ページ「西宮市」と「もしあの鉄道車両がもっと長く使われていたら」の間の差分

(ページ間の差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動
>吉田宅浪
編集の要約なし
 
編集の要約なし
タグ: 改変
 
1行目: 1行目:
{{市|reg=近畿|pref=兵庫|area=阪神|ruby=にしのみやし|eng=Nishinomiya}}
*新規追加は国鉄・JRは車種別に形式が若い順に、私鉄は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。
{{阪神}}
==テーマ別==
*[[西宮市/地域別]]
**[[阪急仁川|仁川]]
**[[塩瀬・山口]]
*[[阪神甲子園球場]]
**[[近畿の博物館・美術館#甲子園歴史館|甲子園歴史館]]
*[[西宮市の交通]]
*[[西宮市の駅]]
**[[西宮北口駅]]
**[[甲子園駅]]
**[[夙川駅]]
*[[関西学院大学]]
*[[偽西宮の特徴]]
*[[兵庫の学業#武庫川女子大学|武庫川女子大学]]
*[[兵庫の城#越水城|越水城]]
*[[近畿の遊園地・テーマパーク#甲子園阪神パーク|甲子園阪神パーク]]
*[[世界の企業#キッザニア|キッザニア]](キッザニア甲子園)


==西宮市の噂==
==国鉄・JR==
[[ファイル:Nisinomiya-siyakusyo.jpg|240px|thumb|西宮市役所]]
===機関車===
#海あり山あり、高級住宅街に下町もあり、更に工業地帯もあり、えべっさんに門戸厄神とか御利益もあって、酒造や和紙や西国街道に今津燈台など歴史的な逸話にも事欠かないし、大学もいっぱいありと何でも揃う住みやすい街だけど、'''大きな繁華街がない。'''
====DD54形====
#*最近ようやく[[西宮北口駅|西宮北口]]辺りに商業施設が集積して来た。[[野球場/旧本拠地#阪急西宮球場の噂|西宮スタジアム]]跡地には[[阪急百貨店]]やシネコンも出来るらしいので、数年後にはここが西宮の中心市街になるかも。
#=欠陥がなかったらである。
#**数年後にならないと分からない都市ですかね・・・。
#国鉄末期まで運用されていた。
#*西宮スタジアム跡地に[[イズミヤ]]西宮北口店(仮称)出店決定らしい。震災で潰れたけどイズミヤ西宮復活だな。
#DD51の製造数が減っていた。
#*甲南大学の新キャンパスも出来るみたい。
#*繁華街とは少し違うが、[[国道43号|国道43号線]]南側の臨港線沿いは一大商業施設ゾーンと化している。甲子園には「[[ららぽーと]]」、今津には「コープ」、「関西スーパー」、「[[マルナカ]]」、「マックスバリュ」などスーパーだらけ、他にも「[[上新電機|ジョーシン]]」・「[[ホームセンター#コーナン|コーナン]]」、「[[ユニクロ]]」、「[[エディオン|ミドリ電化]]」、「[[ヤマダ電機]]」などなど…これで駅近なら言うことナシ。
#*臨港線の震災後の変貌は、皮肉にも酒造設備が震災で壊滅的な被害を被ったため。大手メーカーは資金力にものを言わせて復興したが、中小メーカーは設備を復興する体力が無く、土地を貸したり手放したりするなどして商業施設に代わったものです。
#*お洒落な店から庶民的な店まで買い物にも不自由しない。
#*神戸にも大阪にも至近で通勤通学買物にも不自由しない。
#*有名私立校が軒を連ね教育も充実しているが公立はちょい注意必要。
#*待望の映画館が出来るので後はラウンドワンみたいなアミューズメントスペースが欲しいです・・・
#*阪急西宮ガーデンズ開業しました。1日平均7万人訪れています。
#*それでも2005年には隣の[[尼崎市|尼崎]]の人口を抜いて、兵庫県第三の都市となった。
#[[阪神・淡路大震災|阪神大震災]]後人口が激減したがその後回復。
#*とうとう[[尼崎市|尼崎]]を抜いちゃいましたね。
#*急に増えすぎて幼稚園と小学校の受け入れが大変(>_<)
#[[神戸市]]に劣らない人口増加数。
#*マンションの建設規制がかかっている地域まで存在する程。
#**2014年度から神戸市は人口減少に転じ、[[福岡市]]に抜かれたうえ[[川崎市]]にも抜かれそう。
#*あくの強い町が多い兵庫県内で元[[東京]]都民に最も受けが良い町。変に気取った[[芦屋市|芦屋]]なんかよりもいい。[[明石市|明]][[神戸市/西区|石]]以西のがさつな感じも無いし、エリアにもよるが[[大阪]]のコテコテさも弱い。(誤って[[姫路市|姫路]]に住んで後悔している元東京都民。)
#**姫路は関東で言えば、[[小田原市|小田原]]や[[高崎市|高崎]]などと同じ。
#*人口増加率が高く尼崎市は人口が減少を続けたため近年ついに西宮市の人口が尼崎市の人口を抜いた。
#西宮に引っ越す家族が一番気にするのは小中学校の学区らしい。
#*公立高校入試が総合選抜で、住んでる地域の高校に自動で割り振られちゃいますからね。
#**公立高校入試の制度が、2009年の入試から総合選抜制度じゃなくて複数志願制度とゆうやつに変わったらしいです。
#*いやそう言うことじゃなくて、現在高層マンションが建ち並ぶ地区と同学区に○○があるために小中学校の荒れ方が激しい。○○の人は「俺達は村のもんやぞ」と言って新住民に凄みをきかす。
#実は南北に広い。
#*北部から中心部へ一直線に行こうとすると六甲山を山越えすることになる。
#*北部の塩瀬地区住民はいっそ宝塚の市域だったら、山口地区住民はいっそ神戸市北区の区域だったら便利だったのにと密かに思っている
#*親戚が住んでる山口地区は同じ西宮なのに市外局番が神戸の078である
#*その隣の生瀬・名塩地区の市外局番は宝塚と同じ0797
#**郵便番号も山口地区は神戸市扱いの651。塩瀬地区は宝塚郵便局管轄だが何故か665ではなく[[三田市]]・[[兵庫/丹波|丹波地方]]等と同じ669。
#*これは西宮市が宝塚を併合するためにまずはその周辺の町村を併合しようという策によるものだが、見事に失敗。
#**もとは塩瀬村・山口村は神戸市に編入してもらおうとしたのだが兵庫県が却下して、それを西宮が合併してしまった。
#*ここまで北部と言っているが、住宅地図では、南部(阪急以南)、北部(阪急以北)、郊外(塩瀬山口)と、まるで飛び地のように扱われている
#*南部の「西宮」と北部は実質別の町。[[神戸市/北区|神戸市北区]]か[[三田市]]に編入されたほうが自然だった。
#*そもそも西宮市内に[[中国自動車道]]が通っているという実感がない。
#**三宮で酔いつぶれタクシーに乗り「西宮北インターの近くまで」と言って寝込み「着きましたよ」と運転手に言われたが、そこは名神の西宮インターだった。
#***そのため、西宮市内には南端と北端の二箇所に物流業エリアがある。
#****前者が[[阪神高速道路/路線別#5号湾岸線|阪神高速]]の西宮浜IC周辺(名神の西宮ICにも近い)、後者は中国道の西宮北IC周辺。
#**[[涼宮ハルヒファン|涼宮ハルヒシリーズファン]]は中国自動車道のインターに降り立ち、ここが西宮か!ってなる。そのあと地図みてがっかりする。
#*西宮市北部と[[神戸市/北区|神戸市北区]]の北部を一緒にして「有馬市」にした方が自然な感じもする。
#*六甲山以南の住人は北部の住人を実は西宮市民と認めているわけでない。
#神戸と同じく山手に行くほど偉い。
#*しかし山を越えると田舎。市内でも微妙な雰囲気が生まれる。
#**こんなところも神戸市とよく似ている。
#*浜手でも、西宮七園に入る香櫨園、濱甲子園、南甲子園等は相当な規模の、それも戦前からの由緒あるお屋敷も少なくない。芦屋の浜手も同じく。
#阪急甲陽線の辺りに異常にベンツの所有率が高い地域がある。道の両脇にビッシリとベンツが路駐されてたりする。
#*あそこは外国人が多くて左側通行に慣れていないのか、対向車が来ているのに突然右折したりするから、運転には要注意。
#社会見学で酒製造の会社へ行き、お土産に宮水をもらう。が、水なので子供には価値がない。
#*名塩の和紙作りの場合も。っちゅーか、名塩が一発でPC変換されません。地名認識されていないのか…?orz
#**「西宮名塩」なら駅名なので一発変換される。
#**どちらが田舎か学生間で言い争っていた「生瀬」と「西宮名塩」だが、「西宮名塩」に快速が止まるようになり、取り残された「生瀬」は一気に田舎ランク急上昇。
#**「生瀬」という地名を説明すると、必ず「え、なまず?」と聞き返される。
#**生瀬~武田尾間の廃線を利用したハイキングが流行ったが、生瀬から入る道が閉鎖された。そのため、その地位を西宮名塩に奪われる。 生瀬マジ乙…。
#***旧国鉄廃線の閉鎖された生瀬側入り口は「名塩木之元(旧塩瀬町名塩)」、サーパスマンション以南が「生瀬」。
#”ぐすとん”と言って通じないとショックを受ける。
#*なにそれ?
#*「ぐすとん、ぱ!」の事かな?チームわけジャンケン「グッパ」の事やろ?
#*ほとんどみんなパーを出す。グーを出すと負け同然の扱い。
#市の形がラクダの頭&首っぽい。
#昔武庫川の上の方にウヰルキンソン炭酸の工場があり、炭酸泉の水でバヤリースオレンジやカクテル用の炭酸水を作っていたが、アサヒ飲料に吸収され工場も閉鎖した。
#酒の産地。
#*昔の市長はみんな酒造メーカーの家柄。
#*でも、甲陽学院作ったりとか、かなり地域に貢献しています。
#*誤解している人がいるが、西宮市内で採れる井戸水全てが酒作りに適した「宮水」ではない。国道43号線より南側の、ほんのごく一部だけでしか採れない貴重な井戸水。
#市外の人(特に神戸寄りの人)に、「尼崎とか西宮とか」のように尼崎とひとくくりされるのを極端に嫌う。特に阪急線以北民に顕著にあらわれる傾向。
#* しかし明治以前は、西宮の大部分は尼崎藩の統治下にあったという皮肉 
#「宮っ子」と自分達のことを呼ぶが近隣の人間はそんな言葉は知らない。
#*「宮っ子」という地元民のみ知っている小冊子があるからかと思われる。
#*「宮っ子ラーメン」というラーメン屋がある。
#**実はテレビでも紹介されたほどの、味を持つラーメン屋。地元では特に有名。
#**実は市外にも店舗がある。
#***今は阪急系列らしい。そのためか十三駅のホームから見える場所にも店舗がある。
#***一時期遠く離れた[[寝屋川市]]にも店舗があったことがある。
#**テレビCMは滅多にないが、ラジオのCMでは時々聞く。
#*木谷酒造(喜一)の「純米酒 宮っ子」という酒がある。
#*2018年冬放送のアニメ『[[まんがライフ・まんがくらぶファン#ポプテピピックファン|ポプテピピック]]』の8話において毎回変わる作者の肩書きのクレジットにおいて「宮っ子」が使われ、話題になった。
#**これによって作者の大川ぶくぶ氏が西宮出身であることが明らかになったとか。
#**その『ポプテピピック』は兵庫どころか関西地方では放送されていないので西宮民はBS11での放送かネット配信によって見ていたことになる。
#神呪町という怖い地名がある。
#*神呪寺という寺があるが、この「呪」とは「まじない」や「うらない」といった意味で使われた。よって、特に怖い意味ではない。
#**神呪寺は神呪町とは全く異なる場所にある。神呪町は阪急今津線沿いの平野部だが、神呪寺は山上にある。
#*「かんのうちょう」と読む。
#市民館があるところorその周辺はB<span style="font-size:0.8em;padding:0.1em;border:thin solid rgb(0,0,0);background-color:rgb(0,0,0);color:rgb(0,0,0);"> </span>である、とまことしやかに囁かれている。
#*まことしやかも何も、同和対策特別措置法に基づいて、西宮でも同和対策事業が行われていたのは事実である。
#*公民館と市民館の違いはやはり…
#*そういえば公衆浴場の料金安かったな
#そして阪神間の街の例に漏れず「南北問題」がある。
#*ただし南北の境界が阪急神戸線なのか[[国道2号|2号線]]なのか43号線なのかは結構曖昧
#**[[国道171号]]線沿線は確実に北
#**それじゃあ{{国道|近畿|176|国道176号線}}沿線はどうなるの?
#***イナロク沿線は宝塚or神戸市北区。
#*市民同士で初対面の人との会話には必ずと言っていいほど「どこ住んでるん?」がおきまり
#*阪急線より北に住んでいれば西宮では上流階級と認めて貰えるらしい(但し一戸建ての場合)
#**今津線より西であることも条件。
#*県立西宮北高校の直下を[[山陽新幹線|新幹線]]が通っている。
#**西宮北高校には隣接して小学校と中学校がある。どちらも所在地からとって「苦楽園~」。
#[[近畿の神社#西宮神社|西宮神社]](西宮戎、えべっさん)の十日戎における福男選びは、全国ニュースで流されるほど知名度が高くなった。関西民なら西宮といわれた場合のイメージが、甲子園でなくここの人も少なくない気が・・・[[ファイル:西宮神社のマグロ.jpg|240px|thumb|十日戎の時はマグロが奉納される]]
#案外誤解されているが、「西宮」の由来はえべっさんではなく、市内最古の神社である[[近畿の神社#廣田神社|廣田神社]]のこと。更に言えば「京(京都)の西方一帯の宮」ということで、えべっさんはかつては廣田神社の一部であった。
#*えべっさんと廣田神社は同一の神社であったのは明治時代に廣田神社が官社になるまで。
#*方角説としての西宮の名前の由来は、先進地域の津門から見て西、えびす様が上陸した鳴尾から見て西、大社のある住吉から見て西、神宮のある伊勢から見て西、そして最近京都から見て西と言い出されるようになった。
#*地名説としては、式内社の大国主西神社の西からきたという説が古くからある。(大国主西神社が西宮神社と混同していた時もある。)
#[[大阪市]]方面から移住していた人は、自分が「大阪人」と思われても反感を抱かず好意的に見ることも多いが、元から住んでいた人は「大阪との同一視」を執拗に嫌う傾向がある。
#*「大阪の甲子園…」とかいわれたら、即座に「西宮や!」と返す気質があるとか。
#*尼崎よりか芦屋よりかでの地域差もやはりあるらしい。
#**神戸市の東西程地域差が激しくはない。神戸市は東西40km(海岸沿いだと30km)、西宮市は東西8km。
#*神戸より大阪へ通う市民が圧倒的に多い、典型的な大阪のベッドタウンである。
#**そりゃ西宮だけでなく神戸もだよ。経済依存度と地域文化はまた話が違う。
#***西宮市も神戸市東部も[[大阪市]]の大半と同じ摂津国だから。昼間人口が大阪市へ流出する時点で[[東京23区]]のうち21区と同じ武蔵国域の[[川崎市]]や[[横浜市]]東部や[[さいたま市]]と同じ([[東京/葛飾区|葛飾区]]・[[東京/江戸川区|江戸川区]]は下総国)。
#*という一方で神戸ならば同一視されても大阪ほど気にはならないらしい。
#だんじり祭りが盛んに行われている。
#*南の西宮神社や今津の福應神社のみならず、越木岩神社(甲陽園・苦楽園の辺り)のような北中部の高級住宅地にある神社、それに名塩八幡神社や生瀬皇太神社といった北の端の方にある神社からも、だんじりがやってきて集まる。
#イノシシと遭遇する。
#神戸の一部だと思ってる人も多いらしい。いっぺん「神戸の西宮」でググってみ。びっくりするほど引っ掛かる。
#*500件弱で「びっくりするほど」?「大阪の西宮」は25万件もあるのに。
#*今日[[google]]検索したら、254,000:260,000となっていた。なぜに急増?
#**検索しなおすと650件あまりに変わる。なんかのエラー?
#*とりあえずググった。492万:507万だった。次はヤフった。2980万:3030万だった。
#*某サイトで「神戸・西宮ガーデンズ」と書いてあった。その時「西宮は西宮だろ!」と突っ込みたくなった。
#**さらにそのサイトでは「阪急西宮北口駅直結」のはずが「阪急西宮駅・北口直結」と書かれていた。阪急に西宮駅などなかったはず。
#女優の常盤貴子が一時住んでいたことがある。
#*石田ゆり子・ひかり姉妹も住んでいたことがある。
#**[[鳥取|隣県]]出身の石破議員も1986年衆院選以前に住んでいたことがある。
#**ただ、石田姉妹に関しては公には[[名古屋市]]生まれの東京都[[東京/世田谷区|世田谷区]]出身となっている。
#**今はかつてよく名前を間違えられていた西田ひかるが住んでいるとか。
#**石田ひかりに関しては結婚後も夫の仕事の関係で住んでいたらしい。
#なぜか市のドメインが地方公共団体ドメイン名ではない「nishi.or.jp」。普通はcity.nishinomiya.hyogo.jpとかでしょ。確実に周りから浮いている。
#海岸寄りに「マリナパーク」という埋立地があるが、名前だけを見ると元おニャン子クラブのタレントを思い出しそう。(別に関係はないが)
#*その夫は県内出身(姫路市)。
#*そこにはヨットハーバーがある。ただ、公共交通機関で行くには路線バス利用しないと不便。
#西北周辺の学習塾街は関西トップクラス。日能研・浜学園をはじめ関西の塾は集結してる。夜(九時あたり)の西北にいるのは全員消防。
#鳴尾には特筆すべきものがない。
#*女子大としては全国有数の規模を誇る武庫川女子大学があります。でも阪神の鳴尾浜球場は鳴尾駅からかなり遠い。
#*戦前は阪神競馬場・鳴尾球場(甲子園ができるまで中等野球のメッカ)・浜甲子園阪神パーク・甲子園娯楽場(中等学校サッカーとラグビーの全国大会開催地)・鳴尾ゴルフクラブがある一大観光地だった。戦争でほとんどの施設は接収され海軍鳴尾飛行場になり、激しい空襲を受けて鳴尾村は壊滅。戦後は米軍キャンプとなる。
#2012年まで毎年2月〜3月頃に、フレンテホールで「萌える音楽家たち」という若手演奏家によるコンサートを行っていた。
#*なんだか[[アニメソングファン|この人たち]]が釣れそうなタイトルだ。
#*2013年以後はタイトルが「ピアノに恋した音楽家たち」や「次代へ羽ばたく若きアーティストたち」に変わった。
#西宮維新の会は本家の大阪維新の会とは関係ない。
#*野々村氏の個人党だった。
#*大阪維新の会とは無関係だった「○○維新の会」が全国に結構あった。
#[[東海]]人には[[一宮市]]と間違えられやすい。[[名神高速道路]]には一宮ICと西宮ICの両方があり、一宮IC~西宮IC間は[[東海道新幹線]]より早い1964年9月に開通している。
#*西宮市は大阪~神戸間のちょうど中間にあるが、一宮市も名古屋~岐阜間のほぼ中間地点という共通点もある。
#阪神間の中間点とあって[[関東]]・東海・[[九州]]etc全国各地からの転勤族に人気が高い。
#結構な数の温泉が沸く銭湯がある。
#プロバスケ球団の兵庫ストークスは元々神戸がホームだったが、アリーナ問題のためここに移転して[[B.LEAGUE#西宮ストークス|西宮ストークス]]に変わった。
#ここの燃えるゴミの日は黒や青のゴミ袋で入れても、必ず持って行ってくれる。


