ページ「鹿児島市」と「もし日本が戦後しばらくして権威主義化していたら/芸能」の間の差分

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{{市|name=鹿児島市|reg=九州|pref=鹿児島|area=中南薩|ruby=かごしまし|eng=Kagoshima-City}}
{{中南薩}}
== テーマ別の噂 ==
*[[九州旅客鉄道]]
*[[九州新幹線]]
*[[鹿児島中央駅]]
*[[九州の駅#鹿児島駅の噂|鹿児島駅]]
*[[天文館]]


*[http://www.city.kagoshima.lg.jp/ 鹿児島市HP]
{{Pathnav2|もし日本が戦後しばらくして権威主義化していたら|芸能}}
 
#芸能界全体に史実とそれ相応の差異があるのは確実
== 鹿児島市の噂 ==
#*芸能界自体が史実より政財界とコネの強い業界になっていた
# 「電車」といえば市電(路面電車)のことを指す。JRは「汽車」である(鹿児島市内限定)。
#**なかでもアイドルは自民党の政治家とのコネが強い
#*こういう言い分けは地方都市では結構通じる。
#***極右や左派からはアイドルは史実以上に忌み嫌われる
#*北海道では間違いなく通じる。
#*業界全体が史実より反共色の強い世界になっていた
# 鹿児島市内にいる人は、鹿児島市のことを「市内」という。「市内」以外にいる人は「鹿児島」。
#**制作される作品で反共色の強いものは史実よりかなり多い
#*鹿児島県には市制をひいているところは鹿児島市しかないんです。
#音楽界にも史実より多少或いは大幅な差異があった
#*また鹿児島市宛ての郵便物の宛先には、「市内.....」と書けばよい。
#*軍歌は史実ほど衰退しなかった
#**普通に郵便番号書くからだと思うが。とは言え、その場合は「市内」すら要らないよなぁ。
#**平成以降も定期的に新しい軍歌が作られている。
#*市民じゃなくても、一歩鹿児島市に立ち入れば、なぜかつい「市内」と言ってしまう。
#*演歌や浪曲は1970年代まではそれ相応に聴かれていた。
#**例:「今、どこにおっとな?」「市内に来ちょっと」←(適宜、鹿児島弁の修正ヨロシク)
#*若者の演歌離れ・浪曲離れはいずれにせよ不可避
#*鹿児島市内出身者は出身地を聞かれると、『鹿児島県出身です』「鹿児島のどこ?」『市内』と答える。決して「鹿児島市」ですとは言わない。
#*大衆的な歌謡曲の発展は史実と変わらず
#産業用道路周辺の発展が目覚しい。
#**舟木和夫、橋幸夫、西郷輝彦は史実通りブレイク
#地方都市レベルにしては美人・かわいい系がけっこう多し。
#**内山田洋とクール・ファイブやザ・ゴールデン・カップスのブレイクも史実と変わらず
#*有能な男が余所に行ってしまうのに対し、女はかなり地元志向が強いため。
#**加山雄三、石原裕次郎、小林旭も史実と同じかそれ以上にヒットを飛ばしただろう
#**そうでもない。地元に飽き飽きして、関東で羽を伸ばして一生を送る女性も増加中。
#*思想犯などの政治的犯罪で逮捕されたり引退を余儀なくされる音楽家は史実より多かった
#タモリの姉は鹿児島に嫁いだらしい。
#**赤い鳥はプロデビューできなかった
#人口60万。火山近くの都市としてはかなりの大都市。
#**ザ・フォーク・クルセダーズ解散後の加藤和彦は国家保安法違反で逮捕され、有罪判決を受けたのちに、海外へ亡命した。
#*「東洋のナポリ」と呼ばれているが…名前負けの感は否めないという人もいる。その原因は先入観によるものが大きい。実態としては鹿児島市の方がナポリよりも雄大であり観光都市としての内容がある。宣伝が下手なのではないか。
#***イムジン河は当然放送できず。放送しようとなら史実以上の刑罰が関係者に下る。
#さつま揚げ(つけあげ または つきあげ)・鹿児島ラーメンが有名。
#*フォークソングやそこから派生したニューミュージックが1970年代以降の音楽シーンを席巻するのは変わらず。更にそれが1980年代以降になってロックやポップスなどのJ-POPや和製のHR/HMやR&Bに発展して現在に至る。
#*この二つについては、地元の人間でも贔屓が分かれており、他県の人から「どこがお勧め?」と聞かれても即答に困ることがある。
#**井上陽水のデビューとブレイクは史実と変わらず
#*鹿児島人は一途性格の傾向なのであんまりラーメンをあちこち食べ歩いて批評したりしない。
#***アンドレ・カンドレでデビューするも全くの不振に終わるのは同じ。史実以上の不振に終わっただろう。
#*いろんな資料等でも述べられているように、鹿児島ラーメンはスープ、麺、具材を含めてバラエティー豊かでパータン化しにくく、雛型になるような代表店もはっきり決まっていないため、余所者は店を選ぶ際に相当迷うようだ。
#****井上陽水で再デビューして、傘がないなどをリリースしたのちに夢の中ででブレイクするのは史実と同じ。
#*ラーメンの一番店については一説に「こむらき」「くろいわ」「和田屋」「のぼる屋」と主張するものいれば、「ざぼん」「豚とろ」「我流風」などの名前を挙げる者もいる。ただ他にもこれらに匹敵する専門店が数多く、頭一つ出ている店は特にないといえる。
#****年代的にデビュー前に徴兵制による兵役を経験している。
#**我流風は単なるチェーン店舗。
#***大麻所持をせずに済んだだろう。
#***しかも、川内のチャンポン屋上がりだろ。
#****昭和50年代中盤の人気低迷はなかった。
#**「ざぼん」は東京にもあったが味は結構違った。
#***なぜか上海は別のタイトルになっていた。楽曲も上海については唄われていない。
#*さつま揚げは、「つけあげ または つきあげ」と呼ばれ日常的な食べ物なので観光客に勧められるような余所行きの店は地元民はあまり詳しくない。
#****台北か香港の可能性が高い。
#*それでもと云うなら、徳永屋、原田屋、月揚庵、揚立屋などの鹿児島市内に本拠がある店や串木野市専門店(最近、鹿児島市に進出してきた)が観光土産向きであろう。
#**中島みゆきの音楽業界入りも史実と同時期
#離島の村役場がある。(鹿児島郡三島村・同郡十島村)
#***初期は史実ほどヒットしないがわかれうたは史実以上にヒットする。
#台風がよく通る。
#***かなしみ笑いは史実以上にヒット
#時々、原因不明の異臭騒ぎが起きる。(火山ガスと思う人もいるが、谷山港付近にある飼料会社のサイロが発生源ではないかと思われる)
#****B面の霧に走るの「いっそこんな車壊れて~」は2019年現在史実以上にネット上で引用されている。
#県庁周辺や鴨池港周辺の高層マンションが自慢。鹿児島の天王洲アイルか?
#***悪女は史実よりかなりヒットした
#*え~、なんでマンションが町の自慢なの?なんか不思議。
#**(荒井由実→)松任谷由実の音楽業界入りは史実と同時期
#*いくら何でもそれは言い過ぎだと思う。せいぜい規模の小さい多摩ニュータウンと言ったところでしょ。
#***大学中退は史実より早まるだろう
#**それ以前に、自慢してる奴みたことない。
#***反共独裁政権と新左翼の学生運動の確執と攻防を第三者目線で描いた楽曲を複数発表していた。
#変わった名前の通りが多い。
#***「いちご白書」をもう一度を制作することはなかった。
#*ナポリ通り・パース通り・マイアミ通り(姉妹都市にまつわる)、ゾウさんの鼻通り(形がこう見えるかららしい)、いづろ通り(石灯籠がなまったらしい)、ボサド通り(これも菩薩堂がなまったらしい)
#***ひこうき雲と返事はいらないの制作は史実と同じ
#鹿児島空港から離れているため不便。
#****返事はいらないがデビュー曲なのは史実と同じ
#*実は昔は鴨池(今の運動公園)に空港があった。市街地の真ん中なので危険と言うことで移転したが、福岡の様にそのまま使ってた方が良かった気もする。
#***横浜での大規模な開発独裁の影響で海を見ていた午後の歌詞が壮大なものになっていた
#**↑そうではなくて、当時はプロペラ機が主だったが、将来ジェット機が離着陸するのに十分な滑走路の長さがなかったこと&桜島の灰がジェットエンジンに悪影響を及ぼすために移転になった。
#***あの日に帰りたいのヒットは史実と変わらず
#*今作っている人工島をいっそのこと空港に仕立て上げればどうだろう?
#****史実以上にヒットしたかも
#**鹿児島の人は鹿児島空港へ行くことを「溝辺へ行く」という。
#***松任谷正隆との結婚は史実と変わらず
#**鹿児島市内のことを「市内」と言うのと同じか?
#***1970年代終盤の低迷は史実と同じ
#晴の日も傘をさしている人がいる。日除ではない。火山灰除である。
#***守ってあげたいが久々のヒットとなるのは史実と同じ
#*同様の理由でゴーグルをして外出する人もいるよ。
#****史実よりヒットした
#*ロッテマリーンズの選手の皆さんはゴーグルをつけて練習しているよ。
#**浜田省吾は史実よりヒット曲を量産していた
#**そこらじゅうに小宮山が…(笑)?
#**大瀧詠一の音楽界での活躍は史実をも遥かに上回るものに
#*プロ野球の公式戦が降灰がひどいためコールドゲームだか中止だかになったという珍記録もある。
#***アジア太平洋地域の諸外国でもヒットを飛ばしていただろう
#指で押さえてないと漏れる穴の開いた杯でガンガン焼酎飲まされると聞いたことがあるけどホント?
#***森進一や小林旭への楽曲提供も史実と変わらない
#*ホント。というか、そう言う杯は実在する。まぁ他県にも酒を満たしたまま置けない、そこの尖った盃とか存在するし。
#**長渕剛の業界入りも史実と変わらないが、その経緯が史実と異なった可能性もある。
#市街地の中央を北西から南東に向けて流れるのが甲突川。この川を境に「甲東」「甲南」と称する。
#***九州産業大学への進学はなかったかあっても史実より早くに中退した
#*歴史的には甲東が本来の旧市内。本駅の座から滑り落ちた「鹿児島駅」を中心とする「上町(かんまち)」、市役所のある旧官庁街(山下町)、天文館・いづろなどが含まれる。
#****大学進学がなかった場合はデビューが史実より早まっていた
#*一方甲南には、必ずしも南ではない西寄りに新幹線開業で「西鹿児島」から改名した本駅「[[鹿児島中央駅]]」、河口近くの埋立地(旧鹿児島空港)に県庁のある新・官庁街(上記高層マンションも)があり、間の荒田や鴨池あたりにもう1つの繁華街が存在する。
#***業界入りする前に志願兵として兵役を経験していた
#*なお、郵便局やNTTの収容局は概ねこの川で分かれている(上流部は例外)。
#***巡恋歌がデビュー曲かどうかは一概に言えない
#形こそ長細いものの、市街地や周辺部の相互の位置関係は[[中華人民共和国]]に似ている。
#****雨の嵐山が正式なデビュー曲になっていた可能性があるので
#*上町・山下町・天文館→[[北京]]・[[天津]]・[[河北省]]・[[山東省]]など
#***順子でブレイクするのは史実と変わらず
#*吉野・吉田→[[旧満州]]
#****これ以降なかなかヒットシングルに恵まれないのは史実と変わらず
#*小山田・郡山→[[新疆ウイグル]]
#****アルバムは史実と同じかそれ以上にセールスを伸ばした
#*鹿児島中央→[[西安]](旧長安)
#****1983年のGOOD-BYE青春が久々のヒットとなるのは史実と同じ
#*鴨池・与次郎→[[上海]]とその周辺
#****孤独なハートは史実よりヒットした
#*紫原・桜ヶ丘・星ヶ峯・皇徳寺などの団地とその周辺・・・西南部の諸省[[湖南省]]・[[四川省]]など
#***音楽番組には初期より史実より頻繁に出演していただろう
#**南西部の山林は[[チベット]]
#***HUNGRYで初期のクリアな歌声から現在のしゃがれた歌声になるのは同じ
#*宇宿・谷山……[[福建省]]・[[広東省]]・[[香港]]など
#****久しぶりに俺は泣いたんだは史実よりヒットした
#*喜入……唐代までの古代[[ベトナム]]
#****勇次も史実よりヒット
#*錫山(旧谷山の南西端)=[[雲南省]]の西双版納(シーサンパンナ)
#***勇次以降に病に倒れることはなかった
#「団地」といえば「山(台地)」の上にあるものだと思っている。
#****そのためSTAY DREAMは史実と違いロック色の強い作品となった
#久しぶりに買い物に行って思ったのだが、商人の気質や街の雰囲気がここ1,2年でガラッと変わっている。後数年で九州第3位の大都市に成長するかもしれない。(07 5/15)
#**サザンオールスターズの結成と業界入りも史実と変わらず
#*以下あおりのため[[ノート:鹿児島市|ノート]]へ。
#***但しデビュー前の動向が史実より慌ただしくなる
#「無防備都市宣言」のターゲットになっていたりする。
#***バンド名の変更回数は史実より減ったかもしれない
#*市民の皆さん、注意してくださいね。故郷がこんなんになってしまったらおいは悲しい。
#***メンバーの約半数はデビュー前に志願兵として兵役を経験
#鹿児島の市内局番は、すべて200番台である。
#****メンバー全員が青年期に志願兵として兵役を経験した可能性もある
#*↑数年前から099-8XX-XXXXとか出てきてない?
