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<[[THE 道]]
*モノレールは[[もしあの鉄道路線が開業していたら/モノレール]]へ記載するようお願いいたします。
*'''東北の国道'''の噂。国道のうち、高速道路・有料道路については[[高速道路]]・[[自動車専用道路]]へ。
*地下鉄は[[もしあの鉄道路線が開業していたら/地下鉄]]へ記載するようお願いいたします。


==主要な国道<!--Chakuwikiで記事の量が多い国道のことです-->==
==京王関連==
*[[国道4号]]
===国立線===
*[[国道6号]]
*府中~国立間を結ぶ計画だった。
*[[国道7号]]
#西武が国立の都市計画の主導を握れなくなっていた。
*[[国道13号]]
#*マジレスすると、西武も、しっかり京王がこちらに来ることを想定していて、パンフレッっとにも構想中としてあったらしい。
*[[国道48号]]
#分倍河原だけでなく谷保も京王とJRの共同使用駅になっていた。
*[[国道49号]]
#*どちらの駅も京王が管理する事になっていれば、谷保~分倍河原間で通過特例が設けられていた可能性もある。とは言え西府駅開業後は特例の扱いで厄介になりそう。
*[[国道115号]]
#都心に直通する列車はおそらく朝夕ラッシュ時のみ。
*[[国道121号]]
#*とは言えそれなりに需要はあるはずなので、折り返し便も6両編成くらいにはなっている。
*[[国道294号]]
#*モノレール開業時までは立川への最短アクセス手段としての需要も根強かった。
*[[国道352号]]
*[[国道400号]]


==国道45号==
===蒲田線(仮)===
#仙台~青森間の国道 この区間の谷沿いに進む[[国道4号]]とは異なり、東北の三陸側を走る。
京王の前身である武蔵電気軌道株式会社は蒲田~調布~立川間の路線を計画していました。
#*実質、十和田市までの国道だが
#南武線との競合関係になっていた。
#**十和田バイパスが45号の末端。この道路の開通以前は旧4号(今は県道扱い)で終わっていた。
#*南武線の新性能化は早期に進み、車両は分割民営化直後の時点で103系に統一。JR発足後は205系・209系が優先して投入され、京王を迎え撃っていた。
#*現在旧上北町まで開通し、いずれは天間林まで伸びてみちのく有料道路とつながる予定の上北道路は国道45号扱い。ということは将来は十和田市は通らなくなる?
#**当然快速運転開始は分割民営化直後早期に行われていた。
#リアス式海岸が有名。
#大東急時代に保守費用の削減を目的として旧京浜電気鉄道との車両規格の統一が行われていたかもしれない。
#海岸沿いにしてはアップダウンや急カーブが多いので、国道4号よりも時間がかかる。特に岩手の区間がきつい。
#*同時に[[#標準軌に改軌していたら|標準軌に改軌される]]
#*国道45号経由で仙台から八戸へは約400kmだが、国道4号で行くと約300kmと圧倒的に4号線の方が近い。(国道4号は八戸を通過せず、南部町で最も近づく。以降は国道104号を走る。)
#*大東急の戦後復興策として京王蒲田と京浜蒲田を結ぶ路線が検討されていた。
#*カタログ的な距離やアップダウンの他、殆どが片側1車線と悪条件が重なる。
#*上記計画がなかったとしてもほぼ確実に蒲蒲線計画には絡んでいた。
#塩釜で無駄に遠回りしている。国道マニア以外で通過するドライバーはまずいない。
#新宿~立川間の列車も一定数は存在するはず。
#*仙台から松島方面へ向かうには県道8号(通称「利府街道」)を使うのが常識。
#ルートによっては東急多摩川線の存在自体にも相当な影響を与えていた。
#多賀城市との境付近までは4車線化されているけどそこで力尽きたみたい…地形とかの問題もあるから仕方ないけど、塩竈市~松島町高城までの現道は2桁国道の役割を果たせていないと思う(そのための三陸道や利府街道だけど)
#岩泉町の小本地区の中野坂は最大の難所。2桁国道では珍しく30km/h制限なうえ、久慈方向から宮古方面へ制限速度以上で坂を下っていくと、猛烈な怪音を聞かされる。
#*三陸北道路が開通した現在は解消。宮古方向から久慈方面へ中野峠に差し掛かる手前にある小本交差点の案内標識は、旧道の直進方向はすごくぐねぐねしているように描かれ、左折の国道455号→三陸北道路方向へ露骨に誘導している。
#地図から想像するほど海は見えない。
#岩泉~田野畑間は他の区間の交通量が嘘のように静寂に包まれている。
#*僻地なんだな、と実感する。基本計画区間で宮古~久慈が盛り込まれなかったのも納得してしまう(住民にとっては死活問題だろうけど)
#東北内の国道の中では国道4号に次いで長い。
#岩手の洋野町から仙台までの距離が表示されるが、東北内で青看に表示されている距離としては最長。(ちなみに、375km)
#*南だと[[気仙沼市]]内で入れ替わる。北の最長は、中心部だと「[[宮古市|宮古]]」(138km)までだが、中心部を抜けると「[[青森市|青森]]」(361km)に代わる。
#久慈市内の区間は自動車専用道路(久慈道路)。
#全国で6番目に長い国道であり1桁国道並みに長い。2桁国道最長であり、[[国道42号]]よりも長い。
#途中区間にほんのわずかだけ存在する4車線は三陸道の開通で一気に車通りが減ってしまった。
#二級国道だったが、1960年チリ沖地震を機に一級国道への格上げが決まり、1963年に一級国道45号となった。
#東日本大震災以降、区画整理で市街地のルート変更が行われたりしている。


==国道46号==
===両国線===
#盛岡~秋田を結ぶ国道。協和で[[国道13号]]に合流され、以後は地図上でも実際にも全く存在感がないが実は国道13号に隠れたまま秋田市まで続いている。
新宿~神楽坂~飯田橋~九段下~東京~日本橋~浜町~両国
#*この道路があるためか、秋田道が開通した現在でもなお東北道の盛岡インターの案内標識は「盛岡 秋田」。
#結局新宿より先は都営新宿線となる。
#県境の峠越え部分は、車が通れるルートとしては1964年の旧道開通以来、2代目のみち。
#*ただし終点は本八幡でなかった可能性大。
#*1977年4月開通。旧道は開通から13年で放置されたかと思いきや、この旧道が通信保守業務で雪が少なめな岩手県側が私道化され残ったおかげで秋田CATVの[[岩手のメディア#IBC岩手放送の噂|IBC]]受信点が設置され、TBS系がない(かつ全国で唯一TBS系の視聴環境がよくない)秋田県の[[秋田市]]民にTBS系を見れるようになっていたりする。
#東京駅に直結できるので、千葉県営鉄道北千葉線の計画がもっと具体化していた。
#**このため岩手ローカルCMの岩手県内店舗リストに秋田が[[八戸市|八戸]](フジテレビ系がない青森県だが在盛全局を見れる)とともに登場する県外地名となったり。
#中央快速線に対抗するためライナーの投入がもっと早まっていたかもしれない。
#生保内から協和までは国道341号と重複。さらに角館の直前で一瞬、国道105号と重複。
#近年、生保内(おぼない)バイパスや角館バイパスと立て続けに整備している。特に角館が全線開通すれば、花見の季節も渋滞知らずになるか?
#*角館バイパスは高速道路の規格…将来的に盛岡秋田道路に編入する気だろうか?
#岩手側の最初の登坂車線が極端に短い。
#盛岡ICから盛岡南ICまでを南北に貫通する「盛岡西バイパス」は4号ではなく46号のバイパス。バイパスの南側は県道との接続で4号とは接していない。
#*現道と盛岡西バイパスでは46号としての起点が全く異なる位置となり、盛岡西バイパスには独立したキロポストが付けられている。
#*2017年4月に[[国道4号]]~西バイパス北口の現道が市道・県道に降格、同時に国道4号~西バイパス南口の県道が国道46号に昇格し、盛岡西バイパスが正式な国道46号の本線となった。これに伴い、国道46号の起点(国道4号との交点)がNHK前から盛岡南IC入口まで約9kmも南下することになった。
#**現道と異なり、右左折する有様で線形が悪くなった。
#E46秋田道との並走区間は国道13号重複区間だが、高速は46が13に下克上。
#乃木坂、櫻坂、日向坂はありません。


==国道47号==
===東京山手急行電鉄===
#仙台~酒田を結ぶ国道。
現在の京王井の頭線は、もと帝都電鉄と言いましたが、その前身は山手急行・渋谷急行という2つの私鉄でした。渋谷急行の部分は井の頭線になりましたが、山手急行のほうは大井町から洲崎まで、50キロを超える大型路線として計画されていました。<BR>
#*仙台の苦竹ICが法的な起点。
昭和不況や、鬼怒川水力電気の分離などのからみで、資金難に陥ったため、計画倒れに終わってしまいましたが、これが実現していれば、山手線の外郭を結ぶ第二の環状線として、大いに役立っていたことでしょう。<BR>
#**でも、明らかに大崎が起点。(仙台~大崎間は国道4号に寄生。国道標識は全く存在しない。)
もし山手急行線が予定どおり実現・存続しており、渋谷急行線(井の頭線)も小田急や京王の傘下にならず帝都電鉄のままであったら?
#***しかし、仙台北部道路は47号のバイパス扱い。
#****なのだが、ナンバリングは常磐道・東部道路からの延長で「E6」。「E47」を名乗る道路は今のところ存在せず
#**仙台を起点とする2桁国道は他に国道45号と国道48号があり、この2つの国道は起点を示す表示が存在するが、47号にはない。
#*最上川沿いの景観は見事。
#**鳴子峡の眺めもいい。
#*大崎から鳴子間は国道108号との重複区間。
#*以上から、宮城県内はほとんどが他国道との重複区間。
#宮城・山形県境は峠越えしていないように思える。
#*そのため大型トラックが宮城、最上、庄内を行き来するときは国道48号や山形道を使わず、この道を通るらしい。目立たないけど重要な道路である。
#国道49号と同様に起終点ともにIC。
#重複区間を除けば、ほとんど片側1車線。
#*東北道を過ぎたら、あとは終点まで2車線追越禁止の50km/h制限が延々と続く。交通量も多いので低速車にも頻繁に引っかかる。
#[[国道17号]]や{{国道|中国地方|29}}と同様、うまい具合に4→7を結ぶ。
#新庄酒田道路は徐々に建設が進んでいるが、東進して石巻港と直結する高規格道路は計画どまりのようだ(2014年現在)…鳴子の観光需要もあるのだが。


==国道101号==
#接続する鉄道線が非常に多いので重宝する。ただ長距離客はあまり望めそうにない。
#両端は国道7号と重複区間
#接続駅における他線の扱いも違ってくる。
#*能代付近もこの国道と重複する。つまり、国道7号との重複は3箇所あることになる。
#*駒沢大学には田園都市線の急行も停車。
#*県庁所在地同士を連結するとは言え、単独区間の開始・終了地点は市街地から離れている。
#*梅ヶ丘には小田急の急行も停車。同じグループみたいなものなので無視はできない。
#青森・秋田の西海岸を疾走する。
#*江古田には西武の準急と快速が停車。急行はさすがに停車しないか。
#やたらとイカが干して焼いてる店が多い。
#*大山には東武東上線の準急と急行が停車。
#*鰺ヶ沢近辺は特に
#*八広には京成押上線の快速が停車。特急は停車しないか。
#*イカを売りにしている[[東北の道の駅#ふかうら|道の駅]]もある。
#*平井の総武線快速停車は無理だろう。
#男鹿はありえないルートで迷走酷道。
#渋谷急行線(井の頭線)とは明大前で同一平面乗り換えが可能。連絡線もある。
#*能代以南は本来の路線の延長路として指定された。存在感は薄いし、国道7号よりも遠回り。
#*井の頭線の明大前駅附近をよく見ると、複々線のスペースがとってあることがわかる。山手急行線との接続のために確保されていた。
#*この辺りは、市道以下のレベルまで落ちている。
#*大井町発渋谷行きとか、吉祥寺発北千住行きなども可能。
#*なぜ、このルートで指定されたのか?道路標識を作るためか。
#*乗る人いないだろ。
#*利権の臭いがプンプンする。
#**史実の明大前の乗客とかを考えると結構使うと思うぞ?
#*現在はなくなりまともなルートの道になりました。
#車庫は大井町、駒沢公園、峡田、東陽町あたりに設置かな。
#沿線にサンタクロースが来るらしい。
#もう少し頑張って本当に環状線にしてしまえばさらに便利だった。
#道の駅はちもりは、付近のドライブインより劣る。
#*りんかい線に乗り入れるのもアリか。
#*東陽町から先、豊洲や晴海、品川辺りを経由して大井町に至るルートかと。
#大井町・渋谷・吉祥寺・北千住・東陽町あたりは大きなターミナルとなり、「帝都百貨店」が建てられる。
#*そのかわり阪急(大井町)、東急プラザ(渋谷)、東急ハンズ(北千住)はできなかった。
#*戦後「帝都」の文字をはばかって「テイトデパート」とかになるかも。
#戦時合併で京王電気軌道と合併していた。
#*[[京王線]]は「帝都電鉄京王線」になっていた。
#*京王の路線規模を考えると、戦後も分離しないままだろう。
#*北千住から先は京成、中野-駒込間は西武と合併していた。
#[[もし東武鉄道が○○だったら#西板線が上板橋駅まで全通していたら|東武西板線]]とも関係するルートなので、[[浅草駅|浅草]]か亀戸までの直通、また[[東武伊勢崎線|伊勢崎線]]と[[東武東上線|東上線]]の連絡(現実で[[秩父鉄道]]がしている)を果たす。
#メトロセブン・エイトライナーは構想自体が存在しない。
#*江戸川区内の南北移動の手段としての構想はあったかと。


