ページ「勝手に道路建設/高速道路/分割経営路線」と「大日本帝国海軍の艦艇」の間の差分

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{{広域情報|text=[[勝手に道路建設|<span style="color:green;">勝手に道路建設</span>]]の高速道路版。}}
{{Pathnav|軍艦}}
==分割経営路線==
==分割済み==
===第三東名高速道路===
*[[大日本帝国海軍の戦艦]] - [[大和_(戦艦)]]
この高速道路は中心部にインターチェンジがあるため、比較的採算が取れそう。
*[[航空母艦#日本軍の空母の噂]]
;ルート
大垣北IC-岐阜IC-一宮東IC-稲沢IC-名古屋北IC-名駅IC(地下)-大高IC-刈谷IC-西尾IC-蒲郡IC-豊橋IC-湖西新居IC-舞阪IC-浜松IC-天竜JCT(大井自動車道)-御前崎IC-榛原IC-(由比トンネルで駿河湾をインターチェンジなしで由比まで行く)-新富士IC-富士宮IC-三島沼津IC-小田原IC-海老名JCT(東名高速)


===鹿崎分媛香徳兵阪和奈重知阜長梨群埼東葉茨高速道路===
==巡洋艦==
#速度制限130KM(全線)
#ロイヤルなネイビーから「飢えた狼」とまで呼ばれたくらい戦闘狂な設計だった。
#ルート
#*かの国は世界中に領地があったため居住性を重視し長期間の航海を考えていたため、それと比較してという面もある。
#*第1案 加世田-枕崎-指宿-鹿児島-富重-霧島中央-垂水北-垂水中央-鹿屋西-鹿屋中央-志布志西-志布志港-東志布志-串間-日南-東鰐塚-都城中央-宮崎高岡-西都JCT-日向-延岡-佐伯直川-津久見-津久見(大分道)-佐賀関-鶴崎-大分-佐田岬口-八幡浜-大洲JCT(松山道)-大洲東-内子-五十崎JCT(松山道)-松前松山空港-松山中央-東温-東温JCT(松山道)-久万-宇和島-宿毛-土佐清水-中村-若井-須崎-高知中央-高知JCT(高知道)-南国-安芸-室戸-東洋-日和佐-阿南-小松島-徳島中央-徳島JCT(徳島道)-新白鳥-新志度-志度JCT(高松道)-白鳥JCT(神鳴淡道)-鳴門中央-大毛-洲本中央-淡路-神戸-西宮JCT(名神)-大阪-堺-日根野JCT(関空道)-和歌山中央-粉河-橋本-五条-橿原-天理-天理JCT(西名阪道)-奈良-山添-山添JCT(名阪国道)-上野-亀山JCT(東名阪道)-鈴鹿中央-四日市中央-みえ川越JCT(伊勢湾岸道)-飛島トンネル-名古屋-小牧JCT-(中央道)-甲府JCT-山梨-三富-雁坂-大滝-秩父-東松山JCT(関越道)-川越中央-大宮-越谷-三郷-東京綾瀬-松戸市川-柏-取手
#**戦前、イギリスは、条約の制限下で重武装できた日本の巡洋艦の情報を欲しがった。植民地との海上交通線確保には、優秀な巡洋艦が必要だったから。技術交流の名目で、妙高級、古鷹級のデータを欲しいと、日本海軍に申し入れしている。
#*整理していて思ったんですが、どことどこがつながってるのかさっぱりわかりません・・・。遠回り以前の問題なルートもあるし。
#*戦前、妙高型の足柄はかの国に派遣されキングジョージ6世即位記念観艦式に参列する。その際に足柄を見た英国人記者に「我々はこんにち、初めて軍艦を見た。今まで我々が軍艦だと思っていたのはホテルシップだった」と言わしめたという逸話を持つ。我が国では↑の「餓狼」と合わせて長らく日本重巡の強力さに対する賛辞だと思われていたが、今では武装を重視したがゆえに居住性を極限まで犠牲にした日本艦への皮肉だと考えられている。まあ英国の巡洋艦=広大なシーレーンを確保するための艦艇、日本の巡洋艦=日本近海での艦隊決戦を想定した準主力艦、というふうにそもそもコンセプトが違うので一概に比較はできないが・・・
#パーキングエリア(PA)・サービスエリア(SA)
#*指宿PA、富重SA、鹿屋PA、志布志SA、鰐塚PA、宮崎PA、佐伯PA、佐田岬伊方SA、松山PA、宿毛SA、須崎PA、高知南国SA、室戸SA、阿南PA、志度SA、徳島北鳴門SA、大毛島田PA、新淡路SA、大阪PA、和歌山紀ノ川SA、奈良PA、亀山PA、名古屋SA(以後中央道甲府ジャンクションまで中央道と同じ)、東甲府PA、秩父PA、川越西SA、綾瀬SA、市川PA、柏北SA
#**すべてのPA・SAでスマートICがある。
#名称が長い。せめて「太平洋高速道路」ぐらいにはならないものか。
#てかこれどう読めばいいのよ。「かざきいたひめかとくひょうはんわなえちふながなしぐんさいとうよういばこうそくどうろ」?


===御三家自動車道===
===軽巡洋艦===
;ルート
====大淀====
*水戸JCT(常磐道)-御三家水戸-南水戸JCT(常磐道)-茨城-東石岡-土浦-龍ケ崎-東取手-柏中央-松戸北-亀有-千住-品川-川崎中央-東横浜-藤沢鎌倉-藤沢-茅ヶ崎-平塚-小田原-熱海-函南三島-富士-田子ノ浦-富士JCT(東名)-新静岡-岡部藤枝-島田-掛川JCT(東名)-南磐田-新浜松-豊橋-蒲郡-碧南-半田-常滑(同JCTと併設)-常滑JCT(空港連絡道路)-東海知多-東海-南名古屋JCT(多数接続)-大江-熱田-御三家名古屋-山田JCT(東名阪)-北名古屋-稲沢一宮-南一宮JCT(名神)-北一宮(同JCTと併設)-北一宮JCT(東海北陸道)-岐阜-本巣(この先カーブきつそう)-北大垣-垂井-御三家関ケ原-彦根米原-近江八幡-北野洲-北草津-北大津-京都JCT-高槻枚方-門真JCT(阪和道)-東大阪(同JCTと併設)-東大阪JCT-生駒-奈良-天理JCT(西名阪道)-橿原-吉野口-五條-橋本-高野-南飯盛-(飯盛トンネル)-紀の川-岩出-和歌山JCT(阪和道)-御三家和歌山-加太-友ヶ島-沖ノ島-東柏原-洲本中央-洲本JCT(神鳴淡道)
#最後の連合艦隊旗艦。
;SA・PA
#*当時の少国民たちは、戦艦でないものが旗艦と言うことで、不安を覚えるのもいたらしい。<!--片桐大自氏の 聯合艦隊軍艦銘銘伝に確か書いてあった。-->
*石岡PA-亀有SA-横浜PA-湘南PA-小田原PA-熱海PA-静岡PA-焼津PA-浜松SA-蒲郡安城PA-半田PA-名古屋SA(日本最大のSAの座を海老名から奪う)-岐阜PA-彦根PA-近江SA-枚方PA-奈良SA-高野PA-紀の川PA-和歌山SA-洲本PA
#**その人たちは多分初代連合艦隊旗艦も戦艦ではなかったことを知らない。
#*旗艦任務が解除されて平軽巡に戻ったとき安堵の声が上がったとか。
#*そのせいか冷暖房完備で、居住性もいい部類の艦だったらしい。
#*日本海軍で、蛍光灯が本格的に導入された最初の艦。
#**ただ、品質の問題で光が安定せずチラチラするため、評判はいまひとつ。
#*新造当時は、45メートルの大型カタパルトを装備していたらしい。
#**連合艦隊旗艦になるときに、25メートルの普通型に換装するなどした。
#*連合艦隊旗艦は巡洋艦に始まり、巡洋艦に終わることとなったわけだ。
#軽巡のくせに、10000トン近い大型艦だったという。
#司令部に改装された後は安定性がひどかった。


===新北陸自動車道===
====五十鈴====
{{高速道路|name=勝山北|roma=Katsuyama-Kita|num=8}}
#何かしらの因縁を言われることがあるらしい。
現北陸道の渋滞解消用路線。
#*竣工が8月15日で、沈没が場所は違うが[[大和_(戦艦)|戦艦大和]]と同日・・・。
;インターチェンジ
#開戦当時の第二遣支艦隊の旗艦。
*1米原 2伊吹 3余呉 4今庄 5北陸池田 6美山 7上志比 8勝山北 9白峰 10鳥越 11鶴来 12白山松任 13金沢南 13-1金沢森本 14氷見 15富山北 16滑川魚津 17親不知 18直江津
#大戦後期には高角砲に機銃、対空電探を沢山積み、対潜装備も充実させた。防空巡洋艦とのあだ名もある。
**米原、今庄、金沢森本は現北陸道と、上志比は中部縦貫と共用。
#山本五十六、山口多聞、堀悌吉、高須四郎などの名軍人が艦長を務めたすごい船でもある。
;サービスエリア
#*さらに多くの貴族出身の将校を乗せていたため貴族船といわれるほど。
*S南条 福井東 永平寺 S手取 魚津
**Sが付いているところはスマートIC併設。南条は現北陸道と併設。
;その他
*直江津より東は現北陸道に接続。


===第三名神高速道路===  
====北上====
第三東名高速道路の延長線。
#数奇な運命をたどってる。
#*軽巡→重雷装艦→高速輸送艦→回天母艦→(戦後)工作艦。
#*戦果としては、全くないと言ってほぼ、差し支えない。


大垣北IC~関ヶ原北IC~米原北JCT(北陸・新北陸道)~米原西IC~彦根西IC~近江八幡IC~野洲守山IC~大津北IC~京都駅IC(地下)~長岡京IC~高槻南IC~吹田東JCT(近畿道)
====香取====
#第三東名との連続開業によって、更に東京~大阪間の道路渋滞を緩和する。
#世にも珍しい練習専門の巡洋艦。
#ただ就役した時期が1938年だったので実際に練習航海に出たのは1回だけ。
#大戦中は旗艦や船団護衛や輸送船として使われた。
#そもそも練習専門なので火力はあまり高くない。
#なぜか駆逐艦より大きいのに建造費が安かった。
#艦名はすべて神社の名前。
#*↑香取級の話。ちなみに2番艦鹿島、3番艦香椎で、「か」が頭に付く。
#幅広い艤装を積んでいて使いやすかったようで、「便利な船」と評されている


===近畿東海高速道路===
====阿賀野====
名神高速道路の渋滞回避用。
#日本海軍久しぶりの本格的軽巡(最上型は重巡への改装前提の船)
#*なのだが当時の軽巡の主流は最上型から始まった大型軽巡と呼ばれるものに変わり始めてた。
#**現にほぼ同世代であるアメリカのクリーブランド級は1万トン近い大型軽巡である。
#***それは、そもそも阿賀野型は、敵の巡洋艦と撃ち合うためではなく、水雷戦隊の旗艦、5500トン級の後継として計画されたものだから。そのため阿賀野型の武装は雷装が重視され、砲力はアメリカの大型駆逐艦を制圧できるものであればよしとされた。
#最新鋭軽巡ということで大活躍したともいきや3番艦矢矧以外パッとした戦果を残せず。
#*阿賀野型の主任務として想定された水雷夜襲という戦術がすでに過去の遺物だったからね。
#*4番艦酒匂に至っては完成時すでに1番艦阿賀野、2番艦能代が沈没済み。
#**初の遠洋航海が戦後の復員輸送で、最後は原爆の標的艦に。


吹田JCT(名神)(起点)-新茨木IC-新高槻IC-高槻SA(スマートIC併設)-島本IC-新天王山トンネル-長岡京IC-長岡京PA-京都南JCT-伏見SA-京滋トンネル-瀬田西JCT-草津PA-草津IC-守山IC-近江八幡IC-能登川PA-新彦根IC-米原SA-長浜JCT-伊吹山トンネル-揖斐トンネル-神戸IC-岐阜IC-岐南PA-岐阜各務原JCT(揖斐道<!--新規路線-->、東海北陸道)(終点)
===重巡洋艦===
====青葉====
#ワレアオバ。
#*でもその会戦で沈んでないんだから相当な運を持ってると思う。
#**運ではなく集中砲火を受ける青葉に気づき、その盾になり身代わりになって沈んだ艦のおかげである。
#***とにかくそれで五藤少将戦死してるし、普通なら、救援のありなしにかかわらず、沈んでいたことはあると思うのだが・・・。
#****救援がなかったら確実に沈んでいたのでやはり運よりは身代わりのおかげである。
#**カビエン湾で損傷受けたり、マニラ湾口で雷撃喰らって沈みそうになっても、どうにか日本に戻ってきている事だけでも、運はあると思う。まぁ、最終的には呉空襲で着底だったから、終戦迎えるほどの運ではなかったようだけれども。
#***米海軍「あいつなんなの…何度沈めても蘇るんだけど」「ソロモンの狼と呼ぼう。あっぱれな敵だ」
#日本の軍艦にカタパルトをつけた最初の艦らしい。
#*最初は姉妹艦の衣笠なんだけどね。
#SF作家の海野十三が乗っていた船。


