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==静岡の出身者==
==首相==
[[wikipedia:ja:静岡県出身の人物一覧|静岡県出身の人物一覧を参照]]
*新規追加は就任順にお願いします。
#プロサッカー選手は数百人を超える。
*昭和20年(1945年)以降に亡くなった人物のみにしてください。
#*全国一。
<!--===高橋是清===
#*そしてそのそれぞれに「あいつは俺が育てたんだ」という自称指導者がいる。カズともなると自称指導者は100人では収まらない
#2015年時点で161歳。
#*その自称指導者のせいでプロチームが選手スカウトを諦めるケース多数。(もっとも有名なのは小野伸二)
#おそらく今でも大蔵大臣・財務大臣を続けていた。
#*クラスメートがJリーガーと親戚ってのも珍しくない。同窓なんてのはもっと居る。英語教師が清東で武田修宏と同窓だったとよく語ってた。
#池田内閣で蔵相を務めていたのは田中角栄ではなく高橋だった。
#*男子の幼馴染の親がジュビロの中山選手の親友的な存在だった。
#*高橋が高度経済成長の立役者と言われていた。
#**友人がゴンの親戚
#*おそらく角栄が首相に就任することはなかった。
#*代表選手スタッフの会話で静岡弁が飛び交ってるらしい。
#リーマンショックの被害を史実より小規模に抑えていたかも?
#岡本夏生の知り合いと称する中年男性がやたらと多い。
#宮沢喜一と麻生太郎が「平成の高橋是清」呼ばれることはなかった。-->
#*彼女が静岡に1件しかなかったディスコ、「キング・アンド・クイーン」毎日出入りしていた為である。
#**田舎とはこういうものである。
#こばちょふ(なんとっっ!Tと松尾★衛の隠し子)
#*↑よくわかんない。何やってる人?(県外在住静岡県人)
#長澤まさみ信者多数。
#*身近だからこそ悪い話も結構聞くので、それは人それぞれかと。
#*彼女は静岡市清水区山原(やんばら)出身だそうである。確かに山原には「長澤」or「長沢」という名字の世帯が非常に多い。
#*親はジュビロの監督。
#*磐田じゃないのか。
#*ジュビロ磐田というチーム名なんだから、どっちでも正解。
#*いや、磐田市出身ということじゃない?
#*そうそう、清水じゃなくて磐田出身じゃないの?って言いたかった。
#伊豆の国市出身の女優・岩田さゆりの楽曲「First Love」の作詞・作曲はいずれも静岡県出身。
#*作詞は浜松市出身の上原あずみ、作曲は島田市出身の小澤正澄が担当。後に、上原あずみがセルフカバー。静岡県民及びビーイングでは伝説の話となっている。


==中部==
===広田弘毅===
===静岡市===
#「東京裁判で処刑された悲劇の文官」と呼ばれることはなかった。
*吉岡聖恵(いきものがかり)神奈川県厚木市育ち
#妻の自殺もなかったはず。
====葵区====
#落日燃ゆが出版されることもなかった。
*酒井美紀(女優)
*三浦知良(キング・カズ。サッカー選手)
*しりあがり寿(漫画家)
*潮丸元康(大相撲)
*増田恵子(ピンク・レディー)
*MIE→未唯(ピンク・レディー/生まれは山梨県)
*ピエール瀧(電気GROOVE)
*星野一義(元レーシングドライバー)
*高木虎之介(元F1レーシングドライバー)
*森理世(2007ミスユニバース)
*美保純


====駿河区====
===近衛文麿===
*石野卓球(電気GROOVE・元AV男優)
#下記の東条英機と同じく日本の首相経験者として最も長生きした人物となっていた。
*徳重聡(俳優・静岡市立高校)
#もしかしたら鳩山一郎の代わりに首相に就任してたかも
*岡本夏生(女優・元レースクイーン)
#孫の総理就任を喜んだ。
*大石大二郎(元近鉄バファローズ内野手にして元オリックス・バファローズ監督)
#*2014年の[[東京]]都知事選も孫を応援していた。
#勿論、服毒自殺などしておらず、東京裁判でも処刑されていない。
#孫の陶芸作品を大量購入していた。


====清水区====
===東条英機===
*石川亜沙美(モデル・女優)
#[[日本]]の首相経験者として最も長生きした人物となっていた(史実では東久邇宮稔彦王の102歳)。
*長利正弘(宝くじ評論家&アドバイザー)(飯田小・清水六中・東海一高)
#*史実では1884年生まれ。2015年時点で131歳。
*加藤たか子(女優・元Lip's)
#*それどころか、世界一の長寿としてギネスに載っていた。
*久保田利伸(歌手):旧蒲原町
#**流石にここまでのご高齢ではTV番組の生出演は厳しいが、戦後70年ということでインタビューや取材を多く受けていただろう。
*さくらももこ(漫画家)(入江小・清水西高・英和短大)
#自殺未遂の際に付けた傷を生涯ネタにしていた。
*柴田恭兵(俳優)
#勿論、東京裁判では死刑になっていない。
*柴田英嗣(お笑い・アンタッチャブル)
#*一定期間公職追放を受けた後、政界に復帰した。
*清水の次郎長(侠客)
#全国にMOTTAINAIの精神を広め、日本のゴミ排出量は史実よりかなり減っていた。
*春風亭昇太(落語家・笑点メンバー)(清水六中・東海一高)
#孫娘の東條由布子氏が出しゃばることはなかった。
*バカボン鬼塚(DJ・ナレーター・シンガーソングライター)
#やはり[[アメリカ]]は大嫌いだ。
*長谷川健太(清水エスパルスの監督・ちなみにさくらももこと同級生)
#近衛文麿の孫「細川護熙」や岸信介の孫「安倍晋三」とはあまり仲が良くなかった。
*広瀬アリス&すず姉妹(女優)(高部小学校・清水第六中学校)
#*近衛は太平洋戦争開戦を決定付けた人物、岸は史実の東條内閣を内部崩壊させた人物。
#*ただし、安倍に関しては共通の思想から意気投合する可能性はある。
#岩手に地盤を置く政治家として、鈴木善幸をライバル視していた。
#[[東北新幹線]]を[[盛岡駅|盛岡]]まで引っ張ってきたのは東條英機。
#東條は岩手で英雄視されていた。逆に米内光政は黒歴史。
#同郷の小沢一郎を痛烈に批判していた。
#[[ベタなネットウヨクの法則|こういう人たち]]から崇拝される。だが東条本人はネット右翼をあまり快く思わないだろう。
#同じ[[東北]]出身の軍人として、田母神俊雄を後輩としてかわいがっていた。
#[[防衛大学校]]の校長に就任していた。
#自叙伝「太平洋戦争回顧録」を出版し、印税収入で大儲けしていた。
#太平洋戦争関連のドラマに本人役として出演していた。
#*[[TBS]]のドラマでビートたけしが東条英機を演じることはなかった。
#[[BSフジ]]か[[チャンネル桜]]で自身の冠番組が放送されていた。
#自身の主張を[[産経新聞]]に執筆していた。
#[[岩手]]県知事に就任していた。
#河野談話や村山談話を痛烈に批判していた。
#民主党政権を痛烈に批判していた。
#小泉純一郎を対米従属として批判していた。
#クリーン政治家の代表として、田中角栄・竹下登・金丸信の金権政治を批判していた。
#憲法9条はすでに廃止されていた。
#領土問題(竹島・尖閣諸島・北方領土)はとっくに解決していた。
#皇室を侮辱する奴は許さない。
#「東条政経塾」という政経塾を開設していた。
#核武装を唱えていた。
#「海軍善玉論の嘘」という本を出版し、陸軍は悪くないと主張した。
#*この本のなかで山本五十六と米内光政を痛烈に批判していた。
#田母神俊雄や石原慎太郎と定期的に議論していた。
#TPPに断固反対していた。
#安倍首相の戦後70年談話を好意的に評価していた。
#最近の嫌韓ブームに警鐘を鳴らしていた。
#保守派論客として有名になっていた。
#[[社会民主党|社民党]]や[[日本共産党]]は破防法によって解体させられていた。
#はだしのゲンの皇室や戦前日本を侮辱する表現は強制的に修正。
#*最悪、絶版になっていたかも。
#[[週刊少年ジャンプファン/作品別#魁!!男塾ファン|男塾]]と[[北斗の拳ファン|北斗の拳]]を愛読していた。
#*漫画オタクとして麻生太郎と仲良くなっていた。


====不明====
===幣原喜重郎===
*栗林みな実(歌手・声優・{{極小|それとおっぱい}})一応葵区出身だそう。
#サンフランシスコ講和条約の発効により日本が独立を果たすと[[三菱グループ|三菱系企業]]の株を買い占めた。
#*幣原の妻・雅子は三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の四女であるため。
#*勿論三菱系企業の株を買い占めた後はその株を妻の実家・岩崎家の人々に譲渡or安く売り渡していた。
#大甥の古在由秀が東京天文台長に就任したことを喜んでいた。
#*古在の母・澄江は幣原の兄・坦の次女。
#*史実では古在が東京天文台長に就任したのが1981年。もし幣原がこの当時生きていたら109歳。泉重千代並みに長生きしていたら存命の可能性もある。
#*ただ東京天文台が名古屋大学空電研究所や文部省緯度観測所との統合により1988年に国立天文台が発足、この時古在は初代国立天文台長に就任したが、もし幣原がこの時まで生きていたら116歳になっていた。ここまでいくと存命の可能性は低い。
#*ましてや古在が文化功労者に選ばれた2009年まで生きていたら幣原は137歳になっている。もしこの時まで存命だったら世界一の長寿としてギネス世界記録(旧・ギネスブック)に登録されることになる。
#義姉の曾孫・木内孝胤の衆議院議員選挙初当選を喜んでいた。
#*木内の曾祖母・磯路は弥太郎の次女なので幣原の妻・雅子の異母姉にあたる。
#*だが木内の総選挙初当選は古在が文化功労者に選ばれた年である2009年。もしこの時まで(ry
#憲法関連のインタビューを受けていた。


===焼津市===
===吉田茂===
*すほうれいこ(元タレント)
#1970年の大阪万博の開会式に来賓として招待された。
*鎌倉千秋(NHKアナウンサー)
#1972年の沖縄返還を非常に喜んだ。
*南條愛乃(声優 fripSideボーカル)
#1968年の「明治百年」の式典に出席した。
*青木詩織(アイドル SKE48)
#孫の首相就任を喜んでいた。
#*ところが漢字の読み間違いが多い様子を見ると情けなくも思えてきた。
#孫による代理戦争には苦笑い。
#*政敵の孫「鳩山由紀夫」を目障りに思っていた。


===藤枝市===
===芦田均===
*後藤夏織(元レースクイーン)
#娘婿の大甥・小沢健二がフリッパーズ・ギターとしてデビューしたことをを喜んでいた。
*中山雅史(サッカー選手):旧岡部町
#*芦田の長女・ミヨはオザケンの大叔父・下河辺三史に嫁いだ。オザケンの母方の祖父・下河辺孫一は三史の兄。
*長谷部誠(サッカー選手 日本代表 ヴォルフスブルク)
#*もしフリッパーズ・ギターのデビュー時に芦田が存命なら102歳になっていた。なおオザケンのソロデビュー時に芦田が存命なら106歳になっていた。
#*フリッパーズ及びオザケンが[[渋谷系ファン|渋谷系]]を代表するアーティストということで渋谷系アーティストの後見人的存在となった。


