もしあの鉄道車両が計画されなかったら
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- 新規追加は国鉄・JRは車種別に形式が若い順に、私鉄は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。
国鉄・JR
新幹線
100系
- 200系H編成は登場しなかった。
- 「グランドひかり」編成も登場しなかった。
- 「スーパーひかり」が企画されることはなかった(史実では実現せず)。
- 0系がJR発足後まで製造されていた。
300系
- =「のぞみ」が計画されなかったら、である。
- JR東海は史実以上に新幹線至上主義に走ることはなかった。
- 以降、東海道新幹線で運用される車両は編成・座席数の統一を徹底されることはなかった。
- 更なるサービス低下も起きなかった。
- 東海道新幹線は現在でも車両のバラエティに富んでいた。
- その分、スーパーひかりが実現していた。
500系
- 現実の700系が500系、N700系が700系になっていた。
- 700系(現実のN700系)誕生前は、のぞみは500系(現実の700系)のみになっていた。
- 0系と100系(山陽こだま)の置き換えが300系になっていた。
- 700系が失敗作になっていたかも。(by500系ファン)
- N700系の登場が史実より早かった可能性もある。
- 「勇者王ガオガイガー」のガオガイガー両肩はE2系になっていただろうか…。
- 300Km/h運転は700系(史実のN700系)登場まで待つ事に。
- じゃあ現実のN700Aは「700A」か。
E1系
- 現実にはない200系3000番台が存在したかも。
- E4系は2階建てではない。
E4系
電車
80系
- 長距離列車は機関車牽引の客車ばかりで、電車王国日本は存在しなかった。
101系
- 吊り掛け式車両が民営化でJRになるまで製造され続けていた。
- 以下の項目も大幅に変わっていた筈。
103系
- ずっと101系が1980年代まで製造され続けていた。
- 103系は現実の201系が名乗っていた。
- 変電所増設などで国鉄の財政が傾いていた。
- 101系の全電動車化が実現していた。
- 逆に必要両数は減りトータルコストはあまり変わらなかったかも。
103系1500番台
- 常磐緩行線への203系投入で余剰となった103系1000番台が筑肥線に転用されていた。
- あるいは203系が筑肥線にも投入されていた。
- その場合2017年現在も廃形式にはなっていない。
- 2000年代に入るとVVVF改造されていたかも。
- 筑肥線は列車密度が低いため、発電ブレーキ用の抵抗器が搭載されていた。
- あるいは203系が筑肥線にも投入されていた。
クモハ103形
- 京浜東北線や常磐線の103系は(10両化)当初から6+4の分割編成だった。
- 京浜東北線のATC化で組み替えが複雑になることもなかった。
- その分モハ103形の製造数(現実では793両)がモハ102形並みに増える。
- こちらも2000番台を割り振られた車両が存在した。
- 800番台では低屋根仕様と誤解されるため799の次が2001になったかもしれない。
- こちらも2000番台を割り振られた車両が存在した。
- クハ103形500番台も登場しなかった。
- 0番台の車号が499から701にジャンプすることもない。
- 短編成の線区に103系が進出する際は先頭車化や105系への改造が多く行われた。
113系700・2700番台
- 湖西線開業や草津線電化にあたっては115系が投入されていた。
- 草津線電化に当たって投入されたのは2000番台ではなく耐寒耐雪設備を強化した1000番台だったかも。
- 関西地区の快速運用では国鉄時代から115系を見ることができた(史実では民営化後の一時期存在した)。
- 113系との併結も頻繁に行われている。
- 福知山線電化で納車された近郊型電車も全て115系である。
151系
- 昼行特急の動力分散方式への推進は行われなかった。
- =動力近代化計画がなかったら、である。
- 日本の有料特急車両がデザイン重視になることはなかった。
- 私鉄の有料特急車両もデザイン重視になることはなかった。
- 史実ほどデザイン重視になることはなかったので一貫して特急専用で使用する方針に転換する動きは見られなかった。
- 関東私鉄では有料特急車の格下げ改造が後継車の登場とともに行われていた。
- 東武5700系、1700系が通勤車に改造されていた。
- 関東私鉄では有料特急車の格下げ改造が後継車の登場とともに行われていた。
185系
- 183系がさらに増備されていた。
- 2階建て列車のために貫通路付きのクハ183の製造が再開されていた。
