もしあの駅名が改称されなかったら/関東
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茨城
太田駅(現・常陸太田駅)
- 東武鉄道の太田駅は太田町駅(→太田市駅)か東武太田駅に改称されていた。
助川駅(現・日立駅)
- 部外者から、「なんで『日立』駅なのに、発車メロディーが『この木なんの木』じゃないんだ?」と思われる事はなかった。
- 駅内広告で日立が占める割合が、現実より低くなっていた。
北鹿島駅(現・鹿島サッカースタジアム駅)
- スタジアムの正式名称に漢字が入っていると誤解されることはなかった。
- 鹿島アントラーズサポーターから「鹿島敗北」につながり縁起が悪いと言われる。
- 何かと西鹿島駅に引っかけられる。
栃木
東那須野駅(現・那須塩原駅)
- それでも、新幹線の開業で改称されていただろう。
- 恐らく、那須野駅になっていただろう。
- 建設時の仮称が「新那須」であることを考えるとそれは無い。
- 経緯からすると新黒磯駅もあり得る。
- 逆に新幹線の駅が西那須野か黒磯だったらこのままだった。
- 恐らく、那須野駅になっていただろう。
- 町村合併で那須野市になる。
下野豊原駅(現・豊原駅)
- 一部の書籍などで「南樺太が日本だった時代の名残」として時々取り上げられた。
- Chakuwikiでも樺太と引っかけたネタがあった。
- 旧国名部分の現在の読みはもちろん「しもつけ」。
群馬
飯塚駅(現・北高崎駅)
- 高崎問屋町駅が北高崎駅として開業していた。
埼玉
越ヶ谷駅(現・北越谷駅)
- 現・越谷駅は本越ヶ谷駅として開業していた。
- 昭和の大合併で自治体名が越ヶ谷から越谷に変わった際に、それぞれ越谷、本越谷に改称されていた。
- 大袋村が合併で越谷町になった際に、大袋駅が北越谷駅に改称されていた。
武州大沢駅(現・北越谷駅)
- 後に武州大沢から東武大沢に改称されていた。
杉戸駅(現・東武動物公園駅)
- 東武動物公園の知名度は現実よりかなり低かった。
- 駅所在地の宮代町から宮代の名前を入れる提案がされていた。
- 杉戸高野台駅は杉戸の名前にこだわらず、東武高野台駅として開業していた。
- 日比谷線の乗り入れが北越谷までに留まっていたか、逆に南栗橋乗り入れが多くなっていた。
- 分岐点だしそこはあまり変わらなかった可能性も・・・
行田駅(現・行田市駅)
- 高崎線の現・行田駅は新行田駅を名乗っていた。
粕壁駅(現・春日部駅)
- 市制施行時に駅名に合わせて「粕壁市」になっていた。
- 史実では春日部町成立に合わせて春日部駅に改称され、合併・市制施行時にそのまま春日部市になっている。
- 初期の『クレヨンしんちゃん』では表記が「糟壁」だった。
豊岡町駅(現・入間市駅)
- 入間川駅(現・狭山市駅)の改称もなかった。
入間川駅(現・狭山市駅)
- 入間市にあると勘違いされる。
- 入間市駅が史実どおり実現していた場合、紛らわしいとの批判を受けていた。
川越駅(現・本川越駅)
- 現・川越駅は新川越駅として開業していた。
- 東上線が川越西町駅として先に開業しているのでそのまま国鉄も追随していた。
- 川越市駅が代わりに本川越駅を名乗っていた。
小手指駅(現・西所沢駅)
- 現・小手指駅は小手指ヶ原駅あるいは西武北野駅として開業していた。
大和町駅(現・和光市駅)
- 板橋区の大和町交差点は板橋本町交差点になっていた。
膝折駅(現・朝霞駅)
- 自治体名が史実どおり変更されていた場合、北朝霞駅及び朝霞台駅が朝霞駅として開業していた。
武州松山駅(現・東松山駅)
- 後に武州松山から東武松山に改称されていた。
- むしろ、「もし東松山市が松山市だったら」じゃね?
