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==東海道山陽方面==
使用車両は交直流60HZ対応寝台電車。最高運転速度は130km/hとする。その他性能は285系電車に準ずる。
*→[[ノート:寝台特急再興|ノート]]にて途中経過報告。
===金星===
名古屋-博多
;下り
:運行意図:羽田→福岡の航空最終便より遅く東京を離れ、始発便より速く福岡へ。
:東京発20:13、品川発20:20のぞみ155号より接続(名古屋着21:55)。
:名古屋(0km)発22:05→岐阜(30.3km)着22:23/発22:24→米原(79.9km)着23:03/発23:04→京都(147.6km)着23:52/発23:53→新大阪(186.6km)着0:16/発0:16→大阪(190.4km)着0:20/発0:21→''広島''(528.2km)着4:14/発4:15→''柳井''(602.7km)着5:10/発5:11→''新山口''(682.7km)着6:10/発6:11→''宇部''(708.0km)着6:30/発6:31→下関(751.6km)着7:03/発7:04→門司(757.9km)着7:10/発7:11→小倉(763.4km)着7:16/発7:17→折尾(782.5km)着7:32/発7:33→博多(830.6km)着8:05
*''斜体''の駅の時刻は平均速度より算出。
;上り
:運行意図:福岡→羽田の航空最終便より遅く福岡を離れ、始発便より速く東京へ。
:博多(0km)発21:45→小倉(67.2km)着22:26/発22:27→門司(72.7km)着22:32/発 22:33→下関(79.0km)着22:39/発22:40→''徳山''(192.2km)着23:49/発 23:50→''岩国''(239.3km)着0:19/発0:20→''広島''(280.7km)着0:45/発0:46→京都(661.3km)着4:39/発4:40→米原(729.0km)着5:19/発5:20→岐阜(778.6km)着5:51/発5:52→名古屋(808.9km)着6:10
*''斜体''の駅の時刻は平均速度より算出。
*停車駅は一部のみ。
*[[勝手に設備改良#岩徳線|岩徳線]]経由。
*加島通過後、宮原総合運転所方面へショートカット。
**同運転所構内は90km/h走行に耐えうるように線形改良。
*名古屋にて6:20発、ひかり430号に接続(品川8:12着)
*まだまだ改善の余地あり。アイディア募集。


===あかつき===
==独立項目==
名古屋・大阪-長崎
;大東急関連
;1号
*[[もし戦後に大東急が分割されていなかったら]]
*大阪22:10発/長崎7:00着/岩徳線経由/所要時間8:50/表定速度87.4km
*[[もし大東急が首都圏のほぼ全ての私鉄を買収していたら]]
;2号
*[[もし五島慶太が東武買収に成功していたら]]
*長崎19:55発/名古屋6:59着/所要時間11:04
;その他
**現在準備中:私より先にできた方はどうぞ公開してください。
*[[もし京浜急行電鉄が○○だったら#湘南電気鉄道が東京横浜電鉄と合併していたら|もし湘南電気鉄道が東京横浜電鉄と合併していたら]]
;3号
*[[もしあの路線が普通鉄道規格で開業していたら#東急玉川線・砧線|もし玉川電気鉄道が普通鉄道として開通していたら]]
*名古屋21:19発/長崎8:45着/所要時間11:26/表定速度86.1km
;4号
*長崎-大阪(その他未定)


===あさかぜ===
==あの路線が開業していたら==
品川-下関・博多
→[[もしあの鉄道路線が開業していたら/東京#東急関連]]
;1号
:品川発19:00/下関着8:35/所要時間13:35/表定速度81.8km
*新幹線を意識したダイヤ設定。
;2号
:下関発19:35/品川着9:15/所要時間13:40/表定速度81.3km
*新幹線と「あさかぜ4号」を意識したダイヤ設定。
*詳細は未定:先にできた方はどうぞ公開してください。
;3号
:品川発21:00/博多着10:40/所要時間13:40/表定速度87.0km
*航空機には太刀打できないので高速バスと新幹線を意識したダイヤ。
;4号
:博多発19:20/品川着9:20/所要時間14:00/表定速度84.9km
*航空機には太刀打できないので高速バスと新幹線を意識したダイヤ。
*詳細は未定:先にできた方はどうぞ公開してください。


