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{{経過観察}}
{{速報規制|清原和博の覚せい剤所持による逮捕についての内容|刑の確定または6か月(2016年8月1日)経過まで}}
鳴り物入りで登場したものの、人気や販売の面でコケてしまったゲーム作品がもし大ヒットしていたらどうなっていたか。
新規に追加される場合は選手名の50音順でお願いします。
*項目の新規追加は五十音順でお願いします。
==独立項目==
;テーマ別
*[[もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら]]
*[[もしあの選手が日本プロ野球入りしていたら]]
*[[もしあのプロ野球選手があの球団に移籍していたら]]
*[[もしあのプロ野球選手があの球団に残留していたら]]
*[[もしあのプロ野球選手があの球団に入団していたら]]
*[[もしあのプロ野球選手があの記録を達成していたら]]
*[[もしあの選手の守備位置が○○だったら]]
*[[もしあの選手がもう少し現役を続けていたら#プロ野球|もしあのプロ野球選手がもう少し現役を続けていたら]]
*[[もしあのプロ野球選手にアクシデントがなかったら]]
 
;選手別
*[[もしイチローが○○だったら]]
*[[もし沢村栄治が戦死せず、肩を壊してもいなかったら]]


==あ行==
==あ行==
===RPGツクール2003===
===江川卓===
致命的なバグが多かったためか製造中止となってしまったツクール2003。もし、これらのバグがなく大ヒットしていたら?
*[[もし江川問題が○○だったら]]
#XP以降のRPGツクールシリーズは「戦闘シーンの方式がサイドビュー(敵と主人公を第三者の視点で表示)・アクティブタイムバトルもの」が中心になっていた。
;[[法政大学]]以外に進学していたら
#製造終了にならずに済んでいた。
*慶応義塾大学
**史実では江川卓が最初に受験して不合格になった大学です。
#70年代から80年代前半の低迷期は無かった。
#史実とは逆にニュース速報で合格を報道されていた。
#投資をする際には三田会の人脈を生かしていた。
#*史実とは異なり、投資で成功して実業家としても活躍。現実以上に羽振りが良かったかもしれない。
#**失敗していた場合は、現実以上に大損していたかも。


===あいたくて…===
*早稲田大学
[[あいたくて…ファン]]←こちらも参照
#高校時代にバッテリーを組んでいた[[wikipedia:ja:亀岡偉民|小倉(現:亀岡)偉民]]とまたバッテリーを組んでいた。
*もちろん予定通り1998年に発売されているということが大前提となるでしょう。
#連覇も何回も成し遂げていた(史実では1957年から2001年までの間に連覇はわずか1回)。
#川澄綾子や雪野五月は『To Heart』や『犬夜叉』などよりも先にこちらで大ブレークしている。
#巨人入団してそれなりに活躍をしたら、1985年ドラフトで桑田を指名しなかったかもしれない。
#後に発売される『ときめきメモリアル2』のEVSにも「愛称システム」が組み合わされる。
#*むしろ『あいたくて…』のほうが『2』『3』とシリーズ化され、『ときメモ』シリーズがそちらに編入される。
#*そもそも後続企画に『ときめきメモリアル』の名称を使ってなかったと思われる。
#『あいたくて…対戦ぱずるだま』や『あいたくて…対戦とっかえだま』も発売される。
#OVA、または深夜アニメの製作も行われる。
#*OVAのみだと『ときメモ』のOVA版と同様にコケてしまうかも。
#2010年以降までシリーズが続いた場合、西野カナが主題歌を歌っていた。


===アイドル雀士スーチーパイ===
*明治大学
#アニメ化されていた。
#当時の監督であった[[wikipedia:ja:島岡吉郎|御大]]とはソリが合わず対立していた。
#脱衣ゲームブームの再来。
#結局は中退。そしてプロ入団の際に、ドラフト指名できるのか、ドラフト外入団させられるのか等をめぐって「江川問題」が発生する。
#少年ジャンプでコミック化されていた。
#*球団首脳陣の中に明治OBがいる場合は「御大に歯向かった奴は絶対入れない」と主張し、明治以外の出身者と揉める。
#*なぜジャンプ?ヤング誌じゃないのか?
#**球団首脳陣で江川を取るか否かで意見が一致しても、親会社から横槍が入って揉めるなんてこともあったかも。
#それ以外のジャレコゲーも売れ、ジャレコ=クソゲーのジンクスを打ち破っていた。
#*入団してからも、明治OBの指導者や選手から敵視されるが本人は意に介さず。
#アークシステムワークスにより、格闘ゲーム化もされていた。


===THE IDOLM@STER 2===
*立教大学
#9・18事件および2・24事変がなければあり得た。
#巨人入団時に当時の長嶋監督から同じ大学の後輩であるためか江川は可愛がられていた。
#アイドルマスターは今でもアイドルを題材にしたゲームと言えばの作品である。
#当時の立教のチーム事情から江川のワンマンチームになっていた。
#*今でもそうなのに何を言ってんだか。
#**この記事を書いた頃は完全にオワコンだと思ってたのになあ・・・。よくここまで息を吹き返したよ。
#*デレマスやミリオンライブへの期待は史実よりもさらに高まっていた。
<!--#コンシューマで新作が発売ないし発表されていただろう。-->
#シンデレラガールズの開発は史実よりも早くなされていた。
#2のデメリットが反映されないため、ONE FOR ALLの出来が史実より悪くなっていた可能性もある。


===アンリミテッド:サガ===
*東京大学
参照:[[wikipedia:ja:アンリミテッド:サガ]]
#史上最高の「文武両道選手」と言われていた。
#「ロマンシングサガ ミンストレルソング」は作られず(WSC以外でリメイクされてもDSあたり)、そのままアンサガ2が出ていた。
#まさしく「江川一人のチーム」になっていた。
#「取扱説明書なんてただの飾りですよ。偉い人にはそれがわからんのです…」という風潮が当たり前に、RPGは難易度や運こそが重要だという風潮になっていた。たぶん。
#それでも東大は優勝出来なかった。
#*江川の大学時代に東大から首位打者が出ており、ベストナインに選ばれた選手も2人いる(うち1人は前述の首位打者)。上手く噛み合えば上位進出はあったかも。
#**すべて上手くいけば優勝もあった…かもしれない。
#**実際に江川は東大戦で1敗している。
#**ある程度野球が強い進学校の球児が、現実よりも多く東大野球部に入部したかもしれない。
#**野球経験に関係なく、東大の野球部入部志願者が増えたかも。


===うた組み575===
*法政大学は…
参照:[[wikipedia:ja:project575#ゲーム]]
#低迷期に入っていた。
#セガはVOCALOIDイコール初音ミクという既成概念を崩していた。
#法政大学の全国的な知名度は低くなっていた。
#*「初音ミク -Project DIVA-」にも登場しただろう。
#*さすがにそれはない。
#*クリプトンかセガ自身がVOCALOIDソフトを出したかもしれない。
#「うた詠み♪」が2014年5月でサービス終了しなかった。
#[[もしあのアニメが大ヒットしていたら/く~こ#GO!GO!575|テレビアニメ]]は30分の放送だった(史実では5分)。
#*さらに独立局ではなくTBSかテレビ東京で放送されたのではないだろうか。


===エアガイツ===
*東京六大学以外の大学
#シリーズ化されていた。
#東都や首都、旧関西六大学等、それなりにマスコミで取り上げられているリーグの大学に進学した場合は、そのリーグ全体のマスコミでの扱いも現実より良くなっていた。
#ディシディアより早く、歴代FFシリーズのキャラによる格闘ゲーム(ディシディアは厳密には違うが)が発売されていた。
#*卒業後は元に戻る。
#逆にソウルエッジがコケていたかもしれない。
#それ以外のリーグの大学に入った場合は、江川が出場した試合だけはマスコミで大きく扱われた。
#*全日本大学野球選手権には4年連続出場できたかもしれない。
#*リーグ8連覇できただろう。
#全日本大学野球選手権に出場した場合は、現実以上に注目された。


===エルシャダイ===
;法政大学も不合格に終わっていたら
発売前は散々盛り上がりましたが、決してヒットしたとは言えませんでした。もし大ヒットしていたら?
慶応義塾大学を受験するも不合格になり法政大学へ入学しましたが、もし法政大学も不合格になっていたら?
#続編が発売されていた。
#進学志望だったことと阪急入りを拒否した経緯から、更なる大学受験に挑んでいたと思われる。
#派生作品である小説やGREEの『エルシャダイ ソーシャルバトル』も大ヒットしていた。
#*その後の顛末は「法政大学以外に進学していたら」を参照。
#*開始から約5ヶ月でサービス終了になる事はなかった。
#*一校も合格できなかったら、社会人に進んでいたかもしれない。
#アニメ化も実現していただろう。
#**巨人との繋がりが強いチーム(巨人にOBが多い、本業で読売グループと関係がある等)が獲得に動く。
#*少なくともニコ動でのMAD素材にもされていたはず。
#**思うような社会人チームに入団できない場合は、史実での大学卒業後と同様に「作新学院の職員」になる。
#本編のMADももっと多かった。
#***その場合、栃木県内の社会人のクラブチームに在籍。あるいは作新学院が社会人チームを作る。
#****作新学院のチームは、江川のプロ入団と同時に解散。
#不合格をニュース速報で報道されていた。


===おいでよ?!DENTSU!!===
===王貞治===
参照:[[wikipedia:ja:おいでよ?!DENTSU!!]]
;一本足打法を編み出していなかったら
#大阪電気通信大学への入学者が急増したかもしれない。
王貞治は読売ジャイアンツ入団から数年間、大きな期待を寄せられていながら目立った成績を残せずに伸び悩んでいました。その為師匠である当時の荒川博打撃コーチとバッティングの試行錯誤を繰り返し1962年一本足打法を完成させ、それ以来打棒が爆発し急激に成績を伸ばして本塁打の数を量産していきました。もし、彼が転機となった一本足打法を習得していなかったらどうなっていたでしょうか?
#間違いなく商標問題に発展していた。
#東京電機大学あたりが模倣したアプリをリリースしていた。
#*大学と正式にコラボした恋愛シミュレーションゲームが流行っていた。


===オプーナ===
#王は打撃が開花せず終いに終わり、未完の大器のまま30歳前後で退団。他球団に移るか、引退して電気技師になるか(王の父は息子を電気技師にさせたがっていた)、実家のラーメン店を継いでいたかもしれない。
参照:[http://www.opoona.com/ 公式サイト]
#*あるいは中距離打者として活躍していたかもしれない。
#[[2ちゃんねる|2ch]]のAAはもっと可愛いものができていた。
#*未完の大器の代表格として挙げられていた。
#[[中日ドラゴンズ|中日]]のドアラとならぶキモカワ系マスコットとしての地位を確立する。
#*仮に史実通り868本ホームランを打っていたとしても、「ホームランの数だけ」という評判で長嶋茂雄ほどの人気は出なかったかも。
#ニンテンドーDS版[[ドラゴンクエストV|ドラクエ5]]にゲスト出演する(開発元が同じな縁で)
#野村克也は本塁打・打点の日本記録を王に抜かされずに現在まで保持し続けてていた。
#同時期に発売されていた「スーパーマリオギャラクシー」は大ヒットしていなかった。
#*野村は現役時代の知名度が史実より高くなっていた。
#コーエー幹部の「100万枚売れる」発言がバカにされることはなかった。
#巨人は打線を長嶋茂雄1人に依存する状態が長年に渡って続いてしまう事に。
#*本当に売れていたら「有言実行」と呼ばれる。
#*他球団の警戒が長嶋1人に集中する為、長嶋は史実より成績を落としていたかもしれない。
#**もしかしたら333本で引退していたかもしれない(史実では444本)
#*巨人はV9どころか、常勝の座を維持できていたかどうかも怪しい。
#**史実のV9の時期に、阪神や中日が何回か優勝していた。
#**大洋の2度目の優勝や、広島・ヤクルト(サンケイ)の初優勝も早まっていた。
#**阪急は西本監督の時代に日本一になれていた。
#*他球団からクリーンナップ級の選手を獲得していたのはもちろん、純国産路線を諦めて外国人野手を獲得していた。
#他の選手が一本足を真似る事もなかった。
#*あるいは他の選手が一本足打法を編み出していた可能性がある。
#**まさかひょっとしたらイチローの振り子打法が一本足に発展して・・・いたのか?
#**一本足打法の代表的選手が田淵幸一になっていた。
#バリー・ボンズの756号本塁打達成が日本でもっと大きく取り上げられていた。
#1980年の長嶋の監督解任後、藤田元司監督が史実の王監督の時期も含め長期政権を築いていただろう。
#*[[もしあのプロ野球球団の監督が○○だったら#王貞治(ダイエー)|1995~2008年のホークスの監督は一体どうなっていたのだろうか?]]
#亀屋万年堂の「ナボナ」はそこまで有名にならなかった。
#ピンク・レディーの「サウスポー」は特定の選手をモチーフとした曲にならなかった。
#国民栄誉賞は存在しなかったかもしれない。
#*創設の理由が「既存の内閣総理大臣顕彰ではプロ野球選手の記録を表彰しにくい」というものだったため。
#後楽園球場→東京ドームのゲートに特定選手の名前が付けられることはない。


===オリエンタルブルー~青の天外~===
;故夫人の間に息子が生まれていたら
#続編としてオリエンタルレッドは予定通り発売されていた。
王貞治には故夫人との間に3人の娘さんを授かりましたが、もし2人の間に息子さんが生まれていたら、球界や王家の生活はどうなっていたでしょう?
#大都やマ界の事などもかなり掘り下げられていた。
#もしかしたら、テンランがスマブラにゲスト参戦してたかもしれない。


==か行==
#名前は背番号にちなんで「一(はじめ)」?
===カオスブレイカー===
#*次男も生まれていたら、「貞治」から取って「貞男(さだお)」?
参照:[[wikipedia:ja:カオスブレイカー]]
#父である王氏は、彼がプロ野球選手になることを夢見ていたであろう。
#闘劇の種目として一度は選ばれていた。
#*無事にプロで活躍できれば、長嶋茂雄の長男・一茂氏と「ONジュニア」が出来ていた。
#タイトーは格ゲー会社としても注目を浴び、カプコン・プレイモア・アークシステムに並んでいた。
#*CMでも共演。
#ダークアウェイクという名前でDL配信はされておらず、パッケージソフトとしてPS3やX-BOX360で発売されていた。
#*野茂やKKコンビの世代前後になるであろう。彼らと対戦があったかも知れない。
#アニメ化していたかもしれない。
#*当然、ジャイアンツは欲しがるが王は息子の指名を拒否、ホークスへ入団した。
#*打者なら父親の半分(434本)ぐらいは本塁打を打っていた。
#**FA取得後、メジャーに移籍、打者初のメジャーリーガーとなる。
#**第1回WBCの主軸を打っていた。
#*[[もしあの選手の守備位置が○○だったら#あの選手が野手に転向しなかったら|最初は投手だった]]ことを考えれば、投手という線もありそう。
#**先発なら200勝、クローザーなら250セーブぐらいはできそう。
#**打者の場合と同様、FA取得後メジャーに移籍。
#**第1回WBCでは先発もしくは2番手で投げていたであろう。
#一茂氏がタレントに転向した際には、彼も同時にタレント転向していたかも。
#*そして貞治氏の次女・理恵さんとの3人共演もありえた。
#*一茂氏とのコンビ、あるいは理恵さんも含めたトリオを組んだかも。
#*最初からタレント、ひょっとして議員になっていたかも。
#一茂のように球場に忘れて帰られたりはしない。
#暁星学園あたりに小学校から入学し、高校で甲子園初出場。
#*早実に進学するのか?
#*あるいはそのまま暁星へ進み、硬式野球部が強豪に。
#*現在(2012年)暁星に硬式野球部は無いが、当時も無かったとしたら王ジュニアのために創設。OBの財力で豪華な設備を整えて優秀な指導者を招聘。いきなり強豪として台頭し、東東京大会の台風の目になる。
#上記のような過度な期待を掛けられて早いウチにプレッシャー等で潰れちゃうんじゃないかという気がする。間違いなく周り(家族除く)が期待するのはホームランだけで、ヒットでは満足しないはずだから。


