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{{市|name=豊中|reg=近畿|pref=大阪|area=北摂|ruby=とよなか|eng=Toyonaka}}
==プロ野球==
{{北摂}}
===全般===
==豊中市の噂==
#投手記録としての「引き分け」
*豊中市内の駅については[[大阪の駅/豊能]]へ。
#*引き分け試合に最後に投げた投手に記録される。
[[ファイル:Toyonakacityhall.jpg|240px|thumb|豊中市役所]]
#MLBで年間263安打以上を記録した選手
#人口が減少・・・
#*一般にイチローが2004年に記録した年間262安打がMLBにおける年間最多安打記録とされているが、実は1887年にピート・ブラウニングとティップ・オニールが年間275安打を記録している。
#*[[阪神・淡路大震災]]の影響!大阪府では最も被害が大きかった。震災の影響で人口が約3万人減少した。
#**このシーズンだけ四球も安打と記録していたため(正確には当時のルールでは四球ならぬ「五球」で出塁だった。四球で出塁となったのは1889年以後)。
#**21世紀になってから逆に増加し、2019年に[[枚方市]]を抜き大阪府第4位、さらに40万人となった。[[ベリーズ]]の人口とほぼ同じ。
#***現在では1887年の四球は安打に算入しない場合が多い。その場合この年の年間最多安打はティップ・オニールの225安打となる。
#***逆に枚方市は人口が減り、40万人を切ってしまった…。逆に隣の[[吹田市]]は枚方市を抜きそう。
#最優秀防御率のタイトルを同率で複数の選手が獲得
#三国に住んでいても、「三国人」とは限らない。
#*2003年のパ・リーグで斉藤和巳と松坂大輔がともに自責点61・投球回数194回の防御率2.83で同率でタイトルを分け合っている。
#*三国のあたりの市内局番は昔、「'''392'''」だった。今は「6392」。
#*ちなみに首位打者の同率1位は1969年パと1987年セの2回発生している。どちらも打数・安打が異なっていても率を合わせやすい「.333」だった。
#**豊中側の「'''392'''」は大阪庄内収容局新設時に「'''332'''」(現在は「6332」)に変更しました。
#キャッチャーライナー(捕直)
#*ここは、れっきとした「摂津国」であるが、この地名は、3郡界(西成郡=大阪市西部、川辺郡=兵庫県尼崎市の大部分を含む、それに豊能郡=豊中市の大部分と吹田市南西部の江坂・豊津地区を含む の境界)に接するためついた地名だと推測される。
#*通常、打球がそのままキャッチャーミットに収まった場合はファウルチップとなるため、キャッチャーライナーは起こりえないと思いきや、他の野手が処理できなかったライナーを捕手が処理した場合はキャッチャーライナーが記録される。
#*「三国」の行政地名は、豊中市側にも大阪市淀川区側にもある。阪急電鉄の三国駅は大阪市淀川区。
#**実際に1965年5月11日の巨人対広島戦にて、打者・瀧安治の放った打球が安仁屋宗八投手の膝を直撃し、跳ね返った打球を久保祥次捕手が捕球したため、瀧にキャッチャーライナーが記録された。
#[[阪急電鉄|阪急]]の植民地。
#デーゲーム開催の日本シリーズ
#*そのため、歴史的地名(当地の藩の名前)の「麻田」を阪急「蛍池」駅開設(1910年=明治43年)によって消滅させられた(この地名は後述する飛地にのみ辛うじて残存する)事実に対してもほとんど文句が出ない。
#*ナイトゲームでの初開催は1964年の南海対阪神で、当時の東京オリンピックの妨げにならないように配慮された。
#*阪急グループの街。盾突いたら生きていけない。
#**しかし、シリーズでの平均観客動員数は過去最低をマークしてしまった。この影響から1965年以降は再びデーゲーム開催に戻される。
#**言われてみれば市内を通っている鉄道やバスは全て阪急系列だな。地下鉄やJRの路線はないし。
#*しかし平日開催ともなると会社や学校を休まない限り観戦ができなくなり、さらに視聴率にも影響することから、1994年 (巨人対西武) で、西武球場開催分の第~5試合において試験的にナイトゲーム開催となった。
#*「電鉄」「バス」「タクシー」「スーパー」「ホテル」「自動車教習所」「オフィスビル」「百貨店」…などなど、[[阪急阪神東宝グループ]]の半ば企業城下町状態であり、グループが消滅した場合、市の経済および市民生活は大混乱に陥ると思われる。
#*この評判が高かったことから、1995年 (オリックス対ヤクルト) から全試合に拡大された。
#他府県の人からは、豊中は大阪って感じがしないので、大阪府だと思われていない。
#*2011年 (ソフトバンク対中日) の第一戦では、放映権を握っていたフジテレビの編成の兼ね合い (ゴールデンタイムにバレーボール中継を放送) でデーゲーム開催となった。
#*衆議院議員小選挙区の区割り上、豊中市は兵庫県伊丹市と合併すれば区割りが非常に楽になるらしい(どちらの府県に所属させるかは大いにもめそう)。それにより、現在県北部の選挙区に入っている兵庫県三田市を南部の阪神地区の選挙区に編入出来そうである。
#*結論、1963年以前と1965~1993年の全日程、1994年と2011年の一部でデーゲーム開催だった。
#*充分、大阪って思われてるよ。伊丹が大阪っぽいし。
#**「1993年以前のナイトゲーム開催の日本シリーズ」も「実は存在したモノ」に含まれることになる。
#1994年8月に最高気温で大阪市内を上回る'''39.9℃'''を観測したが、これは近畿地方では和歌山県かつらぎ町の40.6℃に次ぐ2位で、全国で18位に相当する。したがって、大阪府内で40℃を越えた地域は未だ存在しない。
#プロ野球の前後期制
#「石橋麻田町」という飛び地が池田と箕面の境界付近にある。ここの'''郵便番号'''は「'''560'''-0042」だが、'''市外局番'''は06ではなく、「'''072'''」(市内局番は760番台)である。
#*1973年から1982年までパ・リーグで行われていた。
#*豊中市になる時、蛍池に住む人が「俺、あそこにも土地持ってるんだけど」と言ったので、「じゃあ、そこも豊中にしとくわ」と飛び地になったらしい。
#1983年から1985年まで実施されたパ・リーグのプレーオフ。
#*ゴミ収集は1ヶ月遅れ、水道代は2倍請求などと地元住人は冷遇されていたらしい。
#*1位と2位のゲーム差が5ゲーム差位内の場合、最大5試合のプレーオフを行い勝率はシーズンとプレーオフの試合数の合計で計算というルールだったが、この3シーズンすべて優勝球団が2位に5ゲーム差以上つけての独走だったため1度も開催されず。
#北部と南部の格差が激しすぎる。北部は千里NTを中心とする高級住宅街。南部は服部、庄内に代表される庶民の町である。その境界線は阪急の曽根と岡町の中間ぐらい。
#2006年まで実施されたセ・リーグのプレーオフ。
#*北部は教育熱心な層が多い気がする。小学校受験・中学受験・高校受験のどれも激しい。
#*1位の勝率が2チーム以上並んだ場合、2001年から2006年までは勝率の1位と勝利数の1位が異なる場合にプレーオフを行うことになっていたが、1度も開催されず。
#**私立、公立共にレベルの高い学校が多い。
#セ・リーグ本拠地開催分で指名打者制度が採用された日本シリーズ
#*境界線は阪急の服部と曽根の中間ぐらいじゃないか。
#*1985年のみ、全試合で指名打者制度が採用された。
#**北部でも千里NTと豊中駅周辺では雰囲気が違う。NTTの市内局番で区分できると思う(683X、687X=千里NT、684X~5X=北部、6331~6、686X=南部)
#AクラスとBクラスが前年と総入れ替え
#**その辺は地理的に見ても、千里丘陵と大阪平野の境目だしな
#*現時点で2014年のパ・リーグの1度のみ。
#***R176を大阪方面から来るとこの辺りで片側2車線から1車線に減る。
#**順位の内訳は、ソフトバンク(前年4位→1位)、オリックス(前年5位→2位)、日本ハム(前年6位→3位)、ロッテ(前年3位→4位)、西武(前年2位→5位)、楽天(前年1位→6位)。
#****但し阪急は服部と曽根の間で高架に上がるのでちょっとわかりにくい。
#一塁ランナーが生還した犠牲フライ
#*****並行する阪急バスに乗った方がよくわかる。
#*1977年4月29日の大洋対阪神戦(川崎球場)で発生。
#*南部は今は亡き少路高校に入れたがる教師が沢山いた。
#**阪神が7-6と1点リードした9回裏1死1塁、大洋の清水透が打った大きな当たりを阪神のレフト・佐野仙好はフェンスに激突しながらもボールをキャッチしたが、コンクリートが剥き出しだった当時の川崎球場のフェンスで頭部を強打。
#**少路高校校舎は廃校後は老人ホームになるらしい(OB談)
#**佐野はボールを捕球したまま気を失い、左翼線審の田中俊幸は佐野の捕球を確認してアウトを宣告。
#***その少路高校は意外にもサッカー元日本代表大黒将志や声優・鈴村健一ら有名人を輩出している。
#**阪神の選手・コーチが佐野に駆け寄っている間に、内野に残った一塁ランナーの野口善男がベンチの指示を受けタッチアップ、球場内が騒然とする中をほぼ全力で駆け抜けて本塁に生還。
#***分譲マンションになるらしい。
#*当初は佐野が清水の打球を捕球した後に他の野手への返球を怠ったと判断され、佐野には捕球による刺殺と送球をしなかったとして失策が記録されていたが、後に記録員の藤森清志の進言により訂正がされ、記録上は1死1塁から清水のレフトへの野選を伴った犠牲フライとなり、清水に打点、野口に得点が記録された。
#**元々、庄内地域の子供が通う高校をという目的で計画されたが、庄内に場所が無い為、あの場所に建てられた。
#左投げの二塁手
#**大阪モノレール少路駅は当初計画では設置されない予定だったのが、計画途中でこの高校の設置が決まったので駅も設置されることになったらしい。
#*NPBでは鬼頭数雄(1936年2試合)、山田伝(1939年3試合、1940年2試合、1942年1試合)、西本幸雄(1951年1試合)の3人だけが記録している。
#*北部は小学校中学校高校とすべて公立で行っても何とかなる為、小中高が公立、大学が地元国立阪大に進むのが一番の親孝行であり、実際親の望み通り進学する子が多い。
#予告ホームランをして実際にホームランを打った選手
#**阪大であれば近所なので原付、場合によっては自転車でも通える為、下宿代と言う点からも親孝行である。
#*1989年9月16日のオリックス対近鉄戦でブーマー・ウェルズが予告ホームランをし、見事宣言通りホームランを打った。
#**だがなぜか長男は慶應率が高い。
#**質の高い教育が地元公立だけでも済むのは都立西高を抱える[[杉並区]]とよく似ているね。
#*南部の庄内地区は戦後大阪市と領地を取り合ったが最終的には豊中市に編入された。
#**「庄内」と言っても市街地化されて田畑がないので「はえぬき」も「どまんなか」も「だだちゃ豆」も栽培されていない。
#*昭和40年代まで北部の象徴だった島熊山。校歌の歌詞に「島熊」を入れている学校が北部には割と多い。
#**元々は今の豊島高校付近から旧東豊中高校(現千里青雲高校)付近まであったのだが宅地造成でどんどん削られ今では山の片りんすら無い。
#[[大阪国際空港]]の玄関口、ターミナルビルの所在地は豊中市。
#*余談だが南ターミナル付近に『豊中市の中の池田市飛び地の中の豊中市飛び地』という二重飛び地がある。
#どちらかというと、豊中駅より上は下より影が薄い。
#*[[池田市]]か[[箕面市]]だと思われている。
#*但し高級住宅地はこのエリアに多い。
#「曽根東町」の正しい読み方は「そねひがしのちょう」だが、みんな「そねひがしまち」と読む。
#阪急蛍池駅と豊中駅の間に個人宅用の踏切がある。
#*うっかり道を一本間違えて、家が出てきたからすぐに引き返したけどすごい恥ずかしかった…
#*余談だが、その個人宅と周辺の池は元々、前方後円墳だが、阪急電車とR176を通す為、古墳を切り崩し、現在は後円だけが、個人宅部分として残っている(御神山古墳・おかみやまこふん)。
#某サービスコーナーは豊中市内じゃなくて吹田市にある。
#中核派移行に伴いパスポートセンター開設、これで便利になると思ったら場所は蛍池にあるし豊中市民しか使えんのはなめと。
#*え゛っ、中核派?(それの餌となる[[ロシア]]の総領事館なら西緑丘にあるけど…)
#手塚治虫記念館は[[宝塚市|宝塚]]にあるが、手塚治虫の出身地はこの豊中市。
#*市内の古書店の2階に手塚治虫の資料館がある。
#*何気に「寅さん」で有名な映画監督の山田洋次の出身地でもある。生家が市内に今でもあるらしい。
#豊中クラブ自治会館の建物が箕面に建てられたカフェーパウリスタという店だったらしい。
#*しかも東京銀座にできる前にできたので日本最古の喫茶店建築だったらしいが、2013年に取り壊された。
#阪神高速池田線沿いにある[[餃子の王将]]空港線豊中店は全店舗の中でも売り上げがトップらしい。
#*阪急豊中駅から屋上の看板が見える。
#上記の通り市の南北で雰囲気がガラッと変わるが、東西でも雰囲気がかなり異なる。
#*東部は住宅街ともに高度経済成長期から次々と形成された団地街が特徴的。
#**千里NTに東豊中団地、北緑丘団地、旭ヶ丘団地、桜塚団地など各方面に阪急バスが走る。
#*対して西部は古くからの住宅街と文化住宅、さらに西に行くと工場が多くなる。
#**やはり空港の騒音という問題ゆえか、飛行機の経路に近づくにつれて住む場所から工業地へと変わっていく。
#***この辺りでは雰囲気は豊中というよりも[[尼崎市|尼崎]]に近い。
#尼崎市・伊丹市との境目近くに[[グリーンランド]]ならぬクリーンランドがある。位置的には園田競馬場と大阪空港に挟まれた場所。
#[[泉大津市]]にも豊中がある。[[門真市]]の岸和田と同じく関西以外の人は間違えそう。
#T中市の最多姓が[[苗字の秘密/た行#田中|T中]]というT中繋がり。


