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==阪急ブレーブスの噂==
==宮古島ぬ噂==
#阪急時代の1976年につくられた「ああ!王者」を今聞くと、涙が出てきそう。
#本土の人間はことごとく平良市(ひらら)を「たいら」「ひらよし」と読む。
#*当時いかに強かったかわかり、90年代中旬以降のふがいなさとギャップがあるため。
#*けど人名の平良は「たいら」と読む。
#*「たまには負けてあげようか」とか「敵も勝ちたいよ」とか…
#「アガイ タンディガ」と呪文のように「痛い」と言う。
#**おお懐かしや「ああ!王者」。山田久志・大熊忠義・山口高志・加藤秀司が歌ってたなぁ。「野球小僧-懐かしの野球ソングコレクション-」というCDに収録。
#大手レンタルビデオ店は、よく1円セールや10円セールを行う。
#***通算284勝のサブマリン山田・外野の名手大熊・「太く短く」の豪速球男山口・インパクトある打撃フォームと滅法勝負強いファースト加藤…。
#モスはあるが、マックが無い。
#有名球団関係者の一人、バルボンさん。現役引退後、通訳として球団に残る。
#*十数年までケンタッキーが、なかった。沖縄に遊びに行くと、沖縄のお土産にケンタッキー買って帰ってた。
#*英語を'''[[関西弁]]'''に訳す技術は、誰にもマネできない。
#若者のドライブ用語で、市内の大通りをドライブする事をシナジェイ(市内をエンジョイ)という。
#**通訳としての翻訳はアバウト。しかしそれが人気だったというからスゴイ。ギャグも織り交ぜられるし、ある種関西人より関西弁に精通してるかも。
#こないだまで映画館は無かった。
#***ある外国人選手が長く話したが、バルボンさん「エエとこで打てた」。あとで「あんな長く話しよって、イチイチ訳してられるかい!」と内情バラシ。周囲の関係者大苦笑。でも報道陣をケムに巻くだけじゃなくて、真摯に対応もしてたから悪評がそう無いのも事実。
#ガソリンの値段が高い。皆が思うその理由は「離島なので輸送料金が上乗せされている」と思っているが、実は国から補助金が出ているため本土との差分はない。要するに、業者が談合した料金を島民は払っている。
#*キューバ革命で帰れなくなったってのも、あるんですよね?
#*うわり、ホントにな?
#**キューバへ帰ることは出来たらしいが、もし帰ると二度と西側諸国へ行けなくなったため、悩んだ末日本に残る決意をされたらしい。
#道路の真ん中で円をかいて飲み会をすることがある。一応夏場限定。
#*外国人で盗塁王になったのは、彼ともう1人だけ。
#*中学生でも飲み会経験者は多い。
#*現役時代の愛称は「チコ」。スペイン語で「坊や」とか「チビ」の意。
#台風中はテレビアンテナの方向が変わってしまうため、屋根に登って方向を直す。たまにアンテナは無くなる。
#*そのバルボンさん、今はここの野球教室顧問兼カブレラの通訳&教育係。何せ50年余りに渡って日本在住+阪急~オリックス一筋。大ベテランなだけに球団側も冷遇できんはず。既に70代だが、若々しい。ご本人は「今は子供たちに野球教えてる。そやから若いん違うか」と。老年・壮年層から若年層まで幅広いファンに愛されてる。
#車がなくなる理由はたいてい事故、しかも自損。けど運転が下手なわけではない。
#*つくづく思うがこの人、帰化はしたんだろうかw
#ヤンキーだけど船舶免許を持ってたりする。
#**日本人女性と結婚したけど帰化はしてないみたい。でも帰化云々は、もはやど~でもイイ話といえるだろう。
#選挙時期に、来間島の入り口にヤクザの見張りがつくため、選挙カーは入れなくなる。
#*あの関西弁は阪急沿線の駅で覚えた(聞くともなしに聞いてた)とか、若い頃日本料理が口に合わず、チキンライスばかり食ってたので「もうチキンライスと聞いたら逃げたくなるわ」など、結構苦労された。今は「子供に野球教えたり、家に帰れば野球中継観戦や。野球漬けやから奥さんに怒られてるんや」と。
#*選挙時期に、街を一人で歩くと、ヤクザに「君何歳?」と聞かれる。
#*そのバルボンさんが合併当初の「Bs Times」にワンポイント英会話のコーナーを持っていたのを覚えている人はどれぐらいいるだろうか?