===近畿東海第三東名環状自動車道===
====高雄====
近畿東海高速と第三東名高速を結ぶ道路。恐らく<!--鹿崎分媛香徳兵阪和奈重知阜長梨群埼東葉茨高速道路を除けば-->日本一長い道路名になるだろう。
#最近女体化した。
*岐阜各務原JCT(揖斐道、東海北陸道、近畿東海高速)(起点)-新各務原IC-犬山IC-小牧SA-名古屋北JCT(第三東名高速)(終点)
#*アダ名はツンデレ重巡
#*高雄に限った話ではないのでは・・・。
#**↑×3を書いた時は艦これは存在していなかったので女体化した艦は少なかった。
#姉妹艦共々後のイージス艦を彷彿させるような非常にゴツい艦橋が特徴的。
#*後のこんごう型となるイージス艦が建造中の時、その外見から「日本はたかお型を建造中か」と海外で言われたとか言われなかったとか。
#*これ絶対、[[日本の城]]をイメージして図面ひいてるよな。
#*当時のイギリス人が評して言うには「甲状腺の肥大したカバのようだ」
#**今の基準で見ると相当かっこいいのだが、これは日本人に限ったことではなく外人から見てもかっこいいらしく、海外で一番人気のある日本重巡らしい。
#**居住性は良かったようで、イギリス人は終戦後にこのカバをホテルシップとして使用した。
#ひとつ前の重巡(妙高型)が手狭で使い勝手が悪かったのと、艦隊指揮能力も付けるために艦橋を大型化した。
#*やはり大きすぎたのか、高雄と愛宕は艦橋を縮小する改装工事を行っている。
#妙高とは姉妹艦以上に姉妹艦な関係
#*ネームシップ同士として同一工廠の同一船台で建造され、同じ海戦で大破し、同じ場所で終戦を迎え、ほぼ同じ地点で海没処分という奇妙な縁を持っていた
#朝霜は命の恩艦


===北陸九州高速道路===
====愛宕====
{{高速道路|name=吹田|roma=Suita|num=18}}
#高雄型二番艦のはずが、高雄より早く完成してしまった艦。
その名の通り北陸と九州を結ぶ道路。
#*ちなみに起工日は昭和2年4月28日と高雄と全く同じ日。
;ルート
#レイテ沖海戦時の栗田艦隊旗艦。
#*1福井 2清水 3朝日 4鯖江西 5武生 6今庄 7木の芽 8敦賀 9マキノ 10安曇川 11新旭 12高島 13大津 14京都東 15京都西 16大山崎 17島本 18吹田 19北九豊中 20池田 21尼崎 22神戸 23三宮 24ひょうご東条 25姫路北 26たつの 27倉敷 28岡山 29松江 30出雲 31廿日市 32広島 33厳島 34下松 35光 36山口 37下関 38-1関門トンネル(山口側坑口) 38-2関門トンネル(福岡側坑口)※38は非常用 39北九州 40博多 41久留米(終点)
#*栗田司令部「捷一号作戦では、旗艦を愛宕から指揮通信能力に優れた大和型戦艦に変更したいのですが…」連合艦隊司令部「バカもん!夜戦部隊たる第二艦隊の旗艦は伝統的に高雄型重巡だろ!旗艦の変更認めず!」で却下。愛宕は作戦序盤で沈没、おかげで以降の作戦に多大な影響を及ぼす。
;SA・PA
*越前PA 木の芽峠PA 刀根SA 新旭PA 大津SA 伏見PA 高槻SA 宝塚PA 倉敷SA 廿日市SA 新広島PA 下松PA 関門トンネルPA 福岡PA
;トンネル
*木の芽峠トンネル(南越前町-敦賀市) 長等トンネル(大津市) 新天王山トンネル(京都府-大阪府) 倉敷トンネル(倉敷市) 光トンネル(光市) 徳山トンネル(山口市) 関門トンネル(山口県-福岡県) 新九州トンネル(北九州市-福岡市)
;速度制限
*100km/h(関門トンネルは80km/h)
;JCT
*福井-今庄-敦賀-京都東-神戸-ひょうご東条-倉敷-山口
;その他
*伏見、倉敷、廿日市、下松にスマートIC有り、倉敷が最大級SA(ローソン・ザグザグ・ENEOS出店)
*全SAにGS有り


===信加自動車道===
====摩耶====
小松JCT(起点)-鶴来IC-白山PA-白山トンネル-白川SA-白川IC-安房IC-安房トンネル-松本JCT(終点)
#シルエットが、かっこいいので有名だったらしい。
#*途中で三番砲塔が撤去されて防空艦仕様に改造。見た目の屈強さにより拍車がかかった。
#火垂るの墓の清太のお父ちゃんが乗ってたという船。
#*[[ジブリファン|ジブリ]]のアニメ映画で摩耶の原画を担当したのは、のちに[[新世紀エヴァンゲリオン|エヴァンゲリオン]]で知られる庵野秀明。
#**同型艦との違いを再現するべく、膨大な資料を調べたうえで一ヶ月かけて描いたが、監督指示で黒いシルエットに塗り潰されてしまい、それを観た庵野はショックを受けてしまった。
#***黒く塗ったのは樋口真嗣の嫁であり、ジブリでハーモニー処理を担当している高屋法子。


====鳥海====
#書類上、日本の建造した「最後の重巡洋艦」だったような。
#*これより後の最上型・利根型は艦名からも分かるように元軽巡で、その分類は終戦まで変わらなかったらしい。
#姉妹艦のなかでもとりわけ内装が豪華だったとか。
#*旗艦仕様だったからね。
#**また、居住性も良かったらしい。
#**そのためか、昭和10年度から連続五年でどこかの艦隊旗艦になってたらしい。
#***そのせいで十分な改装を施す機会がなく、そのまま戦没と言うことに。
#**開戦後も単独運用が多かった。完勝した第一次ソロモン海戦での第八艦隊の単独旗艦でもあった。


====那智====
#妙高型の中で一番竣工が早かった。
#*昭和天皇即位記念の観艦式に間に合わせるために急がせたとか。
#「重巡最上被害者の会」があるなら、まず含まれるであろう1艦。
#第四艦隊事件では、駆逐艦初雪の漂流する艦首を主砲で葬る。その後、日本の誇る新鋭駆逐艦が波浪で船体を切断されるような構造上の欠点を抱えていることを列強に知られることは国防上の問題に関わると考えた海軍は真相を隠蔽することに決め、初雪・夕霧の損傷は両艦の「衝突」によるという発表を行った。よくよく衝突に縁の深い艦である。


==東日本高速道路==
====足柄====
===南関東自動車道===
#上記「巡洋艦」のエピソードは足柄から生まれた。
#伊豆と千倉を結ぶ高速道路。東名高速に乗り入れ、都心を突っ切って、千葉に向かう。
#以外に松戸や熱海は、高速が通ってないのでそこにインターチェンジを作るように心掛ける。


===青函自動車道===
====羽黒====
#東北自動車道青森IC~蟹田~竜飛崎~福島~木古内~上磯~函館。
#妙高型4番艦。
#*僕も地図見ながらこの道の事を考えてたけど、どうやって海峡を結ぶかが問題に・・・トンネル?
#2003年に沈没艦体が発見されたが、その後悪徳業者が海底で艦体を切断しスクラップで売り飛ばしているらしい。
#**吊り橋という手もあり。その名も「津軽海峡大橋」
#百石道路下田百石IC~小川原~六ヶ所~東通~大畑バイパス分岐(大畑バイパスを有料化)~下風呂~風間浦~大間~(トンネル)~汐首~函館空港~赤川~函館新道函館IC


===盛岡宮古自動車道===
====最上====
#盛岡南IC~川目~川井~茂市~宮古
#重巡洋艦に改装できる軽巡洋艦として設計された。
#*そのため最初は軽巡扱いだった。
#書類上は最後まで軽巡だった。
#なぜか1番艦の最上は同士討ちや衝突が異様に多い。
#*例ミッドウェー海戦で三隈に衝突、スリガオ海峡海戦で那智に衝突、バタビア沖海戦で陸軍の輸送船を誤射。
#排水量をサバ読みしていた。
#1,2番艦は船体強度に問題があったため3,4番艦は艦体構造が違う。
#*それだけでなく艦の缶数が違うためたまに3,4番艦は鈴谷型という時がある。
#**1最上、2三隈、3鈴谷、4熊野
#最初に積んでいた砲塔は大和型2隻と大淀に転用された。
#最上は艦種が軽巡→重巡→航空巡洋艦と変わった。
#*誤解がないよう補足しておくと、正式な海軍の艦種類別は除籍まで「二等巡洋艦」(いわゆる軽巡)。
#砲塔が変わったことは、ミッドウェー海戦まで米軍は知らなかった。


===北海道環状自動車道===
====利根====
;ルート
#最上型と同じく正式には軽巡。建造途中で主砲を15.5サンチ3連装砲から20.3サンチ連装砲へ変更した。
函館JCT(上記の青函自動車道分離)-森IC-八雲IC-長万部IC-長万部北JCT(道央自動車道)-胆振伊達IC-室蘭白鳥大橋北IC-登別中央IC-苫小牧港IC-苫小牧JCT(道央自動車道)-日高浦河JCT-環状帯広IC(東名高速道路を真似た命名法)-十勝環状道央JCT(道央自動車道)-環状池田IC-環状釧路IC-環状厚岸湖北IC-(霧多布トンネル)-根室JCT(下の根室自動車道分離)-標津IC-斜里IC-網走IC-北見IC-遠軽IC-環状網走紋別IC-紋別IC-興部IC-稚内IC-稚内北JCT(日露友好道路)-天塩IC-羽幌IC-留萌IC-浜益IC-環状札幌IC-桑園JCT(札樽自動車道)-環状小樽IC-倶知安IC-ニセコIC-蘭越IC-寿都IC-瀬棚IC-環状八雲IC-江差IC-函館JCT
#主砲が4基、これでもかというくらい艦首に密集している。
#歴史にIFはないとは言え、もしミッドウェー海戦で利根の索敵機が予定どおり発艦できていれば。。。
#同型艦の筑摩はレイテ沖海戦で金剛や他重巡とともに護衛空母を砲撃で撃沈。空母が砲撃で沈没したのは歴史上これだけらしい。
#*グローリアスは?
#1943では1ボスにしてボス艦として登場する唯一の巡洋艦。


===埼玉自動車道===
===防護巡洋艦===
;IC・JCT・SA・PA
====宗谷(ヴァリャーグ)====
*花園JCT(関越道)・深谷・熊谷・熊谷PA・行田・行田JCT(埼玉道羽生線)・鴻巣・北本・桶川JCT(圏央道・上尾道路)・上尾SA・上尾・大宮・志木・朝霞料金所・和光JCT(外環道)・板橋和光・高島JCT(首都高池袋線)
#「宗谷」と言えば後述の特務艦が有名だが、初代宗谷は日露戦争でロシアから鹵獲した防護巡。こちらも数奇な運命を辿っている。
*羽生線 羽生JCT(東北道)・羽生西・行田JCT(埼玉道)


===新外環自動車道===
==駆逐艦==
{{高速道路|name=町田北|roma=Machida-kita|num=42}}
#命名基準は、最初一等駆逐艦が「風」の付く名、二等が植物名だった。
;IC・JCT
#*だが数年で足りなくなる。最後には「波風」「沼風」といった語感のよろしくないものまであった。
*磯子JCT(首都高湾岸線)・IC港南-港南-港南JCT(横浜横須賀道路)-戸塚JCT(横浜新道)・IC-緑園-瀬谷-横浜町田JCT(東名高速)-新外環横浜町田-町田中央-町田北-多摩-府中JCT(中央道)-新外環国立府中-国分寺-小平-多摩湖-所沢中央-三芳JCT(関越道)-三芳-富士見JCT(富士見川越道路)-富士見-与野JCT(首都高埼玉大宮線)・IC-さいたま新都心JCT(首都高埼玉新都心線)・IC-中川-寺山-浦和美園JCT(東北自動車道・首都高川口線・外環自動車道)-浦和美園-越谷-吉川-柏JCT(常磐道)-東流山-増尾-鎌ヶ谷-北船橋-船橋中央-船橋JCT(京葉道)-海岸船橋JCT(東関東自動車道・首都高湾岸線)
#ならばと一等を奇数番号、二等を偶数番号に改訂したが乗員には不評。さらに軍縮条約が結ばれて、そこまでしなくてもよくなった。
;料金
#三度目の正直で一等を気象や海象名、二等を植物名に改訂。さらに国文学者の先生に依頼して、艦名の候補を選定してもらった。
*全線均一
#*ただ、この先生が歌人でもあったせいか、文学的な名が多くなる(例:天霧、深雪、五月雨)。
**普通車600円、中型車700円、大型車950円、特大車1350円、軽自動車500円
#松型以外の駆逐艦は機関系のどこかが壊れると航行不能になる欠陥があった。


===特型===
#一言でいうと「ぼくのかんがえたさいきょうのほじょかんてい」
#世界中の海軍に与えた影響はかなりのもので最終的に今まで使い捨てだった駆逐艦が現代の主力艦艇になる足がかりになった。
#ジパングの二話でみらいを追跡しようとしたのはたぶんこいつら。
#建艦史上に名をとどめる傑作艦である一方で、第四艦隊事件で明らかになった欠陥を抱えていたことも忘れないように。何事も無理をしすぎるとひずみとなって現れるというのは現代にも通じる。


===信濃自動車道===
====白雲====
[[画像:小千谷川口JCT2.PNG|200px|right|thumb|起点・小千谷川口JCT]]
#とりあえず、二隻いる。
#小千谷川口JCT~下条~十日町~津南~栄~野沢温泉~飯山~中野JCT
#*白雲型のネームシップと、吹雪型の八番艦。(だったかな)
#SA,PA 十日町PA(小千谷川口jct~十日町)、津南SA(十日町~津南)、飯山PA(野沢温泉~飯山)
#この名前はなんかいやだと言う人たちもいたらしい。
#車線 全線2車線(暫定1車線)
#*ひらがなで表記すると、「しらくも」だから。<!--いんきん、しらくもとか、そっち方面の連想をしてしまうからなんだとさ-->