- 松山市がブチ切れる。結局市名は改名に。
- 市名に追随せず駅名は変えなかったという想定で書いたのだが・・・
- 某鉄道シュミレータゲームアプリの武州松山駅は東松山駅になっていた可能性は高いか?
菅谷駅(現・武蔵嵐山駅)
- 菅谷村は町制施行後も菅谷町を名乗っていた。
- 本多静六が菅谷渓谷を武蔵嵐山と名付けたことは完全に忘れ去られていた。
北本宿駅(現・北本駅)
- 市制施行時に本宿市か解脱市になっていた。
- 後者の場合、駅名も解脱駅に改称されていた。
- みなみ北本駅も当然別の駅名だった。それでも、開業できたか怪しいが。
- 南本宿だと今も残る南元宿(さいたま市桜区)から抗議もあったかも知れない。
- 解脱市になっていたら宗教団体の協力も得られ市の財政状態が現実より良かったので、開発が進んだ70年代後半から80年代初頭あたりの開業もあり得た。
大成駅(現・鉄道博物館(大成)駅)
- 大宮駅から歩いて鉄道博物館へ行く人が現実より多かった。
- 北大宮駅も。
- 代わりに副駅名で鉄道博物館を入れて大成(鉄道博物館)になった可能性も。
狭山湖駅(現・西武球場前駅)
- 西武ドームは史実以上にバカにされている。
千葉
国鉄千葉駅前駅(現・京成千葉駅)
- 国鉄民営化の時点で改称されたので、時代に合っていないと批判されていた。
- 逆に鉄道ファンや懐古ファンにとっては国鉄の名を現在も感じられる貴重な駅となっていた。
- むしろJR千葉駅前駅になっているのでは?
- 逆に鉄道ファンや懐古ファンにとっては国鉄の名を現在も感じられる貴重な駅となっていた。
- 京成千葉駅(現・千葉中央駅)の改称もなかった。
- 「12時にJR千葉駅前駅前に集合ね!」
葛飾駅(現・京成西船駅)
- 葛飾区の中心駅と間違える人が後を絶たない。
- なお、この地域も旧東葛飾郡葛飾町なので駅名としては間違っていない。
- 江戸川駅が江戸川区にある事から、鉄道ファンの初心者向けの本では幾度か題材にされていた。
- 「葛飾」という地名の表す範囲が意外と広いことがもっと知られていた。
京成花輪駅(現・船橋競馬場駅)
- 船橋競馬場の知名度が今よりも低かった。
- 花輪インターチェンジの認知度が今より高かった。
センター競馬場前駅(現・船橋競馬場駅)
- 船橋ヘルスセンターが今ほど忘れ去られた存在にはならなかった。
- 一方で地元民以外からは「センターって何?」と思われるようになっていた。
- 中山競馬場の最寄と間違えて降りる人が後を絶たない・・・はちょっと無理か?