===島田市===
===鳩山一郎===
*岸本加世子(女優)
#由紀夫の首相就任を後悔していた。
*別所哲也(ハムの人・俳優)
#*邦夫のほうがマシだと思っていた。
*後藤正文(Vo ASIAN KUNG-FU GENERATION)
*河村崇大(ジュビロ磐田→レンタル→川崎フロンターレ)
*成岡翔(ジュビロ磐田)
*小澤正澄(作曲家、元PAMELAH)


===川根町===
===石橋湛山===
*田村勤(元阪神→オリックス)
#東洋経済新報社は史実より大きな会社になっていた。
#母校の[[早稲田大学]]で定期的に講演を開いていた。


==遠江==
===岸信介===
*中部に入る地域を除く
#孫の首相就任を喜んでいた。
===浜松市===
#*辞任の際は悲しんだ。
*保坂尚輝(俳優・僧侶)
#**再登板後は再び喜んだ。
**↑静岡市葵区出身
#[[山口]]を代表する政治家として、山陽新幹線の厚狭駅を開業させていた。
*筧利夫(俳優)
#55年体制の崩壊はなかった…かも
*袴田吉彦(俳優)
#保守派の論客として国内外への影響力が史実より相当強くなっていた。
*大澄賢也(俳優・ダンサー)
#*小泉純一郎政権の誕生もなかった。
*宅八郎(おたく評論家・自称アイドル・カリスマホスト)
#*2009年に民主党政権が誕生することはおそらくなかった。
*斎木しげる(シティーボーイズ)
#現在も自主憲法制定を主張し続けている。
*上原あずみ(歌手)
#ネット右翼には相当批判的だった。
*鈴木光司(「リング」作者)
#*ネット右翼からは史実よりかなり叩かれていた。
*片山さつき(刺客候補)
#孫の第2次政権にはどちらかと言えば批判的だった気がする。
**↑出身はさいたまだったような気がするが・・・
#*特に2015年頃以降の経済政策に対しては批判的に評価していた。
*本田宗一郎(本田技研創始者)
#*孫がリベラルな方へ旋回したのにも強く苦言を呈していた。
*青島達也(フジテレビ)
*松本志のぶ(日本テレビ)
*鈴木尚典(元横浜ベイスターズ)
*武田修宏(元・ヴェルディ川崎(旧))
**ここは(元・ジュビロ磐田)とやったほうが静岡県っぽくて良い希ガス。
*くまきりあさ美(崖っぷちアイドル・プロ雀士・[[横浜DeNAベイスターズ]]那須野と❤️。)
*鈴木砂羽
*水野良樹(いきものがかり)神奈川県海老名市育ち
*鈴木重子(ジャズシンガー)
*佐藤由加理(SDN48)
*小林沙苗 (声優)
*知念侑李 (Hey! Say! JUMP)
*百田夏菜子 (ももいろクローバーZ)


===磐田市===
===池田勇人===
*長澤まさみ(女優:お父さんは元Jubiloの監督/元日本代表)
#[[広島]]を代表する政治家として、[[山陽新幹線]]の新尾道駅と東広島駅を開業させていた。
*鈴木平(元ヤクルト→オリックス)
*AKIRA(EXILE)
*野久保直樹(俳優/タレント…最近は「羞恥心」での活動が盛ん)
*深川麻衣(元乃木坂46)


===袋井市===
===佐藤栄作===
*柳澤伯夫(厚生労働大臣)
#上記の岸の場合と同様、安倍晋三の首相就任を喜んでいた。
*鳥居信平(台湾で地下ダムを建設した水利技師)
#*佐藤にとって安倍は大甥にあたる。
*鳥居鉄也(南極越冬隊長を2回勤めた。鳥居信平の息子。)
#非核三原則の密約がバレて、ノーベル平和賞を剥奪されていた。
#*ノーベル賞剥奪はさすがに前例がないのでそこまではならないのでは。
#現実以上に佐藤B作と混同されやすかったかも。


===掛川市===
===田中角栄===
*石川嘉延(元静岡県知事)
#ロッキード事件の裁判では最高裁でも有罪となった。
*伊東四郎(コメディアン。但し生まれは東京)
#*仮に地裁、高裁判決が変わらずに、実刑判決が出たとしても、丸紅の檜山廣と同様に、その時点で77歳と高齢であり、執行停止になり収監されることはないだろう。
*鈴木トオル(歌手、元LOOKのボーカル;デビュー曲はシャイニオン~君が哀しい)
#*ほとぼりが覚めた時点で自民党に復帰する。
#1994年に村山内閣で娘の田中真紀子の初入閣を喜んだ。
#真紀子の暴走を止めることができ、秘書給与の問題で議員辞職することはなかった。
#真紀子は自民党に残ったままだった。
#[[北越急行]]を「北越新幹線」にしてしまい、犀潟以南金沢・大阪まで直通させている。[[北陸新幹線]]は長野どまりとなるが、直江津連絡の特急「みのり」が運行していた。
#なんとなく、2015年現在の安倍晋三政権には批判的なような気がする。
#現実において2016年現在起きている「田中角栄ブーム」はあったのだろうか…。
#[[上越新幹線]]にもグランクラスが連結されていた。
#*実際、2019年3月から導入された。
#小泉純一郎政権の構造改革を痛烈に批判していた。
#民主党政権にも非常に批判的だった。
#彼の物真似をする吉本芸人の島田一の介と対面したかも。


===湖西市===
===三木武夫===
*豊田佐吉(トヨタグループ創始者)
#リクルート事件で揺れる自民党内部を嘆いていた。
#愛弟子の海部俊樹の首相就任を喜んだ。
#*ただ竹下派によって担がれたため「竹下派の傀儡政権にならないか?」と心配していた(史実の海部内閣は竹下派の傀儡政権だった)。
#*海部が竹下派に引きずられないように海部同様三木の弟子でありながら三木直系であり竹下派とは対立関係にあった鯨岡兵輔と坂本三十次をお目付け役として海部内閣の官房長官に送り込んだ。
#**史実では山下徳夫と森山眞弓が務めた第1次海部内閣の官房長官を鯨岡が務めた。第2次海部内閣の官房長官が坂本なのは史実通り。


===菊川市===
===福田赳夫===
*小山ゆう(漫画家、「おーい竜馬」「あずみ」等)
#息子の首相就任を心から喜んだ。
*みうな(元カントリー娘。)
#*だが辞任の際は情けなく思っていた。
#ライバルの娘である田中真紀子を目障りに思っていた。


===御前崎市===
===大平正芳===
*長島清幸(初の背番号0を付けた選手。広島→中日→阪神→ロッテ)
#初の衆参同日選挙で当時の主流派・反主流派が協力できず、[[自由民主党|自民党]]は両院で大敗していた。
#*大平氏は責任を取ってその時点で辞任している。
#*ひょっとしたら[[社会民主党|社会党]]中心の非自民連立内閣が誕生していた。
#**しかし[[日本共産党|共産党]]は連立には参加しない。
#***議席数次第では共産党と社会党左派(社会主義協会)が手を結び、政局の火種になるかも。その場合社会党は分裂の可能性もあろう。
#**おそらく飛鳥田一雄首相になっていたはず。
#**その後1983年の総選挙で社会党は惨敗し自民党が政権復帰、中曽根内閣に交代した。
#*自民党政権が続いていても、後の鈴木、中曽根内閣は厳しい政権運営を強いられていたかもしれない。
#**中曽根内閣はともかく、鈴木善幸内閣は誕生しなかった。恐らく宮澤喜一首相が史実より11年早く誕生した。
#*そもそも自民党が2つに分裂し、政界再編が史実よりずっと早く起こっていた。
#**だが主流派はともかく、反主流派が1枚岩になるのはイデオロギー上難しかった。
#***福田派と中川グループは真正保守(タカ派)なのに対し三木派はリベラル(ハト派)なので。
#****右派政権が誕生するか左派政権が誕生するかは三木新党にかかっていたかもしれない。
#****三木新党は新自由クラブを吸収していた。
#**その場合[[もしバブルがなかったら|バブル景気は起こらなかったかもしれない]]。
#1988年以降も生きていた場合、[[瀬戸大橋]]の開通を心から喜んでいた。
#*もちろん開通式にも呼ばれていた。
#『タイムパトロール隊オタスケマン』のED「アーウー・オジャママン」も最終回までそのままだった。


===森町===
===鈴木善幸===
*森の石松(侠客)
#東北新幹線[[青森の駅#新青森駅の噂|新青森駅]]開業を大いに喜んでいた。
*松井冬子(日本画家)
#三陸を代表する政治家として「あまちゃん」にゲスト出演していた。
*中村真一郎(小説家。評論家)
#中曽根康弘とならび「昭和の首相で令和まで健在だった人物」になっていた。


==東部==
===竹下登===
===沼津市===
#テレビで孫のDAIGOと共演していた。
*岩崎恭子(水泳):第五中
#*2015年8月の24時間テレビで、日本武道館に来るのか?
*小野伸二(サッカー):今沢中
#*TBSテレビ「ひるおび!」で、共演かもしれない。(竹下は「政治関連のゲストコメンテーター」で、DAIGOは'''実史'''通りの出演。)
*室伏広治(ハンマー投げ)←育ちは愛知県豊田市
#*DAIGO以前に影木栄貴との共演も見られた。
*千野志麻(フリーアナウンサー)
#DAIGOと北川景子の結婚を心から喜んでいただろう。
*田嶋陽子(学者・元国会議員)
*土居まさる(故人・元ラジオアナウンサー、テレビ司会者)
*羽田実加(女優・雷波少年系鉄棒少女):第五中?
*山崎プロ(プロスノーボーダー)
*山本昌邦(元U-19代表・ジュビロ監督)
*町村信孝(前外務大臣。選挙区は北海道五区)
*本因坊道策(現在に至るまで称えられる、江戸時代の囲碁の名人)
*磯村勇斗(俳優)


===三島市===
===宇野宗佑===
*高原直泰(サッカー)
#[[滋賀]]を代表する政治家として、[[東海道新幹線]]南びわ湖駅の開業を成功させていた。
*北川えり(アイドル)
#ドナルド・トランプが大統領に就任した時に彼と自分自身をカードゲーム(Playing cardsとUNO)に例えてお祝いのコメントを述べていたに違いない。
**彼女は長泉ですよ。日大三島卒なだけです。
*冨士眞奈美(女優):今は長泉の駿河平在住?
*渡辺和洋(フジテレビアナウンサー)


===富士市===
===宮沢喜一===
*いかりや長介(故人・生誕は東京都[[東京/墨田区|墨田区]]
#ハト派の重鎮として、日本の右傾化を憂いていた。
*諸星和己(元光GENJI)
#自身が首相のときに河野談話が発表されたことを後悔していた。
*川口能活(サッカー選手)
#[[福山市]]を代表する政治家として「崖の上のポニョ」にゲスト出演していた。
*赤星貴文(サッカー選手):元浦和レッズ
*佐野瑞樹(フジテレビアナウンサー)
*土屋昌巳(音楽プロデューサー)
*山崎憲晴(横浜ベイスターズ)
*土屋健二(北海道日本ハムファイターズ):吉原三中→横浜高→日ハム
*菊地正法(元中日ドラゴンズ):富士宮東高出身
*高良光莉(タレント)
*渡部陽一(戦場カメラマン)
*若月佑美(乃木坂46)