===弥彦自動車道===
========
#燕三条jct~吉田~弥彦pa~弥彦~寺泊pa~寺泊~和島~与板~与板pa~長岡jct
#とりあえず、二隻いる。
#全線2車線
#*神風型の二十一番艦と、吹雪型の二十二番艦。(だったかな)
#なんだかんだと生き残り、最終的にはソ連に行った駆逐艦。
#*現在はウラジオストク沖で魚礁になってるらしい。


===魚沼只見米沢自動車道===
========
#上越jct(春日山ic)-三和-安塚-安塚sa-松代-十日町-南魚沼jct-南魚沼-坂戸sa-銀山平-只見sa-只見-金山-三島-西会津若松-会津若松jct-喜多方sa-喜多方-米沢sa-米沢-米沢北(米沢南陽道路接続)
#吹雪型駆逐艦、読みは「いかずち」
#愛称:景勝・兼続自動車道
#*「いかづち」でもいいらしいけど、MS-IMEでは変換できなかった。
===十勝自動車道===
#「敵兵ことごとく救助せよ」の艦長命令の元、イギリス兵422名を救助した。
{{高速道路|name=帯広|roma=Obihiro|num=9}}
#*ちなみに同型艦の「電」も前日にイギリス兵376名を救助している。が、こちらが語られることはほとんどない。
#広尾-豊似-大樹-忠別-更別村-とかち帯広空港-糠内豊頃-幕別-帯広-音更JCT-士幌-上士幌-糠平-幌加-十勝川源流-東大雪-新得北-新得JCT
#**乗艦を沈められて浮遊漂泊している日本兵に、機銃掃射するアメリカの潜水艦の映像を、ヒストリーチャンネルで見た。
#PA・SA 大樹口PA-更別PA-十勝帯広空港SA-帯広川東PA-帯広駅SA-中士幌PA-音更川上流PA-幌加温泉SA-ヌプントムラウシPA-東大雪湖PA-新得SA
#***残念ながら全く同じことを日本の潜水艦もやっている。
#****「電」の方は救助された衛生兵曰く長時間甲板に放置したりと扱いが雑だったらしい。でもちゃんと救助した。
#あちこち出かけてる
#*マーシャル諸島、セレベス海、アリューシャン、ソロモン・・・。最期は、グァム近海で戦没。


===会津自動車道===
====吹雪====
#今市JCT(日光宇都宮道路接続)-鬼怒川温泉-龍王峡PA-川治湯西川-中三依-男鹿高原-羽塩沢PA-田島南会津-下郷-塔のへつりSA-芦ノ牧-南若松-会津若松JCT(磐越自動車道接続)
#吹雪型駆逐艦1番艦。ネームシップ。
#会津若松JCT-(会津坂下河東-湯川-塩川-喜多方…ここまで会津北縦貫道路の流用)-熱塩加納-国道121号大峠道路-田沢-田沢PA(道の駅に併設)-米沢南-米沢北(米沢南陽道路接続)
#名実ともに当時世界最新鋭であり、特型駆逐艦の登場はかの戦艦ドレッドノート級にも匹敵する出来事と言われる。
#*山形道みたいに山岳区間を一般道利用にしてみた。財政的な意味で。
#ワシントン軍縮条約の影響で相当無茶な設計を要求されたが見事達成
#*結果、前級睦月型比1.5倍の重武装、従来からは考えられない外洋航行能力を得て艦隊型駆逐艦の基礎となる
#*英国からは排水量偽装疑惑を掛かられ、米国からはリップサービスとは言え旧型と50:1で交換したいと言わしめた
#*しかしながら、コンパクトな船体に過剰な重武装を施したために、船体にはかなりの負荷がかかっており、第四艦隊事件でその欠点を露呈することになる。
#ロンドン軍縮条約で駆逐艦が矢鱈複雑な規制を受けたのは主に特型を初めとした大型駆逐艦台頭のせい。
#当時は補助艦艇と目されていた駆逐艦にもかかわらず、艦隊の華「戦艦・長門」、「重巡洋艦・熊野」と並んでグリコのおまけ模型(今で言う金のエンゼルで貰えるおもちゃのカンヅメ)に抜擢されている。


===西津軽自動車道===
===陽炎型===
#五所川原西-つがる柏-木造森田-つがる森田SA-鯵ヶ沢-鯵ヶ沢PA-深浦西-深浦ー深浦SA-岩崎ー八森-能代西ー能代JCT
====雪風====
#最強伝説。
#*しかし僚艦からは疫病神扱いされることも。
#**信濃が海の藻屑となる一方、その信濃の護衛だったこちらは何ともなかった。
#***それは信濃の艦長が雪風や浜風など護衛駆逐艦の艦長たちが陸に近いところを航行しないと危ないと意見しているのを退けて陸から遠いところを航行してしまったため。これで疫病神扱いされたらたまったもんじゃない。
#**そのお話はどうもデマという説が強い。
#*同じ厄病艦としては最上も有名。しかも「運」ではなく「体当たり」で沈めた。
#**むしろ雪風の周りでは被害が比較的軽く、雪風以外が全滅した戦闘に至っては一度も無い。
#戦後は中華民国海軍の丹陽となる
#*魔改造するなw
#**魔改造したわけではなく、駆逐艦のまま雪風の戦歴に敬意を払って旗艦となっていた。
#上記の通りの疫病神呼ばわりもあるが、幸運艦としても有名。
#*大和の最後の出撃の時、無傷で帰ってきた。(しかし一説には、糧食庫にロケット弾が被弾していたという)
#**その後、宮津湾で機雷に触れるが、爆発しなかった。その後、初霜がその機雷に触れて轟沈・・・。
#**坊の岬では無傷ではなく中破ぐらいの損傷を負って帰還した。無傷だったのはその後宮津で沈んでしまう初霜。
#*その幸運を担保したのは、逆探知機の装備と、その後の対空レーダー、射撃レーダー、水中探信用ソナーこれらの第一号は全て雪風だったからというそうな。
#**逆じゃね?こいつなら絶対帰ってくるからテスト目的で新型兵装のっけよう、という流れだった気がする。
#**戦時中から乗員の練度が凄まじかった事でも知られ、準備はどの艦よりも早くダメコンは的確、探照灯で敵機撃墜などエピソードに事欠かない
#*なお幸運は丹陽になった後も健在。敵の砲撃が当たる直前に爆発して事なきを得たり、老朽化して出力が上がらなかった機関がピンチの時に急に全盛期の出力を出して危機を脱したり・・・
#中華民国引渡前には復員船として活躍。延べ1万4千人を本土に復員させ、その中には水木しげる氏も居た。
#最後は台風の影響で大破し曳航、そのまま台湾で解体された。結局砲撃でも魚雷でも機雷でも果ては台風さえもこの船を沈めることはできなかった。


===葛南自動車道===
====秋雲====
#三郷(東京外環)-流山南-松戸-八柱-市川大町-船橋西-中野木(船取線)-前原(成田街道)-八千代-宮野木JCT
#たぶん世界で唯一敵味方問わず二隻の空母を沈めた駆逐艦。
#*船橋西から南へ分岐して船橋、湾岸市川(どちらとも東京方面のみ)につなげる。
#*巻雲と間違えた。
#PA・SA 松戸PA-中野木SA
#南太平洋海戦の時こいつと僚艦の巻雲にホーネットの捕獲が命じられた。
#*無論無理なので雷撃処分した。
#**なぜかこのとき秋雲の艦長がホーネットの絵を画くように指示してる。
#***研究資料のために写真をとりたかったらしいが、薄暗くてまともな写真が取れないのでせめて絵でも。と思ったとか
#最近まで陽炎型ではなく準同型艦の夕雲型だと思われていた。
#*そのためいまだに一部の本では夕雲型とされている。
====野分====
#陽炎型の艦名リストを見てると唐突に出てくる海軍ぽくない艦名の艦
#*あまりなじみがないが台風の古称らしい
#**ちなみにこの次の船は嵐である。
#実戦では台風の名に恥じぬ暴れっぷり見せる。
#*僚艦嵐とともに数日の間に輸送船数隻と砲艦1隻、駆逐艦などを沈める。
#**ちなみにこのときの第4駆逐隊の司令は有賀幸作である。
#***さらにこの第4駆逐隊の歴史をさかのぼると日本海海戦に参加しておりそのときに戦艦数隻を撃沈した部隊である。(なおこのときの司令は鈴木貫太郎である)
#*さらに単艦米海軍の最新鋭戦艦2隻を含んだ大艦隊に補足されても損傷はしたものの横須賀まで逃げ切る。
#*その奮闘振りから「呉の雪風、佐世保の時雨」に倣って「横須賀野分」と呼んだ人も居たとか


===双郡自動車道===
===秋月型===
双葉大熊IC・JCT(起点)-双田トンネル-都路スマートIC-鳴子山トンネル-常葉IC-船引JCT(終点)
====秋月====
*常磐道がいわき~相馬まで100km近くJCTがなく、双葉郡から中通りに抜けるのが不便なため建設。
#多分、第二次世界大戦中の最強の対空専用艦。
#*確かに砲の性能は最強だったが、射撃指揮装置の性能などを総合するとA・M・サムナーの方が強力。
#*「第二次世界大戦中最強」は言い過ぎ。「日本が終戦までに実用化した艦対空兵器の中で最良と言えるものを主兵装とした艦」程度が妥当。
#軍令部のワガママで魚雷が積まれた。本来は軽巡並になる要求だったので、これでも妥協した方。
#*米駆逐艦のA・M・サムナーやギアリングも魚雷つんでるぞ。しかも5連装2基。スペース的にまだ秋月の方がマシと言える。
#秋月型の艦名を聞いた海軍将兵の感想は、「源氏物語みたいだねえ」と「飲み屋(もしくは置屋)の名前みたいだな」に二極化したらしい。
#*夏月、待月、宵月が就役した時には「待合(連込み宿)の名前ばかりつけやがって」との揶揄も。
#**秋月型に「待月」は存在しないが。
#性能自体は申し分なかったのだが、一隻造るのに一年もの歳月を要するため戦時向きではなかった。
#*とは言えその一年という数字、従来の駆逐艦と比べるとかなり短い建造期間である。


===道北自動車道===
====冬月====
;ルート
#今は涼月、初代柳と共に[[北九州市/若松区|若松港]]の防波堤として眠っている。
宗谷岬IC-稚内IC-豊富北IC-豊富幌加IC-豊富サロベツIC-幌延IC-新天塩大橋JCT(オロロン自動車道)-問寒別IC-中川IC-音威子府IC-美深IC-敷島IC-智恵文IC-名寄北IC -名寄IC-風連IC -多寄IC-士別剣淵IC -和寒IC-比布JCT(旭川紋別自動車道)-旭川北IC-旭川鷹栖IC
#運がいいんだか悪いんだか、よくわからない艦。
#*大和特攻の時には、帰ってきた。そういう意味では運がいいのだが、レイテの時は、その作戦準備中に遠州灘で大損傷するし、戦後には、門司港内で触雷大破・・・。


===オロロン自動車道===
====涼月====
;ルート
#本当の意味での幸運艦とはこういうものだ。
幌延IC-新天塩大橋JCT(道北自動車道)-天塩IC-遠別IC-初山別IC-羽幌IC-天売焼尻IC-苫前IC-小平IC-鬼鹿IC-留萌IC- 大和田IC- 留萌幌糠IC- 北竜ひまわりIC
#*そりゃ、三度も艦体切断の大損傷受けながら、それでも沈まず帰ってくるんだから・・・。
;PA・SA
#大和の海上特攻に参加。ぜんぜん帰ってこないので沈んだと思われていたところへ、ひょっこり帰ってきた。
天塩PA-遠別とんがりかんSA-羽幌PA-小平鰊番屋SA
#*乗員3名が自らを人柱としてダメコンを行ったおかげ。
#**帰還したところでそのまま着底。まさに命を燃やして乗員を生還させた艦。
#***実は本当なら多少は余裕があったらしいが、艦首付近に大穴が空いてて後進で帰ってきたのに佐世保に帰還した喜びのあまりついうっかり港内で前進。<br>途端に浸水が広がって大慌ててでドックに押し込んだそうな。
#坊ノ岬沖海戦のあと佐世保に向かっているとき飲み水がなくなりカルピスの原液をがぶ飲みして大変なことになったらしい。


===道央自動車道上磯延伸===
===その他===
*[[#青函自動車道|これ]]へ連絡するため。
====松====
#八雲-森-大沼-上磯
#雑木林と言われつつも高い生存性を持つ良艦。
#準同型艦の橘型もよろしく
#*松型から更に直線を多用した簡素な艦体デザイン、溶接の全面採用やブロック工法を採り入れるなど、極限にまで生産しやすくしている。
#硫黄島への輸送作戦の帰りに運悪く米軍に捕捉されるも軽巡3駆逐艦12からなる敵艦隊を単独で足止め。お陰で第4号海防艦のみだが生き延びた。
#今までの駆逐艦の防御上の問題だった機関室かタービン室に浸水すると動けなくなる欠陥を新しい機関配置で克服した。
#*がその配置はアメリカとフランスではほぼ全艦艇に使用されていた。
#**シフト配置生存性が向上するものの生産性・整備性がガタ落ちするため。
#橘型の梨は、戦時中に米軍艦上機に沈められるも、戦後に浮揚・修復され、海自の護衛艦わかばとして生まれ変わったという、凄い経歴を持っている。