京成千葉駅(現・千葉中央駅)
- 国鉄千葉駅前駅および千葉駅との間で紛らわしいとの批判を受けていた。
千葉海岸駅(現・西登戸駅)
- 「千葉」とつく駅が一つ増えていた。
- 京成千葉線の末端4駅は「千葉」がつくことになっていた。
東京
柿ノ木坂駅(現・都立大学駅)
- 旧制府立高校が移転した時点で改称されていなければそのままだった。
- 首都大学東京の受験生が誤って下車するようなことはない。
- 「都立大学」を名乗るマンションは旧都立大学の敷地近辺のものに限られていた。
- ここは実際に戻してもよさそうな気がする。
- 風情のある駅名として人気が出ていた。
- 東急のことだから「柿の木坂」に表記を変更していただろう。
- 駅前に文字通り柿の木が植えられていた。
- 「カキノキ」という俗称が定着する。
- ラブライバーが「音ノ木坂」(作中に登場する学校名)を連想していた。
九品仏前駅(現・自由が丘駅)
- 大井町線の九品仏駅は存在しなかったか別の駅名になっていた。
- 存在しない場合尾山台もなかった可能性がある(それぞれの中間位置に駅があった)。
- 自由が丘の地名は史実通り成立しているだろうが、現在のような街のイメージ形成に史実よりも時間がかかっていた。
- どうしても駅名がおしゃれなイメージを下げていると言われる。
営団成増・赤塚駅(現・地下鉄成増・赤塚駅)
- 史実通り営団が民営化されていた場合、営団の名を残すためにわざとそのままにしていた。
- 「費用節約」「事業はそのまま」などと揶揄されていた。
- 社名が「営団地下鉄株式会社」とかなら確実にこうなっていた。
志村駅(現・高島平駅)
- ここではなく新高島平駅が高島平を名乗っていた。
- 西高島平駅はおそらく史実通り。
- 地名と駅名が合致していないため、史実同様批判は幾らかあった。
- 「東高島平駅」への改称が西高島平駅への延伸時に提案されていた。
- 志村けんが一日駅長をやっていた。
碑文谷駅(現・学芸大学駅)
- 青山師範学校が移転した時点で改称されていなければそのままだった。
- 東京学芸大学の受験生が誤って下車するようなことはない。
- 「学芸大学」を名乗るマンションは旧学芸大学の敷地近辺のものに限られていた。
- 碑文谷と聞いてすぐ連想できるものはダイエー以外にもあった。
- 読み方も現実より知られていた。
- ここも実際に戻してもよさそうな気がする。
- 特に「(東京)学芸大学」が現存する以上、「都立大学駅」よりもその重要性が高い。
羽田空港駅(現・羽田空港国内線ターミナル駅)
- 羽田空港国際線ターミナル駅は誤下車防止のため「羽田空港」がつかない駅名となっていた。
- ただし放送では成田空港方面と区別するため「羽田空港の国際線ターミナル」と案内されていた。
業平橋駅(現・とうきょうスカイツリー駅)
- 東京スカイツリーの知名度は少しだけ下がっていた。
- それでもスカイツリーの来場者はあんまり変わらない。
- 建設時からマスコミが極めて大々的に取り上げていたので駅名による知名度の変化はないのでは。
- 代わりに駅名票に(東京スカイツリー前)と書かれていたかも。
浅川駅(現・高尾駅)
- 高尾山口駅が高尾駅として開業していた。
- 場所を考えるとそれは考えにくい。
- 場所的に高尾で良さそうな気がするのだが・・・
烏森駅(現・新橋駅)
烏森 | ||||
からすもり | ||||
有楽町 | 浜松町 | |||
Yurakuchō | Karasumori | Hamamatsuchō |
- 汐留駅は新橋駅のまま廃駅となり、後の大江戸線・ゆりかもめの汐留駅は新橋駅を名乗っていた。
- 駅周辺の地名も烏森になっていた。
- 近鉄名古屋線の烏森駅は同名回避のため別の駅名になっていた可能性が高い。
- 「関急烏森」→「近畿日本烏森」→「近鉄烏森」となった可能性も高い。近鉄名古屋線の烏森駅は普通しか停まらないような小駅だから同名回避のために別の駅名にする必要性は薄い。
- 「新橋」の知名度が下がっていた。
- 1986〜2002年は万世橋並みの存在感だった。
西銀座駅(現・丸ノ内線銀座駅)
- 銀座駅とは日比谷線開通後乗換駅として同一扱いになるもののあくまでも別の駅。
- あるいは日比谷線銀座駅が西銀座駅として開業し、東銀座駅が銀座駅として開業する。
江戸橋駅(現・都営浅草線日本橋駅)
- 江戸橋の知名度は今より格段に高かった。
- 都営浅草線のイメージが今より若干マイナーだった。
多磨墓地前駅(現・多磨駅)
- 多磨霊園の最寄であると言う認知度が今より高かった。
