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==鎌倉時代の噂==
*営業所記号順(A.B.C…順)に並べてあります。
#ハムができる。
==品川営業所(A)の噂==
#ツレヅレグサが刊行。
===市01の噂===
#*ブログ書籍化ブームの始まり。
#この系統のバスはレザーシートがけ。
#「ヘーケ物語〜諸行無常の響き〜」で琵琶法師が大ブレイクし、全国弾き語りツアー開催。
#市場の中まで入っていく。
#*あまりの人気っぷりにストリートでコピーをするものが続出。
#ジンギスカンの孫のフビライハンが日本に攻撃をしかける。
#*朝鮮も調子に乗ってモンゴルの尻馬に乗る。(マジモノ)
#**つーか、朝鮮海軍が属国としてモンゴル力士を運んだけど揚陸艇がないのでDデイ敢行できずにカミカゼアタックにやられたんじゃなかったっけ。(うるうる覚え)
#*ジンギスカンはヨシツネらしい。
#**トンデモ学説。ジンギスカン(仁義好かん)の生没年も系図もハッキリしているし、第一、義経とジンギスカン(仁義好かん)では騎馬戦術に決定的な差異がある。マーだかモーだかいう雑誌しか唱えない珍説。
#***種本は末松謙澄(スエマツケンチョウ・後の逓信大臣、内務大臣)が1879年に英国人を装いつつ匿名で書いた論文。それを1885年に内田弥八が「義経再興記」と題し訳述・出版。さらに後の1924年、小谷部全一郎が「成吉思汗ハ源義経也」という題で発表し、大ベストセラーとなる。
#***メーじゃなかったっけ?
#****「ワー」だよ
#****いや「クー」だよ。
#*****「メーワク」な話だ(苦笑)
#**とりあえずジンギスカンは料理の名前だって言っておくよ。(本当はチンギス・ハーン)
#***歌手グループのジンギスカンもいた。
#****そのグループの歌「ジンギスカン」も有名。
#***モンゴルの皇帝ことハーンは現代での呼び方で、当時はカンだったらしい。
#*フビライハンの好物エビフライ。
#*日本攻撃の結果、征服はできなかったものの鎌倉幕府を弱体化させ、日本を混乱に陥れることに成功。
#*全てはヨシツネの怨念が鎌倉への恨みを果たすべくモンゴル人を操った為らしい・・・
#ヨシツネが大陸に渡りヤブサメを伝える。
#*ヨシツネは平安時代やぞ。
#**鎌倉時代の始まりは1185年という説もあります。もしくは1183年という説もあります。ヨシツネの没年は1189年なので、その説に従えばぎりぎり鎌倉時代に間に合います。まあ、もっとも活躍した時期の大半は平安末期でしたけど、ここはあまり固く考えずに。
#「鎌」と「倉」が大流行する。
#「いざ鎌倉」が当時の流行語大賞に。武士の間で一大ムーブメントを巻き起こした。
#*終わりごろは「いざなまくら」。
#**更に末期には「いざキャバクラ」。
#***北海道、大阪と高知だけじゃね?
#頼家の実子を名乗る謎の人物公暁が現れる。将軍職就任を狙っているという噂が流れる。
#北条泰時、反対派に説得され式目原案の条文から執権公選制を削除。
#功績のあった歌人100名に送られる小倉賞が実施された。審査員代表は冷泉流家元・藤原定家氏。作品集はベストセラーとなるも、定家氏独自の世界観による授賞に一部の読者からは「どこがいいのか分からない」との声も。
#*ひょっとして、JR小倉駅の周りを100人で1周した話のことかな?
#**それは「おぐら」ではなく「こくら」。
#***京都の[[京都の駅/山城#JR小倉駅の噂|「JR小倉」駅]]の事では。
#百人もいるのに首が一つしかない物の怪(もののけ)が、マッドサイエンティストのテイカ・フジワラによって作られる。フランケンシュタインの元祖?
#ゴダイゴがデビュー。正中の変・元弘の乱・メンバーの大麻使用などにより島流しにされる。その後、正成、尊氏、義貞らとともに活動再開。代表作「モンキー・マジック」「ポートピア」「ガンダーラ」
#*メンバーには狐っぽい宣教師もいたから、キリスト教がすでに伝来していたものと思われる。
#盆栽を燃やすパフォーマンスが注目を集める。
#*なお創始者の佐野源左衛門はその斬新さを称えられ領地を得る。
#西岸良平「鎌倉ものがたり」連載開始。
#仏教系の新興宗教多数勃興。
#*「ナムアミダブツ」「ナムミョーホーレンゲキョー」など。特に後者の総帥「ニチレン」はよく幕府に逮捕された。
#*「イッペン」率いるストリートダンサー集団「ジシュー」が注目をあびた。爺(じじい)衆ではない。爺臭でもない。自習?
#*「リンザイ」「ソートー」という座禅集団も。
#鎌倉の大仏完成。
#*ついでに奈良の大仏も再建された。
#*政治は雪の中に掘った穴の中で行われた。また、大仏には雪で作った大仏殿があったが、氷河期が終わった現代では仏像のみが現存している。
#ヨシツネのいとこのナベツネが壇ノ浦の戦いから命からがら逃げてきて武蔵の国で言売売新聞のオーナーになる。
#地球は温暖化していなかったので人々は雪で作った家で暮らしていた。
#お釈迦様(釈尊)が法華経などで予言されたとおりに、久遠元初の御本仏・日蓮大聖人様が御出現あそばされた。
#*平安時代から鎌倉時代にかけてが、末法時代の始まりの時期である。
#北条氏が鎌倉幕府を買収。
#壇ノ浦を追われた平家の一族は黄泉(きいずみと読む)の国に移住。これがいわゆる民族大移動である。
#*その数があまりにも多かったので黄泉の国が混乱し、黄泉の領主閻魔犬王が部下の兵隊を引き連れて鎌倉に侵攻。でもそのときに手違いがおきて大変なことになる。
#8代執権北条時宗は空中元彌チョップを駆使して元寇を撃退した。
#エネルギーは「源氏力発電」…(デーブ・スペクターさんの説)
#鎌クーラー時代。
#鳩サブレーが作られる。
#日蓮が大予言をする。
#*皇紀2660年、天カラ恐怖ノ大魔王ガ降ッテ來ルデアロウ。


===波01の噂===
==鎌倉幕府の将軍==
#これの出入系統が、虹01亡き今の唯一のレインボーブリッジを渡る路線に。
===源頼朝===
#弟二人、従弟とその息子など、身内を沢山殺して天下をとった人。
#*ちょっとでも油断をすると、他の者を担がれて追い落とされてしまいかねないという状況だったので、やむを得ざるところもある。
#*そうは言っても、義経はともかく範頼まで殺したのはなあ……
#**義経に比べれば小粒とはいえ、平家討伐の勲功2番手の功労者で、十分頼朝に取って代わるだけのポテンシャルを持っていたからしょうがない。
#***義経が官位をもらっている時に範頼は頼朝の真意を理解して断っているから、ある意味義経以上に危険な存在と思っていたのかも。
#****範頼の子供たちは助命されてるのが、せめてもの救い。
#****それ、官位もらってももらわなくても警戒されるってことじゃねぇか…
#*源氏は内ゲバが常態だからしょうがない。まともに枕の上で死ねた人は殆どいないし。
#**武士としては正しい姿と言える。
#***内ゲバの戦死とか、暗殺じゃあなぁ・・・。
#*結局、人に蹴落とされることはなかったが、馬に落とされた…
#*娘の婚約者の扱いでやらかして、首を取った当事者に責任押し付けた件だけは擁護不能。この時の頼朝は家族思いの父親でもなければ冷徹な政治家でもない。ただの情けないおっさんである。
#関東育ちの奥さんは一夫一婦制を主張。多妻多夫が常識の京都で育った頼朝はその概念も理解できず、夫婦の価値観の相違が深刻なものに。
#死亡前後の記事が、どういうわけか公式記録「東鑑」からすっぽり抜け落ちている。大騒ぎで誰も記録をつけていなかったのか、何か外聞をはばかるヤバいことがあって抹消されたのか……
#*不名誉な死に方だったんで名将の恥を残してはいかんと家康が削除したとも。
#*馬で川を渡ってたら、落馬して死んだとか(その時のケガが元になって帰路で没とも)。まあ公式記録が無いので、あくまで一説ではあるが。
#**相模川の下流が馬入川と呼ばれるのは、この話を元にしてるとか。
#***晩年の頼朝は朝廷に接近しようとしたので暗殺された、とも。後に武士の要望を代表する北条家が政権を握る。
#死因で一番メジャーな説は壇ノ浦の戦いで戦死した後、「ぷれいや」なる異次元の者からの布施により復活した平家の亡霊、平景清(悪七兵衛景清)により草薙の剣で切り殺されたというものである。
#*わらってよりとも。
#後年、天下人になったHIDEYOSHIが頼朝の墓を訪れ、その際親近感を持つ旨の発言をしている(頼朝は捕囚から、秀吉は足軽からテンパ人になったから)。
#武家の棟梁でありながら、戦はド下手。なんと言う矛盾…。
#*別に珍しいことじゃない。ライバル勢力の平宗盛もそんな感じだし。
#*トップとしては戦より政治がうまい方が大事、って義経を見てると思う。
#弟がやたら美化されているせいで創作では悪役にされがちのかわいそうな人。
#後年は義父の時政までがビビるほどの厳しさだったらしい。


===浜95の噂===
===源頼家===
#観光路線をうたっている割には、本数が一時間に一本と少なすぎ。
#妻の実家である比企氏を引き立て、北條氏を排除しようとしたため、修禅寺に押し込められて殺された。
#*……と言われているが、実際は逆。頼家の傅人(めのと)であった比企氏が、北條氏に取って代わろうとして頼家を担いだが、北條氏に逆襲されて亡ぼされた。頼家は比企氏の象徴として消されたのでした。
#**嫁姑の争いを仲裁できず、姑の一族に嫁と嫁との間の子供を殺され、最終的には自分も消された。
#*独裁的だったとも言われるけど、17歳で家督を継いで、22歳で死んでるわけですからねえ……どの程度の独裁ができたことやら。
#**とある二つの寺が領地争いをしその裁定を頼家に求めたところ、「そんなの知るか」と言って、両寺の中間に線を引いて「これで満足しろ」といって追い払ったとかw


