ページ「鳥取・島根のメディア」と「もし日本が戦後しばらくして権威主義化していたら/芸能」の間の差分

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==鳥取・島根のメディアの噂==
#2県合わせて民放テレビが3局。こうしないと田舎はやっていけない。気の毒だ。
#*[[宮崎のメディア|宮崎]]などに比べてはマシかもしれないがそれでも不満。
#**[[福井のメディア|北陸某県]]も2局です。
#*山陰両県より人口が少ない[[山形のメディア|東北某県]]や[[石川のメディア|北陸の中心]]でさえ4局なのに。
#**チャンネルが'''ウラ'''以外にもう1つあるからね。
<!--#***北陸の中心は[[石川|ここ]]ではなく、[[新潟|ここ]]では?
#****あなたは近畿人か?新潟は[[東北]]です。-->
#*一応、[[TBS]]系列や[[フジテレビ]]系列の意味は理解している。
#**[[山口のメディア|左隣]]の住民はフジテレビ系列の意味を知らない。
#*ヲタとして、アニメのあまりの少なさに絶望を感じる。
#**ならば、ケーブルに入りたまえ。
#*相互乗り入れ後、'''新規開局が全くない。'''
#**エフエム山陰の開局は乗り入れ後。
#*あまり知られていないが相互乗り入れの効果により、大都市以外で初めて3局以上のテレビが見られるようになった地域でもある。
#*宮崎よりテレビ局が多いことが唯一の誇りだが、県数で割ると1.5局となり負ける。
#鳥取はケーブルテレビの加入者が多いらしい。
#*デジタル放送になっても大阪や岡山の県外放送を再送信してくれるとのこと。
#*「全系列+[[サンテレビ]]」は入らないほうがおかしい。
#*民放が3局しかないからみんなケーブルテレビに入る。
#*しかし[[山梨のメディア|山梨のような]]実質視聴区域とまではいかない。山梨はダントツCATV加入率1位、2位の[[三重のメディア|三重県にすら]]追いつかない。
#*それでも中国地方では1位である。(2位は山口県)ちなみに場所によっては加入率が9割近い地域も存在する。(中部の湯梨浜、北栄町あたり)
#エリアは同じだが、ラジオ局の本社は鳥取(テレビ兼営の山陰放送)、島根(V-air)と分かれている。
#最近なぜか、合銀のCMに内山理名が出ている
#*モビット系ローンがある銀行ですね。[[新潟|うち]]も[[新潟の経済#第四銀行の噂|そうですよ]]。
#[[テレビ朝日]]系列局の開局を望みたい・・・・・・
#*それをやられると[[朝日放送]]が見れなくなるので…
#**ケーブルテレビがない大田や隠岐、益田の人にとっては悲願だと思う。
#**益田ではYAB山口朝日が入る(萩須佐局もしくは阿東局を受信)
#**入るといえば入るけど映りが悪すぎて入ってないのと同じ地域が市内でも多数
#*基本的に山陰2県の経済規模では無理なんじゃないかと…。いっそのこと、鳥取はABC、島根は[[広島ホームテレビ|HOME]]かKSBの放送地域に組み入れてほしいです。
#*かつて山陰朝日放送の開局構想があった。
#**山陰中央テレビ本社の社屋に山陰朝日放送の開局を。[[沖縄のメディア#琉球朝日放送|琉球朝日放送]]のような1局2波方式なら開局しそうだ。
#**現在、山陰朝日放送という独立記事をWikipediaに立てると粛清されるようだ。
#*[[テレビ東京]]系も開局しねえかな・・・
#*テレビ朝日系列がない=放送していないので、テレ朝系全国ネットの天気では鳥取と松江の天気マークがないこともあった(高知なども同様)。
#一番ネタになるローカルCMは江頭の出てる[[ノート:ご当地CM/島根|MANDAI書店のCM]]だと思う。
#20代の人はTSKの「わんぱくパラダイス」でTVデビューした人も多いはず。
#放送局が少ないことから、マルチ編成で視聴者のニーズに合った番組が視聴できる。
#山陰3局に共通して、[[テレビ朝日]]との関係が良好。
#相互乗り入れ後もBSSとNKTともにテレビ朝日「モーニングショー」および正午枠の番組を同時ネットし、チャンネル変えても同じ番組をやってるという珍現象が1989年のBSS一本化まで続いた。
#昔はテレビせとうちが映った。


==テレビ局・ラテ兼営局==
{{Pathnav2|もし日本が戦後しばらくして権威主義化していたら|芸能}}
===NHK===
#芸能界全体に史実とそれ相応の差異があるのは確実
====松江放送局====
#*芸能界自体が史実より政財界とコネの強い業界になっていた
#中村愛アナウンサーは冗談抜きで美人。
#**なかでもアイドルは自民党の政治家とのコネが強い
#*松江なんてへんぴな所へ置いとくにはもったいない。早く[http://www.centforce.com/ セントフォース]へ移籍してください。
#***極右や左派からはアイドルは史実以上に忌み嫌われる
#**ひょっとしてあんた[[東京ジャイアニズム|東京ジャイアニスト]]?
#*業界全体が史実より反共色の強い世界になっていた
#*現在は仙台放送局に在籍中
#**制作される作品で反共色の強いものは史実よりかなり多い
#*2009年春、退局されたみたいです。。。
#音楽界にも史実より多少或いは大幅な差異があった
#池上彰の初任地である。
#*軍歌は史実ほど衰退しなかった
 
#**平成以降も定期的に新しい軍歌が作られている。
====鳥取放送局====
#*演歌や浪曲は1970年代まではそれ相応に聴かれていた。
#某女性アナウンサーは波田陽区に似ている。
#*若者の演歌離れ・浪曲離れはいずれにせよ不可避
#TV米子中継局は松江市の枕木山に有る。
#*大衆的な歌謡曲の発展は史実と変わらず
#*以前は米子市上後藤の中波アンテナにTV用スーパーターンを付けて送出していた。が、大抵の米子市民は枕木山の民放にアンテナを向けており、チューニングしているのはNHK松江放送局だった。
#**舟木和夫、橋幸夫、西郷輝彦は史実通りブレイク
#**松江放送局は総合テレビが6チャン、教育テレビが12チャン。
#**内山田洋とクール・ファイブやザ・ゴールデン・カップスのブレイクも史実と変わらず
#*枕木山移設後も米子市内でNHK松江局を受信する家庭は多い。
#**加山雄三、石原裕次郎、小林旭も史実と同じかそれ以上にヒットを飛ばしただろう
#**NHK松江放送局では、上記の事情から天気予報で米子市の予報を流している。
#*思想犯などの政治的犯罪で逮捕されたり引退を余儀なくされる音楽家は史実より多かった
#まさかの「Free!」放送開始&2期放送決定。
#**赤い鳥はプロデビューできなかった
#*聖地・岩美町を紹介するミニ番組もあるらしい。
#**ザ・フォーク・クルセダーズ解散後の加藤和彦は国家保安法違反で逮捕され、有罪判決を受けたのちに、海外へ亡命した。
#交通情報は民放は電話音声だが、鳥取センターに近いはずのNHKはクリア音声だろうと思ったら、まさかの電話音声。
#***イムジン河は当然放送できず。放送しようとなら史実以上の刑罰が関係者に下る。
#アナログテレビ開始当初は、岡山放送局の電波をそのまま流用していた(人形峠の固定局経由)
#*フォークソングやそこから派生したニューミュージックが1970年代以降の音楽シーンを席巻するのは変わらず。更にそれが1980年代以降になってロックやポップスなどのJ-POPや和製のHR/HMやR&Bに発展して現在に至る。
#*日本海テレビがマイクロ回線未開通なのに開局(全番組テープネット)という荒業をやってのけたせいで、日本海テレビに先を越されないために、そうせざるを得なくなったとか。
#**井上陽水のデビューとブレイクは史実と変わらず
#*FM放送でも宮崎局・鹿児島局が似たようなことをやっていたことがある。こちらは熊本局の電波を流用していた。
#***アンドレ・カンドレでデビューするも全くの不振に終わるのは同じ。史実以上の不振に終わっただろう。
 
#****井上陽水で再デビューして、傘がないなどをリリースしたのちに夢の中ででブレイクするのは史実と同じ。
===[http://bss.jp/ 山陰放送]===
#****年代的にデビュー前に徴兵制による兵役を経験している。
#本社は米子。鳥取県にありながら初期の頃テレビは島根県だけがエリアだったというエピソードあり。
#***大麻所持をせずに済んだだろう。
#*当時VHF局は1県1波という原則があり、鳥取県では既に日本海テレビが放送を開始したため、まだテレビ開局してなかった島根県で放送することになった。
#****昭和50年代中盤の人気低迷はなかった。
#*そのため「岡山は3局、香川は2局、茨城は0局」と定義した時、鳥取と島根の正しい局数が分からない。
#***なぜか上海は別のタイトルになっていた。楽曲も上海については唄われていない。
#'''あ~い・ら~ぶ・山陰♪BSS♪'''
#****台北か香港の可能性が高い。
#*懐かしいねえ。
#**中島みゆきの音楽業界入りも史実と同時期
#開局した頃はパチンコ屋の上に局舎があった。
#***初期は史実ほどヒットしないがわかれうたは史実以上にヒットする。
#*もうちょっとマシな物件に入居しなかったものか…。
#***かなしみ笑いは史実以上にヒット
#昔の社名は「ラジオ山陰テレビ」だった。
#****B面の霧に走るの「いっそこんな車壊れて~」は2019年現在史実以上にネット上で引用されている。
#*'''ラジオなのかテレビなのかハッキリしろ!'''
#***悪女は史実よりかなりヒットした
#**隣の[[中国放送]]は結構遅くまで「ラジオ中国テレビ」だった。
#**(荒井由実→)松任谷由実の音楽業界入りは史実と同時期
#***TBSも昔は「ラジオ東京テレビ」だった。
#***大学中退は史実より早まるだろう
#田中友香理アナの乳はデカい
#***反共独裁政権と新左翼の学生運動の確執と攻防を第三者目線で描いた楽曲を複数発表していた。
#「放送」が名前に入る放送局で2局しかない、略称で「BS」が前に付く局の一つ(BSS)。もう一つは[[新潟放送|BSN]]。
#***「いちご白書」をもう一度を制作することはなかった。
#山陰放送と呼ばれることは稀である。ほぼBSSと呼ばれる。
#***ひこうき雲と返事はいらないの制作は史実と同じ
#*91年に局自ら山陰放送と呼ぶのをやめたため。
#****返事はいらないがデビュー曲なのは史実と同じ
#本社は[[国道9号]]沿い。
#***横浜での大規模な開発独裁の影響で海を見ていた午後の歌詞が壮大なものになっていた
#ちょっと前は、マスコットの「ラッテちゃん」の売り込みに必死だった。
#***あの日に帰りたいのヒットは史実と変わらず
#*アイドルグループ(?)の「ラッテフレンズ」も結成。
#****史実以上にヒットしたかも
 
#***松任谷正隆との結婚は史実と変わらず
====BSSラジオの噂====
#***1970年代終盤の低迷は史実と同じ
#「音楽の風車」を聞くと昭和の香りが・・・
#***守ってあげたいが久々のヒットとなるのは史実と同じ
#*その番組は2010年春の改編で、平日夜間の時間帯にも進出(再放送という形で…)
#****史実よりヒットした
#*最初その番組のOPを聞いたとき、懐メロの番組かと思った。
#**浜田省吾は史実よりヒット曲を量産していた
#[[韓国|半島]]からの強力な電波のせいで、地元でも受信難の地域が存在する。[[ラジオファン#遠距離受信派|遠距離受信]]となると至難の業。
#**大瀧詠一の音楽界での活躍は史実をも遥かに上回るものに
#*いつもは温和な友人も半島の電波にはものすごく怒ってた。(そういう自分もだが)
#***アジア太平洋地域の諸外国でもヒットを飛ばしていただろう
#*日南町、それも広島県境辺りだと半島よりも高知放送の方が強くなる。昼でも高知放送が強い所もある。
#***森進一や小林旭への楽曲提供も史実と変わらない
#*半島からはFMラジオの電波も届くことがある。BSSが2016年になっても未だに(韓国のFMラジオ周波数と丸被りな)FM補完中継局を設置していない一因かも。
#**長渕剛の業界入りも史実と変わらないが、その経緯が史実と異なった可能性もある。
#**2017年3月1日から、鳥取県東・中部向けに92.2MHzで開局しました。(県西部及び島根県向けは後回し。)
#***九州産業大学への進学はなかったかあっても史実より早くに中退した
#ラジオカーの名前は「ラジ郎」
#****大学進学がなかった場合はデビューが史実より早まっていた
#間に海しかないので、[[石川]]県加賀北部や能登西部でもラジオの米子本局が昼間は隣県の[[福井放送]]よりも良好に聞こえる。ただし夜になると「特定アジアの声」につぶされるのはどちらも一緒だがw
#***業界入りする前に志願兵として兵役を経験していた
#*逆に山陰では日中、[[北陸放送]]が良好に聴取可能だが、夜には…(以下略)
#***巡恋歌がデビュー曲かどうかは一概に言えない
#本局と中継局を聞き比べると(周波数が異なるため可能)、明らかに中継局の音質が悪い。
#****雨の嵐山が正式なデビュー曲になっていた可能性があるので
#交通情報はスタジオのある米子から遠いためか、鳥取センターも松江センターも電話音声。
#***順子でブレイクするのは史実と変わらず
#最近、月9の番組人気が急上昇中。
#****これ以降なかなかヒットシングルに恵まれないのは史実と変わらず
#*radikoでクリアに聴けるようになったうえ、爆笑問題が[[TBSラジオ|東京の]]爆笑問題の日曜サンデーで触れてくれたおかげ(しかしBSSでは[[ニッポン放送|同じ東京の]][[Wikipedia:ja:中村こずえのみんなでニッポン日曜日!|裏送り番組]]をやっている)。
#****アルバムは史実と同じかそれ以上にセールスを伸ばした
 
