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{{市|name=熊谷|reg=関東|pref=埼玉|area=北部|ruby=くまがや|eng=Kumagaya}}
*新規追加は国鉄・JRは車種別に形式が若い順に、私鉄は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。
'''祝・熊谷市、江南町合併・県北初20万都市・祝'''
{{埼玉/北部}}
== 熊谷市の噂 ==
#[[越谷市|越谷]]とか[[深谷市|深谷]]とかと間違われる。
#*そんなやつはおらんやろ
#*邪魔だったので排除したが、埼玉県内は「谷」がつく地名が多いよな。熊谷、深谷、越谷、[[鳩ヶ谷市|鳩ヶ谷]]か。
#「警察24時」で風俗の取り締まりがされているのは大抵熊谷駅北口。
#*実は相当治安が悪く、県北部では圧倒的な犯罪率を誇る。
#*駅前近くに図書館ができました。風俗店の取り締まりが、なおいっそう厳しくなってます。
#**今では、ほとんど無くってしまいました。じゃんねん・・・
#**駅の改札付近に夕方、近くの風俗店の黒服のホスト達が勢揃いする。仕事帰りのOLを忠犬ハチ公のように待っている。
#**南口のコンビニ(サンクス)には深夜、黒服のホスト達がたむろして立ち読み。
#**警察の指導で、駅周辺のコンビニのトイレが使えない。
#2005年に新たな駅ビルができたがあまり機能していない。
#*そんなことはない
#*ダサい奴来るなという空気出しすぎ。俺は近寄れない。
#*映画館があるので結構人気。
#**あの映画館までたどり着くまでのへんな息苦しさはなんだ…。
#**使えるのは無印と映画館。でもやけに暖房が強い。
#**無印は店舗の面積狭すぎ。なのにどうでもいいアクセサリ類の売り場面積が多く、衣料品の品揃えが少なすぎる。
#*敷地が無駄に長い。
#* ティアラとニットーモールの間の連絡橋に雨よけがないのが熊谷クオリティ。
#冬は空気が澄んで遠くの山がよく見える。
#*遠くは富士山から、越後山脈、秩父山地まで。
#熊谷市は隣接する市に嫌われている
#*深谷市に合併の話をしたら、市役所を籠原に移してくれと断られた
#**逆じゃないの?
#**そう、逆に深谷が断った。市役所は上柴へ!で。
#**いや違う。市名は熊谷でいいから市役所は籠原へ!と深谷が持ちかけてきたが断った。
#*CATVも合併できない(行田・深谷)結果、テレトピア計画頓挫。
#**テレトピアセンター用建設予定地はフリマぐらいにしか使えないまま放置。
#***あそこは結構スケボー・BMXの練習とか散歩とかに便利。
#**断った理由は多分、深谷は黒字、熊谷は赤字が理由だったんだと思う。
#[[籠原駅]]利用者は勝ち組だと思う
#*熊谷駅では席争いが起きる。
#*籠原駅周辺に住むことが熊谷市民のステイタス。
#*深谷以北の利用者をイライラと絶望の淵へと陥れる魔の籠原止まり。
#高崎線を利用する住民は、桶川以南に対し強いコンプレックスを抱いている。
#*籠原での増結車輌の座席争いは籠原運動会といわれている
#さくらマラソンには熊高生が変なコスプレをして出場する。
#*熊高生は卒業式にもコスプレのがいる。
#*熊高生は40キロ歩く学校行事にコスプレで参加する。
#**と言うよりコスプレが前提になっている(しないのは陸上部や糞真面目なヤツ)。
#*どうでもいい
#っていうか、熊高生が変なやつらばっかり。
#*熊高の学祭時は熊谷直実の銅像に上る生徒が後を断たない。
#**最近はあまり上らないらしい
#**上りたくても上れないという実情もある
#**警察に目を付けられており、今後は一切登れないであろう。
#熊女(熊谷女子高校)は制服が可愛くない事で有名。
#*県立と市立があったはずだが。
#*馬鹿女の巣窟の市女は廃校予定。
#花火大会の日に反対の土手へ行くと大体カップルがいちゃついてる
#ファミリーマートが多い
#*そうか?
#**牛角近くにある肥塚南店を中心に半径500m以内に熊谷箱田、熊谷肥塚、熊谷円光の4店がある。セブンイレブンが劣勢に追い込まれるほど。
#***箱田店は潰れた。
# 関東地方以外では「くまがい市」とよく間違えられる
#* ほんとうは「くまがい」だったが、鉄道駅ができたときに「くまがや」となる。今でも年寄りは「くまがい」と呼ぶ。
#ピザハウスるーぱんの本拠地が熊谷市
#*社長が熊高出身
#*るーぱん本店にはメニューにサメのから揚げがある
#*非常に珍しく、男子限定のサービスメニューがある。
#ハイカラな衣装で密かなファンも多い馬車道の本社は熊谷市にある。
#*籠原駅近くに有るが、「これが本部か?」と思うぐらい小さい。
#*それは旧本部、今は本社は万吉
#旧市街地に住んでいる熊谷市民の多くは今でも、町に出ることを「熊谷に行く」と表現する。
#SATYはいつも揺れている。こわい。
#1873~76年の間、「熊谷県」があった。
#*熊谷県は群馬南部まで含まれたが、文化的に折り合いがつかなかった
#*含まれなかったのは[[群馬/東毛|東毛]]、北部はすべて熊谷県であった。
#熊谷市民は、熊谷次郎直実ゆかりの「熊谷寺(ゆうこくじ)」に入れなかった。
#*熊谷寺は拝観するのに色々許可を貰わなくてはならない(学校のレポートの取材とかetc.)
#「ラグビータウン」を標榜し、「花園」にとってかわろうと企てたが・・・・・・・残念。
#*正直、熊谷の高校は今どこもラグビー強くない。
#*隣の深谷のほうが強い。
#うちわ祭りがあることをお忘れなく。
#意外とバス多くある。
#「く'''ま'''がや」と「くまがや(平板)」どっちが正しいの?一般的には前者が多いけど、熊谷出身の私の母は後者なんだが。
#治安悪過ぎです
#*風俗店の割合が多い。駅周辺でも堂々と営業。
#*街中の服屋は不良向けが大半。
#*市が駅前の歩道(ティアラ側のサークル付近)に花を植えたが、速攻でDQNに毟られ歩道に散らばっているのが熊谷。
#*深夜、DQNがニットーモールの歩道に止めている自転車を次々と車道に投げ出しているのを見かけた。
#*深夜、北口のハズレを歩いていると片言の日本語で「おにいさん、マッサージどう?」というお誘いを受ける。
#*防犯センターなんてもんがあるのは熊谷ぐらい。
#*カルト教団である聖十字会というのが都内の目白からはるばる熊谷に進出し、地元の人たちにしつこくつきまとってを悪の宗教に引きずり込んでいる。(地元の風俗業界と癒着しているという噂あり!)
#**特に、聖十字会の怪しいマークをタトゥーしてるパウロ2というのは、怪しくて危険な宗教を布教するために、毎週末都内から熊谷まで出張してる。
#埼玉県内で唯一空襲の被害を受けた都市。
#*しかも8月14日、つまり終戦前日に空襲を受けた。あと1日早く終戦を迎えていれば市街地の様子も随分違っていただろう。
#過去に2度ほど浦和から県庁を奪おうとしたことがある。
#*しかし今や県南部からは見向きもされていない。
#国道125の終点である佐谷田(北)交差点の角地は、店が出来てはつぶれ、出来てはつぶれを繰り返している。新しいお店が出来きたときの最初の話題はいつつぶれるかである。
#*がってん食堂が意外に好調で生き残ってる。
#市の借金は今や誰も覚えていない埼玉博おかげで一人頭30万
#*おかげで国体はメイン会場。でも30万もなかった気がしますよ。
#小学生は市指定のノートを使わされる。
#*使いづらい。
#* 算数ノートの表紙裏の文句がやたら偉そうで笑える。
#* そのようなノートはあったが、ほかのノートを使ってもよい。
# 実は「[[行田市|フライ]]」地域に入ってるよね。「松崎」っていうお店のフライ、美味しかったよ。
#*「ゼリーフライ」という名前で売っているので知らない人は変な顔をする。(ゼリーは「銭」がなまったもの)
#一部で使われている(特に高校生)に使用されている秩父鉄道の愛称『チチビアンライン』の発祥は熊高。
#*なおチチビアンとは秩父の人を意味する。
#**一連の騒ぎのもととなった「秩父原人」と呼ばれることもある。
#夏と秋、平戸の住宅地のど真ん中で新興宗教団体(立正K成会)が大運動会を夜9時ごろまでやる。スピーカーから大音量でマーチ、演歌を放送。花火大会の事も。票目当てに市議会議員も来賓するので近隣の住民が役所や警察に抗議しても無駄。
# 新幹線の停車駅だというのに駅の付近にはデパート、スーパーの類が無い。昔、丸井があったが撤退。かろうじてニットーモール、ティアラという小型店があるのみ。コンサートホールなどの文化施設は皆無。駅前に並ぶのはパチンコ店、風俗店、サラ金、派遣業、漫画喫茶の類。
#*「AZ」という小型テナントが多数入ったショッピングビルはある。
#**AZは駅ビルとしては便利なんだが逆に個々の店は小さいからねぇ。大宮あたりの駅前と比較する気はないが駅前に一つくらいはでっかいスーパー、百貨店があってもいい。新幹線停車駅なんだからさぁ。
#*ニットーモールとLAOXのそばにあったカラオケ屋は撤退して現在は更地。
#**ニットーモールが入る前はダイエーが入っていた。
#**ニットーモールとダイエーは半々だったぞ、そしてオープン前だったかにはクレカの勧誘がきてた@元籠原住人
#熊谷で百貨店といえば八木橋。でも、夜7時には閉店する。
#熊谷市が悔やんでも悔やみきれない三大失敗。
#*廃藩置県後、設置された熊谷県の廃止。
#*東北本線の熊谷分岐の撤回。
#*決まりかけていた県庁所在地の誘致失敗。戦後も懲りずに運動を行うが結局実現せず。


