「もし西武鉄道が○○だったら」の版間の差分
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(「多摩湖線の延伸扱いで建設されていたら」を追加) |
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#蒸気機関車の代わりに全車両末期色。JR西日本から抗議が来る | #蒸気機関車の代わりに全車両末期色。JR西日本から抗議が来る | ||
#多摩湖線の営業係数が史実より低かった。 | #多摩湖線の営業係数が史実より低かった。 | ||
===多摩湖線の延伸扱いで建設されていたら=== | |||
#勿論当初から普通鉄道だった。 | |||
#多摩湖線の営業係数が史実より低かった。 | |||
#*でもサーベラスから廃止を求められる。 | |||
==多摩川線== | ==多摩川線== |
2021年4月4日 (日) 10:48時点における版
池袋線系
国有化されていたら
ところざわ | |||
所沢 | |||
● | Tokorozawa | ● | |
あきつ Akitsu |
にしところざわ Nishi-Tokorozawa |
- 「JR飯能線」という名称になっていた。
- 場合によってはこっちが「武蔵野線」を名乗っている。
- 秩父方面への延伸はなかった。
- 東飯能-吾野間が盲腸線に…。
- 飯能-吾野間は長らく非電化のままで、ようやく1985年になって川越線などと共に電化される。
- 特急は運転されず、飯能特快が運転されていた。
- E231系で運行されている。
- 冷遇されて、今でも205が主力で走ってる気がする。
- 103系なら解るが205系が冷遇とか…感覚おかしくないか?
- もう今は、205系も時代後れの産物として扱われている地域が増えつつある。
- 冷遇されて、今でも205が主力で走ってる気がする。
- 早い時期に元加治~飯能~東飯能は廃止。元加治から直接東飯能に接続している。
- 東飯能駅が飯能駅に改称していた。
- 武蔵野線建設時に秋津駅がやや所沢寄りに移設される。武蔵野線の駅も実際よりやや北側に建設される。
- 現在の管轄は池袋-大泉学園:東京、保谷-吾野:八王子。
- 狭山丘陵が一大レジャーランドになることはなかった。この球団も少なくとも所沢にやってくることはなかった。
- F級の私鉄電機は存在することは無かった。
狭山線が全線複線だったら
- 臨時便の運用を増やせるため、西武ドームへのアクセスが史実よりも大分マシになっていた。
- 特に帰りは池袋方面への臨時便を頻繁に運行できるようになっていた。
- ダイヤに余裕が出来れば下山口を通過する直通列車も設定されていただろう。
- 特に帰りは池袋方面への臨時便を頻繁に運行できるようになっていた。
- 何気に有楽町線と共に西武では数少ない全線複線の路線になるのだがあまり気づかれない。
- 西所沢駅の配線に関しては史実通りのままでも大丈夫なはず。
- 臨時便以外はボトルネックになる事もなさそうなので、おそらく立体交差化などはされないと思う。
- 一部の所沢行きや小手指行きが西武球場前行きになる。また、西所沢折り返しも始発終電くらいになるだろう。
秩父線が開業当初から秩父鉄道と直通運転していたら
- 4000系にあたる2扉セミクロス車が20年早く登場した。
- 車体は非冷房・赤電塗装で、東武6000系とよく比較される。
- レッドアローが長瀞や三峰口まで乗り入れたかもしれない。
- 国鉄や東武の秩父鉄道乗り入れは昭和のうちに廃止されていた。
- 秩父線が昭和初期に開業していたらありえた。
起点が秋葉原だったら
もしも計画通り、JR線との交点近くの上り屋敷(あがりやしき)駅から、護国寺を通って、秋葉原まで開通したら
- 駅の位置は、つくばエクスプレスの秋葉原駅の北側あたり。
- つくばエクスプレスとは相互直通運転。
- このため、つくばエクスプレスは最大編成が10両に。
- つくばエクスプレス線内では西武の車両は全て守谷止まりの運用。
