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#芸能界全体に史実とそれ相応の差異があるのは確実 | |||
#*芸能界自体が史実より政財界とコネの強い業界になっていた | |||
#**なかでもアイドルは自民党の政治家とのコネが強い | |||
#***極右や左派からはアイドルは史実以上に忌み嫌われる | |||
#*業界全体が史実より反共色の強い世界になっていた | |||
#**制作される作品で反共色の強いものは史実よりかなり多い | |||
#音楽界にも史実より多少或いは大幅な差異があった | |||
#*軍歌は史実ほど衰退しなかった | |||
#**平成以降も定期的に新しい軍歌が作られている。 | |||
#*演歌や浪曲は1970年代まではそれ相応に聴かれていた。 | |||
#*若者の演歌離れ・浪曲離れはいずれにせよ不可避 | |||
#*大衆的な歌謡曲の発展は史実と変わらず | |||
#**舟木和夫、橋幸夫、西郷輝彦は史実通りブレイク | |||
#**内山田洋とクール・ファイブやザ・ゴールデン・カップスのブレイクも史実と変わらず | |||
#**加山雄三、石原裕次郎、小林旭も史実と同じかそれ以上にヒットを飛ばしただろう | |||
#*思想犯などの政治的犯罪で逮捕されたり引退を余儀なくされる音楽家は史実より多かった | |||
#**赤い鳥はプロデビューできなかった | |||
#**ザ・フォーク・クルセダーズ解散後の加藤和彦は国家保安法違反で逮捕され、有罪判決を受けたのちに、海外へ亡命した。 | |||
#***イムジン河は当然放送できず。放送しようとなら史実以上の刑罰が関係者に下る。 | |||
#*フォークソングやそこから派生したニューミュージックが1970年代以降の音楽シーンを席巻するのは変わらず。更にそれが1980年代以降になってロックやポップスなどのJ-POPや和製のHR/HMやR&Bに発展して現在に至る。 | |||
#**井上陽水のデビューとブレイクは史実と変わらず | |||
#***アンドレ・カンドレでデビューするも全くの不振に終わるのは同じ。史実以上の不振に終わっただろう。 | |||
#****井上陽水で再デビューして、傘がないなどをリリースしたのちに夢の中ででブレイクするのは史実と同じ。 | |||
#****年代的にデビュー前に徴兵制による兵役を経験している。 | |||
#***大麻所持をせずに済んだだろう。 | |||
#****昭和50年代中盤の人気低迷はなかった。 | |||
#***なぜか上海は別のタイトルになっていた。楽曲も上海については唄われていない。 | |||
#****台北か香港の可能性が高い。 | |||
#**中島みゆきの音楽業界入りも史実と同時期 | |||
#***初期は史実ほどヒットしないがわかれうたは史実以上にヒットする。 | |||
#***かなしみ笑いは史実以上にヒット | |||
#****B面の霧に走るの「いっそこんな車壊れて~」は2019年現在史実以上にネット上で引用されている。 | |||
#***悪女は史実よりかなりヒットした | |||
#**(荒井由実→)松任谷由実の音楽業界入りは史実と同時期 | |||
#***大学中退は史実より早まるだろう | |||
#***反共独裁政権と新左翼の学生運動の確執と攻防を第三者目線で描いた楽曲を複数発表していた。 | |||
#***「いちご白書」をもう一度を制作することはなかった。 | |||
#***ひこうき雲と返事はいらないの制作は史実と同じ | |||
#****返事はいらないがデビュー曲なのは史実と同じ | |||
#***横浜での大規模な開発独裁の影響で海を見ていた午後の歌詞が壮大なものになっていた | |||
#***あの日に帰りたいのヒットは史実と変わらず | |||
#****史実以上にヒットしたかも | |||
#***松任谷正隆との結婚は史実と変わらず | |||
#***1970年代終盤の低迷は史実と同じ | |||
#***守ってあげたいが久々のヒットとなるのは史実と同じ | |||
#****史実よりヒットした | |||
#**浜田省吾は史実よりヒット曲を量産していた | |||
#**大瀧詠一の音楽界での活躍は史実をも遥かに上回るものに | |||
#***アジア太平洋地域の諸外国でもヒットを飛ばしていただろう | |||
#***森進一や小林旭への楽曲提供も史実と変わらない | |||
#**長渕剛の業界入りも史実と変わらないが、その経緯が史実と異なった可能性もある。 | |||
#***九州産業大学への進学はなかったかあっても史実より早くに中退した | |||
#****大学進学がなかった場合はデビューが史実より早まっていた | |||
#***業界入りする前に志願兵として兵役を経験していた | |||
#***巡恋歌がデビュー曲かどうかは一概に言えない | |||
#****雨の嵐山が正式なデビュー曲になっていた可能性があるので | |||
#***順子でブレイクするのは史実と変わらず | |||
#****これ以降なかなかヒットシングルに恵まれないのは史実と変わらず | |||
#****アルバムは史実と同じかそれ以上にセールスを伸ばした | |||
#****1983年のGOOD-BYE青春が久々のヒットとなるのは史実と同じ | |||
#****孤独なハートは史実よりヒットした | |||
#***音楽番組には初期より史実より頻繁に出演していただろう | |||
#***HUNGRYで初期のクリアな歌声から現在のしゃがれた歌声になるのは同じ | |||
#****久しぶりに俺は泣いたんだは史実よりヒットした | |||
#****勇次も史実よりヒット | |||
#***勇次以降に病に倒れることはなかった | |||
#****そのためSTAY DREAMは史実と違いロック色の強い作品となった | |||
#**サザンオールスターズの結成と業界入りも史実と変わらず | |||
#***但しデビュー前の動向が史実より慌ただしくなる | |||
#***バンド名の変更回数は史実より減ったかもしれない | |||
#***メンバーの約半数はデビュー前に志願兵として兵役を経験 | |||
#****メンバー全員が青年期に志願兵として兵役を経験した可能性もある | |||
#****年代的に徴兵制の対象だった可能性もあり | |||
#***勝手にシンドバッドでデビューするのは変わらず | |||
#****勝手にシンドバッドは反響は史実以上も売上は史実以下 | |||
#****気分しだいで責めないでは史実ほどヒットせず | |||
#***いとしのエリーは史実ほどヒットしなかった | |||
#***デビューから数年はあまりヒットシングルに恵まれず | |||
#****アルバムは史実と同じくヒットしたか場合によっては史実以上のヒットとなった | |||
#****コンサートライブも連日連夜大盛況で、場合によってはすぐにチケットが入手困難に | |||
#****アルバムのタイニイ・バブルスとステレオ太陽族のリードシングルもヒットしなかったが、アルバムは史実以上にヒットした。 | |||
#*****C調言葉に御用心も史実ほどヒットしなかった。 | |||
#*****タイニイ・バブルス収録の松田の子守唄は、原曲の赤い鳥の竹田の子守唄が発禁になるため別のタイトルになっていた。 | |||
#*****働けロックバンドの歌詞は史実より辛辣なものになっていた。 | |||
#***1982年のチャコの海岸物語が久々のヒットシングルとなる。 | |||
#***桑田佳祐と原由子の結婚は史実と変わらず | |||
#***Ya Ya(あの時代を忘れない)は史実よりヒット | |||
#***EMANONが不振に終わるのは史実と変わらず | |||
#****アルバムの綺麗も史実ほどヒットしなかった | |||
#*****史実で綺麗に収録されているかしの樹の下では検閲に引っかかり収録できなかった。 | |||
#******NUDE MAN収録の流れる雲を追いかけての歌詞も史実より修正が加わったかも。 | |||
#*******ロッキード事件がないので、史実でロッキード事件について唄われたNUDE MANの歌詞が史実と大幅に異なっていた。 | |||
#***ミス・ブランニューデイは史実よりヒットした | |||
#***BYE BYE MY LOVE(U are the one)も史実よりヒット | |||
#***メロディも史実よりヒット | |||
#***アルバムの人気者で行こうとKAMAMKURAの完成度は史実をも遥かに上回るものになった | |||
#****吉田拓郎の引退の噂はなく吉田拓郎の唄は制作されなかったかも | |||
#****Computer Childrenは史実以上のハイテクサウンドを駆使した楽曲になっていた | |||
#***1983年を最後に紅白歌合戦の出場が長期間途絶えることはなかった | |||
#****1982年の紅白歌合戦での物議を醸す行動もなかった | |||
#****1984年はミス・ブランニューデイで出場していた | |||
#****1985年はBYE BYE MY LOVE(U are the one)で出場していた | |||
#***1985年を最後に原由子の産休で活動休止に入るのは変わらず | |||
#***1986年以降のサザンオールスターズはソロ活動に突入した | |||
#****桑田佳祐がKUWATA BANDを期間限定で結成するのは変わらず | |||
#*****松田弘の参加も変わらず | |||
#*****KUWATA BANDの解散後の1987年の桑田佳祐と松田弘がソロ歌手として活動するのも史実と変わらず | |||
#***サザンオールスターズの活動再開が10周年の1988年になるのは史実と同じ | |||
#****史実通りみんなのうたで再開 | |||
#****みんなのうたは史実以上にヒットした | |||
#****みんなのうたを収録したオリジナルアルバムを1988年夏に発表 | |||
#***1988年12月に史実にないオリジナルアルバムを発表 | |||
#****リードシングルが1988年9月と11月に発表 | |||
#***1988年の国営放送の紅白歌合戦にも出場 | |||
#***1989年1月上旬の昭和天皇崩御を受け、以降の3か月間は喪服でステージに立った | |||
#****昭和天皇へのレクイエムも制作した | |||
#***女神達への情歌のリリースは史実と同時期 | |||
#****クレームは史実ほどではなかった | |||
#****クレームはあったが史実以上に掻き消されていた | |||
#**チャゲ&飛鳥→CHAGE&ASKAのデビューも史実と同時期 | |||
#***チャゲも飛鳥涼も青年期に志願兵として兵役を経験 | |||
#***ユニット名はチャゲ&飛鳥からCHAGE&ASKAを経て、現在のCHAGE and ASKAに | |||
#****正式名称としてCHAGE&ASUKAを名乗ったことはなかった | |||
#*****レコードジャケットのクレジットのデザインとして名乗ったことはある。 | |||
#***ひとり咲きでデビューするのは変わらないが、史実以上の不振に終わる。 | |||
#****ひとり咲きで夜のヒットスタジオに出演することはなかった。 | |||