#****年代的に徴兵制の対象だった可能性もあり
#**そりゃ単なるISDNじゃねーの?
#***勝手にシンドバッドでデビューするのは変わらず
#*NTTが進めた全国的な市内局番の三桁化だから・・。0992の2を市内局番にくっつけただけ。大分なんかといっしょですね。
#****勝手にシンドバッドは反響は史実以上も売上は史実以下
#合併で面積は約2倍に、人口密度は約1/2になった。
#****気分しだいで責めないでは史実ほどヒットせず
#**人口密度は約1700から約1100に。でも中心部の密度(約6600)自体はほとんど変わってないんだから、実際どうでもいいじゃん。
#***いとしのエリーは史実ほどヒットしなかった
#***いろいろ効率が悪くなるってことなんだがね。
#***デビューから数年はあまりヒットシングルに恵まれず
===天文館・いづろの噂===
#****アルバムは史実と同じくヒットしたか場合によっては史実以上のヒットとなった
→[[天文館]]を参照。
#****コンサートライブも連日連夜大盛況で、場合によってはすぐにチケットが入手困難に
 
#****アルバムのタイニイ・バブルスとステレオ太陽族のリードシングルもヒットしなかったが、アルバムは史実以上にヒットした。
===鴨池・与次郎の噂===
#*****C調言葉に御用心も史実ほどヒットしなかった。
#鴨池の南国バスの屋根付き車庫は、旧鹿児島空港の格納庫であった。現在ある建物の骨組みや基礎部分は旧日本海軍の戦闘機格納庫当時のものを流用している。
#*****タイニイ・バブルス収録の松田の子守唄は、原曲の赤い鳥の竹田の子守唄が発禁になるため別のタイトルになっていた。
#*ハルタ アポロ店の建物も旧鹿児島空港のターミナルビルである。
#*****働けロックバンドの歌詞は史実より辛辣なものになっていた。
#与次郎地区は、2003年頃まで居住人口は3人しか居なかった。観光地区計画区域内に全域が指定されていたため住宅建設の着工が出来なかったためである。
#***1982年のチャコの海岸物語が久々のヒットシングルとなる。
#ダイエー鹿児島専門店街の敷地は、約30数年前に動物園や遊園地があり園内に鴨が泳ぐ池があったことを知る者も年々少なくなっている。
#***桑田佳祐と原由子の結婚は史実と変わらず
#*市電の経営が安定するようにと1910年代にここに人口池がある公園と小規模な動物園をつくった。戦前の一時期に九州で唯一のインド象も飼育されたほど。1973年に現在の平川動物園が開業するまで続いた。
#***Ya Ya(あの時代を忘れない)は史実よりヒット
#*もよりの市電の郡元電停は、かつては鴨池遊園駅とよばれ1920年~1950年代前半まで鴨池駅は寺社風の天井の高い大屋根の駅舎を持ち線路は路面でなく高架線で本格的ホームがある市内有数の鉄道駅であった。ちなみに先の涙橋電停付近に不自然な段差があるのはその名残。
#***EMANONが不振に終わるのは史実と変わらず
#涙橋とは、昔は罪人の刑場がありその前に橋が掛かっていたため名付けられた。
#****アルバムの綺麗も史実ほどヒットしなかった
#県庁近くに超高層ビルが2棟建つ計画があったが県がその建設予定地を10億で買いオシャカ。理由は県庁から桜島が見えなくなるから。知事の頭の悪さに驚かされた。税金の無駄使いにも程があんだろ。
#*****史実で綺麗に収録されているかしの樹の下では検閲に引っかかり収録できなかった。
#*↑残念だったな、あこがれの超高層ビルが建たなくて(笑)。
#******NUDE MAN収録の流れる雲を追いかけての歌詞も史実より修正が加わったかも。
#*県庁から見える桜島は絶景。知事の決断は正しかったと多くの県民が思っている。
#*******ロッキード事件がないので、史実でロッキード事件について唄われたNUDE MANの歌詞が史実と大幅に異なっていた。
#**↑県庁職員乙。その銭は誰が出したと思ってんだ?文句あるなら自分で銭稼いでみろ。
#***ミス・ブランニューデイは史実よりヒットした
#*たかがマンションに独り占めされてたまるか。この絶景。
#***BYE BYE MY LOVE(U are the one)も史実よりヒット
#**あのツインタワーの完成予想図。見ただけでガセだと判るものだった。建設を阻止したより、'''ガセにまんまと引っかかった'''のが大問題。
#***メロディも史実よりヒット
#**↑なんで?なんで、あんたに分かるの?
#***アルバムの人気者で行こうとKAMAMKURAの完成度は史実をも遥かに上回るものになった
#***一度県庁の展望室から下界を望んでごらん。あの敷地の何処に高層ツインタワーオフィスが建つんだよ?
#****吉田拓郎の引退の噂はなく吉田拓郎の唄は制作されなかったかも
#***あっ、そう(笑)。「見た目」というやつね。あなた、建設関係?
#****Computer Childrenは史実以上のハイテクサウンドを駆使した楽曲になっていた
#*そもそも、あんな埋立地に超高層ビルなんてねぇ。
#***1983年を最後に紅白歌合戦の出場が長期間途絶えることはなかった
#この地域の、とある小学校では、運動会の際に「100周年記念音頭」が流れ踊られる。
#****1982年の紅白歌合戦での物議を醸す行動もなかった
 
#****1984年はミス・ブランニューデイで出場していた
===鹿児島中央駅===
#****1985年はBYE BYE MY LOVE(U are the one)で出場していた
→'''[[鹿児島中央駅]]'''を参照。
#***1985年を最後に原由子の産休で活動休止に入るのは変わらず
 
#***1986年以降のサザンオールスターズはソロ活動に突入した
== 谷山の噂 ==
#****桑田佳祐がKUWATA BANDを期間限定で結成するのは変わらず
#鹿児島の[[蒲田]]。でも[[東京/目黒区#自由が丘|自由が丘]]的な雰囲気も併せ持つ。ある意味、ここがあるから鹿児島も浮かばれようがある。
#*****松田弘の参加も変わらず
#*県内の他地域と違って、因習的なものを感じさせない街ですね。好きですよココ(福岡人)
#*****KUWATA BANDの解散後の1987年の桑田佳祐と松田弘がソロ歌手として活動するのも史実と変わらず
#*つい最近までDQNの街だった。
#***サザンオールスターズの活動再開が10周年の1988年になるのは史実と同じ
#**カトリック系某私立有名進学校の生徒(関西出身や福岡出の寮生・下宿生)と地元の中高生の確執があった。
#****史実通りみんなのうたで再開
#***長渕剛は南高出身で、抗争していた某私立を公共の電波を使ってゲイであると中傷、ほどなくその番組を降板させられた
#****みんなのうたは史実以上にヒットした
#***南高のDQNは某私立に倣い、関西で普及していた道具をいち早く入手し、旧市内のDQNを威圧していた
#****みんなのうたを収録したオリジナルアルバムを1988年夏に発表
#*DQNでなければ、この街で外の世界に触れるのは不可能だ。
#***1988年12月に史実にないオリジナルアルバムを発表
#**近頃はそうでもないですよ。夜中でも安心して出歩けます。まぁ開いてるお店はそうありませんが・・・
#****リードシングルが1988年9月と11月に発表
#鹿児島市内に住むなら、宇宿〜坂ノ上までの谷山エリアが便利です。
#***1988年の国営放送の紅白歌合戦にも出場
#*坂之上駅は某大学の学生が多数乗り降りするため、昇降客数が[[鹿児島中央駅|鹿児島中央]]に次いで県内で二番目に多いらしい。
#***1989年1月上旬の昭和天皇崩御を受け、以降の3か月間は喪服でステージに立った
#**しかし、ホーム・駅前の道路が狭いため、混雑が酷く、大学への送迎バス乗り場の辺りには警備員が配置されている。
#****昭和天皇へのレクイエムも制作した
#**↑の理由と坂之上南部の発展に伴い、駅を南(大学寄り)に数百メートル移動させようという動きが以前からあるのだが、毎度のように盛り上がっては頓挫している。
#***女神達への情歌のリリースは史実と同時期
#**まぁしかし、駅前で出迎えてくれるのが菜の花(春限定)と警備員とドラム缶なんて・・・
#****クレームは史実ほどではなかった
#*宇宿は江戸期には谷山郷だったらしいが、明治になり谷山とは袂を分かち、郡元などと「鹿児島郡中郡宇村」を結成。そのまま鹿児島市に編入された。今でもJR線から海寄りでは郵便番号や市内局番などは截然と分かれている(JR線に一番近い街区だけなぜか東谷山1丁目が宇宿3丁目にめり込んでいる)
#****クレームはあったが史実以上に掻き消されていた
#**最も宇宿駅自体、宇宿地区のかなり南端の脇田川を跨いだ場所にあり、谷山の北東端(東谷山1丁目と小松原1丁目のそれぞれ北部)、通称笹貫(ささぬき)にとっては至近距離の最寄JR駅になる。(市電は宇宿側に「脇田」、笹貫側に「笹貫」の各電停がある。)
#**チャゲ&飛鳥→CHAGE&ASKAのデビューも史実と同時期
#**新興住宅地だった桜ヶ丘は両方に跨る位置にあり、7、8丁目のみ本庁(谷山ではないほう)に属する。
#***チャゲも飛鳥涼も青年期に志願兵として兵役を経験
#***↑郵便番号も分かれている。ちなみに衆議院選挙の選挙区も分かれている。
#***ユニット名はチャゲ&飛鳥からCHAGE&ASKAを経て、現在のCHAGE and ASKAに
#谷山地区は昭和42年に鹿児島市と合併するまで谷山市だった。そのせいか年寄りは今でも「鹿児島へ買い物に行ってきた(正しくは方言だが)」などと話す人がいる。
#****正式名称としてCHAGE&ASUKAを名乗ったことはなかった
#*谷山は自治体時代、鹿児島市と合併するまでずうっとどことも合併せず、単独で頑張っていた。
#*****レコードジャケットのクレジットのデザインとして名乗ったことはある。
#**明治22年の市町村制施行時に、「谿山郡」全体の村落をまとめて単一の「谷山村」になった。以後町制・市制に至るまで単独でやってきた。
#***ひとり咲きでデビューするのは変わらないが、史実以上の不振に終わる。
#**しかしながら現在、下記のように旧鹿児島市との境は海岸寄り以外ではわかりにくくなっている。現在の谷山支所管轄地域と旧谷山市域は微妙に異なる。
#****ひとり咲きで夜のヒットスタジオに出演することはなかった。
#もうどこから谷山かわからない。中央部は谷山中央だが。
#***デビューのきっかけとなった流恋情歌も史実以上の不振に終わる
#*郵便番号や市内局番などで区分できるが、歴史的境界とは異なる場合が多い(特に山を開いて造成した桜ヶ丘や星ヶ峯など)。特に局番は両者に跨る収容局(広木局:264、265など)が設けられているのでややこしい。
#***ファーストアルバムの風舞は史実以上の不振に終わった
#**↑の某私立を卒業した県外または市外出身者が下宿を引き払い転居する際に、下宿が宇宿側にあったヤツはわざわざ本庁に出向く必要があった。最近のことは知らぬが。
#****このアルバムから私の愛した人がシングルにリカットされた
#***イオン開業によるバス路線見直しで様相は変わったが、以前は地域によっては谷山支所より市役所に行く方が時間的に早い所もあった。市街地にはバスで直通で行けるが、谷山支所に行くには乗り換えで丸一日掛かったという。
#***万里の河でブレイクするのは史実と変わらず
#*警察関係は、谷山にある鹿児島南署が鴨池あたりまで管轄していた。本来は旧谷山市だけだったのだが、合併後に管轄地域が見直され旧市内の南部まで編入された
#****夜のヒットスタジオへの初出演も万里の河だった
#*なんと鹿児島本線(在来線)が旧谷山市域を走っている!
