もしあの鉄道が国有化されていたら/関東
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栃木・群馬
下野電気鉄道
新高徳 | ||||
しんたかとく | ||||
大桑 | 小佐越 | |||
Ōkuwa | Shin-Takatoku | Kosagoe |
- 現実の野岩鉄道・会津鉄道と合わせて「JR野岩線」。
- 昭和40年代には全線開通していた。東北本線のバイパス路線という名目もあり急ピッチで建設された。会津線・野岩線の三セク化もなかった。
- 上野-喜多方間には野岩線経由の特急「おじか」も運転されている。国鉄時代~JR初期はキハ58系による気動車急行として運転されていた。
- JR今市駅と接続している。
- スペーシアは全て東武日光行きになっている。
- 東武は下今市駅-鬼怒川温泉にバスを走らせている。
- 電化された場合、会津田島駅で直流/交流が切り替わる。
- 管轄する支社も会津田島を境に北が仙台支社、南が大宮支社となる。
- 鬼怒川温泉の開発は現実ほど進んでいない。その代わり東武は日光線を中禅寺湖・日光湯元方面に路線を伸ばしている。
- それに対抗して国鉄も日足線の建設を進めている。
- 東武ワールドスクエアも存在しなかった。
- 芦ノ牧温泉駅の猫駅長「ばす」は誕生しなかった。
- 矢板線は国鉄解体まで生き残る。
- 仮に矢板線が野岩線矢板支線となっていた場合現在でも存続している。
塩原電車
- 改正鉄道敷設法別表第33号第2項にもとづく買収。
- 1500v化と専用軌道化は確実に行われている。
- 福渡温泉延伸はその直後に実現している。
- 野岩線建設に合わせて上三依塩原温泉口への延伸工事が行われてるが国鉄再建で中断、工事線共々野岩鉄道に引き継がれる。
東野鉄道
- 改正鉄道敷設法別表第36号にもとづく買収。
- 路線名は「東野線」。
- 大子への延伸はちゃんと行われている。
- 烏山・茂木方面への延伸も計画されているが実現しない。
上信電鉄
ぐんまとみおか | |||
群馬富岡 | |||
● | Gumma-Tomioka | ● | |
ひがしとみおか Higashi-Tomioka |
にしとみおか Nishi-Tomioka |
- 「JR下仁田線」という名称になっていた。
- 107系によるワンマン運転。
- 115系も入線していたかも。高崎地域のほかのJR線を考えるとツーマンのままのような気が。
- 運賃が安くなっていた。
- 下仁田発前橋行、前橋発下仁田行が存在していた。
- 平日の朝夕は快速が運転されていた。
- 「上州○○」の駅名は、国有化後一律「群馬○○」に変更されていたと思う。
- S30年代くらいに上野~高崎~下仁田間に、準急「荒船」(?)が運転開始。
- 今も生き残っていれば、特急列車として、185系-200で運転されている。
- 1960年代に、全線の魔改造が行われて、特急あさまが内山峠を越えて岩村田あたりで小海線に乗り入れていた。
- 軽井沢はアプト式でボロいままの横軽を越えないと行けないローカル線の途中駅になり、西武鉄道が乗り入れてた。
- 一般的には池袋からレッドアローで行くことが多かった。
- 軽井沢はアプト式でボロいままの横軽を越えないと行けないローカル線の途中駅になり、西武鉄道が乗り入れてた。
千葉・茨城
常総鉄道
みつかいどう | |||
水海道 | |||
● | Mitsukaido | ● | |
こきぬ Kokinu |
きたみつかいどう Kita-Mitsukaido |
- 「JR常総線」という名称になっていた。
- 戦後に電化されるも、地磁気観測所の影響で、取手~水海道間は直流電化、水海道~下館間は交流電化され、直流区間ではE231系、交流区間では415系→E531系が用いられていた。
- むしろ全区間交流では?取手~水海道間が直流でOKなのなら、現実の関東鉄道も電化したかった。
- いや水海道までは内房線同様変電所数を増やした方式で直流電化され、現実では取手止まりの快速電車が乗り入れていた。
- 水海道まで直流であった場合は取手-水海道間は東京北局→東京支社の管轄になる。
- いや水海道までは内房線同様変電所数を増やした方式で直流電化され、現実では取手止まりの快速電車が乗り入れていた。
- むしろ全区間交流では?取手~水海道間が直流でOKなのなら、現実の関東鉄道も電化したかった。