#仕事がない。
#*バルボンさんはサンテレビの野球解説者だった時期があり、「サンテレビボックス席」の阪神戦中継の第1回目に出演していた。
#金が無い時ほどパチンコ屋に行く。
#さらに関係者として、島野修さん。
#泡盛よりもビールのほうが高級品である。
#*日本一有名な「中の人」
#月末になると、携帯が止まる人がとても多くなる。
#**初めの頃は心無い野次を浴びせられたが、子供が帰りの電車の中でブレービーを褒めたのを聞いたことで心に迷いがなくなり、17年にわたりマスコット演技で活躍した。日本のマスコット演技の元祖である。
#*飲みだな。
#**ドラフト1位。
#宮古島人の言う「行けないかもしれない」は、「行けない」である。(応用可)
#***まあ、星野仙一が、巨人じゃなく、中日に指名されてたから、もしワシが巨人ドラフト1位なら、間違いなく「ブレービーの中の人」だし・・・。
#石垣島に観光客が多いため、実はちょっとだけ妬いている。
#**ご冥福をお祈りいたします。
#*んみーちゃっよ。
#*ブレービーは日ハムのギョロタン、ヤクルトのスーちゃん・ヤー坊と共に、初期の球団マスコットとして注目を集めている。
#自営業ですら、「如何に儲けるか」ではなく「如何に楽に働けるか」を考えている。
#**特に[[阪急電鉄]]が積極的に広告で用いたことなどは、今日に至るまでの球団マスコットの位置づけを築いたとして、高く評価できる面もある。
#*あばっ!、沖縄では、宮古の人は、社長なって成功してる人が、だっふぁいるさいが。
#***駅の売店の看板にまで、ブレービーが描かれていた。
#**AAAだったりして?
#***子会社の阪急交通社が主催していた海水浴ツアーのバスの名前も「ブレービー号」だった。
#宮古内でも地域により、イントネーションがものすごく違う。
#*ブレービーからネッピーに代わっても「中の人」として活躍。1000試合出場時にイチローが祝辞贈った。引退までの1175試合を1試合も欠かさず出場したのは偉業。
#オトーリとゆう、宮古独特の飲み方があるので、酒が恐ろしく強い。
#**意外といっちゃあ失礼だけど、生前の島野さん、実はイケメン。
#*宮古のオトーリと同じような、酒の飲み方が、ロシアにあるらしい。 
#「ハンキュウベリマッチ」のCMに出ていた外国人選手は、CMと共に今なお語り草。
#*オトーリしようって沖縄の人に言ったら、怖いっていわれる。
#*ブーマーね。そのCMに使われた近鉄選手に向かっていく映像はTV特番でしばしば流され、阪急の象徴のひとつになっている。
#*小学校の授業参観のあとは父兄と教室で真昼間っからオトーリ。
#*「ブームを呼ぶ男」という意味でブーマーが登録名に。本名はグレゴリー・ドウェイン・ウェルズ。
#血気盛んなやつが多い。
#*っていうか、三冠王の話題がこれだけ?
