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[[日本国有鉄道]] > [[国鉄の車両]] > '''電車'''
==主な車両==
;通勤・近郊型
*[[国鉄103系電車|103系]]
*[[国鉄113系電車|113系]]
*[[国鉄115系電車|115系]]
*[[国鉄117系電車|117系]]
*[[国鉄201系電車|201系]]
*[[国鉄203系電車|203系]]
*[[国鉄205系電車|205系]]
*[[国鉄211系電車|211系]]
*[[国鉄415系電車|415系]]
*[[国鉄711系電車|711系]]


;急行・特急型
{{Pathnav2|もし日本が戦後しばらくして権威主義化していたら|芸能}}
*[[国鉄183系電車|183系]](189系含む)
#芸能界全体に史実とそれ相応の差異があるのは確実
*[[国鉄185系電車|185系]]
#*芸能界自体が史実より政財界とコネの強い業界になっていた
*[[国鉄457系電車|457系]](455系・475系塔含む)
#**なかでもアイドルは自民党の政治家とのコネが強い
*[[国鉄485系電車|485系]](489系等含む)
#***極右や左派からはアイドルは史実以上に忌み嫌われる
*[[国鉄583系電車|583系]]
#*業界全体が史実より反共色の強い世界になっていた
 
#**制作される作品で反共色の強いものは史実よりかなり多い
==通勤・近郊型==
#音楽界にも史実より多少或いは大幅な差異があった
===42系===
#*軍歌は史実ほど衰退しなかった
#1933年製なのに、21世紀まで70年近く定期営業運転で残っていた。
#**平成以降も定期的に新しい軍歌が作られている。
#初めは京阪神の急行(優等列車ではなく、現在の快速・新快速に相当)用に投入された。紆余曲折の末、晩年は[[西日本旅客鉄道/広島支社#宇部線・小野田線の噂|小野田線の本山支線]]で運用。
#*演歌や浪曲は1970年代まではそれ相応に聴かれていた。
 
#*若者の演歌離れ・浪曲離れはいずれにせよ不可避
===72系(63系含む)===
#*大衆的な歌謡曲の発展は史実と変わらず
[[ファイル:モハ63形.jpg|140px|thumb|現在の通勤電車の基礎をつくった]]
#**舟木和夫、橋幸夫、西郷輝彦は史実通りブレイク
#国鉄のみならず、通勤電車の礎を築いた車両。
#**内山田洋とクール・ファイブやザ・ゴールデン・カップスのブレイクも史実と変わらず
#国鉄以外にも多くの私鉄に割り当てられた(小田急1800系・東武7300系など)。その多くは車体更新を受けて1980年代まで活躍していた。
#**加山雄三、石原裕次郎、小林旭も史実と同じかそれ以上にヒットを飛ばしただろう
#*中には標準軌に改造された車両もある。
#*思想犯などの政治的犯罪で逮捕されたり引退を余儀なくされる音楽家は史実より多かった
#改造車も含めて、民営化後も定期営業運転があった。
#**赤い鳥はプロデビューできなかった
#*中には荷物車に改造されていたのに、民営化後に改めて[[JR西日本の車両/形式別#クモハ84形|旅客車]]に改造して定期営業運転に使われた車両もあった。
#**ザ・フォーク・クルセダーズ解散後の加藤和彦は国家保安法違反で逮捕され、有罪判決を受けたのちに、海外へ亡命した。
#事業用車に改造されていたモハ63638が原形に復元され、名古屋のリニア・鉄道館にて展示されている。
#***イムジン河は当然放送できず。放送しようとなら史実以上の刑罰が関係者に下る。
#初期車は戦争末期に作られたもので天井板や座席の背摺りがない。酷いものでは12人分の座席しかない車両もあった。
#*フォークソングやそこから派生したニューミュージックが1970年代以降の音楽シーンを席巻するのは変わらず。更にそれが1980年代以降になってロックやポップスなどのJ-POPや和製のHR/HMやR&Bに発展して現在に至る。
#国鉄時代に103系と同様の車体に載せ替えた車両が[[仙石線]]を走っていた。
#**井上陽水のデビューとブレイクは史実と変わらず
#*これは後に新性能化され、名実ともに103系となって首都圏に戻ってきた。
#***アンドレ・カンドレでデビューするも全くの不振に終わるのは同じ。史実以上の不振に終わっただろう。
#*ほかに113系と同様の車体に載せ替えられた[[wikipedia:ja:国鉄72系電車#モハ62形・クハ66形|62系]]というのも身延線に存在したが、こちらは新性能化されることなく廃車された。
#****井上陽水で再デビューして、傘がないなどをリリースしたのちに夢の中ででブレイクするのは史実と同じ。
 
#****年代的にデビュー前に徴兵制による兵役を経験している。
===101系===
#***大麻所持をせずに済んだだろう。
[[画像:Kumoha101-902-00.jpg|frame|[[さいたま市/大宮区#鉄道博物館の噂|鉄道博物館]]の保存車]]
#****昭和50年代中盤の人気低迷はなかった。
#国鉄初の新性能電車というが、抵抗制御なので今では「新」とは言えない。
#***なぜか上海は別のタイトルになっていた。楽曲も上海については唄われていない。
#*電装品を分散搭載した(MM'構成をとった)ことから来る名称なので、最近の車両もその概念を踏襲しているといえなくもない。
#****台北か香港の可能性が高い。
#*ちなみに、最初は全M(全ての車両がモーター付)で中央線を爆走する予定で「高性能電車」と謳うことになっていたが、新宿の変電所の能力が足りないことが分かったので、付随車を追加して性能を落とし、「新性能電車」と名乗ることにしたという話。
#**中島みゆきの音楽業界入りも史実と同時期
#**これについては異説あり。[[wikipedia:ja:新性能電車|Wikipediaの項目]]を参照のこと。
#***初期は史実ほどヒットしないがわかれうたは史実以上にヒットする。
#意外に関西では早々と廃車になり、JRで最後に活躍したのは[[南武線#浜川崎線(南武支線)の噂|南武支線]]。
#***かなしみ笑いは史実以上にヒット
#*現在は[[秩父鉄道]]で活躍。国鉄時代のオレンジ・スカイブルー・カナリア色に戻された編成もある。
#****B面の霧に走るの「いっそこんな車壊れて~」は2019年現在史実以上にネット上で引用されている。
#**いつのまにか[[関西本線|関西線]]色なんてのも出てきた。
#***悪女は史実よりかなりヒットした
#**いまのところ小康状態だが、東急8500系の流入が進んでいるから乗るなら今のうちに。
#**(荒井由実→)松任谷由実の音楽業界入りは史実と同時期
#上記の理由から失敗作扱いされているが、実は国鉄で4番目に多く作られた車両である。
#***大学中退は史実より早まるだろう
#*ちなみにトップ3のうち1形式は[[新幹線0系電車|新幹線0系]]なので、在来線用に限れば第3位。
#***反共独裁政権と新左翼の学生運動の確執と攻防を第三者目線で描いた楽曲を複数発表していた。
#*その数は私鉄トップの[[東武8000系電車|あいつ]]の約2倍に達する(1,535両)。
#***「いちご白書」をもう一度を制作することはなかった。
#ノーシルノーヘッダーのすっきりした車体が特徴。
#***ひこうき雲と返事はいらないの制作は史実と同じ
#*ついでに雨樋まで取り除かれている。
#****返事はいらないがデビュー曲なのは史実と同じ
#実は103系が登場した後も増備が続いていた。最終新造は1968年製。
#***横浜での大規模な開発独裁の影響で海を見ていた午後の歌詞が壮大なものになっていた
#1980年代にはガンガン廃車が進んでいったが、一応新性能車なので事業用車新性能化のための改造種車になったり、部品が他の新造車両に流用されたりした。
#***あの日に帰りたいのヒットは史実と変わらず
#*車両不足を補うためにクハやサハが103系に編入されたものがいた。
#****史実以上にヒットしたかも
 
#***松任谷正隆との結婚は史実と変わらず
===105系===
#***1970年代終盤の低迷は史実と同じ
[[画像:105.jpg|thumb|240px|桜井線にて]]
#***守ってあげたいが久々のヒットとなるのは史実と同じ
#広島地区のつりかけ式電車置き換えのために製造された。
#****史実よりヒットした
#千代田線から追い出された編成がある。
#**浜田省吾は史実よりヒット曲を量産していた
#*何気に常磐線の快速に転用された車よりも長生きしている。
#**大瀧詠一の音楽界での活躍は史実をも遥かに上回るものに
#**それどころか203系よりも長生きだぜ!
#***アジア太平洋地域の諸外国でもヒットを飛ばしていただろう
#*こいつのN40車も存在する。
#***森進一や小林旭への楽曲提供も史実と変わらない
#**N40じゃなくて体質改善30N車。ちなみに新製車両のみ施行されていて、103系1000番台からの改造車は対象外。
#**長渕剛の業界入りも史実と変わらないが、その経緯が史実と異なった可能性もある。
#***103系改造のものはN40延命工事施工車(っぽい)のがいるぞ。
#***九州産業大学への進学はなかったかあっても史実より早くに中退した
#ノーマルな103系から改造されたクハがいる。
#****大学進学がなかった場合はデビューが史実より早まっていた
#*103系顔の車両は消滅したが、ノーマル103系からの改造車は残存している。
#***業界入りする前に志願兵として兵役を経験していた
#*事故廃車の補充としてノーマル103系の中間車に1000番台顔をつけて105系にしたものがいる。[http://www.youtube.com/watch?v=c2_yWS2rle0&feature=channel&list=UL]
#***巡恋歌がデビュー曲かどうかは一概に言えない
#仙石線にも仲間がいたが(600番代車)、広島や奈良の105系より早くに廃車された。
#****雨の嵐山が正式なデビュー曲になっていた可能性があるので
#昔は久里浜駅と新秋津駅には105系の訓練車があった。
#***順子でブレイクするのは史実と変わらず
#*久里浜には脇に「YOKOHAMA」とか書いてある209系みたいなのが止まってる。多分アレが今の訓練車。
#****これ以降なかなかヒットシングルに恵まれないのは史実と変わらず
#もともと近畿地区の105系は全て103系の改造車だったが、現在[[紀勢本線]]の紀伊田辺~新宮間で運用されているのは当初から105系として新製された車両。もともと広島・山口地区で運用されていた車両をリニューアルの上転用した。
#****アルバムは史実と同じかそれ以上にセールスを伸ばした
#発車時は、「'''ズガン!!'''」・・・衝撃が凄まじい。
#****1983年のGOOD-BYE青春が久々のヒットとなるのは史実と同じ
#*後述の119系もそうだが、もともと8個直列起動が前提(端子電圧375V)の主電動機を4個直列で使うところに無理があるんである(私鉄ではフツー、巻き線の巻きなおしで端子電圧を変えるのだが、それをやらないのが国鉄クォリティ)。
#****孤独なハートは史実よりヒットした
 
#***音楽番組には初期より史実より頻繁に出演していただろう
===119系===
#***HUNGRYで初期のクリアな歌声から現在のしゃがれた歌声になるのは同じ
[[画像:IMG 4012.JPG|right|thumb|240px|飯田線の主]]
#****久しぶりに俺は泣いたんだは史実よりヒットした
#簡単に言えば105系のセミクロスシート版で[[東海旅客鉄道/路線別#飯田線|飯田線]]の主。
#****勇次も史実よりヒット
#*飯田線の約8割はこれを使う。残りは313系or東から出張してくる115系。
#***勇次以降に病に倒れることはなかった
#*「するがシャトル」として東海道線でも走っていたが、119系にとって駅間が長い東海道線の運用はかなり酷だったらしい。
#****そのためSTAY DREAMは史実と違いロック色の強い作品となった
#**東海道線には冷房改造施して投入された。しかし119系は、もともとの設計が駅間距離短くて高速で走らない飯田線専用。駅間距離が長く、高速運転強いられる東海道線では、駅に着いたと思ったら発車!みたいなことが当たり前だった。
#**サザンオールスターズの結成と業界入りも史実と変わらず
#ロングランがやたらと多い。
#***但しデビュー前の動向が史実より慌ただしくなる
#*2~3時間のロングランは当たり前、6~7時間かかる列車に使用されることも。
#***バンド名の変更回数は史実より減ったかもしれない
#大まかに分けるとワンマン非対応車・ワンマン対応車・1両編成車の3種類に分けられる。
#***メンバーの約半数はデビュー前に志願兵として兵役を経験
#*このうち、1両編成車はトイレなし。豊橋口の区間運用が中心だが、たまに中部区間にも入ってくる。
#****メンバー全員が青年期に志願兵として兵役を経験した可能性もある
#**[[月刊IKKIファン#鉄子の旅ファン|鉄子の旅]]ご一行も運悪く中部区間で1両編成に遭遇。
#****年代的に徴兵制の対象だった可能性もあり
#***1両編成車はワンマン非対応。1両こそワンマン対応すべきだったはずだと思う…。
#***勝手にシンドバッドでデビューするのは変わらず
#313系大量導入で数年以内に絶滅するらしい。
#****勝手にシンドバッドは反響は史実以上も売上は史実以下
#*単行仕様の313系が登場するのだろうか?
#****気分しだいで責めないでは史実ほどヒットせず
#**[[#123系|123系]]を置き換えた[[東海旅客鉄道/路線別#身延線|身延線]]を見るに、単行分は313や213の2両で置き換えることになりそう。
#***いとしのエリーは史実ほどヒットしなかった
#***そして2012年3月31日営業運転終了。ご苦労様でした!!
#***デビューから数年はあまりヒットシングルに恵まれず
#最近、名古屋地区の東海道線にも回送電車としてたまに登場する。
#****アルバムは史実と同じくヒットしたか場合によっては史実以上のヒットとなった
#*所属は飯田線からずっと離れた大垣。
#****コンサートライブも連日連夜大盛況で、場合によってはすぐにチケットが入手困難に
#*それも引退する前から[[#213系|213系]]に代わっていた。
#****アルバムのタイニイ・バブルスとステレオ太陽族のリードシングルもヒットしなかったが、アルバムは史実以上にヒットした。
#他社譲渡の噂があるみたい。
#*****C調言葉に御用心も史実ほどヒットしなかった。
#*譲渡先は[[福井の交通#えちぜん鉄道の噂|えちぜん鉄道]]と判明。もはや別物と言っていいほど徹底的に改造されている。
#*****タイニイ・バブルス収録の松田の子守唄は、原曲の赤い鳥の竹田の子守唄が発禁になるため別のタイトルになっていた。
#この車両の幕に入っていた行き先は、213系や313系3000番台のみならず、311系や313系0番台などにも引き継がれた。
#*****働けロックバンドの歌詞は史実より辛辣なものになっていた。
 
