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==神代== | |||
===神武天皇(第1代)=== | |||
#輝ける初代天皇。 | |||
#実在は疑わしい? いいんだよそんなことは。 | |||
#*ま、複数の人物が何十年かかけておこなったことを、ひとりの英雄に仮託したと見るのが妥当なところでしょうけどね。 | |||
#*このあたりの天皇は在位年数とか寿命が超人的。<small><s>数合わせ?</s></small> | |||
#**天孫ニニギノミコトがブスの磐長媛を嫌って遠ざけたので、その祟りで歴代の天皇の寿命が短くなったはずなんだが自己撞着ですな。 | |||
#日向から河内をへて大和に入ろうとしたが、長髄彦さんに負けたので南下し、熊野を経て桜井へ。 | |||
#*なんでそこまで大迂回して大和盆地に行きたかったんやろ。あきらめて別の土地に行けば良さそうなものを。 | |||
#**いや、吉野に逃げ込んで挽回した勢力は結構ある。古代において盆地や島はなかなか根拠地に適してる。 | |||
#*この人が出発した港の日向国美々津が後に日本海軍発祥の地とされた。 | |||
== | ===綏靖天皇(第2代)=== | ||
#神武天皇の三男にして、記紀に記録が少ない欠史八代と言われる第2代~第9代天皇の一。 | |||
#*ただし、神武天皇の死後に実母を妻にした異母兄を討伐した、という武勇伝が神武天皇の条に載っている。 | |||
#実在は疑わしい? いいんだよそんなことは。(すみませんパクリました) | |||
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#*実在説もある。詳しくは[[ウィキペディア]]の欠史八代の項目を参照。 | |||
#孝昭天皇は珥氏・春日氏・小野氏・粟田氏・柿本氏・大宅氏等のご先祖様。 | |||
#*孝昭天皇が実在しなければ小野妹子や小野小町の先祖は誰になるのか? | |||
#孝元天皇は葛城氏・蘇我氏・平群氏・紀氏・巨勢氏のご先祖様。 | |||
#*孝元天皇が実在しなければ蘇我馬子や紀貫之の先祖は(ry | |||
== | ==上代== | ||
===崇神天皇(第10代)=== | |||
#一応実在が確認できる最初の天皇らしい。 | |||
#*別にここを起点としても2,000年は超すから「万世一系」で十分今は誇れると思うが。いや、26代の継体天皇起点でも……1,500年。 | |||
#和風諡号には、ハツクニシラスという神武天皇と共通する言葉が入っているので、同一人物説もある。 | |||
#*ハツクニシラスは「初国知らす」=「初めて建国を宣言した人」という意味なので、その点でも「初代」っぽいんだよなあ。 | |||
#*ここで神武以来の「三輪王朝」と「崇神王朝」の交代が起こったという説もある。 | |||
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== | ===垂仁天皇(第11代)=== | ||
# | #后が「ダンナ(垂仁天皇)よりもお兄ちゃんの方が好きっ」とのたまって天皇暗殺未遂を起こし、そのお兄ちゃんと籠城して心中。 | ||
#*同人系の漫画に出てきそうである。 | |||
#* | #野見宿禰と当麻蹴速に日本初の相撲をとらせた方。時に西暦紀元前23年7月。 | ||
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#*「景行天皇行幸の地」というのは日本各地にやたらと沢山ある。 | |||
#**まあ、実際には景行天皇から遣わされた使者もしくは軍勢が行っただけではないかとも考えられるが。 | |||
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== | ===成務天皇(第13代)=== | ||
#ヤマトタケルの異母兄弟。よく弟と言われるが出生順は不詳。 | |||
#*若き日のオウスの命(ヤマトタケル)に手足をへし折られた兄、オオウスの命だったんじゃないかという説も。 | |||
#欠史八代並みに記紀の記述が少ない。 | |||
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=== | ===仲哀天皇(第14代)=== | ||
# | #ヤマトタケルの息子。しかし母はミヤズヒメでもオトタチバナヒメでもない | ||
#*架空の父と架空の妻を持つ仲哀天皇が実在人物のはずがない、と主張している学者も。ほっとけよ。 | |||