#*喧嘩好き。死なすを、すなすと言う。
#ボコボコに殴りまくるアニマル。最初はやられ放題だったが、そのうちうまくかわすようになった捕手、藤田。
#平な島なうえ山がない。
#*アニマルは、後の[[風雲!たけし城ファン|亜仁丸]]。って書いても誰も知らない。orz
#*でもおっぱい山と言われる森がある。
#*「探偵!ナイトスクープ」で桂小枝がアニマルにやられまくった。
#アララガマ魂(負けてたまるか)精神があるため、宮古の人は負けず嫌いが多い。
#福本豊は阪急が消えたので阪神&rarr;解説者に転じたが、阪急と阪神が経営統合されて古巣に戻った形になった。
#石垣とは、昔、琉球王朝時代に、石垣の当時の按司(豪族)オヤケアカハチの乱がおき、琉球王の命令で、宮古の当時の按司仲宗根豊見親、が石垣に討伐しにいき、オヤケアカハチは討伐された。名残が今も残っているため、石垣島の人とは、仲が悪い。
#[[英語]]ペラペラの早見優が、応援歌を歌っていたことがある。
#ジェット機の発着可能な空港が2つあるが、1つは訓練専用。
#*''Hankyu''の''Ha''の母音は、「アとエの中間音(発音記号:&aelig;)」で歌っていた。
#我が強い。
#阪急はどれだけ強くても、多くのファンに親しまれることは最後までなかった悲劇の球団。
#宮古と沖縄では、琉球語(沖縄方言)が宮古だけ、極端に違う。
#*外野席がガラガラなのは日常茶飯事だった。
#*同じ、沖縄なのに沖縄本島を沖縄本島と言わず、沖縄という。
#*その代わり、コアファン多し。パリーグ、特に鉄道系球団のファンなら営業施策もあってどこでも言えるけど。
#泡盛と言ったら、菊の露。
#*阪急は高級イメージを売りにしていたので、野球のイメージとは相容れなかったのかも。
#*宮古を出て、他に行こうが意地で菊の露を飲もうとする。
#*実は京都府や兵庫県の北部では阪急ファンが多かったらしい。阪急グループのバス会社があったり阪急が観光開発していたためか?
#沖縄で珍しくハブが生息しない。
#日本シリーズ、『[[週刊少年マガジンファン/作品別#巨人の星ファン|巨人の星]]』は西本阪急、『[[侍ジャイアンツファン|侍ジャイアンツ]]』は上田阪急との対決がお約束。
#*宮古にも、ハブはいたが昔大津波がきて、宮古には山がないから、流れて死んだらしい。
#強くても人気が出ないその姿は、2007年以降の巨人や1980年代の西武に重なって見える。
#*宮古に限らず 珊瑚礁隆起系の島はハブがいないはずだけど・・・。
#*その当時(78年ごろ?)出ていた、阪神の田淵を始め様々な選手を揶揄した某人気漫画では、以下のような内容のセリフがあった。
#宮古の音楽シーンは、ロカビリーが熱い。宮古島=ロカビリー。沖縄の他の地域には『宮ビリー』と言われている。
#*#野球は見せ物で、勝てばいいというものではない。
#団結力が、沖縄、他の離島と比べても、群をぬいて、他が認めるぐらいある。
#*#阪急が勝てばパ・リーグの灯が消える。
#ロカビリーと酒と言われたら宮古。
#*#パ・リーグに人気がないのは阪急に人気がないから。
#「ばっしらいん」というファミレスがある。
#*#パ・リーグの繁栄は阪急の没落にある。
#タバコの工場がある。
#**没落しても代わりに西武が台頭しただけでしたが…今のアンチ巨人にも聞かせたい(別の球団が取って代わるだけだと思う)。
#下地島には、3,000mの滑走路を持つが一般客が利用できない[http://www.pref.okinawa.jp/airport/index/sm/simojijima00.htm 下地島空港]がある。
#***今のパ・リーグは順位入れ替わり凄まじすぎて、ある意味羨ましい。
#大神島にはキャプテン・キッドの財宝が眠っているらしい。
#*いやいや、阪急の人気の無さは読売や西武の比ではないですって。あれだけ勝ったのに年間の観客動員数が100万人に届かなかったんだから。最初に100万人を超えたのは1984年の最後の優勝のあとだったはず。
#’75日本一の重要メンバーのひとり、いまは亡きマルカーノ選手のことも時々は思い出してあげましょう。当時アメリカ以外の出身の選手って、彼ぐらいだったのでは?
