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{{Pathnav2|もしあのプロ野球選手があの球団に残留していたら|さ~な行}}
#トリスウイスキーの懸賞が「沖縄旅行積立預金証書」になっていた。
*外国人選手は[[もしあのプロ野球選手があの球団に残留していたら/外国人選手]]で。
#さすがに軍政は終わり、[[グアム]]のようなアメリカの自治属領(準州)となっている。
*移籍した年のシーズン終了まで新規追加は行わないでください。
#*あるいは琉球連邦としてアメリカの傀儡国家になっている。
==さ行==
#*対中拠点としてオキナワ州になっていたら、アメリカ国旗がマイナーチェンジ(星が1つ増える)。
===佐々木主浩(横浜)===
#**むろん民主党が強い青色州。
※史実では1999年オフにシアトル・マリナーズへ移籍(2004年に復帰)。
#***ただし発言権はあるが議決権のない代表者という扱い。
#2000年以降の横浜の成績がもう少しだけマシになっていたかもしれない。
#**ナンバープレートには“Uchina State”か“Mensore State”と書かれていた。
#*少なくとも森監督(2001年に就任)と衝突していなければ、最下位になった回数も減っていたはず。
#***史実のアメリカ統治時代のナンバープレートは“Keystone of the Pacific”だった。
#*ただし成績が下降線をたどると共に酷使され、現役引退が早まったかも。
#*『アメリカ横断ウルトラクイズ』のペーパークイズ、ブーブーゲート、どろんこクイズはグァムやサイパンでなく沖縄(への機内)が定番。
#横山道哉は史実よりも早く他球団に放出されていた(2004年に日本ハムへトレード移籍)。
#*オリンピックにも独自の選手団を派遣していた。
#前妻との離婚&榎本加奈子との不倫騒動は無かったかもしれない。
#**史実の東京五輪(1964)でその提案が却下されたのでそれは微妙。
#*もちろん、史実通りだったという可能性も否定はできないが。
#*国連の非自治地域リストに載っていた可能性も高い。
#その後も変わらず活躍したと仮定したら、日本球界におけるセーブ記録は揺るがない物になっていた。
#沖縄の小学校では英語と[[沖縄の言葉|琉球語]]が教育されるようになり、本土人と沖縄人の間で言葉が通じなくなっている。
#*名球会への入会基準にセーブの数が加わるのは史実(2003年オフ)よりも早まっていた。
#*琉球語版Wikipediaは今以上に発展していた。
#**更に、ハワイ州でしか使われないハワイ語も教育される為、沖縄の住民は完全に外人扱いになる。
#*現実では琉球政府の教育基本法に「日本国民としての教育」を行うと明記してあったのでそれはなさそう。
#大相撲中継は今も沖縄では民放が担当している。
#*一時、中継されなくなるが沖縄出身郷土力士が幕内入りで放送復活
#**つまり琴椿が幕内入りした1991年初場所から中継が再開される。
#*そこはOHK(沖縄放送協会)の出番では。
#FM沖縄が存在しているかが怪しい。
#*さすがに別のFM局が存在していたはず。
#**FM局が大量にできる。
#*実在するAFNが、先島地区にも中継局を設置する。
#*[[琉球放送|RBC]]はABCの、[[沖縄テレビ放送|OTV]]はNBCかCBSのネットワークに入る。
#**番組はアメリカ本土、日本(琉球語字幕付)に加え、東南アジアの番組も混合編成。
#**OHKも公共放送サービス(PBS)に組み込まれる。
#**両局とも復帰決定前に日本のネットワークに入っていたため下手をするとかつてのJRTをもしのぐ訳の分からない編成になっていた。
#*沖縄向けに一部(価格など)だけ差し替えたCMが今も放映されている。
#[[もしあの国の対面交通が○○だったら#沖縄だけ右側通行だったら|右側通行・左ハンドルが続いている。]]
#*この世界の1978年7月30日はごく普通の日として過ぎ去っていた。
#更に車社会化が進んでいる。
#*税金などの諸経費が安いため。
#*オバマ政権下で、やっと路面電車に着手。
#*間違ってもモノレールには使わない。
#**しかし、財産の都合の為なのか、結局完成したのは路面電車でもなく高速道路だった。
#***ハイウエイはそれ以前に作り尽していると思われるので無事軌道系交通機関ができていると思う。
#****ただしプエルトリコのように地下鉄になっていた可能性も否定できない。
#自動車の各種税金や保険料はアメリカ基準となる。
#*ガスガズラー税や2人乗りスポーツカーに対する高額な保険料が実施されている。
#[[尖閣諸島]]はアメリカ領で確定。中国も台湾も文句が言えない。
#*下手するとアメリカが台湾に呼びかけ台湾と沖縄を連邦制にしちゃうかも
#**そうなると中国激怒だな。
#パスポート必須。
#*英語と日本語で「亜米利加合衆国」と記載された旅券が今でも通用する。
#**地方空港から沖縄便が飛ぶことは無く、沖縄便があるのは茨城・羽田・成田・関空・中部・広島の6空港のみ。
#***その代わり那覇空港にはホノルルやロサンゼルス、ニューヨークへの定期便も就航していた。
#***福岡、鹿児島、奄美からも沖縄便ができているような気がする。
#在日米軍の規模がぐっと小さくなる。
#琉球切手投機騒ぎは起きなかった。
#首里城は未だに再建されていない。
#*世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」(もちろんアメリカの物件)に含まれることはなかった。
#**[[御城プロジェクト:RE~CASTLE DEFENSE~|某ゲーム]]のラインナップも大幅に変わっていた。
#ナショナルチームも沖縄代表。よって我那覇は沖縄代表。
#*オリンピックも沖縄代表。
#地図上では未だに奄美大島と沖縄の間に国境線がしかれたままで、琉球(米)と表記される。