- ただし特急「つくば」号のため交直両用の特急車両を新造。こちらは所沢~つくば間で運行される。
- TX自体が「西武筑波線」だったりして。
- つくばエクスプレスとは相互直通運転。
- OTAKUや声優ファン、アニメファン、アニメ関係者が、乗車するので、それなりの収入が西武鉄道に転がる。
- 実史以上にアニメのペイント電車や宣伝電車を走らせるようになり、関東随一の痛勤車両の集う路線となっていた。
- そもそも西武グループが大々的に秋葉原を開発し、結果として電気街は別の場所に追いやられてしまったかもしれない。
- 実史以上にアニメのペイント電車や宣伝電車を走らせるようになり、関東随一の痛勤車両の集う路線となっていた。
石神井公園~保谷間も複々線化したら
運輸政策審議会答申第7号で実際に取り上げられていました。
- 保谷行きの普通列車が増発された。
- 石神井公園行きの普通列車は激減した。
- 保谷~東久留米間も複々線化されていたかもしれない。
- その分、特急「ちちぶ」やS-TRAINが速達化されていた。
東京メトロ有楽町線との直通運転が史実よりも早まっていたら
史実では、1998年3月に練馬~新桜台間が複線化されたことにより、直通運転が開始されました。
- 6000系電車の登場が直通運転が開始されるのと同時であったか、史実よりも早く登場していた。
- 6000系電車の全ての編成が有楽町線対応車となっていた。それで6000系電車が新宿線で運用されることはなかったかもしれない。
- 場合によっては新2000系の導入数が減っていた。9000系は新宿線系統に集中配置。
- 6000系電車の全ての編成が有楽町線対応車となっていた。それで6000系電車が新宿線で運用されることはなかったかもしれない。
- 練馬駅の高架化工事が史実よりも早く完成していたら十分にあり得た。
- 練馬高野台駅の開業と西武有楽町線の開業(練馬~新桜台間)と練馬~石神井公園間の複々線化の完成が史実よりも早まっていたかもしれない。
新宿線系統
国有化されていたら
いるまがわ | |||
入間川 | |||
● | Irumagawa | ● | |
いりそ Iriso |
しんさやま Shin-sayama |
- 中央線や武蔵野鉄道(現:西武池袋線)の並行路線となるため、東村山以東は敷設されないか、高度成長期にバイパス線として敷設された。
- よって田無、小平の開発が遅れる。
- 京王井の頭線が田無に延伸されていた。
- 西武新宿は存在せず、新宿駅に独自の複線で乗り入れていた。
- 新宿-東村山は開業せず、国分寺-川越間でキハ35が1時間に1往復ていど走る。
- 東上鉄道開業でローカル線に転落するが、JR化後に相模線や八高線と合わせて電化。
- 相模線や八高線よりも都心寄りに立地しているし、遅くとも五日市線と似たような時期には電化されているのでは…?
- 東上鉄道開業でローカル線に転落するが、JR化後に相模線や八高線と合わせて電化。
- よって田無、小平の開発が遅れる。
- 中央線・国分寺線と伴に川越へのルートを形成するため、現実の川越線が敷設されず、西武大宮線がかなり後期まで残っていた。
- または鉄道路線に改造されて、武蔵野鉄道の路線となって現存。
- 高麗川へは安比奈線が延線され、高麗川~安比奈~南大塚というルートになる。
- 新宿線の開業が遅れる分国分寺線の重要度が増し、複線化と中央線との直通、優等列車の設定が実施される。
- 国分寺には国鉄時代から中央線の特快が停車している。
- 線名は新宿線の東村山以北とあわせ「川越線」となる。現実の川越線は上記の通り存在しない。
- 西武園線は多摩湖線や狭山線と競合するため、存在しない。
- 拝島線も青梅線などと競合することから敷設されず、現実の青梅線や中央線のラッシュが今以上に過酷なものとなった。
- ゆえに、中央線は立川まで複々線化された。
- 西武新宿~小平~小川~拝島が「新宿線」になっていた。
- どっちみち久米川駅は存在しない。