- 上野からの直通列車が存在していた(例:通勤快速下館発・常総線経由・上野行、通勤快速上野発・常総線経由・下館行、ホリデー快速常総)。
- 国鉄時代の急行「つくばね」はこっちを経由していたかも(下館から普通列車として水戸線乗り入れ)。
- 結城方面の需要を考えると「つくばね」は史実通り間々田経由で、常総線(・真岡線)直通は別の列車名になっていた気がする。
- JR化後、上野~取手~下館間に特急「ホームタウン常総」が運転開始。車両は485系→E653系。
- TX開業後は水海道発着の上野直通特別快速が運行される。
- 国鉄時代の急行「つくばね」はこっちを経由していたかも(下館から普通列車として水戸線乗り入れ)。
- 常総線沿線の宅地化が進んでいた。
- 真岡線からの直通列車が運行されていた。
- 取手駅構内の管轄が東京北局→東京支社ではなく水戸局→水戸支社になっていたかもしれない。
竜崎鉄道
りゅうがさき | |||
竜ヶ崎 | |||
● | Ryugasaki | ||
いれじ Ireji |
- 「JR竜ケ崎線」になっていた。
- 常磐線と同じく、交流電化になっており、E531系5連が用いられていた。
- 上野からの直通列車が存在していた(例:竜ヶ崎発上野行、上野発竜ヶ崎行)。
- 佐貫駅が竜ヶ崎駅、竜ヶ崎駅が本竜ヶ崎駅になっていた。
- 江戸崎辺りまで延伸されていたかも。
- 西寒川支線なみの扱いでとっとと廃止。
筑波鉄道
つくば | |||
筑波 | |||
● | Tsukuba | ● | |
ひたちほうじょう Hitachi-Hōjō |
かみおおしま Kami-Ōshima |
- 「JR筑波線」になっていた。
- 国鉄時代は上野直通の急行「つくばね」が運行されていた。
- 土浦までは「ときわ」と併結。
- 水戸線の急行列車は別の愛称になっていた。
- JR化後は「ホリデー快速筑波路」に。
- 全線交流電化で、電車は水戸線と共通運用。
- 今でも小山への直通列車が走っている。
- 土浦駅は2面4線構造のままだった。
- 下り普通列車の付属編成切り離し中に優等待避もでき一石二鳥。
- 一部の列車ではその切り離された付属編成が筑波に向かう。
- 関東鉄道の本社は土浦にはない。
- 新土浦駅は開業しなかった。
- TXは筑波駅が終点になっていた。
- 現実のつくば駅は「つくばセンター」駅を名乗る。
- 岩瀬から真岡を経て宇都宮への延伸構想が出る。
常南電気鉄道
- 空軍基地への人員や資材の輸送が行われ、軍事路線化していた。
- 谷田部線の工事は国鉄に引き継がれ完成していた。
- 史実通り戦時中に坂東市を通り古河や久喜への延伸工事が開始され、戦中あるいは戦後直後に開通している。
- 戦後阿見から江戸崎への延伸工事が行われている。
- 佐原への延伸要望が出るが、久喜から先への延伸が優先されなかなか実現しない。
日立電鉄線
- 改正鉄道敷設法別表第40号にもとづく買収。
- 戦時中の輸送力増強のため日立への延伸が実現している。
- 線形の都合で旧型国電天国になっていた。
- 常陸太田から先常陸大宮までの延伸が鉄建公団により行われる。
- 史実とは異なり現在に至るまで存続している。
鹿島参宮鉄道
鉾田 | |||||
ほこた | 坂戸 | ||||
北浦湖畔 | Sakado | ||||
Kitaurakohan | {{{roma}}} | 徳宿 | |||
Tokushukui |
- 鉾田~鹿島神宮~佐原間が延長され「鹿島線」が史実よりかなり早く誕生していた。
- 成田線と上り・下りの関係が食い違って阪和・紀勢線のようにややこしくなる。
- 水戸〜鉾田間も「大洗線」として国鉄時代に開業。
- 戦時中には百里ヶ原海軍飛行場(現百里基地)への引き込み線が存在していた。
- 茨城空港開港後に復活を目指す動きが起こる。
- 昭和40年代まで鹿島神宮行きの急行が乗り入れていた。
- 鹿行地域は現実より発展していた。
総武鉄道
銚子電鉄
- 総武本線の一部となっている。
- 確実に1500Vへの昇圧が行われている。
- 小型車しか入れないため鶴見線大川支線のような旧型国電の楽園となっている。
- 銚子遊覧鉄道時代に国有化されていたら幻に終わっていた身延線用モハ61形が実現しこちらに導入されていた。
- 貨物機関車はDD20になっていた。
埼玉
川越鉄道
武蔵野鉄道
東武鉄道