===[[寝台特急ギャラクシー・ドリーム]]===
==目蒲線が今でも存在していたら==
*運転区間……舞浜−大阪(USJ)
#2ちゃんねるで「東急ネカマ線」と呼ばれていた。
**大船-大阪間は急行銀河のダイヤを踏襲。
#史実通り東京メトロ南北線・都営三田線に乗り入れていたら、蒲田に地下鉄車両が来ていた。
**TDR利用客をターゲットとした寝台特急。
#*いや地下鉄直通は田園調布から元町・中華街に乗り入れていたのでは?(って時系列めちゃくちゃ)
*使用車両……285系派生車6両編成
#*この時点で急行が設定され、優等種別だけが地下鉄に乗り入れていた可能性もある。
#乗り入れがなかった場合、現目黒線の目黒~田園調布は今でも寂れていた。
#少なくとも目蒲線物語の歌にあるような「あってもなくてもどうでもいい路線」ではなくなっている。
#新7000系・1500系は優先して目蒲線に投入されていた。
#*7600系・7700系の置き換えも「先だって目蒲線に新7000系・1500系を投入→余剰1000系を3両に短縮して池上線転用」みたいな感じになっていた。
#どこかの段階で急行運転が検討されていた。


<!--===サンライズ瀬戸・出雲===
==池上線・東急多摩川線の車両が20mだったら==
寝台特急サンライズ瀬戸・出雲の停車駅はあまりにも奇妙すぎるためで改善します。
#ホームの長さの関係で2両編成に。
#静岡・富士・沼津・熱海駅を通過させ、名古屋・豊橋・尾張一宮・岐阜駅に停車。これが普通。
#*20m化の際に無理やり拡張して3両辺りになっている気もする。
#*停めるにしても名古屋だけで十分じゃない?
#*当然大崎広小路~五反田は地下化。
#**尾張一宮は不要だと思う。
#2代目東急7000系は2代目東急5000系7000番台だった。
#***やはり、岐阜駅は停車でしょう。何故かというと、県庁所在地だから。
#*地下鉄直通ではないから、6000系のように別形式になる可能性も。
#****それを言ったら、静岡は?-->
#*そもそも既存車両の転用ができないがゆえに新形式が起こされたのであって、20m車体で統一されているなら9000系か下手すりゃ8090系の転用で済まされているはず。
<!--#*****当たり前だけど通過。なぜかというと、邪魔だから。
#東横線の1000系は日比直廃止で全車両廃車。
#*****例外の県庁所在地だから。-->
#*地方私鉄に大安売り。
<!--#*****1番の理由はそれだが、理由はほかにもある。静岡駅は併走している東海道新幹線以外に乗換えがないから。岐阜駅は、高山本線に接続している。
#**一方18m車の譲渡ができなくなる。
#******なるほど…、で、接続列車は何分待ち?
#**養老鉄道は東京メトロから03系を購入していた。
#*名古屋通過は夜中だぞ。
#どちらも地下鉄直通の8~10両編成で、東京メトロの車両で運転されてたかもしれない。
#**止めるなら下りは東京発を少なくとも1時間早めねばなるまい。
#*蒲蒲線構想が実現すれば多摩川線はそうなると思う。ただ、ホームの有効長が足りないから優等種別だけ20m車になる可能性も…?
#***一応運転停車してるから、それを完全に停車に変えれば何とかならんでもない。
#7700系・7600系は存在せず、20m化と同時に東横線から8000系が転用されていた。
#****新津駅のように運転の重要地点とする。
#*最後まで8000系が運用されていた路線は間違いなくここだった。
#**上りは2時間遅らせるのが妥当か?
#**サンライズ瀬戸は松山まで延長。
#**東京からは不便なので現行の列車も残ることに…、
#名古屋からの利便性向上なら[[急行復権#「鷲羽」「だいせん」|こちらの方法]]もありかと思う。-->