===富士宮市===
===橋本龍太郎===
*小熊美香(NTVアナウンサー)
#自身の経済政策の失敗を悔やんでいた。
*里見浩太朗(俳優)(静岡県立富士宮北高等学校)
#2012年の自民党政権復帰時に安倍の代わりに再登板していた。
*澤登正朗(元エスパルス)
#*で、経世会政治の復活。報復として清和会の連中を抵抗勢力として失脚させていった。
*佐野量子(元アイドル、現武豊夫人)(静岡県立富士宮北高等学校:但し1年の1学期まで)
*清水香織(元アイドル、佐々木主浩前夫人)(市立富士宮四中→県立富士宮東高校)
*秋吉久美子(女優)
*渡辺梓(女優)
*高野進(陸上)
*山本勘助(武士)
*山田貴洋(ASIAN KUN-FU GENERATION Ba&Vo担当)
*佐野瑞樹(俳優、ジャニーズ事務所所属)


===御殿場市===
===小渕恵三===
*勝俣州和(タレント・元CHA-CHA)
#森喜朗が総理大臣になることはなかった。
*芹沢信雄(プロゴルファー)
#*娘の小渕優子が衆議院議員に立候補することもなかった。
**だったら芹沢名人(たけし軍団・↑の兄)も入れてあげてください。
#**未だにTBSでADをやっている?
*永井真理子(歌手)
#***プロデューサーあたりに昇進していたかも。
*関谷正徳(レーサー)
#**2014年9月3日に発足した第2次安倍改造内閣で、誰が経済産業大臣になったのだろうか?
*トータルテンボス(お笑い芸人)
#**父が高齢になり政界引退すれば立候補もありえるだろう。
#***多分中曽根家が強く立候補を主張し、小渕家は恵三氏を最後に政界から退いていたかも。
#*[[北陸新幹線]]の建設が現実よりも遅れていたかも。
#小泉内閣の発足は2~3年ほど遅れていた。
#*よって、2007年現在も小泉政権が続いている。
#*小泉内閣誕生後も経世会は小渕を中心にして求心力を維持したので、抵抗勢力がより手強くなっていた。
#**上とは矛盾するが、郵政民営化法案が否決されるどころか提出さえ行えず、早期に退陣している可能性も。
#***その場合、造反組が離党して[[国民新党]]や[[日本の政党#新党日本|新党日本]]が結成されることはなくなる。
#***逆に小泉氏が[[自由民主党|自民党]]を離党して新党を旗揚げしているかも。
#****みんなの党や日本維新の会(のちの維新の党)の結党はなかった。橋下徹は小泉新党から出馬していた。
#***2007年7月の参議院選挙で、自民党があれ程大敗しなかった。
#**むしろ2006年9月の「郵政解散」が無く、現状の衆議院の自民党の議席が今ほど無かった。
#*おそらく2003年頃まで総理を務め、任期満了で退陣し、小泉に後を引き継いでいた。
#2000円札の登場を見届けていた。
#*もちろん沖縄サミットにも出席していた。
#**そうなれば、2008年7月に行われる北海道洞爺湖サミットのアドバイザーになっていた。
#**または、日本国内で行われたサミットを唯一経験した首相として(洞爺湖)サミット担当大臣に就任していたかも。
#**沖縄県民からたくさん祝福された。
#2008年9月に行われる自民党総裁選挙で誰を支持したか?
#小渕氏は亡くなったために「いい人」扱いされているが、存命なら「凡人」扱いのまま。
#*その後の総理が森だったので比較として良く見られている面もあるので、その後が小渕より人気のある人物だった場合、なおのこと「どうでもよい人」扱い。
#2008年以降、DAIGOと一緒にバラエティに出演してたりしてWISH!
#格差・貧困問題は社会問題になるほど大きくはならなかった。
#*派遣村が作られることはなかった。
#**2009年時点では小泉内閣が続いており、史実通りの政権交代もなかった。
#2019年現在も長生きしていたら、菅義偉が「令和おじさん」となった時に現実以上に「平成おじさん」としての彼(小渕氏)が引き合いに出された。
#*改元前後あたりに菅氏との対談も見られたかも。
#*2018年から19年4月の間には、平成の30年間を振り返る企画のテレビ番組にも「平成おじさん」として出演していた。


===長泉町===
==国会議員==
*小野晋吾(サンデー晋吾@千葉ロッテ)
===浅沼稲次郎===
#自民党と社民党の二党政治になっていた。
#岸信介と対立していた。
#*だが議場の外では大の仲良しだった。
#総理大臣に就任していたかも。
#*社会党内の改革を進め、江田三郎を持ち上げていたかも
#**その場合佐々木更三は社会党の委員長になれず、社会主義協会も史実より早く衰退していた。
#**江田の社会党離党・社会市民連合結成もなかった。
#日本人初のピュリッツアー賞受賞者は、沢田教一だった。(史実では、この時の様子を撮影した、長尾靖[毎日新聞社カメラマン]が第一号である。)
#「子供に刃物を持たせない運動」はなかった。
#*流石に「キレる17歳」が社会問題になる頃にはその運動は活発化していたのではなかろうか。


===清水町===
;関連項目
*佐藤悠基(陸上長距離、箱根駅伝1区区間記録保持者)
*[[もし山口二矢が自殺しなかったら]]
*石川雄洋(横浜ベイスターズ)


==伊豆==
===安倍寛===
===熱海市===
戦中に反戦を訴え、翼賛選挙に大政翼賛会の非推薦で当選した安倍寛。戦後も長生きしていたら。
*島田晴香(アイドル AKB48)
#1957年に総理大臣に就任していた。
*早見優(熱海生まれハワイ育ち)
#*史実通り岸信介が総理に就任した場合、第二次岸内閣で官房長官、第二次岸改造内閣で防衛庁長官を務めていた(史実では赤城宗徳)。
*本多小百合(中京テレビ アナウンサー)
#晋太郎氏の結婚を大いに喜んでいた。
*前田亘輝(熱海生まれ神奈川育ち)
#*孫を溺愛していた。
*三國連太郎(俳優)
#*溺愛する一方で、安倍家の跡取りとして厳しく接していた。
**松崎じゃないの?因みに今は沼津の大瀬在住。
#*岸信介同様、孫の晋三氏に多大なる影響を与えていた。
*和田一夫(ヤオハン社長)
#**晋三氏の政治姿勢がややハト派寄りになっていたか?
*大野雄二(作曲家)
#[[もし総理大臣があの人物だったら#安倍晋太郎|晋太郎氏は生前に総理大臣に就任していた。]]
*高橋三千丈(野球)
#*晋三氏は唯一の親子三代の総理大臣になった。
#晋太郎氏の三男・信夫氏を岸家の養子に出す事に反対していた。
#*信夫氏の名付け親になり、信夫氏は史実とは違う名前になっていた。


===伊豆市===
===安倍晋太郎===
*研ナオコ(旧天城湯ケ島町)
#リクルート事件のほとぼりが冷めた頃、[[もし総理大臣があの人物だったら#安倍晋太郎|総理大臣に就任している。]]
*市毛良枝(旧修善寺町)
#*あるいは河野洋平の後を受けて[[自由民主党|自民党]]総裁にのみ就任。村山内閣をバックアップしている。
*ガダルカナル・タカ(旧修善寺町)
#**1996年の総選挙で晴れて総理大臣になっていた。橋本龍太郎は総理になれなかったかもしれない。
*つまみ枝豆(旧修善寺町)
#*1993年の第40回衆院選(嘘つき解散)にて宮澤喜一に代わり自民党総裁に。[[公明党]]と連立を組み史実より6年早く自公連立政権が誕生し、第79代内閣総理大臣に就任する。
*鈴木康博(旧修善寺町/元オフコース)
#**自公連立は安倍(岸)家が[[公明党]]の支持母体である[[創価学会]]と親密であったため実現した。
*斎藤恒芳(旧修善寺町/クライズラー&カンパニー)
#**浜田幸一(ハマコー)が悲願の初入閣を果たしている。
*長谷優里奈(旧名・落合祐里香、旧修善寺町/声優・アイドル)
#***安倍は生前、浜田に「俺が総理大臣にならない限り、お前は一生大臣にはなれない。」と冗談交じりに話していた。
#***しかし、案の上浜田は失言等数々の問題を起こし早々に辞任。
#2007年現在の次男坊の姿を見て、情けなく感じているかもしれない。
#*個人的にはまだ総理になってないような気がする。次男が総裁選に出馬したのは「チャンスをものに出来なかった父の姿を間近で見ていたから」らしいので。
#*辞任に伴い「もういい!俺がなる!息子のケツは俺が拭く!」と言いだす。
#*彼が健在だった場合、次男坊はすでに亡くなっているような気がします。
#**それは●したってこと?
#2012年12月末に発足した、第2次安倍内閣をどう思ったか?
#*表向きには厳しく評価するも、裏ではしっかりアドバイスはしてあげていたと思います。
#*おそらくこの時点で初めて晋三氏が首相になる。
#*晋三氏が歴代最長の在任期間を更新した時にはお祝いのコメントを寄せた。
#晋三氏は、父子二代、それも父親が存命中に就任した唯一の総理大臣になった。
#そもそも息子の晋三氏が内閣総理大臣に就任したかが正直疑問だったりする。
#*自身が内閣総理大臣を経験してるのは確実視されてるだけに。
#**史実では息子の晋三が制定し施行させた特定秘密保護法や安全保障法制を晋太郎氏自身が首相として制定させ施行させていた。


===伊豆の国市===
===新井将敬===
*穂積隆信(旧大仁町)
もし自殺しなかったら。
*岩田さゆり(モデル・歌手)
#1998年2月に証券スキャンダルで収賄罪で逮捕される。
*北条政子(尼将軍)
#*本人は当然無罪を主張するが、最高裁まで争うものの結局有罪が確定する。
#*この間、選挙区の東京4区からは無所属で出るしかなかった。
#**自民党公認候補は史実通り森田健作。
#ほとぼりが冷めた2012年の総選挙で日本維新の会から立候補したかもしれない。
#*あるいは、2012年12月or2014年2月の東京都知事選(前者は上記の第46回衆議院総選挙と同じ日に実施)に立候補していた。


===伊東市===
===荒船清十郎===
*志茂田景樹(派手な作家)
#運輸大臣時代に選挙区の深谷駅を急行列車停車駅にしたように、上越新幹線建設時に深谷駅を新幹線停車駅にした。
#*「我田引鉄」とバッシングされたのはいうまでもない。
#山口敏夫や枝野幸男といった他の埼玉県選出の大物政治家の存在感が史実より薄くなっていた。