===かってに桃天使!===
===大谷翔平===
参照:[[wikipedia:ja:Dancing Blade かってに桃天使!]]<br>決してコケた訳ではないのだが、もし社会現象を起こすくらい大ヒットしていたら、という意味で。
大谷翔平はドラフト会議前に「メジャー宣言」したものの、日本ハムが指名を強行し入団に至りました。もしこれが違う展開になっていたらどうなったか?
#話は「II」で完結していたが、その後も「IV」くらいまではシリーズ化され、PS2やWindowsに移植されている。
;メジャー宣言がなかったら
#ならはしみきが「野原みさえ」よりも「キジメ」で有名になっている。
「メジャー宣言」自体がなかった場合
#*「メスのキジは却って地味なんだぞ」と突っ込まれている。
#ドラフトでは少なくとも競合は避けられなかった。
#[[コナミ]]におけるうえだゆうじの代名詞的な役が「早乙女好雄」や「{{極小|外井雪之丞}}」ではなく「猿吉」になっている。
#*間違いなく指名していたであろう球団は地元の楽天と高校の先輩がいる西武。
#ゲームソフトとは別ストーリーのOVA・テレビアニメ化も行われる。
#どこに指名されようとも入団拒否には至らないと思う。
#*[[京都アニメーション|京アニ]]のネームバリューがオタクの世界で現実よりも巨大化する。
#二刀流にされることはなく、おそらくは投手一本だった。
#*「主人公」君にはちゃんとした名前がつけられている。
#「{{極小|主人公がナヨタケにどつかれる}}シーンがまるで[[新世紀エヴァンゲリオンファン|エヴァ]]みたい」とファンの間で話題になる。
#[[愛天使伝説ウェディングピーチファン|この作品]]と混同する人が現実よりも増えただろう。


===かっとび!童児===
;指名されていなかったら
#本作以降、様々なコロコロコミック掲載作品がファミコンディスクシステムでゲーム化されていた。
→[[もしあのプロ野球選手があの球団からドラフト指名されていなかったら#大谷翔平(2012年・日本ハム)]]
#アニメ化も実現していた。
#*その場合、ゲーム版に出てきたオリジナルの中学校が作中に出ていた。
#**もしかしたら、野沢雅子辺りが童児のアフレコをしていたかも。
#これらに伴い、原作漫画が小学館漫画賞を受賞していた可能性もあった。
#コロコロの野球漫画を題材にしたゲームといえば、ドラベースではなく、これが真っ先に取り上げられていた。


===がんばれゴエモン 東海道中 大江戸天狗り返しの巻===
;日本ハムへの入団を拒否していたら
#制作委員会が解散することはなかった。
#日本ハムは菅野に続いて2年連続でドラ1に入団拒否される憂き目に遭っていた。
#wii以降のソフトも発売し続けていた。
#*そのため、トレードなどでの投手補強が大きな課題になっていた。
#[http://dodorondou.ninja-x.jp/mannga/goeyokoku.html この]ファン漫画もゲーム化していたかもしれない
#後は「指名されていなかったら」とほぼ同じ。


===北へ。===
===落合博満===
#道内各企業がここぞとばかりにタイアップ&グッズを出しまくる。
;プロボウラーになっていたら
#主題歌を歌ったFour Seasonsがイベントで披露した過酷なダンスが話題になる。
落合博満はプロボウラーを志していたが、プロテスト受験の直前にスピード違反で捕まり罰金を支払ったためにプロボウラーになれませんでした。そこでもし落合がプロボウラーになっていたらを考える。
#*「鍛え。ブートキャンプ」としてDVD化。ゲーム本編を超えるヒット作になる。
#エロゲブランドLittle Witchの設立が大幅に延びる。
#アニメにおける「あの」不祥事がもっと大規模な事件になっていた。


===逆転裁判4===
*球界
売上的にはシリーズ最高の売り上げだったが、ここではユーザーからの評判が史実より良かったとして。
#牛島和彦は引退まで中日でプレー。
#これ以降の逆転裁判シリーズでも王泥喜法介が主人公になっていた。
#*上川誠二も引退まで中日でプレー。
#*その後の成歩堂龍一の立ち位置は一体どうなっていたのだろうか…。
#*中日監督も牛島が務めている。
#**王泥喜の頼れる先輩ポジションを得ていた可能性がある。
#**2004年から中日監督に。
#「逆転検事」の発売は無かったかもしれない。
#*大矢明彦は2005年から横浜監督を務めている。
#未だに年俸一億の壁が破られていない。
#*日本人選手では松井秀喜が初めに破っている可能性もある。
#川相は読売を「中退」で現役終了。
#中村紀は単なるわがままな人として野に下る。
#未だに中日は日本一になれず相変わらず万年2位が確定している
#*阪神と巨人の優勝回数が史実より増えている。
#**ひょっとしたらヤクルトか広島も一回くらい優勝していたか?
#この[http://www.youtube.com/watch?v=2q1qE9F_D54&feature=related/ 乱闘事件]はなかった(平沼定晴もロッテへトレードされた)
#*清原は連続試合出場数を更に伸ばした
#2009年のWBCにも中日選手が出場していた。
#井端弘和が大幅な減俸をたたきつけられ退団する事はもちろんない。
#小笠原道大も中日には移籍せず、引退まで巨人で過ごしたか移籍先がロッテかDeNA辺りになっていた。


===QUOVADIS===
*落合博満個人
参照:[[wikipedia:ja:QUOVADIS]]
#信子夫人と結婚することはなかった。福嗣君も生まれなかった。
#制作会社が倒産する事なく、シリーズも継続していた。
#ボウリングでも俺流の投げ方を開発。
#制作中止になってしまったOVAも発売されていた。
#*子供たちにその投げ方を指導する。
#キャラクターデザインを担当した美樹本晴彦の代表作の一つとなっていた。
#*テレビ東京『ザ・スターボウリング』に出ていたか?
#銀河英雄伝説、シュヴァルツシルト、メビウスリンク、星界の紋章・戦旗といった1990年代から2000年代初頭の宇宙艦隊シミュレーションゲームの代表作の一つに数えられていた。
#西城や酒井のいいライバルになっていた…かな。
#*同時に宇宙艦隊シミュレーションゲームというジャンルも小さいながらも現在まで脈々と続いていた。


===クラッシュ・バンディクー4 さくれつ!魔神パワー===
==か行==
#5以降もコナミが発売していた。
===金本知憲===
;誕生日が1968年4月1日以前だったら(実際は1968年4月3日生まれ)
#現実より学年が1つ上(1967年度生まれ)となるので、桑田真澄・清原和博と同学年となっていた。
#*現実以上にこの2人と比較されるようになっていた。
#*更にもし桑田が1968年度生まれだったら、桑田と金本の学年が逆転していたため、桑田は金本の後輩となっていた。
#*現実以上に1967年度生まれが当たり年と呼ばれている。
#2009年現在、この年度生まれでは唯一の現役選手となっていた。
#世代の呼び方が「桑田・清原・金本世代」となっていたかも。
#*もしかすると「KKKトリオ」が出来ていたかもしれない。
#誕生日が[[33-4|3月34日]]と呼ばれることもなかった。
#史実通り2016年に阪神の監督に就任していた場合、桑田の巨人監督就任、佐々木のDena監督就任もあり得たかもしれない。
#*'''アレに手を染めてなかったら'''清原の西武監督就任もあったかも。


===Cross Days===
====連続フルイニング出場記録が○○だったら====
#オーバーフローが2012年にブランド活動を終了することはなかったかも。
;なかったら
#伊藤誠の子供が増えていた。
#ここまで話題になることもなかった。
#それでも、広島→阪神の間では有名な選手となるだろう。
#*フルイニング出場は広島時代からだが、仮にフルイニング出場でなくてもトリプルスリーやタイトル獲得などをしていたら移籍していただろう。


===携帯電獣テレファング===
;史実より早く途切れていたら
参照:[http://www.rocketcompany.co.jp/telefang/ 公式サイト]
#どこで途切れたかにもよるが、「鉄人」と呼ばれることもなかったかも。
#テレビアニメ化されていた。
#*プロ野球選手で鉄人と言えば今でも衣笠祥雄。
#それでも、中高年層以上(の大半)にはポケモンと区別がつかない。
#なんでも実況Jで変に話題になることもなかった。
#携帯ソーシャルゲームとして続編発売。パズドラのシェアを奪ってたかもしれない。
#*ヤニキはともかく「左ニキ」なんてあだ名はなかったかもしれない。
#コミックボンボン連載のコミカライズ版はしっかり完結していた。
#**特にフルイニング出場の呪縛が解けて代打屋に転向していたらあまり守る機会もなかっただろうし。
#鳥谷敬がここまで聖域化することもなかったはず。
#*2016年の成績はもう少し良かった。


===ゴエモン 新世代襲名!===
;2004年、7月29日の対中日ドラゴンズ戦での怪我で途切れていたら
参照:[[wikipedia:ja:ゴエモン_新世代襲名!]]
#この頃はまだ現役バリバリだったため、そこまで影響することはないだろう。
#黒歴史扱いされることは無かった
#*ただし、史実より早く引退していた可能性はある。
#*もちろん、[[#がんばれゴエモン 東海道中 大江戸天狗り返しの巻|こちら]]で新世代キャラの皆さんのビジュアルが偽ゴエモン一行のデザインに流用されることはなかった。
#フルイニング出場記録は更新されなかった。
#ロックマンシリーズにおけるロックマンXのような存在になっていた
#『ドリームミックスTV ワールドファイターズ』にゴエモンが参戦していた
#ゴエモンシリーズの世代交代は成功したと見なされていた。


==さ行==
;2007年の左膝半月板損傷の怪我で途切れていたら
===サイキックフォース2012===
#この頃になると守備力にも陰りが見えてきていたため、他の選手にレギュラーを取られていたかもしれない。
*同人人気だけでなくゲームそのものも大ヒットしていたら・・・?
#*レフトを守る選手は史実よりも変わっていたはず。
#当然ながら続編は出ていた。
#**浅井良、桜井広大などが史実より活躍していた。
#2010年以降は初作のリメイクが発売され、当然これも2012年にリメイク。
#**あるいは外国人選手を取っていたかもしれない。
#OVAどころかTVアニメとしても放送されていた。
#なんだかんだで成績は史実と同等くらいになっただろう。
#新作には4人バトルロイヤルまたは2on2のタッグモードが追加されていた。


===ザ・グレイト・ラグタイムショー===
;史実より長く続いていたら
参照:[[wikipedia:ja:ザ・グレイト・ラグタイムショー]]
#もはや満身創痍の状態だったので、史実より早く引退していたかもしれない。
#[[ゲームメーカー#データイースト|データイースト]]の命運は変わらなかったかもしれないが、しばらくはケイブの代わりにシューティングゲームの盟主を名乗っていた。
#*引退までフルイニング出場を保ったまま引退になったかもしれない。
#拡大回転機能がウリの[[任天堂|スーパーファミコン]]に移植されていた。
#少なくとも1500試合は続けていただろう。
#悪ノリしたデコは[[ストリートファイターシリーズファン|ストII]]の世界観をパクッた続編を出すことに……
#DH制を生かすためパリーグへの移籍も検討される。
#*主人公はダルシムやブランカの上に乗って春麗やバルログを振り回す。
#「データイーストコレクション」(本作、トリオ・ザ・パンチ、そしてチェルノブが収録されていた。)は、予定通りに発売されていた。


===SASUKE&筋肉バトルスポーツマンNo.1決定戦===
;連続試合出場記録のみ続いていたら
#日本のみならずSASUKEが放送されている世界各国で人気が出ていた。
#そこまで注目されることはなかったかもしれない。
#CMを担当した山田勝己に芸能界から声がかかった。
#史実通り1999年から記録が始まっていた場合、衣笠祥雄の記録(2215試合)を達成するには最低でもあと4年は続けないといけない。この時金本48歳、いくらなんでも厳しいか…。
#*史実より多くCMは放送されていた。
#*世界記録はあと400試合は多いので難しそう。
#新SASUKE版の続編が制作され、今度は長野誠がCMを担当。
#*連続試合出場が始まったのは1999年ではなく1998年。
#*KUNOICHI版も制作された。
#史実の試合で途切れていた場合、藤川俊介は史実以上に叩かれていた。とばっちりで藤川球児も被害を受けていたかも。
#実況は古館伊知郎が担当(もちろん、報ステキャスター就任と同時に退任)。
#*「○川○児」に加えて「○川○介」というスラングができていた。
#*その後、TBSのスポーツアナに交代。
#*藤川俊介は大松のような畜生キャラになっていたかも。


===三國無双===
===工藤公康===
*1作目の段階で大ヒットしていたらという仮定でお願いします。
;熊谷組入りしていたら
#続編も対戦格闘ゲームとして制作されていた。
工藤公康は甲子園でノーヒットノーランを達成するなど活躍しましたが、高校卒業後は熊谷組入りを表明していました。結果的に西武の強行指名と根本陸夫氏の説得により西武へ入団しましたが、もしそのまま熊谷組入りしていたら?
#*その代わり、史実の「真・三國無双」シリーズのポジションに「バトル封神」シリーズが定着(もちろんキャストは一通り続投)。「戦国無双」シリーズや「無双OROCHI」シリーズも史実と異なるタイトル(「無双OROCHI」シリーズに至っては一部内容も)になっていた。


===シェンムーII===
*本人は
参照:[http://www.shenmue.com/ Shenmue.com]
#プロ入りは早くて80年代後半以降になっていた。
#少なくともシェンムーIIIなど続編は出るため、ドリームキャストの寿命は2,3年延びていた。
#*頭角を現したのは最優秀防御率を獲得した85年だから今と大差のない成績を残していただろう。
#*ハードを変えてもXBOX360やPS3あたりで展開。
#200勝到達も遅れていた。
#安めぐみはもう少しまともな売れ方をしていた。
#*多分、2008年修了時点でもまだ200勝到達できてなかった。
#坂口博信氏が{{極小|[[スクウェア・エニックス|会社]]を傾かせた前科があるのに}}このゲームの映画化を[[セガ]]に持ちかけて、再び映画プロデューサーの地位を狙った。
#最多実働記録は早い段階で山本昌の記録になっていた。
#空知英秋が「銀魂」の作中でシェンムーのパロディネタを描いていた。
#在籍球団が変わっていたかも。(実史は、ライオンズ→ホークス→ジャイアンツ→ベイスターズ→ライオンズと在籍した。)
#GTAと人気を二分していた。