#****1983年のGOOD-BYE青春が久々のヒットとなるのは史実と同じ
====BSSテレビの噂====
#****孤独なハートは史実よりヒットした
#TBS系列のくせに「はなまるマーケット」をネットしていない。
#***音楽番組には初期より史実より頻繁に出演していただろう
#*その代わりにテレ朝の'''スーパーモーニング'''に8:30から飛び乗っている。
#***HUNGRYで初期のクリアな歌声から現在のしゃがれた歌声になるのは同じ
#**前身の「モーニングショー」の時代からテレビ朝日系がない地域でも多くネットされていたため。
#****久しぶりに俺は泣いたんだは史実よりヒットした
#*ゴールデンで一年に数回見ることができる。
#****勇次も史実よりヒット
#**ついに2009年3月30日から[[宮崎放送|MRT]]共々はなまるに鞍替え。
#***勇次以降に病に倒れることはなかった
#***この副産物で朝ズバのラスト3分も流れるようになった(これもMRTと同じ)
#****そのためSTAY DREAMは史実と違いロック色の強い作品となった
#'''土曜日の生たまご'''を知らない山陰人はいない
#**サザンオールスターズの結成と業界入りも史実と変わらず
#*そして'''2008年夏、ついにSPでゴールデンタイム進出。'''あの「ちちんぷいぷい」への表敬訪問まであったとな。
#***但しデビュー前の動向が史実より慌ただしくなる
#**'''2009年春、その「ちちんぷいぷい」がネット開始!!'''放送は3時台のみだが、'''月~金帯のネットはここのみ。'''
#***バンド名の変更回数は史実より減ったかもしれない
#意外にテレ朝系列の番組を放送する
#***メンバーの約半数はデビュー前に志願兵として兵役を経験
#*前は平日の10時から「暴れん坊将軍」(テレ朝)を放送していた。今は知らん。
#****メンバー全員が青年期に志願兵として兵役を経験した可能性もある
#**20年前は夕方四時頃に放送してた。不良少年がそれ目当てにダッシュで帰宅してた。
#****年代的に徴兵制の対象だった可能性もあり
#***土曜日の午後の楽しみは黄金伝説の「1ヶ月1万円生活3時間SP」を見ることである。
#***勝手にシンドバッドでデビューするのは変わらず
#*金曜の夕方からミュージックステーションを放送している。
#****勝手にシンドバッドは反響は史実以上も売上は史実以下
#**それは間違い。Mステは土曜日の夕方5時から。
#****気分しだいで責めないでは史実ほどヒットせず
#***現在は深夜に追いやられている。
#***いとしのエリーは史実ほどヒットしなかった
#*そのため番組供給は事実上TBSとテレ朝のクロスネット。
#***デビューから数年はあまりヒットシングルに恵まれず
#*朝日新聞の資本も入っているから。
#****アルバムは史実と同じくヒットしたか場合によっては史実以上のヒットとなった
#*とうとう木曜ゴールデンにテレ朝の番組がレギュラー化。
#****コンサートライブも連日連夜大盛況で、場合によってはすぐにチケットが入手困難に
#**MRTも同様。MRTとはアナログ10ch→地デジ6chなのも共通。
#****アルバムのタイニイ・バブルスとステレオ太陽族のリードシングルもヒットしなかったが、アルバムは史実以上にヒットした。
#夕方は山陰各地をテレポートしている。
#*****C調言葉に御用心も史実ほどヒットしなかった。
#*そのテレポート山陰、なんと2017年4月で放送40周年。ちなみに[[岩手のメディア|IBC]]のニュースエコーと放送開始日が一緒で、同い年(こちらも現在放送中)。
#*****タイニイ・バブルス収録の松田の子守唄は、原曲の赤い鳥の竹田の子守唄が発禁になるため別のタイトルになっていた。
#ポケモンサンデーが月曜の4時からスタート、だが一週遅れ
#*****働けロックバンドの歌詞は史実より辛辣なものになっていた。
#よく再放送をする、一週遅れが多い
#***1982年のチャコの海岸物語が久々のヒットシングルとなる。
#テレ朝やMBS制作のアニメの放送実績はあるが、[[TBS]]制作アニメの放送実績が全くない局。
#***桑田佳祐と原由子の結婚は史実と変わらず
#*「全く」は違うだろ?実際[[けいおん!|けいおん!!]]もネットしてたし。
#***Ya Ya(あの時代を忘れない)は史実よりヒット
#地元が舞台(というよりは名前がよく出てくる)の「秘密結社鷹の爪」をネットした局。
#***EMANONが不振に終わるのは史実と変わらず
#*舞台は麹町のようです。
#****アルバムの綺麗も史実ほどヒットしなかった
#西日本では珍しくリモコンキーIDが6ch。
#*****史実で綺麗に収録されているかしの樹の下では検閲に引っかかり収録できなかった。
#*関西以西だと他にABC[[朝日放送]]・RSK[[山陽放送]]・KUTV[[高知のメディア#テレビ高知|テレビ高知]]・ITV[[あいテレビ]]・MRT宮崎放送のみ。
#******NUDE MAN収録の流れる雲を追いかけての歌詞も史実より修正が加わったかも。
#コードギアス第1期を放送していなかった数少ないTBS系列局。(他では[[長崎のメディア#NBCテレビの噂|NBC]]のみ)
#*******ロッキード事件がないので、史実でロッキード事件について唄われたNUDE MANの歌詞が史実と大幅に異なっていた。
#2015年4月、テレビ朝日の木曜21時ドラマが月曜19時に移動。島根県出身の江角マキコが出ている「私の何がイケないの?」という番組の同時ネットを打ち切っての決断だ。
#***ミス・ブランニューデイは史実よりヒットした
#テレポート山陰(夕方のニュース番組)のオープニング曲がSMAPの『どうか届きますように』だったことがある。おそらくTBSのNスタ(Yes we are)よりも先。
#***BYE BYE MY LOVE(U are the one)も史実よりヒット
#*2017年現在も使用しているらしい。偉い!
#***メロディも史実よりヒット
#テレポート山陰のスタジオセットは、かつてJNN報道特集で使われたものを流用しているらしい。「JAPAN NEWS NETWORK」の文字も見える。
#***アルバムの人気者で行こうとKAMAMKURAの完成度は史実をも遥かに上回るものになった
 
#****吉田拓郎の引退の噂はなく吉田拓郎の唄は制作されなかったかも
===[http://www.nkt-tv.co.jp/ 日本海テレビジョン放送]===
#****Computer Childrenは史実以上のハイテクサウンドを駆使した楽曲になっていた
#山陰放送の「土曜の生たまご」に対抗して同じ時間に「スパイス」を放送するようになった。
#***1983年を最後に紅白歌合戦の出場が長期間途絶えることはなかった
#*山陰のテレビ局は自主制作番組が少ないのに、なぜ同じ時間に放送するのか、時間をずらせばいいのにと思う。
#****1982年の紅白歌合戦での物議を醸す行動もなかった
#最近、深夜放送が長くなった。
#****1984年はミス・ブランニューデイで出場していた
#開局したての頃のエリアは鳥取限定。
#****1985年はBYE BYE MY LOVE(U are the one)で出場していた
#*鳥取市に本社があるが故のこと。
#***1985年を最後に原由子の産休で活動休止に入るのは変わらず
#**今は島根にも乗り入れしている。
#***1986年以降のサザンオールスターズはソロ活動に突入した
#**鳥取では1chだが、島根ではUHFである。一方島根から入って来た山陰放送は鳥取県内はUHFである。
#****桑田佳祐がKUWATA BANDを期間限定で結成するのは変わらず
#*リモコンキーIDは、'''4'''では無く、'''1'''である。中国地方は広島テレビなどの他局は'''4'''であるが、NKTのみ'''1'''である。
#*****松田弘の参加も変わらず
#**他地域の日テレ系では[[青森のメディア#青森放送|青森放送]]・[[北日本放送]]([[富山]])・[[徳島のメディア#四国放送|四国放送]]([[徳島]])も'''1'''である。ちなみに[[讀賣テレビ放送|右隣の局]]は'''10'''。
#*****KUWATA BANDの解散後の1987年の桑田佳祐と松田弘がソロ歌手として活動するのも史実と変わらず
#*かつては兵庫の但馬地域も公式エリアになっていた。[[サンテレビ]]開局前は兵庫県民向けの行政番組も放映されていた。
#***サザンオールスターズの活動再開が10周年の1988年になるのは史実と同じ
#**民放連が出した本<!--民間放送十年史-->には、兵庫どころか、京都の一部もカバーと書いてあった。
#****史実通りみんなのうたで再開
#***その昔、兵庫県の城崎中継局ができる前、地元のテレビ組合が城崎中継局が開局予定の来日岳山頂にVHFアンテナを建て、NKTを受像して城崎の各家庭へ配信していた。
#****みんなのうたは史実以上にヒットした
#****また、兵庫但馬や京都丹後の山陰でも、各テレビ組合などが山頂へアンテナを建てたり、各家庭が屋根に高いアンテナを建てて、NKTを受像。ただし、場所によっては同じチャンネルのJRTを受信している世帯もあった。
#****みんなのうたを収録したオリジナルアルバムを1988年夏に発表
#*****そのため、京都舞鶴にNHKが中継局を建てる段になって、NKTやJRTを受像している世帯のアンテナを流用できるように、(UHFへ転換する前提で)VHF-3chで開局している。(NHK便覧より)
#***1988年12月に史実にないオリジナルアルバムを発表
#*日テレ系列のRNCが受信出来ない岡山の蒜山地域では現在もほとんどの世帯で受信されている。
#****リードシングルが1988年9月と11月に発表
#*親局の指向性が東西方向だったため、最初から出雲市までは電波が飛んでいた(エリアに含めていた)ようだ。島根県の行政番組も開局後すぐに放映開始されたとか。ちなみにBSSよりもテレビ開局は先。
#***1988年の国営放送の紅白歌合戦にも出場
#再放送枠の金曜夕方5時にGO!GO!知っテレビを放送したが、終わってしまった。
#***1989年1月上旬の昭和天皇崩御を受け、以降の3か月間は喪服でステージに立った
#某国が「日本海を東海と改名しろ」と言っているが、だったら日本海テレビも東海テレビと変えないといけないの?
#****昭和天皇へのレクイエムも制作した
#*[[東海テレビ放送|愛知の民放]]とかぶっちゃいますね。
#***女神達への情歌のリリースは史実と同時期
#**「山陰テレビ(SIT)」にします?
#****クレームは史実ほどではなかった
#**昔、山陰放送が「山陰テレビ」と呼ばれていた時期があるそうなのでどうなのでしょうか?
#****クレームはあったが史実以上に掻き消されていた
#***それ、「ラジオ山陰テレビ」
#**チャゲ&飛鳥→CHAGE&ASKAのデビューも史実と同時期
#**東海テレビも1ch(ただし[[フジテレビ]]系)。
#***チャゲも飛鳥涼も青年期に志願兵として兵役を経験
#***テレビ単営局で1chなのはこの2局だけ。
#***ユニット名はチャゲ&飛鳥からCHAGE&ASKAを経て、現在のCHAGE and ASKAに
#***ちなみに日本海テレビは開局当初フジ系になる予定だった。逆に東海テレビは開局時フジ未開局で日本テレビと組んでいた。
#****正式名称としてCHAGE&ASUKAを名乗ったことはなかった
#1989年まではANN([[テレビ朝日]])系とのクロスネットだった。
#*****レコードジャケットのクレジットのデザインとして名乗ったことはある。
#*当時、[[ドラえもん]]は土曜の夕方に放送していた
#***ひとり咲きでデビューするのは変わらないが、史実以上の不振に終わる。
#**BSSに移管する直前、テレビ欄にはドラえもんが最終回と記載されていた
#****ひとり咲きで夜のヒットスタジオに出演することはなかった。
#***同じ1989年に[[福井放送]]がNNN系列からNNN/ANNクロスネットになった。
#***デビューのきっかけとなった流恋情歌も史実以上の不振に終わる
#**昭和末期の土曜は他に藤子不二雄ワールド、BSSでまんが日本昔ばなし、TSKでハイスクール奇面組→ついでにとんちんかんをやっており、まさにアニメ天国だった。
#***ファーストアルバムの風舞は史実以上の不振に終わった
#ANN系列が無いのになぜかマストバイ局。
#****このアルバムから私の愛した人がシングルにリカットされた
#*そのため、BSSが事実上非マストバイ局。
#***万里の河でブレイクするのは史実と変わらず
#**すなわち、BSSは事実上のJNN/ANNクロスネット局。
#****夜のヒットスタジオへの初出演も万里の河だった
#最近、山陰のテレビ局としては初めて終夜放送を開始した。
#****万里の河は史実よりもヒットした
#[[ハヤテのごとく!]]が土曜朝5時から放送されており、公式サイトの放送予定の枠でもNKTの放送時間は金曜29:00からの扱いとなっている。
#****万里の河以降はなかなかヒットシングルに恵まれず
#この局にかつて在籍していた改野由佳アナウンサーと清水美智子アナウンサーはいずれも現在はテレビ愛知のアナウンサーとなっている。
#*****しかしコンサートライブはむしろ史実以上の大盛況で場合によってはチケットが発売からすぐに入手困難に
#*同じく日本海テレビOBの福谷清志アナウンサーは現在[[テレビ大阪]](テレビ愛知と系列が同じ)に在籍している。
#*****万里の河以降のシングルはほとんど不振続きに終わったのは史実と同じだが、それでも男と女やオンリーロンリーは史実よりそれ相応にヒットした。
#ニュースプラス1終了後のタイトル変更が間に合わなかったため、NNN Newsリアルタイム開始から半年間はプラス1のタイトルを使い続けていた。
#*****熱い想いと北風物語は不振に終わったほか、1983年のシングルもどれも不振に終わった。
#*岩手の立場は?
#*****南十字星がアルバムからシングルにリカットされた。
#「クイズ!紳助くん」をネットしたことがある。
#****1984年のMOON LIGHT BLUESと標的は史実よりはヒットしただろう。
#毎年夏に行われる高校野球鳥取大会を中継している。
#***1985年の夏と秋に史実にないシングルをリリース
#東京プリンのレギュラー番組の『プリン・ス』のキー局であり、全国29局で放送している。
#***SUPER BESTは1985年12月頃のリリースになっていた。
#豚と鳥で'''ぶーとピィー。そのまんま。'''
#***Standing Ovationはリリースされなかった。
#以前、局のキャラクターグッツのショップ「ぶっピィ屋」のCMに初音ミクの音声が使用されていたことがある。
#***1986年初旬に他者への提供曲のみで構成されたセルフカバーアルバムを発表していた。
#*[http://www.nicovideo.jp/watch/sm3122676 ニコニコ動画にうpされていた。]ちょっと下手だが気にしないこと。
#****葛城ユキに提供したボヘミアンもこれに収録された。
#*この前(とはいっても半年くらい前だが)はウマウマの音源が使われていた。
#***チャゲアスは史実と同じく、当初は演歌フォークと呼ばれる演歌の要素を取り入れたフォーク調の作風の路線を行くが、1982年末辺りを契機にニューミュージックに路線変更し、更に1984年~1985年にJ-POPへと作風を変える路線変更を行った。
#**ちなみに、ウマウマはこの間[[フジテレビ|某局]]のCMで使われていた。
#****真紅な動輪のサントラ盤の熱い想いまではフォーク調の作風だが、21世紀でニューミュージックになり、IN SIDEとZ=Oneで完全に演歌フォークから脱却しロック、ポップス、テクノなどのJ-POPに路線変更した。
#隠れた人気番組に「おとなのびっくりクリニック」。
#*****熱い想いが真紅な動輪の主題歌なのは史実と変わらず
#2010年5月から[[リルぷりっファン|リルぷりっ]]を日曜のド朝(それも子供がまだ起きないような時間帯)で放送開始。
#*****TWILIGHT ZONEの歌詞が史実と異なる
#アナログUHF局の出力に従ったため、デジタル放送は鳥取親局(100W)よりも松江局(1kW)の方が高い。
#***1986年にレコード会社をデビュー時のワーナーパイオニアからキャニオンレコードに移籍するのは変わらず。
#JNN、FNN、ANNに加盟していたこともあるらしい。
#***キャニオンレコード移籍第1弾のシングルであるモーニングムーンは史実よりヒットした。
#1992年までは鳥取商工会議所のオンボロビルに間借りしていた。
#****財閥系大手企業のCMソングだっただろう。
#*現在の鳥取商工会議所ビルにはBSS鳥取支社が入っている。
#***黄昏を待たずにも史実よりそれ相応にヒットした
#90年代までは、夕方ニュースのストレートニュースを15分に編集して深夜に放送していた。アナウンサーはブルーバックで隠していた。
#****こちらも大手財閥系企業のCMソングだった
#日本海テレビを地元民はなんて言ってるんだろう。「1チャン」?「NKT」?それとも、まさかの「日テレ」?
#*****もしその場合はモーニングムーンとタイアップ先が同じだった
 