==国道102号==
===富士見ヶ丘から分岐線===
#弘前から十和田湖の北側を通過し、十和田に至る。
1960年代、富士見ヶ丘から三鷹・西国立方面に路線を延長する計画があったそうです。
#弘前~黒石間には3桁国道にしては贅沢すぎるほど、片側3車線区間がある。
#勿論富士見ヶ丘は急行停車駅となっている。
#逆に十和田湖近辺はセンターラインのない箇所が多く、カーブもきつい。
#流石に吉祥寺方面が実質的な支線と化する事はない…はず。
#相鉄のように三鷹・西国立方面と吉祥寺方面で優等列車の種別が分かれていた。


==国道103号==
===井の頭線延伸===
#県内屈指の観光道路。
*吉祥寺から田無を経由して東久留米までの延伸計画があった。
#その名もゴールドライン。
**吉祥寺~田無~ひばりヶ丘はよく妄想路線として描かれるが実際に計画があったことを知る人は少ない。
#おかげでハイシーズンは観光バスで激しく渋滞。
#東久留米ではなくひばりヶ丘が終点になっていたかもしれない。
#一部区間で冬季閉鎖。
#吉祥寺は2面4線になり永福町とともに急行の緩急接続が行われた。
#*傘松峠のことね。
#さらに東武東上線沿線までの延伸が検討されていた。
#大館市と鹿角市の間は大館と東北道十和田ICのアクセス道路。
#*バイパスが通りかなり高規格。大館南バイパス以外は片側1車線だが線形がよく道幅も広いためかなり走りやすい。


==国道104号==
==京成関連==
#八戸~大館間の国道。
===京成上野駅から京王新宿駅(現在の都営新宿線 新宿三丁目駅付近)までの路線===
#*八戸~三戸間は指定区間の扱い。
*レール幅が同じだった京王、王子電気軌道(現在の都電荒川線を運営してた私鉄)との合併計画が過去に在ったので、このような路線計画が現実に在ったらしい。
#八戸の売市交差点で鋭角に折れ曲がっている。
**途中の飯田橋駅で京王が計画してた東京駅経由両国駅までの路線計画も存在してました。
#*青信号のまま通過しようとすると、ヘアピンカーブを走っているかのような感覚になる。
#史実の都営地下鉄大江戸線の環状部の北側は確実に別ルートに成って居たハズ。
#**だが地元民で国道指定のルートを律儀に走る人はそうそういない(短絡している道路がある)。
#*新宿西口駅-大久保駅(JR大久保駅・新大久保駅付近)-西早稲田駅-早稲田駅-江戸川橋駅-飯田橋駅-水道橋駅-御茶ノ水駅-秋葉原駅-新御徒町駅-蔵前駅-両国(江戸東京博物館前)駅…………以下、史実と同じ。
#*4号線との交差点である剣吉交差点も、八戸方面から十和田湖方面へ向かうと、ヘアピンカーブに近い構造に見える。
#**または新宿西口駅-大久保駅-西早稲田駅-早稲田駅-江戸川橋駅-護国寺駅-茗荷谷駅-春日駅-本郷三丁目駅-上野御徒町駅(史実の駅よりも東京メトロ千代田線の湯島駅に近づける)-新御徒町駅…………以下、史実と同じ。
#国道103号との重複が長い。
#史実の飯田橋駅が、もっと便利に成って居たのは確実で後楽園球場、後楽園ホール、後楽園ゆうえんちに行くのに便利な私鉄沿線だったので週末の利用客で京成も京王も、かなり儲けて居たハズ。
#*しかも、連番同士なので紛らわしい。
#*とくに京成はジャイアンツの人気に、あやかった記念乗車券や企画乗車券(トクトクきっぷ)を売り出してたと思う。
#単独区間では八戸市内~剣吉交差点(国道4号との交点)が一番交通量が多い。
#想定されるルートは、以下の通り。
#*実質的に国道4号の支線のような役割をしている。
#*京成上野駅-本郷三丁目駅(史実の都営地下鉄大江戸線の駅と同じ位置)-春日駅(史実の都営地下鉄大江戸線の駅と同じ位置)-飯田橋駅-市ヶ谷駅(史実の東京メトロ南北線の駅と同じ位置)-曙橋駅(史実の都営地下鉄新宿線の駅と同じ位置)-京王新宿駅。
#**交通量も南側から4号をそのまま進む車より104号に入る車のほうが多い。
#*大型トラックがバンバン走る。
#*剣吉交差点で八戸方面から三戸方面へは大きく曲がる。
#**正直まっすぐ道路を通そうとすれば作れる気が・・・


==国道105号==
===京成浅草線(京成曳舟~浅草)===
#21世紀になって以来、大曲西道路・岩谷道路と相次いで自動車専用道路が開通した。
*京成電鉄は、東武鉄道とともに浅草に乗り入れる計画がありました。史実では、東武のみが浅草駅に乗り入れましたが、京成のみが浅草に乗り入れた場合、
#*これらは、計画されている本荘大曲道路のほんの一部。他に大曲鷹巣道路も計画されているものの、ともに全線開通の目途は全く立っていない。
#当然ながら、京成上野~青砥間は開通していない。
#*仙北市と北秋田市の間の区間はアップダウンと急カーブの連続。阿仁町内に着いた時、ホッとする。同じく仙北市から鹿角市に抜ける国道341号線も山越え区間はかなり険しい。仙北地域→県北地域へ抜ける道はいばらの道ばかり。
#*京成押上線が本線となっていた。
#東武は、筑波高速度電気鉄道の免許を利用して、上野に乗り入れた。
#*その場合、東武伊勢崎線は上野~北千住~伊勢崎間となり、東武亀戸線は北千住~亀戸間になっていた。
#*東京メトロ半蔵門線との直通運転は史実通り。
#東京スカイツリーは京成電鉄の手で、建設された。
#戦後、浅草駅は地下駅となり、都営地下鉄浅草線の終点は浅草駅になっていた。
#*浅草駅は東京都交通局と京成の共同管理駅になっていた。
#松屋浅草店は、京成百貨店浅草店になっていたかもしれない。
#特急スカイライナーの利用客は史実より少なかったかもしれない。
#*AE100形登場の時点で間違いなく浅草線直通が前提となっていた。


==国道106号==
==京急関連==
#盛岡~宮古間で、山田線より重宝されている106急行が走る。
===五反田線===
#*山田線は大志田、浅岸と遠回りしているが、106号はショートカット。
蒲田~五反田~田町
#*だが、106号が経由する簗川は、大志田・浅岸と肩を並べるほどの秘境。
#東急池上線に急行が設定されていた。
#盛岡~宮古間約100kmのほとんどが片側1車線&カーブの連続なのでちょっとした直線やカーブ手前でも命がけで追い越しをかけてくる。
#泉岳寺延長は行われず、浅草線への直通はこの路線が担っていた。
#*その為正面衝突多い。事故ればかなりの確率でお亡くなりになられます。
#*品川への乗り入れは浅草線短絡新線で初めて検討されていた。
#*基本的にカーブでも70~80キロで流れている。
#遅くとも大東急時代には下神明駅が開業していた。
#*冬場は東北屈指のアイスバーンと化して冗談抜きの命がけに。
#*大田区内にももう少し駅が設けられていたかもしれない。
#震災復興の一環で並行する高規格道路の建設が進む。難所の峠ももうじき急勾配急カーブ無く越えられるようになる。
#蒲蒲線計画は存在しなかった。
#これだけの交通量と重要性がありながらも、2桁昇格や直轄化は今だ叶わず。


==国道107号==
===青山線===
#北上から横手・秋田方面へ[[釜石自動車道・秋田自動車道|秋田自動車道]]が開通したが、高速料金を節約したいドライバーは湯田ダム沿いのこちらを選ぶ。
#千駄ヶ谷から先、新宿まで延長していたかもしれない。
#*夜、湯田ダム周辺に幽霊が出没するらしい。
#*東急東横線や湘南新宿ラインと激しい競争が起こる。
#秋田県横手市黒沢地区に、僅か2km程の間に連続して10もの橋を渡る区間がある。9つは横手川の支流の黒沢川を渡る(その名も「黒沢●号橋:●は1~9の数字が入る」)。残り一つはJR北上線の黒沢こ線橋。川が蛇行しているところに直線的に道路を造ったのでこうなった。
#*空港線の電車も乗り入れてくる。
#雄物川を渡る「新雄物川橋」。昔は「雄物川橋」だけだったが、その狭さ故に、前後区間のバイパス化も伴って「新-」が造られた。数年間は2つの橋ともに通行できたが、その後元々の「雄物川橋」は老朽化のために?解体され、「新」が残った。
#**東京モノレールの利用者は現実よりも減っている。
#由利本荘市は改良区間が多く、走りにくい区間は殆どない。2000年~2007年、東由利・黄桜・新諏訪山・鳥田目・絆の茂里の5本のトンネルが相次いで開通した。しかし、今年の冬に絆の茂里トンネルで死亡事故が…。
#*新宿に京急百貨店が開店していた。
#県境付近は「岩手県道1号・秋田県道1号盛岡横手線」との重複区間。秋田県側には単独区間が存在せず、ネットで調べない限り、その名を知る事はほぼ不可能だろう。岩手県側は、湯田町の川尻橋東側の丁字路で分岐。
#**タイムズスクエアが京急百貨店新宿店になっていた。
#北東北と南東北の境目。岩手県域は南部と伊達の藩境に近い。
#泉岳寺どまりになっている快特が乗り入れてくる。
#*秋田側もこの国道より南側は山形県(内陸側は最上、由利本荘は庄内)の文化に近い。
#首都圏の大手私鉄における京急の地位が現実より向上していた。
#千駄ヶ谷付近を通るため、東京オリンピックの際、観客輸送に力を入れた。
#*通称「オリンピック特急」が城南地区、神奈川方面からの会場アクセス列車として重宝された。
#軌間が1372mmのままだったら、京王および都営新宿線と相互乗り入れしていた。
#*京成も改軌せずに都営新宿線・京王・京急と相互乗り入れを行うため、都営新宿線が都営浅草線状態になっていた。
#*新線新宿駅は2面4線で建設されていた。
#池上電気鉄道の品川延長計画も実現していたかもしれない。
#*この場合池上電気鉄道は1435mmへの改軌を行い、最終的に京急に合併されていた。
#東京○号線に組み込まれ都営の路線になっていたかもしれない。


==国道108号==
===本線延長===
#鬼首・松ノ木と冬期閉鎖の峠が2つもあったが、冬期も通行できるバイパスが1996年に相次いで開通した。
;大手町延長
#宮城県内と秋田県内(湯沢・由利本荘など)を結ぶ最短ルート。しかも無料。
品川~赤羽橋~南佐久間町~大手町。
#*鬼首トンネルは東北地方の一般道の中では大峠トンネルに次いで長いトンネル。松ノ木トンネルも一般道で県内3位(県境のものを除けば1位)の長さを誇る。
#浅草線への乗り入れは恐らくは史実通り。
#*宮城県~秋田県間のみならず、山形県内陸部から秋田県沿岸へ行くにもこのルートを通るのが吉
#*その代り浅草線短絡新線計画にかなりの影響が出ていた。
#鳴子ダム近辺の狭隘区間を解消するため、花渕山バイパスを難工事ながら建設中。
#JRとの競合がさらに苛烈な物になっていた。
#*花淵山バイパスは完成したが、以北の区間には狭隘急勾配急カーブがわずかに残る。
#*一方対羽田空港はほぼモノレールに完勝。
#起点から鳴子まで、47号と繋がるように指定区間になっている。でも明らかに指定区間外の方が整備されている。
#赤羽橋駅には「東京タワー前」の副駅名がついていた。


==国道109号・110号・111号(欠番)==
;新橋延長
#今は存在しないがかつて東北地方に存在していた。
品川~汐留。
#現在東北にある国道45号~49号は以前3桁の国道番号を割り当てられていた。昭和38年に番号変更された際、多くの3桁国道は別の道路に指定変更されたが、この3線はそれがなされず、欠番となった。
#最終的に新橋まで延長されていた。
#*111号は現在の45号の大部分、110号は現在の48号、109号は現在の47号古川~鳴子、108号鳴子~雄勝、13号雄勝~横手で、元々108号だった古川~酒田を47号に変更した際、残りの108号と109号を統合して今の108号になった。
#*東京地下鉄道との直通が頓挫した場合、浅草線は新橋が起点となっていた。
#九州の214~216号は同じ昭和38年(1963)4月1日に[[国道57号|57号]]へ統合。
#**その場合車庫はどこに建設されていただろうか?
#***車庫が西馬込でない場合、西馬込には三田線が延長していた。
#汐留駅は東京地下鉄道との直通を前提とした構造になっていた。


