ページ「もしあの作品が週刊少年ジャンプの連載漫画だったら/さ~な行」と「もしあの年のプロ野球シーズンで○○だったら」の間の差分
< もしあの作品が週刊少年ジャンプの連載漫画だったら(ページ間の差分)
ナビゲーションに移動
検索に移動
>リビングデッドライオン 編集の要約なし |
|||
1行目: | 1行目: | ||
* | {{速報規制|開催中・終了直後のシリーズ({{CURRENTYEAR}}年シーズン)に関する内容(12月1日まで)}} | ||
== | ここでは、優勝争いやプレーオフ・CS進出争いを除いた「もし」を扱います。新規投稿は年代順にお願いします。 | ||
=== | *優勝争いは[[もし日本プロ野球であの球団が優勝していたら]]へ | ||
*プレーオフ・CS進出争いは[[もしプロ野球プレーオフ・クライマックスシリーズで○○だったら]]へ | |||
==セ・リーグ== | |||
===阪神が1993年・1994年をAクラスで終えていたら=== | |||
1992年、阪神は亀新フィーバーもあり久々に優勝争いに加わり惜しくも2位タイで優勝を逃してしまいました。翌1993年、1994年はその優勝争いの反動もあってか4位に転落しましたが、もしAクラスで終えていたら? | |||
=== | ====両年共通==== | ||
# | #1995年以降も少しはまともな成績を残していた。 | ||
# | #*中村勝広も現実より長く監督を続けていた。 | ||
#* | #*阪神大震災発生後も「がんばろうKOBE」のオリックスとともに被災者を元気付けていたかも。 | ||
#** | #*その分ヤクルトが低迷していた。 | ||
#* | #**野村監督の退任も早かったかもしれない。 | ||
#* | #*新庄・亀山・山田・関川・久慈などは史実よりも長く阪神に在籍していたかもしれない。 | ||
# | #**場合によっては2003・2005年のリーグ優勝時にも在籍していた。 | ||
#* | #**関川・久慈は中日にトレードされていなかった。 | ||
#***久慈は実際に2003・2005年のリーグ優勝時に在籍していたが、途中で移籍しなかった。 | |||
#***その場合矢野が阪神に移籍しなかった可能性もある。 | |||
#****正捕手は関川か山田が務めていた。 | |||
#*あるいはその反動で、1995年以降の成績が歴史実際より悪かった可能性もある。 | |||
#**下手すれば、1995年~2001年は7年連続最下位に終わっていた可能性も… | |||
#2003年までに1度か2度リーグ優勝を経験していたかもしれない。 | |||
#90年代の阪神が「暗黒時代」や「ダメ虎」と呼ばれることもなかったかも。 | |||
=== | ====1993年==== | ||
# | #松永浩美が前評判どおりの活躍をしていた。 | ||
# | #*「野田・松永のトレードもなんのその」と言われていた。 | ||
#* | #*「甲子園は幼稚園の砂場」という迷言捏造もない。 | ||
# | #*FA移籍第1号は松永ではなかった。 | ||
#*背番号「02」はその後も使われていた。 | |||
#**「01」というのも出てきたかもしれない。 | |||
#***「03」から「09」をつける選手が現れた可能性もありえる。 | |||
#仲田幸司は一発屋に終わらなかったかも。 | |||
#1992年と同様にヤクルトと優勝争いしていた。 | |||
#*最低でも巨人か中日と3位争いしていたかも。 | |||
== | ====1994年==== | ||
= | #新外国人ディアーが現実以上に活躍していた。 | ||
#*翌年以降も在籍していて、グレンやクールボーを獲得しなかった。 | |||
# | #*オマリーも残留していた。 | ||
# | #**ヤクルトに移籍し、阪神戦で打ちまくることもなかった。 | ||
#* | #FA移籍してきた石嶺和彦も本領発揮が出来ていた。 | ||
#そもそも8月の対巨人3連戦に勝ち越してそれ以降も首位争いに加わっていた。 | |||
#* | #もしかしたら「10.8決戦」は巨人VS阪神あるいは中日VS阪神になっていたかも。 | ||
