弥生時代の遺跡や古墳時代に設けられた古墳などの史跡が数多く点在する。
#羽柴秀吉の干殺しの舞台。
#**現時点で世に出ておらず発掘されてないものや、これまでの長い年月の造成の結果消えていったものも含めたらとんでもない数になると思われる。
#麓にも二の丸、三の丸、天球丸がある。一見、天球丸が本丸の平山城でも良さそうに見えるが、本丸は山の上の山城。
#高槻の裏側から、嵐山まで続くでっかい竹やぶ群は有名。
#*その向かいの山には秀吉が陣を置いた山がある。
#*その影響で乙訓エリアの名産は筍と相場が決まっている。実際街中いたるところに筍専門店が存在する。
#*本丸まで行く道のりは普通に山登り。正直、吉田郡山城や岩村城よりキツい。
#桓武天皇の長岡京や継体天皇の弟国宮があったとされている。いまでは都だった面影はないけど…。
#江戸時代、天球丸あたりの石垣が崩れてしまったらしく、対策として石垣の元に丸く石垣を新たに作って抑えた。それを復元してある。
#今は京都市に含まれる、南区の久世や洛西ニュータウンのある辺りもかつては乙訓郡に属した。
#*丸く、本当に球形に石垣を積んでいる様は一見すると現代アートチック。
#*伏見区の羽束師や久我も乙訓郡だった。
#戦前には鳥取砂丘以上の観光名所だったらしい。
#旧乙訓郡域は[[大阪/北摂|北摂]]の延長線上。
#明治の頃、鳥取県と島根県が合併したとき、一つの県に複数城は要らんと言うことで壊されたらしい。
#*今になって、鳥取県主導で再建事業が行われているそうな。
#*[[島根/石見#津和野町の噂|津和野]]~鳥取で城一つで充分って、なんか悲しいなあ。


===鹿野城===
===大山崎町の噂===
*[[鳥取市#鹿野|鳥取市鹿野町]]
[[大山崎町]]
#因州鹿野藩1萬石の城だったが、短期間で破却されたらしい。
#*その割に未だに堀と石垣が残ってたりする。
#鳥取池田藩の支藩があった。けど誰も赴任してこなかった。
#*その割に城下町は江戸の末期まで栄えていたのが珍妙。


===鬼ヶ城===
==久世郡の噂==
*所在地:[[鳥取/因幡#若桜町の噂|若狭町]]
#「く'''ぜ'''」ではなく、「く'''せ'''」(昔は「くぜ」だった?)。
#因州の深い山々に抱かれた山里、若桜町の町並みを一望できる山城。
#*まだ「せ」と読めるからイイけど、比較的近い場所に「久我(こが)」ってのがあるからなぁ・・・(京都市内だけど)
#*いまとなっては人の流れが智頭街道へ移った(国道373号・鳥取道・智頭急行)関係でどうってことはないけど、元は播州街道(播州では因幡街道)沿いの城だったので、今では想像できないほど重要な城だったと思われる。
#旧・久世村(こっちは「く'''ぜ'''」)は久世郡にはなかった(1959年まで乙訓郡にあった)。
#*実際播州から因州へ攻め込んだ[[豊臣秀吉|猿の戦隊]]はここを拠点の一つにして鳥取攻めを進めていったとか何とか。
#*1889年当時は久世郡久世村もあったが、平川村と上津屋村が合併し久津川村となった。[[近鉄京都線]]の久津川駅(1928年開業)がある。現在の[[城陽市]]北部。
#そこそこ石垣が残っている。けど杉が生い茂っている関係で、但馬竹田城みたいに観光地として売り出すことはできなさそう。
#*そこそこ味があるし、名城感は伝わってくるんだが、それでもムリなものはムリな感じがする。ただマニア受けはしそうな感じがする。
#*実は結構遺構が残っているらしい。木々の生い茂っている関係で気づきにくいだけで。
#[[若桜鉄道#若桜駅|若桜駅]]から、さほど離れていないけど、目立たない。


===米子城===
===久御山町の噂===
[[画像:YonagoCsl00.jpg|120px|thumb|本丸で重なる石垣]]
[[久御山町]]へ。
*所在地:[[米子市]]
#石垣は残る平山城。特に本丸近辺はしっかり石垣が残っている。
#正直、あんまり米子に城下街なイメージはない。
#中海展望台とかいうものがあるが、木が生い茂っていてちっとも展望がきかない。素直に本丸に登ろう。


==[[島根]]==
==綴喜郡の噂==
===松江城===
#読みは「つづき」。
[[画像:MatsueCsl00.jpg|240px|thumb|松江城と松]]
#八幡市や京田辺市も綴喜郡だった。
*所在地:[[松江市]]
#通称千鳥城である。
#堀川遊覧船が大ヒット。
#*高齢者雇用にも一役。
#*堀の白鳥等は羽の筋を切断手術されてます。サギは飛来。
#堀周辺東側の地上げがやっと成功し、再開発完成間近。
#桜のシーズンは、天守閣下の庭が無料開放。
#名家令嬢と出会いたければ、大茶会の席内スタッフを探せ。
#立てこもり準備の名残で、食用の木の実が多数取れる。
#城内用スリッパがあるが、急勾配階段なので脱げ、ストッキングだと伝線。
#'''松江地域の経済に貢献している。'''
#この城を囲っている堀は中堀で宍道湖や大橋川は外堀の機能を果たしている。
#[[ヴァン・ヘイレンファン]]御用達。
#松江城で結婚式を挙げれるようになったが、利用者のほとんどが県外在住者。
#25年位前まで、サルやクジャクがいた。
#現在観光協会などが国宝指定を目指し運動中。
#*HPを見ると「旧国宝→重要文化財」は格下げであるという勘違いをうまく利用しているように思える。
#*最近、国宝に登録されたようでお祝いムードが漂っている。(2016年)
#*松江市の自治体史である『松江市史 別編1 松江城』を読むと、国宝指定を目指す松江市の執念を感じる。
#駐車料金は300円、登閣料は550円。
#*姫路城や首里城よりは安価だが・・・。
#*丸亀城が駐車料金無料、登閣料は200円。宇和島城は駐車料金100円分がプラスされるだけ。そして現存天守ではないとはいえ、松江よりも大規模の熊本城が駐車料金200円、登閣料が500円なのを思うと。
#*その分、現存天守としては比較的大規模。
#*確かに城内の駐車場だと300円取られてしまうが、県庁や商工会議所など公共施設の駐車場は休みの日なら無料で一般開放されている。どうせ城まで歩いて5分程度なんだし、そっちに駐めて歩けばよいかと。
#城の中に洋館や神社がある。[[画像:松江城の洋館.JPEG|thumb|180px|興雲閣]]
#*神社があるのは大阪城と豊國神社などのようにそれほど珍しいものでもないだろうが、天守閣が現存していて、なおかつそれなりに歴史的価値のある洋館もある城というのは結構珍しい様に思う。
#**この洋館、興雲閣という名前があるそうで、なんでも元々は明治天皇の山陰行幸時の御宿泊のための施設として、松江市が建造したらしい。だから内装もゴージャス。
#***でも肝心の天皇陛下は、諸事情のため、山陰行幸の予定が潰れたため、ついぞ御利用になることはなかったとか。
#***その後は、松江市の迎賓館代わりに使われていたとか。
#**とはいえ、城の中に神主の居る神社があるのは、やっぱり珍しいといえば珍しい気がしなくもない。そりゃ高岡みたいに城跡がそっくりそのまま神社なんてところもあるから一概には言えないけどさ。