#***デビューのきっかけとなった流恋情歌も史実以上の不振に終わる | |||
#***ファーストアルバムの風舞は史実以上の不振に終わった | |||
#****このアルバムから私の愛した人がシングルにリカットされた | |||
#***万里の河でブレイクするのは史実と変わらず | |||
#****夜のヒットスタジオへの初出演も万里の河だった | |||
#****万里の河は史実よりもヒットした | |||
#****万里の河以降はなかなかヒットシングルに恵まれず | |||
#*****しかしコンサートライブはむしろ史実以上の大盛況で場合によってはチケットが発売からすぐに入手困難に | |||
#*****万里の河以降のシングルはほとんど不振続きに終わったのは史実と同じだが、それでも男と女やオンリーロンリーは史実よりそれ相応にヒットした。 | |||
#*****熱い想いと北風物語は不振に終わったほか、1983年のシングルもどれも不振に終わった。 | |||
#*****南十字星がアルバムからシングルにリカットされた。 | |||
#****1984年のMOON LIGHT BLUESと標的は史実よりはヒットしただろう。 | |||
#***1985年の夏と秋に史実にないシングルをリリース | |||
#***SUPER BESTは1985年12月頃のリリースになっていた。 | |||
#***Standing Ovationはリリースされなかった。 | |||
#***1986年初旬に他者への提供曲のみで構成されたセルフカバーアルバムを発表していた。 | |||
#****葛城ユキに提供したボヘミアンもこれに収録された。 | |||
#***チャゲアスは史実と同じく、当初は演歌フォークと呼ばれる演歌の要素を取り入れたフォーク調の作風の路線を行くが、1982年末辺りを契機にニューミュージックに路線変更し、更に1984年~1985年にJ-POPへと作風を変える路線変更を行った。 | |||
#****真紅な動輪のサントラ盤の熱い想いまではフォーク調の作風だが、21世紀でニューミュージックになり、IN SIDEとZ=Oneで完全に演歌フォークから脱却しロック、ポップス、テクノなどのJ-POPに路線変更した。 | |||
#*****熱い想いが真紅な動輪の主題歌なのは史実と変わらず | |||
#*****TWILIGHT ZONEの歌詞が史実と異なる | |||
#***1986年にレコード会社をデビュー時のワーナーパイオニアからキャニオンレコードに移籍するのは変わらず。 | |||
#***キャニオンレコード移籍第1弾のシングルであるモーニングムーンは史実よりヒットした。 | |||
#****財閥系大手企業のCMソングだっただろう。 | |||
#***黄昏を待たずにも史実よりそれ相応にヒットした | |||
#****こちらも大手財閥系企業のCMソングだった | |||
#*****もしその場合はモーニングムーンとタイアップ先が同じだった | |||
#***Count Downと指環が泣いたも史実よりヒットした | |||
#****どちらもドラマ主題歌に起用された可能性がある。 | |||
#***1986年は国営放送の紅白歌合戦と産経の世界紅白にW出演した。 | |||
#****紅白歌合戦ではモーニングムーンを唄い、世界紅白では指環が泣いたを唄った。 | |||
#****世界紅白出場がアルバムのMr. ASIAを制作するきっかけとなるのは変わらず。 | |||
#***SAILOR MANは史実よりヒット | |||
#****日本航空のタイアップが付くのは同じ | |||
#***ロマンシングヤードは史実よりヒット | |||
#****産経のミリタリードラマの主題歌に起用されたかと。 | |||
#*****主演は渡哲也か舘ひろし | |||
#***恋人はワイン色は史実よりヒット | |||
#****テレビ朝日系列のドラマ「あぶない雑居カップル」の主題歌なのは史実と同じ。 | |||
#*****チャゲアスが連ドラ主題歌を担当するのはこれが最初ではなかった。 | |||
#***アルバムのRHAPSODYは史実以上の売上を記録した。 | |||
#****レノンのミスキャストの歌詞が史実と違うかもしれない。 | |||
#****狂想曲がシングルにリカットされるのは変わらず。 | |||
#***アルバムのENERGYも史実以上の売上を記録した。 | |||
#****先行シングルはLove AffairとTrip | |||
#*****Love Affairのリリースは1988年7月頃 | |||
#*****Tripは史実と同時期 | |||
#***光GENJIへの楽曲提供は史実以上の成功を収める。 | |||
#***昭和天皇崩御から約3か月間は喪服でステージに立つ | |||
#****そのような指導がチャゲアスに限らず行政から入るだろう | |||
#****昭和天皇崩御に際してチャゲと飛鳥涼は公式のお悔やみのコメントを発表した。 | |||
#*****飛鳥涼は昭和天皇へのレクイエムを制作し発表した。 | |||
#***WALKの発表は史実と同時期 | |||
#****発表時の評判は史実ほどではないが芳しくなかった。 | |||
#****数作ぶりに週間チャートの上位10位圏外へのランクインとなったであろう。 | |||
#****史実と同じく1992年に再発売されその時に高評価されただろう。 | |||
#***LOVE SONGは史実よりかなりヒット。 | |||
#****1992年にリミックスされ再発売されるのは変わらず。 | |||
#****1989年のLOVE SONGは民営化されなかった国鉄のタイアップが付いたかも。 | |||
#***10周年のアルバムであるPRIDEは史実以上の売上。 | |||
#****表題曲のPRIDEはチャゲアスファンはもちろん、ファンに限らずコアなリスナーからも史実以上の人気。 | |||
#****天気予報の恋人の認知度も史実以上。 | |||
#****砂時計のくびれた場所の認知度は史実以上だった。 | |||
#***アジア進出は昭和末期には行われる。 | |||
#****チャゲアスの大東亜共栄圏ツアーも1986年頃には定番に。 | |||
#***1989年の10周年は史実以上に盛り上がった | |||
#***チャゲがMULTI MAXを結成するのは史実と変わらず | |||
#****但し史実以上に副業的なものになっていた | |||
#***飛鳥涼が1989年秋に渡英するのは史実と変わらず | |||
#****このときに史実にあったチャゲアス解散説の浮上はなかった | |||
#****1989年12月下旬にはチャゲも渡英した | |||
#****1989年の国営放送の紅白歌合戦にロンドンからの中継で白組から出場。LOVE SONGを披露。 | |||
#****1990年初旬よりアルバムのSEE YA!をロンドンで制作するのは史実と変わらず。 | |||
#*****チャゲアスの2人はロンドンにて労働党の支持者に喧嘩を吹っかけられた。 | |||
#*****ロンドンのライブハウスでのコンサートは史実と変わらず。 | |||
#*****SEE YA!の作風に史実と若干の差異があった。 | |||
#******リードシングルのDO YA DOは史実と変わらず | |||
#******水の部屋は史実以上に和のテイストが強くなった | |||
#******モナリザの背中よりもは史実以上にデsジタル色が強くなった | |||
#*******ゼロの向こうのGOOD LUCKにも同じことが言える | |||
#******YELLOW MENの歌詞は史実以上に辛辣なものに | |||
#*******ゼロの向こうのGOOD LUCKも | |||
#******太陽と埃の中では史実と変わらず | |||
#***1990年2月のバラードベストのリリースはおそらく史実と変わらず | |||
#***1990年3月に史実にないシングルをリリース | |||
#****SEE YA!には収録されず | |||
#****この時期に日本に帰国 | |||
#***心のボールは福岡特別市の特別市制15周年の1987年か20周年の1992年に制作・発表された | |||
#***帰国後に積極的にメディアへの露出を行い、主にDO YA DOを唄う | |||
#***ロンドンで制作したSEE YA!の発売は史実と同時期 | |||
#****アルバムを引っ提げてのコンサートツアーも行う | |||
#*****韓国、台湾、香港での公演も設定された | |||
#***太陽と埃の中でがシングルにリカットされるのは史実と変わらず | |||
#****史実と同じく産経系列のタイムスリーのED曲に | |||
#***1990年も光GENJIに楽曲提供を行った。また1991年以降も光GENJIへの定期的な楽曲提供を継続した。 | |||
#***1991年のASKAソロのはじまりはいつも雨のミリオンセールスは史実と変わらず | |||
#****史実以上のセールスを伸ばした | |||
#****松下電器産業のコンポのhalfのタイアップ曲なのは史実と変わらず | |||
#***バブル景気がないため、産経系ドラマ「101回目のプロポーズ」が制作されず、SAY YESのタイアップ先が史実と異なっていた。 | |||
#****史実にない産経系のトレンディドラマの主題歌になった可能性が高い。 | |||
#****SAY YESのセールス自体も史実ほどは伸びなかった。 | |||
#*****どんなに売り上げを伸ばしてもシングルミリオン止まり | |||
#*****それでもチャゲアス名義で初のミリオンシングルになったかも知れない | |||
#***僕はこの瞳で嘘をつくのシングル化は史実と変わらず | |||
#****史実と違いアルバムのリードシングルだったかも知れない。その場合はSAY YESとリリース順序が逆になっていた | |||
#***アルバムのTREEの発売は史実と変わらず | |||
#****史実と変わらず、僕はこの瞳で嘘をつく、SAY YES、BIG TREEは収録 | |||
#****tomorrowの歌詞が史実とやや違っていた | |||
#****当初の予定通り、1991年9月21日に発売され史実の10月10日に遅れることはなかった | |||
#***SAY YESや僕はこの瞳で嘘をつくのときは、史実と違いメディアに積極出演しこれらの楽曲を披露 | |||
#***1991年12月下旬頃に史実にない新曲をシングルとしてリリース | |||
#***1992年3月25日のSUPER BEST 2の発売は史実と変わらず | |||
#****このときのLOVE SONG '92の発表は変わらず | |||
#****SUPER BEST 2には1989年のLOVE SONGと1992年のLOVE SONGの両方が収録された | |||
#***ifの大ヒットは史実と変わらず | |||
#****SAY YESがミリオンを達成していない場合は、こちらもミリオンセールスを記録することはなかった。 | |||
#****SAY YESがミリオンセールスを達成した場合は、タッチの差でミリオンセールスを達成した。 | |||
#***no no darlin'は史実以上にヒットし、週間1位も獲得していた。 | |||