#*もし阪神が優勝していたら、「2年前の雪辱を果たした」と言われるようになっていた。 | |||
# | |||
# | |||
# | |||
#* | |||
=== | ===ヤクルトが1994年に最下位に転落していたら=== | ||
1994年、ヤクルトは2年連続リーグ制覇から一転して投手陣の不調・故障離脱が相次いだこともあり低迷し、「10.8決戦」の翌日に同率で並んだ横浜と最終戦で直接対戦しヤクルトの勝利で横浜の最下位とヤクルトの同率4位が決定しましたが、もしこの年最下位でシーズンを終えていたら? | |||
#野村克也は監督は辞任していた。 | |||
# | #*若松勉の監督就任が早まった。 | ||
#* | #*もしかしたら関根潤三が復帰したかも。 | ||
# | #*のちに阪神や楽天の監督に就任することもなかった。 | ||
# | #翌1995年のリーグ優勝・日本一はなかった。 | ||
# | #入れ替わりに阪神がAクラス入りすることが多くなるかも。 | ||
# | #いずれにしても広沢克己とハウエルは巨人に移籍していた。 | ||
=== | ===巨人が1997年に最下位に転落していたら=== | ||
1996年、巨人は広島と最大11.5ゲーム差をつけられながらも逆転優勝を収め、「メークドラマ」なる言葉まで生まれましたが、翌1997年はその反動か低迷し、一時は最下位かというところまで行きましたが、もしこの年最下位でシーズンを終えていたら? | |||
#球団として22年ぶりの最下位となり、長嶋監督(当時)はおそらく辞任。 | |||
# | #*よって2000年の日本シリーズはON対決にはならなかった。 | ||
#* | #*長嶋氏の終身名誉監督もない。 | ||
#*後任は誰に? | |||
#**翌年にも長嶋監督の辞任騒動があった際に森祇晶の名前が挙がっていたことを考えたら、森の可能性が高かったかと(ただし、ファンの猛反対で頓挫していたかもしれないが)。 | |||
#**堀内が史実より早く就任していた、あるいは原がコーチを経験せずに監督に就任していた可能性も。 | |||
#巨人人気低迷が現実以上に進んだ。 | |||
#*W杯初出場決定も重なり、サッカーに流れるファンも多数出ていた。 | |||
#*プロ野球人気そのものが低迷していた。 | |||
#**[[日本テレビ]]は巨人戦の中継を史実より早くやめていた可能性がある。 | |||
#*現実の5位に終わった2005年みたいになる。 | |||
#「負けドラマ」が大流行していた可能性も。 | |||
#この年移籍した清原に対する風当たりも、現実以上に強かった。 | |||
#*最悪自由契約にされた。 | |||
#**その場合阪神あたりが清原を拾っていたりして。 | |||
#中日は翌1998年に優勝できていたかも。 | |||
#*横浜は1960年以来優勝できないままだった。 | |||
#ナベ○ネは大激怒。ジャイアンツどころか読売グループまで現実以上の人事再編をしていた。 | |||
#*ジャイアンツだけでも、選手コーチ合わせて最大20人は解雇した可能性も。 | |||
#1975年の最下位が引き合いに出される。 | |||
#*当時の監督も長嶋氏だった為尚更。 | |||
#*ここまで長嶋氏が神格化されることも無かった。 | |||
#この年の[[阪神タイガース|阪神]]はAクラス入りしていた可能性もある。 | |||
#*暗黒時代も早く終わっていた。 | |||
#**現実よりマシな成績で、1999年あたりで(本当に)優勝争いしたかも。 | |||
=== | ===阪神が2012年Aクラス入りをしていたら=== | ||
# | #金本はあと1・2年現役を続行できていたかもしれない。 | ||
# | #*城島や桧山の引退も遅れていた。 | ||
# | #*ブラゼルは帰国しなかったし、平野もオリックスに復帰しなかった。 | ||
#どっちみち藤川球児は渡米したかも? | |||
#*というのも井川が渡米した頃から密かに目指していた。 | |||
#西岡や福留の獲得もなかったかも。 | |||
== | ===中日が2013年をAクラスで終えていたら=== | ||
#高木守道監督(当時)が2度目の辞任をすることはなかった。 | |||