===浜田城===
===宇治田原町の噂===
*所在地:[[浜田市]]
[[ファイル:Ujitawara-poster.jpg|150px|サムネイル|町内にある「正寿院」の猪目窓をPRするポスター]]
#建物とかは残っていない。何しろ長州征伐で敗北した後、逃げ帰った浜田藩の自らの手によって焼き払われたから。
*関連項目:[[京都の寺院#金胎寺|金胎寺]]
#石垣とかは残るが、当時と違う位置に置かれてしまった門とか、石垣が崩れて当時はなかったルートで登れるようになっているとか、何とも不遇な扱い。
#宇治田原町の話題が宇治市のほうに持っていかれている。平成の大合併で宇治市になったとでも思っているのか?
#「死んでもラッパを離しませんでした」の像がある。(日清戦争中の話しです。)
#*勘違いの話だから移動する必要はなさそうです。
#*NHK京都放送局のアナウンサーまでも「うじ・・たわらちょう」と読む。
#*宇治田原には鉄道が無いようです(さすが田舎)(京都市民)
#**最寄は近鉄新田辺駅、もしくはJRの京田辺駅。そこからバスで30分。
#***逆に、30分で着くのかと驚いてしまった。
#***太陽が丘には10分で着きます。
#発音を「うじだわら」だと思われている(本当はうじ’た’わら)。
#化石がとれる場所がある。
#永谷園の創業者の地元
#*永谷宗円さん。その生家の藁葺き屋根のお家が今でもきちんと残されている。
#**永谷宗円の功績はなんといっても宇治製法を編み出したこと。これで色・香り・味の三拍子揃った煎茶が誕生した。
#**製茶道具や焙炉を今でも大切に保存している。完全に資料館になっている。
#唯一の中学校、維孝館(いこうかん)中学。名前的に立命館と関係あるように思われるもまったく関係なし。
#*「惟れ孝に兄弟に友に克く有政に施す」という中国の故事にちなむそうな。
#*中学の中に駐車場が在る。結構広い。
#*門はなんでも東洞院三条の曇華院(現在は嵯峨野へ移転)からパクったらしい。
#**その門は中学のものではなく、田原小学校の正門。
#*なお学校最寄りのバス停は「維中前」という省略形。折り返し場があるので宇治田原方面のバスの行先に出てくる。
#{{国道|近畿|307}}唯一の酷道は奥山田に残る。
#*酷道というと和束町や笠置町に通じる府道62号が知られるが、通行量が意外とあるのでカーブは徐行した方がよい。
#*細かいこというと、その62号は酷道というよりかは“腐道”にあたります。
#お隣りの[[大津市]]とを結ぶ[[滋賀の交通#783号宇治田原大石東線|府道783号]]は意外と走りやすい。
#*その府道、実は古代の東山道の成れの果てだったりする。言い換えると今よりも奈良時代・飛鳥時代のほうが立派な道だった。
#[[日本郵政グループ#日本郵便の噂|JP]]は[[京都駅]]北西側にある京都支店(〒600-8799)の直配区域。
#宇治川ライン沿いのものすごい山の上に、高尾という隠れ里があってビビる。
#[[新名神高速道路|新名神]]のICができる予定。できるのはまだまだ・・・
#公共交通機関が京阪バスしかないため、足元を見られて運賃がやたらと高い。宇治、田辺へは自転車でも行けないことはないが、峠でトラックに轢き殺されるのでやめたほうがいい。
#町内にある正寿院にはハート型をした「猪目窓」がある。
#*これが元で恋愛運上昇のパワースポットとして火がついた。
#*なぜか、正寿院では、ヨガ体験イベントが不定期で開かれている。
#何気に[[甲賀市#信楽の噂|信楽]]と隣接している。
#リンデンバウムのパンが美味いと地元では評判。