===下田市===
===石井紘基===
*浦辺粂子(女優・故人)
2002年10月に刺殺され死亡しました。もし、この時刺殺されなかったら。
*鈴木みそ(漫画家)
#2009年の民主党政権で入閣していた。
*鈴木由美子(漫画家)
#参議院議員だった小宮山洋子が石井の後を継いで補選で当選し、衆議院に鞍替えしたが、参議院議員を続けるか、他の選挙区から衆議院選に立候補する。
#2012年の総選挙でも当選した場合、選挙後の民主党代表選に立候補する。
#民主党政権での事業仕分けを蓮舫とともにその中心となっていた。


===函南町===
===江崎真澄===
*日目上人(日蓮正宗第三祖)
#流石に史実と同じ1993年に政界を引退していただろう。政界引退時既に78歳だったので(その年齢以上議員を続けていたら「老害」といわれていた筈)。
*日道上人(日蓮正宗第4世)
#8つの派閥を渡り歩いた政治家ということで、2つの派閥を渡り歩いた乃木坂46のメンバー・鈴木絢音とバラエティ番組で共演する。
*内田篤人(サッカー:ゲルゼンキルヘン・シャルケ04所属:日本代表)
#*江崎は広川派→緒方派→砂田グループ→岸派→藤山派→水田派→田中派→二階堂グループに所属(所属政党は日本自由党→民主自由党→自由党→自由民主党)。鈴木は生駒派→真夏軍団に所属。


===西伊豆町===
===大麻唯男===
*森和夫(東洋水産創業者)
#旧立憲民政党右派の大物政治家として自ら率いる派閥の大麻派を大派閥にしていた。
*遠藤一馬(ミュージシャン、元SIAM SHADE)
#*勿論大麻派が岸派に吸収合併されることなどない(史実では大麻の死後大麻派は岸派に吸収合併された)。
#*戦前の民政党は三菱財閥と密接な関係にあったため、戦後派の政治家では三菱系企業OBの政治家や岩崎家と血縁・姻戚関係を持つ政治家が大麻派入りしていた。
#**岩崎弥太郎の玄孫にあたる木内孝胤(史実では民主党→日本未来の党→生活の党→維新の党)も大麻派の流れを汲む派閥に属する自民党の政治家として政界入りした。
#もし泉重千代並みに長生きしていたら自分の子分の息子である小泉純一郎の首相就任を喜んでいた。
#*小泉純一郎の父・純也は大麻の子分だったため。純也は戦前は民政党に所属、戦後は改進党→日本民主党を経て自民党大麻派に所属。史実では大麻の死後純也は岸派→藤山派に所属。
#*ちなみに第1次小泉内閣発足時大麻が生きていたら112歳。ここまで生きていた可能性は低いが泉重千代の没年よりは8歳若い。


[[Category:出身有名人一覧|しすおか]]
===緒方竹虎===
[[Category:静岡|しゆつしんゆうめいしん]]
#第一回目の自民党総裁選に出馬し、自民党初代総裁に選出され、総理大臣に就任していた。
#*国民皆保険・皆年金の確立や、日米安保条約の改定に尽力していた。
#*中野正剛氏も1956年の時点で健在だった場合、中野が官房長官に就任していた。
#**文部大臣として前田多門、農林大臣として河野一郎、国務大臣として石井光次郎の各氏が入閣し、緒方氏、前田氏、河野氏、石井氏、前述の中野氏が朝日新聞社の社員だったことから、朝日内閣と呼ばれた。
#吉田茂元首相の葬儀で弔辞を読んでいた。
 
===五島慶太===
#西武の堤康次郎氏も健在だったら、伊豆と箱根山において、激しい縄張り争いを繰り広げていた。
#*伊豆急行の開通式に立ち会っていた。
#東映が東急グループを離脱することはなかった。
#*大川博はどこかの段階で経営から追われていた。
#*五島昇も比較的早期に経営の表舞台を退いた。
#*岡田茂が後継者になっていた。
#20世紀末以降の東急グループの経営縮小もなかった。
#フライヤーズは売却されていない。
#*電鉄所有に戻ってる可能性も高い。
#**もしそうなっていた場合は西武ライオンズ発足以降は西武との試合が新たな伝統の一戦になっている。
 
===小林一三===
#東宝の会長を務めていた。
#阪急が新大阪駅周辺の開発に加わり、新大阪線を開業させていたかもしれない。
#1967年でも健在だったら、阪急ブレーブスの初優勝を見届けていた。
#阪急ブレーブスがオリエント・リースに売却されることはなかった。
#*近鉄バファローズを吸収合併することもなかった。
#*球界拡張がない限り、東北楽天ゴールデンイーグルスは誕生しなかった。
#*西宮球場から神戸への移転もなかった。
#**移転するとしても京都(西京極)あたりかも。
#自由民主党から政界に復帰している。
#阪神との経営統合もなさそう。
 
===笹川良一===
#自由民主党から衆議院議員選挙に立候補…と行きたいところだが、1996年以降だと老齢が故に厳しいと思われる。
#小泉純一郎政権とその構造改革には批判的だったと思われる。
#民主党政権が誕生した時はガチでショックを受けていた。
#*というか2009年の衆議院議員選挙で民主党が勝てたとも限らない。
#横山ノックの大阪府政は静観していただろう。
#*但し、横山ノックの強制わいせつ事件には失望していた。
#大阪自民党の腐敗にはマジギレしていた。一方で大阪維新の会にもどちらかと言えば批判的だったと思われる。
#国際勝共連合の名誉会長を現在も続けている。
#森友学園問題と崔順実ゲート事件はなかったかも知れない。
#*その場合は韓国の文在寅政権の発足はなく、日韓関係が冷え込むことはなかった。
#*自由韓国党が未来統合党になることはなかった。
#*森友学園はそもそも存在しないかも。
#*2018年の南北首脳会談はなかった。
#*アメリカのトランプ政権も北朝鮮と対話の糸口を探ることもなかったかも知れない。
#*安倍政権も北朝鮮には依然として強硬な姿勢を貫き続けてただろう。
#第2次安倍晋三政権にはどちらかといえば批判的だったと思われる。
#*特に左巻きの社会がありきの経済政策には相当苦言を呈していた。
#特定秘密保護法や安全保障法制の推進派として音頭を取っていた。
#*テロ等準備罪の推進派にもなっていた。
#*テロ等準備罪は共謀罪として制定し施行すべきと訴えていた。
#2020年現在も憲法改正を訴え続けている。
#2004年の球界再編問題には深く言及していた。
#*特に近鉄の身売りについて持論を展開していた。
#2025年の大阪万博開催決定には喜んでいた。
#次男の笹川陽平が日本財団の会長を務めるのは史実と同じ。
#*自身は日本財団の名誉会長になるか顧問を務めている。
#長男の笹川堯は自民党総裁選に出馬していたかもしれない。
#*自由民主党総裁に当選した場合は長男の笹川堯は内閣総理大臣に就任していた。
#**長男が首相になった場合、郵政三事業や道路公団、営団地下鉄の民営化は白紙になっていた。
#**長男の笹川堯が郵政民営化に賛成することはなかった。
#**国民新党も誕生しなかった。
#昨今のメディアの腐敗体質を痛烈に批判しているだろう。
 
===沢たまき===
#現在も国会議員だった場合、公明党の党首になってたかも。
#*いまごろ(2009年6月)は、次期衆議院選のことで躍起になっていただろう。
#ひょっとしたら、国会議員を引退して女優に復帰してたかも。
#*その場合、連続テレビ小説『つばさ』で玉木千代役を演じていた(史実では吉行和子)。
 
===田村秀昭===
#田母神俊雄の論文事件になんらかのコメントをしていただろう。
 
===辻政信===
#現在も国会議員だった場合間違いなく最高齢。
#史実では、岸批判の後に自民党を除名されて参議院議員になっているがおそらくほとぼりが冷めたのを見計らって再び衆議院議員になっていただろう。
#たびたび過激な発言をしてお茶の間をにぎわせていたかも
#何かの間違いで首相になっていたら国内外から批判されたかも
 
===堤康次郎===
#1964年に開催された東京オリンピックを観戦していた。
#彼の後押しがあって、1972年に西武鉄道が西鉄ライオンズを買収していたかもしれない。
#*西武ライオンズの初の優勝は1978年辺りになっていた。
#*鬼頭政一の監督就任はなかった。
#子供の堤清二と堤義明の対立はそれほど深くならなかった。
#*セゾングループも存在しなかったかも。
#**西武の鉄道と流通の分裂はなかった。
#堤清二が小説家としてデビューしていない可能性もある。
#堤義明が証券取引法に違反することはなかった。
#*プリンスホテルの経営縮小はなかった
#*史実の30000系は登場しなかった。
#**史実の40000系が30000系を名乗る、但し20000系ベースのデザイン。
#*001系は登場しなかった。
#西武グループが大洋球団に出資することはなかった。
 
===土井たか子===
#安保法案に反対していた。
#社民党がひどく衰退することはなかった。
 
===中川一郎===
#長男・昭一の政界転向はなかった。
#*仮にあったとしても、一郎氏の政界引退後。
#悲願の首相の座を手にしていた(政界の惑星で終わっていた可能性も否定できないが)。
 
===中川昭一===
#≒[[もしあの人が選挙で当選していたら#中川昭一(2009年衆議院)|もし中川昭一が2009年の総選挙で当選していたら]]である。
#今津寛の衆議院議員復帰はなかった。
#郁子夫人が自民党衆議院北海道11選挙区支部の支部長に就任することはなかった。
#*勿論夫に代わって議員になることもなかった。
#第二次安倍内閣で財務大臣に復帰。
#*麻生太郎は外務大臣にスライド、そして岸田文雄は入閣してなかった。
#**党幹事長か経産大臣だったかも。
#***2009年に落選していなければ、安倍さんではなく、中川さんが総裁→総理になっていた。
#*落選したが生存していたルートだった場合、2010年に町村氏が補選に出馬していた段階で繰上当選になっていた。
 
===浜田幸一===
#現在もビートたけしのTVタックルに出演。
#*2013年1000回突破&25年目突入3時間SPにも出演。
#2012年12月16日猪瀬直樹が東京都知事就任にメスを入れていた。
#↑の直後に発足した第2次安倍内閣にも何らかの提言・苦言を言ってたかも。
#都議会での女性議員に対する野次事件について何か一言言っていた。
#*ハマコーは「女性議員に対して野次らない」というのが信条だったため。
#「日本にカジノができたら行きますか?」と記者に聞かれる。
 
===松岡利勝===
#とりあえず、農水大臣の職は退いていた。
#*後任は史実通り、赤城徳彦。
#安倍内閣はもう少し長持ちしてたかも。
#*[[もしあの政治家の失言がなかったら|久間章生防衛大臣(当時)の「原爆投下しょうがない」発言もなかった]]。
#2009年の衆院選では出馬していなかったか、出馬しても落選していたと思われる。
#*いずれにせよ、政界は引退していただろう。
#代議士であり続けた場合は、阿蘇大津道路事業(中九州横断道路)が凍結されなかったかも。
#*熊本地震時には完成していないかもしれないが、ある程度は建設していたお陰で復旧ルート確保が多少早まる(現実のR57北側復旧ルートは阿蘇大津道路事業を踏襲している)
#*その代わり、R57現道の4車線化が遅延する。
 