==西宮市を舞台とする作品==
====EF510形====
#「[[涼宮ハルヒファン|涼宮ハルヒ]]」シリーズの舞台。
=====500番台=====
#*作者が西宮出身で[[関西学院大学|関西学院大]]卒。
;JR東日本
#*「北高」=「県立西宮北高校」
#事業用車として活用された。
#**ハルヒ対立候補は佐々木。詳しくは単行本「涼宮ハルヒの分裂」を読めば分かる。
#*名鉄EL120と比較される。
#***涼宮ハルヒ氏が首相に就任。その為、日本国民SOS団化。
#**自社のEF60・EF64・EF65・EF81・ED75は史実より早く全廃できた。
#****♪そそそそそそそ尊師~涼宮~尊師ぃ~♬
#***一部車両のJR貨物譲渡は現実通りあった。
#**メジャーリーガー、田口壮、作家の谷川流の出身校w。
#*0番台の製造数がその分増えている。
#**そして、「涼宮ハルヒの憂鬱」の舞台の高校。
#*JR東日本残存車は電車兼引用装備(連結器の双頭連結器への変更など)がされた。
#***ついでに[[長島☆自演乙☆雄一郎ファン|この人]]も西宮北高出身でハルヒファン。
#*「カシオペアクルーズ」・「カシオペア紀行」の牽引にEF64・EF81が使用されなかった。
#****自演乙は報徳出身。夙川アトムもそう。
#**SL関連列車の牽引にも使用。
#*最初の池=新池
#勿論2024年度事業用機関車全廃の発表はなかった。
#*聖地巡礼と称して西宮観光が流行ったりもした。
#*キヤE195・GV-E197・E493系の導入もない。
#*んじゃなんでキョンとその妹はずっと標準語なんだろ。
#**DE10・DD11・DD16・DD51の置き換え用にDD200を導入していたかも(保安装置など一部機器類はEF510-500JR東日本車と同様に自社仕様)。
#**原作では特に舞台設定はなかったらしいからな。
#*国鉄時代から使用されたバラスト輸送貨車・レール輸送貨車の代替車にEF510-500・DD200自社保有車から制御可能な引通し線が設置される(プッシュプル運転にも対応)。
#***地元民が原作読めば文章でここがどこって頭の中で風景描くことできるよ。
#***「光陽園」(こうようえん)なんて駅が出てくる時点で、「特に舞台設定はなかった」などという事は出来ない。
#**このサイトの[[神戸市|神戸]]の欄では、特に山手の住民はあまり関西弁を使わないというようなことが書かれていた。
#***そこまで細かなところまで設定されているとは思えない。
#**それって「[[らき☆すたファン|らき☆すた]]」は[[埼玉]]なのになんで関東弁喋ってないの?と聞くのと同じ。
#***あれは標準語ではなく関東弁。
#*鶴屋さんや、阪中といったお嬢様が出てくる。
#**なお、阪中が犬の散歩に使う道を推測すると、阪急芦屋川周辺の住宅街から夙川までとなり、あまりにも遠すぎる。
#**同じく、キョンがみくるの正体を知ったエピソードでの、北口から夙川までも遠い。
#***このことから、本当に歩いて聖地巡りをしようということは止した方がいい。最低でも自転車、もしくはバスを使うことが必須。
#****坂が多いので自転車は止めておいたほうが良い。
#*****北高生の間では登校・下校が登山・下山と言われるくらいキツイ
#***名目は「架空」とのことなので、実際の地理的に間違った所は数多い。芦屋川なんて苦楽園から直行した方が早いように思えるのだが。
#*北口駅付近は本物そっくり。
#**最近、駅前の公園が無くなった。
#*西宮北高の所在地は苦楽園で、実際の高校には隣接して苦楽園小学校と中学校があるんだが、なぜかその名前は甲陽園(光陽園)や夙川(祝川)と違って、捩ったものさえ作中に出てこない。
#**同じく近隣に位置し、関西屈指の進学校である甲陽学院高等学校も登場せず。一方で、山麓にある夙川学院中学校・高等学校は「光陽園学院」として登場。
#***恐らく谷川先生はその二つの高校をごっちゃしたのだと思われる。
#*この作品の影響で、西宮北口駅の通称を「北口駅」だと覚えてしまった人も少なくない。現実には上にもある通り「西北(の駅)」と呼ぶことが(若者中心に)多い。
#**昔から住んでいる地元民は西宮北口駅を「北口」と呼んでいる。「西北」と呼ぶのはよそ者か若者。
#実は「[[ジブリファン|火垂るの墓]]」の舞台でもあるが、影が薄れつつある(?)。
#*ニテコ池ですね。
#**他にも浜辺とか、夙川公園の南側。ハルヒの興隆前はこれ関係で訪れる人も目立っていた。まあ[[神戸市|神戸]]と折衷だが。
#*西宮市が舞台の火垂るの墓の60年後の現地は萌え要素が強い涼宮ハルヒの舞台。
#**夙川公園なんぞ、それ以外にも数多くの作品舞台になっている。たまたまこの2作品が目立っただけ。阪神間モダニズムの象徴だし。
#*夙川の川縁にそれ関係の石碑があった覚えがある。
#「白い巨塔」の財前の妻は夙川出身。原作では標準語混じりの中途半端な関西弁を使うから好かん、と父親(財前の舅)がこぼしている。
#[[高校野球ファン|高校野球]]を題材とした作品では当然西宮市はメインの扱いである(たとえば「大甲子園」は8割以上が西宮市が舞台になっている)。
#*しかし作者が無知だと、悪意がなくても甲子園球場が兵庫県西宮市にあることを忘れ、まるで大阪府大阪市にあるような描写をしてしまうこともある。無論、大阪市民の心の拠り所であることは事実なんだろうが…
#*高校野球が題材でも、地方予選突破がストーリーの中心ならばそうはならないけどね(2010年ヒットの『もしドラ』とかもそれ)。
#*というか、「高校野球の漫画」と聞いて多くの人が思い浮かべるであろう『タッチ』にも甲子園はほとんど登場しない。
#何故谷崎潤一郎の名作中の名作「細雪」が出て来ない?(お隣[[芦屋市]]が主な舞台だが、香櫨園とかも出ている。)
#*「芦屋の作品」というイメージが強過ぎるからではないかと…確かJR芦屋駅のスタンプの図面に採用されていた覚えが。
#阪急今津線を舞台とした作品も目立っているように思える。
#*後述するかんべむさし氏の「決戦・日本シリーズ」の他、有川浩氏の「阪急電車」も。
#**因みに「阪急電車」は阪急と関学が積極的に推しているため、平成の阪急文化を象徴する作品ともなりそうな気がする。
#***映画見たけど酷い作品だな。。脚本・構成・演出が素人レベル。昔の阪急ドラマみたい。


