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{{半保護|特定ユーザーによる非生産的な編集合戦|2017年4月22日 (土) 20:08(JST)}}
==呉延伸が実現していたら==
{{注意|「司会者はあの人になっていた」「あの人がレギュラー出演者になっていた」などの紋切り型の投稿のみにならないようにしてください。}}
現在の広島電鉄の前身にあたる広島瓦斯電軌は大正時代に御幸橋東詰から海田、矢野、坂を経由して呉市内へ至る路線を建設しようとしていました。しかし、計画は第1次世界大戦後の不況により中止されました。もしこの路線が完成していたら?
==NHK==
#1920年代の前半に完成していた。
===いないいないばあっ!===
#すでに呉線が存在していたので苦戦したはず。
;1990年代
#*広島市内中心部に直通できたらある程度の需要はあったと思う。
*放送時間帯は史実の時間帯を想定
#*呉線が電化されるまでは、山陽本線に対する宮島線と同じく通しでもある程度利用されていた。
#初期の出演者は違っていた。
#戦時買収されて呉線に組み込まれていたかもしれない。
#*だがワンワンは最初から登場していた。
#*そして呉線はめでたく複線化。
#初期はBS2で放送していた。
#買収されなかった場合、宮島線と同様に高床車が走っていた。
#教育テレビでの放送は1999年3月まで史実と同じ夕方の10分である。
#*現在は全車低床化されている。
#さらに西条への延長計画(実在していた)が実行に移されていた。
#*宮島線の岩国延長計画ももう少しは現実味を帯びていた。
#広島側ターミナルの駅名は「電車御幸橋」→「広電御幸橋」→「広電皆実町」と移り変わっていた。
#呉市にもマダムジョイがあった。
#沿線地域の人口がもっと多かった。
#呉市電を買収していた、そして直通運転していた。
#*いまでも存続している。


===えいごであそぼ===
==宮島線の市内線乗り入れが行われていなかったら==
;共通
#宮島線各駅の無人化は行われなかった。
#「セサミストリート」により近い内容だった。
#*近年に新設されたような駅は無人のような気がする。
#初期のOPやEDなどはスキャニメイトを使っていた。
#市内線で連接車は運行されてない。
;1980年代
#広電西広島と己斐は今も別々。
#「英語で教育する番組」というより「英語で教育するパペットバラエティ番組」になっていた。
#*あるいは対面乗り換えができるように改造されている。
#80年代前半の放送の場合、お姉さん役に早見優が出ていたかも。
#急行電車は廃止されることはなかった。
#*後半なら「アメリカンキッズ」があるため早見以外が出演する。同じ帰国子女の西田ひかるもあり得そう。
#今でも京阪、阪急からの譲渡車が走っている。
#1060系が黒歴史になることはなかった。
#*各種書籍・公式HPなどでは広電の車両形式は全て「○○形」と表記されている。
#広島の地下鉄建設が現実味を帯びてくる。
#宮島線と市内線の軌間が違っていたら間違いなくこうなっている。


===シャキーン!===
==宮島線の廿日市から先が単線のままだったら==
;2005年
#宮島線がJRに対し現実よりも不利になる。
*放送時間帯は教育テレビの平日7時台を想定
#広電廿日市駅は昼間時の折り返し便が残り史実よりも繁栄している。
#橋本甜歌はレギュラーになっていた。
#*開業時の木造駅舎はおそらく平成までもたなかった。
#2008年3月までは10分放送だった。
#背景としては「原爆・枕崎台風の被害による経営状態の悪化+朝鮮戦争による資材高騰+旧用地の道路などへの転用要請」か。
#パイロット版は2004年度に3回やっていた。
#社史などで事あるごとに痛恨事として取り上げられている。


===天才ビットくん===
==連接車を導入していなかったら==
;1990年代前半
#車両は700系・800系にあふれかえる。
*天才ビットくんはビットワールドの前身です。
#宮島線内では単車を3両程度に連結し運行。
#初期はインターネットでのアイデア募集はなかった。
#[[広島駅]]がさらに混雑してる。
#*パソコン通信に公式フォーラムを置いてアイデアを募っていたかもしれない。
#広島がLRTの代表として紹介されることはなかった。
#時期によっては天才テレビくんにあったアニメ枠が最初から天才ビットくんにあったかもしれない。
#かつて札幌市電に在籍していたような親子電車が導入されていた。
#既存路線の混雑緩和のためバイパス路線の建設が計画される。


===天才てれびくん===
[[category:歴史のif検討委員会 私鉄史|ひろしまてんてつ]]
;1980年代
[[Category:広島電鉄|もしも]]
*放送時間帯は平日の午後を想定。
#1980年代前半なら総合テレビで「おかあさんといっしょ(再放送)」の前後にやっていた。
#*隔月に大相撲中継でつぶれたかもしれない。
#1980年代後半なら教育テレビ「おかあさんといっしょ(再放送)」の後に「みんなのうた」をはさんでやっていた。
#「ジ・エレクトリック・カンパニー」や「カリキュラマシーン」に近い内容だった。
#生放送は月曜か金曜かもしれない。
#*月1回は公開生放送かも。
#*長期休暇中は地方の放送局に行ってたかも。
#初期のOPやEDなどはスキャニメイトを使っていた。
#*テーマ曲はテクノポップ調になるかもしれない。
#舞台は学園系や日常系だった。
#MTKの代わりに音楽の時間をやっていたかもしれない。
#*司会はYMOがやっていた。
#キャラクターは着ぐるみと人形で登場していた。
#*声は白石冬美や古谷徹ぐらいかな。
#てれび戦士は小学1年から中学3年で30人前後だった。
#*長くても9年出演した人もいたかもしれない。
#ナレーターは野沢那智がやっていた。
#*(8)と(10)の通りになれば、TBSラジオ『パックインミュージック』の金曜放送分で、何らかのネタになっていたかも。(実史上では、野沢と白石は、この時期の「金曜パック」のMCを担当していた。)
#1990年頃あたりから教育テレビの平日午後6時台に移動した。
#史実と同じ長寿番組になっていて、約5年周期に改題していた。
#少子化よりも前の世代なので史実以上に子役の登竜門となっていた。
 
===にほんごであそぼ===
;共通
*放送時間帯は史実と同じ時間帯を想定
#初期のOPやEDなどはCGを使っていた。
#アニメ枠を設けていたかも。
#こどもたちは「てれび戦士」と同様に毎年半数近い人数が入れ替えしていた。
#1999年から2003年には放送時間が中途半端な被害にあっていた。
 
===ニャンちゅうワールド放送局===
;共通
*放送時間帯は教育テレビの週末夕方を想定
#約2時間放送になっていたかもしれない。
#史実の内容が前半に、『あつまれ!わんパーク』や『ニャンちゅうといっしょ』と同じ内容が後半にやっていたかも。
#*あるいは週末夕方に「ワールド放送局」を放送し、別番組として日曜日夕方に「母と子のテレビタイム」〜「あつまれ!わんパーク」〜「ニャンちゅうといっしょ」を放送していたかも。
 
===ピタゴラスイッチ===
;1990年代
#恐らく、最初はダイジェスト版「ピタゴラスイッチ・ミニ」は放送されなかった。早くとも1990年代後半頃にようやく放送されてたという形になっていたかも。
#*もちろん、平日の朝の再放送もしていない。
#当時のピタゴラ装置はやや地味な装置になっていた。
#現在なお1990年代に放送されたコーナーが放送されている。(もちろん現在はデジタルリマスター化)
 