#*通訳は、本節No.2の人が担当。
#**ベネズエラ・カラカス出身。身長177cmで、大柄な外国人選手のイメージからすると決して大柄ではなく、中距離ヒッターだったけど、強肩巧打のセカンド。その守備は玄人ファンをうならせる。
#実は球団創設から初優勝まで最も時間のかかった球団(1936年創設、67年32年目で初優勝)。
#こっちの球団歌にも「六甲おろし」という単語が入っていた。
#*最も「晴れたる青空」で始まる応援歌のほうが有名だった。
#阪急は大正時代にプロ野球チームを持っていたらしい。
#*でもどうあがいても阪急の顔は、野球ファン以外には[[宝塚歌劇団ファン|宝塚歌劇団]]である。
#*[[もし大正時代の職業野球が成功していたら]]当時の宝塚球団がそのまま阪急ブレーブス〜オリックス・ブレーブス〜オリックス・ブルーウェーブ〜オリックス・バファローズと続いていただろう。
#*正確には昭和になってからです。大正時代にできた日本最初のプロ野球チームの日本運動協会を昭和になってから阪急が買収し、宝塚運動協会と改称しました。いずれにせよ、読売や阪神より前なのは間違いありませんが。
#よく考えたら、政令指定都市でも無い[[西宮市]]([[大阪市]]や[[神戸市]]に近いとは言え)に2球団も存在していた事自体が驚きの部類になるかも。
#*最初から神戸市内(それも都心部辺り)に本拠地持っていたら、まだマシだった…かな?
#*近鉄×阪神の「大阪決戦」のように、阪急×阪神の「西宮ダービー」の実現を期待していたファンが多かっただろう。
#*かんべむさし「決戦・日本シリーズ」で阪急vs阪神の日本シリーズが「今津線シリーズ」として実現(?)されてます。
#1973年のドラフト会議で、江川卓を指名。江川本人は入団を拒否。
#*1977年のドラフト会議前には、入団を希望していた。最初から、入団しておくべきであった。
#本拠地は西宮だった。だが、ほとんど閑古鳥で阪急は不人気球団だったらしい。一応、松竹ロビンス(DeNAベイスターズ)もそこを拠点にしたが、焼け石に水だったようだ。オリックスは神戸に移転したが、西宮の事情から言えば移転は仕方ないのかもしれない。そもそも阪神甲子園の近くに球場を拠点にしたのが理解できない、ファンには悪いが…京都西京極を拠点にした方がいいと思った。
#ここの投手は酒豪でないと務まらない。「ガソリンタンク」の異名を取った米田哲也、(中日からの移籍組だが)年棒の半分が酒屋の前借りに消えていた松本幸行、飲酒登板で完投勝利を挙げた今井雄太郎、「取材するなら飲み屋を探せ」と言われた佐藤義則…。


==伊良部島・下地島ぬ噂==  
==関連項目==
#サシバ
*[[野球場/旧本拠地‎]](西宮球場)
#*国際保護鳥
----
#*今年も数名が注意を受けたらしい(捕まえる気マンマンだったので)
{{プロ野球}}
#*昔は貴重なタンパク源
{{オリックス・バファローズ}}
#*サシバの形の展望台が伊良部には3個確認されている
{{阪急電鉄}}
#**ちなみに、展望台の入り口はいづれもお尻から昇っていくタイプ
{{DEFAULTSORT:はんきゆうふれえふす}}
#泡沫候補の選挙ポスターは伊良部までは掲示されないらしい
[[Category:プロ野球]]
#宮古島側がもっとも高く、下地島に行くにつれなだらかになっているため、下地島側の地区はテレビ・ラジオともに電波が弱いらしい
[[Category:阪急電鉄|球]]
#島にあるファミマは島唯一のコンビニかつ夜10時以降営業している唯一の小売店でありため、売り上げは沖縄県トップだとか
[[Category:西宮市]]
#ヴィラブ
[[Category:オリックス・バファローズ]]
#平良・城辺・下地・上野から「伊良部の酒の飲み方は怖いよ」と言われているが、伊良部では「多良間が怖いよ」「上野は怖いよ」と言われているらしい