==西宮市と野球==
===電車===
※[[関西の野球事情]]も参照のこと。
====62系====
#[[阪神甲子園球場|甲子園球場]]が有る所ということが意外に認知されていない。
#72系970番台同様に新性能化改造を受けていた。
#*大阪ではなく西宮市にあることをアピールするため、高校野球の際に「ようこそ西宮へ」という人文字をやっているが、いまいち目だっていない
#*115系の区分番台が増える。
#*甲子園球場の所在地は、やはり[[大阪市]][[神戸市]]と勘違いする人が多い。
#*静岡地区の増発に回され、113系に編入していたかもしれない。その場合、119系が一時的に運用されることはなく、足を引っ張る存在になってしまうこともなかった。
#**西宮出身と紹介した人に、「甲子園球場がある西宮ですか?」って聞いたら、「そう!よく知ってるね。『西宮に甲子園がある』って言ってくれた人は君が初めてだよ!!」って言われた(2009年2月時点で20歳の人)。やはり大阪にあると勘違いされるようだ。
#JR化後にインバータクーラーが設置された。
#**大阪出身の人ですら、「西宮で野球を見る?[[野球場/旧本拠地#阪急西宮球場の噂|西宮球場]]に行くんですか?」と言う人も・・・(2009年元日の話)。もっと認知されるべき。
#*新性能化改造と同時に冷房化されていたかも。
#***いや、というか、普通に甲子園行くんやったら「甲子園で野球観る」って言うやろ。西宮って知っててもそう言うシチュエーションってない気がする。by元西宮市民(今は大阪市民やけど)
 
#**神戸には[[神戸総合運動公園野球場|コレ]]があって[[オリックス・バファローズ|阪急の後継球団]]本拠地としてまだ知られていたため、大阪のほうが多そう。それだけ[[大阪ドーム]]の印象が薄いということでもあるが。
====101系====
#*「大阪タイガース」から「[[阪神タイガース]]」に改称した際、特に喜んだのは神戸とここだと思う。「阪神間」という地域独自性が認められたようなものだし。
;山手線
#*[[阪神高速道路]]・[[名神高速道路]]における西宮市の案内標識を甲子園球場にしてアピールに必死ではあるが。
#103系の誕生が遅れていた。
#**[[中国自動車道]]にもある。しかも甲子園から10キロ以上離れた[[三田市]]や名塩に。
#山手線のラインカラーはそのまま黄色になっていた。
#*[[高校野球ファン|高校野球]]の場合、[[朝日放送]]などで「地元大阪の…」と報道されることが多い。
#そのまま201系が導入される。
#*最近は高校野球の開会・閉会の挨拶で「協力していただいた地元西宮の皆様」と言ってくれるのでちょっとうれしい。
 
#鳴尾というと西宮市民以外は阪神鳴尾浜球場を想像するが、阪神鳴尾駅周辺はごく普通の住宅街。
====103系====
#*ちなみに鳴尾浜球場は海の方にあるので、鳴尾駅からは相当離れている。
;大和路線・おおさか東線
#*武庫女も忘れずに。
#2019年以降も残っていた場合、[[おおさか東線]]新大阪延伸により[[新大阪駅]]まで乗り入れる姿が見られるようになっていた。
#*戦前は阪神競馬場の前身である鳴尾競馬場があった。
;JR東海車
#**その鳴尾競馬場は昔、鳴尾球場という野球場でもあった。それを移転させたのが甲子園球場。鳴尾の時代から中等学校野球の舞台になっていた。
#愛知万博輸送がラストランになっていた。
#*鳴尾浜に行くときは甲子園からバスで行くか武庫川団地前から歩いていった方がいい。
#名古屋の103系の知名度が上がっていた。
#**現在の鳴尾浜球場と、甲子園の前身である鳴尾球場はまったくの別物なんだが、混同されることがたまにある。
 
#プロ野球の球団が2つあった。オープン戦では両球団が対戦したことがあったが、日本シリーズで対戦したことは一度もなし。
====113系====
#*阪神タイガースと[[阪急ブレーブス]](現オリックスバファローズ)ですね。
;東海道本線(JR東日本)
#*ハヤカワ文庫 かんべむさし「決戦!日本シリーズ」ってのがあっただけど。通称「今津線シリーズ」。
#湘南電車という愛称はずっと消えなかった。
#*未だに西宮球場と阪急ブレーブスがあれば、上記の「涼宮ハルヒ」シリーズに何らかの形で出てきただろうに・・・。もったいない。
#国鉄時代ならSM分離を境に2000番台がもっと増備され、0番台グループは房総や西日本地区に史実よりも早く転用されていた。
#*西宮球場とブレーブスは、それぞれ甲子園球場とタイガースに対抗するため造ったとか。いずれも後者に及ぶことは出来なかったが。
#*2000番台の一部もロングシート化されていた。
#*スタジアム跡地に完成した阪急西宮ガーデンズの5階に、[[難波]]の[[野球場/旧本拠地#大阪スタヂアムの噂|大阪球場]]跡地に出来た商業施設(なんばパークス)を真似てか、鉄道兼球団の資料館が出来た。
#211系は一応導入されたが史実よりも本数が少なかったかも。
#**同じくホームベース跡もタイルで再現。
#2階建てグリーン車2両の編成も増えていた。
#*阪急球団があった頃、何回かこの「西宮ダービー」実現のチャンスが有ったはず。
 
#**今でもやってほしかったと思う人は多いはず。
;横須賀線・総武線快速
#[[読売ジャイアンツ]]のオフィシャルスポンサーである[[兵庫の食品会社#伊藤ハム|伊藤ハム]]は、この市に本社、[[神戸市]]に本店がある。
#2階建てグリーン車連結編成に統一されていたかも。
#市内の公立小学校の連合体育大会の会場が甲子園球場なので、誰でも一度は甲子園のグランドに立ったことがある。
#ATOS導入後も普通に営業についていた。
#*そして密かに砂を持ち帰るヤツがいるので、わざわざ”砂を持ち帰らないで”という内容のアナウンスが流れる。
#ひょっとしたら東海道本線よりも長く生き延びていたかも。
#*芝生を引きちぎってもって帰るヤツもおった。
#*東海道線にいたものが新車導入が史実よりも早く全て房総に移っていた。
#*で、ポケットに土を入れたあげく、ポケットの中が泥まみれになる、と言うオチがある。
#E217系との営業列車での併結運転が実現していたかもしれない。
#**整列時の立ち位置によりますよね。私は幸運にも砂の部分でした。
#1500番台を置き換えはE231系によって行われていた。
#*持って帰ったのが先生にバレると、その砂を持って謝りに行く。
 