===列島縦断 鉄道12000キロの旅===
;国鉄全盛期
NHKではJR線全線に乗車する番組として、2004年に「列島縦断 鉄道12000キロの旅~最長片道切符でゆく42日~」が、翌2005年に続編として「列島縦断 鉄道乗りつくしの旅~JR20000km全線走破~」が放送されました。もしこれらが、[[日本国有鉄道|国鉄]]全盛期に企画・放送されていたら。
#当時はパソコン・コンピューターが無いので、[[東京大学]]の頭脳を持ってしてもルート割り出しにかなりの時間がかかる。
#*下手すると間違ったルートで旅行して、光畑茂氏あたりからツッコミ食らう可能性すらある。実際1961年の東大旅行研究会はルート算出ミスったわけだし。
#*パソコンはともかく大型コンピュータはあるんじゃないの?
#「最長片道切符…」は、おそらく2ヶ月(実史は42日(=6週間))位かかる。
#「のりつくしの旅…」も実史の1.5倍の日程、もしくは(実史の)春・秋編以外に冬編が放送される。
#実史での四国特別編は、国鉄連絡船に宇高航路・仁堀航路がある為、通常のルートとなる。
#旅人は誰だろうか?(実史は関口知宏)。
#*放送時期にもよるが、多分渡辺文雄(実史で日テレ「遠くへ行きたい」に出演)かも。
#*種村直樹だったりして…
#**キャラクターはともかく、鉄道に関する知識や元大手新聞記者という経歴、独立直後で時間がある…ということで。
#**その場合、世間的な知名度はかなり高くなっていた。
#放送時期にもよるが、宮脇俊三が監修を務めていた。
#*場合によっては『最長片道切符の旅』がこの番組の感想や裏話をまとめた本になっていた。
#遵法闘争に巻き込まれて、予定通りの場所で放送できない事態が多発。
#放送時期にもよるが、肥薩線「嘉例川駅」が注目されることが無かったか?
#NHKではなく国鉄の一社提供で民放で放送したかも。
#*日テレで放送なら、同局の番組「遠くへ行きたい」と連動・コラボレーションしたかも。
#時期にもよるが、国鉄のキャンペーン『いい旅チャレンジ20000キロ』とタイアップした可能性も…。
#21世紀に入ってから当時のルートを再びなぞる旅番組が放送される。
#*『新日本紀行ふたたび』のような雰囲気で当時と現在の比較が行われた。
 
==日本テレビ系==
[[もしあの番組が別の時代に放送されていたら/日本テレビ系]]
 
==テレビ朝日系==
===愛のエプロン===
;2000年代後半
#史実通り城島茂になりそうな気がする。放送も土8か。
#*2009年の春から夏にかけてTBSの土8ドラマと愛のエプロンでジャニーズ番組人気争いが行われる。
#番組が終了したとしても特番として放送していた可能性が高い。
#ゲストがメチャクチャな料理を作ることに対し「食べ物を粗末にしている」などの抗議がネットから発生し打ち切られた恐れあり。
#食育絡みのもう少し固めの内容になっていたかもしれない。
 
===ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!===
;2000年代
#多分、そんな長いタイトルにならないと思う。ぜいぜい「炎のチャレンジャーこれができたら100万円!!」か「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー」。
#*あるいは「ウンナンの炎のチャレンジャー」。
#インターネットゲームで当番組のイライラ棒をモチーフしたゲームが沢山作られていた。
#*3DSやWiiUでこの番組を題材としたゲームソフトもリリース。当然イライラ棒も入っている。
#プリキュアや平成ライダーシリーズとセットになっていたのは確実。
#チャレンジの内容によって賞金額が変わっていた可能性も。目玉となるイライラ棒は100万円。その場合番組タイトルは1の後者となっていた。
#チャレンジャーは芸能人が主体。
#東日本大震災後に内容を考慮して封印された競技があったかもしれない。
 
===グット!モーニング===
;2011年
#恐らく、テレ朝のマスコットキャラクター「ゴーちゃん。」の誕生準備として放送になりそうな気がする。
#*誕生の瞬間もここで放送されていただろう。
#*ZIP!のあさアニメを対抗するために「ゴーちゃん。」のアニメコーナーが設けられていたかも。
#**そして2014年にはTBSとテレ朝のサンリオアニメコーナー人気争いが実行されていただろう。
#*やじうまテレビは放送されておらず、2011年までやじうまプラスが放送されていた…?
#2011年は「モーニングバード!」も放送されているので、史実の2014年のTBSみたいな編成になっていたかも。
#視聴率については史実とほぼ変わらないと思われる。
#林修は新メンバーとして出演していた。
 
===芸能人格付けチェック===
;2002年
#恐らく、人気者でいこう!終了後の2002年元旦に放送されていただろう。
#*場合によっては秋期での放送も史実より早まっていたかもしれない。
#番組内容と視聴率についてはほぼ変わらない。
#*ただし、伊東四朗は出演しなかった可能性が高い。
#プレバト!!のような採点する番組の放送が早まっていたかもしれない。
 
===サンデーLIVE!!===
;1997年
#名古屋テレビのアニメ・スーパー戦隊シリーズ・メタルヒーロー(平成仮面ライダー)シリーズなどは別の時間で放送されていた。
#やじうまワイドの日曜版的な位置づけだった。
#テレビ朝日単独製作かつ全編ローカル枠になっていた。
 
===しくじり先生 俺みたいになるな!!===
;2000年代
#オリエンタルラジオやタカアンドトシあたりが進行役を務めていた。
#*この場合の進行役は2000年代後半限定。2000年代前半ならココリコか爆笑問題。
#番組内容はほぼ史実通りだった。
#*田代まさしや江角マキコや稲垣吾郎やあびる優などがしくじり先生として登場していただろう。
#*番組の雰囲気からすれば2000年代に放送されていてもおかしくない。
#ネオバラエティの枠で放送されていた。
#*そして人気を博してゴールデンで特番が組まれる
#**そして人気があったのでゴールデン進出。
#***そして企画がマンネリ化、視聴率が下がって打ち切られていた。
#日7か史実通り月8に放送されていた。史実通り月8なら「F.B.EYE!!」の後番組として放送されていた。
#史実みたいに3時間SPを連発するような展開は無いと思う。あっても2時間SPが限界か。
#*たぶんレギュラーではなく改編期や年末年始に特番として放送されていたかも。
 
===情報整理バラエティー ウソバスター===
;2000年代前半
#ブログ捏造問題はもちろん無い。
#変わりに掲示板で書き込まれた内容は嘘か本当かという番組になっていただろう。
#恐らくゴールデンでオンエアされていたかもしれない。
 
;2010年代半ば
#この頃になると、ブログではなくツイッターや知恵袋の書き込みが嘘か本当か検証する番組になっていた。
#*番組内容によるが、自作自演問題は史実通り起きていた可能性も否定出来ない。
#「イカさま☆タコさま」と「究極の○×クイズSHOW!!超問!真実か?ウソか?」とネタが被っていた可能性がある。
#*もしかするとこれらの番組もネットの情報を嘘か本当か検証するコーナーが出来ていたかもしれない。(特に後者。)
 
===人生の楽園===
他の放送時間帯も想定するが、主に現在の放送時間帯(土曜午後6時)を想定。
#開始時期は、1970年代前半(高度成長末期~オイルショック)/1979年頃(史実では「バトルフィーバーJ」放送)/1989年頃(史実では「ザ・スクープ」放送)が妥当か?
#この番組で扱われるような、「都会暮らしに疲れた人達の田舎暮らし」が、史実より著しく早くなる。
#上述の番組は、放送時間帯が変わるか、存在しない。
#子供のいる世帯では、ほとんど見られない。大人だけの世帯ですら、「料理天国」と激しく競合する。
 
===大改造!!劇的ビフォーアフター===
他の放送時間帯も想定するが、主に現在の放送時間帯(日曜午後8時)を想定。
#開始時期は、1970年頃(史実では「遠山の金さん」放送)/1979年頃(史実では「西部警察」放送)/1984年頃(史実では「私鉄沿線97分署」放送)が妥当か?
#古民家や戦後以来のバラックを、当時の世情にあったモダンな住宅にリフォームするケースが多い。
#史実(近年・現状)の同番組と異なり、高齢の家族向けではなく、若い親とその子供向けの番組になる。
#裏番組「オールスター家族対抗歌合戦」や直前の「スターものまね大作戦」を真似、最優秀のリフォーム業者には海外旅行がプレゼント。
#リフォーム前の引っ越し業者はどこが担当していたのだろうか。
#この番組で活躍した建築家が人気者になりバブル期などに大きな作品を残すことができたケースもあった。
 
===タイムショック21===
;2010年代
#恐らくリメイク番組が多発していた2012年に放送されていた可能性が高い。
#*史実のミラクル9の水8に放送されていたかもしれない。
#史実とは異なり「快脳!マジかるハテナよりはマシなクイズ番組」と大ヒットしていたかもしれない。
#史実の2002年8月から2012年に放送されていたタイムショックSPは放送されなかった。
 