==豊中==
===球団関連===
#[[阪急宝塚線]]豊中駅は急行停車駅であるにもかかわらず、駅前はまったくといっていいほど整備されていない。高架後に西口にエトレ豊中ができたくらい。
#近鉄が親会社の球団の「日本一」
#*今でも特急日生エクスプレスは豊中駅を通過するが、かつて(20年以上前)は急行も通過していた。
#*1リーグ時代の1946年に近畿グレートリング(南海電鉄が近畿日本鉄道から分離する前)が優勝しているが、当時は日本シリーズがなかったので実質日本一ということに。
#*学習塾と美容院と金融機関がものすごく多い。
#**ただしNPBの公式記録としてはホークス(南海・ダイエー・ソフトバンク)の優勝回数にカウントされている。
#**金融機関では、三菱東京UFJは旧三菱と旧三和の店舗があったし、三井住友に至っては旧太陽神戸、旧住友、旧三井の店舗が隣接していた。りそなは旧大和の店舗あり。みずほの店舗は元からない。それなのに何故か京都銀行が進出して来た。
#***運営会社としては1938年設立の「南海野球」の流れを汲んでいる。
#*最近再開発が進んでマンションや商店街が新しく綺麗になっている。
#***バファローズの運営会社は近鉄から南海が分離された後の1949年設立。
#[[高校野球ファン|高校野球]]の発祥の地。[[ファイル:Kokoyakyu-hassyounoti.jpg|240px|サムネイル|高校野球発祥の地]]
#北海道日本ハムファイターズVS大阪近鉄バファローズ・福岡ダイエーホークス・オリックスブルーウェーブ
#*なぜ[[阪神甲子園球場|甲子園]]になったかは[[阪神電気鉄道|阪神]]が客を呼ぶため。
#*球界再編でよくあやふやになりがちだが、日本ハムの札幌移転は球界再編の1年前なので、2004年シーズンはこれらのカードが存在した。
#**あと阪急宝塚線の前身である箕面有馬電気軌道の輸送力がなかったため。
#**ちなみに2004年9月17日にプロ野球ストライキが決定したとき、近鉄の対戦相手は北海道日本ハムだった。
#**阪神は当初は[[西宮市|西宮]]の近くの鳴尾に呼び、それでもって川を埋め立てて球場を作り、高校野球観戦の環境を整備した。
#東京ドームでの日本ハムファイターズvs阪急ブレーブス・南海ホークス
#*ちなみに市内には「豊中ローズ球場」がある。バラ園があるからで、タフィ・ローズとは関係ない。
#*東京ドームの開業は1988年なので、これらのカードが存在した。東京ドーム前にある記念碑には阪急・南海のロゴが刻まれている。
#**豊中市の市花がバラであるため、「ローズ球場」の命名になったと記憶しているが…
#福岡が本拠地のセ・リーグ球団
#***しかも高校ラグビー発祥の地でもある。
#*1950年に「西日本パイレーツ」という球団が設立されたがシーズン後に西鉄クリッパーズと合併し消滅。
#****ついでに高校サッカー、高校アメフトの発祥の地でもある。
#ロッテオリオンズvsオリックス・ブルーウェーブ
#***豊中ローズ球場の正式名称は「豊島公園野球場」。ただこの名で呼ばれているのを一度も聞いたことがないし、球場自体にも「豊中ローズ球場」と書かれてある。
#*ロッテオリオンズ最後の年となる1991年に、既にオリックスは球団名がブルーウェーブに変わっていたため、このカードが1年間限定で存在した。
#*駅から東に5分ほど歩くと、記念すべき第1回全国高校野球大会を行った豊中グラウンドの跡地がある。その名も「高校野球メモリアルパーク」。ただし第2回までしか開催されなかった模様。ちなみに現在でも外壁が残っている。
#巨人の最下位
#**当時のレンガの壁は民家の塀として利用されているらしい。
#*現時点で1975年のみ。この年は前年に現役を退いた長嶋茂雄監督の就任初年度だった。
#関西球団同士の日本シリーズ
#*現時点で1964年のみ。この年の日本シリーズは「阪神タイガースvs南海ホークス」の関西決戦だった。
#**当時ホークスは大阪に本拠地を持っていた。しかし、ホークスは数年後にダイエーに身売りされたのち福岡へ移転している。
#**関西球団同士で盛り上がると思いきや、東京オリンピック開会式と日程がかぶったため最終戦はガラガラだった。
#福岡ソフトバンクホークスの最下位
#*2008年に最終戦で楽天に敗れて最下位になっている。この年限りで王貞治監督は辞任し会長に。
#西武の最下位
#*前身となる球団を除けば現時点で1979年のみ。この年は本拠地が所沢に移転後最初のシーズンだった。
#京都を本拠地とするNPBの球団
#*1949年に大陽ロビンスが京都市の衣笠球場(現存せず)を本拠地としていた。
#*松竹ロビンスになった翌シーズンからも名目上は京都が本拠地だったが実際は大阪球場で主催試合を行うほうがずっと多かった。
#中日ドラゴンズのリーグ1位からの出場で日本一
#*現時点で1954年のみ。ちなみに中日が次に日本一になるのは53年後の2007年となるが2位からの出場で、1位からの出場で日本一(いわゆる完全制覇)はこの年が唯一である。
#1990年代における阪神のAクラス
#*1992年に一度だけAクラスになった事がある。この年は亀山努と新庄剛志の「亀新コンビ」などの活躍で終盤までヤクルト・巨人との優勝争いを演じた。
#阪神タイガースの阪神甲子園球場での開幕戦
#*例年、阪神タイガースが本拠地主催権を得た場合、春の選抜高校野球の影響で大阪ドームをはじめとした他球場で開幕戦を開くのが通例だが、1952年を始めとし過去何度か甲子園で開幕主催ゲームを行ったことがある。
#優勝チームが最下位チームに負け越し
#*1994年の巨人が該当(横浜に11勝15敗)。
#全球団に勝ち越しながらも優勝逃す
#*1961年・1964年東映や1967年中日などの例があり。最近の例だと2000年西武が該当する。


==蛍池==
===選手===
#現在でこそラブホ密集地だが、かつてはひったくりが多かった。
;NPB所属選手の国籍・出身国
#麻田藩という小藩があった。しかも、畿内なのに外様大名。
#ドイツ出身の選手
#*陣屋敷があった。場所は、旧 蛍池公民館・現 とよなか起業・チャレンジセンター (大阪府豊中市螢池中町3-9-20)の周辺一帯。
#*元巨人のデーブ・パブラスと元阪神のマイク・ブロワーズが該当。ただしどちらも国籍はアメリカである。
#*江戸時代、摂津国豊島郡・川辺郡(現在の豊中市・池田市・伊丹市・尼崎市・宝塚市・川西市の全域または大部分やその周辺地域)などを領有していた。
#イタリア人の選手
#蛍ケ池という地名は、阪急創設者の小林一三の鶴の一声で、蛍ケ池駅と改称されて以来、旧桜井谷村西部から旧麻田村東部にかけての地域名称に展化し、駅の周辺に発達した住宅地を指すようになった。
#*元オリックスのアレッサンドロ・マエストリが該当。元阪神のレノ・ベルトイアも該当するが、こちらはカナダとの二重国籍である。
#*明治43年、丘陵末端部に箕面有馬電気軌道(現阪急宝塚線)麻田駅が設置された。
#スペイン人の選手
#*蛍ケ池の地名・駅名の由来は、駅近くの刀根山地区に“蛍ケ池”という池があることが分かり、箕面有馬電気軌道(現阪急宝塚線)麻田駅が設置当時は蛍狩りさかんで、この風流な名こそ新駅名にふさわしいということで命名されました。
#*元ヤクルトのダニエル・リオスが該当。
#大阪国際空港の住所は蛍池に所在する。
#インドネシア出身の選手
#R176と大阪国際空港を結ぶ府道11号線は、戦時中滑走路として利用されていたらしい。歩道橋から空港方向に向かっての下り坂を利用して戦闘機などを離陸させていたらしい。
#*元横浜のトム・マストニーが該当。国籍はアメリカである。
#戦後、府道11号線沿いは、空港を接収した占領軍のための歓楽街になっていた。平成になる以前の昭和時代までは、現在のLAWSONや線路沿いの焼肉店の敷地やその他の場所に、廃墟同然の洋館が立っていた。
#**ちなみにMLBに所属経験のある唯一のインドネシア出身の選手でもある。
#18中は、敷地全体が山所池という池であった。
#日本生まれのアメリカ人選手
#*現在も敷地体育館の下と連接する形で池が残っている。
#*元横浜のスティーブン・ランドルフが該当。沖縄生まれ。
#*18中体育館は残された山所池の水面上に建設され、建築コスト高が避けられない中、住民の希望もあり、池が残された。


==桜塚==
;NPB所属選手のWBC代表歴
#ローソン1号店がある。
*本大会に出場した選手のみとする。
#官公庁はほとんどが「豊中」ではなく「岡町」が近い。
#アメリカ代表選手
#桜塚やっくんとは関係ない。
#*元阪神のライアン・ボーグルソンが2013年WBCにアメリカ代表として出場したのが初めてのケース。


==熊野田==
;ドラフト指名
#万博による開発以前、熊野田あたりでは[[食用キノコ#マツタケ|松茸]]が良く取れて農協所有の加工工場があった。
#巨人からドラフト1位指名を受け入団拒否した選手
#*松茸じゃなくって、「[[笹・竹#タケノコ|タケノコ]]」でしょ。第一、松茸は加工しないし。千里ニュータウンが出来る前は有数の竹林でした。
#*1973年のドラフト会議で巨人のドラフト1位指名を受けた小林秀一(愛知学院大学)は、それを拒否し熊谷組に就職した。
#「熊野田」の地名は、大昔の「カラ出張」の目的地だったことに由来するという説がある。
#**アマチュアの指導者を目指していた小林はすでに熊谷組への就職が内定していたが、指名を受けて気持ちが揺らいでいた。しかし川上哲治監督の「仕事の傍らで野球をするよりもうちで野球に専念してほしい」といった内容の言葉を受け、野球を仕事にするつもりではなかった小林は迷い無く入団を拒否した。
#*現在の服部緑地公園の北にあたり、北西端は現在の豊中高校、北東端は現在の千里青雲高校(旧 東豊中高校)の位置にほぼ一致する。
#**その後、熊谷組で選手として活躍したのち母校である愛知学院大学の監督に就任、現在は同学の准教授を務めている。
#*「熊野詣で」に向かうと称した都人が、この地で参詣旅行をやめることが多かったらしい。現にこの地域は、古来「熊野代」(くまんだい。「熊野の代わり」の意味)と呼ばれていた。それが「熊野田」に転訛した。
#プロ引退後にドラフト指名を受けた選手
#この熊野田地域を流れる小川に、「天竺川」(てんじくがわ、「天竺」とはインドの古称)という大それた名前の川がある。
#*1959年に大毎オリオンズを退団した松井猛はその後日本軽金属、電電北海道で活躍し1965年に中日からドラフト10位で指名されたが入団を拒否している。
#*「カラ出張天国」に「天竺川」が流れる「熊野田」って、現世の極楽浄土?
#*なお現在ではプロから社会人野球に進んだとしてもプロ復帰時にドラフトにかける必要はない。