- =国鉄が合理化を推進していなかったら。
- 優等列車と普通列車双方に使える特急型車両は登場しなかった。
- 117系と比べられることはなく、「最悪の特急」と揶揄されることはなかった。
- 373系も登場しなかった。
- 代わりに313系が4年早く登場し(全席転換クロスシート装備)、急行「伊那路」「富士川」に入る。急行「東海」は1995年辺りに廃止された。
- 優等列車と普通列車双方に使える特急型車両は登場しなかった。
- 特急型といえば赤とクリーム色の印象が強いままだった。
- JR東日本のコーポレートカラーは緑ではなかった。
- 80系や157系の復刻塗装もなかった。
- 新特急は登場せず、関東近郊の特急は快速に格下げされた。
- 急行「伊豆」はすべて特急「あまぎ」に統一。
201系
- =第二次オイルショックがなかったら、である。
- その分、103系の製造数が増えていた。
- 1500番台の車体は103系ベースとなっていた。
- 途中から空気バネ台車に仕様変更されていたかも。
- 千代田線の発熱問題から203系の登場は史実通りとなっている。
203系
- =千代田線の発熱問題がなかったら、といえる。
- 207系900番代が登場後にはこれが量産化されていた。
- 捻出した103系1000番代が105系500番代に改造されることはなかった。
- 代わりに205系が常磐緩行線に投入された。
- 常磐線各停の冷房化が遅れた。
205系
- ステンレスカーの普及が史実以上に遅れた。
- ボルスタレス台車、電気指令式ブレーキも。
- 211系、415系1500番台、キハ54形、キハ185系なども登場しなかった。
- 四国にもキハ183系が導入されていた。
- その後一部が九州に移籍していた。
- JR東海(在来線)とJR四国はステンレスカー一辺倒にならなかった。
- 四国にもキハ183系が導入されていた。
- JR東日本は東急車輛と親密になることはなく、総合車両製作所への組織改編もなかった。
- 東急車輛はオールステンレス車体の製造ノウハウを同業他社に公開することもなかった。
- 1段下降窓が解禁されることはなかった。
- 117系100番台も登場しなかった。
- 203系が地上用として量産化されていたかもしれない。
- その場合、国鉄→JRの通勤・近郊型車両はアルミ製が主となる。
- むしろ201系が更に増備されていた。
- 山手線や常磐線快速にも投入されていた。実車にはない青緑色の201系を見ることができていた。
- アルミカーは高価ですぞ?103系1500番台が代わりに量産される。
- 界磁添加励磁制御は211系で初採用されていた。
209系
- 「寿命半分・価格半分・重量半分」のコンセプトに誤解を招くことはなかったので「走ルンです」と揶揄されることはなかった。
- 701系やE127系、E217系も同種のコンセプトで作られることはなかった。
- 大幅なコストダウンで通勤型車両の質が低下することはなかった。
- 京急新1000形がステンレス化されることはなかった。
- 南海8000系も1000系をベースにした車両となっていた。
- 新車の製造コストは未だに高額なままでJR東日本は更新工事を継続していた。
- 京急新1000形がステンレス化されることはなかった。
- E501系も存在しなかった。
- 現在もステンレス車両の最先端を行くのは東急である。
- 東急車輛も未だ東急傘下かもしれない。
- 相鉄10000系や都営13-000系、小田急4000形は東急5000系がベース車両になっていた。
- 当然、E231系以降の新車も無かった。
- 走ルンですの愛称はなかった。
209系500番台
- 中央総武緩行線の103系に車両故障が少なければ十分考えられた。
- 京浜東北線の予備車には中央総武緩行線から捻出された205系が使われていた。
- その後京葉線→武蔵野線に転用されるのも恐らく史実通り。
- 京浜東北線の元901系や京葉線の201系固定編成は同線のE233系が投入されるまで現役を続けていた。
- むしろ209系0番台が中央総武緩行線にも投入されていた。
209系3100番台
- 70-000形の余剰車両はそのまま解体されていた。
- 103系3000番台の置き換え用には当初の計画通り205系3000番台が追加投入されていた。
- その分205系を埼京線増発用に転用できなくなるが、はたしてどうなったのやら。
- 逆に70-000形が6両増備されていたかもしれない。
- その分205系を埼京線増発用に転用できなくなるが、はたしてどうなったのやら。
- JRが初めて私鉄から車両を譲受した例はキハ125形400番台だった。
221系
- 関西私鉄王国は現実よりも長続きした。
- 211系がJR西日本にも導入されていたかも。