===ナニコレ珍百景===
;1990年代
#改造前の[[阪神電気鉄道|阪神]]春日野道駅が「日本一せま~いホーム」として紹介されていた。
#*大阪球場の住宅展示場も「グラウンドに選手ではなく住宅がある風景」として取り上げられていた。
#日テレの「投稿!特ホウ王国」とネタがかぶっていた。
#*2000年代も続いていた場合、「トリビアの泉」ともかぶっていた。
#深夜枠ではなく当初からゴールデンでオンエアされていた可能性もある。
#*もしくはPM9:00くらいだったかも。
#司会者は史実通りネプチューンか?
#90年代前半から放送されていた場合はテレビ朝日系の新局誕生記念に放送エリアの県を特集した回が何度も放送されていた。
 
;「愛のエプロン」の後番組として放送されていたら
#史実ほど大ヒットしていなかった可能性がある。(裏番組にクイズ!!ヘキサゴンIIがあるため。)
#*ただ、史実通り後に視聴率上昇していたのでは?元々この番組はゴールデン向けに制作されていたので。
#くりぃむナントカのゴールデン昇格は火7辺りだろう。(まあ、どっちみち視聴率低迷していただろうな…。)
#史実通り、大ヒットすればほぼ史実通りだと思う。
 
===ニュースステーション→報道ステーション===
;1970年代
当時この時間帯に女性アナウンサーが出演でき、かつカジュアルな報道番組が存在できたという想定。それ以外(ネット局/放送技術/当時の時事問題等)は史実通りとする。
#開始時期は、1970年頃(ANN発足時)/1973年頃(NETの総合放送局に移行時)/1975年頃(関西地区での腸捻転解消時)が妥当か?
#*1975年3月以前に存在した場合、毎日放送が「朝日新聞論説委員」のレギュラー出演する番組にどう反応したかが興味深い。
#**関西地区だけ別番組だった可能性もある。
#キャスターは、女性はNET/テレ朝の局アナ。メインキャスター(男性)は?NET/テレ朝の局アナ?TBS出身者?NHK出身者?
#「23時ショー」から「トゥナイト2」まで続いたお色気番組は放送されない。
#史実では平日22時台に放送された番組はどうなるか?
#各局で平日夜のニュース枠が拡充された時代が著しく早くなる。
#史実の放送開始後と同様、青少年への視聴が推奨される。
#史実と同様、当時もリベラル(進歩的)な論調。故に、公害問題や交通戦争への報道では被害者に同情的。ベトナム戦争反対運動や学生運動等についても同情的?
#それ故、史実と異なり、1980年代以降の世論の保守化はみられなくなる?
#*昭和のANNはカバー地域が狭かったためそこまで大きな影響を与えられたかどうかは微妙。
#プロ野球のセ・パ格差が史実より早く縮小していた。
#*80・90年代のスポーツコーナーは西武ライオンズの話題が中心。
#1972年5月15日の沖縄が本土に復帰した日は、『○○ステーションスペシャル』として、沖縄から生中継を行っていた。(当時沖縄にはテレビ朝日系列局は存在しない。)
 
===ネオバラエティ===
;1980年代
*放送時間帯は平日23時台を想定。
#テレビ朝日系列深夜ニュース番組と「トゥナイト」の間にやっていた。
#*1980年代前半ならミニ番組を挟まずにやっていた。
#*1980年代後半なら前枠との間に7分のミニ番組がやっていた。
#「トゥナイト」の開始時間が23:55になっていた。
#大相撲開催中は休止していた。
#*甲子園開催中は30分繰り下がっていた。
#この枠から史実通りにゴールデンやプライムに進出した番組が出たかもしれない。
#史実と同じ兄弟番組が始まっていたかもしれない。
#*その場合、「トゥナイト」は史実よりもっと早く終わっていた。
#「ネオドラマ」は無かったかもしれない。
#*あったとしても「ネオバラエティ」の後や金曜の同じ時間帯にやっていたかもしれない。
#*前者の場合は「トゥナイト」の開始時間が0:25になっていた。
#*後者の場合は金曜23時台が史実より早くドラマ枠になっていた。
#**研ナオコ司会のバラエティは早く終了していた。
#**2000年春には「金曜ナイトドラマ」に改題していた。
#愛のエプロンやウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーなどもここで放送されていた。
 
===もしものシミュレーションバラエティー お試しかっ!===
;2000年代前半
#当初は史実通りネオバラとして放送していたが、そして、史実通りゴールデン昇格される。放送時間は水8か日7に放送されていたかも。
#*でも、結局ゴールデン後はやはりメイン企画は「帰れま10」…。史実通り、「愛のエプロン」と「いきなり!黄金伝説」と共に「食べ物を粗末する番組」として叩かれる。
#進行役は恐らくココリコかウッチャンナンチャン?そうなると、放送時間は火7か。
#*「黄金伝説」か「炎のチャレンジャー」の少なくともどちらかは存在しなかった。
 
==TBS系==
===あさチャン!===
;2002年
#恐らくエクスプレスの後番組として放送されていた。
#史実通り、ローカル枠になるテレビ局はあったかもしれない。
#*MBSは史実通り「あさやん!」になりそうだが、意外にも「あさヤン!」になっていたかもしれない。
#*MBCはあさチャン!かごしま、TBCはあさチャン!みやぎ、CBCはあさチャン!CBC辺りか?
#史実のおはよう!グッデイと同様、大コケした可能性が高い。
#アニメコーナーは「シナモロール」かな?アニメコーナーのみヒットしていそうな気がするな。
#*そうなるとズームイン!!SUPERもズーミンのアニメコーナーが設置された可能性がある。めざましテレビは史実より早くアニメコーナーが出来ていた。
#*大ヒットし、現在も続いているならシナモロールはサンリオの商品としては少なく冷静になる事は無かっただろう。他のキャラと同様多く開発されていただろう。
#**赤坂サカスにシナモロールカフェが出店していたかも?
#サタデーずばッとは史実通り放送されていただろうが?
#*サタデーずばッと!は史実通り。ただしあさチャン!が長期に渡り放送された場合、当然朝ズバッ!は制作されていない。
#8時またぎはこの世界のあさチャン!でも継続。
 
;2000年代半ば
#ウォッチ!の後番組として放送されていた。史実の朝ズバッ!の立場として放送されていた。
#*流石に朝ズバッ!みたいにニュース中心の編成にならなかっただろう。
#8時またぎはこの世界のあさチャン!でも継続。タイトルは「8時またぎチャン!」?
#もしかすると、占いコーナーが設けられていたかも。
#サタデーずばッとは相変わらず史実通り放送されている。
#アニメコーナーは「シュガーバニーズ」か「シナモエンジェルス」?
 
===イカさま☆タコさま===
;2000年代後半
#出演者に関しては史実通り「さまぁ〜ず」だと思われる。
#「情報整理バラエティー ウソバスター」がブログ捏造問題起きていた場合、この番組も何らか影響を受けていた。
#*ネットで「この番組も自演している」と疑われていたかもしれない。
#史実通りの水7はやや厳しいか。当時のこの時間は水トクが放送されているため。金7か土7辺りか?
 
===学校へ行こう!===
;2000年代後半
#出演者はV6ではなく、嵐の可能性が高い。史実通り木7の場合、フジテレビのvs嵐は別の時間でゴールデンタイムに進出していた。
#*『大マジカル頭脳パワースペシャル』では裏番組とかち合うこともなく、TOKIOが代わりに出演することはなかった。
#もしかすると当初から「日本の学生」を中心したものになっていたかも。そのためか子供に見せたい番組に選ばれていた可能性もある。
#MAXへのリニューアルは恐らく無かった。
#そのまま2010年代まで続いていたら、「リズム4」をトレンディエンジェルが一緒にしていたかも。
#*そして史実の「斎藤さんゲーム」の「斎藤です!」を「斎藤ルール」として取り入れていたりして。
 
===高校教師===
1993年に放映されたテレビドラマ。2003年にもリメイクされているが、もし最初からあの時代で放送されていたら?
;1980年代
#お嬢様学校ではなく校風の荒れた女子校が舞台になっていた。
#当時の社会情勢を反映した路線になっていた。
#1980年代後半に放送された場合は当時ヤンキーキャラ路線を売りにしていた中山美穂がヒロインになっていた。
#*史実とは異なり、先生には好意的だが荒れたキャラクターになっていた。
#羽村先生のその大人しいキャラクター故に同局で放送された「金八先生」や「スクールウォーズ」と比べられていた。
#*むしろ不良少女と闘う熱血教師になっていた可能性もある。
#意表を突いて、1974年の加山雄三版を放送したテレビ東京(旧:東京12チャンネル)で放送したりして。
 