#***Count Downと指環が泣いたも史実よりヒットした
===[http://www.tsk-tv.com/ 山陰中央テレビ]===
#****どちらもドラマ主題歌に起用された可能性がある。
#山陰中央テレビは鳥取と島根のためにある。(絵の動かないCMが多い)
#***1986年は国営放送の紅白歌合戦と産経の世界紅白にW出演した。
#*別名松江テレビ。松江市民のための放送局。
#****紅白歌合戦ではモーニングムーンを唄い、世界紅白では指環が泣いたを唄った。
#*旧社名は島根放送(テレビ島根)。
#****世界紅白出場がアルバムのMr. ASIAを制作するきっかけとなるのは変わらず。
#*企業に金がないのか、県内にタレントがいないのかわからんが、絵が動かないCMや会社の社員が出演しているCMが多い。
#***SAILOR MANは史実よりヒット
#**その割に、かつての山陰中央新報のCMには爆笑問題が出演していた。
#****日本航空のタイアップが付くのは同じ
#*清酒 李白のCM、いつから始まっていつまで続けるのか。
#***ロマンシングヤードは史実よりヒット
#島根県で唯一つのU局。
#****産経のミリタリードラマの主題歌に起用されたかと。
#*日本海テレビもU局です。島根県内は。
#*****主演は渡哲也か舘ひろし
#**それでは、『山陰地方で唯一つのU局』ということで。
#***恋人はワイン色は史実よりヒット
#*地上デジタルテレビ放送移行のため、日本中の地上波テレビ放送局は全てU局になりました。
#****テレビ朝日系列のドラマ「あぶない雑居カップル」の主題歌なのは史実と同じ。
#えいっとくん体操。
#*****チャゲアスが連ドラ主題歌を担当するのはこれが最初ではなかった。
#*小学生が喜びそうな歌詞。
#***アルバムのRHAPSODYは史実以上の売上を記録した。
#*あれを夕食時に流すのはやめてほしい。
#****レノンのミスキャストの歌詞が史実と違うかもしれない。
#**同感。
#****狂想曲がシングルにリカットされるのは変わらず。
#*曲のインパクトがあまりにも強く頭から離れない。
#***アルバムのENERGYも史実以上の売上を記録した。
#**'''でも最近、問題の2番は全く放送されていない。'''
#****先行シングルはLove AffairとTrip
#**あれは排泄のことを歌っている上に'''どストレート'''で{{あきまへん|うんち}}って言ってるからね・・・。
#*****Love Affairのリリースは1988年7月頃
#竹下アナは意外にかわいい。
#*****Tripは史実と同時期
#*↑に同じ意見である。中村さんに勝るとも劣らない
#***光GENJIへの楽曲提供は史実以上の成功を収める。
#*一時期全国版のスーパーニュースに出演していた。
#***昭和天皇崩御から約3か月間は喪服でステージに立つ
#**その後、髪型や服装がちょっとフェミニンになった。立場上どんな絵を求められているかを学習したらしい。
#****そのような指導がチャゲアスに限らず行政から入るだろう
#*2009年限りで退社。
#****昭和天皇崩御に際してチャゲと飛鳥涼は公式のお悔やみのコメントを発表した。
#昔は、怖いオルガン演奏付の静止画3枚というとっても怖いED(クロージング)が存在していた。
#*****飛鳥涼は昭和天皇へのレクイエムを制作し発表した。
#*そのED(クロージング)は通称「'''呪いのオルガン'''」としてテレビマニアの間では怖いOP&EDの一つとして有名。
#***WALKの発表は史実と同時期
#*ようつべで聞ける。島根県出身だがマジで怖かった。
#****発表時の評判は史実ほどではないが芳しくなかった。
#**[http://www.youtube.com/watch?v=KbPgmj_HXtI コレ]。寝る前に見るものではない。
#****数作ぶりに週間チャートの上位10位圏外へのランクインとなったであろう。
#***↑リンク切れ。他の動画で確認したけど、言うほど怖いとは思わなかったけど・・・
#****史実と同じく1992年に再発売されその時に高評価されただろう。
#島根県人が[[山口|おとなり]]に自慢できる唯一のテレビ局
#***LOVE SONGは史実よりかなりヒット。
#*山口はあえて作らなかった、というか山口側が作らせなかった。
#****1992年にリミックスされ再発売されるのは変わらず。
#**フジテレビ系がない[[青森|もうひとつの本州の端]]にも自慢できる。
#****1989年のLOVE SONGは民営化されなかった国鉄のタイアップが付いたかも。
#27時間テレビに出てきた戦隊モノは…ご想像にお任せします。
#***10周年のアルバムであるPRIDEは史実以上の売上。
#「墓場鬼太郎」の後番に「図書館戦争」を放送するらしい。(7月より)本格的に深夜アニメに参入か?(←それはないか…)
#****表題曲のPRIDEはチャゲアスファンはもちろん、ファンに限らずコアなリスナーからも史実以上の人気。
#「[[探偵!ナイトスクープファン|探偵!ナイトスクープ]]」は山陰放送でなくここで放送している。(テレ朝系のない地域では基本的にTBS系列でカバーされている。)
#****天気予報の恋人の認知度も史実以上。
#*山陰が[[茨城]]に勝てる珍しい点。
#****砂時計のくびれた場所の認知度は史実以上だった。
#**茨城でも[[東京MXテレビ|TOKYOMX(9ch)]]か[[福島のメディア#福島放送|福島放送]]が受信できれば見れるはず。
#***アジア進出は昭和末期には行われる。
#*現在は打ち切られたが[[朝日放送|ABC]]制作では「パネルクイズアタック25」も土曜18時半から放送されていた。基本的に6日遅れの放送だったが年末のグランドチャンピオン大会の時だけキー局より1日早く見ることが出来たことも。
#****チャゲアスの大東亜共栄圏ツアーも1986年頃には定番に。
#夜8時54分のニュースのオープニング曲は「産経テレニュースのテーマ」。ただしエンディングは'''静止画'''
#***1989年の10周年は史実以上に盛り上がった
#*元々その音楽は[[フジテレビ|フジ]]がFNNレインボー発に改称する1998年までは「FNNニュース」で1984年4月から↑の音楽だった。
#***チャゲがMULTI MAXを結成するのは史実と変わらず
#ここも[[毎日放送|MBS]]との関係が親密と言われる。「モーレツ!!しごき教室」を腸捻転解消後もBSSに移行せずここでネットしていたため。
#****但し史実以上に副業的なものになっていた
#週刊ヤッホーのURLが[[Yahoo!|某検索サイト]]と紛らわしい。
#***飛鳥涼が1989年秋に渡英するのは史実と変わらず
#スーパー戦隊シリーズを放送している数少ないフジテレビ系列局でもある(他では[[福井テレビ]]のみ)。
#****このときに史実にあったチャゲアス解散説の浮上はなかった
#実は親会社との関係で、70年代後半まで読売資本が入っていた。ちなみに日本海テレビには同じ頃まで産経資本が入っていた。これが山陰の腸捻転。
#****1989年12月下旬にはチャゲも渡英した
#南太平洋でどんとこい。
#****1989年の国営放送の紅白歌合戦にロンドンからの中継で白組から出場。LOVE SONGを披露。
#テレ朝の「ニチアサキッズタイム」で放送されている番組は、他の枠(メ~テレアニメ・平成ライダーシリーズ・プリキュアシリーズ)がBSSなのがスーパー戦隊シリーズだけはここが放送。
#****1990年初旬よりアルバムのSEE YA!をロンドンで制作するのは史実と変わらず。
#奥出雲の大地主田部家が大株主として名を連ねている。そのせいか総選挙で某アナが出馬した時は「田部・竹下に刃向った」などと報道された。
#*****チャゲアスの2人はロンドンにて労働党の支持者に喧嘩を吹っかけられた。
#局ロゴがどう見ても略称であるはずのTSKに見えない。
#*****ロンドンのライブハウスでのコンサートは史実と変わらず。
#*Sは筆記体。昔のTBSのロゴと同じ。
#*****SEE YA!の作風に史実と若干の差異があった。
#2016年冬期の「すべてがFになる」を皮切りに、月曜深夜に継続してアニメを放送している。主にノイタミナで、始めは映画化に連動した放送だったが、最近では映画化に関係なく放送することもある。
#******リードシングルのDO YA DOは史実と変わらず
 
#******水の部屋は史実以上に和のテイストが強くなった
==新聞==
#******モナリザの背中よりもは史実以上にデsジタル色が強くなった
===[http://www.nnn.co.jp/ 日本海新聞]===
#*******ゼロの向こうのGOOD LUCKにも同じことが言える
#過去に倒産したが再建された。
#******YELLOW MENの歌詞は史実以上に辛辣なものに
#購読料が一番安いことでも知られる。
#*******ゼロの向こうのGOOD LUCKも
#*最近、値上げして2200円ぐらいになったが、それでも日刊紙では一番安いらしい。
#******太陽と埃の中では史実と変わらず
#活字が日本一大きかった(今も?)。お年寄り向けに好評だが、要はニュースが無いとも。
#***1990年2月のバラードベストのリリースはおそらく史実と変わらず
#*2008年3月17日からさらに活字が大きくなった。
#***1990年3月に史実にないシングルをリリース
#日本海新聞所属の某記者が、たびたび首長選に立候補してる
#****SEE YA!には収録されず
#何気に兵庫県北部にも配達されている。
#****この時期に日本に帰国
#*そこは神戸新聞のエリアである。
#***心のボールは福岡特別市の特別市制15周年の1987年か20周年の1992年に制作・発表された
#*おそらく鳥取に隣接している新温泉町や香美町が主なエリアだと思います。
#***帰国後に積極的にメディアへの露出を行い、主にDO YA DOを唄う
#**その通り。美方郡が配布地域。
#***ロンドンで制作したSEE YA!の発売は史実と同時期
#*ホームページを見たらどうですか?兵庫県北部もエリアに入ってますよ。兵庫北部の記事も結構載ってます。
#****アルバムを引っ提げてのコンサートツアーも行う
#*但馬版として発行している。テレビ欄は兵庫仕様になっているが、広告はほとんどが鳥取県内向けのまんま。
#*****韓国、台湾、香港での公演も設定された
#*2000年、姫路支社を開設して播磨版が発売されていたが、すぐに廃刊。姫路駅のハートインや山電の駅売店で買えた。
#***太陽と埃の中でがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
#エンターテイメントが載っている「エンタコ」のイラストコーナーは、可愛い子が描いているのが多い・・・が'''それ以上に[[腐女子|腐女]]のが多い。'''
#****史実と同じく産経系列のタイムスリーのED曲に
#*[[西日本新聞]]のTEENSクラブとどっちが腐女率は高いのだろうか。
#***1990年も光GENJIに楽曲提供を行った。また1991年以降も光GENJIへの定期的な楽曲提供を継続した。
#**西日本新聞を見たことがないので知らんけど、けっこう腐女率は高いと思われる。
#***1991年のASKAソロのはじまりはいつも雨のミリオンセールスは史実と変わらず
#大阪の大阪日日新聞の親会社。
#****史実以上のセールスを伸ばした
#ラジオ欄にはなぜか[[ニッポン放送]]の番組表が載っている。もちろん昼間は受信不可能。
#****松下電器産業のコンポのhalfのタイアップ曲なのは史実と変わらず
#*これは但馬版でも一緒。
#***バブル景気がないため、産経系ドラマ「101回目のプロポーズ」が制作されず、SAY YESのタイアップ先が史実と異なっていた。
#*それなのにCATVで再送信されているKiss FMは載せない(鳥取版)。
#****史実にない産経系のトレンディドラマの主題歌になった可能性が高い。
 