- 新快速の主力は1990年代後半まで117系だった。
- 阪神大震災直後のJR利用増で史実の223系に相当する車両が登場、ここで初めて3扉転換クロスシートが採用されていた可能性もある。
227系
- 未だに国鉄広島だとバカにされていた。
- 221系か223系が広島に転属していた。
- 車両の老朽化が激しいので広島地区の本数はさらに削減されていた。
- 和歌山線と桜井線に225系が投入されていた。
- 5100番台の一部設備が変更された車両が投入されて阪和線などでも運用されていた。
- HF601-の先頭部はHF430-のそれと同じだったかも。
- 5100番台の一部設備が変更された車両が投入されて阪和線などでも運用されていた。
E231系
- E233系も登場していない。
- JR東日本では通勤型と近郊型の区別が廃止されることなく、一般型電車という区分が使われることはなかった。
- 125系も近郊型として製造されたかも。
- 一般型といえば50系客車か気動車といったローカル専用車両のことを指していた。
- 私鉄にも本形式をベースとする車両が登場することなく、東急5000系や相鉄10000系は登場しなかった。
- 相鉄10000系は日立製となっていた。
- 常磐線快速電車の近代化が遅れていた。
- 209系500番代が更に増備し続けていた。
600番台・4600番台
- 山手線のホームドア設置はE235系統一後に行われた。
- 6扉車もそれまで使われていた。
- 山手線のE235系は全て新造車になっていた。
- 他路線転属を考えて山手線は10両になっていた。この場合運転席以外の車両の端は全てフリースペースになっていた。
- 6扉車を抜くと9両になるので中央総武線各駅停車に転属されなかった。
- 209系500番台の替わりに武蔵野線に転属していたかも。
E233系
5000番台分割編成
- 成東や勝浦に行く列車はE217系総武快速になっていた。
- おそらく付属編成が乗り入れていたと思われる。
- 横須賀総武快速線のE217系の付属編成が12~15両目として改組されていた。
271系
- 287系が史実より多く投入され「はるか」と「くろしお」は共通運用になっていた。
281系
301系
- 営団地下鉄東西線直通電車は全て103系になっていた。
- 203系がこっちにも導入されていたかも。
- その場合103系は105系に改造されていた。105系に新造車はなかった。
- 国鉄はアルミ車体に消極的になっていた。
- 203系もステンレスになっていた。
313系5000番台
- 2006年に東海道線名古屋地区に投入された313系は100番台(4連)と400番台(2連)になっていた。
- クハもそれぞれ100番台と400番台となるだろうから、1100、1600、1700番台のクハは100番台になってたかも。
- 2010年以降も大垣区にはこの2つの番台を入れるだろうから、1100番台大垣車と5300番台は存在しない。
- 後者は5000番台がないので尚更。
- 6連の313系は存在しなかった。
- 全席転換可能の313系も。
- 車体間ダンパは多分新幹線にしかついてない。
321系
- 現実の323系が321系を名乗っていた。
- 史実通り3ドアの場合、JR西日本の4ドア車は207系が最後になっていた。
- 京阪神緩行線で201系・205系が現在でも走っていた。
E331系
- E233系5000番代の導入は史実と変わらなかった。
- ただ、209系500番代が1編成だけ残留してしまうようなことはなかった。
- JR東日本にとって手を焼く存在が減っていた。
- 故障が多かったと言われたため。
401・403・421・423・415系
401・421系
- 101系基本のオールクロスシート車の交直流版が登場していた。
415系500番台
- JR東日本はロングシート車一辺倒になることはなかった。
- 国鉄時代に交直流通勤電車が実現していたらほぼ史実通りか。
- 211系ロングシート車も存在しなかった。
- 701系も存在しなかった。
- 登場したとしても座席配置は最初から5000番台などと同様になっている。
- 107系も登場しなかった。
- 413系・717系を直流専用にしたような車両が登場したかも。
- 近郊型のロングシート化は未だに異例の域を出なかった。
- 常磐線中電のラインカラーは青ではなかった。
- JR九州も415系新塗装車を元にしたカラーリングになることはなかった。
- 500番台も登場時は赤電でしたが?どのみち万博絡みで塗装変更は行われる。
- 3扉ロングシートの20m車といえば未だに西武のイメージ。
- キハ35系は? 105系は?
- 失礼しました。東京都心部での話です。
- キハ35系は? 105系は?
