もしあの年の高校野球で○○だったら

2010年3月3日 (水) 01:42時点における124.26.79.88 (トーク)による版 (→‎戦後・夏)
ナビゲーションに移動 検索に移動

戦前・戦中

  • 1915~41年

1915年

優勝校が異なっていたら
  • 秋田中
  1. 「白河の関」という言葉は高校球界に存在しなかった。
  2. その後一度も優勝がなかった場合は「もう一度・・・」と呼ばれるようになっていた。
  • 早稲田実
  1. 2006年の優勝は「91年ぶり2回目」と史上最長ブランク優勝だった。
  2. 松山商とともに「大正」「昭和」「平成」の3元号優勝を達成していた(ただし昭和は選抜)。

1918年

予定通り開催されていたら

米騒動で中止された本大会。もし予定通り開催されていたら?

  1. 中学明善→明善高は数回は甲子園に出ていたかもしれない。
  2. 愛知一中の連覇もあったかも?

1941年

予定通り開催されていたら

予選途中で中止された本大会。もし予定通り開催されていたら?

  1. 1942年の大会も朝日新聞社が関与し、回数にカウントされていたかもしれない。

戦前から沖縄が出場していたら

  1. 多分出場は記念大会が中心になるだろう。
    • 首里(県立1中)は無論、沖縄水産は史実より早い戦前に初出場
    • 開南中学が出場していたら、沖縄戦で廃校にならず共学の開南高校として現存だったかもしれない。
      • その場合は、今日興南か沖縄尚学が存在しない。
      • 某氏は開南高校出身
    • また、戦後の高校野球復帰が早まったかもしれない。

戦後・春

1984年

歴代優勝校プレートが撤去されなかったら

1932年から続いてきた歴代優勝校プレートですが、1984年の大会でワンバウンドでラッキーゾーン入りした打球がホームランと間違って判定された際、歴代優勝校プレートがミスジャッジのやり玉に挙げられたため、その日の全試合終了後に全て撤去されてしまいました。

もし、優勝校プレートが撤去されずに残っていたら?

  1. 1984年以降も選抜名物として残っていた。
    • ただ、プレートが1984年当時で55枚もあったことから、ラッキーゾーンが撤去された1992年以降はどっちみち廃止されていた可能性も。
  2. 今でも残っていた場合、ネット上で公開されているかも。

戦後・夏

1968年

興南が優勝していたら
  1. アメリカ施政権下での優勝となり、復帰後の「甲子園が先か大臣が先か」の論争はそもそもない。
  2. その後の沖縄勢の成績にいくらか好影響があり、沖縄水産や浦添商業、八重山商工だって優勝を果たしていた可能性すらある。
    • よって深紅の大優勝旗の意義が薄らいでいた。

1969年

三沢が優勝していたら

1969年夏の甲子園大会は松山商が優勝しましたが、三沢との決勝は壮絶なものでした。中でも延長15回には三沢が1アウト満塁でカウント0-3まで行きましたが、松山商がしのいで0点に抑えるなど、まさに決勝まで勝ち上がったチーム同士の意地のぶつかりあいが見られました。

もしこの大会で三沢が優勝していたら?

  1. 東北勢初優勝となっていた。
  2. 青森県勢の低迷もなかった。
    • 逆に愛媛県勢が低迷していたかも。
  3. 太田幸司氏(高校卒業後、近鉄バファローズに入団)は史実以上に人気が出ていたかも。

1971年

磐城が優勝していたら
  1. 磐城の田村隆寿投手は、プロ入りしていた可能性もある。

1980年

早稲田実業が優勝していたら
  1. 準優勝であれほどのフィーバーなのだから、もっと「大輔」という名前の男の子が増えていた。
  2. 早稲田実業は荒木大輔の在学中にもう1回は優勝していたかも。
  3. 愛甲猛は・・・これもあまり変わらないか。

1984年

準決勝の桑田の逆転2ランがファールと判定されていたら
  1. 金足農は第1回大会以来秋田県勢69年ぶりの決勝に進出していた。
    • そのまま東北勢初優勝していたかもしれない。
  2. またはPL学園は9回裏に逆転サヨナラ勝ちしていた

1987年

徳山・温品投手の悪送球がなかったら
  1. 山形県勢は1980年から1991年まで12年連続で初戦敗退し、青森を超える連敗記録を作っていた。
    • ただし2009年に秋田に並ばれる
  2. 東海大山形は29-7の汚名をさらに広げてた
  3. 温品投手はプロ入りしていたかもしれない。
PL学園が初戦で群馬・中央高校に敗れていたら
  1. 甲子園に「中央旋風」が吹いてた

1990年

沖縄水産が優勝していたら

※1991年夏に優勝した場合も同じ。

  1. 沖縄はひと夏中お祭り騒ぎ。
    • あまり騒ぎすぎてクレームあったり。
  2. 「甲子園が先か大臣が先か」論争が逆の結果で決着。
  3. 1999年の沖縄尚学の春制覇は、「春も制覇!」であまり騒がれず。
    • その代わり春・夏両方制覇県としてここよりは威張れそう。
  4. 裁監督は全国制覇後に沖縄水産を退任していたかも。
    • 新任高で史実の沖縄尚学より早く春制覇。
  5. 1991年夏に優勝した場合、スポーツ紙などでは「去年のリベンジ」の見出し(対戦相手は違うが)。

