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#我那覇和樹がブレイク中。なので、'''沖縄に移転したら人気が爆発する'''かも。
{{Pathnav|もし樺太が日本領のままだったら|name=北樺太}}
#*ウチナーの皆さんは、我那覇がフロンターレの選手だと認識してるのだろうか。
レーニンは北樺太の返還を考えていましたが、実現することはありませんでした。
#*そんな我那覇も今や日本代表。初選出の時には[[那覇]]で号外が出たとか。
*北だけ日本領のままと言うのもなんか変なので、[[もし南樺太が日本領のままだったら|南]]と一緒に読むのを推奨します。
#**一応沖縄でも[http://www.fcryukyu.com/ FC琉球]がJリーグ目指しているけど…。
==全般==
#ユニフォームがアシュラ男爵を彷彿とさせる。
#日本は産油国になっていたので、太平洋戦争は勃発しない。
#フロンターレとは「正面」という意味・・・って、'''意味不明なチーム名だなオイ'''。
#*当然満州事変も日中戦争も起こらず、第2次大戦においても中立・不干渉を取り続けた。しかし、その後の冷戦下の高度成長期に石油は次第に枯渇して1970年代に日本は石油輸入国に転落し、1980年代の円高でついに廃油田となる。
#*隠語で野郎の何を指すらしい・・・男らしいじゃないか!
#*OPECにも加盟していた。
#[[川崎]]は[[横浜ベイスターズ|大洋]]が逃げ、[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]が逃げ、[[東京ヴェルディ1969|ヴェルディ]]も逃げた経験があるので、街ぐるみでフロンターレを大切にしようという動きがある。
#東京~オハ(漢字表記:尾羽or奥端)を結ぶ東日本ベルトができる。
#J2に降格すると川崎アカンターレになる
#*奥端は重箱読みだけど意味的にはいいかも。個人的には「桜葩」を推薦。
#NHK教育「ピタゴラスイッチ」でアルゴリズム行進中。相当前の収録らしく日本代表も参加しております。。。
#*尾羽は歴史的仮名遣いだと「ヲハ」なので時代背景的にありあえない。
#マスコットは海豚。やたらフレンドリーでアウェー席の前まで出張して愛想を振りまいている。ガチャピン並の多才ぶりを発揮するもここ数年はおとなしい。
#*私としては近くの湖の日本名から取って「音沓戸」を推薦したい
#*蕪の仲間ができたが、大人の事情でそのうちいなくなるかもしれない。
#どっちみち寒いトコ。
#*どうやら蕪は契約更改できた模様。しかもまた新しい奴が増えた。
#*日本一人口密度の低い都道府県になっていた。
#他チームのサポーターからは「ウンコターレ」「クソッターレ」「フロンガス垂れ流し」などと揶揄される。(事実2006年のアウェイ[[FC東京|FC東京]]戦ではウンコターレの大合唱を何度も浴びせられたことがある)
#もしかしたら第2次大戦中にソビエトに攻められたりして・・・
#*そら相手が相手なだけと思うが。
#*北方領土は樺太全土または樺太北部(詳しく言うと敷香岳以南)だったかも
#*開き直ってサポータへの景品にオリジナルのトイレットペーパを作った事も。
#平成7年に「北樺太大震災」が発生して大きな被害を受けていた。
#*でも4ヶ月前に阪神大震災が起きたため樺太以外ではあまり覚えられていない。
#**油田やタンクが爆発炎上して大惨事になったかも。
#***「北樺太大震災」で最大の被害を被るのは弁連戸市あたり。
#****茶羽刈町(ネフチェゴルスク、ニヴフ語名チャハカルオー)はかなりの被害を受けるが、史実よりはマシ。史実であれほど被害が出たのは建物がかなり雑に造られてたからだし。
#*北樺太大震災が劇中で発生する朝の連続テレビ小説が作られていた。
#北樺太にも王子製紙の工場が置かれていた。
#アイヌだけでなくニヴフ、ウィルタなども「日本の少数民族」として認知される。
#*日本政府に謝罪と賠償を求めるアイヌに対して、ニヴフやウィルタがアイヌに謝罪と賠償を求める運動を開始。
#*エヴェンキ族は?
#やはり県名は樺太道か。
#このページも「もし樺太がロシア領のままだったら」になっている。
#*樺太の有名人に次々と「もし粛清されていたら」という項目が作られ、挙句ページが分割される。
#岡田嘉子と杉本良吉のソビエトへの亡命はなかったんだろうねえ。
#樺太県庁は豊原だと南過ぎるので、敷香あたりに移されていたかも。
#*樺太神社と樺太護国神社も、史実より北の地に建立されていた。
#**(ソ連侵攻がなければ)樺太護国神社の英霊が、[[日本の神社#北海道護国神社|北海道護国神社]]へ合祀されることはなかった。