==東北・北海道方面==
==有料特急が運転されていたら==
===えぞ===
#東急単独では距離が短いので、東武日光線・半蔵門線・田園都市線を直通して東武日光・鬼怒川温泉~中央林間の有料特急が運転される。
#区間
#*小田急ロマンスカーの千代田線乗り入れと同時期に実現した。
#*名古屋-札幌・旭川
#東武伊勢崎線直通のりょうもうも乗り入れるかもしれない。
#停車駅(往路)
#2013年3月からは西武池袋線・副都心線・東横線・みなとみらい線を直通して西武秩父~元町・中華街の有料特急が運転される。
#*名古屋・尾張一宮レ・岐阜・高山・富山・長岡・新津・小樽・札幌(・岩見沢・旭川)
#ちなみに西武池袋線・副都心線・東横線・みなとみらい線のほうは検討中らしい。
#停車駅(復路)
#*S-trainという形で実現しました。
#*(旭川・岩見沢レ)札幌・小樽・新津レ・長岡レ・富山ウテ・高山・岐阜・尾張一宮・名古屋
#*実現するかは未定だが西武の新型特急は地下鉄乗り入れに対応している。
#牽引車
#*名古屋-岐阜:単独
#*岐阜-富山:DD51
#*富山-青森:EH500
#*青森-五稜郭(運転停車。時刻表では通過。):EH500
#*五稜郭-札幌:DD51重連
#*(札幌-旭川:DD51重連)
<!--#**交流区間に直流機を使うのか?-->
#使用車両
#*名古屋車両センター所属T1系([[勝手に鉄道車両開発|新設]])。
#運転間隔
#*1日2本。
#運転及び乗車時間
#*25時間程度。
#この特急えぞ誕生を記念に岐阜駅に駅弁を作る。
#三大都市の主要駅全てに札幌行きが生まれる。
#通過する路線
#*東海道本線・高山本線(全区間)・北陸本線・津軽線・津軽海峡線・函館本線
#**信越本線と白新線もだろう。
#***新潟を通らなければ白新線は通らない。が、肝腎な路線が抜けているのは事実。
#***トワイライトエクスプレスや日本海と同じルートを通っているんだけど。


===日本海===
===クロスシートの通勤型特急===
*既存の「日本海」を寝台電車化して時間短縮、函館まで再延長。
#京急のような2扉転換式クロスシートの特急を東横線に運転。
**名古屋-函館にモノクラス4両も設定、敦賀にて分割併合。
#*地下鉄直通対策で4扉にして日中東横線内は真ん中2つを閉め切る方式かもしれない。
**車両は専用車両を新造。
#停車駅は現行の特急と同じ。
#運転区間:大阪・名古屋-函館
#距離が短いので京急ウィング号やTJライナーのようなホームライナーは無理か。
#停車駅
#田園都市線にも特急が新設される。
#*大阪-京都-西大津-''敦賀''-福井-金沢-高岡-富山-糸魚川-直江津-長岡-鶴岡-酒田-羽後本荘-秋田-東能代-鷹ノ巣-大館-大鰐温泉-弘前-青森-蟹田-木古内-五稜郭-函館
#*休日には大井町線に乗り入れて大井町~中央林間の特急を運転。大井町線内の停車駅は今の急行と同じ。
#**大津京です。
#京急とよく比較されていた。
#*名古屋-岐阜-米原-''敦賀''-(この区間内は同上)-函館