#***1982年のチャコの海岸物語が久々のヒットシングルとなる。
===121系===
#***桑田佳祐と原由子の結婚は史実と変わらず
[[画像:121@高松.jpg|thumb|240px|高松近郊の主役]]
#***Ya Ya(あの時代を忘れない)は史実よりヒット
#[[四国旅客鉄道|JR四国]][[予讃線]]高松口の主力車両。
#***EMANONが不振に終わるのは史実と変わらず
#*高松エリアの普通電車と快速サンポートはほとんどこの車両による運用。
#****アルバムの綺麗も史実ほどヒットしなかった
#**確かに[[国鉄113系電車|四国113系]]は海を渡って岡山に行っちゃうし、[[四国旅客鉄道/車両#6000系|6000系]]は数が少ないし、[[四国旅客鉄道/車両#7000系|7000系]]は松山地区が中心だし。そうなると必然的に121系ばかりになるわな。
#*****史実で綺麗に収録されているかしの樹の下では検閲に引っかかり収録できなかった。
#見た目は[[国鉄205系電車|205系]]と似ている。
#******NUDE MAN収録の流れる雲を追いかけての歌詞も史実より修正が加わったかも。
#*登場時は、[[京葉線]]と同じ色の赤帯だったが、JR化後に青帯に変わった。
#*******ロッキード事件がないので、史実でロッキード事件について唄われたNUDE MANの歌詞が史実と大幅に異なっていた。
#**もともとその赤帯は121系しか使われず、京葉線で採用されたのは1990年から。
#***ミス・ブランニューデイは史実よりヒットした
#国鉄末期の車両で、性能や乗り心地はお世辞にも良いとはいえない。
#***BYE BYE MY LOVE(U are the one)も史実よりヒット
#*鉄道ファンからの評価は非常に低い。
#***メロディも史実よりヒット
#**[[国鉄113系電車|113系]]検査時の代走運用で当たったりしたら・・・。
#***アルバムの人気者で行こうとKAMAMKURAの完成度は史実をも遥かに上回るものになった
#***せめて転換クロスシートに改造してくんねーかな・・・・・・。
#****吉田拓郎の引退の噂はなく吉田拓郎の唄は制作されなかったかも
#*そりゃ105系4ドア車のような下回りだからな。なんせクハの台車は101系のものだったし
#****Computer Childrenは史実以上のハイテクサウンドを駆使した楽曲になっていた
#*しかもトイレがない。
#***1983年を最後に紅白歌合戦の出場が長期間途絶えることはなかった
#2010年の時点でいまだにワンマン運転に対応していない。
#****1982年の紅白歌合戦での物議を醸す行動もなかった
#*予讃線高松-多度津間でワンマン運転開始が遅かったのはこれが原因かもしれない。
#****1984年はミス・ブランニューデイで出場していた
#最近になって改造車が登場。色が登場時の塗装に戻されワンマン対応になったらしい。
#****1985年はBYE BYE MY LOVE(U are the one)で出場していた
#側窓が一枚上昇式だった関係で登場当初側面に幕がなかった。正面幕も手回し。最近になってLED行先表示がついた。
#***1985年を最後に原由子の産休で活動休止に入るのは変わらず
 
#***1986年以降のサザンオールスターズはソロ活動に突入した
===123系===
#****桑田佳祐がKUWATA BANDを期間限定で結成するのは変わらず
[[画像:CIMG1853.JPG|right|thumb|240px|ミニエコー]]
#*****松田弘の参加も変わらず
#国鉄の財政状況の厳しい中で、地方路線の旧型車を置き換えるために単行可能な荷物車などから改造された。
#*****KUWATA BANDの解散後の1987年の桑田佳祐と松田弘がソロ歌手として活動するのも史実と変わらず
#*101系から事業用者に改造された後、もう一度旅客化改造を受けた車両もいる。
#***サザンオールスターズの活動再開が10周年の1988年になるのは史実と同じ
#*民営化後に改造された車両もいる。
#****史実通りみんなのうたで再開
#*あまりにも改造経験が多く、銘板が何個も付いている車両多数。
#****みんなのうたは史実以上にヒットした
#*同じ形式でも、改造したところによって形態はばらばら。やっつけ仕事レベルのところも。
#****みんなのうたを収録したオリジナルアルバムを1988年夏に発表
#クモハ123-4や123-45など珍しい番号の車両がある。
#***1988年12月に史実にないオリジナルアルバムを発表
#*前者は偶然であるが、後者は遊び心で番台区分されたものだが、冷房改造&貫通路設置で5145に改番されていたな。
#****リードシングルが1988年9月と11月に発表
#東日本にも1両だけ在籍中。
#***1988年の国営放送の紅白歌合戦にも出場
#*別名「ミニエコー」。辰野と塩尻を行ったり来たり。
#***1989年1月上旬の昭和天皇崩御を受け、以降の3か月間は喪服でステージに立った
#*そして意外にもこいつが123系のトップナンバーだったりする。
#****昭和天皇へのレクイエムも制作した
#*2013春の改正で引退することになってしまった。
#***女神達への情歌のリリースは史実と同時期
#仕切りの無いロングシートがドアからドアまで一直線になっている。落ち着かない。
#****クレームは史実ほどではなかった
#*これこそ本当の「ロングシート」である。
#****クレームはあったが史実以上に掻き消されていた
#吊り掛けver.もあった。
#**チャゲ&飛鳥→CHAGE&ASKAのデビューも史実と同時期
#*クモハ84のこと?そういえばあれも荷物電車改造だったな。
#***チャゲも飛鳥涼も青年期に志願兵として兵役を経験
#主に地方で使われているが、一時期[[阪和線・関西空港線#羽衣支線|阪和線(羽衣線)]]で使われていたこともある。そのため大阪近郊でも見ることができた。
#***ユニット名はチャゲ&飛鳥からCHAGE&ASKAを経て、現在のCHAGE and ASKAに
#*ただ混雑するからか、ほどなく103系3連に戻された。
#****正式名称としてCHAGE&ASUKAを名乗ったことはなかった
#*ラッシュ時は積み残しを防ぐためか、なんと103系の先頭車(非冷房)を連結していた。
#*****レコードジャケットのクレジットのデザインとして名乗ったことはある。
#*実際は前述のクモハ84を置き換えるために捻出するため。
#***ひとり咲きでデビューするのは変わらないが、史実以上の不振に終わる。
#*宇野線に転属してクモハ84を置き換えた後、[[西日本旅客鉄道/広島支社#宇部線・小野田線の噂|廣嶋]]に転属して、今度はクモハ42を置き換えた。これにより旧型国電の定期営業運転は遂に終了。
#****ひとり咲きで夜のヒットスタジオに出演することはなかった。
#*ドア配置が元のままでかなりのやっつけ仕事。廣嶋に転属したときにドア配置を改造したがやっぱり変。
#***デビューのきっかけとなった流恋情歌も史実以上の不振に終わる
 
#***ファーストアルバムの風舞は史実以上の不振に終わった
===207系===
#****このアルバムから私の愛した人がシングルにリカットされた
[[画像:Joban 207.JPG|thumb|240px|余命僅か?]]
#***万里の河でブレイクするのは史実と変わらず
#常磐線(各駅停車)用に1本だけ導入された。
#****夜のヒットスタジオへの初出演も万里の河だった
#*ちなみに、[[福知山線]]や[[JR東西線]]などを走っている車両とは'''まったくの別物'''である。
#****万里の河は史実よりもヒットした
#**あんな{{あきまへん}}な車両と一緒にするな…
#****万里の河以降はなかなかヒットシングルに恵まれず
#***[[鉄道ファン/雑誌・書籍篇#鉄道趣味4大誌の噂|鉄道ファン]]誌の一部記事ではJR東日本・JR西日本の207系は同一系列として取り扱っている。<br>このためJR西日本の207系も'''国鉄型車両'''の一部として取り扱われ、毎年残存率が5000%近くで計上される。
#*****しかしコンサートライブはむしろ史実以上の大盛況で場合によってはチケットが発売からすぐに入手困難に
#****いつも思ってたんだが、国鉄207系とJR207系に形式番号以外のなんのつながりがある?
#*****万里の河以降のシングルはほとんど不振続きに終わったのは史実と同じだが、それでも男と女やオンリーロンリーは史実よりそれ相応にヒットした。
#*****私鉄だと、外観はともかく中身が207系の各々より違っても、同一形式を名乗ってる例はいくらでもある。それらをひとくくりに計算するのと同じ事。
#*****熱い想いと北風物語は不振に終わったほか、1983年のシングルもどれも不振に終わった。
#*****国鉄(JR東日本)とJR西日本の207系の共通点…軽量ステンレス・20m級4ドア車体、VVVFインバータ制御。まあ分割民営化後は車両の遠距離転配が殆どなくなって、更に東日本の207系は900番台だったから、同じ形式番号にしても問題はない、と見たんだろう。
#*****南十字星がアルバムからシングルにリカットされた。
#******台車構造やギア比も同じである。
#****1984年のMOON LIGHT BLUESと標的は史実よりはヒットしただろう。
#*これにあたると結構運がよいらしい。
#***1985年の夏と秋に史実にないシングルをリリース
#**結構というか相当です。
#***SUPER BESTは1985年12月頃のリリースになっていた。
#*営団06系とは1編成しかいない仲間。
#***Standing Ovationはリリースされなかった。
#音が大阪の地下鉄にそっくり。
#***1986年初旬に他者への提供曲のみで構成されたセルフカバーアルバムを発表していた。
#*[[東急の車両#9000系|東急9000系]]にもそっくり。
#****葛城ユキに提供したボヘミアンもこれに収録された。
#*スロー再生すると[[東武特急#スペーシア|スペーシア]]っぽくなる。
#***チャゲアスは史実と同じく、当初は演歌フォークと呼ばれる演歌の要素を取り入れたフォーク調の作風の路線を行くが、1982年末辺りを契機にニューミュージックに路線変更し、更に1984年~1985年にJ-POPへと作風を変える路線変更を行った。
#VVVF車だがE233系導入で廃車になるらしい。
#****真紅な動輪のサントラ盤の熱い想いまではフォーク調の作風だが、21世紀でニューミュージックになり、IN SIDEとZ=Oneで完全に演歌フォークから脱却しロック、ポップス、テクノなどのJ-POPに路線変更した。
#*しかも203系よりも先に、と言う噂・・・。
#*****熱い想いが真紅な動輪の主題歌なのは史実と変わらず
#205系(5000番台)と同じVVVF装置に更新する話があったものの、ボツになった模様。
#*****TWILIGHT ZONEの歌詞が史実と異なる
#*余ってる界磁添加励磁装置に載せ変えて、他線の増発用に使えばいいのに…
#***1986年にレコード会社をデビュー時のワーナーパイオニアからキャニオンレコードに移籍するのは変わらず。
#*どうも簡単に機器乗せ換えでおk、というわけにはいかないらしい。できたらすでに203系と同じモーターに乗せ換え、制御装置も界磁添加励磁制御に改造していたはず。
#***キャニオンレコード移籍第1弾のシングルであるモーニングムーンは史実よりヒットした。
#**203系のMT60は電機子チョッパ制御用で電流量制御に特化している為、電圧制御の界磁添加励磁制御には向かない。
#****財閥系大手企業のCMソングだっただろう。
#ついに、[[長野市|長野]]総合車両センターに廃車回送されてしまったらしい。まさか201・203系よりも先に廃車されるとは、本人も思っていなかっただろう。
#***黄昏を待たずにも史実よりそれ相応にヒットした
#民営化直前の鉄道ファンでは地下鉄東西線乗り入れ用に増備(量産化)されるかも、と予測されていたが、別の東西線の乗り入れ用に量産化された。
#****こちらも大手財閥系企業のCMソングだった
 