{{Jリーグ}}
==地域別==
[[Category:Jリーグ|かわさきふろんたーれ]]
#今返還する場合、ガオト岬=エリザベス岬は、旧漢字の「鵞小門岬」にすると難読なので「我音岬」に漢字変更して改称するが、日露の女性陣から反発が出る。
[[Category:神奈川|かわさきふろんたーれ]]
#*樺太を一周した岡本監輔にちなむ「岡本岬」が採用されてたかもしれない。
[[Category:川崎市|かわさきふろんたーれ]]
#アレクサンドロフスク・サハリンスキーは落石(おっちし)市に。
#ポギビは鉾部(ほこべ)市に名称変更。
#*北寄尾市(ほっきび)っていいじゃね?
#網走刑務所よりも奥端刑務所の方が有名になっている。
#「ゆく年くる年」で奥端神社が最北の神社として紹介される。
#樺太庁の管轄範囲が史実の約2倍になっていた。
#*早々と新庁舎に建て替えらていた。
#*間違いなく県に昇格している。人口も100万人以上はいたと思う。
#ノグリキは「野栗木」に。
#*縫江かもしれない。
#奥端支庁や落石支庁が設置されていた。
#*縫江支庁や鉾部支庁も。
#北部は資源が豊富なので分県運動が起こるかもしれない。
#一回くらいはおはスタやサタ☆スマがスペシャルでオハからロケされてた。
#大きい都市は奥端市・弁連戸市・縫江市・落石市。
#*奥端は稚内より賑わっていたかもしれない。
#*中心都市は奥端市か縫江市(ノグリキ)。
#*南だが敷香も幌内川の河口なので史実より発展していただろう。
#石炭の採掘が現実以上に盛んだったかもしれない。
#稚内市の知名度は現実より低い。
#*前述の通り奥端が「日本最北端の市」として有名になるため。
#**それでも宗谷海峡にトンネルができるまでは樺太の玄関口としてそこそこ発展している。
#*そんなことより千島列島の存在感が薄いかも。
#**もしかすると「樺太全土を領有する代わりに、千島列島は(少なくとも得撫以北は)放棄」ということになっていたかも。
#ロシアと陸続してないので、南樺太だけの場合より文化交流が盛んでいない。
#*むし流刑されたポーランド人やアイヌ人のほうがもっと交流が盛ん。
#**二ヴフ人他は忘れてしまうかも。
#*キリル文字表記は間宮海峡よりの都市しか付けない。
#*もっともロシア系住民もいるので(ロシア革命時に亡命してきた住民含む)、ロシアの影響は皆無ではない。
 
=== 樺太振興局振分け表(勝手に制作) ===
{| class="wikitable"
|-
! 振興局名 !! 振興局所在地
|-
| 鈴谷 || 豊原
|-
| 亜庭 || 大泊
|-
| 能登呂 || 真岡
|-
| 名好 || 恵取須
|-
| 幌内 || 敷香
|-
| 阿党吉 || 落石
|-
| 鷹小門 || 奥端
|-
| 縫湾 || 縫江
|}
 