===三塚博===
#派閥の後輩である安倍総理のご意見番的存在になっていた。
#2003年に引退していなければ、総選挙後に衆議院議長になっていた(史実は河野洋平)。
 
===宮本顕治===
#2020年2月現在まで存命の場合、世界長寿番付にランキングしている。大分前に引退されていたため、ご存命の場合でも共産党の運営に影響はほぼなかっただろうけど。
 
===山村新治郎(11代目)===
1970年のよど号ハイジャック事件で人質の身代わりとなって有名になったものの、1992年に帰省していた佐原市(現香取市)の自宅で精神疾患を患っていた次女に刺されて亡くなった議員ですが、もしこの事件がなかったか、あっても奇跡的に一命をとりとめたら?
#香取市から選出の議員が現在でも続いている。
#地元は今も市長選が荒れていた。
#2006年の香取市発足に関して、何らか関わっていた。
#*下手すると合併そのものが無かったか、違う形になっていたかも。
#遅くとも、2000年代に入る前後には政界を引退していただろう。
#史実で死亡の原因となった事件から生還できた場合、ドキュメント番組で取り上げられていた。
#『時事放談』に、最低1回はゲスト出演していた。
 
===渡辺美智雄===
#自民党総裁選に立候補し続ける。
#渡辺派の分裂もなかった。
#息子喜美の自民党離党を引き止めていた。
#*当然、2014年3月に発覚した某化粧品会社社長からの'''献金問題'''も無かった。
#**2014年12月の衆議院選で父の代からの議席を失うことも無かっただろう。
#1999年のサッチーミッチー騒動でコメントを求められた。
#*愛称が浅香光代と同じ「ミッチー」のため。
 
==知事・市町村長・地方議員==
===東龍太郎===
東京都知事
#革新都政を誕生させる原因を作ったことを悔やみ続けてるだろう。
#石原慎太郎の東京都知事就任はなかったかも。
#*その場合は猪瀬直樹が都知事になることもなかった。
#石原慎太郎が史実通り東京都知事になった場合は、厳しい評価もする反面、高く評価したりアドバイスをすることもあった。
#*猪瀬直樹に東京都知事が代わってもこれは続いた。
#2020年の東京オリンピックの開催には相当喜んでいた。
#郷里である大阪の地方行政にもコメントを求められ応じることも多かったほか、自発的にコメントすることも多かった。
#*橋下徹とも対談を行っていた。
#*黒田了一による革新府政を現在も批判し続けている。
#2020年現在は昨今の都政の迷走ぶりを嘆いている。
#*小池百合子による都政と都民ファーストの会にはかなり批判的だったと思われる。
#宇都宮健児とは公私ともにかなり折り合いが悪い。
 
===伊藤一長===
選挙期間中に暴漢から銃撃され四選を断たれてしまった伊藤一長長崎市長。伊藤市長がもし銃撃されていなかったら……
#もちろん長崎市長四選していた。
#*[[もしあの政治家の失言がなかったら|久間章生防衛大臣(当時)の原爆投下しょうがない発言もなかった]]。
#*横尾誠(伊藤の娘婿)が、伊藤の後継者として出馬することもなかった。
#*田上富久も(ry
#次期衆院選に出馬していた。
#*あるいは2010年の長崎県知事選挙に立候補していた。
#**仮に知事となっていた場合、宮崎県の東国原英夫知事と対立してたかも。
#**大仁田よりはマシだろ。
#**多分、国会議員になったら、2013年12月にあの悪法を強行成立させた某巨大与党ではなく、平和について真面目に考える政党に入るでしょうね。
#実史通り撃たれても生存していたら更に平和を訴えている
#*[[北朝鮮|某半島北部の極バカ国家]]がミサイル実験やるたびに広島市の秋葉市長と連名で抗議書送っただろう。
#助かって無事当選した所で、しばらく執務は困難だったと思われる。
#*上のコメントに同感。最悪の場合、任期満了を待たずに市長辞任→出直し市長選という展開になっていたかも。
#**辞任のタイミングによっては、第45回衆議院総選挙or2010年長崎県知事選とのダブル選挙になっていただろう。
 
===中馬馨===
#おそらく大阪市長を1972年以降も続けていた。
#*老齢を理由に1985年頃に下野していた。
#田中角栄政権以降に、革新派とは距離を置くようになっていた。これを境に保守派に擦り寄るようになっていた。
#*1975年の市長選では自民党の推薦を受けていた。
#大島靖の大阪市長就任が史実よりかなり遅れていた。
#*西尾正也の大阪市長就任はなかった。
#*磯村隆文の大阪市長就任もなかった。
#*大阪市の箱物行政が史実ほどエスカレートすることもなかった。
#平松邦夫の大阪市長就任もなかった。
#橋下徹の大阪市長就任もなかったと思われる。
#長男の中馬弘毅が自民党から衆議院議員になるのは史実と同じ。
 
===仲谷義明===
#≒もし[[もし1988年のオリンピック開催地がソウルでなく名古屋だったら|名古屋が1988年夏のオリンピック招致に成功していたら]]である。
#*仲谷が自殺した際に『名古屋オリンピック誘致失敗が自殺の原因になったのではないか』という推測があったため。
#大阪が2008年夏のオリンピック招致に失敗した際に、コメントを寄せていた。
#*東京の2016年夏期五輪招致失敗でも同様かも…。
#**東京が2020年夏のオリンピック開催地に決まった際には、心から喜んでいただろう。
#2005年の[[愛知万博]]実現を心から喜んでいただろう。
 
===松本清===
マツモトキヨシの創業者としてだけではなく、すぐやる課などのアイディアを駆使した名物市長として松戸を一躍発展させましたが、二期目半ばにして病気のため夭逝なされました。
もし病死することがなかったとしたらどうなっていたでしょうか?
 
#市長を二期務めた後自民党より国政に進出。晩年は総理の座にも座っていた。
#もしくは千葉県知事になり、名物知事として有名になっていた。
#*知事としての初仕事は「全市町村役場は<すぐやる課>設置せよ」。
#*(実史の森田健作知事が授与した)2013年5月末の長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督の千葉県民栄誉賞はどうなっただろうか?
 
[[カテゴリ:もしあの人が健在だったら|せいしか]]
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2021年3月28日 (日) 02:34時点における版

首相

  • 新規追加は就任順にお願いします。
  • 昭和20年(1945年)以降に亡くなった人物のみにしてください。

広田弘毅

  1. 「東京裁判で処刑された悲劇の文官」と呼ばれることはなかった。
  2. 妻の自殺もなかったはず。
  3. 落日燃ゆが出版されることもなかった。

近衛文麿

  1. 下記の東条英機と同じく日本の首相経験者として最も長生きした人物となっていた。
  2. もしかしたら鳩山一郎の代わりに首相に就任してたかも
  3. 孫の総理就任を喜んだ。
    • 2014年の東京都知事選も孫を応援していた。
  4. 勿論、服毒自殺などしておらず、東京裁判でも処刑されていない。
  5. 孫の陶芸作品を大量購入していた。

東条英機

  1. 日本の首相経験者として最も長生きした人物となっていた(史実では東久邇宮稔彦王の102歳)。
    • 史実では1884年生まれ。2015年時点で131歳。
    • それどころか、世界一の長寿としてギネスに載っていた。
      • 流石にここまでのご高齢ではTV番組の生出演は厳しいが、戦後70年ということでインタビューや取材を多く受けていただろう。
  2. 自殺未遂の際に付けた傷を生涯ネタにしていた。
  3. 勿論、東京裁判では死刑になっていない。
    • 一定期間公職追放を受けた後、政界に復帰した。
  4. 全国にMOTTAINAIの精神を広め、日本のゴミ排出量は史実よりかなり減っていた。
  5. 孫娘の東條由布子氏が出しゃばることはなかった。
  6. やはりアメリカは大嫌いだ。
  7. 近衛文麿の孫「細川護熙」や岸信介の孫「安倍晋三」とはあまり仲が良くなかった。
    • 近衛は太平洋戦争開戦を決定付けた人物、岸は史実の東條内閣を内部崩壊させた人物。
    • ただし、安倍に関しては共通の思想から意気投合する可能性はある。
  8. 岩手に地盤を置く政治家として、鈴木善幸をライバル視していた。
  9. 東北新幹線盛岡まで引っ張ってきたのは東條英機。
  10. 東條は岩手で英雄視されていた。逆に米内光政は黒歴史。
  11. 同郷の小沢一郎を痛烈に批判していた。
  12. こういう人たちから崇拝される。だが東条本人はネット右翼をあまり快く思わないだろう。
  13. 同じ東北出身の軍人として、田母神俊雄を後輩としてかわいがっていた。
  14. 防衛大学校の校長に就任していた。
  15. 自叙伝「太平洋戦争回顧録」を出版し、印税収入で大儲けしていた。
  16. 太平洋戦争関連のドラマに本人役として出演していた。
    • TBSのドラマでビートたけしが東条英機を演じることはなかった。
  17. BSフジチャンネル桜で自身の冠番組が放送されていた。
  18. 自身の主張を産経新聞に執筆していた。
  19. 岩手県知事に就任していた。
  20. 河野談話や村山談話を痛烈に批判していた。
  21. 民主党政権を痛烈に批判していた。
  22. 小泉純一郎を対米従属として批判していた。
  23. クリーン政治家の代表として、田中角栄・竹下登・金丸信の金権政治を批判していた。
  24. 憲法9条はすでに廃止されていた。
  25. 領土問題(竹島・尖閣諸島・北方領土)はとっくに解決していた。
  26. 皇室を侮辱する奴は許さない。
  27. 「東条政経塾」という政経塾を開設していた。
  28. 核武装を唱えていた。
  29. 「海軍善玉論の嘘」という本を出版し、陸軍は悪くないと主張した。
    • この本のなかで山本五十六と米内光政を痛烈に批判していた。
  30. 田母神俊雄や石原慎太郎と定期的に議論していた。
  31. TPPに断固反対していた。
  32. 安倍首相の戦後70年談話を好意的に評価していた。
  33. 最近の嫌韓ブームに警鐘を鳴らしていた。
  34. 保守派論客として有名になっていた。
  35. 社民党日本共産党は破防法によって解体させられていた。
  36. はだしのゲンの皇室や戦前日本を侮辱する表現は強制的に修正。
    • 最悪、絶版になっていたかも。
  37. 男塾北斗の拳を愛読していた。
    • 漫画オタクとして麻生太郎と仲良くなっていた。

幣原喜重郎

  1. サンフランシスコ講和条約の発効により日本が独立を果たすと三菱系企業の株を買い占めた。
    • 幣原の妻・雅子は三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の四女であるため。
    • 勿論三菱系企業の株を買い占めた後はその株を妻の実家・岩崎家の人々に譲渡or安く売り渡していた。
  2. 大甥の古在由秀が東京天文台長に就任したことを喜んでいた。
    • 古在の母・澄江は幣原の兄・坦の次女。
    • 史実では古在が東京天文台長に就任したのが1981年。もし幣原がこの当時生きていたら109歳。泉重千代並みに長生きしていたら存命の可能性もある。
    • ただ東京天文台が名古屋大学空電研究所や文部省緯度観測所との統合により1988年に国立天文台が発足、この時古在は初代国立天文台長に就任したが、もし幣原がこの時まで生きていたら116歳になっていた。ここまでいくと存命の可能性は低い。
    • ましてや古在が文化功労者に選ばれた2009年まで生きていたら幣原は137歳になっている。もしこの時まで存命だったら世界一の長寿としてギネス世界記録(旧・ギネスブック)に登録されることになる。
  3. 義姉の曾孫・木内孝胤の衆議院議員選挙初当選を喜んでいた。
    • 木内の曾祖母・磯路は弥太郎の次女なので幣原の妻・雅子の異母姉にあたる。
    • だが木内の総選挙初当選は古在が文化功労者に選ばれた年である2009年。もしこの時まで(ry
  4. 憲法関連のインタビューを受けていた。

