もしあの製品の普及時期が別の時代だったら
2020年7月29日 (水) 15:51時点における>ピポー快速たいら塚による版
薄型テレビ
薄型テレビは2000年代後半から本格普及が進みましたが、これが別の時代だったら?
1990年代後半
- ブラウン管テレビは遅くとも2002年には生産を終了していた。
- BSデジタルチューナー内蔵のハイビジョンブラウン管テレビは製造されなかった。
- それでもデジタル放送移行は史実と同じ時期までかかっていた。
- 放送局や中継局の整備(アナアナ変換含む)などもあったため、早急な以降は液晶普及の度合いにかかわらず難しかったと思われる。
2000年代前半
- 2007年ごろには30インチぐらいの有機ELテレビが出ていた。
- 地球温暖化の進行がほんのわずかながら遅れた。
- CO2の温室効果ってたかが知れてる。エネルギーの節約志向は高まっただろうけど。
- それでもブラウン管にこだわるマニアが増えたか、禁止法までできて大変なことになっていたかも。
- 松下電器(現パナソニック)の業績が悪化することはなかった。
- あの大リストラもなかった。
- 薄型テレビだけで業績悪化や大リストラは回避できなかったと思うが…
- あの大リストラもなかった。
- シャープは現実より早く亀山や堺の液晶工場を稼働させていた。
- 急速に地上デジタル対応テレビが増え、ブーイングがひどくなることはなかった。
- それはないと思うが、急速にBSデジタル対応テレビが普及していた可能性はある。
- 完全地上デジタル化が2~3年早まっていた。
- デジタル化はアナアナ変換などの都合もあるから、薄型テレビだけで地上デジタル対応テレビの増加や完全デジタル化が早まっていた可能性はたぶん無いと思う。
- BSデジタルが普及していた可能性はある。薄型になると大型化し、ハイビジョン放送が必要になるから。
- デジタル化はアナアナ変換などの都合もあるから、薄型テレビだけで地上デジタル対応テレビの増加や完全デジタル化が早まっていた可能性はたぶん無いと思う。
- 2011年現在、日本は薄型テレビ市場で韓国の後塵を拝することはなかった。
- 韓国の後塵を拝したのは、節約志向や魅力ある番組の減少とも無縁ではないので、逆に韓国に抜かれるのが早まっていた可能性も。
- ブラウン管の製造中止も早まっただろう。
2010年代前半
- HDMI付きハイビジョンブラウン管テレビが2005年頃に登場。
- ブラウン管にデジタル入力はいらないから映像・音声をまとめたふっといケーブルになってただろう。
- 2010年には3Dハイビジョンブラウン管テレビが登場。
- それでも地デジ化は予定通り行われていた。
- 実史より10年遅く、2015年にハイビジョンブラウン管テレビは生産終了。
- 2007年には大手メーカーの機種は全機種地デジ対応ブラウン管テレビになったため、ブラウン管テレビ=アナログテレビという誤解はなかった。
- そして2010年には16型以上の機種は全機種ハイビジョン化。
- 2010年頃には技術革新で40型ブラウン管テレビができたかも。
- 2011年1月1日にシャープがAQUOSを発売。
- それでも2000年代後半以降日本のテレビは海外メーカーの後塵を拝した。
- 「日本だけ2010年代前半にならないと薄型テレビが普及しない」ならまだしも、世界的にそうならばそこまではならないのでは。
携帯電話
20年早かったら
- 史実でテレホンカードが登場する頃には、公衆電話の衰退が始まっていた。
- テレホンカードは存在しないか、しても高額カードは出なかったかもしれない。
- 偽造テレホンカードも、そこまで大きな問題にはならなかった(事例が極めて少ないと思われるため)。
- ポケベルも、文字送信サービスは実施されずに消えていった。
- 日航ジャンボ機墜落事故の際は、安否確認や救助作業なども重なり、携帯電話がつながりにくい状態が発生していた。
- メールサービスも昭和のうちに始まっていた。
- 勿論、送り先の指定は電話番号(要するに今でいうSMS)。
- インターネットが普及する以前は、パソコン通信の携帯電話版にあたる「ケータイ通信」が行われていた。
- 勿論、キャリアがホストとなるために、サービスもキャリアごとに違っていた。
- iモードのようなものがパソコンで使用可能になっていたんだろうか。