#****GUYSがシングル候補だったがアルバムのタイトル曲に振り替えられるのは変わらず | |||
#****GUYSの制作もロンドンで行われるのは史実と変わらず | |||
#***GUYSと同じ日にGUYSとコンセプトの異なるトレンディな作風のアルバムを発表したかも | |||
#****この場合、先行シングルが1992年の5月と9月にリリースされていただろう | |||
#***YAH YAH YAHは史実以上のメガヒットとなる | |||
#****チャゲアスの初のダブルミリオンシングルはYAH YAH YAHになっていた | |||
#****産経系ドラマ「振り返れば奴がいる」の主題歌なのは変わらず | |||
#****当然、YAH YAH YAHは週間1位を獲得 | |||
#*****史実のビーイング旋風がないので、週間1位をかなりの間にわたってキープした | |||
#****夢の番人はダブルA面ではなく同時発売になっていた | |||
#*****夢の番人は週間10位に入るのが精一杯だった | |||
#****後にpop'n musicなどの音楽ゲームにも収録された | |||
#***YAH YAH YAHでCHAGE&ASKAの地位は不動のものになった | |||
#****それでも史実の1990年代前半のチャゲアス旋風はなかった | |||
#****むしろ1990年代でチャゲアスが大いなる活躍を遂げるのは、史実の前半ではなく、史実ではソロが主体になった後半である。 | |||
#***Sons and Daughtersは史実よりヒットした。 | |||
#****但し、富士重工業かセゾングループかのどちらかだけのタイアップになっていた | |||
#*****もうどちらかは史実に存在しない別の楽曲がタイアップ曲になっていた | |||
#****カップリングのMr.Jの悲劇は岩より重いは歌詞と題名が異なるか、そもそも制作自体がされなかった | |||
#***アルバムのRED HILLは史実より相当ヒットした | |||
#****ダブルミリオンは確実視される | |||
#****RED HILLは国際情勢も歌詞に交じっていたかも知れない | |||
#****You are freeとなぜに君は帰らないがシングルにリカットされるのは史実と変わらず | |||
#***Knockはなぜに君は帰らないのカップリングではなく、シングル曲として1994年2月頃にリリースされた。 | |||
#****Knockがアナログ盤の通常盤が発売された最後のシングルとなった | |||
#**TM NETWORKとglobeの活動とその経緯が史実と異なる。 | |||
#***小室音楽は史実以上の支持を得ていた | |||
#***宇都宮隆と木根尚登がSPEEDWAYを結成するのは史実と同時期 | |||
#****宇都宮隆は青年期に志願兵として兵役を経験 | |||
#*****木根尚登も実父の指示と宇都宮隆の誘いで志願兵として兵役を経験しただろう | |||
#****SPEEDWAYに小室哲哉が加入するのは史実と同時期 | |||
#***SPEEDWAYが何のヒットもないまま1983年に解消するのも史実と同じ | |||
#***SPEEDWAY解散後の小室哲哉と木根尚登とオーストラリア人ボーカリストの新ユニット構想はなかった。 | |||
#***SPEEDWAY解散後は小室哲哉は即座に宇都宮隆と木根尚登にTM NETWORK結成を呼び掛けた。小室のこの声に宇都宮と木根はすぐに応じて、TM NETWORKは結成された。 | |||
#****フレッシュサウンズコンテストで優勝しデビューの切符を掴むのは変わらず | |||
#***1984年4月21日のデビューは史実と同じ | |||
#****1stアルバムのRAINBOW RAINBOWの収録曲は史実以上に難解な歌詞が多かった。 | |||
#*****金曜日のライオンがデビューシングルになるのは変わらず | |||
#*****1974のシングルへのリカットは史実と同じ | |||
#******シングルジャケットに木根尚登の姿がないのも同じ | |||
#***木根尚登が坊主頭を拒否する代わりにサングラスをするのは史実と変わらず | |||
#***ACCIDENTのリリースは史実と同時期 | |||
#****作詞が松井五郎なのも史実と変わらず | |||
#****ACCIDENTを収録したアルバムのCHILDHOOD'S ENDの発売時期も史実と同時期 | |||
#****CHILDHOOD'S END収録のDRAGON THE FESTIVALのリミックス版のシングルでのリリースも変わらず | |||
#*****YOUR SONG("D"Mix)と併せて12インチシングルとしてリリースされるのも史実と変わらず | |||
#***初期は阿久悠との楽曲制作も行った | |||
#***湯川れい子や秋元康もTM NETWORKの楽曲制作に参加した | |||
#***松井五郎との楽曲制作は史実よりかなり増えた | |||
#***神沢礼江や川村真澄との楽曲制作は変わらず | |||
#***小室みつ子との楽曲制作は史実以上 | |||
#***澤地隆とも楽曲制作を行っていた | |||
#***TWINKLE NIGHTの発売は史実と同時期 | |||
#****表題曲のTWINKLE NIGHTの歌詞が史実と若干異なる | |||
#****ELECTRIC PROPHETは史実とほぼ変わらず | |||
#****YOUR SONGのアルバム版が収録されるのは史実と同じ | |||
#***FANKSの単語の誕生時期は史実と変わらず。時期的にも史実と同時期。 | |||
#***渡辺美里へ提供した楽曲が初ヒットになるのは史実と変わらず。 | |||
#****My Revolution、Teenage Walk、BELIEVEなど | |||
#***岡田有希子への楽曲提供も史実と変わらず | |||
#***福永恵規への楽曲提供も史実と同じ | |||
#***デビュー直後の少年隊へも楽曲提供を行っていた | |||
#***テレサ・テンへも楽曲提供を行う | |||
#***小林旭への楽曲提供も実施 | |||
#***河合奈保子へも楽曲提供を行った | |||
#****河合奈保子とは楽曲の共同制作も行った | |||
#***Come on Let's Danceの発売時期は史実と同時期 | |||
#****歌詞が史実と少しだけ違う可能性もある | |||
#***アルバムのGORILLAの発売は史実と変わらず | |||
#****Come on Let's Danceが収録されるのも史実と同じ | |||
#***GIRLの発売は史実と変わらず | |||
#***All-Right All-Nightの発売は史実と変わらず。但し歌詞が史実と異なる可能性がある。 | |||
#***Self Controlの発売時期は史実と変わらず。 | |||
#****週間チャートで10位圏内に初めて入ったのはSelf Controlだった | |||
#*****何らかのCMのタイアップが付いていた | |||
#****アルバムのSelf Controlも史実よりヒットした | |||
#*****Here,There&Everywhereがこのアルバムに収録されるのは変わらず | |||
#****DDRやbeatmania IIDXにも収録されていただろう | |||
#***Get Wildで初の週間1位を獲得した | |||
#****読売系アニメ「シティーハンター」のED曲なのは史実と同じ | |||
#****Get Wildを収録したオリジナルアルバムを制作していた | |||
#****BEMANIシリーズや太鼓の達人に収録されるのも史実と変わらない | |||
#***Gift for Fanksの収録曲が史実とやや異なっていたかも | |||
#***KISS YOUのリリースとヒットは史実と同じ | |||
#***アルバムのhumansystemのリリースは史実と同時期 | |||
#****史実と違い国内で制作されたかも | |||
#****このアルバムからRESISTANCEがシングルにリカットされるのは史実と同じ | |||
#*****RESISTANCEは史実よりヒットした | |||
#*****RESISTANCEが毎日系ドラマ「痛快!ロックンロール通り」の主題歌なのは史実と変わらず | |||
#***BEYOND THE TIMEは史実よりヒット | |||
#****ガンダムの映画版の主題歌になるのは史実と変わらず | |||
#*****作品に政治的要素があった場合は、BEYOND THE TIMEも史実より政治的・社会的な側面の強い歌詞になっていた。 | |||
#***SEVEN DAYS WARの発売は史実と同時期 | |||
#****史実よりヒットしただろう | |||
#****ぼくらの七日間戦争の主題歌なのは変わらず | |||
#*****ぼくらの七日間戦争の内容が史実と大幅に異なっていた | |||
#******登場人物には政治家や軍人も相当多い | |||
#******登場人物には暴力的な民主活動家も含まれていた | |||
#******1998年の民主化後に、史実の原作小説と同様のストーリーが「アナザーストーリー」として登場していたかも | |||
#******アナザーストーリーの主題歌はおそらく小室哲哉単独作に | |||
#***CAROLのリードシングルはJUST ONE VICTORYになっていた。 | |||
#****JUST ONE VICTORYのシングル版のリリースは1988年9月頃になっていた。 | |||
#****CAROLのレコーディングがロンドンで行われるのは史実と同じ。 | |||
#*****この時の渡英経験で小室哲哉が飛鳥涼にロンドンでレコーディングを勧め、翌年のCHAGE&ASKAの渡英のきっかけになるのは史実と同じ。 | |||
#****CAROLは史実よりアルバム曲重視になっていた。 | |||
#*****BEYOND THE TIME、SEVEN DAYS WAR、COME ON EVERYBODYは収録されなかった。 | |||
#****CAROLの内容は史実と若干違っていた。 | |||
#****木根尚登がCAROLが題材の小説を執筆し発表するのは史実と同じ。 | |||
#*****史実以上のベストセラーとなり、三島由紀夫や石原慎太郎などの政界に進出している文豪からも注目された。 | |||
#****CAROLを題材にしたオペラ形式のライブツアーを敢行するのも史実と同じ。 | |||
#***COME ON EVERYBODYの発売は史実と同じ。 | |||
#****史実以上の売上を記録。週間チャートで1位を獲得した。 | |||
#****この楽曲で国営放送の紅白歌合戦に出場。 | |||
#*****紅白歌合戦の特別バージョンで披露されるのは史実と同じ。 | |||
#*****このときのギター演奏をB'zの松本孝弘が担当するのも史実と同じ。 | |||
#***木根尚登が松本孝弘の独立までエレキギターがエアギターだったのは史実と同じ。 | |||
#***昭和天皇崩御によりTM NETWORKは1989年4月まで喪服でステージに立った。 | |||