;1990年代後半
#女子高生はギャル系中心になっていた。
#*なのでギャル系が多い学校が舞台になっていた。
#ブルセラや援助交際など、当時の女子高生の文化をネタにすることができていた。
#「GTO」と何かと比べられていた。
 
===ザ!激闘!大家族!!===
;2002年6月
「筋肉番付」の打ち切りによるつなぎ番組として放送された「CDTVゴールド」がまたも打ち切られたため更なるつなぎ番組として放送された「ザ!激闘!大家族!!」。もし、「筋肉番付」の直後に「ザ!激闘!大家族!!」が放送されていたらどうなっていたでしょうか。
#3か月間きっちりと放送できていた可能性が高い。
#*放送終了後も特番として継続していた可能性もあり得る。
#CDTVは特別番組としてゴールデンタイムに放送されていた可能性がある。
===SASUKE===
→[[もしSASUKEが○○だったら#もっと前から放送されていたら]]
 
===ザ・ベストテン===
;2000年代
#テレ朝系「ミュージックステーション」のライバル番組になっていた。
#「うたばん」と「火曜曲」は無かった可能性が高い。
#言うまでも無く、あのパタパタはフルカラーLEDだ。
#*そもそも順位表示は大型モニター一つで済まされていたような気がする。
#視聴者リクエストはSNS普及まで番組公式HPでの受付のみ。
#*プロ野球オールスターのファン投票でかつて発生した「川崎祭」のような事態が1回は発生していた。
#**番組公式HPにおいても「田代祭」が起き、リクエスト上位を田代まさしやシャネルズ、ラッツ&スターが独占するという事態が発生したかも。
#*史実のMUSIC HAMMERのインターネットリクエストランキングのようになっていた。
#史実と比べてスポンサー関連の規制が厳しかった。
 
===ジョブチューン アノ職業のヒミツぶっちゃけます!===
;2000年代
#番組内容とMCに関しては史実通りだと思われる。
#放送時間は火7か土7か?
#史実とやや異なり漫画・アニメ関連とドラマの裏側についても語っていたかもしれない。
#ショッピングセンター関連にはマイカルやダイエーが加わる。前者についてはこの時期の放送ではやや厳しいかもしれないが。
 
===水曜日のダウンタウン===
;2000年代前半
#視聴率は史実よりも良くなっていた…はず。放送時間によるが。
#もしかすると放送時間は水7で制作もMBSになっていたかもしれない。
#*その場合、史実ほど番組の演出が問題になることは無かった。
#*火10の放送の可能性が高いかもしれない。番組名も「火曜日のダウンタウン」だな。
 
===スクール☆ウォーズ===
;2000年代以降
『スクール☆ウォーズ』は1980年代に放送され、2004年には映画としてリメイクされましたが、もし、最初からドラマで2000年代以降に放送されていたら?
#男子底辺校が舞台となっていた。
#主演は体育会系キャラが合う俳優から選定されていた。
#*高橋克典あたりが主演になっていた。
#行き過ぎた体罰シーンにクレームが続出。
#*『女王の教室』や『ライフ』の二の舞になっていた。
#**とはいえ、次第に理解されるようになっていただろう。
#*あるいは史実よりマイルドな路線で制作されていた。先生は熱血だが体罰は行わない性格に設定されていた。
#その後のラグビーブームに拍車をかけていた。
#麻倉未稀はブレイクすらできなかった(そもそも主題歌は麻倉未稀が歌っていない)。
#『ROOKIES』とは何かと比べられていた。
#*『ごくせん』も。
 
===世紀のワイドショー! ザ・今夜はヒストリー===
;1980年代
#歴史の教材に使われていた。
#*どのような場でどういった人々を対象としたものになっていたのだろうか?
#とりあえず1970年代以前の放送はない。
#*だいたいTBSのロゴマークが筆記体からミクロコスモスに変更したぐらいに放送開始か?
#描写や構成がTBS系で実際に放送されたワイドショー番組により近かった。
#珍説や偽書の類を「真実」として扱い後に問題視された。
#*騎馬民族征服説や『武功夜話』あたりを扱っていたら…。
#例の「ビデオ問題」が起こったときに放送されていたら、何らかの影響を受けていた。
#司会は関口宏がやっていた。
#*「わくわく動物ランド」の後番組あたりで放送されていたかも知れない。
 
===総力報道!THE NEWS===
;1980年代
#恐らく放送時期はテレ朝系のニュースシャトル放送開始後?
#もう少しマシになっていただろう。
#場合によっては大ヒットしていたかもしれない。
#JNNニュース22プライムタイムは存在せず地球発22時で中村敦夫は降板しなかったかも。
#クイズ100人に聞きましたは土日に移動。
#ムーブが無いので関口宏の東京フレンドパークは無かった、
 
===ちちんぷいぷい===
;1980年代半ば
#関西地区における月~金曜日の午後5時台は「夕やけニャンニャン」と激しい視聴率競争が繰り広げられていた。
#角淳一は史実よりも早く高い知名度を誇るようになっていた。
#1985年の[[阪神タイガース]]のリーグ優勝及び日本一を達成した時には角淳一が番組内で大喜びしていた。
#*「ちちんぷいぷい」の優勝記念特番も放送されていた。
#ABC・KTV・YTVなども夕方にワイド番組をぶつけ、関西から夕方ワイド戦争が始まっていた。
#場合によっては後に大阪市長となる平松邦夫も出演していたかもしれない。
 
===珍種目No.1は誰だ!? ピラミッド・ダービー===
;1980年代
#そもそもこんな長い番組名にならなかった可能性が高い。ぜいぜい「ピラミッド・ダービー」辺りか。
#*当時人気だった「クイズダービー」と間違えて視聴する人も沢山いた。
#**本当に姉妹番組として制作された可能性も。
#30分番組になっていた可能性が高い。だとすると放送開始は19:20か。
#平成になってリメイク番組が放送されるが、結局人気不発に終わってしまった。
 
;2000年代
#当初は特番として放送し、人気番組となりレギュラー化となっていたというストーリーになっていたかも。
#現在も続いていた場合「ほこ×たて」の放送は史実通りか?
#MCは爆笑問題か?島田紳助と古舘伊知郎辺りも考えられそうだが……?
 
===東京フレンドパークII===
;1960年代
#全体的にアトラクションが地味になっていた。
#ゲームをクリアした際にもらえたのは普通のメダル。
#番組名はどうなっていたことか…。
#当然ながら他系列への番組販売も行われていた。
#*もしかしたら腸捻転時代の[[朝日放送]]で放送されてたかもしれない。
#*それはどう考えても「番組販売」ではなくただの同時ネット。
#*当時TUTが開局していなかった富山では[[北日本放送]]が番販ネットしていた。
#**愛媛では[[南海放送]]が番販ネット(当時はあいテレビが開局していなかった)。
#**1967年以前なら、(アナログ)UHF局が開局してないので、VHF局がJNN系列では無い青森(青森放送)や高知(高知放送)などでも、番販扱いでネット。
#***「パーマン」(TBSアニメ)の様な体制になっていたかもしれない。
#グランドスラムで行ける旅行は「憧れのハワイ○日間」あたりになっていた。
#*ダーツで当たる自動車は「三菱・パジェロ」ではなかった。
#**「トヨタ・クラウン」あたりが有力か?
#**同じ三菱のデボネアかもしれない。
#特番ではウルトラシリーズや「キイハンター」のメインキャストが出ていた。
#*V9期には秋になると毎年「読売ジャイアンツご一行」が来園していた。
#司会は大橋巨泉あたりか?
#*土居まさるが良いのでは?
#*坂本九の可能性もあった。
#**その場合番組名のタイトルは「坂本九の東京フレンドパーク」になっていた。
#***EDはもちろん「上を向いて歩こう」。
#***その場合、例の墜落事故と共に番組が打ち切られていた。
#参加者は素人参加が主体で改編期などでタレント大会になっていた。
 