==中日本高速道路==
====初春====
[[勝手に道路建設/中日本高速道路]]
#初春型の一番艦。
#「'''はつ'''はる」であって「[[とある魔術の禁書目録ファン|'''うい'''はる]]」ではない。読み間違えには注意を。
#当初は、外観的にも斬新な艦だったそうだが、制限排水量のなかでの重武装などの問題があり、結局、改装することになったらしい。
#アッツ島攻略までは、駆逐艦子ノ日と同行動を取っていたらしい。
====島風====
#日本海軍の駆逐艦の中で最高速力43ノットを誇り一度に最大15本もの魚雷を発射できる艦隊型駆逐艦の最高傑作。
#*が機関の量産性と信頼性が悪かったため計画段階では10隻以上作るはずが一隻のみに。
#**さらにその快速が原因で最後までどの駆逐隊にも配属されなかった。
#なぜかよくぜかましと呼ばれる。
#*多分[[艦隊これくしょん -艦これ-|これ]]の影響が大きいと思う。
#**[[艦隊これくしょん -艦これ-の登場人物/駆逐艦娘#島風型駆逐艦|そのキャラ]]の救命浮き輪に書れている文字が由来だと思うが、史実では戦時体制移行後に竣工したので、艦体や備品含めて艦名が書かれたことはない。
#空襲で沈んだが爆弾は一発も喰らわず機銃掃射を受けたのみだが浸水が発生最終的に機関が爆発して沈んだ。
#なぜかこいつが戦争で沈んだ船の慰霊碑一号だったらしい。
====朝潮====
#艦隊型駆逐艦の完成形にして海上自衛隊の護衛艦の母
#ほかの駆逐艦と違い艦内電流に交流を使っていた
#*そのおかげで護衛艦の設計のベースになった。
#朝潮は輸送艦との約束を果たすため戦場に残っていたため空襲にあって沈んだというカッコイイ話がある。


==西日本高速道路==
====夕雲====
===山陰自動車道===
#陽炎型を若干大きくして早くして主砲塔の仰角を大きくした程度の船。
[[画像:京都JCT.PNG|200px|right|thumb|起点・京都JCT]]
#*陽炎型が計画速度の35ノットを達成できなかったので、高速性を持たせるために艦尾を50センチ延長した。
;ルート
#**のちに、スクリューの形状が悪いせいで、陽炎型の速度が出ないことが判ったので、わざわざ延長しなくてもよかった。
*京都JCT(名神)-亀岡-綾部-綾部福知山JCT(舞鶴若狭道)-福知山-朝来-養父-豊岡-鳥取-倉吉-西倉吉-鳥取JCT(米子道)-米子-境港-松江北-出雲-大田-江津-浜田JCT(浜田道)-石見浜田-益田-石見JCT(鳥取高速分裂で片道2車線の萩方面と山口南部ルートの2つ)
#*2式距離苗頭盤を搭載し、主砲の仰角が75度までとれるようになるなど、対空射撃能力が付与された。
**萩ルート:石見JCT-萩-長門-下関中央-下関JCT
#**ただし主砲は仰角が低く、毎回水平角に戻さないと装填できない構造だったため発射速度も遅く、その他の対空用設備に関しても、対空能力は同世代の米海軍フレッチャー級等に比べて遥かに劣っていた。
**山口南部ルート:石見JCT-六日市JCT(中国道)-岩国JCT(山陽道)-岩国中央-柳井-光-下松-周南-防府南-小郡-宇部-小野田-山陽-下関東JCT(中国道)-下関JCT-小倉-宗像-福津古賀-博多
#*あとは艦橋の形が変わって後部に若干伸び、第一砲塔と前部マストがやや後ろに設置される等の違いがある。
;SA・PA
#最新鋭艦なのだがほかの船と比べると武勲艦が少ないというかパッとしない。
*綾部PA(とりあえず、給油場はついてる)-城崎SA(スマートインターチェンジ付き)-伯耆大山西PA-新米子PA-[[鳥取]][[島根]]県境PA(ふざけてみたけど、ちゃんと売店はある)-山陰大篠津SA(城崎SAと同、中国地方最大のSAにする)-いわみ東PA(-石見西北PA-青海島口SA(厚狭-関門の間で[[山口]]南部ルートへ復帰))-石見西南PA-柳井PA-徳山北口SA(城崎同様)-厚狭PA-関門SA-宗像PA
#*有名な船だとホーネットを沈めた巻雲、ルンガ沖夜戦の立役者長波と高波、キングオブ駆逐艦乗りこと吉川中佐最後の船大波、最後まで残った朝霜、現在も水面上に残っている可能性のある早霜、礼号作戦唯一の戦没艦清。
#京都JCTで東京・名古屋・大阪の三大都市からの客をこっちに入れて、博多まで行くことにより福岡市からも客を入れることが可能。
#秋雲はその艦名から、長いこと夕雲型とされてたが、実際は陽炎型だった。
#*京都JCTもとい[[Wikipedia:ja:大山崎ジャンクション|大山崎JCT]]からの[[Wikipedia:ja:京都縦貫自動車道|京都縦貫道]]と[[Wikipedia:ja:鳥取豊岡宮津自動車道|鳥取豊岡宮津道]]と[[Wikipedia:ja:山陰自動車道|山陰道]]が全通すればそこそこ近いものになるか。


===大和自動車道===
==潜水艦==
奈良、郡山北、天理SA、天理Jct、天理南、田原本、橿原、畝傍、飛鳥PA、飛鳥、高取、御所、大淀、吉野PA、吉野
#とにかくうるさい。ドイツ海軍が呆れるほどにうるさい。
#航続距離がやたらと長い。
#*地中海やドーバー海峡でちょろちょろするドイツ海軍に対し無補給でハワイやアメリカ西海岸までいける航続距離を要求してしまった。結果静かにするのは後回し。
#**なお日本と同じ条件のアメリカ潜水艦もドイツに言わせると同じレベルで騒音の塊だったりする。航続距離と静音性は相反するものではないはずだが、日米ともに設計の優先度でそうなったのだと思われる。
#3の倍数は厄数。伊33なんてもう……。
#喪失記録には、認定沈没と書いてあるのが多い。まぁ当たり前と言えば当たり前だが。
#*単艦行動が基本であること、潜水艦の沈没はほぼ乗組員全滅とイコールなので、沈没地点・日時・状況は推測するしかない。


===河橋自動車道===
===伊33===
羽曳野JCT→大字新堂IC→富田林IC→大字伏見IC→河内長野IC→美加の台IC→南海林間田園都市前IC→橋本東家IC→東家JCT
#ジンクスなんて言うものは大抵迷信や偶然で笑い飛ばせる。 この船以外は。


*羽曳野JCTは第二阪奈道と。東家JCTは京名和(橋本道路)道と。
===伊58===
*河は河内、橋は橋本です。読みはこうきょう。
#インディアナポリスを撃沈したことで有名。
===琵琶湖横断自動車道===
#*艦長は戦後にGHQから呼び出しを食らって大変だったらしい。
;インターチェンジ
#*呼び出し食らった理由が「インディアナポリスの艦長が警戒を怠ったから撃沈できたと証言してほしい」ため。それに応えて曰く「あの時の航路ならどんな動きをされても撃沈できました」とのこと。
1敦賀 2西浅井 3木ノ本 4長浜 4-1びわ湖東 4-2びわ湖西 5新旭
#**要するに米軍はインディアナポリスの艦長の責任を追及したかったようだが、死後に名誉回復。
*なぜか敦賀が起点。
#*原爆の部品を輸送するインディアナポリスには護衛の駆逐艦が随伴していなかったり、現在の航行位置を把握するシステムから外されていたり、撃沈後SOSを発信するも「日本海軍の罠だ」と救助に行かなかったのが原因。
*湖西道路と直結。
#*インディアナポリスが発見されたのがきっかけでこちらも調査が始まった。
;SA・PA
#しかも、トップシークレットの戦果もあるらしい。
*刀根-長浜-びわ湖-新旭
#*アトムか?
#*「ジョーズ」のクイント船長に鮫の恐怖を教えたこと。
#映画「真夏のオリオン」に登場する伊77潜水艦のモデルとなった。
#先代の伊58である伊158とは何かと縁がある。


===吉野川自動車道===
===伊400===
徳島JCT~徳島IC~国府JCT~浦庄IC~鴨島IC~川島IC~山川IC~穴吹IC~井川池田JCT
#水上機を格納してアメリカを攻撃しようとした。
*車線:片道3~2車線(国府JCTまで3車線)
#*爆撃だけではなく疫病をまき散らそうとまでした。
*道路:全線高架
#*最初はアメリカ所有のパナマ運河を水上機で爆破して、大西洋の米英艦隊の太平洋への展開を遅らせようとしていた。
*R192から引き離れた[[徳島自動車道]]の不便さを改善するためR192の上に高速道路を走らす。
#**と思っていたら、竣工して訓練している間にドイツが降伏し、かなりの米英艦隊が太平洋へ移動してしまったので、ウルシー泊地への水上機による特攻作戦へ変更された。
**国府ICは実在する徳島環状線と連結させる。
#***しかも、この特攻作戦時には、上からの命令で水上機が米軍塗装にされていて、乗員から「情けない」と呆れられた。
**いずれにしよこの高速道路は環状線ができなければ・・・
#某架空戦記の架空潜水艦のモデルとしても有名。
#とにかくでかい。へたな原潜よりでかい。通常動力潜水艦としてはいまだにレコードホルダー。
#*へたな原潜=フランスのリュビ級ですね。わかります。
#*とうとうと言うか、ようやくと言うか、中国の032型潜水艦が伊400のレコードを更新。 なおこの032型、実験艦の色が濃いが通常潜水艦のくせに弾道ミサイルが発射可能である。 ある意味伊400の思想と目的を最も色濃く受け継いだ現代通常潜水艦である。海上自衛隊が弾道ミサイルを持つことはまず無理なため、こちらはUAV搭載で伊400の再現をしたいところである!
#抜かずに終わった伝家の宝刀。さっさと使えば、最低でも少しは米軍びびらせていたはずなのに。
#*作戦では水上機を自爆特攻させるつもりだったんだから、むしろ使われなくてよかったよ。
#潜水艦の秘匿性と航空機の航続距離を駆使して戦略目標を攻撃するというコンセプトは、現代のSSGN(巡航ミサイル潜水艦)やSSBN(弾道ミサイル潜水艦)の嚆矢とされている。
#*実際、アメリカが初期に造っていたミサイル潜水艦は、航空機のような形をした巡航ミサイルを、甲板に備えられた発射台から発射するという、伊400の影響を受けた形態だった。
#2013年、[[ハワイ]]沖の海底に沈んでいる姿が公開される。引き上げられないかなあ。
#戦後、アメリカが接収して調査し終わったあと、保存せずにさっさと自沈処分したのは、敵国のソ連に存在を知られたくなかったから。
#某メーカーから、木製の1/144艦船模型が売られている。デカイ。


===阿南自動車道===
===三式潜航輸送艇(まるゆ艇)===
徳島東IC(現実未来で、できるIC)~大野IC~大松IC~赤石IC~小松島IC~阿南IC
#何を間違ったか陸軍で開発された輸送専用の潜水艦。
*車線:片道3~2車線(大松ICまで3車線)
#*高松宮宣仁親王の日記に曰く「アホなことはやめて海軍と一緒にやれと言っても片意地張って国家的な無駄を出してる。使ってみないと無駄だと分からないとかアホなの?今そんな遊びにうつつを抜かすのがもう不忠だと分かれや(意訳)
*道路:全線高架
#海軍のフネとすれ違ったとき、艇長が「俺はこいつを一度やってみたかったんだ」と乗組員を整列させて登舷礼(海軍式の礼法)をやった。
#*上司の逆鱗に触れこの艦長、左遷をくらった。
#**同僚が意気揚々と広島の新天地へ向かうのを九州行きの列車から見守る元艦長。時は1945年8月6日午前6時である。
#*海軍のフネも甲板に将兵が整列して答礼する。それは沖縄に向かう「大和」だったという……。
#**この後、大和の起こした大波をくらって全員ずぶ濡れというオチがつく。
#一方、[[ドイツ]]では空軍士官に銃を持たせて陸戦隊を編成した。もちろん結果は惨敗。


===室戸自動車道===
===伊一二一型(機雷潜)===
阿南IC~日和佐IC~牟岐IC~海陽IC~東洋IC~室戸岬IC~奈半利IC~安芸IC~高知JCT
#呼んで名の通り、機雷を敷設する事の出来る潜水艦。しかし機雷を射出した直後に重心が前に急傾するため、すぐ後部タンクに注水しないとひっくり返る危険な代物だった。
*車線:片道2車線
#通称きらい潜。ネーミングセンスが神。
*道路:阿南中心部と高知中心部は高架。
**[[徳島自動車道]]~阿南自動車道~室戸自動車道~[[高知自動車道]]で大きな環状線になる。


===紀淡自動車道===
==輸送艦==
和歌山JCT-北和歌山-磯ノ浦-(紀淡海峡大橋)-由良-洲本中央-洲本JCT
#輸送船は民間から強制レンタルしていたので、自前の輸送艦は少数。
#*しかも上陸艦艇は海軍より陸軍の得意分野だったり…。
#LST型揚陸艦も区分としては"輸送艦"。現在の海自と同じである。
#*海兵隊と言う組織が無かったから上陸が陸海軍どっちの仕事かはっきりしていなかった・・・というのもある。
#球磨型巡洋艦「大井」「北上」は本来重雷装艦という魚雷を大量にくっつけた変な軽巡だったが、戦中は魚雷発射管を何基か降ろされ、高速輸送艦として活躍した。武装を殆ど下ろして本格的に改装する計画もあったぐらい。