===青葉===
==田園調布-日吉間の片方が通過運転だったら==
#運転区間:大阪-仙台
田園都市線の二子玉川~溝の口のように片方の路線が通過運転をしていたら。
#首都圏を深夜に通過し、関西・名古屋圏と東北地方を乗り換えなしで結ぶ。
===目黒線が通過運転の場合===
#停車駅
#新丸子・元住吉は二子新地・高津のように内側2線が通過線の2面4線のスタイルになり、目黒線は全列車が新丸子・元住吉を通過した。
#*大阪-京都-米原-岐阜-名古屋-豊橋-浜松-(深夜に首都圏を通過)-宇都宮-黒磯-郡山-福島-仙台
#*元住吉は東横線の待避線込みで2面6線になっていた。
#車両は285系ベースの交直流バージョンを新造。
#東横線は運転本数が多いので、大井町線みたいに各駅停車の一部が新丸子・元住吉に停車するということはなかっただろう。
[[category:勝手にダイヤ改正|しんたいとつきゆうさいこう]]
#ラッシュ時は東横線の通勤特急・急行が通過線を走行するダイヤが組まれた。
#大井町線の緑各停青各停のように新丸子・元住吉停車/通過の各駅停車ができていた。
===東横線が通過運転の場合===
#新丸子は東武伊勢崎線の複々線区間の急行通過駅のような外側2線が通過線の1面4線のスタイルになり、東横線は全列車が通過した。
#*元住吉は待避のために各駅停車は停車。
#東横線の所要時間が1分短縮されていた。
#*湘南新宿ラインへの対抗のための通過運転と言われただろう。
#大井町線のような新丸子に一部停車というものはあっただろうか?
#*渋谷方面への乗客の利便を図るため、一部停車は存在しただろう。
#**その場合、以下のようになっていた。
#**#田園調布~日吉間で新丸子停車の東横線各駅停車が目黒線の線路を走っていた。
#**#多摩川~日吉間のホームドア設置は遅れていた(副都心線直通開始と同時期)、もしくはまだ設置されていなかった。
#東横線の急行は多摩川も通過していた。
 
==東急多摩川線が田園調布まで乗り入れていたら==
*参照:[[東急関連路線延長]]
#田園調布の2・3番線は多摩川線ホームになり、東横線・多摩川線ホームの下に目黒線ホーム(5・6番線)ができていた。
#*東横線渋谷方面→旧目蒲線蒲田方面の対面乗り換えは維持していた。
#東横線の急行は今でも多摩川通過だった。
#*東急の優等列車で各駅停車区間以外の3駅連続停車は、田園都市線急行の鷺沼-たまプラーザ-あざみ野だけだった。
 
==三越を買収していたら==
*五島慶太は東横百貨店を三越と合併させ、東横を三越の渋谷店にしようと考えたらしい。
#現実の渋谷の東急百貨店は三越渋谷店になっていた。
#それでも白木屋は時代と共に自然に消えていた。
#伊勢丹と合併しなかった。
#東急の駅員が「この電車は三越前行きです」とアナウンスを堂々と言っていた。
#三越が伊勢丹と経営統合することはなかったと思う。
#買収のやり方によっては三越と三井グループが絶縁状態になっていた。
 
==第三京浜道路の運営を担っていたら==
*第三京浜国道は1954年に東急電鉄により、『東急ターンパイク』として建設される計画でしたが、建設省(現:国土交通省)により国直轄の路線としての整備に変更されました。もし、国直轄としてではなく、当初の計画通り、東急電鉄が路線を開設していたら?
#(当初の計画通り)渋谷から江ノ島までを結ぶ有料道路路線となっていた。
#東急田園都市線は建設されなかった。(『東急ターンパイク』が事実上頓挫した事で、東急が代替措置として田園都市線を建設した為。)
#*もしかしたら、(現実の)田園都市線に相当する路線は大井町線の'''延伸'''という形になってたかもしれない。
#**つまり銀座線が二子玉川まで伸びるのか…。
 
==あの路線の全ての駅のホームが10両編成対応だったら==
===東横線===
#副都心線に8両編成はなかった。
#*もしかしたらメトロ車両は全て10000系になり、7000系乗り入れはなかったかもしれない。
#5000系はすべて10両固定編成になる。
 