# | #*ということで、谷繁元信捕手がプレイングマネージャーになることもなかった。 | ||
# | #*高木監督は2013年のシーズン当初から「今年限り」と宣言していたから基本的にそれはない。ただしフロントまで責任を追及されず、後任監督は旧フロントの意向から山崎武司あたりになっていた可能性もある。 | ||
# | #**高木監督の辞任が現実味を帯びてきたあたりでの動きを考えると、おそらく立浪和義が監督に就任していた。 | ||
# | #*当然旧幹部(ガッツポ坂井など)は粛清されなかったので、落合博満がGMとして中日に復帰するのは言わずもがな。 | ||
#* | #(史実でAクラス入りした)広島は、16年連続Bクラスということになっていた。 | ||
#** | #*おそらく野村監督はこの年限りで解任されていた。 | ||
#*そして、カープファンからは高橋慶彦の監督就任を熱望する声が史実以上に高まっていた。{{極小|まあ、フロントは絶対に呼ばないだろうが。}} | |||
#CSは第1ステージで阪神に勝てたかもしれないが第2ステージの突破はまず無かっただろう。 | |||
=== | ==パ・リーグ== | ||
===近鉄が1953年に勝率3割5分を切り強制的に解散していたら=== | |||
1953年に[[大阪近鉄バファローズ|近鉄パールス]]は最下位でした。ただその年のパリーグでは勝率3割5分を切った球団は強制的に解散という罰則があり、それは回避する事が出来ました。もし罰則にふれていたら・・・? | |||
=== | ====近鉄パールス==== | ||
# | #江夏の21球や川崎球場88.10.19、西武球場89.10.12(ブライアント3連発)などがなくなる | ||
# | #*兎にも角にもバファローズを象徴する選手や出来事は全て吹っ飛んでしまう | ||
# | #藤井寺球場は住宅地として売り出したいため直ちに解体 | ||
#*ナイター設備の設置工事差し止め裁判も行われず | |||
#*藤井寺の全国的な知名度としては昔、野球場があったんだよ位に留まる | |||
#**今もその程度かな? | |||
#*日生球場もパールズ解散とともに解体されていたかも? | |||
#**出来てからたった3年で解体ということはないかと…(そもそも準本拠地化は史実では1958年) | |||
#「オリックスバファローズ」も存在しない。 | |||
#*よって、「東北楽天ゴールデンイーグルス」も生まれていない。 | |||
=== | ====高橋ユニオンズ==== | ||
# | #誕生しない | ||
# | #*佐々木信也が[[スポーツ番組ファン#プロ野球ニュースファン|プロ野球ニュース]]の司会をやれなかったかもしれない | ||
# | #*スタルヒンの引退が早くなっていた(1953年)。よって300勝は達成できなかった。 | ||
# | #トンボ鉛筆は未だにNPBにかかわらず、現業を続けている | ||
# | |||
=== | ====大映スターズおよび[[千葉ロッテマリーンズ|毎日オリオンズ]]==== | ||
#合併しない | |||
# | #*毎日と大映のどちらがロッテになり、もう一方がどこに買われるかだな | ||
#* | #高橋の代わりにオリオンズが川崎を本拠地にした。 | ||
# | #*オリオンズが後楽園→川崎→横浜で、スターズは後楽園→東京球場→(流浪)→川崎→千葉かな | ||
#* | |||
== | ====[[横浜DeNAベイスターズ|大洋ホエールズ]](当時:大洋松竹ロビンス)==== | ||
= | #1954年の川崎移転はない | ||
# | #日生球場が本拠地、大阪球場が準本拠地 | ||
#* | #*1960年日本シリーズの主催試合は大阪球場で実施 | ||
#* | #西本幸雄の歴史は近鉄ではなく大洋の監督就任かも | ||
# | #*1960年のシリーズで戦った因縁の相手だけど | ||
#* | #「大阪」大洋ホエールズへの球団名変更は無い | ||
#* | #[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]売却・移転後、大阪球場が1998年まで解体されないので本拠地 | ||