- 西武農業鉄道や西武鉄道といった社名はなく、今日に至るまで武蔵野鉄道を名乗り続ける。
- 略称は「武鉄」。
- あるいは「武蔵野」。
- 略称は「武鉄」。
- 多摩湖線は堤が介入していたため武蔵野鉄道に統合されるものの、多摩川線と同様、武蔵野鉄道の孤立線区となってしまうため、山口線がおとぎ列車やAGTではなく普通鉄道となり、狭山線と一貫した運行が行われた。
- 国分寺―西武遊園地(実際には武蔵野遊園地か?)―西武球場前(同じく武蔵野球場前?)―西所沢の路線が「多摩湖線」か「狭山線」となる。プロ野球の試合開催時は国分寺からも球場へ向けて臨時列車が設定される。
- そもそも駅名板の狭山市駅が入間川のままで残ってたんじゃ。入間市駅?他社線だからシラネ
- 直しといた。入間市駅も「豊岡」のままだろうな。
- 豊岡だと兵庫の豊岡とかぶるから「武蔵豊岡」だと思う。
- 「豊岡町」だったはず。下のように武蔵野鉄道が国有化されていれば「武蔵豊岡」になるだろうけど。
- 豊岡だと兵庫の豊岡とかぶるから「武蔵豊岡」だと思う。
- 直しといた。入間市駅も「豊岡」のままだろうな。
- 所沢駅はJRと武鉄のいずれかが高架化され、両者の線路が十字交差する様になっていた。
- 武蔵野線は新小平ではなく萩山に駅ができる。
- もしくは武蔵野貨物線が小川・国分寺を経由し、西国分寺駅は誕生しないか中央線単独駅として開業する。
- 史実の西武池袋線が「武蔵野鉄道」を名乗り続けるとしたら、史実の武蔵野線に当たる路線は別の路線名で開業した可能性がある。
- 武蔵野線が恋ヶ窪-東村山を通るルートになり、国分寺-恋ヶ窪は廃止。取り残された東村山-川越はキハ35が走るローカル線に。
- 武蔵野線は西国分寺から恋ヶ窪経由で西武国分寺線を間借りし、鷹の台で分岐し、地下化するルートになっていた。
- だから、なぜキハ35にこだわる?
- もしくは武蔵野貨物線が小川・国分寺を経由し、西国分寺駅は誕生しないか中央線単独駅として開業する。
- 管轄は全線八王子。
武蔵野鉄道と合併しなかったら
- 戦後に村山線(現在の新宿線高田馬場~東村山間と西武園線)が箱根ケ崎まで延伸。実史の拝島線(上水線)は小平~萩山間が武蔵野鉄道線なので、小川~玉川上水間の盲腸線のまま。
- 多摩モノレールは西武箱根ヶ崎線の駅・西武球場まで延伸することになり、箱根ヶ崎延伸ルートはなかった。
- あるいは武蔵大和まで結んで終わりだったかも。
- 所沢駅では西武と武鉄の乱闘騒ぎが名物に
- さすがに2013年現在まで続いているとは思えないが。
- 所沢駅での改札が別々になるため不便になっていた。
- 本来の本線である川越線の東村山以南(現在の国分寺線)は複線になってた
- おそらく、東西線へは意地でも直通運転してたはず
- 西武軌道線のルートである青梅街道の地下に、田無からバイパス線を走らせて都営新宿線と直通してたかも。丸ノ内線は直通出来ないので。
- この場合、都営新宿線は狭軌で作られ、三田線との間で列車の融通を行っていた。
- 西武新宿延伸はなかった可能性大
- かつては根津系の企業だったので戦後早い時期に本川越と東上線の川越市が一体化していた
- 特急小江戸は存在せず、快速急行が現在も運転されている。
複々線化されていたら
- 史実の計画では上石神井から西武新宿まで全線地下の急行線を建設する予定だったらしい。
- 安比奈に車庫を移転していた。
- 中井から東西線に入る。
- あるいはこれを機に西武新宿駅を越えてJR新宿駅に乗り入れる。
- これに関連して東伏見駅まで立体交差化される。
- 鷺ノ宮、中井に急行線ホームが設けられる。
- 建設費が高騰して運賃が高くなる。
- 京王新線のように複々線化に際して現:西武新宿駅とは別に、地下に新線新宿駅が開業していた。
- 東口直下に駅が出来て便利になっていた。
起点が早稲田だったら
元々の計画は旧国鉄(JR山手線・山手貨物線)をくぐって真っすぐ、早稲田大学の北側・現在の早稲田・リーガロイヤルホテル付近に終着駅を設置する予定でした。 もしも計画通り早稲田まで開業したら?