#*中学でも連合体育大会がありました。他校が自分の学校名を人文字でやってくれると嬉しかった。
;成田線(我孫子支線)
#*小学校6年生の小連体、中学校3年間の中連体と4回チャンスがある。
#日中の常磐線乗り入れは史実ほど増えなかった。
#**来年から3年間小、中連体なくなりますby,中1
#他の房総各線と同時期に211系や209系に置き換えられた。
#甲子園球場という器があるせいか(昔は西宮球場も有った)、市民グランドは芝生も生えておらず、かなりしょぼい。
 
[[Category:中核市]]
;東海道本線(静岡地区)
[[Category:方角地名]]
#JR西日本を見習って延命工事をしていた。
[[Category:●宮]]
#*一部は313系に準じた車内に改装されていた。
#**体質改善の際にロングシートに改装されていたかも。
#313系と同じドアチャイムが後付された。
 
;関西本線・奈良線
#0'番台、2000番台が春日色になって更に高速化されて車番に+5000を追加されていた。
#*史実では存在しなかった春日色+鉄仮面の先頭車が出現した。
#2000番台の9割は体質改善工事が施工され、その際にカフェオレ色になっていた。
#単色化の際に春日色から抹茶色に塗り替えられていた。
#奈良線で複線化事業の際に、本形式も103系と共に騒音の原因であるとして速やかな置き換えを環境省から命令されていた。
#*故に103系同様に複線化完了より前に引退は迫られていたかも。
 
;福知山線
#新福知山色の800番台も魔緑に塗り替えられてしまった。
 
====165系・167系・169系====
;全般
#直流急行型電車の全廃は遅く2010年代中頃まであった。
#ハロウィン電車には165系湘南色が使われた。
 
;JR東日本車
#2007年のJR東日本20周年の時にもリバイバル急行が走っていた。
#*183系ととも臨時用に活躍。
#**全廃は2013年ごろ。
#しなの鉄道の169系との連結もあった。
 
;JR東海車
#全廃は快速ムーンライトながらの定期運転終了と同時。
#*快速ムーンライトながらに91・92号は登場しなかった。
 
;JR西日本車
#全廃は2018年の阪和線の新車導入時。
#福知山線事故後は新車が出るまでの輸送力増強編成に使われた。
#一部はJR西日本色になり後に単色になる。
#宮原車の場合、ちくま・くろよんの運転終了が史実より遅かった。
 
====157系====
#下降窓の保守がしっかりしていたらこうなっていた。
#*同じく下降窓を採用している阪急や近鉄の電車と比べられることはなかった。
#*205系まで下降窓導入が途絶えることはない。
#*急行型のグリーン車の窓の2段窓化もなかった。
#185系が登場するまで活躍していた。
#*185系は最初から回転クロスシートを採用していた。よって、「最悪の特急」と揶揄されることはなかった。
#「あまぎ」に183系が導入されることはなかった。
#クロ157形は157系全廃後は最初から185系に組み込まれていた。
#保存車両が存在していたかもしれない。
#一部の先頭車は前照灯がシールドビーム化された。
 
====0系====
:全般
#=新幹線がスピード主義にならなかったらである。
#史実で実現しなかった動態保存が実現していた。
#*実物として残っていない車両も何らかの形で動態保存していた。
 
;JR東海車
#4列普通車指定席が史実より長く残った。
#100系以降の新幹線にも4列普通車指定席が引き継がれる。
 
;JR西日本車
#100系の引退も史実より遅れる。
 
====201系====
;青梅線・五日市線
#四季彩以外も生き残っていた。
#四季彩の部品交換は中央線の廃車発生品を流用しての対応がなされた。
#将来の置き換えはE233系の新車導入ではなくE231系の転属の措置に。
 
====205系====
;山手線
#鉄オタから国鉄山手線と揶揄されていた。
#*JR時代に作られた車両の方が多いためそのように言う鉄オタを揶揄する鉄オタも出現していた。
#6ドア車のモニターも撤去されることなく続いていた。
;埼京線
#相鉄線直通に伴い2018年末〜2019年頃にVVVFに改造されていた。
#*内装もリニューアルし日光線のようなLCDがつけられていた。
#*リニューアルに伴い自動放送もつけられていた。
#*JR東日本は大規模リニューアルに消極的だからどうだろうか。VVVFが関の山じゃないかと。
#6ドア車は最後まで残るかどうかは微妙。
 
====100系====
;全般
#=新幹線がスピード主義にならなかったらである。
#新幹線食堂車・カフェテリア車の営業終了が現実より遅れて100系16両編成ラストランと同時だった。
#*もしかすると食堂車は日本の鉄道において今でも営業が盛んだったかもしれない。
 
;X編成
#整備が行き届いていたらもっと走れた。
#ラストラン時に2階建て車両のNSマークが復活。
 
;G編成
#カフェテリアが史実より長く営業した。
#*主に区間運転のひかりで営業。
 
;V編成
#東京-博多間運行のひかりの廃止が現実より遅れていた。
 
=====X編成=====
 
====209系====
=====0番台=====
;京浜東北線
#6ドア車はしぶとく残った。
#自動放送装置が後付された。
#行先表示器のLED化も施工された。
#座席のクッションの交換も行われていた。
 
;南武線
#E233系の置き換え対象にはならなかった。
#*8500番台は登場せず。
#自動放送装置の設置対象にもなっていた。
 
=====500番台=====
;京浜東北線
#209系0番台がE233系1000番台に置き換えられた時点で自動放送装置が設置されていた。
#*2013年ごろに中央総武緩行線所属車両共々更新工事が行われていた。
#E233系5000番台の製造分が増えていた。
#*現在京葉線に一編成だけ残っている209系500番台の代わりにE331系が現存…は流石にないか。
#武蔵野線の増発用としてE233系が新製投入されていたかもしれない。
 
====253系====
#183系や185系を置き換えていた。
#*踊り子にも導入されたら、平成の185系と揶揄されていたかもしれない。
#「あかぎ」に転用されていた。
#*したがって、あかぎに651系は投入されなかった。
#そのうち大修繕により255系と同様IGBT-VVVF換装され、しばらく故障と戦う日々を過ごしていた。
#小田急10000形の長野電鉄譲渡車が増えていた。
 
====E331系====
#増備はかなわずとも今もひっそり京葉線で余生を過ごしている。
#*209系500番台は完全に武蔵野線へ転用されていた。
#故障が少なければ最低でもこうなっていた。
#*経済の低迷さえなければ修理に着手することができていた。
 
====E351系====
#E353系電車は登場しなかったかもしくは、E257系電車を置き換えるために製造されていた。
#*登場した場合、E351系電車は特急「あずさ」、「かいじ」、「富士回遊」、「はちおうじ」、「おうめ」で運用されていた。
 
====785系NE1~5編成====
#さすがに3両編成に短縮して、史実で711系から気動車に置き換えられた室蘭本線室蘭~苫小牧間の普通列車用に転用されていた。
#*編成短縮がされなければ、789系1000番台の予備車となっていた。
#*むしろNE501・502編成が格下げ転用されており、撤去された運転台を復活させていた(こちらの方が編成を分けやすいため)。
#*気動車が捻出されるので一般形気動車の老朽化による不足は起きなかった。
#**この場合、キハ143形は他の非電化区間中心の運用に就いていた可能性もあった。
#「旭山動物園号」に改造されていた可能性もある。
 
===気動車===
====キハ01系====
#それでもワンマン運転は実現しなかった。
#特定地方交通線廃止時まで使われていた。
#国鉄の気動車がレールバス主体になったかは微妙。
 
====キハ81系====
#JRにも引き継がれた場合、JR東海に引き継がれた。
#*したがって交通科学博物館→京都鉄道博物館には保存されなかった。
#**リニア鉄道館で保存。
 
====キハ58系====
#ワンマン対応車が増えた。
#*西日本では急行形で唯一体質改善工事が行われていた。
 
====キハ82系====
;全般
#JRにも多くの車両が引き継がれる。
#キハ82系車内チャイム(ブラームスの子守唄・乙女の祈り・鉄道唱歌(キハ82系バージョン)・枯葉)の知名度が高くなっていた。
#*キハ82系以外の国鉄車両でもキハ82系車内チャイムと同じ曲の車内チャイムが使われていた。
#**場合によってはJR西日本辺りがキハ82系車内チャイムの電子音バージョンを作っていた。
 
;北海道
#JR北海道に多くの車両が引き継がれる。
#リバイバル運転に重宝していた。
#食堂車の廃止も遅れていた。
 
;ひだ・南紀
#キハ85系の登場が遅れていた。
 
;山陰特急
#JR西日本もキハ82系を保有していた。
 
====キハ110系300番台====
キハ110系300番台は「秋田リレー」用として廃止後は格下げされることを前提に製造されましたが、もし、格下げ改造されなかったら?
#「陸中」に転用されていた。
#*と同時に特急に格上げされていた。
#**JR東日本が地方交通線を主体とする特急の制定に意欲的だったらあり得た。
#**快速「はまゆり」に格下げされることはなかった。
#*JR東日本は非電化特急が育たないといわれることもなかった。
#*捻出した0番台は普通列車に転用され、キハ52・58系の置き換えに回していた。
#**盛岡地区の冷房化が遅れることもなかった。
#*「よねしろ」にも本形式が転用されており、同時に特急化していた。
#**ターゲットが通勤利用なので急行のままか定期券での利用もできるようにしていた。
#史実の転用先である飯山線には新車で置き換えていた。
#引退まで特急用で使うつもりだったら、窓割りの構造が若干変わっていた。
 
====キハ130形====
#キハ40系に置き換えられる異例の事態はなかった。
#キハ40系の老朽化は問題にならなかった。
<!--#香椎線からキハ200・220が撤退することもなかった。
#*JR北海道の車両なので関係ないと思うが。-->
 
====キサロハ182形550番代====
#「はまなす」に転用され、客車に改造されていた。
#一貫して特急専用で使用された場合は「オホーツク」あたりに転用されていた。
#*普通車個室は座席車に改造されていた。
 
===客車===
====50系====
;JRで長く使われていたら
#保線コストは高まっていた。
#筑豊線以外でも冷房化、内燃発電機搭載はされていた。
#電車、気動車化されても状態の良いものが残っていれば12系同様にSL列車の客車としても再活用されていた(こちらは当然レッドトレインのままで)。
#12系と14系座席車の多くは大規模更新を受け,長期にわたり活躍できた。
#運用の効率化を図る為にプッシュプル運転が導入され、運転台付きの改造車が登場していた
 
==私鉄==
===秩父鉄道===
====2000系====
#編成の長さからラッシュ時の運用に重宝していた。
#冷房化くらいはされていた。
#7500系導入と同時期に置き換えられていた。
 