#****TM NETWORKにも喪服で歌うように行政からの要請が入った。 | |||
#****木根尚登が初めてメディアの前でサングラスを外して演奏したのが昭和天皇崩御時。 | |||
#****天皇崩御による特別体制で初めて木根尚登の素顔が広く認知されるようになった。 | |||
#***1989年初旬に宇都宮隆がコンサート中に事故を起こし靭帯を損傷するのは史実と同じ。 | |||
#****先述した天皇崩御による喪服でのステージでの靭帯損傷だったため史実以上に大変なことになっていた。 | |||
#***宇都宮隆の靭帯が完治するのは史実と同時期。 | |||
#***初のリミックスアルバムのDRESSが発売されるのは史実と同時期。 | |||
#****先行シングルがCOME ON EVERYBODY、KISS YOU(KISS JAPAN)、GET WILD'89なのは史実と同じ。 | |||
#*****メディアで披露するのがGET WILD'89なのは史実と同じ。またこのGET WILD'89で1989年の国営放送の紅白歌合戦に出場した。 | |||
#*****先行シングルが1989年4月15日に3枚同時リリースになるのも史実と同じ。 | |||
#***この時期に小室哲哉は史実以上に様々な歌手やアイドルに楽曲提供を行った。 | |||
#****渡辺美里への楽曲提供は継続して実施。 | |||
#****光GENJIへも楽曲を実施し飛鳥涼に続く形で成功。 | |||
#****TUBEにも1曲は楽曲を提供した可能性が高い。 | |||
#****中山美穂への楽曲提供も史実と変わらずに実施。 | |||
#*阿久悠、松本隆、筒美京平、橋本淳、秋元康は史実をも上回るヒットメーカーになっていた。 | |||
#国策映画や国策音楽は戦後も多数制作された | |||
#*戦前の国策映画の主題歌となった蘇州夜曲は史実以上に歌い継がれている。 | |||
#伝統芸能が戦後も伝承されるのは史実と変わらず | |||
#*むしろ史実以上に伝承され現在に至る。 | |||
#映画やドラマやアニメは以下のようになっていた。 | |||
#*映画は戦後史実以上に流行するが、高度経済成長によるテレビの普及で衰退。 | |||
#**但し、1980年代以降の映画館のシネコン化やインターネットの普及によるテレビ業界の低迷で昨今復調するのは同じ。 | |||
#**映画館のシネコン化は史実より早くに始まっていた。 | |||
#*東宝映画が阪急傘下なのは変わらず | |||
#**帝国復古に反対した社内の集団が第2次東宝争議を起こしたかも | |||
#***第2次東宝争議が起きた場合、東宝は確実に行政からの懲罰を受けていた | |||
#*東映が東急グループを離脱することはなかった | |||
#**石原軍団の映画を多数制作していた | |||
#***史実以上に制作していただろう | |||
#**特撮作品の制作も多数行うのは変わりなし | |||
#**朝日が資本参加することはなかった | |||
#**経営拡大も史実より進んでいる | |||
#***シネコンのT・ジョイを展開するのは史実と変わらず | |||
#****T・ジョイの展開は史実より進んでいるだろう | |||
#**アニメ映画も史実より多数制作していた | |||
#*シネセゾンは西武映画として高度経済成長期には発足していた | |||
#**流通系に属するのは変わらず | |||
#***鉄道グループとの分裂がないので、西武鉄道やプリンスホテルとのコラボは盛んに行われる | |||
#**1980年代にシネセゾンに改組 | |||
#**解散することなく現在まで存続 | |||
#***シネコンのセゾンシネマを全国展開している | |||
#***ラブライブ!シリーズの映画版はここが制作し配給している | |||
#[[もし海外のこんな法律が日本で採用されたら#タレントエージェンシー法|タレントエージェンシー法]]が成立し、その影響で芸能人による労組が結成されていた。 | |||
#*芸能人の労組の大半は同盟系であるが、史実の進歩的文化人及びそれに近い立場のタレントは総評系の労組に所属していた。 | |||
#**芸能労組が確実に物言う存在になるので同盟は現在も労働組合として存続している。当然総評との合併による連合の成立もない。 | |||
#*また、[[JASRACに言いたい|JASRAC]]のあり方も史実と異なっていた。 | |||
#**JASRAC自体は存在するが著作権管理の主体はアーティストの所属する労組にある。 | |||
#**またJASRACも同盟系の大手芸能労組の言いなりになっていた。 | |||
#*JASRAC以外にも著作権管理団体があったかもしれない。 | |||
#[[ゴジラシリーズ]]は幼児/少年層向けの国軍プロパガンダ映画として史実以上に親しまれている。 | |||
#*2004年で一旦シリーズ終了などということはありえない。 | |||
#*国の体制が史実と異なった影響でシン・ゴジラにも差異がいくらか出た。 | |||
#**蒲田くんの段階で機関銃の発砲及びミサイル攻撃が行われていた。 | |||
#**ゴジラ滅却のために用意された核ミサイル及び原潜は史実の作品と違い米軍ではなく新日本軍のものだった。 | |||
#**ヤシオリ作戦で使われた無人攻撃機群は日米混成部隊だった。 | |||
#**無人在来線爆弾には史実より多数の車種が登場していた。 | |||
#[[ウルトラシリーズ]]では防衛組織の代わりに新日本軍が登場していた。 | |||
#*史実における作品での架空銃・架空機の立ち位置に実際に使われている軍用機や銃が登場する。 | |||
#[[仮面ライダー]]シリーズは中国の抗日ドラマ的ポジションになっていた。 | |||
#*ショッカーは「ネオナチと共産主義者の連合組織」という設定になっていた。 | |||
#J-POP自体やテレビの音楽番組は史実以上に発展し、平成初期以降に史実のように衰退することもなかった。 | |||
#*国営放送は史実よりも音楽番組を積極的に制作し、若者向けの生中継の音楽番組も昭和後期から制作・放送している。 | |||
#*毎日系列のザ・ベストテンが放送を開始するのは史実より数年早い。また1989年9月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。 | |||
#**放送開始は1973年頃 | |||
#**黒柳徹子がMCなのは史実と変わらず | |||
#***2019年現在も黒柳徹子がMCを務めている | |||
#****近藤真彦とのトークは史実以上の名物に | |||
#****米米CLUBのブレイク後はカールスモーキー石井とのトークも名物になった | |||
#***男性MCは史実のTBSテレビのアナウンサーに | |||
#****初代男性MCは鈴木史朗が務めた | |||
#****鈴木史朗の卒業後は久米宏が史実通りに担当する | |||
#*****鈴木史朗の降板は1979年頃かと | |||
#*****久米宏の卒業は史実と同時期(1985年頃) | |||
#****久米宏の降板で松下賢次に男性MCが交代するのは史実と変わらず | |||
#*****松下賢次が1989年1月で降板することはなかった | |||
#******1992年3月頃まで司会を務めていた | |||
#******渡辺正行が司会を務めることはなかった | |||
#**番組開始からすぐの頃に井上陽水が連続でランクインするが本人が「恥ずかしくて出れません」と出演を辞退し、その伝言を鈴木史朗が代読していた。 | |||
#**1974年およげたいやきくんの連続1位記録は簡単に破られなかった | |||
#***1977年にピンクレディーによってようやく破られていた | |||
#****或いはキャンディーズの可能性もある | |||
#****初期は沢田研二、野口五郎、郷ひろみ、キャンディーズ、ピンクレディーによる記録更新合戦が続いてた。 | |||
#**西城秀樹が最高得点を叩き出すのは史実と同時期 | |||
#**1981年に寺尾聰がルビーの指環で連続1位記録を更新しその後長らく記録は破られなかった。 | |||
#***1992年の米米CLUBの君がいるだけで、若しくは、1993年のCHAGE&ASKAのYAH YAH YAHでこの記録は破られた。 | |||
#**1980年頃は中島みゆきが頻繁にランクインするが出演を見合わせるのは不可避 | |||
#**松任谷由実も1981年頃から頻繁にランクインするがやはり出演を見合わせる | |||
#**山口百恵を回顧する臨時のコーナーが1981年初旬の放送で設けられた | |||
#**松田聖子や中森明菜は史実以上に頻繁にランクインした | |||
#**近藤真彦や田原俊彦のランクインも史実以上に | |||
#**河合奈保子や野村義男も史実より頻繁にランクインした | |||
#***1990年代以降も頻繁にランクインし続けた | |||
#**番組の出演歌唱者の各地からの中継も史実と同じ。 | |||
#***ライブ会場からの中継も多かった。 | |||
#***駅や空港からの中継は史実以上に多かった。 | |||
#**サザンオールスターズの初の1位は史実と同時期。 | |||
#**CHAGE and ASKAは1980年代後半に1位を獲得していた。 | |||
#**TM NETWORKも1980年代のあいだに1位を獲得できていた。 | |||
#**番組は1989年10月以降も継続した。 | |||
#***工藤静香のあの歌唱は史実ほど有名にならなかった。 | |||
#***B'zは1989年11月16日の放送でスポットライトに出演したのが最初だった。 | |||
#****ここではBAD COMMUNICATIONを唄った。 | |||
#****B'zが初めてザ・ベストテンでベスト10入りしたのは、1990年5月31日の放送だった。 | |||
#***Mr.Childrenは1993年12月2日のスポットライトへの出演が最初だった。 | |||
#****この楽曲でCROSSROADを披露した。CROSSROADは数週間後より長期間ベスト10に入り続けた。 | |||
#**1994年以降に最高得点が年に2~3回出るのが2000年頃まで続いた。 | |||
#***B'zはLOVE PHAMTOMで最高得点を叩き出していた。 | |||
#***globeもDEPERTURESで最高得点を叩き出していた。 | |||
#*読売系列のザ・トップテン→歌のトップテンも放送開始は史実より早く、また1990年3月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。 | |||
#*産経系列の夜のヒットスタジオの放送開始は史実と同時期。1990年10月の放送終了はなく、2019年11月現在も放送を継続している。 | |||
#**夜ヒットが日本の他の音楽番組の制作に影響を与えるのは史実と変わらず。 | |||
#**共産党バンザイ事件はなかった | |||
#**夜のヒットスタジオから夜のヒットスタジオDELUXEへのリニューアルは史実と変わらず。 | |||
#**夜のヒットスタジオSUPERへのリニューアルはなかった。 | |||
#**放送が当初は月曜日だったのが水曜日に変更になるのは史実と変わらず。 | |||
#**当初は前田武彦と芳村真理が司会だったのは変わらず。 | |||