1992年

松井秀喜が5打席連続敬遠されなかったら
  1. 明徳義塾に対するブーイングはなかった。
  2. 星稜が順当に勝っていた可能性がある。場合によっては優勝!?
    • 逆に実史通り明徳義塾が勝っていた場合、明徳の3回戦での大敗はなかった。こちらも場合によっては優勝!?
  3. 明徳の名が「あの時の明徳」ではなく、「ただの新興私立校」程度の認知度だった。
    • しかし、その後の不祥事で結局明徳義塾のイメージは下がった
  4. 明徳と言えば朝青龍、あるいは三都主。
  5. 松井は元西武の鈴木健程度の評価で終わった。
  6. どっちにしても同日の試合にさり気なく村田善則(佐世保実業)が出場していた。
  7. 明徳義塾の河野和洋投手は、プロ入りしていた可能性もある(ちなみに、現在メジャーリーグで活躍中の黒田博樹投手とは、大学で同期)。

1996年

決勝での「奇跡のバックホーム」がなかったら

1996年夏の甲子園決勝・熊本工vs松山商の延長10回裏(熊本工の攻撃)、1死満塁の場面で松山商が起こしたビッグプレーです。参考もし、この「奇跡のバックホーム」がなかったら…。

  1. 熊本工業は初優勝を飾っていた。
    • 当然熊本県勢としても夏の甲子園初優勝を飾っていた。
    • 熊本市内がお祭り騒ぎとなっていた。
    • 反対に、愛媛県内は失望していたかも。
  2. ライトの矢野が監督や選手からものすごく批判されていた。
    • よって、愛媛朝日放送に入社することなどあり得ない。

1997年

横浜高校が甲子園に出場していたら
  1. 97年、98年と夏2連覇を成し遂げていた。
  2. 松坂大輔はその分肩が消耗し、プロでは大成しなかった。
  3. 捕手である上地雄輔が注目されプロ入り。ヘキサゴンでのおバカ解答もなかった。
    • 控えだったのでプロ入りはなかったと思う。結局芸能界に入って坂東英二とセットにされていた。
      • 茨城ゴールデンゴールズあたりにいたかも。
  4. 史実で甲子園に出場していた桐蔭学園の平野恵一・浅井良は注目度が少し下がっていた。
    • 阪神やオリックスが獲得に動く事もなかった。
    • ただし、大学で評価を上げた場合は別。

1998年

横浜高校が準々決勝か準決勝で敗れていたら
  1. 松坂大輔の評価はそれでも変わっていない。
    • しかし、小池正晃、後藤武敏、小山良男の評価には影響していたかも。
  2. 優勝は明徳義塾になっていた(史実より4年早い初優勝)。
    • 準決勝がPL-明徳でもPLが延長で疲れていて現実と同じような試合展開になっていた。
    • 明徳の寺本四郎と高橋一正はもう少し上の順位でドラフト指名されていた。
宇部商業藤田投手のサヨナラボークがなかったら
  1. 既にノーアウト満塁だったのでどっちにしろ豊田大谷が勝っていた。
    • 宇部商業が勝っていた場合、東愛知のレベルが低いと言われ90回大会の愛知の区分けが変わっていたかもしれない。
  2. この試合が横浜vsPL学園のように語り継がれることはなかった

21世紀・春

2006年

駒大苫小牧が出場していたら
  1. 駒大苫小牧は夏春連覇し、06年夏は夏3連覇と夏春夏3連覇をかけて決勝に臨んだ。
    • 駒大苫小牧に勝てる相手は横浜と早稲田実業くらいか?
  2. 実は初戦で早稲田実業と対戦していた。
    • 代替出場の北海道栄が早稲田実業と対戦したため。
  3. 「優勝したのは横浜だが真の日本一は駒大苫小牧だ」と言われることはなかった。
  4. 6月に青森で行われた横浜vs駒大苫小牧の練習試合はなかった。

2009年

花巻東が出場してなかったら

花巻東は2008年の秋季東北大会準決勝で光星学院に6-3で敗れ選抜当確圏内の決勝進出を果たせなかった。しかし同じ岩手県勢で決勝に進出した一関学院が光星学院に7-1で敗れたため、県大会でも直接勝ってる花巻東が準決勝敗退ながら逆転で選出された。もし一関学院が選出され花巻東は出場できなかったら…

  1. 花巻東のセンバツ準優勝はなかった。
    • 岩手県勢初の決勝進出もなかった
    • 一関学院でも行けていただろうか?
  2. 菊池雄星の注目度は現実より下がっていた。
    • ドラフト一巡目で指名されることは変わりないが、メジャーからつめかけることはなかった。
  3. 逆に一関学院の菊池翔太の評価が上がっていたかもしれない。
  4. 夏に花巻東が出場していたら、各新聞の評価はBランクくらいだった。