==千里中央==
;その他
[[ファイル:千里中央駅前.jpg|thumb|240px|千里中央駅前]]
#西鉄ライオンズの榎本喜八
#豊島高校は随分市域ギリギリだ。
#*1972年にロッテから西鉄へ移籍した榎本喜八だが、この年限りで榎本は現役を引退したため、1972年は西鉄ライオンズの榎本喜八が見られた。
#*OBだが、裏門から出たらそこは箕面市である。
#ロッテオリオンズの野村克也
#*「てしま」高校。
#*1978年に南海からロッテに移籍した野村克也だが、この年のオフにロッテの重光オーナーから監督就任を要請されるも固辞し、自由契約に。
#緑丘、東豊中町は昔の大阪市・帝塚山の名声位に府下では高級住宅街として名高い(実際にお金持ちが多い)。その為、最近ではよく帝塚山と対比される事が多い。
#*翌1979年は西武ライオンズでプレーしたため、1978年はロッテオリオンズの野村克也が見られた。
#*そう思っているのは実は地元住人だけ。
#*江夏豊も最晩年は西武で引退している。
#*北大阪の高級住宅街として名高いのは箕面。
#福岡ソフトバンクホークスの城島健司
#**箕面も柄が悪いぞ。良いのは桜井駅周辺だけ。
#*2005年に福岡ダイエーホークスがソフトバンクに買収され「福岡ソフトバンクホークス」に改称されたが、その年のオフに城島健司はFAを行使し、シアトル・マリナーズへ移籍。
#***船場や小野原を知らんのか…。桜井なんてむしろ下の方だろう。
#*そのため、2005年は福岡ソフトバンクホークスの城島健司が見られた。
#**北大阪の高級住宅街は箕面と言う箕面人がいるが、そう言ってるのは一握りの箕面人だけである。だがそれだけ愛着があると言うことだろう。
#大阪ドーム本拠地時代の近鉄・大石大二郎
#***関西だと芦屋の次に平均所得が高いんですが…。
#*1997年に近鉄バファローズが大阪ドームに移転したが、その年のオフに大石大二郎が現役を引退したため、1997年は大阪ドームと大石大二郎の組み合わせが見られた。
#*高額納税者(長者番付)が近畿で一番多く住むのが東豊中であった。番付が廃止されるまで続いており、現在も継続していると考えられる。
#西本幸雄の日本一
#**東豊中・上野・緑丘の辺りは、更地から建築が始まり「規模からしてマンションが建つんだな」とばかり思っていた所に個人の住宅、大豪邸が建つ。どのような仕事に就くと5階建てマンションのような個人宅に住めるのか知りたくてたまらない。
#*20年間の監督生活で8度のリーグ優勝を果たしながら、日本シリーズでは1度も日本一の栄冠を獲得できず「悲運の名将」と言われた西本幸雄だが、選手としては1950年の毎日オリオンズで日本一を経験している。
#***「リー●21」の社長。東豊中にどこぞの研究所並みの邸宅を持っておられます…
#巨人と西武の両方で最下位を経験した選手
#***東豊中の豪邸地域を見て少し驚いた・・。大阪府下にも箕面・生駒ような高級住宅街はあるが何か圧倒的。阪神間の山手にも少しは対抗できそう・・
#*玉井信博(投手。1973~75年まで巨人でプレー、1976年に太平洋クラブ(西武の前身)にトレード、1980年引退)
#***あそこらへんは中小企業の社長や経営者、政治家が多い。
#**ただし西武時代(1979~80年)は一軍出場はなし。
#***ただし東豊中の場合は豪邸があるのは1丁目から4丁目まで。5・6丁目は公団だらけ。
#千葉ロッテマリーンズ、シアトル・マリナーズ、マイアミ・マーリンズの3球団全てでプレーしたことのある選手
#*緑丘にある「島熊山」は万葉集で詠まれている。
#*似たような名前で紛らわしいとよく言われるこの3球団だが、エドガー・オルモス投手はこの3球団全てで一軍(メジャー)登板を経験している。
#**「待兼山」も枕草子に詠まれている。
#2007年以前にプロ野球入りした1988年度生まれ(1989年)の選手
#[[大阪モノレール]]を運行する「大阪高速鉄道」の本社がある。
#*ハンカチ王子こと斎藤佑樹や、マー君こと田中将大らで知られる1988年度生まれが高卒で入団したのは2007年(2006年度ドラフト)だが、その2年前(2004年ドラフト、2005年入団)に辻本賢人が中卒で阪神タイガースに入団している。
#*今は社名も「大阪モノレール」になった。
#**辻本は米国の高校で9年生課程を修了した段階で中退。その後に阪神に指名された。
#千里ニュータウンは大部分が吹田市内に位置するためか、あまり豊中市内にあるとは思われていない。
#*但し、彼は一軍に出場することなく引退しているため、1989年生まれ初(と同時に平成生まれ初になる)の初登板・初勝利は千葉ロッテの唐川侑己である。
#*むしろあそこは吹田の植民地状態
#*なお、辻本は2020年現在NPB唯一の昭和64年生まれ(1989年1月6日生まれ)であり、ドラフト制以後唯一の中卒で入団した選手である。
#*但し駅前から発着する阪急バスは吹田・茨木方面に行くものは少なく、豊中・箕面方面に向かうものが多い。東側は万博公園が市街地を分断しているため。
#福岡ダイエーホークスの香川伸行
#*実際豊中市内ではあるがかつては三島郡に属していた。
#*1989年に南海ホークスがダイエーに買収され「福岡ダイエーホークス」に改称され、本拠地も大阪から福岡に移動したが、その年のオフに香川伸行が戦力外通告を受けて現役を引退したため、1989年はダイエーホークスと香川伸行の組み合わせが見られた。
#天候により大阪空港を離陸する飛行機の騒音が聞こえてくることがある。地元の人はまるで気にしていない模様。
#西武ライオンズの江夏豊
#かつてセルシーの中に小規模な中華街があった。すぐに潰れたが。
#*1983年オフに日本ハムから西武に1対2のトレードで移籍した江夏豊だが、広岡達朗監督と対立したこともあり1年で退団したため、1984年は西武ライオンズの江夏豊が見られた。
#*「千里中華街」ね。あれは場所が悪すぎで、似たものが日本橋に出来たのがとどめの一撃とか。
#横浜ベイスターズの石井浩郎
#セルシーのイベントスペースは昔も今も歌手にとって聖地であり、有名どころの無料ライブも結構あったりする。
#*2001年にロッテを自由契約になり横浜へ移籍した石井浩郎だが、34試合に出場しただけでこの年のオフに現役を引退したため、2002年は横浜ベイスターズの石井浩郎が見られた。
#金融機関やお役所関連の出張所もあり大抵の用事は千里中央で済む。基本的に北東部の住人は豊中市街地まで出向かない。
#北急千里中央駅の西側にある大丸ピーコック(現ピーコックストア)はオイルショックの時起こったトイレットペーパー騒動の発端となった場所。
#*ピーコックの入っている「千里大丸プラザ」は2013年にリニューアルされ「オトカリテ」となった。
#セルシーの中に[[ダイエー]]があるが、2階建ての小規模店舗ながら食料品売場が上で衣料品売り場が下の階にある変則的な配置になっている。
#セルシーもいよいよ建て替えが決まり、2016年末からテナントの移転が始まる。
#ニュータウン部分の地名は「新千里○町」(○は東西南北)。○○台とつく吹田市側とは異なる。


==柴原==
===監督===
[[ファイル:市立豊中病院.jpg|240px|サムネイル|市立豊中病院がある]]
#東京ドーム本拠地時代の日本ハム・ヒルマン監督
#昔、ワニの化石(マチカネワニ)が発見された。
#*2004年に日本ハムが北海道に移転したが、その前年となる2003年にトレイ・ヒルマン監督が就任したため、2003年は東京ドームとヒルマン監督の組み合わせが見られた。
#*某和菓子屋では便乗して「マチカネワニサブレ」というモノを売っていた。
#平和台野球場本拠地時代のダイエー・杉浦監督
#**2010年11月1日から「マチカネワニどら焼き」限定発売。抹茶餡に黒豆が乗ってる。
#*1989年に南海ホークスがダイエーに買収・福岡へ移転したが、南海最後の監督だった杉浦忠は留任したため、1989年は平和台野球場と杉浦監督の組み合わせが見られた。
#旧帝大の[[大阪大学]]の大部分がある。
#藤井寺球場本拠地時代の近鉄・佐々木監督
#*せいぜい1/3~1/4ってとこだろう。大部分は吹田。
#*1997年に近鉄バファローズが大阪ドームに移転したが、その前年となる1996年に佐々木恭介監督が就任したため、1996年は藤井寺球場と佐々木監督の組み合わせが見られた。
#*医学部と工学部を除く、ほぼすべての学部が豊中にある。
#クラウン・根本監督
#*同じ敷地内だなんて思って、博物館に行くのに柴原方面から入ると泣きをみる。構内路線バスが欲しいくらい。
#*ライオンズは1979年に球団を移転し西武ライオンズとなったが、その前年となる1978年に根本陸夫監督が就任したため、1978年は平和台野球場と根本監督の組み合わせが見られた。
#1994年から数年間、大阪モノレールの終点がここにあった。
#MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島本拠地時代の広島・ブラウン監督
#*今でも名残がある。
#*2009年に広島東洋カープがMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に移転したが、マーティ・ブラウン監督は留任したため、2009年はMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島とブラウン監督の組み合わせが見られた。
#*蛍池付近の用地買収が遅れたためここが暫定的な終点となっていた。
#オールスターに同一リーグの監督が4人出場、もう一方のリーグは監督が1人だけ
#モノレール柴原駅は、大阪大学に市立病院、宗教施設と多数の人が乗り降りしそうだが、駅前には滅多にバスのこない大きなロータリーと自転車置き場しかない。少し離れて薬局。駅構内も売店でなく薬局。「駅前に何かあるだろう」なんて考えたら遭難する。
#*2014年のオールスターで、セ・リーグは前年優勝の巨人・原辰徳監督、前年2位の阪神・和田豊監督、前年3位の広島・野村謙二郎監督のほか、中日・谷繁元信選手兼任監督が選手としてオールスターに出場。
#*しかしここから[[梅田]]までバス1本で行くことができる。
#*また、パ・リーグは前年優勝の楽天・星野仙一監督が病気で出場を辞退、前年2位の西武・伊原春樹監督がチームの不振の為シーズン途中で辞任、代行の大久保博元と田辺徳雄は当時はまだ正式に監督に就任しておらず(両名ともシーズン終了後に就任)、正規の監督は前年3位のロッテ・伊東勤監督ただ一人となり全パの指揮を執ることとなった。
#**北急緑地公園やJR加島にも1本で行けたが2021年3月に廃止された。
#日本シリーズとワールドシリーズの両方で指揮を執った監督
#**[[神姫バス]]の西脇大阪線も止まるが、本数は極めて少ない。
#*ボビー・バレンタインは2000年にメッツでワールドシリーズ、2005年に千葉ロッテマリーンズで日本シリーズで指揮を執った。
#*土日祝運休なので注意
#東京ドーム本拠地時代の巨人・王監督
#*市立豊中病院はかつて阪急豊中駅の近くにあった。
#*1988年に読売ジャイアンツが東京ドームに移転したが、王貞治監督は留任したため、1988年は東京ドームと(巨人としての)王監督の組み合わせが見られた。
#*2019年10月に「柴原阪大前」に改称。
#**東京ドーム本拠地時代の日本ハム・高田監督もこれまた然り。
#**とはいえ駅前には市立豊中病院の方が目立つ。
#ナゴヤ球場時代の中日・星野監督(2回目)
#*1997年に中日ドラゴンズがナゴヤドームに移転したが、その前年となる1996年に星野仙一監督が再就任したため、1996年はナゴヤ球場と第2次星野監督の組み合わせが見られた。
#オリックス・伊原監督
#*西武の監督を退任し2004年にオリックスの新監督に就任した伊原春樹だったが、この年のオフにオリックスは近鉄と合併。
#*合併後の監督には仰木彬が就任したため、伊原監督は一年限りの采配となった。
#オリックス・中村監督
#*2005年オフに仰木監督の退任に伴いオリックスの新監督に就任した中村勝広だったが、26年ぶりの5位に終わった責任を取ってオフに監督を辞任。
#*そのため、2006年はオリックスの中村監督という組み合わせが見られた。