===大井町線===
#その前に戸越公園と九品仏を廃止しないと無理。
#*むしろ高架化して残っていた。
#田園都市線に直通する列車が増えていた。
#*史実より混雑が緩和していた。
#5000系が大井町まで乗り入れる。
#上野毛、旗の台以外にも待避線のある駅が存在していた。
 
===目黒線===
#結局ホームは10両対応でも6両か8両での運用になっていたかもしれない。
#目黒駅が2面4線化されていたかも。
 
==田園都市線が標準軌だったら==
*当初の計画では新玉川線だけではなく田園都市線も標準軌とする予定だったそうです。
#当然銀座線との相互直通のため第三軌条方式で建設されていた。
#*近鉄けいはんな線と何度か比較されていた。
#大井町線の溝の口乗り入れが中断されることはなかった。
#*二子玉川~溝の口間は当初から複々線となっていた。ただしすべての列車が二子新地・高津を通過する。
#新玉川線の開業が早まっていたかもしれない。
#こどもの国線も第三軌条方式となっていた。
#トンネル幅の関係上銀座線直通車両を16m車体から拡張することはできないだろうから、ラッシュ時の田園都市線は渋谷行きが続出する。
#*5000系や2020系に当たる車両で置き換わった元銀座線直通車両が台車を取り換えて池上線・多摩川線に転用される。
 
==溝の口~鷺沼間も複々線化されていたら==
運輸政策審議会答申第18号では、溝の口~鷺沼間の複々線区間の延伸も「今後整備について検討すべき路線」と「記されています。
#溝の口行きの列車は全て鷺沼行きになっていた。
#梶が谷車庫が設置されることはなかった。
#*その代わりに、鷺沼駅付近に留置線が設けられていた。
#二子玉川~溝の口間の複々線化が史実よりも早っていたら、十分に可能性があった。
 
==日吉~大倉山間も複々線化されていたら==
計画段階ではそうなっていた
#新横浜線も大倉山分岐になっていた。
#新綱島も地上駅だった。
#地盤が弱いので難工事になっていた。
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 関東私鉄史|とうきゆう]]
[[カテゴリ:東急電鉄|もし]]

2021年3月1日 (月) 12:35時点における版

独立項目

大東急関連
その他

あの路線が開業していたら

もしあの鉄道路線が開業していたら/東京#東急関連

目蒲線が今でも存在していたら

  1. 2ちゃんねるで「東急ネカマ線」と呼ばれていた。
  2. 史実通り東京メトロ南北線・都営三田線に乗り入れていたら、蒲田に地下鉄車両が来ていた。
    • いや地下鉄直通は田園調布から元町・中華街に乗り入れていたのでは?(って時系列めちゃくちゃ)
    • この時点で急行が設定され、優等種別だけが地下鉄に乗り入れていた可能性もある。
  3. 乗り入れがなかった場合、現目黒線の目黒~田園調布は今でも寂れていた。
  4. 少なくとも目蒲線物語の歌にあるような「あってもなくてもどうでもいい路線」ではなくなっている。
  5. 新7000系・1500系は優先して目蒲線に投入されていた。
    • 7600系・7700系の置き換えも「先だって目蒲線に新7000系・1500系を投入→余剰1000系を3両に短縮して池上線転用」みたいな感じになっていた。
  6. どこかの段階で急行運転が検討されていた。

池上線・東急多摩川線の車両が20mだったら

  1. ホームの長さの関係で2両編成に。
    • 20m化の際に無理やり拡張して3両辺りになっている気もする。
    • 当然大崎広小路~五反田は地下化。
  2. 2代目東急7000系は2代目東急5000系7000番台だった。
    • 地下鉄直通ではないから、6000系のように別形式になる可能性も。
    • そもそも既存車両の転用ができないがゆえに新形式が起こされたのであって、20m車体で統一されているなら9000系か下手すりゃ8090系の転用で済まされているはず。
  3. 東横線の1000系は日比直廃止で全車両廃車。
    • 地方私鉄に大安売り。
      • 一方18m車の譲渡ができなくなる。
      • 養老鉄道は東京メトロから03系を購入していた。
  4. どちらも地下鉄直通の8~10両編成で、東京メトロの車両で運転されてたかもしれない。
    • 蒲蒲線構想が実現すれば多摩川線はそうなると思う。ただ、ホームの有効長が足りないから優等種別だけ20m車になる可能性も…?
  5. 7700系・7600系は存在せず、20m化と同時に東横線から8000系が転用されていた。
    • 最後まで8000系が運用されていた路線は間違いなくここだった。