#****万里の河は史実よりもヒットした
#**旧谷山の最北西部にある五ヶ別府町のさらに北部を走る。なお車窓から見える南の高台の住宅地が星ヶ峯である。NTTの収容局もこの線路から北は谷山とはおよそ無縁の原良局だ。(281、282など)
#****万里の河以降はなかなかヒットシングルに恵まれず
#***ちなみに水系上は脇田川の最上流部にあたる。脇田川はここから田上の広木地区(前記谷山北部に跨るNTT収容局が置かれている)を経由して宇宿2丁目で錦江湾(鹿児島湾)に注いでいる。谷山地区に属するのはこの最上流部だけ。
#*****しかしコンサートライブはむしろ史実以上の大盛況で場合によってはチケットが発売からすぐに入手困難に
#[[国道225号|R225]]坂之上交差点〜影原交差点間の通り沿いは結構うまい飯屋が多い。
#*****万里の河以降のシングルはほとんど不振続きに終わったのは史実と同じだが、それでも男と女やオンリーロンリーは史実よりそれ相応にヒットした。
#*坂之上はうまい地鶏屋が多いよ。
#*****熱い想いと北風物語は不振に終わったほか、1983年のシングルもどれも不振に終わった。
#南高校があるあたりに、老朽化した盲学校と聾学校を移転する計画が持ち上がっているらしい。
#*****南十字星がアルバムからシングルにリカットされた。
#異常としかいいようがないくらいに縦繋がり社会。先輩に噛み付くと半殺しの刑確実。
#****1984年のMOON LIGHT BLUESと標的は史実よりはヒットしただろう。
#国道沿い商店街は元気がないが、郊外にいくと[[イオン|ION]]などの大手商業施設があり、活況を為している。
#***1985年の夏と秋に史実にないシングルをリリース
#*谷山市民には「駐車場はタダ」という意識があり、駐車場の無いところ、または市中心部のような有料のところには行かない。
#***SUPER BESTは1985年12月頃のリリースになっていた。
#*谷山はマイカー持ちにはとっても便利な所。逆に言えば、車がないと生きていけない。
#***Standing Ovationはリリースされなかった。
#谷山港の工業地区の異臭は酷い。鹿児島市のごみ捨て場とも思えるほど。鹿児島市中心部に住む人々は谷山市民に感謝すべきである。
#***1986年初旬に他者への提供曲のみで構成されたセルフカバーアルバムを発表していた。
#*年の3分の1は無臭だが、残り3分の2を飼料(鰹が原料?)とサツマイモの甘いにおいで半々。決して同時に発生することはなく、いずれかのフレーバーが楽しめる。サツマイモは決して悪臭ではない。
#****葛城ユキに提供したボヘミアンもこれに収録された。
#**あの甘い匂いは飼料だったのか!てっきり焼酎工場かと思ってた・・・
#***チャゲアスは史実と同じく、当初は演歌フォークと呼ばれる演歌の要素を取り入れたフォーク調の作風の路線を行くが、1982年末辺りを契機にニューミュージックに路線変更し、更に1984年~1985年にJ-POPへと作風を変える路線変更を行った。
#*臭いは谷山市域の広範囲にわたるが、住民はあまり気にしていないようだ。踏切近くの住民が音に慣れるのと同じ原理。
#****真紅な動輪のサントラ盤の熱い想いまではフォーク調の作風だが、21世紀でニューミュージックになり、IN SIDEとZ=Oneで完全に演歌フォークから脱却しロック、ポップス、テクノなどのJ-POPに路線変更した。
#谷山は鹿児島市中心部につぐ繁華街。谷山がなくては鹿児島市も一般レベルの中都市でしかない。
#*****熱い想いが真紅な動輪の主題歌なのは史実と変わらず
#*あっても十分一般レベルですが・・・
#*****TWILIGHT ZONEの歌詞が史実と異なる
#**人口60万というのは一般県庁所在地程度の都市としては大きい方では?
#***1986年にレコード会社をデビュー時のワーナーパイオニアからキャニオンレコードに移籍するのは変わらず。
#**谷山の存在大きいですよ。県庁所在地としても大きいレベルです。(三大都市と[[政令指定都市]]にはかないませんが)
#***キャニオンレコード移籍第1弾のシングルであるモーニングムーンは史実よりヒットした。
#**谷山と喜入が独立した場合、鹿児島市は40万台前半の都市になるはず。
#****財閥系大手企業のCMソングだっただろう。
#かつて属していた郡も「たにやま」郡だったが、「谿山」と表記した(明治の郡制で[[鹿児島/中南薩#鹿児島郡の噂|鹿児島郡]]に編入)。
#***黄昏を待たずにも史実よりそれ相応にヒットした
 
#****こちらも大手財閥系企業のCMソングだった
== 桜島の噂 ==
#*****もしその場合はモーニングムーンとタイアップ先が同じだった
→[[桜島]]
#***Count Downと指環が泣いたも史実よりヒットした
 
#****どちらもドラマ主題歌に起用された可能性がある。
== 郡山の噂 ==
#***1986年は国営放送の紅白歌合戦と産経の世界紅白にW出演した。
#甲突川(鹿児島市内を流れる川・水源として重要)の源流域にあたるため、開発が厳しく制限され、JRはおろか、高速道路ともまるで無縁の陸の孤島。良く言えば自然環境が残されている場所。
#****紅白歌合戦ではモーニングムーンを唄い、世界紅白では指環が泣いたを唄った。
#「甲陵バス」は、某高校へ通学する高校生しか乗らない不思議な路線、乗客のマナーは最悪で運転手とのトラブルが耐えず全国ネットのワイドショーやスポーツ新聞でもその悪態の一部が匿名で紹介されたほど。
#****世界紅白出場がアルバムのMr. ASIAを制作するきっかけとなるのは変わらず。
#地域住民は、合併後も近くで以前から鹿児島市だった小山田地区に淡い憧れを感じているらしい。
#***SAILOR MANは史実よりヒット
#*郡山地域と小山田町、その隣の比志島地区は江戸時代初期まで満家院(みつえいん)として一つだった。
#****日本航空のタイアップが付くのは同じ
 
#***ロマンシングヤードは史実よりヒット
== 吉田の噂 ==
#****産経のミリタリードラマの主題歌に起用されたかと。
#隣の姶良町に降りる県道沿いにある温泉のラジオCMがいつの間にやら”吉田町○○苑”から”姶良町○○苑”に変わっていた。そんなに鹿児島市内に入るのが嫌なのだろうか?
#*****主演は渡哲也か舘ひろし
#一定時間ごとにお湯を全取っ替えする温泉がある。
#***恋人はワイン色は史実よりヒット
#某ドラッグストアの創業の地だが、ここから福岡に本社を移したのは正直言って失敗だったと思う。
#****テレビ朝日系列のドラマ「あぶない雑居カップル」の主題歌なのは史実と同じ。
#牟礼ヶ丘の住民は、合併以前から鹿児島市民だと自称していたらしいw
#*****チャゲアスが連ドラ主題歌を担当するのはこれが最初ではなかった。
#*鳥栖の人が福岡県民を名のるのといっしょだ。マジで鳥栖市は福岡県への編入を望んでいる。
#***アルバムのRHAPSODYは史実以上の売上を記録した。
#*牟礼ヶ丘の人間は市の職員から結構嫌われてるんだよね。頭が固いとか言うこときかないとか
#****レノンのミスキャストの歌詞が史実と違うかもしれない。
#吉野町とは密に(?)対立している。
#****狂想曲がシングルにリカットされるのは変わらず。
#*対立って…、何で?吉野と吉田は天と地の差じゃん(人口的、発展的にみて)
#***アルバムのENERGYも史実以上の売上を記録した。
#**まあ吉野町だけで、何気に人口が3万人いるらしいからなぁ。
#****先行シングルはLove AffairとTrip
#**吉野町は稲荷町の犠牲の上に成り立ってるからね。(-人-)ナムナム…
#*****Love Affairのリリースは1988年7月頃
 
#*****Tripは史実と同時期
== 松元の噂 ==
#***光GENJIへの楽曲提供は史実以上の成功を収める。
#ついこの前まで、町内にある高速道路のインターチェンジへ行くには信じられないくらい狭い道路を通らなければいけなかった。
#***昭和天皇崩御から約3か月間は喪服でステージに立つ
#旧町役場最寄りの駅のホームがとんでもなく狭い。
#****そのような指導がチャゲアスに限らず行政から入るだろう
#*その旧役場だが、位置が隣の町(現日置市)との境界ギリギリ。
#****昭和天皇崩御に際してチャゲと飛鳥涼は公式のお悔やみのコメントを発表した。
#**そこの近くにある焼肉屋はマジでお勧め。
#*****飛鳥涼は昭和天皇へのレクイエムを制作し発表した。
#松元にあるS高校は以前まで周りが森だったためラブホと勘違いして訪れるカップルが結構いた。
#***WALKの発表は史実と同時期
#駅がちょうどカーブにあるため停車している時電車が傾いている。
#****発表時の評判は史実ほどではないが芳しくなかった。
#市町村合併の際、元日置郡にもかかわらずなぜ[[鹿児島/中南薩#日置市の噂|日置市]]に入らなかったのか、鹿児島市民には不思議がられている。
#****数作ぶりに週間チャートの上位10位圏外へのランクインとなったであろう。
#卓球の町。ちっちゃい子供もおばちゃんもメチャうまい。平野岡の体育館には福原愛選手のサインが飾られている。
#****史実と同じく1992年に再発売されその時に高評価されただろう。
#*体育館には温泉も併設されてて、卓球のあと温泉で汗を流せる。
#***LOVE SONGは史実よりかなりヒット。
 
#****1992年にリミックスされ再発売されるのは変わらず。
== 喜入の噂 ==
#****1989年のLOVE SONGは民営化されなかった国鉄のタイアップが付いたかも。
#縁起が良いとのことで、喜入駅の入場券を合格お守りにする受験生や結婚式の引き出物に選ぶ人がいるらしい。
#***10周年のアルバムであるPRIDEは史実以上の売上。
#元々細長かった鹿児島市に、さらに細長い喜入町が加わったことでより細長く。正直最南端(喜入生見町)から最北端(西佐多町)や最東端(桜島口)まで移動するのにどのくらいかかるのだろうか?