===反96の噂===
===源実朝===
#都01折返・RH01以外で六本木ヒルズに乗り入れるのは、これだけ。
#頼家の弟。
#*あとは、ちぃばすのみ。
#*実朝の傅人は北條氏だったので、比企氏との権勢争いに勝った北條氏により将軍位につけられたわけ。
#同族争いがいやになって外国へ逃げ出そうと大船を造るが、失敗。
#*原因は大きすぎて進水できなかったから。
#やっぱり同族に殺された。
#*下手人は頼家の息子の公暁。親父を殺させたのは実朝だと誰かに吹き込まれたらしい。
#*その「誰か」は北條義時だろうと思われていたが、最近では三浦義村説が有力。公暁の傅人は三浦氏だったので、公暁を担いで北條氏を追い落とそうとしたと思われる。
#*しかし公暁が北條義時を殺りそこねたので、三浦義村は口封じに公暁を殺害。かくて源氏嫡流の血は絶えた。
#*本人は半ばそうなることを予想していた。
#詩人としてはかなりのものだった。
#*百人一首にも採用されている。
#*甲斐善光寺にある、かなり写実的な実朝の木像を見ると、如何にもクラスに一人はいそうな、地味でややオタク臭い少年ぽい顔をしている。
#*自選の和歌集がある。
#政治家としても実は有能。
#*頼家の御家人の合議制だったが、彼は死ぬまで政務を執っている。朝廷よりの政治をしたと言われるが幕府自体が危うくなるような要求は、拒否している。ただ、彼の朝廷と幕府の平和共存の道を探るという政治理念は、次第に自らの力を自覚し更に勢力を伸ばそうとする鎌倉武士団とぶつかることになってしまった。


===品98の噂===
===藤原頼経===
#X号バースという数字がつく停留所が連続する。
#頼朝の妹のひまご。
#都内では築地市場に次ぐ規模の卸売市場、太田市場への足。
#最初のうち北條氏の傀儡だったが、反対勢力に担がれそうになったので京都に追い返される。
#早朝に1日1本、湾岸道路経由の急行がある。
#この人以降の将軍は影が薄い気がする。執権の方が重要な存在になるし。
#征夷大将軍は源氏しかなれない、と言っている人たちはこの人から守邦親王までの摂関将軍、皇族将軍を失念している可能性が高い。
#*まあ、一応この人にも源氏の血は流れてますけどね。
#*貴族から将軍に「下る」のは良いけど、武家から将軍に「上る」には源氏じゃないとダメってことだろう。まあ実際は関係ないんだろうけど。平氏系の信長とかいるし。
#幼名は[[神#ミトラ(ミスラとも)|三寅]]。


===藤原頼嗣===
#頼経の息子。
#8歳で将軍位に就くが、17歳の時に謀反に連坐したとして京都に追い返される。


==渋谷営業所(B)の噂==
===宗尊親王===
===都01<!--・RH01・深夜01-->(グリーンシャトル)の噂===
#後嵯峨天皇の皇子。母親の身分が低く、あまり出世しそうになかったので、鎌倉将軍にという話が来た時ホイホイと引き受けた。
#ほとんどふそう車。(エルガとか使われているのを見たことない。)
#将軍になってもすることがないので、歌会ばかり開いていた。
#*大概エアロスターだな。
#*しかしだんだん、不満分子の集まる会になってしまった。
#*と思ったら、最近はP代も多く使われている。
#*危機感を持った北條氏により、京都に追い返される……ってまたかよ!
#都バス屈指のドル箱路線。


===都06(グリーンエコー)の噂===
===源惟康===
#都01と同じ渋谷~新橋間だが、都01は繁華街を回るのに対し、都06は地味なところを回る。
#宗尊親王の息子。3歳で将軍位に就く。
#渋谷川と並行してるため、橋がつく停留所が多い。
#*将軍位に就くと共に臣籍降下し、「源」姓を受ける。
#*終点の「新橋」や副名称の「麻布十番駅(一の橋)」も含めると16個。
#別に謀反にも関わらず、不満分子を集めたりもしなかったが、京都に追い返される。もう何がなんだか。
#*前進の都電34系統からの有名なネタ。
#*追い返されてから親王宣下を受け、「惟康親王」となる。
#南北線・大江戸線開業前は麻布十番周辺の住民にとって重要な足だった。
#*現在でも渋谷~麻布十番を直結する唯一の路線のため都01系統に次ぐ混雑路線。


===田87の噂===
===久明親王===
#田町駅のバス停はすごく目立たないところにある。
#後深草天皇の皇子。何もエピソードを残さず、京都に追い返される。
#方向幕には、こっそり(都営地下鉄 三田駅)と入れている。
#調べても本当に何もない。冗談抜きで何もない。キング・オブ・何もない
#*持明院統から将軍が選ばれた事で持明院統=武家寄り⇒北朝という布石になったはずだし、もし将軍が大覚寺統やそれ以外から選ばれていたらということを考えると、歴史的に影響のある将軍就任(もちろん本人は何もしていないが)と思われるが。


===学03の噂===
===守邦親王===
#ブルーリボンシティハイブリッドのたまり場と化している。
#久明親王の息子。8歳で将軍位に就く。
#やたらと、坂が多い。
#もちろん何も実権は無かったが、鎌倉が新田義貞の攻撃で陥落すると律儀に出家し、間もなく死去。一応幕府のトップとしてのけじめをつけた形。


==新宿支所(C)の噂==
==鎌倉幕府の執権==
#前は都01も担当。
#教科書からもわかるとおり、全体的に優秀な人が多かった。
#渋66も以前はここの担当だった。
#*ただし代が変わる毎に小粒になっていく感が否めない。
#*30代で亡くなった人が多い。自刃した高時、戦死した守時を含めると半分は40以下で亡くなっている。


===渋88の噂===
===北條時政===
#渋谷駅~新橋駅間を結ぶ第三の路線だが、なぜか渋谷も新橋もかすらないここの担当。
#娘が流人と駆け落ちしたばかりに天下の執権に成り上がった幸運な人。
#*学者の間でも優秀だったとする人と、実はあまり大した事してないと突っ込む人がいたりと差が激しい。
#*策士なのは間違いないだろうが、最期は策士策に溺れすぎな感じがする。
#年取ってからめとった若い後妻との間に生まれた娘の婿を将軍にしようとして、息子(義時)や娘(政子)からひんしゅくを買い、無理矢理隠居させられた。


==杉並支所(D)の噂==
===北條義時===
#ほとんど日野のバス。
#北條家の支配を確立した人。父・時政生前も、実際に動いたのは義時だったようだ。
#*ブルーリボンね。そのせいでまだ半数近くが幕車。
#*そのせいで腹黒な陰謀家なイメージが付きまとう。
#都電杉並線の車庫跡にできた。
#*『吾妻鏡』には案外名前が出てこない。たまに一覧で名前が出てても後世の挿入の疑いが強く、実際には何をやってたかよくわからない。
#なぜか、1990年代には[[関東バス]]と共同で銀座~新宿~三鷹間の深夜急行バスを共同運行していた。
#*義時自身も陰謀を練る事あっただろうが、アクの強い父と姉に挟まれて、彼らに振り回されているうちに、いつの間にか幕府のトップに踊りでてしまっただけのような気もする。
#実朝が暗殺された時、同行することになっていたが、気分が悪いと言って人に代わって貰い、危ういところで一緒に殺されるのを免れた。
#*本当に気分が悪かったのか、何か察していたのかは微妙なところ。
#得宗と号した。この後、北條氏の中でも義時の家系を「得宗家」と呼んだ。
#姫の前という美貌の女房に恋をして悶々としたことがある。お前は男子中学生か!
#*この時義時29歳、息子の泰時は9歳。いい年して何やってるんだか・・・。
#**姫の前は気位が高い女性で、義時は全く相手にされなかったらしい。
#*頼朝の命令でなんとか結婚。良かったね、と言いたいところだが、権力を使って恋を成就してもらうのはどうなんだろう、男として。
#*残念ながら、その後の比企能員の変の関係(姫の前の実家が比企)で別れざるを得なかったらしい。
#承久の乱がらみとはいえ、皇族や公家でもないのに圧力をかけて当時の天皇を皇位から引きずり下ろした上に元天皇を厳罰に処し、承久の乱で京方へ与した公家を処刑した確かな記録のある唯一の一般人。


===新江62の噂===
===北條泰時===
#大泉学園駅から練馬区役所と練馬駅までは乗り通す乗客は居るが、桜台駅通りや新江古田駅まで乗り通す乗客は、乗りバスくらい。
#御成敗式目を発布。
#*逆は割と居るが、本数が少ないので練馬区民でも存在を知られて居ない。
#*書いてあることはわりと普通。その当時の常識を成文化しただけだったようだが、大事なことかもしれない。日本国憲法もかくありたい。
#大泉学園駅~練馬車庫の路線は、「みんくるガイド」と、車内に掲示の路線図には乗って居ないレアな系統。
#**都の貴族と違って東国武士は教養がないので、そういう連中に分かるような法律を作った。
#2013年10月1日ダイヤ改正で廃止。これにより練馬区中西部を走る都バスがなくなった。
#*本人は、ただ道理と先例に基づいて決めた、と言っている。そのシンプルさと妥当さがこの法令の価値を高めたと言える。
#**ただし近年の研究では、「幕府の都合に合わせた」道理や先例を選んで成文化したとする説が有力。
#承久の乱では総大将として出陣、見事勝利を収める。
#その後、父・義時、伯母・政子、有力な補佐役・大江広元など、助言してくれそうな人々が相次いで死んでしまい、けっこうびびったと思われる。
#*義時の弟・義房を補佐役に任命し、なんとか事無きを得る。
#**義房じゃなくて時房だね。そしてこの時房から連署の役職がスタート。
#後世の評判がとても良い。承久の乱で天皇と戦ったのに天皇よりの人達からも評価される。
#*敵方についた上皇達をほぼ全員流罪にした結果。
#*それと後鳥羽院が反面教師扱いなので。北畠親房ですら「徳がないとこうなるぞ」という見本で挙げているぐらい。
#幕府の場所を2回も引っ越した。
#*頼朝が開いたのは大蔵幕府(現在の雪ノ下3丁目、清泉小学校付近)
#*1回目の引越先は宇津宮辻子幕府(現在の宇都宮稲荷神社の北、妙隆寺付近)
#*2回目の引越先(増改築という説もあり)は若宮大路幕府(宇津宮辻子幕府の北から鶴岡八幡宮の南まで)