#神様が「新羅を帰服させよ」と言ったのにシカトしたため、神の怒りを受けて崩御。その後妻の神功皇后が大活躍。 | |||
#諡号も何となく哀しい。 | |||
#*漢風諡号としての「哀」は、夭折したか、あるいは計画した事業が完遂できず挫折した君主に与えられる文字。仲哀天皇は50代まで生きているので前者ではない。やはり三韓征伐の途中で崩御したことによるものだろう。 | |||
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# | #*その大きさのおかげで、宮内庁も出店を置いている。 | ||
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#関西人っぽいが生まれは[[福岡|九州博多]]。バリバリの九州男児たい! | |||
#*しかも生後すぐに海外短期留学を経験。国際派たいねえ、格好良か! | |||
#*実際は、関西育ちみたいなので、十中八九こんな話し方はしていないと思われるというのは御愛嬌。 | |||
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# | #民(たみ)のかまど。 | ||
#* | #で、[[堺市#古墳の噂|大山古墳]]は、誰のお墓なのよ。 | ||
# | #*出土した土器によるともう少し時代が下った人の墓という説もある。ただし、今すぐ精査することは不可能。 | ||
#* | #*世界最大の墳墓と言われることもあるが、それは容積でも底面積でもなく、「墳丘の長径」という微妙な基準で見た場合。容積や底面積なら応神陵のほうが上だし、大型のピラミッドにはもちろんかなわない。 | ||
#* | #嫁の磐之媛のヤキモチに生涯苦しめられたらしい。 | ||
#* | #*脚をバタつかせ、地団駄踏んで怒り狂ったとか。 | ||
# | #*有力者・葛城氏の出だったので、離縁もできず、仁徳天皇は嫁の機嫌をとるのに四苦八苦した。 | ||
# | #難波の堀江の開削をした。 | ||
#*当時の技術で良くできたなぁと言いたくなるぐらいの大工事。 | |||
#中国の南朝・宋に朝貢した「倭の五王」の一番目「讃」はこの人という説が有力。 | |||
#*でも、応神天皇説や履中天皇説、大和朝廷と無関係な九州あたりの豪族説もある。 | |||
[[Category: | ===履中天皇(第17代)=== | ||
#あまり知られていないが実は日本で3番目に大きいお墓で眠っている。 | |||
#酔っ払って眠っていた時に弟に御殿を放火された。 | |||
#「倭の五王」の「珍」はこの人という説が有力。 | |||
#*でも「讃」と「珍」が兄弟だという中国側の史書に基づき、讃が履中天皇で珍が反正天皇だという説もある。 | |||
===反正天皇(第18代)=== | |||
#仁徳天皇の三男。にしても諡号がひどい。正に反するって… | |||
#*反乱起こしたか、親か親族を殺したか、不倫でもしていたかその辺かなぁ。 | |||
#*それまでは父子での相続だったのが、履中→反正では兄弟間の相続になったから正に反する、って諡になったと言う説がある。 | |||
#イケメンだったらしい。 | |||
#長兄と弟も天皇。次兄は父を焼殺しようとしたので父の命により殺したそうな。 | |||
===允恭天皇(第19代)=== | |||
#古代を代表する美女衣通姫。古事記ではその親父、日本書紀ではその義理の兄。 | |||
#*「美しさが衣裳を透かして迫ってくるほどだ」というのが衣通姫の名前の由来。シースルー……? | |||
===安康天皇(第20代)=== | |||
#暗殺された初めての天皇。誤解して殺した叔父の息子に復讐された。 | |||
===雄略天皇(第21代)=== | |||
#ワカタケル大王。武蔵国の稲荷山まで武名を轟かせた。 | |||
#倭王武。 | |||
#*武に先んずる4人の倭王「讃」「珍」「済」「興」が誰なのかは諸説あるが、武だけは雄略天皇ということでだいたい一致しているようだ。「倭の五王は大和朝廷とは関係ない」と言ってたセンセイ、そこんとこはどうなの? | |||
#旅先で美少女を見つけ、「都に帰ったら妃に迎えるのでそのつもりでな」と言い置いたが、帰ったらすっかり忘れていた。美少女はお召しを待ち続け、ついに老婆になってしまった。 | |||
#*ひとこと言いたくて都にやってきた。雄略天皇はあわてて謝罪し、多くの贈り物を持たせた。 | |||
#**こんなほのぼのエピソード(?)が伝わるのは、人々に親しまれた帝だった証だろう。 | |||