===津和野城===
==相楽郡の噂==
[[画像:TsuwanoCsl00.jpg|240px|thumb|急峻な山の上に建つ城]]
#もはや存在自体が噂。
[[画像:TsuwanoTown00.jpg|240px|thumb|津和野城から見た街並み。赤瓦が目立つ。]]
#そうらく、さがなか、さがら。読み方がいっぱい。
*所在地:[[島根/石見#津和野町の噂|津和野町]]
#24時間のコンビ二が皆無。
#山城。山の上にあるので登るのに一苦労、だが、リフトもあるよ。
#*2007年3月現在、各市町村にコンビニはあるが、ファーストフードは木津川と精華にしかない。
#尾根沿いに石垣が残る。
#通常24時間営業のはずのFCのファミレスも朝9時を過ぎないと営業しない。やる気なさすぎ!!
#何よりも足下に広がる津和野の街並みが良い。ミニチュアみたい。
#携帯が圏外の場所が多すぎる。電波にすら相手にされていない。なんとかしてくれ!!ほんま携帯の意味ないし!!
#津和野は城下街の風情が良く残っていて良い。当時の武家屋敷や町人屋敷などは門くらいしか残っていないけれど。
#*和束や南山城のあたりは確かにそうだが、京田辺や山城のあたりになるとほとんどの場所で通じる。
#城主は鎌倉時代から関ヶ原後まで居た吉見氏と、その後つかの間居た坂崎氏(宇喜多氏の流れ)、亀井氏(尼子の家臣の流れ)と長期間存在した城にも関わらずたった3氏だけ。でもって中国地方の人ばっかり。
#**京田辺はもともと相楽郡じゃなかったぞ。
#*因みに、この亀井氏の嫡流は[[国民新党|郵政解散でできた政党]]に居た両亀井のうち、静かな方の亀井さんである。まあ、静香な方の亀井さんも傍系らしいんだけど。
#相楽郡を田舎呼ばわりするが、相楽郡が合併したら人口が10万を超えて、宇治市に次ぐ3番目の市になるって知ってた?
#*坂崎氏ってのは一代で断絶になるのだが、その人(坂崎直盛)は宇喜多家を内戦状態にして関ヶ原の戦いで東軍が有利になるようにしてしまった人物。宇喜多家時代から、並の中小大名よりも格上だったらしい。
#*人口が何人でも田舎は田舎。人口が少なくても都会は都会。
#**この坂崎直盛という人は[[近畿の城#大阪城|大阪夏の陣]]の時に[[女子伝/戦国#千姫|千姫]]を助けて[[徳川家康|タヌキ]]の許しを得て許嫁になりかけたにもかかわらず、その時の火傷を千姫に嫌われたというかわいそうな武将である。
#*相楽郡は新興住宅地が多く、その住民のほとんどは大阪等の都会からマイホームを求めて越してきた人々で都会人たち。
#**しかも、それでもめげずに、千姫と京都のお公家さんとの縁談をまとめて婚約まで取り付けたのに、千姫が坂崎が嫌いなばかりに、それを破談にさせるべく本多忠刻に嫁ぐと急遽決める。
#**都会にあこがれて大阪の賃貸住宅に住み着いてる田舎者よりはよっぽどセンス良し。
#**それでは、流石に武士の名が廃ると焦った&腹立てた坂崎は怒って、千姫拉致を画策するもバレてタヌキにキレられて改易を食らった可哀想にもほどのある人物である。
#*新興住宅が多いのは旧木津町と精華町のみ。
#♪城跡から見下ろせば 青く細い川 橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突… さだまさし氏の「案山子」はここが舞台。
#**旧木津町・精華町とその他の地域のギャップが激しい。
#*いずれにせよ不便極まりないから、やっぱ田舎だ。
#「下狛」や「狛田」は精華町にあるのに、「上狛」だけなぜか木津川市(旧山城町)にある。
#*「下狛」に行きたいからと、JR木津駅から京都行きに乗っていった酔っ払いがいた。
#このあたりはどこまでが京都府でどこからが奈良県かよくわからない。
#*旧木津町・旧加茂町・笠置村・南山城村は生活圏も雰囲気的にも殆ど奈良と云っていい。
#**走ってるバスも[[奈良交通]]だし。
#*特に笠置町と南山城村は電話の市外局番も奈良と同じ(0743)。
#**だが、郵便番号は奈良の630ではなく619。
#精華町を除いて住民みんなが茶を作っているイメージがある。
#*実際にはそんなこと無いのは分かっているけど、茶のイメージが強い。


==[[岡山]]==
===精華町の噂===
→[[岡山の城]]
→[[精華町]]


==[[広島]]==
===笠置町の噂===
===広島城===
*関連項目:[[近畿の城#笠置山城|笠置山城]] [[京都の寺院#笠置寺|笠置寺]]
[[ファイル:広島城天守閣.JPEG|thumb|240px|水堀と天守閣]]
#加茂発亀山方面行きのJR関西本線に乗ってて笠置駅を発車して間もなく木津川を挟んで向こう岸に見える廃墟ホテル(廃墟マニアの間では超有名物件である)は、一体いつ頃潰れたんだろうな。(個人的な意見ですまん。)
[[ファイル:広島城太鼓櫓.JPEG|thumb|240px|太鼓櫓]]
#夜中に笠置山に登って写真を撮ると、オーブが写る。
*所在地:[[広島市/中区]]
#*結構有名な心霊スポットですよね、1.の廃墟とならんで。
#毛利氏によって建てられる。毛利氏の本拠だった。
#*その昔、この[[近畿の城#笠置山城|笠置山]]には[[天皇伝#後醍醐天皇(第96代)|後醍醐天皇]]が居た。今でも後醍醐天皇御腰掛けの岩なる岩がある。
#*と、いうイメージが強いが毛利元就の孫の輝元が建てたので、元就公とはゆかりはありません。
#**「後醍醐天皇御腰掛けの岩」ってなんで、google入力だと最初から予測候補で入ってるんだろ?
#福島正則が改易された原因。
#相楽郡の中で唯一、明治22年の市町村制以来、どことも合併したことがない。
#*台風だかで崩れた石垣の補修を幕府に届けてなかったのを咎められたとか。一説には届けていたけど通じてなかった説も。
#*全国でも他には福島県[[檜枝岐村]]、埼玉県[[蕨市]]、[[長野/佐久#北相木村の噂|長野県北相木村]]、長野県南相木村、[[兵庫/東播磨#播磨町の噂|兵庫県播磨町]]くらいしかないのでは?
#板張りの茶色っぽい城。
#**近隣地域では京都府向日市、京都府大山崎町、大阪府島本町も明治22年の市町村制以来合併していない。
#原爆で倒壊した天守閣の部材は薪などに再利用された。
#**合併未経験市町村は、実は書ききれないほどたくさんある。明治22年には町村制施行されていないが、北海道には多い。
#日清戦争の際には大本営が置かれた。
#南山城村より人口が少ない。
#*現在その名残は建物跡の基礎と石碑くらい。
#*というか京都府内では最も人口が少ない。
#石垣の一部が原爆の熱線で焦げている。
#飛び地の形が特徴的な複雑さ。
#別名「鯉城」。
#市外局番は[[生駒市]]や[[大和郡山市]]と同じ0743。
#*広島では企業名などでおなじみ。
#*昭和の頃は074395と6桁だった。
#*なにより[[広島東洋カープ]]の名前の由来である。広島県民およびカープファンなら常識。
#府道4号は1桁腐道。
#太鼓櫓等々もなかなかいい感じに復元されている。
#加茂~亀山間はローカル区間で一時間一往復。しかしJRのローカル駅は今でも喫煙可能。
#城の縄張りの内側に護国神社がある。
#2017年10月、この町を舞台とする映画が公開された。その名も「笠置ROCK!!」。
#*いかにも県庁所在地の城址という感じ。
#*音だけ聞くとちょっとかっこよさげだけど、巨岩だらけの町だから「カサギロック」ってのが、なんとも言えない田舎感を醸し出す。
#電車賃ケチって市電に乗らず新白島から歩いていくと、普通の住宅街の間を走る幹線道路を10分くらい歩いたら、目の前の堀越しに天守閣があって、ちょっと戸惑った。
#近年、はちみつが名産品となりつつある。
#*というのも一般的に大都市の城跡って、そこそこのビジネス街を抜けていかないとたどり着けないから。
#*はちみつを使ったビールまで製造し始めたらしい。駅近くのカフェ「ステーション」で買える。
#*某高校からは窓の向きにもよるが、毎日広島城天守閣を見ることができる。ただし大阪城とかと比べたら雲泥の差があるが・・・