- 通信料が2Gケータイと比べても高額になることが予想されるため、「通信死」という言葉が出来ていた。
- 勿論、キャリアがホストとなるために、サービスもキャリアごとに違っていた。
- バブル期には、アナログ方式は停波していた。
- 史実以上に普及のペースが速かったと思われるため、アナログ回線のままでは捌ききれない状態になっていたと思われる。
- その流れで、コードレスの家庭用電話機も1990年代以降はすべてデジタル式になっていた。
- 電電公社の民営化が早まった可能性がある。
- 携帯が普及しても他社の新規参入が出来ないことに、政財界などから異議が多く出ていたことが考えられる為。
- 最初の頃は、画面すらない携帯電話機も出ていた。
- 自局番号は、本体の電池パックの裏あたりに貼り付けてあると思われる。
- 電話番号のメモリー機能も無かったかもしれない。
- 大相撲の八百長が早い段階で公にされる。
- 大鳴戸親方と板井は除名、大乃国以外の横綱・大関も解雇。
- 昭和のうちに着うたが開発・普及する。
- 史実の日本の音楽業界におけるCDバブル期は、着うたバブル期となっていた。
- CDはライト層には普及せず、オーディオマニアのコレクターズアイテムとなっていたかもしれない。
- 当時の着うたはレコード店に設置された音楽自動販売機で販売していたかもしれない(かつて実在したMDの音楽自動販売機「ミュージックポッド」のような形で)。
- ソフトバンクは南海ホークス買収に乗り出した可能性がある。
10年早かったら
- 人口の多い第二次ベビーブーム世代が学生時代から携帯電話の恩恵を受けるので、現実以上に大ブームになっていた。
- 彼らは新しい文化を次々と生み出した可能性も。
- コギャルブームなども数年早く起こっていた。
- 団塊の世代も壮年期のうちに携帯電話の恩恵を受けるので、高年齢層でも現実以上に大ブームになっていたであろう。
- 彼らは新しい文化を次々と生み出した可能性も。
- 1995年1月17日の阪神・淡路大震災では携帯電話がつながらないことで大問題になっていた。
- 鉄道車両の車内公衆電話は設置されなかった。
- ただ、トンネルの多い山陽新幹線・上越新幹線には設置されている。
- 特急形は座席に電源コンセントを備えるのが当たり前になっていた。
- 山陽新幹線と上越新幹線も2000年までに全線で携帯電話で通話可能になったと思う。
- バブル期の文化に携帯電話の普及が加わっていた。
- 景気が良かったこともあり現実以上に普及のペースが速かった。
- 2008年現在、街中から公衆電話が姿を消している。
- 少なくとも電話ボックスはほぼ撤去されていた。
- 公衆電話や電話ボックスが「昭和ノスタルジー」として紹介される。
- 病院以外どこでも見かけない。
- ICカード式公衆電話は登場しなかった。
- ポケベルは誰にも知られないまま消えていた。
- 裕木奈江主演のドラマのタイトルは「ケータイが鳴らなくて」だった。
- 大黒摩季「あなただけ見つめてる」の歌詞も最初から「ケータイ持ったわ」だった。
- 一方「バブルへGO!!」で主人公のケータイが使えないとかのネタは削られてた。
- あるいは当時とは通信方式が違うので使えないというネタに変わってる。
- 1985年以来の日本企業所属旅客機の墜落無事故記録が途絶えたとしたら、間違いなく携帯電話のせい。
- 2008年現在、婚姻届の提出や住民票の交付などの公共サービスも受けられるようになった。
- それは無い。人の身分に関する届出は本人確認を厳重にしないといけないから。だから2011の今でもPCでの届出は出来ない。
- それでも印鑑証明や戸籍の廃止を求める声は現実より大きい。
- おそらく住基ネットのカードなどを活用していたと考えられる。(似たような例がエストニアにある)
- それは無い。人の身分に関する届出は本人確認を厳重にしないといけないから。だから2011の今でもPCでの届出は出来ない。
- 「中学生以下に携帯電話を持たせてはいけない」という法律ができていた。
- 学校における授業中の携帯の着信音や電車の中での会話など、公共の場所におけるマナーの低下が現実以上に社会問題化してた。
- 法で禁止とまではいかなくても、条例で禁止する自治体ぐらいはあるかもしれない。
