中国地方の城
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鳥取
鳥取城
- 所在地:鳥取市
- 羽柴秀吉の干殺しの舞台。
- 麓にも二の丸、三の丸、天球丸がある。一見、天球丸が本丸の平山城でも良さそうに見えるが、本丸は山の上の山城。
- その向かいの山には秀吉が陣を置いた山がある。
- 本丸まで行く道のりは普通に山登り。正直、吉田郡山城や岩村城よりキツい。
- 江戸時代、天球丸あたりの石垣が崩れてしまったらしく、対策として石垣の元に丸く石垣を新たに作って抑えた。それを復元してある。
- 丸く、本当に球形に石垣を積んでいる様は一見すると現代アートチック。
- 戦前には鳥取砂丘以上の観光名所だったらしい。
- 明治の頃、鳥取県と島根県が合併したとき、一つの県に複数城は要らんと言うことで壊されたらしい。
- 今になって、鳥取県主導で再建事業が行われているそうな。
- 津和野~鳥取で城一つで充分って、なんか悲しいなあ。
鹿野城
- 因州鹿野藩1萬石の城だったが、短期間で破却されたらしい。
- その割に未だに堀と石垣が残ってたりする。
- 鳥取池田藩の支藩があった。けど誰も赴任してこなかった。
- その割に城下町は江戸の末期まで栄えていたのが珍妙。
鬼ヶ城
- 所在地:若狭町
- 因州の深い山々に抱かれた山里、若桜町の町並みを一望できる山城。
- いまとなっては人の流れが智頭街道へ移った(国道373号・鳥取道・智頭急行)関係でどうってことはないけど、元は播州街道(播州では因幡街道)沿いの城だったので、今では想像できないほど重要な城だったと思われる。
- 実際播州から因州へ攻め込んだ猿の戦隊はここを拠点の一つにして鳥取攻めを進めていったとか何とか。
- そこそこ石垣が残っている。けど杉が生い茂っている関係で、但馬竹田城みたいに観光地として売り出すことはできなさそう。
- そこそこ味があるし、名城感は伝わってくるんだが、それでもムリなものはムリな感じがする。ただマニア受けはしそうな感じがする。
- 実は結構遺構が残っているらしい。木々の生い茂っている関係で気づきにくいだけで。
- 若桜駅から、さほど離れていないけど、目立たない。
米子城
- 所在地:米子市
- 石垣は残る平山城。特に本丸近辺はしっかり石垣が残っている。
- 正直、あんまり米子に城下街なイメージはない。
- 中海展望台とかいうものがあるが、木が生い茂っていてちっとも展望がきかない。素直に本丸に登ろう。
島根
松江城
- 所在地:松江市
- 通称千鳥城である。
- 堀川遊覧船が大ヒット。
- 高齢者雇用にも一役。
- 堀の白鳥等は羽の筋を切断手術されてます。サギは飛来。
- 堀周辺東側の地上げがやっと成功し、再開発完成間近。
- 桜のシーズンは、天守閣下の庭が無料開放。
- 名家令嬢と出会いたければ、大茶会の席内スタッフを探せ。
- 立てこもり準備の名残で、食用の木の実が多数取れる。
- 城内用スリッパがあるが、急勾配階段なので脱げ、ストッキングだと伝線。
- 松江地域の経済に貢献している。
- この城を囲っている堀は中堀で宍道湖や大橋川は外堀の機能を果たしている。
- ヴァン・ヘイレンファン御用達。
- 松江城で結婚式を挙げれるようになったが、利用者のほとんどが県外在住者。
- 25年位前まで、サルやクジャクがいた。
- 現在観光協会などが国宝指定を目指し運動中。
- HPを見ると「旧国宝→重要文化財」は格下げであるという勘違いをうまく利用しているように思える。
- 最近、国宝に登録されたようでお祝いムードが漂っている。(2016年)
