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{{地域|name=中部|pref=埼玉|reg=関東|ruby=ちゅうぶ|eng=Chubu}}
==地域の噂==
{{埼玉/中部}}
#北足立地区北部にあたるが、最近北埼玉郡の一部も含んだ。
#*すでに昭和の大合併時に北埼玉郡との合併は経験済。
#この場合、県都のさいたま市も含んでいいのか?
#*中部・南部で分けているここの区分だと別枠で考えるべきかと思う。
===この地域の合併===
#実は昭和の大合併時代にはこのあたりの村たちが集まって巨大な市をつくろうって計画があった(らしい)。
#*そうなったときに市の中心は上尾か桶川かが話し合いの争点になった。
#*当時上尾のほうが'''ちょっとばかり'''(今は?)規模が大きく、負けるかもしれないと思った桶川は計画を潰して加納村と川田谷村を丸めこみ、まんまと自分を中心に合併した。
#*それで上尾は原市町や上平村などと合併した。
#**戦時合併を経験済であった伊奈はいち早く離脱した。
#**桶川と関わりが深い上平や大石との合併を目指して5町村での合併を目指したが、加納村のみしか巻き込めずに挫折。その後、桶川か上尾かで揺れた川田谷村が桶川の方が近かったことや合併方式を新設にすることに桶川側が同意したため、遅れて合併。上平村・大石村のうち桶川に近い地域で分離運動がおこり、上平村では分村の危機を免れたが、大石村では分村を余儀なくされ井戸木の北部が分離して現在に至る。
#*一方北本は桶川か鴻巣に編入される話があったが、独立したまま市になることに成功。こうして今の上尾市、桶川市、北本市、鴻巣市が誕生した。
#**北本(当時は北本宿村)の合併は鴻巣か桶川かではなく、鴻巣を中心とした大合併か常光村のみとの合併かの選択。結局、鴻巣中心の合併には合流せず、常光村のみとの合併を選択し、北本宿と常光を除いて鴻巣町成立。北本宿村と常光村で合併するかに思えたが、常光村で(元荒川)上流の鴻巣と合併しないと水が来なくなるという噂が流れ、鴻巣への編入を選択し合併は立ち消えに。
#平成の大合併の時にはほかの地域に漏れず合併話はあった。
#*桶川市が北本、桶川、伊奈、上尾での合併計画を立案。
#**北本が入ってるところがミソ。これで新市の中心になるって野望があったに違いない。
#***桶川から断らずに上尾・伊奈に断らせるために入れたにすぎない。
#*上尾と伊奈が北本も入れるのはちょっとというのでお二方ご機嫌をとるために北本をあっけなく削ぎ落す。
#*さいたま市に食われそうになった上尾市はうっぷんを晴らしたいのか「うちがあんたらを編入じゃなきゃいやや」とだだをこねた。
#**桶川が言い出したんだからが堂々と編入発言をした表向きの理由だが、圏央道の権益が欲しいが本音なのはいうまでもない。
#*桶川は断固反対、伊奈は最初は嫌がっていたがそのうちどーでもよくなってしまった。
#**おそらく元々合併する気はあまりなかったと思われる。
#***上尾は規模的にも合併する必要もないし、さいたま市との合併のときにかなり情緒的に煽った影響も少なからずあった。
#*結局空中分解。
#*このころ北のほうでは鴻巣市が吹上と川里を飲み込むことに成功。北本も入れてもらいたかったが、仲間外れにされてしまった。
#*桶川と北本の合併話も前の合併話がつぶれたばっかりだから駄目とかいうことをいっているうちに結局合併できなかった。
#昭和の合併の時のことがあってかこの地域は'''合併には不向き'''。
#*戦時合併が失敗していれば北本・伊奈はすんなり鴻巣・上尾になっていただろうに・・・


== 主な市の噂 ==
{{Pathnav2|もし日本が戦後しばらくして権威主義化していたら|芸能}}
*[[上尾市]]
#芸能界全体に史実とそれ相応の差異があるのは確実
*[[桶川市]]
#*芸能界自体が史実より政財界とコネの強い業界になっていた
*[[鴻巣市]]
#**なかでもアイドルは自民党の政治家とのコネが強い
 
#***極右や左派からはアイドルは史実以上に忌み嫌われる
==北本市の噂==
#*業界全体が史実より反共色の強い世界になっていた
*北本駅の噂については[[関東の駅/埼玉/中部#北本駅の噂|関東の駅/埼玉/中部]]を参照。
#**制作される作品で反共色の強いものは史実よりかなり多い
# 平成の大合併で、北隣の鴻巣市と南隣の桶川市の両方に合併話を持ち込んだが、両方に断られてちょっとかわいそうな市。
#音楽界にも史実より多少或いは大幅な差異があった
#*鴻巣も桶川も、対等合併になるのが嫌だっただけ、と言う説も…。
#*軍歌は史実ほど衰退しなかった
#**古い町ではないだけに実際の規模以上に過小評価されがちな面がある。
#**平成以降も定期的に新しい軍歌が作られている。
#**実際のところ、北本も桶川も自分たちが中心になるよう合併しようとして失敗。鴻巣は北本の返事が来ないので、痺れを切らして周辺部と適当に合併。
#*演歌や浪曲は1970年代まではそれ相応に聴かれていた。
#***桶川は北本に大して興味が無く、すぐに北本を外した枠組みでの合併で動いたが、さいたま市との合併騒動で合併に対してアレルギーが残る上尾の拒否に遭い挫折。
#*若者の演歌離れ・浪曲離れはいずれにせよ不可避
#野原一家の隣に住んでるおばさんの苗字。
#*大衆的な歌謡曲の発展は史実と変わらず
#*ちなみに反対側のお隣さん(ミッチー・ヨシリン)は鳩ケ谷である。
#**舟木和夫、橋幸夫、西郷輝彦は史実通りブレイク
#北本駅は東海道線から来る「特別快速」は停車するが、上野駅から来る「快速アーバン」は通過してしまう。大宮から先でこのような片方が停車・通過する駅は他にない。
#**内山田洋とクール・ファイブやザ・ゴールデン・カップスのブレイクも史実と変わらず
#*元々快速はすべて通過だったが、北本市がごねて快速アーバン一部停車を行った名残である。
#**加山雄三、石原裕次郎、小林旭も史実と同じかそれ以上にヒットを飛ばしただろう
#**鴻巣より利用客が多いこと快速停車を理由としていたが、利用客数では快速全通過の宮原に迫られ、抜かれるのも時間の問題になってきた。
#*思想犯などの政治的犯罪で逮捕されたり引退を余儀なくされる音楽家は史実より多かった
#***2006年ついに宮原駅が北本駅を抜き、宮原>北本>鴻巣に。
#**赤い鳥はプロデビューできなかった
#*そういえば、[[小田原駅|小田原]]出た後の特別快速で北本の到着時間案内してる車掌がいたなあ。小田原から果たして何人が北本まで行くのか知らないけど。
#**ザ・フォーク・クルセダーズ解散後の加藤和彦は国家保安法違反で逮捕され、有罪判決を受けたのちに、海外へ亡命した。
#*数ヶ月前、池袋駅を出た特別快速の車掌が「・・・大宮×時×分、北本×時×分、熊谷×時×分・・・」と言ってた。
#***イムジン河は当然放送できず。放送しようとなら史実以上の刑罰が関係者に下る。
#**しかし、上の例のように到着時間案内で北本の到着時間を言うことは'''めったに無く'''、大体は'''北本だけ飛ばす'''のがデフォである。
#*フォークソングやそこから派生したニューミュージックが1970年代以降の音楽シーンを席巻するのは変わらず。更にそれが1980年代以降になってロックやポップスなどのJ-POPや和製のHR/HMやR&Bに発展して現在に至る。
#***というか大体は熊谷以北が各駅停車になる前のアーバンの停車駅のみが読み上げられる。
#**井上陽水のデビューとブレイクは史実と変わらず
#計画中の新駅は「みなみ北本駅」と言う仮称だが変更されることを誰もが願っている。
#***アンドレ・カンドレでデビューするも全くの不振に終わるのは同じ。史実以上の不振に終わっただろう。
#*実は、二つ隣の「北上尾駅」より早い段階で計画されていた。
#****井上陽水で再デビューして、傘がないなどをリリースしたのちに夢の中ででブレイクするのは史実と同じ。
#**計画だけで本気で動く人間がいなかったので具体化しなかった。
#****年代的にデビュー前に徴兵制による兵役を経験している。
#**みなみ北本駅(仮称)事ム所は常にシャッターが下りてる。しかし一度だけ人が集まってるのを見たことがある。駅の話をしていたのかは知らないけど・・・
#***大麻所持をせずに済んだだろう。
#*「南北本」じゃだめなんかい?
#****昭和50年代中盤の人気低迷はなかった。
#**「なんぼくもと」??
#***なぜか上海は別のタイトルになっていた。楽曲も上海については唄われていない。
#**北なんだか南なんだかよくわからない。二ツ家にできるんだから「二ツ家駅」とかそーゆー発想はないのかねぇ。
#****台北か香港の可能性が高い。
#***とにかく北本市をアピールしたいということなのだろうが、特定名称を付け難い北上尾とは違ってあそこは二ツ家で全く問題なさそうなだけに本当にそう思う。
#**中島みゆきの音楽業界入りも史実と同時期
#**因みに、北本市北部に、「西東間踏切(にしあずまふみきり)」という踏切が存在する。北本市はこの手の名前が好きなようだ。
#***初期は史実ほどヒットしないがわかれうたは史実以上にヒットする。
#***ただし東間に関しては古くからある地名で北本や南北本とは異なる。
#***かなしみ笑いは史実以上にヒット
#***これを見ていたら、高尾の東側に西高尾という地名があることを思い出した。
#****B面の霧に走るの「いっそこんな車壊れて~」は2019年現在史実以上にネット上で引用されている。
#*設置に関して桶川に協力を要請しているが'''桶川も相手にするな'''(実際してないけど)。
#***悪女は史実よりかなりヒットした
#**桶川の「'''金も口も出さない'''」姿勢は常に一貫している。北上尾の時もそうだった。
#**(荒井由実→)松任谷由実の音楽業界入りは史実と同時期
#北本という名称は本鴻巣に由来する。
#***大学中退は史実より早まるだろう
#*「北本宿」の略。
#***反共独裁政権と新左翼の学生運動の確執と攻防を第三者目線で描いた楽曲を複数発表していた。
#**鴻巣(宿)→本鴻巣→本宿→北本宿→北本。したがって北本という宿場は存在しない。
#***「いちご白書」をもう一度を制作することはなかった。
#***本宿は浦和にあったから、そこからみて北側の本宿で北本宿。
#***ひこうき雲と返事はいらないの制作は史実と同じ
#****↑の書かれている浦和の本宿とは現在のさいたま市桜区南元宿。ちなみに埼玉県内には東本宿(川越市)、西本宿(東松山市)というのもある。こちらは比企郡内で区別するため。
#****返事はいらないがデビュー曲なのは史実と同じ
#[[大宮ナンバー]]であることを誇りに思っている。
#***横浜での大規模な開発独裁の影響で海を見ていた午後の歌詞が壮大なものになっていた
#[[画像:きたもと.png|150px|right|thumb|これが北本市の形]]「北本市はうさぎの形」と小学校で教え込まれる。
#***あの日に帰りたいのヒットは史実と変わらず
#*「犬が後ろ向いて吠えてる」と教わることもあり、喧嘩する。
#****史実以上にヒットしたかも
#*なんとなーく[[神奈川|神奈川県]]に似てる...。
#***松任谷正隆との結婚は史実と変わらず
#地元発祥の新興宗教団体「'''解脱会'''」にちなんで「'''解脱市'''」になりかけたことがある。
#***1970年代終盤の低迷は史実と同じ
#埼玉中部だというと[[東松山市|東松山]]のあたり?などと言われる。
#***守ってあげたいが久々のヒットとなるのは史実と同じ
#*言われないと思う。たしかに地理的には東松山あたりがちょうど真ん中ではあるが…
#****史実よりヒットした
#**[[荒川|埼玉中央分水界]]が無ければ妥当な気もする。距離的には近い。
#**浜田省吾は史実よりヒット曲を量産していた
#***なければそうだが実際あるわけで・・・
#**大瀧詠一の音楽界での活躍は史実をも遥かに上回るものに
#*因みに、東松山の方が有名なのが気に食わないので、「大宮と熊谷の真ん中くらい」と訂正しておく。こうしてじわりじわりと「北本>東松山」を浸透させていこうとしている。
#***アジア太平洋地域の諸外国でもヒットを飛ばしていただろう
#*座標でいえば確かに東松山は中部だが、普通荒川を境に西側は西部で認識される。東側は旧北足立郡と埼葛(旧南埼玉郡・北葛飾郡)が区別されて中部と東部に分けられ北足立郡域が中央地域=中部とするのが一般的。
#***森進一や小林旭への楽曲提供も史実と変わらない
#スポイトマン
#**長渕剛の業界入りも史実と変わらないが、その経緯が史実と異なった可能性もある。
#市民の大半がよそ者かその子孫(俺も
#***九州産業大学への進学はなかったかあっても史実より早くに中退した
#*そもそも埼玉県民というのは大半が県外出身者。
#****大学進学がなかった場合はデビューが史実より早まっていた
#*おかげで良くも悪くも近所づきあいは程々で済むので助かる。
#***業界入りする前に志願兵として兵役を経験していた
#噂の東京マガジンの噂の現場で北本市が税金で蕎麦屋を建てることの賛否をめぐる話題が放送された。北本市は市民に地元産のそばを味わってもらうために'''必要だ'''。一方市民は'''いらない'''。が全国に発信。
#***巡恋歌がデビュー曲かどうかは一概に言えない
#*そのあとで番組の展開は隣の町は花の栽培で成功してるのうんぬん。
#****雨の嵐山が正式なデビュー曲になっていた可能性があるので
#*さらにそのあとで'''実は北本はトマトの栽培で成功してるんだ'''と放送。さらにスタジオで出演者にトマト饅頭のお土産。当然のごとく'''おいしいですねぇ'''。
#***順子でブレイクするのは史実と変わらず
#**たぶんトマトのことは北本市がごねて圧力をかけて放送させたんだろうな。
#****これ以降なかなかヒットシングルに恵まれないのは史実と変わらず
#*前見たら結局ゼー金そば屋は開店してた。