===神凰拳===
*球界は
#続編が発売され、孫悟空以外の十二神将の面々が新キャラとして登場していた。
#西武黄金時代は実史ほど長くなかったと思われる。
#属性システムを取り入れた格闘ゲームが増えていた。
#*近鉄の優勝回数が増えていたかもしれない。日本一も達成していたかも。
#もしかしたら、コロコロコミックか少年サンデー辺りでコミカライズされていたかも。
#OVA版も制作されていたに違いない。
#イスラム教の神をモチーフにした新キャラを出してしまい、イスラム教団体から苦情が殺到なんて事もありえたかも。


===新スーパーロボット大戦===
===桑田真澄===
#本流のSD等身と同時進行でリアル等身のスパロボシリーズが定着していた。
;誕生日が1968年4月2日だったら(実際は1968年4月1日)
#『機動戦士Vガンダム』のスパロボシリーズへの参戦回数が史実以上に増えていた。
もし桑田真澄の誕生日が実際(4月1日)より1日遅れで4月2日だったら。
#*少なくとも、1stと同程度の回数は参戦すると思われる。
#清原とは学年が異なるためKKコンビは誕生しなかった。
#*1983年夏の甲子園のPL学園優勝は無かった。
#*高校野球人気もそこまで上がらなかっただろう。
#*幽☆遊☆白書の桑原和真も、違う名前になっていた。
#**金本が1967年度生まれだったら金原和憲とかかな?
#清原の後輩となるので、高校でつぶされた可能性も。
#*野手に転向した。
#清原をドラフト指名する球団が1球団増えていた。
#*清原が巨人に入団していた可能性も。
#金本知憲(桑田より2日あとの4月3日生)のコメントにおける桑田の他人称が「桑田さん」ではなく「桑田」(あるいは「桑田君」)になっていた。
#*桑田真澄が1968年4月2日以降生かつ、金本知憲が1968年4月1日以前生だったら、逆に桑田の金本に対する他人称が「金本さん」になっていた。
#昭和42年度生まれが「KK世代」ではなく、「清原世代」と呼ばれていた。
#*そして昭和43年度生まれは「桑田世代」と呼ばれていた。
#**昭和43年度生まれが「KK世代」になっていたかも(この場合もう1つのKは金本のこと)。
#清原は投手をしていたかも。
#*その為、逆に清原が巨人のエースピッチャーだったかも。
#1986年のドラフト1位指名は桑田、近藤、阿波野の3人で占められることになった。


===スーパー特撮大戦2001===
==さた行==
#続編としてスーパー特撮大戦α、などが出る。
===G.G.佐藤===
#*またはKOFみたくタイトルの年号が表記されていた。
;北京オリンピックで落球をしていなかったら
#ガメラ、ゴジラも参戦して戦いは更に加熱する。
#日本は間違いなく金メダルを獲得していた。
#レギオン・スペースゴジラ・ソーキンモンスターなどの宇宙怪獣はガイアの根源的破滅将来体に編入される。
#ネット上で「E.E.佐藤」などと揶揄されることはなかった。
#*その為、スペースゴジラとの最終決戦が福岡とニューヨークの2通りある。
#この年、本塁打は30本を超えていた。
#**ソーキン・モンスターはアニメ『ウルトラマンUSA』からの出自であることを考えると、アニメ版ウルトラシリーズも特例として参戦したと思われる。
#*クライマックスシリーズ・日本シリーズにも出場していた。
#SRXも参戦したらスペースゴジラはズフィルードクリスタルと融合して誕生した設定になる。
#「キモティーーーッ!」が流行語年間大賞になっていた。
#「スーパーロボット大戦」シリーズとのコラボを想像する人が続出。
#2009年のWBC日本代表メンバーに参加していた。
#もちろん続編には声が入っている。
#イタリアンベースボールリーグでプレーすることはなかった。
#スーパー戦隊シリーズや平成仮面ライダーシリーズも参戦していた。
#『しくじり先生 俺みたいになるな!!』で先生として出演することはなかった。
#*マイナー特撮からマシンマンやグリッドマンも参戦していたかも。
#以降も契約で揉めた事が多く、「自費自費佐藤」や「ゴネゴネ佐藤」などと揶揄されている。
#「もしも借箱」に「もしスーパー○○大戦が出るとしたら」という項目ができていた。
#*それが原因で西武から他球団に移籍していたかもしれない。
#*[[もしスーパー○○大戦が出るとしたら|書いちゃいました…。]]
#続編はPS2で発売していた。
#*さらに、ニンテンドーDSやPSPといった携帯機でも発売されていた。
#特撮の映像ソフトや玩具等の売り上げが上がる『スパ特特需』が実現していた。


===スーパープリンセスピーチ===
===多田野数人===
#続編として「スーパープリンセスピーチ2」がニンテンドー3DSで発売されていた。
;AVに出演していなかったら
#Wiiや3DSで続編が発売されていた。
#2002年のドラフトで普通に横浜に指名されて、今頃は先発ローテの2,3番手くらいにいた。
#*しかしそこはベイスターズ、炎上しまくって勝ち星には恵まれず。
#*2014年の時点ではすでに現役を引退していた可能性も。
#当然のようにホモという疑いはかけられない。
#*したがって「アッー!!」や「TDN」という言葉は存在しない。
#**TDNって多田野のことだったのか。
#***てっきり[[東京ディズニーランド|TDR]]のバッタモンか何かかと思ってた。
#****つビリー兄貴
#**TDNしか信じない。
#**「TDN」とググっても[[ウィキペディア]]の多田野数人のページにはヒットしない。
#出演しなかっただけで性癖が同じならば横浜の若手選手の数人は被害にあう可能性がある。
#*東スポあたりでそんな疑惑が取りざたされるも大して話題にされず。
#アメリカに渡る事もないので「ただのボール」も開発される事はなかった。
#*小宮山悟の「シェイク」、星野伸之の「素手キャッチ」も注目されない、もしくは記憶から薄れていた。
#*「怒り新党」で「ふしぎなボール使い」として紹介されることはなかった。
#ヴァン・ダークホーム(現実のTDNコスギ)の愛称はどうなっていただろう・・・
#*おそらく「VAN様」という呼称が広く用いられていた。
#*あるいは「VANコスギ」や「ダーク♂ケイン」といった史実と異なる名前になっていた。
#下北沢の「あずま寿司」は閉店しなかった。
#*経営が傾いていたとすればやばり閉店していた。
#[[ニコニコ動画]]の荒らしが若干ながら減っていた。
#*だがヤマジュンやレスリングシリーズがあるので結果ホモネタの需要は変わらない。
#なんJの定番ネタが減っていた。
#*そもそもなんJ自体過疎板のままだった。
#**[[もしプロ野球であの事件が起きなかったら#二岡智宏が女性スキャンダルを起こさなかったら|二岡がスキャンダルを起こさない]]か[[もしあのプロ野球選手があの球団に残留していたら#小笠原道大(日本ハム)|小笠原が日ハムに残留]]しない限りそれはないかと。
#**実際野球chのスレッド保持数削減(=なんJ移動の原因)はカッスレと二岡スレの乱立からと言われてるし。
#***そもそも多田野の騒動がないならプロ野球板の日ハムスレがあらされず野球chに専門スレッドを立てる文化はなかったんじゃないかな。
#レイザーラモンHGがブレイクしていない。
#真夏の夜の淫夢<!--多田野出演のAVのタイトル-->がネット上で知られることもなかった。


===スーパーマリオサンシャイン===
====ニコニコ界隈では====
#日本でも「スーパーマリオギャラクシー」が注目されていた。
#真夏の夜の淫夢を始めとする淫夢動画(COAT,Acceed)は発掘されなかった。
#ニンテンドーDSかWiiで続編が発売されていた。
#*しかし誰かが「有名人がいる」と発掘してしまい、以後現状どおり。
#ニンテンドー3DSで続編が発売されていた。
#**まあCOAT,Acceedにはほかにも有名人いっぱいいるからね、しょうがないね。
#Wiiであそぶセレクションに加わった。
#***それでも今のように煙たがられるほどに有名にはなっていなかった可能性も高し。
#ゲームキューブの売上も史実以上だった。
#*ただしTDNは別の人になっていた。
#(仮に本作が100万本以上売れていた場合)ゲームキューブ用ソフトにおけるミリオンヒットは『大乱闘スマッシュブラザーズDX』だけではなくなっていた。
#*佐村河内やRevoがKBTITの同類呼ばわりされることはなくなっていたか。
#本作の新キャラの出番がかなり増えた。
#クッキー☆はただの東方の二次創作で終わっていた。
#*クッパjrはスマブラXに早く参戦してた。
#*多分10万再生どまりだったか。
#**ペーパーマリオRPGやマリオ&ルイージRPG2、スーパープリンセスピーチ、マリオカート8に本気に登場してた。
#**しかし固定ファンはいるので2014年時点で50万くらいはいってたかと。でもミリオンいくのはもっと後。
#*モンテとマーレはマリオカート等でプレイアブルになってた。
#*この声優の一人に殺人予告が来ることもなかった。
#**マリオ&ソニック AT オリンピックシリーズに観客として登場してた。
#*これを企画した人にセクハラ疑惑がかかることもなかったので今も活動していた。
#↑を始めとする風評被害作品が被害を受けていなかった。
#*Aチャンネルも2期が制作されていた。
#**いや、風評被害以外の問題もあるから史実同様OVAだけだと思う。
#*スローロリスの知名度は今よりなかった。せいぜい「かわいらしい絶滅危惧種」として動物カテで扱われる程度。
#史実よりレスリングが煙たがれていた。
#*まだ釣り動画の素材として使われている。
#*くそみそも同じく。
#*ただし運営側が強引に動画削除などの弾圧を行うことはなかった。
#**しかしそのせいで「運営に庇護されている」と思われ、レスリングの用語を過剰に使うガキが「レスリング厨」呼ばわりされるなど反感を買われた。
#***それこそレスリング以外のホモネタの動画を削除するようなことがあればなおさら。
#***結局叩きの対象が「淫夢」から「レスリング」に替わっただけかも。
#ニコニコ動画ももっと平和だったか……と思ったがyoutubeからヒカキン信者が大量に入ってきてもっと荒れる。
#*ニコ動の生放送重視の体制はますます加速していただろう。
#*おそらくヒカキン関係の動画が過剰なまでにネタにされていたかも。
#**結局Syamu発掘以降は殆ど変わらなかったりして。


===スーパーロボット大戦COMPACT3===
===田中将大===
#本作で新規参戦となった『合身戦隊メカンダーロボ』『魔境伝説アクロバンチ』『天空のエスカフローネ』『ベターマン』の4作品は以後のスパロボシリーズへの参戦回数も増えていた。
;もし2013年の連勝記録が途中で途絶えていたら
#DSかPSPあたりで、移植されたリメイク作品が発表されていた。
東北楽天投手・田中将大は2012年8月19日の対西武(6失点)で負け投手になってから、2013年11月2日に日本シリーズの対巨人戦(4失点)で負け投手となるまで、レギュラーシーズン・ポストシーズン通算で驚異の30連勝を達成、2013年レギュラーシーズンは開幕から24連勝を達成しました。ところが、2013年シーズンは24勝の内、チームがサヨナラを含む逆転したことによる勝ち星が10もありました。もし、チームの逆転がなく、田中投手に黒星が付いていたら?


===スーパーロボット大戦NEO===
*黒星の数が極端に少なかったら
#2010年以降も版権据え置きスパロボシリーズは発売されていた。
#楽天のリーグ優勝は、実史の2013年9月26日ではなかった。
#*第2次ZもPS3で最初から1つの作品として発売された。
#他は、ほぼ実史通りであろう。
#**第2次OGも当初の予定通り、2011年9月29日に発売されていた。
#*スパロボOEもちゃんとしたパッケージソフトとして発売された。
#続編には『超力ロボ ガラット』や『SDガンダムフォース』あたりが参戦していた。
#*「三国伝」「ケロロ軍曹」もここで参戦していた。
#ZとKへの批判はより激しいものになっていた。


===スターフォックスコマンド===
*黒星の数がそこそこだったら
#スターフォックスシリーズは今も続いてた。
#楽天はクライマックスシリーズには出場するが、リーグ優勝できたかどうか?
#困難なタッチスクリーンの操作性に高評価され、スマホの影響がより大きくなった。
#楽天がリーグした場合でも、恐らく最終盤までもつれたか。
#マルチエンディングが高評価され、ゼルダの伝説における時のオカリナの様に時系列が分かれた作品が生まれた。
#*「楽天がリーグ」ではなく「楽天がリーグ優勝」なのでは?
#*アマンダを加わった現役スターフォックスが新たなる敵と果てしなく戦う作品。
#*ロッテ、ソフトバンクor西武との団子レースになっていたかも。
#*マーカス率いる新世代スターフォックスが登場する作品。
#*スターウルフが主役のスピンオフ作品。
#スマブラforにウルフが続投され、クリスタルが参戦した。
#WiiUバーチャルコンソールにSFCのスターフォックスが配信された。
#Q-Gamesがスターフォックス643Dを完成した後にWiiU向けにスターフォックスアサルトのリメイク版を製作した。
#ライセンスグッズが多く発売された。
#*ドリームトミカにランドマスターが発売された。
#*海外のスターフォックスのグッズが日本に逆輸入された。
#*figmaにフォックスが発売された。


===ストリートファイター===
*黒星の数が10(チームの逆転が無かった)の場合
*1作目の段階で大ヒットしていたらという仮定でお願いします。
#楽天がAクラスに入ったかどうか微妙なところ。
#史実より4年早く対戦格闘ブームが起きていた。
#他が実史通りなら、チーム最多勝はルーキーの則本昂大。
===ストリートファイターIII===
#2013年の沢村賞は、選考基準全てを満たしたオリックスの金子千尋。
#カプコンは今でも格闘ゲームの部署を継続させていた。
#*金子の活躍でオリックスがAクラス入りしていたかもしれない。
#*戦国BASARAXもカプコンから発売され、酷評されることはなかった。
#翌年に「ニューヨークヤンキースへ移籍」など有り得なかった。
#IVはIIIの地続きのシリーズとなっており、アレックスも継続して登場できていた。
#*アレックスはIIIの時代の新世代主人公なので、ヒットしていてもそれより前の時代になるIVで出るなどあり得ない。
#**あくまでもストーリーも地続きだろ。


===Strawberry Panic!===
*その他
#百合ジャンルのゲームの需要は上がり、百合ゲーは1ジャンルとして確立されていた。
#田中の妻・里田まいが再注目される事も無く、里田まいといえば未だに「おバカキャラ」のイメージのまま。
#2007年には「ゲーム版準拠の」アニメ版が製作されていた。
#*元ソフトバンクのエース・斉藤和巳と結婚したスザンヌと同じくらいに語られるだろう。
#*また、アニメ版オリジナルキャラもゲーム版の続編に登場していた。
#2013年の日本シリーズでは、展開によっては、(実史上で)田中が第6戦で完投した次の日(第7戦)にリリーフ登板した事に対し、アメリカの野球関係者などから『懸念』される事も無かったか?
#当然電撃G'sマガジンのリニューアルは無かった。
#*これ以降「[[ラブライブ!]]」までの間のG's読者企画作品が低迷する事は無かった。


===すばらしきこのせかい===
;2013年の日本シリーズ第6戦で負け投手にならなかったら
*名実ともにヒットした作品だったら。
上にもある様に、この年の日本シリーズ第6戦の対巨人戦(Kスタ宮城)で、東北楽天投手・田中将大は、この年のレギュラーシーズン・ポストシーズン通じて、唯一の負けを喫しました。もし、この試合で、負けを喫しなかったら?
#新宿か池袋を舞台にした続編が発売されていた。
#田中は、この年の<!--オープン戦は考慮しない-->公式戦負けなしの26連勝、前年から通算31連勝の前人未到の記録を達成。
#アニメ化されていたかもしれない。
#当然、この試合で楽天が日本一になるので、(実史上で)田中が『連投で第7戦にリリーフ登板』という事も無かった。
#勝敗が付かなかった場合は…ほぼ実史通り?