- それでも「iモード」は史実と同じぐらいの登場だったかも。
- いや、「iモード」は1990年前後の登場だと思う。
- 1990年当時は液晶の技術やネットインフラの整備が未発達だったので、「iモード」の登場は早くても1996年ぐらいになっていたと思う。
- 従って第二次ベビーブーム世代は学生時代に携帯電話の恩恵を最大限活用することが出来なかった。
- ナンバーポータビリティーの導入も5年ぐらい早まっていた。
- ITバブル崩壊の際は現実以上にメーカー再編が起きていた。
- 三菱・三洋・ソニーは21世紀を前に撤退していた。
- ただでさえガラパゴスと言われる日本の携帯事情と世界の携帯事情の差がもっと大きくなっていた。
- むしろスマートフォン上陸も10年早まり、史実とあまり変わらなかったのでは?
- バブル崩壊後の就職難も史実ほど深刻にならなかった。
- アマチュア無線、パーソナル無線の衰退が早まり、CQ Ham Radioはとっくに休刊、電波整理のため、パーソナル無線は2010年ごろには廃止されている。また、テレビのデジタル化も数年早まり、今頃はアナログ放送が終了している。
- デジタルテレビもブラウン管が多かった。
- デジタル化とバブル期が重なったため、いくつかのテレビ局が開局できている。
- このため沖縄では学力低下がますますひどくなった。
- テレビやビデオの地デジへの移行も現実より早いペースで進められた。遅くとも1990年代中盤にはアナログ放送は終了。
- 他国でも21世紀に入ってから地上波デジタルに移行したのに?
- でも何らかの対策をとらないと電波がパンクしてしまう。
- 他国でも21世紀に入ってから地上波デジタルに移行したのに?
- テレビ放送自体が消滅していたかもしれない。
- 総務庁(現在の総務省)主導でさいたま新都心に高さ500m以上のタワーを建設したかも。電波の混信対策に苦労したが。
- おそらく1990年代中盤までに供用開始。
- バブル崩壊は数年遅れ、その後の「失われた10年」もなかった。
- それはあんまり関係無いと思う。「失われた10年」が遅れてやってくるだけに過ぎなかった。それどころか崩壊が遅れる分崩壊後のダメージが大きかったと思う。
- Wikipedia:ja:三島駅乗客転落事故は起きなかった。事件当時(1995年)は高校生が携帯を持っていることは少なかった。
- スマートフォンも2000年前後に普及し始めていた。
- 2010年現在、全ての携帯電話がスマートフォンにとって代わられている。
- むしろ携帯電話サイズのパソコンが出来ていたんじゃ。
- ipadの誕生も史実よりも早かった。
- どこかのIT企業が横浜フリューゲルスのスポンサーに加わっていた。
- DeNAはベイスターズを買収しなかったかも。
- ソフトバンクのダイエーホークス買収が数年早まった可能性もある。
- ワンセグ放送の普及も現実よりは早かった。
- 京阪特急のテレビカーは地デジ放送に対応せずに廃止されていた。
- むしろテレビ放送がモバhoやnottvなどに取って代わられていた。
- 上にある通り総務庁主導で高さ500m以上の電波塔が建設され、テレビのデジタル放送への移行が進めばテレビ放送の存在意義がある。
- 1990年代半ば頃から、着うたが普及する。
- そのため史実より早くCD不況が到来していた。
- ダイエーなどの異業種企業が、現実以上に携帯電話事業に参入したかも。
10年遅かったら
- ソフトバンクは球団を持っていなかった。
- この場合、ホークスを買収したのはライブドアだったかもしれない。
- ワンセグの普及は完全地デジ化後になるので、史実より普及していた。
- Twitterは史実ほど普及しなかった。
- 「携帯ゲーム」という単語で誤解を招くことは少なかった。
- 電話番号が11桁になるのは2009年にズレていた。
- 一部のスマホゲームは最初からDSや3DSで発売されていた。
- 若者の娯楽費が携帯電話の通信費に消えるのも10年遅くなるので、日本音楽市場は2000年代に入ってもCDバブルが続いていた。
- その代わり、携帯電話普及後のCD不況・音楽配信への移行は史実より急速に進む。
- CCCDの登場もCD衰退の要因の1つだから2000年代前半におけるCDバブル崩壊そのものはどの道避けられなかったのでは?