#****アルバムは史実と同じかそれ以上にセールスを伸ばした
#ニューシャトルの延伸を密かに期待している。
#****1983年のGOOD-BYE青春が久々のヒットとなるのは史実と同じ
#*しかし北本市内に新幹線は通っていない。桶川を出ると鴻巣。
#****孤独なハートは史実よりヒットした
#**ただ、鴻巣への延伸はかなり建設費が高騰することは誰の目にも明らか。北本延伸で妥協する可能性も無きにしも非ず。
#***音楽番組には初期より史実より頻繁に出演していただろう
#***建設費高騰を理由にするならまず高崎線接続をあきらめると思う。鴻巣駅接続なら北本のほうが安いかもしれないが、上越新幹線に並行して免許センターまでなら北本駅接続より予算は安く済むはず。
#***HUNGRYで初期のクリアな歌声から現在のしゃがれた歌声になるのは同じ
#石戸蒲ザクラ
#****久しぶりに俺は泣いたんだは史実よりヒットした
#*結構前のカーナビにも名所の記号で載ってる。地形図にも載ってる。
#****勇次も史実よりヒット
#この付近ではあまり見かけないコンビニチェーンが結構ある。
#***勇次以降に病に倒れることはなかった
#*SHOP99とかデイリーヤマザキとかマイショップとか。
#****そのためSTAY DREAMは史実と違いロック色の強い作品となった
#**特にデイリーヤマザキはやたらと多い。北本駅東口に1店、西口に1店さらに中山道に2店。
#**サザンオールスターズの結成と業界入りも史実と変わらず
#**西口のSHOP99は閉店しました
#***但しデビュー前の動向が史実より慌ただしくなる
#**マイショップも最近は減少傾向。
#***バンド名の変更回数は史実より減ったかもしれない
#真東が東武動物公園
#***メンバーの約半数はデビュー前に志願兵として兵役を経験
#[[国道17号|17号]]下りの案内標識に一度も地名が出てこない。(上りは知らない)
#****メンバー全員が青年期に志願兵として兵役を経験した可能性もある
#*上りもない。
#****年代的に徴兵制の対象だった可能性もあり
#今何時?
#***勝手にシンドバッドでデビューするのは変わらず
#*かつらゆうじ
#****勝手にシンドバッドは反響は史実以上も売上は史実以下
#**つーか北本市民しか分からないよな、このネタ。
#****気分しだいで責めないでは史実ほどヒットせず
#市内に高速は通ってないが、30分も走ればICはいくつもある(東松山・久喜・桶川北本・川島など)。
#***いとしのエリーは史実ほどヒットしなかった
#*ちなみに、[[首都圏中央連絡自動車道|圏央道]]が二ツ家あたりを通る予定だが、北本市にはICはできない。
#***デビューから数年はあまりヒットシングルに恵まれず
#**桶川北本ICがあるのは桶川市川田谷。
#****アルバムは史実と同じくヒットしたか場合によっては史実以上のヒットとなった
#***元々JCTとして計画されていたため北本は入っていなかったが、ICとして開業したため桶川ICとの区別という名目で北本の名前を入れることに成功した。
#****コンサートライブも連日連夜大盛況で、場合によってはすぐにチケットが入手困難に
#*都内に行く場合、どこから高速に乗るか迷う。
#****アルバムのタイニイ・バブルスとステレオ太陽族のリードシングルもヒットしなかったが、アルバムは史実以上にヒットした。
#**普通は与野から首都高。17号の渋滞回避には久喜から東北道→首都高。桶川北本は都心側のアクセスが良くないのでパス。
#*****C調言葉に御用心も史実ほどヒットしなかった。
#***上尾道路がつながればここから与野に出るという選択肢が普通になるであろう。
#*****タイニイ・バブルス収録の松田の子守唄は、原曲の赤い鳥の竹田の子守唄が発禁になるため別のタイトルになっていた。
#[[江崎グリコ|道頓堀の看板でおなじみの会社]]の工場が出来る予定。
#*****働けロックバンドの歌詞は史実より辛辣なものになっていた。
#コミュニティバスの路線が北本市内にもいくつかあるが、それらは全て'''隣接自治体のお零れである'''。
#***1982年のチャコの海岸物語が久々のヒットシングルとなる。
#*鴻巣の「フラワー号」2路線と吉見の巡回バスが北本駅まで乗り入れ。また、桶川の「べにばなGO」も北本南部にバス停がある。
#***桑田佳祐と原由子の結婚は史実と変わらず
#最近、北本市が[[ラーメンファン]]にとっては目が離せない市になりつつある気がする。
#***Ya Ya(あの時代を忘れない)は史実よりヒット
#*以前から[[wikipedia:ja:佐野実|この人]]の弟子の店があったが、昨年になって[[ラーメン二郎|二郎系]]の店が登場。さらに、今春には大勝軒系の店も出店。
#***EMANONが不振に終わるのは史実と変わらず
#**その大勝軒系の店だが、店の名前自体は「優勝軒」。でも「大勝軒」の字が目立ち過ぎている。
#****アルバムの綺麗も史実ほどヒットしなかった
#*佐野実vs二郎vs大勝軒による「北本ラーメン戦争」が勃発することになるかもしれない。
#*****史実で綺麗に収録されているかしの樹の下では検閲に引っかかり収録できなかった。
#**中山道沿いの店は二郎インスパイアの大崎六厘舎系の店。同系列の鴻巣や東大宮と比べるとつけめんやまぜそばがないせいかその2店よりは幾分空いている。
#******NUDE MAN収録の流れる雲を追いかけての歌詞も史実より修正が加わったかも。
#埼玉県の市の中で一番影が薄いと思うのは気のせい?
#*******ロッキード事件がないので、史実でロッキード事件について唄われたNUDE MANの歌詞が史実と大幅に異なっていた。
#*まあ、桶川・鴻巣に埋もれることが多いからな・・・(by北本市民)
#***ミス・ブランニューデイは史実よりヒットした
#**北本という市名自体が鴻巣由来、普通だったら昭和の大合併あたりで鴻巣に吸収されてもおかしくなかったが、駅があったおかげで新たなまとまりを形成し独立を保てた。
#***BYE BYE MY LOVE(U are the one)も史実よりヒット
#駅前の駐輪場の料金が、上尾よりも高い。
#***メロディも史実よりヒット
#市内唯一のNTT収容局は「'''鴻巣北本'''局」
#***アルバムの人気者で行こうとKAMAMKURAの完成度は史実をも遥かに上回るものになった
#西口広場の木は図工の教科書に載っていた。
#****吉田拓郎の引退の噂はなく吉田拓郎の唄は制作されなかったかも
#*が切られた。
#****Computer Childrenは史実以上のハイテクサウンドを駆使した楽曲になっていた
#市役所がかなりボロいが、[[桶川市|隣]]にもっとボロい市役所があるので目立たない。
#***1983年を最後に紅白歌合戦の出場が長期間途絶えることはなかった
 
#****1982年の紅白歌合戦での物議を醸す行動もなかった
==北足立郡の噂==
#****1984年はミス・ブランニューデイで出場していた
#吹上町が合併により鴻巣市となり、伊奈町のみになった。無くなるのも時間の問題か?
#****1985年はBYE BYE MY LOVE(U are the one)で出場していた
#足立郡のうち埼玉県側が北足立郡。東京府側の南足立郡は現[[東京/足立区|足立区]]。
#***1985年を最後に原由子の産休で活動休止に入るのは変わらず
#もともと「[[埼玉/南部]]」にまで及ぶ郡だった。
#***1986年以降のサザンオールスターズはソロ活動に突入した
#*[[埼玉/西部]]にもちょこっと
#****桑田佳祐がKUWATA BANDを期間限定で結成するのは変わらず
#*[[西東京市#保谷|東京/北多摩]]にもちょこっと
#*****松田弘の参加も変わらず
#*[[草加市|埼玉/東部]]にもちょこっと
#*****KUWATA BANDの解散後の1987年の桑田佳祐と松田弘がソロ歌手として活動するのも史実と変わらず
#*本来埼玉には南部という地域割はないがさいたま市ができて中部が分断されてから便宜上使われ始めた。
#***サザンオールスターズの活動再開が10周年の1988年になるのは史実と同じ
 
#****史実通りみんなのうたで再開
===伊奈町の噂===
#****みんなのうたは史実以上にヒットした
[[画像:Uchijuku ST.png|thumb|240px|ニューシャトルの終点]]  
#****みんなのうたを収録したオリジナルアルバムを1988年夏に発表
#町が3つに分断されている。
#***1988年12月に史実にないオリジナルアルバムを発表
#*[[埼玉新都市交通|ニューシャトル]]が造られたのはそのためである。
#****リードシングルが1988年9月と11月に発表
#**最初は埼京線と同様に鉄道を造れという話だったが国鉄が拒否したため第3セクターの新交通システムになった。
#***1988年の国営放送の紅白歌合戦にも出場
#***そのままでは赤字確実だったので県が積極的にハコモノを充実させたため、伊奈町は急速に発展。ほとんど新幹線反対運動のなかった[[桶川市|桶川]]・[[久喜市#菖蒲の噂|菖蒲]]・[[鴻巣市|鴻巣]]といった以北の住民の中では反対しておけばよかったとの声も・・・
#***1989年1月上旬の昭和天皇崩御を受け、以降の3か月間は喪服でステージに立った
#*南部の「栄町・丸山」中部の「小室・志久・本町」北部の「寿町・小針・羽貫」が主要地域かね。
#****昭和天皇へのレクイエムも制作した
#「伊奈学園総合高校」という大学みたいに馬鹿でかい中高一貫校がある。なお、「学園」なんて付いてるが立派な公立学校である。
#***女神達への情歌のリリースは史実と同時期
#*ニューシャトルの経営のために、ここに造られた。
#****クレームは史実ほどではなかった
#**今は鉄道博物館で何とかなってるみたいだけど。
#****クレームはあったが史実以上に掻き消されていた
#*しかし大体の生徒は[[高崎線|JR高崎線]]北上尾駅から自転車で通学している。
#**チャゲ&飛鳥→CHAGE&ASKAのデビューも史実と同時期
#**「あげちゃり」
#***チャゲも飛鳥涼も青年期に志願兵として兵役を経験
#*各ハウスごとに生徒会長がいるので生徒会長が6人いるのは有名な話。
#***ユニット名はチャゲ&飛鳥からCHAGE&ASKAを経て、現在のCHAGE and ASKAに
#ニューシャトルの終点。
#****正式名称としてCHAGE&ASUKAを名乗ったことはなかった
#*運賃がとっても高いが通学の女子高生でごった返す。
#*****レコードジャケットのクレジットのデザインとして名乗ったことはある。
#*でも基本的にいもねーちゃんばっかり。
#***ひとり咲きでデビューするのは変わらないが、史実以上の不振に終わる。
#*活動家のせいで開業後、終点の内宿駅まで延伸させるのに7年かかった。
#****ひとり咲きで夜のヒットスタジオに出演することはなかった。
#**上空権
#***デビューのきっかけとなった流恋情歌も史実以上の不振に終わる
#*現在の発展はニューシャトルのおかげ。開業前は[[鴻巣市#旧吹上町の噂|吹上]]以下の人口しかいなかった。
#***ファーストアルバムの風舞は史実以上の不振に終わった
#やっと伊奈町初の大型ショッピングモール「ウニクス伊奈」がオープンした。
#****このアルバムから私の愛した人がシングルにリカットされた
#*場所は[[イトーヨーカドー|IY]]に捨てられた土地
#***万里の河でブレイクするのは史実と変わらず
#**かなりでかいよ。でも、此処に至るまでの道路が細すぎて渋滞ひどい。
#****夜のヒットスタジオへの初出演も万里の河だった
#**スーパーのヤオコー以外は、すごい安価な店ばかり。 …まぁ、土地の安さで引っ越してくる新婚さんや、小さな子供連れ家族ばかり(伊奈町の出生率は県内ではかなり高い)の土地だから、仕方ないか。ツタヤの本屋も、家事雑誌や育児雑誌、マタニティ雑誌の充実振りがすごいしなぁ。
#****万里の河は史実よりもヒットした
#伊奈は領主の名前である。
#****万里の河以降はなかなかヒットシングルに恵まれず
#*伊奈氏。家康と家光に非常に可愛がられた家系で、お家断絶の危機の時も家光の配慮によって、幕末まで家が続いた。
#*****しかしコンサートライブはむしろ史実以上の大盛況で場合によってはチケットが発売からすぐに入手困難に
#*その領主の苗字の由来は[[長野/上伊那|こ]][[長野/下伊那|こ]]。
#*****万里の河以降のシングルはほとんど不振続きに終わったのは史実と同じだが、それでも男と女やオンリーロンリーは史実よりそれ相応にヒットした。
#北足立郡で一番最後まで残った村であった。そして町としても最後の存在となった。
#*****熱い想いと北風物語は不振に終わったほか、1983年のシングルもどれも不振に終わった。
#[[茨城|茨城県]]の伊奈町が合併で無くなった。
#*****南十字星がアルバムからシングルにリカットされた。
#*茨城県の伊奈町は'''[[つくばみらい市]]'''に…同じ轍を踏まないことを祈る。
#****1984年のMOON LIGHT BLUESと標的は史実よりはヒットしただろう。
#**同じ轍って、上尾と合併して'''さいたまみらい市'''…? そりゃ嫌だわ。
#***1985年の夏と秋に史実にないシングルをリリース
#***上尾とだったらまず上尾市にしかならないと思うが、[[埼玉/東部#蓮田市の噂|蓮田]]あたりだと微妙にありえそうで怖い。
#***SUPER BESTは1985年12月頃のリリースになっていた。
#****伊奈町は合併しないで伊奈市を目指すらしーよ。
#***Standing Ovationはリリースされなかった。
#****最近は宅地開発が活発だし、実現不可能ではなさそうだ。
#***1986年初旬に他者への提供曲のみで構成されたセルフカバーアルバムを発表していた。
#*****あと1万人以上増やすのはかなりきついと思うが?