===花より男子(ドラマ版)===
;1990年代
『花より男子』はTBS版以前に1990年代にも映画版、アニメ版がありましたが、もし、ドラマ版が1990年代に放送されていたら?
*TBSで放送されていたら
#金9で放送されていた。
#嵐ではなくSMAPのメンバーが起用されていた。
*フジテレビで放送されていたら
1995年の映画版はフジテレビ制作でした。もし、ドラマ版もフジテレビで放送されていたら?
#映画版のキャストをそのまま起用。
#木8あたりで放送していた。
#*その場合、『木曜の怪談』の開始が遅れていた。
#*裏番組の『マジカル頭脳パワー!!』の視聴率に食われ、あえなく撃沈。
*テレビ朝日で放送されていたら
アニメ版はテレビ朝日で放送されていましたが、もし、ドラマ版もテレ朝で放送されていたら?
#月8で放送。主演は持田真樹。
#史実より人気を博すことはなかった。
 
===林先生が驚く初耳学!===
;2013年
#放送開始時期は2013年4月頃。恐らく最初はテッペン!内の深夜番組として放送されていた可能性が高い。
#放送時刻は木7か史実通り日10?前者はプレバト!!が大コケした場合に限る。
#*木7ならニンゲン観察バラエティ モニタリングと交代し、SP番組を連発する羽目に…。
 
===プレバト!!===
;1990年代
#はたしてタイトルは「使える芸能人は誰だ!? プレッシャーバトル!!」だろうが?
#地味なコーナーばかりだったかもしれない。
#辛口コメントで芸能人の考えた俳句を批評する夏井いつきさんが21世紀になる前に全国区になっていただろう。
#意外にもムーブ枠になっていたかもしれない。
#*それなら制作はMBSではなくTBSに?
#*放送候補は火7か史実通り木7辺り。
#もしかしたら芸能人格付けチェックのように技術だけでなく知識とかで「才能アリ」芸能人と「才能ナシ」芸能人を決める番組になっていたかも。
 
;2000年代
#この頃の番組タイトル名は「使える芸能人は誰だ!? プレッシャーバトル!!」。
#史実みたいにスペシャル番組連発する事なく、当初から一時間番組として放送されていた。
#番組構成は天才・凡人ランキングの企画はあまりやってなく、漢字書き順トーナメントのようなクイズ番組路線になっていたかも。
#放送時刻は水7。ただ、「笑ってコラえて!」の人気もあって、最初は視聴率低迷。
#番組内容によっては「人気者でいこうのパクり」と言われていた可能性がある。
#当初は特番として放送され、好評によりレギュラー放送化されたというストーリーになっていた。
 
===報道特集===
;1970年代
1980年代・1990年代のような、ベテラン男性キャスターだけによる、超硬派な内容を想定。
#当時の世論への影響は、大衆に関するものは軽微か。よって、例えばオイルショックによるトイレットペーパー騒動を、それに関するこの番組のスクープがあったとしても、阻止する事は無い。
#ただし、政治家やその支持者への影響は多大か。それによって、政局などが史実から変わる可能性もある。
#TBSが報道に回ったことで、同時間帯の裏番組(主に娯楽番組)の視聴率が史実より上がる。その事で、その出演者やスタッフ、ひいてはジャンル自体の歴史さえ史実と変わる可能性もある。
#ただし、動向次第では、他局もその種の番組を放送する可能性もある。
#アニメの放送枠と重なる時間帯では、その時間帯のアニメに下品なギャグが多い場合(史実の「ダッシュ勝平」など)、それを嫌う親がそのアニメを子供に見せないためにこの番組を見て(番組自体にはあまり関心が無いが)、それで視聴率が比較的高くなる可能性もある。
 
===炎の体育会TV===
;2000年代前半
#MCは古舘伊知郎辺り?そうなると体育王国の変わりに放送されていたか。
#*但し、古舘伊知郎以外のMCが選ばれた場合、土7ではない可能性が高い。火9辺りか?
#*まあ、どっちみち報道ステーションのキャスターに選ばれるからMC変更は避けられないだろう。
#2004年アテネオリンピックと2008年北京オリンピックの裏側は当番組が中心に取り上げられていた。
#史実ほどスペシャル番組連発する事は無かったと思われる。
 
===夜のせんせい===
;1960年代(高度経済成長期)
#昼は真面目に会社で働き、夜は夜間高校で勉強する勤労学生の姿がドラマで取り上げられていた。
#*史実のように荒れた内容にはならなかった。
#**学校外でのケンカの場面は、この時代のほうが激しかったかもしれない。
#主人公の教師はお水出身ではなかったかも。
 
===世界ふしぎ発見===
;1970年代
#1975年に、史実の後年の時間帯に放送開始。つまり「アイフル大作戦」の後番組。当然、史実のその時間帯の番組「Gメン75」は(少なくともこの時間帯では)放送されなかった。
#*この改編を、「キーハンター」「アイフル大作戦」の制作プロダクションや、丹波哲郎など、そのメインキャストは認めたか。
#初代の司会者は誰か。なお、草野仁は、当時NHK局アナ。
#著名人が回答者になる場合、初めから黒柳徹子が回答者の一人だった。
#当時の円相場や航空券故に、海外ロケには相当高コストとなったはず。どの程度行われたか。毎回ミステリーハンターを派遣する事が可能だったのか。
#*それ故、局側は「兼高かおるの世界の旅」を、スポンサー側(史実の後年と同じ場合に限る)は「すばらしい世界旅行」(日テレ)を、それぞれ打ち切ったかもしれない。
#「8時だョ!全員集合」へのPTAの風当たりが弱まるかもしれない。連続した時間帯で、ためになる番組を放送するので。いかりや長介が毎回ラストに「この後は『世界ふしぎ発見』を見ろよ!」と言った場合は、特にそう。
#その影響で、他局でも土曜午後9時・10時台では、ためになる番組が放送される。事件ものの番組(史実ではNHKとフジ以外は放送)は「子供がテレビを見る時間帯だから良くない」とされ、自粛される。例えば、「ウイークエンダー」(日テレ)、「土曜ワイド劇場」(テレ朝)など。更には、「8時だョ!全員集合」まで打ち切られ、史実(1983年)より早く(1977年頃?)この時間帯に「わくわく動物ランド」が放送される。
#こうした編成は、良い子向け番組を積極的に見る子供や、週末の夜に寛ぎたい大人には大好評だったかもしれないが、刺激の強い番組の好きな子供にとっては、史実と違って「土曜の夜は退屈だ」という感想になる。また、中高生にとっては、これらの番組を見る(教育上良い番組なので、親が見る事を推奨する)事で、一週間の勉強の復習を土曜夜に出来ず、学力が落ちる生徒が増える(史実では、事件ものの番組が多かったおかげで、一週間の勉強の復習を土曜夜にできた)。
#後年では失われた史跡・歴史的建造物が、多く映されていた。
 
==テレビ東京系==
===おはスタ===
;1980年代後半
#「おはようスタジオ」の後継番組になっていたかもしれない。
#*タイトルは「新おはようスタジオ」になっていたかも。
#放送時間は史実の「おはようスタジオ」の末期と同じの7時25分から8時15分になっていた。
#司会は史実の「おはようスタジオ」の末期と同じの志賀正浩と日高のり子が続けてやっていたかも。
 
===開運!なんでも鑑定団===
;1980年代後半(バブル経済期)
#鑑定額がグーンとアップしていた。
#*1,000万や億は当たり前、中には1兆円の値がつけられる物も登場。
#*せいぜい史実の10倍くらいの鑑定額が限度ではないかと。
#放送は、テレビ東京ではなかったかも。
#*それこそパクリ番組と言われた「世界お宝ハンティング・勝負は目利き!」を放送していたTBSが有力か?
#*EXテレビのコーナーだった家宝鑑定ショーを放送していたよみうりテレビとか?
#司会は大橋巨泉(セミリタイア後は史実通り島田紳助に交代)もしくは山城新伍あたり?
 