#****表題曲のPRIDEはチャゲアスファンはもちろん、ファンに限らずコアなリスナーからも史実以上の人気。
#合併以後は石油基地があるところ以外は市民の間では影が薄かったが、2006年夏に甲子園で今吉晃一選手が快進撃、大活躍してれたお陰で、鹿児島市内での認知度がアップした。
#****天気予報の恋人の認知度も史実以上。
#旧鹿児島市で『にっせき』と言うと「ガソリンスタンド」か「日本赤十字病院」か「日本赤十字血液センター」のいずれかを指すが、旧喜入町では必ず「石油備蓄基地」のみを指すので注意が必要。
#****砂時計のくびれた場所の認知度は史実以上だった。
#明治時代に属していた郡も「きいれ郡」だったが、郡名の表記は「給黎」だった(ちなみにその後喜入は明治の郡制で揖宿郡に移った)。
#***アジア進出は昭和末期には行われる。
#ちょっと油断してると、そこは指宿市。(北から鹿児島市の喜入町、喜入前之浜町、喜入生見町の境には明白な無人地帯があるが、喜入生見町と指宿市にはパッと見の境目がない)
#****チャゲアスの大東亜共栄圏ツアーも1986年頃には定番に。
#昔、ホバークラフトが寄港していた。元格納庫は健在。
#***1989年の10周年は史実以上に盛り上がった
#「喜入○○町」と、わざわざ頭に「喜入」を付ける町名がウザい。瀬々串・中名など駅名で知られており、喜入にあるのは周知のはず。その点、旧吉田・郡山・松元各町は潔かった。
#***チャゲがMULTI MAXを結成するのは史実と変わらず
#*瀬々串や中名なんて、旧鹿児島市民には全く無名だよ。喜入以外では、生見が一番知名度高いと思う。
#****但し史実以上に副業的なものになっていた
#**「セ、セクスィ~」なら知ってる。無名だとしても、いちいち「喜入にあるんですよ」って押し付けがましさは感じる。喜入一倉町だけは許す。理由は知らん。
#***飛鳥涼が1989年秋に渡英するのは史実と変わらず
 
#****このときに史実にあったチャゲアス解散説の浮上はなかった
{{DEFAULTSORT:かこしまし}}
#****1989年12月下旬にはチャゲも渡英した
[[Category:九州地方の市]]
#****1989年の国営放送の紅白歌合戦にロンドンからの中継で白組から出場。LOVE SONGを披露。
[[Category:鹿児島]]
#****1990年初旬よりアルバムのSEE YA!をロンドンで制作するのは史実と変わらず。
[[Category:県庁所在地]]
#*****チャゲアスの2人はロンドンにて労働党の支持者に喧嘩を吹っかけられた。
[[Category:中核市]]
#*****ロンドンのライブハウスでのコンサートは史実と変わらず。
[[Category:鹿児島市|*]]
#*****SEE YA!の作風に史実と若干の差異があった。
#******リードシングルのDO YA DOは史実と変わらず
#******水の部屋は史実以上に和のテイストが強くなった
#******モナリザの背中よりもは史実以上にデsジタル色が強くなった
#*******ゼロの向こうのGOOD LUCKにも同じことが言える
#******YELLOW MENの歌詞は史実以上に辛辣なものに
#*******ゼロの向こうのGOOD LUCKも
#******太陽と埃の中では史実と変わらず
#***1990年2月のバラードベストのリリースはおそらく史実と変わらず
#***1990年3月に史実にないシングルをリリース
#****SEE YA!には収録されず
#****この時期に日本に帰国
#***心のボールは福岡特別市の特別市制15周年の1987年か20周年の1992年に制作・発表された
#***帰国後に積極的にメディアへの露出を行い、主にDO YA DOを唄う
#***ロンドンで制作したSEE YA!の発売は史実と同時期
#****アルバムを引っ提げてのコンサートツアーも行う
#*****韓国、台湾、香港での公演も設定された
#***太陽と埃の中でがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
#****史実と同じく産経系列のタイムスリーのED曲に
#***1990年も光GENJIに楽曲提供を行った。また1991年以降も光GENJIへの定期的な楽曲提供を継続した。
#***1991年のASKAソロのはじまりはいつも雨のミリオンセールスは史実と変わらず
#****史実以上のセールスを伸ばした
#****松下電器産業のコンポのhalfのタイアップ曲なのは史実と変わらず
#***バブル景気がないため、産経系ドラマ「101回目のプロポーズ」が制作されず、SAY YESのタイアップ先が史実と異なっていた。
#****史実にない産経系のトレンディドラマの主題歌になった可能性が高い。
#****SAY YESのセールス自体も史実ほどは伸びなかった。
#*****どんなに売り上げを伸ばしてもシングルミリオン止まり
#*****それでもチャゲアス名義で初のミリオンシングルになったかも知れない
#***僕はこの瞳で嘘をつくのシングル化は史実と変わらず
#****史実と違いアルバムのリードシングルだったかも知れない。その場合はSAY YESとリリース順序が逆になっていた
#***アルバムのTREEの発売は史実と変わらず
#****史実と変わらず、僕はこの瞳で嘘をつく、SAY YES、BIG TREEは収録
#****tomorrowの歌詞が史実とやや違っていた
#****当初の予定通り、1991年9月21日に発売され史実の10月10日に遅れることはなかった
#***SAY YESや僕はこの瞳で嘘をつくのときは、史実と違いメディアに積極出演しこれらの楽曲を披露
#***1991年12月下旬頃に史実にない新曲をシングルとしてリリース
#***1992年3月25日のSUPER BEST 2の発売は史実と変わらず
#****このときのLOVE SONG '92の発表は変わらず
#****SUPER BEST 2には1989年のLOVE SONGと1992年のLOVE SONGの両方が収録された
#***ifの大ヒットは史実と変わらず
#****SAY YESがミリオンを達成していない場合は、こちらもミリオンセールスを記録することはなかった。
#****SAY YESがミリオンセールスを達成した場合は、タッチの差でミリオンセールスを達成した。
#***no no darlin'は史実以上にヒットし、週間1位も獲得していた。
#****GUYSがシングル候補だったがアルバムのタイトル曲に振り替えられるのは変わらず
#****GUYSの制作もロンドンで行われるのは史実と変わらず
#***GUYSと同じ日にGUYSとコンセプトの異なるトレンディな作風のアルバムを発表したかも
#****この場合、先行シングルが1992年の5月と9月にリリースされていただろう
#***YAH YAH YAHは史実以上のメガヒットとなる
#****チャゲアスの初のダブルミリオンシングルはYAH YAH YAHになっていた
#****産経系ドラマ「振り返れば奴がいる」の主題歌なのは変わらず
#****当然、YAH YAH YAHは週間1位を獲得
#*****史実のビーイング旋風がないので、週間1位をかなりの間にわたってキープした
#****夢の番人はダブルA面ではなく同時発売になっていた
#*****夢の番人は週間10位に入るのが精一杯だった
#****後にpop'n musicなどの音楽ゲームにも収録された
#***YAH YAH YAHでCHAGE&ASKAの地位は不動のものになった
#****それでも史実の1990年代前半のチャゲアス旋風はなかった
#****むしろ1990年代でチャゲアスが大いなる活躍を遂げるのは、史実の前半ではなく、史実ではソロが主体になった後半である。
#***Sons and Daughtersは史実よりヒットした。
#****但し、富士重工業かセゾングループかのどちらかだけのタイアップになっていた
#*****もうどちらかは史実に存在しない別の楽曲がタイアップ曲になっていた
#****カップリングのMr.Jの悲劇は岩より重いは歌詞と題名が異なるか、そもそも制作自体がされなかった
#***アルバムのRED HILLは史実より相当ヒットした
#****ダブルミリオンは確実視される
#****RED HILLは国際情勢も歌詞に交じっていたかも知れない
#****You are freeとなぜに君は帰らないがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
#***Knockはなぜに君は帰らないのカップリングではなく、シングル曲として1994年2月頃にリリースされた。
#****Knockがアナログ盤の通常盤が発売された最後のシングルとなった
#**TM NETWORKとglobeの活動とその経緯が史実と異なる。
#***小室音楽は史実以上の支持を得ていた
#***宇都宮隆と木根尚登がSPEEDWAYを結成するのは史実と同時期
#****宇都宮隆は青年期に志願兵として兵役を経験
#*****木根尚登も実父の指示と宇都宮隆の誘いで志願兵として兵役を経験しただろう
#****SPEEDWAYに小室哲哉が加入するのは史実と同時期
#***SPEEDWAYが何のヒットもないまま1983年に解消するのも史実と同じ
#***SPEEDWAY解散後の小室哲哉と木根尚登とオーストラリア人ボーカリストの新ユニット構想はなかった。
#***SPEEDWAY解散後は小室哲哉は即座に宇都宮隆と木根尚登にTM NETWORK結成を呼び掛けた。小室のこの声に宇都宮と木根はすぐに応じて、TM NETWORKは結成された。
#****フレッシュサウンズコンテストで優勝しデビューの切符を掴むのは変わらず
#***1984年4月21日のデビューは史実と同じ
#****1stアルバムのRAINBOW RAINBOWの収録曲は史実以上に難解な歌詞が多かった。
#*****金曜日のライオンがデビューシングルになるのは変わらず
#*****1974のシングルへのリカットは史実と同じ
#******シングルジャケットに木根尚登の姿がないのも同じ
#***木根尚登が坊主頭を拒否する代わりにサングラスをするのは史実と変わらず
#***ACCIDENTのリリースは史実と同時期
#****作詞が松井五郎なのも史実と変わらず
#****ACCIDENTを収録したアルバムのCHILDHOOD'S ENDの発売時期も史実と同時期
#****CHILDHOOD'S END収録のDRAGON THE FESTIVALのリミックス版のシングルでのリリースも変わらず
#*****YOUR SONG("D"Mix)と併せて12インチシングルとしてリリースされるのも史実と変わらず
#***初期は阿久悠との楽曲制作も行った
#***湯川れい子や秋元康もTM NETWORKの楽曲制作に参加した
#***松井五郎との楽曲制作は史実よりかなり増えた
#***神沢礼江や川村真澄との楽曲制作は変わらず
#***小室みつ子との楽曲制作は史実以上
#***澤地隆とも楽曲制作を行っていた
#***TWINKLE NIGHTの発売は史実と同時期
#****表題曲のTWINKLE NIGHTの歌詞が史実と若干異なる
#****ELECTRIC PROPHETは史実とほぼ変わらず
#****YOUR SONGのアルバム版が収録されるのは史実と同じ
#***FANKSの単語の誕生時期は史実と変わらず。時期的にも史実と同時期。
#***渡辺美里へ提供した楽曲が初ヒットになるのは史実と変わらず。
#****My Revolution、Teenage Walk、BELIEVEなど
#***岡田有希子への楽曲提供も史実と変わらず
#***福永恵規への楽曲提供も史実と同じ
#***デビュー直後の少年隊へも楽曲提供を行っていた
#***テレサ・テンへも楽曲提供を行う
#***小林旭への楽曲提供も実施
#***河合奈保子へも楽曲提供を行った
#****河合奈保子とは楽曲の共同制作も行った
#***Come on Let's Danceの発売時期は史実と同時期
#****歌詞が史実と少しだけ違う可能性もある
#***アルバムのGORILLAの発売は史実と変わらず
#****Come on Let's Danceが収録されるのも史実と同じ
#***GIRLの発売は史実と変わらず
#***All-Right All-Nightの発売は史実と変わらず。但し歌詞が史実と異なる可能性がある。
#***Self Controlの発売時期は史実と変わらず。
#****週間チャートで10位圏内に初めて入ったのはSelf Controlだった
#*****何らかのCMのタイアップが付いていた
#****アルバムのSelf Controlも史実よりヒットした
#*****Here,There&Everywhereがこのアルバムに収録されるのは変わらず
#****DDRやbeatmania IIDXにも収録されていただろう
#***Get Wildで初の週間1位を獲得した
#****読売系アニメ「シティーハンター」のED曲なのは史実と同じ
#****Get Wildを収録したオリジナルアルバムを制作していた
#****BEMANIシリーズや太鼓の達人に収録されるのも史実と変わらない
#***Gift for Fanksの収録曲が史実とやや異なっていたかも
#***KISS YOUのリリースとヒットは史実と同じ
#***アルバムのhumansystemのリリースは史実と同時期
#****史実と違い国内で制作されたかも
#****このアルバムからRESISTANCEがシングルにリカットされるのは史実と同じ
#*****RESISTANCEは史実よりヒットした
#*****RESISTANCEが毎日系ドラマ「痛快!ロックンロール通り」の主題歌なのは史実と変わらず
#***BEYOND THE TIMEは史実よりヒット
#****ガンダムの映画版の主題歌になるのは史実と変わらず
#*****作品に政治的要素があった場合は、BEYOND THE TIMEも史実より政治的・社会的な側面の強い歌詞になっていた。
#***SEVEN DAYS WARの発売は史実と同時期
#****史実よりヒットしただろう
#****ぼくらの七日間戦争の主題歌なのは変わらず
#*****ぼくらの七日間戦争の内容が史実と大幅に異なっていた
#******登場人物には政治家や軍人も相当多い
#******登場人物には暴力的な民主活動家も含まれていた
#******1998年の民主化後に、史実の原作小説と同様のストーリーが「アナザーストーリー」として登場していたかも
#******アナザーストーリーの主題歌はおそらく小室哲哉単独作に
#***CAROLのリードシングルはJUST ONE VICTORYになっていた。
#****JUST ONE VICTORYのシングル版のリリースは1988年9月頃になっていた。
#****CAROLのレコーディングがロンドンで行われるのは史実と同じ。
#*****この時の渡英経験で小室哲哉が飛鳥涼にロンドンでレコーディングを勧め、翌年のCHAGE&ASKAの渡英のきっかけになるのは史実と同じ。
#****CAROLは史実よりアルバム曲重視になっていた。
#*****BEYOND THE TIME、SEVEN DAYS WAR、COME ON EVERYBODYは収録されなかった。
#****CAROLの内容は史実と若干違っていた。
#****木根尚登がCAROLが題材の小説を執筆し発表するのは史実と同じ。
#*****史実以上のベストセラーとなり、三島由紀夫や石原慎太郎などの政界に進出している文豪からも注目された。
#****CAROLを題材にしたオペラ形式のライブツアーを敢行するのも史実と同じ。