#****葛城ユキに提供したボヘミアンもこれに収録された。
#******'07年12月にいちおう4万人突破。
#***チャゲアスは史実と同じく、当初は演歌フォークと呼ばれる演歌の要素を取り入れたフォーク調の作風の路線を行くが、1982年末辺りを契機にニューミュージックに路線変更し、更に1984年~1985年にJ-POPへと作風を変える路線変更を行った。
#*******隣のA市とO市は3万ちょいで市になったという噂。
#****真紅な動輪のサントラ盤の熱い想いまではフォーク調の作風だが、21世紀でニューミュージックになり、IN SIDEとZ=Oneで完全に演歌フォークから脱却しロック、ポップス、テクノなどのJ-POPに路線変更した。
#********隣のH市も上に同じ。その時代の伊奈にとって3万人は夢のまた夢であったが…
#*****熱い想いが真紅な動輪の主題歌なのは史実と変わらず
#*****都心部への公共交通機関によるアクセスが極端に悪いので、市への昇格は一生無理。とくに栄地区は人口増加どころか若年層の町外流出が激しく、極端な住民の高齢化が進行している。
#*****TWILIGHT ZONEの歌詞が史実と異なる
#*****2010年国勢調査では'''人口増加率県内1位'''。とはいえ市になるまでにはあと8千人近く増えなければいけないのでかなり厳しいが・・・
#***1986年にレコード会社をデビュー時のワーナーパイオニアからキャニオンレコードに移籍するのは変わらず。
#イナックス(旧称・伊奈製陶)とは関係が無い。
#***キャニオンレコード移籍第1弾のシングルであるモーニングムーンは史実よりヒットした。
#*イナックスも伊奈町も名字の伊奈が由来。もしかしたら無関係ではないかも・・・
#****財閥系大手企業のCMソングだっただろう。
#愛知県にも「伊奈」がある。
#***黄昏を待たずにも史実よりそれ相応にヒットした
#志久駅に日本薬科大が出来たが、相変わらず町は微妙なまま、栄えていない。まぁ、学生は住みつかないからねぇ。
#****こちらも大手財閥系企業のCMソングだった
#最近はゴミの不法投棄が多いらしく、2007年秋より、地元住民の衛生委員による、ゴミ袋の中身覗きやパトロールが開始されてしまった。
#*****もしその場合はモーニングムーンとタイアップ先が同じだった
#町の北部だけしか発展してない。
#***Count Downと指環が泣いたも史実よりヒットした
#*以前は南部の栄町方面が蓮田駅とのアクセスが良く開発も活発だったが、最近は北部の開発が活発で小学校や保育園が新設された程。
#****どちらもドラマ主題歌に起用された可能性がある。
#**蓮田駅へのアクセスが良いといったって、けんちゃんバスが開通したのは開発が停滞してからの話であり、それ以前は蓮田駅から20~30分も、延々と歩かされていた。
#***1986年は国営放送の紅白歌合戦と産経の世界紅白にW出演した。
#*まあどっちも水田を埋め立てて開発した土地なので集中豪雨には警戒するべし。たまに道路冠水なんて事も起こる。
#****紅白歌合戦ではモーニングムーンを唄い、世界紅白では指環が泣いたを唄った。
#*伊奈町唯一の複線区間で始発もある丸山駅周辺は何故あんなに栄えないのだろうか?
#****世界紅白出場がアルバムのMr. ASIAを制作するきっかけとなるのは変わらず。
#伊奈はさいたま市との合併に賛成をしていたが、隣の上尾がさいたまとの合併に反対した事によって、伊奈がさいたまと飛び地になるのをいやがったため、伊奈は上尾の拒否のあおりによって、さいたま市になり損なった。
#***SAILOR MANは史実よりヒット
#上尾の認識では伊奈は上尾の植民地。
#****日本航空のタイアップが付くのは同じ
#*上尾に引っ越してきたばかりの人は「上尾市伊奈町」だと思ってる。
#***ロマンシングヤードは史実よりヒット
#**県外からの郵便物でも「上尾市伊奈町」で届く(実話)
#****産経のミリタリードラマの主題歌に起用されたかと。
#***上尾と伊奈はともに上尾郵便局の管轄だから。
#*****主演は渡哲也か舘ひろし
#*ただし上尾でも西の方だとあまり馴染みがないので、蓮田とセットな感じが強い。
#***恋人はワイン色は史実よりヒット
#「けんかつ」という名のでっかいハコモノがある。シャトルの駅から無料バスも出てる。
#****テレビ朝日系列のドラマ「あぶない雑居カップル」の主題歌なのは史実と同じ。
#*ただし、町民のほとんどはこのハコモノを「馬鹿デカい県立図書館」あるいは「伊奈学園の付帯施設」程度にしか思っていない。
#*****チャゲアスが連ドラ主題歌を担当するのはこれが最初ではなかった。
#大字小室がやたらでかい。
#***アルバムのRHAPSODYは史実以上の売上を記録した。
#町内唯一のNTT収容局は「'''上尾伊奈'''局」
#****レノンのミスキャストの歌詞が史実と違うかもしれない。
#ここ数年の間に高校野球の地区割りが南部→北部→東部とたらいまわしにされている。
#****狂想曲がシングルにリカットされるのは変わらず。
#最近になって「学園」という町名が出来た。
#***アルバムのENERGYも史実以上の売上を記録した。
#一方で志久や丸山は駅名にまでなっているのに町名になっていず、小字がかろうじて存在しているのみである。
#****先行シングルはLove AffairとTrip
#町なのに高校が3つも存在する。
#*****Love Affairのリリースは1988年7月頃
 
#*****Tripは史実と同時期
[[Category:埼玉|ちゆうふ]]
#***光GENJIへの楽曲提供は史実以上の成功を収める。
#***昭和天皇崩御から約3か月間は喪服でステージに立つ
#****そのような指導がチャゲアスに限らず行政から入るだろう
#****昭和天皇崩御に際してチャゲと飛鳥涼は公式のお悔やみのコメントを発表した。
#*****飛鳥涼は昭和天皇へのレクイエムを制作し発表した。
#***WALKの発表は史実と同時期
#****発表時の評判は史実ほどではないが芳しくなかった。
#****数作ぶりに週間チャートの上位10位圏外へのランクインとなったであろう。
#****史実と同じく1992年に再発売されその時に高評価されただろう。
#***LOVE SONGは史実よりかなりヒット。
#****1992年にリミックスされ再発売されるのは変わらず。
#****1989年のLOVE SONGは民営化されなかった国鉄のタイアップが付いたかも。
#***10周年のアルバムであるPRIDEは史実以上の売上。
#****表題曲のPRIDEはチャゲアスファンはもちろん、ファンに限らずコアなリスナーからも史実以上の人気。
#****天気予報の恋人の認知度も史実以上。
#****砂時計のくびれた場所の認知度は史実以上だった。
#***アジア進出は昭和末期には行われる。
#****チャゲアスの大東亜共栄圏ツアーも1986年頃には定番に。
#***1989年の10周年は史実以上に盛り上がった
#***チャゲがMULTI MAXを結成するのは史実と変わらず
#****但し史実以上に副業的なものになっていた
#***飛鳥涼が1989年秋に渡英するのは史実と変わらず
#****このときに史実にあったチャゲアス解散説の浮上はなかった
#****1989年12月下旬にはチャゲも渡英した
#****1989年の国営放送の紅白歌合戦にロンドンからの中継で白組から出場。LOVE SONGを披露。
#****1990年初旬よりアルバムのSEE YA!をロンドンで制作するのは史実と変わらず。
#*****チャゲアスの2人はロンドンにて労働党の支持者に喧嘩を吹っかけられた。
#*****ロンドンのライブハウスでのコンサートは史実と変わらず。
#*****SEE YA!の作風に史実と若干の差異があった。
#******リードシングルのDO YA DOは史実と変わらず
#******水の部屋は史実以上に和のテイストが強くなった
#******モナリザの背中よりもは史実以上にデsジタル色が強くなった
#*******ゼロの向こうのGOOD LUCKにも同じことが言える
#******YELLOW MENの歌詞は史実以上に辛辣なものに
#*******ゼロの向こうのGOOD LUCKも
#******太陽と埃の中では史実と変わらず
#***1990年2月のバラードベストのリリースはおそらく史実と変わらず
#***1990年3月に史実にないシングルをリリース
#****SEE YA!には収録されず
#****この時期に日本に帰国
#***心のボールは福岡特別市の特別市制15周年の1987年か20周年の1992年に制作・発表された
#***帰国後に積極的にメディアへの露出を行い、主にDO YA DOを唄う
#***ロンドンで制作したSEE YA!の発売は史実と同時期
#****アルバムを引っ提げてのコンサートツアーも行う
#*****韓国、台湾、香港での公演も設定された
#***太陽と埃の中でがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
#****史実と同じく産経系列のタイムスリーのED曲に
#***1990年も光GENJIに楽曲提供を行った。また1991年以降も光GENJIへの定期的な楽曲提供を継続した。
#***1991年のASKAソロのはじまりはいつも雨のミリオンセールスは史実と変わらず
#****史実以上のセールスを伸ばした
#****松下電器産業のコンポのhalfのタイアップ曲なのは史実と変わらず
#***バブル景気がないため、産経系ドラマ「101回目のプロポーズ」が制作されず、SAY YESのタイアップ先が史実と異なっていた。
#****史実にない産経系のトレンディドラマの主題歌になった可能性が高い。
#****SAY YESのセールス自体も史実ほどは伸びなかった。
#*****どんなに売り上げを伸ばしてもシングルミリオン止まり
#*****それでもチャゲアス名義で初のミリオンシングルになったかも知れない
#***僕はこの瞳で嘘をつくのシングル化は史実と変わらず
#****史実と違いアルバムのリードシングルだったかも知れない。その場合はSAY YESとリリース順序が逆になっていた
#***アルバムのTREEの発売は史実と変わらず
#****史実と変わらず、僕はこの瞳で嘘をつく、SAY YES、BIG TREEは収録
#****tomorrowの歌詞が史実とやや違っていた
#****当初の予定通り、1991年9月21日に発売され史実の10月10日に遅れることはなかった
#***SAY YESや僕はこの瞳で嘘をつくのときは、史実と違いメディアに積極出演しこれらの楽曲を披露
#***1991年12月下旬頃に史実にない新曲をシングルとしてリリース
#***1992年3月25日のSUPER BEST 2の発売は史実と変わらず
#****このときのLOVE SONG '92の発表は変わらず
#****SUPER BEST 2には1989年のLOVE SONGと1992年のLOVE SONGの両方が収録された
#***ifの大ヒットは史実と変わらず
#****SAY YESがミリオンを達成していない場合は、こちらもミリオンセールスを記録することはなかった。
#****SAY YESがミリオンセールスを達成した場合は、タッチの差でミリオンセールスを達成した。
#***no no darlin'は史実以上にヒットし、週間1位も獲得していた。
#****GUYSがシングル候補だったがアルバムのタイトル曲に振り替えられるのは変わらず
#****GUYSの制作もロンドンで行われるのは史実と変わらず
#***GUYSと同じ日にGUYSとコンセプトの異なるトレンディな作風のアルバムを発表したかも
#****この場合、先行シングルが1992年の5月と9月にリリースされていただろう
#***YAH YAH YAHは史実以上のメガヒットとなる
#****チャゲアスの初のダブルミリオンシングルはYAH YAH YAHになっていた
#****産経系ドラマ「振り返れば奴がいる」の主題歌なのは変わらず
#****当然、YAH YAH YAHは週間1位を獲得
#*****史実のビーイング旋風がないので、週間1位をかなりの間にわたってキープした
#****夢の番人はダブルA面ではなく同時発売になっていた
#*****夢の番人は週間10位に入るのが精一杯だった
#****後にpop'n musicなどの音楽ゲームにも収録された
#***YAH YAH YAHでCHAGE&ASKAの地位は不動のものになった
#****それでも史実の1990年代前半のチャゲアス旋風はなかった
#****むしろ1990年代でチャゲアスが大いなる活躍を遂げるのは、史実の前半ではなく、史実ではソロが主体になった後半である。
#***Sons and Daughtersは史実よりヒットした。
#****但し、富士重工業かセゾングループかのどちらかだけのタイアップになっていた
#*****もうどちらかは史実に存在しない別の楽曲がタイアップ曲になっていた
#****カップリングのMr.Jの悲劇は岩より重いは歌詞と題名が異なるか、そもそも制作自体がされなかった
#***アルバムのRED HILLは史実より相当ヒットした
#****ダブルミリオンは確実視される
#****RED HILLは国際情勢も歌詞に交じっていたかも知れない
#****You are freeとなぜに君は帰らないがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
#***Knockはなぜに君は帰らないのカップリングではなく、シングル曲として1994年2月頃にリリースされた。
#****Knockがアナログ盤の通常盤が発売された最後のシングルとなった
#**TM NETWORKとglobeの活動とその経緯が史実と異なる。
#***小室音楽は史実以上の支持を得ていた