===東武鉄道===
====1700系====
1720系と同種の車体に載せ替えられなかったら?
#5700系を置き換えていた。
#快速急行だいや・おじかの運用についていた。
#*遜色急行扱いされることはなかった。
#200系は7編成、250系は3編成の陣容となっていた。
#*250系は当初から完全新造車として計画されていた。
#*いや、1700系も機器は1720系と同じだからこれは史実と変わらないかも。
 
====1800系通勤転用車====
#館林地区のワンマン化が行われていなければこうなっていた。
#*800、850系は存在しなかった。
#2010年代まで活躍していた。
#*時期によっては20400型が館林地区にも投入されていたかも。
 
====2000・2080系====
#最終増備車くらいは生き残っていた。
#2080系への改造数も増えていた。
#2000系も他の鋼製通勤車と同じカラーリングに変更されていた。
#短編成化の上、支線に転用されていた。
#*3000系の置き換えに回していた。
#*その際下記の上毛電気鉄道譲渡が実現したかも。冷房化も下記のように。東武本体で2010年代前半まで現役かも。
#2000系は8000系と同様に前面も改修されていた。
#上毛電気鉄道には2000系が譲渡された。車内外のスペースの制約から,冷房装置は連結面に設置された(福島交通7000系と同じ)。
#*↑は2010年代後半まで現役かも。その置き換え用に10000系2両編成が譲渡される。京王3000系は入線しない。
#3000系列・5000系列は1990年代に全廃できた。
 
===西武鉄道===
====旧101系====
#9000系は登場しなかった。
#*10000系はVVVFインバータ制御で新造されていた(発電ブレーキ付)。
#LED行先表示器搭載編成も登場。
#末期は各駅停車専用車両になった。
#分散冷房車もまだ生きていたかも。
#*あるいは171〜181F全編成が175F、177Fのスタイルに改造されていたかも。
#**客ドア交換(3000系タイプへ)はそのグループにも施されていた。
#多摩湖線の351系の引退も早まっていたかも。
#黄色一色化は史実通り行われた。
 
===東京都交通局===
 
====8000系====
#「=都電全廃の構想が存在しなかったら」。
#それでも車体更新は避けられなかったと見られる。
#7500系の引退が早まっていた。
#*そもそも製造されてなかったのでは?。8000形の改善版の様な車両なので。
 
====10-300R形====
#先頭車は車齢が若いので老朽化した中間車は代替新製されていた。
#10両編成化されていた。
 
===京成電鉄===
====AE形(初代)====
#AE100形の製造数が減っていた。
#3400形は登場しなかった。
#2代目AE形の登場と同時期に置き換えられていた。
 
====AE100形====
#都が難色を示していなかったら都営地下鉄乗り入れが実現していた。
#シティライナーは廃止されなかった。
 
===東京急行電鉄===
====デハ200形====
#それでも玉川線・砧線廃止時に一部車両は廃車された。
#代わりにデハ70形の一部車両が玉川線・砧線廃止時に廃車されていた。
#塗装が緑一色になるため愛称が「ピーマン」あたりに変わっていた。
#*屋根に付いていた標識灯も撤去されるためよりそれっぽい顔つきになっていた。
#**青ガエルミニの方がありそう。
#鉄道ファン団体などによる貸し切り運転ではこの形式が指名されることも多かった。
#特殊な構造が災いし300系登場までは生き延びられなかったと思われる。
#*最後まで運用されていた編成は引退間際にデビュー当時のツートンカラーに戻されていた。
 
====9000系====
現役車両ですが、東横線に残留し続けていたら?
#副都心線に乗り入れない運用についていた。
#*サークルKステッカーならぬサークルFステッカーが張られていた。
#*どちらにせよ相鉄直通開始までには2020系の東横線版(4020系?)によって置き換えられていた。
#大井町線への転出に際して持て余した中間車に廃車が出ることはなかった。
#*よって、8090系が玉突きで廃車になることもなかった。
#5050系の製造数が減っていた。
#*その分、5000系は当初の予定通りの本数で製造されていた。
#そもそも、東急は東横線の車種統一に力を入れていなかったらこうなっていた。
 
===小田急電鉄===
====2320形====
*通勤車への改造がなかったら?
#準特急廃止後もそのままの形で急行に転用されていた。
#*箱根湯本行き急行にはこの形式が使われていた。
#2400形は2ドアクロスシートで製造されていた。
#*史実における東武6000/6050系のような存在になっていた。
#いずれにしろ、ラッシュ時には不向きな構造なので1980年代に入ると淘汰の対象になっていた。
#*多摩線で余生を送ったかも。
#*むしろセミクロスシートのまま富士急行に譲渡され、5000系と比較されていた。
 
===長野電鉄===
====10系====
#=木島線が廃止されなかったらである。
#冷房化、ワンマン化くらいはされていた。
 
===名古屋鉄道===
====5000系・5200系====
#冷房化できたら残っていた。
#*5000系の場合同じ湘南2枚窓で冷房化した南海ヒゲ新・丸ズームと比較されることもなかった。
#**路面電車用クーラーで冷房化。
#***1998年から廃車がスタートとして2000年に全廃。
#****5000系・5200系を先に廃車しなければならないため名鉄7000系・7500系の廃車が遅れていた。
#5300系は登場しなかった。
 
====8800系====
#リニューアルが行われた。
#座れる通勤電車がブームになると松井玲奈氏が「日本一豪華な座れる通勤電車」と言っていた。
#ほかの編成が一部特別車になる中で異彩を放っていた。
#名鉄の特急政策の見直しが行われるとデラックス料金が復活。
#*内装も登場時以上に豪華になった。
 
====1000系全車特別車編成・1600系====
#=特急政策の見直しがなかったら、である。
#当然、5000系(2代目)と1700系は存在しない。
#*5000系が登場しない代わりに3300系が更に増備されていた。
#西尾線や津島線では今でも昼間も特急が走っている。勿論全車特別車で。
#*犬山線や河和、知多新線の特急も今も多くが全車特別車。
#輸送力増強のために1600系は4両に増結されていたかも。
#1000系は2015年頃よりリニューアルが始まっていた。
#*内外装は1200系と同様のものになっていた。
 
====3700系 (初代)====
#名鉄の通勤型車両は20m4ドアが主流になっていた。
#当車両がはいれるよう改良工事が行われた事により、キハ8000は国鉄と規格を合わせることができた。
#100・200・300系の車両番号が大きく違う。
 
====7000系====
#かつての3400系(いもむし)のように動態保存車両として1編成だけ残されていた。
#*できるだけ登場当初の姿に近づける復元が行われていた。
#*基本的にはフェニックスエンブレムを掲出して走行するが、たまに逆さ富士行き先表示器を取り付けたりその上で白帯を巻いたりしていた。
#本線で運転される機会は多くなかった。
#*津島線や広見線、各務原線が主な運用線区となっていたか。
#*運行は土休日や長期休暇期が中心となる。
#場合によっては往年のミュージックホーンを鳴らすこともあった。
 
===近畿日本鉄道===
====400系====
#冷房化・後にカルダン化していた。
 
====800系・880系====
#冷房していたら残っていた。
#*名鉄5000系と同様、同じ湘南2枚窓で冷房化した南海ヒゲ新・丸ズームと比較されることもなかった。
#**バス用クーラーで冷房化していた。バス用クーラーは三重交通・奈良交通の廃車バスからの発生品。
#**860系と同様、ワンマン化していた。
#**800系として残った編成も冷房化。
#**820系として残った編成も820系時代に冷房化。
#**それでも800系は2001年に全廃。880系は2002年には全廃。
#***同時に史実で1993年まで820系として残った車両が2002年に伊賀線に転属。
#****廃車理由は5820系・9820系・9020系の増備が進んだのが理由。
 
====2600系====
#B更新でロングシート化あるいはL/Cカー化が行われていた。
#2021年現在も現役。
#*廃車は2410・2430系と同時期あるいはそれより後になっていた。
#主に伊勢方面への長距離急行に運用されているが、2両に1ヶ所トイレがあるので団体用としても重宝されていた。
#*あるいは2410・2430系とトレードしてトイレ付き編成の増加を図っていた可能性もある。
 
====3000系====
#恐らく[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/関西私鉄#3000系界磁位相制御車改造|界磁位相制御車に改造されていた。]]
#*あるいはVVVF制御に改造されていた。
#8000系列と完全に共通運用となり、奈良線への入線も果たしていた。
 
====10100系====
#30000系は登場しなかった。
#アーバンライナー登場とともに置き換えられていた。
#*したがって、アーバンライナーに2階建て車両が連結されていた。
#2000系は完全新造車だった。
#1980年代初頭にリクライニングシート化などのリニューアル工事が行われていた。
#*同時に前面・側面の行先表示器取り付けも行われている。
#*冷房装置も先頭車はサニーカーと同じものが屋根上に設置され、2階建て中間車の冷房も高性能で小型軽量のものに交換されていた。
 
====20100系====
#冷房化が可能だったら残っていた。
#18200系は20100系の補充用の団体用だった。
#*したがって18400系の18409Fの団体用格下げはなかった。
#*楽は登場しなかった。
#**15200系登場と同時に廃車。
 
====18000系====
#さすがに高性能化改造くらいはされていた。
#18400系とともに廃車となっていた。
#南大阪線6800系の台車・モーターと交換して伊賀線へ投入し、同線に有料特急が設定されそれに運用されていた可能性もある。
 
====10400系====
#2001年まで残っていた。
#*10100系と同様、前面・側面の行き先表示機取り付けが行われていた。
#*座席もリクライニングシートに交換されている。
#1980年代に2回目の更新工事が行われ、中間運転台の撤去が行われていた。
 
====11400系====
#2002年まで残っていた。
#*12000系・12200系・18400系の廃車はその後だった。
 
====12000系・12200系・18400系(特急マーク車両)====
*もし特急マーク車両が遅くまで残っていたら。
#2004年まで持ちこたえた場合、21020系か22000系がもっと多く製造された。
#*末期は阪奈特急・京奈特急・京橿特急メインで運用。
 
===京阪電気鉄道===
====1800系(初代)====
*1800系(2代)への改造がなかったら
#昇圧直前まで使用されていた。
#*昇圧で6000系に置き換えられていた。
#**その分6000系の製造両数が増えていた。逆に2600系30番台は減っていた。
 
====1800系(2代)====
#1900系と同時期に冷房改造されていた。
#*1900系・2200系と同じく制御装置の1M8C化などの改造が行われていた。
#最終的には7連×2本に編成替えされている。
#廃車は2000年代になってからだった。
#*代替車両として[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/関西私鉄#10000系7両編成|これ]]が実現していた。
#6000系の製造両数が2編成減っていた。
#*京阪におけるVVVF車の導入が少し遅れていた。
#*6000系顔の7000系や7000系顔の6000系は登場しなかった。
 
