「ベルリン」の版間の差分
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#*カラヤンやアバドの治世によってすっかり無国籍楽団化してしまったかのように見えるが、ヴァントみたいなゴリゴリのドイツ魂を持つ指揮者が振ると、思い出したかのように実に渋いゲルマンチックな音を鳴らす。 | #*カラヤンやアバドの治世によってすっかり無国籍楽団化してしまったかのように見えるが、ヴァントみたいなゴリゴリのドイツ魂を持つ指揮者が振ると、思い出したかのように実に渋いゲルマンチックな音を鳴らす。 | ||
#*ちなみにベルリンフィルハーモニー管弦楽団とウィーンフィルハーモニー管弦楽団は合同演奏会を行ったことがある | #*ちなみにベルリンフィルハーモニー管弦楽団とウィーンフィルハーモニー管弦楽団は合同演奏会を行ったことがある | ||
#ブラウンシュヴァイク公の旗艦。 | #ブラウンシュヴァイク公の旗艦。 | ||
#おっさんの天使がいる。 | #おっさんの天使がいる。 |
2015年1月5日 (月) 21:47時点における版
ベルリンの噂
- ペキン・ベルリン・ダブリン・リベリア・・・・
- PUFFYのアジアの純真か…。
- ペキン以外アジアではない
- リベリアに至っては都市ですらない。
- ナチス時代に人口が過去最高となった。現在は320万人ほど・・・
- 森鴎外の「舞姫」の舞台。
- 森鴎外記念館なるものが存在する。
- 物凄い勢いでトルコ化が進行中
- オランダやスウェーデンの各都市同様移民がもたらす弊害の典型例になってしまっている。
- 赤い雨が降ることで有名
- キン肉マンファンですか。
- 世界屈指のオーケストラ、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団が有る
- 旧西側の「壁」近く。カラヤン存命中は「カラヤンサーカス」と綽名されていた。
- 西ベルリンの中心街ではなく壁近くに作った理由は、カラヤンが統一後にここがベルリンの中心となると信じていたから。
- 屋根が火災に遭ったが、シャウロンの斬新的な設計により、消火の水がホール内部を汚すことは無かった。シャウロン、恐るべし!
- カラヤンやアバドの治世によってすっかり無国籍楽団化してしまったかのように見えるが、ヴァントみたいなゴリゴリのドイツ魂を持つ指揮者が振ると、思い出したかのように実に渋いゲルマンチックな音を鳴らす。
- ちなみにベルリンフィルハーモニー管弦楽団とウィーンフィルハーモニー管弦楽団は合同演奏会を行ったことがある
- 旧西側の「壁」近く。カラヤン存命中は「カラヤンサーカス」と綽名されていた。
- ブラウンシュヴァイク公の旗艦。
- おっさんの天使がいる。
- 秘宝館発祥の地。
- 漢表記は「鈴鳴」(正しくは伯林)
- 「世界の奈良市」。ブランデンブルグ門が東大寺南大門と言ったところか・・・。
- 奈良のほうが歴史が古いため「ヨーロッパの奈良市」が正しいアル。
- 1990年、連合国からドイツに返還された。
- なぜか名物はカレーソーセージ。ビールに赤や緑のシロップを入れて飲む。
- 国会議事堂は、古い外見ながら、中身がごっそりと入れ替わった。
- ベルリン発祥の地を含む旧都心(旧ミッテ区)は東地区。そこで戦後は西にあるクアフュルステンダム(通称クーダム)が実質的な都心として機能。統一後は旧・壁近くのポツダム広場など旧都心地区が再開発で再び賑わっている。
- 現在の市長はゲイ。しかも、次期首相候補。
- 90年代半ば、ベルリン市(州)と隣接の(ベルリンを取巻く)ブランデンブルク州との合併(統合)が真剣に議論され、いったんは両州政府レベルで合意に至った。しかしながら、肝心の住民投票で否決(ベルリン側は過半数が賛成したが、ブランデンブルク側の反対票が多かった)され、頓挫してしまった。
- はるか中世の頃、狩人が熊を捕まえようとしていた。熊の後を追い、その巣まで行くと、熊が小熊に食べ物を与えていた。狩人はちょっとかわいそうになり、熊を捕まえるのをやめ、同行していた者に「私はここに街をつくる。街の名はBärlin(小熊)にしよう」と言った。これがBerlinの由来だそうな。ちなみにベルリンの市章には現在でも小熊が描かれている。
- というのはガセというか伝説的な話で、実際はスラヴ語由来の「湿地」を意味する「berl-」もしくは「birl-」という説が有力。ベルリンの市章は最初は鷲で、後に「Bär」に関連付けて熊になったとか。
- ちなみにブランデンブルク選帝侯が統治していた時代の市章は、熊に首輪がつけられて鷲を背中に乗せているというものがあった。鷲はブランデンブルクの紋章で、ベルリンがブランデンブルク領内であることを指している。選帝侯に従属させられることに抵抗したりしていたので、当時の市民にとって、これはかなり屈辱的だったのではなかろうか。