#***宇都宮隆と木根尚登がSPEEDWAYを結成するのは史実と同時期
#****宇都宮隆は青年期に志願兵として兵役を経験
#*****木根尚登も実父の指示と宇都宮隆の誘いで志願兵として兵役を経験しただろう
#****SPEEDWAYに小室哲哉が加入するのは史実と同時期
#***SPEEDWAYが何のヒットもないまま1983年に解消するのも史実と同じ
#***SPEEDWAY解散後の小室哲哉と木根尚登とオーストラリア人ボーカリストの新ユニット構想はなかった。
#***SPEEDWAY解散後は小室哲哉は即座に宇都宮隆と木根尚登にTM NETWORK結成を呼び掛けた。小室のこの声に宇都宮と木根はすぐに応じて、TM NETWORKは結成された。
#****フレッシュサウンズコンテストで優勝しデビューの切符を掴むのは変わらず
#***1984年4月21日のデビューは史実と同じ
#****1stアルバムのRAINBOW RAINBOWの収録曲は史実以上に難解な歌詞が多かった。
#*****金曜日のライオンがデビューシングルになるのは変わらず
#*****1974のシングルへのリカットは史実と同じ
#******シングルジャケットに木根尚登の姿がないのも同じ
#***木根尚登が坊主頭を拒否する代わりにサングラスをするのは史実と変わらず
#***ACCIDENTのリリースは史実と同時期
#****作詞が松井五郎なのも史実と変わらず
#****ACCIDENTを収録したアルバムのCHILDHOOD'S ENDの発売時期も史実と同時期
#****CHILDHOOD'S END収録のDRAGON THE FESTIVALのリミックス版のシングルでのリリースも変わらず
#*****YOUR SONG("D"Mix)と併せて12インチシングルとしてリリースされるのも史実と変わらず
#***初期は阿久悠との楽曲制作も行った
#***湯川れい子や秋元康もTM NETWORKの楽曲制作に参加した
#***松井五郎との楽曲制作は史実よりかなり増えた
#***神沢礼江や川村真澄との楽曲制作は変わらず
#***小室みつ子との楽曲制作は史実以上
#***澤地隆とも楽曲制作を行っていた
#***TWINKLE NIGHTの発売は史実と同時期
#****表題曲のTWINKLE NIGHTの歌詞が史実と若干異なる
#****ELECTRIC PROPHETは史実とほぼ変わらず
#****YOUR SONGのアルバム版が収録されるのは史実と同じ
#***FANKSの単語の誕生時期は史実と変わらず。時期的にも史実と同時期。
#***渡辺美里へ提供した楽曲が初ヒットになるのは史実と変わらず。
#****My Revolution、Teenage Walk、BELIEVEなど
#***岡田有希子への楽曲提供も史実と変わらず
#***福永恵規への楽曲提供も史実と同じ
#***デビュー直後の少年隊へも楽曲提供を行っていた
#***テレサ・テンへも楽曲提供を行う
#***小林旭への楽曲提供も実施
#***河合奈保子へも楽曲提供を行った
#****河合奈保子とは楽曲の共同制作も行った
#***Come on Let's Danceの発売時期は史実と同時期
#****歌詞が史実と少しだけ違う可能性もある
#***アルバムのGORILLAの発売は史実と変わらず
#****Come on Let's Danceが収録されるのも史実と同じ
#***GIRLの発売は史実と変わらず
#***All-Right All-Nightの発売は史実と変わらず。但し歌詞が史実と異なる可能性がある。
#***Self Controlの発売時期は史実と変わらず。
#****週間チャートで10位圏内に初めて入ったのはSelf Controlだった
#*****何らかのCMのタイアップが付いていた
#****アルバムのSelf Controlも史実よりヒットした
#*****Here,There&Everywhereがこのアルバムに収録されるのは変わらず
#****DDRやbeatmania IIDXにも収録されていただろう
#***Get Wildで初の週間1位を獲得した
#****読売系アニメ「シティーハンター」のED曲なのは史実と同じ
#****Get Wildを収録したオリジナルアルバムを制作していた
#****BEMANIシリーズや太鼓の達人に収録されるのも史実と変わらない
#***Gift for Fanksの収録曲が史実とやや異なっていたかも
#***KISS YOUのリリースとヒットは史実と同じ
#***アルバムのhumansystemのリリースは史実と同時期
#****史実と違い国内で制作されたかも
#****このアルバムからRESISTANCEがシングルにリカットされるのは史実と同じ
#*****RESISTANCEは史実よりヒットした
#*****RESISTANCEが毎日系ドラマ「痛快!ロックンロール通り」の主題歌なのは史実と変わらず
#***BEYOND THE TIMEは史実よりヒット
#****ガンダムの映画版の主題歌になるのは史実と変わらず
#*****作品に政治的要素があった場合は、BEYOND THE TIMEも史実より政治的・社会的な側面の強い歌詞になっていた。
#***SEVEN DAYS WARの発売は史実と同時期
#****史実よりヒットしただろう
#****ぼくらの七日間戦争の主題歌なのは変わらず
#*****ぼくらの七日間戦争の内容が史実と大幅に異なっていた
#******登場人物には政治家や軍人も相当多い
#******登場人物には暴力的な民主活動家も含まれていた
#******1998年の民主化後に、史実の原作小説と同様のストーリーが「アナザーストーリー」として登場していたかも
#******アナザーストーリーの主題歌はおそらく小室哲哉単独作に
#***CAROLのリードシングルはJUST ONE VICTORYになっていた。
#****JUST ONE VICTORYのシングル版のリリースは1988年9月頃になっていた。
#****CAROLのレコーディングがロンドンで行われるのは史実と同じ。
#*****この時の渡英経験で小室哲哉が飛鳥涼にロンドンでレコーディングを勧め、翌年のCHAGE&ASKAの渡英のきっかけになるのは史実と同じ。
#****CAROLは史実よりアルバム曲重視になっていた。
#*****BEYOND THE TIME、SEVEN DAYS WAR、COME ON EVERYBODYは収録されなかった。
#****CAROLの内容は史実と若干違っていた。
#****木根尚登がCAROLが題材の小説を執筆し発表するのは史実と同じ。
#*****史実以上のベストセラーとなり、三島由紀夫や石原慎太郎などの政界に進出している文豪からも注目された。
#****CAROLを題材にしたオペラ形式のライブツアーを敢行するのも史実と同じ。
#***COME ON EVERYBODYの発売は史実と同じ。
#****史実以上の売上を記録。週間チャートで1位を獲得した。
#****この楽曲で国営放送の紅白歌合戦に出場。
#*****紅白歌合戦の特別バージョンで披露されるのは史実と同じ。
#*****このときのギター演奏をB'zの松本孝弘が担当するのも史実と同じ。
#***木根尚登が松本孝弘の独立までエレキギターがエアギターだったのは史実と同じ。
#***昭和天皇崩御によりTM NETWORKは1989年4月まで喪服でステージに立った。
#****TM NETWORKにも喪服で歌うように行政からの要請が入った。
#****木根尚登が初めてメディアの前でサングラスを外して演奏したのが昭和天皇崩御時。
#****天皇崩御による特別体制で初めて木根尚登の素顔が広く認知されるようになった。
#***1989年初旬に宇都宮隆がコンサート中に事故を起こし靭帯を損傷するのは史実と同じ。
#****先述した天皇崩御による喪服でのステージでの靭帯損傷だったため史実以上に大変なことになっていた。
#***宇都宮隆の靭帯が完治するのは史実と同時期。
#***初のリミックスアルバムのDRESSが発売されるのは史実と同時期。
#****先行シングルがCOME ON EVERYBODY、KISS YOU(KISS JAPAN)、GET WILD'89なのは史実と同じ。
#*****メディアで披露するのがGET WILD'89なのは史実と同じ。またこのGET WILD'89で1989年の国営放送の紅白歌合戦に出場した。
#*****先行シングルが1989年4月15日に3枚同時リリースになるのも史実と同じ。
#***この時期に小室哲哉は史実以上に様々な歌手やアイドルに楽曲提供を行った。
#****渡辺美里への楽曲提供は継続して実施。
#****光GENJIへも楽曲を実施し飛鳥涼に続く形で成功。
#****TUBEにも1曲は楽曲を提供した可能性が高い。
#****中山美穂への楽曲提供も史実と変わらずに実施。
#*阿久悠、松本隆、筒美京平、橋本淳、秋元康は史実をも上回るヒットメーカーになっていた。
#国策映画や国策音楽は戦後も多数制作された
#*戦前の国策映画の主題歌となった蘇州夜曲は史実以上に歌い継がれている。
#伝統芸能が戦後も伝承されるのは史実と変わらず
#*むしろ史実以上に伝承され現在に至る。
#映画やドラマやアニメは以下のようになっていた。
#*映画は戦後史実以上に流行するが、高度経済成長によるテレビの普及で衰退。
#**但し、1980年代以降の映画館のシネコン化やインターネットの普及によるテレビ業界の低迷で昨今復調するのは同じ。
#**映画館のシネコン化は史実より早くに始まっていた。
#*東宝映画が阪急傘下なのは変わらず
#**帝国復古に反対した社内の集団が第2次東宝争議を起こしたかも
#***第2次東宝争議が起きた場合、東宝は確実に行政からの懲罰を受けていた
#*東映が東急グループを離脱することはなかった
#**石原軍団の映画を多数制作していた
#***史実以上に制作していただろう
#**特撮作品の制作も多数行うのは変わりなし
#**朝日が資本参加することはなかった
#**経営拡大も史実より進んでいる
#***シネコンのT・ジョイを展開するのは史実と変わらず
#****T・ジョイの展開は史実より進んでいるだろう
#**アニメ映画も史実より多数制作していた
#*シネセゾンは西武映画として高度経済成長期には発足していた
#**流通系に属するのは変わらず
#***鉄道グループとの分裂がないので、西武鉄道やプリンスホテルとのコラボは盛んに行われる
#**1980年代にシネセゾンに改組
#**解散することなく現在まで存続
#***シネコンのセゾンシネマを全国展開している
#***ラブライブ!シリーズの映画版はここが制作し配給している
#[[もし海外のこんな法律が日本で採用されたら#タレントエージェンシー法|タレントエージェンシー法]]が成立し、その影響で芸能人による労組が結成されていた。
#*芸能人の労組の大半は同盟系であるが、史実の進歩的文化人及びそれに近い立場のタレントは総評系の労組に所属していた。
#**芸能労組が確実に物言う存在になるので同盟は現在も労働組合として存続している。当然総評との合併による連合の成立もない。
#*また、[[JASRACに言いたい|JASRAC]]のあり方も史実と異なっていた。
#**JASRAC自体は存在するが著作権管理の主体はアーティストの所属する労組にある。
#**またJASRACも同盟系の大手芸能労組の言いなりになっていた。
#*JASRAC以外にも著作権管理団体があったかもしれない。
#[[ゴジラシリーズ]]は幼児/少年層向けの国軍プロパガンダ映画として史実以上に親しまれている。
#*2004年で一旦シリーズ終了などということはありえない。
#*国の体制が史実と異なった影響でシン・ゴジラにも差異がいくらか出た。
#**蒲田くんの段階で機関銃の発砲及びミサイル攻撃が行われていた。
#**ゴジラ滅却のために用意された核ミサイル及び原潜は史実の作品と違い米軍ではなく新日本軍のものだった。
#**ヤシオリ作戦で使われた無人攻撃機群は日米混成部隊だった。
#**無人在来線爆弾には史実より多数の車種が登場していた。
#[[ウルトラシリーズ]]では防衛組織の代わりに新日本軍が登場していた。
#*史実における作品での架空銃・架空機の立ち位置に実際に使われている軍用機や銃が登場する。
#[[仮面ライダー]]シリーズは中国の抗日ドラマ的ポジションになっていた。
#*ショッカーは「ネオナチと共産主義者の連合組織」という設定になっていた。
#J-POP自体やテレビの音楽番組は史実以上に発展し、平成初期以降に史実のように衰退することもなかった。
#*国営放送は史実よりも音楽番組を積極的に制作し、若者向けの生中継の音楽番組も昭和後期から制作・放送している。
#*毎日系列のザ・ベストテンが放送を開始するのは史実より数年早い。また1989年9月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
#**放送開始は1973年頃
#**黒柳徹子がMCなのは史実と変わらず
#***2019年現在も黒柳徹子がMCを務めている
#****近藤真彦とのトークは史実以上の名物に
#****米米CLUBのブレイク後はカールスモーキー石井とのトークも名物になった
#***男性MCは史実のTBSテレビのアナウンサーに
#****初代男性MCは鈴木史朗が務めた
#****鈴木史朗の卒業後は久米宏が史実通りに担当する
#*****鈴木史朗の降板は1979年頃かと
#*****久米宏の卒業は史実と同時期(1985年頃)
#****久米宏の降板で松下賢次に男性MCが交代するのは史実と変わらず
#*****松下賢次が1989年1月で降板することはなかった
#******1992年3月頃まで司会を務めていた
#******渡辺正行が司会を務めることはなかった
#**番組開始からすぐの頃に井上陽水が連続でランクインするが本人が「恥ずかしくて出れません」と出演を辞退し、その伝言を鈴木史朗が代読していた。