#***COME ON EVERYBODYの発売は史実と同じ。
#****史実以上の売上を記録。週間チャートで1位を獲得した。
#****この楽曲で国営放送の紅白歌合戦に出場。
#*****紅白歌合戦の特別バージョンで披露されるのは史実と同じ。
#*****このときのギター演奏をB'zの松本孝弘が担当するのも史実と同じ。
#***木根尚登が松本孝弘の独立までエレキギターがエアギターだったのは史実と同じ。
#***昭和天皇崩御によりTM NETWORKは1989年4月まで喪服でステージに立った。
#****TM NETWORKにも喪服で歌うように行政からの要請が入った。
#****木根尚登が初めてメディアの前でサングラスを外して演奏したのが昭和天皇崩御時。
#****天皇崩御による特別体制で初めて木根尚登の素顔が広く認知されるようになった。
#***1989年初旬に宇都宮隆がコンサート中に事故を起こし靭帯を損傷するのは史実と同じ。
#****先述した天皇崩御による喪服でのステージでの靭帯損傷だったため史実以上に大変なことになっていた。
#***宇都宮隆の靭帯が完治するのは史実と同時期。
#***初のリミックスアルバムのDRESSが発売されるのは史実と同時期。
#****先行シングルがCOME ON EVERYBODY、KISS YOU(KISS JAPAN)、GET WILD'89なのは史実と同じ。
#*****メディアで披露するのがGET WILD'89なのは史実と同じ。またこのGET WILD'89で1989年の国営放送の紅白歌合戦に出場した。
#*****先行シングルが1989年4月15日に3枚同時リリースになるのも史実と同じ。
#***この時期に小室哲哉は史実以上に様々な歌手やアイドルに楽曲提供を行った。
#****渡辺美里への楽曲提供は継続して実施。
#****光GENJIへも楽曲を実施し飛鳥涼に続く形で成功。
#****TUBEにも1曲は楽曲を提供した可能性が高い。
#****中山美穂への楽曲提供も史実と変わらずに実施。
#*阿久悠、松本隆、筒美京平、橋本淳、秋元康は史実をも上回るヒットメーカーになっていた。
#国策映画や国策音楽は戦後も多数制作された
#*戦前の国策映画の主題歌となった蘇州夜曲は史実以上に歌い継がれている。
#伝統芸能が戦後も伝承されるのは史実と変わらず
#*むしろ史実以上に伝承され現在に至る。
#映画やドラマやアニメは以下のようになっていた。
#*映画は戦後史実以上に流行するが、高度経済成長によるテレビの普及で衰退。
#**但し、1980年代以降の映画館のシネコン化やインターネットの普及によるテレビ業界の低迷で昨今復調するのは同じ。
#**映画館のシネコン化は史実より早くに始まっていた。
#*東宝映画が阪急傘下なのは変わらず
#**帝国復古に反対した社内の集団が第2次東宝争議を起こしたかも
#***第2次東宝争議が起きた場合、東宝は確実に行政からの懲罰を受けていた
#*東映が東急グループを離脱することはなかった
#**石原軍団の映画を多数制作していた
#***史実以上に制作していただろう
#**特撮作品の制作も多数行うのは変わりなし
#**朝日が資本参加することはなかった
#**経営拡大も史実より進んでいる
#***シネコンのT・ジョイを展開するのは史実と変わらず
#****T・ジョイの展開は史実より進んでいるだろう
#**アニメ映画も史実より多数制作していた
#*シネセゾンは西武映画として高度経済成長期には発足していた
#**流通系に属するのは変わらず
#***鉄道グループとの分裂がないので、西武鉄道やプリンスホテルとのコラボは盛んに行われる
#**1980年代にシネセゾンに改組
#**解散することなく現在まで存続
#***シネコンのセゾンシネマを全国展開している
#***ラブライブ!シリーズの映画版はここが制作し配給している
#[[もし海外のこんな法律が日本で採用されたら#タレントエージェンシー法|タレントエージェンシー法]]が成立し、その影響で芸能人による労組が結成されていた。
#*芸能人の労組の大半は同盟系であるが、史実の進歩的文化人及びそれに近い立場のタレントは総評系の労組に所属していた。
#**芸能労組が確実に物言う存在になるので同盟は現在も労働組合として存続している。当然総評との合併による連合の成立もない。
#*また、[[JASRACに言いたい|JASRAC]]のあり方も史実と異なっていた。
#**JASRAC自体は存在するが著作権管理の主体はアーティストの所属する労組にある。
#**またJASRACも同盟系の大手芸能労組の言いなりになっていた。
#*JASRAC以外にも著作権管理団体があったかもしれない。
#[[ゴジラシリーズ]]は幼児/少年層向けの国軍プロパガンダ映画として史実以上に親しまれている。
#*2004年で一旦シリーズ終了などということはありえない。
#*国の体制が史実と異なった影響でシン・ゴジラにも差異がいくらか出た。
#**蒲田くんの段階で機関銃の発砲及びミサイル攻撃が行われていた。
#**ゴジラ滅却のために用意された核ミサイル及び原潜は史実の作品と違い米軍ではなく新日本軍のものだった。
#**ヤシオリ作戦で使われた無人攻撃機群は日米混成部隊だった。
#**無人在来線爆弾には史実より多数の車種が登場していた。
#[[ウルトラシリーズ]]では防衛組織の代わりに新日本軍が登場していた。
#*史実における作品での架空銃・架空機の立ち位置に実際に使われている軍用機や銃が登場する。
#[[仮面ライダー]]シリーズは中国の抗日ドラマ的ポジションになっていた。
#*ショッカーは「ネオナチと共産主義者の連合組織」という設定になっていた。
#J-POP自体やテレビの音楽番組は史実以上に発展し、平成初期以降に史実のように衰退することもなかった。
#*国営放送は史実よりも音楽番組を積極的に制作し、若者向けの生中継の音楽番組も昭和後期から制作・放送している。
#*毎日系列のザ・ベストテンが放送を開始するのは史実より数年早い。また1989年9月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
#**放送開始は1973年頃
#**黒柳徹子がMCなのは史実と変わらず
#***2019年現在も黒柳徹子がMCを務めている
#****近藤真彦とのトークは史実以上の名物に
#****米米CLUBのブレイク後はカールスモーキー石井とのトークも名物になった
#***男性MCは史実のTBSテレビのアナウンサーに
#****初代男性MCは鈴木史朗が務めた
#****鈴木史朗の卒業後は久米宏が史実通りに担当する
#*****鈴木史朗の降板は1979年頃かと
#*****久米宏の卒業は史実と同時期(1985年頃)
#****久米宏の降板で松下賢次に男性MCが交代するのは史実と変わらず
#*****松下賢次が1989年1月で降板することはなかった
#******1992年3月頃まで司会を務めていた
#******渡辺正行が司会を務めることはなかった
#**番組開始からすぐの頃に井上陽水が連続でランクインするが本人が「恥ずかしくて出れません」と出演を辞退し、その伝言を鈴木史朗が代読していた。
#**1974年およげたいやきくんの連続1位記録は簡単に破られなかった
#***1977年にピンクレディーによってようやく破られていた
#****或いはキャンディーズの可能性もある
#****初期は沢田研二、野口五郎、郷ひろみ、キャンディーズ、ピンクレディーによる記録更新合戦が続いてた。
#**西城秀樹が最高得点を叩き出すのは史実と同時期
#**1981年に寺尾聰がルビーの指環で連続1位記録を更新しその後長らく記録は破られなかった。
#***1992年の米米CLUBの君がいるだけで、若しくは、1993年のCHAGE&ASKAのYAH YAH YAHでこの記録は破られた。
#**1980年頃は中島みゆきが頻繁にランクインするが出演を見合わせるのは不可避
#**松任谷由実も1981年頃から頻繁にランクインするがやはり出演を見合わせる
#**山口百恵を回顧する臨時のコーナーが1981年初旬の放送で設けられた
#**松田聖子や中森明菜は史実以上に頻繁にランクインした
#**近藤真彦や田原俊彦のランクインも史実以上に
#**河合奈保子や野村義男も史実より頻繁にランクインした
#***1990年代以降も頻繁にランクインし続けた
#**番組の出演歌唱者の各地からの中継も史実と同じ。
#***ライブ会場からの中継も多かった。
#***駅や空港からの中継は史実以上に多かった。
#**サザンオールスターズの初の1位は史実と同時期。
#**CHAGE and ASKAは1980年代後半に1位を獲得していた。
#**TM NETWORKも1980年代のあいだに1位を獲得できていた。
#**番組は1989年10月以降も継続した。
#***工藤静香のあの歌唱は史実ほど有名にならなかった。
#***B'zは1989年11月16日の放送でスポットライトに出演したのが最初だった。
#****ここではBAD COMMUNICATIONを唄った。
#****B'zが初めてザ・ベストテンでベスト10入りしたのは、1990年5月31日の放送だった。
#***Mr.Childrenは1993年12月2日のスポットライトへの出演が最初だった。
#****この楽曲でCROSSROADを披露した。CROSSROADは数週間後より長期間ベスト10に入り続けた。
#**1994年以降に最高得点が年に2~3回出るのが2000年頃まで続いた。
#***B'zはLOVE PHAMTOMで最高得点を叩き出していた。
#***globeもDEPERTURESで最高得点を叩き出していた。
#*読売系列のザ・トップテン→歌のトップテンも放送開始は史実より早く、また1990年3月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
#*産経系列の夜のヒットスタジオの放送開始は史実と同時期。1990年10月の放送終了はなく、2019年11月現在も放送を継続している。
#**夜ヒットが日本の他の音楽番組の制作に影響を与えるのは史実と変わらず。
#**共産党バンザイ事件はなかった
#**夜のヒットスタジオから夜のヒットスタジオDELUXEへのリニューアルは史実と変わらず。
#**夜のヒットスタジオSUPERへのリニューアルはなかった。
#**放送が当初は月曜日だったのが水曜日に変更になるのは史実と変わらず。
#**当初は前田武彦と芳村真理が司会だったのは変わらず。
#***前田武彦の共産党バンザイは共産党が非合法なのであり得ないが、共産主義を礼賛する発言を連発したのが問題となり、最終的には前田武彦の反共法違反での逮捕で降板した。
#***芳村真理が司会を一旦降板することはなかった
#**三波伸介がメイン司会者になるのは史実と変わらず
#**朝丘雪路が司会者になることはなかった
#**井上順が司会者になるのは史実より遅れるかも知れないが不可避
#***降板は史実より少し遅れそう
#***1990年以降に再登板した可能性もある
#**井上順の後継の司会者が古舘伊知郎なのは史実と変わらず。
#***1994年頃までには降板していた。
#**柴俊夫が司会者になるのは史実と同じ
#***降板することはなかった
#***2019年現在のメイン司会者かと
#**加賀まり子が司会者になることはなかった
#**1990年頃に八木亜希子が司会者に就任した
#***1996年頃に卒業という形で降板した
#***富永美樹が後継者となった
#****富永美樹は2002年頃に卒業という形で降板した
#*朝日系列のミュージックステーションの放送開始は史実と同時期
#**当初は関口宏が司会だったが、半年でタモリに司会が変わるのは史実と同じ
#**1990年代序盤~中盤に有賀さつきがサブ司会者だったのも史実と変わらず
#**1990年代後半からはテレビ朝日の若手女子アナがサブ司会者なのは変わらず
#**テレビ朝日の本局が大阪・東天満にあるため、大阪のスタジオから生中継された。
#***タモリはいいとも司会時代に金曜日のいいともの反省会が終わると即座に新幹線で大阪入りした。そしてミュージックステーションの反省会が終わると最終の新幹線若しくは夜行列車で東京に戻る。
#***史実の朝日放送の女子アナウンサーの一部がテレビ朝日のアナウンサーとしてミュージックステーションのサブ司会者を担当した。
#実写の映画にも史実とそれ相応の差異があった。
#*ミリタリー系や刑事系の映画は史実より相当制作され、同時に史実より相当流行っていた。
#**日本映画界でミリタリー系の映画が史実ほどタブー視されることはなかった。
#*恋愛系の映画が増えるのは史実と同時期。
#**流行るのは史実より若干遅れるが、その分史実以上に流行るようになる。
#*学園モノの映画は史実と同じく多数制作される。
#**但し中学校や高校を扱ったものが多く、大学や大学院を扱ったものは史実ほど増えなかった。
#***大学進学率が史実のように高くはならず、大学は今もエリートが行くところであるため。
#***高等専門学校を扱った映画は史実よりそれ相応に多かった。
#*コメディ系映画は史実より若干多く制作される。
#**コメディ系映画のバリエーションも史実より多様になっていた。
#*ドキュメンタリー映画は史実と同じように制作される。
#**公共事業を扱ったものドキュメンタリー映画は史実より多い。
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2021年2月21日 (日) 05:28時点における版

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  1. 芸能界全体に史実とそれ相応の差異があるのは確実
    • 芸能界自体が史実より政財界とコネの強い業界になっていた
      • なかでもアイドルは自民党の政治家とのコネが強い
        • 極右や左派からはアイドルは史実以上に忌み嫌われる
    • 業界全体が史実より反共色の強い世界になっていた
      • 制作される作品で反共色の強いものは史実よりかなり多い
  2. 音楽界にも史実より多少或いは大幅な差異があった
    • 軍歌は史実ほど衰退しなかった
      • 平成以降も定期的に新しい軍歌が作られている。
    • 演歌や浪曲は1970年代まではそれ相応に聴かれていた。
    • 若者の演歌離れ・浪曲離れはいずれにせよ不可避
    • 大衆的な歌謡曲の発展は史実と変わらず
      • 舟木和夫、橋幸夫、西郷輝彦は史実通りブレイク
      • 内山田洋とクール・ファイブやザ・ゴールデン・カップスのブレイクも史実と変わらず
      • 加山雄三、石原裕次郎、小林旭も史実と同じかそれ以上にヒットを飛ばしただろう
    • 思想犯などの政治的犯罪で逮捕されたり引退を余儀なくされる音楽家は史実より多かった
      • 赤い鳥はプロデビューできなかった
      • ザ・フォーク・クルセダーズ解散後の加藤和彦は国家保安法違反で逮捕され、有罪判決を受けたのちに、海外へ亡命した。
        • イムジン河は当然放送できず。放送しようとなら史実以上の刑罰が関係者に下る。
    • フォークソングやそこから派生したニューミュージックが1970年代以降の音楽シーンを席巻するのは変わらず。更にそれが1980年代以降になってロックやポップスなどのJ-POPや和製のHR/HMやR&Bに発展して現在に至る。
      • 井上陽水のデビューとブレイクは史実と変わらず
        • アンドレ・カンドレでデビューするも全くの不振に終わるのは同じ。史実以上の不振に終わっただろう。
          • 井上陽水で再デビューして、傘がないなどをリリースしたのちに夢の中ででブレイクするのは史実と同じ。