#bjリーグには琉球の代わりに滋賀が1年早く参入。
#沖縄への修学旅行は一部の私立高校と、九州の一部公立高校だけが実施。
#*その分北海道に行く学校が増加する。
#通貨は米ドルのまま。ニクソンショック後、経済が悪化する。
#「国境」に近い鹿児島県奄美諸島に防衛庁(現:防衛省)が国境防衛の為に基地を置く。
#*やはり徳之島か。
#名実共に正式名称が沖縄ではなく琉球に変わる。
#10階以上のビルが建ったにせよ、グランドキャッスルやハーバービューホテルはない。
#*航空制限だらけ、国場ビルクラスですら10年以上あとに建てられた。
#独立して、資源開発にも失敗していたらアジア最貧国の仲間に。
#奄美地方の自然が破壊され、沖縄北部の自然はある程度残る。
#*名瀬には20階以上のタワーマンションが建つ。
#*奄美空港は滑走路が2500mになり、たまにジャンボ機も飛来する。
#*与論島は現在も年間100万以上の観光客が押し寄せ、10階建て以上のリゾートホテルが林立する。
#日本との間は、経済格差からビザ無しでの渡航が禁止されるため、沖縄への日本人観光客は現在の半分以下の水準に留まる。その代わり、宮崎や鹿児島がリゾート地として現在も君臨。
#*JALもANAも1日2便程度。AAやDL(NW)、UAが地方空港にも発着。
#*史実では日琉間の渡航にビザは必要なかったが…。
#沖縄は[[もし沖縄が日本から独立したら|独立していた]]かもしれない。
#単位はメートル法ではなくヤードポンド法が使われている。
#奄美諸島も復帰していない場合、種子島に基地が置かれる。
#米国と中国(共産党政権)の共同統治領になる可能性も。
#*あるいは沖縄諸島・大東諸島はアメリカ主導で「琉球共和国」として、先島諸島は中華人民共和国主導で「琉球人民民主共和国」としてそれぞれ独立していた。
#**アメリカが仮想敵国にむざむざ自らの勢力圏を分け与えるような行動をとる気がしない。
#安室奈美恵やSPEEDはデビューしたか?
#*「琉流ブーム」とかになってたりして。
#*外国人アーティストとして来日していたかも。
#*女優の仲間由紀恵や新垣結衣・黒木メイサなどは日本で活躍していなかった可能性もある。
#特定アジアに入れられていたかも。
#1972年の返還が無かった場合でも、冷戦終了後(90年代前半)に返還されていた可能性がある。
#*たとえ、返還されたとしても場合によっては[[もしあの都道府県が合併したら#鹿児島県+沖縄県|鹿児島県に編入されていたかもしれない]]。
#那覇空港からアメリカ本土便が発着する。アメリカ便が国内線になる。逆に成田、関空、中部とは日米の国際線になる。
#*羽田と那覇を結ぶ便は成田開港以来はD滑走路完成まで運行されなかった。
#デルタ航空、ノースウェストのアジアの拠点が成田で無く那覇になっていた可能性もある。
#*TWAの那覇便も90年代まで飛んでいた。
#共産党などが今でも沖縄返還を政策として掲げている。
#*その一方でネット右翼はあまり問題視していないと思われる。
#連続テレビ小説「ちゅらさん」「純と愛」は制作されなかった。
#*あるいは朝ドラ50周年か第100作あたりでNHK・OHKの共同制作による沖縄ネタの作品が放送されていた。
#船舶旗が史実とかなり異なるデザインになっていたかもしれない。
#*場合によっては琉球王国時代の意匠が使われていた。
#『今日の琉球』『守礼の光』は現在も刊行され続けている。
#*電子版も創設された。
#国別コードトップレベルドメインとして「琉球」にちなみ「.rk」が割り当てられていた。
#沖縄に行くのにビザが必要になっていた。
#*駐日アメリカ大使館は日本国民が沖縄へ渡航できるビザを発給せず、グアム辺りで沖縄に行けるビザを取得する形になっていた。
#*当然ながらこの方法だと、沖縄はアメリカの領土と認める(本来は沖縄はビザなしで行けるはず)事になるため、外務省のホームページには日本国民が沖縄への渡航の自粛の要請する文言が書いてある。
#*北方領土とは事情が違いすぎるのでそれはない。
#**沖縄をアメリカの施政権下に置くことは自民党や昭和天皇も認めていたので不法占拠された北方四島とは同一視できない。
#最初から沖縄を日本に返還する気がなかったら、沖縄に住んでいた県外人は強制的に本土に引き上げさせられていた。
#*関係者によるビザなし渡航も広く行われていた。
#下手したら1945年8月15日以降もアメリカ軍は種子島辺りまで武力で占領していた。
#現在でも日米間では、平和条約が締結されていない。
#*幾ら何でも論理が飛躍しすぎ。そんな事になったらサンフランシスコ平和条約そのものが無くなるので、今でもGHQが日本を占領している事になる。
#南西航空が今も沖縄資本の会社のまま。
#*自力で台湾や香港への路線も飛ばしていた。
#*社名が「琉球航空」か「沖縄航空」になっていた可能性も否定できない。
#琉球切手はもちろん健在。
#*琉球王国関連の記念切手も多く発売され内地の切手ファンから多くの収入を得ていた。
#少女が米兵に暴行されようが大学にヘリが落ちようが内地のマスコミはほとんど見向きもしない。
#沖縄→ヤマトの移住は自由だったため進学や出稼ぎ目的での移住者が多くなっていた。
#*移住者は少ないと思われるので史実より過疎化が激しくなっている。
#*大阪市大正区などがウチナータウン(沖縄タウン)として、鶴橋のように栄えていたかも。
#桃鉄シリーズにはかなり後年になるまで登場できなかった。
#*おそらく携帯版の「WORLD」で「沖縄駅」が初登場。
#今も島内に核兵器が普通に配備・貯蔵されていた。
#上皇・上皇后両陛下による沖縄ご訪問の数は史実よりずっと少ない。
#*先島諸島へのご訪問は実現していない。
#沖縄出身のプロスポーツ選手は外国人扱いで加入するか、史実で加入したチームに入団できない場合が多い。だが本土の学校に入学して外国人枠を外れるケースもある。