===渋66の噂===
===北條経時===
#杉並区役所から渋谷区役所へ行けるので、隣の区の役所に行き来する珍しい系統。
#泰時の孫。
#これが廃止されると困る人、多し。
#18歳の若さで執権になったので、北條一族の内部でもゴタゴタし、外部はそれに輪を掛けて動揺し、心労のあまり4年で死亡。
#[[京王バス]]との共同運行路線で、本数も京王が断然多いが、主導権は都営バスが持っている。
#どんな事をやったのか、パッと思いつかない。
#*一時期、京王が撤退をほのめかしたところ、その流れで都営も撤退→廃止を恐れた地元住民らが乗車促進運動をしたので、どちらも撤退せずにいまでも残っている数少ない共同運行路線である。
#**その後、京王はバスを子会社に移管したあたりから再び本数を増やして現在の形に。
#*時刻表は都営のフォーマットで、昔は京王バスのホームページには時刻表がなく、都営バスのホームページを見てねとあった。
#杉並支所のはとバス委託に伴い新宿に移管、その後交通局の方針で杉並に戻るという異色の経歴をもつ。
#*杉並車庫の前を通るからでしょ。阿佐ヶ谷行きが運転手交代してる。
#2014年現在は京王3本に対して都営2本の割合。そのため障害者用の「無料乗車証」や都営の「1日乗車券」だとタイミングが悪いと36分、最大で48分待たされる。


===王78の噂===
===北條時頼===
#完全乗車するために乗り通すと時間が掛かる、23区内でもレアな系統。
#経時の弟。
#*23区内の都営バスでは最長路線。
#執権引退後に、諸国漫遊したという噂が流れる。水戸黄門の大先輩。
#**野方駅で[[西武新宿線]]に乗り換えて、都内最長路線の梅70の始発がある西武柳沢駅にいくことも可能。
#*その途上、「鉢の木」の話が登場。
#新宿駅西口で[[都営新宿線]]・[[都営大江戸線]]、中野坂上で都営大江戸線、大和町で[[都営三田線]]、王子駅前で[[都電荒川線]]に乗り換えられ、新宿駅西口、高円寺陸橋、王子駅前で他の都営バスに乗り換えられる、自社路線補完型の路線。
#熱心な禅宗信者で鎌倉に道元を呼ぶ一方で、法華経を強く唱えていた日蓮を猛烈批判したらしい。
#関東バス・国際興業の赤31と環七区間の大部分が重複する。
#*時間帯によっては赤31を後追いするダイヤになっていて、タイミングが合うと赤31を陸橋で追い抜く。


===宿91の噂===
===北條(極楽寺)長時===
#実は、開設当初からずっと杉並管轄。
#経時・時頼兄弟の父の従弟。
#かつては、[[東急バス]]と共管だった。
#時頼が息子の時宗に執権職を譲るまでの中継ぎとして指名される。
#*そのときは大森駅まで行っていた。いまは新代田駅で完全に分割された(2013年までは都営が一部駒沢陸橋までいっていた)。
#*実権は時頼が握っていた。この頃から「得宗家」の専制が始まる。
#王78系統とともに環七西半分を形成する。
#*森91、宿91、王78を乗り継いで環七めぐり(主にラーメン店めぐり)をする人もいる。


===品97の噂===
===北條政村===
#品川駅に練馬ナンバーの都バスがいたら、100%コレの運用。
#長時の伯父、経時・時頼兄弟の大叔父。
#一応、港南とも共管しているが、本数的には杉並のほうが上。
#執権に就任した時にはすでに時頼が死んだ後だったので、自分の時代が来たと思って舞い上がっていたが、おりしも蒙古からの国書が届き、高齢だけにどうしてよいかわからず、執権職を投げ出してしまった。
#品川、新宿という起点・終点とも東京屈指のターミナル駅を発着しているにも関わらず利用者数は少ない。
#*でも執権就任前に就いていたナンバー2である連署にちゃっかり返り咲いている
#*日中は1時間3本。
#新宿~新宿三丁目の経路は平日と休日で違う。平日・土曜は甲州街道経由、日曜は靖国通り経由。
#品川~魚藍坂下の経路は品川駅行きと新宿駅行きで違う。品川駅行きはグランドプリンスホテル新高輪経由、新宿駅行きは泉岳寺経由。
#*品川駅バスターミナルの構造が原因だと思われる。
#*前身の都電7系統は上下とも泉岳寺経由だった。
#「日赤医療センター下」というバス停があるが日赤医療センターからは遠い。
#*日赤医療センターに行くには渋谷・恵比寿から日赤医療センター行きに乗るのが普通。
#*前身の都電7系統(当時は日本赤十字病院下)はここが日本赤十字病院の最寄り停留所だったからだろうか?
#都内なのに「墓地下」というある意味珍名のバス停がある。


==小滝橋営業所(E)の噂==
===北條時宗===
#C・H01系統を新宿からここに移管。そのかわりに早81が新宿管轄になった。
#元寇を迎えて真っ向勝負。
#営業所の目の前に[[関東バス|トロッピー様]]の本社がある。
#*その為後世の人気も高いが、最近は偉かったのは側近の安達泰盛らで、時宗はそんなに重要な役割をしてないとする説もある。
#ここの管轄路線には都営の定期券で他社のバスに乗れる特例が1路線だけある。なぜか…参入の経緯とはいえ不思議だ
#*逆に、元寇を口実に独裁権を確立、得宗専制を実現したという見方もある。
#ほとんど元寇対策だけに追われ、弘安の役の3年後に34歳の若さで病没。
#*それが寿命を縮めたんだとおもう。
#異母兄の時輔を内紛で攻め殺している。もっとも生きて逃げ延びたという説もある。
#*でも時輔が大陸に渡って[[元#世祖クビライ|クビライ・ハーン]]に仕えた後、赤マフラーを巻いて帰国したという話はあくまで大河ドラマだけの話ですからね。真に受けないように。
#最初の元寇を撃退した後、元寇の拠点である[[高麗]]を逆に攻める計画を立てていた。
#*結局、半島に関わることを断念したのは好判断だったような……
#**のちに元が衰退してきた時期ではあるが、高麗は自力で元を追い払っているので、結果的には良かった。


===橋63の噂===
===北條貞時===
#小滝橋車庫から新大久保駅・牛込・市ヶ谷を通り、霞が関を経由して新橋駅へ至る系統。
#父・時宗の死により12歳で執権となる。
#*市ヶ谷あたりで狭い道を通って若干遅くなるが、霞が関で爆走する。
#しばらくは、側近・平頼綱の言いなり。10年近く経ってようやく頼綱を誅殺して実権を取り戻した。
#2015年版でのみんくるガイドでは隠れてしまったが、本数は1時間2本くらい確保されている。
#29歳で従弟の師時に執権職を譲るが、その後も実権を握り続けた。


==練馬支所(F)の噂==
===北條師時===
#電話の情報が執拗に流される。
#貞時に執権職を譲られたが、ずっと貞時に実権を握られ、奪回する前に死んでしまった影の薄い人。
#稼ぎ路線は白61。白61以外はクズのクズで、殆ど採算が合わない場合が殆ど。白61の稼ぎも、他路線で見事に消えうせる。
#北自動車営業所練馬支所であることはあまり知られていない。
#新たにC202とC205が運用離脱。これで練馬支所の非ノンステ車は残り3台に…
#*F車庫には激しく似合わない。どうせ江戸川橋~椿山荘の坂で馬力不足になるだろうからLTロングと交換で良いよ。望んでもない新車が運行始めるとJPは更に稼働率悪くなりそうだな。
#**もしかしたら練馬が初のオールノンステ化しそう…。
#***大塚が既にやってる
#***なんで練馬だけリフト残ったんだろう?
#***新宿、早稲田、練馬がオールノンステ化(最低でも3月末まで)
#****早稲田は営業所初のオールノンステ化営業所になりそうだね。