たてばやし | |||
館林 | |||
● | Tatebayashi | ● | |
もりんじまえ Morinjimae |
たたら Tatara |
- 鉄道国有法後に東武鉄道が計画した日光線系の各線は敷設されない。
- よって日光、鬼怒川の観光開発は進まない。
- 幸手、栗橋、栃木などの開発も現実以上に進まない。
- 高野台も
- 現実の鬼怒川線・野岩鉄道は国鉄の手によって「野岩羽線」(今市-米沢)として開通。上野から山形・秋田へのバイパスルートとなっていた。
- 国鉄日光線・野岩羽線は少なくとも1970年代前半までは非電化のままであった。
- 他線との連絡の観点から、総武鉄道(現:総武本線)時代みたいに旧:浅草駅(現:業平橋駅)が廃止され、亀戸線経由で両国駅がターミナルになっていた。
- 国鉄の優等列車は当初から伊勢崎線ルートで設定され、東北本線ないし高崎線から両毛線に直通するものは、日光線が来なかった栃木、ないし前橋までしか乗り入れない。
- 東武鉄道の根津が当初から計画に加わっており、支援も行っていたので、東上鉄道の敷設は実現せず、別体系での敷設になった。
- 社名は「東上鉄道」のままで、根津の介入が無いため、堤の武蔵野鉄道(現:西武鉄道)に買収されていた可能性も。
- 地下鉄日比谷線は18m級ではなく、東西線・千代田線と同様に20m級規格で敷設された。
- 千代田線より先に、抵抗制御車の発熱や電力消費による「迷惑乗り入れ」の問題が顕在化した。
- 日比谷線は東急東横線とは直通運転をしなかったかもしれない。
- 管轄支社は
- 竹ノ塚まで:東京
- 谷塚-久喜:大宮
- 鷲宮以遠:高崎 といったところか。
- 東京スカイツリーは別の場所にできていた。
- 久喜分断みたいに栗橋分断も出来た。
- 電化は大幅に遅れ、杉戸(現・東武動物公園)までの電化は史実と同じ昭和初期に完成しているが、杉戸以北の電化は昭和40年代に入ってからであった。
上武鉄道
よりい | |||
寄居 | |||
● | Yorii | ● | |
さくらざわ Sakurazawa |
はぐれ Hagure |
- 「JR秩父線」という名称になっていた。
- 西武池袋線からの直通列車が存在しなかった。
- 高崎鉄道管理局→JR東日本高崎支社の管轄になっていた。
- 石灰石輸送が、とっくの昔に廃止になっていた。
- 石灰石輸送の全盛期には軌道の強化が行われ、EF64形1000番台が貨車を牽いていた。
- 「急行秩父路」を「ホリデー快速秩父路」に格下げ。
- 羽生から栗橋か古河まで延伸されていた。
- この場合羽生で管轄が変わり、以東は東京北局→大宮支社に。
- 東京方面直通の優等列車が設定されていたら、以下のようになっていたかも。
- S30年代に上野~熊谷~三峰口間に準急「ちちぶ」が設定(のち急行に)。
- が、西武秩父線開通後は秩父市方面の客をごっそり奪われ、長瀞~三峰口間普通列車に格下げ。
- S57.11改正で特急に格上げ、185系-200が投入された。
- JR化後、新宿~熊谷~寄居間に、特急「ホームタウン寄居」が運転開始。
- 現実の行田市駅が「行田」駅を名乗り、高崎線の行田駅は、「南行田」か「新行田」駅になっていた。
- 熊谷~寄居間は、東京の準通勤圏のような扱いになっており、現実よりも人口が増えていた。
- 寄居町は単独で市制施行条件を満たし、「寄居市」になっていたかも。
- 普通列車は115系3両編成が主体となっていた。
- そしてJR化後は、107系主体になった。
- 沿線人口は他の高崎支社管内のローカル線よりも多いだろうから、211系5連が主体となっていた可能性もありえそう。
- 鉄道建設公団の手で大滝どころか甲府方面に延長されていた。
- その場合、どこか(埼玉・山梨県境辺り?)に高崎局→高崎支社と東京西局→八王子支社の支社境界ができている。
- あるいは西武の構想通り八ヶ岳線と改称した上で大滝から武州中津川森林鉄道の路盤を流用して信濃川上へ至る路線となっていた。
- SLは史実通り走っていた。
- 特急になっているんじゃ…。
- 秩父~三峰口間は非電化…。大滝村まで延びていた有り得たかも。
- 熊谷〜羽生間は東武鉄道の一部になっていた。
東上鉄道
越生鉄道
東京・神奈川
小田原急行鉄道
神中鉄道
二俣川 | ||||
ふたまたがわ | ||||
鶴ヶ峰 | 希望ヶ丘 | |||