*こんなとこかな
 
==交通==
===鉄道===
[[画像:南樺太路線図0.png]]
#樺太東線が奥端まで延長され、日本最長の鉄道路線となる。
#*樺太本線に改称されていた。
#*樺太西線は落石まで延長。
#**北海道に既に落石駅があるため「樺太落石駅」になっていた。
#**鉾部(ポギビ)までの延伸も計画されるが、おそらく廃止されているだろう。
#大泊から奥端まで寝台特急が走っていた。
#2050年ごろに新幹線がオハまで開通する。
#*360km/hで走行してもオハまで6時間掛かるので東京からの直通種別はなさそう。
#*さすがに豊原までなんじゃないかと。
#間宮海峡トンネルとベーリング海峡トンネルの計画が具体化する。
#*アメリカやヨーロッパ向けに長大な貨物列車が行き来している。
#*間宮海峡に鉄道道路併用の日露友好橋が架かる。
#**おそらく[[wikipedia:ja:ネヴェリスコイ海峡|ネヴェリスコイ海峡]]辺り。
#*「トランスイート四季島」や「トワイライトエクスプレス瑞風」は国際列車になっていた。
#*「津軽海峡・冬景色」の替え歌で「ベーリング海峡・夏景色」とかいうのが作られていた。
#長大な原油輸送列車が風物詩。
#*そのため北樺太の鉄道ではタキをよく見かける。
#*JR樺太(仮)はJRでは珍しく貨物輸送主体の鉄道になっていた。
#奥端(オハ)駅でおは☆スタやらき☆すたのイベントがある。
#*前者は分かるが、何故後者まで!?
#*奥端ラッキー。
#**そして白石があきら様の横暴によりこっちの方へ飛ばされる訳ですね。分かります。
#*山寺宏一「奥端からおっはー」。
#*こえだちゃんのイベントもやる。「奥端やっほー!」
#現実のサハリンの鉄道が1520mm軌間への改軌を進めていることからして、この場合敷香以南は1435mm軌間、以北は1520mm軌間への改軌を進めていることになる。なお、この場合JR北海道の管轄区間は樺太全島と、さらに大陸ロシアに入ってセリヒノ駅手前までとなる。(セリヒノ駅はロシア国鉄管轄の境界駅)
#ホームではいつも雪だらけ。
#阪田寛夫作詞の童謡「この指超特急」の9番の歌詞が「この指 9番線 オハ行きの超特急〜」になっていた。
 
===その他===
#北にも空港が出来ている。
#*候補としては奥端空港。
#**縫江空港も造られる。
#*夏の観光シーズンには羽田からの直航便も運航されている。
#*普段は札幌(新千歳か丘珠)や豊原からの便が多い。
#樺太にも高等専門学校ができていた。場所は豊原。農漁業と鉱工業を専修する学校で,樺太高等産業学校。通称「カラコウあるいはカラサン」。校章はハンマーに鎌。旧制高校設置までは無理だったろうが,樺太に高等専門学校ができた関係で,北大予科が独立・改組され,札幌高等学校に。カラコウは1930年代に大学に昇格、樺太大学に。外国語学部ロシア語学科が看板の大学に。
#樺太自動車道は北樺太ではほとんどが2車線、PAやSAも無人のものがほとんど
#*新直轄方式の無料路線だった。
#*むしろタンクローリーによる渋滞多発で多車線化が進んでいた。
{{DEFAULTSORT:きたからふとかにほんりようのままたつたら}}
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 戦後処理史]]
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 北海道史]]