===妻沼===
==国鉄・JR==
#妻沼地区には、松を植えてはいけないという掟がある。
===機関車===
#*理由は聖天山にまつられている神が松で目を怪我をしたからだとか。
====DD54形====
#*正月の聖天山の門松は当然松抜きである。
#=欠陥がなかったらである。
#聖天様と太田の呑竜様は仲が悪い。
#国鉄末期まで運用されていた。
#聖天様で売られていたいもフライは美味しかった。
#DD51の製造数が減っていた。
#廃止された東武線は熊谷線ではなくあくまでも「妻沼線」。


===大里===
====EF510形====
#21世紀に入るまで村だった。町になったけど3年で終わる。
=====500番台=====
#電話の市外局番が048じゃなくて0493の地域がある。
;JR東日本
#事業用車として活用された。
#*名鉄EL120と比較される。
#**自社のEF60・EF64・EF65・EF81・ED75は史実より早く全廃できた。
#***一部車両のJR貨物譲渡は現実通りあった。
#*0番台の製造数がその分増えている。
#*JR東日本残存車は電車兼引用装備(連結器の双頭連結器への変更など)がされた。
#*「カシオペアクルーズ」・「カシオペア紀行」の牽引にEF64・EF81が使用されなかった。
#**SL関連列車の牽引にも使用。
#勿論2024年度事業用機関車全廃の発表はなかった。
#*キヤE195・GV-E197・E493系の導入もない。
#**DE10・DD11・DD16・DD51の置き換え用にDD200を導入していたかも(保安装置など一部機器類はEF510-500JR東日本車と同様に自社仕様)。
#*国鉄時代から使用されたバラスト輸送貨車・レール輸送貨車の代替車にEF510-500・DD200自社保有車から制御可能な引通し線が設置される(プッシュプル運転にも対応)。


===江南===
===電車===
#平成17年10月1日、妻沼町と大里町が編入され新熊谷市が動きはじめたが、あとから江南町がいっしょになりたいと言ってきた。またまた事務処理にえらい金がかかるじゃないか、合併したいなら最初から言えボケ、と誰かが言っていた。
====62系====
#*江南はツンデレ。「べ、別にあんたとなんか一緒になりたくないわよっ! 仕方なくなんだからねっ!!」
#72系970番台同様に新性能化改造を受けていた。
#*115系の区分番台が増える。
#*静岡地区の増発に回され、113系に編入していたかもしれない。その場合、119系が一時的に運用されることはなく、足を引っ張る存在になってしまうこともなかった。
#JR化後にインバータクーラーが設置された。
#*新性能化改造と同時に冷房化されていたかも。


== 熊谷の気候 ==
====101系====
#夏は埼玉で一番暑く関東では甲府といい勝負を繰り広げる、冬は東京よりも寒い場所。
;山手線
#*熊谷は砂漠気候だとしか思えない。
#103系の誕生が遅れていた。
#*暑すぎ寒すぎは気象台の場所が悪い
#山手線のラインカラーはそのまま黄色になっていた。
#関東地方の天気予報で、他と比べてひときわ数字がおかしい。
#そのまま201系が導入される。
#*でも夏の最高気温が高いのは予報だけで、実測気温は予報より低い。実測では伊勢崎や前橋に負ける。単にあついぞ熊谷キャンペーンの宣伝のための偽装予報としか思えない。
#最近は暑さを逆に利用して、『熱いぞ!熊谷』と銘打ったキャンペーンを展開している。
#*かき氷で町おこしをするらしい。
#関東の人に「熊谷」というと、99%「あぁ、あの暑いトコ?」という返事が返ってくる。
#*しかし、実際のところ、他にも関東に熊谷並みに暑い所はある。ただ、気象台があるというだけで・・・
#冬は冬で赤城颪が吹き荒れて寒い。
#*放射冷却のひどい日は[[さいたま市]](大久保浄水場)の方が最低気温が低い場合が多いが、風の有無により体感的には熊谷の方がやはり寒い。
#*毎日が台風並
#埼玉県の天気が「さいたま市」で示される天気予報は嫌いだ。
#*埼玉県の天気を予報するのは''熊谷地方気象台''だからねえ。
#**さいたま市民ですが天気予報は基本的に「熊谷」より「東京」を参考にします。距離的にも東京都心の方が近いし。
#なぜか熊谷は盆地だと勘違いしている輩がいる。
#*れっきとした平地です。
#*小学社会の副読本「くまがや」を見ると扇状地。
#夏場は光化学スモッグ警報が頻繁に出る。が、気にするようでは暮らしていけないため、誰もが聞こえないふりをしている。
#東京へ出る理由は、ショッピングではなく'''避暑'''。
#*多摩ならね。東京の都心なら、熊谷よりはるかに暑くて不快。
#40.9度。記録を更新した。
#*岐阜県多治見市もだね。おめでとう
#*山形で、埼玉出身と言うとかなりの率でこの話を振られる。ちょっとくやしいらしい。
#数年前だったか、'''11月9日'''に初雪を観測したことがある。本当に熊谷の気候は極端だ。
#世界一大きな雹が観測された地としてギネスブックに載っているらしい。


== 熊谷駅 ==
====103系====
→'''[[熊谷駅]]'''を参照。
;大和路線・おおさか東線
#2019年以降も残っていた場合、[[おおさか東線]]新大阪延伸により[[新大阪駅]]まで乗り入れる姿が見られるようになっていた。
;JR東海車
#愛知万博輸送がラストランになっていた。
#名古屋の103系の知名度が上がっていた。


== 関連項目 ==
====113系====
* [[埼玉共和国熊谷臨時政府]]
;東海道本線(JR東日本)
#湘南電車という愛称はずっと消えなかった。
#国鉄時代ならSM分離を境に2000番台がもっと増備され、0番台グループは房総や西日本地区に史実よりも早く転用されていた。
#*2000番台の一部もロングシート化されていた。
#211系は一応導入されたが史実よりも本数が少なかったかも。
#2階建てグリーン車2両の編成も増えていた。


{{DEFAULTSORT:くまかやし}}
;横須賀線・総武線快速
[[Category:埼玉]]
#2階建てグリーン車連結編成に統一されていたかも。
[[Category:関東地方の市]]
#ATOS導入後も普通に営業についていた。
#ひょっとしたら東海道本線よりも長く生き延びていたかも。
#*東海道線にいたものが新車導入が史実よりも早く全て房総に移っていた。
#E217系との営業列車での併結運転が実現していたかもしれない。
#1500番台を置き換えはE231系によって行われていた。
 
;成田線(我孫子支線)
#日中の常磐線乗り入れは史実ほど増えなかった。
#他の房総各線と同時期に211系や209系に置き換えられた。
 
;東海道本線(静岡地区)
#JR西日本を見習って延命工事をしていた。
#*一部は313系に準じた車内に改装されていた。
#**体質改善の際にロングシートに改装されていたかも。
#313系と同じドアチャイムが後付された。
 
;関西本線・奈良線
#0'番台、2000番台が春日色になって更に高速化されて車番に+5000を追加されていた。
#*史実では存在しなかった春日色+鉄仮面の先頭車が出現した。
#2000番台の9割は体質改善工事が施工され、その際にカフェオレ色になっていた。
#単色化の際に春日色から抹茶色に塗り替えられていた。
#奈良線で複線化事業の際に、本形式も103系と共に騒音の原因であるとして速やかな置き換えを環境省から命令されていた。
#*故に103系同様に複線化完了より前に引退は迫られていたかも。
 