===日帛自動車道===
===間宮・伊良湖===
#鹿児島JCT(九州道)~大隈垂水~鹿屋JCT(支線が合流。枕崎~指宿大川~鹿屋JCT)~佐多~(略)~許田~(沖縄道)~那覇~糸満~(略)~台北(台湾公路)~高雄~コロール~KBブリッジ東詰
#給糧艦。艦内にアイスクリームの製造室からクリーニング室まであった。
#PA・SA:佐多南~(略)~糸満~台北~(略)~コロール
#*この艦で製造される羊羹は海軍一美味いと評判だった。
#料金:一律1000円
#**そのあまりの大きさから「間宮の洗濯板」との俗称が。
#車線:片側2車線
#***反対に、伊良湖の方が間宮より小さいが、性能的には上だったそうな。
#*他にコンニャク、豆腐、最中、饅頭等の製造設備も備え、しかも専門の職人が作るので味も抜群。
#泊地に現れると他艦から艦載艇が殺到した艦隊のアイドル。
#「明日は間宮で(兵学校同期の)クラス会」「夜食は間宮ですき焼き」
#給糧艦の他に、艦隊の無線検査の役割も持っており、規定通りの通信をしていない艦には注意が行ったという。「艦隊のお母さん」は優しくも厳しいのだ。
#給糧の帰り、護衛の打ち合わせ後にお土産の羊羹をカバンいっぱい渡したら、次の日には給糧艦には考えられないくらいたくさんの護衛機が飛んできたらしい。
#*露骨に士気に影響するため、護衛が厳重だったとか。
#直接戦闘に関係ない艦艇だったため、石炭炊きエンジン。
#*その代わり、石炭カスとかが降ってこないように煙突が高かったらしい。
#伊良湖の竣工は、開戦3日前。(昭和16年12月5日)。駆逐艦夕雲と一緒。
#*でもその喪失は、間宮より早い・・・。(伊良湖=昭和19年9月24日、間宮=昭和19年12月20日)


===西四国自動車道===
===一等輸送艦===
四国の西にも高速道路を。
#第一号型というのが正式名称らしい。
;ルート
#便利そうなフネだが、完成が1944年以降というのが何とも…。
土佐清水IC(起点)-大月IC-宿毛IC-土佐SA-宇和島IC-新宇和IC-八幡浜IC-伊予南IC-伊予JCT(松山道)-砥部IC-新松山SA-東温IC-西条PA-西条新居浜IC-四国中央PA-三島川之江JCT(松山道)(終点)
#あまり知られていないが日本海軍でブロック工法を最初に導入した船でもある。


===近畿縦貫自動車道===
===二等輸送艦===
紀伊山地を貫いて大阪と南紀を最短距離で結ぶ。
#LST形式の輸送艦。
;ルート
#箱型なので、外洋では揺れまくって大変らしい。
松原三宅JCT(阪神高速道路松原線と接続)-堺東IC-大阪狭山IC-河内長野IC-五條IC-西吉野IC-大塔IC-十津川北IC-十津川IC-本宮熊野川IC-新宮IC
*↑それって、国道168号高規格道路五條新宮道路じゃん・・・。


===新名神高速道路大津JCT以西のルート見直し===
===陸軍特殊船===
*[[勝手に道路建設#新名神・京滋バイパス連絡道路|こちら]]も合わせてご覧下さい。
#ドック型揚陸艦のご先祖的存在。
#今の計画のままでは計画破棄確実なので。
#船の横に舟艇を下ろす>縄梯子で兵士がえっちらおっちら移乗 という従来の面倒臭い上陸作業を一挙に解決。案外、大和以上に世界に誇れるんじゃないかと思ってみる…。
#*直、茨木以西は現実の計画ルートに沿っている。(少し外れている部分もあるが)
#*飛行甲板が張ってあり直掩機を飛ばすことができるのだが、これのせいで「陸軍空母」とか言って長年馬鹿にされてきた。しかし、ヘリ時代になって強襲揚陸艦はみんなこのスタイルになったから、実は日本陸軍が30年ばかし先取りしてたことがわかった。
#ルート:大津JCT-大石-笠取JCT-(京滋バイパス区間)-大山崎-長岡京JCT-茨木佐保PA-箕面-川西能勢-武田尾SA・JCT-神戸JCT
#*長岡京JCTは京都縦貫道、武田尾JCTは阪神高速7号北神戸線と接続。


===今治松山自動車道===
==海防艦==
#今治~松山に直通の高速道路を。今治北IC~大西IC~菊間IC~北条IC~、松山空港IC~市坪IC~松山IC
#平時は領海や沿岸の警備を主任務とする船。
#*今治IC→大西菊間IC→大浦PA→いよ北条IC→いよ北条南IC→松山北IC→道後IC→松山東IC、松山外環状道路に接続。
#*そのためある程度の大きさのある船なら何でもよかったので退役寸前の旧式艦がほとんどだった。
#しまなみ海道、今治小松自動車道、松山自動車道と接続
#戦中は船団護衛などに使用するため専用の艦が大量生産された。
#今治北ジャンクション設置。
===志賀===
#[[呉市]]と奪い合った[[千葉市/美浜区|ここ]]が使っていたが、みすみす解体した。
#*解体当時の市長は陸軍士官学校出身の松井旭。何か因縁めいたものを感じる
===占守===
#日本海軍初の本格的北方警備専用艦。
#*そのため居住性や性能はかなり良かった。
#*当時の北方海域は、旭日旗を掲げた警備艦艇がいないと、赤い国の艦艇が漁船を拿捕して連れていってみたり、威嚇射撃をしてみたりと大騒ぎだったらしく、小ぶりでもいいので数が欲しいというのが現実だった。
#三菱重工に設計から丸投げされたのでかなり無駄が多かった。
#こいつが登場したころはまだ海防艦は8000トンクラスの大型艦が多かったのでたった860トンのこいつは全く知られていなかった。
#*発表した際も860トンを8600トンの誤記とされたり、軍艦なのに駆逐艦や掃海艇から欠礼されることも多かった。
#*小さいけれど、菊花紋章の付いた立派な軍艦。艦長は海軍大佐。
#割と働いていた船なのだが同型艦の4隻中3隻が無事終戦を迎えた。
#3番艦の国後はキスカ撤退作戦にも参加するなどした武勲艦だった。


===天草自動車道===
==工作艦==
====本線(宇城~諫早)====
===明石===
熊本~長崎の短絡線。
#その辺の工廠よりも高性能な機械を装備していたらしい。
;ルート(ICなど)
#曰く、こいつがいたおかげでどれだけ助かったがわからない。
*宇城JCT(九州道)-1宇土IC-2宇土西IC-3三角IC-4大矢野IC-5松島IC-6赤崎IC-本渡JCT(支線)-7本渡IC-8本郷IC-9口之津IC-10小浜IC-11雲仙IC-12諫早中央IC-諫早西JCT(長崎道)
#開戦当初、アメリカが血眼になって探して沈めようとしていたらしい。
*本渡IC-本郷IC間に「天草SA」(7-1)を建設。
#初代は日露戦争で活躍した巡洋艦、二代目がこの工作艦。
#*三代目は、海洋観測艦の「あかし」になるらしい。
#下記の関東亡き後、これが完成するまで、日本は、専門の工作艦不在の時代が続いてたらしい。


====鹿児島支線(本渡~阿久根)====
===朝日===
長崎~鹿児島の短絡線。また鹿児島~熊本の迂回路にもなる。
#元戦艦。日露戦争以来の老兵を改装。
;ルート
#旧式な上、低速で、格好の的だったとかなんとか。
*本渡JCT(本線)-13新和IC-14河浦IC-15牛深IC-16長島IC-阿久根JCT(南九州道)
**本渡JCT-新和IC間に「本渡PA」(13-1)を、阿久根JCT-肥後長島IC間に「天草長島SA」(16-1)を建設。


===高知松山自動車道===
===関東===
四国の四つの県庁所在地のうち、高知と松山だけは高速道路で直接つながっていないので、作ってみた。
#元はロシアの汽船だったらしい。
#ルートは概ね国道33号と同じ。
#日露戦争や第一次大戦で従軍して、功績が大きかったらしい。
#ICなど
#最後は、台風により遭難し座礁、沈没。
#*伊野JCT-日高IC-越知IC-仁淀IC-柳谷IC-美川IC-久万IC-砥部IC-松前JCT
#名前は高知松山自動車道だが、起終点はちょっとズレてる。
#*鉄道みたいに予土自動車道は?


===西条自動車道===
==哨戒艇==
#松山-高知の時間短縮・本州(尾道)-高知の最短ルートとしての利用が目的。
===第102号===
#西条JCT-西条南IC-本川IC-吾北IC-伊野北IC-伊野JCT
#戦時中に鹵獲した駆逐艦を改造した哨戒艇。元々は米海軍の「スチュワート」だった。
#*実はこの「スチュワート」、'''関東大震災が発生した際に現地で救援活動を行っており'''、意外と日本と縁深い船だったりする。
#実は味方と協力して4日間に3隻の駆逐艦を沈めた化け物潜水艦を沈めてる。
#ハーダーと言うのだが、決して「より硬い」という意味ではない。念のため。


===芸予自動車道===
==特務艦==
{{高速道路|name=呉|roma=kure|num=7}}
===宗谷===
{{高速道路2|name1=倉橋北|name2=釣士田|roma1=Kurahashi-Kita|roma2=Ryoushida|num=10}}
#数奇な運命を辿った船(海保巡視船)。商船として就役し特務艦として海軍籍に編入、戦後は引揚船を経て海上保安庁に移籍、灯台補給船、初代南極観測船となった。
#安芸と伊予で安伊。
#*単に幸運の一言では言い尽くせないほどの天佑に恵まれた艦であり現存するという意味では雪風をも凌ぐ
#*普通「芸予」っていわねえか?
#*長い船歴を通じて数千人(引揚者を含めれば優に万を超える)にのぼる人々を救助し、あまたの新技術のテストヘッドとして戦後の海事技術を切り開き、日本初の南極観測船として、そしてヘリコプター母船(母艦)の礎を築き、後継船(そうや、ふじ、はるな他)に引き継いだ....という意味でも偉大な船。
#**同感。
#現在は東京お台場「船の科学館」に展示されているが、実は現役で年数回海保の訓練にも使用され、船籍も有すためその気になれば'''抜錨して航行することが可能'''である
#広島JCT、沼IC(広4),中広IC(広4),宇品IC(広3),宇品PA,仁保JCT,坂IC(今の坂北),坂南IC(今より南),天応IC,呉IC,呉広IC,川尻SA,(安芸灘大橋),下蒲刈IC,蒲刈IC,豊浜IC,下島PA,豊IC,関前IC,(波方大橋),波方IC,大西IC,菊間IC,北条IC,権現SA,松山北IC,松山JCT
#*この点から旧大日本帝国海軍艦艇唯一の生き残りとされることもある
#*IC多くないか?
#**呉道路あたりはこれでも減らしてます
#*波方大橋長!
#**アクアラインには負ける
#*普通に関前IC,小大下BS(島民専用IC),大下BS(島民専用IC),大三島西IC,大三島JCTでよくね?
#あえて安芸灘諸島連絡架橋を通さないルート。
#*広島JCT,沼田IC(広4),中広IC(広4),宇品IC(広3),宇品PA,仁保JCT,坂IC(今の坂北),坂南IC(今より南),天応IC,呉IC,警固屋IC,音戸IC,倉橋北IC(釣士田),倉橋南IC(室尾),鹿島BS(島民専用IC),(芸予大橋),怒和島IC,中島IC,睦月島BS(島民専用IC),興居島IC,松山港IC,松山空港IC,鎌田IC,松山JCT(現松山IC)
 
===山口自動車道===
{{高速道路2|name1=津和野|name2=青野山|roma1=tsuwano|roma2=aonoyama|num=4}}
#山口←→津和野←→益田
#*岡山道より長いか?
#もちろん9号線沿い。
#で、ICは?
#*山口北、長門峡、阿東、益田南、益田みたいな感じで。
#**津和野を忘れるな
#JUTはどこにする
#*山口ICの少し東
#画像編集。
 
===豊後自動車道===
四国愛媛県と九州大分県を結ぶ道路。豊予海峡大橋が架けられる。
#松山自動車道/大洲JCT➩八幡浜IC➩伊方ハーフIC➩佐田岬SA➩東九州自動車道/大分宮河内JCT
#豊予自動車道とか
 
===北四国自動車道===
{{高速道路2|name1=高松|name2=美馬|roma1=Takamatsu|roma2=Mima|num=8}}
徳島県徳島市から、四国の瀬戸内海側を通り、香川県を経由して愛媛県松山市まで至る高速道路
1徳島IC~2徳島JCT~吉野川PA~3鳴門JCT~4鳴門IC~5引田IC~6さぬき東IC~津田の松原SA~7さぬきIC~8高松IC~9高松西IC~府中湖PA~10坂出JCT~11丸亀IC~12善通寺IC~13三豊IC~14観音寺IC~豊浜SA~15四国中央JCT~16四国中央IC~17四国中央西IC~18新居浜IC~新居浜PA~19西条東IC~20西条IC~石鎚山SA~21西条JCT~22西条西IC~桜三里PA~23東温IC~24松山東IC~道後温泉SA~25松山南JCT~26松前IC~27松山IC
 
===南四国自動車道===
{{高速道路2|name1=四万十|name2=土佐清水|roma1=Shimanto|roma2=Tosashimizu|num=25}}
徳島県徳島市から、四国の太平洋側を通り、高知県を経由して愛媛県松山市まで至る高速道路
徳島JCT~1徳島南IC~2小松島IC~那賀川SA~3阿南IC~4阿南南IC~5日和佐IC~6牟岐IC~7海南IC~宍喰PA~8宍喰IC~9東洋IC~10室戸IC~室戸岬SA~11室戸西IC~12安田IC~13安芸IC~14香南IC~土佐湾PA~15南国IC~16南国JCT~17高知IC~18いのIC~19土佐IC~横浪三里SA~20土佐西IC~21須崎IC~22中土佐IC~23窪川IC~24黒潮IC~入野松原PA~25四万十IC~26四万十西IC~27宿毛IC~28愛南IC~29宇和島南IC~宇和海SA~30宇和島IC~31宇和島北IC~32西予IC~33八幡浜IC~佐田岬半島PA~34大洲IC~35内子IC~36伊予IC~37砥部IC~38松山南IC~松山南JCT
 