==国道112号==
==西武関連==
#山形~酒田間の国道。
===新宿線国鉄新宿駅延伸===
#*山形県の内陸と庄内を結ぶ幹線。(国道47・344号より有名)
{{駅名標/西武|name=新宿|ruby=しんじゅく|roma=Shinjuku<br />신주쿠|back=|back2=|back3=|next=高田馬場|next2=たかだのばば|next3=Takadanobaba<br />다카다노바바}}
#*鶴岡まで指定区間。
#「西武新宿駅」ではなく単に「新宿駅」と名乗っていた。
#*山形市街地は直轄国道には思えないほど貧弱
#*JR各線だけでなく小田急・京王・地下鉄各線との乗換駅にもなっている。
#月山道路は日本の道100選に選ばれている。
#*史実よりも新宿線の利用者数は大幅に増えていた。
#*旧道は狭く、ガードレールがない箇所もある。でも、酷道として名高い国道425号や国道418号とかと比べるとまだまだやさしい。
#現実のルミネエストなどがある辺りに駅があった。
#鶴岡~酒田間の存在感は弱い。
#*西武百貨店の新宿店が併設されていた。
#*この区間には庄内有数の温泉地・湯野浜があり、海沿いを走る。山越えの月山道路と同じ道とは思えない変わりようである。
#高田馬場駅の地位は低下する。
#山形市内に鶴岡方面の一方通行の箇所あり。
#*間違いなく特急レッドアローは通過する。
#逆に山形市内に飯田方面の一方通行の箇所もある。
#何故か小田急との直通構想が持ち上がる。
#*実は何と酒田市内にまでも一方通行区間が存在する。
#*実現すれば本川越〜箱根湯本間の有料特急なども登場するかもしれない。
#軟弱地盤の上に造られているらしく、毎年のように夏は工事している…大雨で通行止めになる47号といい、ボトルネック解消のために新庄酒田道路を早期全通すべきでは?(by宮城県大崎市在住、ついでに我田引道で新庄石巻道路も!笑)
#ホーム数確保の為に地下ホームも建設していた。
#月山道路は「国道」としては素晴らしい道だ。開通当時は県内に高速道路が全くなかったので県民はこれでも便利になったと思った。だが両端に山形道がつながり、高速交通網の一翼を担わせるには脆弱な気がする。特に冬の悪天候時の危険度は国内有数であり、通行止めになることも少なからずある。県内(特に庄内)の行政・経済界はこれでいいと思っているのだろうか。
#*史実では構想倒れになった急行線が正式に開業していた。
#どちらの方向でも全線走破は不可能。なぜなら、どちらの方面にも一方通行があるので行かれない為である。
#歌舞伎町の最寄駅は丸ノ内線の新宿駅になっていた。
#*[[大阪の道路交通#15号八尾茨木線|大阪府道15号茨木八尾線]]と同様。
#*もしくは新大久保の南側に歌舞伎町駅が出来ていた。
#新宿駅のホーム有効長の関係から6両編成が限界だったが、70年代に同駅の大規模な改装が行われようやく10両編成に対応。
#本川越直前の単線区間も複線化されていた。
#新宿~西武秩父間を結ぶ特急「おくちちぶ」が運行されていた。
#*西武秩父線が開業したのと同時に、登場していたかもしれない。(史実では、1976年に登場)
#*新宿~本川越間を結ぶ特急「小江戸」はなかったか、朝夕ラッシュ時のみに運行されていた。
#新宿駅は史実より混雑が激しくなっていた。
#*むしろ、混雑緩和のために、高田馬場駅は特急も含む全ての旅客営業列車が停車していた。
#3面4線のホームを有する高架駅になっていた。


==国道113号==
===西武村山線===
#新潟から山形、宮城を経て、福島県相馬に至る国道。
{{駅名標/西武|name=武蔵村山|ruby=むさしむらやま|roma=Musashimurayama|back=神明|back2=しんめい|back3=Shinmei|next=三ヶ木|next2=みつぎ|next3=Mitsugi|}}
#*おそらく福島じゃ一番存在感がうすい。相馬しか通ってない。
東村山~箱根ヶ崎間
#宮城の七ヶ宿町は最も、交通量の少ない区間。周辺はのどかな集落だらけ。
#武蔵村山市は、交通の利便性が良くなり、史実より人口が増えていた。
#*交通量が少ないので白石市小原小~七ヶ宿ダム終わりまでの区間は車いなければ80~100km/hくらいで走行出来る。
#西武新宿と箱根ヶ崎を結ぶ急行が運行されていた。やがて、拝島ライナーのような村山ライナーが運行されていた。
#新潟の村上から山形の南陽間は指定区間。(この区間には新潟(起点となる本町通)から(まで)のキロポストがある。)
#西武園駅の位置が西武遊園地駅付近に移転していた。
#*新潟~村上間は7号線経由で辿った距離で表示される。
#*西武園駅自体なかったかも
#郡山JCT~磐越道区間の高速料金負担すら厳しい高速バス仙台~長野松本・富山・金沢線はこの113号・小国まわりで運行。もっとも、距離的には磐越道経由よりこの小国まわりのほうが仙台~新潟間でみれば近い。
#多摩都市モノレールの上北台以遠の延伸はなかった。
#中途半端に新新バイパスとの重複になる区間がある。
#村山貯水池工事の資材運搬に利用されていたのかも
#*すぐ近くに東港が存在し、橋の架橋ができなかったからだと思われる。
#西武国分寺線と相互直通運転を行い、国分寺~東村山~箱根ヶ崎・武蔵村山間を結ぶ列車が運行されていた。
#*笹山から横土居までのバイパスができて重複がようやく解消。
#*もしくは、国分寺線は国分寺~新所沢・本川越間での運行となり、西武新宿・東村山~箱根ヶ崎・武蔵村山間を結ぶ列車が運行されていた。
#**実のところそれまでも一応港側に橋も架かった道はあったのだが、国道にしなかったのは港の施設を一般に開放する形だったのかな?
#年代によっては西武拝島線の開通が遅れていたか開通しなかったかもしれない。
#新潟~村上間は右左折が多く、線形が悪い。
#旧新潟市の市民なら大体「空港通」で通じる。
#山形県内に入ると実際には通らない山形市が距離標識に出る。(相馬方向のみ)


==国道114号==
===多摩川線新宿線接続===
#福島の県庁所在地から原子力発電所をつなぐ国道。
{{駅名標/西武|name=武蔵関前|ruby=むさしせきまえ|roma=Musashisekimae|back=武蔵関|back2=むさしせき|back3=Musashiseki|next=武蔵境|next2=むさしさかい|next3=Musashisakai|}}
#*起点が微妙に4号線に届いていない。市道接続。
*多摩川線は西武入り後、他の西武線との接続を計画しており、戦後間もない時期には実際に武蔵境から新宿線武蔵関への路線建設免許が申請されたこともありました(後に取り下げている)。新宿線と接続する計画が実現していたら。
#**改正でやっと4号線に届いた。
#上述武蔵関駅を含む上石神井~小平間のどこかの駅につなげていた。
#*重要な道路の割に、整備がされていない箇所が多い。
#*構想では上石神井で、武蔵関の前の計画では東伏見だったらしい。
#**それは、国道349号重複区間より東部だけ。福島~川俣は交通量も多いし、バイパス区間もある。
#実際に申請された免許の通りに武蔵関駅に接続していたら武蔵関駅は急行停車駅になっていた。
#後半で459号と重複する。
#現状国分寺線が6両・車掌乗務で運転されていることを考えると多摩川線もワンマン化はされていなかったと思われる。4ドア車主体の運行体系だったかも。
#終点直前の標識になぜか東京の文字が出る。
#*101系前期型が最後まで残ったのは多摩湖線国分寺口、あるいは狭山線。
#福島市をなかなか脱出できない。延々と変化に乏しい山道。
#野球開催日に武蔵境、または是政から西武球場前行きの臨時列車が運転される。
#*浪江町の間違いでは?ずいぶん山奥まで来たのに「まだ浪江かよっ」と思うくらい長い。
#[[中央快速線|中央線]]高架化のときに武蔵境駅は2層構造になり、中央線が高々架で西武多摩川線を跨ぐような形になっていた。
#**飯野町を併合したので…。114号に沿ってみょーんと南東に延びているんです。
#自社線のみで検査車両を所沢工場、後には武蔵丘検修場に回送できるようになっていたので、武蔵境駅での中央線との接続は貨物輸送廃止時に絶たれていた。
#**渡利バイパスができて市道降格される前は南向台の交差点から既に人里離れた山道臭がぷんぷんしていた。場合によっちゃ渡利弁天山から少し経ったあたりでも。
#*西武池袋線とJR武蔵野線との連絡線も廃止されていた。
#**夜は恐怖感が漂う。
#白糸台の車両基地は廃止されていたか、あるいは残っていても留置線程度の設備になっていた。
#多摩ニュータウンへの延伸がより現実味のあるものとなっていた。


==国道118号==
===多摩川線多摩ニュータウン方面延伸===
#茨城から会津に至る。
*北多磨(現白糸台)から分岐して多摩センターを経由し城山へ至る計画でしたが、中央線の混雑を悪化させるとの判断により却下され実現しませんでした。
#*茨城は水戸が起点。市内は右左折する箇所が多い。
#多摩センター方面への路線が本線となり、北多磨~是政は盲腸線になっていた。名称は「府中線」
#**さらに、市内は2車線・4車線区間ともに道幅が狭いところが多い。
#*東京競馬場まで延伸する構想もあったらしいから、計画通りにやって「西武競馬場線」にしていた可能性もある。
#*水戸付近から、福島の中通りへ向かうのに重宝する。
#少なくとも複線化はなされていた。
#国道121号に寄生している。寄生してるうちにいつの間にか終点。
#小田急多摩線同様多摩センターから一駅先まで延ばして完結と言う形になっていた。
#*この付近の動脈は国道121号だが、国道118号が優先されている。まあ、番号が若いからそのようにとれなくもないが…
#*もしくは多摩線の当初の計画を受け継ぐかのように京王相模原線の北側(野猿街道経由?)を通って橋本に至っていた。いずれにせよ城山までは建設できずに終わる。
#**2段おにぎりマークは寄生直後にあるだけ。若松市内に入ると121号のマークが一時、消滅する。
#多摩川を渡る辺りだけ下河原線の路盤を流用する計画が浮上するも、おそらく実現せずに終わる。
#**重複区間では須賀川・水戸方面の距離標示ばかり出る…杓子定規じゃなくちゃんと田島・宇都宮方面も案内してほしいと思った。
#*京王の態度にもよるが、関戸近辺は経由出来なかったかもしれない。
#*終点側からいきなり水戸が標識に出る。
#国鉄に配慮して、新宿線まで多摩川線を延伸し、かつ優等列車は武蔵境を通過させる措置が取られていた。
#**以前は須賀川までだったのに…
#*事情を知らない人たちが、なんで武蔵境は中央線と西武線の各駅停車しか止まらないの?と不思議がられていた。
#***もともと須賀川までの国道だったのが93年指定で鳳坂峠越えが組み込まれ会津若松までの国道になった。
#国鉄の中央線複々線化計画や、[[東京メトロ東西線|地下鉄5号線]]の計画とうまいこと結びついていれば、東西線~多摩センター方面の列車が運行されていた。
#****もともとは郡山の49号までの国道だった。今も昔も寄生して終点を迎えるのは変わらない。
#車両基地は新線区間に移転していた。
#茨城県内は久慈川を縫うようにして走る。名勝:袋田の滝へのメインルートでもある。
#*福島県内には他に阿武隈川本流にかかる乙字ヶ滝という滝もあり、この路線は沿線に日本の滝百選を二つ抱えている。
#須賀川市の空港線区間は4車線。
#*「ウルトラマン通り」と呼ばれている。
#*「一里坦」(国道4号立体交差)~影沼町(国道118号に合流)は、福島県道67号という別の道路であるらしい。どちらも交差点直進なので気づかず走行してしまいがちであるが。
#国道294号が途中で合流、分岐するが、どちらかのT字路に信号がなかった記憶がある。
#*勢至堂・黒森から来ると294号線側が止まれの信号無しT字路だった。車自体は少ないので一時停止だけすれば問題無く入れる。
#下郷町で国道121号に合流する際、信号がなく「止まれ」標識だけなので、観光シーズンの休日はなかなか進めない。
#*橋を渡って即交差点なので欄干で左右があまり見えない。
#会津若松市内で若松西バイパスが順次供用中。4車線(一部暫定2車線)。
#*実はあの路線は国道401号だったりする。
#茨城県内は山方あたりから水郡線と併走する。久慈川挟んだり、並んで橋が設置されてたり。
#福島空港に一番近い国道。最終アプローチは2つあり、よく整備された県道の現道か高速規格の県道バイパス。
#*番号はどちらも同じ福島県道42号。
#**前者は矢吹小野線じゃなくて古殿須賀川線では?
#常陸大宮市内でバイパスをシコシコ建設中。いずれは那珂ICまで4車線で結ばれるのかな?


==国道252号==
===多摩川線久我山延伸===
#会津坂下インターから新潟に行く道。
*終戦直後、西武鉄道は久我山から三鷹市を横断し武蔵境に至る軌道の免許を出願していたそうです。
#*新潟は中越地方の柏崎まで続いている。
#どちらにしろ西武の他の路線とは接続しないこととなる。
#**魚沼~柏崎間は17号→291号経由のほうが近い。
#ネット上では井の頭線への直通が叫ばれていた。
#*会津若松から会津坂下に行き、ほぼ直角ターンをして柳津に向かう。
#*「京王に移管すればいいのに」みたいな声もある程度あったはず。
#**観光客が多い七日町通りも実は国道252号。
#多摩ニュータウン延長計画は京王の抗議で早々に却下されていた。
#とんでもない豪雪でこの道がふさがるから超赤字路線の[[只見線]]が生き残っている。まあ冬はどっちも使えないが。
#そもそも「軌道」だったことから西武軌道線と同規格だった可能性もありうる。
#*スノージェットも多い。
#*免許ごと東京都交通局に引き継がれ、都電三鷹線として開業するが数年で廃止になっていた。
#**スノーシェッドね。
#*積極的な除雪はせず自然解凍を待つため、開通は毎年5月下旬です。
#*2011年7月の豪雨で大損害。採算は取れないだろうが全線復旧の日を願う。
#49号分岐から只見までは沿線に何もない。交通量も少なく、沿線の風景もひたすら只見川と山だけ。
#*只見川の由来が「ただ見るだけの川」だからそんなもんである。
#*49号分岐(坂下インター出口)にセブンイレブンがあるが'''福島県側最後の24時間コンビニ'''である。ちなみに県境までは町が4つある(極端な過疎化で村並みの町ばかりだが…)。
#田子倉湖付近のトンネルは狭い。大型車同士の離合は無理。
#*照明のないトンネルも存在する。
#*沿線人口も極端に少ないけど、それを度外視してでも高規格なバイパスを作るべきだと感じる。
#六十里越の福島側はすぐ南を走る国道352号の風景に少し似ている。
#*山肌に沿った道路線形とか。
#*田子倉湖も。(奥只見湖に相当)