# | #*「大阪」ベイスターズへの球団名変更も無い | ||
#1997年より大阪ドーム移転 | |||
#*ようやく大阪大洋ホエールズに変更 | |||
#*大阪ドームの[[読売ジャイアンツ|巨人]]主催ゲームは無くなる | |||
#*[[阪神タイガース|タイガース]]の開幕カードはグリーンスタジアム神戸での開催になる | |||
#売却先は京セラやサントリーあたりか | |||
#*やっぱり楽天で大阪楽天ホエールズ | |||
=== | ===クラウンライター(現・埼玉西武)ライオンズが1978年をAクラスで終えていたら=== | ||
# | #とりあえず、国土開発(現・コクド)への球団身売りは回避できていた。 | ||
#* | #*ということで、ライオンズは1979年度以降も[[もしあのプロ野球球団の本拠地が○○のままだったら#ライオンズ(福岡)|福岡が本拠地だった]]。 | ||
# | #*その場合[[ダイエー]]がライオンズを買収していた可能性もある。 | ||
# | #**福岡ダイエーライオンズ→福岡ソフトバンクライオンズになっていた。 | ||
# | #**逆に西武は南海を買収していたかも(南海は流通部門でセゾングループと繋がりがあったため)。 | ||
=== | ===オリックス・ブルーウェーブが2000年にBクラスに転落していなかったら=== | ||
# | 1989年以来Aクラスを維持してきたオリックスも、2000年にBクラスに転落して以降、2000年代は2008年を除いてBクラスという有様でした。もし2000年もAクラスを維持していたら? | ||
#* | #低迷期に入ることはなかった。 | ||
#** | #*実際よりもまともな成績を残していた。 | ||
# | #**大阪近鉄と優勝争いしたかも。 | ||
#*低迷期に入ったとしても、実際より遅れていた。 | |||
#イチローはメジャーリーガーにならなかった。 | |||
#*どっちみち見限って行ってたんじゃないか? | |||
#大阪近鉄との合併が回避されていた。 | |||
#*近鉄は身売り先を自分で探す羽目に・・・。 | |||
#**結局、[[もし2004年球界再編で○○になっていたら#合併ではなく身売りを選んでいたら|身売り先は楽天に]]。 | |||
#もしかしたら翌2001年にユニフォームが変更されなかったかも。 | |||
== | ===2004年のストが行われず、ロッテが再逆転で3位に滑り込んでいたら=== | ||
#2005年はレギュラーシーズンで低迷し、日本シリーズの「[[33-4]]」も起こらなかった。 | |||
# | |||
=== | ===ロッテが2010年を負け越しで終えていたら=== | ||
# | #勝率4割台での日本一が実現した。 | ||
#* | #*CSに対する風当たりが強まり、ルール変更も検討される。 | ||
=== | ===東北楽天が2011年をAクラスで終えていたら=== | ||
# | #2009年以来のクライマックスシリーズ進出となっていた。 | ||
# | #東日本大震災の被災者に勇気を与えていただろう。 | ||
#*「がんばろう東北」が流行語になっていた。 | |||
#*1995年の神戸のオリックスファンみたいになる。 | |||
#* | #星野仙一監督の本拠地最終戦でのコメントも変わっていた。 | ||
#* | |||
# | |||
[[Category:歴史のif検討委員会 日本プロ野球史|しいすんてんかい]] | |||
[[Category:歴史のif検討委員会 | |||
2014年11月23日 (日) 17:09時点における版
テンプレート:速報規制 ここでは、優勝争いやプレーオフ・CS進出争いを除いた「もし」を扱います。新規投稿は年代順にお願いします。
- 優勝争いはもし日本プロ野球であの球団が優勝していたらへ
- プレーオフ・CS進出争いはもしプロ野球プレーオフ・クライマックスシリーズで○○だったらへ
セ・リーグ
阪神が1993年・1994年をAクラスで終えていたら
1992年、阪神は亀新フィーバーもあり久々に優勝争いに加わり惜しくも2位タイで優勝を逃してしまいました。翌1993年、1994年はその優勝争いの反動もあってか4位に転落しましたが、もしAクラスで終えていたら?