#**1974年およげたいやきくんの連続1位記録は簡単に破られなかった
#***1977年にピンクレディーによってようやく破られていた
#****或いはキャンディーズの可能性もある
#****初期は沢田研二、野口五郎、郷ひろみ、キャンディーズ、ピンクレディーによる記録更新合戦が続いてた。
#**西城秀樹が最高得点を叩き出すのは史実と同時期
#**1981年に寺尾聰がルビーの指環で連続1位記録を更新しその後長らく記録は破られなかった。
#***1992年の米米CLUBの君がいるだけで、若しくは、1993年のCHAGE&ASKAのYAH YAH YAHでこの記録は破られた。
#**1980年頃は中島みゆきが頻繁にランクインするが出演を見合わせるのは不可避
#**松任谷由実も1981年頃から頻繁にランクインするがやはり出演を見合わせる
#**山口百恵を回顧する臨時のコーナーが1981年初旬の放送で設けられた
#**松田聖子や中森明菜は史実以上に頻繁にランクインした
#**近藤真彦や田原俊彦のランクインも史実以上に
#**河合奈保子や野村義男も史実より頻繁にランクインした
#***1990年代以降も頻繁にランクインし続けた
#**番組の出演歌唱者の各地からの中継も史実と同じ。
#***ライブ会場からの中継も多かった。
#***駅や空港からの中継は史実以上に多かった。
#**サザンオールスターズの初の1位は史実と同時期。
#**CHAGE and ASKAは1980年代後半に1位を獲得していた。
#**TM NETWORKも1980年代のあいだに1位を獲得できていた。
#**番組は1989年10月以降も継続した。
#***工藤静香のあの歌唱は史実ほど有名にならなかった。
#***B'zは1989年11月16日の放送でスポットライトに出演したのが最初だった。
#****ここではBAD COMMUNICATIONを唄った。
#****B'zが初めてザ・ベストテンでベスト10入りしたのは、1990年5月31日の放送だった。
#***Mr.Childrenは1993年12月2日のスポットライトへの出演が最初だった。
#****この楽曲でCROSSROADを披露した。CROSSROADは数週間後より長期間ベスト10に入り続けた。
#**1994年以降に最高得点が年に2~3回出るのが2000年頃まで続いた。
#***B'zはLOVE PHAMTOMで最高得点を叩き出していた。
#***globeもDEPERTURESで最高得点を叩き出していた。
#*読売系列のザ・トップテン→歌のトップテンも放送開始は史実より早く、また1990年3月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
#*産経系列の夜のヒットスタジオの放送開始は史実と同時期。1990年10月の放送終了はなく、2019年11月現在も放送を継続している。
#**夜ヒットが日本の他の音楽番組の制作に影響を与えるのは史実と変わらず。
#**共産党バンザイ事件はなかった
#**夜のヒットスタジオから夜のヒットスタジオDELUXEへのリニューアルは史実と変わらず。
#**夜のヒットスタジオSUPERへのリニューアルはなかった。
#**放送が当初は月曜日だったのが水曜日に変更になるのは史実と変わらず。
#**当初は前田武彦と芳村真理が司会だったのは変わらず。
#***前田武彦の共産党バンザイは共産党が非合法なのであり得ないが、共産主義を礼賛する発言を連発したのが問題となり、最終的には前田武彦の反共法違反での逮捕で降板した。
#***芳村真理が司会を一旦降板することはなかった
#**三波伸介がメイン司会者になるのは史実と変わらず
#**朝丘雪路が司会者になることはなかった
#**井上順が司会者になるのは史実より遅れるかも知れないが不可避
#***降板は史実より少し遅れそう
#***1990年以降に再登板した可能性もある
#**井上順の後継の司会者が古舘伊知郎なのは史実と変わらず。
#***1994年頃までには降板していた。
#**柴俊夫が司会者になるのは史実と同じ
#***降板することはなかった
#***2019年現在のメイン司会者かと
#**加賀まり子が司会者になることはなかった
#**1990年頃に八木亜希子が司会者に就任した
#***1996年頃に卒業という形で降板した
#***富永美樹が後継者となった
#****富永美樹は2002年頃に卒業という形で降板した
#*朝日系列のミュージックステーションの放送開始は史実と同時期
#**当初は関口宏が司会だったが、半年でタモリに司会が変わるのは史実と同じ
#**1990年代序盤~中盤に有賀さつきがサブ司会者だったのも史実と変わらず
#**1990年代後半からはテレビ朝日の若手女子アナがサブ司会者なのは変わらず
#**テレビ朝日の本局が大阪・東天満にあるため、大阪のスタジオから生中継された。
#***タモリはいいとも司会時代に金曜日のいいともの反省会が終わると即座に新幹線で大阪入りした。そしてミュージックステーションの反省会が終わると最終の新幹線若しくは夜行列車で東京に戻る。
#***史実の朝日放送の女子アナウンサーの一部がテレビ朝日のアナウンサーとしてミュージックステーションのサブ司会者を担当した。
#実写の映画にも史実とそれ相応の差異があった。
#*ミリタリー系や刑事系の映画は史実より相当制作され、同時に史実より相当流行っていた。
#**日本映画界でミリタリー系の映画が史実ほどタブー視されることはなかった。
#*恋愛系の映画が増えるのは史実と同時期。
#**流行るのは史実より若干遅れるが、その分史実以上に流行るようになる。
#*学園モノの映画は史実と同じく多数制作される。
#**但し中学校や高校を扱ったものが多く、大学や大学院を扱ったものは史実ほど増えなかった。
#***大学進学率が史実のように高くはならず、大学は今もエリートが行くところであるため。
#***高等専門学校を扱った映画は史実よりそれ相応に多かった。
#*コメディ系映画は史実より若干多く制作される。
#**コメディ系映画のバリエーションも史実より多様になっていた。
#*ドキュメンタリー映画は史実と同じように制作される。
#**公共事業を扱ったものドキュメンタリー映画は史実より多い。
[[Category:もし日本が権威主義化していたら|けいのう]]

2021年2月21日 (日) 05:28時点における版

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  1. 芸能界全体に史実とそれ相応の差異があるのは確実
    • 芸能界自体が史実より政財界とコネの強い業界になっていた
      • なかでもアイドルは自民党の政治家とのコネが強い
        • 極右や左派からはアイドルは史実以上に忌み嫌われる
    • 業界全体が史実より反共色の強い世界になっていた
      • 制作される作品で反共色の強いものは史実よりかなり多い
  2. 音楽界にも史実より多少或いは大幅な差異があった
    • 軍歌は史実ほど衰退しなかった
      • 平成以降も定期的に新しい軍歌が作られている。
    • 演歌や浪曲は1970年代まではそれ相応に聴かれていた。
    • 若者の演歌離れ・浪曲離れはいずれにせよ不可避
    • 大衆的な歌謡曲の発展は史実と変わらず
      • 舟木和夫、橋幸夫、西郷輝彦は史実通りブレイク
      • 内山田洋とクール・ファイブやザ・ゴールデン・カップスのブレイクも史実と変わらず
      • 加山雄三、石原裕次郎、小林旭も史実と同じかそれ以上にヒットを飛ばしただろう
    • 思想犯などの政治的犯罪で逮捕されたり引退を余儀なくされる音楽家は史実より多かった
      • 赤い鳥はプロデビューできなかった
      • ザ・フォーク・クルセダーズ解散後の加藤和彦は国家保安法違反で逮捕され、有罪判決を受けたのちに、海外へ亡命した。
        • イムジン河は当然放送できず。放送しようとなら史実以上の刑罰が関係者に下る。
    • フォークソングやそこから派生したニューミュージックが1970年代以降の音楽シーンを席巻するのは変わらず。更にそれが1980年代以降になってロックやポップスなどのJ-POPや和製のHR/HMやR&Bに発展して現在に至る。
      • 井上陽水のデビューとブレイクは史実と変わらず
        • アンドレ・カンドレでデビューするも全くの不振に終わるのは同じ。史実以上の不振に終わっただろう。
          • 井上陽水で再デビューして、傘がないなどをリリースしたのちに夢の中ででブレイクするのは史実と同じ。
          • 年代的にデビュー前に徴兵制による兵役を経験している。
        • 大麻所持をせずに済んだだろう。
          • 昭和50年代中盤の人気低迷はなかった。
        • なぜか上海は別のタイトルになっていた。楽曲も上海については唄われていない。
          • 台北か香港の可能性が高い。
      • 中島みゆきの音楽業界入りも史実と同時期
        • 初期は史実ほどヒットしないがわかれうたは史実以上にヒットする。
        • かなしみ笑いは史実以上にヒット
          • B面の霧に走るの「いっそこんな車壊れて~」は2019年現在史実以上にネット上で引用されている。
        • 悪女は史実よりかなりヒットした
      • (荒井由実→)松任谷由実の音楽業界入りは史実と同時期
        • 大学中退は史実より早まるだろう
        • 反共独裁政権と新左翼の学生運動の確執と攻防を第三者目線で描いた楽曲を複数発表していた。
        • 「いちご白書」をもう一度を制作することはなかった。
        • ひこうき雲と返事はいらないの制作は史実と同じ
          • 返事はいらないがデビュー曲なのは史実と同じ
        • 横浜での大規模な開発独裁の影響で海を見ていた午後の歌詞が壮大なものになっていた
        • あの日に帰りたいのヒットは史実と変わらず
          • 史実以上にヒットしたかも
        • 松任谷正隆との結婚は史実と変わらず
        • 1970年代終盤の低迷は史実と同じ
        • 守ってあげたいが久々のヒットとなるのは史実と同じ
          • 史実よりヒットした
      • 浜田省吾は史実よりヒット曲を量産していた
      • 大瀧詠一の音楽界での活躍は史実をも遥かに上回るものに
        • アジア太平洋地域の諸外国でもヒットを飛ばしていただろう
        • 森進一や小林旭への楽曲提供も史実と変わらない
      • 長渕剛の業界入りも史実と変わらないが、その経緯が史実と異なった可能性もある。
        • 九州産業大学への進学はなかったかあっても史実より早くに中退した
          • 大学進学がなかった場合はデビューが史実より早まっていた
        • 業界入りする前に志願兵として兵役を経験していた
        • 巡恋歌がデビュー曲かどうかは一概に言えない
          • 雨の嵐山が正式なデビュー曲になっていた可能性があるので
        • 順子でブレイクするのは史実と変わらず
          • これ以降なかなかヒットシングルに恵まれないのは史実と変わらず
          • アルバムは史実と同じかそれ以上にセールスを伸ばした
          • 1983年のGOOD-BYE青春が久々のヒットとなるのは史実と同じ
          • 孤独なハートは史実よりヒットした
        • 音楽番組には初期より史実より頻繁に出演していただろう
        • HUNGRYで初期のクリアな歌声から現在のしゃがれた歌声になるのは同じ
          • 久しぶりに俺は泣いたんだは史実よりヒットした
          • 勇次も史実よりヒット
        • 勇次以降に病に倒れることはなかった
          • そのためSTAY DREAMは史実と違いロック色の強い作品となった
      • サザンオールスターズの結成と業界入りも史実と変わらず
        • 但しデビュー前の動向が史実より慌ただしくなる
        • バンド名の変更回数は史実より減ったかもしれない
        • メンバーの約半数はデビュー前に志願兵として兵役を経験
          • メンバー全員が青年期に志願兵として兵役を経験した可能性もある
          • 年代的に徴兵制の対象だった可能性もあり
        • 勝手にシンドバッドでデビューするのは変わらず
          • 勝手にシンドバッドは反響は史実以上も売上は史実以下
          • 気分しだいで責めないでは史実ほどヒットせず
        • いとしのエリーは史実ほどヒットしなかった
        • デビューから数年はあまりヒットシングルに恵まれず
          • アルバムは史実と同じくヒットしたか場合によっては史実以上のヒットとなった
          • コンサートライブも連日連夜大盛況で、場合によってはすぐにチケットが入手困難に
          • アルバムのタイニイ・バブルスとステレオ太陽族のリードシングルもヒットしなかったが、アルバムは史実以上にヒットした。
            • C調言葉に御用心も史実ほどヒットしなかった。
            • タイニイ・バブルス収録の松田の子守唄は、原曲の赤い鳥の竹田の子守唄が発禁になるため別のタイトルになっていた。
            • 働けロックバンドの歌詞は史実より辛辣なものになっていた。
        • 1982年のチャコの海岸物語が久々のヒットシングルとなる。