==庄内==
===試合展開===
#阪急服部駅より南はガラが悪い
#両チームノーヒットの試合
#*ガラが悪いというより下町。十三に代表されるの淀川区文化圏の延長でしょうか。
#*1994年4月26日、イースタン・リーグの西武対ヤクルト戦(大宮市営球場)で発生。
#**尼崎市の文化圏も混じって居ると思います。
#**ヤクルト先発の山部太、西武先発の竹下潤が共に無安打で完投。試合は5回、ヤクルトが失策で出塁した走者を幸田正広がスクイズで還し1点を挙げ、これが決勝点となり1-0でヤクルトが勝利した。
#*阪急庄内駅周辺は昔の文化住宅が今も健在。でも住んでみると物価も安く、人情溢れる雰囲気を気に入る人多し。
#プロ入り初登板の投手がノーヒットノーランを達成
#**その下町のまっただ中に大阪音楽大学がある。
#*1987年8月9日、近藤真一(中日)が対読売ジャイアンツ戦で達成。
#**庄内付近の町工場の技術力は凄く、どってことない鉄工所の片隅にホンダS600が転がってたりする(主人が自分でコツコツ部品を作ってレストアしてるらしい)。
#阪急庄内駅の近くにある豊南市場は[[大阪市/旭区#千林商店街の噂|千林]]や[[大阪市/東住吉区|駒川]]と並ぶ安売り商店街として有名。
#*[[ダイエー]]も早期に出店していた。
#**[[イズミヤ]]もある。
#*ここにハマってしまうとそこらのスーパーで買い物するのがものすごく嫌になる。ただ安いだけじゃあないのよ。ここ。
#大阪には珍しい山形の辛味噌ラーメンが食べられる店がある。
#*この店、サバと納豆が入った「ひっぱりまぜそば」というのもあって、ゲテモノかと思いきや・・・
#*城東区の[[大阪市/城東区#がもよん|がもよん]]にもできた。
#[[阪急バス]]の本社がある。
#アーケード街は阪急の線路の西側だが、豊南市場は東側にある。
#このエリアの西の方には阪急神戸線が通っているが駅はない。
#*この一帯は市内でもかなり交通機関が弱いエリアである。
#**[[阪神高速道路/路線別#池田線|阪神高速]]より西側が特に顕著である。
#***バスの本数が少ない上に、高速側道の交通量も多く地域一帯のクルマの流れも悪くなりがち。
#阪神・淡路大震災でも結構被害が出たエリア。
#大阪桐蔭からプロ野球・[[千葉ロッテマリーンズ]]にプロ入りした藤原恭大選手の実家兼飲食店がある。


==服部天神==
==高校野球==
#♪えち~ぜんや~~のCMでおなじみ、仏壇仏具の越前屋があるところ。
===地域成績===
#服部天神で有名。
#2015年以前の北信越地区の甲子園優勝。
#小曾根2丁目にある西福寺。実は伊藤若冲ゆかりの寺で、若冲直筆の絵画を所蔵しているとか。
#*東北とともに優勝未経験地区だったと思ってる人も多いが、長野が1928年夏に松本商(現松商学園)、1954年春に飯田長姫(現飯田OIDE長姫)が優勝したことがある。
#阪急服部から西に延びる商店街、そこそこ店もあり人通りが多い割に道幅が広いわけでもないが車の通行量がそれなりにある。
#*2015年春の敦賀気比は「北陸勢」初優勝。
#*駅の東側は歩道部分の上に屋根を置くスタイルの商店街。こちらは車道と歩道が分離されており、危なくない。
#2013年以前の埼玉県の甲子園優勝。
#あまり有名ではないけど服部住吉神社は由緒正しき神社。
#*春は1968年に大宮工が優勝している。
#阪急服部駅のすぐ東側には、足の神様として知られる「服部天神宮」がある。
#熊本県の甲子園優勝。
#*決して「服部天満宮」ではない。「服部天神宮」が正しい。
#*県内最多出場・勝利の古豪熊本工が3度の準優勝がありながら優勝ゼロだが、1958年春に済々黌が優勝している。
#*阪急の駅名も「服部天神」に改称が決まった。
#**ちなみにその大会で熊本工もベスト4に進出し、準決勝で済々黌が熊本工に勝利していた。
#服部姓の発祥地。
#鳥取県の甲子園決勝進出。
#かつて評判のラーメン店もあったが、事もあろうに東京に移転してしまった…。
#*1960年春に米子東が準優勝。山陰勢唯一の決勝進出である。
#ココリコの地元。遠藤・田中ともに母校は4中(1984~87在学)。
#東北地区の高校野球全国大会優勝
#一定の年齢より上の[[山形]]県民は[[山形のメディア|服部天皇]]を思い出す。
#*甲子園では春夏共に優勝がないのは有名だが、明治神宮野球大会高校の部では東北高校が歴代最多の4回優勝を記録するほか、仙台育英と光星学院も優勝歴を有する。
#「北条町」があるが読み方は「きたじょうちょう」。「ほうじょうちょう」ではない。漢字の通り素直に読めばいいが先入観があるので間違う。
#中国に所在した学校の甲子園出場
#*戦前に「満洲代表」の枠で青島中・天津商が出場したことがある。
#**どちらの学校も日本租借地の関東州や満州国ではなく中華民国に所在していた。


==曽根==
===チーム記録===
#決して兵庫県[[高砂市]]ではありません。
#2015年夏以前の霞ヶ浦高校の甲子園出場。
#*ギャル曽根の出身地でもない(京都府[[舞鶴市]]出身)。
#*あと一歩のとこで甲子園に出れない学校として知られているが、センバツは1990年に出場経験がある。
#*大阪(特に北摂)人は「曽根」というと高砂よりもこちらを思い出す。
#2011年春以前の明徳義塾の甲子園初戦敗退。
#高砂の曽根と同じく、「埇」が「曽根」へ変化。
#*それまで初戦に強かった明徳義塾が1987年春のセンバツで関東一に負けて唯一の初戦敗退を喫していた。
#駅前にかなり古い[[ダイエー]]がある。
#**夏の甲子園は2015年夏まで初戦無敗を継続。
#*しかも結構規模が大きい。
#大阪桐蔭の甲子園初戦敗退。
#*2002年夏に東邦に負けたのが現時点で唯一の初戦敗退。これがなければ今ごろ初戦無敗の学校として知られていただろう。
#**ちなみに春は2021年に初の初戦敗退。
#境高校の甲子園勝利。
#*2007年夏など甲子園で大敗が多い学校だが、1974年春に長良、1990年夏に八戸工大一に2度勝利している。
#日大東北の甲子園勝利。
#*聖光学院が常連になるまで出ると負けの学校として知られていたが、1990年夏に長崎の海星に1度だけ勝利している。
#選手権14年連続出場
#*2016年に聖光学院が戦後初の10年連続出場を達成したが、黎明期には1915年第1回大会から1928年第14回大会まで和歌山中学(現桐蔭高校)が14年連続出場していた。
#*聖光学院の連続出場がこのまま継続すれば2020年に和歌山中の14年連続に並び、2021年に歴代最長記録となる。
#夏の甲子園で1大会7試合を経験
#*2006年夏の早稲田実と2007年夏の佐賀北の2校。ともに延長引き分け再試合(前者は決勝戦、後者は2回戦)を戦ったことで通常より1試合増えた。
#*惜しかった例は1958年夏の徳島商。準々決勝で引き分け再試合を制して決勝進出したが、2回戦からの登場だったため6試合止まり。
#**早稲田実と決勝戦引き分け再試合を戦った駒大苫小牧も2回戦からの登場だったため6試合止まり。
#**1969年夏は出場校が30校のみだった時代のため1回戦から登場しても決勝まで通常5試合で、松山商と三沢は6試合。
#*2018年のタイブレーク導入により、降雨引き分けか決勝戦が引き分け再試合にならない限り1大会7試合になる可能性はなくなった。


==上津島==
===学校の分類にまつわる記録===
#豊中IC近くの上津島は「こうづしま」。
#工業高校の甲子園優勝。
#上津島は北摂でありながらリトル名古屋であり、中京圏の飛び地感が。[[名神高速道路]]、[[西濃運輸]]豊中支店、[[愛知の食品会社#敷島製パン|パスコ]]大阪工場、クリーニングのタカケン大阪工場があり、さらにマザック山崎の広告看板があるから。
#*だが1965年夏の三池工と1968年春の大宮工の2回(春夏1回ずつ)のみ。商業高校と比べてかなり少ない。
#*[[一宮市#丹陽の噂|一宮IC]]と似ている。
#*工業高校で甲子園最多出場・最多勝利数を誇る熊本工は準優勝が3回あるが優勝経験がない。
#このためか、[[東海|東海3県]]出身者は地元を思い出しそうな風景。
#2018年以前の農業高校の決勝進出。
#*ただし台湾の代表校、1931年夏の嘉義農林。
#**戦前は朝鮮・満州・台湾(外地)の学校が日本の高校野球全国大会に出場していた。
#**農林高校と農業高校は厳密には別物だが、農業高校に分類されることが多い。
#*2018年夏の金足農は国内の農業高校及び◯◯農業では初の決勝進出となった。
#**嘉義農林が外地の学校であるため2017年までは1984年夏の金足農のベスト4が農業高校の最高成績だと思ってた人が多い。
#金足農・嘉義農林以外の農業高校の甲子園2勝。
#*1981年夏の新発田農。
#**甲子園1大会2勝以上したことある農業高校はこの3校のみ。
#日大系列校同士の決勝戦。
#*1972年春の日大桜丘VS日大三(5-0で日大桜丘の勝利)。東京対決で日大対決の決勝戦だった。
#*同じ大学の付属校同士の決勝戦はこれが史上唯一。


==緑地公園==
===試合===
#服部緑地、その東側の緑地公園駅周辺。
#甲子園で市立船橋VS鹿児島実の対戦。
#某大都市の前市長だったH氏の地元(後任のM現市長の地元は[[八尾市]])。
#*どう見ても高校サッカーにしか見えないカードだが、高校野球でも1996年夏の2回戦で対戦していた(5-3で鹿児島実の勝利)。
#地名としては寺内。
#**ネットが流通した時代に実現していればかなり話題になっただろう。
#*但し寺内町はない。
#箕島VS明徳義塾(当時は明徳)の対戦
#[[北大阪急行電鉄]]の本社がここにある。
#*箕島VS星稜は1979年夏、明徳義塾VS星稜は1992年夏の対戦が超有名だが、箕島VS明徳(当時)も1982年春に対戦していてしかも延長14回の熱戦だった。
#阪急の千里山駅までもそこそこ近い。
#**13回表に明徳が2点を勝ち越すが裏に同点、箕島が14回サヨナラ勝ちという3年前の星稜戦に匹敵する劇的勝利。
#**ちなみに明徳はこの年が春夏通じて甲子園初出場。
#敗者復活戦
#*1916~1917年の第2回大会と第3回大会に存在した
#**第3回大会で愛知一中が敗者復活戦から優勝してしまい、疑問視する声が多く出て廃止に。
#*トリビアの泉で取り上げられたことがある
#高校野球都道府県大会の6回戦(5回戦と準々決勝の間のラウンド)
#*現在高校野球の都道府県大会は最大でも全8ラウンド(1~5回戦と準々決勝・準決勝・決勝)だが、東西に分割される直前の1970~1973年の東京大会は全9ラウンドで、5回戦と準々決勝の間の「6回戦」が存在した。
#**といっても1回戦から登場した学校は数校だけ
#**当時は32校が4回戦からの登場となるスーパーシードがあった
#**参加チーム数が256チーム(2<sup>8</sup>)を超えると必然的に全9ラウンドとなり6回戦が出現するが、分割前の東京大会の参加校数が257校以上になったことはなかった。
#**[http://bibijr.com/tokyo/nendo 参考]