==国道279号==
===多摩川線東京競馬場延伸===
#野辺地町から下北半島へ向かう国道。
*是政~東京競馬場
#*海を挟んで函館まで続いている。
#駅名は「競馬場前」駅か「東京競馬場前」駅となっていた。
#**函館港から函館駅まで向かう国道。
#西武多摩川線の利用者が史実よりも多くなっていた。
#下北半島の住民の生命線。
#*国鉄下河原線は史実よりも早く廃止されていた。
#大湊線との踏切が何か所かある。
#吹雪で車が大量に立ち往生して寸断される事態が発生した。
#*このせいでむつ市など下北半島がほぼ陸の孤島と化した(一応太平洋側に338号もあるが)。
#函館市内の一部区間は函館市電が通っている
#*しかも路線が分かれる十字街電停があるなど要所
#函館市役所の最寄り国道


==国道280号==
==東急関連==
#青森市から津軽半島の旧三厩まで続く国道。
===池上電鉄新奥沢線===
#*終点は北海道函館市。ただし北海道は国道228号・227号・5号との重複区間のみ。間に海上区間を挟む。
{{駅名標/東急|name=奥沢|ruby=おくさわ|roma=Okusawa|back=諏訪分|back2=Suwabu|next=自由が丘|next2=Jiyugaoka|color=#ee8647}}
#**海上部分は[[青函トンネル]]とルートが殆ど同じだから先進導坑に道路を通して280号にすればよいのに…。
#どうあがいても結局池上線もろとも東急の路線となる。
#*函館西波止場から函館市電の電停まで続く国道。
#*そして新奥沢駅は奥沢駅と無理矢理統合。
#竜飛岬へのメインルート。松前街道の愛称がある。
#自由が丘か旗の台辺りから二子玉川まで大井町線と並行する。
#*でも、蟹田~竜飛岬へは県道利用の方が格段に早い。
#*前者の場合大井町線の急行が旗の台を飛ばし、後者の場合雪が谷大塚から新奥沢の間は結局廃線。
#旧道には民家が多く点在している。
#*並行してる区間は複々線になる。
#函館市内の一部区間は「海峡通」の愛称がついている
#*これで現実通り大井町線の田園都市線乗り入れが行われたら二子玉の構造が…
#終点直前の道路幅はかなり広いが、ほとんど市電の軌道敷のため
#そのまま国分寺まで行ってしまうためエイトライナー構想が永遠に具現化しない。
#成城学園辺りの小田急沿線から三鷹、調布などの多摩地区に東急帝国の領土が出来る。
#多分路線名は「東急国分寺線」辺りに変わってた。
#国分寺駅では南口側に駅が建設されていた。
#*国分寺駅南口に東急百貨店ができていた。
#大東急時代に小田原線や京王線との接続駅が設置され、会社分離後も大規模改良が行なわれる前は中間改札なしで乗り換えができた。
#雪が谷大塚から五反田か蒲田まで乗り入れていた。
#*いや、東急の路線になっていたとすれば意地でも大井町線に乗り入れるようにしていただろう。故に雪が谷大塚-自由が丘間は存続したとしてもローカル線として固定化される。
#蒲田~国分寺の路線になれば、南武線・横浜線とならぶ東海道線と中央線を結ぶ環状線になっていた。
#国分寺には[[西武鉄道]]も乗り入れていることから、東急vs西武のバトルがここでも繰り広げられたのだろうか。
#*現在では和解し、[[西武新宿線#西武国分寺線の噂|西武国分寺線]]との直通構想が持ち上がっている。


==国道281号==
===東急泉岳寺線===
#盛岡と久慈とを繋ぐ国道。
#浅草線は泉岳寺止まりのままだった。
#*但し盛岡から岩手町までは国道4号との重複なので、実質岩手町から久慈市までの道。
#三田線乗り入れが史実どおり失敗した場合は改軌されていたかも知れない。
#他所からビジネス的に久慈を訪れる場合のメインルート。
#*もしくは池上線の地下化延長に計画が変更され、池上線の地下化と延長という扱いになっていた。
#*盛岡~久慈間の特急バス「白樺号」は、岩手町の中心部を除きほぼこの道の単独区間を走り抜く。新幹線連絡バスの二戸~久慈「スワロー号」も久慈市街への進入路はこの道。
#*泉岳寺ではなく品川方面への延長を狙っていたかもしれない。
#標高800mの平庭高原、600mの大坊峠と2か所のキツ目の峠越えがある。
#高輪地域再開発の際に東急が計画に噛んでいた。
#*おかげで急勾配続き、ヘアピンカーブも複数ある。なので上記「白樺号」が途中バス停を殆ど通過してもスピードが出せない…
#*JRの新駅開業とともに「高輪ゲートウェイ」の副駅名が導入される。
#久慈市街に入る前の久慈渓流の景観が素晴らしい。
#*わざわざハイキングで訪れたくなるレベルの奇岩、巨岩が連なる渓谷を、走りながら鑑賞できる。
#*だが、このあまりにも川に近すぎるルートが仇となり、久慈市街を水浸しにした2016年の台風10号で大打撃を受けた。2017年春になっても復旧途上で、120秒信号の片側通行が複数個所残っている。
#**素掘りらしきトンネルなどがあった川沿いの旧道はこのときに壊滅したもよう。旧道ファン涙目。


==国道282号==
===東京横浜電鉄(渋谷-新宿間)===
#盛岡から青森の碇ヶ関へ向かう国道。
*現在の東横線を新宿まで延伸する構想があったが未成に終わる。副都心線との直通で新宿への乗り入れ自体は一応実現。
#盛岡から青森への近道。
#他に経由するとしたら渋谷区役所ぐらいしか無い。
#*滝沢で国道4号と分岐する。(滝沢分レ)
#恐らく代々木公園駅は確実にあった。
#*東北自動車道が7号線付近に達するまで併走する。
#さすがに埼玉方面まで延びないと思うが…。
#坂梨峠付近は急カーブ急勾配が多く交通量が少ない、、、と言いたいところだけど、実際は意外と2トントラックが走る
#*少なくとも副都心線は計画されなかったか新宿止まりだった。
#**史実(1972年)の答申では品川・羽田空港方面への延伸を検討していたので、渋谷から明治通りをさらに南下して品川へ延伸していただろう(羽田空港への延伸は京急が阻止)。こうなっていたなら、品川に地下鉄の駅ができていただけでなく、東武東上線・西武池袋線から品川へのアクセスが格段に向上していた。ただし、急行の設定はなかったかもしれない。
#**新宿(三丁目)〜渋谷間を管轄する会社が違うだけでほぼ史実通りという可能性も。
#終点駅候補はやはり新宿駅?
#*この場合、東京都庁付近に東急駅がある。
#**史実の計画では京王新宿駅が本来東急の駅になる予定だったそうだから、京王側にかなりの影響が出ていたと思われる。
#新宿付近を除いて全線高架になっていたかもしれない。
#*渋谷駅は地下化前から駅のデザインが全く異なるものになっていた。


==国道283号==
===池上線延長===
#区間:釜石市~花巻市
;大森延長
#JR釜石線と並行する。道路のすぐ横を線路が通っている区間も多く、タイミングが合えば釜石線のSLと併走することも可能。
#大森駅が発展していた。
#*道の駅みやもり付近で釜石線のめがね橋をくぐり、[[東北の道の駅#遠野風の丘|道の駅遠野風の丘]]ではテラスの目の前に釜石線の線路があるなど、沿道にSLを楽しめるスポットも多い。
#駅は池上~大田区役所(後に大田文化の森)~大森となっていた。
#遠野市と釜石市の境界の仙人峠は急カーブ、急勾配、ループ線有りの険しい道であったが、複数の長大トンネルで真っ直ぐ突き抜ける「仙人峠道路」が開通したため、両市間の移動は格段に楽になった。
#*仙人峠道路は途中で住田町をかすめており、滝観洞ICが設置されている。旧道は住田町を経由していない。
#*将来的には西から延びる釜石自動車道と一体化する予定。
#釜石市内に入ると変則3車線になる。


==国道284号==
;白金延長
#区間:陸前高田市~気仙沼市~一関市
#後に清正公前を経て三田まで伸ばされ、都営三田線と相互直通する。
#陸前高田~気仙沼間は45号と重複しているので、実質気仙沼と一関を結ぶ国道。
#京急青山線が実現していた。
#JR大船渡線と併走しているが、大船渡線は途中で摺沢方面に大迂回してしまうので、千厩以東から一関に向かう場合は鉄道より車の方がはるかに早く着く。
#*ただし白金まで。
#*そのおかげで大船渡や気仙沼から一関へ直通する特急バスが盛況。
#ニーパーヨン


==国道285号==
===大井町線延長===
#区間:秋田市~潟上市~井川町~五城目町~上小阿仁村~北秋田市~大館市~鹿角市
;鮫洲延長
#*秋田市から潟上市まではR7、大館市から鹿角市まではR103重複なので実質的には潟上市~大館市までの道。
1926年に免許申請。
#秋田から大館・鹿角方面の最短ルート。それゆえ交通量は多め。
#大井町駅の構造が変わっていた。
#バブル期辺りに台場方面への延長が何度か考えられてた。
#*りんかい線への直通が行われていたかもしれない。
#京急本線の特急は青物横丁の代わりに鮫洲に停車していた。


==国道286号==
;成城学園延長
#国道48号と共に、仙台と山形を結ぶ。
1931年に免許申請。
#県境の笹谷峠を通る。
#田園都市線の計画に影響を及ぼした可能性大。
#*山形道開通前は笹谷トンネルが286号の有料道路となっていた。
#*場合によっては玉川電気鉄道が専用軌条化、高速化を行い京王のような私鉄になっていたかもしれない。
#**笹谷~関沢間の高速料金が安いのはその名残。
#全線の急行運転はもう少し早く行われていた。
#*冬季閉鎖のため、通過には山形道を使わなくてはならない。
#**通年を通しても、山越えルートを使うドライバーは少ない。(ほとんど、山形道へ流れる。)
#***というかツーリングに来たライダーや登山者など余程の理由がある人以外は通行は避けるべき。面白半分で行くと本気で後悔する。
#***山越えルートは基本的に、酷道になる為。
#山越えルートはヘアピンカーブだらけ。
#'''ニーパーロク'''
#川崎町から山形市郊外間は信号が非常に少なく、線形もよいので快適に走りやすい。
#*この区間で山形道を使う必要性はあまりない。
#**えっそれって笹谷峠の区間を含めてって言うこと?確かにそれ以外の区間は快走できるけど。
#峠区間の悪天候時、夜間通行は文字通り命懸け。落石事故も多い。
#*規定量の雨が降ってもすぐ通行止めになる。人命優先である。
#古来から重要な道だったが今も昔も難所であり行き倒れも良く発生したらしく、道端には弔いの地蔵がある。
#*峠道の例に漏れず怪談話も多数
#下手するとすれ違う車の台数より遭遇する猿の数の方が多い'''(実話)'''
#[[仙台市/太白区|太白区]]と川崎町のメインロード。
#仙台市太白区内(青葉区から入ってすぐのあたり)の国道286号山形方面の道路標識には「郡山」の文字が。これは太白区郡山のことを指していると思うけど地元以外の人だと福島県[[郡山市]]のことだと解釈するかも(なお道なりに進めば太白区郡山、名取市からR4を130km南下で郡山市に到着)。
#*普通書くなら白石や福島だろと思ったことは確かにある。
#*太白区周辺は福島県から来た車も多く見かけるし、太白区の郡山なんて仙台市民くらいしか知らないので、福島県人は勿論、他県民も郡山市を指していると思うだろう。確かにあの方向に進めば一応郡山市まで行けるし。せめて「市内郡山」と表記すればいいのだが、仙台市では青い案内標識で「市内○○」といった表記を使うのを嫌う傾向にある(堂々と仙台市内の地名を他の市町村名と同列に表記する)。なお、リアルに郡山市を指す案内標識の北限は柴田町付近にある「郡山 101km」の標識だったと思う。
#2013年にはプロ野球・[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]の優勝パレードが東二番丁通りで行われた。


==国道287号==
===目蒲線上槇町延長===
#'''にっぱぁなな'''
1928年に免許申請。
#米沢~東根間の国道。山形市は通らない。
#東京メトロ南北線や都営三田線への乗り入れはもちろんなかった。
#*米沢は城下町の名残か、狭く右左折する箇所が多い。
#日比谷や銀座に東急百貨店が出来ていた。
#*13号の代替路線として使うドライバーもいる。
#*[[#三越を買収していたら|三越買収]]が実現し日本橋東急百貨店が出来ていたかもしれない。
#別名、長井街道。
#朝日町の最上川の景観は必見。
#寒河江で国道112号を立体交差してる。