===福山城===
===南山城村の噂===
[[画像:FukuyamaCsl00.jpg|240px|thumb|駅のそばです。]]
[[南山城村]]
*所在地:[[福山市]]
#意外と徳川さんには重要視されていたようで、この城の主は松平家とか水野家のように、元を正せば[[徳川家康|家康]]の親戚筋(母方)に当たる家か前の老中の子供などが多い。
#*水野さんが入った時は既に一国一城令が出ていたにもかかわらず、新規築城を許された珍しい城であった。
#*備前以西のエリアの幕府備蓄米の統括管理も担っていたらしい。[[長崎/対馬|対馬]]で大火事があった時もここから救援米が出されたとか。
#*勤皇派で恭順の意思を示してあったにも関わらず、幕末に新政府軍に攻めこまれたのは、毛利の徳川への恨みの捌け口にされたかららしい。
#**この時は、家老が機転を利かせて広島藩主の子供を跡目に据えて、御家だけは助けてもらったとか。
#*おかげで江戸時代には地方にしてはありえないくらい水道網が発達していたらしい。神田や赤穂と並んで三大上水と呼ばれていたとか何とか。尾張の御用水の立場はどうなる?
#福山大空襲の影響で残された遺構は少ないが、残っているものはどれも歴史と風格あるものである。[[画像:福山城伏見櫓.JPEG|thumb|120px|伏見櫓]]
#*伏見櫓は、元々[[近畿の城#伏見城|伏見城]]にあったものである。
#**伏見櫓は2代将軍秀忠公からの貰い物。秀忠の下賜品の中で、一番高級な品なんじゃなかろうか?
#**地味だけど丸亀城とか宇和島城の天守閣とかよりも贅沢な感じがする。
#**ところでこの櫓を新幹線ホーム以外から撮影しようと思ったらどこから撮るのが一番ベストなんだろうか。情報をお持ちの方はぶら下げコメよろ。
#*筋鉄御門も伏見城からの移築である。[[画像:筋鉄御門.JPEG|thumb|120px|筋鉄御門]]
#**と盛んに謳われているが、近年はそれはガセネタであると見るのが一般的な歴史学者の見解らしい。でも福山市民は、あくまで伏見城から移築されたものと信じて疑わない。どっちにしたって重要な文化財であることには変わりないのにね。
#**なんだかんだ言っても結構な風格が漂う。頑丈そうな門の雰囲気が非常によろしい。
#模擬天守はエレベーターこそ無いものの近代的な内装で、単なる博物館と化している。
#*もとの天守は、台座のサイズは岡山城や広島城より小さかったものの、最上段のサイズはソイツらよりもデカかったらしい。
#*この模擬天守。東側から見ると石垣もあって風格のある感じがするが、南側から見るとどことなくちゃちい感じがするのは気のせいだろうか?
#表面は結構、硬い雰囲気が出ているが、裏側は、守りがめちゃくちゃ甘そう。
#*神辺側からなら容易に攻め入れそうな雰囲気さえ有る。
#おそらく日本で最も新幹線の駅に近い城。
#*ただし三原城や長岡城のような駅が城跡にあるケースを除外した場合。
#**三原駅って、そんなことやってたの。なんちゅう文化財破壊。
#**除外しなくても問題なし。それを言ってしまえば、福山城三の丸跡地の真上に立つのがJR福山駅であるという屁理屈も成り立つ。
#映画「転校生」に、デートスポットとして出てくる。
#*あの映画、[[尾道市|尾道]]が舞台なのに[[城郭風建築物#尾道城|尾道城]]は出てこないんだよね……
#天守閣は、確かに美しいが、それを見終わったら帰りしなには是非、湯殿の前の小庭を見ていってください。[[画像:福山城湯殿.JPEG|thumb|120px|御湯殿(復元)]]
#*近代的な博物館を見たために失われたあなたの古への想いが少し取り返せるかも。
#*まじめに書くと小奇麗な前庭と、伏見城から来た湯殿が、小奇麗で、単に私が天守閣よりも好きなだけのことなんだが。
#*実は戦時中空襲で焼けたため今あるのは復元物。元々あったのは国宝だった。
#新幹線の高架用の鉄筋コンクリートの柱が見事に石垣を突き破っている場所があったりする。
#*そもそもそれ以前に、在来線の府中行きホームが堀の跡地の真上だしなあ。本丸が残っただけでもマシと思うべきなんだろう……