- おそらく江戸川橋まで延伸して飯田橋駅や水道橋駅までは通して居るはず。
- 高度成長期に下落合辺りから国鉄新宿駅に路線を分岐させる計画が浮上する。
- そもそも「新宿線」ではなく「早稲田線」などと名乗っていた。
- 早稲田駅には「東西線とは高田馬場でお乗り換え下さい」と言った案内がある。
- 他に使えそうな地名が戸山くらいしかないから、東西線の早稲田駅の駅名も史実通りだろうし。
- 早稲田大学早稲田キャンパスと所沢キャンパスが一本の線路で結ばれていた。
- と言っても結局所沢で乗り換えが生じる。
山口線
軽便鉄道のままだったら
西武鉄道山口線が新交通システムに変更されずに、ナローゲージ規格のままだったら・・・
- 電化されている。
- 蓄電池電車(機関車)が燃料電池にバージョンアップする。
- 長編成の電車が運行されている。
- 蒸気機関車の保存運転が継続されている。
- 廃止となった下津井電鉄の展望車両を譲り受けていた。
普通鉄道に改修されていたら
- 改軌され、多摩湖線及び狭山線と直通運転を行う。
- 現在の運転系統は西所沢~西武球場前~狭山。
- 「萩山」では?
- スイッチバックになるから運転系統は西武球場前で分断されていたと思う。
- おそらく国分寺→西武遊園地前→西武球場前の運用になっていた。
- 西武ドームで試合が行われる場合、新宿線の臨時電車は所沢経由でなく西武遊園地経由で設定される。
- 西武球場前の線路とホームの数は史実よりも少し多くなっていた。
- 池袋行きの臨時列車と西武新宿行きの臨時列車が同時発車する光景が見られたかもしれない。
- 多分、多摩湖線の一部になっているかと。
- 萩山-西武球場前-西所沢間を直通する列車はイベント列車程度。
- 西武新宿-萩山-西武球場前間を直通する準急・急行が2020年現在も定期運用される。
- 現在の運転系統は西所沢~西武球場前~狭山。
- レオライナーと比べて車両が長いので、ほぼ全ての区間のルートを変更しなければならなかった。
- 史実通りのルートだと急カーブが酷い+狭山線とレールを繋げられないのでそういう事をやっていてもおかしくはないと思う。
- おそらく多摩湖を沿って走るのではなく、ゴルフ場の北側、住宅街沿いを通っており、そのまま地下に潜って西武遊園地に到着していた。
- 多摩湖線萩山~西武球場前間のホームの8両編成対応化は山口線の普通鉄道改修と同時期に。
- 遊園地西駅は設置すらされなかった。
- 当然「レオライナー」という愛称は存在しない。
- 蒸気機関車の代わりに全車両末期色。JR西日本から抗議が来る
- 多摩湖線の営業係数が史実より低かった。
多摩湖線の延伸扱いで建設されていたら
- 勿論当初から普通鉄道だった。
- 多摩湖線の営業係数が史実より低かった。
- でもサーベラスから廃止を求められる。
多摩川線
大宮線が普通の鉄道路線だったら
もし西武大宮線が全線専用軌条・1067mm軌間・直流1500Vの路線になっていたら?
