「大阪近鉄バファローズ」の版間の差分

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2014年6月15日 (日) 11:16時点における版

近鉄バファローズの噂

  1. 消滅騒動の時はお客さんがたくさん入った。
    • 殆ど、廃線直前のローカル線に群がる鉄道ファンみたいなもの。
      • 大阪ドーム最終戦だけを別にすれば、合併発表以降もそんなに言うほど大して入っていない(もしくは普段と代わりない)。ちなみに一番入ったのは大阪ドーム開業初年。
    • なお、最初にスクープしたのはどのスポーツ紙でもなく日経だった。
  2. 最後の優勝時(2001年)、御堂筋パレードを開催しようとしたが府知事に断られた。…が、2003年に阪神が優勝した際は一転府知事開催許可。
    • 怒り心頭かと思いきや今度は不良債権化して近鉄を消滅させる一因となった馬鹿高賃料大阪ドームに本拠地シフトでサヨナラ神戸。本当にファン度外視のチームだな合併球団よ。
      • まあ、合併先の親会社がドームを子会社にしてしまったのでね。
    • あの断られた理由って、知事が「自分は南海ファンだから絶対にそんなものはさせない」って押し通したからじゃなかったっけ?
    • 元々南海の街だから阪神が御堂筋パレードを開催するとき少しもめている。
    • 自分が南海ファンだからって…度量の狭い知事だね…。
    • 2003年の虎パレードは近鉄球団オーナーも出席…。この御仁は讀賣の優勝パーティーでも鏡割りに参加してたし。
  3. 巨人ロッテより弱い」と発言した選手がいたことで有名。実は西武全盛期に唯一パリーグ制覇したチーム('89年も西武が優勝していたら10連覇だったはず)。
    • 実際はマスコミの誘導尋問と作文であり、加藤哲郎選手自身ではそんな発言はしていない
    • でもこの発言のおかげで通算17勝の投手が解説者になれた。
    • いまや事実。(2006年交流戦での対巨人戦成績はロッテの6戦全勝)
    • 本人もいまやこの発言をネタにしている。
    • ここに彼がオーナーを務める焼肉屋がある。オーナーが直々に皿洗いする事も…。
  4. 「バファローズ」と口にした日には、生粋のバファローズファンに怒られたモノだ。(遠い目)
    • でも歌で聞くと“バッファローズ♪”としか聞こえない。(応援歌やレッドでハッスル~のCM等)語呂が悪いからか・・・
    • 元々は文字数を減らすため「ッ」を省略したそうな(当初は「ズ」もなく「バファロー」だった)。
      • 正確には「バファロー」ではなく「バッファロー」。千葉茂監督の愛称だった「猛牛」に因んで「パールス」から改名された。「ッ」が抜けたのは「バファローズ」に変更された後。
        • この「バファローズ」の由来が、元監督・故千葉茂氏のニックネーム「猛牛」によるものとはどれくらいのファンが知っているだろうか…。
    • 2004年の球団CMでも、あのマー坊が言ってたな。
    • オリックスに引き継がれた後もファンに怒られたりする。
      • オリックスとコラボの時の吉本新喜劇で、石田靖が「バッファローズちゃう、バファローズや!ちっちゃい「つ」は要らん!」と言っていた。
        • その靖は元々巨人ファンだったらしい。
  5. とにかく選手のケアに金をかけないチームだったらしい。それで愛想をつかした元選手多し。
    • 野茂に全面的に信頼されていた立花コンディショニングコーチを切ったのが典型例かな。
      • 立花コーチと入れ替わりに、走りこみと投げ込みしか指示しない鈴木が監督就任……。
        • 正しくは入れ替わりではなく、鈴木の監督就任1年後に辞めた。やめた理由はもちろん、鈴木と対立したため。
        • 野茂のメジャー行き、吉井のヤクルト移籍も、きっかけは立花コーチを切った鈴木との対立。精神論しか言わんアホの下には居られん、と。
    • 選手のケアの悪さもさることながら、フロントから「本社の人間来るからクルマどけろ」と言われて「なんじゃそら」とあきれた選手もいた。
      • 鉄道会社なんだから電車で来ればいいのに…
  6. 中村ノリの所為で潰れたと言われている。
    • 通称「汚いノリさん」。今の彼を見てると「人間、変われるモノなんだな」と思う。実は意識的にちょっと危なかったらしいけど(落合が一回説教して泣かせたらしい)
    • ノリがバファローズを潰したというのは誤解。このあたりの事情は『日本の論点2005年版・データファイル83』に詳しい。
    • もらう方(ノリ)ももらう方だが、よこす方(近鉄フロント)もよこす方では?ここみたいに堅実な経営すれば良かったのに…。
  7. 近鉄時代の日本一は、楽天は除き12球団で唯一未経験のまま消滅した。
    • 事実上楽天に受け継がれたが・・
    • 日本シリーズには4回しか出たことが無く、中日阪神横浜との対戦が無いまま消滅した。
    • その楽天も遂に日本一
      • 近鉄→楽天の中で最後の生き残りでもある牧田が良いタイミングで貴重なダメ押しホームランを放ったのも感慨深い。
  8. 最強の三振王がいたこともある。
    • 彼が出てくると「名古屋に帰れー」という中日ファンヤジが飛んだのも語り草。
    • 西武戦での四連発で「神」になった男。ライトな野球ヲタには「東京ドームのスピーカーにブチ当てた男」として有名。
      • ↑本塁打4連発は4打席連発。'89/10/12・対西武戦ダブルヘッダー(西武球場)で。
    • 神様・仏様・ブライアント様!