===聖剣伝説4===
===辻本賢人===
#PS3で「聖剣伝説5」が発売されていた。
;誕生日が1989年1月8日以降だったら(実際は1989年1月6日生まれ)
#平成生まれのプロ野球選手第1号になっていた。
#*野球に限らず、あらゆるスポーツを通じて平成生まれ初のプロ選手になっていたかもしれない。
#*平成生まれが2年早くプロに入っていた。
#福田秀平は平成生まれのプロ野球選手第1号にはならなかった。
#*ただし平成生まれの勝利投手第1号は唐川侑己になったことは変わらない。
#NPBに昭和64年生まれの選手は1人もいなかった。


===ソーラーストライカー===
===リチャード・デービス===
#任天堂のシューティングゲームと言えばスターフォックスではなくソーラーストライカーとなっていた。
;大麻所持で逮捕、解雇されなかったら
#GBAで「ソーラーストライカー2」、DSで「Newソーラーストライカー」が発売される。
#近鉄はラルフ・ブライアントを獲得しなかった。
#*Newソーラーストライカーはアリカ社が制作を手がける。
#*シーズン終盤に西武を追い上げることができず、10.19もなかった。
#64かGCでは3Dスクロールタイプの「ソーラーストライカー3D」が発売された。
#**翌年も西武、オリックスとの優勝争いに加われたか怪しい。
#*無論3DSで続編が発売。
#*ブライアント自身も中日の外国人枠の関係で一軍に上がれず、史実のように大成はしなかったかもしれない。
#スマブラにも何らかの形で登場していた。


==た行==
==な行==
===大乱闘スマッシュブラザーズX===
===西村健太朗===
売上こそシリーズ最多だが賛否両論だったスマブラX。もし評価も高かったら・・・?
;入場曲が「ハレ晴レユカイ」になっていたら
#スマブラWiiUも販売面での恩恵を受けられた。
*理解出来ない人は[[google:ハレ晴レユカイ 西村|こちら]]へ
#*ただしXのデメリットが反映されず、出来が悪くなった可能性大。
#[[読売ジャイアンツ|巨人軍]]の観客動員数が増加。
#DXのリストラキャラが大幅に復活し、話題となった。
#*そして西宮の[[阪神タイガースファン|地元チームのファン]]もこっちへ乗り換える。
#*現実でも5名中2名復帰してるのでそれは難しい。せいぜいミュウツーがDLCではなかった程度かと。
#**地元の住民曰く「柄の悪い地元を応援するより西村のいる巨人を応援した方がいい」
#**仮にロイ(封印の剣)が復帰するならルキナは参戦せず、クッパJr.の色替えはクッパ7人衆ではなかった。
#*むしろあのアニメのアンチが飛躍的に増える予感がする…
#***「Code Name: S.T.E.A.M. リンカーンVSエイリアン」にロイ(封印の剣)が登場した。
#*むしろ原作者が阪神ファンなので許諾を得られない可能性が。
#***「ゼルダ無双」でムジュラの仮面パックが現実より早く配信された。
#**意外とすんなり乗り換えたりしてw
#*ピチューの色替えにギザミミピチューも登場した。
#西村本人は麻生太郎のような存在になる。
#WiiUバーチャルコンソールにNintendo64が早く配信され、名作トライアルに「スーパーマリオ64」や「ムジュラの仮面」、「F-ZERO X」が収録された。
#*むしろ長島☆自演乙☆雄一郎じゃない?
#WiiWareに亜空の使者のディレクターズカット版が配信された。
#チーム主催ゲームで登板する度に踊るファンがいる。
#*プロローグやエピローグが明かされる模様。
#*後にホークスに移籍し、球場全体がメガホンダンスで踊るようになる。
#スマブラWiiUにガレオムやデュオン、タブー等の亜空の使者関係のフィギュアが続投した。
#**そうなった場合、入場曲をニャル子さんOPにしてペーニャ以上に注目される。
#歴戦の勇者の声優は全員新緑になった。
#***この場合西村が内川と同じくホークスの名誉生え抜き選手扱いされている可能性も。<!--ニャル子さんの出版元はソフトバンク系列-->
#*特にマリオとピカチュウは近年に合わせた声質に一新された。
#勤労感謝の日に[[東京ドーム]]で行われるファン感謝イベントでは[[秋葉原|2駅東]]の人らがやってくる。
#岩田社長は2014年に病気にならず、社長が訊くを継続してた。
#アニメに興味のない観客は理解不能という目で見ているが[[涼宮ハルヒファン]]は球場でニヤニヤしながら見ている。
#*スマブラforの明かされなかった秘密が判明する。
#巨人ベンチ側の外野席では、選手のユニホームを着る人よりコスプレイヤーの方が明らかに多い。
#*2014年度のE3に参加できた。
#西村婦人の野添央子(めえこ)氏は今よりもっと支持されている。
 
#[[ニコニコ動画|ここ]]では阪神叩きが日常茶番に。
===超人学園ゴウカイザー===
#*なんJから33-4やVやねん!文化が入ってきた頃に消滅。
#続編も発表されていた。
#毎年オールスターにファン投票で選出されている。そしてファンが踊る。
#ダブルドラゴンと並んで、テクノスジャパンの看板タイトルとなっていた。
#*成績不振の年だと、97年の新庄みたいな扱いを受ける。
#トレースシステムを採用した格闘ゲームが増えていた。。
#恐らく2009年にはエンドレスエイトで[[涼宮ハルヒファン|ファン]]が激減したお陰で[[けいおん!]]のEDにしてしまったと思う。(そして生き残ったファンから総スカンを食らう)
 
#*それじゃなければ2007年の時点で[[らき☆すたファン|らきすた]]のOPにしてしまう。但しこちらの場合ハルヒファンは許していた(こなたも同じ類だったからなあ…)
===痛快GANGAN行進曲===
#西村はプロ野球選手における「アニソンのパイオニア」となっている。
参照:[http://game.snkplaymore.co.jp/event/virtual-console/gangan/index_gangan_j.html 痛快GANGAN行進曲]
#*プロ野球の登場曲で普通にアニソンで登場する選手は今以上に増えている。
#続編も発表されていた。
#*ヤクルト押本ももっと早くアニソンを使っていた。
#ワールドヒーローズと並んで、ADKにおける人気ゲームの一つになっていた。
#「巨人軍は紳士たれ」に反するので、西村自体が処罰トレードされていたかも。
#「ネオジオバトルコロシアム」でもキサラ以外、最低でも一人は参戦キャラが増えており、さらに条がプレイヤーキャラとして参戦していた。
#*二岡・林と共に日ハムへのトレードが有力か。
 
#**そして後に西武へFA移籍。
===T.M.N.T===
#平野綾、茅原実里、後藤邑子の始球式が行われる。
#ベルトスクロールアクションといえばダブルドラゴンでもファイナルファイトでもなくこれ。
#DeNA野川卓斗への注目度は史実より小さかった。
#コナミのファミコン・スーファミ屈指の名作といえば魂斗羅でも悪魔城ドラキュラでもなくこれ。
#後にT.M.N.Tスーパー亀忍者はPCエンジンで再び登場。
#*そしてタートルズインタイムもX68000で再び登場。
#アニメ版もヒットしていた。
 
===ディスクウォーズ:アベンジャーズ 魂ロワイヤル===
#仮に本作が単独でヒットした場合、2015年春よりアルティメット・スパイダーマンに題材を変更して稼働を継続していた。
 
===テイルズ オブ ザ テンペスト===
#本編から除外されず、「マザーシップタイトル」「エスコートタイトル」と言う区分はなかった。
 
===TEO-もうひとつの地球-===
参照:[http://pr.fujitsu.com/jp/news/1996/Apr/teo.html プレスリリース] - 海外ではそこそこヒットしたようですが、もし日本国内で大ヒットしていたとして。
#フィンフィンのキャラクター商品が多数販売され、女性や子供を中心に人気を集める。
#*現実には、ぬいぐるみや絵本が出ていた。
#*「1990年代後半に流行ったイルカがモチーフのキャラクター」といえば、ピンカよりフィンフィンだった。
#*フィンフィンがタッチおじさんと並ぶ、富士通のマスコット的存在になっていた。
#手塚眞の代表的なプロデュース作品になる。
#家庭用ゲーム機にも移植される。
#*セガサターンあたりか?
#たまごっちは史実ほどヒットしなかった可能性も。
#『シーマン』は本作の二番煎じ扱いにされていた。
#*「キモキャラ版TEO」という扱いを受けていた。


===鉄1~電車でバトル!~===
===野村克也===
#やはり電車は架空の物になるか歴史をたどって行くような物(人馬、機関車など)になる。
;伊東沙知代(サッチー)と出会わなかったら
#[http://m-ex.jp/circle/catalog/D01/d01.htm この同人誌]とともに話題沸騰。
#少なくとも公私混同で監督を解任されることもなく、生涯南海ホークス。背番号19は永久欠番になっていた。
#第2弾で、今度はバスがレースをするゲームが登場。
#*鶴岡一人氏とも絶縁状態にはならなかった。
 
#**そうかぁ? 南海蔭山新監督急死騒動の頃には、すでに鶴岡監督とは縁切りを決めていたはず。
===デモンブライド===
#***蔭山氏急死の時に鶴岡親分を見限ったって発言は、南海追放されてからの後付け。
#コンシューマ化、続編もあった。
#*なんばパークスのホークスギャラリーには、当然のごとく野村克也の資料も展示されていた。
#同じエクサム社が制作した「アルカナハート」と比較されていた。
#南海の暗黒時代は訪れず、本拠地が[[福岡]]に移ることもなかった。
#「アルカナハート」とのクロスオーバーがあった可能性も。
#*場合によっては南海ホークスが存続している。
 
#**その場合も大阪球場は解体され、中百舌鳥あたりに本拠地が移転している。
===TOY POP===
#*[[阪急ブレーブス|阪急]]が福岡に移っていたかも。ダイエーと阪急、神戸つながりで。
#ピノはナムコスターズの一選手という認識にとどまることはなかった。
#**その場合阪急がソフトバンクに球団を売却していたかもしれない。
 
#*[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]も誕生しなかった。
===ときめきメモリアルONLINE===
#**それの因果がわからん。南海・野村監督が健在だったとしてもパ・リーグは凋落の一途だったろうし、近鉄とオリックスの球団合併→新球団設立がなぜ起きないと。
#家庭用ゲーム機にも移植される。
#団野村は野球と関係ない仕事をしていた。
#*XBOX360とPS3で発売。その後PSPでも発売。
#*野茂英雄や伊良部秀輝などの選手がメジャー入りしても違う進路を歩んでいたかもしれない。
#**アイマスとこれで2大派閥ができる
#[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]は依然として馴れ合い主義なチームのまま。
#**PS3の「HOME」企画がこれに便乗していた可能性も。
#*関根潤三の後は普通に若松勉が監督をしていた。1992年くらいは優勝できたと思うが…
#*コンシューマ版のタイトルはアニメ同様「ONLY LOVE」。
#**最悪の場合ヤクルトがダイエーに球団を売却し、福岡に移転していた。
#コスプレ用パーツがコスパで発売される。
#***そして2004年にソフトバンクに球団を再売却。
#[[クイズマジックアカデミー|QMA]]と連動した企画も出てくる。
#**後任が若松なら問題無く優勝してたし安定して強かったろうな。野村が優勝できたのは土橋・関根が松園の「馴れ合い主義」を6年かけて片付けて基盤を作ってくれてたおかげだし。阪神見れば一目瞭然。
#*声優つながりで小百合がリディアに扮したり。
#***ただその阪神は野村時代に赤星・藤本など若手を育てて基盤づくりをし、次の星野監督でリーグ優勝を果たした。
 
#***若松の手腕次第では日本ハムの北海道移転前後に監督就任していたかもしれない。
===ときめきメモリアル3===
#今の「つば九郎」の妹の名前が「つばみ」ではなく「スッチー」に…<!--、なるわけない-->。
#4の出る時期はもっと早かった。それどころか6・7ぐらいまでナンバリングが出てギャルゲーの王道の地位を確かにしていた。
#サッチーは「ドーベルマン」ではなく「ブルドッグ」だった。
#3関連のグッズも数多く発売されていた。
#サッチーのタレント活動もなく、逮捕されることもなかっただろう。
 
#*明石家さんまとテレビ朝日の絶縁もなかった。
===トマトアドベンチャー===
#*浅香光代の知名度は現実より低く、「ミッチー」なんて呼ばれることは無かった。
参照:[[wikipedia:ja:トマトアドベンチャー]]
#**「浅香」といえば浅香唯を思い出す人の方が多かった。
#続編が出てシリーズ化もされ、任天堂のキラータイトルの一角になっていた。
#カツノリは生まれなかった。
#『マリオ&ルイージRPG』の製作企画はなかった。
#*あったとしても遅れていた。
#3DSでリメイクされていた。
#本作の登場キャラクターが[[大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ|スマブラシリーズ]]に参戦していた。
 
===ドラゴンボール EVOLUTION(PSP版)===
参照:[http://www.bandaigames.channel.or.jp/list/psp_dragonball/ 公式サイト]
#史実より映画の完全公開終了は遅かった。
#*映画の売上げは上がっていた。
 
==な行==
===日本相撲協會公認 日本大相撲===
#コナミにとっては、「実況パワフルプロ野球」シリーズとともに、人気スポーツゲームとなっていた。
#*力士がパワプロクン風になった「実況パワフル大相撲」なんて作品もできていた…かも。
#もちろん、毎年のように新作ができていた。
#*ゲーム各社から、大相撲をテーマにしたテレビゲームが出るようになっていた。
#幕内力士は、実名で登場し完全再現。
#*また、オプションとして、歴代の名力士も実名で参戦。
#実況も付けられるようになっていた(ちなみに、実際は実況はアテレコされていない)。
#*NHKの協力で、本物の大相撲中継で実況を担当するNHKのアナウンサーがアテレコを担当。
#*また、解説者も本物を使用。
#**2015年現在なら、正面:北の富士、向正面:舞の海…と言ったところか?
#会場は、国技館はもちろん、大阪・名古屋・福岡の会場も完全再現。