- Fo507とFk513~517、Fk520は存在しなかった。
- カツK513編成とカツK517編成がJR九州に譲渡された。
- JR九州の編成番号法則に基づき以下の通りに改番(転属も反映)
- カツK513→Fm113→Fo113→Fk113
- カツK517→Fm121→Fo121
- 史実のFk513~517に該当するのは史実のカツK514~K516とカツK510~K511。
- 史実のカツK510はFk10
- 2013年廃車。最終所属は鹿児島車両センター。
- 史実のカツK511はFk101
- 史実のカツK514はFk114
- 史実のカツK515はFk115
- 史実のカツK516はFk116
- 史実のカツK510はFk10
- カツK513編成とカツK517編成がJR九州に譲渡された。
415系800番台
- 七尾線の電化が1980年代前半までに実現した。
415系1500番台九州車
- 当初は南福岡初期421系などの置き換えは勝田415系100・500番台の転用で済ませるはずでした
- K525の九州転用はなかった。
- 811系は415系500番台基本だった。
417系
- 仙台地区に415系が投入されたかも。
- その場合仙台地区に投入されたのは雪切り室などを備えた寒冷地仕様の415系1000番台だった。
- あるいは713系が仙台地区に投入されていた。
- JR東日本は115系あたりでLED式行き先表示を実験していた。
419系
便宜上715系も含みます
- 客車夜行列車は583系電車に次々に置き換えられた。
- 地方で普通列車を増発しない方針だったらこうなっていた。
- 食パン電車と揶揄されることはなかった。
- 九州鉄道記念館の583系にセミクロスシートはなかった。
E501系
- 常磐線の一般車両は未だに国鉄水戸の域を脱していなかった。
- あのインバータ音は京急くらいの認識で終わっていた。
- 鉄道ファンからも評価されることなく、走ルンですの中では一目置かれることもなかった。
581系
便宜上583系も含みます。
- 寝台・座席両用電車...何それ?
- 東北・北陸・九州の昼行特急は485系の独壇場だった。
- クハ481形ボンネット車が「はつかり」にも充当されていた。
- 「寝台特急=客車」の状態が続いていた。
- EF65が「はくつる」の先頭に立つ姿を見ることができた。
- 定期の「明星」にも20系が投入されていた。1975年3月改正まではEF58・EF65が単独デザインのヘッドマークを掲出していた。
- 車両基地の容量不足がさらに深刻化していた。
- 品川電車区のような二層式の留置線が他所でも見られたかもしれない。
- 419系、715系も登場しなかった。
683系
便宜上289系も含みます。
- 当然287系も登場していない。
- 485系3000番台のはくたかは北陸新幹線開業まで存続していた。
- スーパー雷鳥の廃止は事実通りになっていた。
- 「しらさぎ」の485系も681系に置き換えるまで存続しておりよって国鉄色のパノラマはなかった。
701系
- 地方でのロングシート車導入に物議をかもすことはなかった。
- 鉄道ファンからの評価がガタ落ちすることもなかった。
- E127系も登場しなかった。
- 新潟のやつは存続していれば多数派に、いなければE129系の投入が早まっていた
- 50系客車がもう少し長く運用されていた。
- 50系改造電車が実現していたかも。
- 50系はJR東日本でも、気動車化されていたこともあり得る。
- 更に12系客車まで気動車化され、発電エンジンも走行兼用化されていた。
- 50系はJR東日本でも、気動車化されていたこともあり得る。
- SL銀河の客車は既存の50系を改造していた。
- 牽引機もC58ではなくD51が担当(勾配がきついため)
- DD51等を補機担当で使っていた可能性もある。
- 牽引機もC58ではなくD51が担当(勾配がきついため)
- 50系改造電車が実現していたかも。
- 701系といえば西武鉄道の方だった。
- 815系も転換クロスシートで製造された。
- 719系が更に増備されていた。
- 青い森鉄道701系とIGRいわて銀河鉄道7000系も登場しなかった。
- これらには軽快気動車が導入されていたかも。
E721系
- =JR東日本が普通列車のクロスシート復権を受け入れなかったら、といえる。
- 209系の房総地区転用に際してもロングシートのままだった。
- 仙台空港鉄道の車両も701系ベースになっていた。
- E129系も登場しなかった。
E751系
- 青森車両センター廃止までつがるは485系が使用されていた。
- つがるにE653系が導入されていた。
- いなほと共通運用になっていた。
- 「いなほ」の青森発着は2010年以降も存続。E653系1100番代が「つがる」「いなほ」にも使用されたかも。
- JR東日本に交流専用特急電車は存在しなかった。
- 北海道新幹線1次開業の早期実現が前提なら(485系の延命で済ませる事),十分考えられる。
789系基本番台
- 北海道新幹線開業まで津軽海峡線の昼行列車は485系電車特急「はつかり」、50系客車快速「海峡」で運行されていた。
- もしかしたら781系特急電車の転用も検討されていた。
- 特急「ライラック」は復活しなかった。