===声遊倶楽部===
;1980年代
※それ以前に「この番組知るか!」という方は[[wikipedia:ja:声・遊倶楽部|wikipedia]]で
#司会が富山敬or野沢那智、アシスタントが潘恵子になっていた。
#史実以上に大ヒットしていた。
#全体的に子供向けの企画ばかりだが、中には過激な企画も含まれていた。
#テレビ東京系だったか怪しくなる。
 
===ハロー!SATOYAMAライフ===
;2000年代
#「DASH村」は存在しなかった。
#久住小春や梅田えりか、エルダークラブのメンバーもSATOYAMAやSATOUMIの活動をしていた。
#BSジャパンでは放送されずネット局が史実よりも多かった。
 
===ビジネスマンNEWS===
;1969年
#それにNHKが追随する。よってNHKの朝のニュースワイド番組が史実より早い時間帯に設置され、「明るい農村」は史実より早く打ち切り、「テレビ体操」も同様に教育テレビに移された。
#早い場合は、東京12チャンネルが日経の資本参加を受けた直後の1969年スタートか。
#そうなると、日本の経済史が大きく変わるか。
#*例えば、「マネービル」と称した当時の株式投資が、バブル期の「財テク」並みに大衆化する。
#**「マネービル」は60年代にはとっくに使われなくなっていたのでむしろこの番組が新しい用語を提唱していた。
#*または、第一次オイルショックの前兆が早期から広く知られ、それに伴う経済混乱を未然に防ぐ。その事で「高度経済成長」が1974年以降も続く。
#**問題は小手先の対応で何とかできるようなものではなかったためマイナス成長の回避くらいが関の山かと。
#当時は、史実ではTXNはまだ無かったが、地方局のネットが激増する。
#*特に当時はフジには朝の情報番組が無かったので、FNS加盟局の多くは、朝はFNNニュースではなく、この番組を放送した。
#*12チャンネルと仲が良かった中京テレビ・KBS京都・サンテレビあたりは確実に同時ネットだった。
#番組名はもう少し古臭い感じだった。
 
===ローカル路線バス乗り継ぎの旅===
;1970年代
#現在よりもはるかに路線バスの多い時代であったのでスムーズに行程が進んでいた。
#*史実ではゴールできなかった東京~京都間などもゴールできていた。
#**逆に北海道(実史の第3弾と第20弾)は、ゴールできなかったかもしれない。
#*名古屋~京都間は忠実に東海道に沿ったルートをたどっていた可能性が高い。
#**国鉄バス亀草線などが存在していたため。
#***これ以外にもルートに国鉄バスの路線が入っていた。
#***長距離のバスも多いので使用に制限があったかも。(名古屋~金沢のバスもあったので)
#**時代・時期によっては、碇ヶ関(青森県)~陣場(秋田県)間も、<!--実史の『弘前⇔大館線』はそこそこ本数があった-->約6.5キロを徒歩移動せずに済んだ。
#*行程がスムーズに進むので、現実の番組と同じ構成ではバスマニア以外にはあまり面白くないかもしれない。
#**なので、観光地や名物料理の紹介には、いわゆる普通の旅番組と同程度に重きを置く。
#現在よりも高速バスが少なく、その分一般路線バスが多かったことも有利に働いていた。
#路線バスの愛好者が現実より増えていた。
#*今頃路線バスの専門誌や路線バスが題材のアニメが存在していてもおかしくなかった。
#昭和50年代末期なら旅人はもちろんアイドル当時の太川陽介。'''ただし人気はすでに落ち始めている。'''
#*もう少し前なら[[Wikipedia:ja:走れ!ケー100|走れ!ケー100]]に主演した大野しげひさ。
#コミュニティバスはや自主運行バスはもちろん登場していない。
#当時は本州と四国は陸続きではなかったため、史実で放送された高松~伊勢は放送されなかったか、鳴門・明石両海峡の部分だけ例外的に船の利用を認めていた。
#*むしろ、(実史通りの)厳密なルール設定なら、本州⇔四国のルートは設定しないのでは?
#もう1人の旅人である蛭子能収は、恐らく漫画家というより日本テレビ「クイズ世界はSHOW by ショーバイ」の回答者か地上波・フジテレビ及びCS・フジテレビONE「われめdeポン」で麻雀をやるオッサンという認識がより強まった?
#テレビ東京(東京12チャンネル)で放送している派生番組やテレビ朝日(NETテレビ)で放送している『路線バスで寄り道の旅』は、制作・放送されていない。
#*時期にもよるが、「特急乗り継ぎの旅」は、「特急・急行乗り継ぎの旅」として放送されていたかもしれない。但し、乗り継ぐ列車本数は、実史の20本ではなく、これより多い本数となっていた。
#*『高速バス限定の旅』は企画すらされなかった。(この当時の高速バスは、東京~名古屋・関西を結ぶ国鉄バスの『ドリーム号』しか無かった為。)
#*むしろ他局も類似番組を次々放送していたのでは。
#ナレーションは誰だろう?(実史はキートン山田)
 
;1990年代前半
#北関東を通る回はかなり徒歩を強いられたと思われる。
#*1987年~1993年は館林市周辺に路線バスがなかったため。
#TBSの「各駅停車路線バスの旅」の中でやっていたかも。
 
===ワールドビジネスサテライト===
#あまり早い時代の場合、史実のような映像的にわかりやすい番組にできたか?
#ニューヨークやロンドンの市況の生放送(衛星中継)は可能か?
#*国際電話で日経の現地特派員に聞くくらいが限度か。
#そもそも、メインキャスターをベテランの女性に据える事は可能か?
#この番組の放送開始後は、テレビ東京(東京12チャンネル)は、平日深夜帯にはお色気番組を放送できなくなる。
#時期にもよるが、後に東京都知事になる小池百合子氏がキャスターにならなかったかも。
;1970年代前半
#東京12チャンネルが日経の資本参加を受けた直後にスタート。
#その社会的影響は、「ビジネスマンNEWS」の場合と同じ。
#史実のように第一次オイルショックが起き、そして史実のような影響が日本にあった場合、この番組の放送とともに東京12チャンネルは一日の放送を終了していた。
;1980年代
#「ニュースステーション(テレ朝)」と同じ頃か、その数年前にスタート。
#「ニュースステーション」と同じ頃にスタートなら、初めから女子アナをアシスタントに配置した。そして同番組の良きライバルになる。
#「ニュースステーション」の前にスタートなら、当初は女性がいなかった可能性がある。
 
===出没アド街ック天国===
;1980年代初頭
#東京12チャンネルから局名変更の直後に、後の史実の時間帯(土曜午後9時台)に放送開始。それ故に「大江戸捜査網」は、そこで打ち切り。
#*番組内容を考慮すると12チャンネル時代からやっていても違和感がない。
#後年の史実のような内容、つまり東京周辺の商店街の瑣末なトピックスを取り上げるような内容が、当時の視聴者を引き付けるか。関東圏の視聴者を確保する事すら難しいかもしれないが、特に地方へのネット・販売は、苦戦する。テレビ大阪やテレビ愛知はネットを拒否するか。ただし、受けた場合、史実の後年以上に全国的に関心を集めるだろう。
#史実の初代司会者の愛川欽也に、前任者がいたか。仮に初めから愛川欽也なら、当初は「あなたの街の宣伝係長」だったかもしれない。
#アシスタントの女性アナウンサー(テレ東の局アナ)について。
#*史実の後年以上に、体を張った演技を強いられたか。時間帯が「オレたちひょうきん族」(フジ)の直後なので、それに対抗してそれ以上の派手な事をしたか。それとも、当時は、フジ以外の放送局にはアナウンサーのタレント化が進んでいなかったので、お堅い感じだったか。何分、日経グループ。
#*80年代半ば頃まで、ロングスカートを着用していた。それ故、史実の初代担当者のようにローアングルで撮影されても平気だった。それを口上にしていた。
#*80年代中は高頻度に代替わりした。
#バブル以前の東京の商業地が多く映されていたので、後年、重要な現代史の映像資料になる。
#戦後復興期の面影を残す街は、当時は単に「古臭い」と評される、高度成長期末期の面影を残す街についても、当時はそうした街は多かったので重視されないなど、後年のようなレトロ(昭和)志向は見られなかった。むしろ、最先端のトレンド重視か、戦前の面影を残す街が評価された。
#後年にお色気番組批判のあおりを受け入浴シーンでのタオル使用を余儀なくされていた。
 