有料特急が運転されていたら

  1. 東急単独では距離が短いので、東武日光線・半蔵門線・田園都市線を直通して東武日光・鬼怒川温泉~中央林間の有料特急が運転される。
    • 小田急ロマンスカーの千代田線乗り入れと同時期に実現した。
  2. 東武伊勢崎線直通のりょうもうも乗り入れるかもしれない。
  3. 2013年3月からは西武池袋線・副都心線・東横線・みなとみらい線を直通して西武秩父~元町・中華街の有料特急が運転される。
  4. ちなみに西武池袋線・副都心線・東横線・みなとみらい線のほうは検討中らしい。
    • S-trainという形で実現しました。
    • 実現するかは未定だが西武の新型特急は地下鉄乗り入れに対応している。

クロスシートの通勤型特急

  1. 京急のような2扉転換式クロスシートの特急を東横線に運転。
    • 地下鉄直通対策で4扉にして日中東横線内は真ん中2つを閉め切る方式かもしれない。
  2. 停車駅は現行の特急と同じ。
  3. 距離が短いので京急ウィング号やTJライナーのようなホームライナーは無理か。
  4. 田園都市線にも特急が新設される。
    • 休日には大井町線に乗り入れて大井町~中央林間の特急を運転。大井町線内の停車駅は今の急行と同じ。
  5. 京急とよく比較されていた。

田園調布-日吉間の片方が通過運転だったら

田園都市線の二子玉川~溝の口のように片方の路線が通過運転をしていたら。

目黒線が通過運転の場合

  1. 新丸子・元住吉は二子新地・高津のように内側2線が通過線の2面4線のスタイルになり、目黒線は全列車が新丸子・元住吉を通過した。
    • 元住吉は東横線の待避線込みで2面6線になっていた。
  2. 東横線は運転本数が多いので、大井町線みたいに各駅停車の一部が新丸子・元住吉に停車するということはなかっただろう。
  3. ラッシュ時は東横線の通勤特急・急行が通過線を走行するダイヤが組まれた。
  4. 大井町線の緑各停青各停のように新丸子・元住吉停車/通過の各駅停車ができていた。

東横線が通過運転の場合

  1. 新丸子は東武伊勢崎線の複々線区間の急行通過駅のような外側2線が通過線の1面4線のスタイルになり、東横線は全列車が通過した。
    • 元住吉は待避のために各駅停車は停車。
  2. 東横線の所要時間が1分短縮されていた。
    • 湘南新宿ラインへの対抗のための通過運転と言われただろう。
  3. 大井町線のような新丸子に一部停車というものはあっただろうか?
    • 渋谷方面への乗客の利便を図るため、一部停車は存在しただろう。
      • その場合、以下のようになっていた。
        1. 田園調布~日吉間で新丸子停車の東横線各駅停車が目黒線の線路を走っていた。
        2. 多摩川~日吉間のホームドア設置は遅れていた(副都心線直通開始と同時期)、もしくはまだ設置されていなかった。
  4. 東横線の急行は多摩川も通過していた。

東急多摩川線が田園調布まで乗り入れていたら

  1. 田園調布の2・3番線は多摩川線ホームになり、東横線・多摩川線ホームの下に目黒線ホーム(5・6番線)ができていた。
    • 東横線渋谷方面→旧目蒲線蒲田方面の対面乗り換えは維持していた。
  2. 東横線の急行は今でも多摩川通過だった。
    • 東急の優等列車で各駅停車区間以外の3駅連続停車は、田園都市線急行の鷺沼-たまプラーザ-あざみ野だけだった。