#万葉集の一番最初に収録されている歌の作者とされる。「籠もよ」で始まるこの歌は、丘で春の菜摘みをしている乙女に求愛をするという内容。つくづく女絡みのエピソードの多い人物である。 | |||
===清寧天皇(第22代)=== | |||
#アルビノであったらしい。妻子なく崩御。 | |||
===顕宗天皇(第23代)=== | |||
#父親をワカタケルに誤解されて殺された二王子の弟、ヲケ。 | |||
#二王子の逃亡生活から発見に至るまでは涙涙の物語。 | |||
===仁賢天皇(第24代)=== | |||
#父親をワカタケルに誤解されて殺された二王子の兄、オケ。 | |||
#「俺たちが世に出たのはお前のおかげだ、弟よ」と言って、弟を先に皇位につかせた。 | |||
===武烈天皇(第25代)=== | |||
#「古事記」ではなぜかスルーされ、記述がほとんど無い。「日本書紀」では[[殷]]の紂王ばりの暴君扱いされている。 | |||
#*紂王の他、夏の桀王、呉の孫晧、隋の煬帝など、「前王朝の最後の王様」というのはボロクソに書かれるのが常。継体天皇から王朝が交代したのではないかという説の根拠のひとつになっている。 | |||
#*女官を裸にして馬の交尾を見せ、アソコが濡れた者を殺し、濡れなかった者を奴隷にしたとか意味不明な「暴虐」も。 | |||
#**マジレスすると、「馬の交尾で濡れるような女は欲求不満の淫乱か獣姦趣味だからイラネ」という事であろう。 | |||
#***「濡れなかった者を奴隷にした」ほうはどうなるのかな? やっぱり意味不明としか。 | |||
#*「古事記」がスルーしていること自体、「日本書紀」の記述の信憑性を高めているような気がするのだが…… | |||
#**逆でしょ。中国の故事の影響が大きい日本書紀が、古事記がスルーしている天皇をわざわざ貶めているということが、ここでの王朝交代説の信憑性を高めていると思う。 | |||
==関連項目== | |||
*[[神話時代]] | |||
*[[古墳時代]] | |||
[[Category:バカ人物志/日本|てんのうしようたい]] |
2014年4月6日 (日) 18:17時点における版
神代
神武天皇(第1代)
- 輝ける初代天皇。
- 実在は疑わしい? いいんだよそんなことは。
- ま、複数の人物が何十年かかけておこなったことを、ひとりの英雄に仮託したと見るのが妥当なところでしょうけどね。
- このあたりの天皇は在位年数とか寿命が超人的。
数合わせ?- 天孫ニニギノミコトがブスの磐長媛を嫌って遠ざけたので、その祟りで歴代の天皇の寿命が短くなったはずなんだが自己撞着ですな。
- 日向から河内をへて大和に入ろうとしたが、長髄彦さんに負けたので南下し、熊野を経て桜井へ。
- なんでそこまで大迂回して大和盆地に行きたかったんやろ。あきらめて別の土地に行けば良さそうなものを。
- いや、吉野に逃げ込んで挽回した勢力は結構ある。古代において盆地や島はなかなか根拠地に適してる。
- この人が出発した港の日向国美々津が後に日本海軍発祥の地とされた。
- なんでそこまで大迂回して大和盆地に行きたかったんやろ。あきらめて別の土地に行けば良さそうなものを。
綏靖天皇(第2代)
- 神武天皇の三男にして、記紀に記録が少ない欠史八代と言われる第2代~第9代天皇の一。
- ただし、神武天皇の死後に実母を妻にした異母兄を討伐した、という武勇伝が神武天皇の条に載っている。
- 実在は疑わしい? いいんだよそんなことは。(すみませんパクリました)
安寧天皇(第3代)~開化天皇(第9代)
- 本当の欠史。都の位置、妻、子供、享年、御陵の位置しか記録がない。
- ちなみに、安寧、懿徳(第4代)、孝昭(第5代)、孝安(第6代)、孝霊(第7代)、孝元(第8代)、開化。
- 孝昭帝~孝元帝の諡号の投げやりさが笑える。いかにも後からつけた感満載。
- この4代は実は全部漢のパクリ。漢の帝号には正式には、高祖と光武帝以外は正式には全部「孝」がつく。
- ちなみに、孝昭皇帝(昭帝)は前漢8代、孝安皇帝(安帝)は後漢6代、孝霊皇帝(霊帝)は後漢12代、孝元皇帝(元帝)は前漢10代。
- この4代は実は全部漢のパクリ。漢の帝号には正式には、高祖と光武帝以外は正式には全部「孝」がつく。
- 孝昭帝~孝元帝の諡号の投げやりさが笑える。いかにも後からつけた感満載。
- ちなみに、安寧、懿徳(第4代)、孝昭(第5代)、孝安(第6代)、孝霊(第7代)、孝元(第8代)、開化。
- 実在は疑わしい? いいんだよそんなことは。(すみませんこれもパクリました)
- 実在説もある。詳しくはウィキペディアの欠史八代の項目を参照。
- 孝昭天皇は珥氏・春日氏・小野氏・粟田氏・柿本氏・大宅氏等のご先祖様。
- 孝昭天皇が実在しなければ小野妹子や小野小町の先祖は誰になるのか?