- 当然川越線は建設されず。
- よって路線廃止は免れた。
- 史実の本川越駅は川越駅、史実の川越駅は川越西町駅のままだった。
- 史実どおりに川越線が開通した場合、川越線が電化するまではある程度は利用客が存在するが、電化後は乗客が激減している。
- ニューシャトルの大成駅は別名で開業するが、どっちにしろ鉄道博物館駅に改称される。
- 成田山前駅、工場前駅は存在しない。
- 今ではもっと駅が間引かれている。
- 大宮駅は「東が東武で西西武」になっていた。
- といっても東武百貨店は無いし西武百貨店を作るスペースもないだろうけど。
- でも現実の西武百貨店は大宮駅東口にあった。もしかしたら大宮そごうと大宮西武の位置が逆だったかも。
西武大宮線のその後
おおみや 大 宮 | ||||
Omiya | → | おおなり | ||
大 成 Onari |
- 複線化されている。
- 新宿線との直通列車が存在。
- 野球開催日は西武球場前乗り入れもある。
- 大宮公園での開催時は逆に所沢方面→大宮の臨時列車が運行される。
- 対新宿では一度川越・所沢方面に回ることから所要時間がかかりすぎるので、大宮発の新宿線直通は国分寺行きや拝島行きを中心に運行される。
- 大宮発の国分寺行きや拝島行きが多く運転されていた場合、JRは大宮から武蔵野線経由で多摩方面と結ぶ「むさしの号」を運転していない。
- 野球開催日は西武球場前乗り入れもある。
- 川越から西に延伸されるが、延伸先は高麗川ではなく飯能 or 東飯能。
- 6~8両編成の電車が運転されていた。
- 本川越近辺の単線区間が史実以上に問題視されていたかもしれない。
- 早い段階で川越直通+複線化が実現していた。
- 遅くても新大宮バイパスの開業までには大宮近辺の立体交差化が行われていた。
西武に併合されていなかったら
川越電気鉄道が1922年に(旧)西武鉄道に路線を譲渡しなかったら。
- 独立を保っていた場合
- 自力で高麗川まで延伸したかもしれない。
- 国有化された場合
二ノ関 | ||||
にのせき | ||||
川越 | 黒須 | |||
Kawagoe | Ninoseki | Kurosu |
- 戦時買収私鉄指定で国有化され、その後JR東日本に。
- 路線名は結局「川越線」になる。
- 南武線のように国有化時に駅が間引きされていた可能性もある。
- 高麗川までの全通が早まった。
- 埼京線開通前は旧型国電の墓場だった。
- 川越電車区は現実より北に立地していた。
- 史実とは異なり、電車特定区間に組み入れられていた。
- このため都内への運賃もいくらか安い。川越-新宿の需要をある程度西武から奪っていた。
- 東武鉄道に併合された場合
しばち | |||||
芝地 Shibachi | |||||
● | |||||
くろす Kurosu |
(埼玉県川越市) | たかぎ Takagi |
- おそらく野田線の一部になった。
- ただし運転系統は一部を除いて大宮で分断。ひょっとしたら大宮を境に西は東上業務部の管轄になるかもしれない。
- 川越市まで延長して東上線と接続。
- 西板線は計画されなかった。
- 東武鉄道の停車駅案内図が本線系と東上線系で別々になることもなかった。
- 東武鉄道の本線系と東上線系との間の車両の融通はこの路線を経由して行なわれている。
新京成線を開通させていたら
新京成の元になる鉄道連隊演習線跡地の買収を巡って京成と西武が名乗りを上げ争ったが、京成に軍配が上がる。もし新京成線が西武の手によって開通していたら。
- 新西武鉄道ではなく、無難に下総鉄道として会社を興す
- 「しんけいせい」の変換は「神経性」になるというネタができない
- 西武千葉線になるんじゃ。
- 標準軌への改軌は実現せず、1067mmのまま
- 連隊演習線跡地は千葉市まで延びていたので千葉市内に進出
- 四街道にも。
- 東武野田線の船橋~柏を買収
- 西武百貨店船橋店を現在の東武百貨店船橋店のところに作る
- 現在の西武百貨店船橋店は京成百貨店船橋店かな?
- 松戸に西武百貨店ができる。今ある伊勢丹とライバルになる。
- 西武百貨店船橋店を現在の東武百貨店船橋店のところに作る
- 地下鉄東西線へ乗り入れられるようにして、西武新宿線も高田馬場より乗り入れられるようにして下総と西武を直結
- しようとしたが、営団の反対で頓挫。
- 地域のバスは西武系の会社の参入を京成バスが阻止
- 東洋バスか阪東バス(東武系だが)を西武で買収してどうにかする
- 各接続路線との乗換は不便を強いられない(史実の八柱や新津田沼のように)
- 京成への直通はなかった。
- そのかわり東京メトロ半蔵門線が松戸まで延伸され、相互直通運転を行っていた。
- 電車がライオンズカラーだったかもしれない。
- その場合、ファイターズスタジアム鎌ヶ谷は建設されない。
- VVVFインバータの普及が遅れていたかもしれない。
- 遅れているばかりか、2010年現在もVVVF車は1両も入っていないに違いない(前述の半蔵門線松戸延伸があれば別だが)。
- その場合VVVF車は6000系か?