#****SAY YESのセールス自体も史実ほどは伸びなかった。
===[http://www.sanin-chuo.co.jp/ 山陰中央新報]===
#*****どんなに売り上げを伸ばしてもシングルミリオン止まり
#[[島根]]と[[鳥取]]がメインなのに一部は[[広島市]]内にも配達されている。
#*****それでもチャゲアス名義で初のミリオンシングルになったかも知れない
#*近隣県のテレビ番組欄がある。広島のHOMEテレビとかせとうちテレビとか。。。
#***僕はこの瞳で嘘をつくのシングル化は史実と変わらず
#*島根はどうかよく分からないが、鳥取はケーブルテレビで見ている家庭が多いからか?
#****史実と違いアルバムのリードシングルだったかも知れない。その場合はSAY YESとリリース順序が逆になっていた
#**島根では広島ホームテレビと大阪の朝日放送、それにテレビせとうちが載っている。
#***アルバムのTREEの発売は史実と変わらず
#***本社ビルにエフエム山陰があり連携している。
#****史実と変わらず、僕はこの瞳で嘘をつく、SAY YES、BIG TREEは収録
#****週末はりびえーるを持って出かけるお年寄りがよくいる。
#****tomorrowの歌詞が史実とやや違っていた
#****夕刊制度が成り立たない地方だから、他のタブロイド版サイズ誌が普及してない
#****当初の予定通り、1991年9月21日に発売され史実の10月10日に遅れることはなかった
#本社ビルは昔、一畑だった。
#***SAY YESや僕はこの瞳で嘘をつくのときは、史実と違いメディアに積極出演しこれらの楽曲を披露
#*昔から本社ビル。一畑が下階をテナント借りしてただけです
#***1991年12月下旬頃に史実にない新曲をシングルとしてリリース
#美術展・コンサート・書籍出版など、地味に色々やっている
#***1992年3月25日のSUPER BEST 2の発売は史実と変わらず
#*どんな大事件が起こっても、協賛している日展や大茶会の期間中は必ず一面左半分を使用。
#****このときのLOVE SONG '92の発表は変わらず
#鳥取市の拠点がやたら大きい。
#****SUPER BEST 2には1989年のLOVE SONGと1992年のLOVE SONGの両方が収録された
#*日本海新聞が倒産した際、規模を拡大しようとした名残と思われる。
#***ifの大ヒットは史実と変わらず
 
#****SAY YESがミリオンを達成していない場合は、こちらもミリオンセールスを記録することはなかった。
===[http://www.shimanenichinichi.co.jp/ 島根日日新聞]===
#****SAY YESがミリオンセールスを達成した場合は、タッチの差でミリオンセールスを達成した。
#実質、[[出雲市|出雲]]日日新聞。
#***no no darlin'は史実以上にヒットし、週間1位も獲得していた。
#*新聞広告も出雲市内の企業ばっかり。
#****GUYSがシングル候補だったがアルバムのタイトル曲に振り替えられるのは変わらず
#FMいずもの番組表が2つもある(片方は広告扱い?)
#****GUYSの制作もロンドンで行われるのは史実と変わらず
#1部売りは実施。よそ者でも比較的簡単に入手可能。
#***GUYSと同じ日にGUYSとコンセプトの異なるトレンディな作風のアルバムを発表したかも
 
#****この場合、先行シングルが1992年の5月と9月にリリースされていただろう
==ラジオ局==
#***YAH YAH YAHは史実以上のメガヒットとなる
===[http://www.fm-sanin.co.jp/ エフエム山陰]===
#****チャゲアスの初のダブルミリオンシングルはYAH YAH YAHになっていた
#通称、V-air(ブイ・エアー)。
#****産経系ドラマ「振り返れば奴がいる」の主題歌なのは変わらず
#日本のFM局で唯一2県にまたがっている。
#****当然、YAH YAH YAHは週間1位を獲得
#昔は平日の夕方に堂々とラブホのCMをやっていた。当然最後に(18歳未満はご利用できません)というアナウンスが流れる。
#*****史実のビーイング旋風がないので、週間1位をかなりの間にわたってキープした
#*今もしてますよ。先日、夕方の5時ごろにやってました。
#****夢の番人はダブルA面ではなく同時発売になっていた
#**ホーテールシャトールーは斐川ぁ町ぅー(酔っ払いオヤジのカラオケ調)あのCMで誰が行く?
#*****夢の番人は週間10位に入るのが精一杯だった
#津和野町や吉賀町の一部は受信できないらしいが、[[山口市]]や[[萩市]]の一部は受信できる地域がある。
#****後にpop'n musicなどの音楽ゲームにも収録された
#*浜田局は出力1kWと高出力で、かなり遠くまで電波は届いている(山陽小野田の石山山頂で聴いたことがある) もしかしたら九州でも聴ける場所(中津付近で標高の高い所)があるかも。
#***YAH YAH YAHでCHAGE&ASKAの地位は不動のものになった
#**KRY山口放送の美祢中継局が0.2MHz違いで開局することになったので、山口県西部や九州の高台で今まで受信できていた場所でも、アウトになるかも。
#****それでも史実の1990年代前半のチャゲアス旋風はなかった
#***長門中継局も同じ周波数。位置的に(V-airの本来のエリアである)島根県まで電波が届くような気がするんだが大丈夫なのか。
#****むしろ1990年代でチャゲアスが大いなる活躍を遂げるのは、史実の前半ではなく、史実ではソロが主体になった後半である。
#***萩中継局も同じく86.4MHzになった。見島ではKRYとV-airいずれも混信を受けずにちゃんと受信出来るのかしら。
#***Sons and Daughtersは史実よりヒットした。
#*191号線の山口県阿武町以東のトンネルでは、V-airしか再送信されてない(FM山口が聞けない)
#****但し、富士重工業かセゾングループかのどちらかだけのタイアップになっていた
#イナタ氏の声は独特なので、ドライブスルーのマイクに喋った時点で複数の店員が注目+個性的な風貌に納得。
#*****もうどちらかは史実に存在しない別の楽曲がタイアップ曲になっていた
#よく見ると、親局の周波数が「名無し(77.4)」だ。
#****カップリングのMr.Jの悲劇は岩より重いは歌詞と題名が異なるか、そもそも制作自体がされなかった
#若者のレトロ本舗リスナーは大昔の曲に詳しくなる。
#***アルバムのRED HILLは史実より相当ヒットした
#現在福岡で活躍している、甲斐田貴之氏がかつて所属していた放送局。中でも、彼が担当する「プレ×プレ」の人気度は半端なく高かった。
#****ダブルミリオンは確実視される
#[[国道9号]]沿いでは78.8(鳥取)、77.4(松江)、86.6(浜田)の3つの周波数さえ覚えておけばほとんどの場所で聴き続けられる。あの山がちな山陰で3局で済むのはかなり高効率なのでは。
#****RED HILLは国際情勢も歌詞に交じっていたかも知れない
#交通情報は鳥取と松江を繋げて放送する。「引き続き、松江センターから~」みたいに。
#****You are freeとなぜに君は帰らないがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
#*松江センターはスタジオのある松江に近いからかクリア音声だが、鳥取センターは電話音声。
#***Knockはなぜに君は帰らないのカップリングではなく、シングル曲として1994年2月頃にリリースされた。
 
#****Knockがアナログ盤の通常盤が発売された最後のシングルとなった
===[http://www.radiobird.net/ FM鳥取]===
#**TM NETWORKとglobeの活動とその経緯が史実と異なる。
#鳥取県内初のコミュニティFM局。2006年8月25日開局。
#***小室音楽は史実以上の支持を得ていた
#*鳥取市に本社を置く民間のラジオ局としても初。
#***宇都宮隆と木根尚登がSPEEDWAYを結成するのは史実と同時期
#周波数は82.5MHzで、東京のNHK-FMと同じ。
#****宇都宮隆は青年期に志願兵として兵役を経験
#土日は丸一日、[[J-WAVE]]の番組垂れ流し。
#*****木根尚登も実父の指示と宇都宮隆の誘いで志願兵として兵役を経験しただろう
#公式HPにて「他の山陰のラジオ局が鳥取島根全域を対象にしているのに比べて鳥取市内のみに向けてのCMが出来る」とPRしているが実際にはBSSが一部番組で中継局ごとにCMを差し替えているのでこれは全くのウソ。
#****SPEEDWAYに小室哲哉が加入するのは史実と同時期
#*3年前より、BSSのCM送出機器の更新により中継局ごとのCM差し替えができなくなったのでウソではないらしい。
#***SPEEDWAYが何のヒットもないまま1983年に解消するのも史実と同じ
#**現在もBSSは高校野球中継などで支局別の放送をやることがあるらしいのでやはりウソ
#***SPEEDWAY解散後の小室哲哉と木根尚登とオーストラリア人ボーカリストの新ユニット構想はなかった。
#*鳥取放送局は鳥取市内だけを対象にしているわけではないのでホント。
#***SPEEDWAY解散後は小室哲哉は即座に宇都宮隆と木根尚登にTM NETWORK結成を呼び掛けた。小室のこの声に宇都宮と木根はすぐに応じて、TM NETWORKは結成された。
#**(↑それはあまり関係ないだろう)
#****フレッシュサウンズコンテストで優勝しデビューの切符を掴むのは変わらず
#同じく公式サイトの営業案内に、「日本のFM局は、広域局、県域局、コミュニティ局の3種類あり…」として広域局の例としてTOKYOFM、FMOSAKAが該当しているかのように表していたが、日本の民放FM局で広域局は外国語放送局(InterFMやFM-cocoloなど)のみであり、他のコミュニティ局以外の民放局はFM山陰を除いて全て県(都道府)域局しか存在していないのでこれもウソの情報である。
#***1984年4月21日のデビューは史実と同じ
#開局以来、リクエスト曲を2曲づつ続けて流すだけの簡易な番組しかない。
#****1stアルバムのRAINBOW RAINBOWの収録曲は史実以上に難解な歌詞が多かった。
#ガイナーレ鳥取の試合会場から中継する事があるが、肝心の試合は中継せずに終わるww(中継する人材もノウハウも無し)
#*****金曜日のライオンがデビューシングルになるのは変わらず
 
#*****1974のシングルへのリカットは史実と同じ
===[http://www.darazfm.com/ DARAZ FM]===
#******シングルジャケットに木根尚登の姿がないのも同じ
#米子市のコミュニティFM局。
#***木根尚登が坊主頭を拒否する代わりにサングラスをするのは史実と変わらず
#*送信所は米子市にはない。
#***ACCIDENTのリリースは史実と同時期
#[[FM802]]の再送信が大きな特徴だったが、2014年5月末でやめてしまった。
#****作詞が松井五郎なのも史実と変わらず
#周波数は79.8MHz。
#****ACCIDENTを収録したアルバムのCHILDHOOD'S ENDの発売時期も史実と同時期
#*旭川のNORTH WAVEと同じだが、Eスポでも起きない限り混信はないかと。むしろFMいずもと近すぎる。
#****CHILDHOOD'S END収録のDRAGON THE FESTIVALのリミックス版のシングルでのリリースも変わらず
#松江でも聴ける。出雲ではさすがに難しい。
#*****YOUR SONG("D"Mix)と併せて12インチシングルとしてリリースされるのも史実と変わらず
#標準語だと「馬鹿者FM」。[[デュラララ!!ファン|ダラーズ]]FMではない。
#***初期は阿久悠との楽曲制作も行った
#FM鳥取と異なり自主番組いっぱいでやる気満々。
#***湯川れい子や秋元康もTM NETWORKの楽曲制作に参加した
 
#***松井五郎との楽曲制作は史実よりかなり増えた
===[http://fm-izumo.jimdo.com/ エフエムいずも]===
#***神沢礼江や川村真澄との楽曲制作は変わらず
#2003年に山陰で最初に開局したコミュニティFM局。
#***小室みつ子との楽曲制作は史実以上
#公式サイトがブログっぽい。
#***澤地隆とも楽曲制作を行っていた
#「ばんじまして情報局」の「ばんじまして」は出雲周辺だけで使われる夕方の挨拶らしい。
#***TWINKLE NIGHTの発売は史実と同時期
 
#****表題曲のTWINKLE NIGHTの歌詞が史実と若干異なる
==隣接メディア==
#****ELECTRIC PROPHETは史実とほぼ変わらず
*[[兵庫のメディア]]
#****YOUR SONGのアルバム版が収録されるのは史実と同じ
*[[岡山・香川のメディア]]
#***FANKSの単語の誕生時期は史実と変わらず。時期的にも史実と同時期。
*[[広島のメディア]]
#***渡辺美里へ提供した楽曲が初ヒットになるのは史実と変わらず。
*[[山口のメディア]]
#****My Revolution、Teenage Walk、BELIEVEなど
 