#宮古フェリーとはやて海運
#*伊良部の住民にとっては、なぜかはやての方が好きらしい
#*けど、はやてが二階席になってからは、宮古フェリーも盛り返しているらしい
#サシバの里の利便食堂利用者は、観光客2割・訓練生2割・駐在員2割・地元2割らしい
#*残りの1割は不明
 
==多良間島ぬ噂==
#宮古島市発足により、多良間村は宮古郡唯一の自治体となった。
#不思議なネーミングセンスの店(?)がある。「はいから建設」「理容毛刈館」等
#ちょっと前に、前泊港に新しい旅客待合所(シードリームたらま)が建設されたが、あまり利用されていない。
#*船が来ても鍵が閉まったまま。
#読み方が不明の字がある。「リ゜」とか。
 
[[Category:沖縄|みやこしま]]
[[Category:日本の島|みやこしま]]

2020年5月7日 (木) 20:34時点における版

阪急ブレーブスの噂

  1. 阪急時代の1976年につくられた「ああ!王者」を今聞くと、涙が出てきそう。
    • 当時いかに強かったかわかり、90年代中旬以降のふがいなさとギャップがあるため。
    • 「たまには負けてあげようか」とか「敵も勝ちたいよ」とか…
      • おお懐かしや「ああ!王者」。山田久志・大熊忠義・山口高志・加藤秀司が歌ってたなぁ。「野球小僧-懐かしの野球ソングコレクション-」というCDに収録。
        • 通算284勝のサブマリン山田・外野の名手大熊・「太く短く」の豪速球男山口・インパクトある打撃フォームと滅法勝負強いファースト加藤…。
  2. 有名球団関係者の一人、バルボンさん。現役引退後、通訳として球団に残る。
    • 英語を関西弁に訳す技術は、誰にもマネできない。
      • 通訳としての翻訳はアバウト。しかしそれが人気だったというからスゴイ。ギャグも織り交ぜられるし、ある種関西人より関西弁に精通してるかも。
        • ある外国人選手が長く話したが、バルボンさん「エエとこで打てた」。あとで「あんな長く話しよって、イチイチ訳してられるかい!」と内情バラシ。周囲の関係者大苦笑。でも報道陣をケムに巻くだけじゃなくて、真摯に対応もしてたから悪評がそう無いのも事実。
    • キューバ革命で帰れなくなったってのも、あるんですよね?
      • キューバへ帰ることは出来たらしいが、もし帰ると二度と西側諸国へ行けなくなったため、悩んだ末日本に残る決意をされたらしい。
    • 外国人で盗塁王になったのは、彼ともう1人だけ。
    • 現役時代の愛称は「チコ」。スペイン語で「坊や」とか「チビ」の意。
    • そのバルボンさん、今はここの野球教室顧問兼カブレラの通訳&教育係。何せ50年余りに渡って日本在住+阪急~オリックス一筋。大ベテランなだけに球団側も冷遇できんはず。既に70代だが、若々しい。ご本人は「今は子供たちに野球教えてる。そやから若いん違うか」と。老年・壮年層から若年層まで幅広いファンに愛されてる。
    • つくづく思うがこの人、帰化はしたんだろうかw
      • 日本人女性と結婚したけど帰化はしてないみたい。でも帰化云々は、もはやど~でもイイ話といえるだろう。
    • あの関西弁は阪急沿線の駅で覚えた(聞くともなしに聞いてた)とか、若い頃日本料理が口に合わず、チキンライスばかり食ってたので「もうチキンライスと聞いたら逃げたくなるわ」など、結構苦労された。今は「子供に野球教えたり、家に帰れば野球中継観戦や。野球漬けやから奥さんに怒られてるんや」と。
    • そのバルボンさんが合併当初の「Bs Times」にワンポイント英会話のコーナーを持っていたのを覚えている人はどれぐらいいるだろうか?