- 遅れているばかりか、2010年現在もVVVF車は1両も入っていないに違いない(前述の半蔵門線松戸延伸があれば別だが)。
- 新津田沼の乗換は楽になる、というか今の津田沼パルコの辺りに駅ができる
- 下手すると京成津田沼まで乗り入れない
- 武蔵境や国分寺のように、JR駅に隣接しており、駅名も単に「津田沼」。
- 下手すると京成津田沼まで乗り入れない
- 西武鉄道は当時から不動産・レジャー産業に活発だったので、沿線の風景は今より綺麗。利用者も多い。
- 北総鉄道は新京成線に直通できないので、京成高砂-小室間を一度に開業していた。
- 開業当初から都営地下鉄浅草線に乗り入れていた。
- 東武東上線同様孤立線となっていた。
- 1970年代に京成電鉄が経営悪化した際、西武が支援していたかも。
- その場合、こうなる。
- 西武新宿線は今でも高田馬場止まりで、高田馬場の混雑が今以上に深刻なものになっている。
- 高田馬場~西武新宿間の免許が演習線を諦めることへの見返りであると言われているため。
- 高田馬場駅は屈指の利用者数を誇る駅になるため、埼京線や湘南新宿ラインも停車していた。
- 高田馬場~西武新宿間の免許が演習線を諦めることへの見返りであると言われているため。
- 東葉高速鉄道が西武のものになっていて、東西線経由で西武新宿線直通運転していて、北習志野で同一ホーム乗換+乗り入れ出来る構造になっていた。
あの鉄道会社を買収していたら
京成電鉄
上にあるように鉄道連隊演習線跡地の買収を巡り二社が争いましたが、そのとき西武は京成の株を買い集めて乗っ取りを企てていました。もし京成を乗っ取っていたら?
- 改軌されていた。
- 浅草線は京急のみの直通になっていた。
- 押上線は4両編成の線内折り返し運転になっている。
- むしろ豊住線を開通させて押上~住吉~東陽町~高田馬場ルートで西武線と直通していた。
- スカイライナーは10000系使用の「なりた」になっていた。
- モーニングライナー、イブニングライナーもなりたに統一。
- 芝山鉄道、北総鉄道、千葉急行は初めから西武の路線で開業。
- 成田スカイアクセスは存在しない。
- 西武上野~西武千葉間に千葉快速を運行。停車駅は日暮里、西武高砂、本八幡、西武船橋、西武津田沼、西武幕張からの各駅。
- 現在の快速特急は快速急行、特急は急行、通勤特急は準急に改称されていた。
- 西武グループの影響力が千葉まで広がる。
- 東葉高速鉄道の建設に際して同社に出資して勝田台で両者の線路を連結した上で落合付近に新宿線と東西線の連絡線路を建設し、本川越・拝島・飯能から成田空港への直通特急を運転する。
- 上記のとおり東西線は東陽町から押上方面に向いているので、東陽町-西船橋間は90年代に東陽高速線として建設されていた。
- 「西武大久保」では西武新宿駅北方の地名と混同しやすくなるので、おそらく大久保駅は「下総大久保」になっていたと思われる。
- いくつかの駅が「○○市駅」に改名されていた。
- 例:京成船橋→船橋市駅、京成佐倉→佐倉市駅、京成成田→成田市駅
京王電鉄
- 都営新宿線といっしょに改軌されていた。
- 特急が有料になっていた。
- 井の頭線の田無駅または東久留米駅までの延伸が西武鉄道の手で成されて居た。
あの鉄道会社に買収されていたら
東京急行電鉄
- 五島慶太によって買収され、”大東急”の一翼を担うも戦後再び分離独立。
- 小平、萩山、小川、東村山、西所沢と、路線が分岐・交差する所にことごとく存在する平面交差を、これまたことごとく立体交差に改良してくれていただろう… と妄想。
東武鉄道
- ”武蔵鉄道”と改称されていたかも。
- 東上線系統とセットで「西武事業部」が作られていた。
- 東武練馬駅は改名されていた。
西武軌道線が東京都交通局に買収されていなかったら
西武軌道線は1921年に新宿と荻窪を結ぶ路面電車として開業しましたが、その後東京都交通局(都電)に買収され、現在は廃止されています。もし西武軌道線が西武鉄道の路線として現在でも残っていたら?