==国道288号==
==東武関連==
#'''にぃぱっぱぁ'''
===西板線===
#福島県郡山市からDASH村をかすめて原子力発電所(浪江町)に向かう道。
{{駅名標/東武|name=大師前|ruby=だいしまえ|roma=Daishimae|back=にしあらい|next=にしあらいだいしにし|back2=Nishiarai|next2=Nishiarai-Daishi Nishi|place=東京都足立区}}
#*郡山の起点は旧道のほうの国道4号線富久山町交差点。
[[wikipedia:ja:東武大師線#西板線計画|参考]]
#*途中から114とゴッチャになってる。都路→大熊→双葉。
#東上線と伊勢崎線は繋がっていた。
#郡山市民がこの道で花見に行く。
#*このため、東上線の車両も本線系統の工場で検査を受けるようになり、川越工場は廃止。
#郡山→三春→郡山→三春→郡山→三春と境目が曖昧。
#*秩父鉄道ATSが8000系に搭載されることもなかった。
#*田村市が誕生したので解消された。
#大師線は複線化され、少なくとも8両編成の電車が運行されていた。
#*田村市と三春町は別ですよ。
#環七の真上に高架線が走っていた?
#**仮に三春が田村市になっても、郡山→田村→郡山→田村→郡山→田村と大して変わらないのに気付かないのか?
#[[日暮里・舎人ライナー|日暮里舎人ライナー]]が開通されるときに西新井大師西駅が新駅として出来てた。
#震災後に全通した郡山東~三春バイパスは立体交差が多く、4車線化を見越した用地確保もしてあり、200番台国道としては過大に思えるほど立派。郡山と原発を結ぶ最短経路だからか?
#*同様に[[都営地下鉄三田線]]開通時に新たに板橋本町駅が開設。
#*もともと郡山東インターが国道288号の周辺に造成する工業団地のために作ったインターであるのと三春の線形と渋滞量がひどかったからああなった。
#*「大師前」と紛らわしいので「西新井大師西」ではなく「上沼田」とか「江北六丁目」を名乗っていたのでは?
#**「大師西」だったかも。
#[[東京メトロ南北線|南北線]]神谷駅が出来ていた。
#東上線の上板橋駅には準急・急行が停車していた。
#駅ナンバリング設定時にスカイツリーラインや東上線とは別の記号('''T'''obu nis'''H'''iita→TH?)が設定されている。
#特急は100系(りょうもう)と350系が乗り入れていた。ただし東上線池袋始発は350系のみ。
#*上記の熊谷線も全通していた場合、100系も池袋始発になる。
#*TJライナーは350系10両編成で運行されていた。
#西新井は一部の特急を除く全列車が停車していた。
#*特急は通過していたかもしれないが、快速は停車していただろう。
#**快速は北千住~春日部ノンストップに意義があるのでは・・・と思ったが、普通に停車しそうな気がする。
#東武の本線系統と東上線系統の停車駅案内が別々のものになることはなかった。
#スカイツリー開業をきっかけに浅草始発の東上線列車が設定されたかも。
#*このため動態保存の8000系がもう1編成ある。その際塗装がクリーム色一色になったりして。
#*開業当初、浅草始発の東上線列車を運行→需要の低下により廃止→スカイツリーで復活 だと思う。
#伊勢崎線の半蔵門線直通用には9050系(あるいは車体幅を狭めた「9070系」?)が増備され、半蔵門線の押上開業まで東上線で使用されていた。
#日光方面から自社の路線のみで池袋まで行けるようになっていたため、日光線特急が[[湘南新宿ライン|JR線]]に乗り入れることはなかった。むしろ浅草発着より池袋発着のほうが多くなっていたかもしれない。
#*もともと東上線沿線から浅草へ集客を考えていたため、構造的に池袋乗り入れは無理らしい。
#史実での北千住口複々線化ぐらいの時期に、日光特急やラッシュ時の越谷方面からの列車が使用するため、竹ノ塚付近~大師前、板橋本町付近~大山付近の短絡線が建設され、スイッチバックをせずに越谷方面から池袋への直通が可能になる。
#埼玉県民の池袋志向が県東部にも広まる。
#建設は東武。
#東武スカイツリーライン沿線から山手線西部へのアクセスが便利になる。
#都電荒川線の大塚~王子の利用者が減っていた。
#*都電荒川線自体別ルートで存続していたかもしれない。
#エイトライナーの計画にも影響を与えていた。


==国道289号==
===高島平線===
[[ファイル:R289_future.png|thumb|200px|果たしてこれは実現するのか…]]
#三田線との直通がかなわなかった以上、8000系2両辺りが往復運転を行うだけとなる。
#'''未完成'''
#*線形を改良して池袋方面へ直通させる構想も何度か出ているはず。
#*福島新潟県境の八十里越を鋭意製作中。開通は平成30年代。
#*有楽町線や副都心線の一部列車が高島平まで直通している可能性も十分考えられる。
<!--#**そもそも平成30年って存在するのか?-->
#三田線は高島平どまりのままだった。
#*西郷から南郷に向かう甲子峠も製作中。トンネル作ったら大雨で壊れて数多のトンネル、橋を廃棄。
#**開通しました。
#***全長4345mあり、内部は明るい。待避所も存在する。
#***白河側のトンネル手前の谷が深い。
#***山奥なのに高規格。おかげで白河~下郷の連絡が早くなった。途中の道の駅「しもごう EMATTO」は結構な賑わいぶりで、景色もなかなか。
#**石楠花トンネルの手前に覆いかぶさるように出来たきびたきトンネルの坑口の風景は他じゃ見られない壮観。フリークには有名
#白河市で4号線と交差するが、実に中途半端なつくり。
#*だって、立体交差してるし。
#**4号線との連絡路が少し長い。
#**正確には立体化されておらず、東北本線を跨いでいるに過ぎない。
#阿武隈山地を横断する区間は一部、狭い箇所がある。
#*この辺の東西連絡道としては県道14号いわき石川線(通称御斉所街道)の方が立派。交通量もそちらの方がずっと多い。
#**バイパスとして、トンネルが建設中である。
#白河市内は旧白棚線区間をバイパス化した区間がほとんど。
#*国道4号線並みの交通量。
#*南湖公園前後はよく混雑する。
#西郷村側の登山道に国道標識が存在することが最大の特徴。
#*甲子道路ができたら撤去されたみたいです。
#**撤去されました。
#燕市は迷走酷道
#17×17。
#[[国道17号]]と3回交差。
#旧[[北陸自動車道]]だった自動車専用区間がある。


==国道338号==
==その他==
#'''さんさんぱ'''
===大和自動車交通トロリーバス===
#八戸市~函館市。
北品川駅~東陽町駅の本線と木挽町から分岐し日本橋小網町への支線を計画していた。
#海にあったりする。
#都営トロリーバス計画は大幅に縮小していた。
#一部陸上自衛隊が作ったりしている。
#*西武鉄道や京成電鉄のトロリーバス計画も実現していた。
#三沢市浜通の集落だった四川目はゴーストタウンどころか原野。理由は集落ごと大移転。
#恐らく昭和40年代後半にトロリーバスとしては廃止されていた。
#六ヶ所村に入ると無駄に立派な道。
#*その際バス事業に進出し大和自動車交通は現在のタクシー専業ではなく、バスとの兼業となっていた。
#*原発マネーの影響かな。佐賀の{{国道|九州・沖縄|204}}のように。
#*あるいは同ルートにトロリーバスとは別の鉄軌道を建設していたかも知れない。
#東通村の一部が酷道のため、国道279号のほうが安全だったりする。
#*トンネル建設が進行中
#下北半島の仏ヶ浦付近~脇野沢の集落間は険しいワイディングルート。
#*でも、バイク乗りには丁度いい。


==国道339号==
===秋川鉄道===
[[画像:階段国道.jpg|thumb|200px|これでもれっきとした国道です]]
*五日市~檜原村を結ぶ予定だったらしい。
#言わずと知れた階段国道
#五日市線延伸としての開業。
#階段部のインパクトが強すぎて他の区間の立場がない。
#*上野原駅まで延伸する計画があるものの実現には未だに進んでいない。
#*弘前が起点でしばらくは普通の道なのだが、階段のみの国道だと思われてないか心配。
#*当然ながら途中で国有化されている。
#**弘前じゃなくて、藤崎から始まってる気がする。
#**岩井支線が廃止になるまでは武蔵五日市を境に五日市線と檜原線に分かれていたかもしれない。
#*竜飛以南の数10kmはかなりの急勾配・急カーブ。
#**国有化は南武鉄道・青梅電気鉄道と同時に行われた可能性が高い。
#階段数は362段の階段
#檜原村は町制化していたか?
#*階段の先のほうでは、集落の家と家の間の狭い路地を通る。
#ここもE233系だらけか。上野原駅まで延長するだろうが。
#**ただし沿線の家は2016年に火災で焼けてしまい、現在は更地になっている。
#檜原村の知名度はもう少し上がっていた。
#小泊-竜飛の19.1kmは昭和40年代までは道路が拓かれていない「幻の県道」であった。
#逆に赤字路線になっているような気がする。
#甲子トンネルの開通により国道289号の「登山道国道」が指定解除されたので、東北の国道で脚光を浴びるのはここしかない、と思っている。
#*下手したら赤字83線に入ってそうな気もする。
#*階段国道も国道指定解除されかかったが、名物として脚光を浴びるために地元がこれを拒んだ。
#**国道の本来の意義を踏みにじっている、と思わなくもない。


==国道340号==
===大東京鉄道===
#陸前高田市から八戸市まで続く。
*鶴見~等々力~経堂~桜上水~西永福~荻窪~練馬~東武練馬~川口~竹ノ塚~金町間
#峠越えを除けば、快適に走れる。
#戦時中~戦後にかけて在京私鉄がこの路線の帰属を巡って争った。
#*除けば、って・・・。大半が峠越えじゃないか。
#*狭軌で建設された場合、練馬を境に西南方面が東急、北東方面が東武になっていた。
#**[[東日本旅客鉄道/東北地区#岩泉線の噂|岩泉線]]沿線なんてお世辞にも快適とは言えない。
#鶴見と川口が東京都の一部だと思われていた。
#***国道のくせにすれ違えないので待避所がある。近所の農免道のほうが快適なレベル。
#東武練馬が改名していた。
#北東北の国道349号のようなもの。北上高地を縦断している。
#金町以南も計画されるが頓挫。
#秘境駅の押角駅はこの国道沿いにある。
#環状7号線・環状8号線の地下鉄計画が存在しない。
#八戸市街地に蕪島方面への一方通行路があるが3車線もある。
#レール幅が現在の[[京浜急行電鉄]]と[[京成電鉄]]と同じ場合、相互直通運転による環状運転を実施してるハズ。
#岩手県内の国道で唯一、国道4号と接続しない。
#立丸峠のトンネル建設と押角峠道路の建設が進んでおり脱酷道が視野に入った。
#*押角峠道路のトンネルは岩泉線の廃線トンネルを道路用に拡幅して再利用するらしい。
#**押角トンネルは2020年12月13日に当路線のトンネルとして開通した。
#トンネル開通後も、立丸峠は夏の間は抜け道としてよく使われるが、冬になると通行車両が激減し地元車両しか通らなくなる。


==国道341号==
===城東電気軌道(東荒川-西荒川間)===
#区間:秋田県鹿角市~秋田県由利本荘市
*荒川放水路に架橋して線路を繋ぐ計画があったが未成に終わった。
#大別して鹿角~田沢湖、田沢湖~大仙市協和(ほぼ国道46号)、協和~由利本荘市(3分の1は国道7号)に分別できる。
#都電になった後は錦糸堀-今井間が25系統として設定されるので、26系統は別の路線に割り振られていた。
#鹿角~田沢湖間は玉川温泉があるため11月~冬期封鎖されるまでは道路交通情報がラジオで頻繁に流れる。
#*事実上の後継である都バスの亀26・上26系統も番号が25になっていた。
#一方、秋田市雄和~由利本荘市岩城(高尾山)は11月上旬にはあっさり冬季閉鎖。
#都電の廃止後に橋をそのまま放置するとは思えないので、首都高小松川線の開業と共に廃止されて一般道に転換されていた。
#「都電が江戸川区にも走っていた」と言う事実がもっと知られていた。


==国道342号==
===武蔵中央電気鉄道(未成区間)===
#区間:秋田県横手市~宮城県登米市
詳しくは→[[Wikipedia:ja:武蔵中央電気鉄道|こちら]]
#県境の栗駒峠上に一関温泉郷の代表格:須川温泉がある。
#八王子~砂川~田無~目白間の「目白線」と八王子~所沢~大宮間の「大宮線」があった。
#*須川温泉は冬季閉鎖区間内にあるため、冬期は休業する。
#*さらに、敷設免許を申請していた大宮~与野~鳩ヶ谷~草加~流山~柏、鳩ヶ谷~舎人~西新井~綾瀬~北千住も開業していた場合、単独で大手私鉄の仲間入りを果たしていただろう。
#2008年の岩手・宮城内陸地震で祭畤(まつるべ)大橋が崩落。再開通までに約2年を要した。
#西武鉄道に買収されていた可能性もある。
#*崩壊した祭畤大橋は震災遺構として現地に保存されている。
#*池袋線、新宿線に次ぐドル箱路線を有し、レッドアローを目白~八王子間で運行している。
#*再開通まで、須川温泉には秋田県側からしかアクセスできない状態が続いた。
#*同社の「目白線」「大宮線」となる。
#*後に京王電鉄と合併した事を考えると、むしろ京王の路線になっていたかも。
#JR中央線は民営化までに高尾まで全線複々線化していた。
#*総武緩行線、メトロ東西線が八王子、高尾まで乗り入れている。
#快速「むさしの号」は、武蔵野線開業時から運転されていた。


==国道343号==
===都電恵比寿長者丸線延長===
#区間:陸前高田市~奥州市水沢区
*恵比寿長者丸~池上~川崎間及び池上~大森間
#沿岸南部地方と水沢を結ぶメインルート。
#恵比寿長者丸線が戦時中に休止になる事もなく、都電全廃まで残っていた。
#陸前高田市と一関市(旧大東町)との境界にはループ橋がある。
#7系統辺りが川崎・大森まで延ばされていた。
#一関市大東町猿沢~一関市東山町の境界ではかつては'''舗装すらされていない'''完全1車線の道路で、大型車通行禁止、さらには冬期通行止めの酷道であった。
#川崎市電への乗り入れも検討されるも改軌費用などから没に。
#*現在は峠をトンネルで真っ直ぐブチ抜いて「猿沢バイパス」が完成しており、高速道路並の線形でガンガン飛ばせるようになった。
#*戦前に出来ていれば川崎市電も1372mmになっていたかも。その代わりに大師線に乗り入れ出来なくなるが。
#*バイパス開通前に水沢へ向かう場合はこんな酷道区間をわざわざ通らず、456号で一旦江刺に入って迂回するのが普通だった。
#都営バスが大田区に本格的に乗り入れていた。
#横浜市電の生麦~鶴見間が復旧出来ていれば京浜間が一時期路面電車だけで移動できるようになっていたかもしれない。