吉田茂

  1. 1970年の大阪万博の開会式に来賓として招待された。
  2. 1972年の沖縄返還を非常に喜んだ。
  3. 1968年の「明治百年」の式典に出席した。
  4. 孫の首相就任を喜んでいた。
    • ところが漢字の読み間違いが多い様子を見ると情けなくも思えてきた。
  5. 孫による代理戦争には苦笑い。
    • 政敵の孫「鳩山由紀夫」を目障りに思っていた。

芦田均

  1. 娘婿の大甥・小沢健二がフリッパーズ・ギターとしてデビューしたことをを喜んでいた。
    • 芦田の長女・ミヨはオザケンの大叔父・下河辺三史に嫁いだ。オザケンの母方の祖父・下河辺孫一は三史の兄。
    • もしフリッパーズ・ギターのデビュー時に芦田が存命なら102歳になっていた。なおオザケンのソロデビュー時に芦田が存命なら106歳になっていた。
    • フリッパーズ及びオザケンが渋谷系を代表するアーティストということで渋谷系アーティストの後見人的存在となった。

鳩山一郎

  1. 由紀夫の首相就任を後悔していた。
    • 邦夫のほうがマシだと思っていた。

石橋湛山

  1. 東洋経済新報社は史実より大きな会社になっていた。
  2. 母校の早稲田大学で定期的に講演を開いていた。

岸信介

  1. 孫の首相就任を喜んでいた。
    • 辞任の際は悲しんだ。
      • 再登板後は再び喜んだ。
  2. 山口を代表する政治家として、山陽新幹線の厚狭駅を開業させていた。
  3. 55年体制の崩壊はなかった…かも
  4. 保守派の論客として国内外への影響力が史実より相当強くなっていた。
    • 小泉純一郎政権の誕生もなかった。
    • 2009年に民主党政権が誕生することはおそらくなかった。
  5. 現在も自主憲法制定を主張し続けている。
  6. ネット右翼には相当批判的だった。
    • ネット右翼からは史実よりかなり叩かれていた。
  7. 孫の第2次政権にはどちらかと言えば批判的だった気がする。
    • 特に2015年頃以降の経済政策に対しては批判的に評価していた。
    • 孫がリベラルな方へ旋回したのにも強く苦言を呈していた。

池田勇人

  1. 広島を代表する政治家として、山陽新幹線の新尾道駅と東広島駅を開業させていた。

佐藤栄作

  1. 上記の岸の場合と同様、安倍晋三の首相就任を喜んでいた。
    • 佐藤にとって安倍は大甥にあたる。
  2. 非核三原則の密約がバレて、ノーベル平和賞を剥奪されていた。
    • ノーベル賞剥奪はさすがに前例がないのでそこまではならないのでは。
  3. 現実以上に佐藤B作と混同されやすかったかも。

田中角栄

  1. ロッキード事件の裁判では最高裁でも有罪となった。
    • 仮に地裁、高裁判決が変わらずに、実刑判決が出たとしても、丸紅の檜山廣と同様に、その時点で77歳と高齢であり、執行停止になり収監されることはないだろう。
    • ほとぼりが覚めた時点で自民党に復帰する。
  2. 1994年に村山内閣で娘の田中真紀子の初入閣を喜んだ。
  3. 真紀子の暴走を止めることができ、秘書給与の問題で議員辞職することはなかった。
  4. 真紀子は自民党に残ったままだった。
  5. 北越急行を「北越新幹線」にしてしまい、犀潟以南金沢・大阪まで直通させている。北陸新幹線は長野どまりとなるが、直江津連絡の特急「みのり」が運行していた。
  6. なんとなく、2015年現在の安倍晋三政権には批判的なような気がする。
  7. 現実において2016年現在起きている「田中角栄ブーム」はあったのだろうか…。
  8. 上越新幹線にもグランクラスが連結されていた。
    • 実際、2019年3月から導入された。
  9. 小泉純一郎政権の構造改革を痛烈に批判していた。
  10. 民主党政権にも非常に批判的だった。
  11. 彼の物真似をする吉本芸人の島田一の介と対面したかも。

三木武夫

  1. リクルート事件で揺れる自民党内部を嘆いていた。
  2. 愛弟子の海部俊樹の首相就任を喜んだ。
    • ただ竹下派によって担がれたため「竹下派の傀儡政権にならないか?」と心配していた(史実の海部内閣は竹下派の傀儡政権だった)。
    • 海部が竹下派に引きずられないように海部同様三木の弟子でありながら三木直系であり竹下派とは対立関係にあった鯨岡兵輔と坂本三十次をお目付け役として海部内閣の官房長官に送り込んだ。
      • 史実では山下徳夫と森山眞弓が務めた第1次海部内閣の官房長官を鯨岡が務めた。第2次海部内閣の官房長官が坂本なのは史実通り。

福田赳夫

  1. 息子の首相就任を心から喜んだ。
    • だが辞任の際は情けなく思っていた。
  2. ライバルの娘である田中真紀子を目障りに思っていた。

大平正芳

  1. 初の衆参同日選挙で当時の主流派・反主流派が協力できず、自民党は両院で大敗していた。
    • 大平氏は責任を取ってその時点で辞任している。
    • ひょっとしたら社会党中心の非自民連立内閣が誕生していた。
      • しかし共産党は連立には参加しない。
        • 議席数次第では共産党と社会党左派(社会主義協会)が手を結び、政局の火種になるかも。その場合社会党は分裂の可能性もあろう。
      • おそらく飛鳥田一雄首相になっていたはず。
      • その後1983年の総選挙で社会党は惨敗し自民党が政権復帰、中曽根内閣に交代した。
    • 自民党政権が続いていても、後の鈴木、中曽根内閣は厳しい政権運営を強いられていたかもしれない。
      • 中曽根内閣はともかく、鈴木善幸内閣は誕生しなかった。恐らく宮澤喜一首相が史実より11年早く誕生した。
    • そもそも自民党が2つに分裂し、政界再編が史実よりずっと早く起こっていた。
      • だが主流派はともかく、反主流派が1枚岩になるのはイデオロギー上難しかった。
        • 福田派と中川グループは真正保守(タカ派)なのに対し三木派はリベラル(ハト派)なので。
          • 右派政権が誕生するか左派政権が誕生するかは三木新党にかかっていたかもしれない。
          • 三木新党は新自由クラブを吸収していた。
      • その場合バブル景気は起こらなかったかもしれない
  2. 1988年以降も生きていた場合、瀬戸大橋の開通を心から喜んでいた。
    • もちろん開通式にも呼ばれていた。
  3. 『タイムパトロール隊オタスケマン』のED「アーウー・オジャママン」も最終回までそのままだった。

鈴木善幸

  1. 東北新幹線新青森駅開業を大いに喜んでいた。
  2. 三陸を代表する政治家として「あまちゃん」にゲスト出演していた。
  3. 中曽根康弘とならび「昭和の首相で令和まで健在だった人物」になっていた。

竹下登

  1. テレビで孫のDAIGOと共演していた。
    • 2015年8月の24時間テレビで、日本武道館に来るのか?
    • TBSテレビ「ひるおび!」で、共演かもしれない。(竹下は「政治関連のゲストコメンテーター」で、DAIGOは実史通りの出演。)
    • DAIGO以前に影木栄貴との共演も見られた。
  2. DAIGOと北川景子の結婚を心から喜んでいただろう。

宇野宗佑

  1. 滋賀を代表する政治家として、東海道新幹線南びわ湖駅の開業を成功させていた。
  2. ドナルド・トランプが大統領に就任した時に彼と自分自身をカードゲーム(Playing cardsとUNO)に例えてお祝いのコメントを述べていたに違いない。

宮沢喜一

  1. ハト派の重鎮として、日本の右傾化を憂いていた。
  2. 自身が首相のときに河野談話が発表されたことを後悔していた。
  3. 福山市を代表する政治家として「崖の上のポニョ」にゲスト出演していた。

橋本龍太郎

  1. 自身の経済政策の失敗を悔やんでいた。
  2. 2012年の自民党政権復帰時に安倍の代わりに再登板していた。
    • で、経世会政治の復活。報復として清和会の連中を抵抗勢力として失脚させていった。

小渕恵三

  1. 森喜朗が総理大臣になることはなかった。
    • 娘の小渕優子が衆議院議員に立候補することもなかった。
      • 未だにTBSでADをやっている?
        • プロデューサーあたりに昇進していたかも。
      • 2014年9月3日に発足した第2次安倍改造内閣で、誰が経済産業大臣になったのだろうか?
      • 父が高齢になり政界引退すれば立候補もありえるだろう。
        • 多分中曽根家が強く立候補を主張し、小渕家は恵三氏を最後に政界から退いていたかも。
    • 北陸新幹線の建設が現実よりも遅れていたかも。
  2. 小泉内閣の発足は2~3年ほど遅れていた。
    • よって、2007年現在も小泉政権が続いている。
    • 小泉内閣誕生後も経世会は小渕を中心にして求心力を維持したので、抵抗勢力がより手強くなっていた。
      • 上とは矛盾するが、郵政民営化法案が否決されるどころか提出さえ行えず、早期に退陣している可能性も。
        • その場合、造反組が離党して国民新党新党日本が結成されることはなくなる。
        • 逆に小泉氏が自民党を離党して新党を旗揚げしているかも。
          • みんなの党や日本維新の会(のちの維新の党)の結党はなかった。橋下徹は小泉新党から出馬していた。
        • 2007年7月の参議院選挙で、自民党があれ程大敗しなかった。
      • むしろ2006年9月の「郵政解散」が無く、現状の衆議院の自民党の議席が今ほど無かった。
    • おそらく2003年頃まで総理を務め、任期満了で退陣し、小泉に後を引き継いでいた。
  3. 2000円札の登場を見届けていた。
    • もちろん沖縄サミットにも出席していた。
      • そうなれば、2008年7月に行われる北海道洞爺湖サミットのアドバイザーになっていた。
      • または、日本国内で行われたサミットを唯一経験した首相として(洞爺湖)サミット担当大臣に就任していたかも。
      • 沖縄県民からたくさん祝福された。
  4. 2008年9月に行われる自民党総裁選挙で誰を支持したか?
  5. 小渕氏は亡くなったために「いい人」扱いされているが、存命なら「凡人」扱いのまま。
    • その後の総理が森だったので比較として良く見られている面もあるので、その後が小渕より人気のある人物だった場合、なおのこと「どうでもよい人」扱い。
  6. 2008年以降、DAIGOと一緒にバラエティに出演してたりしてWISH!
  7. 格差・貧困問題は社会問題になるほど大きくはならなかった。
    • 派遣村が作られることはなかった。
      • 2009年時点では小泉内閣が続いており、史実通りの政権交代もなかった。
  8. 2019年現在も長生きしていたら、菅義偉が「令和おじさん」となった時に現実以上に「平成おじさん」としての彼(小渕氏)が引き合いに出された。
    • 改元前後あたりに菅氏との対談も見られたかも。
    • 2018年から19年4月の間には、平成の30年間を振り返る企画のテレビ番組にも「平成おじさん」として出演していた。