===白61系統の噂===
===北條(大仏)宗宣===
#目白駅前停留所が2つある。
#義時の弟のひまご。
#*昔はこの手のバス停がたくさんあった。13号地(循環の海01)など。
#執権のそのまた執事とも言うべき「内管領」長崎高綱に実権を握られ、自分ではなんにもできないのに失望して、執権職を放り出して出家。間もなく死亡。
#*正直目白駅からはどちらも同じくらい近い。
#**でも、座りたい時は池袋へ向かって左側から乗らないと座れないときもある。
#*目白駅(川村学園前)は、右側。目白駅は左側。紛らわしい。ちなみに、川村から乗ると運ちゃんがたまにスルーしてくれる妙技をかもし出す。そんなときは学05に乗ろう。
#*ちなみにこんがらがるが椿山荘前と、椿山荘は違う停留所になるので悪しからず(臨海車庫前と臨海車庫の関係に酷似)。なおその区間だけを乗っていたら完全なるDQN。
#実は練馬車庫~新宿駅の長距離路線なのだが、沿線にいても新宿駅~牛込神楽坂駅、江戸川橋駅~目白駅、目白駅~練馬車庫くらいに分裂されて乗っているので、長距離であることはあまり気がついていない。
#*だから遅れてくる時もその理由を詮索したりはしない。
#*江戸川橋駅ではなく「江戸川橋」。駅は着きません。念のため。
#椿山荘始発の目白行きは、輸送が絶対目白までしかないのに、いちいち途中停留所に止まる。
#*椿山荘が貸し切っているわけではないので輸送がそうなりがち。せいぜい止めて「椿山荘前(これは前の通り椿山荘とは別)-鬼子母神前-目白駅」でいいと思うのは俺だけ?
#**厨房がいるので椿山荘前(これは前のt(ry)も通過でよい。
#***それはさすがに不便だと思うぞ。
#とりあえず坂が多い。
#*あまりにも坂が多いので、雪が降って路面が凍結すると、薬王寺坂や曙橋の脇の坂を登れなくなるため、方向幕にはその幕のちょうど前のバス停名(曙橋駅、薬王寺町、山吹町、江戸川橋、椿山荘、目白駅)が入っている。
#**毎冬訪れる薬王寺町止めとか舐めているとしか思えないのだが。ちなみに東京マラソンの時もそうなるよ。
#**山吹町ならまだ使われている。
#*目白坂は滑り止めがついているので、最近は凍っても江戸川橋・椿山荘止めがなかなか見られない。
#*そもそも目白の転回線の坂登れるのかよw
#江戸川橋~練馬車庫間であれば、都合が悪ければすぐ出入便にごまかせる都合のいい系統。
#落合付近では対向できない細い道を通る時がある。
#*しかも、停留所が道路にせり出している(上のみんくるのところが、歩道の白線よりせりだしている)。これっていいのかい?
#**そのバス停ではノンステップバスはワンステップバス、ツーステップバスはスリーと1ずつ段差が増えていきます。
#落合南長崎駅で、カーブすることを知らずに座席を立った人がそのまま倒れて頭を打つ怪我があった。
#*都営バスはその後放送流してるっぽい。
#*そんなのバスが止まる前に席立つ野郎がいけないに決まってる。
#朝ある山吹町行きはいつ見ても客が1人いればいいみたいな状態になっている。
#*その客も江戸川橋で降りてしまうことが多い。もう江戸川橋行きでいいよ・・・。
#**江戸川橋では折返しができない(一旦山吹町方面へ回送、その後山吹高校前から鶴巻町を回って転回)しなければならないのでしょうがないと思う。
#***じゃあそうして白61折返でも名乗れ。(免許内から無理だけど)
#この系統はバス接近装置が機能していない(0停前なのに、バスは先の信号まで走っている時がある)。


===学05系統===
===北條煕時===
#目白駅前で待っていても来ない。
#政村のひまご。
#*正確には、目白駅前(川村学園前)という場所から乗らなければならない。
#やっぱり長崎高綱のせいでなんにもできなかった。
#**それも、バス停が自分に近い手前のところから乗らなければ、乗るのは白61になってしまう。
#*執権になる前は、嘉元の乱で叛乱を起こした北條宗方らを亡ぼすなど、なかなか活躍していたのだが……
#他の学系統とは異なり、2009年度版みん来るガイドで色が塗られていない。
#*完全な日本女子大向けの通学路線であるため、当然休校日は運転見合せとなるため。ちなみに直行で途中は一切止まらない。
#ずっと昔(10年位前)は獨協学園(日本女子大の先にある学校)まで行く系統があったが、椿山荘折返しが増えて「獨協学園の生徒はあれを好んでいるから別に走らせなくてもいいだろう」という理由で廃止になった。


===池65系統===
===北條(極楽寺)基時===
#練馬車庫-目白駅-池袋駅の路線だが、こう見ると白61と被るが、実は練馬車庫を出ると白61と反対側に進んでいく。
#長崎高綱とその子・高資が勝手し放題。
#*白61の乗り場と池65の乗り場が摩逆にあるのに結局が目白駅で合流するというシュールな光景に出会える。
#*いやけがさしたらしく、1年ほどで辞任、出家。
#↑では触れられていないが実は練馬車庫便は少ない。目白駅-哲学堂-江古田二が主力。練馬車庫はおまけのようなもの、と言っても過言ではない。
#*それでも鎌倉陥落時には高時と一緒に自害してけじめをつけた。
#*池65自体おまけのような存在と言っても過言ではないんだけどね。
#西武鉄道があるせいで、鳩委託前からずっと大赤字で、営業成績ワースト20に入っていた路線
#杉並にあげちゃえ(新江62でそうしたように)。


==大塚支所(G)の噂==
===北條高時===
#まもなく、廃止される(らしい…)。
#「最後の執権」と勘違いする人が多いが誤り。「最後の得宗家当主」である。
#*都02がなかったらとっくに無くなってると思う。
#田楽好きで、天狗にたぶらかされる。
#車内放送は、他の営業所とは大きく異なっていたが、声の主を変更したときに統一された。
#暗愚な執権という評価が大体固まっているが、本当はどうだったのかよくわからない。
#*ただし、車内LEDは独自の表示。
#*長崎父子に好き勝手やらせていたという点だけでも、名君とは言えまい。ただし、人としてバカだったかどうかは不明。
#建屋は昭和初期に移転した東京市電大塚車庫のものを流用していた。
#**ただし、長崎高資は当時調整型の政治家が多い幕閣の中で、積極的に政策を展開しようとした点を評価しようとする動きもある。
#*ともあれ、鎌倉陥落後の自害の作法は見事なものだったらしい。
#*馬鹿ではないが、病弱で無気力な厭世家、というのが一番合ってる気がする。
#*二条河原の落書に「犬田楽は関東の滅ぶところ」と書かれたぐらいだから、当時すでにダメな行状として知れ渡っていたのは間違いない。病弱かつ長崎に実権取られてそれぐらいしかやることがなかったとしても。
#歴史オタ、大河ドラマオタは、北條高時というと反射的に片岡鶴太郎の顔を思い浮かべる。


===都02(グリーンライナー)の噂===
===北條(金沢)貞顕===
#いつも混んでいる。
#高時が出家してしまったあと、侃々諤々の末、とりあえずの中継ぎとして執権に就任。
#ほとんどの車両にグリーンライナーのヘッドマークがついている。
#しかし反対派も多く、暗殺計画も耳に入ったりして針のムシロのようだったので、早々に引退、出家。
#*ついていないのは、ブルーリボンシティハイブリッドくらい。
#*在任期間十日という、日本史上でもまれに見るレベルのお飾り内閣。それで事が済んでしまう辺り、この頃の執権職って・・・と思ってしまう。
#大塚駅~大塚車庫間のみの便がやけに多い。
#初期の頃は専用車両以外に従来車から改造した車両もあったが、その乗り心地は雲泥の差だった。


===上60の噂===
===北條(赤橋)守時===
#都02ばかり目立って、陰に隠れている。
#最後の執権。足利尊氏の義兄でもある。
#そのため、尊氏が後醍醐天皇側に寝返って六波羅探題を亡ぼすと立場が悪くなり、謹慎させられる。
#汚名返上のため、鎌倉に襲来した新田義貞軍と力戦し、戦死。
#日テレでやってた「まんが日本史」では存在がスルーされてる。
#甥の足利義詮が鎌倉を脱出できたのは守時の手引という見方もあり、愚直な武将のイメージが強い。


==千住営業所(F)の噂==
==関連項目==
#実は営業所は千住にない。(あるのは梅田)
*[[もし鎌倉・南北朝・室町時代が○○だったら#鎌倉時代|もし鎌倉時代が○○だったら]]
{{日本史}}


==南千住営業所(K)の噂==
[[Category:日本史|かまくら]]
#観光路線のS-1系統はここの所管。
[[Category:鎌倉市|かまくらしたい]]
 
==江東営業所(L)の噂==
#江東区ではなく[[東京/墨田区|その北隣]]にある。
#*多分「江東」営業所と名乗ってるのは江東橋にあるから。
#車齢古めのバスが走っている。
#*富士重工製ボディのフルノンステップバスが走っている(エンジンはオートマ)。
 
==北営業所(N)の噂==
===東43系統の噂===
#毎時最低2本は駒込病院~東京駅走らせてほしいです。荒川土手(江北)~駒込病院ばかり優遇しすぎでしょ
#*駒込病院以南を増やして欲しいのは同意。ただ、駒込病院~田端と田端以北の利用者が多いから優遇とは思えん。都電乗換客と東京女子医大第二病院の利用者がいる小台~田端はかなり混むし。
#**東43は駒込病院で分割しろ!北側は端43にして宮城2で折り返しにして毎時6本完全確保しろ!
#*東43の南側は茶51と合体して、駒込駅ー駒込病院ー東大ーお茶の水ー東京駅にして毎時4本確保しろ!とでも言ってみる。
#*東43を乗り通すのは銀券だけなんだから乗り換えさせろ!
#**証拠は?
#**東43乗り通す銀券なんていねーっつうの。
#宮城付近から田端新町付近までは狭い道をくねくね曲がりながら走る。
#*数年前、そこで車体を擦ったことがあるらしい(ホントかな?)
#*宮城小の生徒は、「道寄れ都バスに道譲れ」と教えられるらしい。
#**小学生はしっかり譲るのに、爺が譲らないせいでほぼ毎日遅延。爺婆どけ。おまいら乗っても銀券なんだろ!といってみる。
#***でも中学校では(ry。二人乗りDQNが道をふさいでいる。
#ステップバスの割合が高い。
#*駒込病院行きでもステップバスの時がある。
#*北のツーステの溜まり場、とでもいうべきか(他は入ってて1、2本くらい)。
 