        • 桑田佳祐と原由子の結婚は史実と変わらず
        • Ya Ya(あの時代を忘れない)は史実よりヒット
        • EMANONが不振に終わるのは史実と変わらず
          • アルバムの綺麗も史実ほどヒットしなかった
            • 史実で綺麗に収録されているかしの樹の下では検閲に引っかかり収録できなかった。
              • NUDE MAN収録の流れる雲を追いかけての歌詞も史実より修正が加わったかも。
                • ロッキード事件がないので、史実でロッキード事件について唄われたNUDE MANの歌詞が史実と大幅に異なっていた。
        • ミス・ブランニューデイは史実よりヒットした
        • BYE BYE MY LOVE(U are the one)も史実よりヒット
        • メロディも史実よりヒット
        • アルバムの人気者で行こうとKAMAMKURAの完成度は史実をも遥かに上回るものになった
          • 吉田拓郎の引退の噂はなく吉田拓郎の唄は制作されなかったかも
          • Computer Childrenは史実以上のハイテクサウンドを駆使した楽曲になっていた
        • 1983年を最後に紅白歌合戦の出場が長期間途絶えることはなかった
          • 1982年の紅白歌合戦での物議を醸す行動もなかった
          • 1984年はミス・ブランニューデイで出場していた
          • 1985年はBYE BYE MY LOVE(U are the one)で出場していた
        • 1985年を最後に原由子の産休で活動休止に入るのは変わらず
        • 1986年以降のサザンオールスターズはソロ活動に突入した
          • 桑田佳祐がKUWATA BANDを期間限定で結成するのは変わらず
            • 松田弘の参加も変わらず
            • KUWATA BANDの解散後の1987年の桑田佳祐と松田弘がソロ歌手として活動するのも史実と変わらず
        • サザンオールスターズの活動再開が10周年の1988年になるのは史実と同じ
          • 史実通りみんなのうたで再開
          • みんなのうたは史実以上にヒットした
          • みんなのうたを収録したオリジナルアルバムを1988年夏に発表
        • 1988年12月に史実にないオリジナルアルバムを発表
          • リードシングルが1988年9月と11月に発表
        • 1988年の国営放送の紅白歌合戦にも出場
        • 1989年1月上旬の昭和天皇崩御を受け、以降の3か月間は喪服でステージに立った
          • 昭和天皇へのレクイエムも制作した
        • 女神達への情歌のリリースは史実と同時期
          • クレームは史実ほどではなかった
          • クレームはあったが史実以上に掻き消されていた
      • チャゲ&飛鳥→CHAGE&ASKAのデビューも史実と同時期
        • チャゲも飛鳥涼も青年期に志願兵として兵役を経験
        • ユニット名はチャゲ&飛鳥からCHAGE&ASKAを経て、現在のCHAGE and ASKAに
          • 正式名称としてCHAGE&ASUKAを名乗ったことはなかった
            • レコードジャケットのクレジットのデザインとして名乗ったことはある。
        • ひとり咲きでデビューするのは変わらないが、史実以上の不振に終わる。
          • ひとり咲きで夜のヒットスタジオに出演することはなかった。
        • デビューのきっかけとなった流恋情歌も史実以上の不振に終わる
        • ファーストアルバムの風舞は史実以上の不振に終わった
          • このアルバムから私の愛した人がシングルにリカットされた
        • 万里の河でブレイクするのは史実と変わらず
          • 夜のヒットスタジオへの初出演も万里の河だった
          • 万里の河は史実よりもヒットした
          • 万里の河以降はなかなかヒットシングルに恵まれず
            • しかしコンサートライブはむしろ史実以上の大盛況で場合によってはチケットが発売からすぐに入手困難に
            • 万里の河以降のシングルはほとんど不振続きに終わったのは史実と同じだが、それでも男と女やオンリーロンリーは史実よりそれ相応にヒットした。
            • 熱い想いと北風物語は不振に終わったほか、1983年のシングルもどれも不振に終わった。
            • 南十字星がアルバムからシングルにリカットされた。
          • 1984年のMOON LIGHT BLUESと標的は史実よりはヒットしただろう。
        • 1985年の夏と秋に史実にないシングルをリリース
        • SUPER BESTは1985年12月頃のリリースになっていた。
        • Standing Ovationはリリースされなかった。
        • 1986年初旬に他者への提供曲のみで構成されたセルフカバーアルバムを発表していた。
          • 葛城ユキに提供したボヘミアンもこれに収録された。
        • チャゲアスは史実と同じく、当初は演歌フォークと呼ばれる演歌の要素を取り入れたフォーク調の作風の路線を行くが、1982年末辺りを契機にニューミュージックに路線変更し、更に1984年~1985年にJ-POPへと作風を変える路線変更を行った。
          • 真紅な動輪のサントラ盤の熱い想いまではフォーク調の作風だが、21世紀でニューミュージックになり、IN SIDEとZ=Oneで完全に演歌フォークから脱却しロック、ポップス、テクノなどのJ-POPに路線変更した。
            • 熱い想いが真紅な動輪の主題歌なのは史実と変わらず
            • TWILIGHT ZONEの歌詞が史実と異なる
        • 1986年にレコード会社をデビュー時のワーナーパイオニアからキャニオンレコードに移籍するのは変わらず。
        • キャニオンレコード移籍第1弾のシングルであるモーニングムーンは史実よりヒットした。
          • 財閥系大手企業のCMソングだっただろう。
        • 黄昏を待たずにも史実よりそれ相応にヒットした
          • こちらも大手財閥系企業のCMソングだった
            • もしその場合はモーニングムーンとタイアップ先が同じだった
        • Count Downと指環が泣いたも史実よりヒットした
          • どちらもドラマ主題歌に起用された可能性がある。
        • 1986年は国営放送の紅白歌合戦と産経の世界紅白にW出演した。
          • 紅白歌合戦ではモーニングムーンを唄い、世界紅白では指環が泣いたを唄った。
          • 世界紅白出場がアルバムのMr. ASIAを制作するきっかけとなるのは変わらず。
        • SAILOR MANは史実よりヒット
          • 日本航空のタイアップが付くのは同じ
        • ロマンシングヤードは史実よりヒット
          • 産経のミリタリードラマの主題歌に起用されたかと。
            • 主演は渡哲也か舘ひろし
        • 恋人はワイン色は史実よりヒット
          • テレビ朝日系列のドラマ「あぶない雑居カップル」の主題歌なのは史実と同じ。
            • チャゲアスが連ドラ主題歌を担当するのはこれが最初ではなかった。
        • アルバムのRHAPSODYは史実以上の売上を記録した。
          • レノンのミスキャストの歌詞が史実と違うかもしれない。
          • 狂想曲がシングルにリカットされるのは変わらず。
        • アルバムのENERGYも史実以上の売上を記録した。
          • 先行シングルはLove AffairとTrip
            • Love Affairのリリースは1988年7月頃
            • Tripは史実と同時期
        • 光GENJIへの楽曲提供は史実以上の成功を収める。
        • 昭和天皇崩御から約3か月間は喪服でステージに立つ
          • そのような指導がチャゲアスに限らず行政から入るだろう
          • 昭和天皇崩御に際してチャゲと飛鳥涼は公式のお悔やみのコメントを発表した。
            • 飛鳥涼は昭和天皇へのレクイエムを制作し発表した。
        • WALKの発表は史実と同時期
          • 発表時の評判は史実ほどではないが芳しくなかった。
          • 数作ぶりに週間チャートの上位10位圏外へのランクインとなったであろう。
          • 史実と同じく1992年に再発売されその時に高評価されただろう。
        • LOVE SONGは史実よりかなりヒット。
          • 1992年にリミックスされ再発売されるのは変わらず。
          • 1989年のLOVE SONGは民営化されなかった国鉄のタイアップが付いたかも。
        • 10周年のアルバムであるPRIDEは史実以上の売上。
          • 表題曲のPRIDEはチャゲアスファンはもちろん、ファンに限らずコアなリスナーからも史実以上の人気。
          • 天気予報の恋人の認知度も史実以上。
          • 砂時計のくびれた場所の認知度は史実以上だった。
        • アジア進出は昭和末期には行われる。
          • チャゲアスの大東亜共栄圏ツアーも1986年頃には定番に。
        • 1989年の10周年は史実以上に盛り上がった
        • チャゲがMULTI MAXを結成するのは史実と変わらず
          • 但し史実以上に副業的なものになっていた
        • 飛鳥涼が1989年秋に渡英するのは史実と変わらず
          • このときに史実にあったチャゲアス解散説の浮上はなかった
          • 1989年12月下旬にはチャゲも渡英した
          • 1989年の国営放送の紅白歌合戦にロンドンからの中継で白組から出場。LOVE SONGを披露。
          • 1990年初旬よりアルバムのSEE YA!をロンドンで制作するのは史実と変わらず。
            • チャゲアスの2人はロンドンにて労働党の支持者に喧嘩を吹っかけられた。
            • ロンドンのライブハウスでのコンサートは史実と変わらず。
            • SEE YA!の作風に史実と若干の差異があった。
              • リードシングルのDO YA DOは史実と変わらず
              • 水の部屋は史実以上に和のテイストが強くなった
              • モナリザの背中よりもは史実以上にデsジタル色が強くなった
                • ゼロの向こうのGOOD LUCKにも同じことが言える
              • YELLOW MENの歌詞は史実以上に辛辣なものに
                • ゼロの向こうのGOOD LUCKも
              • 太陽と埃の中では史実と変わらず
        • 1990年2月のバラードベストのリリースはおそらく史実と変わらず
        • 1990年3月に史実にないシングルをリリース
          • SEE YA!には収録されず
          • この時期に日本に帰国
        • 心のボールは福岡特別市の特別市制15周年の1987年か20周年の1992年に制作・発表された
        • 帰国後に積極的にメディアへの露出を行い、主にDO YA DOを唄う
        • ロンドンで制作したSEE YA!の発売は史実と同時期
          • アルバムを引っ提げてのコンサートツアーも行う
            • 韓国、台湾、香港での公演も設定された
        • 太陽と埃の中でがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
          • 史実と同じく産経系列のタイムスリーのED曲に
        • 1990年も光GENJIに楽曲提供を行った。また1991年以降も光GENJIへの定期的な楽曲提供を継続した。
        • 1991年のASKAソロのはじまりはいつも雨のミリオンセールスは史実と変わらず
          • 史実以上のセールスを伸ばした
          • 松下電器産業のコンポのhalfのタイアップ曲なのは史実と変わらず
        • バブル景気がないため、産経系ドラマ「101回目のプロポーズ」が制作されず、SAY YESのタイアップ先が史実と異なっていた。
          • 史実にない産経系のトレンディドラマの主題歌になった可能性が高い。
          • SAY YESのセールス自体も史実ほどは伸びなかった。
            • どんなに売り上げを伸ばしてもシングルミリオン止まり