#*****もしその場合はモーニングムーンとタイアップ先が同じだった
===213系===
#***Count Downと指環が泣いたも史実よりヒットした
[[画像:213Train.jpg|right|thumb|240px|2ドアです]]
#****どちらもドラマ主題歌に起用された可能性がある。
#[[国鉄211系電車|211系]]のクロスシートバージョン。
#***1986年は国営放送の紅白歌合戦と産経の世界紅白にW出演した。
#*211にもセミクロスあるけどね。
#****紅白歌合戦ではモーニングムーンを唄い、世界紅白では指環が泣いたを唄った。
#*マジレスすると1M仕様。
#****世界紅白出場がアルバムのMr. ASIAを制作するきっかけとなるのは変わらず。
#**と思ったら211系にも1M車は存在している。区別がよくわからん…
#***SAILOR MANは史実よりヒット
#***ドアの数が一番の違い、211は3ドア、213は2ドア。[[西日本旅客鉄道|ここ]]に例外がいたけど。
#****日本航空のタイアップが付くのは同じ
#313系と連結されるとだれも213系側に乗りたがらない。
#***ロマンシングヤードは史実よりヒット
#*東海のやつはトイレがない。
#****産経のミリタリードラマの主題歌に起用されたかと。
#**以前[[関西本線]]の亀山→名古屋で乗ったことがあるが、転換クロスシートがついているのに肝心のトイレがないという奇妙な車両だったのを覚えている。しかも運転本数が少ないのでトイレのために降りると30分以上待つ羽目になる。
#*****主演は渡哲也か舘ひろし
#*おそらく東海で一番の足手まとい。どうして作ったのだろう・・・
#***恋人はワイン色は史実よりヒット
#*青帯のそれを浜松で初めて見たときは「おおっ、未来の電車!」と乗っている乗客がうらやましかったのだが。(113系の窓から)
#****テレビ朝日系列のドラマ「あぶない雑居カップル」の主題歌なのは史実と同じ。
#**それは211系では?
#*****チャゲアスが連ドラ主題歌を担当するのはこれが最初ではなかった。
#西日本のは快速<マリンライナー>充当で[[瀬戸大橋]]渡ってた。クロ212は45度ずつ座席を回転させられる機構がついてる。
#***アルバムのRHAPSODYは史実以上の売上を記録した。
#*<スーパーサルーンゆめじ>という全車グリーン車もいる。
#****レノンのミスキャストの歌詞が史実と違うかもしれない。
#**形式上は211系ですよ。
#****狂想曲がシングルにリカットされるのは変わらず。
#*クロ213は潮風で錆びて一足先にお役御免になってしまった。
#***アルバムのENERGYも史実以上の売上を記録した。
#*廃車になりました。合掌。
#****先行シングルはLove AffairとTrip
#*一両だけが生き延びて、223系と併結して試験車「U@tech」になった。
#*****Love Affairのリリースは1988年7月頃
#*短命で消えた車両だが、前面のデザインはアーバンネットワークで一世を風靡した[[JR西日本221系電車|221系]]に引き継がれた。
#*****Tripは史実と同時期
#この車両のルーツは横須賀・総武線仕様の211系の開発
#***光GENJIへの楽曲提供は史実以上の成功を収める。
#この車両が国鉄最後の形式となった。
#***昭和天皇崩御から約3か月間は喪服でステージに立つ
#東海車は[[東海旅客鉄道/路線別#飯田線|飯田線]]に送ることになったらしい。
#****そのような指導がチャゲアスに限らず行政から入るだろう
#*で、さすがにトイレ無しのまま送るのはまずいと判断されたのか、最近になってトイレを設置した編成が登場。
#****昭和天皇崩御に際してチャゲと飛鳥涼は公式のお悔やみのコメントを発表した。
#**でも、トイレの設置位置が他の車両とは何故か逆。
#*****飛鳥涼は昭和天皇へのレクイエムを制作し発表した。
 
#***WALKの発表は史実と同時期
===301系===
#****発表時の評判は史実ほどではないが芳しくなかった。
#国鉄初のアルミ車両だが、高くて量産されなかった。
#****数作ぶりに週間チャートの上位10位圏外へのランクインとなったであろう。
#一部の編成は屋根が白かった。
#****史実と同じく1992年に再発売されその時に高評価されただろう。
#*登場時はアルミ地肌に腐食防止に分厚くクリア塗料塗ってたが、灰色塗料塗った。
#***LOVE SONGは史実よりかなりヒット。
#ソウルの地下鉄の古い電車は恐らくこれのデッドコピーらしい。
#****1992年にリミックスされ再発売されるのは変わらず。
#*普通鋼製でコイルバネ台車なのでどっちかというと103系に近いかも。
#****1989年のLOVE SONGは民営化されなかった国鉄のタイアップが付いたかも。
#引退の時さよなら運転で高尾まで行った。
#***10周年のアルバムであるPRIDEは史実以上の売上。
#日立名物「A-train」のルーツがこれ。
#****表題曲のPRIDEはチャゲアスファンはもちろん、ファンに限らずコアなリスナーからも史実以上の人気。
#登場から引退までずっと東西線直通に生きる人生だった。
#****天気予報の恋人の認知度も史実以上。
#*非冷房の時代が長く、冷房改造受けたのは晩年になってから。
#****砂時計のくびれた場所の認知度は史実以上だった。
#同じ形式の車両が西武鉄道にいたりする。
#***アジア進出は昭和末期には行われる。
#大宮に1両だけ残ってる。
#****チャゲアスの大東亜共栄圏ツアーも1986年頃には定番に。
 
#***1989年の10周年は史実以上に盛り上がった
===401系(421系)・403系(423系)===
#***チャゲがMULTI MAXを結成するのは史実と変わらず
#直流1500V&交流50Hz区間走れるのが401系で直流1500V&交流60Hz区間走れるのが421系。
#****但し史実以上に副業的なものになっていた
#*403系・423系はモーター出力アップ版。
#***飛鳥涼が1989年秋に渡英するのは史実と変わらず
#401・403系は[[常磐線]]・勝田に全集結。421・423系は[[日豊本線]]・大分に全集結。
#****このときに史実にあったチャゲアス解散説の浮上はなかった
#末期に冷房化されたが、401系列は集中型クーラー、421系列は分散型と床置型クーラーだった。分散型クーラーは一見すると私鉄電車のクーラーを思わす形だった。
#****1989年12月下旬にはチャゲも渡英した
#*床置型クーラーは屋根上の大きな通風装置が特徴だが、床下に装備できず車内装備。その為隅っこのクロスシート区画つぶして窓に同サイズのルーバー設置。
#****1989年の国営放送の紅白歌合戦にロンドンからの中継で白組から出場。LOVE SONGを披露。
#*403系にも一部に集約分散型クーラーで改造された車両があった。
#****1990年初旬よりアルバムのSEE YA!をロンドンで制作するのは史実と変わらず。
#一時期、電源車になったことがある。
#*****チャゲアスの2人はロンドンにて労働党の支持者に喧嘩を吹っかけられた。
#*481系が出るまでの間、181系を交流区間で運用するために使っていた。
#*****ロンドンのライブハウスでのコンサートは史実と変わらず。
#Wikipediaでは項目がこれら4系列と415系と一纏めで「[[wikipedia:ja:国鉄415系電車|国鉄415系電車]]」扱い。
#*****SEE YA!の作風に史実と若干の差異があった。
#403系は意外と長生きした。
#******リードシングルのDO YA DOは史実と変わらず
#*[[つくばエクスプレス|TX]]が開業していなきゃいまだに使われていた可能性も高い。
#******水の部屋は史実以上に和のテイストが強くなった
 
#******モナリザの背中よりもは史実以上にデsジタル色が強くなった
===413系===
#*******ゼロの向こうのGOOD LUCKにも同じことが言える
#急行型のうち古くなっていた471・473・475系の車体を、417系などと同じ近郊型の車体に載せ替えた車両。
#******YELLOW MENの歌詞は史実以上に辛辣なものに
#*兄弟は717系。
#*******ゼロの向こうのGOOD LUCKも
#*107系も同じような経緯の車両。
#******太陽と埃の中では史実と変わらず
#*475系から改造する計画もあったが、車体を載せ替えずに延命する方針にしたため、実現しなかった。
#***1990年2月のバラードベストのリリースはおそらく史実と変わらず
#**改造コストが思った以上にかかったためらしい。
#***1990年3月に史実にないシングルをリリース
#国鉄末期の本当に短い期間だけ、塗装がワインレッドに白帯だったことがあった。
#****SEE YA!には収録されず
#*419系なども同じ色だったが、この車両が一番その塗装だった期間が短い。
#****この時期に日本に帰国
#実は417系より後に登場している。
#***心のボールは福岡特別市の特別市制15周年の1987年か20周年の1992年に制作・発表された
#*403系が413系に形式変更する計画があったが、実現しなかったため、空き形式となっていた413系に割り当てられた。
#***帰国後に積極的にメディアへの露出を行い、主にDO YA DOを唄う
#JRになってからも製造(というか改造)が続き、さらに一両も廃車になっていないため、毎年恒例の鉄道ファンに掲載される国鉄型車両の残存率が100パーセントを超えている。
#***ロンドンで制作したSEE YA!の発売は史実と同時期
#北陸新幹線開業後も三セクに譲渡されて生き残るのではないかと噂されている。
#****アルバムを引っ提げてのコンサートツアーも行う
 
#*****韓国、台湾、香港での公演も設定された
===417系===
#***太陽と埃の中でがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
[[画像:417.jpg|thumb|160px|在りし日の417系]]
#****史実と同じく産経系列のタイムスリーのED曲に
#415系を寒冷地で使えるようにしたもの。
#***1990年も光GENJIに楽曲提供を行った。また1991年以降も光GENJIへの定期的な楽曲提供を継続した。
#コストがかさんで結局レアものに。
#***1991年のASKAソロのはじまりはいつも雨のミリオンセールスは史実と変わらず
#*秋田や金沢にも配置される予定だったが、実現しなかった。
#****史実以上のセールスを伸ばした
#阿武隈急行で第2の人生を送ることになった。
#****松下電器産業のコンポのhalfのタイアップ曲なのは史実と変わらず
#登場時は非冷房だったが、冷房準備工事がされていたため、冷房改造は容易に行えた。
#***バブル景気がないため、産経系ドラマ「101回目のプロポーズ」が制作されず、SAY YESのタイアップ先が史実と異なっていた。
#晩年は半自動ドアスイッチが取り付けられた。
#****史実にない産経系のトレンディドラマの主題歌になった可能性が高い。
#結局直流区間には一度も入らずに阿武隈急行行きに。
#****SAY YESのセールス自体も史実ほどは伸びなかった。
#*一応試運転では直流区間を自走したことがあるらしい。
#*****どんなに売り上げを伸ばしてもシングルミリオン止まり
#直流対応だったため、以前は幕に[[宇都宮線]]区間の行き先も入っていたようだ。
#*****それでもチャゲアス名義で初のミリオンシングルになったかも知れない
#準特急車時代の小田急2320系とどことなく似ている気がする。
#***僕はこの瞳で嘘をつくのシングル化は史実と変わらず
 
#****史実と違いアルバムのリードシングルだったかも知れない。その場合はSAY YESとリリース順序が逆になっていた
===419系===
#***アルバムのTREEの発売は史実と変わらず
[[画像:CIMG1872.JPG|right|thumb|240px|元祖食パン電車]]
#****史実と変わらず、僕はこの瞳で嘘をつく、SAY YES、BIG TREEは収録
#どうしてこうなった!!!!
#****tomorrowの歌詞が史実とやや違っていた
#国鉄暗黒時代を象徴する魔改造車。
#****当初の予定通り、1991年9月21日に発売され史実の10月10日に遅れることはなかった
#暗黒時代苦肉のつなぎのはずが未だに北陸の主力を担っている。
#***SAY YESや僕はこの瞳で嘘をつくのときは、史実と違いメディアに積極出演しこれらの楽曲を披露
#*583系時代よりも改造後のほうが長く運用されてしまっている。
#***1991年12月下旬頃に史実にない新曲をシングルとしてリリース
#*兄弟車の715系が21世紀に入る前に絶滅した一方、419系は2010年現在でも生き長らえている。
#***1992年3月25日のSUPER BEST 2の発売は史実と変わらず
#**が、521系の大量導入でさすがに命運が尽きた。
#****このときのLOVE SONG '92の発表は変わらず
#財政が逼迫し手抜き改造したため、寝台はさすがに広げることはできないが、畳まれた状態のままで残っている。
#****SUPER BEST 2には1989年のLOVE SONGと1992年のLOVE SONGの両方が収録された
#*センヌキがついている。
#***ifの大ヒットは史実と変わらず
#敦賀直流電化までは大阪近郊区間内でも乗ることができた。
#****SAY YESがミリオンを達成していない場合は、こちらもミリオンセールスを記録することはなかった。
#何か、特急運用から外されて改造された西鉄2000形と同じように見える。
#****SAY YESがミリオンセールスを達成した場合は、タッチの差でミリオンセールスを達成した。
#*むしろ第一線を退いて支線に転用された東武1800系や阪急6300系と似ている。
#***no no darlin'は史実以上にヒットし、週間1位も獲得していた。
#元特急型の代名詞。
#****GUYSがシングル候補だったがアルバムのタイトル曲に振り替えられるのは変わらず
#種者時代は。特急「つばめ」にも使われたことがある。
#****GUYSの制作もロンドンで行われるのは史実と変わらず
#最後まで残っていた車両はプレス機でつぶされた後粉々に粉砕された。
#***GUYSと同じ日にGUYSとコンセプトの異なるトレンディな作風のアルバムを発表したかも
 
#****この場合、先行シングルが1992年の5月と9月にリリースされていただろう
===713系===
#***YAH YAH YAHは史実以上のメガヒットとなる
#交流版417系。
#****チャゲアスの初のダブルミリオンシングルはYAH YAH YAHになっていた
#*こちらはさらに悲しいことに試作の900番台のみで終わってしまった。
#****産経系ドラマ「振り返れば奴がいる」の主題歌なのは変わらず
#**一応この車両で採用された設計はJR化後の車両で生かされている。
#****当然、YAH YAH YAHは週間1位を獲得
#*しかし、まさかの0番台化。
#*****史実のビーイング旋風がないので、週間1位をかなりの間にわたってキープした
#**全車0番台化されました。
#****夢の番人はダブルA面ではなく同時発売になっていた
#元は国鉄標準のクリームと緑の塗装だったが、赤が大好きなJR九州によって例に漏れず真っ赤な塗装に…
#*****夢の番人は週間10位に入るのが精一杯だった
#*ついでに車内も超カラフルな塗装になった。
#****後にpop'n musicなどの音楽ゲームにも収録された
#**しかも、座席はリクライニングシートという普通電車用車両としては超破格。
#***YAH YAH YAHでCHAGE&ASKAの地位は不動のものになった
#この車両で初採用されたMT61というモータは205系や211系などにも採用され、民営化後も各社で幅広く採用されている。
#****それでも史実の1990年代前半のチャゲアス旋風はなかった
#*民営化の前後に登場した界磁添加励磁制御車のほとんどがこの機種を採用している。
#****むしろ1990年代でチャゲアスが大いなる活躍を遂げるのは、史実の前半ではなく、史実ではソロが主体になった後半である。
 