====2200系2380形====
#2200系の8連は現在に至るまで存在している。
#*あるいは経年が近い2600系30番台に組み込まれ、こちらが8連化されていた。
#代わりに6000系のうち何編成かが7連化されていた。
#*余った中間車は新造の13000系に組み込まれるか10000系の編成替えに使われていた。
 
====3000系(初代)====
*8000系導入後も継続使用される予定でした。
#流石に見劣りは否めないので大規模な更新工事が行われていた。
#富山地方鉄道、大井川鉄道への譲渡車はなかった。
#*富山地鉄へは阪急2800系が譲渡されていた。
#2008年まで使用され、今頃は2代目3000系に置き換えられていた。
#*2代目3000系はむしろ、特急用として製造された。したがって快速急行には9000系が充てられていた。
 
====9000系====
*現役車両ですが、ロングシート改造がなかったら?
#快速急行に充当されていた。
#2代目3000系は導入されなかった。
#*13000系が2008年頃導入される。
#一部の車両が10000系に編入されることはなかった。
#中之島線開通に伴う塗装変更ではこの車両は青系の塗装になっていた。
 
===阪急電鉄===
====2800系====
#前面・側面の電動式方向幕取り付けや車体内外の更新工事が行われていた。
#*特に前面は6000系と同タイプになっていた。
#**電気式ブレーキがこの際導入。2000系列・2300系以降の更新工事で導入される。車番変更は避けられない筈。
#***完全に中間車化された車もある。
#2300系と同じく界磁チョッパ制御に更新されていた。
#2300系の引退が早まっていた。
#*2300系更新車の数が少ない。
#富山地鉄への譲渡話は出なかった。
#*1990年頃に引退が進めば実現したかもしれない。
#格下げ改造がなかったら6300系は登場しなかった。
#*6300系は6000系同様の車内外で登場した。6330系ではなく,7300系8両編成が1編成多く製造された。
#**↑走行機器は別会社製。
#8300系登場とともに置き換えられ、8300系はオール転換クロスシートで製造されていた。
#**8000系転換クロスシート車も現実以上に造られた。8300系列のオールロングシート車両はそれでも存在か。
#2001年頃に引退していた可能性が高い。
#*1980年代のうちに定期特急運用から外れたであろう。
#6300系電車と同様に嵐山線で運用されていた。
#*そうならず廃車になった車も多い。1990年頃に引退が進めば。
#*その代わりに、京都線・千里線では、史実よりも早く7両編成or8両編成で運行されていた。
#**1990年頃に京都本線・千里線の普通車の8両運転が開始される。優等列車の10両編成の本数は現実より多い。
 
====5200系====
#前面が6000系と同タイプに改造されていた。
#3000系の引退は史実より早かった。
#21世紀になって5000系と同様のリニューアル工事が行われていた。
#能勢電鉄に譲渡されていた可能性もある。
 
====6300系(6330F)====
#「京とれいん」にはこの編成が改造されていた。
#*7300系と同性能なので、最高115km/h運転も可能になっていた。
#*それでも余剰となった中間車2両は京とれいんへの改造と同時に廃車されていた。
#もしかしたら、「京とれいん」の2編成目として、史実より早く導入されていた可能性もある。(実史では、7000系から捻出)
 
===阪神電鉄===
====3801・3901形(第1編成)====
#=脱線事故がなかったらである。
#8701・8801・8901形がもう1本登場していた。
#*7890・7990形電車は登場しなかった。
#*電動車が不足するので、一部のTc車が中間車化と同時に電装化されていた。場合によってはVVVFインバータ制御の試作車となっていたかも。
 
===南海電気鉄道===
====20000系電車====
*当初は更新工事を実施して、延命を行う予定でしたが、30000系電車の新造により、断念しました。
#3000系電車の登場は史実通りだが、予備車として、臨時列車や30000系電車が定期検査を受けているときに運行されていた。
#1999年に31000系電車の登場を機に廃車となっていたか。
#みさき公園に設置されることはなかった。
 
===西日本鉄道===
====8000形====
#2020年代に入って有料座席指定列車に充当される計画が出ていた。
#2010年代に入ってリニューアル工事が行われていた。
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 鉄道史|あのてつとうしやりようかもつとなかくつかわれていたら]]
[[カテゴリ:鉄道車両|もしもつとなかくつかわれていたら]]

2021年5月5日 (水) 11:55時点における版

  • 新規追加は国鉄・JRは車種別に形式が若い順に、私鉄は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。

国鉄・JR

機関車

DD54形

  1. =欠陥がなかったらである。
  2. 国鉄末期まで運用されていた。
  3. DD51の製造数が減っていた。

EF510形

500番台
JR東日本
  1. 事業用車として活用された。
    • 名鉄EL120と比較される。
      • 自社のEF60・EF64・EF65・EF81・ED75は史実より早く全廃できた。
        • 一部車両のJR貨物譲渡は現実通りあった。
    • 0番台の製造数がその分増えている。
    • JR東日本残存車は電車兼引用装備(連結器の双頭連結器への変更など)がされた。
    • 「カシオペアクルーズ」・「カシオペア紀行」の牽引にEF64・EF81が使用されなかった。
      • SL関連列車の牽引にも使用。
  2. 勿論2024年度事業用機関車全廃の発表はなかった。
    • キヤE195・GV-E197・E493系の導入もない。
      • DE10・DD11・DD16・DD51の置き換え用にDD200を導入していたかも(保安装置など一部機器類はEF510-500JR東日本車と同様に自社仕様)。
    • 国鉄時代から使用されたバラスト輸送貨車・レール輸送貨車の代替車にEF510-500・DD200自社保有車から制御可能な引通し線が設置される(プッシュプル運転にも対応)。

電車

62系

  1. 72系970番台同様に新性能化改造を受けていた。
    • 115系の区分番台が増える。
    • 静岡地区の増発に回され、113系に編入していたかもしれない。その場合、119系が一時的に運用されることはなく、足を引っ張る存在になってしまうこともなかった。
  2. JR化後にインバータクーラーが設置された。
    • 新性能化改造と同時に冷房化されていたかも。

101系

山手線
  1. 103系の誕生が遅れていた。
  2. 山手線のラインカラーはそのまま黄色になっていた。
  3. そのまま201系が導入される。

103系

大和路線・おおさか東線
  1. 2019年以降も残っていた場合、おおさか東線新大阪延伸により新大阪駅まで乗り入れる姿が見られるようになっていた。
JR東海車
  1. 愛知万博輸送がラストランになっていた。
  2. 名古屋の103系の知名度が上がっていた。

113系

東海道本線(JR東日本)
  1. 湘南電車という愛称はずっと消えなかった。
  2. 国鉄時代ならSM分離を境に2000番台がもっと増備され、0番台グループは房総や西日本地区に史実よりも早く転用されていた。
    • 2000番台の一部もロングシート化されていた。
  3. 211系は一応導入されたが史実よりも本数が少なかったかも。
  4. 2階建てグリーン車2両の編成も増えていた。
横須賀線・総武線快速
  1. 2階建てグリーン車連結編成に統一されていたかも。
  2. ATOS導入後も普通に営業についていた。
  3. ひょっとしたら東海道本線よりも長く生き延びていたかも。
    • 東海道線にいたものが新車導入が史実よりも早く全て房総に移っていた。
  4. E217系との営業列車での併結運転が実現していたかもしれない。
  5. 1500番台を置き換えはE231系によって行われていた。
成田線(我孫子支線)
  1. 日中の常磐線乗り入れは史実ほど増えなかった。
  2. 他の房総各線と同時期に211系や209系に置き換えられた。
東海道本線(静岡地区)
  1. JR西日本を見習って延命工事をしていた。
    • 一部は313系に準じた車内に改装されていた。
      • 体質改善の際にロングシートに改装されていたかも。
  2. 313系と同じドアチャイムが後付された。
関西本線・奈良線
  1. 0'番台、2000番台が春日色になって更に高速化されて車番に+5000を追加されていた。
    • 史実では存在しなかった春日色+鉄仮面の先頭車が出現した。
  2. 2000番台の9割は体質改善工事が施工され、その際にカフェオレ色になっていた。
  3. 単色化の際に春日色から抹茶色に塗り替えられていた。
  4. 奈良線で複線化事業の際に、本形式も103系と共に騒音の原因であるとして速やかな置き換えを環境省から命令されていた。
    • 故に103系同様に複線化完了より前に引退は迫られていたかも。
福知山線
  1. 新福知山色の800番台も魔緑に塗り替えられてしまった。

165系・167系・169系

全般
  1. 直流急行型電車の全廃は遅く2010年代中頃まであった。
  2. ハロウィン電車には165系湘南色が使われた。
JR東日本車
  1. 2007年のJR東日本20周年の時にもリバイバル急行が走っていた。
    • 183系ととも臨時用に活躍。
      • 全廃は2013年ごろ。
  2. しなの鉄道の169系との連結もあった。
JR東海車
  1. 全廃は快速ムーンライトながらの定期運転終了と同時。
    • 快速ムーンライトながらに91・92号は登場しなかった。
JR西日本車
  1. 全廃は2018年の阪和線の新車導入時。
  2. 福知山線事故後は新車が出るまでの輸送力増強編成に使われた。
  3. 一部はJR西日本色になり後に単色になる。
  4. 宮原車の場合、ちくま・くろよんの運転終了が史実より遅かった。

157系

  1. 下降窓の保守がしっかりしていたらこうなっていた。
    • 同じく下降窓を採用している阪急や近鉄の電車と比べられることはなかった。
    • 205系まで下降窓導入が途絶えることはない。
    • 急行型のグリーン車の窓の2段窓化もなかった。
  2. 185系が登場するまで活躍していた。
    • 185系は最初から回転クロスシートを採用していた。よって、「最悪の特急」と揶揄されることはなかった。
  3. 「あまぎ」に183系が導入されることはなかった。
  4. クロ157形は157系全廃後は最初から185系に組み込まれていた。
  5. 保存車両が存在していたかもしれない。
  6. 一部の先頭車は前照灯がシールドビーム化された。

0系

全般
  1. =新幹線がスピード主義にならなかったらである。
  2. 史実で実現しなかった動態保存が実現していた。
    • 実物として残っていない車両も何らかの形で動態保存していた。
JR東海車
  1. 4列普通車指定席が史実より長く残った。
  2. 100系以降の新幹線にも4列普通車指定席が引き継がれる。
JR西日本車
  1. 100系の引退も史実より遅れる。

201系

青梅線・五日市線
  1. 四季彩以外も生き残っていた。
  2. 四季彩の部品交換は中央線の廃車発生品を流用しての対応がなされた。
  3. 将来の置き換えはE233系の新車導入ではなくE231系の転属の措置に。

205系

山手線
  1. 鉄オタから国鉄山手線と揶揄されていた。
    • JR時代に作られた車両の方が多いためそのように言う鉄オタを揶揄する鉄オタも出現していた。
  2. 6ドア車のモニターも撤去されることなく続いていた。
埼京線
  1. 相鉄線直通に伴い2018年末〜2019年頃にVVVFに改造されていた。
    • 内装もリニューアルし日光線のようなLCDがつけられていた。
    • リニューアルに伴い自動放送もつけられていた。
    • JR東日本は大規模リニューアルに消極的だからどうだろうか。VVVFが関の山じゃないかと。
  2. 6ドア車は最後まで残るかどうかは微妙。