#***前田武彦の共産党バンザイは共産党が非合法なのであり得ないが、共産主義を礼賛する発言を連発したのが問題となり、最終的には前田武彦の反共法違反での逮捕で降板した。 | |||
#***芳村真理が司会を一旦降板することはなかった | |||
#**三波伸介がメイン司会者になるのは史実と変わらず | |||
#**朝丘雪路が司会者になることはなかった | |||
#**井上順が司会者になるのは史実より遅れるかも知れないが不可避 | |||
#***降板は史実より少し遅れそう | |||
#***1990年以降に再登板した可能性もある | |||
#**井上順の後継の司会者が古舘伊知郎なのは史実と変わらず。 | |||
#***1994年頃までには降板していた。 | |||
#**柴俊夫が司会者になるのは史実と同じ | |||
#***降板することはなかった | |||
#***2019年現在のメイン司会者かと | |||
#**加賀まり子が司会者になることはなかった | |||
#**1990年頃に八木亜希子が司会者に就任した | |||
#***1996年頃に卒業という形で降板した | |||
#***富永美樹が後継者となった | |||
#****富永美樹は2002年頃に卒業という形で降板した | |||
#*朝日系列のミュージックステーションの放送開始は史実と同時期 | |||
#**当初は関口宏が司会だったが、半年でタモリに司会が変わるのは史実と同じ | |||
#**1990年代序盤~中盤に有賀さつきがサブ司会者だったのも史実と変わらず | |||
#**1990年代後半からはテレビ朝日の若手女子アナがサブ司会者なのは変わらず | |||
#**テレビ朝日の本局が大阪・東天満にあるため、大阪のスタジオから生中継された。 | |||
#***タモリはいいとも司会時代に金曜日のいいともの反省会が終わると即座に新幹線で大阪入りした。そしてミュージックステーションの反省会が終わると最終の新幹線若しくは夜行列車で東京に戻る。 | |||
#***史実の朝日放送の女子アナウンサーの一部がテレビ朝日のアナウンサーとしてミュージックステーションのサブ司会者を担当した。 | |||
#実写の映画にも史実とそれ相応の差異があった。 | |||
#*ミリタリー系や刑事系の映画は史実より相当制作され、同時に史実より相当流行っていた。 | |||
#**日本映画界でミリタリー系の映画が史実ほどタブー視されることはなかった。 | |||
#*恋愛系の映画が増えるのは史実と同時期。 | |||
#**流行るのは史実より若干遅れるが、その分史実以上に流行るようになる。 | |||
#*学園モノの映画は史実と同じく多数制作される。 | |||
#**但し中学校や高校を扱ったものが多く、大学や大学院を扱ったものは史実ほど増えなかった。 | |||
#***大学進学率が史実のように高くはならず、大学は今もエリートが行くところであるため。 | |||
#***高等専門学校を扱った映画は史実よりそれ相応に多かった。 | |||
#*コメディ系映画は史実より若干多く制作される。 | |||
#**コメディ系映画のバリエーションも史実より多様になっていた。 | |||
#*ドキュメンタリー映画は史実と同じように制作される。 | |||
#**公共事業を扱ったものドキュメンタリー映画は史実より多い。 | |||
[[Category:もし日本が権威主義化していたら|けいのう]] |
2021年2月21日 (日) 05:28時点における版
- 芸能界全体に史実とそれ相応の差異があるのは確実
- 芸能界自体が史実より政財界とコネの強い業界になっていた
- なかでもアイドルは自民党の政治家とのコネが強い
- 極右や左派からはアイドルは史実以上に忌み嫌われる
- なかでもアイドルは自民党の政治家とのコネが強い
- 業界全体が史実より反共色の強い世界になっていた
- 制作される作品で反共色の強いものは史実よりかなり多い
- 芸能界自体が史実より政財界とコネの強い業界になっていた
- 音楽界にも史実より多少或いは大幅な差異があった
- 軍歌は史実ほど衰退しなかった
- 平成以降も定期的に新しい軍歌が作られている。
- 演歌や浪曲は1970年代まではそれ相応に聴かれていた。
- 若者の演歌離れ・浪曲離れはいずれにせよ不可避
- 大衆的な歌謡曲の発展は史実と変わらず
- 舟木和夫、橋幸夫、西郷輝彦は史実通りブレイク
- 内山田洋とクール・ファイブやザ・ゴールデン・カップスのブレイクも史実と変わらず
- 加山雄三、石原裕次郎、小林旭も史実と同じかそれ以上にヒットを飛ばしただろう
- 思想犯などの政治的犯罪で逮捕されたり引退を余儀なくされる音楽家は史実より多かった
- 赤い鳥はプロデビューできなかった
- ザ・フォーク・クルセダーズ解散後の加藤和彦は国家保安法違反で逮捕され、有罪判決を受けたのちに、海外へ亡命した。
- イムジン河は当然放送できず。放送しようとなら史実以上の刑罰が関係者に下る。
- フォークソングやそこから派生したニューミュージックが1970年代以降の音楽シーンを席巻するのは変わらず。更にそれが1980年代以降になってロックやポップスなどのJ-POPや和製のHR/HMやR&Bに発展して現在に至る。
- 井上陽水のデビューとブレイクは史実と変わらず
- アンドレ・カンドレでデビューするも全くの不振に終わるのは同じ。史実以上の不振に終わっただろう。
- 井上陽水で再デビューして、傘がないなどをリリースしたのちに夢の中ででブレイクするのは史実と同じ。
- 年代的にデビュー前に徴兵制による兵役を経験している。
- 大麻所持をせずに済んだだろう。
- 昭和50年代中盤の人気低迷はなかった。
- なぜか上海は別のタイトルになっていた。楽曲も上海については唄われていない。
- 台北か香港の可能性が高い。
- アンドレ・カンドレでデビューするも全くの不振に終わるのは同じ。史実以上の不振に終わっただろう。
- 中島みゆきの音楽業界入りも史実と同時期
- 初期は史実ほどヒットしないがわかれうたは史実以上にヒットする。
- かなしみ笑いは史実以上にヒット
- B面の霧に走るの「いっそこんな車壊れて~」は2019年現在史実以上にネット上で引用されている。
- 悪女は史実よりかなりヒットした
- (荒井由実→)松任谷由実の音楽業界入りは史実と同時期
- 大学中退は史実より早まるだろう
- 反共独裁政権と新左翼の学生運動の確執と攻防を第三者目線で描いた楽曲を複数発表していた。
- 「いちご白書」をもう一度を制作することはなかった。
- ひこうき雲と返事はいらないの制作は史実と同じ
- 返事はいらないがデビュー曲なのは史実と同じ
- 横浜での大規模な開発独裁の影響で海を見ていた午後の歌詞が壮大なものになっていた
- あの日に帰りたいのヒットは史実と変わらず
- 史実以上にヒットしたかも
- 松任谷正隆との結婚は史実と変わらず
- 1970年代終盤の低迷は史実と同じ
- 守ってあげたいが久々のヒットとなるのは史実と同じ
- 史実よりヒットした
- 浜田省吾は史実よりヒット曲を量産していた
- 大瀧詠一の音楽界での活躍は史実をも遥かに上回るものに
- アジア太平洋地域の諸外国でもヒットを飛ばしていただろう
- 森進一や小林旭への楽曲提供も史実と変わらない
- 長渕剛の業界入りも史実と変わらないが、その経緯が史実と異なった可能性もある。
- 九州産業大学への進学はなかったかあっても史実より早くに中退した
- 大学進学がなかった場合はデビューが史実より早まっていた
- 業界入りする前に志願兵として兵役を経験していた
- 巡恋歌がデビュー曲かどうかは一概に言えない
- 雨の嵐山が正式なデビュー曲になっていた可能性があるので
- 順子でブレイクするのは史実と変わらず
- これ以降なかなかヒットシングルに恵まれないのは史実と変わらず
- アルバムは史実と同じかそれ以上にセールスを伸ばした
- 1983年のGOOD-BYE青春が久々のヒットとなるのは史実と同じ
- 孤独なハートは史実よりヒットした
- 音楽番組には初期より史実より頻繁に出演していただろう
- HUNGRYで初期のクリアな歌声から現在のしゃがれた歌声になるのは同じ
- 久しぶりに俺は泣いたんだは史実よりヒットした
- 勇次も史実よりヒット
- 勇次以降に病に倒れることはなかった
- そのためSTAY DREAMは史実と違いロック色の強い作品となった
- 九州産業大学への進学はなかったかあっても史実より早くに中退した
- サザンオールスターズの結成と業界入りも史実と変わらず
- 但しデビュー前の動向が史実より慌ただしくなる
- バンド名の変更回数は史実より減ったかもしれない
- メンバーの約半数はデビュー前に志願兵として兵役を経験
- メンバー全員が青年期に志願兵として兵役を経験した可能性もある
- 年代的に徴兵制の対象だった可能性もあり
- 勝手にシンドバッドでデビューするのは変わらず
- 勝手にシンドバッドは反響は史実以上も売上は史実以下
- 気分しだいで責めないでは史実ほどヒットせず
- いとしのエリーは史実ほどヒットしなかった
- デビューから数年はあまりヒットシングルに恵まれず
- アルバムは史実と同じくヒットしたか場合によっては史実以上のヒットとなった
- コンサートライブも連日連夜大盛況で、場合によってはすぐにチケットが入手困難に
- アルバムのタイニイ・バブルスとステレオ太陽族のリードシングルもヒットしなかったが、アルバムは史実以上にヒットした。
- C調言葉に御用心も史実ほどヒットしなかった。
- タイニイ・バブルス収録の松田の子守唄は、原曲の赤い鳥の竹田の子守唄が発禁になるため別のタイトルになっていた。
- 働けロックバンドの歌詞は史実より辛辣なものになっていた。
- 1982年のチャコの海岸物語が久々のヒットシングルとなる。
- 桑田佳祐と原由子の結婚は史実と変わらず
- Ya Ya(あの時代を忘れない)は史実よりヒット
- EMANONが不振に終わるのは史実と変わらず
- アルバムの綺麗も史実ほどヒットしなかった
- 史実で綺麗に収録されているかしの樹の下では検閲に引っかかり収録できなかった。
- NUDE MAN収録の流れる雲を追いかけての歌詞も史実より修正が加わったかも。
- ロッキード事件がないので、史実でロッキード事件について唄われたNUDE MANの歌詞が史実と大幅に異なっていた。
- NUDE MAN収録の流れる雲を追いかけての歌詞も史実より修正が加わったかも。
- 史実で綺麗に収録されているかしの樹の下では検閲に引っかかり収録できなかった。
- アルバムの綺麗も史実ほどヒットしなかった
- ミス・ブランニューデイは史実よりヒットした
- BYE BYE MY LOVE(U are the one)も史実よりヒット
- メロディも史実よりヒット
- アルバムの人気者で行こうとKAMAMKURAの完成度は史実をも遥かに上回るものになった
- 吉田拓郎の引退の噂はなく吉田拓郎の唄は制作されなかったかも
- Computer Childrenは史実以上のハイテクサウンドを駆使した楽曲になっていた
- 1983年を最後に紅白歌合戦の出場が長期間途絶えることはなかった
- 1982年の紅白歌合戦での物議を醸す行動もなかった
- 1984年はミス・ブランニューデイで出場していた
- 1985年はBYE BYE MY LOVE(U are the one)で出場していた