===佐々木宏一郎(近鉄)===
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 沖縄史|にほんにふつきしていなかつたら]]
#少なくとも200勝は行っていたはず。
#1979年・1980年のリーグ優勝に貢献していた。
 
===新庄剛志(阪神)===
※史実では阪神退団後メジャー挑戦。
#赤星のデビューは数年遅れていた。
#*当然「新庄さんの穴を埋めたい」発言もなかった。
#金本がFA宣言しても阪神は興味を示さなかった。
#あんなはじけたキャラにはなってなかった。
#森本稀哲は無名のまま日本ハムでくすぶっていた。
#その後も「明日も勝つ」発言が出るとファンから必ず非難囂々。
#星野仙一が来なかった・・・のか?
#*星野さんが史実通り来たとして、新庄の平凡で不安定な成績が槍玉に挙げられ2002年オフの「血の入れ替え」で仕分けられるターゲットにされていただろう。
#阪神暗黒時代が続いていた。
#*そして2008年現在、関西での一番人気スポーツチームはガンバ大阪。
#*近鉄と合併したのはオリックスでなく阪神だった。
#片岡の人的補償としてハムに移籍したかもしれない。
#*(前年の成績にもよるが)流石にプロテクトから外れることは考えにくいような…
#*むしろ、下柳剛氏と中村豊氏とのトレードで移籍していた可能性が高い。
#松井秀喜が日本人初のワールドシリーズ出場となっていた。
#日本ハムに移籍していたか微妙。そうなると、北海道移転が失敗になっている可能性もある。
#*パリーグ問題で揺れていた2004年にプロ野球ファンを励ます存在が当時の選手会長の古田敦也ぐらいしかいなく、同年の明るい話題が減っていた。
#*コンサドーレ札幌も史実通り低迷していた場合、北海道のプロスポーツ界は冬の時代を迎えていた。
#野村監督時代の連続最下位はなかった可能性もある。さすがにAクラスは難しかっただろうが。
#*暗黒時代が終わるのは現実通り野村監督退任後かもしれないが、野村監督在任中に最下位脱出出来ていた。
 