===周南自動車道===
{{高速道路2|name1=徳山北|name2=徳地|roma1=Tokuyama-kita|roma2=Tokuchi|num=1}}
山口県周南市の山陽道から中国道を結ぶ高速道路。
周南JCT(山陽道)~1徳山北IC~菅野湖PA~2金峰IC~鹿野JCT(中国道)
 
===益田自動車道===
{{高速道路2|name1=終点|name2=山陰道|roma1=End|roma2=SAN-IN|num=5}}
島根県吉賀町から、益田市まで至る高速道路。周南自動車道と併せて、中国横断自動車道周南益田線。
六日市JCT(中国道)~1柿木IC~青野山PA~2津和野IC~3日原IC~4益田南IC~5益田IC・JCT(益田道路(山陰道))・萩・石見空港SA


==関連項目==
==関連項目==
[[もし全ての国道の上に高速道路があったら]]
*[[艦隊これくしょん -艦これ-]]


[[Category:勝手に道路建設|こうそくとうろ]]
{{DEFAULTSORT:たいにつほんていこくかいくん}}
[[Category:軍艦]]
[[Category:第二次世界大戦]]
[[Category:日本軍|くんかん]]

2021年6月26日 (土) 09:34時点における版

分割済み

巡洋艦

  1. ロイヤルなネイビーから「飢えた狼」とまで呼ばれたくらい戦闘狂な設計だった。
    • かの国は世界中に領地があったため居住性を重視し長期間の航海を考えていたため、それと比較してという面もある。
      • 戦前、イギリスは、条約の制限下で重武装できた日本の巡洋艦の情報を欲しがった。植民地との海上交通線確保には、優秀な巡洋艦が必要だったから。技術交流の名目で、妙高級、古鷹級のデータを欲しいと、日本海軍に申し入れしている。
    • 戦前、妙高型の足柄はかの国に派遣されキングジョージ6世即位記念観艦式に参列する。その際に足柄を見た英国人記者に「我々はこんにち、初めて軍艦を見た。今まで我々が軍艦だと思っていたのはホテルシップだった」と言わしめたという逸話を持つ。我が国では↑の「餓狼」と合わせて長らく日本重巡の強力さに対する賛辞だと思われていたが、今では武装を重視したがゆえに居住性を極限まで犠牲にした日本艦への皮肉だと考えられている。まあ英国の巡洋艦=広大なシーレーンを確保するための艦艇、日本の巡洋艦=日本近海での艦隊決戦を想定した準主力艦、というふうにそもそもコンセプトが違うので一概に比較はできないが・・・

軽巡洋艦

大淀

  1. 最後の連合艦隊旗艦。
    • 当時の少国民たちは、戦艦でないものが旗艦と言うことで、不安を覚えるのもいたらしい。
      • その人たちは多分初代連合艦隊旗艦も戦艦ではなかったことを知らない。
    • 旗艦任務が解除されて平軽巡に戻ったとき安堵の声が上がったとか。
    • そのせいか冷暖房完備で、居住性もいい部類の艦だったらしい。
    • 日本海軍で、蛍光灯が本格的に導入された最初の艦。
      • ただ、品質の問題で光が安定せずチラチラするため、評判はいまひとつ。
    • 新造当時は、45メートルの大型カタパルトを装備していたらしい。
      • 連合艦隊旗艦になるときに、25メートルの普通型に換装するなどした。
    • 連合艦隊旗艦は巡洋艦に始まり、巡洋艦に終わることとなったわけだ。
  2. 軽巡のくせに、10000トン近い大型艦だったという。
  3. 司令部に改装された後は安定性がひどかった。

五十鈴

  1. 何かしらの因縁を言われることがあるらしい。
    • 竣工が8月15日で、沈没が場所は違うが戦艦大和と同日・・・。
  2. 開戦当時の第二遣支艦隊の旗艦。
  3. 大戦後期には高角砲に機銃、対空電探を沢山積み、対潜装備も充実させた。防空巡洋艦とのあだ名もある。
  4. 山本五十六、山口多聞、堀悌吉、高須四郎などの名軍人が艦長を務めたすごい船でもある。
    • さらに多くの貴族出身の将校を乗せていたため貴族船といわれるほど。

北上

  1. 数奇な運命をたどってる。
    • 軽巡→重雷装艦→高速輸送艦→回天母艦→(戦後)工作艦。
    • 戦果としては、全くないと言ってほぼ、差し支えない。

香取

  1. 世にも珍しい練習専門の巡洋艦。
  2. ただ就役した時期が1938年だったので実際に練習航海に出たのは1回だけ。
  3. 大戦中は旗艦や船団護衛や輸送船として使われた。
  4. そもそも練習専門なので火力はあまり高くない。
  5. なぜか駆逐艦より大きいのに建造費が安かった。
  6. 艦名はすべて神社の名前。
    • ↑香取級の話。ちなみに2番艦鹿島、3番艦香椎で、「か」が頭に付く。
  7. 幅広い艤装を積んでいて使いやすかったようで、「便利な船」と評されている

阿賀野

  1. 日本海軍久しぶりの本格的軽巡(最上型は重巡への改装前提の船)
    • なのだが当時の軽巡の主流は最上型から始まった大型軽巡と呼ばれるものに変わり始めてた。
      • 現にほぼ同世代であるアメリカのクリーブランド級は1万トン近い大型軽巡である。
        • それは、そもそも阿賀野型は、敵の巡洋艦と撃ち合うためではなく、水雷戦隊の旗艦、5500トン級の後継として計画されたものだから。そのため阿賀野型の武装は雷装が重視され、砲力はアメリカの大型駆逐艦を制圧できるものであればよしとされた。
  2. 最新鋭軽巡ということで大活躍したともいきや3番艦矢矧以外パッとした戦果を残せず。
    • 阿賀野型の主任務として想定された水雷夜襲という戦術がすでに過去の遺物だったからね。
    • 4番艦酒匂に至っては完成時すでに1番艦阿賀野、2番艦能代が沈没済み。
      • 初の遠洋航海が戦後の復員輸送で、最後は原爆の標的艦に。

重巡洋艦

青葉

  1. ワレアオバ。
    • でもその会戦で沈んでないんだから相当な運を持ってると思う。
      • 運ではなく集中砲火を受ける青葉に気づき、その盾になり身代わりになって沈んだ艦のおかげである。
        • とにかくそれで五藤少将戦死してるし、普通なら、救援のありなしにかかわらず、沈んでいたことはあると思うのだが・・・。
          • 救援がなかったら確実に沈んでいたのでやはり運よりは身代わりのおかげである。
      • カビエン湾で損傷受けたり、マニラ湾口で雷撃喰らって沈みそうになっても、どうにか日本に戻ってきている事だけでも、運はあると思う。まぁ、最終的には呉空襲で着底だったから、終戦迎えるほどの運ではなかったようだけれども。
        • 米海軍「あいつなんなの…何度沈めても蘇るんだけど」「ソロモンの狼と呼ぼう。あっぱれな敵だ」
  2. 日本の軍艦にカタパルトをつけた最初の艦らしい。
    • 最初は姉妹艦の衣笠なんだけどね。
  3. SF作家の海野十三が乗っていた船。

高雄

  1. 最近女体化した。
    • アダ名はツンデレ重巡
    • 高雄に限った話ではないのでは・・・。
      • ↑×3を書いた時は艦これは存在していなかったので女体化した艦は少なかった。
  2. 姉妹艦共々後のイージス艦を彷彿させるような非常にゴツい艦橋が特徴的。
    • 後のこんごう型となるイージス艦が建造中の時、その外見から「日本はたかお型を建造中か」と海外で言われたとか言われなかったとか。
    • これ絶対、日本の城をイメージして図面ひいてるよな。
    • 当時のイギリス人が評して言うには「甲状腺の肥大したカバのようだ」
      • 今の基準で見ると相当かっこいいのだが、これは日本人に限ったことではなく外人から見てもかっこいいらしく、海外で一番人気のある日本重巡らしい。
      • 居住性は良かったようで、イギリス人は終戦後にこのカバをホテルシップとして使用した。
  3. ひとつ前の重巡(妙高型)が手狭で使い勝手が悪かったのと、艦隊指揮能力も付けるために艦橋を大型化した。
    • やはり大きすぎたのか、高雄と愛宕は艦橋を縮小する改装工事を行っている。
  4. 妙高とは姉妹艦以上に姉妹艦な関係
    • ネームシップ同士として同一工廠の同一船台で建造され、同じ海戦で大破し、同じ場所で終戦を迎え、ほぼ同じ地点で海没処分という奇妙な縁を持っていた
  5. 朝霜は命の恩艦

愛宕

  1. 高雄型二番艦のはずが、高雄より早く完成してしまった艦。
    • ちなみに起工日は昭和2年4月28日と高雄と全く同じ日。
  2. レイテ沖海戦時の栗田艦隊旗艦。
    • 栗田司令部「捷一号作戦では、旗艦を愛宕から指揮通信能力に優れた大和型戦艦に変更したいのですが…」連合艦隊司令部「バカもん!夜戦部隊たる第二艦隊の旗艦は伝統的に高雄型重巡だろ!旗艦の変更認めず!」で却下。愛宕は作戦序盤で沈没、おかげで以降の作戦に多大な影響を及ぼす。

摩耶

  1. シルエットが、かっこいいので有名だったらしい。
    • 途中で三番砲塔が撤去されて防空艦仕様に改造。見た目の屈強さにより拍車がかかった。
  2. 火垂るの墓の清太のお父ちゃんが乗ってたという船。
    • ジブリのアニメ映画で摩耶の原画を担当したのは、のちにエヴァンゲリオンで知られる庵野秀明。
      • 同型艦との違いを再現するべく、膨大な資料を調べたうえで一ヶ月かけて描いたが、監督指示で黒いシルエットに塗り潰されてしまい、それを観た庵野はショックを受けてしまった。
        • 黒く塗ったのは樋口真嗣の嫁であり、ジブリでハーモニー処理を担当している高屋法子。

鳥海

  1. 書類上、日本の建造した「最後の重巡洋艦」だったような。
    • これより後の最上型・利根型は艦名からも分かるように元軽巡で、その分類は終戦まで変わらなかったらしい。
  2. 姉妹艦のなかでもとりわけ内装が豪華だったとか。
    • 旗艦仕様だったからね。
      • また、居住性も良かったらしい。
      • そのためか、昭和10年度から連続五年でどこかの艦隊旗艦になってたらしい。
        • そのせいで十分な改装を施す機会がなく、そのまま戦没と言うことに。
      • 開戦後も単独運用が多かった。完勝した第一次ソロモン海戦での第八艦隊の単独旗艦でもあった。

那智

  1. 妙高型の中で一番竣工が早かった。
    • 昭和天皇即位記念の観艦式に間に合わせるために急がせたとか。
  2. 「重巡最上被害者の会」があるなら、まず含まれるであろう1艦。
  3. 第四艦隊事件では、駆逐艦初雪の漂流する艦首を主砲で葬る。その後、日本の誇る新鋭駆逐艦が波浪で船体を切断されるような構造上の欠点を抱えていることを列強に知られることは国防上の問題に関わると考えた海軍は真相を隠蔽することに決め、初雪・夕霧の損傷は両艦の「衝突」によるという発表を行った。よくよく衝突に縁の深い艦である。

足柄

  1. 上記「巡洋艦」のエピソードは足柄から生まれた。

羽黒

  1. 妙高型4番艦。
  2. 2003年に沈没艦体が発見されたが、その後悪徳業者が海底で艦体を切断しスクラップで売り飛ばしているらしい。

最上

  1. 重巡洋艦に改装できる軽巡洋艦として設計された。
    • そのため最初は軽巡扱いだった。
  2. 書類上は最後まで軽巡だった。
  3. なぜか1番艦の最上は同士討ちや衝突が異様に多い。
    • 例ミッドウェー海戦で三隈に衝突、スリガオ海峡海戦で那智に衝突、バタビア沖海戦で陸軍の輸送船を誤射。
  4. 排水量をサバ読みしていた。
  5. 1,2番艦は船体強度に問題があったため3,4番艦は艦体構造が違う。
    • それだけでなく艦の缶数が違うためたまに3,4番艦は鈴谷型という時がある。
      • 1最上、2三隈、3鈴谷、4熊野
  6. 最初に積んでいた砲塔は大和型2隻と大淀に転用された。
  7. 最上は艦種が軽巡→重巡→航空巡洋艦と変わった。
    • 誤解がないよう補足しておくと、正式な海軍の艦種類別は除籍まで「二等巡洋艦」(いわゆる軽巡)。
  8. 砲塔が変わったことは、ミッドウェー海戦まで米軍は知らなかった。

利根

  1. 最上型と同じく正式には軽巡。建造途中で主砲を15.5サンチ3連装砲から20.3サンチ連装砲へ変更した。
  2. 主砲が4基、これでもかというくらい艦首に密集している。
  3. 歴史にIFはないとは言え、もしミッドウェー海戦で利根の索敵機が予定どおり発艦できていれば。。。
  4. 同型艦の筑摩はレイテ沖海戦で金剛や他重巡とともに護衛空母を砲撃で撃沈。空母が砲撃で沈没したのは歴史上これだけらしい。
    • グローリアスは?
  5. 1943では1ボスにしてボス艦として登場する唯一の巡洋艦。

防護巡洋艦

宗谷(ヴァリャーグ)