===王40系統の噂===
#池袋から西新井を結ぶ稼ぎ路線。北では王57と同じ大黒字路線だが、そんな黒字が丙のせいで見事に消えている。
#*途中まで乗る時も、「王40丙 宮城循環」<ドコソレ状態、「王40 西新井駅前」<よし、来たぞ のような状態になる。つまり、王40丙はまったく認知されていない路線ということ。
#**錦22とか渋88も同じような・・・。
#*そもそも乙がないのに丙がある珍しい系統。
#**実は昔、王40乙系統は存在した。(豊島循環系統。後の路線統合により王55系統となる)それの名残とか。
#なんで王40は都0xに昇格しないの?
#*途中ルート上、バスレーンが設置しづらいのが大きな理由。交通量が多い上に片側2車線だから道路渋滞に拍車がかかるという理由らしい(新小21も同じ理由。里22は錦糸町が副都心だからという理由)。
#*もう都市新バスにするようなことはしないと思うけど、都市新バス化してもよさそうな路線って何かな?
#**俺的に田87、王40甲、新小21は都市新バスの資格があるかなと。木11、亀29はもう少し。
#***後の2つはないだろう。木11は錦18を廃止して錦糸町→東陽町→新木場駅でもしないと無理ぽ。底から先の循環が都市バスなんて片腹痛い。亀29は亀戸駅-西葛西駅間だけならおkだがそこからさきはgdgd。
#****もし王40が都市新バス化されたら愛称はどうなるんだろう…。
#**池86はこのままでよかったよ。結果的に地下鉄ができて激減したしね
#**いまさら都市新化したっておまいらの愉しみなんもないじゃん。新車いれるにしたって仕様はたいして変わらんだろうし、ここなんかツーステ運用なくなっちまうぞ。
#あんだけ利用者が多いんだから全車ノンステップにすればいいのに、なかなか出来ない。
#*ツーステ運用がある路線では輸送量が最多らしい。
#**実はとっくの昔に全車ノンステップ化されている。
#王40を深夜バスにしてくれれば乗る人がいるかも知れぬぞ。
#*王40深夜バスだぜ!
#*池袋駅→豊島五団地だけならとりあえず深夜02あるし、王子→豊島五もそれでなんとかなるし、王子→HI方面も深夜11あるから、深夜バスは要らないと思う。もし西新井口で王子まで出すなら東部が何とかしてくれるはずだ。
#**路線バスすらろくに走らせない東武が深夜バスなんて走らせるとは思えないけどね。東武の稼ぎ頭は池袋と北千住。西新井など鼻くそ以下にしか思っていない。やっぱあってよかったKKK。
#いつも混んでる。
#*王40 江北四→阿弥陀橋 ドイト渋滞がひどい。荒川土手、江北駅で運転打ち切れ
#**そんなことしたら後続がパンクしてしまいそうな。大型車回せ。
#*王40相変わらず人大杉。今日は爺婆がめっちゃ多いが西新井大師にでも逝くのだろうか?
#**殆ど銀券なので、残念ながら現金は少ないらしい。
#***そんなことはない。実は王40は北でも有数の黒路線で営業係数78。下手な都市バスよりはよっぽど設けてるし、現金収入も同管内で一番多いらしい。
#*西新井口なんて休日ダイヤは本数多いはずなんだが。5団地返しはそんなに混んでなさそうだし
#**池袋1113発の便で西新井まで徹し乗車したんだけど王子に着く頃には車内が年寄りで溢れ返っていた。その年寄り連中も西新井大師で一気に降りてったんだけど。そしてこの時入ってたのは北所の2ステだった。
#***団地の宿命で両端の停留所ではあまり儲けきかないのよ。例;亀21。
#****逆に端と真ん中でしか儲けない路線もある亀29。
#*明治通りの渋滞がひどいと飛鳥山→西巣鴨だけで20分掛かることがある。普通は5分ぐらいなのに…。王40だけでなくここを走る他系統も影響を受ける。
#王40丙はいらない子、と言いそうだが、宮城を抜ける唯一のバスなもんで廃止にはできずじまい。東武参入キボンヌ。
#*素直に東43を使う人もいれば、王40の停留所まで歩く人もいる。ちなみに丙は殆ど銀券ね。
 
===王41・45系統の噂===
#この系統は、葛西21や西葛20、品92などと同じ立ち位置にある。
#*終点で循環、という意味では品92が相応しいかも。
#**そういう意味ではなく、「やや中規模な駅から団地へ向けてだけ伸びる団地専門系統」という意味で言ったのだが・・・。
#*西葛20は正確には甲ですね。乙だと臨海公園行きます。
#**臨海車庫にも行きます。
#***つ【江戸川営業所の噂】
#*どちらも短距離だけど需要が高いと言う意味では同じですね。ちなみに葛西21以外は全て黒っぽい。
#新田一丁目て都営バスで一番中途半端な終点停留所だと思う。
#*ライバルは駒沢陸橋、春江町終点である。
#*免許の関係で新田から先が埼玉県だから、都営バスの路線権限的なものが如実に現れているいい例だと思うぞ(他にも足立梅田町、足立清掃工場、東京リハビリテーション病院、大井競馬場などいろいろライバルがいるけど)。
#**足立梅田町はその先の道路の関係、新田の先は志茂(橋はないが)か鹿浜。埼玉ではない。
#***草41。道路が改良されたら西新井駅まで延伸してほしい。
#王45のことだけを分離して述べるのが難しいけど、最近減便されているような希ガス。
#*王55へとシフトされているからしょうがないのでは?深夜もそっちだし。
#*王45の勝負どころは新田区間から千住桜木、北千住の間。あまり儲けが回らないが。
#ハートアイランドから北千住に抜ける需要ってあるのだろうか。
#*東側へ抜ける系統だからそこそこ格式高い。
#新田東~桜木間は堤防を走る。雨が降ったらマジで終わる区間の1つ。
#*東98は?
#王49と被ってる。
 
===王55系統の噂===
#器用な表示に感動する今日この頃。
#*都営バスのLEDであんなに精密にロゴが映るとはおもわなかった。自社の表示すらおかしくなっているKKKよりはマシだと思うが。
#**オージ製の表示機ですね。([[国際興業]]はレシップ製。他には[[西武バス]]が採用)
#ハートアイランドへ向かうためだけの路線として建設されたのに初期は殆ど金が回らない状態だった。
#ハードアイランド折り返しの便がなんか紛らわしいので、できれば乙でも名乗っておいてほしい。
#もともとは王40乙系統で、統合によって「新」(即ち今の)王55系統が誕生した。
 
===王57系統の噂===
#主な運転区間は王子駅~豊島五団地間。王子駅~赤羽駅間は京浜東北線があるのでおまけのような区間。
#*京浜東北線ではなく営団南北線だと思う。北本通通るし、神谷、志茂も通る。
#**京浜東北とは勝負に張らないので、途中に警察署とか車庫とか張って生きてる状況。
#朝王子駅に停車している大半の車両は王57であることが多い。
#*それが来た本通りで転回できずに、その他の圭等に迷惑をかけている。
#城東でいうと、東22のような路線。起点駅~途中にある中規模駅までは本数がやたら多く、そこからさきは減便されている(しかも地下鉄路線が並行し、終点の駅は鉄道駅の位置と異なる)。
#*だが朝の本数は東22と同じくらいある。
#**東陽より、豊島の方が操車スペースが広いため本数はこちらが勝つ。
#*南北線が赤羽岩淵までしか行かないため、志茂・神谷から赤羽繁華街へ抜けるので便利なため、同区間は日中でも10~15分に1本は確保されている。しかし南北線より時間がかかる。
#南北線との連絡駅であっても、その駅名を名乗らない(王子神谷駅→神谷陸橋、志茂駅→志茂一、赤羽岩淵→岩渕町)。
#*それは東京メトロのせいでしょ。開業はこっちの方がはるかに古いし。それに鉄道駅に併せてバス停の名前を変えなければならない理由が分からない。都01とかとは違って利用者も地元民が多いし、それに混乱してしまう。
#**よそから来たら間違いなく混乱すると思うのだが。
#*都01六本木一丁目駅前の改称は、前が六本木一丁目だったから改称しても影響がないと判断されたため。
 
==巣鴨営業所(P)の噂==
#都02は大塚だが乙系統はここ(別系統にすればいいのに…)。
#最寄りの停留所名は、巣鴨車庫前から「とげぬき地蔵」に変更。
#*バス停には「とげぬき地蔵前(巣鴨車庫前)」と表記されていて、行先表示器でも同様に表記される。
#江戸川競艇の送迎バスを江東が増車できなくなったので全然関係無い巣鴨が平井駅と競艇場の間を運行中。競艇場に足立ナンバーでないバスが居るのが日常化。
#そのせいで信じられない話だが守備範囲はとてつもなく広い。定期運用で池袋から小松川(江戸川区)まで巣鴨車が走ってる。
 
==臨海支所(R)の噂==
[[都営バス臨海支所]]
 
==深川営業所(S)の噂==
#東京ビックサイトのバスターミナルにいるバスは大抵ここ所属。
#CNGバスが北から大量移籍。
#都バスの路線で初めて全便がバリアフリー車になったのはここ。(東12:中央区がCNGノンステを自前で買って譲渡)
#木11と波01はいつも古い車ばかり。長年ツーステは廃車が近くなると新木場通いが伝統。最近まで初期型ノンステや元都市新バス車の溜まり場で今は最終期のツーステとH・K代ノンステが中心
 
===海01系統の噂===
#地味に、品川と共管。
#昔は、首都高経由で品川まで行っていた。
#お台場への裏道。当然均一運賃なので豊洲からテレコムセンターまで乗っても210円。
 
===都05(グリーンアローズ)の噂===
#虹01の代替に、休日限定だったビッグサイト行きを全日に。
 
===業10系統の噂===
#業平橋駅が「とうきょうスカイツリー」駅に改称されても系統名は「業」のまま。
#*改称するとしたら「ス10」になるのだろうか?
#橋86系統の「東京タワー」行きに続いて、東京の電波塔を冠する行き先のバスができたことになる。
#新橋駅から若干離れた場所にある「新橋」バス停が始発。夜間は新橋駅が始発。
#新橋・銀座・築地→勝鬨橋を渡り、豊洲→深川・木場→スカイツリー への路線。一部深川車庫までの区間便がある。本数は1時間2、3本で、利用しやすい。
#IHI・日本ユニシスへの通勤客が多い。
 