===杉内俊哉(ソフトバンク)===
#帆足を獲得することはなかった。
#*巨人が帆足を獲得していた。
#2012・2013シーズンはもう少し順位が良かっただろう。
 
==た行==
===田尾安志(中日)===
#現役引退まで[[中日ドラゴンズ|ドラゴンズ]]でプレー(史実通り[[阪神タイガース|阪神]]にトレード移籍、という可能性もあるが)。
#*1988年・ドラゴンズV戦士のひとりになってたかも。
#*悲願の首位打者のタイトルも獲得していた。
#*星野政権下で結局トレードに出された可能性も否定できない。
#**落合獲得時に交換要員でロッテへ、となっていた可能性も。
#***その場合引退後はロッテの監督に就任し、楽天の初代監督になることはなかった(1年早く野村克也が就任?)
#[[wikipedia:ja:杉本正 (野球選手)|杉本正]]・[[wikipedia:ja:大石友好|大石友好]]両選手は当面西武でプレーしていた。
#*当然1988年のドラゴンズに「郭-大石」のリリーフバッテリーは存在しない。
#**中村武志の運命もちょっぴり変わっていたかも。<!--当時、星野監督は郭-大石登板後、若手だった中村に「大石のリードをしっかり見ろ」と指示していたという記事を読んだ記憶がある-->
#***楽天でプレーすることなく現役引退。
#*杉本は工藤公康の、大石は伊東勤の台頭で結局はトレードに出されていたかも。
#「タオタオ坊や」というニックネームをつけられることもなかった。
#1985-86年にそれまで強打を誇っていた中日打線があれほど弱体化することはなかった。もっとも交換された杉本・大石の貢献を考えればチーム成績はそれほど変わらないか。
 
===谷繁元信(横浜)===
#横浜の暗黒時代突入は避けられていたはず。
#*逆に中日の優勝回数は減っていた。
#**場合によっては落合監督は史実より早く退任していたかも知れない。
#中村武志が横浜に移籍することはなく、中日一筋、あるいは中日から楽天へ移籍して引退していた。
#中日は2000年代半ば頃から捕手難に悩まされレギュラーが固定できない状況になっていた可能性が高い。
#*移籍組の清水将海か小田幸平が正捕手に、あるいは田中大輔が抜擢されていたかも。
#*谷繁がいて横浜で正捕手になれなかった相川亮二、鶴岡一成が中日に移籍して来た可能性もありそう。
#*鈴木郁洋や田上秀則が中日から移籍せずにそのまま中日に残ることになるだろうからそこまで捕手難ということにはならないのかもしれない。(ちなみに鈴木はオリックスで長くプレーし、田上はソフトバンクでレギュラーにまで上り詰めた。)
#当然2014年に中日のプレイングマネージャーに就任することはなかった。
 
===谷佳知(オリックス)===
#2000本安打を達成していた可能性は充分あり得た。
#*ただトレードの原因には前の2年の不振が原因なので坂口の台頭で残留しても戦力外になっていた可能性がある。
#妻の谷亮子は、政界に進出することはなかったかもしれない。
#2008年と2014年にオリックスが優勝出来ていた。
#長田昌浩や鴨志田貴司は巨人に残留していても史実通りの出番の少なさとなっていたかも。
 
===田淵幸一(阪神)===
#真弓明信は阪神にトレードされず、1979年以降[[埼玉西武ライオンズ|西武]]でプレーしていた。
#*従って、2009年以降の阪神の監督になることはなかった。2009年以降の阪神の監督は、平田、木戸辺りが考えられる。
#*晩年、代打で甲子園をわかせることもなかったので、阪神に「代打の神様」という言葉自体存在していたかどうか。
#**当時の西武は球団買収直後で福岡時代の選手を次々と放出していたことを考えると、移籍先は阪神ではないにしても真弓が他球団にトレードされていたのは結局同じような気もする。
#*むしろ田淵自身が現役晩年に「代打の神様」になったのでは?
#*キン肉マンのキン肉大王の名前は「真弓」ではなく別の名前になっていた。
#*あるいは真弓⇔古沢憲司のトレードになっていた。若菜嘉晴・竹之内雅史・竹田和史は別の球団に移籍していた。
#1985年の[[阪神タイガース|阪神]]のリーグ優勝・日本一はなかったかもしれない。
#アニメ映画「がんばれ!!タブチくん!!」では阪神の選手として登場していた。
#*ただし原作では実際に阪神時代も含まれていた。
#田淵は星野監督就任以前から阪神のコーチに就任していた(トレードを巡って球団と対立することもなかったため)。
#*濱中は故障さえ無ければブレイクが早まり、長きにわたって阪神の四番として活躍していた。
#*中村監督時代に入閣していたらお坊ちゃん首脳陣と批判対象としてあげられていたかもしれない。
 