==豊中市民の噂==
===試合展開===
#何故か豊中の人間は、自分たちの住んでいるところをキタという傾向がある。彼らの頭には、北大阪があるのだが現実には、北摂である。
#甲子園全国大会で、ノーヒットでの勝利
#*そんなこと言っている人見たことありません。
#*1953年夏の慶應義塾-北海で発生。この試合がなかったら[[もし高校野球全国大会でこんな有り得ない試合展開があったら]]に「ノーヒットで勝利」が追加されていただろう。
#**[[堺市]]民がミナミと言わないような。
#**決勝戦限定として記載されている。
#*悪かったね。東京人さん。
#**9回までノーヒットに抑えられるが、延長戦で初ヒットを打って勝利は近年でも何度か発生したので知られている。
#*豊中生まれ豊中育ちですがそんな事言いません。
#高校野球地方大会で、9回裏2アウトから10得点で9点差を逆転サヨナラ。
#*いねーよそんな奴w
#*2014年の石川大会決勝の星稜-小松大谷で9回裏に9得点で8点差を逆転サヨナラ勝ちした試合が全国的に話題になったが、2002年の大分大会1回戦の中津北-緒方工ではそれを超える9点差の逆転サヨナラ勝ちがあった。
#*北の方というプライドがある…でしょ?
#**8回までは7-5の2点差だったが、9回表に緒方工が7点を追加し14-5とするも、9回裏に中津北が2アウトから10点を取って逆転サヨナラ勝ち。
#大阪市内の人間よりも、上品な人間が多い。
#***しかも2アウトからというのもいい。ランナーなしじゃないのが惜しいが(2アウト1・2塁からだった)。
#*地域差別している時点でなにが上品なんだか・・。
#**雨の影響があったらしい。
#意外と神戸弁を使う人が多い。
#**9点と10点ではインパクトが違うが、残念ながら県予選の1回戦だったせいで星稜-小松大谷と比べてあまり知られていない。
#*大阪府でありながらも意外と標準語(関東風)を喋る人が多い。
#***当時ツイッターはなく、2ちゃんねるは存在したが高校野球板がまだなかったためネット上でも話題にならず。今だったら1回戦の試合でも大騒ぎだろうが。
#**東京からの転勤族も多いから。
#***一応wikipediaの[[wikipedia:ja:サヨナラゲーム#最終回二死から9点差を逆転しサヨナラ|サヨナラゲーム]]の記事に載っている。
#*見たことがない。
#*ちなみに地方大会準決勝までは7回・8回終了時点で7点差がついていたらコールドゲームになってしまう。上記の星稜-小松大谷は決勝だったからコールドがなかった。
#大阪市と同じ市外局番「06」であることに密かに誇りを持っている。(吹田市も同様)
#高校野球全国大会で36得点&31点差の試合
#*こやつらのせいで大阪市内局番が4桁になったのか!
#*甲子園では1937年春の滝川中27-0浦和が最多得点差、1985年夏のPL学園29-7東海大山形が最多得点だが、2003年の明治神宮大会でその両方を上回る大阪桐蔭36-5鵡川という試合があった。
#*両方とも、南部(庄内~三国・千里山~江坂)は最初から大阪市内と同じ扱いだったが、豊中の中心部および千里ニュータウンは電話帳が別の「北大阪版」だった。市外局番も「06」になる前、「068」だった時代がある。
#**ちなみにこのころの大阪桐蔭は今のような超強豪ではない。
#*摂津市もです。
#**鵡川はこの前の試合で翌年の選抜優勝・選手権準優勝する済美にサヨナラ勝ちした。選抜でも1勝して2回戦でこの大会ベスト4の社(兵庫)に延長14回の末惜敗。さらに言うと北海道大会決勝で翌年夏の選手権優勝校駒大苫小牧に勝ってる。これを見る限り決して弱いチームではなかったのだが…。
#**鳥飼は「072-6」。
#**済美は大阪桐蔭に31点差で記録的大敗した鵡川に5-6で延長サヨナラ負けし、東北はその済美に0-7のコールド負け。だが春の選抜では東北が3-2で大阪桐蔭に勝利した。
#たしか3代続けて豊中市民が大阪府知事になっているはず。
#高校野球全国大会で両チーム合計41得点の試合&16得点して負け。
#*新聞には住所が豊中市寺内って出てたね。対立候補は桜塚だったかな。
#*甲子園では1985年夏のPL学園29-7東海大山形の36得点が両軍最多得点、1975年春の倉敷工16-15中京の中京が敗戦チームの最多得点だが、2004年の国体でその両方を上回る中京大中京25-16修徳という試合があった。
#*太田房江前大阪府知事・橋下徹大阪府知事、共に当選以前から豊中市在住である。
#**甲子園での敗戦チームの最多得点記録を持ってる中京大中京(旧中京)が今度は国体で勝利チームの最多失点を記録するという因縁。
#*橋下知事は、2009年1月の防災訓練でヘリコプターで登庁するために自宅にヘリを呼ぶ事になったが、自宅マンションにヘリポートが無かった為、すぐ近くの服部緑地の広場にヘリコプターを着陸させた。引っ越すと噂のタワーマンションにはヘリポートがあるので安心だろう。
#**たしか、太田前知事時代の防災訓練でも同様の対応をした。
#**ちなみに服部緑地の住所は「豊中市服部緑地」ではあるが、服部緑地公園は豊中市営ではなく、大阪府営の公園である。
#有名人、著名人が多数居住している。
#*理由は[[新大阪駅]]や[[大阪国際空港|伊丹空港]]に行くのが便利なため。
#北ノ坊氏に牛耳られているとしかおもえないぐらい名前をよく見る。
#豊中市民とうことを誇りに思っている。自尊心が高い。
#空港の騒音、高速道路・新御堂筋の排ガスと実際に公害に悩まされてきた歴史があるため、環境問題に敏感な住民が多い。


==豊中市の交通の噂==
===大会関連===
#市内にJR路線がないため、新幹線より飛行機を使う人が意外にいたりする。また、「キオスク」という言葉を知らない人もいる。
#甲子園出場経験はないが明治神宮大会出場経験がある学校
#*それは誇張しすぎ。
#*1999年以降は明治神宮大会は各地区の秋季地区大会優勝校(=翌年の選抜出場は当確)が出場するようになっているが、かつては秋季地区大会に出場できなかった県大会上位校(翌年の選抜は絶望)が出場する地区があったため、現在でも甲子園未出場だが明治神宮大会出場経験がある学校は存在する。
#*自分は子供の頃知らんかった。でも『そんなの常識~♪』って歌われてるから誰にも聞けんかったな・・・。
#**1990年の木本、1993年の富士学苑、1994年の波崎柳川など。
#阪急電鉄の線路沿いに住む人の場合、[[新大阪駅]]にとても行きづらい。逆に北大阪急行電鉄の沿線に住んでいる人には新大阪駅はこの上なく便利。上の話と連続するが、市内にJR路線がないせいで、こういったおかしな現象が起きている。
#*[[トーク:もしあの学校が高校野球全国大会に出場したら#「甲子園」以外の全国大会について|このトークページ]]で少し話題になった。
#*但し、在来線の[[大阪駅]]へは、阪急電鉄の終点・[[大阪梅田駅#阪急|梅田駅]]と至近なので、便利である。
#*昔の明治神宮大会の出場条件の詳細は[https://kodawari.sakura.ne.jp/all/jingu/entry.php このページ]にある。
#**その北大阪急行電鉄も阪急グループである。
#*全ての地区で現在のように秋季地区大会優勝校が明治神宮大会に出場するようになったのは1996年から(1997年は近畿だけ地区大会1回戦敗退の学校が出場で基準不明)。ただし1982年から1998年までは出場校を8校にするために北海道・東北、中国・四国は交互に1年おきにしか出られなかったため、秋季地区大会優勝校10校が揃うようになったのは1999年から。
#***豊中方面から梅田へ出る場合は阪急の方がお得(阪急豊中~梅田間220円、北急/地下鉄千里中央~梅田間350円)だが、ミナミに出る場合は梅田で乗り換えの必要な阪急より一本でいける地下鉄の方が分がある。豊中市民は両者を行先によって上手に使い分ける。
#春の甲子園優勝校と夏の甲子園優勝校による年間日本一決定戦
#****厳密には豊中市民(特に北部在住者)でも両方使い分ける人は限られてくるけどもね。(そもそも豊中市内にある御堂筋線及び北急と阪急宝塚線の各駅が結構離れていて、北部の中間地点に在住の方でもバス・乗用車・バイク(スクーター含む)・自転車等を利用しないと徒歩では微妙な距離。)
#*昭和初期の1927年から1931年まで行われていた。1929年のみ春の優勝校、それ以外の4大会は夏の優勝校が勝利した。
#*****御堂筋線や北急沿線と阪急千里線の間に住む豊中市民若しくは吹田市民の住人でも使い分けるのは微妙じゃないのか?(緑地公園・桃山台⇔千里山・南千里でもごく一部。)
#明治神宮大会出場決定戦
#******俺が使い分けている(北急へはバス利用)を証明に可能。
#*上記にあるように、明治神宮大会は一部の地区では秋季地区大会に出場できなかった県大会最上位校が出場していたが、そのうち東海(3位までは東海大会に出場できる)では1979年から1993年まで各県の4位校で明治神宮大会出場権をかけた4校のトーナメント大会を行っていた。
#阪急帝国で、JRの路線が無い。
#**1980年と1981年のみ中国でも同様の大会を行っていた。
#*日本全国人口30万人以上の市でJRがないのはここと[[那覇市]]と[[豊田市]]だけ。
#**このような出場決定戦を行わない地区では、各県の持ち回り、または秋季大会の開催県の学校が明治神宮大会に出場していた。
#**市に準ずる特別区も含めると[[東京/世田谷区|世田谷区]]や[[東京/練馬区|練馬区]]も該当する。
#**都道府県だとJRがない[[沖縄]]はもちろんのこと、JRは通るがJRの存在感の薄い[[奈良]]や[[三重]]も該当する地域が多い。
#**ここと豊田市は「『豊〇市』という市名」、「人口30万人以上、都心部から半径30km以内」、「JRの鉄道路線がない」という共通点があるが、鉄道の利便性は天と地ほどの差どころか、もはや「極楽浄土と無間地獄ぐらいの差」がある。
#**かたや阪急・北急ともに片道運賃500円未満、所要時間20分そこらで梅田に行ける、かたや名鉄知立経由・愛環岡崎経由・鶴舞線経由と、どのルートを取ろうが名古屋都心まで1時間1000円近くかかる…
#*経営不振気味の阪急が唯一安定して稼げる地区だとか。
#**しかし最近は自滅ダイヤでそうでもなくなった。
#市内を主に拠点とする2つのタクシー会社は共に阪急阪神東宝グループである「大阪神鉄豊中タクシー」と「阪急タクシー」であるが、「大阪神鉄豊中タクシー」の本社は大阪市淀川区、「阪急タクシー」の本社は豊中市という逆転現象が起こっている。
#市南西部を[[阪急神戸線]]が通っているが、市内に駅はない。
#*神崎川駅や園田駅を利用したほうが便利な地域もある(庄内南西部、利倉西など)
#市立豊中病院を豊中市民病院という人が多い。
#*というか市民病院が正式名称だと思ってた。
#実は[[阪急宝塚線#箕面線の噂|阪急箕面線]](石橋ー桜井間)も通っている。ただし、箕面市と池田市の境界にある飛び地を通っていて、豊中市内に駅は無い。
#市の東に新御堂筋、西に阪神高速池田線、南に名神、北に中国道と、実は市内のかなりの部分が大道路に囲まれている。
#*名神以外の大道路には交通量の多い側道があり、このクルマが市内の狭い道に大量に流入してバスの遅れの原因になることがある。
#基本的に西部は阪急宝塚線、東部は北大阪急行を使う。
#*西部の場合阪急から[[新大阪駅]]に行くのが不便なため、大阪空港から阪急宝塚線沿線を経由して新大阪駅に向かう[[阪急バス]]の路線が存在する。
#北摂の国道は100番台と400番台しかないが、豊中市を通る国道は[[国道171号|171]]、[[国道176号|176]]、[[国道423号|423]]、479号の4路線。
#*最小番号のイナイチは豊中市の国道で唯一国交省直轄だが、上記の飛び地を通るだけで、豊中市を通っていないイメージ。
#*豊中市のメインロードの国道176号はイナロクと呼ぶ。
#2桁以下の国道(1~58号)が通らない区市町村では[[練馬区]](254のみ)、[[川口市]](122・298)、[[東大阪市]](170・308)、[[豊田市]](153・155・248・301・419・420・475)に次いで人口が多い。それでも横浜市[[港北区]](466のみ)に抜かれそう。
#大阪ナンバーから豊中市単独の豊中ナンバーを分離して欲しい。


==豊中市の学業の噂==
===事件===
#市内の中学校が番号のみ(例:豊中市立第一中学校)なので、「どこ中?」ではなく「何中?」という会話が交わされる。しかも十八まであるのだ・・・
#勝利後の校歌斉唱で、間違って敗戦校の校歌が流れる事件。
#*言われてみれば、[[箕面市]]もそうだ。
#*[[もし高校野球でこんな不祥事が発生したら]]に書かれているが、2010年夏の岐阜大会決勝の土岐商-県岐阜商で試合後に間違って敗れた県岐阜商の校歌が流れる事件が実際にあった。
#*摂津市も。
#**箕面市には止々呂美中学があります。
#*寝屋川市も。
#**寝屋川市には中木田・友呂岐中学校があるよ。
#*10を超えてもまだ番号を使い続けた自治体はごく少数。まして懲りずに18中まですべて番号制は豊中だけ。
#**逆に吹田は6中、高槻は10中までで中途半端。
#***守口は4中まではあるが、それ以降にできた中学校は基本的に地名を冠している。
#*7中は"ななちゅう"ではなく"しちちゅう"(同様に17中も"じゅうしちちゅう")。豊中市民ですら間違えていることが多い。
#**中学のとき周辺も普通に"ななちゅう"と呼んでいましたけど何か?
#*仕方ないだろ
#*門真市も。
#*おかげで中学校名を聞いても場所がピンと来ない。 場所を判断する場合は小学校名を聞く。
#現在、市内の中学高校にセーラー服の学校が1校もない。
#*最近、共学になった履正社中学、高校はセーラー服を採用した。
#**履正社は最近は高校野球の強豪校として知られるようになった。2014年春のセンバツでは準優勝している。
#**スポーツだけが有名かと思われるが勉強がかなりキツく(スポーツ科以外)、偏差値の割りに進学実績がすごい。
#あの「瑞穂の國記念小學院」があった。
#*阪急宝塚線の庄内~服部天神からちらっと見える。