;福知山線
#新福知山色の800番台も魔緑に塗り替えられてしまった。
 
====165系・167系・169系====
;全般
#直流急行型電車の全廃は遅く2010年代中頃まであった。
#ハロウィン電車には165系湘南色が使われた。
 
;JR東日本車
#2007年のJR東日本20周年の時にもリバイバル急行が走っていた。
#*183系ととも臨時用に活躍。
#**全廃は2013年ごろ。
#しなの鉄道の169系との連結もあった。
 
;JR東海車
#全廃は快速ムーンライトながらの定期運転終了と同時。
#*快速ムーンライトながらに91・92号は登場しなかった。
 
;JR西日本車
#全廃は2018年の阪和線の新車導入時。
#福知山線事故後は新車が出るまでの輸送力増強編成に使われた。
#一部はJR西日本色になり後に単色になる。
#宮原車の場合、ちくま・くろよんの運転終了が史実より遅かった。
 
====157系====
#下降窓の保守がしっかりしていたらこうなっていた。
#*同じく下降窓を採用している阪急や近鉄の電車と比べられることはなかった。
#*205系まで下降窓導入が途絶えることはない。
#*急行型のグリーン車の窓の2段窓化もなかった。
#185系が登場するまで活躍していた。
#*185系は最初から回転クロスシートを採用していた。よって、「最悪の特急」と揶揄されることはなかった。
#「あまぎ」に183系が導入されることはなかった。
#クロ157形は157系全廃後は最初から185系に組み込まれていた。
#保存車両が存在していたかもしれない。
#一部の先頭車は前照灯がシールドビーム化された。
 
====0系====
:全般
#=新幹線がスピード主義にならなかったらである。
#史実で実現しなかった動態保存が実現していた。
#*実物として残っていない車両も何らかの形で動態保存していた。
 
;JR東海車
#4列普通車指定席が史実より長く残った。
#100系以降の新幹線にも4列普通車指定席が引き継がれる。
 
;JR西日本車
#100系の引退も史実より遅れる。
 
====201系====
;青梅線・五日市線
#四季彩以外も生き残っていた。
#四季彩の部品交換は中央線の廃車発生品を流用しての対応がなされた。
#将来の置き換えはE233系の新車導入ではなくE231系の転属の措置に。
 
====205系====
;山手線
#鉄オタから国鉄山手線と揶揄されていた。
#*JR時代に作られた車両の方が多いためそのように言う鉄オタを揶揄する鉄オタも出現していた。
#6ドア車のモニターも撤去されることなく続いていた。
;埼京線
#相鉄線直通に伴い2018年末〜2019年頃にVVVFに改造されていた。
#*内装もリニューアルし日光線のようなLCDがつけられていた。
#*リニューアルに伴い自動放送もつけられていた。
#*JR東日本は大規模リニューアルに消極的だからどうだろうか。VVVFが関の山じゃないかと。
#6ドア車は最後まで残るかどうかは微妙。
 
====100系====
;全般
#=新幹線がスピード主義にならなかったらである。
#新幹線食堂車・カフェテリア車の営業終了が現実より遅れて100系16両編成ラストランと同時だった。
#*もしかすると食堂車は日本の鉄道において今でも営業が盛んだったかもしれない。
 
;X編成
#整備が行き届いていたらもっと走れた。
#ラストラン時に2階建て車両のNSマークが復活。
 
;G編成
#カフェテリアが史実より長く営業した。
#*主に区間運転のひかりで営業。
 
;V編成
#東京-博多間運行のひかりの廃止が現実より遅れていた。
 
=====X編成=====
 
====209系====
=====0番台=====
;京浜東北線
#6ドア車はしぶとく残った。
#自動放送装置が後付された。
#行先表示器のLED化も施工された。
#座席のクッションの交換も行われていた。
 
;南武線
#E233系の置き換え対象にはならなかった。
#*8500番台は登場せず。
#自動放送装置の設置対象にもなっていた。
 
=====500番台=====
;京浜東北線
#209系0番台がE233系1000番台に置き換えられた時点で自動放送装置が設置されていた。
#*2013年ごろに中央総武緩行線所属車両共々更新工事が行われていた。
#E233系5000番台の製造分が増えていた。
#*現在京葉線に一編成だけ残っている209系500番台の代わりにE331系が現存…は流石にないか。
#武蔵野線の増発用としてE233系が新製投入されていたかもしれない。
 
====253系====
#183系や185系を置き換えていた。
#*踊り子にも導入されたら、平成の185系と揶揄されていたかもしれない。
#「あかぎ」に転用されていた。
#*したがって、あかぎに651系は投入されなかった。
#そのうち大修繕により255系と同様IGBT-VVVF換装され、しばらく故障と戦う日々を過ごしていた。
#小田急10000形の長野電鉄譲渡車が増えていた。
 
====E331系====
#増備はかなわずとも今もひっそり京葉線で余生を過ごしている。
#*209系500番台は完全に武蔵野線へ転用されていた。
#故障が少なければ最低でもこうなっていた。
#*経済の低迷さえなければ修理に着手することができていた。
 
====E351系====
#E353系電車は登場しなかったかもしくは、E257系電車を置き換えるために製造されていた。
#*登場した場合、E351系電車は特急「あずさ」、「かいじ」、「富士回遊」、「はちおうじ」、「おうめ」で運用されていた。
 
====785系NE1~5編成====
#さすがに3両編成に短縮して、史実で711系から気動車に置き換えられた室蘭本線室蘭~苫小牧間の普通列車用に転用されていた。
#*編成短縮がされなければ、789系1000番台の予備車となっていた。
#*むしろNE501・502編成が格下げ転用されており、撤去された運転台を復活させていた(こちらの方が編成を分けやすいため)。
#*気動車が捻出されるので一般形気動車の老朽化による不足は起きなかった。
#**この場合、キハ143形は他の非電化区間中心の運用に就いていた可能性もあった。
#「旭山動物園号」に改造されていた可能性もある。
 
===気動車===
====キハ01系====
#それでもワンマン運転は実現しなかった。
#特定地方交通線廃止時まで使われていた。
#国鉄の気動車がレールバス主体になったかは微妙。
 
====キハ81系====
#JRにも引き継がれた場合、JR東海に引き継がれた。
#*したがって交通科学博物館→京都鉄道博物館には保存されなかった。
#**リニア鉄道館で保存。
 
====キハ58系====
#ワンマン対応車が増えた。
#*西日本では急行形で唯一体質改善工事が行われていた。
 
====キハ82系====
;全般
#JRにも多くの車両が引き継がれる。
#キハ82系車内チャイム(ブラームスの子守唄・乙女の祈り・鉄道唱歌(キハ82系バージョン)・枯葉)の知名度が高くなっていた。
#*キハ82系以外の国鉄車両でもキハ82系車内チャイムと同じ曲の車内チャイムが使われていた。
#**場合によってはJR西日本辺りがキハ82系車内チャイムの電子音バージョンを作っていた。
 
;北海道
#JR北海道に多くの車両が引き継がれる。
#リバイバル運転に重宝していた。
#食堂車の廃止も遅れていた。
 
;ひだ・南紀
#キハ85系の登場が遅れていた。
 
;山陰特急
#JR西日本もキハ82系を保有していた。
 
====キハ110系300番台====
キハ110系300番台は「秋田リレー」用として廃止後は格下げされることを前提に製造されましたが、もし、格下げ改造されなかったら?
#「陸中」に転用されていた。
#*と同時に特急に格上げされていた。
#**JR東日本が地方交通線を主体とする特急の制定に意欲的だったらあり得た。
#**快速「はまゆり」に格下げされることはなかった。
#*JR東日本は非電化特急が育たないといわれることもなかった。
#*捻出した0番台は普通列車に転用され、キハ52・58系の置き換えに回していた。
#**盛岡地区の冷房化が遅れることもなかった。
#*「よねしろ」にも本形式が転用されており、同時に特急化していた。
#**ターゲットが通勤利用なので急行のままか定期券での利用もできるようにしていた。
#史実の転用先である飯山線には新車で置き換えていた。
#引退まで特急用で使うつもりだったら、窓割りの構造が若干変わっていた。
 
====キハ130形====
#キハ40系に置き換えられる異例の事態はなかった。
#キハ40系の老朽化は問題にならなかった。
<!--#香椎線からキハ200・220が撤退することもなかった。
#*JR北海道の車両なので関係ないと思うが。-->
 
====キサロハ182形550番代====
#「はまなす」に転用され、客車に改造されていた。
#一貫して特急専用で使用された場合は「オホーツク」あたりに転用されていた。
#*普通車個室は座席車に改造されていた。
 
===客車===
====50系====
;JRで長く使われていたら
#保線コストは高まっていた。
#筑豊線以外でも冷房化、内燃発電機搭載はされていた。
#電車、気動車化されても状態の良いものが残っていれば12系同様にSL列車の客車としても再活用されていた(こちらは当然レッドトレインのままで)。
#12系と14系座席車の多くは大規模更新を受け,長期にわたり活躍できた。
#運用の効率化を図る為にプッシュプル運転が導入され、運転台付きの改造車が登場していた
 