      • '88/10/19では「何で引き分けなんて制度があるんだ」と涙し、'89/10/14では大喜び。同僚達にこれでもかとばかりビール掛けまくり。
        • >「何で引き分けなんて制度があるんだ」と涙し ←それオグリビー。
  9. 優勝決定戦や日本シリーズでのエピソードに事欠かない球団。
    • 「江夏の21球」「10.19」「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定お釣りなしホームラン」等。あと決定ではないけど、先述のブライアント4連発も優勝のかかった大一番での話。
    • この節のNo.03もシリーズでのネタ。
  10. 本拠地を藤井寺から大阪ドームに移した直後、球場場内アナウンス担当を男性の人に替えた。
    • 男性アナウンスは不評だったのか、すぐに藤井寺のアナウンスの女性が復帰。
      • 結局、この女性が近鉄時代の最後までつとめた。藤井寺時代を含めて30年ぐらい場内アナウンスを担当されたのでは。
        • 2009年、ガンのため59歳の若さで逝去。2011年に合併先で近鉄ユニ復刻の試合があったが、もしご存命だったらその試合で場内アナウンスとして復活していたであろう…。とにかくご冥福をお祈りいたします。
        • 球団消滅後、そのまま勇退の予定だったが当時の仰木監督の誘いで北神戸での2軍の試合でアナウンスとして職場復帰。亡くなる前年まで、近鉄時代から実に40年も場内アナウンスを勤め上げた。
  11. 今思うと、ガラガラのスタンドで、野茂投手のピッチングが見られたなんて、なんとゼイタクなことか。
    • でも四球四球の連続でイラつかせてくれたこともあった…。
  12. プロ野球で唯一「町」を本拠地にしていたことがある球団。
    • しかし藤井寺では騒音を懸念して長らくナイター設備がつけられず、本拠地が藤井寺なのに'83年まで日生で試合をやることが多かった(日本シリーズは大阪球場)。
    • ただし地元の人の心は温かかったと、多くの本には書かれている。
      • その割にはナイター設備つけようとしたら地元住民に猛反対食らって裁判沙汰になったけど。
        • そもそも近鉄が藤井寺市を「藤井寺市=高級住宅街!」をウリにして宅地開発したからなぁ。上述の騒音やゴミポイ捨てなどのナイター公害恐れた住民が反対したのが真相かと思われ。
          • 長年の近鉄ファンにとっては近鉄フランチャイズ=藤井寺である。
  13. 地元マスコミには2002年以降球団合併が発覚するまで、徹底的に無視され続けてきたがその最もたるは2004年5月に鈴木貴久が亡くなった時、関西の一面で報じるスポーツ紙がなかったのに、なぜか東京版のサンケイスポーツの一面で報じられたこと。
    • 鈴木貴久コーチはファンの大「タカヒサ」コールに送られて天国へ召されました…(合掌)
  14. この人達にとっては有名な球団。
  15. 東京の草野球チームにここをパロった名前のチームがある。
  16. 2001年の優勝マジックが1になったとき、ラジオの応援番組でTHE ALFEEの「Victory」を流していたが、この曲、実はここの応援歌だった。
    • まさか3年後そのチームと全く同じ運命を辿るとはこの時は予想しなかったであろう…
  17. この球団の消滅後、近鉄グループは巨人びいきとなった。阪神と乗り入れするようになった今でも余り変わりないと思う。
    • 2008年10月に近鉄百貨店で「阪神応援感謝」ではなく「巨人優勝記念」のセールをやった。
      • 百貨店業界では阪神百貨店とライバルで、かつ巨人ヨイショの三越と提携しているからかも。
    • 阪神なんば線開通記念のイベントの一つで、報知新聞45周年を兼ねて「伝統の巨人・阪神展」が行われた。
    • かつてのライバル球団なので、ガッカリした人は勿論、吃驚した人も多かったはず。
    • 球団存在時から巨人とはOB戦やったりして仲はよかった。
  18. 現実よりもう少し球団が長続きしたら、阪神なんば線の開通によって、阪神と日本シリーズや交流戦の時に、近鉄電車で甲子園球場へ行けたかもしれなかった。
    • 2003年の、阪神と近鉄が強い時に両チームのファンは「大阪決戦」が行われるのを期待していた。
      • 実現したら大阪の街の盛り上がりは尋常ではなかったのだが…。鉄道ファンなら「日本最短営業キロ私鉄所有球団(阪神)VS日本最長営業キロ私鉄所有球団(近鉄)の対決」と言うだろうけど。
        • 最短(の大手私鉄)はここでは?