===NOëL3===
;鶴岡一人や南海球団と和解出来ていたら
シリーズ最終作品になりましたが、もしシリーズ作品が出続けたりアニメ化などメディアミックスが行われるほどの大ヒットになっていたら。
#引退後、80年代前半にホークスの専任監督として再登板していた。
#新たな慣例となり以降のアイマス、ときメモ、ラブライブといった原則非暴力の日常系、恋愛系、アイドル系ヒット作品でもヒロインを犯罪行為から救う暴力系サスペンスものの派生作品が必ず出ていた。
#*後の王監督への「生卵事件」の際、南海ファンが掲げた横断幕は「杉浦監督再登板」じゃなくて「野村監督再登板」。
#パイオニアLDCは撤退までテレビアニメものゲームに依存することはなかった。
#南海OB会長になっていた。
#*インクリメント・ピーへのゲーム事業移管はおろかNBCユニバーサル・エンターテイメントジャパンとなった今でもゲームを出し続けていた。
#*副会長は杉浦さん。
#*というよりパイオニアLDCは電通に売却されることなく現存していたのではないだろうか?
#なんばパークスのホークスギャラリーは、ノムさんをギャラリーの看板的存在として前面に出していた。
#1980年代の南海の成績低迷はなかった。
#*うまくいけばダイエーへの球団売却もなかったかも。
#**代わりに阪急がダイエーへ売却され、福岡へ移ったかも。
#この場合、中百舌鳥に新球場ができていた。
#*[[大阪ドーム]]がホークスの本拠地に。南海と近鉄が合併された上で楽天誕生。
#でも近鉄とオリックスの球団合併と同時期にソフトバンクに売却される。
#*「大阪ソフトバンクホークス」になっていたかも。


==は行==
==は行==
===ハチエモン===
===ランディ・バース===
#関西テレビが全国的に有名になっていた。
;あの時に戦力外通告を受けていたら
#*ハチエモンは関西限定のローカルなキャラではなく、国民的人気キャラになっていた。
阪神で活躍したバースも1988年には長男の病をめぐって球団と対立し、その結果阪神を去る事になりましたが、それ以前にもバース解雇話が複数回持ち上がっていました。もしあの時バースが阪神から戦力外通告を受けていたら?
#**テレビ局のマスコットキャラクターとしてはonちゃん(北海道テレビ放送)と肩を並べる知名度・人気になっていた。
#本格的にアニメ化。放送時間は恐らく土曜8時台になっていた。
#*流石におっさん声の岡田照幸では無理があるため、関西出身の若手声優を起用していた。
#*映画もできる。そしてシリーズ化。
#大ヒットを期に、他のテレビ局も自局のマスコットキャラを主人公にしたゲームを次々と制作し販売。
#ゲームボーイアドバンスで続編として「2」、「3」がでる。
#*その後ゲームキューブ、DS、Wiiなどで新作が出てた。
#ご当地カトちゃん、キティちゃんならぬご当地ハチエモンも登場していた。
#たまごっちとコラボレーションもしていた。
#少なくとも新作スマブラにはナムコ代表キャラとして参戦していた。
 
===パックマン===
世界では人気を博しましたが、日本では大したことはなかった。もし日本でも高い人気を博したら・・・?
#続編のスーパーパックマンでも注目してた。
#パックマンシリーズはスーパーマリオやモンスターハンターの肩を並ぶキラータイトルになった。
#*Wiiのバーチャルコンソールアーケードにパックマンシリーズが配信された。
#*WiiUに「パックマン チャンピオンシップ エディション」が配信された。
#*パックマンワールド 20thアニバーサリーは予定通りNINTENDO64やドリームキャスト、Microsoft Windowsにリリースされた。
#**2以降のパックマンワールドは任天堂ハード向けに発売する機会が多くなった。
#日本でのパックマンの扱いが大幅に大きくなった。
#ご当地グッズを販売してた。
#パックワールドはテレビ東京に放送された。
#*ゴーストの名前はちゃんと日本使用になった。
#スマブラでのパックマン関係の要素が大きくなった。
#*フィギュアではパックワールドやパックマンパーティが実装してた。
#*オレ曲に10曲以上収録された。
#映画のピクセルのパックマンは日本で悪事を働いた。
#バックナー&ガルシアの「パックマン・フィーバー」はオリコンシングルチャートで総合100位以内にチャートインしていた(現実ではオリコン最高187位)。
 
===パワフルゴルフ===
#2が3DSやPSPあたりで発売されていた。
#KONAMIは以降も、ゴルフだけでなくサッカーなどの他のスポーツを題材としたパワフルシリーズを製作、発売していた。
#実際のゴルフ場で「ナイスショット」や「グッドショット」並みの頻度で「パワフルショット」の掛け声が聞かれる事になった。
 
===ひまわり(Regrips)===
ここではプログラム班がまともであったという設定でお願いします。
#Regripsは過疎を題材にした有名な泣きゲーメーカーの一つとして現在も存続していた。
#*史実では元メンバーが関わっているいくつかのメーカーがRegripsの1ブランドとなっていた。
#**「君の想い、その願い」を作った「tumugi」に至ってはメンバーは会社を設立せずRegripsに入社して、ゲームを制作していた。
#**ポスト葉鍵のいくつかのグループを吸収していた。
#確実にアニメ化されていた。
#[[keyファン]]とはやはり仲が悪かった。
#*「ヨスガにソラってろ」を上回るkeyファン批判を頻繁に行っていた。
#モデルの一つと思われるくりでんにファンが聖地巡礼しに来る。この結果くりでんはそれで人を呼び込もうとする。
#過疎問題に関心を持つ人が増えていた。
#*ファンがネット上で反小泉改革の活動を活発に行いネトウヨと対立していた。
#*ファンが[[鉄道ファン]]と共に鉄道廃止反対を主張していた。
#*ファンが「極北ラプソディ」を名作と持ち上げていた。
#「てのひらを、たいように」「果てしなく青い、この空の下で…。」のような作品も脚光を浴びていた。
#*これらもコンシューマ機移植に留まらずアニメ化までいったかもしれない。
#**「てのひらを、たいように」のメーカーの活動停止は避けられたかもしれない。
 
===ヒーローバンク===
#当然、『[[アクションゲームファン/作品別#龍が如くファン|龍が如く]]』と並ぶセガ及び名越稔洋の代表作となっていた。
#続編の発売は2015年の春あたりになっていた。
#*これだと史実より遅いぞ。
#逆に『[[もしあのゲームがコケていたら/は~わ行#妖怪ウォッチ|妖怪ウォッチ]]』は史実ほどヒットしなかったかもしれない。
#主題歌の『かせげ!ジャリンコヒーロー』は角田信朗の代表曲となっていた。
#*角田信朗の楽曲といえば『CR花の慶次』シリーズの主題歌のイメージが強いままではなかった。
 
===ファイアーエムブレム外伝===
#前作「暗黒竜と光の剣」と同様後世のハードでリメイクされていた。
#ジャンプで魔物が聖魔の光石で初登場と誤報されることはなかった。
#「大乱闘スマッシュブラザーズ」シリーズにアルムがプレイアブルキャラとして参戦。さらに最低でももう一人はフィギュアとして登場していた。
 
===ファイナルファンタジーVIII===
売り上げはFF史上最多だったが、評価が低かったFFVIII。もし評価も高かったら・・・?
#IXもトリプルミリオン行ったはず。
#名実ともにVIIIがFFを代表する作品になっていた。
 
===風雲スーパータッグバトル===
参照は[[wikipedia:ja:風雲スーパータッグバトル]]
#シリーズ3作目が製作され、キャロルとニコラが復活していた。
#餓狼や龍虎、サムスピと同様、アニメ化されていた。
#ショー・疾風が「ザ・キング・オブ・ファイターズ」に出るのが史実より速くなっていた。
#*少なくとも2000で獅子王の代わりに参戦していたかもしれない。
#「ネオジオバトルコロシアム」でも獅子王以外、最低でも一人は参戦キャラが増えていた。
 
===双恋===
#二番煎じを狙うべく、ギャルゲーやラノベ、アニメなどが双子モノで溢れかえっていた。
#電撃G'sMagazineの表紙が他社版権物にならず、引き続き読者参加企画のキャラを使用していた。
#登場キャラに双子がいて、かつ一部出演声優が被る『ToHeart2』や『THE IDOLM@STER』が本作の二番煎じ扱いにされていた。
#アニメ第一作と『フタコイオルタナティブ』が史実以上に袋叩きにされ、翌年には設定・作画共にゲーム準拠のアニメが作られる。
#続編『双恋2』では二学期以降を扱い、クリスマスやバレンタインのイベントも組み込まれる。
#7組目の双子ヒロインが誕生した。
 
===プラレール 夢がいっぱい! プラレールで行こう!===
#プラレールが初のゲーム化が話題になり、2年後にゲームキューブに移植された。
#*2000年代後半以降は任天堂ハードに多く発売された。
#**WiiUでは現実らしくグラフィックが描かれてる。
#**50周年や55周年記念には「プラスチック汽車」を始めとした廃番プラレールがゲスト参戦してた。
#*特典はオリジナルプラキッズやトミカ、プラレールの中間車など付いた。
#2009年に「豪華3本立て!トミカ・プラレール映画まつり」が公開され大ヒットになった。
#てっちゃんがゲームに初登場した。
#ハイパーガーディアンが多くゲーム化され、2012年以降に続投した。
#トミカが久しぶりにゲーム化された。
#*トミカハイパーシリーズもゲーム化され、ストーリーモードを中心とした内容になった。
#*トミカの箱の中にある3DS用QRコードが搭載し、コレクターが増えた。
#プラレール博が豪華に一新された。
#「のりものGOGOパラダイス」がオリコンシングルチャート10位を獲得した。
#タカラトミーがゲーム業界を撤退しなかった。
 
===プロ野球熱闘ぱずるスタジアム===
パズルゲームとプロ野球ゲームをドッキングさせた作品だが、プレイの時間が長くなるなどの問題点もあり残念ながら大コケ。
#ルールを少し工夫していれば、大ヒットしていたかも。
#毎年春の恒例行事となっていた。
#各球団のマスコットキャラクターがメインのゲームだったので、マスコットを選べるシステムも導入。
 
===プロ野球 ファミスタ2011===
#当時普及途上だった3DSではなくDSで出していればありえた。
#2012年以降もファミスタの新作が出ていた。
 
===ポケモンピンボール ルビー&サファイア===
#『ポケモンピンボール ダイヤモンド&パール』『ポケモンピンボール ブラック&ホワイト』といった続編が次々と発売されていた。
 
===星のカービィ3===
SFC末期のため売上が芳しくありませんでしたが、もしスーパーデラックス並みの売上を記録していたら・・・?
#グーイがメタナイト・デデデ大王に並びカービィシリーズのレギュラーキャラになっていた。
#チュチュ・ナゴ・ピッチもアニメ版星のカービィに出演することができた。
#クリーンのコピー能力が星のカービィWiiに登場していた<!--カービィWiiの開発画面ではクリーンを使うカービィとそのコピー元の敵がヘルパーとして出ていた。-->
 
===星澤幸子のてまなし楽ラクごはん===
#もちろん続編はできていた。
#星沢先生の人気は全国区のものとなっていた。
#DSのみならず、PSPでも販売されていた。
#「レシピソフト」という新しいジャンルが確立されていた。
#*全国の料理研究家が、ソフトを出していた。
 
===ポップンステージ===
#今後もシリーズが続いていた。
#ポップンファンは「本家派」と「ポプステ派」に別れていた可能性もあった。
#ポプステ曲が本家に移植、並びに本家の曲がポプステに移植というスタンスも続いていた。
#クールダンスも本家に移植されていた。
#AC9~AC16に駆けて、ポプステカテゴリがあり、今の所CSでしかプレイ出来ない曲(カンフー、スパニッシュ、ファンク、スカコア、J-ダンス、フォーキー)も本家ACに移植されていた。
 
==ま行==
===魔法少女まどか☆マギカ オンライン===
#魔法少女まどか☆マギカ Plusのサービス開始は早まっていたかも?
#PSP以外でもまどマギのゲームが発売されていたかもしれない。
 
===マーメイドの季節===
参考:[[Wikipedia:ja:マーメイドの季節|マーメイドの季節]]
#桜庭一樹は今も「山田桜丸」名義でゲームのシナリオを作っていた。
#*仮に彼女が史実通り一般書籍の執筆に参入したとしても「山田桜丸」名義で活動していたかも。
 
===マリオカート ダブルダッシュ!!===
#DS以降のマリオカートシリーズは二人乗りが中心だった。


===巫女みこナース===
*1983年シーズン途中に解雇されていたら
*オープニングテーマ「巫女みこナース・愛のテーマ」は電波ソングとして「いろメロミックス」のTVCMで流れるなど流行しましたが・・・。
<!--1983年の阪神入り早々、変化球に脆かったバースは5月の大失速のやり玉に挙げられ、投手陣補強のためにリチャード・オルセンを獲得した際、当時の外国人枠の関係(1球団2名まで)で解雇の可能性がありました。しかし同期入団のスティーブ・ストローターも左投手が弱点であったことと、球団サイドがバースの態度・努力・人格を高く評価していたため、ストローターを解雇しバースは残留しました。もしここでバース解雇を選んでいたら?-->
#同社系列ブランドBaseSonの「恋姫†無双」は史実ほど流行らなかった。
#*「巫女みこナース」の方がコンシューマ機移植やアニメ化されたかもしれない。
#発売したブランドPSYCHOはその後低価格のお手軽系に移行することはなかった。
#*スタッフがビジュアルアーツに移籍することはなかった。
#「巫女みこナース・愛のテーマ」を歌唱した笹島かほるは遥かに早い段階から歌唱を担当したことを明かしていた。


===メガミの笑壺===
#1985年は良くてAクラスだった。
#続編が出ていた。
#ストローターも育たず解雇の場合、暗黒時代入りが早まった。
#実在のお笑い芸人が登場したり声を当てていたかもしれない。
#1985年のドラフトでは、清原ではなく桑田を指名していたかもしれない。
#アーテインは存続していたかもしれない。
#安藤統男監督は1983年限りで辞任していた。
#シーズン最高打率は、イチローによって更新された。
#バースの名は一部マニアックだけにしか記憶されず、世間的には忘れ去られた。


===メダロットBRAVE===
*1984年オフに解雇されていたら
#真型メダロットはなかった。
<!--バースは1984年オフにも守備力等の不振から、当時の安藤統男監督に翌年のチーム構想から除外されていました。しかし安藤監督の半ば解任という形での辞任により就任した吉田義男新監督の熱意もあり残留できました。もしこの時解雇されていたら?-->
#*今でもメダロットシリーズはナツメで開発されている。


===萌え萌え2次大戦(略)===
#やはり1985年は良くてAクラスだった。
#兵器萌え擬人化ジャンルのブームは一足先に来ていた。
#その後安藤統男は叩かれていた。
#アニメ化なども実現していた。
#*吉田義男監督も誕生しなかった可能性も。
#艦隊これくしょんはそこまで有名にならなかった。
#やはりシーズン最高打率は、イチローによって更新された。
#バースの名は単発的な活躍助っ人として記憶された。


===燃えろ!!プロ野球===
<!--==共通して==
現在のクソゲー的人気ではなく、まっとうなゲームとして高い評価を得ていたらと仮定してください。
#暗黒時代の到来は実は1985年の優勝・日本一が原因だという説がある。85年に優勝していなければその後もそれまでのように3-4位程度を常時キープするぐらいのチームであり続けたかもしれない。果たして次にいつ優勝できたかはわからないが…。-->
#「バントでホームラン」というネタはなかった。
#人気面でファミスタを逆転していた。