両年共通
- 1995年以降も少しはまともな成績を残していた。
- 中村勝広も現実より長く監督を続けていた。
- 阪神大震災発生後も「がんばろうKOBE」のオリックスとともに被災者を元気付けていたかも。
- その分ヤクルトが低迷していた。
- 野村監督の退任も早かったかもしれない。
- 新庄・亀山・山田・関川・久慈などは史実よりも長く阪神に在籍していたかもしれない。
- 場合によっては2003・2005年のリーグ優勝時にも在籍していた。
- 関川・久慈は中日にトレードされていなかった。
- 久慈は実際に2003・2005年のリーグ優勝時に在籍していたが、途中で移籍しなかった。
- その場合矢野が阪神に移籍しなかった可能性もある。
- 正捕手は関川か山田が務めていた。
- あるいはその反動で、1995年以降の成績が歴史実際より悪かった可能性もある。
- 下手すれば、1995年~2001年は7年連続最下位に終わっていた可能性も…
- 2003年までに1度か2度リーグ優勝を経験していたかもしれない。
- 90年代の阪神が「暗黒時代」や「ダメ虎」と呼ばれることもなかったかも。
1993年
- 松永浩美が前評判どおりの活躍をしていた。
- 「野田・松永のトレードもなんのその」と言われていた。
- 「甲子園は幼稚園の砂場」という迷言捏造もない。
- FA移籍第1号は松永ではなかった。
- 背番号「02」はその後も使われていた。
- 「01」というのも出てきたかもしれない。
- 「03」から「09」をつける選手が現れた可能性もありえる。
- 「01」というのも出てきたかもしれない。
- 仲田幸司は一発屋に終わらなかったかも。
- 1992年と同様にヤクルトと優勝争いしていた。
- 最低でも巨人か中日と3位争いしていたかも。
1994年
- 新外国人ディアーが現実以上に活躍していた。
- 翌年以降も在籍していて、グレンやクールボーを獲得しなかった。
- オマリーも残留していた。
- ヤクルトに移籍し、阪神戦で打ちまくることもなかった。
- FA移籍してきた石嶺和彦も本領発揮が出来ていた。
- そもそも8月の対巨人3連戦に勝ち越してそれ以降も首位争いに加わっていた。
- もしかしたら「10.8決戦」は巨人VS阪神あるいは中日VS阪神になっていたかも。
- もし阪神が優勝していたら、「2年前の雪辱を果たした」と言われるようになっていた。
ヤクルトが1994年に最下位に転落していたら
1994年、ヤクルトは2年連続リーグ制覇から一転して投手陣の不調・故障離脱が相次いだこともあり低迷し、「10.8決戦」の翌日に同率で並んだ横浜と最終戦で直接対戦しヤクルトの勝利で横浜の最下位とヤクルトの同率4位が決定しましたが、もしこの年最下位でシーズンを終えていたら?
- 野村克也は監督は辞任していた。
- 若松勉の監督就任が早まった。
- もしかしたら関根潤三が復帰したかも。
- のちに阪神や楽天の監督に就任することもなかった。
- 翌1995年のリーグ優勝・日本一はなかった。
- 入れ替わりに阪神がAクラス入りすることが多くなるかも。
- いずれにしても広沢克己とハウエルは巨人に移籍していた。
巨人が1997年に最下位に転落していたら
1996年、巨人は広島と最大11.5ゲーム差をつけられながらも逆転優勝を収め、「メークドラマ」なる言葉まで生まれましたが、翌1997年はその反動か低迷し、一時は最下位かというところまで行きましたが、もしこの年最下位でシーズンを終えていたら?
