モザンビーク

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  1. 一人当たりの経済力が世界最低だったときがある。そのときの値が80ドル。(世界最高のリヒテンシュタインは5万ドル。日本は4万ドル)
    • 現在10年以上にわたって経済成長率が7%ぐらいの高度経済成長を続けている。
    • 恐るべしリヒテンシュタイン
    • 旧ローデシアが残した反共武装勢力のせいで一人当たりの経済力が世界最低のところまで落とされた こいつらが暴れている時のモザンビークは飢餓地獄に陥ったらしい
  2. 首都マプート。
    • 内戦前はアフリカのリオと呼ばれる観光都市で歓楽街の多い町であった。
      • 内戦後はほとんどの高層ビルが老朽化。
    • ポルトガル風。また、インド洋に面した海岸は手付かずでかなり美しいと評判が良い。
    • 1992年に独立以来続いていた内戦が終結。1994年には国連の支援によって民主選挙が実施された。
    • モザンビーク市があるが首都ではない。国名と同名の都市があるのに首都でないのはベリーズと同じ。
      • 旧首都ではある。但しモザンビークが遷都したのは植民地時代の1898年。
    • 第2次大戦では相手国に残された外交官や留学生などを帰国させる交換船の目的地となった。
      • ここでアメリカやイギリスから来た船と日本から来た船が共に入港し乗客は自国の船に乗り換えて帰った。
  3. ポルトガルから独立。
    モザンビーク1975年発行独立記念切手
    • なのにイギリス連邦の加盟国。
      • 実質上はイギリスが支配していたようなものらしい。このことが関係してるのかも。
      • さらに当時のポルトガル自体がイギリスの強い影響下にあった。
    • ここの独立戦争が長引いたことがポルトガル民主化の一因になった。
  4. プランテーションで有名。
    • 特にカシューナッツがよく採れる。
  5. 国旗にAK47(旧ソ連の自動小銃)が描かれている。
  6. 隣国マラウィが楔の様に食い込んでいる。かつては鉄道が繋がってたらしい。
    • 今は修復しないと列車が走れない状態だとか。
  7. 日本への輸出は水産物が多い。
    • アルミニウム製錬も盛ん。日本にも輸出している。
      • モザールというアルミニウム工場だけで、モザンビークの製造業の生産高の半分を占める。
  8. 織田信長の家来の一人はここ出身と言われる。
    • ヤスケの事?
    • 「ふしぎ発見」では本能寺の変の後に無事戻ってきたのではないかと推測されていた。
  9. ここの大学の卒業式では、卒業生は角帽をかぶり、ポルトガルの学生のようなマントを着用する。
  10. ポルトガル代表の往年の名選手、エウゼビオの生まれ故郷。
  11. 鉄道がそれなりに発達しているが国内で見ると3つのエリアに分断されている。
    • 例えば首都のマプートから中部のベイラに鉄道だけで行こうとすると隣国のジンバブエを経由するしかない。
  12. 世界でも唯一2ヶ国でファーストレディーを務めた女性がいる。
    • モザンビーク初代大統領サモラ・マシェルの妻であるグラサ・マシェル氏。サモラが飛行機事故で死亡して12年後に当時の南アフリカ大統領のネルソン・マンデラと再婚し、モザンビークと南アフリカの2ヶ国でファーストレディーとなった。