- 下手したら大雪・サロベツはキハ54の急行か快速になっていた。
気動車
キハ37系
- =加古川線、久留里線が1980年代に電化していたらである。
- 高砂線、三木線、北条線、鍛冶屋線、木原線では廃止・3セク転換までキハ30などが使用されていた。
- キハ54形、キハ185系にも影響をあったかもしれない。
キハ38系
- 八高線は1980年代に全線電化していた。
キハ45系
- 2ドアセミクロスシートといえば小田急2320形程度の認識で終わっていた。
- キハ47形、417系、富士急行5000形などの2ドアセミクロスシート車も登場しなかった。
- 西武4000系も。
キハ80系
- 東北特急の近代化が遅れていた。
- 東北本線全線電化まで待たなければならなかった。
- 北海道の優等列車も急行の天下が続いていた。
- というか、非電化線区の優等列車は急行の天下が続いていた。
- 初期不良で「はつかり、がっかり、事故ばっかり」と揶揄されることはなかった。
- 動力近代化計画に、客車の運行縮小が盛り込まれたかあやしい。
- DD51の開発が数年早まり、はつかりはDD51で無煙化された。
- ナハ20が史実より多量に増備された、あるいは14系の登場が早まった。
キハ125形
- キハ220形の登場が早まっていた。
- 同型車として、島原鉄道がキハ2500形、茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)がキハ3710形を投入することはなかった。
- 高千穂鉄道からの譲受車である海幸山幸用の400番台は本系列への編入ではなく、特急形として別の形式を起こしていた。
キハ183系1000番台
- =オランダ村特急がなかったら、である。
- オランダ村特急はむしろ、485系を改装した車両が充てられていた。
- 廃止後は一般車に復元。
- オランダ村特急はむしろ、485系を改装した車両が充てられていた。
- 九州にキハ183系は存在しなかった。
- 電車と気動車の本格的な協調運転はJR北海道の731系とキハ201系で行われていた。
- 転用改造で迷走した車両が減っていた。
- ゆふいんの森・ゆふDXは別の車両、シーボルトは存在しなかった。
キハ201系
- 学園都市線がせ90年代に電化していたらである。
- ニセコライナーは廃止され、函館本線は小樽で系統分断されていた。
- ↑ニセコライナーが朝夕,札幌-小樽間キハ150の6両編成で存続したかも(エンジン高出力車両に統一することにより定時制を向上できた)。
- キハ150が現実以上に増備され、3両連結してニセコライナーに使用されていた可能性もあった。
- ↑繁忙期は4両に増車されたかも。
- キハ150のみの6両編成が(札沼線北海道医大以南が現実通りの時期に電化された場合)札沼線で見ることができた。キハ40 401・402の代わりに,キハ150が札沼線石狩当別以北のワンマン運用に入った。
2000系
- 振り子式気動車第1号はキハ281系になっていた。
- 試作車だが、キハ391系は?
- その分キハ185系が更に増備されていた。
- JR九州への譲渡や普通列車転用はなかった。
- それでもアンパンマントロッコのようなキハ185系改造のジョイフルトレインは史実通りだったかも。
- JR九州への譲渡や普通列車転用はなかった。
- JR四国の特急は高速バスに史実以上に苦戦していた。
- 結果利用者減で減便されていた可能性も。
- 8000系は振り子無しになってたかもしれない。
- 2600系はキハ185系置き換え用として史実より2.3年ほど早く導入された。
- 量産が断念されることはなかった。
- 智頭急行HOT7000系にも何らかの影響があった。
TSE登場後開発中止になっていたら
- TSEは団体用になっていた(実際にコケた場合はそうする予定だったとか)。
- 「アイランドエクスプレス四国Ⅱ」は登場しなかったかも。
- これ以降振り子式気動車は登場しなかった可能性がある。
- 結果北海道や山陰の特急列車は新型車両導入後もあまり所要時間を短縮できずバスや航空機に利用者が流れていた可能性が。
客車
10系
- 近代的な外観、内装が気動車、電車にも波及することはなかった。
- 北陸トンネル火災でやり玉に挙がることはなかった。
- ナハネ10、ナハネ11、オハネ17が存在せず、B寝台はスハネ30ばかりだった。ナロ10も存在せず、オロ61がもっと大量にあった。
12系
- 14系も存在しない。
- 夜行急行列車の近代化すらされなかった。
- 20系の急行運用が現実以上に拡大し、ナハ21形への改造数が増えていた。
20系
- 「走るホテル」と呼ばれることはなかった。
- 寝台特急にも10系が投入されていた。
- 寝台特急「日本海」火災事故は発生しなかった。
E26系
- 「カシオペア」も当然存在しない。「北斗星」も現実より短命に終わっていた。
50系
- 普通列車用客車は歴史上、完全新製車は存在しなかった。
- 当然、キハ141系やキハ33形は登場しなかった。
- キハ141が登場しないことから学園都市線では車両が不足し北海道の鉄道路線としては珍しく混雑率200パーセントという状態が電化するまで続いていた。
- 学園都市線を電化していたorキハ150をさらに増備していたのでは?