- 松江市の自治体史である『松江市史 別編1 松江城』を読むと、国宝指定を目指す松江市の執念を感じる。
- 駐車料金は300円、登閣料は550円。
- 姫路城や首里城よりは安価だが・・・。
- 丸亀城が駐車料金無料、登閣料は200円。宇和島城は駐車料金100円分がプラスされるだけ。そして現存天守ではないとはいえ、松江よりも大規模の熊本城が駐車料金200円、登閣料が500円なのを思うと。
- その分、現存天守としては比較的大規模。
- 確かに城内の駐車場だと300円取られてしまうが、県庁や商工会議所など公共施設の駐車場は休みの日なら無料で一般開放されている。どうせ城まで歩いて5分程度なんだし、そっちに駐めて歩けばよいかと。
- 城の中に洋館や神社がある。
- 神社があるのは大阪城と豊國神社などのようにそれほど珍しいものでもないだろうが、天守閣が現存していて、なおかつそれなりに歴史的価値のある洋館もある城というのは結構珍しい様に思う。
- この洋館、興雲閣という名前があるそうで、なんでも元々は明治天皇の山陰行幸時の御宿泊のための施設として、松江市が建造したらしい。だから内装もゴージャス。
- でも肝心の天皇陛下は、諸事情のため、山陰行幸の予定が潰れたため、ついぞ御利用になることはなかったとか。
- その後は、松江市の迎賓館代わりに使われていたとか。
- とはいえ、城の中に神主の居る神社があるのは、やっぱり珍しいといえば珍しい気がしなくもない。そりゃ高岡みたいに城跡がそっくりそのまま神社なんてところもあるから一概には言えないけどさ。
- この洋館、興雲閣という名前があるそうで、なんでも元々は明治天皇の山陰行幸時の御宿泊のための施設として、松江市が建造したらしい。だから内装もゴージャス。
- 神社があるのは大阪城と豊國神社などのようにそれほど珍しいものでもないだろうが、天守閣が現存していて、なおかつそれなりに歴史的価値のある洋館もある城というのは結構珍しい様に思う。
浜田城
- 所在地:浜田市
- 建物とかは残っていない。何しろ長州征伐で敗北した後、逃げ帰った浜田藩の自らの手によって焼き払われたから。
- 石垣とかは残るが、当時と違う位置に置かれてしまった門とか、石垣が崩れて当時はなかったルートで登れるようになっているとか、何とも不遇な扱い。
- 「死んでもラッパを離しませんでした」の像がある。(日清戦争中の話しです。)
津和野城
- 所在地:津和野町
- 山城。山の上にあるので登るのに一苦労、だが、リフトもあるよ。
- 尾根沿いに石垣が残る。
- 何よりも足下に広がる津和野の街並みが良い。ミニチュアみたい。
- 津和野は城下街の風情が良く残っていて良い。当時の武家屋敷や町人屋敷などは門くらいしか残っていないけれど。
- 城主は鎌倉時代から関ヶ原後まで居た吉見氏と、その後つかの間居た坂崎氏(宇喜多氏の流れ)、亀井氏(尼子の家臣の流れ)と長期間存在した城にも関わらずたった3氏だけ。でもって中国地方の人ばっかり。
- 因みに、この亀井氏の嫡流は郵政解散でできた政党に居た両亀井のうち、静かな方の亀井さんである。まあ、静香な方の亀井さんも傍系らしいんだけど。
- 坂崎氏ってのは一代で断絶になるのだが、その人(坂崎直盛)は宇喜多家を内戦状態にして関ヶ原の戦いで東軍が有利になるようにしてしまった人物。宇喜多家時代から、並の中小大名よりも格上だったらしい。
- ♪城跡から見下ろせば 青く細い川 橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突… さだまさし氏の「案山子」はここが舞台。
岡山
→岡山の城へ
広島
広島城
- 所在地:広島市/中区
- 毛利氏によって建てられる。毛利氏の本拠だった。