===木11系統の噂===
#基本は東陽町発着、一部新木場止まり、出入庫用の木場発着がある。
#循環路線と若洲キャンプ場へ向かう路線がある。
#*後者は都営バス唯一のキャンプ場行き。
#ゲートブリッジ開業で利用者増加か。
 
===東16系統の噂===
#朝はやたらと、深川車庫行きが多い。
#昔は、住友ツインビル前で終わってたのが延伸しまくって今の形に。
 
==早稲田営業所(T)の噂==
#つい数年前まで最寄りの停留所名は、リーガロイヤルホテル・早稲田だった。
#杉並支所同様、都電の車庫跡にできた営業所。近くには都電荒川線の早稲田電停があるので、現在でも都電の定期券を売っている。
#所管系統が3系統しかないが、これでも立派な営業所。
 
<!--===上58系統の噂===-->
===早77系統の噂===
#一応、早大正門まで行く。
#*そのかわり、バス停は離れている。
 
===池86系統の噂===
#実は循環路線。
#*ただし、時刻表や方向幕には、循環の文字は一文字もない。
#*一応、渋谷駅東口(文教堂の前)に到着すると運転手は休憩を取るために一旦降りる。
#[[東京メトロ副都心線|副都心線]]開通後も存続しているまれな系統。
#*ただ、副都心線開業と同時に池袋駅~東池袋四丁目(同名の都電の停留所の近くにあった操車場)間は廃止され、東池袋四丁目操車場はタイムズの駐車場になった。
 
==江戸川営業所(V)の噂==
[[都営バス江戸川営業所]]
 
==青梅支所(W)の噂==
#都バスで唯一23区以外に存在する営業所。
#*私営バスでも走らない、とんでもない山間部に路線がある。と言っても奥多摩町までは入らない。
#梅70系統、青梅車庫前([[青梅市]])~柳沢駅前([[西東京市]])は、'''都バス最長路線'''である。
#*距離31.8キロ、平均所要時間1時間50分、停留所数は起終点を含め91、運賃560円。到底、他路線の追随を許さない。
#**昔は阿佐ヶ谷駅が終点だったから、もっと長かった。
#***保谷市と杉並区が運行維持の補助金を出さなかったため、あえなく短縮。路線も田無市の田無本町二丁目までだったが、そこから先は回送でわざわざ東伏見まで行って折り返していた。その後、西武柳沢駅のロータリーに入ったが。
#***阿佐ヶ谷駅ー田無本町二丁目が廃止になり、都営の路線が分断された。
#***この区間が生き残っていたら、都営新宿線・宿91杉並車庫便・渋66・梅70・梅74と、都営一日乗車券だけで「ほぼ東京縦断」ができることに。
#*西東京市側は近年小平駅折返し便が増えたため、柳沢駅前発着便の来る直前の時間帯には、佐々病院(田無警察署前)と昭和病院のバス停に列ができている。(関東・西武・立川を見送って都営に乗る理由はお察しください)
#*2015年4月のダイヤ改正で花小金井二丁目~柳沢駅前が廃止され、花小金井駅北口発着に短縮された。
#都バスでエルガミオがあるのはここだけ。(あとはほとんどE代車。)
#*品川の築地市場用E代中型車を置き換えるため、全車品川に転属。同時にレザーシート化。
#以前はスクールバスなのに一般路線として運行されてた梅78があった。路線図も時刻表も載ってなくスクールバスなので一般客乗車NGの異色な一般路線だった。それなのに乗務員によっては一般客も乗せてくれたりしたかなりアバウトな路線
 
==港南支所(Y)の噂==
#杉並同様、日野だらけ。
#深川から都03を押し付けられた。
 
===都03系統(グリーンアローズ)の噂===
#3番目の都市新バス路線だったのに、大江戸線開業で新宿~四ツ谷が廃止された上、日中は1時間1~2本しかない過疎路線になってしまった。
#都市新バスは「待たずに乗れる」と思っていたらこの路線で痛い目にあう。
 
===橋86系統の噂===
#「橋」とついているが新橋駅まで行くのは平日・土曜朝夕しかない。日中と休日は目黒駅~東京タワーの運転。
#広尾橋~麻布十番駅の道は狭く、都内とは思えない風景。
#終点東京タワーから歩いて新橋駅に行き、業10系統に乗り継いで1日で「東京タワー行き」と「とうきょうスカイツリー前駅行き」に乗った人がいる。
 
==青戸支所(Z)の噂==
#発足時から、今の今まで営業所を名乗ったことがない。
 
==廃止路線==
===虹01系統の噂===
#お台場へ向かう都営バスで最も有名な路線で、レインボーブリッジを渡る唯一の路線だったのに残念ながら2013年3月31日をもって廃止。
#*代わりにケイエム観光のバスが同経路で新設されたが、本数は少ないしICカードは使えないので不便。
#レインボーブリッジを渡る直前に「この先、レインボーブリッジを渡ります。」というアナウンスが入り、渡った後は「まもなく○○~、○○」という電車みたいなアナウンスが流れる。
#*ケイエム観光になっても継続中。
#強風でよく運休になっていた。
#今も残っていれば大門⇔テレコムセンターが206円と破格の安さだったのだが…
 
===田70系統の噂===
#新宿から青山一丁目、六本木、麻布十番を経由して田町を結ぶ。大江戸線開業により廃止。
#終点が田町駅ではなく「港区スポーツセンター前」まで行っていた。
 
{{東京都交通局}}
{{DEFAULTSORT:とうきようとこうつうきよく/えいきようしよへつのうわさ}}
[[Category:東京都交通局]]
[[Category:東京のバス]]

2018年8月10日 (金) 21:07時点における版

鎌倉時代の噂

  1. ハムができる。
  2. ツレヅレグサが刊行。
    • ブログ書籍化ブームの始まり。
  3. 「ヘーケ物語〜諸行無常の響き〜」で琵琶法師が大ブレイクし、全国弾き語りツアー開催。
    • あまりの人気っぷりにストリートでコピーをするものが続出。
  4. ジンギスカンの孫のフビライハンが日本に攻撃をしかける。
    • 朝鮮も調子に乗ってモンゴルの尻馬に乗る。(マジモノ)
      • つーか、朝鮮海軍が属国としてモンゴル力士を運んだけど揚陸艇がないのでDデイ敢行できずにカミカゼアタックにやられたんじゃなかったっけ。(うるうる覚え)
    • ジンギスカンはヨシツネらしい。
      • トンデモ学説。ジンギスカン(仁義好かん)の生没年も系図もハッキリしているし、第一、義経とジンギスカン(仁義好かん)では騎馬戦術に決定的な差異がある。マーだかモーだかいう雑誌しか唱えない珍説。
        • 種本は末松謙澄(スエマツケンチョウ・後の逓信大臣、内務大臣)が1879年に英国人を装いつつ匿名で書いた論文。それを1885年に内田弥八が「義経再興記」と題し訳述・出版。さらに後の1924年、小谷部全一郎が「成吉思汗ハ源義経也」という題で発表し、大ベストセラーとなる。
        • メーじゃなかったっけ?
          • 「ワー」だよ
          • いや「クー」だよ。
            • 「メーワク」な話だ(苦笑)
      • とりあえずジンギスカンは料理の名前だって言っておくよ。(本当はチンギス・ハーン)
        • 歌手グループのジンギスカンもいた。
          • そのグループの歌「ジンギスカン」も有名。
        • モンゴルの皇帝ことハーンは現代での呼び方で、当時はカンだったらしい。
    • フビライハンの好物エビフライ。
    • 日本攻撃の結果、征服はできなかったものの鎌倉幕府を弱体化させ、日本を混乱に陥れることに成功。
    • 全てはヨシツネの怨念が鎌倉への恨みを果たすべくモンゴル人を操った為らしい・・・
  5. ヨシツネが大陸に渡りヤブサメを伝える。
    • ヨシツネは平安時代やぞ。
      • 鎌倉時代の始まりは1185年という説もあります。もしくは1183年という説もあります。ヨシツネの没年は1189年なので、その説に従えばぎりぎり鎌倉時代に間に合います。まあ、もっとも活躍した時期の大半は平安末期でしたけど、ここはあまり固く考えずに。
  6. 「鎌」と「倉」が大流行する。
  7. 「いざ鎌倉」が当時の流行語大賞に。武士の間で一大ムーブメントを巻き起こした。
    • 終わりごろは「いざなまくら」。
      • 更に末期には「いざキャバクラ」。
        • 北海道、大阪と高知だけじゃね?
  8. 頼家の実子を名乗る謎の人物公暁が現れる。将軍職就任を狙っているという噂が流れる。
  9. 北条泰時、反対派に説得され式目原案の条文から執権公選制を削除。
  10. 功績のあった歌人100名に送られる小倉賞が実施された。審査員代表は冷泉流家元・藤原定家氏。作品集はベストセラーとなるも、定家氏独自の世界観による授賞に一部の読者からは「どこがいいのか分からない」との声も。
    • ひょっとして、JR小倉駅の周りを100人で1周した話のことかな?
      • それは「おぐら」ではなく「こくら」。
  11. 百人もいるのに首が一つしかない物の怪(もののけ)が、マッドサイエンティストのテイカ・フジワラによって作られる。フランケンシュタインの元祖?
  12. ゴダイゴがデビュー。正中の変・元弘の乱・メンバーの大麻使用などにより島流しにされる。その後、正成、尊氏、義貞らとともに活動再開。代表作「モンキー・マジック」「ポートピア」「ガンダーラ」
    • メンバーには狐っぽい宣教師もいたから、キリスト教がすでに伝来していたものと思われる。
  13. 盆栽を燃やすパフォーマンスが注目を集める。
    • なお創始者の佐野源左衛門はその斬新さを称えられ領地を得る。
  14. 西岸良平「鎌倉ものがたり」連載開始。
  15. 仏教系の新興宗教多数勃興。
    • 「ナムアミダブツ」「ナムミョーホーレンゲキョー」など。特に後者の総帥「ニチレン」はよく幕府に逮捕された。
    • 「イッペン」率いるストリートダンサー集団「ジシュー」が注目をあびた。爺(じじい)衆ではない。爺臭でもない。自習?
    • 「リンザイ」「ソートー」という座禅集団も。
  16. 鎌倉の大仏完成。
    • ついでに奈良の大仏も再建された。
    • 政治は雪の中に掘った穴の中で行われた。また、大仏には雪で作った大仏殿があったが、氷河期が終わった現代では仏像のみが現存している。
  17. ヨシツネのいとこのナベツネが壇ノ浦の戦いから命からがら逃げてきて武蔵の国で言売売新聞のオーナーになる。
  18. 地球は温暖化していなかったので人々は雪で作った家で暮らしていた。
  19. お釈迦様(釈尊)が法華経などで予言されたとおりに、久遠元初の御本仏・日蓮大聖人様が御出現あそばされた。
    • 平安時代から鎌倉時代にかけてが、末法時代の始まりの時期である。
  20. 北条氏が鎌倉幕府を買収。
  21. 壇ノ浦を追われた平家の一族は黄泉(きいずみと読む)の国に移住。これがいわゆる民族大移動である。
    • その数があまりにも多かったので黄泉の国が混乱し、黄泉の領主閻魔犬王が部下の兵隊を引き連れて鎌倉に侵攻。でもそのときに手違いがおきて大変なことになる。
  22. 8代執権北条時宗は空中元彌チョップを駆使して元寇を撃退した。
  23. エネルギーは「源氏力発電」…(デーブ・スペクターさんの説)
  24. 鎌クーラー時代。
  25. 鳩サブレーが作られる。
  26. 日蓮が大予言をする。
    • 皇紀2660年、天カラ恐怖ノ大魔王ガ降ッテ來ルデアロウ。