100系

全般
  1. =新幹線がスピード主義にならなかったらである。
  2. 新幹線食堂車・カフェテリア車の営業終了が現実より遅れて100系16両編成ラストランと同時だった。
    • もしかすると食堂車は日本の鉄道において今でも営業が盛んだったかもしれない。
X編成
  1. 整備が行き届いていたらもっと走れた。
  2. ラストラン時に2階建て車両のNSマークが復活。
G編成
  1. カフェテリアが史実より長く営業した。
    • 主に区間運転のひかりで営業。
V編成
  1. 東京-博多間運行のひかりの廃止が現実より遅れていた。
X編成

209系

0番台
京浜東北線
  1. 6ドア車はしぶとく残った。
  2. 自動放送装置が後付された。
  3. 行先表示器のLED化も施工された。
  4. 座席のクッションの交換も行われていた。
南武線
  1. E233系の置き換え対象にはならなかった。
    • 8500番台は登場せず。
  2. 自動放送装置の設置対象にもなっていた。
500番台
京浜東北線
  1. 209系0番台がE233系1000番台に置き換えられた時点で自動放送装置が設置されていた。
    • 2013年ごろに中央総武緩行線所属車両共々更新工事が行われていた。
  2. E233系5000番台の製造分が増えていた。
    • 現在京葉線に一編成だけ残っている209系500番台の代わりにE331系が現存…は流石にないか。
  3. 武蔵野線の増発用としてE233系が新製投入されていたかもしれない。

253系

  1. 183系や185系を置き換えていた。
    • 踊り子にも導入されたら、平成の185系と揶揄されていたかもしれない。
  2. 「あかぎ」に転用されていた。
    • したがって、あかぎに651系は投入されなかった。
  3. そのうち大修繕により255系と同様IGBT-VVVF換装され、しばらく故障と戦う日々を過ごしていた。
  4. 小田急10000形の長野電鉄譲渡車が増えていた。

E331系

  1. 増備はかなわずとも今もひっそり京葉線で余生を過ごしている。
    • 209系500番台は完全に武蔵野線へ転用されていた。
  2. 故障が少なければ最低でもこうなっていた。
    • 経済の低迷さえなければ修理に着手することができていた。

E351系

  1. E353系電車は登場しなかったかもしくは、E257系電車を置き換えるために製造されていた。
    • 登場した場合、E351系電車は特急「あずさ」、「かいじ」、「富士回遊」、「はちおうじ」、「おうめ」で運用されていた。

785系NE1~5編成

  1. さすがに3両編成に短縮して、史実で711系から気動車に置き換えられた室蘭本線室蘭~苫小牧間の普通列車用に転用されていた。
    • 編成短縮がされなければ、789系1000番台の予備車となっていた。
    • むしろNE501・502編成が格下げ転用されており、撤去された運転台を復活させていた(こちらの方が編成を分けやすいため)。
    • 気動車が捻出されるので一般形気動車の老朽化による不足は起きなかった。
      • この場合、キハ143形は他の非電化区間中心の運用に就いていた可能性もあった。
  2. 「旭山動物園号」に改造されていた可能性もある。

気動車

キハ01系

  1. それでもワンマン運転は実現しなかった。
  2. 特定地方交通線廃止時まで使われていた。
  3. 国鉄の気動車がレールバス主体になったかは微妙。

キハ81系

  1. JRにも引き継がれた場合、JR東海に引き継がれた。
    • したがって交通科学博物館→京都鉄道博物館には保存されなかった。
      • リニア鉄道館で保存。

キハ58系

  1. ワンマン対応車が増えた。
    • 西日本では急行形で唯一体質改善工事が行われていた。

キハ82系

全般
  1. JRにも多くの車両が引き継がれる。
  2. キハ82系車内チャイム(ブラームスの子守唄・乙女の祈り・鉄道唱歌(キハ82系バージョン)・枯葉)の知名度が高くなっていた。
    • キハ82系以外の国鉄車両でもキハ82系車内チャイムと同じ曲の車内チャイムが使われていた。
      • 場合によってはJR西日本辺りがキハ82系車内チャイムの電子音バージョンを作っていた。
北海道
  1. JR北海道に多くの車両が引き継がれる。
  2. リバイバル運転に重宝していた。
  3. 食堂車の廃止も遅れていた。
ひだ・南紀
  1. キハ85系の登場が遅れていた。
山陰特急
  1. JR西日本もキハ82系を保有していた。

キハ110系300番台

キハ110系300番台は「秋田リレー」用として廃止後は格下げされることを前提に製造されましたが、もし、格下げ改造されなかったら?

  1. 「陸中」に転用されていた。
    • と同時に特急に格上げされていた。
      • JR東日本が地方交通線を主体とする特急の制定に意欲的だったらあり得た。
      • 快速「はまゆり」に格下げされることはなかった。
    • JR東日本は非電化特急が育たないといわれることもなかった。
    • 捻出した0番台は普通列車に転用され、キハ52・58系の置き換えに回していた。
      • 盛岡地区の冷房化が遅れることもなかった。
    • 「よねしろ」にも本形式が転用されており、同時に特急化していた。
      • ターゲットが通勤利用なので急行のままか定期券での利用もできるようにしていた。
  2. 史実の転用先である飯山線には新車で置き換えていた。
  3. 引退まで特急用で使うつもりだったら、窓割りの構造が若干変わっていた。

キハ130形

  1. キハ40系に置き換えられる異例の事態はなかった。
  2. キハ40系の老朽化は問題にならなかった。

キサロハ182形550番代

  1. 「はまなす」に転用され、客車に改造されていた。
  2. 一貫して特急専用で使用された場合は「オホーツク」あたりに転用されていた。
    • 普通車個室は座席車に改造されていた。

客車

50系

JRで長く使われていたら
  1. 保線コストは高まっていた。
  2. 筑豊線以外でも冷房化、内燃発電機搭載はされていた。
  3. 電車、気動車化されても状態の良いものが残っていれば12系同様にSL列車の客車としても再活用されていた(こちらは当然レッドトレインのままで)。
  4. 12系と14系座席車の多くは大規模更新を受け,長期にわたり活躍できた。
  5. 運用の効率化を図る為にプッシュプル運転が導入され、運転台付きの改造車が登場していた

私鉄

秩父鉄道

2000系

  1. 編成の長さからラッシュ時の運用に重宝していた。
  2. 冷房化くらいはされていた。
  3. 7500系導入と同時期に置き換えられていた。

東武鉄道

1700系

1720系と同種の車体に載せ替えられなかったら?

  1. 5700系を置き換えていた。
  2. 快速急行だいや・おじかの運用についていた。
    • 遜色急行扱いされることはなかった。
  3. 200系は7編成、250系は3編成の陣容となっていた。
    • 250系は当初から完全新造車として計画されていた。
    • いや、1700系も機器は1720系と同じだからこれは史実と変わらないかも。

1800系通勤転用車

  1. 館林地区のワンマン化が行われていなければこうなっていた。
    • 800、850系は存在しなかった。
  2. 2010年代まで活躍していた。
    • 時期によっては20400型が館林地区にも投入されていたかも。

2000・2080系

  1. 最終増備車くらいは生き残っていた。
  2. 2080系への改造数も増えていた。
  3. 2000系も他の鋼製通勤車と同じカラーリングに変更されていた。
  4. 短編成化の上、支線に転用されていた。
    • 3000系の置き換えに回していた。
    • その際下記の上毛電気鉄道譲渡が実現したかも。冷房化も下記のように。東武本体で2010年代前半まで現役かも。
  5. 2000系は8000系と同様に前面も改修されていた。
  6. 上毛電気鉄道には2000系が譲渡された。車内外のスペースの制約から,冷房装置は連結面に設置された(福島交通7000系と同じ)。
    • ↑は2010年代後半まで現役かも。その置き換え用に10000系2両編成が譲渡される。京王3000系は入線しない。
  7. 3000系列・5000系列は1990年代に全廃できた。

西武鉄道

旧101系

  1. 9000系は登場しなかった。
    • 10000系はVVVFインバータ制御で新造されていた(発電ブレーキ付)。
  2. LED行先表示器搭載編成も登場。
  3. 末期は各駅停車専用車両になった。
  4. 分散冷房車もまだ生きていたかも。
    • あるいは171〜181F全編成が175F、177Fのスタイルに改造されていたかも。
      • 客ドア交換(3000系タイプへ)はそのグループにも施されていた。
  5. 多摩湖線の351系の引退も早まっていたかも。
  6. 黄色一色化は史実通り行われた。

東京都交通局

8000系

  1. 「=都電全廃の構想が存在しなかったら」。
  2. それでも車体更新は避けられなかったと見られる。
  3. 7500系の引退が早まっていた。
    • そもそも製造されてなかったのでは?。8000形の改善版の様な車両なので。

10-300R形

  1. 先頭車は車齢が若いので老朽化した中間車は代替新製されていた。
  2. 10両編成化されていた。

京成電鉄

AE形(初代)

  1. AE100形の製造数が減っていた。
  2. 3400形は登場しなかった。
  3. 2代目AE形の登場と同時期に置き換えられていた。

AE100形

  1. 都が難色を示していなかったら都営地下鉄乗り入れが実現していた。
  2. シティライナーは廃止されなかった。

東京急行電鉄

デハ200形

  1. それでも玉川線・砧線廃止時に一部車両は廃車された。
  2. 代わりにデハ70形の一部車両が玉川線・砧線廃止時に廃車されていた。
  3. 塗装が緑一色になるため愛称が「ピーマン」あたりに変わっていた。
    • 屋根に付いていた標識灯も撤去されるためよりそれっぽい顔つきになっていた。
      • 青ガエルミニの方がありそう。
  4. 鉄道ファン団体などによる貸し切り運転ではこの形式が指名されることも多かった。
  5. 特殊な構造が災いし300系登場までは生き延びられなかったと思われる。
    • 最後まで運用されていた編成は引退間際にデビュー当時のツートンカラーに戻されていた。

9000系

現役車両ですが、東横線に残留し続けていたら?