国会議員

浅沼稲次郎

  1. 自民党と社民党の二党政治になっていた。
  2. 岸信介と対立していた。
    • だが議場の外では大の仲良しだった。
  3. 総理大臣に就任していたかも。
    • 社会党内の改革を進め、江田三郎を持ち上げていたかも
      • その場合佐々木更三は社会党の委員長になれず、社会主義協会も史実より早く衰退していた。
      • 江田の社会党離党・社会市民連合結成もなかった。
  4. 日本人初のピュリッツアー賞受賞者は、沢田教一だった。(史実では、この時の様子を撮影した、長尾靖[毎日新聞社カメラマン]が第一号である。)
  5. 「子供に刃物を持たせない運動」はなかった。
    • 流石に「キレる17歳」が社会問題になる頃にはその運動は活発化していたのではなかろうか。
関連項目

安倍寛

戦中に反戦を訴え、翼賛選挙に大政翼賛会の非推薦で当選した安倍寛。戦後も長生きしていたら。

  1. 1957年に総理大臣に就任していた。
    • 史実通り岸信介が総理に就任した場合、第二次岸内閣で官房長官、第二次岸改造内閣で防衛庁長官を務めていた(史実では赤城宗徳)。
  2. 晋太郎氏の結婚を大いに喜んでいた。
    • 孫を溺愛していた。
    • 溺愛する一方で、安倍家の跡取りとして厳しく接していた。
    • 岸信介同様、孫の晋三氏に多大なる影響を与えていた。
      • 晋三氏の政治姿勢がややハト派寄りになっていたか?
  3. 晋太郎氏は生前に総理大臣に就任していた。
    • 晋三氏は唯一の親子三代の総理大臣になった。
  4. 晋太郎氏の三男・信夫氏を岸家の養子に出す事に反対していた。
    • 信夫氏の名付け親になり、信夫氏は史実とは違う名前になっていた。

安倍晋太郎

  1. リクルート事件のほとぼりが冷めた頃、総理大臣に就任している。
    • あるいは河野洋平の後を受けて自民党総裁にのみ就任。村山内閣をバックアップしている。
      • 1996年の総選挙で晴れて総理大臣になっていた。橋本龍太郎は総理になれなかったかもしれない。
    • 1993年の第40回衆院選(嘘つき解散)にて宮澤喜一に代わり自民党総裁に。公明党と連立を組み史実より6年早く自公連立政権が誕生し、第79代内閣総理大臣に就任する。
      • 自公連立は安倍(岸)家が公明党の支持母体である創価学会と親密であったため実現した。
      • 浜田幸一(ハマコー)が悲願の初入閣を果たしている。
        • 安倍は生前、浜田に「俺が総理大臣にならない限り、お前は一生大臣にはなれない。」と冗談交じりに話していた。
        • しかし、案の上浜田は失言等数々の問題を起こし早々に辞任。
  2. 2007年現在の次男坊の姿を見て、情けなく感じているかもしれない。
    • 個人的にはまだ総理になってないような気がする。次男が総裁選に出馬したのは「チャンスをものに出来なかった父の姿を間近で見ていたから」らしいので。
    • 辞任に伴い「もういい!俺がなる!息子のケツは俺が拭く!」と言いだす。
    • 彼が健在だった場合、次男坊はすでに亡くなっているような気がします。
      • それは●したってこと?
  3. 2012年12月末に発足した、第2次安倍内閣をどう思ったか?
    • 表向きには厳しく評価するも、裏ではしっかりアドバイスはしてあげていたと思います。
    • おそらくこの時点で初めて晋三氏が首相になる。
    • 晋三氏が歴代最長の在任期間を更新した時にはお祝いのコメントを寄せた。
  4. 晋三氏は、父子二代、それも父親が存命中に就任した唯一の総理大臣になった。
  5. そもそも息子の晋三氏が内閣総理大臣に就任したかが正直疑問だったりする。
    • 自身が内閣総理大臣を経験してるのは確実視されてるだけに。
      • 史実では息子の晋三が制定し施行させた特定秘密保護法や安全保障法制を晋太郎氏自身が首相として制定させ施行させていた。

新井将敬

もし自殺しなかったら。

  1. 1998年2月に証券スキャンダルで収賄罪で逮捕される。
    • 本人は当然無罪を主張するが、最高裁まで争うものの結局有罪が確定する。
    • この間、選挙区の東京4区からは無所属で出るしかなかった。
      • 自民党公認候補は史実通り森田健作。
  2. ほとぼりが冷めた2012年の総選挙で日本維新の会から立候補したかもしれない。
    • あるいは、2012年12月or2014年2月の東京都知事選(前者は上記の第46回衆議院総選挙と同じ日に実施)に立候補していた。

荒船清十郎

  1. 運輸大臣時代に選挙区の深谷駅を急行列車停車駅にしたように、上越新幹線建設時に深谷駅を新幹線停車駅にした。
    • 「我田引鉄」とバッシングされたのはいうまでもない。
  2. 山口敏夫や枝野幸男といった他の埼玉県選出の大物政治家の存在感が史実より薄くなっていた。

石井紘基

2002年10月に刺殺され死亡しました。もし、この時刺殺されなかったら。

  1. 2009年の民主党政権で入閣していた。
  2. 参議院議員だった小宮山洋子が石井の後を継いで補選で当選し、衆議院に鞍替えしたが、参議院議員を続けるか、他の選挙区から衆議院選に立候補する。
  3. 2012年の総選挙でも当選した場合、選挙後の民主党代表選に立候補する。
  4. 民主党政権での事業仕分けを蓮舫とともにその中心となっていた。

江崎真澄

  1. 流石に史実と同じ1993年に政界を引退していただろう。政界引退時既に78歳だったので(その年齢以上議員を続けていたら「老害」といわれていた筈)。
  2. 8つの派閥を渡り歩いた政治家ということで、2つの派閥を渡り歩いた乃木坂46のメンバー・鈴木絢音とバラエティ番組で共演する。
    • 江崎は広川派→緒方派→砂田グループ→岸派→藤山派→水田派→田中派→二階堂グループに所属(所属政党は日本自由党→民主自由党→自由党→自由民主党)。鈴木は生駒派→真夏軍団に所属。

大麻唯男

  1. 旧立憲民政党右派の大物政治家として自ら率いる派閥の大麻派を大派閥にしていた。
    • 勿論大麻派が岸派に吸収合併されることなどない(史実では大麻の死後大麻派は岸派に吸収合併された)。
    • 戦前の民政党は三菱財閥と密接な関係にあったため、戦後派の政治家では三菱系企業OBの政治家や岩崎家と血縁・姻戚関係を持つ政治家が大麻派入りしていた。
      • 岩崎弥太郎の玄孫にあたる木内孝胤(史実では民主党→日本未来の党→生活の党→維新の党)も大麻派の流れを汲む派閥に属する自民党の政治家として政界入りした。
  2. もし泉重千代並みに長生きしていたら自分の子分の息子である小泉純一郎の首相就任を喜んでいた。
    • 小泉純一郎の父・純也は大麻の子分だったため。純也は戦前は民政党に所属、戦後は改進党→日本民主党を経て自民党大麻派に所属。史実では大麻の死後純也は岸派→藤山派に所属。
    • ちなみに第1次小泉内閣発足時大麻が生きていたら112歳。ここまで生きていた可能性は低いが泉重千代の没年よりは8歳若い。

緒方竹虎

  1. 第一回目の自民党総裁選に出馬し、自民党初代総裁に選出され、総理大臣に就任していた。
    • 国民皆保険・皆年金の確立や、日米安保条約の改定に尽力していた。
    • 中野正剛氏も1956年の時点で健在だった場合、中野が官房長官に就任していた。
      • 文部大臣として前田多門、農林大臣として河野一郎、国務大臣として石井光次郎の各氏が入閣し、緒方氏、前田氏、河野氏、石井氏、前述の中野氏が朝日新聞社の社員だったことから、朝日内閣と呼ばれた。
  2. 吉田茂元首相の葬儀で弔辞を読んでいた。

五島慶太

  1. 西武の堤康次郎氏も健在だったら、伊豆と箱根山において、激しい縄張り争いを繰り広げていた。
    • 伊豆急行の開通式に立ち会っていた。
  2. 東映が東急グループを離脱することはなかった。
    • 大川博はどこかの段階で経営から追われていた。
    • 五島昇も比較的早期に経営の表舞台を退いた。
    • 岡田茂が後継者になっていた。
  3. 20世紀末以降の東急グループの経営縮小もなかった。
  4. フライヤーズは売却されていない。
    • 電鉄所有に戻ってる可能性も高い。
      • もしそうなっていた場合は西武ライオンズ発足以降は西武との試合が新たな伝統の一戦になっている。

小林一三

  1. 東宝の会長を務めていた。
  2. 阪急が新大阪駅周辺の開発に加わり、新大阪線を開業させていたかもしれない。
  3. 1967年でも健在だったら、阪急ブレーブスの初優勝を見届けていた。
  4. 阪急ブレーブスがオリエント・リースに売却されることはなかった。
    • 近鉄バファローズを吸収合併することもなかった。
    • 球界拡張がない限り、東北楽天ゴールデンイーグルスは誕生しなかった。
    • 西宮球場から神戸への移転もなかった。
      • 移転するとしても京都(西京極)あたりかも。
  5. 自由民主党から政界に復帰している。
  6. 阪神との経営統合もなさそう。