            • それでもチャゲアス名義で初のミリオンシングルになったかも知れない
        • 僕はこの瞳で嘘をつくのシングル化は史実と変わらず
          • 史実と違いアルバムのリードシングルだったかも知れない。その場合はSAY YESとリリース順序が逆になっていた
        • アルバムのTREEの発売は史実と変わらず
          • 史実と変わらず、僕はこの瞳で嘘をつく、SAY YES、BIG TREEは収録
          • tomorrowの歌詞が史実とやや違っていた
          • 当初の予定通り、1991年9月21日に発売され史実の10月10日に遅れることはなかった
        • SAY YESや僕はこの瞳で嘘をつくのときは、史実と違いメディアに積極出演しこれらの楽曲を披露
        • 1991年12月下旬頃に史実にない新曲をシングルとしてリリース
        • 1992年3月25日のSUPER BEST 2の発売は史実と変わらず
          • このときのLOVE SONG '92の発表は変わらず
          • SUPER BEST 2には1989年のLOVE SONGと1992年のLOVE SONGの両方が収録された
        • ifの大ヒットは史実と変わらず
          • SAY YESがミリオンを達成していない場合は、こちらもミリオンセールスを記録することはなかった。
          • SAY YESがミリオンセールスを達成した場合は、タッチの差でミリオンセールスを達成した。
        • no no darlin'は史実以上にヒットし、週間1位も獲得していた。
          • GUYSがシングル候補だったがアルバムのタイトル曲に振り替えられるのは変わらず
          • GUYSの制作もロンドンで行われるのは史実と変わらず
        • GUYSと同じ日にGUYSとコンセプトの異なるトレンディな作風のアルバムを発表したかも
          • この場合、先行シングルが1992年の5月と9月にリリースされていただろう
        • YAH YAH YAHは史実以上のメガヒットとなる
          • チャゲアスの初のダブルミリオンシングルはYAH YAH YAHになっていた
          • 産経系ドラマ「振り返れば奴がいる」の主題歌なのは変わらず
          • 当然、YAH YAH YAHは週間1位を獲得
            • 史実のビーイング旋風がないので、週間1位をかなりの間にわたってキープした
          • 夢の番人はダブルA面ではなく同時発売になっていた
            • 夢の番人は週間10位に入るのが精一杯だった
          • 後にpop'n musicなどの音楽ゲームにも収録された
        • YAH YAH YAHでCHAGE&ASKAの地位は不動のものになった
          • それでも史実の1990年代前半のチャゲアス旋風はなかった
          • むしろ1990年代でチャゲアスが大いなる活躍を遂げるのは、史実の前半ではなく、史実ではソロが主体になった後半である。
        • Sons and Daughtersは史実よりヒットした。
          • 但し、富士重工業かセゾングループかのどちらかだけのタイアップになっていた
            • もうどちらかは史実に存在しない別の楽曲がタイアップ曲になっていた
          • カップリングのMr.Jの悲劇は岩より重いは歌詞と題名が異なるか、そもそも制作自体がされなかった
        • アルバムのRED HILLは史実より相当ヒットした
          • ダブルミリオンは確実視される
          • RED HILLは国際情勢も歌詞に交じっていたかも知れない
          • You are freeとなぜに君は帰らないがシングルにリカットされるのは史実と変わらず
        • Knockはなぜに君は帰らないのカップリングではなく、シングル曲として1994年2月頃にリリースされた。
          • Knockがアナログ盤の通常盤が発売された最後のシングルとなった
      • TM NETWORKとglobeの活動とその経緯が史実と異なる。
        • 小室音楽は史実以上の支持を得ていた
        • 宇都宮隆と木根尚登がSPEEDWAYを結成するのは史実と同時期
          • 宇都宮隆は青年期に志願兵として兵役を経験
            • 木根尚登も実父の指示と宇都宮隆の誘いで志願兵として兵役を経験しただろう
          • SPEEDWAYに小室哲哉が加入するのは史実と同時期
        • SPEEDWAYが何のヒットもないまま1983年に解消するのも史実と同じ
        • SPEEDWAY解散後の小室哲哉と木根尚登とオーストラリア人ボーカリストの新ユニット構想はなかった。
        • SPEEDWAY解散後は小室哲哉は即座に宇都宮隆と木根尚登にTM NETWORK結成を呼び掛けた。小室のこの声に宇都宮と木根はすぐに応じて、TM NETWORKは結成された。
          • フレッシュサウンズコンテストで優勝しデビューの切符を掴むのは変わらず
        • 1984年4月21日のデビューは史実と同じ
          • 1stアルバムのRAINBOW RAINBOWの収録曲は史実以上に難解な歌詞が多かった。
            • 金曜日のライオンがデビューシングルになるのは変わらず
            • 1974のシングルへのリカットは史実と同じ
              • シングルジャケットに木根尚登の姿がないのも同じ
        • 木根尚登が坊主頭を拒否する代わりにサングラスをするのは史実と変わらず
        • ACCIDENTのリリースは史実と同時期
          • 作詞が松井五郎なのも史実と変わらず
          • ACCIDENTを収録したアルバムのCHILDHOOD'S ENDの発売時期も史実と同時期
          • CHILDHOOD'S END収録のDRAGON THE FESTIVALのリミックス版のシングルでのリリースも変わらず
            • YOUR SONG("D"Mix)と併せて12インチシングルとしてリリースされるのも史実と変わらず
        • 初期は阿久悠との楽曲制作も行った
        • 湯川れい子や秋元康もTM NETWORKの楽曲制作に参加した
        • 松井五郎との楽曲制作は史実よりかなり増えた
        • 神沢礼江や川村真澄との楽曲制作は変わらず
        • 小室みつ子との楽曲制作は史実以上
        • 澤地隆とも楽曲制作を行っていた
        • TWINKLE NIGHTの発売は史実と同時期
          • 表題曲のTWINKLE NIGHTの歌詞が史実と若干異なる
          • ELECTRIC PROPHETは史実とほぼ変わらず
          • YOUR SONGのアルバム版が収録されるのは史実と同じ
        • FANKSの単語の誕生時期は史実と変わらず。時期的にも史実と同時期。
        • 渡辺美里へ提供した楽曲が初ヒットになるのは史実と変わらず。
          • My Revolution、Teenage Walk、BELIEVEなど
        • 岡田有希子への楽曲提供も史実と変わらず
        • 福永恵規への楽曲提供も史実と同じ
        • デビュー直後の少年隊へも楽曲提供を行っていた
        • テレサ・テンへも楽曲提供を行う
        • 小林旭への楽曲提供も実施
        • 河合奈保子へも楽曲提供を行った
          • 河合奈保子とは楽曲の共同制作も行った
        • Come on Let's Danceの発売時期は史実と同時期
          • 歌詞が史実と少しだけ違う可能性もある
        • アルバムのGORILLAの発売は史実と変わらず
          • Come on Let's Danceが収録されるのも史実と同じ
        • GIRLの発売は史実と変わらず
        • All-Right All-Nightの発売は史実と変わらず。但し歌詞が史実と異なる可能性がある。
        • Self Controlの発売時期は史実と変わらず。
          • 週間チャートで10位圏内に初めて入ったのはSelf Controlだった
            • 何らかのCMのタイアップが付いていた
          • アルバムのSelf Controlも史実よりヒットした
            • Here,There&Everywhereがこのアルバムに収録されるのは変わらず
          • DDRやbeatmania IIDXにも収録されていただろう
        • Get Wildで初の週間1位を獲得した
          • 読売系アニメ「シティーハンター」のED曲なのは史実と同じ
          • Get Wildを収録したオリジナルアルバムを制作していた
          • BEMANIシリーズや太鼓の達人に収録されるのも史実と変わらない
        • Gift for Fanksの収録曲が史実とやや異なっていたかも
        • KISS YOUのリリースとヒットは史実と同じ
        • アルバムのhumansystemのリリースは史実と同時期
          • 史実と違い国内で制作されたかも
          • このアルバムからRESISTANCEがシングルにリカットされるのは史実と同じ
            • RESISTANCEは史実よりヒットした
            • RESISTANCEが毎日系ドラマ「痛快!ロックンロール通り」の主題歌なのは史実と変わらず
        • BEYOND THE TIMEは史実よりヒット
          • ガンダムの映画版の主題歌になるのは史実と変わらず
            • 作品に政治的要素があった場合は、BEYOND THE TIMEも史実より政治的・社会的な側面の強い歌詞になっていた。
        • SEVEN DAYS WARの発売は史実と同時期
          • 史実よりヒットしただろう
          • ぼくらの七日間戦争の主題歌なのは変わらず
            • ぼくらの七日間戦争の内容が史実と大幅に異なっていた
              • 登場人物には政治家や軍人も相当多い
              • 登場人物には暴力的な民主活動家も含まれていた
              • 1998年の民主化後に、史実の原作小説と同様のストーリーが「アナザーストーリー」として登場していたかも
              • アナザーストーリーの主題歌はおそらく小室哲哉単独作に
        • CAROLのリードシングルはJUST ONE VICTORYになっていた。
          • JUST ONE VICTORYのシングル版のリリースは1988年9月頃になっていた。
          • CAROLのレコーディングがロンドンで行われるのは史実と同じ。
            • この時の渡英経験で小室哲哉が飛鳥涼にロンドンでレコーディングを勧め、翌年のCHAGE&ASKAの渡英のきっかけになるのは史実と同じ。
          • CAROLは史実よりアルバム曲重視になっていた。
            • BEYOND THE TIME、SEVEN DAYS WAR、COME ON EVERYBODYは収録されなかった。
          • CAROLの内容は史実と若干違っていた。
          • 木根尚登がCAROLが題材の小説を執筆し発表するのは史実と同じ。
            • 史実以上のベストセラーとなり、三島由紀夫や石原慎太郎などの政界に進出している文豪からも注目された。
          • CAROLを題材にしたオペラ形式のライブツアーを敢行するのも史実と同じ。
        • COME ON EVERYBODYの発売は史実と同じ。
          • 史実以上の売上を記録。週間チャートで1位を獲得した。
          • この楽曲で国営放送の紅白歌合戦に出場。
            • 紅白歌合戦の特別バージョンで披露されるのは史実と同じ。
            • このときのギター演奏をB'zの松本孝弘が担当するのも史実と同じ。
        • 木根尚登が松本孝弘の独立までエレキギターがエアギターだったのは史実と同じ。
        • 昭和天皇崩御によりTM NETWORKは1989年4月まで喪服でステージに立った。
          • TM NETWORKにも喪服で歌うように行政からの要請が入った。
          • 木根尚登が初めてメディアの前でサングラスを外して演奏したのが昭和天皇崩御時。
          • 天皇崩御による特別体制で初めて木根尚登の素顔が広く認知されるようになった。
        • 1989年初旬に宇都宮隆がコンサート中に事故を起こし靭帯を損傷するのは史実と同じ。
          • 先述した天皇崩御による喪服でのステージでの靭帯損傷だったため史実以上に大変なことになっていた。