==vs吹田==
===その他===
#隣の[[吹田市]]は永遠のライバル。
#1大会で(初戦の2回攻撃前を含めて)校歌が8回流れる
#豊中市と吹田市の結びつきが非常に強く,双子の都市と言われる。
#*通常は1回戦から登場して優勝した場合6勝+初戦の2回攻撃前の校歌で7回が最大である。
#*両方に住んでいたけど、そのイメージはない。吹田ー豊中間での交通の便が悪いので、市民の交流が少ない。また、吹田(三島郡)豊中(豊能郡)のせいか、多少言葉が違う。
#*2007年の佐賀北と2008年の大阪桐蔭。
#*豊中と吹田の境に住んでるが言葉の違いなどはない。山のせいで交通の便が悪いのは同意。トンネル掘ってバイパス作れや>>大阪府
#**佐賀北は2回戦の相手が1戦目(49番くじ)だったため2回戦でも2回攻撃前の校歌が流れたため。
#**言葉の違いというか、喋り方の違いとか雰囲気の違いは確かにある。
#***[[#チーム記録|この節]]にあるように2回戦は延長15回引き分け再試合となったのだが、再試合では2回攻撃前の校歌はなかった。
#豊中と吹田の違いより北部と南部の差の方が大きいな。
#**大阪桐蔭は初戦が降雨ノーゲームになったため、ノーゲームになった試合と再試合で2回攻撃前の校歌が2度流れた。
#豊中は純粋な阪急沿線だが、吹田は元京阪だった[[阪急京都線|京都線]]系統であり豊中に対して引け目を感じる。
#初戦敗退なのに校歌が3回流れる
#*でも豊中や箕面の住民は吹田のゴミ出しを裏山しがってるんだが
#*2009年の如水館。史上初の2試合連続ノーゲームにより、最初の試合、再試合、再々試合で2回攻撃前の校歌が3度流れた。
#*つか京都線の特急は阪急で一番金がかかってんだが、。。。なんか宝塚民の負け惜しみみたいだw
#市町村同士の比較のランキング日本一に豊中市vs吹田市が選ばれた。豊中市民は常に吹田の動向を気にして生活している。
#*アホか、豊中市民の目は大阪市(もっと言えば[[梅田]])にしか向いてへんやろ。
#吹田市とは面積・人口規模がほぼ同じというのも要因だろう。市外局番も06仲間。
#*2017年現在、豊中市と吹田市を足した人口は都道府県ワースト5の[[福井]]県を上回る79万人、[[山梨]]県や[[佐賀]]県に迫る。


[[Category:中核市]]
==その他の日本野球==
[[Category:方角地名]]
===社会人野球===
[[Category:港町]]
#都市対抗野球大会における青森県勢の出場
#*1939年(第13回大会)に青森林友(青森市)が出場したのが、現状では唯一の青森県勢の出場になっている。
#都市対抗野球大会における鳥取県勢の出場
#*戦前の1934年から1936年にかけて米子鉄道管理局が3回出場している。
#都市対抗野球大会における宮崎県勢の出場
#*2019年(第90回大会)に宮崎梅田学園が初出場を果たした。
#都市対抗野球大会における佐賀県勢の出場
#*1952年と1953年に杵島炭鉱(大町町)が出場したのが、現状では唯一の佐賀県勢の出場になっている。
 
===大学野球===
#天皇杯
#*ただし授与対象は東京六大学野球の優勝大学である。
#東京六大学リーグ戦における東京大学の優勝
#*硬式と準硬式ではないが軟式では優勝している。
#八大学野球
#*正確には八大学のOBだが、鳥取県東西8大学OB野球大会という大会がある。
#*ただし雨の場合ボーリングになったりするため、野球大会というよりはスポーツを通じた同窓会が近いのかもしれない。
 
===野球場===
#神戸球場
#*グリーンスタジアム神戸の正式名称は[[神戸総合運動公園野球場]]だが、2004年に一度神戸球場に改名している(その後スカイマークスタジアムに改名。)
 
==国際大会==
;ワールドベースボールクラシック
#ヨーロッパ勢のワールドベースボールクラシック2大会連続ベスト4進出。
#*2013年と2017年にオランダが達成している。
#日本が韓国にコールド勝ち
#*2009年大会の第1ラウンド2回戦で14-2の7回コールド。
#アメリカのコールド負け
#*同じく2009年大会にて第2ラウンドでプエルトリコに1-11の7回コールド。
 
;その他
#現役メジャーリーガーのアジア大会出場
#*オリンピックに現役メジャーリーガーが出場したことはないが、アジア大会であれば1998年バンコク大会に当時ロサンゼルス・ドジャースの朴賛浩が韓国代表として出場し金メダルを獲得している。
 
==関連項目==
*[[存在しないスポーツ]]
 
[[Category:実は存在したモノ|やきゆう]]
[[Category:野球|しつはそんさい]]

2021年9月8日 (水) 21:43時点における版

プロ野球

全般

  1. 投手記録としての「引き分け」
    • 引き分け試合に最後に投げた投手に記録される。
  2. MLBで年間263安打以上を記録した選手
    • 一般にイチローが2004年に記録した年間262安打がMLBにおける年間最多安打記録とされているが、実は1887年にピート・ブラウニングとティップ・オニールが年間275安打を記録している。
      • このシーズンだけ四球も安打と記録していたため(正確には当時のルールでは四球ならぬ「五球」で出塁だった。四球で出塁となったのは1889年以後)。
        • 現在では1887年の四球は安打に算入しない場合が多い。その場合この年の年間最多安打はティップ・オニールの225安打となる。
  3. 最優秀防御率のタイトルを同率で複数の選手が獲得
    • 2003年のパ・リーグで斉藤和巳と松坂大輔がともに自責点61・投球回数194回の防御率2.83で同率でタイトルを分け合っている。
    • ちなみに首位打者の同率1位は1969年パと1987年セの2回発生している。どちらも打数・安打が異なっていても率を合わせやすい「.333」だった。
  4. キャッチャーライナー(捕直)
    • 通常、打球がそのままキャッチャーミットに収まった場合はファウルチップとなるため、キャッチャーライナーは起こりえないと思いきや、他の野手が処理できなかったライナーを捕手が処理した場合はキャッチャーライナーが記録される。
      • 実際に1965年5月11日の巨人対広島戦にて、打者・瀧安治の放った打球が安仁屋宗八投手の膝を直撃し、跳ね返った打球を久保祥次捕手が捕球したため、瀧にキャッチャーライナーが記録された。
  5. デーゲーム開催の日本シリーズ
    • ナイトゲームでの初開催は1964年の南海対阪神で、当時の東京オリンピックの妨げにならないように配慮された。
      • しかし、シリーズでの平均観客動員数は過去最低をマークしてしまった。この影響から1965年以降は再びデーゲーム開催に戻される。
    • しかし平日開催ともなると会社や学校を休まない限り観戦ができなくなり、さらに視聴率にも影響することから、1994年 (巨人対西武) で、西武球場開催分の第~5試合において試験的にナイトゲーム開催となった。
    • この評判が高かったことから、1995年 (オリックス対ヤクルト) から全試合に拡大された。
    • 2011年 (ソフトバンク対中日) の第一戦では、放映権を握っていたフジテレビの編成の兼ね合い (ゴールデンタイムにバレーボール中継を放送) でデーゲーム開催となった。
    • 結論、1963年以前と1965~1993年の全日程、1994年と2011年の一部でデーゲーム開催だった。
      • 「1993年以前のナイトゲーム開催の日本シリーズ」も「実は存在したモノ」に含まれることになる。
  6. プロ野球の前後期制
    • 1973年から1982年までパ・リーグで行われていた。
  7. 1983年から1985年まで実施されたパ・リーグのプレーオフ。
    • 1位と2位のゲーム差が5ゲーム差位内の場合、最大5試合のプレーオフを行い勝率はシーズンとプレーオフの試合数の合計で計算というルールだったが、この3シーズンすべて優勝球団が2位に5ゲーム差以上つけての独走だったため1度も開催されず。
  8. 2006年まで実施されたセ・リーグのプレーオフ。
    • 1位の勝率が2チーム以上並んだ場合、2001年から2006年までは勝率の1位と勝利数の1位が異なる場合にプレーオフを行うことになっていたが、1度も開催されず。
  9. セ・リーグ本拠地開催分で指名打者制度が採用された日本シリーズ
    • 1985年のみ、全試合で指名打者制度が採用された。
  10. AクラスとBクラスが前年と総入れ替え
    • 現時点で2014年のパ・リーグの1度のみ。
      • 順位の内訳は、ソフトバンク(前年4位→1位)、オリックス(前年5位→2位)、日本ハム(前年6位→3位)、ロッテ(前年3位→4位)、西武(前年2位→5位)、楽天(前年1位→6位)。
  11. 一塁ランナーが生還した犠牲フライ
    • 1977年4月29日の大洋対阪神戦(川崎球場)で発生。
      • 阪神が7-6と1点リードした9回裏1死1塁、大洋の清水透が打った大きな当たりを阪神のレフト・佐野仙好はフェンスに激突しながらもボールをキャッチしたが、コンクリートが剥き出しだった当時の川崎球場のフェンスで頭部を強打。
      • 佐野はボールを捕球したまま気を失い、左翼線審の田中俊幸は佐野の捕球を確認してアウトを宣告。
      • 阪神の選手・コーチが佐野に駆け寄っている間に、内野に残った一塁ランナーの野口善男がベンチの指示を受けタッチアップ、球場内が騒然とする中をほぼ全力で駆け抜けて本塁に生還。
    • 当初は佐野が清水の打球を捕球した後に他の野手への返球を怠ったと判断され、佐野には捕球による刺殺と送球をしなかったとして失策が記録されていたが、後に記録員の藤森清志の進言により訂正がされ、記録上は1死1塁から清水のレフトへの野選を伴った犠牲フライとなり、清水に打点、野口に得点が記録された。
  12. 左投げの二塁手
    • NPBでは鬼頭数雄(1936年2試合)、山田伝(1939年3試合、1940年2試合、1942年1試合)、西本幸雄(1951年1試合)の3人だけが記録している。
  13. 予告ホームランをして実際にホームランを打った選手
    • 1989年9月16日のオリックス対近鉄戦でブーマー・ウェルズが予告ホームランをし、見事宣言通りホームランを打った。

球団関連

  1. 近鉄が親会社の球団の「日本一」
    • 1リーグ時代の1946年に近畿グレートリング(南海電鉄が近畿日本鉄道から分離する前)が優勝しているが、当時は日本シリーズがなかったので実質日本一ということに。
      • ただしNPBの公式記録としてはホークス(南海・ダイエー・ソフトバンク)の優勝回数にカウントされている。
        • 運営会社としては1938年設立の「南海野球」の流れを汲んでいる。
        • バファローズの運営会社は近鉄から南海が分離された後の1949年設立。
  2. 北海道日本ハムファイターズVS大阪近鉄バファローズ・福岡ダイエーホークス・オリックスブルーウェーブ
    • 球界再編でよくあやふやになりがちだが、日本ハムの札幌移転は球界再編の1年前なので、2004年シーズンはこれらのカードが存在した。
      • ちなみに2004年9月17日にプロ野球ストライキが決定したとき、近鉄の対戦相手は北海道日本ハムだった。
  3. 東京ドームでの日本ハムファイターズvs阪急ブレーブス・南海ホークス
    • 東京ドームの開業は1988年なので、これらのカードが存在した。東京ドーム前にある記念碑には阪急・南海のロゴが刻まれている。
  4. 福岡が本拠地のセ・リーグ球団
    • 1950年に「西日本パイレーツ」という球団が設立されたがシーズン後に西鉄クリッパーズと合併し消滅。
  5. ロッテオリオンズvsオリックス・ブルーウェーブ
    • ロッテオリオンズ最後の年となる1991年に、既にオリックスは球団名がブルーウェーブに変わっていたため、このカードが1年間限定で存在した。
  6. 巨人の最下位
    • 現時点で1975年のみ。この年は前年に現役を退いた長嶋茂雄監督の就任初年度だった。
  7. 関西球団同士の日本シリーズ
    • 現時点で1964年のみ。この年の日本シリーズは「阪神タイガースvs南海ホークス」の関西決戦だった。
      • 当時ホークスは大阪に本拠地を持っていた。しかし、ホークスは数年後にダイエーに身売りされたのち福岡へ移転している。
      • 関西球団同士で盛り上がると思いきや、東京オリンピック開会式と日程がかぶったため最終戦はガラガラだった。
  8. 福岡ソフトバンクホークスの最下位
    • 2008年に最終戦で楽天に敗れて最下位になっている。この年限りで王貞治監督は辞任し会長に。
  9. 西武の最下位
    • 前身となる球団を除けば現時点で1979年のみ。この年は本拠地が所沢に移転後最初のシーズンだった。
  10. 京都を本拠地とするNPBの球団
    • 1949年に大陽ロビンスが京都市の衣笠球場(現存せず)を本拠地としていた。
    • 松竹ロビンスになった翌シーズンからも名目上は京都が本拠地だったが実際は大阪球場で主催試合を行うほうがずっと多かった。
  11. 中日ドラゴンズのリーグ1位からの出場で日本一
    • 現時点で1954年のみ。ちなみに中日が次に日本一になるのは53年後の2007年となるが2位からの出場で、1位からの出場で日本一(いわゆる完全制覇)はこの年が唯一である。
  12. 1990年代における阪神のAクラス
    • 1992年に一度だけAクラスになった事がある。この年は亀山努と新庄剛志の「亀新コンビ」などの活躍で終盤までヤクルト・巨人との優勝争いを演じた。
  13. 阪神タイガースの阪神甲子園球場での開幕戦
    • 例年、阪神タイガースが本拠地主催権を得た場合、春の選抜高校野球の影響で大阪ドームをはじめとした他球場で開幕戦を開くのが通例だが、1952年を始めとし過去何度か甲子園で開幕主催ゲームを行ったことがある。
  14. 優勝チームが最下位チームに負け越し
    • 1994年の巨人が該当(横浜に11勝15敗)。
  15. 全球団に勝ち越しながらも優勝逃す
    • 1961年・1964年東映や1967年中日などの例があり。最近の例だと2000年西武が該当する。