#***岡田有希子への楽曲提供も史実と変わらず
[[Category:鳥取|めていあ]]
#***福永恵規への楽曲提供も史実と同じ
[[Category:島根|めていあ]]
#***デビュー直後の少年隊へも楽曲提供を行っていた
[[Category:都道府県別のメディア|とつとりしまね]]
#***テレサ・テンへも楽曲提供を行う
#***小林旭への楽曲提供も実施
#***河合奈保子へも楽曲提供を行った
#****河合奈保子とは楽曲の共同制作も行った
#***Come on Let's Danceの発売時期は史実と同時期
#****歌詞が史実と少しだけ違う可能性もある
#***アルバムのGORILLAの発売は史実と変わらず
#****Come on Let's Danceが収録されるのも史実と同じ
#***GIRLの発売は史実と変わらず
#***All-Right All-Nightの発売は史実と変わらず。但し歌詞が史実と異なる可能性がある。
#***Self Controlの発売時期は史実と変わらず。
#****週間チャートで10位圏内に初めて入ったのはSelf Controlだった
#*****何らかのCMのタイアップが付いていた
#****アルバムのSelf Controlも史実よりヒットした
#*****Here,There&Everywhereがこのアルバムに収録されるのは変わらず
#****DDRやbeatmania IIDXにも収録されていただろう
#***Get Wildで初の週間1位を獲得した
#****読売系アニメ「シティーハンター」のED曲なのは史実と同じ
#****Get Wildを収録したオリジナルアルバムを制作していた
#****BEMANIシリーズや太鼓の達人に収録されるのも史実と変わらない
#***Gift for Fanksの収録曲が史実とやや異なっていたかも
#***KISS YOUのリリースとヒットは史実と同じ
#***アルバムのhumansystemのリリースは史実と同時期
#****史実と違い国内で制作されたかも
#****このアルバムからRESISTANCEがシングルにリカットされるのは史実と同じ
#*****RESISTANCEは史実よりヒットした
#*****RESISTANCEが毎日系ドラマ「痛快!ロックンロール通り」の主題歌なのは史実と変わらず
#***BEYOND THE TIMEは史実よりヒット
#****ガンダムの映画版の主題歌になるのは史実と変わらず
#*****作品に政治的要素があった場合は、BEYOND THE TIMEも史実より政治的・社会的な側面の強い歌詞になっていた。
#***SEVEN DAYS WARの発売は史実と同時期
#****史実よりヒットしただろう
#****ぼくらの七日間戦争の主題歌なのは変わらず
#*****ぼくらの七日間戦争の内容が史実と大幅に異なっていた
#******登場人物には政治家や軍人も相当多い
#******登場人物には暴力的な民主活動家も含まれていた
#******1998年の民主化後に、史実の原作小説と同様のストーリーが「アナザーストーリー」として登場していたかも
#******アナザーストーリーの主題歌はおそらく小室哲哉単独作に
#***CAROLのリードシングルはJUST ONE VICTORYになっていた。
#****JUST ONE VICTORYのシングル版のリリースは1988年9月頃になっていた。
#****CAROLのレコーディングがロンドンで行われるのは史実と同じ。
#*****この時の渡英経験で小室哲哉が飛鳥涼にロンドンでレコーディングを勧め、翌年のCHAGE&ASKAの渡英のきっかけになるのは史実と同じ。
#****CAROLは史実よりアルバム曲重視になっていた。
#*****BEYOND THE TIME、SEVEN DAYS WAR、COME ON EVERYBODYは収録されなかった。
#****CAROLの内容は史実と若干違っていた。
#****木根尚登がCAROLが題材の小説を執筆し発表するのは史実と同じ。
#*****史実以上のベストセラーとなり、三島由紀夫や石原慎太郎などの政界に進出している文豪からも注目された。
#****CAROLを題材にしたオペラ形式のライブツアーを敢行するのも史実と同じ。
#***COME ON EVERYBODYの発売は史実と同じ。
#****史実以上の売上を記録。週間チャートで1位を獲得した。
#****この楽曲で国営放送の紅白歌合戦に出場。
#*****紅白歌合戦の特別バージョンで披露されるのは史実と同じ。
#*****このときのギター演奏をB'zの松本孝弘が担当するのも史実と同じ。
#***木根尚登が松本孝弘の独立までエレキギターがエアギターだったのは史実と同じ。
#***昭和天皇崩御によりTM NETWORKは1989年4月まで喪服でステージに立った。
#****TM NETWORKにも喪服で歌うように行政からの要請が入った。
#****木根尚登が初めてメディアの前でサングラスを外して演奏したのが昭和天皇崩御時。
#****天皇崩御による特別体制で初めて木根尚登の素顔が広く認知されるようになった。
#***1989年初旬に宇都宮隆がコンサート中に事故を起こし靭帯を損傷するのは史実と同じ。
#****先述した天皇崩御による喪服でのステージでの靭帯損傷だったため史実以上に大変なことになっていた。
#***宇都宮隆の靭帯が完治するのは史実と同時期。
#***初のリミックスアルバムのDRESSが発売されるのは史実と同時期。
#****先行シングルがCOME ON EVERYBODY、KISS YOU(KISS JAPAN)、GET WILD'89なのは史実と同じ。
#*****メディアで披露するのがGET WILD'89なのは史実と同じ。またこのGET WILD'89で1989年の国営放送の紅白歌合戦に出場した。
#*****先行シングルが1989年4月15日に3枚同時リリースになるのも史実と同じ。
#***この時期に小室哲哉は史実以上に様々な歌手やアイドルに楽曲提供を行った。
#****渡辺美里への楽曲提供は継続して実施。
#****光GENJIへも楽曲を実施し飛鳥涼に続く形で成功。
#****TUBEにも1曲は楽曲を提供した可能性が高い。
#****中山美穂への楽曲提供も史実と変わらずに実施。
#*阿久悠、松本隆、筒美京平、橋本淳、秋元康は史実をも上回るヒットメーカーになっていた。
#国策映画や国策音楽は戦後も多数制作された
#*戦前の国策映画の主題歌となった蘇州夜曲は史実以上に歌い継がれている。
#伝統芸能が戦後も伝承されるのは史実と変わらず
#*むしろ史実以上に伝承され現在に至る。
#映画やドラマやアニメは以下のようになっていた。
#*映画は戦後史実以上に流行するが、高度経済成長によるテレビの普及で衰退。
#**但し、1980年代以降の映画館のシネコン化やインターネットの普及によるテレビ業界の低迷で昨今復調するのは同じ。
#**映画館のシネコン化は史実より早くに始まっていた。
#*東宝映画が阪急傘下なのは変わらず
#**帝国復古に反対した社内の集団が第2次東宝争議を起こしたかも
#***第2次東宝争議が起きた場合、東宝は確実に行政からの懲罰を受けていた
#*東映が東急グループを離脱することはなかった
#**石原軍団の映画を多数制作していた
#***史実以上に制作していただろう
#**特撮作品の制作も多数行うのは変わりなし
#**朝日が資本参加することはなかった
#**経営拡大も史実より進んでいる
#***シネコンのT・ジョイを展開するのは史実と変わらず
#****T・ジョイの展開は史実より進んでいるだろう
#**アニメ映画も史実より多数制作していた
#*シネセゾンは西武映画として高度経済成長期には発足していた
#**流通系に属するのは変わらず
#***鉄道グループとの分裂がないので、西武鉄道やプリンスホテルとのコラボは盛んに行われる
#**1980年代にシネセゾンに改組
#**解散することなく現在まで存続
#***シネコンのセゾンシネマを全国展開している
#***ラブライブ!シリーズの映画版はここが制作し配給している
#[[もし海外のこんな法律が日本で採用されたら#タレントエージェンシー法|タレントエージェンシー法]]が成立し、その影響で芸能人による労組が結成されていた。
#*芸能人の労組の大半は同盟系であるが、史実の進歩的文化人及びそれに近い立場のタレントは総評系の労組に所属していた。
#**芸能労組が確実に物言う存在になるので同盟は現在も労働組合として存続している。当然総評との合併による連合の成立もない。
#*また、[[JASRACに言いたい|JASRAC]]のあり方も史実と異なっていた。
#**JASRAC自体は存在するが著作権管理の主体はアーティストの所属する労組にある。
#**またJASRACも同盟系の大手芸能労組の言いなりになっていた。
#*JASRAC以外にも著作権管理団体があったかもしれない。
#[[ゴジラシリーズ]]は幼児/少年層向けの国軍プロパガンダ映画として史実以上に親しまれている。
#*2004年で一旦シリーズ終了などということはありえない。
#*国の体制が史実と異なった影響でシン・ゴジラにも差異がいくらか出た。
#**蒲田くんの段階で機関銃の発砲及びミサイル攻撃が行われていた。
#**ゴジラ滅却のために用意された核ミサイル及び原潜は史実の作品と違い米軍ではなく新日本軍のものだった。
#**ヤシオリ作戦で使われた無人攻撃機群は日米混成部隊だった。
#**無人在来線爆弾には史実より多数の車種が登場していた。
#[[ウルトラシリーズ]]では防衛組織の代わりに新日本軍が登場していた。
#*史実における作品での架空銃・架空機の立ち位置に実際に使われている軍用機や銃が登場する。
#[[仮面ライダー]]シリーズは中国の抗日ドラマ的ポジションになっていた。
#*ショッカーは「ネオナチと共産主義者の連合組織」という設定になっていた。
#J-POP自体やテレビの音楽番組は史実以上に発展し、平成初期以降に史実のように衰退することもなかった。
#*国営放送は史実よりも音楽番組を積極的に制作し、若者向けの生中継の音楽番組も昭和後期から制作・放送している。
#*毎日系列のザ・ベストテンが放送を開始するのは史実より数年早い。また1989年9月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
#**放送開始は1973年頃
#**黒柳徹子がMCなのは史実と変わらず
#***2019年現在も黒柳徹子がMCを務めている
#****近藤真彦とのトークは史実以上の名物に
#****米米CLUBのブレイク後はカールスモーキー石井とのトークも名物になった
#***男性MCは史実のTBSテレビのアナウンサーに
#****初代男性MCは鈴木史朗が務めた
#****鈴木史朗の卒業後は久米宏が史実通りに担当する
#*****鈴木史朗の降板は1979年頃かと
#*****久米宏の卒業は史実と同時期(1985年頃)
#****久米宏の降板で松下賢次に男性MCが交代するのは史実と変わらず
#*****松下賢次が1989年1月で降板することはなかった
#******1992年3月頃まで司会を務めていた
#******渡辺正行が司会を務めることはなかった
#**番組開始からすぐの頃に井上陽水が連続でランクインするが本人が「恥ずかしくて出れません」と出演を辞退し、その伝言を鈴木史朗が代読していた。
#**1974年およげたいやきくんの連続1位記録は簡単に破られなかった
#***1977年にピンクレディーによってようやく破られていた
#****或いはキャンディーズの可能性もある
#****初期は沢田研二、野口五郎、郷ひろみ、キャンディーズ、ピンクレディーによる記録更新合戦が続いてた。
#**西城秀樹が最高得点を叩き出すのは史実と同時期
#**1981年に寺尾聰がルビーの指環で連続1位記録を更新しその後長らく記録は破られなかった。
#***1992年の米米CLUBの君がいるだけで、若しくは、1993年のCHAGE&ASKAのYAH YAH YAHでこの記録は破られた。
#**1980年頃は中島みゆきが頻繁にランクインするが出演を見合わせるのは不可避
#**松任谷由実も1981年頃から頻繁にランクインするがやはり出演を見合わせる
#**山口百恵を回顧する臨時のコーナーが1981年初旬の放送で設けられた
#**松田聖子や中森明菜は史実以上に頻繁にランクインした
#**近藤真彦や田原俊彦のランクインも史実以上に
#**河合奈保子や野村義男も史実より頻繁にランクインした
#***1990年代以降も頻繁にランクインし続けた
#**番組の出演歌唱者の各地からの中継も史実と同じ。
#***ライブ会場からの中継も多かった。
#***駅や空港からの中継は史実以上に多かった。
#**サザンオールスターズの初の1位は史実と同時期。
#**CHAGE and ASKAは1980年代後半に1位を獲得していた。
#**TM NETWORKも1980年代のあいだに1位を獲得できていた。
#**番組は1989年10月以降も継続した。
#***工藤静香のあの歌唱は史実ほど有名にならなかった。
#***B'zは1989年11月16日の放送でスポットライトに出演したのが最初だった。
#****ここではBAD COMMUNICATIONを唄った。
#****B'zが初めてザ・ベストテンでベスト10入りしたのは、1990年5月31日の放送だった。
#***Mr.Childrenは1993年12月2日のスポットライトへの出演が最初だった。
#****この楽曲でCROSSROADを披露した。CROSSROADは数週間後より長期間ベスト10に入り続けた。
#**1994年以降に最高得点が年に2~3回出るのが2000年頃まで続いた。
#***B'zはLOVE PHAMTOMで最高得点を叩き出していた。
#***globeもDEPERTURESで最高得点を叩き出していた。
#*読売系列のザ・トップテン→歌のトップテンも放送開始は史実より早く、また1990年3月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
#*産経系列の夜のヒットスタジオの放送開始は史実と同時期。1990年10月の放送終了はなく、2019年11月現在も放送を継続している。
#**夜ヒットが日本の他の音楽番組の制作に影響を与えるのは史実と変わらず。
#**共産党バンザイ事件はなかった
#**夜のヒットスタジオから夜のヒットスタジオDELUXEへのリニューアルは史実と変わらず。
#**夜のヒットスタジオSUPERへのリニューアルはなかった。
#**放送が当初は月曜日だったのが水曜日に変更になるのは史実と変わらず。
#**当初は前田武彦と芳村真理が司会だったのは変わらず。
#***前田武彦の共産党バンザイは共産党が非合法なのであり得ないが、共産主義を礼賛する発言を連発したのが問題となり、最終的には前田武彦の反共法違反での逮捕で降板した。
#***芳村真理が司会を一旦降板することはなかった
#**三波伸介がメイン司会者になるのは史実と変わらず
#**朝丘雪路が司会者になることはなかった
#**井上順が司会者になるのは史実より遅れるかも知れないが不可避
#***降板は史実より少し遅れそう
#***1990年以降に再登板した可能性もある
#**井上順の後継の司会者が古舘伊知郎なのは史実と変わらず。
#***1994年頃までには降板していた。
#**柴俊夫が司会者になるのは史実と同じ
#***降板することはなかった
#***2019年現在のメイン司会者かと
#**加賀まり子が司会者になることはなかった
#**1990年頃に八木亜希子が司会者に就任した
#***1996年頃に卒業という形で降板した
#***富永美樹が後継者となった
#****富永美樹は2002年頃に卒業という形で降板した
#*朝日系列のミュージックステーションの放送開始は史実と同時期
#**当初は関口宏が司会だったが、半年でタモリに司会が変わるのは史実と同じ
#**1990年代序盤~中盤に有賀さつきがサブ司会者だったのも史実と変わらず
#**1990年代後半からはテレビ朝日の若手女子アナがサブ司会者なのは変わらず
#**テレビ朝日の本局が大阪・東天満にあるため、大阪のスタジオから生中継された。
#***タモリはいいとも司会時代に金曜日のいいともの反省会が終わると即座に新幹線で大阪入りした。そしてミュージックステーションの反省会が終わると最終の新幹線若しくは夜行列車で東京に戻る。
#***史実の朝日放送の女子アナウンサーの一部がテレビ朝日のアナウンサーとしてミュージックステーションのサブ司会者を担当した。
#実写の映画にも史実とそれ相応の差異があった。
#*ミリタリー系や刑事系の映画は史実より相当制作され、同時に史実より相当流行っていた。
#**日本映画界でミリタリー系の映画が史実ほどタブー視されることはなかった。
#*恋愛系の映画が増えるのは史実と同時期。
#**流行るのは史実より若干遅れるが、その分史実以上に流行るようになる。
#*学園モノの映画は史実と同じく多数制作される。
#**但し中学校や高校を扱ったものが多く、大学や大学院を扱ったものは史実ほど増えなかった。
#***大学進学率が史実のように高くはならず、大学は今もエリートが行くところであるため。
#***高等専門学校を扱った映画は史実よりそれ相応に多かった。
#*コメディ系映画は史実より若干多く制作される。
#**コメディ系映画のバリエーションも史実より多様になっていた。
#*ドキュメンタリー映画は史実と同じように制作される。
#**公共事業を扱ったものドキュメンタリー映画は史実より多い。
[[Category:もし日本が権威主義化していたら|けいのう]]