Tsurugamine | {{{roma}}} | Kibogaoka |
- 相鉄神中線となった後、相模線と同時に国有化された。
- 路線名は「JR神中線」。
- ラインカラーは横浜で紛らわしくないカナリアイエロー。
- 複線化は現実より遅れた。
- 昭和50年代まで旧型国電が残っていた。
- おそらく今頃は埼京線あたりから押し出された205系が運行されている。
- いずみ野線は建設されない。
- 海老名駅は相模線と隣接する構造になる。
- 相模線の電化も国鉄時代には完了していた。
- かしわ台車両センターは存在しない。
- 東京都心に直結しないので電車の編成は6~8両編成止まり。最近まで通過運転をする列車の設定もなかったかも(または逆に、早い段階で都心に直通する列車が設定されるようになっていたか)。
- 横浜高島屋は建設されず、横浜駅西口はあまり発展していない。
- 羽沢-西谷間は貨物線としてもっと早くから開業していた。
目黒蒲田電鉄
下丸子 | ||||
しもまるこ | ||||
鵜ノ木 | 武蔵新田 | |||
Unoki | {{{roma}}} | Musashi-Nitta |
- 「JR目蒲線」「JR池上線」「JR二子玉川線」となっていた。
- ラインカラーは目蒲線が目黒・蒲田両駅で紛らわしくないカナリアイエロー、池上線が五反田・蒲田両駅で紛らわしくないオレンジ、二子玉川線が旗の台・大岡山・大井町駅で紛らわしくないウグイス。
- 池上線は当初の予定通り三田線に乗り入れていた。つまりこうなった。
- 湘南新宿ラインは目蒲線経由だった。
- 途中停車駅は大岡山のみ。
- りんかい線の直通相手は二子玉川線だった。
- 車両は池上線が209系1000番台、目蒲線・二子玉川線が205系。
- 目蒲線の分断は無かった。
- 蒲蒲線は無かったか、羽田アプローチ線として計画されていた。
- 品鶴線の丸子信号場が駅になっていた。
東京横浜電鉄
- 「JR東横線」となっていた。
- ラインカラーは渋谷・横浜で紛らわしくないカナリアイエロー。
- 湘南新宿ラインは東横線経由だった。
- おそらく湘南新宿ライン自体ももっと早く出来ていた。
- 横浜線が菊名から横浜まで乗り入れていた。
- 副都心線との直通は計画すらされなかった。
- みなとみらい線は京急と乗り入れていた。
- 快速「ムーンライト」「フェアーウェイ」は横浜行きとなっていた。
箱根登山鉄道
- 路線名は「箱根線」あるいは「箱根登山線」になっていただろう。
- 旧国鉄における最急勾配はここにおける80‰となっていた。
- その分碓氷峠の影が薄くなっていたかも。
- 1997年の長野新幹線開通に伴う横川~軽井沢間廃止は現実ほど騒がれなかった。
- その分碓氷峠の影が薄くなっていたかも。
- 小田急ではなく、国鉄→JRが東京~箱根湯本に特急「はこね」を運行していた。
- 小田急も「あさぎり」みたいな形で乗り入れていた可能性もある。
- 小田急ロマンスカーも前面展望室や喫茶カウンターなどは最初から設けられず、EXEのような実用本位の車両ばかりになっていた。
- 東海道本線の普通も一部乗り入れていた。
- 箱根湯本までは東京・横浜の通勤圏となっていた。
- おそらく「踊り子」と併結運転になっていた。
- 小田急も「あさぎり」みたいな形で乗り入れていた可能性もある。
- 箱根湯本~強羅間は国鉄時代には唯一の標準軌の在来線となっていた。
- 箱根のケーブルカーやロープウェイも国有化されていたのだろうか?
- 存在しなかったか伊豆箱根鉄道によって建設されたかのどちらかだろう。
- ここで運用されている車両をベースに碓氷峠を自走できる電車が開発されていた。
- 箱根の観光開発は史実ほどには進まなかった。
湘南電気鉄道
- そもそも湘南電気鉄道自体が1067mmで開業していた。
- 路線名は「浦賀線」または「湘南線」となっていた。
- 当初の計画通り桜木町起点となり、桜木町~横浜間を巻き込んで横浜~浦賀間の路線となっていた。
- 久里浜線は開業しなかった。
- 史実の京急田浦より先は横須賀線に乗り入れていた。
- 田浦~横須賀間の籍は横須賀線扱いとなり、代々木~新宿間での中央本線と山手線の関係のようになる。
- 逗子線は早々に旅客営業を廃止し、東急車輛への貨物線として残されるようになっていた。
- 逗子駅の留置線が延長され、横須賀線も付属編成5両+基本編成10両の編成構成になっていた。