- 1985年を最後に原由子の産休で活動休止に入るのは変わらず
- 1986年以降のサザンオールスターズはソロ活動に突入した
- 桑田佳祐がKUWATA BANDを期間限定で結成するのは変わらず
- 松田弘の参加も変わらず
- KUWATA BANDの解散後の1987年の桑田佳祐と松田弘がソロ歌手として活動するのも史実と変わらず
- 桑田佳祐がKUWATA BANDを期間限定で結成するのは変わらず
- サザンオールスターズの活動再開が10周年の1988年になるのは史実と同じ
- 史実通りみんなのうたで再開
- みんなのうたは史実以上にヒットした
- みんなのうたを収録したオリジナルアルバムを1988年夏に発表
- 1988年12月に史実にないオリジナルアルバムを発表
- リードシングルが1988年9月と11月に発表
- 1988年の国営放送の紅白歌合戦にも出場
- 1989年1月上旬の昭和天皇崩御を受け、以降の3か月間は喪服でステージに立った
- 昭和天皇へのレクイエムも制作した
- 女神達への情歌のリリースは史実と同時期
- クレームは史実ほどではなかった
- クレームはあったが史実以上に掻き消されていた
- チャゲ&飛鳥→CHAGE&ASKAのデビューも史実と同時期
- チャゲも飛鳥涼も青年期に志願兵として兵役を経験
- ユニット名はチャゲ&飛鳥からCHAGE&ASKAを経て、現在のCHAGE and ASKAに
- 正式名称としてCHAGE&ASUKAを名乗ったことはなかった
- レコードジャケットのクレジットのデザインとして名乗ったことはある。
- 正式名称としてCHAGE&ASUKAを名乗ったことはなかった
- ひとり咲きでデビューするのは変わらないが、史実以上の不振に終わる。
- ひとり咲きで夜のヒットスタジオに出演することはなかった。
- デビューのきっかけとなった流恋情歌も史実以上の不振に終わる
- ファーストアルバムの風舞は史実以上の不振に終わった
- このアルバムから私の愛した人がシングルにリカットされた
- 万里の河でブレイクするのは史実と変わらず
- 夜のヒットスタジオへの初出演も万里の河だった
- 万里の河は史実よりもヒットした
- 万里の河以降はなかなかヒットシングルに恵まれず
- しかしコンサートライブはむしろ史実以上の大盛況で場合によってはチケットが発売からすぐに入手困難に
- 万里の河以降のシングルはほとんど不振続きに終わったのは史実と同じだが、それでも男と女やオンリーロンリーは史実よりそれ相応にヒットした。
- 熱い想いと北風物語は不振に終わったほか、1983年のシングルもどれも不振に終わった。
- 南十字星がアルバムからシングルにリカットされた。
- 1984年のMOON LIGHT BLUESと標的は史実よりはヒットしただろう。
- 1985年の夏と秋に史実にないシングルをリリース
- SUPER BESTは1985年12月頃のリリースになっていた。
- Standing Ovationはリリースされなかった。
- 1986年初旬に他者への提供曲のみで構成されたセルフカバーアルバムを発表していた。
- 葛城ユキに提供したボヘミアンもこれに収録された。
- チャゲアスは史実と同じく、当初は演歌フォークと呼ばれる演歌の要素を取り入れたフォーク調の作風の路線を行くが、1982年末辺りを契機にニューミュージックに路線変更し、更に1984年~1985年にJ-POPへと作風を変える路線変更を行った。
- 真紅な動輪のサントラ盤の熱い想いまではフォーク調の作風だが、21世紀でニューミュージックになり、IN SIDEとZ=Oneで完全に演歌フォークから脱却しロック、ポップス、テクノなどのJ-POPに路線変更した。
- 熱い想いが真紅な動輪の主題歌なのは史実と変わらず
- TWILIGHT ZONEの歌詞が史実と異なる
- 真紅な動輪のサントラ盤の熱い想いまではフォーク調の作風だが、21世紀でニューミュージックになり、IN SIDEとZ=Oneで完全に演歌フォークから脱却しロック、ポップス、テクノなどのJ-POPに路線変更した。
- 1986年にレコード会社をデビュー時のワーナーパイオニアからキャニオンレコードに移籍するのは変わらず。
- キャニオンレコード移籍第1弾のシングルであるモーニングムーンは史実よりヒットした。
- 財閥系大手企業のCMソングだっただろう。
- 黄昏を待たずにも史実よりそれ相応にヒットした
- こちらも大手財閥系企業のCMソングだった
- もしその場合はモーニングムーンとタイアップ先が同じだった
- こちらも大手財閥系企業のCMソングだった
- Count Downと指環が泣いたも史実よりヒットした
- どちらもドラマ主題歌に起用された可能性がある。
- 1986年は国営放送の紅白歌合戦と産経の世界紅白にW出演した。
- 紅白歌合戦ではモーニングムーンを唄い、世界紅白では指環が泣いたを唄った。
- 世界紅白出場がアルバムのMr. ASIAを制作するきっかけとなるのは変わらず。
- SAILOR MANは史実よりヒット
- 日本航空のタイアップが付くのは同じ
- ロマンシングヤードは史実よりヒット
- 産経のミリタリードラマの主題歌に起用されたかと。
- 主演は渡哲也か舘ひろし
- 産経のミリタリードラマの主題歌に起用されたかと。
- 恋人はワイン色は史実よりヒット
- テレビ朝日系列のドラマ「あぶない雑居カップル」の主題歌なのは史実と同じ。
- チャゲアスが連ドラ主題歌を担当するのはこれが最初ではなかった。
- テレビ朝日系列のドラマ「あぶない雑居カップル」の主題歌なのは史実と同じ。
- アルバムのRHAPSODYは史実以上の売上を記録した。
- レノンのミスキャストの歌詞が史実と違うかもしれない。
- 狂想曲がシングルにリカットされるのは変わらず。
- アルバムのENERGYも史実以上の売上を記録した。
- 先行シングルはLove AffairとTrip
- Love Affairのリリースは1988年7月頃
- Tripは史実と同時期
- 先行シングルはLove AffairとTrip
- 光GENJIへの楽曲提供は史実以上の成功を収める。
- 昭和天皇崩御から約3か月間は喪服でステージに立つ
- そのような指導がチャゲアスに限らず行政から入るだろう
- 昭和天皇崩御に際してチャゲと飛鳥涼は公式のお悔やみのコメントを発表した。
- 飛鳥涼は昭和天皇へのレクイエムを制作し発表した。
- WALKの発表は史実と同時期
- 発表時の評判は史実ほどではないが芳しくなかった。
- 数作ぶりに週間チャートの上位10位圏外へのランクインとなったであろう。
- 史実と同じく1992年に再発売されその時に高評価されただろう。
- LOVE SONGは史実よりかなりヒット。
- 1992年にリミックスされ再発売されるのは変わらず。
- 1989年のLOVE SONGは民営化されなかった国鉄のタイアップが付いたかも。
- 10周年のアルバムであるPRIDEは史実以上の売上。
- 表題曲のPRIDEはチャゲアスファンはもちろん、ファンに限らずコアなリスナーからも史実以上の人気。
- 天気予報の恋人の認知度も史実以上。
- 砂時計のくびれた場所の認知度は史実以上だった。
- アジア進出は昭和末期には行われる。
- チャゲアスの大東亜共栄圏ツアーも1986年頃には定番に。
- 1989年の10周年は史実以上に盛り上がった
- チャゲがMULTI MAXを結成するのは史実と変わらず
- 但し史実以上に副業的なものになっていた
- 飛鳥涼が1989年秋に渡英するのは史実と変わらず
- このときに史実にあったチャゲアス解散説の浮上はなかった
- 1989年12月下旬にはチャゲも渡英した
- 1989年の国営放送の紅白歌合戦にロンドンからの中継で白組から出場。LOVE SONGを披露。
- 1990年初旬よりアルバムのSEE YA!をロンドンで制作するのは史実と変わらず。
- チャゲアスの2人はロンドンにて労働党の支持者に喧嘩を吹っかけられた。
- ロンドンのライブハウスでのコンサートは史実と変わらず。
- SEE YA!の作風に史実と若干の差異があった。
- リードシングルのDO YA DOは史実と変わらず
- 水の部屋は史実以上に和のテイストが強くなった
- モナリザの背中よりもは史実以上にデsジタル色が強くなった
- ゼロの向こうのGOOD LUCKにも同じことが言える
- YELLOW MENの歌詞は史実以上に辛辣なものに
- ゼロの向こうのGOOD LUCKも
- 太陽と埃の中では史実と変わらず
- 1990年2月のバラードベストのリリースはおそらく史実と変わらず
- 1990年3月に史実にないシングルをリリース
- SEE YA!には収録されず
- この時期に日本に帰国
- 心のボールは福岡特別市の特別市制15周年の1987年か20周年の1992年に制作・発表された
- 帰国後に積極的にメディアへの露出を行い、主にDO YA DOを唄う
- ロンドンで制作したSEE YA!の発売は史実と同時期
- アルバムを引っ提げてのコンサートツアーも行う
- 韓国、台湾、香港での公演も設定された
- アルバムを引っ提げてのコンサートツアーも行う
- 太陽と埃の中でがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
- 史実と同じく産経系列のタイムスリーのED曲に
- 1990年も光GENJIに楽曲提供を行った。また1991年以降も光GENJIへの定期的な楽曲提供を継続した。
- 1991年のASKAソロのはじまりはいつも雨のミリオンセールスは史実と変わらず
- 史実以上のセールスを伸ばした
- 松下電器産業のコンポのhalfのタイアップ曲なのは史実と変わらず
- バブル景気がないため、産経系ドラマ「101回目のプロポーズ」が制作されず、SAY YESのタイアップ先が史実と異なっていた。
- 史実にない産経系のトレンディドラマの主題歌になった可能性が高い。
- SAY YESのセールス自体も史実ほどは伸びなかった。
- どんなに売り上げを伸ばしてもシングルミリオン止まり
- それでもチャゲアス名義で初のミリオンシングルになったかも知れない
- 僕はこの瞳で嘘をつくのシングル化は史実と変わらず
- 史実と違いアルバムのリードシングルだったかも知れない。その場合はSAY YESとリリース順序が逆になっていた
- アルバムのTREEの発売は史実と変わらず
- 史実と変わらず、僕はこの瞳で嘘をつく、SAY YES、BIG TREEは収録
- tomorrowの歌詞が史実とやや違っていた
- 当初の予定通り、1991年9月21日に発売され史実の10月10日に遅れることはなかった
- SAY YESや僕はこの瞳で嘘をつくのときは、史実と違いメディアに積極出演しこれらの楽曲を披露
- 1991年12月下旬頃に史実にない新曲をシングルとしてリリース
- 1992年3月25日のSUPER BEST 2の発売は史実と変わらず
- このときのLOVE SONG '92の発表は変わらず
- SUPER BEST 2には1989年のLOVE SONGと1992年のLOVE SONGの両方が収録された
- ifの大ヒットは史実と変わらず
- SAY YESがミリオンを達成していない場合は、こちらもミリオンセールスを記録することはなかった。
- SAY YESがミリオンセールスを達成した場合は、タッチの差でミリオンセールスを達成した。
- no no darlin'は史実以上にヒットし、週間1位も獲得していた。