  1. 「宗谷」と言えば後述の特務艦が有名だが、初代宗谷は日露戦争でロシアから鹵獲した防護巡。こちらも数奇な運命を辿っている。

駆逐艦

  1. 命名基準は、最初一等駆逐艦が「風」の付く名、二等が植物名だった。
    • だが数年で足りなくなる。最後には「波風」「沼風」といった語感のよろしくないものまであった。
  2. ならばと一等を奇数番号、二等を偶数番号に改訂したが乗員には不評。さらに軍縮条約が結ばれて、そこまでしなくてもよくなった。
  3. 三度目の正直で一等を気象や海象名、二等を植物名に改訂。さらに国文学者の先生に依頼して、艦名の候補を選定してもらった。
    • ただ、この先生が歌人でもあったせいか、文学的な名が多くなる(例:天霧、深雪、五月雨)。
  4. 松型以外の駆逐艦は機関系のどこかが壊れると航行不能になる欠陥があった。

特型

  1. 一言でいうと「ぼくのかんがえたさいきょうのほじょかんてい」
  2. 世界中の海軍に与えた影響はかなりのもので最終的に今まで使い捨てだった駆逐艦が現代の主力艦艇になる足がかりになった。
  3. ジパングの二話でみらいを追跡しようとしたのはたぶんこいつら。
  4. 建艦史上に名をとどめる傑作艦である一方で、第四艦隊事件で明らかになった欠陥を抱えていたことも忘れないように。何事も無理をしすぎるとひずみとなって現れるというのは現代にも通じる。

白雲

  1. とりあえず、二隻いる。
    • 白雲型のネームシップと、吹雪型の八番艦。(だったかな)
  2. この名前はなんかいやだと言う人たちもいたらしい。
    • ひらがなで表記すると、「しらくも」だから。

  1. とりあえず、二隻いる。
    • 神風型の二十一番艦と、吹雪型の二十二番艦。(だったかな)
  2. なんだかんだと生き残り、最終的にはソ連に行った駆逐艦。
    • 現在はウラジオストク沖で魚礁になってるらしい。

  1. 吹雪型駆逐艦、読みは「いかずち」
    • 「いかづち」でもいいらしいけど、MS-IMEでは変換できなかった。
  2. 「敵兵ことごとく救助せよ」の艦長命令の元、イギリス兵422名を救助した。
    • ちなみに同型艦の「電」も前日にイギリス兵376名を救助している。が、こちらが語られることはほとんどない。
      • 乗艦を沈められて浮遊漂泊している日本兵に、機銃掃射するアメリカの潜水艦の映像を、ヒストリーチャンネルで見た。
        • 残念ながら全く同じことを日本の潜水艦もやっている。
          • 「電」の方は救助された衛生兵曰く長時間甲板に放置したりと扱いが雑だったらしい。でもちゃんと救助した。
  3. あちこち出かけてる
    • マーシャル諸島、セレベス海、アリューシャン、ソロモン・・・。最期は、グァム近海で戦没。

吹雪

  1. 吹雪型駆逐艦1番艦。ネームシップ。
  2. 名実ともに当時世界最新鋭であり、特型駆逐艦の登場はかの戦艦ドレッドノート級にも匹敵する出来事と言われる。
  3. ワシントン軍縮条約の影響で相当無茶な設計を要求されたが見事達成
    • 結果、前級睦月型比1.5倍の重武装、従来からは考えられない外洋航行能力を得て艦隊型駆逐艦の基礎となる
    • 英国からは排水量偽装疑惑を掛かられ、米国からはリップサービスとは言え旧型と50:1で交換したいと言わしめた
    • しかしながら、コンパクトな船体に過剰な重武装を施したために、船体にはかなりの負荷がかかっており、第四艦隊事件でその欠点を露呈することになる。
  4. ロンドン軍縮条約で駆逐艦が矢鱈複雑な規制を受けたのは主に特型を初めとした大型駆逐艦台頭のせい。
  5. 当時は補助艦艇と目されていた駆逐艦にもかかわらず、艦隊の華「戦艦・長門」、「重巡洋艦・熊野」と並んでグリコのおまけ模型(今で言う金のエンゼルで貰えるおもちゃのカンヅメ)に抜擢されている。

陽炎型

雪風

  1. 最強伝説。
    • しかし僚艦からは疫病神扱いされることも。
      • 信濃が海の藻屑となる一方、その信濃の護衛だったこちらは何ともなかった。
        • それは信濃の艦長が雪風や浜風など護衛駆逐艦の艦長たちが陸に近いところを航行しないと危ないと意見しているのを退けて陸から遠いところを航行してしまったため。これで疫病神扱いされたらたまったもんじゃない。
      • そのお話はどうもデマという説が強い。
    • 同じ厄病艦としては最上も有名。しかも「運」ではなく「体当たり」で沈めた。
      • むしろ雪風の周りでは被害が比較的軽く、雪風以外が全滅した戦闘に至っては一度も無い。
  2. 戦後は中華民国海軍の丹陽となる
    • 魔改造するなw
      • 魔改造したわけではなく、駆逐艦のまま雪風の戦歴に敬意を払って旗艦となっていた。
  3. 上記の通りの疫病神呼ばわりもあるが、幸運艦としても有名。
    • 大和の最後の出撃の時、無傷で帰ってきた。(しかし一説には、糧食庫にロケット弾が被弾していたという)
      • その後、宮津湾で機雷に触れるが、爆発しなかった。その後、初霜がその機雷に触れて轟沈・・・。
      • 坊の岬では無傷ではなく中破ぐらいの損傷を負って帰還した。無傷だったのはその後宮津で沈んでしまう初霜。
    • その幸運を担保したのは、逆探知機の装備と、その後の対空レーダー、射撃レーダー、水中探信用ソナーこれらの第一号は全て雪風だったからというそうな。
      • 逆じゃね?こいつなら絶対帰ってくるからテスト目的で新型兵装のっけよう、という流れだった気がする。
      • 戦時中から乗員の練度が凄まじかった事でも知られ、準備はどの艦よりも早くダメコンは的確、探照灯で敵機撃墜などエピソードに事欠かない
    • なお幸運は丹陽になった後も健在。敵の砲撃が当たる直前に爆発して事なきを得たり、老朽化して出力が上がらなかった機関がピンチの時に急に全盛期の出力を出して危機を脱したり・・・
  4. 中華民国引渡前には復員船として活躍。延べ1万4千人を本土に復員させ、その中には水木しげる氏も居た。
  5. 最後は台風の影響で大破し曳航、そのまま台湾で解体された。結局砲撃でも魚雷でも機雷でも果ては台風さえもこの船を沈めることはできなかった。

秋雲

  1. たぶん世界で唯一敵味方問わず二隻の空母を沈めた駆逐艦。
    • 巻雲と間違えた。
  2. 南太平洋海戦の時こいつと僚艦の巻雲にホーネットの捕獲が命じられた。
    • 無論無理なので雷撃処分した。
      • なぜかこのとき秋雲の艦長がホーネットの絵を画くように指示してる。
        • 研究資料のために写真をとりたかったらしいが、薄暗くてまともな写真が取れないのでせめて絵でも。と思ったとか
  3. 最近まで陽炎型ではなく準同型艦の夕雲型だと思われていた。
    • そのためいまだに一部の本では夕雲型とされている。

野分

  1. 陽炎型の艦名リストを見てると唐突に出てくる海軍ぽくない艦名の艦
    • あまりなじみがないが台風の古称らしい
      • ちなみにこの次の船は嵐である。
  2. 実戦では台風の名に恥じぬ暴れっぷり見せる。
    • 僚艦嵐とともに数日の間に輸送船数隻と砲艦1隻、駆逐艦などを沈める。
      • ちなみにこのときの第4駆逐隊の司令は有賀幸作である。
        • さらにこの第4駆逐隊の歴史をさかのぼると日本海海戦に参加しておりそのときに戦艦数隻を撃沈した部隊である。(なおこのときの司令は鈴木貫太郎である)
    • さらに単艦米海軍の最新鋭戦艦2隻を含んだ大艦隊に補足されても損傷はしたものの横須賀まで逃げ切る。
    • その奮闘振りから「呉の雪風、佐世保の時雨」に倣って「横須賀野分」と呼んだ人も居たとか

秋月型

秋月

  1. 多分、第二次世界大戦中の最強の対空専用艦。
    • 確かに砲の性能は最強だったが、射撃指揮装置の性能などを総合するとA・M・サムナーの方が強力。
    • 「第二次世界大戦中最強」は言い過ぎ。「日本が終戦までに実用化した艦対空兵器の中で最良と言えるものを主兵装とした艦」程度が妥当。
  2. 軍令部のワガママで魚雷が積まれた。本来は軽巡並になる要求だったので、これでも妥協した方。
    • 米駆逐艦のA・M・サムナーやギアリングも魚雷つんでるぞ。しかも5連装2基。スペース的にまだ秋月の方がマシと言える。
  3. 秋月型の艦名を聞いた海軍将兵の感想は、「源氏物語みたいだねえ」と「飲み屋(もしくは置屋)の名前みたいだな」に二極化したらしい。
    • 夏月、待月、宵月が就役した時には「待合(連込み宿)の名前ばかりつけやがって」との揶揄も。
      • 秋月型に「待月」は存在しないが。
  4. 性能自体は申し分なかったのだが、一隻造るのに一年もの歳月を要するため戦時向きではなかった。
    • とは言えその一年という数字、従来の駆逐艦と比べるとかなり短い建造期間である。

冬月

  1. 今は涼月、初代柳と共に若松港の防波堤として眠っている。
  2. 運がいいんだか悪いんだか、よくわからない艦。
    • 大和特攻の時には、帰ってきた。そういう意味では運がいいのだが、レイテの時は、その作戦準備中に遠州灘で大損傷するし、戦後には、門司港内で触雷大破・・・。

涼月

  1. 本当の意味での幸運艦とはこういうものだ。
    • そりゃ、三度も艦体切断の大損傷受けながら、それでも沈まず帰ってくるんだから・・・。
  2. 大和の海上特攻に参加。ぜんぜん帰ってこないので沈んだと思われていたところへ、ひょっこり帰ってきた。
    • 乗員3名が自らを人柱としてダメコンを行ったおかげ。
      • 帰還したところでそのまま着底。まさに命を燃やして乗員を生還させた艦。
        • 実は本当なら多少は余裕があったらしいが、艦首付近に大穴が空いてて後進で帰ってきたのに佐世保に帰還した喜びのあまりついうっかり港内で前進。
          途端に浸水が広がって大慌ててでドックに押し込んだそうな。
  3. 坊ノ岬沖海戦のあと佐世保に向かっているとき飲み水がなくなりカルピスの原液をがぶ飲みして大変なことになったらしい。

その他

  1. 雑木林と言われつつも高い生存性を持つ良艦。
  2. 準同型艦の橘型もよろしく
    • 松型から更に直線を多用した簡素な艦体デザイン、溶接の全面採用やブロック工法を採り入れるなど、極限にまで生産しやすくしている。
  3. 硫黄島への輸送作戦の帰りに運悪く米軍に捕捉されるも軽巡3駆逐艦12からなる敵艦隊を単独で足止め。お陰で第4号海防艦のみだが生き延びた。
  4. 今までの駆逐艦の防御上の問題だった機関室かタービン室に浸水すると動けなくなる欠陥を新しい機関配置で克服した。
    • がその配置はアメリカとフランスではほぼ全艦艇に使用されていた。
      • シフト配置生存性が向上するものの生産性・整備性がガタ落ちするため。
  5. 橘型の梨は、戦時中に米軍艦上機に沈められるも、戦後に浮揚・修復され、海自の護衛艦わかばとして生まれ変わったという、凄い経歴を持っている。

初春

  1. 初春型の一番艦。
  2. はつはる」であって「ういはる」ではない。読み間違えには注意を。
  3. 当初は、外観的にも斬新な艦だったそうだが、制限排水量のなかでの重武装などの問題があり、結局、改装することになったらしい。
  4. アッツ島攻略までは、駆逐艦子ノ日と同行動を取っていたらしい。

島風

  1. 日本海軍の駆逐艦の中で最高速力43ノットを誇り一度に最大15本もの魚雷を発射できる艦隊型駆逐艦の最高傑作。
    • が機関の量産性と信頼性が悪かったため計画段階では10隻以上作るはずが一隻のみに。
      • さらにその快速が原因で最後までどの駆逐隊にも配属されなかった。
  2. なぜかよくぜかましと呼ばれる。
    • 多分これの影響が大きいと思う。
      • そのキャラの救命浮き輪に書れている文字が由来だと思うが、史実では戦時体制移行後に竣工したので、艦体や備品含めて艦名が書かれたことはない。
  3. 空襲で沈んだが爆弾は一発も喰らわず機銃掃射を受けたのみだが浸水が発生最終的に機関が爆発して沈んだ。
  4. なぜかこいつが戦争で沈んだ船の慰霊碑一号だったらしい。

朝潮

  1. 艦隊型駆逐艦の完成形にして海上自衛隊の護衛艦の母
  2. ほかの駆逐艦と違い艦内電流に交流を使っていた
    • そのおかげで護衛艦の設計のベースになった。
  3. 朝潮は輸送艦との約束を果たすため戦場に残っていたため空襲にあって沈んだというカッコイイ話がある。