- 球団として22年ぶりの最下位となり、長嶋監督(当時)はおそらく辞任。
- よって2000年の日本シリーズはON対決にはならなかった。
- 長嶋氏の終身名誉監督もない。
- 後任は誰に?
- 翌年にも長嶋監督の辞任騒動があった際に森祇晶の名前が挙がっていたことを考えたら、森の可能性が高かったかと(ただし、ファンの猛反対で頓挫していたかもしれないが)。
- 堀内が史実より早く就任していた、あるいは原がコーチを経験せずに監督に就任していた可能性も。
- 巨人人気低迷が現実以上に進んだ。
- W杯初出場決定も重なり、サッカーに流れるファンも多数出ていた。
- プロ野球人気そのものが低迷していた。
- 日本テレビは巨人戦の中継を史実より早くやめていた可能性がある。
- 現実の5位に終わった2005年みたいになる。
- 「負けドラマ」が大流行していた可能性も。
- この年移籍した清原に対する風当たりも、現実以上に強かった。
- 最悪自由契約にされた。
- その場合阪神あたりが清原を拾っていたりして。
- 最悪自由契約にされた。
- 中日は翌1998年に優勝できていたかも。
- 横浜は1960年以来優勝できないままだった。
- ナベ○ネは大激怒。ジャイアンツどころか読売グループまで現実以上の人事再編をしていた。
- ジャイアンツだけでも、選手コーチ合わせて最大20人は解雇した可能性も。
- 1975年の最下位が引き合いに出される。
- 当時の監督も長嶋氏だった為尚更。
- ここまで長嶋氏が神格化されることも無かった。
- この年の阪神はAクラス入りしていた可能性もある。
- 暗黒時代も早く終わっていた。
- 現実よりマシな成績で、1999年あたりで(本当に)優勝争いしたかも。
- 暗黒時代も早く終わっていた。
阪神が2012年Aクラス入りをしていたら
- 金本はあと1・2年現役を続行できていたかもしれない。
- 城島や桧山の引退も遅れていた。
- ブラゼルは帰国しなかったし、平野もオリックスに復帰しなかった。
- どっちみち藤川球児は渡米したかも?
- というのも井川が渡米した頃から密かに目指していた。
- 西岡や福留の獲得もなかったかも。
中日が2013年をAクラスで終えていたら
- 高木守道監督(当時)が2度目の辞任をすることはなかった。
- ということで、谷繁元信捕手がプレイングマネージャーになることもなかった。
- 高木監督は2013年のシーズン当初から「今年限り」と宣言していたから基本的にそれはない。ただしフロントまで責任を追及されず、後任監督は旧フロントの意向から山崎武司あたりになっていた可能性もある。
- 高木監督の辞任が現実味を帯びてきたあたりでの動きを考えると、おそらく立浪和義が監督に就任していた。
- 当然旧幹部(ガッツポ坂井など)は粛清されなかったので、落合博満がGMとして中日に復帰するのは言わずもがな。
- (史実でAクラス入りした)広島は、16年連続Bクラスということになっていた。
- おそらく野村監督はこの年限りで解任されていた。
- そして、カープファンからは高橋慶彦の監督就任を熱望する声が史実以上に高まっていた。まあ、フロントは絶対に呼ばないだろうが。
- CSは第1ステージで阪神に勝てたかもしれないが第2ステージの突破はまず無かっただろう。
パ・リーグ
近鉄が1953年に勝率3割5分を切り強制的に解散していたら
1953年に近鉄パールスは最下位でした。ただその年のパリーグでは勝率3割5分を切った球団は強制的に解散という罰則があり、それは回避する事が出来ました。もし罰則にふれていたら・・・?