          • 年代的にデビュー前に徴兵制による兵役を経験している。
        • 大麻所持をせずに済んだだろう。
          • 昭和50年代中盤の人気低迷はなかった。
        • なぜか上海は別のタイトルになっていた。楽曲も上海については唄われていない。
          • 台北か香港の可能性が高い。
      • 中島みゆきの音楽業界入りも史実と同時期
        • 初期は史実ほどヒットしないがわかれうたは史実以上にヒットする。
        • かなしみ笑いは史実以上にヒット
          • B面の霧に走るの「いっそこんな車壊れて~」は2019年現在史実以上にネット上で引用されている。
        • 悪女は史実よりかなりヒットした
      • (荒井由実→)松任谷由実の音楽業界入りは史実と同時期
        • 大学中退は史実より早まるだろう
        • 反共独裁政権と新左翼の学生運動の確執と攻防を第三者目線で描いた楽曲を複数発表していた。
        • 「いちご白書」をもう一度を制作することはなかった。
        • ひこうき雲と返事はいらないの制作は史実と同じ
          • 返事はいらないがデビュー曲なのは史実と同じ
        • 横浜での大規模な開発独裁の影響で海を見ていた午後の歌詞が壮大なものになっていた
        • あの日に帰りたいのヒットは史実と変わらず
          • 史実以上にヒットしたかも
        • 松任谷正隆との結婚は史実と変わらず
        • 1970年代終盤の低迷は史実と同じ
        • 守ってあげたいが久々のヒットとなるのは史実と同じ
          • 史実よりヒットした
      • 浜田省吾は史実よりヒット曲を量産していた
      • 大瀧詠一の音楽界での活躍は史実をも遥かに上回るものに
        • アジア太平洋地域の諸外国でもヒットを飛ばしていただろう
        • 森進一や小林旭への楽曲提供も史実と変わらない
      • 長渕剛の業界入りも史実と変わらないが、その経緯が史実と異なった可能性もある。
        • 九州産業大学への進学はなかったかあっても史実より早くに中退した
          • 大学進学がなかった場合はデビューが史実より早まっていた
        • 業界入りする前に志願兵として兵役を経験していた
        • 巡恋歌がデビュー曲かどうかは一概に言えない
          • 雨の嵐山が正式なデビュー曲になっていた可能性があるので
        • 順子でブレイクするのは史実と変わらず
          • これ以降なかなかヒットシングルに恵まれないのは史実と変わらず
          • アルバムは史実と同じかそれ以上にセールスを伸ばした
          • 1983年のGOOD-BYE青春が久々のヒットとなるのは史実と同じ
          • 孤独なハートは史実よりヒットした
        • 音楽番組には初期より史実より頻繁に出演していただろう
        • HUNGRYで初期のクリアな歌声から現在のしゃがれた歌声になるのは同じ
          • 久しぶりに俺は泣いたんだは史実よりヒットした
          • 勇次も史実よりヒット
        • 勇次以降に病に倒れることはなかった
          • そのためSTAY DREAMは史実と違いロック色の強い作品となった
      • サザンオールスターズの結成と業界入りも史実と変わらず
        • 但しデビュー前の動向が史実より慌ただしくなる
        • バンド名の変更回数は史実より減ったかもしれない
        • メンバーの約半数はデビュー前に志願兵として兵役を経験
          • メンバー全員が青年期に志願兵として兵役を経験した可能性もある
          • 年代的に徴兵制の対象だった可能性もあり
        • 勝手にシンドバッドでデビューするのは変わらず
          • 勝手にシンドバッドは反響は史実以上も売上は史実以下
          • 気分しだいで責めないでは史実ほどヒットせず
        • いとしのエリーは史実ほどヒットしなかった
        • デビューから数年はあまりヒットシングルに恵まれず
          • アルバムは史実と同じくヒットしたか場合によっては史実以上のヒットとなった
          • コンサートライブも連日連夜大盛況で、場合によってはすぐにチケットが入手困難に
          • アルバムのタイニイ・バブルスとステレオ太陽族のリードシングルもヒットしなかったが、アルバムは史実以上にヒットした。
            • C調言葉に御用心も史実ほどヒットしなかった。
            • タイニイ・バブルス収録の松田の子守唄は、原曲の赤い鳥の竹田の子守唄が発禁になるため別のタイトルになっていた。
            • 働けロックバンドの歌詞は史実より辛辣なものになっていた。
        • 1982年のチャコの海岸物語が久々のヒットシングルとなる。
        • 桑田佳祐と原由子の結婚は史実と変わらず
        • Ya Ya(あの時代を忘れない)は史実よりヒット
        • EMANONが不振に終わるのは史実と変わらず
          • アルバムの綺麗も史実ほどヒットしなかった
            • 史実で綺麗に収録されているかしの樹の下では検閲に引っかかり収録できなかった。
              • NUDE MAN収録の流れる雲を追いかけての歌詞も史実より修正が加わったかも。
                • ロッキード事件がないので、史実でロッキード事件について唄われたNUDE MANの歌詞が史実と大幅に異なっていた。
        • ミス・ブランニューデイは史実よりヒットした
        • BYE BYE MY LOVE(U are the one)も史実よりヒット
        • メロディも史実よりヒット
        • アルバムの人気者で行こうとKAMAMKURAの完成度は史実をも遥かに上回るものになった
          • 吉田拓郎の引退の噂はなく吉田拓郎の唄は制作されなかったかも
          • Computer Childrenは史実以上のハイテクサウンドを駆使した楽曲になっていた
        • 1983年を最後に紅白歌合戦の出場が長期間途絶えることはなかった
          • 1982年の紅白歌合戦での物議を醸す行動もなかった
          • 1984年はミス・ブランニューデイで出場していた
          • 1985年はBYE BYE MY LOVE(U are the one)で出場していた
        • 1985年を最後に原由子の産休で活動休止に入るのは変わらず
        • 1986年以降のサザンオールスターズはソロ活動に突入した
          • 桑田佳祐がKUWATA BANDを期間限定で結成するのは変わらず
            • 松田弘の参加も変わらず
            • KUWATA BANDの解散後の1987年の桑田佳祐と松田弘がソロ歌手として活動するのも史実と変わらず
        • サザンオールスターズの活動再開が10周年の1988年になるのは史実と同じ
          • 史実通りみんなのうたで再開
          • みんなのうたは史実以上にヒットした
          • みんなのうたを収録したオリジナルアルバムを1988年夏に発表
        • 1988年12月に史実にないオリジナルアルバムを発表
          • リードシングルが1988年9月と11月に発表
        • 1988年の国営放送の紅白歌合戦にも出場
        • 1989年1月上旬の昭和天皇崩御を受け、以降の3か月間は喪服でステージに立った
          • 昭和天皇へのレクイエムも制作した
        • 女神達への情歌のリリースは史実と同時期
          • クレームは史実ほどではなかった
          • クレームはあったが史実以上に掻き消されていた
      • チャゲ&飛鳥→CHAGE&ASKAのデビューも史実と同時期
        • チャゲも飛鳥涼も青年期に志願兵として兵役を経験
        • ユニット名はチャゲ&飛鳥からCHAGE&ASKAを経て、現在のCHAGE and ASKAに
          • 正式名称としてCHAGE&ASUKAを名乗ったことはなかった
            • レコードジャケットのクレジットのデザインとして名乗ったことはある。
        • ひとり咲きでデビューするのは変わらないが、史実以上の不振に終わる。
          • ひとり咲きで夜のヒットスタジオに出演することはなかった。
        • デビューのきっかけとなった流恋情歌も史実以上の不振に終わる
        • ファーストアルバムの風舞は史実以上の不振に終わった
          • このアルバムから私の愛した人がシングルにリカットされた
        • 万里の河でブレイクするのは史実と変わらず
          • 夜のヒットスタジオへの初出演も万里の河だった
          • 万里の河は史実よりもヒットした
          • 万里の河以降はなかなかヒットシングルに恵まれず
            • しかしコンサートライブはむしろ史実以上の大盛況で場合によってはチケットが発売からすぐに入手困難に
            • 万里の河以降のシングルはほとんど不振続きに終わったのは史実と同じだが、それでも男と女やオンリーロンリーは史実よりそれ相応にヒットした。
            • 熱い想いと北風物語は不振に終わったほか、1983年のシングルもどれも不振に終わった。
            • 南十字星がアルバムからシングルにリカットされた。
          • 1984年のMOON LIGHT BLUESと標的は史実よりはヒットしただろう。
        • 1985年の夏と秋に史実にないシングルをリリース
        • SUPER BESTは1985年12月頃のリリースになっていた。
        • Standing Ovationはリリースされなかった。
        • 1986年初旬に他者への提供曲のみで構成されたセルフカバーアルバムを発表していた。
          • 葛城ユキに提供したボヘミアンもこれに収録された。
        • チャゲアスは史実と同じく、当初は演歌フォークと呼ばれる演歌の要素を取り入れたフォーク調の作風の路線を行くが、1982年末辺りを契機にニューミュージックに路線変更し、更に1984年~1985年にJ-POPへと作風を変える路線変更を行った。
          • 真紅な動輪のサントラ盤の熱い想いまではフォーク調の作風だが、21世紀でニューミュージックになり、IN SIDEとZ=Oneで完全に演歌フォークから脱却しロック、ポップス、テクノなどのJ-POPに路線変更した。
            • 熱い想いが真紅な動輪の主題歌なのは史実と変わらず
            • TWILIGHT ZONEの歌詞が史実と異なる
        • 1986年にレコード会社をデビュー時のワーナーパイオニアからキャニオンレコードに移籍するのは変わらず。
        • キャニオンレコード移籍第1弾のシングルであるモーニングムーンは史実よりヒットした。
          • 財閥系大手企業のCMソングだっただろう。
        • 黄昏を待たずにも史実よりそれ相応にヒットした
          • こちらも大手財閥系企業のCMソングだった
            • もしその場合はモーニングムーンとタイアップ先が同じだった
        • Count Downと指環が泣いたも史実よりヒットした
          • どちらもドラマ主題歌に起用された可能性がある。
        • 1986年は国営放送の紅白歌合戦と産経の世界紅白にW出演した。
          • 紅白歌合戦ではモーニングムーンを唄い、世界紅白では指環が泣いたを唄った。
          • 世界紅白出場がアルバムのMr. ASIAを制作するきっかけとなるのは変わらず。
        • SAILOR MANは史実よりヒット
          • 日本航空のタイアップが付くのは同じ
        • ロマンシングヤードは史実よりヒット
          • 産経のミリタリードラマの主題歌に起用されたかと。
            • 主演は渡哲也か舘ひろし
        • 恋人はワイン色は史実よりヒット
          • テレビ朝日系列のドラマ「あぶない雑居カップル」の主題歌なのは史実と同じ。
            • チャゲアスが連ドラ主題歌を担当するのはこれが最初ではなかった。
        • アルバムのRHAPSODYは史実以上の売上を記録した。
          • レノンのミスキャストの歌詞が史実と違うかもしれない。
          • 狂想曲がシングルにリカットされるのは変わらず。
        • アルバムのENERGYも史実以上の売上を記録した。
          • 先行シングルはLove AffairとTrip
            • Love Affairのリリースは1988年7月頃
            • Tripは史実と同時期
        • 光GENJIへの楽曲提供は史実以上の成功を収める。
        • 昭和天皇崩御から約3か月間は喪服でステージに立つ
          • そのような指導がチャゲアスに限らず行政から入るだろう
          • 昭和天皇崩御に際してチャゲと飛鳥涼は公式のお悔やみのコメントを発表した。
            • 飛鳥涼は昭和天皇へのレクイエムを制作し発表した。
        • WALKの発表は史実と同時期
          • 発表時の評判は史実ほどではないが芳しくなかった。
          • 数作ぶりに週間チャートの上位10位圏外へのランクインとなったであろう。
          • 史実と同じく1992年に再発売されその時に高評価されただろう。
        • LOVE SONGは史実よりかなりヒット。
          • 1992年にリミックスされ再発売されるのは変わらず。
          • 1989年のLOVE SONGは民営化されなかった国鉄のタイアップが付いたかも。
        • 10周年のアルバムであるPRIDEは史実以上の売上。
          • 表題曲のPRIDEはチャゲアスファンはもちろん、ファンに限らずコアなリスナーからも史実以上の人気。
          • 天気予報の恋人の認知度も史実以上。
          • 砂時計のくびれた場所の認知度は史実以上だった。
        • アジア進出は昭和末期には行われる。
          • チャゲアスの大東亜共栄圏ツアーも1986年頃には定番に。
        • 1989年の10周年は史実以上に盛り上がった