笹川良一

  1. 自由民主党から衆議院議員選挙に立候補…と行きたいところだが、1996年以降だと老齢が故に厳しいと思われる。
  2. 小泉純一郎政権とその構造改革には批判的だったと思われる。
  3. 民主党政権が誕生した時はガチでショックを受けていた。
    • というか2009年の衆議院議員選挙で民主党が勝てたとも限らない。
  4. 横山ノックの大阪府政は静観していただろう。
    • 但し、横山ノックの強制わいせつ事件には失望していた。
  5. 大阪自民党の腐敗にはマジギレしていた。一方で大阪維新の会にもどちらかと言えば批判的だったと思われる。
  6. 国際勝共連合の名誉会長を現在も続けている。
  7. 森友学園問題と崔順実ゲート事件はなかったかも知れない。
    • その場合は韓国の文在寅政権の発足はなく、日韓関係が冷え込むことはなかった。
    • 自由韓国党が未来統合党になることはなかった。
    • 森友学園はそもそも存在しないかも。
    • 2018年の南北首脳会談はなかった。
    • アメリカのトランプ政権も北朝鮮と対話の糸口を探ることもなかったかも知れない。
    • 安倍政権も北朝鮮には依然として強硬な姿勢を貫き続けてただろう。
  8. 第2次安倍晋三政権にはどちらかといえば批判的だったと思われる。
    • 特に左巻きの社会がありきの経済政策には相当苦言を呈していた。
  9. 特定秘密保護法や安全保障法制の推進派として音頭を取っていた。
    • テロ等準備罪の推進派にもなっていた。
    • テロ等準備罪は共謀罪として制定し施行すべきと訴えていた。
  10. 2020年現在も憲法改正を訴え続けている。
  11. 2004年の球界再編問題には深く言及していた。
    • 特に近鉄の身売りについて持論を展開していた。
  12. 2025年の大阪万博開催決定には喜んでいた。
  13. 次男の笹川陽平が日本財団の会長を務めるのは史実と同じ。
    • 自身は日本財団の名誉会長になるか顧問を務めている。
  14. 長男の笹川堯は自民党総裁選に出馬していたかもしれない。
    • 自由民主党総裁に当選した場合は長男の笹川堯は内閣総理大臣に就任していた。
      • 長男が首相になった場合、郵政三事業や道路公団、営団地下鉄の民営化は白紙になっていた。
      • 長男の笹川堯が郵政民営化に賛成することはなかった。
      • 国民新党も誕生しなかった。
  15. 昨今のメディアの腐敗体質を痛烈に批判しているだろう。

沢たまき

  1. 現在も国会議員だった場合、公明党の党首になってたかも。
    • いまごろ(2009年6月)は、次期衆議院選のことで躍起になっていただろう。
  2. ひょっとしたら、国会議員を引退して女優に復帰してたかも。
    • その場合、連続テレビ小説『つばさ』で玉木千代役を演じていた(史実では吉行和子)。

田村秀昭

  1. 田母神俊雄の論文事件になんらかのコメントをしていただろう。

辻政信

  1. 現在も国会議員だった場合間違いなく最高齢。
  2. 史実では、岸批判の後に自民党を除名されて参議院議員になっているがおそらくほとぼりが冷めたのを見計らって再び衆議院議員になっていただろう。
  3. たびたび過激な発言をしてお茶の間をにぎわせていたかも
  4. 何かの間違いで首相になっていたら国内外から批判されたかも

堤康次郎

  1. 1964年に開催された東京オリンピックを観戦していた。
  2. 彼の後押しがあって、1972年に西武鉄道が西鉄ライオンズを買収していたかもしれない。
    • 西武ライオンズの初の優勝は1978年辺りになっていた。
    • 鬼頭政一の監督就任はなかった。
  3. 子供の堤清二と堤義明の対立はそれほど深くならなかった。
    • セゾングループも存在しなかったかも。
      • 西武の鉄道と流通の分裂はなかった。
  4. 堤清二が小説家としてデビューしていない可能性もある。
  5. 堤義明が証券取引法に違反することはなかった。
    • プリンスホテルの経営縮小はなかった
    • 史実の30000系は登場しなかった。
      • 史実の40000系が30000系を名乗る、但し20000系ベースのデザイン。
    • 001系は登場しなかった。
  6. 西武グループが大洋球団に出資することはなかった。

土井たか子

  1. 安保法案に反対していた。
  2. 社民党がひどく衰退することはなかった。

中川一郎

  1. 長男・昭一の政界転向はなかった。
    • 仮にあったとしても、一郎氏の政界引退後。
  2. 悲願の首相の座を手にしていた(政界の惑星で終わっていた可能性も否定できないが)。

中川昭一

  1. もし中川昭一が2009年の総選挙で当選していたらである。
  2. 今津寛の衆議院議員復帰はなかった。
  3. 郁子夫人が自民党衆議院北海道11選挙区支部の支部長に就任することはなかった。
    • 勿論夫に代わって議員になることもなかった。
  4. 第二次安倍内閣で財務大臣に復帰。
    • 麻生太郎は外務大臣にスライド、そして岸田文雄は入閣してなかった。
      • 党幹事長か経産大臣だったかも。
        • 2009年に落選していなければ、安倍さんではなく、中川さんが総裁→総理になっていた。
    • 落選したが生存していたルートだった場合、2010年に町村氏が補選に出馬していた段階で繰上当選になっていた。

浜田幸一

  1. 現在もビートたけしのTVタックルに出演。
    • 2013年1000回突破&25年目突入3時間SPにも出演。
  2. 2012年12月16日猪瀬直樹が東京都知事就任にメスを入れていた。
  3. ↑の直後に発足した第2次安倍内閣にも何らかの提言・苦言を言ってたかも。
  4. 都議会での女性議員に対する野次事件について何か一言言っていた。
    • ハマコーは「女性議員に対して野次らない」というのが信条だったため。
  5. 「日本にカジノができたら行きますか?」と記者に聞かれる。

松岡利勝

  1. とりあえず、農水大臣の職は退いていた。
    • 後任は史実通り、赤城徳彦。
  2. 安倍内閣はもう少し長持ちしてたかも。
  3. 2009年の衆院選では出馬していなかったか、出馬しても落選していたと思われる。
    • いずれにせよ、政界は引退していただろう。
  4. 代議士であり続けた場合は、阿蘇大津道路事業(中九州横断道路)が凍結されなかったかも。
    • 熊本地震時には完成していないかもしれないが、ある程度は建設していたお陰で復旧ルート確保が多少早まる(現実のR57北側復旧ルートは阿蘇大津道路事業を踏襲している)
    • その代わり、R57現道の4車線化が遅延する。

三塚博

  1. 派閥の後輩である安倍総理のご意見番的存在になっていた。
  2. 2003年に引退していなければ、総選挙後に衆議院議長になっていた(史実は河野洋平)。

宮本顕治

  1. 2020年2月現在まで存命の場合、世界長寿番付にランキングしている。大分前に引退されていたため、ご存命の場合でも共産党の運営に影響はほぼなかっただろうけど。

山村新治郎(11代目)

1970年のよど号ハイジャック事件で人質の身代わりとなって有名になったものの、1992年に帰省していた佐原市(現香取市)の自宅で精神疾患を患っていた次女に刺されて亡くなった議員ですが、もしこの事件がなかったか、あっても奇跡的に一命をとりとめたら?

  1. 香取市から選出の議員が現在でも続いている。
  2. 地元は今も市長選が荒れていた。
  3. 2006年の香取市発足に関して、何らか関わっていた。
    • 下手すると合併そのものが無かったか、違う形になっていたかも。
  4. 遅くとも、2000年代に入る前後には政界を引退していただろう。
  5. 史実で死亡の原因となった事件から生還できた場合、ドキュメント番組で取り上げられていた。
  6. 『時事放談』に、最低1回はゲスト出演していた。

渡辺美智雄

  1. 自民党総裁選に立候補し続ける。
  2. 渡辺派の分裂もなかった。
  3. 息子喜美の自民党離党を引き止めていた。
    • 当然、2014年3月に発覚した某化粧品会社社長からの献金問題も無かった。
      • 2014年12月の衆議院選で父の代からの議席を失うことも無かっただろう。
  4. 1999年のサッチーミッチー騒動でコメントを求められた。
    • 愛称が浅香光代と同じ「ミッチー」のため。

知事・市町村長・地方議員

東龍太郎

東京都知事

  1. 革新都政を誕生させる原因を作ったことを悔やみ続けてるだろう。
  2. 石原慎太郎の東京都知事就任はなかったかも。
    • その場合は猪瀬直樹が都知事になることもなかった。
  3. 石原慎太郎が史実通り東京都知事になった場合は、厳しい評価もする反面、高く評価したりアドバイスをすることもあった。
    • 猪瀬直樹に東京都知事が代わってもこれは続いた。
  4. 2020年の東京オリンピックの開催には相当喜んでいた。
  5. 郷里である大阪の地方行政にもコメントを求められ応じることも多かったほか、自発的にコメントすることも多かった。
    • 橋下徹とも対談を行っていた。
    • 黒田了一による革新府政を現在も批判し続けている。
  6. 2020年現在は昨今の都政の迷走ぶりを嘆いている。
    • 小池百合子による都政と都民ファーストの会にはかなり批判的だったと思われる。
  7. 宇都宮健児とは公私ともにかなり折り合いが悪い。

伊藤一長

選挙期間中に暴漢から銃撃され四選を断たれてしまった伊藤一長長崎市長。伊藤市長がもし銃撃されていなかったら……

  1. もちろん長崎市長四選していた。
  2. 次期衆院選に出馬していた。
    • あるいは2010年の長崎県知事選挙に立候補していた。
      • 仮に知事となっていた場合、宮崎県の東国原英夫知事と対立してたかも。
      • 大仁田よりはマシだろ。
      • 多分、国会議員になったら、2013年12月にあの悪法を強行成立させた某巨大与党ではなく、平和について真面目に考える政党に入るでしょうね。
  3. 実史通り撃たれても生存していたら更に平和を訴えている
  4. 助かって無事当選した所で、しばらく執務は困難だったと思われる。
    • 上のコメントに同感。最悪の場合、任期満了を待たずに市長辞任→出直し市長選という展開になっていたかも。
      • 辞任のタイミングによっては、第45回衆議院総選挙or2010年長崎県知事選とのダブル選挙になっていただろう。

中馬馨

  1. おそらく大阪市長を1972年以降も続けていた。
    • 老齢を理由に1985年頃に下野していた。
  2. 田中角栄政権以降に、革新派とは距離を置くようになっていた。これを境に保守派に擦り寄るようになっていた。
    • 1975年の市長選では自民党の推薦を受けていた。
  3. 大島靖の大阪市長就任が史実よりかなり遅れていた。
    • 西尾正也の大阪市長就任はなかった。
    • 磯村隆文の大阪市長就任もなかった。
    • 大阪市の箱物行政が史実ほどエスカレートすることもなかった。
  4. 平松邦夫の大阪市長就任もなかった。
  5. 橋下徹の大阪市長就任もなかったと思われる。
  6. 長男の中馬弘毅が自民党から衆議院議員になるのは史実と同じ。

仲谷義明

  1. ≒もし名古屋が1988年夏のオリンピック招致に成功していたらである。
    • 仲谷が自殺した際に『名古屋オリンピック誘致失敗が自殺の原因になったのではないか』という推測があったため。
  2. 大阪が2008年夏のオリンピック招致に失敗した際に、コメントを寄せていた。
    • 東京の2016年夏期五輪招致失敗でも同様かも…。
      • 東京が2020年夏のオリンピック開催地に決まった際には、心から喜んでいただろう。
  3. 2005年の愛知万博実現を心から喜んでいただろう。

松本清

マツモトキヨシの創業者としてだけではなく、すぐやる課などのアイディアを駆使した名物市長として松戸を一躍発展させましたが、二期目半ばにして病気のため夭逝なされました。 もし病死することがなかったとしたらどうなっていたでしょうか?

  1. 市長を二期務めた後自民党より国政に進出。晩年は総理の座にも座っていた。
  2. もしくは千葉県知事になり、名物知事として有名になっていた。
    • 知事としての初仕事は「全市町村役場は<すぐやる課>設置せよ」。
    • (実史の森田健作知事が授与した)2013年5月末の長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督の千葉県民栄誉賞はどうなっただろうか?