- 特急格上げで捻出した急行型車両を普通列車に回すため、485系やキハ183系が更に増備されていた。
- SLあそBOY(人吉)の客車は旧型客車を改造した非冷房車になっていた。
- むしろ12系から改造していた。
- 快速「海峡」も14系座席車のみで実際より本数が少ない状態だった。
- =国鉄民営化時に客車列車を全廃させる予定だったからである。
- 1980年代の時点で機関車や機関士の余剰が問題となっていた。
- 代わりに14系座席車が80年代半ばまで導入が続いた。旧型客車の急行運用は14系座席車導入まで続いた。
- 14系500番代は完全な極寒地向け新車だった。
ななつ星in九州関連車両(77系客車・DF200-7000)
- 「四季島」や「瑞風」といった豪華寝台列車も計画されなかった。
- 日本での豪華列車ブーム自体起きなかった。
- =「ななつ星in九州が計画されなかったら」である。
- DE10の黒塗りが増備されることはなかった。
機関車
EF66形
- 国鉄に流線型の新性能電気機関車は存在しない。
- EF65形の重連運用が増えていた。
- JRになってから増備が再開される。
- このロットが2000番台を名乗っていた。
- JRになってから増備が再開される。
- 九州ブルトレはロビーカー登場後に瀬野八での補機連結を復活させていた。
- 3.による広島以遠発着のブルトレの所要時間が長くなることにより,呉線の線路と電化設備の強化が実施される。
EF200形
- EF66 100番台が更に増備されていた。
- 性能を持て余す車両が減っていた。
- EF500、ED500も製造されなかった。
- 日立は今もJR貨物の機関車を製造していた。
DD51形
- =動力近代化計画がなかったら、である。
- SLファンから疎まれることはなかった。
- 「赤ブタ」「文鎮」と揶揄されることはなかった。
- DF50形が更に増備されていた。
DD54形
- 度重なる欠陥でやり玉に挙がることはなかった。
- 54機関車のジンクスが減っていた。
- DD51形の製造数は史実と変わらない。
私鉄
東武鉄道
1800系
- 1970年代から「りょうもう」の使用車両は日光線系統と共通化されていた。
5000・5050・5070系
8000系
- 2000系が更に増備され、日比谷線乗り入れ以外の運用にもついていた。
- 後継車である20000系も日比谷線乗り入れ以外の運用にもついていた。
- 私鉄の103系と呼ばれることはなかった。
西武鉄道
2000系
- 西武の通勤車両は3ドア車を頑なに導入し続けていた。
- その分、3000系が更に増備されていた。
- それすらなかったので有楽町線や副都心線との相互乗り入れも企画されなかった。
- よって、6000系も登場しない。
- S-TRAINも設定されたか怪しくなる。
40000系
- S-TRAINは無かった。
- その代わりレッドアローの置き換えとして西武・秩父・メトロ・東急・横浜高速に直通する新型特急車両を開発していた。
- その場合4000系の池袋・秩父鉄道乗り入れ廃止、池袋線無料種別飯能運行系統分断、快速急行全列車地下鉄直通&練馬停車が実施されていた
東京急行電鉄
8000系
- 東急は18m車を頑なに導入し続けていた。
- 7200系が更に増備されていた。
- 18m車オンリーであるため、運用効率化の観点から7200系も日比谷線に乗り入れていた。
- その代わり、半蔵門線は18m車対応で建設されていた。
- 副都心線直通まで東横線は18m車オンリーだった。
- 田園都市・半蔵門線開業で20m車を導入したかもしれない、東横線系統は18m車、田園都市・大井町線は20m車の二本立て。
- 目黒線化の時点で20m車対応の工事にかかって後は史実通り。
8500系
- 8000系の増備が継続されていた。
- 先頭車が付随車のみなので地方私鉄譲渡時に改造の手間が増していた。
- 8090系と8590系は登場したのだろうか?。
- 少なくとも、8590系は登場しても別の形式名になっていた。
京王電鉄
6000系
- 京王本線は18m車の8両+4両対応にホーム延長。
- 相模原線は最初から12両対応、高尾山口は8両しか入れない。
- 京王本線のステンレス車は井の頭3000と共通車体。
- 当然都営新宿線も18m車で建設。
- 新宿線と浅草線の車体は共通に。
東京メトロ