===鞆城===
===和束町の噂===
*所在地:福山市[[鞆の浦|鞆町]]
[[和束町]]
#室町幕府のラストエンペラー・足利義昭公が落ち延びてきた城。
#小高い岡の上にある公園という感じ。資料館もあるよ。
#石垣とかは残ってなかったはず。石垣に使われてた石は転がっているけど。


===三原城===
[[Category:●城]]
[[ファイル:三原城・三原駅.JPEG|thumb|240px|駅と合体した天守台]]
*所在地:[[三原市]]
#村上水軍と親戚だった[[戦国武将/か行#小早川隆景|小早川隆景]]が造っただけのことはあり、水を意識した造りである。
#*満潮になると城が浮く。
#*干潮でもある程度のサイズの船なら入って来られる様になっている。
#**これは、[[中国地方の河川#沼田川|川の水]]を引き入れて繋いだりしていたからなせる技である。
#***ところが、後にこれが仇となる。(後述)
#*隆景は、秀吉の命で筑前を所領にした後も、この城を気に入っていたらしい。家督を秀秋に譲った後は、ここへ隠居して再び造成に精を出した。
#*その後、福島、浅野と広島藩の物になるが、必ずといっていいほど、重鎮が常駐していた。
#**この時代には三原支藩3万石が置かれたが、3万石には不釣り合いな城と言われまくったらしい。
#**しかも、なぜか、外様の城にもかかわらず一国一城令の影響を受けていないという謎がある。
#明治維新後は、中国地方の拠点として帝国海軍が常駐して糸崎とともに軍都化しようとしたが、前述した沼田川のせいで御破算になる。
#*川の堆積作用で、軍艦が使い物にならなくなると踏んだかららしい。
#*結局最後は、城の石垣の石を一個単位で売るなどの究極の競売にかかり、隆景以下、数多くの武将に愛された、三原城はその生涯を終えた。
#**[[近畿の城#膳所城|膳所城]]みたいなコトしてたんだな。
#新幹線が天守台を貫いていることで有名だが、新幹線ができる前ですら、雑草に覆われたまま放置されていた状態だったらしい。
#*中途半端に水堀と天守台が駅前広場の一部のように残されているのが、悲しいのだが、慣れというのは恐ろしいものでここまで同化していると逆にそれが普通に見えて、天守閣の再建なんかをやってしまうと、多分、逆に気持ち悪くなる。
#*天守台に上がろうと思うと、一度[[広島の駅/備後#三原駅の噂|三原駅]]の構内に入らないといけない。こんな城、日本全国でここくらいやろ。
 
===吉田郡山城===
*所在地:[[広島/安芸#安芸高田市|安芸高田市]]
#毛利元就の城として有名。
#*町全体で毛利押し。
#*こんな田舎の山城から中国地方の覇者になった元就はやっぱり凄いわ・・・。
#広島バスセンターか[[広島市の駅#横川駅の噂|横川駅]]から吉田営業所行きのバスで行くのが一番ラク。1時間半かかるけど。
#山城なためけっこう登る。
#*通は下の方はそれなりに整備されているが、本丸付近は手をつかないと昇り降りできない場所が幾つかある。
 
==[[山口]]==
===岩国城===
[[画像:岩国城.JPEG|thumb|180px|偽天守閣]]
*所在地:[[岩国市]]
#観光パンフなんかで、錦帯橋のバックに写っているお城がこれ。
#*写真では橋の後ろにそれなりに大きく写っているが、実際に見ると意外と遠くて小さい。あの手の写真は結構引いて取っているはず。
#*天守閣復元の際には麓からの見栄えを重視して本来の位置から若干ずらした。
#**そのため現在の天守閣のそばにもう一つ天守台がある。
#*昭和期の再建らしく、岩落としは付いてるものの銃眼が小窓のよう。まあ、7年しか存在しなかった城の銃眼がどうだったかなんて分からないだろうけど。
#山城。山の上に天守閣。ロープウェイで登れます。
#ここに入った吉川家が支藩(半独立状態)になれたのは明治維新よりも後に明治天皇の御声がかかってからのことである。
#案内板が極めて不案内。実を言うと錦帯橋の近くの吉香公園から城の直ぐ側まで直登するルートもあるのに、何故か案内板ではそのルートの存在が抹消されている。恐らくその目的はロープウェーへの誘導。
#*紅葉谷経由という無駄に遠回りで時間のかかる林道コースのみは流石に舗装路だからというのもあるのだろうか? きちんと案内が出ていたりする。
#**朝は地元の方のウォーキングコースである。
#*因みに直登するルートを下ってみたところ、そこそこ急斜面ではあるものの城から吉香公園まで12分で下りられた。ある程度歩き慣れた人は是非このルートでどーぞ。
#*いやいや、案内板に載せないのは妥当。あまりにも山道過ぎて全く万人向けでは無い上に、夏場には蜂も出るらしいし。
#錦帯橋からロープウェイまでは観光地が集まっている。
#*岩国徴古館は無料。2016年からは、事実上最後の岩国領主・吉川経幹を中心に、幕末の岩国情勢を[[男性声優ファン/た~わ行#若本規夫ファン|若本規夫]]氏がいつもの巻き舌で解説してくれる映像が流れている。
#*土産物屋だけじゃなくて、一応 昔の武家屋敷のあとや神社などがある。
#麓の吉香公園に石垣っぽい感じの台があったりするが、歴史的なものではなく、オブジェだったりするので注意(景観に配慮してああいうものになったと思われる)。
#天守閣は下層よりも上層の方が大きく張り出している部分のある南蛮造り。2ヶ所くびれているのだけれど、左上の写真を見ればわかるかな?
#上記にもあるが、関ヶ原後に建てられたが天守閣は完成後7年だけで廃城。なのに日本百名城に登録されている。[[北陸の城#高岡城|高岡城]]も同様だが。
 