2021年2月21日 (日) 05:28時点における版

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  1. 芸能界全体に史実とそれ相応の差異があるのは確実
    • 芸能界自体が史実より政財界とコネの強い業界になっていた
      • なかでもアイドルは自民党の政治家とのコネが強い
        • 極右や左派からはアイドルは史実以上に忌み嫌われる
    • 業界全体が史実より反共色の強い世界になっていた
      • 制作される作品で反共色の強いものは史実よりかなり多い
  2. 音楽界にも史実より多少或いは大幅な差異があった
    • 軍歌は史実ほど衰退しなかった
      • 平成以降も定期的に新しい軍歌が作られている。
    • 演歌や浪曲は1970年代まではそれ相応に聴かれていた。
    • 若者の演歌離れ・浪曲離れはいずれにせよ不可避
    • 大衆的な歌謡曲の発展は史実と変わらず
      • 舟木和夫、橋幸夫、西郷輝彦は史実通りブレイク
      • 内山田洋とクール・ファイブやザ・ゴールデン・カップスのブレイクも史実と変わらず
      • 加山雄三、石原裕次郎、小林旭も史実と同じかそれ以上にヒットを飛ばしただろう
    • 思想犯などの政治的犯罪で逮捕されたり引退を余儀なくされる音楽家は史実より多かった
      • 赤い鳥はプロデビューできなかった
      • ザ・フォーク・クルセダーズ解散後の加藤和彦は国家保安法違反で逮捕され、有罪判決を受けたのちに、海外へ亡命した。
        • イムジン河は当然放送できず。放送しようとなら史実以上の刑罰が関係者に下る。
    • フォークソングやそこから派生したニューミュージックが1970年代以降の音楽シーンを席巻するのは変わらず。更にそれが1980年代以降になってロックやポップスなどのJ-POPや和製のHR/HMやR&Bに発展して現在に至る。
      • 井上陽水のデビューとブレイクは史実と変わらず
        • アンドレ・カンドレでデビューするも全くの不振に終わるのは同じ。史実以上の不振に終わっただろう。
          • 井上陽水で再デビューして、傘がないなどをリリースしたのちに夢の中ででブレイクするのは史実と同じ。
          • 年代的にデビュー前に徴兵制による兵役を経験している。
        • 大麻所持をせずに済んだだろう。
          • 昭和50年代中盤の人気低迷はなかった。
        • なぜか上海は別のタイトルになっていた。楽曲も上海については唄われていない。
          • 台北か香港の可能性が高い。
      • 中島みゆきの音楽業界入りも史実と同時期
        • 初期は史実ほどヒットしないがわかれうたは史実以上にヒットする。
        • かなしみ笑いは史実以上にヒット
          • B面の霧に走るの「いっそこんな車壊れて~」は2019年現在史実以上にネット上で引用されている。
        • 悪女は史実よりかなりヒットした
      • (荒井由実→)松任谷由実の音楽業界入りは史実と同時期
        • 大学中退は史実より早まるだろう
        • 反共独裁政権と新左翼の学生運動の確執と攻防を第三者目線で描いた楽曲を複数発表していた。
        • 「いちご白書」をもう一度を制作することはなかった。
        • ひこうき雲と返事はいらないの制作は史実と同じ
          • 返事はいらないがデビュー曲なのは史実と同じ
        • 横浜での大規模な開発独裁の影響で海を見ていた午後の歌詞が壮大なものになっていた
        • あの日に帰りたいのヒットは史実と変わらず
          • 史実以上にヒットしたかも
        • 松任谷正隆との結婚は史実と変わらず
        • 1970年代終盤の低迷は史実と同じ
        • 守ってあげたいが久々のヒットとなるのは史実と同じ
          • 史実よりヒットした
      • 浜田省吾は史実よりヒット曲を量産していた
      • 大瀧詠一の音楽界での活躍は史実をも遥かに上回るものに
        • アジア太平洋地域の諸外国でもヒットを飛ばしていただろう
        • 森進一や小林旭への楽曲提供も史実と変わらない
      • 長渕剛の業界入りも史実と変わらないが、その経緯が史実と異なった可能性もある。
        • 九州産業大学への進学はなかったかあっても史実より早くに中退した
          • 大学進学がなかった場合はデビューが史実より早まっていた
        • 業界入りする前に志願兵として兵役を経験していた
        • 巡恋歌がデビュー曲かどうかは一概に言えない
          • 雨の嵐山が正式なデビュー曲になっていた可能性があるので
        • 順子でブレイクするのは史実と変わらず
          • これ以降なかなかヒットシングルに恵まれないのは史実と変わらず
          • アルバムは史実と同じかそれ以上にセールスを伸ばした
          • 1983年のGOOD-BYE青春が久々のヒットとなるのは史実と同じ
          • 孤独なハートは史実よりヒットした
        • 音楽番組には初期より史実より頻繁に出演していただろう
        • HUNGRYで初期のクリアな歌声から現在のしゃがれた歌声になるのは同じ
          • 久しぶりに俺は泣いたんだは史実よりヒットした
          • 勇次も史実よりヒット
        • 勇次以降に病に倒れることはなかった
          • そのためSTAY DREAMは史実と違いロック色の強い作品となった
      • サザンオールスターズの結成と業界入りも史実と変わらず
        • 但しデビュー前の動向が史実より慌ただしくなる
        • バンド名の変更回数は史実より減ったかもしれない
        • メンバーの約半数はデビュー前に志願兵として兵役を経験
          • メンバー全員が青年期に志願兵として兵役を経験した可能性もある
          • 年代的に徴兵制の対象だった可能性もあり
        • 勝手にシンドバッドでデビューするのは変わらず
          • 勝手にシンドバッドは反響は史実以上も売上は史実以下
          • 気分しだいで責めないでは史実ほどヒットせず
        • いとしのエリーは史実ほどヒットしなかった
        • デビューから数年はあまりヒットシングルに恵まれず
          • アルバムは史実と同じくヒットしたか場合によっては史実以上のヒットとなった
          • コンサートライブも連日連夜大盛況で、場合によってはすぐにチケットが入手困難に
          • アルバムのタイニイ・バブルスとステレオ太陽族のリードシングルもヒットしなかったが、アルバムは史実以上にヒットした。
            • C調言葉に御用心も史実ほどヒットしなかった。
            • タイニイ・バブルス収録の松田の子守唄は、原曲の赤い鳥の竹田の子守唄が発禁になるため別のタイトルになっていた。
            • 働けロックバンドの歌詞は史実より辛辣なものになっていた。
        • 1982年のチャコの海岸物語が久々のヒットシングルとなる。
        • 桑田佳祐と原由子の結婚は史実と変わらず
        • Ya Ya(あの時代を忘れない)は史実よりヒット
        • EMANONが不振に終わるのは史実と変わらず
          • アルバムの綺麗も史実ほどヒットしなかった
            • 史実で綺麗に収録されているかしの樹の下では検閲に引っかかり収録できなかった。
              • NUDE MAN収録の流れる雲を追いかけての歌詞も史実より修正が加わったかも。
                • ロッキード事件がないので、史実でロッキード事件について唄われたNUDE MANの歌詞が史実と大幅に異なっていた。
        • ミス・ブランニューデイは史実よりヒットした
        • BYE BYE MY LOVE(U are the one)も史実よりヒット
        • メロディも史実よりヒット
        • アルバムの人気者で行こうとKAMAMKURAの完成度は史実をも遥かに上回るものになった
          • 吉田拓郎の引退の噂はなく吉田拓郎の唄は制作されなかったかも
          • Computer Childrenは史実以上のハイテクサウンドを駆使した楽曲になっていた
        • 1983年を最後に紅白歌合戦の出場が長期間途絶えることはなかった
          • 1982年の紅白歌合戦での物議を醸す行動もなかった
          • 1984年はミス・ブランニューデイで出場していた
          • 1985年はBYE BYE MY LOVE(U are the one)で出場していた
        • 1985年を最後に原由子の産休で活動休止に入るのは変わらず
        • 1986年以降のサザンオールスターズはソロ活動に突入した
          • 桑田佳祐がKUWATA BANDを期間限定で結成するのは変わらず
            • 松田弘の参加も変わらず
            • KUWATA BANDの解散後の1987年の桑田佳祐と松田弘がソロ歌手として活動するのも史実と変わらず
        • サザンオールスターズの活動再開が10周年の1988年になるのは史実と同じ
          • 史実通りみんなのうたで再開
          • みんなのうたは史実以上にヒットした
          • みんなのうたを収録したオリジナルアルバムを1988年夏に発表
        • 1988年12月に史実にないオリジナルアルバムを発表
          • リードシングルが1988年9月と11月に発表
        • 1988年の国営放送の紅白歌合戦にも出場
        • 1989年1月上旬の昭和天皇崩御を受け、以降の3か月間は喪服でステージに立った
          • 昭和天皇へのレクイエムも制作した
        • 女神達への情歌のリリースは史実と同時期
          • クレームは史実ほどではなかった
          • クレームはあったが史実以上に掻き消されていた
      • チャゲ&飛鳥→CHAGE&ASKAのデビューも史実と同時期
        • チャゲも飛鳥涼も青年期に志願兵として兵役を経験
        • ユニット名はチャゲ&飛鳥からCHAGE&ASKAを経て、現在のCHAGE and ASKAに
          • 正式名称としてCHAGE&ASUKAを名乗ったことはなかった
            • レコードジャケットのクレジットのデザインとして名乗ったことはある。
        • ひとり咲きでデビューするのは変わらないが、史実以上の不振に終わる。
          • ひとり咲きで夜のヒットスタジオに出演することはなかった。
        • デビューのきっかけとなった流恋情歌も史実以上の不振に終わる
        • ファーストアルバムの風舞は史実以上の不振に終わった
          • このアルバムから私の愛した人がシングルにリカットされた
        • 万里の河でブレイクするのは史実と変わらず
          • 夜のヒットスタジオへの初出演も万里の河だった
          • 万里の河は史実よりもヒットした
          • 万里の河以降はなかなかヒットシングルに恵まれず
            • しかしコンサートライブはむしろ史実以上の大盛況で場合によってはチケットが発売からすぐに入手困難に
            • 万里の河以降のシングルはほとんど不振続きに終わったのは史実と同じだが、それでも男と女やオンリーロンリーは史実よりそれ相応にヒットした。
            • 熱い想いと北風物語は不振に終わったほか、1983年のシングルもどれも不振に終わった。
            • 南十字星がアルバムからシングルにリカットされた。
          • 1984年のMOON LIGHT BLUESと標的は史実よりはヒットしただろう。
        • 1985年の夏と秋に史実にないシングルをリリース
        • SUPER BESTは1985年12月頃のリリースになっていた。
        • Standing Ovationはリリースされなかった。
        • 1986年初旬に他者への提供曲のみで構成されたセルフカバーアルバムを発表していた。
          • 葛城ユキに提供したボヘミアンもこれに収録された。
        • チャゲアスは史実と同じく、当初は演歌フォークと呼ばれる演歌の要素を取り入れたフォーク調の作風の路線を行くが、1982年末辺りを契機にニューミュージックに路線変更し、更に1984年~1985年にJ-POPへと作風を変える路線変更を行った。
          • 真紅な動輪のサントラ盤の熱い想いまではフォーク調の作風だが、21世紀でニューミュージックになり、IN SIDEとZ=Oneで完全に演歌フォークから脱却しロック、ポップス、テクノなどのJ-POPに路線変更した。
            • 熱い想いが真紅な動輪の主題歌なのは史実と変わらず
            • TWILIGHT ZONEの歌詞が史実と異なる
        • 1986年にレコード会社をデビュー時のワーナーパイオニアからキャニオンレコードに移籍するのは変わらず。
        • キャニオンレコード移籍第1弾のシングルであるモーニングムーンは史実よりヒットした。
          • 財閥系大手企業のCMソングだっただろう。
        • 黄昏を待たずにも史実よりそれ相応にヒットした
          • こちらも大手財閥系企業のCMソングだった
            • もしその場合はモーニングムーンとタイアップ先が同じだった
        • Count Downと指環が泣いたも史実よりヒットした
          • どちらもドラマ主題歌に起用された可能性がある。
        • 1986年は国営放送の紅白歌合戦と産経の世界紅白にW出演した。
          • 紅白歌合戦ではモーニングムーンを唄い、世界紅白では指環が泣いたを唄った。
          • 世界紅白出場がアルバムのMr. ASIAを制作するきっかけとなるのは変わらず。
        • SAILOR MANは史実よりヒット
          • 日本航空のタイアップが付くのは同じ
        • ロマンシングヤードは史実よりヒット
          • 産経のミリタリードラマの主題歌に起用されたかと。
            • 主演は渡哲也か舘ひろし
        • 恋人はワイン色は史実よりヒット
          • テレビ朝日系列のドラマ「あぶない雑居カップル」の主題歌なのは史実と同じ。
            • チャゲアスが連ドラ主題歌を担当するのはこれが最初ではなかった。
        • アルバムのRHAPSODYは史実以上の売上を記録した。
          • レノンのミスキャストの歌詞が史実と違うかもしれない。
          • 狂想曲がシングルにリカットされるのは変わらず。
        • アルバムのENERGYも史実以上の売上を記録した。
          • 先行シングルはLove AffairとTrip
            • Love Affairのリリースは1988年7月頃
            • Tripは史実と同時期
        • 光GENJIへの楽曲提供は史実以上の成功を収める。
        • 昭和天皇崩御から約3か月間は喪服でステージに立つ