三越を買収していたら

  • 五島慶太は東横百貨店を三越と合併させ、東横を三越の渋谷店にしようと考えたらしい。
  1. 現実の渋谷の東急百貨店は三越渋谷店になっていた。
  2. それでも白木屋は時代と共に自然に消えていた。
  3. 伊勢丹と合併しなかった。
  4. 東急の駅員が「この電車は三越前行きです」とアナウンスを堂々と言っていた。
  5. 三越が伊勢丹と経営統合することはなかったと思う。
  6. 買収のやり方によっては三越と三井グループが絶縁状態になっていた。

第三京浜道路の運営を担っていたら

  • 第三京浜国道は1954年に東急電鉄により、『東急ターンパイク』として建設される計画でしたが、建設省(現:国土交通省)により国直轄の路線としての整備に変更されました。もし、国直轄としてではなく、当初の計画通り、東急電鉄が路線を開設していたら?
  1. (当初の計画通り)渋谷から江ノ島までを結ぶ有料道路路線となっていた。
  2. 東急田園都市線は建設されなかった。(『東急ターンパイク』が事実上頓挫した事で、東急が代替措置として田園都市線を建設した為。)
    • もしかしたら、(現実の)田園都市線に相当する路線は大井町線の延伸という形になってたかもしれない。
      • つまり銀座線が二子玉川まで伸びるのか…。

あの路線の全ての駅のホームが10両編成対応だったら

東横線

  1. 副都心線に8両編成はなかった。
    • もしかしたらメトロ車両は全て10000系になり、7000系乗り入れはなかったかもしれない。
  2. 5000系はすべて10両固定編成になる。

大井町線

  1. その前に戸越公園と九品仏を廃止しないと無理。
    • むしろ高架化して残っていた。
  2. 田園都市線に直通する列車が増えていた。
    • 史実より混雑が緩和していた。
  3. 5000系が大井町まで乗り入れる。
  4. 上野毛、旗の台以外にも待避線のある駅が存在していた。

目黒線

  1. 結局ホームは10両対応でも6両か8両での運用になっていたかもしれない。
  2. 目黒駅が2面4線化されていたかも。

田園都市線が標準軌だったら

  • 当初の計画では新玉川線だけではなく田園都市線も標準軌とする予定だったそうです。
  1. 当然銀座線との相互直通のため第三軌条方式で建設されていた。
    • 近鉄けいはんな線と何度か比較されていた。
  2. 大井町線の溝の口乗り入れが中断されることはなかった。
    • 二子玉川~溝の口間は当初から複々線となっていた。ただしすべての列車が二子新地・高津を通過する。
  3. 新玉川線の開業が早まっていたかもしれない。
  4. こどもの国線も第三軌条方式となっていた。
  5. トンネル幅の関係上銀座線直通車両を16m車体から拡張することはできないだろうから、ラッシュ時の田園都市線は渋谷行きが続出する。
    • 5000系や2020系に当たる車両で置き換わった元銀座線直通車両が台車を取り換えて池上線・多摩川線に転用される。

溝の口~鷺沼間も複々線化されていたら

運輸政策審議会答申第18号では、溝の口~鷺沼間の複々線区間の延伸も「今後整備について検討すべき路線」と「記されています。

  1. 溝の口行きの列車は全て鷺沼行きになっていた。
  2. 梶が谷車庫が設置されることはなかった。
    • その代わりに、鷺沼駅付近に留置線が設けられていた。
  3. 二子玉川~溝の口間の複々線化が史実よりも早っていたら、十分に可能性があった。

日吉~大倉山間も複々線化されていたら

計画段階ではそうなっていた

  1. 新横浜線も大倉山分岐になっていた。
  2. 新綱島も地上駅だった。
  3. 地盤が弱いので難工事になっていた。