#***Sons and Daughtersは史実よりヒットした。
===715系===
#****但し、富士重工業かセゾングループかのどちらかだけのタイアップになっていた
#交流専用419系。
#*****もうどちらかは史実に存在しない別の楽曲がタイアップ曲になっていた
#同様に史上最高の魔改造っぷり。
#****カップリングのMr.Jの悲劇は岩より重いは歌詞と題名が異なるか、そもそも制作自体がされなかった
#仙台支社は北陸に比べ金があったのか、寝台設備を取っ払いやたら頭上がスカスカした車両だった。
#***アルバムのRED HILLは史実より相当ヒットした
#片開き2ドア車。ラッシュ時の仙台地区を阿鼻叫喚の地獄絵図に陥れる車両。
#****ダブルミリオンは確実視される
#なんだかんだで[[JR東日本701系電車|走るプレハブ]]によって北陸よりは早く消費期限が訪れた食パン。
#****RED HILLは国際情勢も歌詞に交じっていたかも知れない
#実は急行に使われたことがある。しかも全席指定で。
#****You are freeとなぜに君は帰らないがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
#九州にもいた。
#***Knockはなぜに君は帰らないのカップリングではなく、シングル曲として1994年2月頃にリリースされた。
#*1両が外見だけ[[国鉄583系電車|581系]]に戻して門司に保存されている。
#****Knockがアナログ盤の通常盤が発売された最後のシングルとなった
 
#**TM NETWORKとglobeの活動とその経緯が史実と異なる。
===717系===
#***小室音楽は史実以上の支持を得ていた
#交流版415系。
#***宇都宮隆と木根尚登がSPEEDWAYを結成するのは史実と同時期
#*他の国鉄型普通電車とともに東北地区からいなくなった。
#****宇都宮隆は青年期に志願兵として兵役を経験
#*どちらかと言うと交流版413系のような気もするが。
#*****木根尚登も実父の指示と宇都宮隆の誘いで志願兵として兵役を経験しただろう
#900番代車と200番代車は九州にいる。457系・475系からの改造だが。
#****SPEEDWAYに小室哲哉が加入するのは史実と同時期
#*900番台は457系そのままの車体だが、3ドア化した魔改造だった。
#***SPEEDWAYが何のヒットもないまま1983年に解消するのも史実と同じ
#交流専用なのに、機器は直交流電車と同じように走る変電所である。
#***SPEEDWAY解散後の小室哲哉と木根尚登とオーストラリア人ボーカリストの新ユニット構想はなかった。
#車体経年は浅いが、機器が古いため、廃車が早かった。
#***SPEEDWAY解散後は小室哲哉は即座に宇都宮隆と木根尚登にTM NETWORK結成を呼び掛けた。小室のこの声に宇都宮と木根はすぐに応じて、TM NETWORKは結成された。
#*仙台地区では既に全滅。九州地区でも713系より若いながらも廃車になった車両も現れている。
#****フレッシュサウンズコンテストで優勝しデビューの切符を掴むのは変わらず
#**九州の方もまもなく絶滅…。
#***1984年4月21日のデビューは史実と同じ
#仙台地区用は417系とは異なり、最後まで手で開けていた車両だった(半自動ドアスイッチは取り付けられなかった)。
#****1stアルバムのRAINBOW RAINBOWの収録曲は史実以上に難解な歌詞が多かった。
 
#*****金曜日のライオンがデビューシングルになるのは変わらず
==急行・特急型==
#*****1974のシングルへのリカットは史実と同じ
===151系===
#******シングルジャケットに木根尚登の姿がないのも同じ
#パーラーカー。
#***木根尚登が坊主頭を拒否する代わりにサングラスをするのは史実と変わらず
#*今となっては死語。
#***ACCIDENTのリリースは史実と同時期
#踏切事故で大破し、新性能電車の廃車第1号が出た。
#****作詞が松井五郎なのも史実と変わらず
#電車でGOの隠し要素として運転できるが、景色が現代なのであまり雰囲気が出ない。
#****ACCIDENTを収録したアルバムのCHILDHOOD'S ENDの発売時期も史実と同時期
#食堂車に電子レンジ搭載。
#****CHILDHOOD'S END収録のDRAGON THE FESTIVALのリミックス版のシングルでのリリースも変わらず
#*このせいで料理がまずくなり始めたらしい。
#*****YOUR SONG("D"Mix)と併せて12インチシングルとしてリリースされるのも史実と変わらず
#鉄道車両の前照灯は上の方に一つだけという常識を打ち破った車両。
#***初期は阿久悠との楽曲制作も行った
#20系といえば[[国鉄の車両#20系|客車の20系]]が有名だが、この系列も登場時は20系を名乗っていた。この系列が151系になってからは阪和線の買収国電が「電車の20系」を名乗っていた。
#***湯川れい子や秋元康もTM NETWORKの楽曲制作に参加した
 
#***松井五郎との楽曲制作は史実よりかなり増えた
===153系===
#***神沢礼江や川村真澄との楽曲制作は変わらず
#元祖東海型。
#***小室みつ子との楽曲制作は史実以上
#実は改造車がJR化後も残っていた。
#***澤地隆とも楽曲制作を行っていた
#*それは113系のグリーン車になった車両。
#***TWINKLE NIGHTの発売は史実と同時期
#ずらっと窓が並んでるのが面白い。
#****表題曲のTWINKLE NIGHTの歌詞が史実と若干異なる
#予備車の無い151系の代わりにこだまを代走したことがあり、かえだまと揶揄された。
#****ELECTRIC PROPHETは史実とほぼ変わらず
#*鉄道ファンや子供はがっかり。文句を言ったり泣き出す人もいたらしい。
#****YOUR SONGのアルバム版が収録されるのは史実と同じ
#*一応特急料金は据え置きだったらしい。
#***FANKSの単語の誕生時期は史実と変わらず。時期的にも史実と同時期。
#2両だけ試作のステンレス車がいた。
#***渡辺美里へ提供した楽曲が初ヒットになるのは史実と変わらず。
#最初は準急用として使われていた。
#****My Revolution、Teenage Walk、BELIEVEなど
#食堂車には寿司カウンターが付いていて、車内で握りたての寿司を味わうことが出来た。
#***岡田有希子への楽曲提供も史実と変わらず
#*ちなみに兄弟車の451系にはそばコーナーが付いていた。
#***福永恵規への楽曲提供も史実と同じ
#**後継車の165・169系と交直両用車でそばコーナーになったのは寿司職人の人件費が高いことと麺類の方が庶民的であるため、そばコーナーになったが、どことなく駅そばと被る気がする。
#***デビュー直後の少年隊へも楽曲提供を行っていた
#*当時は今の回転寿司や持ち帰り寿司のようにオートメーション化されておらず、寿司職人が手作業で握っていた。
#***テレサ・テンへも楽曲提供を行う
#1977年には全車の冷房化を完了したが、実はその頃には老朽廃車される車両も出始めていた。
#***小林旭への楽曲提供も実施
#サロには簡易運転台が付いていた。
#***河合奈保子へも楽曲提供を行った
#二代目新快速。わざわざ専用塗装の車両まで用意していた。
#****河合奈保子とは楽曲の共同制作も行った
#*一部にクハ165が混じっていた。
#***Come on Let's Danceの発売時期は史実と同時期
#*117系に置き換えられる直前は湘南色との混色も見られた。
#****歌詞が史実と少しだけ違う可能性もある
#*「ブルーライナー」
#***アルバムのGORILLAの発売は史実と変わらず
#大昔廣嶋に走っていた。
#****Come on Let's Danceが収録されるのも史実と同じ
 
#***GIRLの発売は史実と変わらず
===155系・159系===
#***All-Right All-Nightの発売は史実と変わらず。但し歌詞が史実と異なる可能性がある。
#[[修学旅行]]用列車の環境を改善するために生み出された、153系ベースの修学旅行用車両。
#***Self Controlの発売時期は史実と変わらず。
#*ちなみにこの車両が登場する前は、雑多な客車をかき集めて修学旅行列車を組成していた。
#****週間チャートで10位圏内に初めて入ったのはSelf Controlだった
#**普通列車用の長い時間座るにはつらい席にさらに2人掛けのところを3人で座らせられたりしていたため、一生の思い出となるはずの修学旅行が辛い思い出になりかねなかった。
#*****何らかのCMのタイアップが付いていた
#*とはいっても2+3列のシートだとやっぱりあまり居住性はあまり良くなかったらしい。
#****アルバムのSelf Controlも史実よりヒットした
#シーズンじゃないときは、普通に急行用車両として使われていた。
#*****Here,There&Everywhereがこのアルバムに収録されるのは変わらず
#*顰蹙を買わなかったのか気になる。
#****DDRやbeatmania IIDXにも収録されていただろう
#*このため、車内のテーブルには灰皿が完備されていた。
#***Get Wildで初の週間1位を獲得した
#159系は、頻繁に急行列車に使用することを想定した造りになっている。
#****読売系アニメ「シティーハンター」のED曲なのは史実と同じ
#*別に碓氷峠対応とかではない。
#****Get Wildを収録したオリジナルアルバムを制作していた
#晩年は東京-伊豆間の急行や名古屋地区の快速(新快速の前身)に使われた。
#****BEMANIシリーズや太鼓の達人に収録されるのも史実と変わらない
#最後まで冷房が搭載されなかったらしい。
#***Gift for Fanksの収録曲が史実とやや異なっていたかも
#*それが災いして特に159系は1980年代前半に20年足らずで廃車された。全廃は155系よりも早かった。
#***KISS YOUのリリースとヒットは史実と同じ
 
#***アルバムのhumansystemのリリースは史実と同時期
===157系===
#****史実と違い国内で制作されたかも
#気動車準急日光を近代化し、[[東武特急]]に対抗するために生み出された車両。そのため日光形とも呼ばれる。
#****このアルバムからRESISTANCEがシングルにリカットされるのは史実と同じ
#*151系に準じる特急列車並みの設備を持った準急型車両として開発された。
#*****RESISTANCEは史実よりヒットした
#*東武の5700系に大差をつけ、その目論見は成功したかに見えたが、東武が151系を意識したDRCを開発してしまったので…
#*****RESISTANCEが毎日系ドラマ「痛快!ロックンロール通り」の主題歌なのは史実と変わらず
#*そのうち日光の一部は165系で運行され、日光方面の需要の減る冬季のみ運行だった特急ひびきが通年運行されることとなり、そちらが本業となる編成も現れた。
#***BEYOND THE TIMEは史実よりヒット
#現在も貴賓車用の車両が1両だけ残っているが、後継の[[東日本旅客鉄道/車両形式別#E655系|E655系]]も登場しているので、オンボロだけど廃車にするわけにもいかずとりあえず残してあるだけという感じになっている。
#****ガンダムの映画版の主題歌になるのは史実と変わらず
#153系同様こだまを代走したことがあったが、こちらの場合は特急型車両並みの設備ということで料金は据え置きにならなかった。
#*****作品に政治的要素があった場合は、BEYOND THE TIMEも史実より政治的・社会的な側面の強い歌詞になっていた。
#後継車両は185系…なのかなぁ。
#***SEVEN DAYS WARの発売は史実と同時期
#顔は153系を非貫通&半流線化したような姿。
#****史実よりヒットしただろう
#*個人的になんかちょっと真の抜けた印象がある。でもそれもいいと思う。
#****ぼくらの七日間戦争の主題歌なのは変わらず
#*後年117系にも引き継がれたような気もする。
#*****ぼくらの七日間戦争の内容が史実と大幅に異なっていた
#準急用として登場し特急用にまで2階級昇進したという点では[[wikipedia:ja:名鉄キハ8000系気動車|名鉄キハ8000系]]とも似ている。
#******登場人物には政治家や軍人も相当多い
#貴賓車用車両を除いて保存車が一切存在しない。もったいないような気が・・・
#******登場人物には暴力的な民主活動家も含まれていた
#下降窓が廃車を早める要因になった。
#******1998年の民主化後に、史実の原作小説と同様のストーリーが「アナザーストーリー」として登場していたかも
#*これがトラウマとなって国鉄は205系が登場するまで下降窓の採用が消極的になった。
#******アナザーストーリーの主題歌はおそらく小室哲哉単独作に
 
#***CAROLのリードシングルはJUST ONE VICTORYになっていた。
===165系・169系===
#****JUST ONE VICTORYのシングル版のリリースは1988年9月頃になっていた。
[[画像:KT169-S52-00.jpg|frame|復刻湘南色([[長野駅]]にて)]]
#****CAROLのレコーディングがロンドンで行われるのは史実と同じ。
#今は[[しなの鉄道]]と[[富士急行|富士急]]に譲渡された車両が残っている。
#*****この時の渡英経験で小室哲哉が飛鳥涼にロンドンでレコーディングを勧め、翌年のCHAGE&ASKAの渡英のきっかけになるのは史実と同じ。
#[[秩父鉄道]]に譲渡された車両は前面が原型を留めぬくらい改造された。
#****CAROLは史実よりアルバム曲重視になっていた。
#*下記ジョイフル化改造車に比べるとまだ原形をとどめている方。
#*****BEYOND THE TIME、SEVEN DAYS WAR、COME ON EVERYBODYは収録されなかった。
#113系や115系よりボックスシートが広い気がする。
#****CAROLの内容は史実と若干違っていた。
#エアサス台車装備だから113系や115より乗り心地はいい。
#****木根尚登がCAROLが題材の小説を執筆し発表するのは史実と同じ。
#[[ジョイフルトレイン]]の種車になった車両もいる。「PEA」(パノラマ・エクスプレス・アルプス…上述の通り富士急に譲渡された)とお座敷電車の「なのはな」
#*****史実以上のベストセラーとなり、三島由紀夫や石原慎太郎などの政界に進出している文豪からも注目された。
#*ナンバー不変だったけど内外装改装した[[京葉線]]臨時快速「シャトルマイハマ」も。京葉線から上越に転じ「α」(アルファ)に改造された。
#****CAROLを題材にしたオペラ形式のライブツアーを敢行するのも史実と同じ。
#**[[東海旅客鉄道|ここ]]にいた「ゆうゆう東海」も165系が種車。
#***COME ON EVERYBODYの発売は史実と同じ。
#クハ165・クモハ165だったかな?「S」という異常に狭い2人がけシートがある。
#****史実以上の売上を記録。週間チャートで1位を獲得した。
#実は[[新快速|白とスカイブルー]]塗装の車両もいた。
#****この楽曲で国営放送の紅白歌合戦に出場。
#ご多分に漏れず、急行全廃後は各地で普通列車運用に回った。
#*****紅白歌合戦の特別バージョンで披露されるのは史実と同じ。
#過去に大垣夜行や新宮夜行等で「一夜の宿」としてお世話になった「18きっぷ愛好家」も多いと思われる。
#*****このときのギター演奏をB'zの松本孝弘が担当するのも史実と同じ。
#記念すべきデビューは、何と157系を使った豪華な準急の格下げとしてだった。
#***木根尚登が松本孝弘の独立までエレキギターがエアギターだったのは史実と同じ。
#こちらも153系と同じくサロに簡易運転台が付いていた。
#***昭和天皇崩御によりTM NETWORKは1989年4月まで喪服でステージに立った。
#[[高崎線#上尾事件|キレた乗客によりボコボコにされてしまいました。]]
#****TM NETWORKにも喪服で歌うように行政からの要請が入った。
 