選手

NPB所属選手の国籍・出身国
  1. ドイツ出身の選手
    • 元巨人のデーブ・パブラスと元阪神のマイク・ブロワーズが該当。ただしどちらも国籍はアメリカである。
  2. イタリア人の選手
    • 元オリックスのアレッサンドロ・マエストリが該当。元阪神のレノ・ベルトイアも該当するが、こちらはカナダとの二重国籍である。
  3. スペイン人の選手
    • 元ヤクルトのダニエル・リオスが該当。
  4. インドネシア出身の選手
    • 元横浜のトム・マストニーが該当。国籍はアメリカである。
      • ちなみにMLBに所属経験のある唯一のインドネシア出身の選手でもある。
  5. 日本生まれのアメリカ人選手
    • 元横浜のスティーブン・ランドルフが該当。沖縄生まれ。
NPB所属選手のWBC代表歴
  • 本大会に出場した選手のみとする。
  1. アメリカ代表選手
    • 元阪神のライアン・ボーグルソンが2013年WBCにアメリカ代表として出場したのが初めてのケース。
ドラフト指名
  1. 巨人からドラフト1位指名を受け入団拒否した選手
    • 1973年のドラフト会議で巨人のドラフト1位指名を受けた小林秀一(愛知学院大学)は、それを拒否し熊谷組に就職した。
      • アマチュアの指導者を目指していた小林はすでに熊谷組への就職が内定していたが、指名を受けて気持ちが揺らいでいた。しかし川上哲治監督の「仕事の傍らで野球をするよりもうちで野球に専念してほしい」といった内容の言葉を受け、野球を仕事にするつもりではなかった小林は迷い無く入団を拒否した。
      • その後、熊谷組で選手として活躍したのち母校である愛知学院大学の監督に就任、現在は同学の准教授を務めている。
  2. プロ引退後にドラフト指名を受けた選手
    • 1959年に大毎オリオンズを退団した松井猛はその後日本軽金属、電電北海道で活躍し1965年に中日からドラフト10位で指名されたが入団を拒否している。
    • なお現在ではプロから社会人野球に進んだとしてもプロ復帰時にドラフトにかける必要はない。
その他
  1. 西鉄ライオンズの榎本喜八
    • 1972年にロッテから西鉄へ移籍した榎本喜八だが、この年限りで榎本は現役を引退したため、1972年は西鉄ライオンズの榎本喜八が見られた。
  2. ロッテオリオンズの野村克也
    • 1978年に南海からロッテに移籍した野村克也だが、この年のオフにロッテの重光オーナーから監督就任を要請されるも固辞し、自由契約に。
    • 翌1979年は西武ライオンズでプレーしたため、1978年はロッテオリオンズの野村克也が見られた。
    • 江夏豊も最晩年は西武で引退している。
  3. 福岡ソフトバンクホークスの城島健司
    • 2005年に福岡ダイエーホークスがソフトバンクに買収され「福岡ソフトバンクホークス」に改称されたが、その年のオフに城島健司はFAを行使し、シアトル・マリナーズへ移籍。
    • そのため、2005年は福岡ソフトバンクホークスの城島健司が見られた。
  4. 大阪ドーム本拠地時代の近鉄・大石大二郎
    • 1997年に近鉄バファローズが大阪ドームに移転したが、その年のオフに大石大二郎が現役を引退したため、1997年は大阪ドームと大石大二郎の組み合わせが見られた。
  5. 西本幸雄の日本一
    • 20年間の監督生活で8度のリーグ優勝を果たしながら、日本シリーズでは1度も日本一の栄冠を獲得できず「悲運の名将」と言われた西本幸雄だが、選手としては1950年の毎日オリオンズで日本一を経験している。
  6. 巨人と西武の両方で最下位を経験した選手
    • 玉井信博(投手。1973~75年まで巨人でプレー、1976年に太平洋クラブ(西武の前身)にトレード、1980年引退)
      • ただし西武時代(1979~80年)は一軍出場はなし。
  7. 千葉ロッテマリーンズ、シアトル・マリナーズ、マイアミ・マーリンズの3球団全てでプレーしたことのある選手
    • 似たような名前で紛らわしいとよく言われるこの3球団だが、エドガー・オルモス投手はこの3球団全てで一軍(メジャー)登板を経験している。
  8. 2007年以前にプロ野球入りした1988年度生まれ(1989年)の選手
    • ハンカチ王子こと斎藤佑樹や、マー君こと田中将大らで知られる1988年度生まれが高卒で入団したのは2007年(2006年度ドラフト)だが、その2年前(2004年ドラフト、2005年入団)に辻本賢人が中卒で阪神タイガースに入団している。
      • 辻本は米国の高校で9年生課程を修了した段階で中退。その後に阪神に指名された。
    • 但し、彼は一軍に出場することなく引退しているため、1989年生まれ初(と同時に平成生まれ初になる)の初登板・初勝利は千葉ロッテの唐川侑己である。
    • なお、辻本は2020年現在NPB唯一の昭和64年生まれ(1989年1月6日生まれ)であり、ドラフト制以後唯一の中卒で入団した選手である。
  9. 福岡ダイエーホークスの香川伸行
    • 1989年に南海ホークスがダイエーに買収され「福岡ダイエーホークス」に改称され、本拠地も大阪から福岡に移動したが、その年のオフに香川伸行が戦力外通告を受けて現役を引退したため、1989年はダイエーホークスと香川伸行の組み合わせが見られた。
  10. 西武ライオンズの江夏豊
    • 1983年オフに日本ハムから西武に1対2のトレードで移籍した江夏豊だが、広岡達朗監督と対立したこともあり1年で退団したため、1984年は西武ライオンズの江夏豊が見られた。
  11. 横浜ベイスターズの石井浩郎
    • 2001年にロッテを自由契約になり横浜へ移籍した石井浩郎だが、34試合に出場しただけでこの年のオフに現役を引退したため、2002年は横浜ベイスターズの石井浩郎が見られた。

監督

  1. 東京ドーム本拠地時代の日本ハム・ヒルマン監督
    • 2004年に日本ハムが北海道に移転したが、その前年となる2003年にトレイ・ヒルマン監督が就任したため、2003年は東京ドームとヒルマン監督の組み合わせが見られた。
  2. 平和台野球場本拠地時代のダイエー・杉浦監督
    • 1989年に南海ホークスがダイエーに買収・福岡へ移転したが、南海最後の監督だった杉浦忠は留任したため、1989年は平和台野球場と杉浦監督の組み合わせが見られた。
  3. 藤井寺球場本拠地時代の近鉄・佐々木監督
    • 1997年に近鉄バファローズが大阪ドームに移転したが、その前年となる1996年に佐々木恭介監督が就任したため、1996年は藤井寺球場と佐々木監督の組み合わせが見られた。
  4. クラウン・根本監督
    • ライオンズは1979年に球団を移転し西武ライオンズとなったが、その前年となる1978年に根本陸夫監督が就任したため、1978年は平和台野球場と根本監督の組み合わせが見られた。
  5. MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島本拠地時代の広島・ブラウン監督
    • 2009年に広島東洋カープがMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に移転したが、マーティ・ブラウン監督は留任したため、2009年はMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島とブラウン監督の組み合わせが見られた。
  6. オールスターに同一リーグの監督が4人出場、もう一方のリーグは監督が1人だけ
    • 2014年のオールスターで、セ・リーグは前年優勝の巨人・原辰徳監督、前年2位の阪神・和田豊監督、前年3位の広島・野村謙二郎監督のほか、中日・谷繁元信選手兼任監督が選手としてオールスターに出場。
    • また、パ・リーグは前年優勝の楽天・星野仙一監督が病気で出場を辞退、前年2位の西武・伊原春樹監督がチームの不振の為シーズン途中で辞任、代行の大久保博元と田辺徳雄は当時はまだ正式に監督に就任しておらず(両名ともシーズン終了後に就任)、正規の監督は前年3位のロッテ・伊東勤監督ただ一人となり全パの指揮を執ることとなった。
  7. 日本シリーズとワールドシリーズの両方で指揮を執った監督
    • ボビー・バレンタインは2000年にメッツでワールドシリーズ、2005年に千葉ロッテマリーンズで日本シリーズで指揮を執った。
  8. 東京ドーム本拠地時代の巨人・王監督
    • 1988年に読売ジャイアンツが東京ドームに移転したが、王貞治監督は留任したため、1988年は東京ドームと(巨人としての)王監督の組み合わせが見られた。
      • 東京ドーム本拠地時代の日本ハム・高田監督もこれまた然り。
  9. ナゴヤ球場時代の中日・星野監督(2回目)
    • 1997年に中日ドラゴンズがナゴヤドームに移転したが、その前年となる1996年に星野仙一監督が再就任したため、1996年はナゴヤ球場と第2次星野監督の組み合わせが見られた。
  10. オリックス・伊原監督
    • 西武の監督を退任し2004年にオリックスの新監督に就任した伊原春樹だったが、この年のオフにオリックスは近鉄と合併。
    • 合併後の監督には仰木彬が就任したため、伊原監督は一年限りの采配となった。
  11. オリックス・中村監督
    • 2005年オフに仰木監督の退任に伴いオリックスの新監督に就任した中村勝広だったが、26年ぶりの5位に終わった責任を取ってオフに監督を辞任。
    • そのため、2006年はオリックスの中村監督という組み合わせが見られた。

試合展開

  1. 両チームノーヒットの試合
    • 1994年4月26日、イースタン・リーグの西武対ヤクルト戦(大宮市営球場)で発生。
      • ヤクルト先発の山部太、西武先発の竹下潤が共に無安打で完投。試合は5回、ヤクルトが失策で出塁した走者を幸田正広がスクイズで還し1点を挙げ、これが決勝点となり1-0でヤクルトが勝利した。
  2. プロ入り初登板の投手がノーヒットノーランを達成
    • 1987年8月9日、近藤真一(中日)が対読売ジャイアンツ戦で達成。

高校野球

地域成績

  1. 2015年以前の北信越地区の甲子園優勝。
    • 東北とともに優勝未経験地区だったと思ってる人も多いが、長野が1928年夏に松本商(現松商学園)、1954年春に飯田長姫(現飯田OIDE長姫)が優勝したことがある。
    • 2015年春の敦賀気比は「北陸勢」初優勝。
  2. 2013年以前の埼玉県の甲子園優勝。
    • 春は1968年に大宮工が優勝している。
  3. 熊本県の甲子園優勝。
    • 県内最多出場・勝利の古豪熊本工が3度の準優勝がありながら優勝ゼロだが、1958年春に済々黌が優勝している。
      • ちなみにその大会で熊本工もベスト4に進出し、準決勝で済々黌が熊本工に勝利していた。
  4. 鳥取県の甲子園決勝進出。
    • 1960年春に米子東が準優勝。山陰勢唯一の決勝進出である。
  5. 東北地区の高校野球全国大会優勝
    • 甲子園では春夏共に優勝がないのは有名だが、明治神宮野球大会高校の部では東北高校が歴代最多の4回優勝を記録するほか、仙台育英と光星学院も優勝歴を有する。
  6. 中国に所在した学校の甲子園出場
    • 戦前に「満洲代表」の枠で青島中・天津商が出場したことがある。
      • どちらの学校も日本租借地の関東州や満州国ではなく中華民国に所在していた。