- GUYSがシングル候補だったがアルバムのタイトル曲に振り替えられるのは変わらず
- GUYSの制作もロンドンで行われるのは史実と変わらず
- GUYSと同じ日にGUYSとコンセプトの異なるトレンディな作風のアルバムを発表したかも
- この場合、先行シングルが1992年の5月と9月にリリースされていただろう
- YAH YAH YAHは史実以上のメガヒットとなる
- チャゲアスの初のダブルミリオンシングルはYAH YAH YAHになっていた
- 産経系ドラマ「振り返れば奴がいる」の主題歌なのは変わらず
- 当然、YAH YAH YAHは週間1位を獲得
- 史実のビーイング旋風がないので、週間1位をかなりの間にわたってキープした
- 夢の番人はダブルA面ではなく同時発売になっていた
- 夢の番人は週間10位に入るのが精一杯だった
- 後にpop'n musicなどの音楽ゲームにも収録された
- YAH YAH YAHでCHAGE&ASKAの地位は不動のものになった
- それでも史実の1990年代前半のチャゲアス旋風はなかった
- むしろ1990年代でチャゲアスが大いなる活躍を遂げるのは、史実の前半ではなく、史実ではソロが主体になった後半である。
- Sons and Daughtersは史実よりヒットした。
- 但し、富士重工業かセゾングループかのどちらかだけのタイアップになっていた
- もうどちらかは史実に存在しない別の楽曲がタイアップ曲になっていた
- カップリングのMr.Jの悲劇は岩より重いは歌詞と題名が異なるか、そもそも制作自体がされなかった
- 但し、富士重工業かセゾングループかのどちらかだけのタイアップになっていた
- アルバムのRED HILLは史実より相当ヒットした
- ダブルミリオンは確実視される
- RED HILLは国際情勢も歌詞に交じっていたかも知れない
- You are freeとなぜに君は帰らないがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
- Knockはなぜに君は帰らないのカップリングではなく、シングル曲として1994年2月頃にリリースされた。
- Knockがアナログ盤の通常盤が発売された最後のシングルとなった
- TM NETWORKとglobeの活動とその経緯が史実と異なる。
- 小室音楽は史実以上の支持を得ていた
- 宇都宮隆と木根尚登がSPEEDWAYを結成するのは史実と同時期
- 宇都宮隆は青年期に志願兵として兵役を経験
- 木根尚登も実父の指示と宇都宮隆の誘いで志願兵として兵役を経験しただろう
- SPEEDWAYに小室哲哉が加入するのは史実と同時期
- 宇都宮隆は青年期に志願兵として兵役を経験
- SPEEDWAYが何のヒットもないまま1983年に解消するのも史実と同じ
- SPEEDWAY解散後の小室哲哉と木根尚登とオーストラリア人ボーカリストの新ユニット構想はなかった。
- SPEEDWAY解散後は小室哲哉は即座に宇都宮隆と木根尚登にTM NETWORK結成を呼び掛けた。小室のこの声に宇都宮と木根はすぐに応じて、TM NETWORKは結成された。
- フレッシュサウンズコンテストで優勝しデビューの切符を掴むのは変わらず
- 1984年4月21日のデビューは史実と同じ
- 1stアルバムのRAINBOW RAINBOWの収録曲は史実以上に難解な歌詞が多かった。
- 金曜日のライオンがデビューシングルになるのは変わらず
- 1974のシングルへのリカットは史実と同じ
- シングルジャケットに木根尚登の姿がないのも同じ
- 1stアルバムのRAINBOW RAINBOWの収録曲は史実以上に難解な歌詞が多かった。
- 木根尚登が坊主頭を拒否する代わりにサングラスをするのは史実と変わらず
- ACCIDENTのリリースは史実と同時期
- 作詞が松井五郎なのも史実と変わらず
- ACCIDENTを収録したアルバムのCHILDHOOD'S ENDの発売時期も史実と同時期
- CHILDHOOD'S END収録のDRAGON THE FESTIVALのリミックス版のシングルでのリリースも変わらず
- YOUR SONG("D"Mix)と併せて12インチシングルとしてリリースされるのも史実と変わらず
- 初期は阿久悠との楽曲制作も行った
- 湯川れい子や秋元康もTM NETWORKの楽曲制作に参加した
- 松井五郎との楽曲制作は史実よりかなり増えた
- 神沢礼江や川村真澄との楽曲制作は変わらず
- 小室みつ子との楽曲制作は史実以上
- 澤地隆とも楽曲制作を行っていた
- TWINKLE NIGHTの発売は史実と同時期
- 表題曲のTWINKLE NIGHTの歌詞が史実と若干異なる
- ELECTRIC PROPHETは史実とほぼ変わらず
- YOUR SONGのアルバム版が収録されるのは史実と同じ
- FANKSの単語の誕生時期は史実と変わらず。時期的にも史実と同時期。
- 渡辺美里へ提供した楽曲が初ヒットになるのは史実と変わらず。
- My Revolution、Teenage Walk、BELIEVEなど
- 岡田有希子への楽曲提供も史実と変わらず
- 福永恵規への楽曲提供も史実と同じ
- デビュー直後の少年隊へも楽曲提供を行っていた
- テレサ・テンへも楽曲提供を行う
- 小林旭への楽曲提供も実施
- 河合奈保子へも楽曲提供を行った
- 河合奈保子とは楽曲の共同制作も行った
- Come on Let's Danceの発売時期は史実と同時期
- 歌詞が史実と少しだけ違う可能性もある
- アルバムのGORILLAの発売は史実と変わらず
- Come on Let's Danceが収録されるのも史実と同じ
- GIRLの発売は史実と変わらず
- All-Right All-Nightの発売は史実と変わらず。但し歌詞が史実と異なる可能性がある。
- Self Controlの発売時期は史実と変わらず。
- 週間チャートで10位圏内に初めて入ったのはSelf Controlだった
- 何らかのCMのタイアップが付いていた
- アルバムのSelf Controlも史実よりヒットした
- Here,There&Everywhereがこのアルバムに収録されるのは変わらず
- DDRやbeatmania IIDXにも収録されていただろう
- 週間チャートで10位圏内に初めて入ったのはSelf Controlだった
- Get Wildで初の週間1位を獲得した
- 読売系アニメ「シティーハンター」のED曲なのは史実と同じ
- Get Wildを収録したオリジナルアルバムを制作していた
- BEMANIシリーズや太鼓の達人に収録されるのも史実と変わらない
- Gift for Fanksの収録曲が史実とやや異なっていたかも
- KISS YOUのリリースとヒットは史実と同じ
- アルバムのhumansystemのリリースは史実と同時期
- 史実と違い国内で制作されたかも
- このアルバムからRESISTANCEがシングルにリカットされるのは史実と同じ
- RESISTANCEは史実よりヒットした
- RESISTANCEが毎日系ドラマ「痛快!ロックンロール通り」の主題歌なのは史実と変わらず
- BEYOND THE TIMEは史実よりヒット
- ガンダムの映画版の主題歌になるのは史実と変わらず
- 作品に政治的要素があった場合は、BEYOND THE TIMEも史実より政治的・社会的な側面の強い歌詞になっていた。
- ガンダムの映画版の主題歌になるのは史実と変わらず
- SEVEN DAYS WARの発売は史実と同時期
- 史実よりヒットしただろう
- ぼくらの七日間戦争の主題歌なのは変わらず
- ぼくらの七日間戦争の内容が史実と大幅に異なっていた
- 登場人物には政治家や軍人も相当多い
- 登場人物には暴力的な民主活動家も含まれていた
- 1998年の民主化後に、史実の原作小説と同様のストーリーが「アナザーストーリー」として登場していたかも
- アナザーストーリーの主題歌はおそらく小室哲哉単独作に
- ぼくらの七日間戦争の内容が史実と大幅に異なっていた
- CAROLのリードシングルはJUST ONE VICTORYになっていた。
- JUST ONE VICTORYのシングル版のリリースは1988年9月頃になっていた。
- CAROLのレコーディングがロンドンで行われるのは史実と同じ。
- この時の渡英経験で小室哲哉が飛鳥涼にロンドンでレコーディングを勧め、翌年のCHAGE&ASKAの渡英のきっかけになるのは史実と同じ。
- CAROLは史実よりアルバム曲重視になっていた。
- BEYOND THE TIME、SEVEN DAYS WAR、COME ON EVERYBODYは収録されなかった。
- CAROLの内容は史実と若干違っていた。
- 木根尚登がCAROLが題材の小説を執筆し発表するのは史実と同じ。
- 史実以上のベストセラーとなり、三島由紀夫や石原慎太郎などの政界に進出している文豪からも注目された。
- CAROLを題材にしたオペラ形式のライブツアーを敢行するのも史実と同じ。
- COME ON EVERYBODYの発売は史実と同じ。
- 史実以上の売上を記録。週間チャートで1位を獲得した。
- この楽曲で国営放送の紅白歌合戦に出場。
- 紅白歌合戦の特別バージョンで披露されるのは史実と同じ。
- このときのギター演奏をB'zの松本孝弘が担当するのも史実と同じ。
- 木根尚登が松本孝弘の独立までエレキギターがエアギターだったのは史実と同じ。
- 昭和天皇崩御によりTM NETWORKは1989年4月まで喪服でステージに立った。
- TM NETWORKにも喪服で歌うように行政からの要請が入った。
- 木根尚登が初めてメディアの前でサングラスを外して演奏したのが昭和天皇崩御時。
- 天皇崩御による特別体制で初めて木根尚登の素顔が広く認知されるようになった。
- 1989年初旬に宇都宮隆がコンサート中に事故を起こし靭帯を損傷するのは史実と同じ。
- 先述した天皇崩御による喪服でのステージでの靭帯損傷だったため史実以上に大変なことになっていた。
- 宇都宮隆の靭帯が完治するのは史実と同時期。
- 初のリミックスアルバムのDRESSが発売されるのは史実と同時期。
- 先行シングルがCOME ON EVERYBODY、KISS YOU(KISS JAPAN)、GET WILD'89なのは史実と同じ。
- メディアで披露するのがGET WILD'89なのは史実と同じ。またこのGET WILD'89で1989年の国営放送の紅白歌合戦に出場した。
- 先行シングルが1989年4月15日に3枚同時リリースになるのも史実と同じ。
- 先行シングルがCOME ON EVERYBODY、KISS YOU(KISS JAPAN)、GET WILD'89なのは史実と同じ。
- この時期に小室哲哉は史実以上に様々な歌手やアイドルに楽曲提供を行った。
- 渡辺美里への楽曲提供は継続して実施。
- 光GENJIへも楽曲を実施し飛鳥涼に続く形で成功。
- TUBEにも1曲は楽曲を提供した可能性が高い。
- 中山美穂への楽曲提供も史実と変わらずに実施。
- 井上陽水のデビューとブレイクは史実と変わらず
- 阿久悠、松本隆、筒美京平、橋本淳、秋元康は史実をも上回るヒットメーカーになっていた。
- 軍歌は史実ほど衰退しなかった
- 国策映画や国策音楽は戦後も多数制作された
- 戦前の国策映画の主題歌となった蘇州夜曲は史実以上に歌い継がれている。