- 田無まで線路を伸ばし、新宿線と接続していた。
- と言うか建設が遅れていなければこちらが新宿線になっていた。当初は荻窪まで併用軌道だったが、戦後に京王同様完全に鉄道路線として改修される。
- 史実の新宿線は早稲田まで延伸→東西線開業時に直通運転と言う流れになる。
- と言うか建設が遅れていなければこちらが新宿線になっていた。当初は荻窪まで併用軌道だったが、戦後に京王同様完全に鉄道路線として改修される。
- 丸ノ内線は方南町が終点になっている。
- 新宿-清水橋-中野新橋-(以下史実と同じ)と言うルートを辿り、後年史実の都庁前駅の位置に西新宿駅が開業する。
セゾングループとの関係が○○だったら
堤清二が鉄道側の経営権を握っていたら
- 西武鉄道グループは堤義明が堤康次郎の死去後に経営権を持ちましたが、もしこの時堤清二が経営権を握っていたら?
- 堤清二が小説家として史実ほどの実績を出せたか疑問。
- 史実同様詩は作っていただろうが経営にかかわるとともにフェードアウトしていた。
- 仮に小説を出版していたとしてもいわゆる「タレント本」のような扱いになっていた。
- 堤義明はインサイダー取引をしなかったかもしれない。
- 西武百貨店や西友などは西武グループに属していた。
- あるいは堤義明がセゾングループにあたるものを作っていた。
- プリンスホテルとインターコンチネンタルホテルを合併させて新しいホテルグループを作っていたかも。
- そもそもインターコンチネンタルホテルズを買収していなかった可能性もある。
分裂しなかったら
- 西武百貨店の全国展開があったか疑問。
- それでも西武沿線、渋谷、滋賀県などには出店していた。
- 池袋西武のリブロが閉店することはなかった。(現在日本出版販売の傘下のリブロとトーハンと関係が深いセブン&アイ傘下の西武百貨店とのねじれがあった。)
- J-WAVE(セゾン)とエフエムナックファイブ(西武)との共同制作番組があったかもしれない。
- セゾングループはJ-WAVEの設立に関わらなかったかもしれない。
- 代わりにテレビ埼玉と親密になった。
- 吉野家のセゾングループ入りはなかったかもしれない。
- それでも証券取引法違反事件の関係でグループ解体は史実通りだったか。
- それ以前に第一勧業銀行(現在のみずほ銀行)などから経営規模縮小を求められただろう。
サーベラスの要求を呑んでいたら
- 2012年、当時西武に出資していたサーベラスは、多摩川線・山口線・国分寺線・多摩湖線・秩父線の廃止と西武ライオンズの売却を求めていました。
- なし崩し的に西武園も廃園になっていた。
- 西武ドームも売却のうわさが漂っていた。
- 秩父線が廃止になってしまった以上、池袋線は通勤路線に徹さざるを得なくなっていた。
- 40000系が数年早く登場し、それと同時に完全失職した10000系は引退していた。
- 当然001系も存在せず。
- 4000系も秩父線廃止と同時に殆どが廃車解体されているはず。
- 40000系が数年早く登場し、それと同時に完全失職した10000系は引退していた。
- これを引き合いに出す事でJR北海道の不採算路線廃止がもっと迅速に…進みそうにもないなぁ。
- まず間違いなく秩父市や所沢市と西武鉄道の関係が非常に悪化していた。
- 秩父鉄道はあっさりと東武東上線に鞍替えしていた。
- 500系は東上線にも投入され、池袋~三峰口・上長瀞間に「リバティみつみね」「リバティながとろ」が設定されていた。
- ライオンズが所沢から移転していたかもしれない。