==フジテレビ系==
===クイズ!ヘキサゴン===
;1990年代
#逸見政孝またはビートたけしが司会をやっていた。
#*「平成教育委員会」の姉妹番組になっていた。
#**「平成教育委員会」自体無かったかも。
#出演者はどうなっていたことやら・・・
#*出演者によっては実史より早く『おバカブーム』が到来。
#**ただし、ヘキサゴンメンバーによる歌は出されていなかったかも。
#*おそらく「クイズ!年の差なんて」のヤングチームで出演していたメンバーあたりが出ていそう。
#**Paboは加藤紀子と篠原涼子でいいとして、羞恥心は誰になったのだろうか…。
#フジテレビ系列土曜夜7時枠で放送され、「クイズダービー」や「おぼっちゃまくん」といった番組を終了に追い込むほどの人気番組になっていた。
#*「セーラームーン」「スラムダンク」はアニメ化されなかった。
#**アニメ化されてもヘキサゴンに食われて[[もし「美少女戦士セーラームーン」が大ヒットしていなかったら|大ヒットせずに]][[もしあのアニメが大ヒットしていなかったら/す~そ#SLAM DUNK|終わった]]
#場合によっては「バッテンチョイス」のまま続いていたかもしれない。
#*何れ、「ネプリーグ」みたいにクイズ番組の雰囲気が変わってしまうが…。
 
;2010年代
#有吉弘行か坂上忍辺りが司会者をやっていたかもしれない。女子アナウンサーは加藤綾子アナか?
#史実と異なり、視聴率低迷していた可能性がある。そして企画もコロコロと迷走していたかもしれない。
#史実以上にやらせ疑惑が疑われていた可能性もある。
 
===クイズ$ミリオネア===
;1980年代
#司会者は史実通りみのもんたか?
#*大橋巨泉、もしくは山城新伍あたりかと。この当時(「おもいっきりテレビ」の司会を務める前)のみのもんたはまだそれほどの存在ではなかったはず。
#バブル絶頂期の最高賞金は1億円に。
#*だけど、バブル崩壊でオジャンに…。
#*公正取引委員会から「賞金は100万円まで」と言われていた時代だから難しいんじゃないかなぁ。更に言えば1億だとミリオン(100万)よりもビリオン(10億)に近づいてしまうし。
 
===交通バラエティ 日本の歩きかた===
;2000年代末期
#恐らく、「潜入!リアルスコープ」の前身番組になっていた。
#*そのためか、鉄道の特集をメインとしてやっていただろう。
#ナニコレ珍百景と番組内容被っていた可能性があった。
 
;2010年代初期
#「潜入!リアルスコープ」の姉妹番組になっていた。
#*そのためか鉄道関係の特集はやや控えめになっていたかもしれない。
#放送時期によっては完全投稿番組になっていた可能性がある。
#やはりナニコレ珍百景と番組内容被っていた。「これナニコレ珍百景で特集していた奴だろ」とよく掲示板で書かれていた。
#*そのためかこの番組の視聴率は史実と同様あまり良くなかった。
 
===潜入!リアルスコープ===
;2000年代
#鉄道関係はJR東日本の場合E231系やE233系を調査をしていただろう。
#*2002年の放送で「E231系山手線運転開始スペシャル」として2時間放送されていただろう。この時点で山手線の秘密が放送されていたかもしれない。
#*新幹線関連で九州新幹線、N700系あたりも。
#*しかし、2005年の福知山線脱線事故でJR西日本関係の取り上げは暫く自粛していた。
#*さくら、あさかぜ、銀河、彗星、出雲、なは、あかつき、富士、はやぶさといった東海道山陽ブルートレインの引退も取材していた。
#ショッピングセンター関係では…JUSCOやマイカルも調査していただろう。ショッピングセンターの調査はJUSCO、マイカル、イトーヨーカドー、ダイエーを主にしていた。
#意外にも子供に見せたい番組として選ばれるかもしれない。
#当時のフジテレビは人気絶好調だったので番組名がコロコロ変わる事は無かっただろう。
#ゲーム関係ではPS2やゲームキューブやXboxを調査し、どれがや面白いゲームや凄い機能を持っているか色々調査していたかもしれない。
#豪華客船への密着では飛鳥IIのデビューをクリスタルハーモニーからの改装から密着していた。
#航空関係はJALのボーイング777-300ERやワンワールドへの加盟が取り上げられていた。
#漫画・アニメ関連の特集回にドラマ電車男のキャストをゲスト出演させていた。
#*寧ろ、番組宣伝の人として放送されていた。
#個人情報保護法施行により若干の路線変更を強いられた可能性あり。
 
===直撃LIVE グッディ!===
;「あげるテレビ」の後番組として放送されていたら
#前番組のあげるテレビはもう少し続いていたはず。(遅くとも2014年春か。)
#キャスターは安藤優子ではない。伊藤利尋アナか。高橋克実は史実通りだと思われる。
#少なくとも史実みたいに2年も放送継続する事は無かったはず。結局1年か最悪半年で終わっていた。
#ドラマチックαは放送再開される事は無かった。(但し半年で番組終了してしまった場合別の話)
 
===痛快TV スカッとジャパン===
;2000年代
#史実の月8ではなく金8で放送されていた。
#それでも当番組が目指す番組は史実と同じ『水戸黄門』である。
#*従って、キャッチコピーは『目指せ!!週末の水戸黄門!!』になっていたかもしれない。
 
===電車男===
;1990年代前半
#木10ではなく月9で放送された。
#エルメスは中山美穂が演じていた。
#主人公はそもそもオタクではなかった可能性もある。
#*本業はサラリーマンで派遣社員ではなく正社員であるが冴えない男であることは変わりない。
#発祥は2ちゃんねるではなかった。
#*当時のネット文化がなかった時代からすれば文通でやり取りしていたかも。
#*発祥はパソコン通信だったかもしれない。
 
===ネプリーグ===
;2000年代初期
#TBSのサバイバーは放送されなかったか、放送したとしても別の司会者がやっていた。
#史実と同様月7なら大ヒットしていたか微妙。
#*意外にも水7になっていたかもしれない。クイズ!!ヘキサゴンは水8のまま。
#**「ネプリーグは子供に見せたいけどヘキサゴンは子供に見せるべきではない」とPTAから言われていた。
#2000年代中期になってからよく番組にネプチューンが出るようになっていた。
 
===はねるのトびら===
;1980年台前半
#過激な企画ばかりが放送されていた。
#「オレたちひょうきん族」は放送されていなかった。
#「ほぼ100円ショップ」は無かった。(100円ショップが一般化したのは、バブルがはじけた1990年代に入ってからの為。)
#*ただ、安物と高級品を見極める企画はあっただろう。それこそバブル期には1品1000万以上の品物を自腹とかあったりして。
#**それなら、「開運!なんでも探偵団」みたいなフォーマットでやるだろうな。
 
;1990年代中盤
#史実通り水8での放送なら、裏番組である「速報!歌の大辞テン」はそれほどヒットしていなかったかもしれない。
#*2002年を待たずにして、視聴率が15%を切る事も多くなっていた。最悪、放送終了が史実よりも早まっていた。
#土8での放送なら、「めちゃ×2イケてるッ!」は放送されていなかった。
#日8での放送なら、「ダウンタウンのごっつええ感じ」の後番組として放送されていた。
 
===ほこ×たて===
;1980年代
#はたしてやらせ問題は無かっただろうが?
#マニアVS社員クイズ対決企画はもちろん放送。
#*しかし、カルトQは放送されなかったかもしれない。
#**むしろこの企画が独立してカルトQになっていた。
#深夜番組として放送された可能性が高い。
#*87年以降開始の場合は「JOCX-TV2」の枠で放送されていた。
 
===マルモのおきて===
;1970年代
主に、史実と同じ日曜日21時台放送の場合。
#1年間か2年間続くシリーズになる。
#史実以上に人気番組になり、当時日曜の夜更けに子供たちの「マル・マル・モリ・モリ!」の歌い声が聞こえる。マル・マル・モリ・モリ!は「およげたいやきくん」以上に大ヒットする。
#*ポンキッキーズとコラボしていた可能性が高い。
#制作局は関西テレビになると思われる(当時の番組編成上)。舞台は関西、台詞は関西弁?スポンサーが清酒白雪(小西酒造)の時期でも放送?
#マルモの年齢が、史実より若く設定される。30歳前後=団塊の世代?配役には史実で上司を演じた伊武雅刀が適任?
#マルモは、薫に体罰しても反省しない。
#裏番組は大ダメージを蒙る。「桃太郎侍」(日テレ)は打ち切り、「マルモ」が1977年度放送の場合「ルーツ」(テレ朝)は惨敗。この場合、「日曜洋画劇場」(テレ朝)で「エマニエル夫人」は他局が子供向け番組を放送する時間帯にふさわしくないとされ放送が見送られてしまう。
#その後子供向けのドラマが21時台に多く放送されるので、当時の子供達にとって「夜遅くまでテレビを見る」事の意味が、史実と変わる。
#この頃のフジテレビは硬派路線のテレビ局なのでもっと教育色あるドラマになっていただろう。
#*朝に放送されていた可能性が高い。
 