==私鉄==
===秩父鉄道===
====2000系====
#編成の長さからラッシュ時の運用に重宝していた。
#冷房化くらいはされていた。
#7500系導入と同時期に置き換えられていた。
 
===東武鉄道===
====1700系====
1720系と同種の車体に載せ替えられなかったら?
#5700系を置き換えていた。
#快速急行だいや・おじかの運用についていた。
#*遜色急行扱いされることはなかった。
#200系は7編成、250系は3編成の陣容となっていた。
#*250系は当初から完全新造車として計画されていた。
#*いや、1700系も機器は1720系と同じだからこれは史実と変わらないかも。
 
====1800系通勤転用車====
#館林地区のワンマン化が行われていなければこうなっていた。
#*800、850系は存在しなかった。
#2010年代まで活躍していた。
#*時期によっては20400型が館林地区にも投入されていたかも。
 
====2000・2080系====
#最終増備車くらいは生き残っていた。
#2080系への改造数も増えていた。
#2000系も他の鋼製通勤車と同じカラーリングに変更されていた。
#短編成化の上、支線に転用されていた。
#*3000系の置き換えに回していた。
#*その際下記の上毛電気鉄道譲渡が実現したかも。冷房化も下記のように。東武本体で2010年代前半まで現役かも。
#2000系は8000系と同様に前面も改修されていた。
#上毛電気鉄道には2000系が譲渡された。車内外のスペースの制約から,冷房装置は連結面に設置された(福島交通7000系と同じ)。
#*↑は2010年代後半まで現役かも。その置き換え用に10000系2両編成が譲渡される。京王3000系は入線しない。
#3000系列・5000系列は1990年代に全廃できた。
 
===西武鉄道===
====旧101系====
#9000系は登場しなかった。
#*10000系はVVVFインバータ制御で新造されていた(発電ブレーキ付)。
#LED行先表示器搭載編成も登場。
#末期は各駅停車専用車両になった。
#分散冷房車もまだ生きていたかも。
#*あるいは171〜181F全編成が175F、177Fのスタイルに改造されていたかも。
#**客ドア交換(3000系タイプへ)はそのグループにも施されていた。
#多摩湖線の351系の引退も早まっていたかも。
#黄色一色化は史実通り行われた。
 
===東京都交通局===
 
====8000系====
#「=都電全廃の構想が存在しなかったら」。
#それでも車体更新は避けられなかったと見られる。
#7500系の引退が早まっていた。
#*そもそも製造されてなかったのでは?。8000形の改善版の様な車両なので。
 
====10-300R形====
#先頭車は車齢が若いので老朽化した中間車は代替新製されていた。
#10両編成化されていた。
 
===京成電鉄===
====AE形(初代)====
#AE100形の製造数が減っていた。
#3400形は登場しなかった。
#2代目AE形の登場と同時期に置き換えられていた。
 
====AE100形====
#都が難色を示していなかったら都営地下鉄乗り入れが実現していた。
#シティライナーは廃止されなかった。
 
===東京急行電鉄===
====デハ200形====
#それでも玉川線・砧線廃止時に一部車両は廃車された。
#代わりにデハ70形の一部車両が玉川線・砧線廃止時に廃車されていた。
#塗装が緑一色になるため愛称が「ピーマン」あたりに変わっていた。
#*屋根に付いていた標識灯も撤去されるためよりそれっぽい顔つきになっていた。
#**青ガエルミニの方がありそう。
#鉄道ファン団体などによる貸し切り運転ではこの形式が指名されることも多かった。
#特殊な構造が災いし300系登場までは生き延びられなかったと思われる。
#*最後まで運用されていた編成は引退間際にデビュー当時のツートンカラーに戻されていた。
 
====9000系====
現役車両ですが、東横線に残留し続けていたら?
#副都心線に乗り入れない運用についていた。
#*サークルKステッカーならぬサークルFステッカーが張られていた。
#*どちらにせよ相鉄直通開始までには2020系の東横線版(4020系?)によって置き換えられていた。
#大井町線への転出に際して持て余した中間車に廃車が出ることはなかった。
#*よって、8090系が玉突きで廃車になることもなかった。
#5050系の製造数が減っていた。
#*その分、5000系は当初の予定通りの本数で製造されていた。
#そもそも、東急は東横線の車種統一に力を入れていなかったらこうなっていた。
 
===小田急電鉄===
====2320形====
*通勤車への改造がなかったら?
#準特急廃止後もそのままの形で急行に転用されていた。
#*箱根湯本行き急行にはこの形式が使われていた。
#2400形は2ドアクロスシートで製造されていた。
#*史実における東武6000/6050系のような存在になっていた。
#いずれにしろ、ラッシュ時には不向きな構造なので1980年代に入ると淘汰の対象になっていた。
#*多摩線で余生を送ったかも。
#*むしろセミクロスシートのまま富士急行に譲渡され、5000系と比較されていた。
 
===長野電鉄===
====10系====
#=木島線が廃止されなかったらである。
#冷房化、ワンマン化くらいはされていた。
 
===名古屋鉄道===
====5000系・5200系====
#冷房化できたら残っていた。
#*5000系の場合同じ湘南2枚窓で冷房化した南海ヒゲ新・丸ズームと比較されることもなかった。
#**路面電車用クーラーで冷房化。
#***1998年から廃車がスタートとして2000年に全廃。
#****5000系・5200系を先に廃車しなければならないため名鉄7000系・7500系の廃車が遅れていた。
#5300系は登場しなかった。
 
====8800系====
#リニューアルが行われた。
#座れる通勤電車がブームになると松井玲奈氏が「日本一豪華な座れる通勤電車」と言っていた。
#ほかの編成が一部特別車になる中で異彩を放っていた。
#名鉄の特急政策の見直しが行われるとデラックス料金が復活。
#*内装も登場時以上に豪華になった。
 
====1000系全車特別車編成・1600系====
#=特急政策の見直しがなかったら、である。
#当然、5000系(2代目)と1700系は存在しない。
#*5000系が登場しない代わりに3300系が更に増備されていた。
#西尾線や津島線では今でも昼間も特急が走っている。勿論全車特別車で。
#*犬山線や河和、知多新線の特急も今も多くが全車特別車。
#輸送力増強のために1600系は4両に増結されていたかも。
#1000系は2015年頃よりリニューアルが始まっていた。
#*内外装は1200系と同様のものになっていた。
 
====3700系 (初代)====
#名鉄の通勤型車両は20m4ドアが主流になっていた。
#当車両がはいれるよう改良工事が行われた事により、キハ8000は国鉄と規格を合わせることができた。
#100・200・300系の車両番号が大きく違う。
 
====7000系====
#かつての3400系(いもむし)のように動態保存車両として1編成だけ残されていた。
#*できるだけ登場当初の姿に近づける復元が行われていた。
#*基本的にはフェニックスエンブレムを掲出して走行するが、たまに逆さ富士行き先表示器を取り付けたりその上で白帯を巻いたりしていた。
#本線で運転される機会は多くなかった。
#*津島線や広見線、各務原線が主な運用線区となっていたか。
#*運行は土休日や長期休暇期が中心となる。
#場合によっては往年のミュージックホーンを鳴らすこともあった。
 
===近畿日本鉄道===
====400系====
#冷房化・後にカルダン化していた。
 
====800系・880系====
#冷房していたら残っていた。
#*名鉄5000系と同様、同じ湘南2枚窓で冷房化した南海ヒゲ新・丸ズームと比較されることもなかった。
#**バス用クーラーで冷房化していた。バス用クーラーは三重交通・奈良交通の廃車バスからの発生品。
#**860系と同様、ワンマン化していた。
#**800系として残った編成も冷房化。
#**820系として残った編成も820系時代に冷房化。
#**それでも800系は2001年に全廃。880系は2002年には全廃。
#***同時に史実で1993年まで820系として残った車両が2002年に伊賀線に転属。
#****廃車理由は5820系・9820系・9020系の増備が進んだのが理由。
 
====2600系====
#B更新でロングシート化あるいはL/Cカー化が行われていた。
#2021年現在も現役。
#*廃車は2410・2430系と同時期あるいはそれより後になっていた。
#主に伊勢方面への長距離急行に運用されているが、2両に1ヶ所トイレがあるので団体用としても重宝されていた。
#*あるいは2410・2430系とトレードしてトイレ付き編成の増加を図っていた可能性もある。
 
====3000系====
#恐らく[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/関西私鉄#3000系界磁位相制御車改造|界磁位相制御車に改造されていた。]]
#*あるいはVVVF制御に改造されていた。
#8000系列と完全に共通運用となり、奈良線への入線も果たしていた。
 