2021年3月22日 (月) 16:43時点における版

レーニンは北樺太の返還を考えていましたが、実現することはありませんでした。

  • 北だけ日本領のままと言うのもなんか変なので、と一緒に読むのを推奨します。

全般

  1. 日本は産油国になっていたので、太平洋戦争は勃発しない。
    • 当然満州事変も日中戦争も起こらず、第2次大戦においても中立・不干渉を取り続けた。しかし、その後の冷戦下の高度成長期に石油は次第に枯渇して1970年代に日本は石油輸入国に転落し、1980年代の円高でついに廃油田となる。
    • OPECにも加盟していた。
  2. 東京~オハ(漢字表記:尾羽or奥端)を結ぶ東日本ベルトができる。
    • 奥端は重箱読みだけど意味的にはいいかも。個人的には「桜葩」を推薦。
    • 尾羽は歴史的仮名遣いだと「ヲハ」なので時代背景的にありあえない。
    • 私としては近くの湖の日本名から取って「音沓戸」を推薦したい
  3. どっちみち寒いトコ。
    • 日本一人口密度の低い都道府県になっていた。
  4. もしかしたら第2次大戦中にソビエトに攻められたりして・・・
    • 北方領土は樺太全土または樺太北部(詳しく言うと敷香岳以南)だったかも
  5. 平成7年に「北樺太大震災」が発生して大きな被害を受けていた。
    • でも4ヶ月前に阪神大震災が起きたため樺太以外ではあまり覚えられていない。
      • 油田やタンクが爆発炎上して大惨事になったかも。
        • 「北樺太大震災」で最大の被害を被るのは弁連戸市あたり。
          • 茶羽刈町(ネフチェゴルスク、ニヴフ語名チャハカルオー)はかなりの被害を受けるが、史実よりはマシ。史実であれほど被害が出たのは建物がかなり雑に造られてたからだし。
    • 北樺太大震災が劇中で発生する朝の連続テレビ小説が作られていた。
  6. 北樺太にも王子製紙の工場が置かれていた。
  7. アイヌだけでなくニヴフ、ウィルタなども「日本の少数民族」として認知される。
    • 日本政府に謝罪と賠償を求めるアイヌに対して、ニヴフやウィルタがアイヌに謝罪と賠償を求める運動を開始。
    • エヴェンキ族は?
  8. やはり県名は樺太道か。
  9. このページも「もし樺太がロシア領のままだったら」になっている。
    • 樺太の有名人に次々と「もし粛清されていたら」という項目が作られ、挙句ページが分割される。
  10. 岡田嘉子と杉本良吉のソビエトへの亡命はなかったんだろうねえ。
  11. 樺太県庁は豊原だと南過ぎるので、敷香あたりに移されていたかも。
    • 樺太神社と樺太護国神社も、史実より北の地に建立されていた。
      • (ソ連侵攻がなければ)樺太護国神社の英霊が、北海道護国神社へ合祀されることはなかった。

地域別

  1. 今返還する場合、ガオト岬=エリザベス岬は、旧漢字の「鵞小門岬」にすると難読なので「我音岬」に漢字変更して改称するが、日露の女性陣から反発が出る。
    • 樺太を一周した岡本監輔にちなむ「岡本岬」が採用されてたかもしれない。
  2. アレクサンドロフスク・サハリンスキーは落石(おっちし)市に。
  3. ポギビは鉾部(ほこべ)市に名称変更。
    • 北寄尾市(ほっきび)っていいじゃね?
  4. 網走刑務所よりも奥端刑務所の方が有名になっている。
  5. 「ゆく年くる年」で奥端神社が最北の神社として紹介される。
  6. 樺太庁の管轄範囲が史実の約2倍になっていた。
    • 早々と新庁舎に建て替えらていた。
    • 間違いなく県に昇格している。人口も100万人以上はいたと思う。
  7. ノグリキは「野栗木」に。
    • 縫江かもしれない。
  8. 奥端支庁や落石支庁が設置されていた。
    • 縫江支庁や鉾部支庁も。
  9. 北部は資源が豊富なので分県運動が起こるかもしれない。
  10. 一回くらいはおはスタやサタ☆スマがスペシャルでオハからロケされてた。
  11. 大きい都市は奥端市・弁連戸市・縫江市・落石市。
    • 奥端は稚内より賑わっていたかもしれない。
    • 中心都市は奥端市か縫江市(ノグリキ)。
    • 南だが敷香も幌内川の河口なので史実より発展していただろう。
  12. 石炭の採掘が現実以上に盛んだったかもしれない。
  13. 稚内市の知名度は現実より低い。
    • 前述の通り奥端が「日本最北端の市」として有名になるため。
      • それでも宗谷海峡にトンネルができるまでは樺太の玄関口としてそこそこ発展している。
    • そんなことより千島列島の存在感が薄いかも。
      • もしかすると「樺太全土を領有する代わりに、千島列島は(少なくとも得撫以北は)放棄」ということになっていたかも。
  14. ロシアと陸続してないので、南樺太だけの場合より文化交流が盛んでいない。
    • むし流刑されたポーランド人やアイヌ人のほうがもっと交流が盛ん。
      • 二ヴフ人他は忘れてしまうかも。
    • キリル文字表記は間宮海峡よりの都市しか付けない。
    • もっともロシア系住民もいるので(ロシア革命時に亡命してきた住民含む)、ロシアの影響は皆無ではない。