- CDバブルが続いていたらCCCDの導入はそもそもなかっただろう。
デジタルカメラ
1980年代
デジタルカメラは1980年代にはすでに発明されていましたが当時はまだフィルムカメラの方が主体で本格的にデジタルカメラが普及したのは21世紀に入ってからになりました。もし1980年代の時点でデジカメが普及していたら・・・
- 鉄道写真の撮影も1980年代には手軽に行えるようになっていた。
- 1987年の国鉄分割民営化→JR誕生の時には撮り鉄で駅がパニックになっていた。
- 1997年の碓氷峠在来線廃止の時も。
- 特定地方交通線廃止の時は各地でダイヤが乱れていた。
- 1980年代以降鉄道写真を撮影する人の数が間違いなく増えていた。
- それに伴ってマナーも問題になっていた。
- 野上電鉄の鉄オタ排除の対応が当時批判されるどころか賞賛されていたかもしれない。
- 「京阪100年号」のような事故が毎年発生していた。
- 少なくとも三脚での撮影やフラッシュ撮影の禁止は史実より厳しく、小さな駅でも警備員が立っていたかも。
- 1987年の国鉄分割民営化→JR誕生の時には撮り鉄で駅がパニックになっていた。
- 1995年の阪神・淡路大震災の時には被災地を撮る不謹慎な見物人で阪神間が溢れていた。
- これに対し被災者から苦情が出ていた。
- だが震災の記録写真自体も現実より多く残っていたと思われる。
- 「写ルンです」なども当初からデジタルカメラとして発売された。
- 当時はSDカードなどもなかったので記録媒体はどうなっていたか・・・。
- 3.5インチフロッピーかSRAMカードあたりかと。そういや90年代末にソニーからフロッピー記録のデジカメが出てたような…
- 1990年代初頭はパソコンがそれほど普及していなかったことからテレビやビデオデッキにデジカメを接続して撮影した画像を見ていたと考えられる。
- 「企業戦士YAMAZAKI」の"BIG TOMORROW"の巻は存在しない。
- PCは256色以上表示の需要が早まり、各8ビットPCはもっと早く淘汰されていた。
- 90年代初頭のPC-98でもGIFやJPEGのデコードは相当重かったしなあ。
- 携帯電話へのカメラ機能搭載も1990年代中盤には一般化していた。
- 以前より手軽に写真が撮れるようになっていたので1980年代から肖像権やプライバシーが問題になっていた。
- 東欧革命や天安門事件のスクープ写真もデジカメで記録された。現在も世界中の人々にとってこれらの事件が初期デジカメのようなにじんだ画質の脳内イメージで再生されている。
- ポラロイドやコダックの倒産が早まった。
- 富士フイルムあたりも90年代に写真フィルムから撤退したかも。
- FCドラクエ1・2の復活の呪文は画面を撮影するだけで完璧に保存されるので、「じゅもんが ちがいます」はトラウマネタになっていない。