====10100系====
#30000系は登場しなかった。
#アーバンライナー登場とともに置き換えられていた。
#*したがって、アーバンライナーに2階建て車両が連結されていた。
#2000系は完全新造車だった。
#1980年代初頭にリクライニングシート化などのリニューアル工事が行われていた。
#*同時に前面・側面の行先表示器取り付けも行われている。
#*冷房装置も先頭車はサニーカーと同じものが屋根上に設置され、2階建て中間車の冷房も高性能で小型軽量のものに交換されていた。
 
====20100系====
#冷房化が可能だったら残っていた。
#18200系は20100系の補充用の団体用だった。
#*したがって18400系の18409Fの団体用格下げはなかった。
#*楽は登場しなかった。
#**15200系登場と同時に廃車。
 
====18000系====
#さすがに高性能化改造くらいはされていた。
#18400系とともに廃車となっていた。
#南大阪線6800系の台車・モーターと交換して伊賀線へ投入し、同線に有料特急が設定されそれに運用されていた可能性もある。
 
====10400系====
#2001年まで残っていた。
#*10100系と同様、前面・側面の行き先表示機取り付けが行われていた。
#*座席もリクライニングシートに交換されている。
#1980年代に2回目の更新工事が行われ、中間運転台の撤去が行われていた。
 
====11400系====
#2002年まで残っていた。
#*12000系・12200系・18400系の廃車はその後だった。
 
====12000系・12200系・18400系(特急マーク車両)====
*もし特急マーク車両が遅くまで残っていたら。
#2004年まで持ちこたえた場合、21020系か22000系がもっと多く製造された。
#*末期は阪奈特急・京奈特急・京橿特急メインで運用。
 
===京阪電気鉄道===
====1800系(初代)====
*1800系(2代)への改造がなかったら
#昇圧直前まで使用されていた。
#*昇圧で6000系に置き換えられていた。
#**その分6000系の製造両数が増えていた。逆に2600系30番台は減っていた。
 
====1800系(2代)====
#1900系と同時期に冷房改造されていた。
#*1900系・2200系と同じく制御装置の1M8C化などの改造が行われていた。
#最終的には7連×2本に編成替えされている。
#廃車は2000年代になってからだった。
#*代替車両として[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/関西私鉄#10000系7両編成|これ]]が実現していた。
#6000系の製造両数が2編成減っていた。
#*京阪におけるVVVF車の導入が少し遅れていた。
#*6000系顔の7000系や7000系顔の6000系は登場しなかった。
 
====2200系2380形====
#2200系の8連は現在に至るまで存在している。
#*あるいは経年が近い2600系30番台に組み込まれ、こちらが8連化されていた。
#代わりに6000系のうち何編成かが7連化されていた。
#*余った中間車は新造の13000系に組み込まれるか10000系の編成替えに使われていた。
 
====3000系(初代)====
*8000系導入後も継続使用される予定でした。
#流石に見劣りは否めないので大規模な更新工事が行われていた。
#富山地方鉄道、大井川鉄道への譲渡車はなかった。
#*富山地鉄へは阪急2800系が譲渡されていた。
#2008年まで使用され、今頃は2代目3000系に置き換えられていた。
#*2代目3000系はむしろ、特急用として製造された。したがって快速急行には9000系が充てられていた。
 
====9000系====
*現役車両ですが、ロングシート改造がなかったら?
#快速急行に充当されていた。
#2代目3000系は導入されなかった。
#*13000系が2008年頃導入される。
#一部の車両が10000系に編入されることはなかった。
#中之島線開通に伴う塗装変更ではこの車両は青系の塗装になっていた。
 
===阪急電鉄===
====2800系====
#前面・側面の電動式方向幕取り付けや車体内外の更新工事が行われていた。
#*特に前面は6000系と同タイプになっていた。
#**電気式ブレーキがこの際導入。2000系列・2300系以降の更新工事で導入される。車番変更は避けられない筈。
#***完全に中間車化された車もある。
#2300系と同じく界磁チョッパ制御に更新されていた。
#2300系の引退が早まっていた。
#*2300系更新車の数が少ない。
#富山地鉄への譲渡話は出なかった。
#*1990年頃に引退が進めば実現したかもしれない。
#格下げ改造がなかったら6300系は登場しなかった。
#*6300系は6000系同様の車内外で登場した。6330系ではなく,7300系8両編成が1編成多く製造された。
#**↑走行機器は別会社製。
#8300系登場とともに置き換えられ、8300系はオール転換クロスシートで製造されていた。
#**8000系転換クロスシート車も現実以上に造られた。8300系列のオールロングシート車両はそれでも存在か。
#2001年頃に引退していた可能性が高い。
#*1980年代のうちに定期特急運用から外れたであろう。
#6300系電車と同様に嵐山線で運用されていた。
#*そうならず廃車になった車も多い。1990年頃に引退が進めば。
#*その代わりに、京都線・千里線では、史実よりも早く7両編成or8両編成で運行されていた。
#**1990年頃に京都本線・千里線の普通車の8両運転が開始される。優等列車の10両編成の本数は現実より多い。
 
====5200系====
#前面が6000系と同タイプに改造されていた。
#3000系の引退は史実より早かった。
#21世紀になって5000系と同様のリニューアル工事が行われていた。
#能勢電鉄に譲渡されていた可能性もある。
 
====6300系(6330F)====
#「京とれいん」にはこの編成が改造されていた。
#*7300系と同性能なので、最高115km/h運転も可能になっていた。
#*それでも余剰となった中間車2両は京とれいんへの改造と同時に廃車されていた。
#もしかしたら、「京とれいん」の2編成目として、史実より早く導入されていた可能性もある。(実史では、7000系から捻出)
 
===阪神電鉄===
====3801・3901形(第1編成)====
#=脱線事故がなかったらである。
#8701・8801・8901形がもう1本登場していた。
#*7890・7990形電車は登場しなかった。
#*電動車が不足するので、一部のTc車が中間車化と同時に電装化されていた。場合によってはVVVFインバータ制御の試作車となっていたかも。
 
===南海電気鉄道===
====20000系電車====
*当初は更新工事を実施して、延命を行う予定でしたが、30000系電車の新造により、断念しました。
#3000系電車の登場は史実通りだが、予備車として、臨時列車や30000系電車が定期検査を受けているときに運行されていた。
#1999年に31000系電車の登場を機に廃車となっていたか。
#みさき公園に設置されることはなかった。
 
===西日本鉄道===
====8000形====
#2020年代に入って有料座席指定列車に充当される計画が出ていた。
#2010年代に入ってリニューアル工事が行われていた。
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 鉄道史|あのてつとうしやりようかもつとなかくつかわれていたら]]
[[カテゴリ:鉄道車両|もしもつとなかくつかわれていたら]]

2021年5月5日 (水) 11:55時点における版

  • 新規追加は国鉄・JRは車種別に形式が若い順に、私鉄は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。

国鉄・JR

機関車

DD54形

  1. =欠陥がなかったらである。
  2. 国鉄末期まで運用されていた。
  3. DD51の製造数が減っていた。

EF510形

500番台
JR東日本
  1. 事業用車として活用された。
    • 名鉄EL120と比較される。
      • 自社のEF60・EF64・EF65・EF81・ED75は史実より早く全廃できた。
        • 一部車両のJR貨物譲渡は現実通りあった。
    • 0番台の製造数がその分増えている。
    • JR東日本残存車は電車兼引用装備(連結器の双頭連結器への変更など)がされた。
    • 「カシオペアクルーズ」・「カシオペア紀行」の牽引にEF64・EF81が使用されなかった。
      • SL関連列車の牽引にも使用。
  2. 勿論2024年度事業用機関車全廃の発表はなかった。
    • キヤE195・GV-E197・E493系の導入もない。
      • DE10・DD11・DD16・DD51の置き換え用にDD200を導入していたかも(保安装置など一部機器類はEF510-500JR東日本車と同様に自社仕様)。
    • 国鉄時代から使用されたバラスト輸送貨車・レール輸送貨車の代替車にEF510-500・DD200自社保有車から制御可能な引通し線が設置される(プッシュプル運転にも対応)。

電車

62系

  1. 72系970番台同様に新性能化改造を受けていた。
    • 115系の区分番台が増える。
    • 静岡地区の増発に回され、113系に編入していたかもしれない。その場合、119系が一時的に運用されることはなく、足を引っ張る存在になってしまうこともなかった。
  2. JR化後にインバータクーラーが設置された。
    • 新性能化改造と同時に冷房化されていたかも。

101系

山手線
  1. 103系の誕生が遅れていた。
  2. 山手線のラインカラーはそのまま黄色になっていた。
  3. そのまま201系が導入される。

103系

大和路線・おおさか東線
  1. 2019年以降も残っていた場合、おおさか東線新大阪延伸により新大阪駅まで乗り入れる姿が見られるようになっていた。
JR東海車
  1. 愛知万博輸送がラストランになっていた。
  2. 名古屋の103系の知名度が上がっていた。