- と、いうイメージが強いが毛利元就の孫の輝元が建てたので、元就公とはゆかりはありません。
- 毛利元就の時代の本拠は安芸高田市。
- 福島正則が改易された原因。
- 台風だかで崩れた石垣の補修を幕府に届けてなかったのを咎められたとか。一説には届けていたけど通じてなかった説も。
- 板張りの茶色っぽい城。
- 原爆で倒壊した天守閣の部材は薪などに再利用された。
- 日清戦争の際には大本営が置かれた。
- 現在その名残は建物跡の基礎と石碑くらい。
- 石垣の一部が原爆の熱線で焦げている。
- 別名「鯉城」。
- 広島では企業名などでおなじみ。
- なにより広島東洋カープの名前の由来である。広島県民およびカープファンなら常識。
- 太鼓櫓等々もなかなかいい感じに復元されている。
- 城の縄張りの内側に護国神社がある。
- いかにも県庁所在地の城址という感じ。
- 電車賃ケチって市電に乗らず新白島から歩いていくと、普通の住宅街の間を走る幹線道路を10分くらい歩いたら、目の前の堀越しに天守閣があって、ちょっと戸惑った。
- というのも一般的に大都市の城跡って、そこそこのビジネス街を抜けていかないとたどり着けないから。
- 某高校からは窓の向きにもよるが、毎日広島城天守閣を見ることができる。ただし大阪城とかと比べたら雲泥の差があるが・・・
福山城
- 所在地:福山市
- 意外と徳川さんには重要視されていたようで、この城の主は松平家とか水野家のように、元を正せば家康の親戚筋(母方)に当たる家か前の老中の子供などが多い。
- 水野さんが入った時は既に一国一城令が出ていたにもかかわらず、新規築城を許された珍しい城であった。
- 備前以西のエリアの幕府備蓄米の統括管理も担っていたらしい。対馬で大火事があった時もここから救援米が出されたとか。
- 勤皇派で恭順の意思を示してあったにも関わらず、幕末に新政府軍に攻めこまれたのは、毛利の徳川への恨みの捌け口にされたかららしい。
- この時は、家老が機転を利かせて広島藩主の子供を跡目に据えて、御家だけは助けてもらったとか。
- おかげで江戸時代には地方にしてはありえないくらい水道網が発達していたらしい。神田や赤穂と並んで三大上水と呼ばれていたとか何とか。尾張の御用水の立場はどうなる?
- 福山大空襲の影響で残された遺構は少ないが、残っているものはどれも歴史と風格あるものである。
- 伏見櫓は、元々伏見城にあったものである。
- 伏見櫓は2代将軍秀忠公からの貰い物。秀忠の下賜品の中で、一番高級な品なんじゃなかろうか?
- 地味だけど丸亀城とか宇和島城の天守閣とかよりも贅沢な感じがする。
- ところでこの櫓を新幹線ホーム以外から撮影しようと思ったらどこから撮るのが一番ベストなんだろうか。情報をお持ちの方はぶら下げコメよろ。
- 筋鉄御門も伏見城からの移築である。
- と盛んに謳われているが、近年はそれはガセネタであると見るのが一般的な歴史学者の見解らしい。でも福山市民は、あくまで伏見城から移築されたものと信じて疑わない。どっちにしたって重要な文化財であることには変わりないのにね。
- なんだかんだ言っても結構な風格が漂う。頑丈そうな門の雰囲気が非常によろしい。
- 伏見櫓は、元々伏見城にあったものである。
- 模擬天守はエレベーターこそ無いものの近代的な内装で、単なる博物館と化している。
- もとの天守は、台座のサイズは岡山城や広島城より小さかったものの、最上段のサイズはソイツらよりもデカかったらしい。
- この模擬天守。東側から見ると石垣もあって風格のある感じがするが、南側から見るとどことなくちゃちい感じがするのは気のせいだろうか?