#****木根尚登が初めてメディアの前でサングラスを外して演奏したのが昭和天皇崩御時。
===167系===
#****天皇崩御による特別体制で初めて木根尚登の素顔が広く認知されるようになった。
[[画像:JNR 167.jpg|thumb|80px|モックアップ]]
#***1989年初旬に宇都宮隆がコンサート中に事故を起こし靭帯を損傷するのは史実と同じ。
#国鉄の修学旅行用電車第2弾。こちらは165系がベース。ただし車内はほぼ159系。
#****先述した天皇崩御による喪服でのステージでの靭帯損傷だったため史実以上に大変なことになっていた。
#*実は155系の最終増備から7ヶ月しか経っていない。
#***宇都宮隆の靭帯が完治するのは史実と同時期。
#**しかしその割には155系より20年も長生きした。
#***初のリミックスアルバムのDRESSが発売されるのは史実と同時期。
#角型ライトの改造車は何だか異様で不気味(特に湘南色)。ホーンが455系と違ってメッシュなせい?
#****先行シングルがCOME ON EVERYBODY、KISS YOU(KISS JAPAN)、GET WILD'89なのは史実と同じ。
 
#*****メディアで披露するのがGET WILD'89なのは史実と同じ。またこのGET WILD'89で1989年の国営放送の紅白歌合戦に出場した。
===381系===
#*****先行シングルが1989年4月15日に3枚同時リリースになるのも史実と同じ。
[[画像:381-Train.jpg|thumb|240px|スーパー<del>ゲロ</del>くろしお]]
#***この時期に小室哲哉は史実以上に様々な歌手やアイドルに楽曲提供を行った。
#国鉄初の振子式電車でアルミ車両。
#****渡辺美里への楽曲提供は継続して実施。
#ゲロしお。
#****光GENJIへも楽曲を実施し飛鳥涼に続く形で成功。
#*はくも。
#****TUBEにも1曲は楽曲を提供した可能性が高い。
#**リニューアルされた奴はぐったりやくもと言うらしい
#****中山美穂への楽曲提供も史実と変わらずに実施。
#***ぐったり吐くも
#*阿久悠、松本隆、筒美京平、橋本淳、秋元康は史実をも上回るヒットメーカーになっていた。
#*死なの。
#国策映画や国策音楽は戦後も多数制作された
#*振子式とはいえ、実は自然振子。カーブにかかると車体が思いっきり傾く。これで急カーブを高速走行→所要時間短縮につなげるはずだったが…。
#*戦前の国策映画の主題歌となった蘇州夜曲は史実以上に歌い継がれている。
#**後年にすべて強制振り子改造されて乗り心地が若干向上した。
#伝統芸能が戦後も伝承されるのは史実と変わらず
#*酔うのとり。
#*むしろ史実以上に伝承され現在に至る。
#*きの吐き。
#映画やドラマやアニメは以下のようになっていた。
#[[TOMIX]]から出ている模型が中古模型屋のジャンクコーナーでやたらと塚になっている気がする。
#*映画は戦後史実以上に流行するが、高度経済成長によるテレビの普及で衰退。
#重心低くする為窓が低い。クーラーも床下装備の為のっぺり屋根。
#**但し、1980年代以降の映画館のシネコン化やインターネットの普及によるテレビ業界の低迷で昨今復調するのは同じ。
#クハ381の貫通型が0番代・非貫通型が100番台だが、0番代は[[東海旅客鉄道|ここ]]にしかいなかった。
#**映画館のシネコン化は史実より早くに始まっていた。
#緑色6両編成の「やくも」に、日根野から借りてきた国鉄色の3両(先<Small>頭車</Small>中<Small>間車</Small>中<Small>間車</Small>)をくっ付けた変則的な萌え編成が誕生した。
#*東宝映画が阪急傘下なのは変わらず
#[[湖西線]]で高速試験を行ない180km/hを出した。実は国内在来線最速レコードを持つ。
#**帝国復古に反対した社内の集団が第2次東宝争議を起こしたかも
#287系と共に「北近畿ビッグXネットワーク」の置き換えに回るとか回らないとか。
#***第2次東宝争議が起きた場合、東宝は確実に行政からの懲罰を受けていた
#*183系置き換えに伴う「つなぎ」だったらしい。
#*東映が東急グループを離脱することはなかった
#**と思ったらまた復活。でも北陸新幹線開業までのつなぎとの説が有力。
#**石原軍団の映画を多数制作していた
 
#***史実以上に制作していただろう
===781系===
#**特撮作品の制作も多数行うのは変わりなし
#北海道専用の特急型電車。
#**朝日が資本参加することはなかった
#[[北海道旅客鉄道|JR北海道]]で初めて[[青函トンネル]]を走った電車。
#**経営拡大も史実より進んでいる
#実は本州に乗り入れたことがある。
#***シネコンのT・ジョイを展開するのは史実と変わらず
 
#****T・ジョイの展開は史実より進んでいるだろう
----
#**アニメ映画も史実より多数制作していた
{{日本国有鉄道}}
#*シネセゾンは西武映画として高度経済成長期には発足していた
 
#**流通系に属するのは変わらず
[[Category:日本国有鉄道の車両|てんしや]]
#***鉄道グループとの分裂がないので、西武鉄道やプリンスホテルとのコラボは盛んに行われる
#**1980年代にシネセゾンに改組
#**解散することなく現在まで存続
#***シネコンのセゾンシネマを全国展開している
#***ラブライブ!シリーズの映画版はここが制作し配給している
#[[もし海外のこんな法律が日本で採用されたら#タレントエージェンシー法|タレントエージェンシー法]]が成立し、その影響で芸能人による労組が結成されていた。
#*芸能人の労組の大半は同盟系であるが、史実の進歩的文化人及びそれに近い立場のタレントは総評系の労組に所属していた。
#**芸能労組が確実に物言う存在になるので同盟は現在も労働組合として存続している。当然総評との合併による連合の成立もない。
#*また、[[JASRACに言いたい|JASRAC]]のあり方も史実と異なっていた。
#**JASRAC自体は存在するが著作権管理の主体はアーティストの所属する労組にある。
#**またJASRACも同盟系の大手芸能労組の言いなりになっていた。
#*JASRAC以外にも著作権管理団体があったかもしれない。
#[[ゴジラシリーズ]]は幼児/少年層向けの国軍プロパガンダ映画として史実以上に親しまれている。
#*2004年で一旦シリーズ終了などということはありえない。
#*国の体制が史実と異なった影響でシン・ゴジラにも差異がいくらか出た。
#**蒲田くんの段階で機関銃の発砲及びミサイル攻撃が行われていた。
#**ゴジラ滅却のために用意された核ミサイル及び原潜は史実の作品と違い米軍ではなく新日本軍のものだった。
#**ヤシオリ作戦で使われた無人攻撃機群は日米混成部隊だった。
#**無人在来線爆弾には史実より多数の車種が登場していた。
#[[ウルトラシリーズ]]では防衛組織の代わりに新日本軍が登場していた。
#*史実における作品での架空銃・架空機の立ち位置に実際に使われている軍用機や銃が登場する。
#[[仮面ライダー]]シリーズは中国の抗日ドラマ的ポジションになっていた。
#*ショッカーは「ネオナチと共産主義者の連合組織」という設定になっていた。
#J-POP自体やテレビの音楽番組は史実以上に発展し、平成初期以降に史実のように衰退することもなかった。
#*国営放送は史実よりも音楽番組を積極的に制作し、若者向けの生中継の音楽番組も昭和後期から制作・放送している。
#*毎日系列のザ・ベストテンが放送を開始するのは史実より数年早い。また1989年9月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
#**放送開始は1973年頃
#**黒柳徹子がMCなのは史実と変わらず
#***2019年現在も黒柳徹子がMCを務めている
#****近藤真彦とのトークは史実以上の名物に
#****米米CLUBのブレイク後はカールスモーキー石井とのトークも名物になった
#***男性MCは史実のTBSテレビのアナウンサーに
#****初代男性MCは鈴木史朗が務めた
#****鈴木史朗の卒業後は久米宏が史実通りに担当する
#*****鈴木史朗の降板は1979年頃かと
#*****久米宏の卒業は史実と同時期(1985年頃)
#****久米宏の降板で松下賢次に男性MCが交代するのは史実と変わらず
#*****松下賢次が1989年1月で降板することはなかった
#******1992年3月頃まで司会を務めていた
#******渡辺正行が司会を務めることはなかった
#**番組開始からすぐの頃に井上陽水が連続でランクインするが本人が「恥ずかしくて出れません」と出演を辞退し、その伝言を鈴木史朗が代読していた。
#**1974年およげたいやきくんの連続1位記録は簡単に破られなかった
#***1977年にピンクレディーによってようやく破られていた
#****或いはキャンディーズの可能性もある
#****初期は沢田研二、野口五郎、郷ひろみ、キャンディーズ、ピンクレディーによる記録更新合戦が続いてた。
#**西城秀樹が最高得点を叩き出すのは史実と同時期
#**1981年に寺尾聰がルビーの指環で連続1位記録を更新しその後長らく記録は破られなかった。
#***1992年の米米CLUBの君がいるだけで、若しくは、1993年のCHAGE&ASKAのYAH YAH YAHでこの記録は破られた。
#**1980年頃は中島みゆきが頻繁にランクインするが出演を見合わせるのは不可避
#**松任谷由実も1981年頃から頻繁にランクインするがやはり出演を見合わせる
#**山口百恵を回顧する臨時のコーナーが1981年初旬の放送で設けられた
#**松田聖子や中森明菜は史実以上に頻繁にランクインした
#**近藤真彦や田原俊彦のランクインも史実以上に
#**河合奈保子や野村義男も史実より頻繁にランクインした
#***1990年代以降も頻繁にランクインし続けた
#**番組の出演歌唱者の各地からの中継も史実と同じ。
#***ライブ会場からの中継も多かった。
#***駅や空港からの中継は史実以上に多かった。
#**サザンオールスターズの初の1位は史実と同時期。
#**CHAGE and ASKAは1980年代後半に1位を獲得していた。
#**TM NETWORKも1980年代のあいだに1位を獲得できていた。
#**番組は1989年10月以降も継続した。
#***工藤静香のあの歌唱は史実ほど有名にならなかった。
#***B'zは1989年11月16日の放送でスポットライトに出演したのが最初だった。
#****ここではBAD COMMUNICATIONを唄った。
#****B'zが初めてザ・ベストテンでベスト10入りしたのは、1990年5月31日の放送だった。
#***Mr.Childrenは1993年12月2日のスポットライトへの出演が最初だった。
#****この楽曲でCROSSROADを披露した。CROSSROADは数週間後より長期間ベスト10に入り続けた。
#**1994年以降に最高得点が年に2~3回出るのが2000年頃まで続いた。
#***B'zはLOVE PHAMTOMで最高得点を叩き出していた。
#***globeもDEPERTURESで最高得点を叩き出していた。
#*読売系列のザ・トップテン→歌のトップテンも放送開始は史実より早く、また1990年3月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
#*産経系列の夜のヒットスタジオの放送開始は史実と同時期。1990年10月の放送終了はなく、2019年11月現在も放送を継続している。
#**夜ヒットが日本の他の音楽番組の制作に影響を与えるのは史実と変わらず。
#**共産党バンザイ事件はなかった
#**夜のヒットスタジオから夜のヒットスタジオDELUXEへのリニューアルは史実と変わらず。
#**夜のヒットスタジオSUPERへのリニューアルはなかった。
#**放送が当初は月曜日だったのが水曜日に変更になるのは史実と変わらず。
#**当初は前田武彦と芳村真理が司会だったのは変わらず。
#***前田武彦の共産党バンザイは共産党が非合法なのであり得ないが、共産主義を礼賛する発言を連発したのが問題となり、最終的には前田武彦の反共法違反での逮捕で降板した。
#***芳村真理が司会を一旦降板することはなかった
#**三波伸介がメイン司会者になるのは史実と変わらず
#**朝丘雪路が司会者になることはなかった
#**井上順が司会者になるのは史実より遅れるかも知れないが不可避
#***降板は史実より少し遅れそう
#***1990年以降に再登板した可能性もある
#**井上順の後継の司会者が古舘伊知郎なのは史実と変わらず。
#***1994年頃までには降板していた。
#**柴俊夫が司会者になるのは史実と同じ
#***降板することはなかった
#***2019年現在のメイン司会者かと
#**加賀まり子が司会者になることはなかった
#**1990年頃に八木亜希子が司会者に就任した
#***1996年頃に卒業という形で降板した
#***富永美樹が後継者となった
#****富永美樹は2002年頃に卒業という形で降板した
#*朝日系列のミュージックステーションの放送開始は史実と同時期
#**当初は関口宏が司会だったが、半年でタモリに司会が変わるのは史実と同じ
#**1990年代序盤~中盤に有賀さつきがサブ司会者だったのも史実と変わらず
#**1990年代後半からはテレビ朝日の若手女子アナがサブ司会者なのは変わらず
#**テレビ朝日の本局が大阪・東天満にあるため、大阪のスタジオから生中継された。
#***タモリはいいとも司会時代に金曜日のいいともの反省会が終わると即座に新幹線で大阪入りした。そしてミュージックステーションの反省会が終わると最終の新幹線若しくは夜行列車で東京に戻る。
#***史実の朝日放送の女子アナウンサーの一部がテレビ朝日のアナウンサーとしてミュージックステーションのサブ司会者を担当した。
#実写の映画にも史実とそれ相応の差異があった。
#*ミリタリー系や刑事系の映画は史実より相当制作され、同時に史実より相当流行っていた。
#**日本映画界でミリタリー系の映画が史実ほどタブー視されることはなかった。
#*恋愛系の映画が増えるのは史実と同時期。
#**流行るのは史実より若干遅れるが、その分史実以上に流行るようになる。
#*学園モノの映画は史実と同じく多数制作される。
#**但し中学校や高校を扱ったものが多く、大学や大学院を扱ったものは史実ほど増えなかった。
#***大学進学率が史実のように高くはならず、大学は今もエリートが行くところであるため。
#***高等専門学校を扱った映画は史実よりそれ相応に多かった。
#*コメディ系映画は史実より若干多く制作される。
#**コメディ系映画のバリエーションも史実より多様になっていた。
#*ドキュメンタリー映画は史実と同じように制作される。
#**公共事業を扱ったものドキュメンタリー映画は史実より多い。
[[Category:もし日本が権威主義化していたら|けいのう]]