===萩城===
[[画像:HagiCsl.jpg|240px|thumb|城下町の方が有名かも]]
*所在地:[[萩市]]
#平山城。麓にも山頂にも石垣が残る。
#*山頂は2、30分くらい登るので、あんまり人が来ないかも。
#山の上の本丸には石垣に使うために割ろうとしたくさび跡のある石が残っている。
#入場料を取られるが、出入り口が2つあり、通り抜けが出来るように自転車はそのまま入って良い。
#*入場料を取られずに済む裏口があるような気がするのだが…
#城下街も街並みや武家屋敷、商人の屋敷が残されていって良い。
#*曰く、江戸時代の地図がだいたいそのまま使えるほど残されているのだとか。
#**江戸時代の地図を使って町歩きをするイベントも行われている。
#*変わったところといえば、市内へ入ってくる国道と県道くらいなもんらしい。
#*城下町には夏みかんの木がたくさん植わっている。最近(かな?)山口県土産に使われるようになっている夏みかんは元々この城下町で武家が植えていたのが発祥とか。
 
===且山城===
*所在地:[[下関市]]
#一つは、大内義長の最期の地と言って良い山城。
#*結構な山の中に石垣がぽつりとあるだけ。<!--言いすぎたかな-->
#もう一つは、その近所にある幕末の城。
#*通称勝山御殿。御殿にしては、立派すぎる規模。
 
===高嶺城===
#所在地:[[山口市]]
#山口県庁の裏山にある。
#*場所を考えると、跡地に[[城郭風建築物|城郭風]]スーパー銭湯でも建てりゃ、[[温泉スポット#山口|湯田温泉]]のいいお湯を堪能しながら戦国浪漫とやらに浸れそうだ。
#大内義長の築城。
#完成前に攻められたので、本来の実力を発揮せず陥落。
#*立地条件としては絶妙なのが惜しまれる。
#*でも、大内輝弘の乱の時は、大内輝弘を撃退している。
 
 
[[Category:日本の城|ちゆうこく]]
[[Category:中国地方|しろ]]

2021年5月28日 (金) 16:30時点における版

山城地方の噂

向日 京   都
長岡京
大山崎
八幡 久御山 宇治

京田辺 城陽 宇治田原
井手
精華 木津川 和束
笠置
山城
奈良
  1. JR奈良線という名前なのに、95%京都府を走る。しかも正式な奈良線は100%京都府。(京都駅〜木津駅:JR奈良線、木津駅〜奈良駅:関西本線)
    • 百歩譲って「奈良に向かう線」という意味ではぎりぎり通るか?(曖昧)
    • 水戸市を通らないJR水戸線があります。
    • みやこ路快速は珍しく普通区間がないのだが大和路快速が停車する平城山にも停車しない。京都~奈良間は近鉄の圧勝だが当面の課題は全線複線化だろう。
    • みやこ路快速で京都へ行く時、棚倉駅で行き違い停車するのが時間掛かる。休日でも宇治駅で観光客は殆ど降りてしまい、奈良までガラガラになる。奈良へ行く観光客は近鉄利用だな。
    • 福知山線も福知山駅以外の駅は全部兵庫県。
  2. 快速系電車の停車駅は、通勤時に少なく昼間は多目に(途中から各駅になったり)なるが、JR京都〜奈良間では昼間の方が停車駅が少ない。
    • 近鉄京都線も急行より速い快速急行は昼間のみの運転だった(有料特急に乗る客が減るので快速急行は廃止)。
      • ちなみに近鉄は全線複線だが、JRは城陽以南は単線。京都市内の一部もガケ沿いを走るため単線。
      • 前方後円墳のど真ん中をぶっちぎっている所もある。
        • 上狛駅~棚倉駅の間だね。
      • しかも30分に1本だったから利用するチャンスが少な過ぎた。
        • 京都線急行はLCカーの運用があっても京都駅が手狭で終日ロングシートの運用(2009年3月19日に京都線と橿原線平端以南からLCカーは撤退予定)。
    • そのJR・私鉄も含め人口規模のわりに意外と鉄道網は充実している(本数はともかく)。道路は酷いが。
  3. 京都・奈良間にある為、観光の殆どの人が通るんだがホントに通るだけでこの場所の記憶にも残っていないのが現状。
    • この地にも実は隠れた歴史的遺産は多いんだけどな・・・。
  4. 京都市内の人(旧市内)から京都ではないと思われている
  5. 木津や精華、加茂辺りはどっちかと言ったら奈良市大阪市の都市圏だ。
    • 他府県の人に場所を聞かれると説明に窮する。奈良市内にある高の原駅から通勤 or 通学していると特に。
    • 天気予報では京都府南部ではなく奈良県北部を参考にする。
      • 特に冬は。冬に京都市以北が雪でも木津や加茂では晴れているというケースもよくある。
    • 京田辺や、井手辺りにもある程度は言えるか…。
    • 奈良市や大阪市の…、ってか殆ど前者では?
    • 京田辺市から南は奈良のイメージが強くなる。近鉄沿線であるしエリア内を運行するバスも奈良交通
  6. その昔、かなりやばいくらい大きい『巨椋池』という池があった。
    巨椋池干拓地
    • 風水では平安京にとってかなり重要だった。埋めてから京都の凋落が始まった。
      • 埋め立てじゃなくて干拓。
    • 小学校の時の授業の話の中で少しだけ紹介された程度に聞いた話だが唯一、衝撃的な話だった。 最近、その話を思い出してネットでいろいろ調べてみたがかなり昔に埋め立てられてるため情報が少ないのですが、やっぱりありえないほど大きな池だったようです。 漁業も営まれていたとか。
      • 漁業を営んでいた人は補償金で金持ちになったとか。
    • そんなモンが残ってたら、湖山池を擁する鳥取市民が泣くと思う。
    • ちなみに「巨椋」は「おぐら」と読む。京滋バイパスのインター名にもある。だが、駅名・旧村名だと「小倉」と書く。
    • 槇島、向島はホントに島だった。
      • 淀も淀島って言うて島でした。上島とか…
      • そういえば中書島も近くにある。
    • 伏見は巨椋池に面した港だった。
    • 豪雨によって一時的に復活したことがある。
    • 宇治市内には木幡池という池が名残として残っている。
  7. 京田辺市と木津川市は地図で見てると隣接していると言えるのか微妙な感じだ。
  8. 京都市民からは宇治より南は奈良だと思われていた・・・
    • 大阪府民も思ってます。
    • 高槻市や枚方市の方が京都っぽい。(by大阪府民)
    • 高槻市、枚方市、島本町は、京都にあげてもいいような・・・
  9. 高槻や枚方、島本は京都府であっても正直違和感がない。木津川、精華は奈良県であっても正直違和感がない。(by大阪市民)
  10. 当たり前といえば当たり前だが、由緒正しき古刹が点在している。
    • だが、京都と奈良という二大拠点に挟まれている関係で全然目立ってない。来るのは基本的にウォーキング兼ねてやって来る京阪神・奈良の中高年か、京都・奈良に飽きたマニア位なもん。完全に通過点として見られているのがまるわかり。
        • けいはんなや松井山手、八幡の男山地区など、京都・大阪のベッドタウンとして扱われがち。
  11. 山城といえど市内、乙訓、宇治・城陽、南山城、田辺・八幡とそれぞれ微妙に空気が違う。
    • とりわけ、市内と乙訓とそれ以外の差は顕著。山背という感じがするのは、それ以外の地域で、乙訓は竹やぶと住宅街しかない感じ。因みに市内でも西京区は実質乙訓。
      • 南区と伏見区も桂川以西は実質乙訓。
      • 京都府も乙訓の独立性を認めているのか、京都市外を「もうひとつの京都」とし、山城地方を「お茶の京都」、丹波を「森の京都」、そして、丹後を「海の京都」とPRしている中、何故か乙訓だけはどれにも属さない「竹の里・乙訓」として並列させている。
  12. 大阪湾から来た湿った海風が丁度この辺りで行き場を無くすため、夏場は積乱雲が発生しやすく、激しい雷雨に見舞われることが度々ある。
    • 対照的に少し南の奈良市・生駒市辺りは風が生駒山に遮られるため、昔から渇水に悩まされて来た。
  13. 意外だが、このエリアには京都市を除いて100平方kmを超える面積の市町村が存在しない(最大の木津川市でも85平方km)。
    • 丹波・丹後と違い平成の大合併が殆ど無かったため(唯一合併で出来た木津川市も合併の機運は皆無な中合併した謎の合併と言われている)。
  14. 京焼に欠かせない土の生産地。
    • 機嫌を損ねると最終的に自分たちの茶席の楽しみが減ってしまうため、洛中の一部の人間は密かに恐れていた。
  15. 実は同じ宇治茶と言えど、地域によってイチオシになる茶の種類は異なる。
    • 例えば、京田辺の宇治茶は農家の丁寧な茶園管理と製茶技術の強みから玉露で飲むのが美味しいとされる一方、城陽の宇治茶は木津川河川敷という肥沃な土砂の入り混じった砂地での栽培が大半であることから碾茶、そして碾茶を元に精製される抹茶で飲むのが良いとされる。