    • バルボンさんはサンテレビの野球解説者だった時期があり、「サンテレビボックス席」の阪神戦中継の第1回目に出演していた。
  3. さらに関係者として、島野修さん。
    • 日本一有名な「中の人」
      • 初めの頃は心無い野次を浴びせられたが、子供が帰りの電車の中でブレービーを褒めたのを聞いたことで心に迷いがなくなり、17年にわたりマスコット演技で活躍した。日本のマスコット演技の元祖である。
      • ドラフト1位。
        • まあ、星野仙一が、巨人じゃなく、中日に指名されてたから、もしワシが巨人ドラフト1位なら、間違いなく「ブレービーの中の人」だし・・・。
      • ご冥福をお祈りいたします。
    • ブレービーは日ハムのギョロタン、ヤクルトのスーちゃん・ヤー坊と共に、初期の球団マスコットとして注目を集めている。
      • 特に阪急電鉄が積極的に広告で用いたことなどは、今日に至るまでの球団マスコットの位置づけを築いたとして、高く評価できる面もある。
        • 駅の売店の看板にまで、ブレービーが描かれていた。
        • 子会社の阪急交通社が主催していた海水浴ツアーのバスの名前も「ブレービー号」だった。
    • ブレービーからネッピーに代わっても「中の人」として活躍。1000試合出場時にイチローが祝辞贈った。引退までの1175試合を1試合も欠かさず出場したのは偉業。
      • 意外といっちゃあ失礼だけど、生前の島野さん、実はイケメン。
  4. 「ハンキュウベリマッチ」のCMに出ていた外国人選手は、CMと共に今なお語り草。
    • ブーマーね。そのCMに使われた近鉄選手に向かっていく映像はTV特番でしばしば流され、阪急の象徴のひとつになっている。
    • 「ブームを呼ぶ男」という意味でブーマーが登録名に。本名はグレゴリー・ドウェイン・ウェルズ。
    • っていうか、三冠王の話題がこれだけ?
  5. ボコボコに殴りまくるアニマル。最初はやられ放題だったが、そのうちうまくかわすようになった捕手、藤田。
    • アニマルは、後の亜仁丸。って書いても誰も知らない。orz
    • 「探偵!ナイトスクープ」で桂小枝がアニマルにやられまくった。
  6. 福本豊は阪急が消えたので阪神→解説者に転じたが、阪急と阪神が経営統合されて古巣に戻った形になった。
  7. 英語ペラペラの早見優が、応援歌を歌っていたことがある。
    • HankyuHaの母音は、「アとエの中間音(発音記号:æ)」で歌っていた。
  8. 阪急はどれだけ強くても、多くのファンに親しまれることは最後までなかった悲劇の球団。
    • 外野席がガラガラなのは日常茶飯事だった。
    • その代わり、コアファン多し。パリーグ、特に鉄道系球団のファンなら営業施策もあってどこでも言えるけど。
    • 阪急は高級イメージを売りにしていたので、野球のイメージとは相容れなかったのかも。
    • 実は京都府や兵庫県の北部では阪急ファンが多かったらしい。阪急グループのバス会社があったり阪急が観光開発していたためか?
  9. 日本シリーズ、『巨人の星』は西本阪急、『侍ジャイアンツ』は上田阪急との対決がお約束。
  10. 強くても人気が出ないその姿は、2007年以降の巨人や1980年代の西武に重なって見える。
    • その当時(78年ごろ?)出ていた、阪神の田淵を始め様々な選手を揶揄した某人気漫画では、以下のような内容のセリフがあった。
      1. 野球は見せ物で、勝てばいいというものではない。
      2. 阪急が勝てばパ・リーグの灯が消える。
      3. パ・リーグに人気がないのは阪急に人気がないから。
      4. パ・リーグの繁栄は阪急の没落にある。
      • 没落しても代わりに西武が台頭しただけでしたが…今のアンチ巨人にも聞かせたい(別の球団が取って代わるだけだと思う)。
        • 今のパ・リーグは順位入れ替わり凄まじすぎて、ある意味羨ましい。
    • いやいや、阪急の人気の無さは読売や西武の比ではないですって。あれだけ勝ったのに年間の観客動員数が100万人に届かなかったんだから。最初に100万人を超えたのは1984年の最後の優勝のあとだったはず。
  11. ’75日本一の重要メンバーのひとり、いまは亡きマルカーノ選手のことも時々は思い出してあげましょう。当時アメリカ以外の出身の選手って、彼ぐらいだったのでは?
