「もし東北本線が○○を通っていたら」の版間の差分

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*市街地を分断する路線のため反対運動が発生し、開業当初は上野どまり。40年以上経って上野-東京間が開通しました。
*市街地を分断する路線のため反対運動が発生し、開業当初は上野どまり。40年以上経って上野-東京間が開通しました。
#開業時期がさらに遅れていた。
#開業時期がさらに遅れていた。
#*史実では上野から東京までつながったのが1925年だが、地下に建設するとなると技術的にも難しく、早くとも銀座線が開業後の1935年前後にまでずれ込むだろう。
#山手線・京浜東北線も地下線になっていた。
#山手線・京浜東北線も地下線になっていた。
#もし銀座線開業前に着工していたら、中央通り地下には東北線が通るため、銀座線上野-三越前間は昭和通りの地下に建設していた。
#もし銀座線開業前に着工していたら、中央通り地下には東北線が通るため、銀座線上野-三越前間は昭和通りの地下に建設していた。
#*逆に銀座線のほうが早かったら、東北地下線開業までは、上野で東北本線に乗り継ぐために東海道線を新橋駅で下車する人が多い。
#*逆に銀座線のほうが早かったら、東北地下線開業までは、上野で東北本線に乗り継ぐために東海道線を新橋駅で下車する人が多い。
#**輸送人員の少ない都電への乗り換えとなる東京駅まで行かず、新橋駅で銀座線に乗り換える。
#**輸送人員の少ない都電への乗り換えとなる東京駅まで行かず、新橋駅で銀座線に乗り換える。
#**銀座線の下をくぐる当時としては難工事になっていた。
#*銀座線の下をくぐる当時としては難工事になっていた。
#史実で秋葉原-東京間が複々線化した1954年頃にまで地下線開業がおくれたら、既に山手線の「の」の字運行が定着しており、地下線には中長距離の列車のみがはいる。
#史実で秋葉原-東京間が複々線化した1954年頃にまで地下線開業がおくれたら、既に山手線の「の」の字運行が定着しており、地下線には中長距離の列車のみがはいる。
#SLも走ることを想定して、排煙設備が整備された。
#SLも走ることを想定して、排煙設備が整備された。

2022年5月17日 (火) 19:14時点における最新版

上野~東京間で地下を経由していたら[編集 | ソースを編集]

  • 市街地を分断する路線のため反対運動が発生し、開業当初は上野どまり。40年以上経って上野-東京間が開通しました。
  1. 開業時期がさらに遅れていた。
    • 史実では上野から東京までつながったのが1925年だが、地下に建設するとなると技術的にも難しく、早くとも銀座線が開業後の1935年前後にまでずれ込むだろう。
  2. 山手線・京浜東北線も地下線になっていた。
  3. もし銀座線開業前に着工していたら、中央通り地下には東北線が通るため、銀座線上野-三越前間は昭和通りの地下に建設していた。
    • 逆に銀座線のほうが早かったら、東北地下線開業までは、上野で東北本線に乗り継ぐために東海道線を新橋駅で下車する人が多い。
      • 輸送人員の少ない都電への乗り換えとなる東京駅まで行かず、新橋駅で銀座線に乗り換える。
    • 銀座線の下をくぐる当時としては難工事になっていた。
  4. 史実で秋葉原-東京間が複々線化した1954年頃にまで地下線開業がおくれたら、既に山手線の「の」の字運行が定着しており、地下線には中長距離の列車のみがはいる。
  5. SLも走ることを想定して、排煙設備が整備された。

中山道沿い[編集 | ソースを編集]

日光街道沿い[編集 | ソースを編集]

現実の東北新幹線と同じルート[編集 | ソースを編集]