近鉄パールス
- 江夏の21球や川崎球場88.10.19、西武球場89.10.12(ブライアント3連発)などがなくなる
- 兎にも角にもバファローズを象徴する選手や出来事は全て吹っ飛んでしまう
- 藤井寺球場は住宅地として売り出したいため直ちに解体
- ナイター設備の設置工事差し止め裁判も行われず
- 藤井寺の全国的な知名度としては昔、野球場があったんだよ位に留まる
- 今もその程度かな?
- 日生球場もパールズ解散とともに解体されていたかも?
- 出来てからたった3年で解体ということはないかと…(そもそも準本拠地化は史実では1958年)
- 「オリックスバファローズ」も存在しない。
- よって、「東北楽天ゴールデンイーグルス」も生まれていない。
高橋ユニオンズ
- 誕生しない
- 佐々木信也がプロ野球ニュースの司会をやれなかったかもしれない
- スタルヒンの引退が早くなっていた(1953年)。よって300勝は達成できなかった。
- トンボ鉛筆は未だにNPBにかかわらず、現業を続けている
大映スターズおよび毎日オリオンズ
- 合併しない
- 毎日と大映のどちらがロッテになり、もう一方がどこに買われるかだな
- 高橋の代わりにオリオンズが川崎を本拠地にした。
- オリオンズが後楽園→川崎→横浜で、スターズは後楽園→東京球場→(流浪)→川崎→千葉かな
大洋ホエールズ(当時:大洋松竹ロビンス)
- 1954年の川崎移転はない
- 日生球場が本拠地、大阪球場が準本拠地
- 1960年日本シリーズの主催試合は大阪球場で実施
- 西本幸雄の歴史は近鉄ではなく大洋の監督就任かも
- 1960年のシリーズで戦った因縁の相手だけど
- 「大阪」大洋ホエールズへの球団名変更は無い
- 南海ホークス売却・移転後、大阪球場が1998年まで解体されないので本拠地
- 「大阪」ベイスターズへの球団名変更も無い
- 1997年より大阪ドーム移転
- 売却先は京セラやサントリーあたりか
- やっぱり楽天で大阪楽天ホエールズ
クラウンライター(現・埼玉西武)ライオンズが1978年をAクラスで終えていたら
- とりあえず、国土開発(現・コクド)への球団身売りは回避できていた。
オリックス・ブルーウェーブが2000年にBクラスに転落していなかったら
1989年以来Aクラスを維持してきたオリックスも、2000年にBクラスに転落して以降、2000年代は2008年を除いてBクラスという有様でした。もし2000年もAクラスを維持していたら?
- 低迷期に入ることはなかった。
- 実際よりもまともな成績を残していた。
- 大阪近鉄と優勝争いしたかも。
- 低迷期に入ったとしても、実際より遅れていた。
- 実際よりもまともな成績を残していた。
- イチローはメジャーリーガーにならなかった。
- どっちみち見限って行ってたんじゃないか?
- 大阪近鉄との合併が回避されていた。
- 近鉄は身売り先を自分で探す羽目に・・・。
- 結局、身売り先は楽天に。
- 近鉄は身売り先を自分で探す羽目に・・・。
- もしかしたら翌2001年にユニフォームが変更されなかったかも。
2004年のストが行われず、ロッテが再逆転で3位に滑り込んでいたら
- 2005年はレギュラーシーズンで低迷し、日本シリーズの「33-4」も起こらなかった。
ロッテが2010年を負け越しで終えていたら
- 勝率4割台での日本一が実現した。
- CSに対する風当たりが強まり、ルール変更も検討される。
東北楽天が2011年をAクラスで終えていたら
- 2009年以来のクライマックスシリーズ進出となっていた。
- 東日本大震災の被災者に勇気を与えていただろう。
- 「がんばろう東北」が流行語になっていた。
- 1995年の神戸のオリックスファンみたいになる。
- 星野仙一監督の本拠地最終戦でのコメントも変わっていた。