        • チャゲがMULTI MAXを結成するのは史実と変わらず
          • 但し史実以上に副業的なものになっていた
        • 飛鳥涼が1989年秋に渡英するのは史実と変わらず
          • このときに史実にあったチャゲアス解散説の浮上はなかった
          • 1989年12月下旬にはチャゲも渡英した
          • 1989年の国営放送の紅白歌合戦にロンドンからの中継で白組から出場。LOVE SONGを披露。
          • 1990年初旬よりアルバムのSEE YA!をロンドンで制作するのは史実と変わらず。
            • チャゲアスの2人はロンドンにて労働党の支持者に喧嘩を吹っかけられた。
            • ロンドンのライブハウスでのコンサートは史実と変わらず。
            • SEE YA!の作風に史実と若干の差異があった。
              • リードシングルのDO YA DOは史実と変わらず
              • 水の部屋は史実以上に和のテイストが強くなった
              • モナリザの背中よりもは史実以上にデsジタル色が強くなった
                • ゼロの向こうのGOOD LUCKにも同じことが言える
              • YELLOW MENの歌詞は史実以上に辛辣なものに
                • ゼロの向こうのGOOD LUCKも
              • 太陽と埃の中では史実と変わらず
        • 1990年2月のバラードベストのリリースはおそらく史実と変わらず
        • 1990年3月に史実にないシングルをリリース
          • SEE YA!には収録されず
          • この時期に日本に帰国
        • 心のボールは福岡特別市の特別市制15周年の1987年か20周年の1992年に制作・発表された
        • 帰国後に積極的にメディアへの露出を行い、主にDO YA DOを唄う
        • ロンドンで制作したSEE YA!の発売は史実と同時期
          • アルバムを引っ提げてのコンサートツアーも行う
            • 韓国、台湾、香港での公演も設定された
        • 太陽と埃の中でがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
          • 史実と同じく産経系列のタイムスリーのED曲に
        • 1990年も光GENJIに楽曲提供を行った。また1991年以降も光GENJIへの定期的な楽曲提供を継続した。
        • 1991年のASKAソロのはじまりはいつも雨のミリオンセールスは史実と変わらず
          • 史実以上のセールスを伸ばした
          • 松下電器産業のコンポのhalfのタイアップ曲なのは史実と変わらず
        • バブル景気がないため、産経系ドラマ「101回目のプロポーズ」が制作されず、SAY YESのタイアップ先が史実と異なっていた。
          • 史実にない産経系のトレンディドラマの主題歌になった可能性が高い。
          • SAY YESのセールス自体も史実ほどは伸びなかった。
            • どんなに売り上げを伸ばしてもシングルミリオン止まり
            • それでもチャゲアス名義で初のミリオンシングルになったかも知れない
        • 僕はこの瞳で嘘をつくのシングル化は史実と変わらず
          • 史実と違いアルバムのリードシングルだったかも知れない。その場合はSAY YESとリリース順序が逆になっていた
        • アルバムのTREEの発売は史実と変わらず
          • 史実と変わらず、僕はこの瞳で嘘をつく、SAY YES、BIG TREEは収録
          • tomorrowの歌詞が史実とやや違っていた
          • 当初の予定通り、1991年9月21日に発売され史実の10月10日に遅れることはなかった
        • SAY YESや僕はこの瞳で嘘をつくのときは、史実と違いメディアに積極出演しこれらの楽曲を披露
        • 1991年12月下旬頃に史実にない新曲をシングルとしてリリース
        • 1992年3月25日のSUPER BEST 2の発売は史実と変わらず
          • このときのLOVE SONG '92の発表は変わらず
          • SUPER BEST 2には1989年のLOVE SONGと1992年のLOVE SONGの両方が収録された
        • ifの大ヒットは史実と変わらず
          • SAY YESがミリオンを達成していない場合は、こちらもミリオンセールスを記録することはなかった。
          • SAY YESがミリオンセールスを達成した場合は、タッチの差でミリオンセールスを達成した。
        • no no darlin'は史実以上にヒットし、週間1位も獲得していた。
          • GUYSがシングル候補だったがアルバムのタイトル曲に振り替えられるのは変わらず
          • GUYSの制作もロンドンで行われるのは史実と変わらず
        • GUYSと同じ日にGUYSとコンセプトの異なるトレンディな作風のアルバムを発表したかも
          • この場合、先行シングルが1992年の5月と9月にリリースされていただろう
        • YAH YAH YAHは史実以上のメガヒットとなる
          • チャゲアスの初のダブルミリオンシングルはYAH YAH YAHになっていた
          • 産経系ドラマ「振り返れば奴がいる」の主題歌なのは変わらず
          • 当然、YAH YAH YAHは週間1位を獲得
            • 史実のビーイング旋風がないので、週間1位をかなりの間にわたってキープした
          • 夢の番人はダブルA面ではなく同時発売になっていた
            • 夢の番人は週間10位に入るのが精一杯だった
          • 後にpop'n musicなどの音楽ゲームにも収録された
        • YAH YAH YAHでCHAGE&ASKAの地位は不動のものになった
          • それでも史実の1990年代前半のチャゲアス旋風はなかった
          • むしろ1990年代でチャゲアスが大いなる活躍を遂げるのは、史実の前半ではなく、史実ではソロが主体になった後半である。
        • Sons and Daughtersは史実よりヒットした。
          • 但し、富士重工業かセゾングループかのどちらかだけのタイアップになっていた
            • もうどちらかは史実に存在しない別の楽曲がタイアップ曲になっていた
          • カップリングのMr.Jの悲劇は岩より重いは歌詞と題名が異なるか、そもそも制作自体がされなかった
        • アルバムのRED HILLは史実より相当ヒットした
          • ダブルミリオンは確実視される
          • RED HILLは国際情勢も歌詞に交じっていたかも知れない
          • You are freeとなぜに君は帰らないがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
        • Knockはなぜに君は帰らないのカップリングではなく、シングル曲として1994年2月頃にリリースされた。
          • Knockがアナログ盤の通常盤が発売された最後のシングルとなった
      • TM NETWORKとglobeの活動とその経緯が史実と異なる。
        • 小室音楽は史実以上の支持を得ていた
        • 宇都宮隆と木根尚登がSPEEDWAYを結成するのは史実と同時期
          • 宇都宮隆は青年期に志願兵として兵役を経験
            • 木根尚登も実父の指示と宇都宮隆の誘いで志願兵として兵役を経験しただろう
          • SPEEDWAYに小室哲哉が加入するのは史実と同時期
        • SPEEDWAYが何のヒットもないまま1983年に解消するのも史実と同じ
        • SPEEDWAY解散後の小室哲哉と木根尚登とオーストラリア人ボーカリストの新ユニット構想はなかった。
        • SPEEDWAY解散後は小室哲哉は即座に宇都宮隆と木根尚登にTM NETWORK結成を呼び掛けた。小室のこの声に宇都宮と木根はすぐに応じて、TM NETWORKは結成された。
          • フレッシュサウンズコンテストで優勝しデビューの切符を掴むのは変わらず
        • 1984年4月21日のデビューは史実と同じ
          • 1stアルバムのRAINBOW RAINBOWの収録曲は史実以上に難解な歌詞が多かった。
            • 金曜日のライオンがデビューシングルになるのは変わらず
            • 1974のシングルへのリカットは史実と同じ
              • シングルジャケットに木根尚登の姿がないのも同じ
        • 木根尚登が坊主頭を拒否する代わりにサングラスをするのは史実と変わらず
        • ACCIDENTのリリースは史実と同時期
          • 作詞が松井五郎なのも史実と変わらず
          • ACCIDENTを収録したアルバムのCHILDHOOD'S ENDの発売時期も史実と同時期
          • CHILDHOOD'S END収録のDRAGON THE FESTIVALのリミックス版のシングルでのリリースも変わらず
            • YOUR SONG("D"Mix)と併せて12インチシングルとしてリリースされるのも史実と変わらず
        • 初期は阿久悠との楽曲制作も行った
        • 湯川れい子や秋元康もTM NETWORKの楽曲制作に参加した
        • 松井五郎との楽曲制作は史実よりかなり増えた
        • 神沢礼江や川村真澄との楽曲制作は変わらず
        • 小室みつ子との楽曲制作は史実以上
        • 澤地隆とも楽曲制作を行っていた
        • TWINKLE NIGHTの発売は史実と同時期
          • 表題曲のTWINKLE NIGHTの歌詞が史実と若干異なる
          • ELECTRIC PROPHETは史実とほぼ変わらず
          • YOUR SONGのアルバム版が収録されるのは史実と同じ
        • FANKSの単語の誕生時期は史実と変わらず。時期的にも史実と同時期。
        • 渡辺美里へ提供した楽曲が初ヒットになるのは史実と変わらず。
          • My Revolution、Teenage Walk、BELIEVEなど
        • 岡田有希子への楽曲提供も史実と変わらず
        • 福永恵規への楽曲提供も史実と同じ
        • デビュー直後の少年隊へも楽曲提供を行っていた
        • テレサ・テンへも楽曲提供を行う
        • 小林旭への楽曲提供も実施
        • 河合奈保子へも楽曲提供を行った
          • 河合奈保子とは楽曲の共同制作も行った
        • Come on Let's Danceの発売時期は史実と同時期
          • 歌詞が史実と少しだけ違う可能性もある
        • アルバムのGORILLAの発売は史実と変わらず
          • Come on Let's Danceが収録されるのも史実と同じ
        • GIRLの発売は史実と変わらず
        • All-Right All-Nightの発売は史実と変わらず。但し歌詞が史実と異なる可能性がある。
        • Self Controlの発売時期は史実と変わらず。
          • 週間チャートで10位圏内に初めて入ったのはSelf Controlだった
            • 何らかのCMのタイアップが付いていた
          • アルバムのSelf Controlも史実よりヒットした
            • Here,There&Everywhereがこのアルバムに収録されるのは変わらず
          • DDRやbeatmania IIDXにも収録されていただろう
        • Get Wildで初の週間1位を獲得した
          • 読売系アニメ「シティーハンター」のED曲なのは史実と同じ
          • Get Wildを収録したオリジナルアルバムを制作していた
          • BEMANIシリーズや太鼓の達人に収録されるのも史実と変わらない
        • Gift for Fanksの収録曲が史実とやや異なっていたかも
        • KISS YOUのリリースとヒットは史実と同じ
        • アルバムのhumansystemのリリースは史実と同時期
          • 史実と違い国内で制作されたかも
          • このアルバムからRESISTANCEがシングルにリカットされるのは史実と同じ
            • RESISTANCEは史実よりヒットした
            • RESISTANCEが毎日系ドラマ「痛快!ロックンロール通り」の主題歌なのは史実と変わらず
        • BEYOND THE TIMEは史実よりヒット
          • ガンダムの映画版の主題歌になるのは史実と変わらず
            • 作品に政治的要素があった場合は、BEYOND THE TIMEも史実より政治的・社会的な側面の強い歌詞になっていた。
        • SEVEN DAYS WARの発売は史実と同時期
          • 史実よりヒットしただろう
          • ぼくらの七日間戦争の主題歌なのは変わらず
            • ぼくらの七日間戦争の内容が史実と大幅に異なっていた
              • 登場人物には政治家や軍人も相当多い
              • 登場人物には暴力的な民主活動家も含まれていた
              • 1998年の民主化後に、史実の原作小説と同様のストーリーが「アナザーストーリー」として登場していたかも
              • アナザーストーリーの主題歌はおそらく小室哲哉単独作に
        • CAROLのリードシングルはJUST ONE VICTORYになっていた。
          • JUST ONE VICTORYのシングル版のリリースは1988年9月頃になっていた。
          • CAROLのレコーディングがロンドンで行われるのは史実と同じ。
            • この時の渡英経験で小室哲哉が飛鳥涼にロンドンでレコーディングを勧め、翌年のCHAGE&ASKAの渡英のきっかけになるのは史実と同じ。
          • CAROLは史実よりアルバム曲重視になっていた。