2021年2月21日 (日) 05:28時点における版

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  1. 芸能界全体に史実とそれ相応の差異があるのは確実
    • 芸能界自体が史実より政財界とコネの強い業界になっていた
      • なかでもアイドルは自民党の政治家とのコネが強い
        • 極右や左派からはアイドルは史実以上に忌み嫌われる
    • 業界全体が史実より反共色の強い世界になっていた
      • 制作される作品で反共色の強いものは史実よりかなり多い
  2. 音楽界にも史実より多少或いは大幅な差異があった
    • 軍歌は史実ほど衰退しなかった
      • 平成以降も定期的に新しい軍歌が作られている。
    • 演歌や浪曲は1970年代まではそれ相応に聴かれていた。
    • 若者の演歌離れ・浪曲離れはいずれにせよ不可避
    • 大衆的な歌謡曲の発展は史実と変わらず
      • 舟木和夫、橋幸夫、西郷輝彦は史実通りブレイク
      • 内山田洋とクール・ファイブやザ・ゴールデン・カップスのブレイクも史実と変わらず
      • 加山雄三、石原裕次郎、小林旭も史実と同じかそれ以上にヒットを飛ばしただろう
    • 思想犯などの政治的犯罪で逮捕されたり引退を余儀なくされる音楽家は史実より多かった
      • 赤い鳥はプロデビューできなかった
      • ザ・フォーク・クルセダーズ解散後の加藤和彦は国家保安法違反で逮捕され、有罪判決を受けたのちに、海外へ亡命した。
        • イムジン河は当然放送できず。放送しようとなら史実以上の刑罰が関係者に下る。
    • フォークソングやそこから派生したニューミュージックが1970年代以降の音楽シーンを席巻するのは変わらず。更にそれが1980年代以降になってロックやポップスなどのJ-POPや和製のHR/HMやR&Bに発展して現在に至る。
      • 井上陽水のデビューとブレイクは史実と変わらず
        • アンドレ・カンドレでデビューするも全くの不振に終わるのは同じ。史実以上の不振に終わっただろう。
          • 井上陽水で再デビューして、傘がないなどをリリースしたのちに夢の中ででブレイクするのは史実と同じ。
          • 年代的にデビュー前に徴兵制による兵役を経験している。
        • 大麻所持をせずに済んだだろう。
          • 昭和50年代中盤の人気低迷はなかった。
        • なぜか上海は別のタイトルになっていた。楽曲も上海については唄われていない。
          • 台北か香港の可能性が高い。
      • 中島みゆきの音楽業界入りも史実と同時期
        • 初期は史実ほどヒットしないがわかれうたは史実以上にヒットする。
        • かなしみ笑いは史実以上にヒット
          • B面の霧に走るの「いっそこんな車壊れて~」は2019年現在史実以上にネット上で引用されている。
        • 悪女は史実よりかなりヒットした
      • (荒井由実→)松任谷由実の音楽業界入りは史実と同時期
        • 大学中退は史実より早まるだろう
        • 反共独裁政権と新左翼の学生運動の確執と攻防を第三者目線で描いた楽曲を複数発表していた。
        • 「いちご白書」をもう一度を制作することはなかった。
        • ひこうき雲と返事はいらないの制作は史実と同じ
          • 返事はいらないがデビュー曲なのは史実と同じ
        • 横浜での大規模な開発独裁の影響で海を見ていた午後の歌詞が壮大なものになっていた
        • あの日に帰りたいのヒットは史実と変わらず
          • 史実以上にヒットしたかも
        • 松任谷正隆との結婚は史実と変わらず
        • 1970年代終盤の低迷は史実と同じ
        • 守ってあげたいが久々のヒットとなるのは史実と同じ
          • 史実よりヒットした
      • 浜田省吾は史実よりヒット曲を量産していた
      • 大瀧詠一の音楽界での活躍は史実をも遥かに上回るものに
        • アジア太平洋地域の諸外国でもヒットを飛ばしていただろう
        • 森進一や小林旭への楽曲提供も史実と変わらない
      • 長渕剛の業界入りも史実と変わらないが、その経緯が史実と異なった可能性もある。
        • 九州産業大学への進学はなかったかあっても史実より早くに中退した
          • 大学進学がなかった場合はデビューが史実より早まっていた
        • 業界入りする前に志願兵として兵役を経験していた
        • 巡恋歌がデビュー曲かどうかは一概に言えない
          • 雨の嵐山が正式なデビュー曲になっていた可能性があるので
        • 順子でブレイクするのは史実と変わらず
          • これ以降なかなかヒットシングルに恵まれないのは史実と変わらず
          • アルバムは史実と同じかそれ以上にセールスを伸ばした
          • 1983年のGOOD-BYE青春が久々のヒットとなるのは史実と同じ
          • 孤独なハートは史実よりヒットした
        • 音楽番組には初期より史実より頻繁に出演していただろう
        • HUNGRYで初期のクリアな歌声から現在のしゃがれた歌声になるのは同じ
          • 久しぶりに俺は泣いたんだは史実よりヒットした
          • 勇次も史実よりヒット
        • 勇次以降に病に倒れることはなかった
          • そのためSTAY DREAMは史実と違いロック色の強い作品となった
      • サザンオールスターズの結成と業界入りも史実と変わらず
        • 但しデビュー前の動向が史実より慌ただしくなる
        • バンド名の変更回数は史実より減ったかもしれない
        • メンバーの約半数はデビュー前に志願兵として兵役を経験
          • メンバー全員が青年期に志願兵として兵役を経験した可能性もある
          • 年代的に徴兵制の対象だった可能性もあり
        • 勝手にシンドバッドでデビューするのは変わらず
          • 勝手にシンドバッドは反響は史実以上も売上は史実以下
          • 気分しだいで責めないでは史実ほどヒットせず
        • いとしのエリーは史実ほどヒットしなかった
        • デビューから数年はあまりヒットシングルに恵まれず
          • アルバムは史実と同じくヒットしたか場合によっては史実以上のヒットとなった
          • コンサートライブも連日連夜大盛況で、場合によってはすぐにチケットが入手困難に
          • アルバムのタイニイ・バブルスとステレオ太陽族のリードシングルもヒットしなかったが、アルバムは史実以上にヒットした。
            • C調言葉に御用心も史実ほどヒットしなかった。
            • タイニイ・バブルス収録の松田の子守唄は、原曲の赤い鳥の竹田の子守唄が発禁になるため別のタイトルになっていた。
            • 働けロックバンドの歌詞は史実より辛辣なものになっていた。
        • 1982年のチャコの海岸物語が久々のヒットシングルとなる。
        • 桑田佳祐と原由子の結婚は史実と変わらず
        • Ya Ya(あの時代を忘れない)は史実よりヒット
        • EMANONが不振に終わるのは史実と変わらず
          • アルバムの綺麗も史実ほどヒットしなかった
            • 史実で綺麗に収録されているかしの樹の下では検閲に引っかかり収録できなかった。
              • NUDE MAN収録の流れる雲を追いかけての歌詞も史実より修正が加わったかも。
                • ロッキード事件がないので、史実でロッキード事件について唄われたNUDE MANの歌詞が史実と大幅に異なっていた。
        • ミス・ブランニューデイは史実よりヒットした
        • BYE BYE MY LOVE(U are the one)も史実よりヒット
        • メロディも史実よりヒット
        • アルバムの人気者で行こうとKAMAMKURAの完成度は史実をも遥かに上回るものになった
          • 吉田拓郎の引退の噂はなく吉田拓郎の唄は制作されなかったかも
          • Computer Childrenは史実以上のハイテクサウンドを駆使した楽曲になっていた
        • 1983年を最後に紅白歌合戦の出場が長期間途絶えることはなかった
          • 1982年の紅白歌合戦での物議を醸す行動もなかった
          • 1984年はミス・ブランニューデイで出場していた
          • 1985年はBYE BYE MY LOVE(U are the one)で出場していた
        • 1985年を最後に原由子の産休で活動休止に入るのは変わらず
        • 1986年以降のサザンオールスターズはソロ活動に突入した
          • 桑田佳祐がKUWATA BANDを期間限定で結成するのは変わらず
            • 松田弘の参加も変わらず
            • KUWATA BANDの解散後の1987年の桑田佳祐と松田弘がソロ歌手として活動するのも史実と変わらず
        • サザンオールスターズの活動再開が10周年の1988年になるのは史実と同じ
          • 史実通りみんなのうたで再開
          • みんなのうたは史実以上にヒットした
          • みんなのうたを収録したオリジナルアルバムを1988年夏に発表
        • 1988年12月に史実にないオリジナルアルバムを発表
          • リードシングルが1988年9月と11月に発表
        • 1988年の国営放送の紅白歌合戦にも出場
        • 1989年1月上旬の昭和天皇崩御を受け、以降の3か月間は喪服でステージに立った
          • 昭和天皇へのレクイエムも制作した
        • 女神達への情歌のリリースは史実と同時期
          • クレームは史実ほどではなかった
          • クレームはあったが史実以上に掻き消されていた
      • チャゲ&飛鳥→CHAGE&ASKAのデビューも史実と同時期
        • チャゲも飛鳥涼も青年期に志願兵として兵役を経験
        • ユニット名はチャゲ&飛鳥からCHAGE&ASKAを経て、現在のCHAGE and ASKAに
          • 正式名称としてCHAGE&ASUKAを名乗ったことはなかった
            • レコードジャケットのクレジットのデザインとして名乗ったことはある。
        • ひとり咲きでデビューするのは変わらないが、史実以上の不振に終わる。
          • ひとり咲きで夜のヒットスタジオに出演することはなかった。
        • デビューのきっかけとなった流恋情歌も史実以上の不振に終わる
        • ファーストアルバムの風舞は史実以上の不振に終わった
          • このアルバムから私の愛した人がシングルにリカットされた
        • 万里の河でブレイクするのは史実と変わらず
          • 夜のヒットスタジオへの初出演も万里の河だった
          • 万里の河は史実よりもヒットした
          • 万里の河以降はなかなかヒットシングルに恵まれず
            • しかしコンサートライブはむしろ史実以上の大盛況で場合によってはチケットが発売からすぐに入手困難に
            • 万里の河以降のシングルはほとんど不振続きに終わったのは史実と同じだが、それでも男と女やオンリーロンリーは史実よりそれ相応にヒットした。
            • 熱い想いと北風物語は不振に終わったほか、1983年のシングルもどれも不振に終わった。
            • 南十字星がアルバムからシングルにリカットされた。
          • 1984年のMOON LIGHT BLUESと標的は史実よりはヒットしただろう。
        • 1985年の夏と秋に史実にないシングルをリリース
        • SUPER BESTは1985年12月頃のリリースになっていた。
        • Standing Ovationはリリースされなかった。
        • 1986年初旬に他者への提供曲のみで構成されたセルフカバーアルバムを発表していた。
          • 葛城ユキに提供したボヘミアンもこれに収録された。
        • チャゲアスは史実と同じく、当初は演歌フォークと呼ばれる演歌の要素を取り入れたフォーク調の作風の路線を行くが、1982年末辺りを契機にニューミュージックに路線変更し、更に1984年~1985年にJ-POPへと作風を変える路線変更を行った。
          • 真紅な動輪のサントラ盤の熱い想いまではフォーク調の作風だが、21世紀でニューミュージックになり、IN SIDEとZ=Oneで完全に演歌フォークから脱却しロック、ポップス、テクノなどのJ-POPに路線変更した。
            • 熱い想いが真紅な動輪の主題歌なのは史実と変わらず
            • TWILIGHT ZONEの歌詞が史実と異なる
        • 1986年にレコード会社をデビュー時のワーナーパイオニアからキャニオンレコードに移籍するのは変わらず。
        • キャニオンレコード移籍第1弾のシングルであるモーニングムーンは史実よりヒットした。
          • 財閥系大手企業のCMソングだっただろう。
        • 黄昏を待たずにも史実よりそれ相応にヒットした
          • こちらも大手財閥系企業のCMソングだった
            • もしその場合はモーニングムーンとタイアップ先が同じだった
        • Count Downと指環が泣いたも史実よりヒットした
          • どちらもドラマ主題歌に起用された可能性がある。
        • 1986年は国営放送の紅白歌合戦と産経の世界紅白にW出演した。
          • 紅白歌合戦ではモーニングムーンを唄い、世界紅白では指環が泣いたを唄った。
          • 世界紅白出場がアルバムのMr. ASIAを制作するきっかけとなるのは変わらず。
        • SAILOR MANは史実よりヒット
          • 日本航空のタイアップが付くのは同じ
        • ロマンシングヤードは史実よりヒット
          • 産経のミリタリードラマの主題歌に起用されたかと。
            • 主演は渡哲也か舘ひろし
        • 恋人はワイン色は史実よりヒット
          • テレビ朝日系列のドラマ「あぶない雑居カップル」の主題歌なのは史実と同じ。
            • チャゲアスが連ドラ主題歌を担当するのはこれが最初ではなかった。
        • アルバムのRHAPSODYは史実以上の売上を記録した。
          • レノンのミスキャストの歌詞が史実と違うかもしれない。
          • 狂想曲がシングルにリカットされるのは変わらず。
        • アルバムのENERGYも史実以上の売上を記録した。
          • 先行シングルはLove AffairとTrip
            • Love Affairのリリースは1988年7月頃
            • Tripは史実と同時期
        • 光GENJIへの楽曲提供は史実以上の成功を収める。
        • 昭和天皇崩御から約3か月間は喪服でステージに立つ