- 伝統芸能が戦後も伝承されるのは史実と変わらず
- むしろ史実以上に伝承され現在に至る。
- 映画やドラマやアニメは以下のようになっていた。
- 映画は戦後史実以上に流行するが、高度経済成長によるテレビの普及で衰退。
- 但し、1980年代以降の映画館のシネコン化やインターネットの普及によるテレビ業界の低迷で昨今復調するのは同じ。
- 映画館のシネコン化は史実より早くに始まっていた。
- 東宝映画が阪急傘下なのは変わらず
- 帝国復古に反対した社内の集団が第2次東宝争議を起こしたかも
- 第2次東宝争議が起きた場合、東宝は確実に行政からの懲罰を受けていた
- 帝国復古に反対した社内の集団が第2次東宝争議を起こしたかも
- 東映が東急グループを離脱することはなかった
- 石原軍団の映画を多数制作していた
- 史実以上に制作していただろう
- 特撮作品の制作も多数行うのは変わりなし
- 朝日が資本参加することはなかった
- 経営拡大も史実より進んでいる
- シネコンのT・ジョイを展開するのは史実と変わらず
- T・ジョイの展開は史実より進んでいるだろう
- シネコンのT・ジョイを展開するのは史実と変わらず
- アニメ映画も史実より多数制作していた
- 石原軍団の映画を多数制作していた
- シネセゾンは西武映画として高度経済成長期には発足していた
- 流通系に属するのは変わらず
- 鉄道グループとの分裂がないので、西武鉄道やプリンスホテルとのコラボは盛んに行われる
- 1980年代にシネセゾンに改組
- 解散することなく現在まで存続
- シネコンのセゾンシネマを全国展開している
- ラブライブ!シリーズの映画版はここが制作し配給している
- 流通系に属するのは変わらず
- 映画は戦後史実以上に流行するが、高度経済成長によるテレビの普及で衰退。
- タレントエージェンシー法が成立し、その影響で芸能人による労組が結成されていた。
- 芸能人の労組の大半は同盟系であるが、史実の進歩的文化人及びそれに近い立場のタレントは総評系の労組に所属していた。
- 芸能労組が確実に物言う存在になるので同盟は現在も労働組合として存続している。当然総評との合併による連合の成立もない。
- また、JASRACのあり方も史実と異なっていた。
- JASRAC自体は存在するが著作権管理の主体はアーティストの所属する労組にある。
- またJASRACも同盟系の大手芸能労組の言いなりになっていた。
- JASRAC以外にも著作権管理団体があったかもしれない。
- 芸能人の労組の大半は同盟系であるが、史実の進歩的文化人及びそれに近い立場のタレントは総評系の労組に所属していた。
- ゴジラシリーズは幼児/少年層向けの国軍プロパガンダ映画として史実以上に親しまれている。
- 2004年で一旦シリーズ終了などということはありえない。
- 国の体制が史実と異なった影響でシン・ゴジラにも差異がいくらか出た。
- 蒲田くんの段階で機関銃の発砲及びミサイル攻撃が行われていた。
- ゴジラ滅却のために用意された核ミサイル及び原潜は史実の作品と違い米軍ではなく新日本軍のものだった。
- ヤシオリ作戦で使われた無人攻撃機群は日米混成部隊だった。
- 無人在来線爆弾には史実より多数の車種が登場していた。
- ウルトラシリーズでは防衛組織の代わりに新日本軍が登場していた。
- 史実における作品での架空銃・架空機の立ち位置に実際に使われている軍用機や銃が登場する。
- 仮面ライダーシリーズは中国の抗日ドラマ的ポジションになっていた。
- ショッカーは「ネオナチと共産主義者の連合組織」という設定になっていた。
- J-POP自体やテレビの音楽番組は史実以上に発展し、平成初期以降に史実のように衰退することもなかった。
- 国営放送は史実よりも音楽番組を積極的に制作し、若者向けの生中継の音楽番組も昭和後期から制作・放送している。
- 毎日系列のザ・ベストテンが放送を開始するのは史実より数年早い。また1989年9月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
- 放送開始は1973年頃
- 黒柳徹子がMCなのは史実と変わらず
- 2019年現在も黒柳徹子がMCを務めている
- 近藤真彦とのトークは史実以上の名物に
- 米米CLUBのブレイク後はカールスモーキー石井とのトークも名物になった
- 男性MCは史実のTBSテレビのアナウンサーに
- 初代男性MCは鈴木史朗が務めた
- 鈴木史朗の卒業後は久米宏が史実通りに担当する
- 鈴木史朗の降板は1979年頃かと
- 久米宏の卒業は史実と同時期(1985年頃)
- 久米宏の降板で松下賢次に男性MCが交代するのは史実と変わらず
- 松下賢次が1989年1月で降板することはなかった
- 1992年3月頃まで司会を務めていた
- 渡辺正行が司会を務めることはなかった
- 松下賢次が1989年1月で降板することはなかった
- 2019年現在も黒柳徹子がMCを務めている
- 番組開始からすぐの頃に井上陽水が連続でランクインするが本人が「恥ずかしくて出れません」と出演を辞退し、その伝言を鈴木史朗が代読していた。
- 1974年およげたいやきくんの連続1位記録は簡単に破られなかった
- 1977年にピンクレディーによってようやく破られていた
- 或いはキャンディーズの可能性もある
- 初期は沢田研二、野口五郎、郷ひろみ、キャンディーズ、ピンクレディーによる記録更新合戦が続いてた。
- 1977年にピンクレディーによってようやく破られていた
- 西城秀樹が最高得点を叩き出すのは史実と同時期
- 1981年に寺尾聰がルビーの指環で連続1位記録を更新しその後長らく記録は破られなかった。
- 1992年の米米CLUBの君がいるだけで、若しくは、1993年のCHAGE&ASKAのYAH YAH YAHでこの記録は破られた。
- 1980年頃は中島みゆきが頻繁にランクインするが出演を見合わせるのは不可避
- 松任谷由実も1981年頃から頻繁にランクインするがやはり出演を見合わせる
- 山口百恵を回顧する臨時のコーナーが1981年初旬の放送で設けられた
- 松田聖子や中森明菜は史実以上に頻繁にランクインした
- 近藤真彦や田原俊彦のランクインも史実以上に
- 河合奈保子や野村義男も史実より頻繁にランクインした
- 1990年代以降も頻繁にランクインし続けた
- 番組の出演歌唱者の各地からの中継も史実と同じ。
- ライブ会場からの中継も多かった。
- 駅や空港からの中継は史実以上に多かった。
- サザンオールスターズの初の1位は史実と同時期。
- CHAGE and ASKAは1980年代後半に1位を獲得していた。
- TM NETWORKも1980年代のあいだに1位を獲得できていた。
- 番組は1989年10月以降も継続した。
- 工藤静香のあの歌唱は史実ほど有名にならなかった。
- B'zは1989年11月16日の放送でスポットライトに出演したのが最初だった。
- ここではBAD COMMUNICATIONを唄った。
- B'zが初めてザ・ベストテンでベスト10入りしたのは、1990年5月31日の放送だった。
- Mr.Childrenは1993年12月2日のスポットライトへの出演が最初だった。
- この楽曲でCROSSROADを披露した。CROSSROADは数週間後より長期間ベスト10に入り続けた。
- 1994年以降に最高得点が年に2~3回出るのが2000年頃まで続いた。
- B'zはLOVE PHAMTOMで最高得点を叩き出していた。
- globeもDEPERTURESで最高得点を叩き出していた。
- 読売系列のザ・トップテン→歌のトップテンも放送開始は史実より早く、また1990年3月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
- 産経系列の夜のヒットスタジオの放送開始は史実と同時期。1990年10月の放送終了はなく、2019年11月現在も放送を継続している。
- 夜ヒットが日本の他の音楽番組の制作に影響を与えるのは史実と変わらず。
- 共産党バンザイ事件はなかった
- 夜のヒットスタジオから夜のヒットスタジオDELUXEへのリニューアルは史実と変わらず。
- 夜のヒットスタジオSUPERへのリニューアルはなかった。
- 放送が当初は月曜日だったのが水曜日に変更になるのは史実と変わらず。
- 当初は前田武彦と芳村真理が司会だったのは変わらず。
- 前田武彦の共産党バンザイは共産党が非合法なのであり得ないが、共産主義を礼賛する発言を連発したのが問題となり、最終的には前田武彦の反共法違反での逮捕で降板した。
- 芳村真理が司会を一旦降板することはなかった
- 三波伸介がメイン司会者になるのは史実と変わらず
- 朝丘雪路が司会者になることはなかった
- 井上順が司会者になるのは史実より遅れるかも知れないが不可避
- 降板は史実より少し遅れそう
- 1990年以降に再登板した可能性もある
- 井上順の後継の司会者が古舘伊知郎なのは史実と変わらず。
- 1994年頃までには降板していた。
- 柴俊夫が司会者になるのは史実と同じ
- 降板することはなかった
- 2019年現在のメイン司会者かと
- 加賀まり子が司会者になることはなかった
- 1990年頃に八木亜希子が司会者に就任した
- 1996年頃に卒業という形で降板した
- 富永美樹が後継者となった
- 富永美樹は2002年頃に卒業という形で降板した
- 朝日系列のミュージックステーションの放送開始は史実と同時期
- 当初は関口宏が司会だったが、半年でタモリに司会が変わるのは史実と同じ
- 1990年代序盤~中盤に有賀さつきがサブ司会者だったのも史実と変わらず
- 1990年代後半からはテレビ朝日の若手女子アナがサブ司会者なのは変わらず
- テレビ朝日の本局が大阪・東天満にあるため、大阪のスタジオから生中継された。
- タモリはいいとも司会時代に金曜日のいいともの反省会が終わると即座に新幹線で大阪入りした。そしてミュージックステーションの反省会が終わると最終の新幹線若しくは夜行列車で東京に戻る。
- 史実の朝日放送の女子アナウンサーの一部がテレビ朝日のアナウンサーとしてミュージックステーションのサブ司会者を担当した。
- 実写の映画にも史実とそれ相応の差異があった。
- ミリタリー系や刑事系の映画は史実より相当制作され、同時に史実より相当流行っていた。
- 日本映画界でミリタリー系の映画が史実ほどタブー視されることはなかった。
- 恋愛系の映画が増えるのは史実と同時期。
- 流行るのは史実より若干遅れるが、その分史実以上に流行るようになる。
- 学園モノの映画は史実と同じく多数制作される。
- 但し中学校や高校を扱ったものが多く、大学や大学院を扱ったものは史実ほど増えなかった。
- 大学進学率が史実のように高くはならず、大学は今もエリートが行くところであるため。
- 高等専門学校を扱った映画は史実よりそれ相応に多かった。
- 但し中学校や高校を扱ったものが多く、大学や大学院を扱ったものは史実ほど増えなかった。
- コメディ系映画は史実より若干多く制作される。
- コメディ系映画のバリエーションも史実より多様になっていた。
- ドキュメンタリー映画は史実と同じように制作される。
- 公共事業を扱ったものドキュメンタリー映画は史実より多い。
- ミリタリー系や刑事系の映画は史実より相当制作され、同時に史実より相当流行っていた。
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