===モグラ~ニャ===
;1988年に退団しなかったら
参照:[http://www.nintendo.co.jp/n02/dmg/amoj/ 公式サイト]
#前年すでに「バースが活躍しても最下位」だったことを考えれば阪神の低迷は免れなかっただろうが、1988年後半の成績は史実ほど悪くはなかっただろう。
#続編もある。スマブラにも出ている。
#年齢的に、活躍したのは1990年ぐらいまでか。史実で1989年に入団したセシル・フィルダーが例年のバースに匹敵する成績を残したことを考えれば以後の阪神の成績もそれほど変わらないか。
#*その続編もパズル以外でも出てたであろう
#*もちろん、「大乱闘スマッシュブラザーズ」シリーズにモグラ~ニャがプレイアブルキャラとして参戦。さらに最低でももう一人はフィギュアとして登場していた。


===桃太郎電鉄USA===
===福原忍===
USAは海外で唯一発売された桃鉄なので仮に海外でも大ヒットしたと仮定して
;史実より早くセットアッパーとしてブレイクしていたら
#桃鉄シリーズは国内を舞台にした作品と海外を舞台にした作品の隔年で発売されるようになっていた
プロデビューしてからなかなか思わしくない成績続きの福原でしたが、2011年頃から遅咲きの中継ぎエースとして覚醒、時には臨時ながら守護神も務めるほどになりましたが、もし若き日の頃からセットアッパーとして定着していたら?
#*桃鉄16はヨーロッパ+北アフリカが舞台となっていた
#*よって北海道が大移動するネタは2010に持ち越しに
#ユーザーの飽きが少なくなるので今でも桃鉄シリーズが発売されている
#*シリーズ終了も無かった
#*桃鉄シリーズ終了の原因は制作者のさくまあきら氏とハドソンを合併したコナミの社員とのトラブルが最も大きいのでそれはない。
#**さくま氏のブログにも売れ行き関連で問題があるようなことが書かれていた記憶はない。


===モンスターハンター2===
#久保田は先発として定着し、この場合の「JFK」は「ウィリアムス・福原・藤川」と言う方程式になっていた。
#勿論、「2G」がPS2で発売されていた。
#*ただし福原本人は酷使の影響で史実の藤川同様に肩の手術を受けるか、史実より早く引退に追い込まれていた可能性もあった。
#*イャンガルルガ、シェンガオレンが条件を満たさなくても狩れるクエストが新たに出来ていた。
#*一方で久保田は酷使の影響を受けずに史実より現役を長く続けられていた。
#*もしかしたら、ショウグンギザミ亜種、ダイミョウザザミ亜種、ドドブランゴ亜種、ババコンガ亜種、そしてナルガクルガも「2G」でデビューしてたかも。
#安藤がスランプに陥らなければ、福原の代役を務める事もあった。
#田中剛氏が退社に追い込まれることもなかった。
#*「自然は厳しいって事で(笑)」という迷言は生まれなかった。
#「3」は予定通りPS3で発売。
#*「3G」もPS3で出てた可能性もあった。


==やらわ行==
=== 藤川球児 ===
===ヨシモトムチッ子大決戦===
;もしも「火の玉ストレート」を会得していなかったら
#続編が製作されていた。
阪神時代、山口高志投手コーチに「なぁ球児、右足ちゃうか?」と指摘された事がきっかけで、それまでの低迷がウソのような大活躍を見せるようになった藤川でしたが、もしあの一言が無いままだったとしたら?
#*その場合、テントウムシハナコの両親が追加キャラとして登場していた。
#**更にムチッ子達にも原作同様、CVが着いていた。
#吉本興業はこれ以降もキッズ層を視野に入れたメディア展開をしていた。
#PSのゲームアーカイブスでも配信され、更に原作アニメのDVD化も実現していた。


===ライブ・ア・ライブ===
#未成のドラ1のまま阪神を退団していた可能性が高かったであろう。
*今では名作として扱われていますが、当時の売上は決して芳しいものではありませんでした。もし、FF6のように大ヒットしていたら・・・?
#*藤田太陽くらいの知名度だった。
#続編がPSで発売されていた。
#*西武などにトレードされ、1・2年くらいだけ活躍したかもしれない。
#*スクウェアの合併相手はエニックスではなかった。(サンデーと組んで作られたため)
#ファンからも「あーいたなそんなの」程度の認識で終わっていたであろう。
#中世編をモチーフにしていた演劇「魔王降臨」がもっと注目されていた。
#*一部では広末涼子の同級生というイメージが強いままだったかも。
#当然ながら「JFK」が流行語になる事も無かった。
#藤川俊介の登録名が「俊介」になる事も無かった。
#リンドバーグの曲が彼の登場曲として有名になることもなかった。


===リズムバトル 戦姫絶唱シンフォギア スケルツァンド===
;2012年オフに阪神残留を決断していたら
#半年足らずでサービス終了の憂き目に合わなかった。
2012年オフにシカゴ・カブスへの移籍に踏み切った藤川でしたが、もしあの時に阪神に残留していたら?
#同じ深夜アニメ原作のリズムアクションゲーム「ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル」は大ヒットしなかった。


===レイジ・オブ・ザ・ドラゴンズ===
#久保がストッパー転向する事はまず無かった。
#続編も制作された。
#*そして2014年にDeNAへFA移籍する事も無かった。
#オマージュ元である「ダブルドラゴン」にも何らかの影響があった。
#**その代わりに鶴岡が来る事も無かった可能性が高い。
#コミカライズ、アニメ化などのメディアミックスもあったかもしれない。
#史実通りに2013年5月末に肩の故障で離脱したら、チームは史実以上に中継ぎ陣再編成で大混乱状態に陥っていた可能性が高かった。
#*やはりその場合も最終的に臨時守護神を史実通りに福原がやっていた。
#**故障の度合いによっては、史実通り呉昇桓獲得に動いていた可能性もあった。
#***ドリスが阪神に入団する可能性がかなり低くなっていた。


===レイマン===
==ま~わ行==
*日本国内で売れていたらという仮定でお願いします。
===ケビン・ミッチェル===
#スマブラにもフィギュアだけでなくファイターとしても参戦出来ていた。
;ダイエーに入団しなかったら
1986年のワールドシリーズ制覇、1989年のナショナルリーグMVPなど、輝かしい実績や経験をひっさげて1995年にダイエー入りしたミッチェルですが、活躍は今一つで問題児ぶりが露呈され、すぐ解雇されました。


===ロコロコ===
もし、ミッチェルがダイエーに入団しなかったら?
*大々的な宣伝が行われCMが話題になったが、その割にソフト売上は伸び悩んだといわれる。
#(史実どおりPSPで出ていて大ヒットした場合)PSP完全新作の大ヒットは『モンスターハンター』だけではなくなっていた。
#続編発表時にも史実以上に宣伝が行われていた。
#ロコロコ・イエローはパラッパや井上トロなどと並ぶSCE社を代表するマスコットになっていた。
#あるいは、PSPではなくDSで出していれば大ヒットしていたかもしれない。


==関連項目==
#トラックスラーの解雇はなかった。
*[[もしあのゲームがコケていたら/あ・か行]]
#チーム自体も、あと10勝は勝ち星を増やせていたと思う。
*[[もしあのゲームがコケていたら/さ~な行]]
#1996年の生卵事件はなかったかも。
*[[もしあのゲームがコケていたら/は~わ行]]
#2001年にケビンのいとこのトニーが入団することも無かった。
#水島新司の漫画に助っ人外国人が引き続き登場していた。
#*あれはアップショーらしいぞ。ミッチェル関係ない。


[[Category:歴史のif検討委員会 ゲーム史|あのけえむかたいひつと]]
[[Category:歴史のif検討委員会 日本プロ野球史|あのふろやきゆうせんしゆ]]

2017年6月30日 (金) 21:20時点における版

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独立項目

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選手別

あ行

江川卓

法政大学以外に進学していたら
  • 慶応義塾大学
    • 史実では江川卓が最初に受験して不合格になった大学です。
  1. 70年代から80年代前半の低迷期は無かった。
  2. 史実とは逆にニュース速報で合格を報道されていた。
  3. 投資をする際には三田会の人脈を生かしていた。
    • 史実とは異なり、投資で成功して実業家としても活躍。現実以上に羽振りが良かったかもしれない。
      • 失敗していた場合は、現実以上に大損していたかも。
  • 早稲田大学
  1. 高校時代にバッテリーを組んでいた小倉(現:亀岡)偉民とまたバッテリーを組んでいた。
  2. 連覇も何回も成し遂げていた(史実では1957年から2001年までの間に連覇はわずか1回)。
  3. 巨人入団してそれなりに活躍をしたら、1985年ドラフトで桑田を指名しなかったかもしれない。
  • 明治大学
  1. 当時の監督であった御大とはソリが合わず対立していた。
  2. 結局は中退。そしてプロ入団の際に、ドラフト指名できるのか、ドラフト外入団させられるのか等をめぐって「江川問題」が発生する。
    • 球団首脳陣の中に明治OBがいる場合は「御大に歯向かった奴は絶対入れない」と主張し、明治以外の出身者と揉める。
      • 球団首脳陣で江川を取るか否かで意見が一致しても、親会社から横槍が入って揉めるなんてこともあったかも。
    • 入団してからも、明治OBの指導者や選手から敵視されるが本人は意に介さず。
  • 立教大学
  1. 巨人入団時に当時の長嶋監督から同じ大学の後輩であるためか江川は可愛がられていた。
  2. 当時の立教のチーム事情から江川のワンマンチームになっていた。
  • 東京大学
  1. 史上最高の「文武両道選手」と言われていた。
  2. まさしく「江川一人のチーム」になっていた。
  3. それでも東大は優勝出来なかった。
    • 江川の大学時代に東大から首位打者が出ており、ベストナインに選ばれた選手も2人いる(うち1人は前述の首位打者)。上手く噛み合えば上位進出はあったかも。
      • すべて上手くいけば優勝もあった…かもしれない。
      • 実際に江川は東大戦で1敗している。
      • ある程度野球が強い進学校の球児が、現実よりも多く東大野球部に入部したかもしれない。
      • 野球経験に関係なく、東大の野球部入部志願者が増えたかも。
  • 法政大学は…
  1. 低迷期に入っていた。
  2. 法政大学の全国的な知名度は低くなっていた。
    • さすがにそれはない。
  • 東京六大学以外の大学
  1. 東都や首都、旧関西六大学等、それなりにマスコミで取り上げられているリーグの大学に進学した場合は、そのリーグ全体のマスコミでの扱いも現実より良くなっていた。
    • 卒業後は元に戻る。
  2. それ以外のリーグの大学に入った場合は、江川が出場した試合だけはマスコミで大きく扱われた。
    • 全日本大学野球選手権には4年連続出場できたかもしれない。
    • リーグ8連覇できただろう。
  3. 全日本大学野球選手権に出場した場合は、現実以上に注目された。
法政大学も不合格に終わっていたら

慶応義塾大学を受験するも不合格になり法政大学へ入学しましたが、もし法政大学も不合格になっていたら?

  1. 進学志望だったことと阪急入りを拒否した経緯から、更なる大学受験に挑んでいたと思われる。
    • その後の顛末は「法政大学以外に進学していたら」を参照。
    • 一校も合格できなかったら、社会人に進んでいたかもしれない。
      • 巨人との繋がりが強いチーム(巨人にOBが多い、本業で読売グループと関係がある等)が獲得に動く。
      • 思うような社会人チームに入団できない場合は、史実での大学卒業後と同様に「作新学院の職員」になる。
        • その場合、栃木県内の社会人のクラブチームに在籍。あるいは作新学院が社会人チームを作る。
          • 作新学院のチームは、江川のプロ入団と同時に解散。
  2. 不合格をニュース速報で報道されていた。

王貞治

一本足打法を編み出していなかったら

王貞治は読売ジャイアンツ入団から数年間、大きな期待を寄せられていながら目立った成績を残せずに伸び悩んでいました。その為師匠である当時の荒川博打撃コーチとバッティングの試行錯誤を繰り返し1962年一本足打法を完成させ、それ以来打棒が爆発し急激に成績を伸ばして本塁打の数を量産していきました。もし、彼が転機となった一本足打法を習得していなかったらどうなっていたでしょうか?

  1. 王は打撃が開花せず終いに終わり、未完の大器のまま30歳前後で退団。他球団に移るか、引退して電気技師になるか(王の父は息子を電気技師にさせたがっていた)、実家のラーメン店を継いでいたかもしれない。
    • あるいは中距離打者として活躍していたかもしれない。
    • 未完の大器の代表格として挙げられていた。
    • 仮に史実通り868本ホームランを打っていたとしても、「ホームランの数だけ」という評判で長嶋茂雄ほどの人気は出なかったかも。
  2. 野村克也は本塁打・打点の日本記録を王に抜かされずに現在まで保持し続けてていた。
    • 野村は現役時代の知名度が史実より高くなっていた。
  3. 巨人は打線を長嶋茂雄1人に依存する状態が長年に渡って続いてしまう事に。
    • 他球団の警戒が長嶋1人に集中する為、長嶋は史実より成績を落としていたかもしれない。
      • もしかしたら333本で引退していたかもしれない(史実では444本)
    • 巨人はV9どころか、常勝の座を維持できていたかどうかも怪しい。
      • 史実のV9の時期に、阪神や中日が何回か優勝していた。
      • 大洋の2度目の優勝や、広島・ヤクルト(サンケイ)の初優勝も早まっていた。
      • 阪急は西本監督の時代に日本一になれていた。
    • 他球団からクリーンナップ級の選手を獲得していたのはもちろん、純国産路線を諦めて外国人野手を獲得していた。
  4. 他の選手が一本足を真似る事もなかった。
    • あるいは他の選手が一本足打法を編み出していた可能性がある。
      • まさかひょっとしたらイチローの振り子打法が一本足に発展して・・・いたのか?
      • 一本足打法の代表的選手が田淵幸一になっていた。
  5. バリー・ボンズの756号本塁打達成が日本でもっと大きく取り上げられていた。
  6. 1980年の長嶋の監督解任後、藤田元司監督が史実の王監督の時期も含め長期政権を築いていただろう。
  7. 亀屋万年堂の「ナボナ」はそこまで有名にならなかった。
  8. ピンク・レディーの「サウスポー」は特定の選手をモチーフとした曲にならなかった。
  9. 国民栄誉賞は存在しなかったかもしれない。
    • 創設の理由が「既存の内閣総理大臣顕彰ではプロ野球選手の記録を表彰しにくい」というものだったため。
  10. 後楽園球場→東京ドームのゲートに特定選手の名前が付けられることはない。
故夫人の間に息子が生まれていたら

王貞治には故夫人との間に3人の娘さんを授かりましたが、もし2人の間に息子さんが生まれていたら、球界や王家の生活はどうなっていたでしょう?