===田宮謙次郎(阪神)===
#史実よりもう少し長く現役を続けていた。
#*セ・リーグで巨人がV9を達成するほどの黄金期に迎えて以降も阪神で現役を続けていた場合、阪神はその間1回位は優勝していたかもしれない。
#俳優の柴田吾郎は田宮二郎に改名されることはなかった。
#*その場合、俳優の方は史実よりブレイクしなかった可能性もある。
 
===多村仁(横浜・ソフトバンク)===
;寺原隼人とのトレードがなかったら(横浜→ソフトバンク)
#登録名を変更することはなかった。
#相変わらず怪我がちなので成績は史実と変わらず。
#スペ体質から脱却できていた場合内川・村田とクリンナップを形成し2008年~2010年の上位打線はえげつない事になっていた。
#*それでも投手陣が崩壊していたため最下位脱出は出来ず。
#2000年代後半の横浜の投壊は更にひどいものになっていた。
#2011年に日本一を経験する事はなかった。
#2012年オフの大型トレードもなかった。
 
;2012年オフの大型トレードがなかったら(ソフトバンク→DeNA)
#江尻慎太郎と山本省吾はDeNA、吉川輝昭と神内靖はソフトバンクで現役生活を全うした。
#*江尻は引退後そのままDeNAの2軍投手コーチに就任。
#**古巣の日ハムかもしれない。
#吉村裕基は筒香とともに大村コーチの下で復活。
#*或いは、他球団にトレードされていた。
#2014年にも日本一を経験出来ていた。
#*吉村の代わりに同年のクライマックスシリーズでMVPを獲得していたかも。
#ユリエスキ・グリエルはDeNAに入団しなかった。
 
===寺原隼人(ソフトバンク・横浜)===
;多村仁とのトレードがなかったら(ソフトバンク→横浜)
#現在も12球団勝利のまま。
#山本省吾と喜田剛は横浜に移籍せず、オリックスで現役生活を全うした。
 
;山本省吾らとのトレードがなかったら(横浜→オリックス)
#それでも2012年オフにはソフトバンクにFA移籍していた。
#*人的補償は史実通り馬原孝浩か。
 
===土井正博(近鉄)===
#DH制を利用し、近鉄で大活躍していた。
#*1979、1980年は近鉄が日本一になっていた可能性もある。
#**その場合マニエルが加入していないので、リーグ優勝も危うかっただろう。
#清原は史実ほどの成績は残せなかった。
#松井稼頭央も2009年に2000本安打を達成していなかった。
#*そもそもメジャーに行っていたかどうかも疑問
#近鉄で現役を終えそのままコーチを務めていた。
#*石井浩郎や中村紀洋あたりが彼(土井さん)のおかげで現実以上に活躍していただろう。
#*いてまえ打線が史実以上にえげつないものになっていた。
#80年代〜90年代は西武ではなく近鉄が黄金時代を築いていたかも。
 
===鳥越裕介(中日)===
#福留のコンバートが早まった、アライバコンビの台頭にも影響。
#川崎は遊撃手でブレイクできたか。
 
==な行==
===中村紀洋(オリックス)===
;2004年オフの分配ドラフトでオリックス入団後メジャー移籍しなかったら
#2005年のオリックスはプレーオフ進出していた。
#*仰木さんは体力が続くまで監督を続けていた。
#背番号は近鉄時代と同じ「5」をつけ、翌年史実通り清原に譲っただろう。
#タフィローズは巨人退団後帰国せずに1年早くオリックスに入団していた。
#*清原・ローズ・中村の強力クリーンナップで2006年もプレーオフ争いしていた。下手すりゃプレーオフ進出出来ていたかも。
#中日は2007年に日本一を成し遂げる事が出来ず、前回日本一(1954年)から60年以上経過してしまう事に。
#2009年に直接FAで楽天に移籍していたか、あるいは2011年に直接横浜に移籍していた。
 
===二岡智宏(巨人)===
#=山本モナとの不倫スキャンダルを起こしていなかったら、である。
#坂本勇人のブレイクが遅れていた、あるいはセカンドでレギュラーを獲得していた。
#*あるいは二岡がセカンドもしくはサードにコンバートされていた。
#交換相手だったマイケル中村はその後もしばらくは日ハムに残留し、武田久がストッパーになることはなかった。
#*マイケルはもしかしたら横浜あたりにトレードされていた可能性も。
#長野久義は7ではなく違う背番号を着けていた。
#新戦力の台頭と補強により2011年あたりから代打に回ることが多くなっていた。
#故障がちで満足な活躍が出来なくなり史実通り他球団へ放出、となっていた可能性も否定できない。
#*村田をFAで獲得する際の人的補償でDeNAへ移籍、となっていたかも。
#2009年に日本ハムが優勝する事は無かったかも。
 