113系

東海道本線(JR東日本)
  1. 湘南電車という愛称はずっと消えなかった。
  2. 国鉄時代ならSM分離を境に2000番台がもっと増備され、0番台グループは房総や西日本地区に史実よりも早く転用されていた。
    • 2000番台の一部もロングシート化されていた。
  3. 211系は一応導入されたが史実よりも本数が少なかったかも。
  4. 2階建てグリーン車2両の編成も増えていた。
横須賀線・総武線快速
  1. 2階建てグリーン車連結編成に統一されていたかも。
  2. ATOS導入後も普通に営業についていた。
  3. ひょっとしたら東海道本線よりも長く生き延びていたかも。
    • 東海道線にいたものが新車導入が史実よりも早く全て房総に移っていた。
  4. E217系との営業列車での併結運転が実現していたかもしれない。
  5. 1500番台を置き換えはE231系によって行われていた。
成田線(我孫子支線)
  1. 日中の常磐線乗り入れは史実ほど増えなかった。
  2. 他の房総各線と同時期に211系や209系に置き換えられた。
東海道本線(静岡地区)
  1. JR西日本を見習って延命工事をしていた。
    • 一部は313系に準じた車内に改装されていた。
      • 体質改善の際にロングシートに改装されていたかも。
  2. 313系と同じドアチャイムが後付された。
関西本線・奈良線
  1. 0'番台、2000番台が春日色になって更に高速化されて車番に+5000を追加されていた。
    • 史実では存在しなかった春日色+鉄仮面の先頭車が出現した。
  2. 2000番台の9割は体質改善工事が施工され、その際にカフェオレ色になっていた。
  3. 単色化の際に春日色から抹茶色に塗り替えられていた。
  4. 奈良線で複線化事業の際に、本形式も103系と共に騒音の原因であるとして速やかな置き換えを環境省から命令されていた。
    • 故に103系同様に複線化完了より前に引退は迫られていたかも。
福知山線
  1. 新福知山色の800番台も魔緑に塗り替えられてしまった。

165系・167系・169系

全般
  1. 直流急行型電車の全廃は遅く2010年代中頃まであった。
  2. ハロウィン電車には165系湘南色が使われた。
JR東日本車
  1. 2007年のJR東日本20周年の時にもリバイバル急行が走っていた。
    • 183系ととも臨時用に活躍。
      • 全廃は2013年ごろ。
  2. しなの鉄道の169系との連結もあった。
JR東海車
  1. 全廃は快速ムーンライトながらの定期運転終了と同時。
    • 快速ムーンライトながらに91・92号は登場しなかった。
JR西日本車
  1. 全廃は2018年の阪和線の新車導入時。
  2. 福知山線事故後は新車が出るまでの輸送力増強編成に使われた。
  3. 一部はJR西日本色になり後に単色になる。
  4. 宮原車の場合、ちくま・くろよんの運転終了が史実より遅かった。

157系

  1. 下降窓の保守がしっかりしていたらこうなっていた。
    • 同じく下降窓を採用している阪急や近鉄の電車と比べられることはなかった。
    • 205系まで下降窓導入が途絶えることはない。
    • 急行型のグリーン車の窓の2段窓化もなかった。
  2. 185系が登場するまで活躍していた。
    • 185系は最初から回転クロスシートを採用していた。よって、「最悪の特急」と揶揄されることはなかった。
  3. 「あまぎ」に183系が導入されることはなかった。
  4. クロ157形は157系全廃後は最初から185系に組み込まれていた。
  5. 保存車両が存在していたかもしれない。
  6. 一部の先頭車は前照灯がシールドビーム化された。

0系

全般
  1. =新幹線がスピード主義にならなかったらである。
  2. 史実で実現しなかった動態保存が実現していた。
    • 実物として残っていない車両も何らかの形で動態保存していた。
JR東海車
  1. 4列普通車指定席が史実より長く残った。
  2. 100系以降の新幹線にも4列普通車指定席が引き継がれる。
JR西日本車
  1. 100系の引退も史実より遅れる。

201系

青梅線・五日市線
  1. 四季彩以外も生き残っていた。
  2. 四季彩の部品交換は中央線の廃車発生品を流用しての対応がなされた。
  3. 将来の置き換えはE233系の新車導入ではなくE231系の転属の措置に。

205系

山手線
  1. 鉄オタから国鉄山手線と揶揄されていた。
    • JR時代に作られた車両の方が多いためそのように言う鉄オタを揶揄する鉄オタも出現していた。
  2. 6ドア車のモニターも撤去されることなく続いていた。
埼京線
  1. 相鉄線直通に伴い2018年末〜2019年頃にVVVFに改造されていた。
    • 内装もリニューアルし日光線のようなLCDがつけられていた。
    • リニューアルに伴い自動放送もつけられていた。
    • JR東日本は大規模リニューアルに消極的だからどうだろうか。VVVFが関の山じゃないかと。
  2. 6ドア車は最後まで残るかどうかは微妙。

100系

全般
  1. =新幹線がスピード主義にならなかったらである。
  2. 新幹線食堂車・カフェテリア車の営業終了が現実より遅れて100系16両編成ラストランと同時だった。
    • もしかすると食堂車は日本の鉄道において今でも営業が盛んだったかもしれない。
X編成
  1. 整備が行き届いていたらもっと走れた。
  2. ラストラン時に2階建て車両のNSマークが復活。
G編成
  1. カフェテリアが史実より長く営業した。
    • 主に区間運転のひかりで営業。
V編成
  1. 東京-博多間運行のひかりの廃止が現実より遅れていた。
X編成

209系

0番台
京浜東北線
  1. 6ドア車はしぶとく残った。
  2. 自動放送装置が後付された。
  3. 行先表示器のLED化も施工された。
  4. 座席のクッションの交換も行われていた。
南武線
  1. E233系の置き換え対象にはならなかった。
    • 8500番台は登場せず。
  2. 自動放送装置の設置対象にもなっていた。
500番台
京浜東北線
  1. 209系0番台がE233系1000番台に置き換えられた時点で自動放送装置が設置されていた。
    • 2013年ごろに中央総武緩行線所属車両共々更新工事が行われていた。
  2. E233系5000番台の製造分が増えていた。
    • 現在京葉線に一編成だけ残っている209系500番台の代わりにE331系が現存…は流石にないか。
  3. 武蔵野線の増発用としてE233系が新製投入されていたかもしれない。

253系

  1. 183系や185系を置き換えていた。
    • 踊り子にも導入されたら、平成の185系と揶揄されていたかもしれない。
  2. 「あかぎ」に転用されていた。
    • したがって、あかぎに651系は投入されなかった。
  3. そのうち大修繕により255系と同様IGBT-VVVF換装され、しばらく故障と戦う日々を過ごしていた。
  4. 小田急10000形の長野電鉄譲渡車が増えていた。

E331系

  1. 増備はかなわずとも今もひっそり京葉線で余生を過ごしている。
    • 209系500番台は完全に武蔵野線へ転用されていた。
  2. 故障が少なければ最低でもこうなっていた。
    • 経済の低迷さえなければ修理に着手することができていた。

E351系

  1. E353系電車は登場しなかったかもしくは、E257系電車を置き換えるために製造されていた。
    • 登場した場合、E351系電車は特急「あずさ」、「かいじ」、「富士回遊」、「はちおうじ」、「おうめ」で運用されていた。

785系NE1~5編成

  1. さすがに3両編成に短縮して、史実で711系から気動車に置き換えられた室蘭本線室蘭~苫小牧間の普通列車用に転用されていた。
    • 編成短縮がされなければ、789系1000番台の予備車となっていた。
    • むしろNE501・502編成が格下げ転用されており、撤去された運転台を復活させていた(こちらの方が編成を分けやすいため)。
    • 気動車が捻出されるので一般形気動車の老朽化による不足は起きなかった。
      • この場合、キハ143形は他の非電化区間中心の運用に就いていた可能性もあった。
  2. 「旭山動物園号」に改造されていた可能性もある。

気動車

キハ01系

  1. それでもワンマン運転は実現しなかった。
  2. 特定地方交通線廃止時まで使われていた。
  3. 国鉄の気動車がレールバス主体になったかは微妙。

キハ81系

  1. JRにも引き継がれた場合、JR東海に引き継がれた。
    • したがって交通科学博物館→京都鉄道博物館には保存されなかった。
      • リニア鉄道館で保存。

キハ58系

  1. ワンマン対応車が増えた。
    • 西日本では急行形で唯一体質改善工事が行われていた。

キハ82系

全般
  1. JRにも多くの車両が引き継がれる。
  2. キハ82系車内チャイム(ブラームスの子守唄・乙女の祈り・鉄道唱歌(キハ82系バージョン)・枯葉)の知名度が高くなっていた。
    • キハ82系以外の国鉄車両でもキハ82系車内チャイムと同じ曲の車内チャイムが使われていた。
      • 場合によってはJR西日本辺りがキハ82系車内チャイムの電子音バージョンを作っていた。
北海道
  1. JR北海道に多くの車両が引き継がれる。
  2. リバイバル運転に重宝していた。
  3. 食堂車の廃止も遅れていた。
ひだ・南紀
  1. キハ85系の登場が遅れていた。
山陰特急
  1. JR西日本もキハ82系を保有していた。

キハ110系300番台

キハ110系300番台は「秋田リレー」用として廃止後は格下げされることを前提に製造されましたが、もし、格下げ改造されなかったら?