主な市町村の噂

乙訓郡の噂

乙訓地域には竹林が多い
  1. 京都や伏見、宇治ほどは華やかではないものの、乙訓も京都府内らしく由緒正しき神社や寺がそこかしこに存在する。
    • また、大阪湾から川を遡上してくると行き着く盆地に入ってすぐのちょっとした丘陵地であったという立地が影響してか、弥生時代の遺跡や古墳時代に設けられた古墳などの史跡が数多く点在する。
      • 現時点で世に出ておらず発掘されてないものや、これまでの長い年月の造成の結果消えていったものも含めたらとんでもない数になると思われる。
  2. 高槻の裏側から、嵐山まで続くでっかい竹やぶ群は有名。
    • その影響で乙訓エリアの名産は筍と相場が決まっている。実際街中いたるところに筍専門店が存在する。
  3. 桓武天皇の長岡京や継体天皇の弟国宮があったとされている。いまでは都だった面影はないけど…。
  4. 今は京都市に含まれる、南区の久世や洛西ニュータウンのある辺りもかつては乙訓郡に属した。
    • 伏見区の羽束師や久我も乙訓郡だった。
  5. 旧乙訓郡域は北摂の延長線上。

大山崎町の噂

大山崎町

久世郡の噂

  1. 「く」ではなく、「く」(昔は「くぜ」だった?)。
    • まだ「せ」と読めるからイイけど、比較的近い場所に「久我(こが)」ってのがあるからなぁ・・・(京都市内だけど)
  2. 旧・久世村(こっちは「く」)は久世郡にはなかった(1959年まで乙訓郡にあった)。
    • 1889年当時は久世郡久世村もあったが、平川村と上津屋村が合併し久津川村となった。近鉄京都線の久津川駅(1928年開業)がある。現在の城陽市北部。