<!--===めざましテレビ===
;1980年代
#ズームイン!!朝!はどんな立場になるのか…。
#放送時間は5:25~7:00かも。
#*そのうち、史実通り8:00まで放送されるだろう。
#*80年台なら、開始時間は6時(早くても5時55分か5時45分)だろう。少なくとも、5時台前半開始は無いと思う。
#フジの朝のニュースは低迷する事は無い。
 
===めざましどようび===
;2000年代
#放送時間は史実の初期と同様、土曜の7:00~8:30になっていたかも。
#「ポンキッキーズ」は土曜日6時台で放送していたかも。
#*土曜朝の情報番組は一旦廃枠していなかったかも。-->
 
===優しい人なら解ける クイズやさしいね===
;2000年代前半
#恐らく月7か金7で放送されていたか。で、後にベルトクイズF&F扱いになっていただろう。
#*月7なら「ネプリーグ」の代わりとして放送されていたかもしれない。
#意外にも当初は深夜番組として放送されていたかもしれない。
#ガラケー、ブラウン管テレビ、電車内の液晶画面(トレインチャンネル等)などの関する優しいクイズも出題していたかも。
 
===スーパータイム===
;1970年代前後。
#開始時期は1969年か1975年。
#*前者の場合、FNN加盟局の激増とともに放送開始。また、この番組の放送終了直後に「カバトット」「冒険ロックバット」などが放送。
#放送時間帯は、平日は午後6時台全部(当初は後半のみ?史実でも1978年に「FNNニュースレポート6:00」までその時間帯)、土曜は午後6時台前半の30分番組、日曜は午後5時台後半の30分番組。
#*もし、元々平日の午後6時台全部がこの番組だったら、アニメの再放送は夕方は5時台以前のみだけだった。それゆえ、フジテレビにはアニメの本放送が強く期待された。
#当時の硬派ネタ(高度経済成長の歪み(公害や交通戦争)や、政局・政治動乱など)と、軟派なトピックスや芸能ネタやほのぼのとしたネタが混在し、かつ1980年代後半の史実の番組のような演出で伝えられた。こうした演出への当時の視聴者の反響やいかに。
#*テレビにアニメを期待していた子供らも、リアルタイムで硬派の時事問題にも関心を持っていた。
#*一方、硬派の時事問題だけに関心を持っていた人たちは「ふざけた番組」と思っていた。
#仮に1980年代後半の史実の番組並みに視聴率が絶好調になった場合、時間の重なる他局の番組は、視聴率を取られて悲惨な状態に陥る。
#*平日ではNHKの人形劇が、日曜日では「笑点」(日テレ)が大ダメージを受ける。最悪の場合、打ち切り。
#後年に昭和40年代・50年代の子供らの生活描写が描かれる時には、夕方子供が帰宅するとともに、テレビではこの番組風の(民放の)ニュース番組が放送されていた(実際にはアニメの再放送のイメージが強い)設定になる事が多い。無論、昭和40年代・50年代に作られた作品でもそういう描写が多かった。
#「ママとあそぼう!ピンポンパン」「ひらけ!ポンキッキ」の放送は平日午後5時台に集約され、史実の後年の「夕やけニャンニャン」並みの人気を博す。また、「ひらけ!ポンキッキ」のラストで、「この後はスーパータイムですよ、(キャスター)さん!」の台詞が付く。
#当時、他局も(NHKも)、夕方のニュース番組の演出やトピックスの選定を、この番組風にする。
#この番組の直後に放送された同局のアニメが、史実より視聴率が上がる(史実では午後7時台前半については、NHKのニュースを見るので子供にアニメを見せない世帯も多かった)。
#当時フジテレビで放送されたアニメでは、(作品中にテレビが出て来る作品に限り)ニュースのシーンがこの番組風だった。よって、後年に他系列の局(NHK衛星放送、独立U局など)で再放送された時にも「FNN」(もしくはそれと一字違い)のロゴが出て来るので物議を醸す。
#*NHKBSでウルトラシリーズの旧作が再放送された際にはOPで「制作 TBS」がそのまま表示されていたので大丈夫だと思う。
 
===夜のヒットスタジオ===
;1990年代
#「HEY!HEY!HEY!」は存在しなかった。
#*ダウンタウンがこちらの司会をしていたかも。
#*2000年代の懐メロブームの時には「名曲HEY!HEY!HEY!」のような懐メロ枠を設け、ゲスト歌手にもベテラン枠を設けていたかも。
#**懐メロの選曲によっては史実の夜ヒットの準レギュラーのような演歌歌手が出ていた可能性も。
#バックにオーケストラがいなくなっていたかもしれない。
#2000年代あたりからオープニングメドレーの歌の上手い下手でネットが荒れることが多々あっただろう。
 
{{もしあの番組}}
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2014年10月26日 (日) 13:35時点における版

呉延伸が実現していたら

現在の広島電鉄の前身にあたる広島瓦斯電軌は大正時代に御幸橋東詰から海田、矢野、坂を経由して呉市内へ至る路線を建設しようとしていました。しかし、計画は第1次世界大戦後の不況により中止されました。もしこの路線が完成していたら?

  1. 1920年代の前半に完成していた。
  2. すでに呉線が存在していたので苦戦したはず。
    • 広島市内中心部に直通できたらある程度の需要はあったと思う。
    • 呉線が電化されるまでは、山陽本線に対する宮島線と同じく通しでもある程度利用されていた。
  3. 戦時買収されて呉線に組み込まれていたかもしれない。
    • そして呉線はめでたく複線化。
  4. 買収されなかった場合、宮島線と同様に高床車が走っていた。
    • 現在は全車低床化されている。
  5. さらに西条への延長計画(実在していた)が実行に移されていた。
    • 宮島線の岩国延長計画ももう少しは現実味を帯びていた。
  6. 広島側ターミナルの駅名は「電車御幸橋」→「広電御幸橋」→「広電皆実町」と移り変わっていた。
  7. 呉市にもマダムジョイがあった。
  8. 沿線地域の人口がもっと多かった。
  9. 呉市電を買収していた、そして直通運転していた。
    • いまでも存続している。

宮島線の市内線乗り入れが行われていなかったら

  1. 宮島線各駅の無人化は行われなかった。
    • 近年に新設されたような駅は無人のような気がする。
  2. 市内線で連接車は運行されてない。
  3. 広電西広島と己斐は今も別々。
    • あるいは対面乗り換えができるように改造されている。
  4. 急行電車は廃止されることはなかった。
  5. 今でも京阪、阪急からの譲渡車が走っている。
  6. 1060系が黒歴史になることはなかった。
    • 各種書籍・公式HPなどでは広電の車両形式は全て「○○形」と表記されている。
  7. 広島の地下鉄建設が現実味を帯びてくる。
  8. 宮島線と市内線の軌間が違っていたら間違いなくこうなっている。

宮島線の廿日市から先が単線のままだったら

  1. 宮島線がJRに対し現実よりも不利になる。
  2. 広電廿日市駅は昼間時の折り返し便が残り史実よりも繁栄している。
    • 開業時の木造駅舎はおそらく平成までもたなかった。
  3. 背景としては「原爆・枕崎台風の被害による経営状態の悪化+朝鮮戦争による資材高騰+旧用地の道路などへの転用要請」か。
  4. 社史などで事あるごとに痛恨事として取り上げられている。

連接車を導入していなかったら

  1. 車両は700系・800系にあふれかえる。
  2. 宮島線内では単車を3両程度に連結し運行。
  3. 広島駅がさらに混雑してる。
  4. 広島がLRTの代表として紹介されることはなかった。
  5. かつて札幌市電に在籍していたような親子電車が導入されていた。
  6. 既存路線の混雑緩和のためバイパス路線の建設が計画される。