- 北多磨駅(現・白糸台駅)の改称もなかった。
- 逆に京王の多磨霊園駅が早い段階で改名していた。
多磨駅(現・多磨霊園駅)
- 西武多摩川線多磨駅改名は無かった。
- あるとしても「西武多磨」か「東京外大前多磨」とかにしないと紛らわしい。
- あるいはこっちが「多磨霊園駅」を名乗っていたか。
曲金駅(現・京成高砂駅)
- 曲金からの町名変更は行われなかった。
- 「高砂」といえば兵庫県高砂市を思い出す人が大半だった。
- 大半はさすがに厳しいかと・・・
玉ノ井駅(現・東向島駅)
- 「住居表示から伝統地名を守った」と地名評論家に絶賛されていた。
- 近年「東武博物館前」への改称が一部で検討される。
- 21世紀に入ってからホームに『濹東綺譚』(永井荷風)の文学碑ができていた。
- 大相撲玉ノ井部屋の最寄り駅と勘違いされる。
氷川駅(現・奥多摩駅)
- 登山愛好家やダムマニアなどにおなじみの駅名になった。
- 後に改称の話が出るがそうした人々の反対により断念。
- 駅名つながりで氷川きよしが一日駅長を務めたことがある。
関戸駅(現・聖蹟桜ヶ丘駅)
- 「京王せいせきショッピングセンター」は別の名称になっていた。
羽田駅(現・穴守稲荷駅)
- 天空橋駅の旧駅名は別の名称になっていた。
- 羽田空港駅だったかも。
- 羽田空港のアクセス駅と間違えて下車する客が絶えなかったかもしれない。
羽田駅(現・天空橋駅)
- 天空橋の知名度は少し下がっていた。
- 羽田空港のアクセス駅と間違えて下車する客が絶えなかったかもしれない。
- 庶民サンプルの天空橋愛佳は羽田愛佳になっていた
青山六丁目駅(現・表参道駅)
- 青山一丁目とともに存在しない地名の駅としてマニアに知られていた。
- その青山一丁目駅と誤乗する事例が続出していた。
- おそらく一度神宮前駅に改称されるも、千代田線開業に伴いこの駅名に戻っていた。
神宮前駅(現・表参道駅)
- 明治神宮前駅開業後も改名しない場合、両者の間で混乱が起きていた。
- 明治神宮前駅が原宿駅など別の名前で開業した場合は、明治神宮最寄じゃないのに神宮前と批判されていた。
東八王子駅(現・京王八王子駅)
- 駅移転ではなく八王子駅への延伸が議論されていた。
- 八王子みなみ野駅の駅名候補に「南八王子駅」が挙がっていた。
小田急本社前駅(現・南新宿駅)
- この辺りに小田急の本社があった事がもっと知られていた。
- 一方で間違えて下車する人も少なからずいただろう。新宿のすぐ傍だからそこまで酷い事にはならないはずだけど。
- 現在では「代ゼミ前」「山野ホール前」「小田急本社の南」などと揶揄されている。
- 大手私鉄では唯一自社の本社があったことを示す駅名として知られていた。
下十条駅(現・東十条駅)
- 下十条運転区(←電車区)の所在地が現実より広く認知されていた。
- 「北モセ」の所属標記も由来が分かりやすかった。
慶大グラウンド前駅(現・千鳥町駅)
- 都立大学・学芸大学共々、名前の由来となった大学が移転したのに駅名はそのままと言う事例になっていた。
昭和前駅(現・昭島駅)
- 昭島市が昭和町と拝島村の合成地名であることが現実より知られていた。
- 一方で昭和飛行機について知らない人が増えると「前ってなんだ?」と言われていた。
- モリタウンは昭和を前面に押し出したコンセプトで造られていた。
山谷駅(現・大森町駅)
- 山谷と間違えて降りる安宿目当ての訪日外国人観光客が絶えなかったかも。
神奈川
河原口駅(現・厚木駅)
- 史実とは逆に、相鉄側の厚木駅が河原口駅に改称されていた。
- 同時に本厚木駅が厚木に改称していたかもしれない。
大根駅(現・東海大学前駅)
- 大根の認知度が今より高かった。
- 東海大学が副駅名などで何とか駅に名前を入れるように運動を行っていた。
- 大根で大学最寄り駅ということで東京農業大学の最寄駅と勘違いされていた。
- 「だいこん駅」という俗称が付いていた。
- アルファベットで「One」になることから「1駅」とも。
新横浜北駅(現・北新横浜駅)
- 今でも新横浜駅と間違えて下車する客が絶えなかった。
- その後も地名の後に方角を付ける駅が多く誕生していた。
- 「北」「新」横浜という奇怪な二重接頭語にならずむしろ分かりやすかった。
稲田登戸駅(現・向ケ丘遊園駅)
- この場合モノレールの向ケ丘遊園正門駅が「向ケ丘遊園」駅を名乗っていた。
- 比較的最近「発音しにくい」として「稲田」に短縮されたかもしれない。
- 水戸線と被るから「向ヶ丘」では?