==国道344号==
===武州鉄道===
#秋田県湯沢市から山形県酒田市を結ぶ道路だが、湯沢から金山までは国道13号と重複しており、実質山形県内のみの道路といえる。
競合路線があるのに免許を交付してもらうために賄賂を贈ったのがばれて計画は消滅。(関連項目:[[Wikipedia:ja:武州鉄道汚職事件]])
#内陸と庄内を結ぶのは山形自動車道+国道112号と国道47号とこの道路のみ。だがほぼ忘れ去られている。
*モノレールとして建設する案と普通鉄道として建設する案の2案があったとされている。
*吉祥寺~御花畑
#西武秩父線は存在しなかった。
#*あっても、地味な路線になっていたかもしれない。
#*直通運転などで武州鉄道側が勝った場合、西武秩父線(あるいは西武池袋線飯能以北も?)が廃止に追い込まれていた可能性もある。
#武州鉄道では被ってしまうので「武州モノレール」…いや「秩父モノレール」となっていた。
#東京モノレールは第2のモノレール式電車として開業していた。
#最終的には多摩モノレールと合併していた?
#建設費が予想以上にかさんで青梅で建設打ち切りになっていた。
#モノレールの欠点が明らかになり、普通鉄道に計画変更されていた可能性も。
#*いずれにせよ秩父までの全通は難しかっただろうが。
#*その場合西武に乗っ取られていた可能性も否定できない。
#**奥多摩開発計画がより具体化し、青梅線に乗り入れる特急が走っていた。
#全通した場合、世界最長のモノレール路線としてギネス認定されていた?
#中央線の混雑が激しくなっていた。
#学生の利用を当て込んでムサビに駅を作るが、朝鮮大学校や創価の人も乗り込んで、争議の標的に。
#東急百貨店吉祥寺店の場所は、武州鉄道系の商業施設。
#混雑している中央線への客の流入を防ぐため自社で都心方面へ延伸するか井の頭線への乗り入れを模索する。
#*場合によっては京王に買収されていたか、あるいは井の頭線も武州鉄道になっていたかもしれない。
#**あるいは中央緩行線と接続していたかも。
#*自社で延ばすにしても新宿への乗り入れは難しいだろう。
#*荻窪で丸の内線に入るか、中野で東西線に入るか、
#*用地買収が済むころには都心へどう接続するか決めているはずなので乗り入れ先に合わせた規格で建設。
#武蔵村山市と旧名栗村にも鉄道が走っていた。
#*青梅街道沿線の交通情勢が大きく変わっていた。
#**都バス最長路線の青梅車庫〜花小金井〜西武柳沢線は早々に分断されていた。
#**西武拝島線もかなりの客を奪われていた。
#*武蔵村山、東大和も史実より早く市制していた。
#西武秩父線と競合するが、都内と接続する分西武に分がある。
#*秩父への路線を作らなくても東大和市・小平市-都心間で競合するので西武に買収されたかもしれない。
#青梅まで線路を作ったら、既に西武が開業しているので秩父までの路線建設計画は破棄。


==国道345号==
===東京都港湾局月島線===
[[ファイル:だるま屋ウィリー現場.jpg|thumb|ギアいじったっけ ロー入っちゃって もうウィリーさ]]
越中島貨物線から伸びていた東京都港湾局晴海線から分岐して月島を経由し、汐留貨物駅へ抜ける貨物線計画。
#新潟市から山形県遊佐町女鹿までを結ぶ。
#汐留や晴海の再開発に影響が出る。
#ほぼ国道7号に並行している。新潟県内では7号より海側、山形県内では7号より山側を通る。
#ゆりかもめは豊洲で建設を終了していた。
#*笹川流れ付近で羽越本線と並行しているのはこの道路。
#*一方大江戸線のルートは現実通りだった。
#*山形県遊佐町の吹浦~女鹿は旧7号であり、ここは7号より海側を通る。この区間も大部分は羽越本線と並行している。
#両端がJR線に挟まれているため旅客化はない気がする。
#*新潟県内は起点から胎内市まで国道113号と重複している。
#*旧温海町~鶴岡市間のみ酷道。極端な酷さではないが
#水曜どうでしょうの「だるま屋ウィリー事件」はこの道路上で起きた。笹川流れからさらに山形県境に進んだあたりらしい。
#*現場のフェンスには(本当はダメなんだろうが)藩士によってシールが貼られまくっている。山形県側から南下して来ても見つけられる。


==国道346号==
===お台場ロープウェイ===
#区間:仙台~気仙沼。
[[もしあのイベントが○○だったら#世界都市博覧会|世界都市博覧会が開催]]されていた場合、メインゲート(東京テレポート駅)~東京ビックサイトにロープウェイが運行する予定であり現在でもその柱がビックサイトの敷地内に残存している。
#*でも、起点は松島に見える。
#現在でも残っていたら東京オリンピック開催決定あたりから延伸構想が次々に出てくる。
#松島~気仙沼間は国道45号よりもこちらの方が速くて楽。
#*中央防波堤方面や豊洲・晴海方面などが有力。
#*それでも路肩の狭さやカーブのきつさは300番台相応なので注意が必要。三陸道のほうが無難な印象。
#コミケでは青海展示場とビックサイトを行き来するために重宝される。
#起終点はどちらも宮城県だが、途中でちょっとだけ岩手県をかすめている。
#*場合によってはコスプレイヤーはこっちに乗れと誘導されるかも。


==国道347号==
===立川急行鉄道===
#区間:寒河江~最上川西岸(途中で渡るけど)~尾花沢~古川
*我孫子線:立川〜所沢〜鶴瀬〜与野〜越谷〜我孫子間
#山形県の河北~尾花沢は道幅も十分あり流れも良い。宮城県側は集落を抜ける区間やクランク、T字路もあり、加美町の生命線であるにもかかわらずやや走りにくい(by宮城県側の住民)
*国府津線:立川〜国府津間
#震災を契機に鍋越峠の通年通行化の気運が高まっている。
#路線の性質上、現在は国有化を経て武蔵野線の一部となっている。
#*戦時中に南武鉄道と同時期に国有化されていたかも。
#史実の府中本町から北上する区間は所沢まで武蔵野南線の一部となり、貨物専用線として開業していた。
#*越谷から京葉線方面に南下する区間は史実通り旅客営業も行なっていた。
#大手私鉄の場合、同時期に計画された京王電鉄の八王子〜大宮を結ぶ路線計画を踏襲する形で買収され、京王大宮線となっていた。


==国道348号==
===武州鉄道赤羽延伸===
#山形と長井を結ぶ短い国道。
#[[もし武州鉄道が廃止されなかったら|赤羽で国鉄駅に接続していたら廃止は免れていた]]。
#*でも、法的に山形市が終点扱い。
#王子電気鉄道へ乗り入れていた。
#*山形市から新潟方面へ行くときに便利。
#峠越えが2箇所ある。
#名所は白鷹山くらいかな?
#'''さんよんぱ'''


==国道349号==
===東京鉄道===
#茨城から福島を貫通し宮城に向かう国道。ほぼ全線阿武隈高地なため流れが良い。道もそんなに悪くない。
*池袋 - 高田馬場 - 飯田橋 - 大手町 - 洲崎(現在の東陽町一丁目付近)の免許を取得していたが、関東大震災を受けて着工前に頓挫。
#*峠越えがいくつもあるが、勾配は緩く、さほど大変でもない。
#計画が進んでいれば少なくとも関東大震災時点で少なくとも高田馬場-飯田橋間が開業済み。市街化が震災前に進んでいた飯田橋以東は未着工。
#*道もそんなに悪くない、って茨城県内だけ見て言ってるようにしか思えんのだが…。古殿~小野とか梁川~丸森とかかなりキツいぞ。
#震災後の山手の発展に伴い業績は向上。
#道の駅ふくしま東和は、数年前は『みちくさのえき』だった。
#総武線の両国-御茶ノ水間開業と同時期に飯田橋-洲崎が開業。
#茨城県内は道幅が広く、信号も市街地以外は少ないので快走できる。
#路線が重複するので都電荒川線の鬼子母神前電停以南は建設されていない。
#*対照的に福島県の南部は全体的に道幅が狭い。交通量もそれほど多くない。
#*副都心線は渋谷から高田馬場までの路線。
#*いわき~東和までしか走らないけど、その区間はめちゃくちゃ走りやすい。小野、船引と市街地避けてるし。
#都電荒川線を運営していた王子電気軌道or高田馬場で接点のある西武の関連会社になっていたが、戦時中に営団に統合される。
#*常陸太田発着の高速バスも通る道。でかい道の駅もある。
#宮城県境~丸森町間はセンターラインなし。すれ違い注意。
#宮城県内は阿武隈川と並行する。
#*国道113号合流まで眺めがいい。
#伊達市内になぜか一通区間かつ一時停止信号がある。
#*保原の住宅街を抜ける区間だけど、どうしてこうなった…案内標識でも'''なかったこと'''にされている。
#R118と重複する東舘から鮫川村中心部までが全線で最も酷な区間と思われるが、R118を塙まで走り、r27-r242-R289-r242と経由すれば、酷区間が皆無な上、走行距離も短い。


==国道396号==
===東京市内外交通調査委員会市電気局対案路線===
#区間:盛岡市~遠野市
*全6路線。内3路線は地下鉄なので[[もしあの鉄道路線が開業していたら/地下鉄#東京市内外交通調査委員会路線]]参照。池袋洲崎線は[[#東京鉄道]]も参照。
#*起点は遠野市、終点は盛岡市の南大橋交差点の国道4号との交点。
#東武vs京成の浅草延伸争いは、東京市営の路線が浅草から延びてきたことによって、引き分けに終わる。
#**終点は国道456号の起点ともなっており、紫波町の分岐点まで396号と456号は完全に重複している。
#市営鉄道は向島から深川方面に向かってしまうため、両者乗り入れは出来ず。
#*こりずに日暮里経由の上野延伸を争う。
#三田-六本木-牛込-本郷-上野を結ぶ路線があるため、南北線の南側は建設されず。
#大江戸線は光が丘-六本木までの路線。
#戦時統合で銀座線は市有化され、バス・路面電車とともに私鉄も東京市に一本化。
#上野-浅草間の銀座線に合わせて深川方面・三田方面は第三軌条で直通。


==国道397号==
===東京電車鉄道===
#区間:大船渡市~奥州市~横手市
*甲武鉄道(のちの中央線)・川越鉄道(のちの西武)・大師電気鉄道(のちの京急)・大日本軌道の経営者である雨宮敬次郎が中心
#*大船渡側は107号と、横手側は342号と重複しているため、単独区間でいえば住田町~東成瀬村。
#大日本軌道の各支社(現在の静鉄・遠鉄・福島交通など)は電化の際に、東京から車両を転属させる為762mm軌間から馬車軌に改軌していた。
#*秋田県側は県境を越えてすぐ342号と合流するため単独区間の大半は岩手県内である。
#川越鉄道と敵対する東上鉄道・武蔵野鉄道を利することになるので、池袋線は池袋駅まで開業させない。護国寺から来た電車(実史の都電17系統)は、東池袋四丁目停留所から荒川線の線路に乗せて大塚方面へ向かわせる。
#気仙地方と水沢を結ぶ国道としては南側に343号が並行する。
#*397号と343号が4号と接する地点は300mほど(信号1つ分)ずれており、397号と343号は微妙に接していない。
#住田町と奥州市の境界付近は改良され道幅は広いが、急勾配と急カーブでトンネルをいくつも通過する。周辺には宮沢賢治が愛した高原地帯、種山ヶ原が広がる。
#胆沢ダムの建設により、ダム周辺区間は高所をトンネルと橋で走り抜ける立派な道路に付け変わった。付け替え道路終点から秋田県境側は一気に規格が下がり、冬季閉鎖区間となる。
#奥州市胆沢区中心部では約7kmにわたって桜が植えられており、開花時期には桜の回廊となる。


==国道398号==
[[カテゴリ:もしあの鉄道路線が開業していたら|とうきよう]]
#石巻市から由利本荘市に至る国道。
[[カテゴリ:東京|もしあのてつとうろせんかかいきようしていたら]]
#*国道108号と区間は同じだが、距離はこちらが長い。
#2008年の岩手宮城内陸地震の復旧作業が終わった矢先、東日本大震災の打撃を受ける。
#国道45号との接続が2か所あり、女川で無駄に遠回り
#栗駒山を眺めるならば、この国道からがよい。
#秋田県南部の名勝:小安峡に沿う。
#南三陸町の戸倉地区に謎めいたモアイ像が実在する。
#[[ダイエー|中内商法]]、サンキュッパ。
 
==国道399号==
#[[福島]]南端の[[いわき市]]いわき駅前から北端の[[福島市]]に行き[[山形]]、南陽に向かう道。
#いわき市内、伊達市内、飯坂温泉以外もはや国道ではない。家がなくなるとすぐ1車線。すれ違い注意。
#*いわきから県庁所在地の福島への短絡路に見えるが、酷道の要素が多いため実用化されていない。
#*県道と重複すると立派な道になる。分かれると貧弱になる。普通逆だと思う。
#**でも、最も立派な重複区間は国道288号との区間。(登坂車線があることが証拠)
#*だんだん酷道区間は減りつつある。
#*飯舘の長泥の九十九折が楽しい。
#'''さんきゅっきゅ'''
#山形側の勾配はすごい。
#*そのせいなのかは知らないが冬季閉鎖期間が長すぎ。通常ゴールデンウィークになってとっくに雪がなくなっていてもゲート解放されない。
#*普通にその辺にサルが居る。
#わずかな距離であるが、宮城県も通過している。
#*あの村は人がいるのかいないのかよくわからない秘境。
#**一応町だ、あそこは。
 