21世紀・夏

2001年

優勝校が違っていたら
  • 近江
  1. 近畿地区は6県全て優勝達成。
  2. 近畿最後の県勢初優勝で滋賀は大盛り上がり。
  • 横浜
  1. 「春夏連覇したらその後優勝できない」ジンクスが5年早く破られてた。
  • 松山商
  1. 大正・昭和・平成に続いて、21世紀でも優勝していた。

2003年

倉敷工対駒大苫小牧戦がノーゲームにならかったら
  1. 2003~05年まで駒大苫小牧は3連覇し、06年は4連覇をかけて決勝に臨んだ。
    • あるいは倉敷工業に普通に勝ったので、悔しがる事もなくその後の強豪化はなかった。
    • 2007年世代までは普通に強豪になってたと思う。
    • 2003年の優勝はないでしょ。よくてベスト8だっただろう。
  2. いずれにせよ、北海道勢夏50勝目は駒大苫小牧が取るものの、1年早く到達していた。
東北が優勝していたら
  1. 悲願の白河の関越え。
    • 仙台市は大盛り上がり。
  2. もちろん、常総学院の木内監督の最後の夏を有終の美で飾れなかった。
    • 選手たちも号泣していた。
      • 号泣している選手を木内監督が慰めていた。

2004年

駒大苫小牧が優勝していなかったら
  1. 済美は高校野球史上初の初出場春夏連覇という快挙を達成していた。
  2. 北海道勢の甲子園優勝はほど遠いものとなっていたかもしれない。
東北が優勝していたら
  1. ダルビッシュは有終の美を飾ることが出来た。
  2. 場合によっては駒大苫小牧との対戦が実現していた。

2005年

明徳義塾が出場していたら

開幕2日前に不祥事で出場辞退した明徳義塾。もし出場していたら?

  1. 日大三に負けて夏の大会初の初戦敗退を喫していた。
  2. 日大三に勝ってたらベスト4くらいまで行けたかもしれない。
  3. 明徳義塾が低迷することはなかった。
    • 逆に高知が低迷していた。
  4. 中田亮二はプロ志望届を提出し、この年のドラフトで指名されていたかも。
明徳義塾が大会初日のカードを引いていたら
  1. 代替出場校に配慮し5日目くらいに変更されていた。

2006年

駒大苫小牧が優勝していたら
  1. 駒大苫小牧は中京商(現・中京大中京)以来の3連覇を達成していた。
  2. 「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹投手の注目度が現実より下がっていた。

2007年

広陵が優勝していたら
  1. 広陵は夏の甲子園として初めての優勝を飾っていた。
  2. 佐賀北の逆転満塁ホームランも無かった。
    • いや、もしくは逆転を許した後に逆転していたかも。

2008年

開幕が7月まで前倒しされていたら

2008年夏の高校野球は、北京五輪との日程重複を極力避けるため、開幕日が8月2日に設定されましたが、もし7月中に開幕ということがあれば…

  1. 当然、史上初の7月開幕となっていた。
    • 現実の8月2日でも最も早い開幕となるため、7月開幕となれば初のこととなる。
    • 仮に北京五輪開幕日(8月8日)までに全日程を終了させようと思ったら、記念大会で会期が17日になるため、7月23日から開幕ということとなっていた。
    • ちなみに、北京五輪閉幕(8月24日)を待っての開幕では、閉幕日が9月10日となってしまうため、現実的ではない。
  2. 予選も6月から行う県が続出していた。
    • 8月2日開催でも予選はいつもどおりだった県がほとんどだったが、7月開幕となれば前倒しをせざるを得なくなる。

2009年

日本文理が優勝していたら
  1. 最大7点差をひっくり返しての逆転優勝に、当然新潟はお祭り騒ぎ。
  2. それでも高校野球板ではやっぱり非難轟々。
  3. 中京大中京のエース・堂林はヒーローインタビューの時以上に号泣していただろう。
  4. 世紀の逆転劇に文句なしでノミネートされてた
    • 花巻東-明豊戦の掲載はなかったかも
決勝のカードが違っていたら
  • 岐阜商業vs中京大中京
  1. 東海地方だけが大盛り上がり。
  • 日本文理vs花巻東
  1. 北信越勢は久々の、東北勢は初めての優勝を賭けて戦うために両地方は大盛り上がり。
  2. 春に続き夏も「どっちが勝っても春夏通じて初優勝」になっていた。
  • 岐阜商業vs花巻東
  1. 両地方は大盛り上がり。ただし盛り上がりの度合いでは東北のほうが上。
日本文理の「土壇場の追い上げ」がなかったら
  1. スポーツ紙などでは「中京大中京圧勝」の見出し。
    • 準優勝校であるはずの日本文理の扱いは現実以上に小さい。
    • やっぱり文理は籤運だったといわれる。
  2. 「6点差、9回、2アウト、2ストライク、ランナーなし」は絶望を意味するキーワードとなっていた。
花巻東・菊池雄星の背筋痛が無かったら
  1. 中京大中京を相手に1、2点差ぐらいの接戦を演じていた。