チーム記録

  1. 2015年夏以前の霞ヶ浦高校の甲子園出場。
    • あと一歩のとこで甲子園に出れない学校として知られているが、センバツは1990年に出場経験がある。
  2. 2011年春以前の明徳義塾の甲子園初戦敗退。
    • それまで初戦に強かった明徳義塾が1987年春のセンバツで関東一に負けて唯一の初戦敗退を喫していた。
      • 夏の甲子園は2015年夏まで初戦無敗を継続。
  3. 大阪桐蔭の甲子園初戦敗退。
    • 2002年夏に東邦に負けたのが現時点で唯一の初戦敗退。これがなければ今ごろ初戦無敗の学校として知られていただろう。
      • ちなみに春は2021年に初の初戦敗退。
  4. 境高校の甲子園勝利。
    • 2007年夏など甲子園で大敗が多い学校だが、1974年春に長良、1990年夏に八戸工大一に2度勝利している。
  5. 日大東北の甲子園勝利。
    • 聖光学院が常連になるまで出ると負けの学校として知られていたが、1990年夏に長崎の海星に1度だけ勝利している。
  6. 選手権14年連続出場
    • 2016年に聖光学院が戦後初の10年連続出場を達成したが、黎明期には1915年第1回大会から1928年第14回大会まで和歌山中学(現桐蔭高校)が14年連続出場していた。
    • 聖光学院の連続出場がこのまま継続すれば2020年に和歌山中の14年連続に並び、2021年に歴代最長記録となる。
  7. 夏の甲子園で1大会7試合を経験
    • 2006年夏の早稲田実と2007年夏の佐賀北の2校。ともに延長引き分け再試合(前者は決勝戦、後者は2回戦)を戦ったことで通常より1試合増えた。
    • 惜しかった例は1958年夏の徳島商。準々決勝で引き分け再試合を制して決勝進出したが、2回戦からの登場だったため6試合止まり。
      • 早稲田実と決勝戦引き分け再試合を戦った駒大苫小牧も2回戦からの登場だったため6試合止まり。
      • 1969年夏は出場校が30校のみだった時代のため1回戦から登場しても決勝まで通常5試合で、松山商と三沢は6試合。
    • 2018年のタイブレーク導入により、降雨引き分けか決勝戦が引き分け再試合にならない限り1大会7試合になる可能性はなくなった。

学校の分類にまつわる記録

  1. 工業高校の甲子園優勝。
    • だが1965年夏の三池工と1968年春の大宮工の2回(春夏1回ずつ)のみ。商業高校と比べてかなり少ない。
    • 工業高校で甲子園最多出場・最多勝利数を誇る熊本工は準優勝が3回あるが優勝経験がない。
  2. 2018年以前の農業高校の決勝進出。
    • ただし台湾の代表校、1931年夏の嘉義農林。
      • 戦前は朝鮮・満州・台湾(外地)の学校が日本の高校野球全国大会に出場していた。
      • 農林高校と農業高校は厳密には別物だが、農業高校に分類されることが多い。
    • 2018年夏の金足農は国内の農業高校及び◯◯農業では初の決勝進出となった。
      • 嘉義農林が外地の学校であるため2017年までは1984年夏の金足農のベスト4が農業高校の最高成績だと思ってた人が多い。
  3. 金足農・嘉義農林以外の農業高校の甲子園2勝。
    • 1981年夏の新発田農。
      • 甲子園1大会2勝以上したことある農業高校はこの3校のみ。
  4. 日大系列校同士の決勝戦。
    • 1972年春の日大桜丘VS日大三(5-0で日大桜丘の勝利)。東京対決で日大対決の決勝戦だった。
    • 同じ大学の付属校同士の決勝戦はこれが史上唯一。

試合

  1. 甲子園で市立船橋VS鹿児島実の対戦。
    • どう見ても高校サッカーにしか見えないカードだが、高校野球でも1996年夏の2回戦で対戦していた(5-3で鹿児島実の勝利)。
      • ネットが流通した時代に実現していればかなり話題になっただろう。
  2. 箕島VS明徳義塾(当時は明徳)の対戦
    • 箕島VS星稜は1979年夏、明徳義塾VS星稜は1992年夏の対戦が超有名だが、箕島VS明徳(当時)も1982年春に対戦していてしかも延長14回の熱戦だった。
      • 13回表に明徳が2点を勝ち越すが裏に同点、箕島が14回サヨナラ勝ちという3年前の星稜戦に匹敵する劇的勝利。
      • ちなみに明徳はこの年が春夏通じて甲子園初出場。
  3. 敗者復活戦
    • 1916~1917年の第2回大会と第3回大会に存在した
      • 第3回大会で愛知一中が敗者復活戦から優勝してしまい、疑問視する声が多く出て廃止に。
    • トリビアの泉で取り上げられたことがある
  4. 高校野球都道府県大会の6回戦(5回戦と準々決勝の間のラウンド)
    • 現在高校野球の都道府県大会は最大でも全8ラウンド(1~5回戦と準々決勝・準決勝・決勝)だが、東西に分割される直前の1970~1973年の東京大会は全9ラウンドで、5回戦と準々決勝の間の「6回戦」が存在した。
      • といっても1回戦から登場した学校は数校だけ
      • 当時は32校が4回戦からの登場となるスーパーシードがあった
      • 参加チーム数が256チーム(28)を超えると必然的に全9ラウンドとなり6回戦が出現するが、分割前の東京大会の参加校数が257校以上になったことはなかった。
      • 参考

試合展開

  1. 甲子園全国大会で、ノーヒットでの勝利
    • 1953年夏の慶應義塾-北海で発生。この試合がなかったらもし高校野球全国大会でこんな有り得ない試合展開があったらに「ノーヒットで勝利」が追加されていただろう。
      • 決勝戦限定として記載されている。
      • 9回までノーヒットに抑えられるが、延長戦で初ヒットを打って勝利は近年でも何度か発生したので知られている。
  2. 高校野球地方大会で、9回裏2アウトから10得点で9点差を逆転サヨナラ。
    • 2014年の石川大会決勝の星稜-小松大谷で9回裏に9得点で8点差を逆転サヨナラ勝ちした試合が全国的に話題になったが、2002年の大分大会1回戦の中津北-緒方工ではそれを超える9点差の逆転サヨナラ勝ちがあった。
      • 8回までは7-5の2点差だったが、9回表に緒方工が7点を追加し14-5とするも、9回裏に中津北が2アウトから10点を取って逆転サヨナラ勝ち。
        • しかも2アウトからというのもいい。ランナーなしじゃないのが惜しいが(2アウト1・2塁からだった)。
      • 雨の影響があったらしい。
      • 9点と10点ではインパクトが違うが、残念ながら県予選の1回戦だったせいで星稜-小松大谷と比べてあまり知られていない。
        • 当時ツイッターはなく、2ちゃんねるは存在したが高校野球板がまだなかったためネット上でも話題にならず。今だったら1回戦の試合でも大騒ぎだろうが。
        • 一応wikipediaのサヨナラゲームの記事に載っている。
    • ちなみに地方大会準決勝までは7回・8回終了時点で7点差がついていたらコールドゲームになってしまう。上記の星稜-小松大谷は決勝だったからコールドがなかった。
  3. 高校野球全国大会で36得点&31点差の試合
    • 甲子園では1937年春の滝川中27-0浦和が最多得点差、1985年夏のPL学園29-7東海大山形が最多得点だが、2003年の明治神宮大会でその両方を上回る大阪桐蔭36-5鵡川という試合があった。
      • ちなみにこのころの大阪桐蔭は今のような超強豪ではない。
      • 鵡川はこの前の試合で翌年の選抜優勝・選手権準優勝する済美にサヨナラ勝ちした。選抜でも1勝して2回戦でこの大会ベスト4の社(兵庫)に延長14回の末惜敗。さらに言うと北海道大会決勝で翌年夏の選手権優勝校駒大苫小牧に勝ってる。これを見る限り決して弱いチームではなかったのだが…。
      • 済美は大阪桐蔭に31点差で記録的大敗した鵡川に5-6で延長サヨナラ負けし、東北はその済美に0-7のコールド負け。だが春の選抜では東北が3-2で大阪桐蔭に勝利した。
  4. 高校野球全国大会で両チーム合計41得点の試合&16得点して負け。
    • 甲子園では1985年夏のPL学園29-7東海大山形の36得点が両軍最多得点、1975年春の倉敷工16-15中京の中京が敗戦チームの最多得点だが、2004年の国体でその両方を上回る中京大中京25-16修徳という試合があった。
      • 甲子園での敗戦チームの最多得点記録を持ってる中京大中京(旧中京)が今度は国体で勝利チームの最多失点を記録するという因縁。

大会関連

  1. 甲子園出場経験はないが明治神宮大会出場経験がある学校
    • 1999年以降は明治神宮大会は各地区の秋季地区大会優勝校(=翌年の選抜出場は当確)が出場するようになっているが、かつては秋季地区大会に出場できなかった県大会上位校(翌年の選抜は絶望)が出場する地区があったため、現在でも甲子園未出場だが明治神宮大会出場経験がある学校は存在する。
      • 1990年の木本、1993年の富士学苑、1994年の波崎柳川など。
    • このトークページで少し話題になった。
    • 昔の明治神宮大会の出場条件の詳細はこのページにある。
    • 全ての地区で現在のように秋季地区大会優勝校が明治神宮大会に出場するようになったのは1996年から(1997年は近畿だけ地区大会1回戦敗退の学校が出場で基準不明)。ただし1982年から1998年までは出場校を8校にするために北海道・東北、中国・四国は交互に1年おきにしか出られなかったため、秋季地区大会優勝校10校が揃うようになったのは1999年から。
  2. 春の甲子園優勝校と夏の甲子園優勝校による年間日本一決定戦
    • 昭和初期の1927年から1931年まで行われていた。1929年のみ春の優勝校、それ以外の4大会は夏の優勝校が勝利した。
  3. 明治神宮大会出場決定戦
    • 上記にあるように、明治神宮大会は一部の地区では秋季地区大会に出場できなかった県大会最上位校が出場していたが、そのうち東海(3位までは東海大会に出場できる)では1979年から1993年まで各県の4位校で明治神宮大会出場権をかけた4校のトーナメント大会を行っていた。
      • 1980年と1981年のみ中国でも同様の大会を行っていた。
      • このような出場決定戦を行わない地区では、各県の持ち回り、または秋季大会の開催県の学校が明治神宮大会に出場していた。

事件

  1. 勝利後の校歌斉唱で、間違って敗戦校の校歌が流れる事件。

その他

  1. 1大会で(初戦の2回攻撃前を含めて)校歌が8回流れる
    • 通常は1回戦から登場して優勝した場合6勝+初戦の2回攻撃前の校歌で7回が最大である。
    • 2007年の佐賀北と2008年の大阪桐蔭。
      • 佐賀北は2回戦の相手が1戦目(49番くじ)だったため2回戦でも2回攻撃前の校歌が流れたため。
        • この節にあるように2回戦は延長15回引き分け再試合となったのだが、再試合では2回攻撃前の校歌はなかった。
      • 大阪桐蔭は初戦が降雨ノーゲームになったため、ノーゲームになった試合と再試合で2回攻撃前の校歌が2度流れた。
  2. 初戦敗退なのに校歌が3回流れる
    • 2009年の如水館。史上初の2試合連続ノーゲームにより、最初の試合、再試合、再々試合で2回攻撃前の校歌が3度流れた。

その他の日本野球

社会人野球

  1. 都市対抗野球大会における青森県勢の出場
    • 1939年(第13回大会)に青森林友(青森市)が出場したのが、現状では唯一の青森県勢の出場になっている。
  2. 都市対抗野球大会における鳥取県勢の出場
    • 戦前の1934年から1936年にかけて米子鉄道管理局が3回出場している。
  3. 都市対抗野球大会における宮崎県勢の出場
    • 2019年(第90回大会)に宮崎梅田学園が初出場を果たした。
  4. 都市対抗野球大会における佐賀県勢の出場
    • 1952年と1953年に杵島炭鉱(大町町)が出場したのが、現状では唯一の佐賀県勢の出場になっている。

大学野球

  1. 天皇杯
    • ただし授与対象は東京六大学野球の優勝大学である。
  2. 東京六大学リーグ戦における東京大学の優勝
    • 硬式と準硬式ではないが軟式では優勝している。
  3. 八大学野球
    • 正確には八大学のOBだが、鳥取県東西8大学OB野球大会という大会がある。
    • ただし雨の場合ボーリングになったりするため、野球大会というよりはスポーツを通じた同窓会が近いのかもしれない。

野球場

  1. 神戸球場
    • グリーンスタジアム神戸の正式名称は神戸総合運動公園野球場だが、2004年に一度神戸球場に改名している(その後スカイマークスタジアムに改名。)

国際大会

ワールドベースボールクラシック
  1. ヨーロッパ勢のワールドベースボールクラシック2大会連続ベスト4進出。
    • 2013年と2017年にオランダが達成している。
  2. 日本が韓国にコールド勝ち
    • 2009年大会の第1ラウンド2回戦で14-2の7回コールド。
  3. アメリカのコールド負け
    • 同じく2009年大会にて第2ラウンドでプエルトリコに1-11の7回コールド。
その他
  1. 現役メジャーリーガーのアジア大会出場
    • オリンピックに現役メジャーリーガーが出場したことはないが、アジア大会であれば1998年バンコク大会に当時ロサンゼルス・ドジャースの朴賛浩が韓国代表として出場し金メダルを獲得している。

関連項目