    • 通訳は、本節No.2の人が担当。
      • ベネズエラ・カラカス出身。身長177cmで、大柄な外国人選手のイメージからすると決して大柄ではなく、中距離ヒッターだったけど、強肩巧打のセカンド。その守備は玄人ファンをうならせる。
  12. 実は球団創設から初優勝まで最も時間のかかった球団(1936年創設、67年32年目で初優勝)。
  13. こっちの球団歌にも「六甲おろし」という単語が入っていた。
    • 最も「晴れたる青空」で始まる応援歌のほうが有名だった。
  14. 阪急は大正時代にプロ野球チームを持っていたらしい。
    • でもどうあがいても阪急の顔は、野球ファン以外には宝塚歌劇団である。
    • もし大正時代の職業野球が成功していたら当時の宝塚球団がそのまま阪急ブレーブス〜オリックス・ブレーブス〜オリックス・ブルーウェーブ〜オリックス・バファローズと続いていただろう。
    • 正確には昭和になってからです。大正時代にできた日本最初のプロ野球チームの日本運動協会を昭和になってから阪急が買収し、宝塚運動協会と改称しました。いずれにせよ、読売や阪神より前なのは間違いありませんが。
  15. よく考えたら、政令指定都市でも無い西宮市大阪市神戸市に近いとは言え)に2球団も存在していた事自体が驚きの部類になるかも。
    • 最初から神戸市内(それも都心部辺り)に本拠地持っていたら、まだマシだった…かな?
    • 近鉄×阪神の「大阪決戦」のように、阪急×阪神の「西宮ダービー」の実現を期待していたファンが多かっただろう。
    • かんべむさし「決戦・日本シリーズ」で阪急vs阪神の日本シリーズが「今津線シリーズ」として実現(?)されてます。
  16. 1973年のドラフト会議で、江川卓を指名。江川本人は入団を拒否。
    • 1977年のドラフト会議前には、入団を希望していた。最初から、入団しておくべきであった。
  17. 本拠地は西宮だった。だが、ほとんど閑古鳥で阪急は不人気球団だったらしい。一応、松竹ロビンス(DeNAベイスターズ)もそこを拠点にしたが、焼け石に水だったようだ。オリックスは神戸に移転したが、西宮の事情から言えば移転は仕方ないのかもしれない。そもそも阪神甲子園の近くに球場を拠点にしたのが理解できない、ファンには悪いが…京都西京極を拠点にした方がいいと思った。
  18. ここの投手は酒豪でないと務まらない。「ガソリンタンク」の異名を取った米田哲也、(中日からの移籍組だが)年棒の半分が酒屋の前借りに消えていた松本幸行、飲酒登板で完投勝利を挙げた今井雄太郎、「取材するなら飲み屋を探せ」と言われた佐藤義則…。

関連項目


プロ野球
セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
消滅球団:西鉄ライオンズ | フライヤーズ
阪急ブレーブス | 大阪近鉄バファローズ
独立リーグ:四国IL | BCリーグ | 関西独立 | マスターズリーグ
メジャーリーグアメリカン・リーグ | ナショナル・リーグ
韓国:KBOリーグ | プロ野球ファン | 球団に言いたい
歴史のif | もしも借箱 | ベタの法則 | 勝手チーム
オリックス・バファローズ
テーマ別:ファン | 親会社 | 関西の野球事情
前身:大阪近鉄バファローズ | 阪急ブレーブス
本拠地:ほっともっとフィールド神戸 | 京セラドーム大阪
その他:球団に言いたい | 偽球団の特徴 | 偽球場の特徴 | あの年に優勝していたら
阪急電鉄
神戸線 宝塚線 京都線(列車種別)
車両形式別 京都線) 球団