    • 球団があった頃にも「近鉄電車」で大阪ドームに行くこと自体はできた(東大阪線地下鉄乗り入れで九条下車)。
  19. マスコットの女の子の方のファルルはとてもかわいかった。
    • というか「近畿日本鉄道」っぽくなかった。阪急でも違和感がない上品さだった。
      • 豪快野球がウリの近鉄らしくない(?)萌えキャラ。
    • バフィリードだけ商標権がオリックスが保有。ファルルら(実は他にバルバロック(バル・男性)とカペロット(カペロ・子供)の2人がいた)は更新期限まで近鉄本社が保有。
      • 結局バフィーは使われることなくネッピー継続後、2011年新キャラクター登場。
    • 藤井寺日生時代はバッファくん。バット担いだ近鉄ユニ姿の少年。
    • そのバフィーとファルルは、近鉄つながりでパルケエスパーニャのドン・キホーテやダルシネアとコラボを果たしたこともある。
  20. 「野武士球団」と評されていた。
    • 長年の野球ファンに言わせると、近鉄の戦い方は凄まじくハチャメチャだったらしい。大連勝と大連敗の繰り返しだったとか。
    • 同じ表現は西鉄ライオンズに対しても使われていた。
      • 「シーズン終盤の大逆襲」・「逆転の近鉄」など。
        • でもそのハチャメチャぶりがファンに愛された。
      • 1980年には239本もホームランかっ飛ばして(当時の最多本塁打記録として日本一・現在はパ・リーグ記録)優勝した。 ここらあたりから「近鉄=豪快野球」のイメージがつき始めた。
    • 西本幸雄元監督も「近鉄は田舎の武士みたいなチームだった」と言っていた。
      • 西本近鉄時代マスコミは「お荷物」と書きやがった…(怒)
        • パールスからバファローズにチーム名変わって以降…9回に抑えの切り札出てきて「これは勝ったな」と期待するとダメ(サヨナラ負け)で期待しないと勝つ(相手の抑えのエースを打ち崩して大逆転勝ちなど)チームになった!
  21. 昔は近鉄「パールス」なんていう、かわいらしい名前だった
    • 鳥羽湾の真珠に因んだ名称。しかしプロ野球至上、もっとも弱そうなチーム名という汚名を被ることともなった。
    • 野球より女子サッカーの方が似合う名前だと思う。
    • まあ↓の通り、もっとも弱いチームだったわけだが。
  22. 1958年、史上最悪のチームとなった。
    • 勝率.238(引き分け除けば.23)、130試合中勝利数29(101敗)。まるで平凡打者の打率や最多投手の年間勝利数を見ているかのよう。 
    • この年はパールス最終年で、ユニフォームを一新していたが、いまやこのことは黒歴史。チンドン屋と主力選手がぼやいていた。
      • それでもオールスターには一人だけ出ていた。
        • 小玉明利さんやね
    • ついでに1961年にはシーズン103敗の日本記録も作った(試合数が増えたため勝率は.261)。
      • 日本球界史上、シーズン100敗以上の記録はこの年の近鉄のみ(1958年は29勝97敗4分け)。
  23. 近鉄の球団といえばここは出てくるが、もうひとつの近畿日本軍→近畿グレートリングは余り知られていない。
    • 後に南海ホークスを経て現在の福岡ソフトバンクホークス。戦時中に南海電気鉄道が近畿日本鉄道の一員であったことを示していた。
      • この合併が解消されずに南海が今でも近鉄グループだったら、近鉄バファローズは誕生してなかったかもしれない…近鉄ホークス?