          • そのような指導がチャゲアスに限らず行政から入るだろう
          • 昭和天皇崩御に際してチャゲと飛鳥涼は公式のお悔やみのコメントを発表した。
            • 飛鳥涼は昭和天皇へのレクイエムを制作し発表した。
        • WALKの発表は史実と同時期
          • 発表時の評判は史実ほどではないが芳しくなかった。
          • 数作ぶりに週間チャートの上位10位圏外へのランクインとなったであろう。
          • 史実と同じく1992年に再発売されその時に高評価されただろう。
        • LOVE SONGは史実よりかなりヒット。
          • 1992年にリミックスされ再発売されるのは変わらず。
          • 1989年のLOVE SONGは民営化されなかった国鉄のタイアップが付いたかも。
        • 10周年のアルバムであるPRIDEは史実以上の売上。
          • 表題曲のPRIDEはチャゲアスファンはもちろん、ファンに限らずコアなリスナーからも史実以上の人気。
          • 天気予報の恋人の認知度も史実以上。
          • 砂時計のくびれた場所の認知度は史実以上だった。
        • アジア進出は昭和末期には行われる。
          • チャゲアスの大東亜共栄圏ツアーも1986年頃には定番に。
        • 1989年の10周年は史実以上に盛り上がった
        • チャゲがMULTI MAXを結成するのは史実と変わらず
          • 但し史実以上に副業的なものになっていた
        • 飛鳥涼が1989年秋に渡英するのは史実と変わらず
          • このときに史実にあったチャゲアス解散説の浮上はなかった
          • 1989年12月下旬にはチャゲも渡英した
          • 1989年の国営放送の紅白歌合戦にロンドンからの中継で白組から出場。LOVE SONGを披露。
          • 1990年初旬よりアルバムのSEE YA!をロンドンで制作するのは史実と変わらず。
            • チャゲアスの2人はロンドンにて労働党の支持者に喧嘩を吹っかけられた。
            • ロンドンのライブハウスでのコンサートは史実と変わらず。
            • SEE YA!の作風に史実と若干の差異があった。
              • リードシングルのDO YA DOは史実と変わらず
              • 水の部屋は史実以上に和のテイストが強くなった
              • モナリザの背中よりもは史実以上にデsジタル色が強くなった
                • ゼロの向こうのGOOD LUCKにも同じことが言える
              • YELLOW MENの歌詞は史実以上に辛辣なものに
                • ゼロの向こうのGOOD LUCKも
              • 太陽と埃の中では史実と変わらず
        • 1990年2月のバラードベストのリリースはおそらく史実と変わらず
        • 1990年3月に史実にないシングルをリリース
          • SEE YA!には収録されず
          • この時期に日本に帰国
        • 心のボールは福岡特別市の特別市制15周年の1987年か20周年の1992年に制作・発表された
        • 帰国後に積極的にメディアへの露出を行い、主にDO YA DOを唄う
        • ロンドンで制作したSEE YA!の発売は史実と同時期
          • アルバムを引っ提げてのコンサートツアーも行う
            • 韓国、台湾、香港での公演も設定された
        • 太陽と埃の中でがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
          • 史実と同じく産経系列のタイムスリーのED曲に
        • 1990年も光GENJIに楽曲提供を行った。また1991年以降も光GENJIへの定期的な楽曲提供を継続した。
        • 1991年のASKAソロのはじまりはいつも雨のミリオンセールスは史実と変わらず
          • 史実以上のセールスを伸ばした
          • 松下電器産業のコンポのhalfのタイアップ曲なのは史実と変わらず
        • バブル景気がないため、産経系ドラマ「101回目のプロポーズ」が制作されず、SAY YESのタイアップ先が史実と異なっていた。
          • 史実にない産経系のトレンディドラマの主題歌になった可能性が高い。
          • SAY YESのセールス自体も史実ほどは伸びなかった。
            • どんなに売り上げを伸ばしてもシングルミリオン止まり
            • それでもチャゲアス名義で初のミリオンシングルになったかも知れない
        • 僕はこの瞳で嘘をつくのシングル化は史実と変わらず
          • 史実と違いアルバムのリードシングルだったかも知れない。その場合はSAY YESとリリース順序が逆になっていた
        • アルバムのTREEの発売は史実と変わらず
          • 史実と変わらず、僕はこの瞳で嘘をつく、SAY YES、BIG TREEは収録
          • tomorrowの歌詞が史実とやや違っていた
          • 当初の予定通り、1991年9月21日に発売され史実の10月10日に遅れることはなかった
        • SAY YESや僕はこの瞳で嘘をつくのときは、史実と違いメディアに積極出演しこれらの楽曲を披露
        • 1991年12月下旬頃に史実にない新曲をシングルとしてリリース
        • 1992年3月25日のSUPER BEST 2の発売は史実と変わらず
          • このときのLOVE SONG '92の発表は変わらず
          • SUPER BEST 2には1989年のLOVE SONGと1992年のLOVE SONGの両方が収録された
        • ifの大ヒットは史実と変わらず
          • SAY YESがミリオンを達成していない場合は、こちらもミリオンセールスを記録することはなかった。
          • SAY YESがミリオンセールスを達成した場合は、タッチの差でミリオンセールスを達成した。
        • no no darlin'は史実以上にヒットし、週間1位も獲得していた。
          • GUYSがシングル候補だったがアルバムのタイトル曲に振り替えられるのは変わらず
          • GUYSの制作もロンドンで行われるのは史実と変わらず
        • GUYSと同じ日にGUYSとコンセプトの異なるトレンディな作風のアルバムを発表したかも
          • この場合、先行シングルが1992年の5月と9月にリリースされていただろう
        • YAH YAH YAHは史実以上のメガヒットとなる
          • チャゲアスの初のダブルミリオンシングルはYAH YAH YAHになっていた
          • 産経系ドラマ「振り返れば奴がいる」の主題歌なのは変わらず
          • 当然、YAH YAH YAHは週間1位を獲得
            • 史実のビーイング旋風がないので、週間1位をかなりの間にわたってキープした
          • 夢の番人はダブルA面ではなく同時発売になっていた
            • 夢の番人は週間10位に入るのが精一杯だった
          • 後にpop'n musicなどの音楽ゲームにも収録された
        • YAH YAH YAHでCHAGE&ASKAの地位は不動のものになった
          • それでも史実の1990年代前半のチャゲアス旋風はなかった
          • むしろ1990年代でチャゲアスが大いなる活躍を遂げるのは、史実の前半ではなく、史実ではソロが主体になった後半である。
        • Sons and Daughtersは史実よりヒットした。
          • 但し、富士重工業かセゾングループかのどちらかだけのタイアップになっていた
            • もうどちらかは史実に存在しない別の楽曲がタイアップ曲になっていた
          • カップリングのMr.Jの悲劇は岩より重いは歌詞と題名が異なるか、そもそも制作自体がされなかった
        • アルバムのRED HILLは史実より相当ヒットした
          • ダブルミリオンは確実視される
          • RED HILLは国際情勢も歌詞に交じっていたかも知れない
          • You are freeとなぜに君は帰らないがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
        • Knockはなぜに君は帰らないのカップリングではなく、シングル曲として1994年2月頃にリリースされた。
          • Knockがアナログ盤の通常盤が発売された最後のシングルとなった
      • TM NETWORKとglobeの活動とその経緯が史実と異なる。
        • 小室音楽は史実以上の支持を得ていた
        • 宇都宮隆と木根尚登がSPEEDWAYを結成するのは史実と同時期
          • 宇都宮隆は青年期に志願兵として兵役を経験
            • 木根尚登も実父の指示と宇都宮隆の誘いで志願兵として兵役を経験しただろう
          • SPEEDWAYに小室哲哉が加入するのは史実と同時期
        • SPEEDWAYが何のヒットもないまま1983年に解消するのも史実と同じ
        • SPEEDWAY解散後の小室哲哉と木根尚登とオーストラリア人ボーカリストの新ユニット構想はなかった。
        • SPEEDWAY解散後は小室哲哉は即座に宇都宮隆と木根尚登にTM NETWORK結成を呼び掛けた。小室のこの声に宇都宮と木根はすぐに応じて、TM NETWORKは結成された。
          • フレッシュサウンズコンテストで優勝しデビューの切符を掴むのは変わらず
        • 1984年4月21日のデビューは史実と同じ
          • 1stアルバムのRAINBOW RAINBOWの収録曲は史実以上に難解な歌詞が多かった。
            • 金曜日のライオンがデビューシングルになるのは変わらず
            • 1974のシングルへのリカットは史実と同じ
              • シングルジャケットに木根尚登の姿がないのも同じ
        • 木根尚登が坊主頭を拒否する代わりにサングラスをするのは史実と変わらず
        • ACCIDENTのリリースは史実と同時期
          • 作詞が松井五郎なのも史実と変わらず
          • ACCIDENTを収録したアルバムのCHILDHOOD'S ENDの発売時期も史実と同時期
          • CHILDHOOD'S END収録のDRAGON THE FESTIVALのリミックス版のシングルでのリリースも変わらず
            • YOUR SONG("D"Mix)と併せて12インチシングルとしてリリースされるのも史実と変わらず
        • 初期は阿久悠との楽曲制作も行った
        • 湯川れい子や秋元康もTM NETWORKの楽曲制作に参加した
        • 松井五郎との楽曲制作は史実よりかなり増えた
        • 神沢礼江や川村真澄との楽曲制作は変わらず
        • 小室みつ子との楽曲制作は史実以上
        • 澤地隆とも楽曲制作を行っていた
        • TWINKLE NIGHTの発売は史実と同時期
          • 表題曲のTWINKLE NIGHTの歌詞が史実と若干異なる
          • ELECTRIC PROPHETは史実とほぼ変わらず
          • YOUR SONGのアルバム版が収録されるのは史実と同じ
        • FANKSの単語の誕生時期は史実と変わらず。時期的にも史実と同時期。
        • 渡辺美里へ提供した楽曲が初ヒットになるのは史実と変わらず。
          • My Revolution、Teenage Walk、BELIEVEなど
        • 岡田有希子への楽曲提供も史実と変わらず
        • 福永恵規への楽曲提供も史実と同じ
        • デビュー直後の少年隊へも楽曲提供を行っていた
        • テレサ・テンへも楽曲提供を行う
        • 小林旭への楽曲提供も実施
        • 河合奈保子へも楽曲提供を行った
          • 河合奈保子とは楽曲の共同制作も行った
        • Come on Let's Danceの発売時期は史実と同時期
          • 歌詞が史実と少しだけ違う可能性もある
        • アルバムのGORILLAの発売は史実と変わらず
          • Come on Let's Danceが収録されるのも史実と同じ
        • GIRLの発売は史実と変わらず
        • All-Right All-Nightの発売は史実と変わらず。但し歌詞が史実と異なる可能性がある。
        • Self Controlの発売時期は史実と変わらず。
          • 週間チャートで10位圏内に初めて入ったのはSelf Controlだった
            • 何らかのCMのタイアップが付いていた
          • アルバムのSelf Controlも史実よりヒットした
            • Here,There&Everywhereがこのアルバムに収録されるのは変わらず
          • DDRやbeatmania IIDXにも収録されていただろう
        • Get Wildで初の週間1位を獲得した
          • 読売系アニメ「シティーハンター」のED曲なのは史実と同じ
          • Get Wildを収録したオリジナルアルバムを制作していた
          • BEMANIシリーズや太鼓の達人に収録されるのも史実と変わらない
        • Gift for Fanksの収録曲が史実とやや異なっていたかも
        • KISS YOUのリリースとヒットは史実と同じ
        • アルバムのhumansystemのリリースは史実と同時期
          • 史実と違い国内で制作されたかも
          • このアルバムからRESISTANCEがシングルにリカットされるのは史実と同じ
            • RESISTANCEは史実よりヒットした
            • RESISTANCEが毎日系ドラマ「痛快!ロックンロール通り」の主題歌なのは史実と変わらず
        • BEYOND THE TIMEは史実よりヒット
          • ガンダムの映画版の主題歌になるのは史実と変わらず
            • 作品に政治的要素があった場合は、BEYOND THE TIMEも史実より政治的・社会的な側面の強い歌詞になっていた。
        • SEVEN DAYS WARの発売は史実と同時期
          • 史実よりヒットしただろう
          • ぼくらの七日間戦争の主題歌なのは変わらず
            • ぼくらの七日間戦争の内容が史実と大幅に異なっていた
              • 登場人物には政治家や軍人も相当多い
              • 登場人物には暴力的な民主活動家も含まれていた
              • 1998年の民主化後に、史実の原作小説と同様のストーリーが「アナザーストーリー」として登場していたかも