===野村貴仁(オリックス)===
#2000年以降も中継ぎとして大活躍。
#*500登板を達成し、最優秀中継ぎ投手を受賞していた。
#引退後、投手コーチに就任。
#98年オフ以降は同じ中継ぎ抑えの平井正史、鈴木平と共に山田久志が投手コ―チを務めることになった中日ドラゴンズに移籍していたかもしれない
#*地元が高知ともあり、高知ファイティングドッグスの監督に就任していた。
#だから×××に染めることはなかった。
#*自宅もゴミ屋敷ではなかった。
 
===野茂英雄(近鉄)===
;野茂、近鉄で大活躍編
#[[大阪近鉄バファローズ]]は何度か優勝・日本一を果たしている。
#*藤井寺球場か[[大阪ドーム]]の観客動員数は増えてただろう。
#*近鉄とオリックスの球団合併はなかったかもしれない。
#**2004年のプロ野球ストライキや2005年以降のセ・パ交流戦導入はなかったかもしれない。
#**2004年の球界再編がかなり現実と異なる形となっていたと思われる。但し[[福岡ソフトバンクホークス#ダイエー時代の噂|ダイエー]]に関しては[[ダイエー|親会社]]の経営悪化が原因なので現実通り[[ソフトバンクグループ|ソフトバンク]]に球団を売却していた。
#今でもイチローは[[オリックス・バファローズ|オリックス]]、松井は[[読売ジャイアンツ|巨人]]、松坂は[[埼玉西武ライオンズ|西武]]。日本人選手のメジャー行きは無かった。
#*もしくはマック鈴木のように国内プロ野球を経由せずマイナー契約が主流になっていた。
#**ハンカチ王子は大学に進学せず渡米していた。
#***↑の意味がまったくわからないんだけど。
#*日本におけるプロ野球人気が現実ほど低下しなかった。
#**現在でも地上波によるプロ野球中継は多く行われている。
#日本全体の大リーグに対する興味が激減しているはずなので、大リーグの知識が(プロも含めて)貧弱だった可能性もある。そうなると日本はWBCで優勝できていたかどうか……
 
;鈴木監督、長期政権化編
#鈴木監督と対立、徹底的に干された野茂はほとぼりが冷めたころ[[阪神タイガース|阪神]]にトレードされる。
#阪神ではどれだけ力投しても味方の打線に足を引っ張られなかなか勝てず、200勝到達は再度移籍したオリックスでひっそりと成し遂げる。
==関連項目==
*[[もしあのプロ野球選手があの球団に移籍していたら/さ~な行]]
{{行別|もしあのプロ野球選手があの球団に残留していたら}}
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 日本プロ野球史|せんしゆさんりゆうさな]]

