もし西南戦争が起きなかったら

2021年9月3日 (金) 23:55時点における49.104.2.55 (トーク)による版
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  1. 優秀な人材が死ぬことはなかった。
    • 少なくとも宮崎八郎や増田宋太郎は衆議院議員になっている。
  2. 西郷隆盛はそこまで人気にはならなかった。
    • 総理大臣か警察幹部くらいにはなっていたと思う。
    • 開戦直前に何とか回避した場合では二度と中央に戻ることはなかったと思われる。
    • どの段階で回避できたかによりその後の運命は大きく変わっていた。
  3. 熊本城が世界遺産に登録されている。
    • 姫路城より先に登録されるような要素は特にないような気が…。
    • せいぜい暫定リストでの塩漬け状態(彦根城と同じ)が限界かと。
      • 2016年熊本地震で更に流れそう…。
        • バーミヤンみたいに最初から危機遺産として登録。
  4. 自由民権運動がより大規模になっていた。
    • 宮崎八郎あたりは特に活躍していた。
  5. 戦費に起因する大規模なインフレは発生しなかった。
    • 松方デフレはなかった。
      • 日本における都市労働者階層の確立が遅れていた。
    • 鉄道は当初から予定通り「原則国有」にできた。
  6. 私学校は終戦まで存続していた。
    • 現在もその流れをくむ教育機関が存在していた。
      • 私学校の鹿児島県政の影響力の強さを考えると私学校系の学校を卒業しないと公務員になりにくいという学歴格差が鹿児島県内にいまだに残っている。
      • ラサールと争っていた。
  7. 田原坂が開発されニュータウンになっていた。
    • 現実にも存在するが,それ以上に「南(西)の千里」と呼ばれる位規模が大きいだろう。
  8. 宮崎県にあたる地域が、現在も鹿児島県のままである。
    • 史実では宮崎県復活の原動力となったのが、西南戦争後の日向冷遇に対する反発。
    • もしくは史実の宮崎県北部が大分県になっていた。
  9. 大久保利通が鹿児島民に嫌われることもなかった。
    • 紀尾井坂の変もなく、初代内閣総理大臣になっていた可能性が高い。
  10. このページの内容の一部又は多くが現実に。
  11. 九州帝大(現在の九大)は熊本市に設置されたかも。