- 登戸駅が隣にあるので「西登戸」もあり得るが、こうなると京成千葉線の西登戸と文字が被るのでやっぱり別の駅名になりそう。
- おそらく向ケ丘遊園閉鎖後にこの駅名に戻ったことになる。
六会駅(現・六会日大前駅)
- 大学と地元との関係が現実より悪くなっていた。
- 大学名を駅名に入れる風潮が現実より弱まっていた。
野比駅(現・YRP野比駅)
- アルファベット入りの私鉄駅はJA広島病院前駅が唯一になっていた。
- 代わりに副駅名で横須賀リサーチパークを入れていた。
- 現実以上にドラえもんファンの聖地扱いされる。
久里浜駅(現・京急久里浜駅)
- JRの久里浜駅との関係は特に変わらず。
鳴神駅・昭南駅(現・新大津駅・北久里浜駅)
- 「京急久里浜線・鳴神駅の「鳴神」とはキスカ島、昭南駅の「昭南」とはシンガポールの事である」といった雑学がたびたび取り上げられるようになる。
- 「かつての占領地の日本名を駅名に使い続ける理由がわからない」として駅名改称運動が何度か起こっていた。
- 勝手に駅名改称では「鳴神→キスカ」「昭南→シンガポール」といった投稿が行われていた。
- 鳴神駅がわざわざキスカ島まで出向けない提督勢の聖地となっていた。
- 「鳴神」「昭南」がこの辺りの地名として定着していたらこうなっていただろう。
- それでも左寄りの「市民」達が何かにつけて改名を求めていた。
- 戦争に関するイベントが何度か行われたに違いない。
- 「昭南駅」はしばしば「湘南駅」と勘違いされる(しかも旧社名が「湘南電気鉄道」だったから特に…)。
中央林間都市駅(現・中央林間駅)
- 東林間・南林間も改称されずに「林間都市」を名乗っていた。
- 東急もこの駅名を名乗るだろうから、方向幕の表示が狭苦しい事になっている。
- 特に優等種別の表示が窮屈になっていた。
- 「都市」の二文字が縮小表示になっていてもおかしくはない。
- 「東武動物公園」行きでも縮小表示になっていないのだからそれはない。
- つくばエクスプレスのつくば駅は筑波学園都市駅になっていたかも。
- 南海高野線の林間田園都市駅の駅名のモデルになったと思われていた。
谷津坂駅(現・能見台駅)
- 高校野球で横浜高校の松坂大輔が活躍したときに「松坂」駅と勘違いする、あるいはこれをネタにする人が続出。
- 乗り入れ先の谷津駅と間違える人もいた。
京急安浦駅(現・県立大学駅)
- 県立保健福祉大学が副駅名などで何とか駅に名前を入れるように運動を行っていた。