  1. 名前は背番号にちなんで「一(はじめ)」?
    • 次男も生まれていたら、「貞治」から取って「貞男(さだお)」?
  2. 父である王氏は、彼がプロ野球選手になることを夢見ていたであろう。
    • 無事にプロで活躍できれば、長嶋茂雄の長男・一茂氏と「ONジュニア」が出来ていた。
    • CMでも共演。
    • 野茂やKKコンビの世代前後になるであろう。彼らと対戦があったかも知れない。
    • 当然、ジャイアンツは欲しがるが王は息子の指名を拒否、ホークスへ入団した。
    • 打者なら父親の半分(434本)ぐらいは本塁打を打っていた。
      • FA取得後、メジャーに移籍、打者初のメジャーリーガーとなる。
      • 第1回WBCの主軸を打っていた。
    • 最初は投手だったことを考えれば、投手という線もありそう。
      • 先発なら200勝、クローザーなら250セーブぐらいはできそう。
      • 打者の場合と同様、FA取得後メジャーに移籍。
      • 第1回WBCでは先発もしくは2番手で投げていたであろう。
  3. 一茂氏がタレントに転向した際には、彼も同時にタレント転向していたかも。
    • そして貞治氏の次女・理恵さんとの3人共演もありえた。
    • 一茂氏とのコンビ、あるいは理恵さんも含めたトリオを組んだかも。
    • 最初からタレント、ひょっとして議員になっていたかも。
  4. 一茂のように球場に忘れて帰られたりはしない。
  5. 暁星学園あたりに小学校から入学し、高校で甲子園初出場。
    • 早実に進学するのか?
    • あるいはそのまま暁星へ進み、硬式野球部が強豪に。
    • 現在(2012年)暁星に硬式野球部は無いが、当時も無かったとしたら王ジュニアのために創設。OBの財力で豪華な設備を整えて優秀な指導者を招聘。いきなり強豪として台頭し、東東京大会の台風の目になる。
  6. 上記のような過度な期待を掛けられて早いウチにプレッシャー等で潰れちゃうんじゃないかという気がする。間違いなく周り(家族除く)が期待するのはホームランだけで、ヒットでは満足しないはずだから。

大谷翔平

大谷翔平はドラフト会議前に「メジャー宣言」したものの、日本ハムが指名を強行し入団に至りました。もしこれが違う展開になっていたらどうなったか?

メジャー宣言がなかったら

「メジャー宣言」自体がなかった場合

  1. ドラフトでは少なくとも競合は避けられなかった。
    • 間違いなく指名していたであろう球団は地元の楽天と高校の先輩がいる西武。
  2. どこに指名されようとも入団拒否には至らないと思う。
  3. 二刀流にされることはなく、おそらくは投手一本だった。
指名されていなかったら

もしあのプロ野球選手があの球団からドラフト指名されていなかったら#大谷翔平(2012年・日本ハム)

日本ハムへの入団を拒否していたら
  1. 日本ハムは菅野に続いて2年連続でドラ1に入団拒否される憂き目に遭っていた。
    • そのため、トレードなどでの投手補強が大きな課題になっていた。
  2. 後は「指名されていなかったら」とほぼ同じ。

落合博満

プロボウラーになっていたら

落合博満はプロボウラーを志していたが、プロテスト受験の直前にスピード違反で捕まり罰金を支払ったためにプロボウラーになれませんでした。そこでもし落合がプロボウラーになっていたらを考える。

  • 球界
  1. 牛島和彦は引退まで中日でプレー。
    • 上川誠二も引退まで中日でプレー。
    • 中日監督も牛島が務めている。
      • 2004年から中日監督に。
    • 大矢明彦は2005年から横浜監督を務めている。
  2. 未だに年俸一億の壁が破られていない。
    • 日本人選手では松井秀喜が初めに破っている可能性もある。
  3. 川相は読売を「中退」で現役終了。
  4. 中村紀は単なるわがままな人として野に下る。
  5. 未だに中日は日本一になれず相変わらず万年2位が確定している
    • 阪神と巨人の優勝回数が史実より増えている。
      • ひょっとしたらヤクルトか広島も一回くらい優勝していたか?
  6. この乱闘事件はなかった(平沼定晴もロッテへトレードされた)
    • 清原は連続試合出場数を更に伸ばした
  7. 2009年のWBCにも中日選手が出場していた。
  8. 井端弘和が大幅な減俸をたたきつけられ退団する事はもちろんない。
  9. 小笠原道大も中日には移籍せず、引退まで巨人で過ごしたか移籍先がロッテかDeNA辺りになっていた。
  • 落合博満個人
  1. 信子夫人と結婚することはなかった。福嗣君も生まれなかった。
  2. ボウリングでも俺流の投げ方を開発。
    • 子供たちにその投げ方を指導する。
    • テレビ東京『ザ・スターボウリング』に出ていたか?
  3. 西城や酒井のいいライバルになっていた…かな。

か行

金本知憲

誕生日が1968年4月1日以前だったら(実際は1968年4月3日生まれ)
  1. 現実より学年が1つ上(1967年度生まれ)となるので、桑田真澄・清原和博と同学年となっていた。
    • 現実以上にこの2人と比較されるようになっていた。
    • 更にもし桑田が1968年度生まれだったら、桑田と金本の学年が逆転していたため、桑田は金本の後輩となっていた。
    • 現実以上に1967年度生まれが当たり年と呼ばれている。
  2. 2009年現在、この年度生まれでは唯一の現役選手となっていた。
  3. 世代の呼び方が「桑田・清原・金本世代」となっていたかも。
    • もしかすると「KKKトリオ」が出来ていたかもしれない。
  4. 誕生日が3月34日と呼ばれることもなかった。
  5. 史実通り2016年に阪神の監督に就任していた場合、桑田の巨人監督就任、佐々木のDena監督就任もあり得たかもしれない。
    • アレに手を染めてなかったら清原の西武監督就任もあったかも。

連続フルイニング出場記録が○○だったら

なかったら
  1. ここまで話題になることもなかった。
  2. それでも、広島→阪神の間では有名な選手となるだろう。
    • フルイニング出場は広島時代からだが、仮にフルイニング出場でなくてもトリプルスリーやタイトル獲得などをしていたら移籍していただろう。
史実より早く途切れていたら
  1. どこで途切れたかにもよるが、「鉄人」と呼ばれることもなかったかも。
    • プロ野球選手で鉄人と言えば今でも衣笠祥雄。
  2. なんでも実況Jで変に話題になることもなかった。
    • ヤニキはともかく「左ニキ」なんてあだ名はなかったかもしれない。
      • 特にフルイニング出場の呪縛が解けて代打屋に転向していたらあまり守る機会もなかっただろうし。
  3. 鳥谷敬がここまで聖域化することもなかったはず。
    • 2016年の成績はもう少し良かった。
2004年、7月29日の対中日ドラゴンズ戦での怪我で途切れていたら
  1. この頃はまだ現役バリバリだったため、そこまで影響することはないだろう。
    • ただし、史実より早く引退していた可能性はある。
  2. フルイニング出場記録は更新されなかった。
2007年の左膝半月板損傷の怪我で途切れていたら
  1. この頃になると守備力にも陰りが見えてきていたため、他の選手にレギュラーを取られていたかもしれない。
    • レフトを守る選手は史実よりも変わっていたはず。
      • 浅井良、桜井広大などが史実より活躍していた。
      • あるいは外国人選手を取っていたかもしれない。
  2. なんだかんだで成績は史実と同等くらいになっただろう。
史実より長く続いていたら
  1. もはや満身創痍の状態だったので、史実より早く引退していたかもしれない。
    • 引退までフルイニング出場を保ったまま引退になったかもしれない。
  2. 少なくとも1500試合は続けていただろう。
  3. DH制を生かすためパリーグへの移籍も検討される。
連続試合出場記録のみ続いていたら
  1. そこまで注目されることはなかったかもしれない。
  2. 史実通り1999年から記録が始まっていた場合、衣笠祥雄の記録(2215試合)を達成するには最低でもあと4年は続けないといけない。この時金本48歳、いくらなんでも厳しいか…。
    • 世界記録はあと400試合は多いので難しそう。
    • 連続試合出場が始まったのは1999年ではなく1998年。
  3. 史実の試合で途切れていた場合、藤川俊介は史実以上に叩かれていた。とばっちりで藤川球児も被害を受けていたかも。
    • 「○川○児」に加えて「○川○介」というスラングができていた。
    • 藤川俊介は大松のような畜生キャラになっていたかも。

工藤公康

熊谷組入りしていたら

工藤公康は甲子園でノーヒットノーランを達成するなど活躍しましたが、高校卒業後は熊谷組入りを表明していました。結果的に西武の強行指名と根本陸夫氏の説得により西武へ入団しましたが、もしそのまま熊谷組入りしていたら?

  • 本人は
  1. プロ入りは早くて80年代後半以降になっていた。
    • 頭角を現したのは最優秀防御率を獲得した85年だから今と大差のない成績を残していただろう。
  2. 200勝到達も遅れていた。
    • 多分、2008年修了時点でもまだ200勝到達できてなかった。
  3. 最多実働記録は早い段階で山本昌の記録になっていた。
  4. 在籍球団が変わっていたかも。(実史は、ライオンズ→ホークス→ジャイアンツ→ベイスターズ→ライオンズと在籍した。)
  • 球界は
  1. 西武黄金時代は実史ほど長くなかったと思われる。
    • 近鉄の優勝回数が増えていたかもしれない。日本一も達成していたかも。

桑田真澄

誕生日が1968年4月2日だったら(実際は1968年4月1日)

もし桑田真澄の誕生日が実際(4月1日)より1日遅れで4月2日だったら。

  1. 清原とは学年が異なるためKKコンビは誕生しなかった。
    • 1983年夏の甲子園のPL学園優勝は無かった。
    • 高校野球人気もそこまで上がらなかっただろう。
    • 幽☆遊☆白書の桑原和真も、違う名前になっていた。
      • 金本が1967年度生まれだったら金原和憲とかかな?
  2. 清原の後輩となるので、高校でつぶされた可能性も。
    • 野手に転向した。
  3. 清原をドラフト指名する球団が1球団増えていた。
    • 清原が巨人に入団していた可能性も。
  4. 金本知憲(桑田より2日あとの4月3日生)のコメントにおける桑田の他人称が「桑田さん」ではなく「桑田」(あるいは「桑田君」)になっていた。
    • 桑田真澄が1968年4月2日以降生かつ、金本知憲が1968年4月1日以前生だったら、逆に桑田の金本に対する他人称が「金本さん」になっていた。
  5. 昭和42年度生まれが「KK世代」ではなく、「清原世代」と呼ばれていた。
    • そして昭和43年度生まれは「桑田世代」と呼ばれていた。
      • 昭和43年度生まれが「KK世代」になっていたかも(この場合もう1つのKは金本のこと)。
  6. 清原は投手をしていたかも。
    • その為、逆に清原が巨人のエースピッチャーだったかも。
  7. 1986年のドラフト1位指名は桑田、近藤、阿波野の3人で占められることになった。

さた行

G.G.佐藤

北京オリンピックで落球をしていなかったら
  1. 日本は間違いなく金メダルを獲得していた。
  2. ネット上で「E.E.佐藤」などと揶揄されることはなかった。
  3. この年、本塁打は30本を超えていた。
    • クライマックスシリーズ・日本シリーズにも出場していた。
  4. 「キモティーーーッ!」が流行語年間大賞になっていた。
  5. 2009年のWBC日本代表メンバーに参加していた。
  6. イタリアンベースボールリーグでプレーすることはなかった。
  7. 『しくじり先生 俺みたいになるな!!』で先生として出演することはなかった。
  8. 以降も契約で揉めた事が多く、「自費自費佐藤」や「ゴネゴネ佐藤」などと揶揄されている。
    • それが原因で西武から他球団に移籍していたかもしれない。

多田野数人

AVに出演していなかったら
  1. 2002年のドラフトで普通に横浜に指名されて、今頃は先発ローテの2,3番手くらいにいた。
    • しかしそこはベイスターズ、炎上しまくって勝ち星には恵まれず。
    • 2014年の時点ではすでに現役を引退していた可能性も。
  2. 当然のようにホモという疑いはかけられない。
    • したがって「アッー!!」や「TDN」という言葉は存在しない。
      • TDNって多田野のことだったのか。
        • てっきりTDRのバッタモンか何かかと思ってた。
          • つビリー兄貴
      • TDNしか信じない。
      • 「TDN」とググってもウィキペディアの多田野数人のページにはヒットしない。
  3. 出演しなかっただけで性癖が同じならば横浜の若手選手の数人は被害にあう可能性がある。
    • 東スポあたりでそんな疑惑が取りざたされるも大して話題にされず。
  4. アメリカに渡る事もないので「ただのボール」も開発される事はなかった。
    • 小宮山悟の「シェイク」、星野伸之の「素手キャッチ」も注目されない、もしくは記憶から薄れていた。
    • 「怒り新党」で「ふしぎなボール使い」として紹介されることはなかった。
  5. ヴァン・ダークホーム(現実のTDNコスギ)の愛称はどうなっていただろう・・・
    • おそらく「VAN様」という呼称が広く用いられていた。
    • あるいは「VANコスギ」や「ダーク♂ケイン」といった史実と異なる名前になっていた。
  6. 下北沢の「あずま寿司」は閉店しなかった。
    • 経営が傾いていたとすればやばり閉店していた。
  7. ニコニコ動画の荒らしが若干ながら減っていた。
    • だがヤマジュンやレスリングシリーズがあるので結果ホモネタの需要は変わらない。
  8. なんJの定番ネタが減っていた。
    • そもそもなんJ自体過疎板のままだった。
      • 二岡がスキャンダルを起こさない小笠原が日ハムに残留しない限りそれはないかと。
      • 実際野球chのスレッド保持数削減(=なんJ移動の原因)はカッスレと二岡スレの乱立からと言われてるし。
        • そもそも多田野の騒動がないならプロ野球板の日ハムスレがあらされず野球chに専門スレッドを立てる文化はなかったんじゃないかな。
  9. レイザーラモンHGがブレイクしていない。
  10. 真夏の夜の淫夢がネット上で知られることもなかった。

ニコニコ界隈では

  1. 真夏の夜の淫夢を始めとする淫夢動画(COAT,Acceed)は発掘されなかった。
    • しかし誰かが「有名人がいる」と発掘してしまい、以後現状どおり。
      • まあCOAT,Acceedにはほかにも有名人いっぱいいるからね、しょうがないね。
        • それでも今のように煙たがられるほどに有名にはなっていなかった可能性も高し。
    • ただしTDNは別の人になっていた。
    • 佐村河内やRevoがKBTITの同類呼ばわりされることはなくなっていたか。
  2. クッキー☆はただの東方の二次創作で終わっていた。
    • 多分10万再生どまりだったか。
      • しかし固定ファンはいるので2014年時点で50万くらいはいってたかと。でもミリオンいくのはもっと後。
    • この声優の一人に殺人予告が来ることもなかった。
    • これを企画した人にセクハラ疑惑がかかることもなかったので今も活動していた。
  3. ↑を始めとする風評被害作品が被害を受けていなかった。
    • Aチャンネルも2期が制作されていた。
      • いや、風評被害以外の問題もあるから史実同様OVAだけだと思う。
    • スローロリスの知名度は今よりなかった。せいぜい「かわいらしい絶滅危惧種」として動物カテで扱われる程度。
  4. 史実よりレスリングが煙たがれていた。
    • まだ釣り動画の素材として使われている。
    • くそみそも同じく。
    • ただし運営側が強引に動画削除などの弾圧を行うことはなかった。
      • しかしそのせいで「運営に庇護されている」と思われ、レスリングの用語を過剰に使うガキが「レスリング厨」呼ばわりされるなど反感を買われた。
        • それこそレスリング以外のホモネタの動画を削除するようなことがあればなおさら。
        • 結局叩きの対象が「淫夢」から「レスリング」に替わっただけかも。
  5. ニコニコ動画ももっと平和だったか……と思ったがyoutubeからヒカキン信者が大量に入ってきてもっと荒れる。
    • ニコ動の生放送重視の体制はますます加速していただろう。
    • おそらくヒカキン関係の動画が過剰なまでにネタにされていたかも。
      • 結局Syamu発掘以降は殆ど変わらなかったりして。

田中将大

もし2013年の連勝記録が途中で途絶えていたら

東北楽天投手・田中将大は2012年8月19日の対西武(6失点)で負け投手になってから、2013年11月2日に日本シリーズの対巨人戦(4失点)で負け投手となるまで、レギュラーシーズン・ポストシーズン通算で驚異の30連勝を達成、2013年レギュラーシーズンは開幕から24連勝を達成しました。ところが、2013年シーズンは24勝の内、チームがサヨナラを含む逆転したことによる勝ち星が10もありました。もし、チームの逆転がなく、田中投手に黒星が付いていたら?