- 表面は結構、硬い雰囲気が出ているが、裏側は、守りがめちゃくちゃ甘そう。
- 神辺側からなら容易に攻め入れそうな雰囲気さえ有る。
- おそらく日本で最も新幹線の駅に近い城。
- ただし三原城や長岡城のような駅が城跡にあるケースを除外した場合。
- 三原駅って、そんなことやってたの。なんちゅう文化財破壊。
- 除外しなくても問題なし。それを言ってしまえば、福山城三の丸跡地の真上に立つのがJR福山駅であるという屁理屈も成り立つ。
- ただし三原城や長岡城のような駅が城跡にあるケースを除外した場合。
- 映画「転校生」に、デートスポットとして出てくる。
- 天守閣は、確かに美しいが、それを見終わったら帰りしなには是非、湯殿の前の小庭を見ていってください。
- 近代的な博物館を見たために失われたあなたの古への想いが少し取り返せるかも。
- まじめに書くと小奇麗な前庭と、伏見城から来た湯殿が、小奇麗で、単に私が天守閣よりも好きなだけのことなんだが。
- 実は戦時中空襲で焼けたため今あるのは復元物。元々あったのは国宝だった。
- 新幹線の高架用の鉄筋コンクリートの柱が見事に石垣を突き破っている場所があったりする。
- そもそもそれ以前に、在来線の府中行きホームが堀の跡地の真上だしなあ。本丸が残っただけでもマシと思うべきなんだろう……
鞆城
- 所在地:福山市鞆町
- 室町幕府のラストエンペラー・足利義昭公が落ち延びてきた城。
- 小高い岡の上にある公園という感じ。資料館もあるよ。
- 石垣とかは残ってなかったはず。石垣に使われてた石は転がっているけど。
三原城
- 所在地:三原市
- 村上水軍と親戚だった小早川隆景が造っただけのことはあり、水を意識した造りである。
- 満潮になると城が浮く。
- 干潮でもある程度のサイズの船なら入って来られる様になっている。
- これは、川の水を引き入れて繋いだりしていたからなせる技である。
- ところが、後にこれが仇となる。(後述)
- これは、川の水を引き入れて繋いだりしていたからなせる技である。
- 隆景は、秀吉の命で筑前を所領にした後も、この城を気に入っていたらしい。家督を秀秋に譲った後は、ここへ隠居して再び造成に精を出した。
- その後、福島、浅野と広島藩の物になるが、必ずといっていいほど、重鎮が常駐していた。
- この時代には三原支藩3万石が置かれたが、3万石には不釣り合いな城と言われまくったらしい。
- しかも、なぜか、外様の城にもかかわらず一国一城令の影響を受けていないという謎がある。
- 明治維新後は、中国地方の拠点として帝国海軍が常駐して糸崎とともに軍都化しようとしたが、前述した沼田川のせいで御破算になる。
- 川の堆積作用で、軍艦が使い物にならなくなると踏んだかららしい。
- 結局最後は、城の石垣の石を一個単位で売るなどの究極の競売にかかり、隆景以下、数多くの武将に愛された、三原城はその生涯を終えた。
- 膳所城みたいなコトしてたんだな。
- 新幹線が天守台を貫いていることで有名だが、新幹線ができる前ですら、雑草に覆われたまま放置されていた状態だったらしい。
- 中途半端に水堀と天守台が駅前広場の一部のように残されているのが、悲しいのだが、慣れというのは恐ろしいものでここまで同化していると逆にそれが普通に見えて、天守閣の再建なんかをやってしまうと、多分、逆に気持ち悪くなる。
- 天守台に上がろうと思うと、一度三原駅の構内に入らないといけない。こんな城、日本全国でここくらいやろ。
吉田郡山城
- 所在地:安芸高田市
- 毛利元就の城として有名。
- 町全体で毛利押し。
- こんな田舎の山城から中国地方の覇者になった元就はやっぱり凄いわ・・・。
- 広島バスセンターか横川駅から吉田営業所行きのバスで行くのが一番ラク。1時間半かかるけど。
- 山城なためけっこう登る。