2021年3月1日 (月) 12:34時点における版

  1. トリスウイスキーの懸賞が「沖縄旅行積立預金証書」になっていた。
  2. さすがに軍政は終わり、グアムのようなアメリカの自治属領(準州)となっている。
    • あるいは琉球連邦としてアメリカの傀儡国家になっている。
    • 対中拠点としてオキナワ州になっていたら、アメリカ国旗がマイナーチェンジ(星が1つ増える)。
      • むろん民主党が強い青色州。
        • ただし発言権はあるが議決権のない代表者という扱い。
      • ナンバープレートには“Uchina State”か“Mensore State”と書かれていた。
        • 史実のアメリカ統治時代のナンバープレートは“Keystone of the Pacific”だった。
    • 『アメリカ横断ウルトラクイズ』のペーパークイズ、ブーブーゲート、どろんこクイズはグァムやサイパンでなく沖縄(への機内)が定番。
    • オリンピックにも独自の選手団を派遣していた。
      • 史実の東京五輪(1964)でその提案が却下されたのでそれは微妙。
    • 国連の非自治地域リストに載っていた可能性も高い。
  3. 沖縄の小学校では英語と琉球語が教育されるようになり、本土人と沖縄人の間で言葉が通じなくなっている。
    • 琉球語版Wikipediaは今以上に発展していた。
      • 更に、ハワイ州でしか使われないハワイ語も教育される為、沖縄の住民は完全に外人扱いになる。
    • 現実では琉球政府の教育基本法に「日本国民としての教育」を行うと明記してあったのでそれはなさそう。
  4. 大相撲中継は今も沖縄では民放が担当している。
    • 一時、中継されなくなるが沖縄出身郷土力士が幕内入りで放送復活
      • つまり琴椿が幕内入りした1991年初場所から中継が再開される。
    • そこはOHK(沖縄放送協会)の出番では。
  5. FM沖縄が存在しているかが怪しい。
    • さすがに別のFM局が存在していたはず。
      • FM局が大量にできる。
    • 実在するAFNが、先島地区にも中継局を設置する。
    • RBCはABCの、OTVはNBCかCBSのネットワークに入る。
      • 番組はアメリカ本土、日本(琉球語字幕付)に加え、東南アジアの番組も混合編成。
      • OHKも公共放送サービス(PBS)に組み込まれる。
      • 両局とも復帰決定前に日本のネットワークに入っていたため下手をするとかつてのJRTをもしのぐ訳の分からない編成になっていた。
    • 沖縄向けに一部(価格など)だけ差し替えたCMが今も放映されている。
  6. 右側通行・左ハンドルが続いている。
    • この世界の1978年7月30日はごく普通の日として過ぎ去っていた。
  7. 更に車社会化が進んでいる。
    • 税金などの諸経費が安いため。
    • オバマ政権下で、やっと路面電車に着手。
    • 間違ってもモノレールには使わない。
      • しかし、財産の都合の為なのか、結局完成したのは路面電車でもなく高速道路だった。
        • ハイウエイはそれ以前に作り尽していると思われるので無事軌道系交通機関ができていると思う。
          • ただしプエルトリコのように地下鉄になっていた可能性も否定できない。
  8. 自動車の各種税金や保険料はアメリカ基準となる。
    • ガスガズラー税や2人乗りスポーツカーに対する高額な保険料が実施されている。
  9. 尖閣諸島はアメリカ領で確定。中国も台湾も文句が言えない。
    • 下手するとアメリカが台湾に呼びかけ台湾と沖縄を連邦制にしちゃうかも
      • そうなると中国激怒だな。
  10. パスポート必須。
    • 英語と日本語で「亜米利加合衆国」と記載された旅券が今でも通用する。
      • 地方空港から沖縄便が飛ぶことは無く、沖縄便があるのは茨城・羽田・成田・関空・中部・広島の6空港のみ。
        • その代わり那覇空港にはホノルルやロサンゼルス、ニューヨークへの定期便も就航していた。
        • 福岡、鹿児島、奄美からも沖縄便ができているような気がする。
  11. 在日米軍の規模がぐっと小さくなる。
  12. 琉球切手投機騒ぎは起きなかった。
  13. 首里城は未だに再建されていない。
    • 世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」(もちろんアメリカの物件)に含まれることはなかった。
      • 某ゲームのラインナップも大幅に変わっていた。
  14. ナショナルチームも沖縄代表。よって我那覇は沖縄代表。
    • オリンピックも沖縄代表。
  15. 地図上では未だに奄美大島と沖縄の間に国境線がしかれたままで、琉球(米)と表記される。
  16. bjリーグには琉球の代わりに滋賀が1年早く参入。
  17. 沖縄への修学旅行は一部の私立高校と、九州の一部公立高校だけが実施。
    • その分北海道に行く学校が増加する。
  18. 通貨は米ドルのまま。ニクソンショック後、経済が悪化する。
  19. 「国境」に近い鹿児島県奄美諸島に防衛庁(現:防衛省)が国境防衛の為に基地を置く。
    • やはり徳之島か。
  20. 名実共に正式名称が沖縄ではなく琉球に変わる。
  21. 10階以上のビルが建ったにせよ、グランドキャッスルやハーバービューホテルはない。