鎌倉幕府の将軍

源頼朝

  1. 弟二人、従弟とその息子など、身内を沢山殺して天下をとった人。
    • ちょっとでも油断をすると、他の者を担がれて追い落とされてしまいかねないという状況だったので、やむを得ざるところもある。
    • そうは言っても、義経はともかく範頼まで殺したのはなあ……
      • 義経に比べれば小粒とはいえ、平家討伐の勲功2番手の功労者で、十分頼朝に取って代わるだけのポテンシャルを持っていたからしょうがない。
        • 義経が官位をもらっている時に範頼は頼朝の真意を理解して断っているから、ある意味義経以上に危険な存在と思っていたのかも。
          • 範頼の子供たちは助命されてるのが、せめてもの救い。
          • それ、官位もらってももらわなくても警戒されるってことじゃねぇか…
    • 源氏は内ゲバが常態だからしょうがない。まともに枕の上で死ねた人は殆どいないし。
      • 武士としては正しい姿と言える。
        • 内ゲバの戦死とか、暗殺じゃあなぁ・・・。
    • 結局、人に蹴落とされることはなかったが、馬に落とされた…
    • 娘の婚約者の扱いでやらかして、首を取った当事者に責任押し付けた件だけは擁護不能。この時の頼朝は家族思いの父親でもなければ冷徹な政治家でもない。ただの情けないおっさんである。
  2. 関東育ちの奥さんは一夫一婦制を主張。多妻多夫が常識の京都で育った頼朝はその概念も理解できず、夫婦の価値観の相違が深刻なものに。
  3. 死亡前後の記事が、どういうわけか公式記録「東鑑」からすっぽり抜け落ちている。大騒ぎで誰も記録をつけていなかったのか、何か外聞をはばかるヤバいことがあって抹消されたのか……
    • 不名誉な死に方だったんで名将の恥を残してはいかんと家康が削除したとも。
    • 馬で川を渡ってたら、落馬して死んだとか(その時のケガが元になって帰路で没とも)。まあ公式記録が無いので、あくまで一説ではあるが。
      • 相模川の下流が馬入川と呼ばれるのは、この話を元にしてるとか。
        • 晩年の頼朝は朝廷に接近しようとしたので暗殺された、とも。後に武士の要望を代表する北条家が政権を握る。
  4. 死因で一番メジャーな説は壇ノ浦の戦いで戦死した後、「ぷれいや」なる異次元の者からの布施により復活した平家の亡霊、平景清(悪七兵衛景清)により草薙の剣で切り殺されたというものである。
    • わらってよりとも。
  5. 後年、天下人になったHIDEYOSHIが頼朝の墓を訪れ、その際親近感を持つ旨の発言をしている(頼朝は捕囚から、秀吉は足軽からテンパ人になったから)。
  6. 武家の棟梁でありながら、戦はド下手。なんと言う矛盾…。
    • 別に珍しいことじゃない。ライバル勢力の平宗盛もそんな感じだし。
    • トップとしては戦より政治がうまい方が大事、って義経を見てると思う。
  7. 弟がやたら美化されているせいで創作では悪役にされがちのかわいそうな人。
  8. 後年は義父の時政までがビビるほどの厳しさだったらしい。

源頼家

  1. 妻の実家である比企氏を引き立て、北條氏を排除しようとしたため、修禅寺に押し込められて殺された。
    • ……と言われているが、実際は逆。頼家の傅人(めのと)であった比企氏が、北條氏に取って代わろうとして頼家を担いだが、北條氏に逆襲されて亡ぼされた。頼家は比企氏の象徴として消されたのでした。
      • 嫁姑の争いを仲裁できず、姑の一族に嫁と嫁との間の子供を殺され、最終的には自分も消された。
    • 独裁的だったとも言われるけど、17歳で家督を継いで、22歳で死んでるわけですからねえ……どの程度の独裁ができたことやら。
      • とある二つの寺が領地争いをしその裁定を頼家に求めたところ、「そんなの知るか」と言って、両寺の中間に線を引いて「これで満足しろ」といって追い払ったとかw

源実朝

  1. 頼家の弟。
    • 実朝の傅人は北條氏だったので、比企氏との権勢争いに勝った北條氏により将軍位につけられたわけ。
  2. 同族争いがいやになって外国へ逃げ出そうと大船を造るが、失敗。
    • 原因は大きすぎて進水できなかったから。
  3. やっぱり同族に殺された。
    • 下手人は頼家の息子の公暁。親父を殺させたのは実朝だと誰かに吹き込まれたらしい。
    • その「誰か」は北條義時だろうと思われていたが、最近では三浦義村説が有力。公暁の傅人は三浦氏だったので、公暁を担いで北條氏を追い落とそうとしたと思われる。
    • しかし公暁が北條義時を殺りそこねたので、三浦義村は口封じに公暁を殺害。かくて源氏嫡流の血は絶えた。
    • 本人は半ばそうなることを予想していた。
  4. 詩人としてはかなりのものだった。
    • 百人一首にも採用されている。
    • 甲斐善光寺にある、かなり写実的な実朝の木像を見ると、如何にもクラスに一人はいそうな、地味でややオタク臭い少年ぽい顔をしている。
    • 自選の和歌集がある。
  5. 政治家としても実は有能。
    • 頼家の御家人の合議制だったが、彼は死ぬまで政務を執っている。朝廷よりの政治をしたと言われるが幕府自体が危うくなるような要求は、拒否している。ただ、彼の朝廷と幕府の平和共存の道を探るという政治理念は、次第に自らの力を自覚し更に勢力を伸ばそうとする鎌倉武士団とぶつかることになってしまった。

藤原頼経

  1. 頼朝の妹のひまご。
  2. 最初のうち北條氏の傀儡だったが、反対勢力に担がれそうになったので京都に追い返される。
  3. この人以降の将軍は影が薄い気がする。執権の方が重要な存在になるし。
  4. 征夷大将軍は源氏しかなれない、と言っている人たちはこの人から守邦親王までの摂関将軍、皇族将軍を失念している可能性が高い。
    • まあ、一応この人にも源氏の血は流れてますけどね。
    • 貴族から将軍に「下る」のは良いけど、武家から将軍に「上る」には源氏じゃないとダメってことだろう。まあ実際は関係ないんだろうけど。平氏系の信長とかいるし。
  5. 幼名は三寅

藤原頼嗣

  1. 頼経の息子。
  2. 8歳で将軍位に就くが、17歳の時に謀反に連坐したとして京都に追い返される。

宗尊親王

  1. 後嵯峨天皇の皇子。母親の身分が低く、あまり出世しそうになかったので、鎌倉将軍にという話が来た時ホイホイと引き受けた。
  2. 将軍になってもすることがないので、歌会ばかり開いていた。
    • しかしだんだん、不満分子の集まる会になってしまった。
    • 危機感を持った北條氏により、京都に追い返される……ってまたかよ!