久御山町の噂

久御山町へ。

綴喜郡の噂

  1. 読みは「つづき」。
  2. 八幡市や京田辺市も綴喜郡だった。

宇治田原町の噂

町内にある「正寿院」の猪目窓をPRするポスター
  1. 宇治田原町の話題が宇治市のほうに持っていかれている。平成の大合併で宇治市になったとでも思っているのか?
    • 勘違いの話だから移動する必要はなさそうです。
    • NHK京都放送局のアナウンサーまでも「うじ・・たわらちょう」と読む。
    • 宇治田原には鉄道が無いようです(さすが田舎)(京都市民)
      • 最寄は近鉄新田辺駅、もしくはJRの京田辺駅。そこからバスで30分。
        • 逆に、30分で着くのかと驚いてしまった。
        • 太陽が丘には10分で着きます。
  2. 発音を「うじだわら」だと思われている(本当はうじ’た’わら)。
  3. 化石がとれる場所がある。
  4. 永谷園の創業者の地元
    • 永谷宗円さん。その生家の藁葺き屋根のお家が今でもきちんと残されている。
      • 永谷宗円の功績はなんといっても宇治製法を編み出したこと。これで色・香り・味の三拍子揃った煎茶が誕生した。
      • 製茶道具や焙炉を今でも大切に保存している。完全に資料館になっている。
  5. 唯一の中学校、維孝館(いこうかん)中学。名前的に立命館と関係あるように思われるもまったく関係なし。
    • 「惟れ孝に兄弟に友に克く有政に施す」という中国の故事にちなむそうな。
    • 中学の中に駐車場が在る。結構広い。
    • 門はなんでも東洞院三条の曇華院(現在は嵯峨野へ移転)からパクったらしい。
      • その門は中学のものではなく、田原小学校の正門。
    • なお学校最寄りのバス停は「維中前」という省略形。折り返し場があるので宇治田原方面のバスの行先に出てくる。
  6. 国道307号唯一の酷道は奥山田に残る。
    • 酷道というと和束町や笠置町に通じる府道62号が知られるが、通行量が意外とあるのでカーブは徐行した方がよい。
    • 細かいこというと、その62号は酷道というよりかは“腐道”にあたります。
  7. お隣りの大津市とを結ぶ府道783号は意外と走りやすい。
    • その府道、実は古代の東山道の成れの果てだったりする。言い換えると今よりも奈良時代・飛鳥時代のほうが立派な道だった。
  8. JP京都駅北西側にある京都支店(〒600-8799)の直配区域。
  9. 宇治川ライン沿いのものすごい山の上に、高尾という隠れ里があってビビる。
  10. 新名神のICができる予定。できるのはまだまだ・・・
  11. 公共交通機関が京阪バスしかないため、足元を見られて運賃がやたらと高い。宇治、田辺へは自転車でも行けないことはないが、峠でトラックに轢き殺されるのでやめたほうがいい。
  12. 町内にある正寿院にはハート型をした「猪目窓」がある。
    • これが元で恋愛運上昇のパワースポットとして火がついた。
    • なぜか、正寿院では、ヨガ体験イベントが不定期で開かれている。
  13. 何気に信楽と隣接している。
  14. リンデンバウムのパンが美味いと地元では評判。

相楽郡の噂

  1. もはや存在自体が噂。
  2. そうらく、さがなか、さがら。読み方がいっぱい。
  3. 24時間のコンビ二が皆無。
    • 2007年3月現在、各市町村にコンビニはあるが、ファーストフードは木津川と精華にしかない。
  4. 通常24時間営業のはずのFCのファミレスも朝9時を過ぎないと営業しない。やる気なさすぎ!!
  5. 携帯が圏外の場所が多すぎる。電波にすら相手にされていない。なんとかしてくれ!!ほんま携帯の意味ないし!!
    • 和束や南山城のあたりは確かにそうだが、京田辺や山城のあたりになるとほとんどの場所で通じる。
      • 京田辺はもともと相楽郡じゃなかったぞ。
  6. 相楽郡を田舎呼ばわりするが、相楽郡が合併したら人口が10万を超えて、宇治市に次ぐ3番目の市になるって知ってた?
    • 人口が何人でも田舎は田舎。人口が少なくても都会は都会。
    • 相楽郡は新興住宅地が多く、その住民のほとんどは大阪等の都会からマイホームを求めて越してきた人々で都会人たち。
      • 都会にあこがれて大阪の賃貸住宅に住み着いてる田舎者よりはよっぽどセンス良し。
    • 新興住宅が多いのは旧木津町と精華町のみ。
      • 旧木津町・精華町とその他の地域のギャップが激しい。
    • いずれにせよ不便極まりないから、やっぱ田舎だ。
  7. 「下狛」や「狛田」は精華町にあるのに、「上狛」だけなぜか木津川市(旧山城町)にある。
    • 「下狛」に行きたいからと、JR木津駅から京都行きに乗っていった酔っ払いがいた。
  8. このあたりはどこまでが京都府でどこからが奈良県かよくわからない。
    • 旧木津町・旧加茂町・笠置村・南山城村は生活圏も雰囲気的にも殆ど奈良と云っていい。
    • 特に笠置町と南山城村は電話の市外局番も奈良と同じ(0743)。
      • だが、郵便番号は奈良の630ではなく619。
  9. 精華町を除いて住民みんなが茶を作っているイメージがある。
    • 実際にはそんなこと無いのは分かっているけど、茶のイメージが強い。

精華町の噂

精華町

笠置町の噂

  1. 加茂発亀山方面行きのJR関西本線に乗ってて笠置駅を発車して間もなく木津川を挟んで向こう岸に見える廃墟ホテル(廃墟マニアの間では超有名物件である)は、一体いつ頃潰れたんだろうな。(個人的な意見ですまん。)
  2. 夜中に笠置山に登って写真を撮ると、オーブが写る。
    • 結構有名な心霊スポットですよね、1.の廃墟とならんで。
    • その昔、この笠置山には後醍醐天皇が居た。今でも後醍醐天皇御腰掛けの岩なる岩がある。
      • 「後醍醐天皇御腰掛けの岩」ってなんで、google入力だと最初から予測候補で入ってるんだろ?
  3. 相楽郡の中で唯一、明治22年の市町村制以来、どことも合併したことがない。
    • 全国でも他には福島県檜枝岐村、埼玉県蕨市長野県北相木村、長野県南相木村、兵庫県播磨町くらいしかないのでは?
      • 近隣地域では京都府向日市、京都府大山崎町、大阪府島本町も明治22年の市町村制以来合併していない。
      • 合併未経験市町村は、実は書ききれないほどたくさんある。明治22年には町村制施行されていないが、北海道には多い。
  4. 南山城村より人口が少ない。
    • というか京都府内では最も人口が少ない。
  5. 飛び地の形が特徴的な複雑さ。
  6. 市外局番は生駒市大和郡山市と同じ0743。
    • 昭和の頃は074395と6桁だった。
  7. 府道4号は1桁腐道。
  8. 加茂~亀山間はローカル区間で一時間一往復。しかしJRのローカル駅は今でも喫煙可能。
  9. 2017年10月、この町を舞台とする映画が公開された。その名も「笠置ROCK!!」。
    • 音だけ聞くとちょっとかっこよさげだけど、巨岩だらけの町だから「カサギロック」ってのが、なんとも言えない田舎感を醸し出す。
  10. 近年、はちみつが名産品となりつつある。
    • はちみつを使ったビールまで製造し始めたらしい。駅近くのカフェ「ステーション」で買える。

南山城村の噂

南山城村

和束町の噂

和束町