==国道401号==
#南会津の国道の例に漏れず車じゃ全線通れない
#*尾瀬の登山道。県道1号に主導権を握られている。
#**永遠に全線開通はしないだろう。
#***もし、全通していれば東北と中部以西への最短路となっていただろう。
#区間:福島県会津若松市~群馬県沼田市
#会津若松市内の国道118号分岐~国道118号若松西バイパスまで約2kmほどは4車線。その先は2車線になる。会津高田駅手前で只見線踏切。そして高田の狭い町並みを抜け、冬期閉鎖される博士峠と、若松からわずか数十分のドライブでもその車窓は実に変化に富んでいる。
#会津沼田街道。
 
==国道454号==
#青森・秋田両県唯一の400番台国道。
 
==国道455号==
#400番台の国道は複数の路線を束ねたため変なルートが多いが(隣の456なんてまさにその典型例)、この道は昇格前「盛岡岩泉線」という一本道だった。
#*漢(おとこ)の道。
#340号線と一部重複しているが、明らかに455号線のほうが立派。
#岩泉線廃止後の岩泉町中心部へのアクセスルート。
#106号の裏道や迂回路としてもしばしば使われる。
 
==国道456号==
#区間:盛岡市~気仙沼市
#*盛岡側は396号と、気仙沼側は346号と重複しているため実質区間は紫波町~登米市。中間にも重複区間が多数あり。
#複数の県道をムリヤリ一本に束ねて国道に昇格させたため変な経路になっている。
#*花巻市以北は概ね北上川を挟んで4号と併走しているが、北上市では大きく東に離れ、奥州市でまた4号に近づき、また東に離れて一関市の旧東磐井郡を縦断して宮城県に至る。
#起終点は隣県同士だが、県境を3回通過している(単独区間で1回、346号重複区間で2回)
 
==国道457号==
#区間:白石市~一関市
#国道4号より西部の宮城県の諸地域を結ぶ。大衡で4号とは交差していない。
#鳴子の紅葉シーズンは、仙台方面との短絡ルートであるため混雑が波及してくる。
#一関側から宮城県道42号に折れると、栗駒山いわかがみ平への最短ルートを取れる。
#大崎市西部など仙台以北の各町村から仙台への裏道として使われ、日中など宮床や根白石あたりは結構交通量も多い。
 
==国道458号==
#山形の新庄から上山まで結ぶ。
#おそらく、東北一の酷道。
#*特に十部一峠付近にはダート区間もある「日本最後のダート国道」。
#**寒河江側は舗装化が進んでいる。
#寒河江方面から肘折温泉への近道になっているが県内屈指の豪雪地帯を通るため冬季閉鎖が解除されるのは6月下旬
#*さらにがけ崩れの修復のため1ヶ月ずれ込むのはざら
#*直線距離にした場合はね。上述のように通行に危険が伴うので、大回りしてでも新庄経由で行くのがベスト。
#山辺町と中山町の集落内は生活道路そのもの。
 
==国道459号==
[[画像:国道459号.jpg|thumb|200px|素掘りトンネルとそれに付随する橋梁の名称は月の異名からとられている。写真は新潟側から「5ヶ月」かけた地点。]]
#区間:新潟~浪江
#語呂の関係でシゴかれそうだ。(459=シゴく)
#後から県道を取ってつけたようにつなげた道。いたるところで重複しているうえに道もひどい。(覚えている限り7号、115号、4号、349号、399号と重複のはず。)
#*国道49号と国道114号も重複しています。
#*新潟福島の県境のあたりでは幅がやや狭く、コンクリートを吹き付けただけのデコボコな素掘りトンネル在りとプチ酷道。そんなに走りづらくはないので[[酷道ファン|酷道初心者]]にはちょうど良い刺激になるかも。
#裏磐梯横断ルートにふさわしい。
#喜多方市内に一方通行の箇所がある。
#*地図によっては一本南の'''路地'''が逆向きの一方通行で国道になってたりする。
#法律上は本州横断国道と位置づけられているが、起点・終点付近は他の国道との重複が長いので、あまり実感がもてない。
#*浪江と言うより旧津島村が終点な気がする。
#**実質旧津川町から浪江町津島に至る国道。
{{一般国道}}
[[Category:東北地方|こくとう]]
[[Category:国道|*とうほく]]

2021年6月15日 (火) 19:11時点における版

京王関連

国立線

  • 府中~国立間を結ぶ計画だった。
  1. 西武が国立の都市計画の主導を握れなくなっていた。
    • マジレスすると、西武も、しっかり京王がこちらに来ることを想定していて、パンフレッっとにも構想中としてあったらしい。
  2. 分倍河原だけでなく谷保も京王とJRの共同使用駅になっていた。
    • どちらの駅も京王が管理する事になっていれば、谷保~分倍河原間で通過特例が設けられていた可能性もある。とは言え西府駅開業後は特例の扱いで厄介になりそう。
  3. 都心に直通する列車はおそらく朝夕ラッシュ時のみ。
    • とは言えそれなりに需要はあるはずなので、折り返し便も6両編成くらいにはなっている。
    • モノレール開業時までは立川への最短アクセス手段としての需要も根強かった。

蒲田線(仮)

京王の前身である武蔵電気軌道株式会社は蒲田~調布~立川間の路線を計画していました。

  1. 南武線との競合関係になっていた。
    • 南武線の新性能化は早期に進み、車両は分割民営化直後の時点で103系に統一。JR発足後は205系・209系が優先して投入され、京王を迎え撃っていた。
      • 当然快速運転開始は分割民営化直後早期に行われていた。
  2. 大東急時代に保守費用の削減を目的として旧京浜電気鉄道との車両規格の統一が行われていたかもしれない。
    • 同時に標準軌に改軌される
    • 大東急の戦後復興策として京王蒲田と京浜蒲田を結ぶ路線が検討されていた。
    • 上記計画がなかったとしてもほぼ確実に蒲蒲線計画には絡んでいた。
  3. 新宿~立川間の列車も一定数は存在するはず。
  4. ルートによっては東急多摩川線の存在自体にも相当な影響を与えていた。

両国線

新宿~神楽坂~飯田橋~九段下~東京~日本橋~浜町~両国

  1. 結局新宿より先は都営新宿線となる。
    • ただし終点は本八幡でなかった可能性大。
  2. 東京駅に直結できるので、千葉県営鉄道北千葉線の計画がもっと具体化していた。
  3. 中央快速線に対抗するためライナーの投入がもっと早まっていたかもしれない。

東京山手急行電鉄

現在の京王井の頭線は、もと帝都電鉄と言いましたが、その前身は山手急行・渋谷急行という2つの私鉄でした。渋谷急行の部分は井の頭線になりましたが、山手急行のほうは大井町から洲崎まで、50キロを超える大型路線として計画されていました。
昭和不況や、鬼怒川水力電気の分離などのからみで、資金難に陥ったため、計画倒れに終わってしまいましたが、これが実現していれば、山手線の外郭を結ぶ第二の環状線として、大いに役立っていたことでしょう。
もし山手急行線が予定どおり実現・存続しており、渋谷急行線(井の頭線)も小田急や京王の傘下にならず帝都電鉄のままであったら?

  1. 接続する鉄道線が非常に多いので重宝する。ただ長距離客はあまり望めそうにない。
  2. 接続駅における他線の扱いも違ってくる。
    • 駒沢大学には田園都市線の急行も停車。
    • 梅ヶ丘には小田急の急行も停車。同じグループみたいなものなので無視はできない。
    • 江古田には西武の準急と快速が停車。急行はさすがに停車しないか。
    • 大山には東武東上線の準急と急行が停車。
    • 八広には京成押上線の快速が停車。特急は停車しないか。
    • 平井の総武線快速停車は無理だろう。
  3. 渋谷急行線(井の頭線)とは明大前で同一平面乗り換えが可能。連絡線もある。
    • 井の頭線の明大前駅附近をよく見ると、複々線のスペースがとってあることがわかる。山手急行線との接続のために確保されていた。
    • 大井町発渋谷行きとか、吉祥寺発北千住行きなども可能。
    • 乗る人いないだろ。
      • 史実の明大前の乗客とかを考えると結構使うと思うぞ?
  4. 車庫は大井町、駒沢公園、峡田、東陽町あたりに設置かな。
  5. もう少し頑張って本当に環状線にしてしまえばさらに便利だった。
    • りんかい線に乗り入れるのもアリか。
    • 東陽町から先、豊洲や晴海、品川辺りを経由して大井町に至るルートかと。
  6. 大井町・渋谷・吉祥寺・北千住・東陽町あたりは大きなターミナルとなり、「帝都百貨店」が建てられる。
    • そのかわり阪急(大井町)、東急プラザ(渋谷)、東急ハンズ(北千住)はできなかった。
    • 戦後「帝都」の文字をはばかって「テイトデパート」とかになるかも。
  7. 戦時合併で京王電気軌道と合併していた。
    • 京王線は「帝都電鉄京王線」になっていた。
    • 京王の路線規模を考えると、戦後も分離しないままだろう。
    • 北千住から先は京成、中野-駒込間は西武と合併していた。
  8. 東武西板線とも関係するルートなので、浅草か亀戸までの直通、また伊勢崎線東上線の連絡(現実で秩父鉄道がしている)を果たす。
  9. メトロセブン・エイトライナーは構想自体が存在しない。
    • 江戸川区内の南北移動の手段としての構想はあったかと。

富士見ヶ丘から分岐線

1960年代、富士見ヶ丘から三鷹・西国立方面に路線を延長する計画があったそうです。

  1. 勿論富士見ヶ丘は急行停車駅となっている。
  2. 流石に吉祥寺方面が実質的な支線と化する事はない…はず。
  3. 相鉄のように三鷹・西国立方面と吉祥寺方面で優等列車の種別が分かれていた。

井の頭線延伸

  • 吉祥寺から田無を経由して東久留米までの延伸計画があった。
    • 吉祥寺~田無~ひばりヶ丘はよく妄想路線として描かれるが実際に計画があったことを知る人は少ない。
  1. 東久留米ではなくひばりヶ丘が終点になっていたかもしれない。
  2. 吉祥寺は2面4線になり永福町とともに急行の緩急接続が行われた。
  3. さらに東武東上線沿線までの延伸が検討されていた。

京成関連

京成上野駅から京王新宿駅(現在の都営新宿線 新宿三丁目駅付近)までの路線

  • レール幅が同じだった京王、王子電気軌道(現在の都電荒川線を運営してた私鉄)との合併計画が過去に在ったので、このような路線計画が現実に在ったらしい。
    • 途中の飯田橋駅で京王が計画してた東京駅経由両国駅までの路線計画も存在してました。
  1. 史実の都営地下鉄大江戸線の環状部の北側は確実に別ルートに成って居たハズ。
    • 新宿西口駅-大久保駅(JR大久保駅・新大久保駅付近)-西早稲田駅-早稲田駅-江戸川橋駅-飯田橋駅-水道橋駅-御茶ノ水駅-秋葉原駅-新御徒町駅-蔵前駅-両国(江戸東京博物館前)駅…………以下、史実と同じ。
      • または新宿西口駅-大久保駅-西早稲田駅-早稲田駅-江戸川橋駅-護国寺駅-茗荷谷駅-春日駅-本郷三丁目駅-上野御徒町駅(史実の駅よりも東京メトロ千代田線の湯島駅に近づける)-新御徒町駅…………以下、史実と同じ。
  2. 史実の飯田橋駅が、もっと便利に成って居たのは確実で後楽園球場、後楽園ホール、後楽園ゆうえんちに行くのに便利な私鉄沿線だったので週末の利用客で京成も京王も、かなり儲けて居たハズ。
    • とくに京成はジャイアンツの人気に、あやかった記念乗車券や企画乗車券(トクトクきっぷ)を売り出してたと思う。
  3. 想定されるルートは、以下の通り。
    • 京成上野駅-本郷三丁目駅(史実の都営地下鉄大江戸線の駅と同じ位置)-春日駅(史実の都営地下鉄大江戸線の駅と同じ位置)-飯田橋駅-市ヶ谷駅(史実の東京メトロ南北線の駅と同じ位置)-曙橋駅(史実の都営地下鉄新宿線の駅と同じ位置)-京王新宿駅。

京成浅草線(京成曳舟~浅草)

  • 京成電鉄は、東武鉄道とともに浅草に乗り入れる計画がありました。史実では、東武のみが浅草駅に乗り入れましたが、京成のみが浅草に乗り入れた場合、
  1. 当然ながら、京成上野~青砥間は開通していない。
    • 京成押上線が本線となっていた。
  2. 東武は、筑波高速度電気鉄道の免許を利用して、上野に乗り入れた。
    • その場合、東武伊勢崎線は上野~北千住~伊勢崎間となり、東武亀戸線は北千住~亀戸間になっていた。
    • 東京メトロ半蔵門線との直通運転は史実通り。
  3. 東京スカイツリーは京成電鉄の手で、建設された。
  4. 戦後、浅草駅は地下駅となり、都営地下鉄浅草線の終点は浅草駅になっていた。
    • 浅草駅は東京都交通局と京成の共同管理駅になっていた。
  5. 松屋浅草店は、京成百貨店浅草店になっていたかもしれない。
  6. 特急スカイライナーの利用客は史実より少なかったかもしれない。
    • AE100形登場の時点で間違いなく浅草線直通が前提となっていた。

京急関連

五反田線

蒲田~五反田~田町

  1. 東急池上線に急行が設定されていた。
  2. 泉岳寺延長は行われず、浅草線への直通はこの路線が担っていた。
    • 品川への乗り入れは浅草線短絡新線で初めて検討されていた。
  3. 遅くとも大東急時代には下神明駅が開業していた。
    • 大田区内にももう少し駅が設けられていたかもしれない。
  4. 蒲蒲線計画は存在しなかった。