- 孝元天皇は葛城氏・蘇我氏・平群氏・紀氏・巨勢氏のご先祖様。
- 孝元天皇が実在しなければ蘇我馬子や紀貫之の先祖は(ry
上代
崇神天皇(第10代)
- 一応実在が確認できる最初の天皇らしい。
- 別にここを起点としても2,000年は超すから「万世一系」で十分今は誇れると思うが。いや、26代の継体天皇起点でも……1,500年。
- 和風諡号には、ハツクニシラスという神武天皇と共通する言葉が入っているので、同一人物説もある。
- ハツクニシラスは「初国知らす」=「初めて建国を宣言した人」という意味なので、その点でも「初代」っぽいんだよなあ。
- ここで神武以来の「三輪王朝」と「崇神王朝」の交代が起こったという説もある。
垂仁天皇(第11代)
- 后が「ダンナ(垂仁天皇)よりもお兄ちゃんの方が好きっ」とのたまって天皇暗殺未遂を起こし、そのお兄ちゃんと籠城して心中。
- 同人系の漫画に出てきそうである。
- 野見宿禰と当麻蹴速に日本初の相撲をとらせた方。時に西暦紀元前23年7月。
景行天皇(第12代)
- ヤマトタケルをこき使った薄情な天皇というイメージが強いが、実は自分も相当忙しく各地を飛び回っていたらしい。
- 「景行天皇行幸の地」というのは日本各地にやたらと沢山ある。
- まあ、実際には景行天皇から遣わされた使者もしくは軍勢が行っただけではないかとも考えられるが。
- 「景行天皇行幸の地」というのは日本各地にやたらと沢山ある。
成務天皇(第13代)
- ヤマトタケルの異母兄弟。よく弟と言われるが出生順は不詳。
- 若き日のオウスの命(ヤマトタケル)に手足をへし折られた兄、オオウスの命だったんじゃないかという説も。
- 欠史八代並みに記紀の記述が少ない。
仲哀天皇(第14代)
- ヤマトタケルの息子。しかし母はミヤズヒメでもオトタチバナヒメでもない
- 架空の父と架空の妻を持つ仲哀天皇が実在人物のはずがない、と主張している学者も。ほっとけよ。
- 神様が「新羅を帰服させよ」と言ったのにシカトしたため、神の怒りを受けて崩御。その後妻の神功皇后が大活躍。
- 諡号も何となく哀しい。
- 漢風諡号としての「哀」は、夭折したか、あるいは計画した事業が完遂できず挫折した君主に与えられる文字。仲哀天皇は50代まで生きているので前者ではない。やはり三韓征伐の途中で崩御したことによるものだろう。
応神天皇(第15代)
- 日本で最も支店数が多い八幡宮チェーンの創業者。
- お墓は日本で2番目に大きい。
- 明らかに仁徳陵よりも手間がかかっており、基準のとりかたによっては最大。
- その大きさのおかげで、宮内庁も出店を置いている。
- 五ノ三。名鉄の駅ではない。
- 関西人っぽいが生まれは九州博多。バリバリの九州男児たい!
- しかも生後すぐに海外短期留学を経験。国際派たいねえ、格好良か!
