もしあの歌が○○だったら

2009年5月14日 (木) 08:38時点における125.196.9.108 (トーク)による版
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ヒットしていなかったら

  1. 屋台といえばたこ焼きのイメージが確立され、たい焼きは焼き菓子の中の一つという位置付けでしかなかった。
  2. 月宮あゆは今川焼きを食い逃げしていた…んか?
  3. ポニーキャニオンはとっくの昔に潰れていた。
  4. PUFFYが、毎日毎日僕らは一般の~♪という歌詞を歌うこともなかった。
  5. 所ジョージが、「めざせタイヤキIII」や「泳げたいやき屋のおじさん」を歌うこともなかった。
  6. 「子供番組から生まれたヒット曲」の代表曲は長い間「ピンポンパン体操」になっていた。
  7. 山本リンダが「私の恋人、たいやきくん!」を、横山ノックが「ガンバレ!たこやきちゃん」を歌うこともなかった。
  8. 歌とともに購買意欲を促進させることができる、ということに気づかず、「だんご3兄弟」や「おさかな天国」も誕生しなかった可能性がある。
    • 全国のスーパーはいくらか静かになる。

子門真人が歌っていなかったら

  1. 子門真人は昭和後期のアニソン歌手の一人として知る人ぞ知る存在にとどまっていたが、本人の生き方にさほど変わりはなかったと思う。
    • ただ、引退時期は史実より遅れていたと思う。
  2. 子門真人最大のヒット曲は「レッツゴー!ライダーキック」(藤浩一名義)になっていた。
  3. 子門真人がそれ以後の「ひらけ!ポンキッキ」の歌を担当することもなかった。
  4. 『子門真人がうたう「ひらけ!ポンキッキ」ベストアルバム』、『子門真人ヴォーカル・コンピレーション-ひらけ!ポンキッキ・コレクション』の2枚のアルバムも制作されない。
  5. 子門真人は1970年代後半のアニメブームで、ささきいさお・水木一郎・堀江美都子らとともに一般に知られるようになる。
  6. 『星獣戦隊ギンガマン/はだしの心で』(希砂未竜名義でリリース)以降も、(ピーク時ほどではないものの)曲をリリースさせていただろう。

生田敬太郎がレコードを出していたら

  1. 最初、「およげ!たいやきくん」は生田敬太郎が歌っていたが、諸事情でレコードが出た時の歌手は子門真人に変わっていた。
  2. それでも買い取り契約にしていたと思われ、生田の歴史は変わらなかった。

なぎら健壱がレコードを出していたら

  1. 「およげ!たいやきくん」のレコードが出た時、B面の「いっぽんでもニンジン」を歌ったのは彼である。
  2. それでも買い取り契約にしていたと思われ、なぎらの歴史は変わらなかった。
    • 自虐トークが高じて、彼の歌までもが恨み節ばかりになる。

現実より30年遅く(2006年頃)、リリースされていたら

  1. 2chでAAのネタにされていた。