  1. 市の中心から離れている駅ばかりなので反発を受けていた。
  2. 東北本線の茨城県に駅が2つあったかも。
    • 五霞駅か
  3. 少なくとも伊奈町は市制されていたか?
  4. 七戸十和田駅ではなく七戸駅が存在していた。
    • 大湊線は七戸か八戸が起点だった。
      • 南部縦貫鉄道は存在せず。
    • 十和田観光電鉄も三沢方面と十和田方面で別々の路線だった。
  5. 青森空港のアクセス駅も開業。
  6. この場合、赤羽~大宮間は史実の埼京線と入れ替わる事に。
    • さいたま市の市街地が西寄りにずれる。
    • 与野本町駅が与野駅を名乗っていた。
    • 戸田と川口の立場が逆転していた。
  7. 一ノ関-盛岡間は北上を除いて北上川の東岸を通るため、平泉、水沢、花巻を通らない。
    • 現在の奥州市は水沢よりも江刺の方が発展した。
  8. 釜石線は新花巻が起点になっていた。
  9. 栗原電鉄はくりこま高原駅から分岐していた。
  10. 古川と小牛田の立場が逆転していた。
  11. 利府支線はなく、かわりに仙石東北ラインの一部として松島支線が存在した。
  12. 西郷村が白河市を名乗っていたかもしれない。
  13. 南栗橋に駅が出来、東武日光線との乗り換えが便利に。逆に久喜は今の南栗橋のように&東北新幹線のホームがあったかもしれない

川越・館林経由[編集 | ソースを編集]

  1. ルートは赤羽-富士見-川越-坂戸-東松山-吉見-鴻巣(北鴻巣駅辺り)-行田-羽生-館林-佐野-栃木-壬生-宇都宮-…辺りか?
  2. 東武東上線のルートは大宮市経由になっていた。
    • 東松山-今泉-川島-指扇(現実の西大宮駅辺り)-三橋-大宮-…。
  3. 大宮市と川越市の立場が逆になっていた。
    • 大宮市は氷川神社の門前町のイメージのまま。
  4. 川越市と富士見市は現実の大宮と浦和のような関係になった。

起点が小名木川だったら[編集 | ソースを編集]

  • 青森-東京間を測量したお雇い外国人ジョセフ・ユーリー・クロフォードは東京側の起点を小名木川としていました。
  1. 小名木川駅は今でも現役。
  2. 総武鉄道(現:総武線)は史実では1932年に御茶ノ水へ延伸するまで他線との連絡がなかったが、ifの世界では東北線との連絡線が亀戸駅にできていた。
  3. 小名木川から新橋へ延伸し、東海道線とつながっていた。
  4. 常磐線も北千住から亀戸方面に乗り入れ、上野方面へは建設されていなかった。

岩槻・幸手経由[編集 | ソースを編集]

熊谷・足利経由[編集 | ソースを編集]

宇都宮-矢板間が長久保経由[編集 | ソースを編集]

  1. 烏山線は直接宇都宮に出る。
    • あるいは川島駅が起点。(前身の会社の当初案はこう。)真岡を通るので真岡鉄道になっていたかも。
  2. 岡本駅と宝積寺駅の地域は鉄道とは無縁。

現実の常磐線のルート[編集 | ソースを編集]

  1. 史実の東北本線は「宇都宮線」か「野岩線」で開業。
    • 北千住で分岐して日光街道沿いを通っていたかもしれない。
  2. 全線複線化されていた。
  3. 宇都宮市より水戸市の方が発展していた。
    • 福島県内も中通りと浜通りの立場が逆転。
  4. 東北新幹線に関しては言うまでもない。
  5. 柿岡に地磁気観測所が移転することはなかった。
  6. 上野〜日暮里〜三河島〜南千住や石岡〜友部〜水戸の迂回が不思議がられる。
  7. 大宮-日暮里間は高崎線。

現実の東北自動車道のルート[編集 | ソースを編集]