  • 黒星の数が極端に少なかったら
  1. 楽天のリーグ優勝は、実史の2013年9月26日ではなかった。
  2. 他は、ほぼ実史通りであろう。
  • 黒星の数がそこそこだったら
  1. 楽天はクライマックスシリーズには出場するが、リーグ優勝できたかどうか?
  2. 楽天がリーグした場合でも、恐らく最終盤までもつれたか。
    • 「楽天がリーグ」ではなく「楽天がリーグ優勝」なのでは?
    • ロッテ、ソフトバンクor西武との団子レースになっていたかも。
  • 黒星の数が10(チームの逆転が無かった)の場合
  1. 楽天がAクラスに入ったかどうか微妙なところ。
  2. 他が実史通りなら、チーム最多勝はルーキーの則本昂大。
  3. 2013年の沢村賞は、選考基準全てを満たしたオリックスの金子千尋。
    • 金子の活躍でオリックスがAクラス入りしていたかもしれない。
  4. 翌年に「ニューヨークヤンキースへ移籍」など有り得なかった。
  • その他
  1. 田中の妻・里田まいが再注目される事も無く、里田まいといえば未だに「おバカキャラ」のイメージのまま。
    • 元ソフトバンクのエース・斉藤和巳と結婚したスザンヌと同じくらいに語られるだろう。
  2. 2013年の日本シリーズでは、展開によっては、(実史上で)田中が第6戦で完投した次の日(第7戦)にリリーフ登板した事に対し、アメリカの野球関係者などから『懸念』される事も無かったか?
2013年の日本シリーズ第6戦で負け投手にならなかったら

上にもある様に、この年の日本シリーズ第6戦の対巨人戦(Kスタ宮城)で、東北楽天投手・田中将大は、この年のレギュラーシーズン・ポストシーズン通じて、唯一の負けを喫しました。もし、この試合で、負けを喫しなかったら?

  1. 田中は、この年の公式戦負けなしの26連勝、前年から通算31連勝の前人未到の記録を達成。
  2. 当然、この試合で楽天が日本一になるので、(実史上で)田中が『連投で第7戦にリリーフ登板』という事も無かった。
  3. 勝敗が付かなかった場合は…ほぼ実史通り?

辻本賢人

誕生日が1989年1月8日以降だったら(実際は1989年1月6日生まれ)
  1. 平成生まれのプロ野球選手第1号になっていた。
    • 野球に限らず、あらゆるスポーツを通じて平成生まれ初のプロ選手になっていたかもしれない。
    • 平成生まれが2年早くプロに入っていた。
  2. 福田秀平は平成生まれのプロ野球選手第1号にはならなかった。
    • ただし平成生まれの勝利投手第1号は唐川侑己になったことは変わらない。
  3. NPBに昭和64年生まれの選手は1人もいなかった。

リチャード・デービス

大麻所持で逮捕、解雇されなかったら
  1. 近鉄はラルフ・ブライアントを獲得しなかった。
    • シーズン終盤に西武を追い上げることができず、10.19もなかった。
      • 翌年も西武、オリックスとの優勝争いに加われたか怪しい。
    • ブライアント自身も中日の外国人枠の関係で一軍に上がれず、史実のように大成はしなかったかもしれない。

な行

西村健太朗

入場曲が「ハレ晴レユカイ」になっていたら
  1. 巨人軍の観客動員数が増加。
    • そして西宮の地元チームのファンもこっちへ乗り換える。
      • 地元の住民曰く「柄の悪い地元を応援するより西村のいる巨人を応援した方がいい」
    • むしろあのアニメのアンチが飛躍的に増える予感がする…
    • むしろ原作者が阪神ファンなので許諾を得られない可能性が。
      • 意外とすんなり乗り換えたりしてw
  2. 西村本人は麻生太郎のような存在になる。
    • むしろ長島☆自演乙☆雄一郎じゃない?
  3. チーム主催ゲームで登板する度に踊るファンがいる。
    • 後にホークスに移籍し、球場全体がメガホンダンスで踊るようになる。
      • そうなった場合、入場曲をニャル子さんOPにしてペーニャ以上に注目される。
        • この場合西村が内川と同じくホークスの名誉生え抜き選手扱いされている可能性も。
  4. 勤労感謝の日に東京ドームで行われるファン感謝イベントでは2駅東の人らがやってくる。
  5. アニメに興味のない観客は理解不能という目で見ているが涼宮ハルヒファンは球場でニヤニヤしながら見ている。
  6. 巨人ベンチ側の外野席では、選手のユニホームを着る人よりコスプレイヤーの方が明らかに多い。
  7. 西村婦人の野添央子(めえこ)氏は今よりもっと支持されている。
  8. ここでは阪神叩きが日常茶番に。
    • なんJから33-4やVやねん!文化が入ってきた頃に消滅。
  9. 毎年オールスターにファン投票で選出されている。そしてファンが踊る。
    • 成績不振の年だと、97年の新庄みたいな扱いを受ける。
  10. 恐らく2009年にはエンドレスエイトでファンが激減したお陰でけいおん!のEDにしてしまったと思う。(そして生き残ったファンから総スカンを食らう)
    • それじゃなければ2007年の時点でらきすたのOPにしてしまう。但しこちらの場合ハルヒファンは許していた(こなたも同じ類だったからなあ…)
  11. 西村はプロ野球選手における「アニソンのパイオニア」となっている。
    • プロ野球の登場曲で普通にアニソンで登場する選手は今以上に増えている。
    • ヤクルト押本ももっと早くアニソンを使っていた。
  12. 「巨人軍は紳士たれ」に反するので、西村自体が処罰トレードされていたかも。
    • 二岡・林と共に日ハムへのトレードが有力か。
      • そして後に西武へFA移籍。
  13. 平野綾、茅原実里、後藤邑子の始球式が行われる。
  14. DeNA野川卓斗への注目度は史実より小さかった。

野村克也

伊東沙知代(サッチー)と出会わなかったら
  1. 少なくとも公私混同で監督を解任されることもなく、生涯南海ホークス。背番号19は永久欠番になっていた。
    • 鶴岡一人氏とも絶縁状態にはならなかった。
      • そうかぁ? 南海蔭山新監督急死騒動の頃には、すでに鶴岡監督とは縁切りを決めていたはず。
        • 蔭山氏急死の時に鶴岡親分を見限ったって発言は、南海追放されてからの後付け。
    • なんばパークスのホークスギャラリーには、当然のごとく野村克也の資料も展示されていた。
  2. 南海の暗黒時代は訪れず、本拠地が福岡に移ることもなかった。
    • 場合によっては南海ホークスが存続している。
      • その場合も大阪球場は解体され、中百舌鳥あたりに本拠地が移転している。
    • 阪急が福岡に移っていたかも。ダイエーと阪急、神戸つながりで。
      • その場合阪急がソフトバンクに球団を売却していたかもしれない。
    • 楽天も誕生しなかった。
      • それの因果がわからん。南海・野村監督が健在だったとしてもパ・リーグは凋落の一途だったろうし、近鉄とオリックスの球団合併→新球団設立がなぜ起きないと。
  3. 団野村は野球と関係ない仕事をしていた。
    • 野茂英雄や伊良部秀輝などの選手がメジャー入りしても違う進路を歩んでいたかもしれない。
  4. ヤクルトは依然として馴れ合い主義なチームのまま。
    • 関根潤三の後は普通に若松勉が監督をしていた。1992年くらいは優勝できたと思うが…
      • 最悪の場合ヤクルトがダイエーに球団を売却し、福岡に移転していた。
        • そして2004年にソフトバンクに球団を再売却。
      • 後任が若松なら問題無く優勝してたし安定して強かったろうな。野村が優勝できたのは土橋・関根が松園の「馴れ合い主義」を6年かけて片付けて基盤を作ってくれてたおかげだし。阪神見れば一目瞭然。
        • ただその阪神は野村時代に赤星・藤本など若手を育てて基盤づくりをし、次の星野監督でリーグ優勝を果たした。
        • 若松の手腕次第では日本ハムの北海道移転前後に監督就任していたかもしれない。
  5. 今の「つば九郎」の妹の名前が「つばみ」ではなく「スッチー」に…。
  6. サッチーは「ドーベルマン」ではなく「ブルドッグ」だった。
  7. サッチーのタレント活動もなく、逮捕されることもなかっただろう。
    • 明石家さんまとテレビ朝日の絶縁もなかった。
    • 浅香光代の知名度は現実より低く、「ミッチー」なんて呼ばれることは無かった。
      • 「浅香」といえば浅香唯を思い出す人の方が多かった。
  8. カツノリは生まれなかった。
鶴岡一人や南海球団と和解出来ていたら
  1. 引退後、80年代前半にホークスの専任監督として再登板していた。
    • 後の王監督への「生卵事件」の際、南海ファンが掲げた横断幕は「杉浦監督再登板」じゃなくて「野村監督再登板」。
  2. 南海OB会長になっていた。
    • 副会長は杉浦さん。
  3. なんばパークスのホークスギャラリーは、ノムさんをギャラリーの看板的存在として前面に出していた。
  4. 1980年代の南海の成績低迷はなかった。
    • うまくいけばダイエーへの球団売却もなかったかも。
      • 代わりに阪急がダイエーへ売却され、福岡へ移ったかも。
  5. この場合、中百舌鳥に新球場ができていた。
    • 大阪ドームがホークスの本拠地に。南海と近鉄が合併された上で楽天誕生。
  6. でも近鉄とオリックスの球団合併と同時期にソフトバンクに売却される。
    • 「大阪ソフトバンクホークス」になっていたかも。

は行

ランディ・バース

あの時に戦力外通告を受けていたら

阪神で活躍したバースも1988年には長男の病をめぐって球団と対立し、その結果阪神を去る事になりましたが、それ以前にもバース解雇話が複数回持ち上がっていました。もしあの時バースが阪神から戦力外通告を受けていたら?

  • 1983年シーズン途中に解雇されていたら
  1. 1985年は良くてAクラスだった。
  2. ストローターも育たず解雇の場合、暗黒時代入りが早まった。
  3. 1985年のドラフトでは、清原ではなく桑田を指名していたかもしれない。
  4. 安藤統男監督は1983年限りで辞任していた。
  5. シーズン最高打率は、イチローによって更新された。
  6. バースの名は一部マニアックだけにしか記憶されず、世間的には忘れ去られた。
  • 1984年オフに解雇されていたら
  1. やはり1985年は良くてAクラスだった。
  2. その後安藤統男は叩かれていた。
    • 吉田義男監督も誕生しなかった可能性も。
  3. やはりシーズン最高打率は、イチローによって更新された。
  4. バースの名は単発的な活躍助っ人として記憶された。


1988年に退団しなかったら
  1. 前年すでに「バースが活躍しても最下位」だったことを考えれば阪神の低迷は免れなかっただろうが、1988年後半の成績は史実ほど悪くはなかっただろう。
  2. 年齢的に、活躍したのは1990年ぐらいまでか。史実で1989年に入団したセシル・フィルダーが例年のバースに匹敵する成績を残したことを考えれば以後の阪神の成績もそれほど変わらないか。

福原忍

史実より早くセットアッパーとしてブレイクしていたら

プロデビューしてからなかなか思わしくない成績続きの福原でしたが、2011年頃から遅咲きの中継ぎエースとして覚醒、時には臨時ながら守護神も務めるほどになりましたが、もし若き日の頃からセットアッパーとして定着していたら?

  1. 久保田は先発として定着し、この場合の「JFK」は「ウィリアムス・福原・藤川」と言う方程式になっていた。
    • ただし福原本人は酷使の影響で史実の藤川同様に肩の手術を受けるか、史実より早く引退に追い込まれていた可能性もあった。
    • 一方で久保田は酷使の影響を受けずに史実より現役を長く続けられていた。
  2. 安藤がスランプに陥らなければ、福原の代役を務める事もあった。

藤川球児

もしも「火の玉ストレート」を会得していなかったら

阪神時代、山口高志投手コーチに「なぁ球児、右足ちゃうか?」と指摘された事がきっかけで、それまでの低迷がウソのような大活躍を見せるようになった藤川でしたが、もしあの一言が無いままだったとしたら?

  1. 未成のドラ1のまま阪神を退団していた可能性が高かったであろう。
    • 藤田太陽くらいの知名度だった。
    • 西武などにトレードされ、1・2年くらいだけ活躍したかもしれない。
  2. ファンからも「あーいたなそんなの」程度の認識で終わっていたであろう。
    • 一部では広末涼子の同級生というイメージが強いままだったかも。
  3. 当然ながら「JFK」が流行語になる事も無かった。
  4. 藤川俊介の登録名が「俊介」になる事も無かった。
  5. リンドバーグの曲が彼の登場曲として有名になることもなかった。
2012年オフに阪神残留を決断していたら

2012年オフにシカゴ・カブスへの移籍に踏み切った藤川でしたが、もしあの時に阪神に残留していたら?

  1. 久保がストッパー転向する事はまず無かった。
    • そして2014年にDeNAへFA移籍する事も無かった。
      • その代わりに鶴岡が来る事も無かった可能性が高い。
  2. 史実通りに2013年5月末に肩の故障で離脱したら、チームは史実以上に中継ぎ陣再編成で大混乱状態に陥っていた可能性が高かった。
    • やはりその場合も最終的に臨時守護神を史実通りに福原がやっていた。
      • 故障の度合いによっては、史実通り呉昇桓獲得に動いていた可能性もあった。
        • ドリスが阪神に入団する可能性がかなり低くなっていた。

ま~わ行

ケビン・ミッチェル

ダイエーに入団しなかったら

1986年のワールドシリーズ制覇、1989年のナショナルリーグMVPなど、輝かしい実績や経験をひっさげて1995年にダイエー入りしたミッチェルですが、活躍は今一つで問題児ぶりが露呈され、すぐ解雇されました。

もし、ミッチェルがダイエーに入団しなかったら?

  1. トラックスラーの解雇はなかった。
  2. チーム自体も、あと10勝は勝ち星を増やせていたと思う。
  3. 1996年の生卵事件はなかったかも。
  4. 2001年にケビンのいとこのトニーが入団することも無かった。
  5. 水島新司の漫画に助っ人外国人が引き続き登場していた。
    • あれはアップショーらしいぞ。ミッチェル関係ない。