          • そのような指導がチャゲアスに限らず行政から入るだろう
          • 昭和天皇崩御に際してチャゲと飛鳥涼は公式のお悔やみのコメントを発表した。
            • 飛鳥涼は昭和天皇へのレクイエムを制作し発表した。
        • WALKの発表は史実と同時期
          • 発表時の評判は史実ほどではないが芳しくなかった。
          • 数作ぶりに週間チャートの上位10位圏外へのランクインとなったであろう。
          • 史実と同じく1992年に再発売されその時に高評価されただろう。
        • LOVE SONGは史実よりかなりヒット。
          • 1992年にリミックスされ再発売されるのは変わらず。
          • 1989年のLOVE SONGは民営化されなかった国鉄のタイアップが付いたかも。
        • 10周年のアルバムであるPRIDEは史実以上の売上。
          • 表題曲のPRIDEはチャゲアスファンはもちろん、ファンに限らずコアなリスナーからも史実以上の人気。
          • 天気予報の恋人の認知度も史実以上。
          • 砂時計のくびれた場所の認知度は史実以上だった。
        • アジア進出は昭和末期には行われる。
          • チャゲアスの大東亜共栄圏ツアーも1986年頃には定番に。
        • 1989年の10周年は史実以上に盛り上がった
        • チャゲがMULTI MAXを結成するのは史実と変わらず
          • 但し史実以上に副業的なものになっていた
        • 飛鳥涼が1989年秋に渡英するのは史実と変わらず
          • このときに史実にあったチャゲアス解散説の浮上はなかった
          • 1989年12月下旬にはチャゲも渡英した
          • 1989年の国営放送の紅白歌合戦にロンドンからの中継で白組から出場。LOVE SONGを披露。
          • 1990年初旬よりアルバムのSEE YA!をロンドンで制作するのは史実と変わらず。
            • チャゲアスの2人はロンドンにて労働党の支持者に喧嘩を吹っかけられた。
            • ロンドンのライブハウスでのコンサートは史実と変わらず。
            • SEE YA!の作風に史実と若干の差異があった。
              • リードシングルのDO YA DOは史実と変わらず
              • 水の部屋は史実以上に和のテイストが強くなった
              • モナリザの背中よりもは史実以上にデsジタル色が強くなった
                • ゼロの向こうのGOOD LUCKにも同じことが言える
              • YELLOW MENの歌詞は史実以上に辛辣なものに
                • ゼロの向こうのGOOD LUCKも
              • 太陽と埃の中では史実と変わらず
        • 1990年2月のバラードベストのリリースはおそらく史実と変わらず
        • 1990年3月に史実にないシングルをリリース
          • SEE YA!には収録されず
          • この時期に日本に帰国
        • 心のボールは福岡特別市の特別市制15周年の1987年か20周年の1992年に制作・発表された
        • 帰国後に積極的にメディアへの露出を行い、主にDO YA DOを唄う
        • ロンドンで制作したSEE YA!の発売は史実と同時期
          • アルバムを引っ提げてのコンサートツアーも行う
            • 韓国、台湾、香港での公演も設定された
        • 太陽と埃の中でがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
          • 史実と同じく産経系列のタイムスリーのED曲に
        • 1990年も光GENJIに楽曲提供を行った。また1991年以降も光GENJIへの定期的な楽曲提供を継続した。
        • 1991年のASKAソロのはじまりはいつも雨のミリオンセールスは史実と変わらず
          • 史実以上のセールスを伸ばした
          • 松下電器産業のコンポのhalfのタイアップ曲なのは史実と変わらず
        • バブル景気がないため、産経系ドラマ「101回目のプロポーズ」が制作されず、SAY YESのタイアップ先が史実と異なっていた。
          • 史実にない産経系のトレンディドラマの主題歌になった可能性が高い。
          • SAY YESのセールス自体も史実ほどは伸びなかった。
            • どんなに売り上げを伸ばしてもシングルミリオン止まり
            • それでもチャゲアス名義で初のミリオンシングルになったかも知れない
        • 僕はこの瞳で嘘をつくのシングル化は史実と変わらず
          • 史実と違いアルバムのリードシングルだったかも知れない。その場合はSAY YESとリリース順序が逆になっていた
        • アルバムのTREEの発売は史実と変わらず
          • 史実と変わらず、僕はこの瞳で嘘をつく、SAY YES、BIG TREEは収録
          • tomorrowの歌詞が史実とやや違っていた
          • 当初の予定通り、1991年9月21日に発売され史実の10月10日に遅れることはなかった
        • SAY YESや僕はこの瞳で嘘をつくのときは、史実と違いメディアに積極出演しこれらの楽曲を披露
        • 1991年12月下旬頃に史実にない新曲をシングルとしてリリース
        • 1992年3月25日のSUPER BEST 2の発売は史実と変わらず
          • このときのLOVE SONG '92の発表は変わらず
          • SUPER BEST 2には1989年のLOVE SONGと1992年のLOVE SONGの両方が収録された
        • ifの大ヒットは史実と変わらず
          • SAY YESがミリオンを達成していない場合は、こちらもミリオンセールスを記録することはなかった。
          • SAY YESがミリオンセールスを達成した場合は、タッチの差でミリオンセールスを達成した。
        • no no darlin'は史実以上にヒットし、週間1位も獲得していた。
          • GUYSがシングル候補だったがアルバムのタイトル曲に振り替えられるのは変わらず
          • GUYSの制作もロンドンで行われるのは史実と変わらず
        • GUYSと同じ日にGUYSとコンセプトの異なるトレンディな作風のアルバムを発表したかも
          • この場合、先行シングルが1992年の5月と9月にリリースされていただろう
        • YAH YAH YAHは史実以上のメガヒットとなる
          • チャゲアスの初のダブルミリオンシングルはYAH YAH YAHになっていた
          • 産経系ドラマ「振り返れば奴がいる」の主題歌なのは変わらず
          • 当然、YAH YAH YAHは週間1位を獲得
            • 史実のビーイング旋風がないので、週間1位をかなりの間にわたってキープした
          • 夢の番人はダブルA面ではなく同時発売になっていた
            • 夢の番人は週間10位に入るのが精一杯だった
          • 後にpop'n musicなどの音楽ゲームにも収録された
        • YAH YAH YAHでCHAGE&ASKAの地位は不動のものになった
          • それでも史実の1990年代前半のチャゲアス旋風はなかった
          • むしろ1990年代でチャゲアスが大いなる活躍を遂げるのは、史実の前半ではなく、史実ではソロが主体になった後半である。
        • Sons and Daughtersは史実よりヒットした。
          • 但し、富士重工業かセゾングループかのどちらかだけのタイアップになっていた
            • もうどちらかは史実に存在しない別の楽曲がタイアップ曲になっていた
          • カップリングのMr.Jの悲劇は岩より重いは歌詞と題名が異なるか、そもそも制作自体がされなかった
        • アルバムのRED HILLは史実より相当ヒットした
          • ダブルミリオンは確実視される
          • RED HILLは国際情勢も歌詞に交じっていたかも知れない
          • You are freeとなぜに君は帰らないがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
        • Knockはなぜに君は帰らないのカップリングではなく、シングル曲として1994年2月頃にリリースされた。
          • Knockがアナログ盤の通常盤が発売された最後のシングルとなった
      • TM NETWORKとglobeの活動とその経緯が史実と異なる。
        • 小室音楽は史実以上の支持を得ていた
        • 宇都宮隆と木根尚登がSPEEDWAYを結成するのは史実と同時期
          • 宇都宮隆は青年期に志願兵として兵役を経験
            • 木根尚登も実父の指示と宇都宮隆の誘いで志願兵として兵役を経験しただろう
          • SPEEDWAYに小室哲哉が加入するのは史実と同時期
        • SPEEDWAYが何のヒットもないまま1983年に解消するのも史実と同じ
        • SPEEDWAY解散後の小室哲哉と木根尚登とオーストラリア人ボーカリストの新ユニット構想はなかった。
        • SPEEDWAY解散後は小室哲哉は即座に宇都宮隆と木根尚登にTM NETWORK結成を呼び掛けた。小室のこの声に宇都宮と木根はすぐに応じて、TM NETWORKは結成された。
          • フレッシュサウンズコンテストで優勝しデビューの切符を掴むのは変わらず
        • 1984年4月21日のデビューは史実と同じ
          • 1stアルバムのRAINBOW RAINBOWの収録曲は史実以上に難解な歌詞が多かった。
            • 金曜日のライオンがデビューシングルになるのは変わらず
            • 1974のシングルへのリカットは史実と同じ
              • シングルジャケットに木根尚登の姿がないのも同じ
        • 木根尚登が坊主頭を拒否する代わりにサングラスをするのは史実と変わらず
        • ACCIDENTのリリースは史実と同時期
          • 作詞が松井五郎なのも史実と変わらず
          • ACCIDENTを収録したアルバムのCHILDHOOD'S ENDの発売時期も史実と同時期
          • CHILDHOOD'S END収録のDRAGON THE FESTIVALのリミックス版のシングルでのリリースも変わらず
            • YOUR SONG("D"Mix)と併せて12インチシングルとしてリリースされるのも史実と変わらず
        • 初期は阿久悠との楽曲制作も行った
        • 湯川れい子や秋元康もTM NETWORKの楽曲制作に参加した
        • 松井五郎との楽曲制作は史実よりかなり増えた
        • 神沢礼江や川村真澄との楽曲制作は変わらず
        • 小室みつ子との楽曲制作は史実以上
        • 澤地隆とも楽曲制作を行っていた
        • TWINKLE NIGHTの発売は史実と同時期
          • 表題曲のTWINKLE NIGHTの歌詞が史実と若干異なる
          • ELECTRIC PROPHETは史実とほぼ変わらず
          • YOUR SONGのアルバム版が収録されるのは史実と同じ
        • FANKSの単語の誕生時期は史実と変わらず。時期的にも史実と同時期。
        • 渡辺美里へ提供した楽曲が初ヒットになるのは史実と変わらず。
          • My Revolution、Teenage Walk、BELIEVEなど
        • 岡田有希子への楽曲提供も史実と変わらず
        • 福永恵規への楽曲提供も史実と同じ
        • デビュー直後の少年隊へも楽曲提供を行っていた
        • テレサ・テンへも楽曲提供を行う
        • 小林旭への楽曲提供も実施
        • 河合奈保子へも楽曲提供を行った
          • 河合奈保子とは楽曲の共同制作も行った
        • Come on Let's Danceの発売時期は史実と同時期
          • 歌詞が史実と少しだけ違う可能性もある
        • アルバムのGORILLAの発売は史実と変わらず
          • Come on Let's Danceが収録されるのも史実と同じ
        • GIRLの発売は史実と変わらず
        • All-Right All-Nightの発売は史実と変わらず。但し歌詞が史実と異なる可能性がある。
        • Self Controlの発売時期は史実と変わらず。
          • 週間チャートで10位圏内に初めて入ったのはSelf Controlだった
            • 何らかのCMのタイアップが付いていた
          • アルバムのSelf Controlも史実よりヒットした
            • Here,There&Everywhereがこのアルバムに収録されるのは変わらず
          • DDRやbeatmania IIDXにも収録されていただろう
        • Get Wildで初の週間1位を獲得した
          • 読売系アニメ「シティーハンター」のED曲なのは史実と同じ
          • Get Wildを収録したオリジナルアルバムを制作していた
          • BEMANIシリーズや太鼓の達人に収録されるのも史実と変わらない
        • Gift for Fanksの収録曲が史実とやや異なっていたかも
        • KISS YOUのリリースとヒットは史実と同じ
        • アルバムのhumansystemのリリースは史実と同時期
          • 史実と違い国内で制作されたかも
          • このアルバムからRESISTANCEがシングルにリカットされるのは史実と同じ
            • RESISTANCEは史実よりヒットした
            • RESISTANCEが毎日系ドラマ「痛快!ロックンロール通り」の主題歌なのは史実と変わらず
        • BEYOND THE TIMEは史実よりヒット
          • ガンダムの映画版の主題歌になるのは史実と変わらず
            • 作品に政治的要素があった場合は、BEYOND THE TIMEも史実より政治的・社会的な側面の強い歌詞になっていた。
        • SEVEN DAYS WARの発売は史実と同時期
          • 史実よりヒットしただろう
          • ぼくらの七日間戦争の主題歌なのは変わらず
            • ぼくらの七日間戦争の内容が史実と大幅に異なっていた
              • 登場人物には政治家や軍人も相当多い
              • 登場人物には暴力的な民主活動家も含まれていた
              • 1998年の民主化後に、史実の原作小説と同様のストーリーが「アナザーストーリー」として登場していたかも