  1. 南側は下記岩槻案、佐野から先は熊谷分岐案と同じ。
  2. 仙台より北は古川・栗原経由と同じ。
  3. 市街地を避けて建設していたので当初は収益が上がらないかも。
  4. 東北自動車道は別ルートで建設された。
  5. 館林で高崎方面と分岐。
  6. 水戸線の起点は栃木。
  7. 史実で花輪線の建設が始まる1920年代に八戸への鉄道建設が始まり、1930年代になって開通。
  8. 烏山線の起点は史実の宇都宮ICの場所。(宝木駅?)
  9. 現実の喜久田駅が郡山駅と名乗っていた。
  10. 阿武隈急行の起点は村田。
    • もしくは岩沼の方へ向かっていた。
      • 現実の岩沼~仙台間は常磐線の一部になっていた。
  11. 小坂鉄道は小坂駅から精錬所までのみ。
    • 24系客車あけぼの用の保存先が変わっていたか、海外譲渡されていた。
  12. 奥羽本線とは津軽湯の沢駅で合流。
    • 分岐駅として明治時代の内に開業していた。
      • 津刈駅として開業し、平成初期に津刈温泉駅へ改名していた。

丸森・角田経由[編集 | ソースを編集]

東北本線の福島〜槻木間は奥州街道沿いのルートが採用されましたが、当初は阿武隈川沿いの保原・梁川・丸森・角田を経由する予定でした。

  1. 丸森線(→阿武隈急行線)が東北本線になっていた。
    • もちろん複線。
    • ただし駅数は現実より少ない。
    • 東船岡駅が船岡駅を名乗る。
  2. 強風の影響をあまり受けずに済む。
  3. 船岡の桜が鉄道ファンに注目されることはない。
  4. 山梨県の梁川駅は「甲斐梁川」駅として開業。
  5. 伊達市の誕生が早まった。
    • 丸森も市に昇格していた。
      • 丸森駅の位置が史実と同じだった場合、駅名が磐城舘矢間駅、自治体名も舘矢間市か伊具市になっていたかも
    • 保原町が単独市制を施行して、伊達市は出来なかったと思う。
      • そもそも伊達という市町村名すらできていなかった可能性が高い。
        • 現実では長岡村にある長岡駅が郡名由来の伊達駅に改称→町政施行後の町名を駅名から拝借し伊達に決定、という流れがあるため。
      • 旧伊達町ポジションは伊達郡瀬上町が担っており、桑折町の南側は未だに伊達郡伏黒村だった。
        • 瀬上の一大住宅地を失い、福島市の人口は史実よりかなり減っている。
          • むしろ国見と桑折は福島市に編入していた。
  6. 福島交通飯坂東線は初めから存在しなかった。
    • その代わり白石に福島交通の路線が出来ていた。
      • 福島盆地を眺めながら国見峠を国道4号に並走して越える路面電車は高度成長期に廃止になった後も鉄道ファンに語り継がれる絶景路線となっていた
  7. 槻木または角田(あるいはその両方)から白石へ私鉄が建設される。
    • その後仙台~福島を結ぶことを企てる(おそらく実現はしない)。
      • 白石以南は福島交通に接続か?いずれにしても国見越えは難工事となる
    • その路線の白石駅の近くに東北新幹線白石蔵王駅(北海道や熊本との同名回避のためこの名前に)が開業していた。
      • 角田・丸森(東北線開通で史実よりも人口が多い)と熾烈な誘致合戦となる
    • 国鉄白石線として槻木~白石間に開業した可能性もある。史実の丸森線のように輸送改善が十分行われず特定地方交通線になった可能性は高いけど。
  8. 特急「はつかり」は運転開始当初から東北本線経由で運行されていたかもしれない。

利府経由[編集 | ソースを編集]

かつて東北線は利府ー品井沼間を山側を通っていました

  1. 松島に行く仙石線の重要度が高まっていた。
  2. 松島町の市街地が山側に寄っていた。
  3. 愛宕駅は設置されない。
  4. 当然、仙石東北ラインはない。あるいは岩切から新線を引いていた。
    • 西塩釜まで塩釜線を使っていた。
  5. 赤沼信号所が駅に昇格するかは微妙なところ。

古川・栗原経由[編集 | ソースを編集]

十和田(三本木)経由[編集 | ソースを編集]

青森市街地経由[編集 | ソースを編集]