源惟康

  1. 宗尊親王の息子。3歳で将軍位に就く。
    • 将軍位に就くと共に臣籍降下し、「源」姓を受ける。
  2. 別に謀反にも関わらず、不満分子を集めたりもしなかったが、京都に追い返される。もう何がなんだか。
    • 追い返されてから親王宣下を受け、「惟康親王」となる。

久明親王

  1. 後深草天皇の皇子。何もエピソードを残さず、京都に追い返される。
  2. 調べても本当に何もない。冗談抜きで何もない。キング・オブ・何もない
    • 持明院統から将軍が選ばれた事で持明院統=武家寄り⇒北朝という布石になったはずだし、もし将軍が大覚寺統やそれ以外から選ばれていたらということを考えると、歴史的に影響のある将軍就任(もちろん本人は何もしていないが)と思われるが。

守邦親王

  1. 久明親王の息子。8歳で将軍位に就く。
  2. もちろん何も実権は無かったが、鎌倉が新田義貞の攻撃で陥落すると律儀に出家し、間もなく死去。一応幕府のトップとしてのけじめをつけた形。

鎌倉幕府の執権

  1. 教科書からもわかるとおり、全体的に優秀な人が多かった。
    • ただし代が変わる毎に小粒になっていく感が否めない。
    • 30代で亡くなった人が多い。自刃した高時、戦死した守時を含めると半分は40以下で亡くなっている。

北條時政

  1. 娘が流人と駆け落ちしたばかりに天下の執権に成り上がった幸運な人。
    • 学者の間でも優秀だったとする人と、実はあまり大した事してないと突っ込む人がいたりと差が激しい。
    • 策士なのは間違いないだろうが、最期は策士策に溺れすぎな感じがする。
  2. 年取ってからめとった若い後妻との間に生まれた娘の婿を将軍にしようとして、息子(義時)や娘(政子)からひんしゅくを買い、無理矢理隠居させられた。

北條義時

  1. 北條家の支配を確立した人。父・時政生前も、実際に動いたのは義時だったようだ。
    • そのせいで腹黒な陰謀家なイメージが付きまとう。
    • 『吾妻鏡』には案外名前が出てこない。たまに一覧で名前が出てても後世の挿入の疑いが強く、実際には何をやってたかよくわからない。
    • 義時自身も陰謀を練る事あっただろうが、アクの強い父と姉に挟まれて、彼らに振り回されているうちに、いつの間にか幕府のトップに踊りでてしまっただけのような気もする。
  2. 実朝が暗殺された時、同行することになっていたが、気分が悪いと言って人に代わって貰い、危ういところで一緒に殺されるのを免れた。
    • 本当に気分が悪かったのか、何か察していたのかは微妙なところ。
  3. 得宗と号した。この後、北條氏の中でも義時の家系を「得宗家」と呼んだ。
  4. 姫の前という美貌の女房に恋をして悶々としたことがある。お前は男子中学生か!
    • この時義時29歳、息子の泰時は9歳。いい年して何やってるんだか・・・。
      • 姫の前は気位が高い女性で、義時は全く相手にされなかったらしい。
    • 頼朝の命令でなんとか結婚。良かったね、と言いたいところだが、権力を使って恋を成就してもらうのはどうなんだろう、男として。
    • 残念ながら、その後の比企能員の変の関係(姫の前の実家が比企)で別れざるを得なかったらしい。
  5. 承久の乱がらみとはいえ、皇族や公家でもないのに圧力をかけて当時の天皇を皇位から引きずり下ろした上に元天皇を厳罰に処し、承久の乱で京方へ与した公家を処刑した確かな記録のある唯一の一般人。

北條泰時

  1. 御成敗式目を発布。
    • 書いてあることはわりと普通。その当時の常識を成文化しただけだったようだが、大事なことかもしれない。日本国憲法もかくありたい。
      • 都の貴族と違って東国武士は教養がないので、そういう連中に分かるような法律を作った。
    • 本人は、ただ道理と先例に基づいて決めた、と言っている。そのシンプルさと妥当さがこの法令の価値を高めたと言える。
      • ただし近年の研究では、「幕府の都合に合わせた」道理や先例を選んで成文化したとする説が有力。
  2. 承久の乱では総大将として出陣、見事勝利を収める。
  3. その後、父・義時、伯母・政子、有力な補佐役・大江広元など、助言してくれそうな人々が相次いで死んでしまい、けっこうびびったと思われる。
    • 義時の弟・義房を補佐役に任命し、なんとか事無きを得る。
      • 義房じゃなくて時房だね。そしてこの時房から連署の役職がスタート。
  4. 後世の評判がとても良い。承久の乱で天皇と戦ったのに天皇よりの人達からも評価される。
    • 敵方についた上皇達をほぼ全員流罪にした結果。
    • それと後鳥羽院が反面教師扱いなので。北畠親房ですら「徳がないとこうなるぞ」という見本で挙げているぐらい。
  5. 幕府の場所を2回も引っ越した。
    • 頼朝が開いたのは大蔵幕府(現在の雪ノ下3丁目、清泉小学校付近)
    • 1回目の引越先は宇津宮辻子幕府(現在の宇都宮稲荷神社の北、妙隆寺付近)
    • 2回目の引越先(増改築という説もあり)は若宮大路幕府(宇津宮辻子幕府の北から鶴岡八幡宮の南まで)

北條経時

  1. 泰時の孫。
  2. 18歳の若さで執権になったので、北條一族の内部でもゴタゴタし、外部はそれに輪を掛けて動揺し、心労のあまり4年で死亡。
  3. どんな事をやったのか、パッと思いつかない。

北條時頼

  1. 経時の弟。
  2. 執権引退後に、諸国漫遊したという噂が流れる。水戸黄門の大先輩。
    • その途上、「鉢の木」の話が登場。
  3. 熱心な禅宗信者で鎌倉に道元を呼ぶ一方で、法華経を強く唱えていた日蓮を猛烈批判したらしい。

北條(極楽寺)長時

  1. 経時・時頼兄弟の父の従弟。
  2. 時頼が息子の時宗に執権職を譲るまでの中継ぎとして指名される。
    • 実権は時頼が握っていた。この頃から「得宗家」の専制が始まる。

北條政村

  1. 長時の伯父、経時・時頼兄弟の大叔父。
  2. 執権に就任した時にはすでに時頼が死んだ後だったので、自分の時代が来たと思って舞い上がっていたが、おりしも蒙古からの国書が届き、高齢だけにどうしてよいかわからず、執権職を投げ出してしまった。
    • でも執権就任前に就いていたナンバー2である連署にちゃっかり返り咲いている

北條時宗

  1. 元寇を迎えて真っ向勝負。
    • その為後世の人気も高いが、最近は偉かったのは側近の安達泰盛らで、時宗はそんなに重要な役割をしてないとする説もある。
    • 逆に、元寇を口実に独裁権を確立、得宗専制を実現したという見方もある。
  2. ほとんど元寇対策だけに追われ、弘安の役の3年後に34歳の若さで病没。
    • それが寿命を縮めたんだとおもう。
  3. 異母兄の時輔を内紛で攻め殺している。もっとも生きて逃げ延びたという説もある。
    • でも時輔が大陸に渡ってクビライ・ハーンに仕えた後、赤マフラーを巻いて帰国したという話はあくまで大河ドラマだけの話ですからね。真に受けないように。
  4. 最初の元寇を撃退した後、元寇の拠点である高麗を逆に攻める計画を立てていた。
    • 結局、半島に関わることを断念したのは好判断だったような……
      • のちに元が衰退してきた時期ではあるが、高麗は自力で元を追い払っているので、結果的には良かった。

北條貞時

  1. 父・時宗の死により12歳で執権となる。
  2. しばらくは、側近・平頼綱の言いなり。10年近く経ってようやく頼綱を誅殺して実権を取り戻した。
  3. 29歳で従弟の師時に執権職を譲るが、その後も実権を握り続けた。

北條師時

  1. 貞時に執権職を譲られたが、ずっと貞時に実権を握られ、奪回する前に死んでしまった影の薄い人。

北條(大仏)宗宣

  1. 義時の弟のひまご。
  2. 執権のそのまた執事とも言うべき「内管領」長崎高綱に実権を握られ、自分ではなんにもできないのに失望して、執権職を放り出して出家。間もなく死亡。

北條煕時

  1. 政村のひまご。
  2. やっぱり長崎高綱のせいでなんにもできなかった。
    • 執権になる前は、嘉元の乱で叛乱を起こした北條宗方らを亡ぼすなど、なかなか活躍していたのだが……

北條(極楽寺)基時

  1. 長崎高綱とその子・高資が勝手し放題。
    • いやけがさしたらしく、1年ほどで辞任、出家。
    • それでも鎌倉陥落時には高時と一緒に自害してけじめをつけた。

北條高時

  1. 「最後の執権」と勘違いする人が多いが誤り。「最後の得宗家当主」である。
  2. 田楽好きで、天狗にたぶらかされる。
  3. 暗愚な執権という評価が大体固まっているが、本当はどうだったのかよくわからない。
    • 長崎父子に好き勝手やらせていたという点だけでも、名君とは言えまい。ただし、人としてバカだったかどうかは不明。
      • ただし、長崎高資は当時調整型の政治家が多い幕閣の中で、積極的に政策を展開しようとした点を評価しようとする動きもある。
    • ともあれ、鎌倉陥落後の自害の作法は見事なものだったらしい。
    • 馬鹿ではないが、病弱で無気力な厭世家、というのが一番合ってる気がする。
    • 二条河原の落書に「犬田楽は関東の滅ぶところ」と書かれたぐらいだから、当時すでにダメな行状として知れ渡っていたのは間違いない。病弱かつ長崎に実権取られてそれぐらいしかやることがなかったとしても。
  4. 歴史オタ、大河ドラマオタは、北條高時というと反射的に片岡鶴太郎の顔を思い浮かべる。

北條(金沢)貞顕

  1. 高時が出家してしまったあと、侃々諤々の末、とりあえずの中継ぎとして執権に就任。
  2. しかし反対派も多く、暗殺計画も耳に入ったりして針のムシロのようだったので、早々に引退、出家。
    • 在任期間十日という、日本史上でもまれに見るレベルのお飾り内閣。それで事が済んでしまう辺り、この頃の執権職って・・・と思ってしまう。

北條(赤橋)守時

  1. 最後の執権。足利尊氏の義兄でもある。
  2. そのため、尊氏が後醍醐天皇側に寝返って六波羅探題を亡ぼすと立場が悪くなり、謹慎させられる。
  3. 汚名返上のため、鎌倉に襲来した新田義貞軍と力戦し、戦死。
  4. 日テレでやってた「まんが日本史」では存在がスルーされてる。
  5. 甥の足利義詮が鎌倉を脱出できたのは守時の手引という見方もあり、愚直な武将のイメージが強い。

関連項目

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