02系80番台
- この時点で方南町駅は6両化され、02系0番台が導入されていた。
- 本線のワンマン化は横浜のブルーラインと同時期だったかも。
- あるいは銀座線のお古が相変わらず使用された。
- 01系が3両化されて転属していたかも。
05系千代田線転籍車
- 5000系および6000系ハイフン車引退と同時に北綾瀬駅は10両化されていた。
- 現実の「綾瀬」行きは「北綾瀬」になっていた。
- B修工事も行われず、東西線側も15000系増備で対応していた。
小田急電鉄
2300形
- 3000系(SE)の登場が早まっていた。
- 珍車扱いされることはなかった。
- 準特急用の2320形の登場は史実と変わらなかった。
30000系
- 展望デザインを何とかして維持するために、史実の60000系のような車両がこの時点で製作されていた。
- もしくは通勤用特急と言う概念が出てこなかった。
- 「EXE」の愛称は採用されず、該当車両も従来の「○SE」を踏襲する形になっていた。
- おそらくブルーリボン賞も獲得できている。
- 二層建て列車は存在しなかった。
60000系
- ≒「ロマンスカーの地下鉄乗り入れがなかったら」である。
- 御殿場線乗り入れ用の特急車両は全く異なるコンセプトになっていた。
- おそらく両端とも非貫通型になっていた。
- 2009年の鉄道友の会ブルーリボン賞は京阪3000系が受賞し、同社としては初のブルーリボン賞受賞となっていた。
長野電鉄
1000系
- 2100系「スノーモンキー」がさらに増備されていた。
- 湯田中駅のスイッチバックが廃止されることはなかった。
名古屋鉄道
3880系
譲渡車ですが便宜上ここに。
- 名鉄の3扉車導入が遅くなっていた。
- 少なくとも1970年代は2扉車が製造され続けていた(100系除く)。
- 6000系は登場しなかった可能性大。
- 登場しても史実の中期車に当たる車両以降だった。
- 6600系も無かった。
- それでも100系については史実通り。
- ただでさえ少ない大手私鉄同士の車両譲渡例が1つ減っていた。
6000系
- 名鉄の普通列車は今でも優等列車のお下がりだった。
- それでも地下鉄鶴舞線や上飯田線直通には専用車両が導入されていた。
- 車両を普通列車と特急列車で分けることもなかった。
7000系
- 運転席を客室の階上(場合によっては階下も)に設けた前面展望車両は日本では存在しなかった可能性が高い。
- 変わりにハイデッカー車両が史実以上に普及していた。
- イタリア国鉄セッテベッロの日本における知名度はおそらくほぼ0。
- その分、5500系が多く製造されていた。
- キハ8000系は5500ベースになっていた。
- マイカーから史実ほど利用者を奪えなかっただろうから、名鉄の経営は史実よりやや厳しくなっていた。
- 当然、7700系や7300系は登場せず。
- 登場していても史実のような構造ではなかっただろう。
- 8800系や1000系にも影響が出ていた(特に一部に7000系の廃車発生品を使用した前者)。
- 少なくとも展望席は無しか。
- 名鉄特急がミュージックホーンを搭載することはなかった。
- ミュージックホーンが史実ほど普及しなかったかもしれない。
- 「どけよホーン」なんて言葉も生まれない。
- 言葉でいえば「ダンプキラー」もない。
- 中京競馬場の名鉄杯のファンファーレははたして何の曲を使ってたのだろうか…
- 「白帯車」もなかった。
- 名鉄に有料特急は登場しなかったかもしれない(北アルプスとその間合いを除く)。
- 名鉄の車両の塗装がスカーレット一色になることはなかったかもしれない(7000系で初めてスカーレット一色を採用したため)。
- さすがにライトパープルになることはないだろうから、ピンクとマルーンのツートンが名鉄の車体色として定着していた。
近畿日本鉄道
5200系
- JR西日本221系を始め、3扉転換クロスシートの近郊型車両は誕生しなかった。
- 阪急9000系、西鉄3000系なども同様だった
21000系
- 21020系も存在しない。
- 23000系も本形式をベースに作られることはなかった。
- 近鉄の看板車両といえば今でもビスタカーだった。
- ビスタカーの存在が薄れることもなく、グッたいむではそれをネタにされることもなかった。
ビスタカー
- 他社でも2階建て車両が企画されることはなかった。