    • 航空制限だらけ、国場ビルクラスですら10年以上あとに建てられた。
  22. 独立して、資源開発にも失敗していたらアジア最貧国の仲間に。
  23. 奄美地方の自然が破壊され、沖縄北部の自然はある程度残る。
    • 名瀬には20階以上のタワーマンションが建つ。
    • 奄美空港は滑走路が2500mになり、たまにジャンボ機も飛来する。
    • 与論島は現在も年間100万以上の観光客が押し寄せ、10階建て以上のリゾートホテルが林立する。
  24. 日本との間は、経済格差からビザ無しでの渡航が禁止されるため、沖縄への日本人観光客は現在の半分以下の水準に留まる。その代わり、宮崎や鹿児島がリゾート地として現在も君臨。
    • JALもANAも1日2便程度。AAやDL(NW)、UAが地方空港にも発着。
    • 史実では日琉間の渡航にビザは必要なかったが…。
  25. 沖縄は独立していたかもしれない。
  26. 単位はメートル法ではなくヤードポンド法が使われている。
  27. 奄美諸島も復帰していない場合、種子島に基地が置かれる。
  28. 米国と中国(共産党政権)の共同統治領になる可能性も。
    • あるいは沖縄諸島・大東諸島はアメリカ主導で「琉球共和国」として、先島諸島は中華人民共和国主導で「琉球人民民主共和国」としてそれぞれ独立していた。
      • アメリカが仮想敵国にむざむざ自らの勢力圏を分け与えるような行動をとる気がしない。
  29. 安室奈美恵やSPEEDはデビューしたか?
    • 「琉流ブーム」とかになってたりして。
    • 外国人アーティストとして来日していたかも。
    • 女優の仲間由紀恵や新垣結衣・黒木メイサなどは日本で活躍していなかった可能性もある。
  30. 特定アジアに入れられていたかも。
  31. 1972年の返還が無かった場合でも、冷戦終了後(90年代前半)に返還されていた可能性がある。
  32. 那覇空港からアメリカ本土便が発着する。アメリカ便が国内線になる。逆に成田、関空、中部とは日米の国際線になる。
    • 羽田と那覇を結ぶ便は成田開港以来はD滑走路完成まで運行されなかった。
  33. デルタ航空、ノースウェストのアジアの拠点が成田で無く那覇になっていた可能性もある。
    • TWAの那覇便も90年代まで飛んでいた。
  34. 共産党などが今でも沖縄返還を政策として掲げている。
    • その一方でネット右翼はあまり問題視していないと思われる。
  35. 連続テレビ小説「ちゅらさん」「純と愛」は制作されなかった。
    • あるいは朝ドラ50周年か第100作あたりでNHK・OHKの共同制作による沖縄ネタの作品が放送されていた。
  36. 船舶旗が史実とかなり異なるデザインになっていたかもしれない。
    • 場合によっては琉球王国時代の意匠が使われていた。
  37. 『今日の琉球』『守礼の光』は現在も刊行され続けている。
    • 電子版も創設された。
  38. 国別コードトップレベルドメインとして「琉球」にちなみ「.rk」が割り当てられていた。
  39. 沖縄に行くのにビザが必要になっていた。
    • 駐日アメリカ大使館は日本国民が沖縄へ渡航できるビザを発給せず、グアム辺りで沖縄に行けるビザを取得する形になっていた。
    • 当然ながらこの方法だと、沖縄はアメリカの領土と認める(本来は沖縄はビザなしで行けるはず)事になるため、外務省のホームページには日本国民が沖縄への渡航の自粛の要請する文言が書いてある。
    • 北方領土とは事情が違いすぎるのでそれはない。
      • 沖縄をアメリカの施政権下に置くことは自民党や昭和天皇も認めていたので不法占拠された北方四島とは同一視できない。
  40. 最初から沖縄を日本に返還する気がなかったら、沖縄に住んでいた県外人は強制的に本土に引き上げさせられていた。
    • 関係者によるビザなし渡航も広く行われていた。
  41. 下手したら1945年8月15日以降もアメリカ軍は種子島辺りまで武力で占領していた。
  42. 現在でも日米間では、平和条約が締結されていない。
    • 幾ら何でも論理が飛躍しすぎ。そんな事になったらサンフランシスコ平和条約そのものが無くなるので、今でもGHQが日本を占領している事になる。
  43. 南西航空が今も沖縄資本の会社のまま。
    • 自力で台湾や香港への路線も飛ばしていた。
    • 社名が「琉球航空」か「沖縄航空」になっていた可能性も否定できない。
  44. 琉球切手はもちろん健在。
    • 琉球王国関連の記念切手も多く発売され内地の切手ファンから多くの収入を得ていた。
  45. 少女が米兵に暴行されようが大学にヘリが落ちようが内地のマスコミはほとんど見向きもしない。
  46. 沖縄→ヤマトの移住は自由だったため進学や出稼ぎ目的での移住者が多くなっていた。
    • 移住者は少ないと思われるので史実より過疎化が激しくなっている。
    • 大阪市大正区などがウチナータウン(沖縄タウン)として、鶴橋のように栄えていたかも。
  47. 桃鉄シリーズにはかなり後年になるまで登場できなかった。
    • おそらく携帯版の「WORLD」で「沖縄駅」が初登場。
  48. 今も島内に核兵器が普通に配備・貯蔵されていた。
  49. 上皇・上皇后両陛下による沖縄ご訪問の数は史実よりずっと少ない。
    • 先島諸島へのご訪問は実現していない。
  50. 沖縄出身のプロスポーツ選手は外国人扱いで加入するか、史実で加入したチームに入団できない場合が多い。だが本土の学校に入学して外国人枠を外れるケースもある。