        • そして阪急(の末裔)球団と合併した…まさにリアルレイルウェイズの歴史。
          • 日本プロ野球史上、巨人と阪神以外の球団で最初に日本一になった球団(の親会社)は近鉄。1946年、まだ1リーグ時代だが、この年優勝したのが当時、近鉄傘下にあった「近畿グレートリング」。かなり変則ながら「戦後初、平成初、21世紀初」の優勝三冠達成、
  24. 1966年、観客数150人の西武戦を藤井寺でしたことがある。
    • 西鉄戦かいな?
    • そう、西鉄戦。
  25. 当時の球団社長の暴言で親会社が嫌いになった人もいる。
    • そのまんま合併球団の親会社に精神が受け継がれているともいえる。
      • 近鉄主力打者の一人佐々木恭介氏(のち監督)は、入団後初めてグランドに集まった際、フロントの訓示で「お前達野球クラブの選手は」と言われ、頭に血が上ったそうな。こんなフロントだから球団社長の暴言が出るのも無理ない気が。
  26. オグリといって最初に思い浮かぶのはオグリキャップではなくオグリビー。
    • 活躍期間がほとんど同じだった。
  27. もう一つ、近鉄のプロ野球チームがあった。ただし、戦中
    • No23で記述済み。ちなみに戦中は「近鉄」という略称は使わず(近畿日本)。当時は「近鉄」といえば近江鉄道
  28. 2001年、何かが起こった!
  29. ’97年に本拠地を大阪ドームへ移転したが、ビジターユニフォームの基本色が赤と濃紺で、格好悪くなった(選手から着用拒否されかけた)。移転前のユニフォームは赤・白・紺の3色(ビジターユニはグレー・赤・紺)で、3度の優勝時に着られたゲンのいいユニフォームでもあった。
    • コシノヒロコデザインですな。福岡ダイエー初期の三宅一生デザインといい、有名デザイナーが作ると(ry
      • 2007年に同じ関西球団の交流戦限定ユニもコシノヒロコデザイン。結果はやはり不評だった様で。
  30. もうあまり目にすることがなくなった、あの猛牛マークは、岡本太郎さんのデザイン。
    • 岡本太郎と近鉄といえば「ラビットカー」のマークもあった。
  31. この球団が消滅していなかったら、讃丑歌はこの球団の応援で歌われていただろうね。
    • 曲は元ブルーウェーブ側のガガガSPのコザック前田との共作で、歌詞もブルーウェーブ系応援団と作ってるので讃丑歌すら誕生してなかったはず。
  32. 創立当時のメンバーに伊藤利夫という選手がいたが、戦前に六大学の早稲田で活躍、最後の早慶戦のスタメンに名を連ねるなどの名選手だったが、戦争を挟んでという事もあり、わずか2年で阪急に移籍、翌年引退する。引退後すぐに岐阜商で高校野球の監督となり2年目で甲子園に出場
    • ちなみにこの時の選手に後の巨人V9正捕手がいた・・・もし伊藤が後3年近鉄にいたら、近鉄は80年代後半から90年代にかけて2、3回は優勝出来たかも知れない。
  33. 2012年のマツダオールスター第一戦での、ノリの活躍で涙したファンも多い。
  34. ドラえもんの歌を聞いた時にマムシを連想した人は近鉄ファンだった可能性が高い。
    • 暴れん坊将軍のテーマソングを聞いて、思わず扇子を回しだした人がいたら確実に元近鉄ファン。
      • 横浜へ行ったノリさんの登場曲を聞いて、因果はめぐるもんだなあなどと思ったファンも居ておかしくない。
  35. オリックスとの合併で公式記録から消されたのは近鉄側のもののはずだが、現在のオリックスは近鉄色のほうがやたらと強い。
    • 応援団の趨勢とか本拠地とか……「消えたのは近鉄以上にブルーウェーブ」だとはよく言われたもの。

関連項目


プロ野球
セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
消滅球団:西鉄ライオンズ | フライヤーズ
阪急ブレーブス | 大阪近鉄バファローズ
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近畿日本鉄道
路線/奈良線系列(京都線/けいはんな線)
大阪線系列(山田線系列)・名古屋線系列
南大阪線系列勝手に新路線
車両形式別特急型大阪線・名古屋線用
奈良線・京都線用勝手に開発
列車種別特急(名阪)球団 偽モノの特徴