- というのはガセというか伝説的な話で、実際はスラヴ語由来の「湿地」を意味する「berl-」もしくは「birl-」という説が有力。ベルリンの市章は最初は鷲で、後に「Bär」に関連付けて熊になったとか。
- Ich bin ein Berliner。
- ケネディがなかなかと思うのがこのeinをつけたことである。ein無しだとニュアンス的に「ベルリンにいる者」となり、観光客、外国人労働者、旧連合国駐留兵士(果ては旧ソ連軍軍人)まで含んでしまうのだ。einをつけると「ベルリンの一市民」として理解される。つまり彼はフルシチョフの恫喝に怯える西ベルリン市民に対し「私もあなた達と同じベルリン市民としてこの街を死守する」と言いたかったのだ。
- 日本人にはあまり馴染みが無いが、欧米ではドイツ有数の人気都市らしい。なんでも、激動の歴史があるがゆえに、バウハウスを始め、どんどん新しい文化が出てくる素地があり、そのエネルギッシュさがたまらんのだと。
東西分断時代の噂
- 隣に囲いが出来たってね~へい
- ベルリンの壁は西ベルリンを囲むようにして存在。
- ベルリンの壁は境界線上にあると思われているが、実は西ベルリン側の面も含めて厳密には100%東ドイツ領内に建てられている。
- そのため西から見て壁の前に「あなたが今立っているのはDDR(ドイツ民主共和国)領内であり、即刻立ち去りなさい!」という立看板が部分的に存在していた。
- ベルリンの壁は境界線上にあると思われているが、実は西ベルリン側の面も含めて厳密には100%東ドイツ領内に建てられている。
- 西ベルリンのソ連への引渡しを拒否したため。
- 間違い。東独の通貨政策の失敗で東の暮しが悪くなり、西への逃亡が後を絶たなくなったから。ちなみに壁の建築責任者は後のホーネッカー東独議長である。
- ベルリンの壁は西ベルリンを囲むようにして存在。
- 東西分断時代、西ベルリンにはヘルタ・ベルリンがあって、東ベルリンにはベルリンFCディナモというサッカークラブがあった。
- 東西分断時、西ベルリンの地下鉄は東ベルリンの領域内の下を通ったことがある。
- 駅は閉鎖され、ホームには東独軍の兵士が立っていた。当然全列車通過。
- 兵士ではなくて東独警察の警官だったはず。
- 一応幽霊駅(?)ホームは薄暗いながらも電灯で照らされていたがホームには誰もいない。なぜなら壁ができてからこの幽霊駅のホームから通過する車両に掴まって西に逃亡する者が出たため、地下鉄入口を封鎖してしまったから。ちなみにホームの壁面は陥落当時のタイル張りで、駅名表示はラテン・アルファベットではなく、所謂「ひげ文字」だった。
- 駅は閉鎖され、ホームには東独軍の兵士が立っていた。当然全列車通過。
- かつての壁の近くに「ブランデンブルク門」がある。壁崩壊時の混乱で上にあった飾り(クヴァドリガ。女神と馬の組み合わせ)が一部破損したが現在は修復されている。
- 昔はブランデンブルク門が市の西の端。その名のとおり、ブランデンブルク市(ベルリンをとりまく州の名前でもあり、かつてはここがこの地方の中心だった。現在は寂れている)に向かう街道に通じる門であった。
- ブランデンブルク門のすぐ近くに、第二次大戦中のソ連の戦車が飾られている。
- 確かT-34。ベルリン陥落記念碑として置いてある。分断時代は西側占領区域内にありながらソ連占領区域の飛び地で、東側兵が警備していた。
- テレビ電波塔(350m)は旧東地区にあり、かつては旧東独の誇り、旧西ベルリン市民にとっては屈辱の存在だった。今は同じ塔から旧西のTV局の電波が中継されている。
- 法律上、西ベルリンは西ドイツ領ではなく米仏英の管理地域とされていたため、西ベルリンには徴兵制も西ドイツへの参政権も無かった。
- 半分正しい。西ベルリンに徴兵制がなかった理由はいつソ連に占領されるかわからないので若い人の西ドイツへの流出が止まらなかったから。人口の流出は巡り巡って東に飲み込まれる恐れがあったので、徴兵制を敷かなかったのである。そのため徴兵を逃れたい西の若者はこぞって西ベルリンに移住した。西ベルリンで音楽のロック文化が流行したのはそれが理由。ちなみに当時西ドイツの環境庁は西ベルリンにあった。
- そのため、西ドイツから西ベルリンへルフトハンザドイツ航空は飛んでいなかった。
- 東独の航空会社インターフルクは、シェーネフェルト空港を拠点としていたが統一直後に見事に消滅した。そのシェーネフェルト空港は目下、統一ベルリンの新たな玄関口として絶賛整備中。
- テーゲルやテンペルホフは街中にあるため拡張できないし、S-BahnやU-Bahnが通っていなくて不便だから。逆にシェーネフェルトは旧東独時代からS-Bahnが通っていて便利だし、街の少し外れで拡張しやすいから。
- 東独の航空会社インターフルクは、シェーネフェルト空港を拠点としていたが統一直後に見事に消滅した。そのシェーネフェルト空港は目下、統一ベルリンの新たな玄関口として絶賛整備中。