  1. 副都心線に乗り入れない運用についていた。
    • サークルKステッカーならぬサークルFステッカーが張られていた。
    • どちらにせよ相鉄直通開始までには2020系の東横線版(4020系?)によって置き換えられていた。
  2. 大井町線への転出に際して持て余した中間車に廃車が出ることはなかった。
    • よって、8090系が玉突きで廃車になることもなかった。
  3. 5050系の製造数が減っていた。
    • その分、5000系は当初の予定通りの本数で製造されていた。
  4. そもそも、東急は東横線の車種統一に力を入れていなかったらこうなっていた。

小田急電鉄

2320形

  • 通勤車への改造がなかったら?
  1. 準特急廃止後もそのままの形で急行に転用されていた。
    • 箱根湯本行き急行にはこの形式が使われていた。
  2. 2400形は2ドアクロスシートで製造されていた。
    • 史実における東武6000/6050系のような存在になっていた。
  3. いずれにしろ、ラッシュ時には不向きな構造なので1980年代に入ると淘汰の対象になっていた。
    • 多摩線で余生を送ったかも。
    • むしろセミクロスシートのまま富士急行に譲渡され、5000系と比較されていた。

長野電鉄

10系

  1. =木島線が廃止されなかったらである。
  2. 冷房化、ワンマン化くらいはされていた。

名古屋鉄道

5000系・5200系

  1. 冷房化できたら残っていた。
    • 5000系の場合同じ湘南2枚窓で冷房化した南海ヒゲ新・丸ズームと比較されることもなかった。
      • 路面電車用クーラーで冷房化。
        • 1998年から廃車がスタートとして2000年に全廃。
          • 5000系・5200系を先に廃車しなければならないため名鉄7000系・7500系の廃車が遅れていた。
  2. 5300系は登場しなかった。

8800系

  1. リニューアルが行われた。
  2. 座れる通勤電車がブームになると松井玲奈氏が「日本一豪華な座れる通勤電車」と言っていた。
  3. ほかの編成が一部特別車になる中で異彩を放っていた。
  4. 名鉄の特急政策の見直しが行われるとデラックス料金が復活。
    • 内装も登場時以上に豪華になった。

1000系全車特別車編成・1600系

  1. =特急政策の見直しがなかったら、である。
  2. 当然、5000系(2代目)と1700系は存在しない。
    • 5000系が登場しない代わりに3300系が更に増備されていた。
  3. 西尾線や津島線では今でも昼間も特急が走っている。勿論全車特別車で。
    • 犬山線や河和、知多新線の特急も今も多くが全車特別車。
  4. 輸送力増強のために1600系は4両に増結されていたかも。
  5. 1000系は2015年頃よりリニューアルが始まっていた。
    • 内外装は1200系と同様のものになっていた。

3700系 (初代)

  1. 名鉄の通勤型車両は20m4ドアが主流になっていた。
  2. 当車両がはいれるよう改良工事が行われた事により、キハ8000は国鉄と規格を合わせることができた。
  3. 100・200・300系の車両番号が大きく違う。

7000系

  1. かつての3400系(いもむし)のように動態保存車両として1編成だけ残されていた。
    • できるだけ登場当初の姿に近づける復元が行われていた。
    • 基本的にはフェニックスエンブレムを掲出して走行するが、たまに逆さ富士行き先表示器を取り付けたりその上で白帯を巻いたりしていた。
  2. 本線で運転される機会は多くなかった。
    • 津島線や広見線、各務原線が主な運用線区となっていたか。
    • 運行は土休日や長期休暇期が中心となる。
  3. 場合によっては往年のミュージックホーンを鳴らすこともあった。

近畿日本鉄道

400系

  1. 冷房化・後にカルダン化していた。

800系・880系

  1. 冷房していたら残っていた。
    • 名鉄5000系と同様、同じ湘南2枚窓で冷房化した南海ヒゲ新・丸ズームと比較されることもなかった。
      • バス用クーラーで冷房化していた。バス用クーラーは三重交通・奈良交通の廃車バスからの発生品。
      • 860系と同様、ワンマン化していた。
      • 800系として残った編成も冷房化。
      • 820系として残った編成も820系時代に冷房化。
      • それでも800系は2001年に全廃。880系は2002年には全廃。
        • 同時に史実で1993年まで820系として残った車両が2002年に伊賀線に転属。
          • 廃車理由は5820系・9820系・9020系の増備が進んだのが理由。

2600系

  1. B更新でロングシート化あるいはL/Cカー化が行われていた。
  2. 2021年現在も現役。
    • 廃車は2410・2430系と同時期あるいはそれより後になっていた。
  3. 主に伊勢方面への長距離急行に運用されているが、2両に1ヶ所トイレがあるので団体用としても重宝されていた。
    • あるいは2410・2430系とトレードしてトイレ付き編成の増加を図っていた可能性もある。

3000系

  1. 恐らく界磁位相制御車に改造されていた。
    • あるいはVVVF制御に改造されていた。
  2. 8000系列と完全に共通運用となり、奈良線への入線も果たしていた。

10100系

  1. 30000系は登場しなかった。
  2. アーバンライナー登場とともに置き換えられていた。
    • したがって、アーバンライナーに2階建て車両が連結されていた。
  3. 2000系は完全新造車だった。
  4. 1980年代初頭にリクライニングシート化などのリニューアル工事が行われていた。
    • 同時に前面・側面の行先表示器取り付けも行われている。
    • 冷房装置も先頭車はサニーカーと同じものが屋根上に設置され、2階建て中間車の冷房も高性能で小型軽量のものに交換されていた。

20100系

  1. 冷房化が可能だったら残っていた。
  2. 18200系は20100系の補充用の団体用だった。
    • したがって18400系の18409Fの団体用格下げはなかった。
    • 楽は登場しなかった。
      • 15200系登場と同時に廃車。

18000系

  1. さすがに高性能化改造くらいはされていた。
  2. 18400系とともに廃車となっていた。
  3. 南大阪線6800系の台車・モーターと交換して伊賀線へ投入し、同線に有料特急が設定されそれに運用されていた可能性もある。

10400系

  1. 2001年まで残っていた。
    • 10100系と同様、前面・側面の行き先表示機取り付けが行われていた。
    • 座席もリクライニングシートに交換されている。
  2. 1980年代に2回目の更新工事が行われ、中間運転台の撤去が行われていた。

11400系

  1. 2002年まで残っていた。
    • 12000系・12200系・18400系の廃車はその後だった。

12000系・12200系・18400系(特急マーク車両)

  • もし特急マーク車両が遅くまで残っていたら。
  1. 2004年まで持ちこたえた場合、21020系か22000系がもっと多く製造された。
    • 末期は阪奈特急・京奈特急・京橿特急メインで運用。

京阪電気鉄道

1800系(初代)

  • 1800系(2代)への改造がなかったら
  1. 昇圧直前まで使用されていた。
    • 昇圧で6000系に置き換えられていた。
      • その分6000系の製造両数が増えていた。逆に2600系30番台は減っていた。

1800系(2代)

  1. 1900系と同時期に冷房改造されていた。
    • 1900系・2200系と同じく制御装置の1M8C化などの改造が行われていた。
  2. 最終的には7連×2本に編成替えされている。
  3. 廃車は2000年代になってからだった。
    • 代替車両としてこれが実現していた。
  4. 6000系の製造両数が2編成減っていた。
    • 京阪におけるVVVF車の導入が少し遅れていた。
    • 6000系顔の7000系や7000系顔の6000系は登場しなかった。

2200系2380形

  1. 2200系の8連は現在に至るまで存在している。
    • あるいは経年が近い2600系30番台に組み込まれ、こちらが8連化されていた。
  2. 代わりに6000系のうち何編成かが7連化されていた。
    • 余った中間車は新造の13000系に組み込まれるか10000系の編成替えに使われていた。

3000系(初代)

  • 8000系導入後も継続使用される予定でした。
  1. 流石に見劣りは否めないので大規模な更新工事が行われていた。
  2. 富山地方鉄道、大井川鉄道への譲渡車はなかった。
    • 富山地鉄へは阪急2800系が譲渡されていた。
  3. 2008年まで使用され、今頃は2代目3000系に置き換えられていた。
    • 2代目3000系はむしろ、特急用として製造された。したがって快速急行には9000系が充てられていた。

9000系

  • 現役車両ですが、ロングシート改造がなかったら?
  1. 快速急行に充当されていた。
  2. 2代目3000系は導入されなかった。
    • 13000系が2008年頃導入される。
  3. 一部の車両が10000系に編入されることはなかった。
  4. 中之島線開通に伴う塗装変更ではこの車両は青系の塗装になっていた。

阪急電鉄

2800系

  1. 前面・側面の電動式方向幕取り付けや車体内外の更新工事が行われていた。
    • 特に前面は6000系と同タイプになっていた。
      • 電気式ブレーキがこの際導入。2000系列・2300系以降の更新工事で導入される。車番変更は避けられない筈。
        • 完全に中間車化された車もある。
  2. 2300系と同じく界磁チョッパ制御に更新されていた。
  3. 2300系の引退が早まっていた。
    • 2300系更新車の数が少ない。
  4. 富山地鉄への譲渡話は出なかった。
    • 1990年頃に引退が進めば実現したかもしれない。
  5. 格下げ改造がなかったら6300系は登場しなかった。
    • 6300系は6000系同様の車内外で登場した。6330系ではなく,7300系8両編成が1編成多く製造された。
      • ↑走行機器は別会社製。
  6. 8300系登場とともに置き換えられ、8300系はオール転換クロスシートで製造されていた。
      • 8000系転換クロスシート車も現実以上に造られた。8300系列のオールロングシート車両はそれでも存在か。
  7. 2001年頃に引退していた可能性が高い。
    • 1980年代のうちに定期特急運用から外れたであろう。
  8. 6300系電車と同様に嵐山線で運用されていた。
    • そうならず廃車になった車も多い。1990年頃に引退が進めば。
    • その代わりに、京都線・千里線では、史実よりも早く7両編成or8両編成で運行されていた。
      • 1990年頃に京都本線・千里線の普通車の8両運転が開始される。優等列車の10両編成の本数は現実より多い。

5200系

  1. 前面が6000系と同タイプに改造されていた。
  2. 3000系の引退は史実より早かった。
  3. 21世紀になって5000系と同様のリニューアル工事が行われていた。
  4. 能勢電鉄に譲渡されていた可能性もある。

6300系(6330F)

  1. 「京とれいん」にはこの編成が改造されていた。
    • 7300系と同性能なので、最高115km/h運転も可能になっていた。
    • それでも余剰となった中間車2両は京とれいんへの改造と同時に廃車されていた。
  2. もしかしたら、「京とれいん」の2編成目として、史実より早く導入されていた可能性もある。(実史では、7000系から捻出)

阪神電鉄

3801・3901形(第1編成)

  1. =脱線事故がなかったらである。
  2. 8701・8801・8901形がもう1本登場していた。
    • 7890・7990形電車は登場しなかった。
    • 電動車が不足するので、一部のTc車が中間車化と同時に電装化されていた。場合によってはVVVFインバータ制御の試作車となっていたかも。

南海電気鉄道

20000系電車

  • 当初は更新工事を実施して、延命を行う予定でしたが、30000系電車の新造により、断念しました。
  1. 3000系電車の登場は史実通りだが、予備車として、臨時列車や30000系電車が定期検査を受けているときに運行されていた。
  2. 1999年に31000系電車の登場を機に廃車となっていたか。
  3. みさき公園に設置されることはなかった。

西日本鉄道

8000形

  1. 2020年代に入って有料座席指定列車に充当される計画が出ていた。
  2. 2010年代に入ってリニューアル工事が行われていた。