樺太振興局振分け表(勝手に制作)

振興局名 振興局所在地
鈴谷 豊原
亜庭 大泊
能登呂 真岡
名好 恵取須
幌内 敷香
阿党吉 落石
鷹小門 奥端
縫湾 縫江
  • こんなとこかな

交通

鉄道

ファイル:南樺太路線図0.png

  1. 樺太東線が奥端まで延長され、日本最長の鉄道路線となる。
    • 樺太本線に改称されていた。
    • 樺太西線は落石まで延長。
      • 北海道に既に落石駅があるため「樺太落石駅」になっていた。
      • 鉾部(ポギビ)までの延伸も計画されるが、おそらく廃止されているだろう。
  2. 大泊から奥端まで寝台特急が走っていた。
  3. 2050年ごろに新幹線がオハまで開通する。
    • 360km/hで走行してもオハまで6時間掛かるので東京からの直通種別はなさそう。
    • さすがに豊原までなんじゃないかと。
  4. 間宮海峡トンネルとベーリング海峡トンネルの計画が具体化する。
    • アメリカやヨーロッパ向けに長大な貨物列車が行き来している。
    • 間宮海峡に鉄道道路併用の日露友好橋が架かる。
    • 「トランスイート四季島」や「トワイライトエクスプレス瑞風」は国際列車になっていた。
    • 「津軽海峡・冬景色」の替え歌で「ベーリング海峡・夏景色」とかいうのが作られていた。
  5. 長大な原油輸送列車が風物詩。
    • そのため北樺太の鉄道ではタキをよく見かける。
    • JR樺太(仮)はJRでは珍しく貨物輸送主体の鉄道になっていた。
  6. 奥端(オハ)駅でおは☆スタやらき☆すたのイベントがある。
    • 前者は分かるが、何故後者まで!?
    • 奥端ラッキー。
      • そして白石があきら様の横暴によりこっちの方へ飛ばされる訳ですね。分かります。
    • 山寺宏一「奥端からおっはー」。
    • こえだちゃんのイベントもやる。「奥端やっほー!」
  7. 現実のサハリンの鉄道が1520mm軌間への改軌を進めていることからして、この場合敷香以南は1435mm軌間、以北は1520mm軌間への改軌を進めていることになる。なお、この場合JR北海道の管轄区間は樺太全島と、さらに大陸ロシアに入ってセリヒノ駅手前までとなる。(セリヒノ駅はロシア国鉄管轄の境界駅)
  8. ホームではいつも雪だらけ。
  9. 阪田寛夫作詞の童謡「この指超特急」の9番の歌詞が「この指 9番線 オハ行きの超特急〜」になっていた。

その他

  1. 北にも空港が出来ている。
    • 候補としては奥端空港。
      • 縫江空港も造られる。
    • 夏の観光シーズンには羽田からの直航便も運航されている。
    • 普段は札幌(新千歳か丘珠)や豊原からの便が多い。
  2. 樺太にも高等専門学校ができていた。場所は豊原。農漁業と鉱工業を専修する学校で,樺太高等産業学校。通称「カラコウあるいはカラサン」。校章はハンマーに鎌。旧制高校設置までは無理だったろうが,樺太に高等専門学校ができた関係で,北大予科が独立・改組され,札幌高等学校に。カラコウは1930年代に大学に昇格、樺太大学に。外国語学部ロシア語学科が看板の大学に。
  3. 樺太自動車道は北樺太ではほとんどが2車線、PAやSAも無人のものがほとんど
    • 新直轄方式の無料路線だった。
    • むしろタンクローリーによる渋滞多発で多車線化が進んでいた。