              • アナザーストーリーの主題歌はおそらく小室哲哉単独作に
        • CAROLのリードシングルはJUST ONE VICTORYになっていた。
          • JUST ONE VICTORYのシングル版のリリースは1988年9月頃になっていた。
          • CAROLのレコーディングがロンドンで行われるのは史実と同じ。
            • この時の渡英経験で小室哲哉が飛鳥涼にロンドンでレコーディングを勧め、翌年のCHAGE&ASKAの渡英のきっかけになるのは史実と同じ。
          • CAROLは史実よりアルバム曲重視になっていた。
            • BEYOND THE TIME、SEVEN DAYS WAR、COME ON EVERYBODYは収録されなかった。
          • CAROLの内容は史実と若干違っていた。
          • 木根尚登がCAROLが題材の小説を執筆し発表するのは史実と同じ。
            • 史実以上のベストセラーとなり、三島由紀夫や石原慎太郎などの政界に進出している文豪からも注目された。
          • CAROLを題材にしたオペラ形式のライブツアーを敢行するのも史実と同じ。
        • COME ON EVERYBODYの発売は史実と同じ。
          • 史実以上の売上を記録。週間チャートで1位を獲得した。
          • この楽曲で国営放送の紅白歌合戦に出場。
            • 紅白歌合戦の特別バージョンで披露されるのは史実と同じ。
            • このときのギター演奏をB'zの松本孝弘が担当するのも史実と同じ。
        • 木根尚登が松本孝弘の独立までエレキギターがエアギターだったのは史実と同じ。
        • 昭和天皇崩御によりTM NETWORKは1989年4月まで喪服でステージに立った。
          • TM NETWORKにも喪服で歌うように行政からの要請が入った。
          • 木根尚登が初めてメディアの前でサングラスを外して演奏したのが昭和天皇崩御時。
          • 天皇崩御による特別体制で初めて木根尚登の素顔が広く認知されるようになった。
        • 1989年初旬に宇都宮隆がコンサート中に事故を起こし靭帯を損傷するのは史実と同じ。
          • 先述した天皇崩御による喪服でのステージでの靭帯損傷だったため史実以上に大変なことになっていた。
        • 宇都宮隆の靭帯が完治するのは史実と同時期。
        • 初のリミックスアルバムのDRESSが発売されるのは史実と同時期。
          • 先行シングルがCOME ON EVERYBODY、KISS YOU(KISS JAPAN)、GET WILD'89なのは史実と同じ。
            • メディアで披露するのがGET WILD'89なのは史実と同じ。またこのGET WILD'89で1989年の国営放送の紅白歌合戦に出場した。
            • 先行シングルが1989年4月15日に3枚同時リリースになるのも史実と同じ。
        • この時期に小室哲哉は史実以上に様々な歌手やアイドルに楽曲提供を行った。
          • 渡辺美里への楽曲提供は継続して実施。
          • 光GENJIへも楽曲を実施し飛鳥涼に続く形で成功。
          • TUBEにも1曲は楽曲を提供した可能性が高い。
          • 中山美穂への楽曲提供も史実と変わらずに実施。
    • 阿久悠、松本隆、筒美京平、橋本淳、秋元康は史実をも上回るヒットメーカーになっていた。
  3. 国策映画や国策音楽は戦後も多数制作された
    • 戦前の国策映画の主題歌となった蘇州夜曲は史実以上に歌い継がれている。
  4. 伝統芸能が戦後も伝承されるのは史実と変わらず
    • むしろ史実以上に伝承され現在に至る。
  5. 映画やドラマやアニメは以下のようになっていた。
    • 映画は戦後史実以上に流行するが、高度経済成長によるテレビの普及で衰退。
      • 但し、1980年代以降の映画館のシネコン化やインターネットの普及によるテレビ業界の低迷で昨今復調するのは同じ。
      • 映画館のシネコン化は史実より早くに始まっていた。
    • 東宝映画が阪急傘下なのは変わらず
      • 帝国復古に反対した社内の集団が第2次東宝争議を起こしたかも
        • 第2次東宝争議が起きた場合、東宝は確実に行政からの懲罰を受けていた
    • 東映が東急グループを離脱することはなかった
      • 石原軍団の映画を多数制作していた
        • 史実以上に制作していただろう
      • 特撮作品の制作も多数行うのは変わりなし
      • 朝日が資本参加することはなかった
      • 経営拡大も史実より進んでいる
        • シネコンのT・ジョイを展開するのは史実と変わらず
          • T・ジョイの展開は史実より進んでいるだろう
      • アニメ映画も史実より多数制作していた
    • シネセゾンは西武映画として高度経済成長期には発足していた
      • 流通系に属するのは変わらず
        • 鉄道グループとの分裂がないので、西武鉄道やプリンスホテルとのコラボは盛んに行われる
      • 1980年代にシネセゾンに改組
      • 解散することなく現在まで存続
        • シネコンのセゾンシネマを全国展開している
        • ラブライブ!シリーズの映画版はここが制作し配給している
  6. タレントエージェンシー法が成立し、その影響で芸能人による労組が結成されていた。
    • 芸能人の労組の大半は同盟系であるが、史実の進歩的文化人及びそれに近い立場のタレントは総評系の労組に所属していた。
      • 芸能労組が確実に物言う存在になるので同盟は現在も労働組合として存続している。当然総評との合併による連合の成立もない。
    • また、JASRACのあり方も史実と異なっていた。
      • JASRAC自体は存在するが著作権管理の主体はアーティストの所属する労組にある。
      • またJASRACも同盟系の大手芸能労組の言いなりになっていた。
    • JASRAC以外にも著作権管理団体があったかもしれない。
  7. ゴジラシリーズは幼児/少年層向けの国軍プロパガンダ映画として史実以上に親しまれている。
    • 2004年で一旦シリーズ終了などということはありえない。
    • 国の体制が史実と異なった影響でシン・ゴジラにも差異がいくらか出た。
      • 蒲田くんの段階で機関銃の発砲及びミサイル攻撃が行われていた。
      • ゴジラ滅却のために用意された核ミサイル及び原潜は史実の作品と違い米軍ではなく新日本軍のものだった。
      • ヤシオリ作戦で使われた無人攻撃機群は日米混成部隊だった。
      • 無人在来線爆弾には史実より多数の車種が登場していた。
  8. ウルトラシリーズでは防衛組織の代わりに新日本軍が登場していた。
    • 史実における作品での架空銃・架空機の立ち位置に実際に使われている軍用機や銃が登場する。
  9. 仮面ライダーシリーズは中国の抗日ドラマ的ポジションになっていた。
    • ショッカーは「ネオナチと共産主義者の連合組織」という設定になっていた。
  10. J-POP自体やテレビの音楽番組は史実以上に発展し、平成初期以降に史実のように衰退することもなかった。
    • 国営放送は史実よりも音楽番組を積極的に制作し、若者向けの生中継の音楽番組も昭和後期から制作・放送している。
    • 毎日系列のザ・ベストテンが放送を開始するのは史実より数年早い。また1989年9月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
      • 放送開始は1973年頃
      • 黒柳徹子がMCなのは史実と変わらず
        • 2019年現在も黒柳徹子がMCを務めている
          • 近藤真彦とのトークは史実以上の名物に
          • 米米CLUBのブレイク後はカールスモーキー石井とのトークも名物になった
        • 男性MCは史実のTBSテレビのアナウンサーに
          • 初代男性MCは鈴木史朗が務めた
          • 鈴木史朗の卒業後は久米宏が史実通りに担当する
            • 鈴木史朗の降板は1979年頃かと
            • 久米宏の卒業は史実と同時期(1985年頃)
          • 久米宏の降板で松下賢次に男性MCが交代するのは史実と変わらず
            • 松下賢次が1989年1月で降板することはなかった
              • 1992年3月頃まで司会を務めていた
              • 渡辺正行が司会を務めることはなかった
      • 番組開始からすぐの頃に井上陽水が連続でランクインするが本人が「恥ずかしくて出れません」と出演を辞退し、その伝言を鈴木史朗が代読していた。
      • 1974年およげたいやきくんの連続1位記録は簡単に破られなかった
        • 1977年にピンクレディーによってようやく破られていた
          • 或いはキャンディーズの可能性もある
          • 初期は沢田研二、野口五郎、郷ひろみ、キャンディーズ、ピンクレディーによる記録更新合戦が続いてた。
      • 西城秀樹が最高得点を叩き出すのは史実と同時期
      • 1981年に寺尾聰がルビーの指環で連続1位記録を更新しその後長らく記録は破られなかった。
        • 1992年の米米CLUBの君がいるだけで、若しくは、1993年のCHAGE&ASKAのYAH YAH YAHでこの記録は破られた。
      • 1980年頃は中島みゆきが頻繁にランクインするが出演を見合わせるのは不可避
      • 松任谷由実も1981年頃から頻繁にランクインするがやはり出演を見合わせる
      • 山口百恵を回顧する臨時のコーナーが1981年初旬の放送で設けられた
      • 松田聖子や中森明菜は史実以上に頻繁にランクインした
      • 近藤真彦や田原俊彦のランクインも史実以上に
      • 河合奈保子や野村義男も史実より頻繁にランクインした
        • 1990年代以降も頻繁にランクインし続けた
      • 番組の出演歌唱者の各地からの中継も史実と同じ。
        • ライブ会場からの中継も多かった。
        • 駅や空港からの中継は史実以上に多かった。
      • サザンオールスターズの初の1位は史実と同時期。
      • CHAGE and ASKAは1980年代後半に1位を獲得していた。
      • TM NETWORKも1980年代のあいだに1位を獲得できていた。
      • 番組は1989年10月以降も継続した。
        • 工藤静香のあの歌唱は史実ほど有名にならなかった。
        • B'zは1989年11月16日の放送でスポットライトに出演したのが最初だった。
          • ここではBAD COMMUNICATIONを唄った。
          • B'zが初めてザ・ベストテンでベスト10入りしたのは、1990年5月31日の放送だった。
        • Mr.Childrenは1993年12月2日のスポットライトへの出演が最初だった。
          • この楽曲でCROSSROADを披露した。CROSSROADは数週間後より長期間ベスト10に入り続けた。
      • 1994年以降に最高得点が年に2~3回出るのが2000年頃まで続いた。
        • B'zはLOVE PHAMTOMで最高得点を叩き出していた。
        • globeもDEPERTURESで最高得点を叩き出していた。
    • 読売系列のザ・トップテン→歌のトップテンも放送開始は史実より早く、また1990年3月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
    • 産経系列の夜のヒットスタジオの放送開始は史実と同時期。1990年10月の放送終了はなく、2019年11月現在も放送を継続している。
      • 夜ヒットが日本の他の音楽番組の制作に影響を与えるのは史実と変わらず。
      • 共産党バンザイ事件はなかった
      • 夜のヒットスタジオから夜のヒットスタジオDELUXEへのリニューアルは史実と変わらず。
      • 夜のヒットスタジオSUPERへのリニューアルはなかった。
      • 放送が当初は月曜日だったのが水曜日に変更になるのは史実と変わらず。
      • 当初は前田武彦と芳村真理が司会だったのは変わらず。
        • 前田武彦の共産党バンザイは共産党が非合法なのであり得ないが、共産主義を礼賛する発言を連発したのが問題となり、最終的には前田武彦の反共法違反での逮捕で降板した。
        • 芳村真理が司会を一旦降板することはなかった
      • 三波伸介がメイン司会者になるのは史実と変わらず
      • 朝丘雪路が司会者になることはなかった
      • 井上順が司会者になるのは史実より遅れるかも知れないが不可避
        • 降板は史実より少し遅れそう
        • 1990年以降に再登板した可能性もある
      • 井上順の後継の司会者が古舘伊知郎なのは史実と変わらず。
        • 1994年頃までには降板していた。
      • 柴俊夫が司会者になるのは史実と同じ
        • 降板することはなかった
        • 2019年現在のメイン司会者かと
      • 加賀まり子が司会者になることはなかった
      • 1990年頃に八木亜希子が司会者に就任した
        • 1996年頃に卒業という形で降板した
        • 富永美樹が後継者となった
          • 富永美樹は2002年頃に卒業という形で降板した
    • 朝日系列のミュージックステーションの放送開始は史実と同時期
      • 当初は関口宏が司会だったが、半年でタモリに司会が変わるのは史実と同じ
      • 1990年代序盤~中盤に有賀さつきがサブ司会者だったのも史実と変わらず
      • 1990年代後半からはテレビ朝日の若手女子アナがサブ司会者なのは変わらず
      • テレビ朝日の本局が大阪・東天満にあるため、大阪のスタジオから生中継された。
        • タモリはいいとも司会時代に金曜日のいいともの反省会が終わると即座に新幹線で大阪入りした。そしてミュージックステーションの反省会が終わると最終の新幹線若しくは夜行列車で東京に戻る。
        • 史実の朝日放送の女子アナウンサーの一部がテレビ朝日のアナウンサーとしてミュージックステーションのサブ司会者を担当した。
  11. 実写の映画にも史実とそれ相応の差異があった。
    • ミリタリー系や刑事系の映画は史実より相当制作され、同時に史実より相当流行っていた。
      • 日本映画界でミリタリー系の映画が史実ほどタブー視されることはなかった。
    • 恋愛系の映画が増えるのは史実と同時期。
      • 流行るのは史実より若干遅れるが、その分史実以上に流行るようになる。
    • 学園モノの映画は史実と同じく多数制作される。
      • 但し中学校や高校を扱ったものが多く、大学や大学院を扱ったものは史実ほど増えなかった。
        • 大学進学率が史実のように高くはならず、大学は今もエリートが行くところであるため。
        • 高等専門学校を扱った映画は史実よりそれ相応に多かった。
    • コメディ系映画は史実より若干多く制作される。
      • コメディ系映画のバリエーションも史実より多様になっていた。
    • ドキュメンタリー映画は史実と同じように制作される。
      • 公共事業を扱ったものドキュメンタリー映画は史実より多い。