- 実際は、関西育ちみたいなので、十中八九こんな話し方はしていないと思われるというのは御愛嬌。
仁徳天皇(第16代)
- 民(たみ)のかまど。
- で、大山古墳は、誰のお墓なのよ。
- 出土した土器によるともう少し時代が下った人の墓という説もある。ただし、今すぐ精査することは不可能。
- 世界最大の墳墓と言われることもあるが、それは容積でも底面積でもなく、「墳丘の長径」という微妙な基準で見た場合。容積や底面積なら応神陵のほうが上だし、大型のピラミッドにはもちろんかなわない。
- 嫁の磐之媛のヤキモチに生涯苦しめられたらしい。
- 脚をバタつかせ、地団駄踏んで怒り狂ったとか。
- 有力者・葛城氏の出だったので、離縁もできず、仁徳天皇は嫁の機嫌をとるのに四苦八苦した。
- 難波の堀江の開削をした。
- 当時の技術で良くできたなぁと言いたくなるぐらいの大工事。
- 中国の南朝・宋に朝貢した「倭の五王」の一番目「讃」はこの人という説が有力。
- でも、応神天皇説や履中天皇説、大和朝廷と無関係な九州あたりの豪族説もある。
履中天皇(第17代)
- あまり知られていないが実は日本で3番目に大きいお墓で眠っている。
- 酔っ払って眠っていた時に弟に御殿を放火された。
- 「倭の五王」の「珍」はこの人という説が有力。
- でも「讃」と「珍」が兄弟だという中国側の史書に基づき、讃が履中天皇で珍が反正天皇だという説もある。
反正天皇(第18代)
- 仁徳天皇の三男。にしても諡号がひどい。正に反するって…
- 反乱起こしたか、親か親族を殺したか、不倫でもしていたかその辺かなぁ。
- それまでは父子での相続だったのが、履中→反正では兄弟間の相続になったから正に反する、って諡になったと言う説がある。
- イケメンだったらしい。
- 長兄と弟も天皇。次兄は父を焼殺しようとしたので父の命により殺したそうな。
允恭天皇(第19代)
- 古代を代表する美女衣通姫。古事記ではその親父、日本書紀ではその義理の兄。
- 「美しさが衣裳を透かして迫ってくるほどだ」というのが衣通姫の名前の由来。シースルー……?
安康天皇(第20代)
- 暗殺された初めての天皇。誤解して殺した叔父の息子に復讐された。
雄略天皇(第21代)
- ワカタケル大王。武蔵国の稲荷山まで武名を轟かせた。
- 倭王武。
- 武に先んずる4人の倭王「讃」「珍」「済」「興」が誰なのかは諸説あるが、武だけは雄略天皇ということでだいたい一致しているようだ。「倭の五王は大和朝廷とは関係ない」と言ってたセンセイ、そこんとこはどうなの?
- 旅先で美少女を見つけ、「都に帰ったら妃に迎えるのでそのつもりでな」と言い置いたが、帰ったらすっかり忘れていた。美少女はお召しを待ち続け、ついに老婆になってしまった。
- ひとこと言いたくて都にやってきた。雄略天皇はあわてて謝罪し、多くの贈り物を持たせた。
- こんなほのぼのエピソード(?)が伝わるのは、人々に親しまれた帝だった証だろう。
- ひとこと言いたくて都にやってきた。雄略天皇はあわてて謝罪し、多くの贈り物を持たせた。
- 万葉集の一番最初に収録されている歌の作者とされる。「籠もよ」で始まるこの歌は、丘で春の菜摘みをしている乙女に求愛をするという内容。つくづく女絡みのエピソードの多い人物である。
清寧天皇(第22代)
- アルビノであったらしい。妻子なく崩御。
顕宗天皇(第23代)
- 父親をワカタケルに誤解されて殺された二王子の弟、ヲケ。
- 二王子の逃亡生活から発見に至るまでは涙涙の物語。
仁賢天皇(第24代)
- 父親をワカタケルに誤解されて殺された二王子の兄、オケ。
- 「俺たちが世に出たのはお前のおかげだ、弟よ」と言って、弟を先に皇位につかせた。
武烈天皇(第25代)
- 「古事記」ではなぜかスルーされ、記述がほとんど無い。「日本書紀」では殷の紂王ばりの暴君扱いされている。
- 紂王の他、夏の桀王、呉の孫晧、隋の煬帝など、「前王朝の最後の王様」というのはボロクソに書かれるのが常。継体天皇から王朝が交代したのではないかという説の根拠のひとつになっている。
- 女官を裸にして馬の交尾を見せ、アソコが濡れた者を殺し、濡れなかった者を奴隷にしたとか意味不明な「暴虐」も。
- マジレスすると、「馬の交尾で濡れるような女は欲求不満の淫乱か獣姦趣味だからイラネ」という事であろう。
- 「濡れなかった者を奴隷にした」ほうはどうなるのかな? やっぱり意味不明としか。
- マジレスすると、「馬の交尾で濡れるような女は欲求不満の淫乱か獣姦趣味だからイラネ」という事であろう。
- 「古事記」がスルーしていること自体、「日本書紀」の記述の信憑性を高めているような気がするのだが……
- 逆でしょ。中国の故事の影響が大きい日本書紀が、古事記がスルーしている天皇をわざわざ貶めているということが、ここでの王朝交代説の信憑性を高めていると思う。