- 通は下の方はそれなりに整備されているが、本丸付近は手をつかないと昇り降りできない場所が幾つかある。
山口
岩国城
- 所在地:岩国市
- 観光パンフなんかで、錦帯橋のバックに写っているお城がこれ。
- 写真では橋の後ろにそれなりに大きく写っているが、実際に見ると意外と遠くて小さい。あの手の写真は結構引いて取っているはず。
- 天守閣復元の際には麓からの見栄えを重視して本来の位置から若干ずらした。
- そのため現在の天守閣のそばにもう一つ天守台がある。
- 昭和期の再建らしく、岩落としは付いてるものの銃眼が小窓のよう。まあ、7年しか存在しなかった城の銃眼がどうだったかなんて分からないだろうけど。
- 山城。山の上に天守閣。ロープウェイで登れます。
- ここに入った吉川家が支藩(半独立状態)になれたのは明治維新よりも後に明治天皇の御声がかかってからのことである。
- 案内板が極めて不案内。実を言うと錦帯橋の近くの吉香公園から城の直ぐ側まで直登するルートもあるのに、何故か案内板ではそのルートの存在が抹消されている。恐らくその目的はロープウェーへの誘導。
- 紅葉谷経由という無駄に遠回りで時間のかかる林道コースのみは流石に舗装路だからというのもあるのだろうか? きちんと案内が出ていたりする。
- 朝は地元の方のウォーキングコースである。
- 因みに直登するルートを下ってみたところ、そこそこ急斜面ではあるものの城から吉香公園まで12分で下りられた。ある程度歩き慣れた人は是非このルートでどーぞ。
- いやいや、案内板に載せないのは妥当。あまりにも山道過ぎて全く万人向けでは無い上に、夏場には蜂も出るらしいし。
- 紅葉谷経由という無駄に遠回りで時間のかかる林道コースのみは流石に舗装路だからというのもあるのだろうか? きちんと案内が出ていたりする。
- 錦帯橋からロープウェイまでは観光地が集まっている。
- 岩国徴古館は無料。2016年からは、事実上最後の岩国領主・吉川経幹を中心に、幕末の岩国情勢を若本規夫氏がいつもの巻き舌で解説してくれる映像が流れている。
- 土産物屋だけじゃなくて、一応 昔の武家屋敷のあとや神社などがある。
- 麓の吉香公園に石垣っぽい感じの台があったりするが、歴史的なものではなく、オブジェだったりするので注意(景観に配慮してああいうものになったと思われる)。
- 天守閣は下層よりも上層の方が大きく張り出している部分のある南蛮造り。2ヶ所くびれているのだけれど、左上の写真を見ればわかるかな?
- 上記にもあるが、関ヶ原後に建てられたが天守閣は完成後7年だけで廃城。なのに日本百名城に登録されている。高岡城も同様だが。
萩城
- 所在地:萩市
- 平山城。麓にも山頂にも石垣が残る。
- 山頂は2、30分くらい登るので、あんまり人が来ないかも。
- 山の上の本丸には石垣に使うために割ろうとしたくさび跡のある石が残っている。
- 入場料を取られるが、出入り口が2つあり、通り抜けが出来るように自転車はそのまま入って良い。
- 入場料を取られずに済む裏口があるような気がするのだが…
- 城下街も街並みや武家屋敷、商人の屋敷が残されていって良い。
- 曰く、江戸時代の地図がだいたいそのまま使えるほど残されているのだとか。
- 江戸時代の地図を使って町歩きをするイベントも行われている。
- 変わったところといえば、市内へ入ってくる国道と県道くらいなもんらしい。
- 城下町には夏みかんの木がたくさん植わっている。最近(かな?)山口県土産に使われるようになっている夏みかんは元々この城下町で武家が植えていたのが発祥とか。
- 曰く、江戸時代の地図がだいたいそのまま使えるほど残されているのだとか。
且山城
- 所在地:下関市
- 一つは、大内義長の最期の地と言って良い山城。
- 結構な山の中に石垣がぽつりとあるだけ。
- もう一つは、その近所にある幕末の城。
- 通称勝山御殿。御殿にしては、立派すぎる規模。