  1. 「陸中」に転用されていた。
    • と同時に特急に格上げされていた。
      • JR東日本が地方交通線を主体とする特急の制定に意欲的だったらあり得た。
      • 快速「はまゆり」に格下げされることはなかった。
    • JR東日本は非電化特急が育たないといわれることもなかった。
    • 捻出した0番台は普通列車に転用され、キハ52・58系の置き換えに回していた。
      • 盛岡地区の冷房化が遅れることもなかった。
    • 「よねしろ」にも本形式が転用されており、同時に特急化していた。
      • ターゲットが通勤利用なので急行のままか定期券での利用もできるようにしていた。
  2. 史実の転用先である飯山線には新車で置き換えていた。
  3. 引退まで特急用で使うつもりだったら、窓割りの構造が若干変わっていた。

キハ130形

  1. キハ40系に置き換えられる異例の事態はなかった。
  2. キハ40系の老朽化は問題にならなかった。

キサロハ182形550番代

  1. 「はまなす」に転用され、客車に改造されていた。
  2. 一貫して特急専用で使用された場合は「オホーツク」あたりに転用されていた。
    • 普通車個室は座席車に改造されていた。

客車

50系

JRで長く使われていたら
  1. 保線コストは高まっていた。
  2. 筑豊線以外でも冷房化、内燃発電機搭載はされていた。
  3. 電車、気動車化されても状態の良いものが残っていれば12系同様にSL列車の客車としても再活用されていた(こちらは当然レッドトレインのままで)。
  4. 12系と14系座席車の多くは大規模更新を受け,長期にわたり活躍できた。
  5. 運用の効率化を図る為にプッシュプル運転が導入され、運転台付きの改造車が登場していた

私鉄

秩父鉄道

2000系

  1. 編成の長さからラッシュ時の運用に重宝していた。
  2. 冷房化くらいはされていた。
  3. 7500系導入と同時期に置き換えられていた。

東武鉄道

1700系

1720系と同種の車体に載せ替えられなかったら?

  1. 5700系を置き換えていた。
  2. 快速急行だいや・おじかの運用についていた。
    • 遜色急行扱いされることはなかった。
  3. 200系は7編成、250系は3編成の陣容となっていた。
    • 250系は当初から完全新造車として計画されていた。
    • いや、1700系も機器は1720系と同じだからこれは史実と変わらないかも。

1800系通勤転用車

  1. 館林地区のワンマン化が行われていなければこうなっていた。
    • 800、850系は存在しなかった。
  2. 2010年代まで活躍していた。
    • 時期によっては20400型が館林地区にも投入されていたかも。

2000・2080系

  1. 最終増備車くらいは生き残っていた。
  2. 2080系への改造数も増えていた。
  3. 2000系も他の鋼製通勤車と同じカラーリングに変更されていた。
  4. 短編成化の上、支線に転用されていた。
    • 3000系の置き換えに回していた。
    • その際下記の上毛電気鉄道譲渡が実現したかも。冷房化も下記のように。東武本体で2010年代前半まで現役かも。
  5. 2000系は8000系と同様に前面も改修されていた。
  6. 上毛電気鉄道には2000系が譲渡された。車内外のスペースの制約から,冷房装置は連結面に設置された(福島交通7000系と同じ)。
    • ↑は2010年代後半まで現役かも。その置き換え用に10000系2両編成が譲渡される。京王3000系は入線しない。
  7. 3000系列・5000系列は1990年代に全廃できた。

西武鉄道

旧101系

  1. 9000系は登場しなかった。
    • 10000系はVVVFインバータ制御で新造されていた(発電ブレーキ付)。
  2. LED行先表示器搭載編成も登場。
  3. 末期は各駅停車専用車両になった。
  4. 分散冷房車もまだ生きていたかも。
    • あるいは171〜181F全編成が175F、177Fのスタイルに改造されていたかも。
      • 客ドア交換(3000系タイプへ)はそのグループにも施されていた。
  5. 多摩湖線の351系の引退も早まっていたかも。
  6. 黄色一色化は史実通り行われた。

東京都交通局

8000系

  1. 「=都電全廃の構想が存在しなかったら」。
  2. それでも車体更新は避けられなかったと見られる。
  3. 7500系の引退が早まっていた。
    • そもそも製造されてなかったのでは?。8000形の改善版の様な車両なので。

10-300R形

  1. 先頭車は車齢が若いので老朽化した中間車は代替新製されていた。
  2. 10両編成化されていた。

京成電鉄

AE形(初代)

  1. AE100形の製造数が減っていた。
  2. 3400形は登場しなかった。
  3. 2代目AE形の登場と同時期に置き換えられていた。

AE100形

  1. 都が難色を示していなかったら都営地下鉄乗り入れが実現していた。
  2. シティライナーは廃止されなかった。

東京急行電鉄

デハ200形

  1. それでも玉川線・砧線廃止時に一部車両は廃車された。
  2. 代わりにデハ70形の一部車両が玉川線・砧線廃止時に廃車されていた。
  3. 塗装が緑一色になるため愛称が「ピーマン」あたりに変わっていた。
    • 屋根に付いていた標識灯も撤去されるためよりそれっぽい顔つきになっていた。
      • 青ガエルミニの方がありそう。
  4. 鉄道ファン団体などによる貸し切り運転ではこの形式が指名されることも多かった。
  5. 特殊な構造が災いし300系登場までは生き延びられなかったと思われる。
    • 最後まで運用されていた編成は引退間際にデビュー当時のツートンカラーに戻されていた。

9000系

現役車両ですが、東横線に残留し続けていたら?

  1. 副都心線に乗り入れない運用についていた。
    • サークルKステッカーならぬサークルFステッカーが張られていた。
    • どちらにせよ相鉄直通開始までには2020系の東横線版(4020系?)によって置き換えられていた。
  2. 大井町線への転出に際して持て余した中間車に廃車が出ることはなかった。
    • よって、8090系が玉突きで廃車になることもなかった。
  3. 5050系の製造数が減っていた。
    • その分、5000系は当初の予定通りの本数で製造されていた。
  4. そもそも、東急は東横線の車種統一に力を入れていなかったらこうなっていた。

小田急電鉄

2320形

  • 通勤車への改造がなかったら?
  1. 準特急廃止後もそのままの形で急行に転用されていた。
    • 箱根湯本行き急行にはこの形式が使われていた。
  2. 2400形は2ドアクロスシートで製造されていた。
    • 史実における東武6000/6050系のような存在になっていた。
  3. いずれにしろ、ラッシュ時には不向きな構造なので1980年代に入ると淘汰の対象になっていた。
    • 多摩線で余生を送ったかも。
    • むしろセミクロスシートのまま富士急行に譲渡され、5000系と比較されていた。

長野電鉄

10系

  1. =木島線が廃止されなかったらである。
  2. 冷房化、ワンマン化くらいはされていた。

名古屋鉄道

5000系・5200系

  1. 冷房化できたら残っていた。
    • 5000系の場合同じ湘南2枚窓で冷房化した南海ヒゲ新・丸ズームと比較されることもなかった。
      • 路面電車用クーラーで冷房化。
        • 1998年から廃車がスタートとして2000年に全廃。
          • 5000系・5200系を先に廃車しなければならないため名鉄7000系・7500系の廃車が遅れていた。
  2. 5300系は登場しなかった。

8800系

  1. リニューアルが行われた。
  2. 座れる通勤電車がブームになると松井玲奈氏が「日本一豪華な座れる通勤電車」と言っていた。
  3. ほかの編成が一部特別車になる中で異彩を放っていた。
  4. 名鉄の特急政策の見直しが行われるとデラックス料金が復活。
    • 内装も登場時以上に豪華になった。

1000系全車特別車編成・1600系

  1. =特急政策の見直しがなかったら、である。
  2. 当然、5000系(2代目)と1700系は存在しない。
    • 5000系が登場しない代わりに3300系が更に増備されていた。
  3. 西尾線や津島線では今でも昼間も特急が走っている。勿論全車特別車で。
    • 犬山線や河和、知多新線の特急も今も多くが全車特別車。
  4. 輸送力増強のために1600系は4両に増結されていたかも。
  5. 1000系は2015年頃よりリニューアルが始まっていた。
    • 内外装は1200系と同様のものになっていた。

3700系 (初代)

  1. 名鉄の通勤型車両は20m4ドアが主流になっていた。
  2. 当車両がはいれるよう改良工事が行われた事により、キハ8000は国鉄と規格を合わせることができた。
  3. 100・200・300系の車両番号が大きく違う。