夕雲

  1. 陽炎型を若干大きくして早くして主砲塔の仰角を大きくした程度の船。
    • 陽炎型が計画速度の35ノットを達成できなかったので、高速性を持たせるために艦尾を50センチ延長した。
      • のちに、スクリューの形状が悪いせいで、陽炎型の速度が出ないことが判ったので、わざわざ延長しなくてもよかった。
    • 2式距離苗頭盤を搭載し、主砲の仰角が75度までとれるようになるなど、対空射撃能力が付与された。
      • ただし主砲は仰角が低く、毎回水平角に戻さないと装填できない構造だったため発射速度も遅く、その他の対空用設備に関しても、対空能力は同世代の米海軍フレッチャー級等に比べて遥かに劣っていた。
    • あとは艦橋の形が変わって後部に若干伸び、第一砲塔と前部マストがやや後ろに設置される等の違いがある。
  2. 最新鋭艦なのだがほかの船と比べると武勲艦が少ないというかパッとしない。
    • 有名な船だとホーネットを沈めた巻雲、ルンガ沖夜戦の立役者長波と高波、キングオブ駆逐艦乗りこと吉川中佐最後の船大波、最後まで残った朝霜、現在も水面上に残っている可能性のある早霜、礼号作戦唯一の戦没艦清。
  3. 秋雲はその艦名から、長いこと夕雲型とされてたが、実際は陽炎型だった。

潜水艦

  1. とにかくうるさい。ドイツ海軍が呆れるほどにうるさい。
  2. 航続距離がやたらと長い。
    • 地中海やドーバー海峡でちょろちょろするドイツ海軍に対し無補給でハワイやアメリカ西海岸までいける航続距離を要求してしまった。結果静かにするのは後回し。
      • なお日本と同じ条件のアメリカ潜水艦もドイツに言わせると同じレベルで騒音の塊だったりする。航続距離と静音性は相反するものではないはずだが、日米ともに設計の優先度でそうなったのだと思われる。
  3. 3の倍数は厄数。伊33なんてもう……。
  4. 喪失記録には、認定沈没と書いてあるのが多い。まぁ当たり前と言えば当たり前だが。
    • 単艦行動が基本であること、潜水艦の沈没はほぼ乗組員全滅とイコールなので、沈没地点・日時・状況は推測するしかない。

伊33

  1. ジンクスなんて言うものは大抵迷信や偶然で笑い飛ばせる。 この船以外は。

伊58

  1. インディアナポリスを撃沈したことで有名。
    • 艦長は戦後にGHQから呼び出しを食らって大変だったらしい。
    • 呼び出し食らった理由が「インディアナポリスの艦長が警戒を怠ったから撃沈できたと証言してほしい」ため。それに応えて曰く「あの時の航路ならどんな動きをされても撃沈できました」とのこと。
      • 要するに米軍はインディアナポリスの艦長の責任を追及したかったようだが、死後に名誉回復。
    • 原爆の部品を輸送するインディアナポリスには護衛の駆逐艦が随伴していなかったり、現在の航行位置を把握するシステムから外されていたり、撃沈後SOSを発信するも「日本海軍の罠だ」と救助に行かなかったのが原因。
    • インディアナポリスが発見されたのがきっかけでこちらも調査が始まった。
  2. しかも、トップシークレットの戦果もあるらしい。
    • アトムか?
    • 「ジョーズ」のクイント船長に鮫の恐怖を教えたこと。
  3. 映画「真夏のオリオン」に登場する伊77潜水艦のモデルとなった。
  4. 先代の伊58である伊158とは何かと縁がある。

伊400

  1. 水上機を格納してアメリカを攻撃しようとした。
    • 爆撃だけではなく疫病をまき散らそうとまでした。
    • 最初はアメリカ所有のパナマ運河を水上機で爆破して、大西洋の米英艦隊の太平洋への展開を遅らせようとしていた。
      • と思っていたら、竣工して訓練している間にドイツが降伏し、かなりの米英艦隊が太平洋へ移動してしまったので、ウルシー泊地への水上機による特攻作戦へ変更された。
        • しかも、この特攻作戦時には、上からの命令で水上機が米軍塗装にされていて、乗員から「情けない」と呆れられた。
  2. 某架空戦記の架空潜水艦のモデルとしても有名。
  3. とにかくでかい。へたな原潜よりでかい。通常動力潜水艦としてはいまだにレコードホルダー。
    • へたな原潜=フランスのリュビ級ですね。わかります。
    • とうとうと言うか、ようやくと言うか、中国の032型潜水艦が伊400のレコードを更新。 なおこの032型、実験艦の色が濃いが通常潜水艦のくせに弾道ミサイルが発射可能である。 ある意味伊400の思想と目的を最も色濃く受け継いだ現代通常潜水艦である。海上自衛隊が弾道ミサイルを持つことはまず無理なため、こちらはUAV搭載で伊400の再現をしたいところである!
  4. 抜かずに終わった伝家の宝刀。さっさと使えば、最低でも少しは米軍びびらせていたはずなのに。
    • 作戦では水上機を自爆特攻させるつもりだったんだから、むしろ使われなくてよかったよ。
  5. 潜水艦の秘匿性と航空機の航続距離を駆使して戦略目標を攻撃するというコンセプトは、現代のSSGN(巡航ミサイル潜水艦)やSSBN(弾道ミサイル潜水艦)の嚆矢とされている。
    • 実際、アメリカが初期に造っていたミサイル潜水艦は、航空機のような形をした巡航ミサイルを、甲板に備えられた発射台から発射するという、伊400の影響を受けた形態だった。
  6. 2013年、ハワイ沖の海底に沈んでいる姿が公開される。引き上げられないかなあ。
  7. 戦後、アメリカが接収して調査し終わったあと、保存せずにさっさと自沈処分したのは、敵国のソ連に存在を知られたくなかったから。
  8. 某メーカーから、木製の1/144艦船模型が売られている。デカイ。

三式潜航輸送艇(まるゆ艇)

  1. 何を間違ったか陸軍で開発された輸送専用の潜水艦。
    • 高松宮宣仁親王の日記に曰く「アホなことはやめて海軍と一緒にやれと言っても片意地張って国家的な無駄を出してる。使ってみないと無駄だと分からないとかアホなの?今そんな遊びにうつつを抜かすのがもう不忠だと分かれや(意訳)」
  2. 海軍のフネとすれ違ったとき、艇長が「俺はこいつを一度やってみたかったんだ」と乗組員を整列させて登舷礼(海軍式の礼法)をやった。
    • 上司の逆鱗に触れこの艦長、左遷をくらった。
      • 同僚が意気揚々と広島の新天地へ向かうのを九州行きの列車から見守る元艦長。時は1945年8月6日午前6時である。
    • 海軍のフネも甲板に将兵が整列して答礼する。それは沖縄に向かう「大和」だったという……。
      • この後、大和の起こした大波をくらって全員ずぶ濡れというオチがつく。
  3. 一方、ドイツでは空軍士官に銃を持たせて陸戦隊を編成した。もちろん結果は惨敗。

伊一二一型(機雷潜)

  1. 呼んで名の通り、機雷を敷設する事の出来る潜水艦。しかし機雷を射出した直後に重心が前に急傾するため、すぐ後部タンクに注水しないとひっくり返る危険な代物だった。
  2. 通称きらい潜。ネーミングセンスが神。

輸送艦

  1. 輸送船は民間から強制レンタルしていたので、自前の輸送艦は少数。
    • しかも上陸艦艇は海軍より陸軍の得意分野だったり…。
  2. LST型揚陸艦も区分としては"輸送艦"。現在の海自と同じである。
    • 海兵隊と言う組織が無かったから上陸が陸海軍どっちの仕事かはっきりしていなかった・・・というのもある。
  3. 球磨型巡洋艦「大井」「北上」は本来重雷装艦という魚雷を大量にくっつけた変な軽巡だったが、戦中は魚雷発射管を何基か降ろされ、高速輸送艦として活躍した。武装を殆ど下ろして本格的に改装する計画もあったぐらい。

間宮・伊良湖

  1. 給糧艦。艦内にアイスクリームの製造室からクリーニング室まであった。
    • この艦で製造される羊羹は海軍一美味いと評判だった。
      • そのあまりの大きさから「間宮の洗濯板」との俗称が。
        • 反対に、伊良湖の方が間宮より小さいが、性能的には上だったそうな。
    • 他にコンニャク、豆腐、最中、饅頭等の製造設備も備え、しかも専門の職人が作るので味も抜群。
  2. 泊地に現れると他艦から艦載艇が殺到した艦隊のアイドル。
  3. 「明日は間宮で(兵学校同期の)クラス会」「夜食は間宮ですき焼き」
  4. 給糧艦の他に、艦隊の無線検査の役割も持っており、規定通りの通信をしていない艦には注意が行ったという。「艦隊のお母さん」は優しくも厳しいのだ。
  5. 給糧の帰り、護衛の打ち合わせ後にお土産の羊羹をカバンいっぱい渡したら、次の日には給糧艦には考えられないくらいたくさんの護衛機が飛んできたらしい。
    • 露骨に士気に影響するため、護衛が厳重だったとか。
  6. 直接戦闘に関係ない艦艇だったため、石炭炊きエンジン。
    • その代わり、石炭カスとかが降ってこないように煙突が高かったらしい。
  7. 伊良湖の竣工は、開戦3日前。(昭和16年12月5日)。駆逐艦夕雲と一緒。
    • でもその喪失は、間宮より早い・・・。(伊良湖=昭和19年9月24日、間宮=昭和19年12月20日)

一等輸送艦

  1. 第一号型というのが正式名称らしい。
  2. 便利そうなフネだが、完成が1944年以降というのが何とも…。
  3. あまり知られていないが日本海軍でブロック工法を最初に導入した船でもある。

二等輸送艦

  1. LST形式の輸送艦。
  2. 箱型なので、外洋では揺れまくって大変らしい。

陸軍特殊船

  1. ドック型揚陸艦のご先祖的存在。
  2. 船の横に舟艇を下ろす>縄梯子で兵士がえっちらおっちら移乗 という従来の面倒臭い上陸作業を一挙に解決。案外、大和以上に世界に誇れるんじゃないかと思ってみる…。
    • 飛行甲板が張ってあり直掩機を飛ばすことができるのだが、これのせいで「陸軍空母」とか言って長年馬鹿にされてきた。しかし、ヘリ時代になって強襲揚陸艦はみんなこのスタイルになったから、実は日本陸軍が30年ばかし先取りしてたことがわかった。

海防艦

  1. 平時は領海や沿岸の警備を主任務とする船。
    • そのためある程度の大きさのある船なら何でもよかったので退役寸前の旧式艦がほとんどだった。
  2. 戦中は船団護衛などに使用するため専用の艦が大量生産された。

志賀

  1. 呉市と奪い合ったここが使っていたが、みすみす解体した。
    • 解体当時の市長は陸軍士官学校出身の松井旭。何か因縁めいたものを感じる

占守

  1. 日本海軍初の本格的北方警備専用艦。
    • そのため居住性や性能はかなり良かった。
    • 当時の北方海域は、旭日旗を掲げた警備艦艇がいないと、赤い国の艦艇が漁船を拿捕して連れていってみたり、威嚇射撃をしてみたりと大騒ぎだったらしく、小ぶりでもいいので数が欲しいというのが現実だった。
  2. 三菱重工に設計から丸投げされたのでかなり無駄が多かった。
  3. こいつが登場したころはまだ海防艦は8000トンクラスの大型艦が多かったのでたった860トンのこいつは全く知られていなかった。
    • 発表した際も860トンを8600トンの誤記とされたり、軍艦なのに駆逐艦や掃海艇から欠礼されることも多かった。
    • 小さいけれど、菊花紋章の付いた立派な軍艦。艦長は海軍大佐。
  4. 割と働いていた船なのだが同型艦の4隻中3隻が無事終戦を迎えた。
  5. 3番艦の国後はキスカ撤退作戦にも参加するなどした武勲艦だった。

工作艦

明石

  1. その辺の工廠よりも高性能な機械を装備していたらしい。
  2. 曰く、こいつがいたおかげでどれだけ助かったがわからない。
  3. 開戦当初、アメリカが血眼になって探して沈めようとしていたらしい。
  4. 初代は日露戦争で活躍した巡洋艦、二代目がこの工作艦。
    • 三代目は、海洋観測艦の「あかし」になるらしい。
  5. 下記の関東亡き後、これが完成するまで、日本は、専門の工作艦不在の時代が続いてたらしい。

朝日

  1. 元戦艦。日露戦争以来の老兵を改装。
  2. 旧式な上、低速で、格好の的だったとかなんとか。

関東

  1. 元はロシアの汽船だったらしい。
  2. 日露戦争や第一次大戦で従軍して、功績が大きかったらしい。
  3. 最後は、台風により遭難し座礁、沈没。

哨戒艇

第102号

  1. 戦時中に鹵獲した駆逐艦を改造した哨戒艇。元々は米海軍の「スチュワート」だった。
    • 実はこの「スチュワート」、関東大震災が発生した際に現地で救援活動を行っており、意外と日本と縁深い船だったりする。
  2. 実は味方と協力して4日間に3隻の駆逐艦を沈めた化け物潜水艦を沈めてる。
  3. ハーダーと言うのだが、決して「より硬い」という意味ではない。念のため。

特務艦

宗谷

  1. 数奇な運命を辿った船(海保巡視船)。商船として就役し特務艦として海軍籍に編入、戦後は引揚船を経て海上保安庁に移籍、灯台補給船、初代南極観測船となった。
    • 単に幸運の一言では言い尽くせないほどの天佑に恵まれた艦であり現存するという意味では雪風をも凌ぐ
    • 長い船歴を通じて数千人(引揚者を含めれば優に万を超える)にのぼる人々を救助し、あまたの新技術のテストヘッドとして戦後の海事技術を切り開き、日本初の南極観測船として、そしてヘリコプター母船(母艦)の礎を築き、後継船(そうや、ふじ、はるな他)に引き継いだ....という意味でも偉大な船。
  2. 現在は東京お台場「船の科学館」に展示されているが、実は現役で年数回海保の訓練にも使用され、船籍も有すためその気になれば抜錨して航行することが可能である
    • この点から旧大日本帝国海軍艦艇唯一の生き残りとされることもある

関連項目