              • アナザーストーリーの主題歌はおそらく小室哲哉単独作に
        • CAROLのリードシングルはJUST ONE VICTORYになっていた。
          • JUST ONE VICTORYのシングル版のリリースは1988年9月頃になっていた。
          • CAROLのレコーディングがロンドンで行われるのは史実と同じ。
            • この時の渡英経験で小室哲哉が飛鳥涼にロンドンでレコーディングを勧め、翌年のCHAGE&ASKAの渡英のきっかけになるのは史実と同じ。
          • CAROLは史実よりアルバム曲重視になっていた。
            • BEYOND THE TIME、SEVEN DAYS WAR、COME ON EVERYBODYは収録されなかった。
          • CAROLの内容は史実と若干違っていた。
          • 木根尚登がCAROLが題材の小説を執筆し発表するのは史実と同じ。
            • 史実以上のベストセラーとなり、三島由紀夫や石原慎太郎などの政界に進出している文豪からも注目された。
          • CAROLを題材にしたオペラ形式のライブツアーを敢行するのも史実と同じ。
        • COME ON EVERYBODYの発売は史実と同じ。
          • 史実以上の売上を記録。週間チャートで1位を獲得した。
          • この楽曲で国営放送の紅白歌合戦に出場。
            • 紅白歌合戦の特別バージョンで披露されるのは史実と同じ。
            • このときのギター演奏をB'zの松本孝弘が担当するのも史実と同じ。
        • 木根尚登が松本孝弘の独立までエレキギターがエアギターだったのは史実と同じ。
        • 昭和天皇崩御によりTM NETWORKは1989年4月まで喪服でステージに立った。
          • TM NETWORKにも喪服で歌うように行政からの要請が入った。
          • 木根尚登が初めてメディアの前でサングラスを外して演奏したのが昭和天皇崩御時。
          • 天皇崩御による特別体制で初めて木根尚登の素顔が広く認知されるようになった。
        • 1989年初旬に宇都宮隆がコンサート中に事故を起こし靭帯を損傷するのは史実と同じ。
          • 先述した天皇崩御による喪服でのステージでの靭帯損傷だったため史実以上に大変なことになっていた。
        • 宇都宮隆の靭帯が完治するのは史実と同時期。
        • 初のリミックスアルバムのDRESSが発売されるのは史実と同時期。
          • 先行シングルがCOME ON EVERYBODY、KISS YOU(KISS JAPAN)、GET WILD'89なのは史実と同じ。
            • メディアで披露するのがGET WILD'89なのは史実と同じ。またこのGET WILD'89で1989年の国営放送の紅白歌合戦に出場した。
            • 先行シングルが1989年4月15日に3枚同時リリースになるのも史実と同じ。
        • この時期に小室哲哉は史実以上に様々な歌手やアイドルに楽曲提供を行った。
          • 渡辺美里への楽曲提供は継続して実施。
          • 光GENJIへも楽曲を実施し飛鳥涼に続く形で成功。
          • TUBEにも1曲は楽曲を提供した可能性が高い。
          • 中山美穂への楽曲提供も史実と変わらずに実施。
    • 阿久悠、松本隆、筒美京平、橋本淳、秋元康は史実をも上回るヒットメーカーになっていた。
  3. 国策映画や国策音楽は戦後も多数制作された
    • 戦前の国策映画の主題歌となった蘇州夜曲は史実以上に歌い継がれている。
  4. 伝統芸能が戦後も伝承されるのは史実と変わらず
    • むしろ史実以上に伝承され現在に至る。
  5. 映画やドラマやアニメは以下のようになっていた。
    • 映画は戦後史実以上に流行するが、高度経済成長によるテレビの普及で衰退。
      • 但し、1980年代以降の映画館のシネコン化やインターネットの普及によるテレビ業界の低迷で昨今復調するのは同じ。
      • 映画館のシネコン化は史実より早くに始まっていた。
    • 東宝映画が阪急傘下なのは変わらず
      • 帝国復古に反対した社内の集団が第2次東宝争議を起こしたかも
        • 第2次東宝争議が起きた場合、東宝は確実に行政からの懲罰を受けていた
    • 東映が東急グループを離脱することはなかった
      • 石原軍団の映画を多数制作していた
        • 史実以上に制作していただろう
      • 特撮作品の制作も多数行うのは変わりなし
      • 朝日が資本参加することはなかった
      • 経営拡大も史実より進んでいる
        • シネコンのT・ジョイを展開するのは史実と変わらず
          • T・ジョイの展開は史実より進んでいるだろう
      • アニメ映画も史実より多数制作していた
    • シネセゾンは西武映画として高度経済成長期には発足していた
      • 流通系に属するのは変わらず
        • 鉄道グループとの分裂がないので、西武鉄道やプリンスホテルとのコラボは盛んに行われる
      • 1980年代にシネセゾンに改組
      • 解散することなく現在まで存続
        • シネコンのセゾンシネマを全国展開している
        • ラブライブ!シリーズの映画版はここが制作し配給している
  6. タレントエージェンシー法が成立し、その影響で芸能人による労組が結成されていた。
    • 芸能人の労組の大半は同盟系であるが、史実の進歩的文化人及びそれに近い立場のタレントは総評系の労組に所属していた。
      • 芸能労組が確実に物言う存在になるので同盟は現在も労働組合として存続している。当然総評との合併による連合の成立もない。
    • また、JASRACのあり方も史実と異なっていた。
      • JASRAC自体は存在するが著作権管理の主体はアーティストの所属する労組にある。
      • またJASRACも同盟系の大手芸能労組の言いなりになっていた。
    • JASRAC以外にも著作権管理団体があったかもしれない。
  7. ゴジラシリーズは幼児/少年層向けの国軍プロパガンダ映画として史実以上に親しまれている。
    • 2004年で一旦シリーズ終了などということはありえない。
    • 国の体制が史実と異なった影響でシン・ゴジラにも差異がいくらか出た。
      • 蒲田くんの段階で機関銃の発砲及びミサイル攻撃が行われていた。
      • ゴジラ滅却のために用意された核ミサイル及び原潜は史実の作品と違い米軍ではなく新日本軍のものだった。
      • ヤシオリ作戦で使われた無人攻撃機群は日米混成部隊だった。
      • 無人在来線爆弾には史実より多数の車種が登場していた。
  8. ウルトラシリーズでは防衛組織の代わりに新日本軍が登場していた。
    • 史実における作品での架空銃・架空機の立ち位置に実際に使われている軍用機や銃が登場する。
  9. 仮面ライダーシリーズは中国の抗日ドラマ的ポジションになっていた。
    • ショッカーは「ネオナチと共産主義者の連合組織」という設定になっていた。
  10. J-POP自体やテレビの音楽番組は史実以上に発展し、平成初期以降に史実のように衰退することもなかった。
    • 国営放送は史実よりも音楽番組を積極的に制作し、若者向けの生中継の音楽番組も昭和後期から制作・放送している。
    • 毎日系列のザ・ベストテンが放送を開始するのは史実より数年早い。また1989年9月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
      • 放送開始は1973年頃
      • 黒柳徹子がMCなのは史実と変わらず
        • 2019年現在も黒柳徹子がMCを務めている
          • 近藤真彦とのトークは史実以上の名物に
          • 米米CLUBのブレイク後はカールスモーキー石井とのトークも名物になった
        • 男性MCは史実のTBSテレビのアナウンサーに
          • 初代男性MCは鈴木史朗が務めた
          • 鈴木史朗の卒業後は久米宏が史実通りに担当する
            • 鈴木史朗の降板は1979年頃かと
            • 久米宏の卒業は史実と同時期(1985年頃)
          • 久米宏の降板で松下賢次に男性MCが交代するのは史実と変わらず
            • 松下賢次が1989年1月で降板することはなかった
              • 1992年3月頃まで司会を務めていた
              • 渡辺正行が司会を務めることはなかった
      • 番組開始からすぐの頃に井上陽水が連続でランクインするが本人が「恥ずかしくて出れません」と出演を辞退し、その伝言を鈴木史朗が代読していた。
      • 1974年およげたいやきくんの連続1位記録は簡単に破られなかった
        • 1977年にピンクレディーによってようやく破られていた
          • 或いはキャンディーズの可能性もある
          • 初期は沢田研二、野口五郎、郷ひろみ、キャンディーズ、ピンクレディーによる記録更新合戦が続いてた。
      • 西城秀樹が最高得点を叩き出すのは史実と同時期
      • 1981年に寺尾聰がルビーの指環で連続1位記録を更新しその後長らく記録は破られなかった。
        • 1992年の米米CLUBの君がいるだけで、若しくは、1993年のCHAGE&ASKAのYAH YAH YAHでこの記録は破られた。
      • 1980年頃は中島みゆきが頻繁にランクインするが出演を見合わせるのは不可避
      • 松任谷由実も1981年頃から頻繁にランクインするがやはり出演を見合わせる
      • 山口百恵を回顧する臨時のコーナーが1981年初旬の放送で設けられた
      • 松田聖子や中森明菜は史実以上に頻繁にランクインした
      • 近藤真彦や田原俊彦のランクインも史実以上に
      • 河合奈保子や野村義男も史実より頻繁にランクインした
        • 1990年代以降も頻繁にランクインし続けた
      • 番組の出演歌唱者の各地からの中継も史実と同じ。
        • ライブ会場からの中継も多かった。
        • 駅や空港からの中継は史実以上に多かった。
      • サザンオールスターズの初の1位は史実と同時期。
      • CHAGE and ASKAは1980年代後半に1位を獲得していた。
      • TM NETWORKも1980年代のあいだに1位を獲得できていた。
      • 番組は1989年10月以降も継続した。
        • 工藤静香のあの歌唱は史実ほど有名にならなかった。
        • B'zは1989年11月16日の放送でスポットライトに出演したのが最初だった。
          • ここではBAD COMMUNICATIONを唄った。
          • B'zが初めてザ・ベストテンでベスト10入りしたのは、1990年5月31日の放送だった。
        • Mr.Childrenは1993年12月2日のスポットライトへの出演が最初だった。
          • この楽曲でCROSSROADを披露した。CROSSROADは数週間後より長期間ベスト10に入り続けた。
      • 1994年以降に最高得点が年に2~3回出るのが2000年頃まで続いた。
        • B'zはLOVE PHAMTOMで最高得点を叩き出していた。
        • globeもDEPERTURESで最高得点を叩き出していた。
    • 読売系列のザ・トップテン→歌のトップテンも放送開始は史実より早く、また1990年3月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
    • 産経系列の夜のヒットスタジオの放送開始は史実と同時期。1990年10月の放送終了はなく、2019年11月現在も放送を継続している。
      • 夜ヒットが日本の他の音楽番組の制作に影響を与えるのは史実と変わらず。
      • 共産党バンザイ事件はなかった
      • 夜のヒットスタジオから夜のヒットスタジオDELUXEへのリニューアルは史実と変わらず。
      • 夜のヒットスタジオSUPERへのリニューアルはなかった。
      • 放送が当初は月曜日だったのが水曜日に変更になるのは史実と変わらず。
      • 当初は前田武彦と芳村真理が司会だったのは変わらず。
        • 前田武彦の共産党バンザイは共産党が非合法なのであり得ないが、共産主義を礼賛する発言を連発したのが問題となり、最終的には前田武彦の反共法違反での逮捕で降板した。
        • 芳村真理が司会を一旦降板することはなかった
      • 三波伸介がメイン司会者になるのは史実と変わらず
      • 朝丘雪路が司会者になることはなかった
      • 井上順が司会者になるのは史実より遅れるかも知れないが不可避
        • 降板は史実より少し遅れそう
        • 1990年以降に再登板した可能性もある
      • 井上順の後継の司会者が古舘伊知郎なのは史実と変わらず。
        • 1994年頃までには降板していた。
      • 柴俊夫が司会者になるのは史実と同じ
        • 降板することはなかった
        • 2019年現在のメイン司会者かと
      • 加賀まり子が司会者になることはなかった
      • 1990年頃に八木亜希子が司会者に就任した
        • 1996年頃に卒業という形で降板した
        • 富永美樹が後継者となった
          • 富永美樹は2002年頃に卒業という形で降板した
    • 朝日系列のミュージックステーションの放送開始は史実と同時期
      • 当初は関口宏が司会だったが、半年でタモリに司会が変わるのは史実と同じ
      • 1990年代序盤~中盤に有賀さつきがサブ司会者だったのも史実と変わらず
      • 1990年代後半からはテレビ朝日の若手女子アナがサブ司会者なのは変わらず
      • テレビ朝日の本局が大阪・東天満にあるため、大阪のスタジオから生中継された。
        • タモリはいいとも司会時代に金曜日のいいともの反省会が終わると即座に新幹線で大阪入りした。そしてミュージックステーションの反省会が終わると最終の新幹線若しくは夜行列車で東京に戻る。
        • 史実の朝日放送の女子アナウンサーの一部がテレビ朝日のアナウンサーとしてミュージックステーションのサブ司会者を担当した。
  11. 実写の映画にも史実とそれ相応の差異があった。
    • ミリタリー系や刑事系の映画は史実より相当制作され、同時に史実より相当流行っていた。
      • 日本映画界でミリタリー系の映画が史実ほどタブー視されることはなかった。
    • 恋愛系の映画が増えるのは史実と同時期。
      • 流行るのは史実より若干遅れるが、その分史実以上に流行るようになる。
    • 学園モノの映画は史実と同じく多数制作される。
      • 但し中学校や高校を扱ったものが多く、大学や大学院を扱ったものは史実ほど増えなかった。
        • 大学進学率が史実のように高くはならず、大学は今もエリートが行くところであるため。
        • 高等専門学校を扱った映画は史実よりそれ相応に多かった。
    • コメディ系映画は史実より若干多く制作される。
      • コメディ系映画のバリエーションも史実より多様になっていた。
    • ドキュメンタリー映画は史実と同じように制作される。
      • 公共事業を扱ったものドキュメンタリー映画は史実より多い。