- その代わり、速達性重視路線を史実より早くから行われた。
L/Cカー
- 東武「TJライナー」や西武「S-train」、京王の座席指定通勤列車は誕生しなかった。
- 東急や京王が有料列車を運転することはなかった。
- 5200系が現実以上に投入されていた。
- 近鉄奈良線への特急以外のクロスシート車投入はなかった。
- 205系3100番台2wayシート車も登場しなかった。
- デュアルシート試作車であるクハ79929の二の舞になっていた。
京阪電気鉄道
3000系ダブルデッカー
- 京阪特急の7→8両への増結は一般の平屋車両で行われた。
- 鴨東線開業あたりで、8000形8550番代が10両(現実の2倍)製造されて6→8両化されたらあり得る。
- その場合、鴨東線開業の時点で全ての編成に8000系が最低1両は組み込まれるようになり、現実以上に好評を博していた。
- 鴨東線開業あたりで、8000形8550番代が10両(現実の2倍)製造されて6→8両化されたらあり得る。
- それでも旧3000系はリニューアル改造されたが、8000系と比べて見劣りがするようになっていた。
- 引退も史実より早かったかも。
- プレミアムカーは現実より早く導入されたかもしれない。
- 富山地方鉄道にダブルデッカーが走ることもなかった。
- 料金不要のダブルデッカーといえばクハ415-1901程度の認識で終わっていた。
5000系
- 京阪本線の600→1500V昇圧は1970年代のうちに実現していた。
- 10両編成の運行も行われていた。
- 京都市内の地下化も早まっていた。
- 東福寺駅は三条までの地下化とともに地下ホームに。早くても1970年代から。それが実施されたら朝の下りの全列車がいち早く8連運転する。
- 2400系がさらに増備されていた。
- 途中で集約分散形クーラーに変更されていたかもしれない。
- それとともに途中から方向幕装備となっていた。
- 途中で集約分散形クーラーに変更されていたかもしれない。
阪急電鉄
2800系
- キハ66系を始め、117系、西鉄2000系、名鉄5700系など、両開き2ドアを持つ転換クロスシート車は登場しなかった。
- 6300系も登場しなかった。
- そもそも阪急京都線特急は転換クロスシートではなかった。
- よって、京阪にサービス面での優位性を許していた。
- 国鉄も117系を投入しなかった。よって、JRになってからも221系以降の車両は登場せず、未だに私鉄王国関西が続いている。
阪神電気鉄道
ジェットカー
- 阪神は普通列車と優等列車で車種を分けていなかった。
- 京阪2000系、近鉄6800系といった同種の性能を持つ車両も存在しなかった。
9000系
- =阪神大震災がなかったらである。
- 阪神のステンレス車体の導入が遅れた。
- 近鉄乗り入れできるのが1000系だけになっていた。
南海電気鉄道
2300系
- 2000系を無理矢理でも2両ワンマン運転できるように改造していた。
- 7000系の一部を置き換えのために8300系がさらに増備されたかも。
- 時期的にむしろ8000系が現実以上に増備されていた。泉北3000系の南海本線移籍も現実より多かったかも。
- 2000系の南海本線転属はなかった。
- 高野山が世界遺産に登録されなかったらこうなった…かは微妙かもしれない。
50000系
- 「ラピート」はなかった。
- 関空への特急は10000系「サザン」をベースにした車両が導入されていた。
- 場合によっては一部座席指定になっていた。
- 南海電鉄は今も関西大手私鉄では一番地味な存在。
山陽電気鉄道
700形
- 820形・850形の製造数が増えていたのはもちろん、車両不足を補うために国電の戦災復旧車が投入されていたかもしれない。
- 山陽の大型化は遅れ、場合によっては阪神・阪急との直通はかなわなかった。
- 流石に併用軌道こそ廃止されているも、今もこじんまりとした電鉄兵庫駅が起点。
- むしろ神戸高速鉄道の建設を機に車両限界の拡大が行われていた。この場合3000系が最初の大型車となっていた。
- 1003号・107号が琴電に譲渡されることもなかった。
西日本鉄道
3000形
- 7050形の製造両数が現実よりも多かった。
- 史実では登場しなかった中間車も登場していた。
- 8000形の後継車として同様の2扉転換クロスシート車が登場していた。