7000系

  1. かつての3400系(いもむし)のように動態保存車両として1編成だけ残されていた。
    • できるだけ登場当初の姿に近づける復元が行われていた。
    • 基本的にはフェニックスエンブレムを掲出して走行するが、たまに逆さ富士行き先表示器を取り付けたりその上で白帯を巻いたりしていた。
  2. 本線で運転される機会は多くなかった。
    • 津島線や広見線、各務原線が主な運用線区となっていたか。
    • 運行は土休日や長期休暇期が中心となる。
  3. 場合によっては往年のミュージックホーンを鳴らすこともあった。

近畿日本鉄道

400系

  1. 冷房化・後にカルダン化していた。

800系・880系

  1. 冷房していたら残っていた。
    • 名鉄5000系と同様、同じ湘南2枚窓で冷房化した南海ヒゲ新・丸ズームと比較されることもなかった。
      • バス用クーラーで冷房化していた。バス用クーラーは三重交通・奈良交通の廃車バスからの発生品。
      • 860系と同様、ワンマン化していた。
      • 800系として残った編成も冷房化。
      • 820系として残った編成も820系時代に冷房化。
      • それでも800系は2001年に全廃。880系は2002年には全廃。
        • 同時に史実で1993年まで820系として残った車両が2002年に伊賀線に転属。
          • 廃車理由は5820系・9820系・9020系の増備が進んだのが理由。

2600系

  1. B更新でロングシート化あるいはL/Cカー化が行われていた。
  2. 2021年現在も現役。
    • 廃車は2410・2430系と同時期あるいはそれより後になっていた。
  3. 主に伊勢方面への長距離急行に運用されているが、2両に1ヶ所トイレがあるので団体用としても重宝されていた。
    • あるいは2410・2430系とトレードしてトイレ付き編成の増加を図っていた可能性もある。

3000系

  1. 恐らく界磁位相制御車に改造されていた。
    • あるいはVVVF制御に改造されていた。
  2. 8000系列と完全に共通運用となり、奈良線への入線も果たしていた。

10100系

  1. 30000系は登場しなかった。
  2. アーバンライナー登場とともに置き換えられていた。
    • したがって、アーバンライナーに2階建て車両が連結されていた。
  3. 2000系は完全新造車だった。
  4. 1980年代初頭にリクライニングシート化などのリニューアル工事が行われていた。
    • 同時に前面・側面の行先表示器取り付けも行われている。
    • 冷房装置も先頭車はサニーカーと同じものが屋根上に設置され、2階建て中間車の冷房も高性能で小型軽量のものに交換されていた。

20100系

  1. 冷房化が可能だったら残っていた。
  2. 18200系は20100系の補充用の団体用だった。
    • したがって18400系の18409Fの団体用格下げはなかった。
    • 楽は登場しなかった。
      • 15200系登場と同時に廃車。

18000系

  1. さすがに高性能化改造くらいはされていた。
  2. 18400系とともに廃車となっていた。
  3. 南大阪線6800系の台車・モーターと交換して伊賀線へ投入し、同線に有料特急が設定されそれに運用されていた可能性もある。

10400系

  1. 2001年まで残っていた。
    • 10100系と同様、前面・側面の行き先表示機取り付けが行われていた。
    • 座席もリクライニングシートに交換されている。
  2. 1980年代に2回目の更新工事が行われ、中間運転台の撤去が行われていた。

11400系

  1. 2002年まで残っていた。
    • 12000系・12200系・18400系の廃車はその後だった。

12000系・12200系・18400系(特急マーク車両)

  • もし特急マーク車両が遅くまで残っていたら。
  1. 2004年まで持ちこたえた場合、21020系か22000系がもっと多く製造された。
    • 末期は阪奈特急・京奈特急・京橿特急メインで運用。

京阪電気鉄道

1800系(初代)

  • 1800系(2代)への改造がなかったら
  1. 昇圧直前まで使用されていた。
    • 昇圧で6000系に置き換えられていた。
      • その分6000系の製造両数が増えていた。逆に2600系30番台は減っていた。

1800系(2代)

  1. 1900系と同時期に冷房改造されていた。
    • 1900系・2200系と同じく制御装置の1M8C化などの改造が行われていた。
  2. 最終的には7連×2本に編成替えされている。
  3. 廃車は2000年代になってからだった。
    • 代替車両としてこれが実現していた。
  4. 6000系の製造両数が2編成減っていた。
    • 京阪におけるVVVF車の導入が少し遅れていた。
    • 6000系顔の7000系や7000系顔の6000系は登場しなかった。

2200系2380形

  1. 2200系の8連は現在に至るまで存在している。
    • あるいは経年が近い2600系30番台に組み込まれ、こちらが8連化されていた。
  2. 代わりに6000系のうち何編成かが7連化されていた。
    • 余った中間車は新造の13000系に組み込まれるか10000系の編成替えに使われていた。

3000系(初代)

  • 8000系導入後も継続使用される予定でした。
  1. 流石に見劣りは否めないので大規模な更新工事が行われていた。
  2. 富山地方鉄道、大井川鉄道への譲渡車はなかった。
    • 富山地鉄へは阪急2800系が譲渡されていた。
  3. 2008年まで使用され、今頃は2代目3000系に置き換えられていた。
    • 2代目3000系はむしろ、特急用として製造された。したがって快速急行には9000系が充てられていた。

9000系

  • 現役車両ですが、ロングシート改造がなかったら?
  1. 快速急行に充当されていた。
  2. 2代目3000系は導入されなかった。
    • 13000系が2008年頃導入される。
  3. 一部の車両が10000系に編入されることはなかった。
  4. 中之島線開通に伴う塗装変更ではこの車両は青系の塗装になっていた。

阪急電鉄

2800系

  1. 前面・側面の電動式方向幕取り付けや車体内外の更新工事が行われていた。
    • 特に前面は6000系と同タイプになっていた。
      • 電気式ブレーキがこの際導入。2000系列・2300系以降の更新工事で導入される。車番変更は避けられない筈。
        • 完全に中間車化された車もある。
  2. 2300系と同じく界磁チョッパ制御に更新されていた。
  3. 2300系の引退が早まっていた。
    • 2300系更新車の数が少ない。
  4. 富山地鉄への譲渡話は出なかった。
    • 1990年頃に引退が進めば実現したかもしれない。
  5. 格下げ改造がなかったら6300系は登場しなかった。
    • 6300系は6000系同様の車内外で登場した。6330系ではなく,7300系8両編成が1編成多く製造された。
      • ↑走行機器は別会社製。
  6. 8300系登場とともに置き換えられ、8300系はオール転換クロスシートで製造されていた。
      • 8000系転換クロスシート車も現実以上に造られた。8300系列のオールロングシート車両はそれでも存在か。
  7. 2001年頃に引退していた可能性が高い。
    • 1980年代のうちに定期特急運用から外れたであろう。
  8. 6300系電車と同様に嵐山線で運用されていた。
    • そうならず廃車になった車も多い。1990年頃に引退が進めば。
    • その代わりに、京都線・千里線では、史実よりも早く7両編成or8両編成で運行されていた。
      • 1990年頃に京都本線・千里線の普通車の8両運転が開始される。優等列車の10両編成の本数は現実より多い。

5200系

  1. 前面が6000系と同タイプに改造されていた。
  2. 3000系の引退は史実より早かった。
  3. 21世紀になって5000系と同様のリニューアル工事が行われていた。
  4. 能勢電鉄に譲渡されていた可能性もある。

6300系(6330F)

  1. 「京とれいん」にはこの編成が改造されていた。
    • 7300系と同性能なので、最高115km/h運転も可能になっていた。
    • それでも余剰となった中間車2両は京とれいんへの改造と同時に廃車されていた。
  2. もしかしたら、「京とれいん」の2編成目として、史実より早く導入されていた可能性もある。(実史では、7000系から捻出)

阪神電鉄

3801・3901形(第1編成)

  1. =脱線事故がなかったらである。
  2. 8701・8801・8901形がもう1本登場していた。
    • 7890・7990形電車は登場しなかった。
    • 電動車が不足するので、一部のTc車が中間車化と同時に電装化されていた。場合によってはVVVFインバータ制御の試作車となっていたかも。

南海電気鉄道

20000系電車

  • 当初は更新工事を実施して、延命を行う予定でしたが、30000系電車の新造により、断念しました。
  1. 3000系電車の登場は史実通りだが、予備車として、臨時列車や30000系電車が定期検査を受けているときに運行されていた。
  2. 1999年に31000系電車の登場を機に廃車となっていたか。
  3. みさき公園に設置されることはなかった。

西日本鉄道

8000形

  1. 2020年代に入って有料座席指定列車に充当される計画が出ていた。
  2. 2010年代に入ってリニューアル工事が行われていた。