        • 宇都宮隆の靭帯が完治するのは史実と同時期。
        • 初のリミックスアルバムのDRESSが発売されるのは史実と同時期。
          • 先行シングルがCOME ON EVERYBODY、KISS YOU(KISS JAPAN)、GET WILD'89なのは史実と同じ。
            • メディアで披露するのがGET WILD'89なのは史実と同じ。またこのGET WILD'89で1989年の国営放送の紅白歌合戦に出場した。
            • 先行シングルが1989年4月15日に3枚同時リリースになるのも史実と同じ。
        • この時期に小室哲哉は史実以上に様々な歌手やアイドルに楽曲提供を行った。
          • 渡辺美里への楽曲提供は継続して実施。
          • 光GENJIへも楽曲を実施し飛鳥涼に続く形で成功。
          • TUBEにも1曲は楽曲を提供した可能性が高い。
          • 中山美穂への楽曲提供も史実と変わらずに実施。
    • 阿久悠、松本隆、筒美京平、橋本淳、秋元康は史実をも上回るヒットメーカーになっていた。
  3. 国策映画や国策音楽は戦後も多数制作された
    • 戦前の国策映画の主題歌となった蘇州夜曲は史実以上に歌い継がれている。
  4. 伝統芸能が戦後も伝承されるのは史実と変わらず
    • むしろ史実以上に伝承され現在に至る。
  5. 映画やドラマやアニメは以下のようになっていた。
    • 映画は戦後史実以上に流行するが、高度経済成長によるテレビの普及で衰退。
      • 但し、1980年代以降の映画館のシネコン化やインターネットの普及によるテレビ業界の低迷で昨今復調するのは同じ。
      • 映画館のシネコン化は史実より早くに始まっていた。
    • 東宝映画が阪急傘下なのは変わらず
      • 帝国復古に反対した社内の集団が第2次東宝争議を起こしたかも
        • 第2次東宝争議が起きた場合、東宝は確実に行政からの懲罰を受けていた
    • 東映が東急グループを離脱することはなかった
      • 石原軍団の映画を多数制作していた
        • 史実以上に制作していただろう
      • 特撮作品の制作も多数行うのは変わりなし
      • 朝日が資本参加することはなかった
      • 経営拡大も史実より進んでいる
        • シネコンのT・ジョイを展開するのは史実と変わらず
          • T・ジョイの展開は史実より進んでいるだろう
      • アニメ映画も史実より多数制作していた
    • シネセゾンは西武映画として高度経済成長期には発足していた
      • 流通系に属するのは変わらず
        • 鉄道グループとの分裂がないので、西武鉄道やプリンスホテルとのコラボは盛んに行われる
      • 1980年代にシネセゾンに改組
      • 解散することなく現在まで存続
        • シネコンのセゾンシネマを全国展開している
        • ラブライブ!シリーズの映画版はここが制作し配給している
  6. タレントエージェンシー法が成立し、その影響で芸能人による労組が結成されていた。
    • 芸能人の労組の大半は同盟系であるが、史実の進歩的文化人及びそれに近い立場のタレントは総評系の労組に所属していた。
      • 芸能労組が確実に物言う存在になるので同盟は現在も労働組合として存続している。当然総評との合併による連合の成立もない。
    • また、JASRACのあり方も史実と異なっていた。
      • JASRAC自体は存在するが著作権管理の主体はアーティストの所属する労組にある。
      • またJASRACも同盟系の大手芸能労組の言いなりになっていた。
    • JASRAC以外にも著作権管理団体があったかもしれない。
  7. ゴジラシリーズは幼児/少年層向けの国軍プロパガンダ映画として史実以上に親しまれている。
    • 2004年で一旦シリーズ終了などということはありえない。
    • 国の体制が史実と異なった影響でシン・ゴジラにも差異がいくらか出た。
      • 蒲田くんの段階で機関銃の発砲及びミサイル攻撃が行われていた。
      • ゴジラ滅却のために用意された核ミサイル及び原潜は史実の作品と違い米軍ではなく新日本軍のものだった。
      • ヤシオリ作戦で使われた無人攻撃機群は日米混成部隊だった。
      • 無人在来線爆弾には史実より多数の車種が登場していた。
  8. ウルトラシリーズでは防衛組織の代わりに新日本軍が登場していた。
    • 史実における作品での架空銃・架空機の立ち位置に実際に使われている軍用機や銃が登場する。
  9. 仮面ライダーシリーズは中国の抗日ドラマ的ポジションになっていた。
    • ショッカーは「ネオナチと共産主義者の連合組織」という設定になっていた。
  10. J-POP自体やテレビの音楽番組は史実以上に発展し、平成初期以降に史実のように衰退することもなかった。
    • 国営放送は史実よりも音楽番組を積極的に制作し、若者向けの生中継の音楽番組も昭和後期から制作・放送している。
    • 毎日系列のザ・ベストテンが放送を開始するのは史実より数年早い。また1989年9月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
      • 放送開始は1973年頃
      • 黒柳徹子がMCなのは史実と変わらず
        • 2019年現在も黒柳徹子がMCを務めている
          • 近藤真彦とのトークは史実以上の名物に
          • 米米CLUBのブレイク後はカールスモーキー石井とのトークも名物になった
        • 男性MCは史実のTBSテレビのアナウンサーに
          • 初代男性MCは鈴木史朗が務めた
          • 鈴木史朗の卒業後は久米宏が史実通りに担当する
            • 鈴木史朗の降板は1979年頃かと
            • 久米宏の卒業は史実と同時期(1985年頃)
          • 久米宏の降板で松下賢次に男性MCが交代するのは史実と変わらず
            • 松下賢次が1989年1月で降板することはなかった
              • 1992年3月頃まで司会を務めていた
              • 渡辺正行が司会を務めることはなかった
      • 番組開始からすぐの頃に井上陽水が連続でランクインするが本人が「恥ずかしくて出れません」と出演を辞退し、その伝言を鈴木史朗が代読していた。
      • 1974年およげたいやきくんの連続1位記録は簡単に破られなかった
        • 1977年にピンクレディーによってようやく破られていた
          • 或いはキャンディーズの可能性もある
          • 初期は沢田研二、野口五郎、郷ひろみ、キャンディーズ、ピンクレディーによる記録更新合戦が続いてた。
      • 西城秀樹が最高得点を叩き出すのは史実と同時期
      • 1981年に寺尾聰がルビーの指環で連続1位記録を更新しその後長らく記録は破られなかった。
        • 1992年の米米CLUBの君がいるだけで、若しくは、1993年のCHAGE&ASKAのYAH YAH YAHでこの記録は破られた。
      • 1980年頃は中島みゆきが頻繁にランクインするが出演を見合わせるのは不可避
      • 松任谷由実も1981年頃から頻繁にランクインするがやはり出演を見合わせる
      • 山口百恵を回顧する臨時のコーナーが1981年初旬の放送で設けられた
      • 松田聖子や中森明菜は史実以上に頻繁にランクインした
      • 近藤真彦や田原俊彦のランクインも史実以上に
      • 河合奈保子や野村義男も史実より頻繁にランクインした
        • 1990年代以降も頻繁にランクインし続けた
      • 番組の出演歌唱者の各地からの中継も史実と同じ。
        • ライブ会場からの中継も多かった。
        • 駅や空港からの中継は史実以上に多かった。
      • サザンオールスターズの初の1位は史実と同時期。
      • CHAGE and ASKAは1980年代後半に1位を獲得していた。
      • TM NETWORKも1980年代のあいだに1位を獲得できていた。
      • 番組は1989年10月以降も継続した。
        • 工藤静香のあの歌唱は史実ほど有名にならなかった。
        • B'zは1989年11月16日の放送でスポットライトに出演したのが最初だった。
          • ここではBAD COMMUNICATIONを唄った。
          • B'zが初めてザ・ベストテンでベスト10入りしたのは、1990年5月31日の放送だった。
        • Mr.Childrenは1993年12月2日のスポットライトへの出演が最初だった。
          • この楽曲でCROSSROADを披露した。CROSSROADは数週間後より長期間ベスト10に入り続けた。
      • 1994年以降に最高得点が年に2~3回出るのが2000年頃まで続いた。
        • B'zはLOVE PHAMTOMで最高得点を叩き出していた。
        • globeもDEPERTURESで最高得点を叩き出していた。
    • 読売系列のザ・トップテン→歌のトップテンも放送開始は史実より早く、また1990年3月の放送終了はなく、2019年現在も放送を継続している。
    • 産経系列の夜のヒットスタジオの放送開始は史実と同時期。1990年10月の放送終了はなく、2019年11月現在も放送を継続している。
      • 夜ヒットが日本の他の音楽番組の制作に影響を与えるのは史実と変わらず。
      • 共産党バンザイ事件はなかった
      • 夜のヒットスタジオから夜のヒットスタジオDELUXEへのリニューアルは史実と変わらず。
      • 夜のヒットスタジオSUPERへのリニューアルはなかった。
      • 放送が当初は月曜日だったのが水曜日に変更になるのは史実と変わらず。
      • 当初は前田武彦と芳村真理が司会だったのは変わらず。
        • 前田武彦の共産党バンザイは共産党が非合法なのであり得ないが、共産主義を礼賛する発言を連発したのが問題となり、最終的には前田武彦の反共法違反での逮捕で降板した。
        • 芳村真理が司会を一旦降板することはなかった
      • 三波伸介がメイン司会者になるのは史実と変わらず
      • 朝丘雪路が司会者になることはなかった
      • 井上順が司会者になるのは史実より遅れるかも知れないが不可避
        • 降板は史実より少し遅れそう
        • 1990年以降に再登板した可能性もある
      • 井上順の後継の司会者が古舘伊知郎なのは史実と変わらず。
        • 1994年頃までには降板していた。
      • 柴俊夫が司会者になるのは史実と同じ
        • 降板することはなかった
        • 2019年現在のメイン司会者かと
      • 加賀まり子が司会者になることはなかった
      • 1990年頃に八木亜希子が司会者に就任した
        • 1996年頃に卒業という形で降板した
        • 富永美樹が後継者となった
          • 富永美樹は2002年頃に卒業という形で降板した
    • 朝日系列のミュージックステーションの放送開始は史実と同時期
      • 当初は関口宏が司会だったが、半年でタモリに司会が変わるのは史実と同じ
      • 1990年代序盤~中盤に有賀さつきがサブ司会者だったのも史実と変わらず
      • 1990年代後半からはテレビ朝日の若手女子アナがサブ司会者なのは変わらず
      • テレビ朝日の本局が大阪・東天満にあるため、大阪のスタジオから生中継された。
        • タモリはいいとも司会時代に金曜日のいいともの反省会が終わると即座に新幹線で大阪入りした。そしてミュージックステーションの反省会が終わると最終の新幹線若しくは夜行列車で東京に戻る。
        • 史実の朝日放送の女子アナウンサーの一部がテレビ朝日のアナウンサーとしてミュージックステーションのサブ司会者を担当した。
  11. 実写の映画にも史実とそれ相応の差異があった。
    • ミリタリー系や刑事系の映画は史実より相当制作され、同時に史実より相当流行っていた。
      • 日本映画界でミリタリー系の映画が史実ほどタブー視されることはなかった。
    • 恋愛系の映画が増えるのは史実と同時期。
      • 流行るのは史実より若干遅れるが、その分史実以上に流行るようになる。
    • 学園モノの映画は史実と同じく多数制作される。
      • 但し中学校や高校を扱ったものが多く、大学や大学院を扱ったものは史実ほど増えなかった。
        • 大学進学率が史実のように高くはならず、大学は今もエリートが行くところであるため。
        • 高等専門学校を扱った映画は史実よりそれ相応に多かった。
    • コメディ系映画は史実より若干多く制作される。
      • コメディ系映画のバリエーションも史実より多様になっていた。
    • ドキュメンタリー映画は史実と同じように制作される。
      • 公共事業を扱ったものドキュメンタリー映画は史実より多い。