            • BEYOND THE TIME、SEVEN DAYS WAR、COME ON EVERYBODYは収録されなかった。
          • CAROLの内容は史実と若干違っていた。
          • 木根尚登がCAROLが題材の小説を執筆し発表するのは史実と同じ。
            • 史実以上のベストセラーとなり、三島由紀夫や石原慎太郎などの政界に進出している文豪からも注目された。
          • CAROLを題材にしたオペラ形式のライブツアーを敢行するのも史実と同じ。
        • COME ON EVERYBODYの発売は史実と同じ。
          • 史実以上の売上を記録。週間チャートで1位を獲得した。
          • この楽曲で国営放送の紅白歌合戦に出場。
            • 紅白歌合戦の特別バージョンで披露されるのは史実と同じ。
            • このときのギター演奏をB'zの松本孝弘が担当するのも史実と同じ。
        • 木根尚登が松本孝弘の独立までエレキギターがエアギターだったのは史実と同じ。
        • 昭和天皇崩御によりTM NETWORKは1989年4月まで喪服でステージに立った。
          • TM NETWORKにも喪服で歌うように行政からの要請が入った。
          • 木根尚登が初めてメディアの前でサングラスを外して演奏したのが昭和天皇崩御時。
          • 天皇崩御による特別体制で初めて木根尚登の素顔が広く認知されるようになった。
        • 1989年初旬に宇都宮隆がコンサート中に事故を起こし靭帯を損傷するのは史実と同じ。
          • 先述した天皇崩御による喪服でのステージでの靭帯損傷だったため史実以上に大変なことになっていた。
        • 宇都宮隆の靭帯が完治するのは史実と同時期。
        • 初のリミックスアルバムのDRESSが発売されるのは史実と同時期。
          • 先行シングルがCOME ON EVERYBODY、KISS YOU(KISS JAPAN)、GET WILD'89なのは史実と同じ。
            • メディアで披露するのがGET WILD'89なのは史実と同じ。またこのGET WILD'89で1989年の国営放送の紅白歌合戦に出場した。
            • 先行シングルが1989年4月15日に3枚同時リリースになるのも史実と同じ。
        • この時期に小室哲哉は史実以上に様々な歌手やアイドルに楽曲提供を行った。
          • 渡辺美里への楽曲提供は継続して実施。
          • 光GENJIへも楽曲を実施し飛鳥涼に続く形で成功。
          • TUBEにも1曲は楽曲を提供した可能性が高い。
          • 中山美穂への楽曲提供も史実と変わらずに実施。
    • 阿久悠、松本隆、筒美京平、橋本淳、秋元康は史実をも上回るヒットメーカーになっていた。
  3. 国策映画や国策音楽は戦後も多数制作された
    • 戦前の国策映画の主題歌となった蘇州夜曲は史実以上に歌い継がれている。
  4. 伝統芸能が戦後も伝承されるのは史実と変わらず
    • むしろ史実以上に伝承され現在に至る。
  5. 映画やドラマやアニメは以下のようになっていた。
    • 映画は戦後史実以上に流行するが、高度経済成長によるテレビの普及で衰退。
      • 但し、1980年代以降の映画館のシネコン化やインターネットの普及によるテレビ業界の低迷で昨今復調するのは同じ。
      • 映画館のシネコン化は史実より早くに始まっていた。
    • 東宝映画が阪急傘下なのは変わらず
      • 帝国復古に反対した社内の集団が第2次東宝争議を起こしたかも
        • 第2次東宝争議が起きた場合、東宝は確実に行政からの懲罰を受けていた
    • 東映が東急グループを離脱することはなかった
      • 石原軍団の映画を多数制作していた
        • 史実以上に制作していただろう
      • 特撮作品の制作も多数行うのは変わりなし
      • 朝日が資本参加することはなかった
      • 経営拡大も史実より進んでいる
        • シネコンのT・ジョイを展開するのは史実と変わらず
          • T・ジョイの展開は史実より進んでいるだろう
      • アニメ映画も史実より多数制作していた
    • シネセゾンは西武映画として高度経済成長期には発足していた
      • 流通系に属するのは変わらず
        • 鉄道グループとの分裂がないので、西武鉄道やプリンスホテルとのコラボは盛んに行われる
      • 1980年代にシネセゾンに改組
      • 解散することなく現在まで存続
        • シネコンのセゾンシネマを全国展開している
        • ラブライブ!シリーズの映画版はここが制作し配給している
  6. タレントエージェンシー法が成立し、その影響で芸能人による労組が結成されていた。
    • 芸能人の労組の大半は同盟系であるが、史実の進歩的文化人及びそれに近い立場のタレントは総評系の労組に所属していた。
      • 芸能労組が確実に物言う存在になるので同盟は現在も労働組合として存続している。当然総評との合併による連合の成立もない。
    • また、JASRACのあり方も史実と異なっていた。
      • JASRAC自体は存在するが著作権管理の主体はアーティストの所属する労組にある。
      • またJASRACも同盟系の大手芸能労組の言いなりになっていた。
    • JASRAC以外にも著作権管理団体があったかもしれない。
  7. ゴジラシリーズは幼児/少年層向けの国軍プロパガンダ映画として史実以上に親しまれている。
    • 2004年で一旦シリーズ終了などということはありえない。
    • 国の体制が史実と異なった影響でシン・ゴジラにも差異がいくらか出た。
      • 蒲田くんの段階で機関銃の発砲及びミサイル攻撃が行われていた。
      • ゴジラ滅却のために用意された核ミサイル及び原潜は史実の作品と違い米軍ではなく新日本軍のものだった。
      • ヤシオリ作戦で使われた無人攻撃機群は日米混成部隊だった。
      • 無人在来線爆弾には史実より多数の車種が登場していた。
  8. ウルトラシリーズでは防衛組織の代わりに新日本軍が登場していた。
    • 史実における作品での架空銃・架空機の立ち位置に実際に使われている軍用機や銃が登場する。
  9. 仮面ライダーシリーズは中国の抗日ドラマ的ポジションになっていた。
    • ショッカーは「ネオナチと共産主義者の連合組織」という設定になっていた。
  10. J-POP自体やテレビの音楽番組は史実以上に発展し、平成初期以降に史実のように衰退することもなかった。
    • 国営放送は史実よりも音楽番組を積極的に制作し、若者向けの生中継の音楽番組も昭和後期から制作・放送している。
    • 毎日系列のザ・ベストテンが放送を開始するのは史実より数年早い。また1989年9月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
      • 放送開始は1973年頃
      • 黒柳徹子がMCなのは史実と変わらず
        • 2019年現在も黒柳徹子がMCを務めている
          • 近藤真彦とのトークは史実以上の名物に
          • 米米CLUBのブレイク後はカールスモーキー石井とのトークも名物になった
        • 男性MCは史実のTBSテレビのアナウンサーに
          • 初代男性MCは鈴木史朗が務めた
          • 鈴木史朗の卒業後は久米宏が史実通りに担当する
            • 鈴木史朗の降板は1979年頃かと
            • 久米宏の卒業は史実と同時期(1985年頃)
          • 久米宏の降板で松下賢次に男性MCが交代するのは史実と変わらず
            • 松下賢次が1989年1月で降板することはなかった
              • 1992年3月頃まで司会を務めていた
              • 渡辺正行が司会を務めることはなかった
      • 番組開始からすぐの頃に井上陽水が連続でランクインするが本人が「恥ずかしくて出れません」と出演を辞退し、その伝言を鈴木史朗が代読していた。
      • 1974年およげたいやきくんの連続1位記録は簡単に破られなかった
        • 1977年にピンクレディーによってようやく破られていた
          • 或いはキャンディーズの可能性もある
          • 初期は沢田研二、野口五郎、郷ひろみ、キャンディーズ、ピンクレディーによる記録更新合戦が続いてた。
      • 西城秀樹が最高得点を叩き出すのは史実と同時期
      • 1981年に寺尾聰がルビーの指環で連続1位記録を更新しその後長らく記録は破られなかった。
        • 1992年の米米CLUBの君がいるだけで、若しくは、1993年のCHAGE&ASKAのYAH YAH YAHでこの記録は破られた。
      • 1980年頃は中島みゆきが頻繁にランクインするが出演を見合わせるのは不可避
      • 松任谷由実も1981年頃から頻繁にランクインするがやはり出演を見合わせる
      • 山口百恵を回顧する臨時のコーナーが1981年初旬の放送で設けられた
      • 松田聖子や中森明菜は史実以上に頻繁にランクインした
      • 近藤真彦や田原俊彦のランクインも史実以上に
      • 河合奈保子や野村義男も史実より頻繁にランクインした
        • 1990年代以降も頻繁にランクインし続けた
      • 番組の出演歌唱者の各地からの中継も史実と同じ。
        • ライブ会場からの中継も多かった。
        • 駅や空港からの中継は史実以上に多かった。
      • サザンオールスターズの初の1位は史実と同時期。
      • CHAGE and ASKAは1980年代後半に1位を獲得していた。
      • TM NETWORKも1980年代のあいだに1位を獲得できていた。
      • 番組は1989年10月以降も継続した。
        • 工藤静香のあの歌唱は史実ほど有名にならなかった。
        • B'zは1989年11月16日の放送でスポットライトに出演したのが最初だった。
          • ここではBAD COMMUNICATIONを唄った。
          • B'zが初めてザ・ベストテンでベスト10入りしたのは、1990年5月31日の放送だった。
        • Mr.Childrenは1993年12月2日のスポットライトへの出演が最初だった。
          • この楽曲でCROSSROADを披露した。CROSSROADは数週間後より長期間ベスト10に入り続けた。
      • 1994年以降に最高得点が年に2~3回出るのが2000年頃まで続いた。
        • B'zはLOVE PHAMTOMで最高得点を叩き出していた。
        • globeもDEPERTURESで最高得点を叩き出していた。
    • 読売系列のザ・トップテン→歌のトップテンも放送開始は史実より早く、また1990年3月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
    • 産経系列の夜のヒットスタジオの放送開始は史実と同時期。1990年10月の放送終了はなく、2019年11月現在も放送を継続している。
      • 夜ヒットが日本の他の音楽番組の制作に影響を与えるのは史実と変わらず。
      • 共産党バンザイ事件はなかった
      • 夜のヒットスタジオから夜のヒットスタジオDELUXEへのリニューアルは史実と変わらず。
      • 夜のヒットスタジオSUPERへのリニューアルはなかった。
      • 放送が当初は月曜日だったのが水曜日に変更になるのは史実と変わらず。
      • 当初は前田武彦と芳村真理が司会だったのは変わらず。
        • 前田武彦の共産党バンザイは共産党が非合法なのであり得ないが、共産主義を礼賛する発言を連発したのが問題となり、最終的には前田武彦の反共法違反での逮捕で降板した。
        • 芳村真理が司会を一旦降板することはなかった
      • 三波伸介がメイン司会者になるのは史実と変わらず
      • 朝丘雪路が司会者になることはなかった
      • 井上順が司会者になるのは史実より遅れるかも知れないが不可避
        • 降板は史実より少し遅れそう
        • 1990年以降に再登板した可能性もある
      • 井上順の後継の司会者が古舘伊知郎なのは史実と変わらず。
        • 1994年頃までには降板していた。
      • 柴俊夫が司会者になるのは史実と同じ
        • 降板することはなかった
        • 2019年現在のメイン司会者かと
      • 加賀まり子が司会者になることはなかった
      • 1990年頃に八木亜希子が司会者に就任した
        • 1996年頃に卒業という形で降板した
        • 富永美樹が後継者となった
          • 富永美樹は2002年頃に卒業という形で降板した
    • 朝日系列のミュージックステーションの放送開始は史実と同時期
      • 当初は関口宏が司会だったが、半年でタモリに司会が変わるのは史実と同じ
      • 1990年代序盤~中盤に有賀さつきがサブ司会者だったのも史実と変わらず
      • 1990年代後半からはテレビ朝日の若手女子アナがサブ司会者なのは変わらず
      • テレビ朝日の本局が大阪・東天満にあるため、大阪のスタジオから生中継された。
        • タモリはいいとも司会時代に金曜日のいいともの反省会が終わると即座に新幹線で大阪入りした。そしてミュージックステーションの反省会が終わると最終の新幹線若しくは夜行列車で東京に戻る。
        • 史実の朝日放送の女子アナウンサーの一部がテレビ朝日のアナウンサーとしてミュージックステーションのサブ司会者を担当した。
  11. 実写の映画にも史実とそれ相応の差異があった。
    • ミリタリー系や刑事系の映画は史実より相当制作され、同時に史実より相当流行っていた。
      • 日本映画界でミリタリー系の映画が史実ほどタブー視されることはなかった。
    • 恋愛系の映画が増えるのは史実と同時期。
      • 流行るのは史実より若干遅れるが、その分史実以上に流行るようになる。
    • 学園モノの映画は史実と同じく多数制作される。
      • 但し中学校や高校を扱ったものが多く、大学や大学院を扱ったものは史実ほど増えなかった。
        • 大学進学率が史実のように高くはならず、大学は今もエリートが行くところであるため。
        • 高等専門学校を扱った映画は史実よりそれ相応に多かった。
    • コメディ系映画は史実より若干多く制作される。
      • コメディ系映画のバリエーションも史実より多様になっていた。
    • ドキュメンタリー映画は史実と同じように制作される。
      • 公共事業を扱ったものドキュメンタリー映画は史実より多い。