青山線

  1. 千駄ヶ谷から先、新宿まで延長していたかもしれない。
    • 東急東横線や湘南新宿ラインと激しい競争が起こる。
    • 空港線の電車も乗り入れてくる。
      • 東京モノレールの利用者は現実よりも減っている。
    • 新宿に京急百貨店が開店していた。
      • タイムズスクエアが京急百貨店新宿店になっていた。
  2. 泉岳寺どまりになっている快特が乗り入れてくる。
  3. 首都圏の大手私鉄における京急の地位が現実より向上していた。
  4. 千駄ヶ谷付近を通るため、東京オリンピックの際、観客輸送に力を入れた。
    • 通称「オリンピック特急」が城南地区、神奈川方面からの会場アクセス列車として重宝された。
  5. 軌間が1372mmのままだったら、京王および都営新宿線と相互乗り入れしていた。
    • 京成も改軌せずに都営新宿線・京王・京急と相互乗り入れを行うため、都営新宿線が都営浅草線状態になっていた。
    • 新線新宿駅は2面4線で建設されていた。
  6. 池上電気鉄道の品川延長計画も実現していたかもしれない。
    • この場合池上電気鉄道は1435mmへの改軌を行い、最終的に京急に合併されていた。
  7. 東京○号線に組み込まれ都営の路線になっていたかもしれない。

本線延長

大手町延長

品川~赤羽橋~南佐久間町~大手町。

  1. 浅草線への乗り入れは恐らくは史実通り。
    • その代り浅草線短絡新線計画にかなりの影響が出ていた。
  2. JRとの競合がさらに苛烈な物になっていた。
    • 一方対羽田空港はほぼモノレールに完勝。
  3. 赤羽橋駅には「東京タワー前」の副駅名がついていた。
新橋延長

品川~汐留。

  1. 最終的に新橋まで延長されていた。
    • 東京地下鉄道との直通が頓挫した場合、浅草線は新橋が起点となっていた。
      • その場合車庫はどこに建設されていただろうか?
        • 車庫が西馬込でない場合、西馬込には三田線が延長していた。
  2. 汐留駅は東京地下鉄道との直通を前提とした構造になっていた。

西武関連

新宿線国鉄新宿駅延伸

しんじゅく
新宿
Shinjuku
신주쿠
たかだのばば

高田馬場
Takadanobaba
다카다노바바
  1. 「西武新宿駅」ではなく単に「新宿駅」と名乗っていた。
    • JR各線だけでなく小田急・京王・地下鉄各線との乗換駅にもなっている。
    • 史実よりも新宿線の利用者数は大幅に増えていた。
  2. 現実のルミネエストなどがある辺りに駅があった。
    • 西武百貨店の新宿店が併設されていた。
  3. 高田馬場駅の地位は低下する。
    • 間違いなく特急レッドアローは通過する。
  4. 何故か小田急との直通構想が持ち上がる。
    • 実現すれば本川越〜箱根湯本間の有料特急なども登場するかもしれない。
  5. ホーム数確保の為に地下ホームも建設していた。
    • 史実では構想倒れになった急行線が正式に開業していた。
  6. 歌舞伎町の最寄駅は丸ノ内線の新宿駅になっていた。
    • もしくは新大久保の南側に歌舞伎町駅が出来ていた。
  7. 新宿駅のホーム有効長の関係から6両編成が限界だったが、70年代に同駅の大規模な改装が行われようやく10両編成に対応。
  8. 本川越直前の単線区間も複線化されていた。
  9. 新宿~西武秩父間を結ぶ特急「おくちちぶ」が運行されていた。
    • 西武秩父線が開業したのと同時に、登場していたかもしれない。(史実では、1976年に登場)
    • 新宿~本川越間を結ぶ特急「小江戸」はなかったか、朝夕ラッシュ時のみに運行されていた。
  10. 新宿駅は史実より混雑が激しくなっていた。
    • むしろ、混雑緩和のために、高田馬場駅は特急も含む全ての旅客営業列車が停車していた。
  11. 3面4線のホームを有する高架駅になっていた。

西武村山線

むさしむらやま
武蔵村山
しんめい Musashimurayama みつぎ
神明
Shinmei
三ヶ木
Mitsugi

東村山~箱根ヶ崎間

  1. 武蔵村山市は、交通の利便性が良くなり、史実より人口が増えていた。
  2. 西武新宿と箱根ヶ崎を結ぶ急行が運行されていた。やがて、拝島ライナーのような村山ライナーが運行されていた。
  3. 西武園駅の位置が西武遊園地駅付近に移転していた。
    • 西武園駅自体なかったかも
  4. 多摩都市モノレールの上北台以遠の延伸はなかった。
  5. 村山貯水池工事の資材運搬に利用されていたのかも
  6. 西武国分寺線と相互直通運転を行い、国分寺~東村山~箱根ヶ崎・武蔵村山間を結ぶ列車が運行されていた。
    • もしくは、国分寺線は国分寺~新所沢・本川越間での運行となり、西武新宿・東村山~箱根ヶ崎・武蔵村山間を結ぶ列車が運行されていた。
  7. 年代によっては西武拝島線の開通が遅れていたか開通しなかったかもしれない。

多摩川線新宿線接続

むさしせきまえ
武蔵関前
むさしせき Musashisekimae むさしさかい
武蔵関
Musashiseki
武蔵境
Musashisakai
  • 多摩川線は西武入り後、他の西武線との接続を計画しており、戦後間もない時期には実際に武蔵境から新宿線武蔵関への路線建設免許が申請されたこともありました(後に取り下げている)。新宿線と接続する計画が実現していたら。
  1. 上述武蔵関駅を含む上石神井~小平間のどこかの駅につなげていた。
    • 構想では上石神井で、武蔵関の前の計画では東伏見だったらしい。
  2. 実際に申請された免許の通りに武蔵関駅に接続していたら武蔵関駅は急行停車駅になっていた。
  3. 現状国分寺線が6両・車掌乗務で運転されていることを考えると多摩川線もワンマン化はされていなかったと思われる。4ドア車主体の運行体系だったかも。
    • 101系前期型が最後まで残ったのは多摩湖線国分寺口、あるいは狭山線。
  4. 野球開催日に武蔵境、または是政から西武球場前行きの臨時列車が運転される。
  5. 中央線高架化のときに武蔵境駅は2層構造になり、中央線が高々架で西武多摩川線を跨ぐような形になっていた。
  6. 自社線のみで検査車両を所沢工場、後には武蔵丘検修場に回送できるようになっていたので、武蔵境駅での中央線との接続は貨物輸送廃止時に絶たれていた。
    • 西武池袋線とJR武蔵野線との連絡線も廃止されていた。
  7. 白糸台の車両基地は廃止されていたか、あるいは残っていても留置線程度の設備になっていた。
  8. 多摩ニュータウンへの延伸がより現実味のあるものとなっていた。

多摩川線多摩ニュータウン方面延伸

  • 北多磨(現白糸台)から分岐して多摩センターを経由し城山へ至る計画でしたが、中央線の混雑を悪化させるとの判断により却下され実現しませんでした。
  1. 多摩センター方面への路線が本線となり、北多磨~是政は盲腸線になっていた。名称は「府中線」
    • 東京競馬場まで延伸する構想もあったらしいから、計画通りにやって「西武競馬場線」にしていた可能性もある。
  2. 少なくとも複線化はなされていた。
  3. 小田急多摩線同様多摩センターから一駅先まで延ばして完結と言う形になっていた。
    • もしくは多摩線の当初の計画を受け継ぐかのように京王相模原線の北側(野猿街道経由?)を通って橋本に至っていた。いずれにせよ城山までは建設できずに終わる。
  4. 多摩川を渡る辺りだけ下河原線の路盤を流用する計画が浮上するも、おそらく実現せずに終わる。
    • 京王の態度にもよるが、関戸近辺は経由出来なかったかもしれない。
  5. 国鉄に配慮して、新宿線まで多摩川線を延伸し、かつ優等列車は武蔵境を通過させる措置が取られていた。
    • 事情を知らない人たちが、なんで武蔵境は中央線と西武線の各駅停車しか止まらないの?と不思議がられていた。
  6. 国鉄の中央線複々線化計画や、地下鉄5号線の計画とうまいこと結びついていれば、東西線~多摩センター方面の列車が運行されていた。
  7. 車両基地は新線区間に移転していた。

多摩川線久我山延伸

  • 終戦直後、西武鉄道は久我山から三鷹市を横断し武蔵境に至る軌道の免許を出願していたそうです。
  1. どちらにしろ西武の他の路線とは接続しないこととなる。
  2. ネット上では井の頭線への直通が叫ばれていた。
    • 「京王に移管すればいいのに」みたいな声もある程度あったはず。
  3. 多摩ニュータウン延長計画は京王の抗議で早々に却下されていた。
  4. そもそも「軌道」だったことから西武軌道線と同規格だった可能性もありうる。
    • 免許ごと東京都交通局に引き継がれ、都電三鷹線として開業するが数年で廃止になっていた。

多摩川線東京競馬場延伸

  • 是政~東京競馬場
  1. 駅名は「競馬場前」駅か「東京競馬場前」駅となっていた。
  2. 西武多摩川線の利用者が史実よりも多くなっていた。
    • 国鉄下河原線は史実よりも早く廃止されていた。

東急関連

池上電鉄新奥沢線

おくさわ
Okusawa
諏訪分
Suwabu
  奥沢 自由が丘
Jiyugaoka
  1. どうあがいても結局池上線もろとも東急の路線となる。
    • そして新奥沢駅は奥沢駅と無理矢理統合。
  2. 自由が丘か旗の台辺りから二子玉川まで大井町線と並行する。
    • 前者の場合大井町線の急行が旗の台を飛ばし、後者の場合雪が谷大塚から新奥沢の間は結局廃線。
    • 並行してる区間は複々線になる。
    • これで現実通り大井町線の田園都市線乗り入れが行われたら二子玉の構造が…
  3. そのまま国分寺まで行ってしまうためエイトライナー構想が永遠に具現化しない。
  4. 成城学園辺りの小田急沿線から三鷹、調布などの多摩地区に東急帝国の領土が出来る。
  5. 多分路線名は「東急国分寺線」辺りに変わってた。
  6. 国分寺駅では南口側に駅が建設されていた。
    • 国分寺駅南口に東急百貨店ができていた。
  7. 大東急時代に小田原線や京王線との接続駅が設置され、会社分離後も大規模改良が行なわれる前は中間改札なしで乗り換えができた。
  8. 雪が谷大塚から五反田か蒲田まで乗り入れていた。
    • いや、東急の路線になっていたとすれば意地でも大井町線に乗り入れるようにしていただろう。故に雪が谷大塚-自由が丘間は存続したとしてもローカル線として固定化される。
  9. 蒲田~国分寺の路線になれば、南武線・横浜線とならぶ東海道線と中央線を結ぶ環状線になっていた。
  10. 国分寺には西武鉄道も乗り入れていることから、東急vs西武のバトルがここでも繰り広げられたのだろうか。
    • 現在では和解し、西武国分寺線との直通構想が持ち上がっている。

東急泉岳寺線

  1. 浅草線は泉岳寺止まりのままだった。
  2. 三田線乗り入れが史実どおり失敗した場合は改軌されていたかも知れない。
    • もしくは池上線の地下化延長に計画が変更され、池上線の地下化と延長という扱いになっていた。
    • 泉岳寺ではなく品川方面への延長を狙っていたかもしれない。
  3. 高輪地域再開発の際に東急が計画に噛んでいた。
    • JRの新駅開業とともに「高輪ゲートウェイ」の副駅名が導入される。

東京横浜電鉄(渋谷-新宿間)

  • 現在の東横線を新宿まで延伸する構想があったが未成に終わる。副都心線との直通で新宿への乗り入れ自体は一応実現。
  1. 他に経由するとしたら渋谷区役所ぐらいしか無い。
  2. 恐らく代々木公園駅は確実にあった。
  3. さすがに埼玉方面まで延びないと思うが…。
    • 少なくとも副都心線は計画されなかったか新宿止まりだった。
      • 史実(1972年)の答申では品川・羽田空港方面への延伸を検討していたので、渋谷から明治通りをさらに南下して品川へ延伸していただろう(羽田空港への延伸は京急が阻止)。こうなっていたなら、品川に地下鉄の駅ができていただけでなく、東武東上線・西武池袋線から品川へのアクセスが格段に向上していた。ただし、急行の設定はなかったかもしれない。
      • 新宿(三丁目)〜渋谷間を管轄する会社が違うだけでほぼ史実通りという可能性も。
  4. 終点駅候補はやはり新宿駅?
    • この場合、東京都庁付近に東急駅がある。
      • 史実の計画では京王新宿駅が本来東急の駅になる予定だったそうだから、京王側にかなりの影響が出ていたと思われる。
  5. 新宿付近を除いて全線高架になっていたかもしれない。
    • 渋谷駅は地下化前から駅のデザインが全く異なるものになっていた。

池上線延長

大森延長
  1. 大森駅が発展していた。
  2. 駅は池上~大田区役所(後に大田文化の森)~大森となっていた。
白金延長
  1. 後に清正公前を経て三田まで伸ばされ、都営三田線と相互直通する。
  2. 京急青山線が実現していた。
    • ただし白金まで。

大井町線延長

鮫洲延長

1926年に免許申請。

  1. 大井町駅の構造が変わっていた。
  2. バブル期辺りに台場方面への延長が何度か考えられてた。
    • りんかい線への直通が行われていたかもしれない。
  3. 京急本線の特急は青物横丁の代わりに鮫洲に停車していた。
成城学園延長

1931年に免許申請。

  1. 田園都市線の計画に影響を及ぼした可能性大。
    • 場合によっては玉川電気鉄道が専用軌条化、高速化を行い京王のような私鉄になっていたかもしれない。
  2. 全線の急行運転はもう少し早く行われていた。

目蒲線上槇町延長

1928年に免許申請。

  1. 東京メトロ南北線や都営三田線への乗り入れはもちろんなかった。
  2. 日比谷や銀座に東急百貨店が出来ていた。
    • 三越買収が実現し日本橋東急百貨店が出来ていたかもしれない。

東武関連

西板線

だいしまえ
大師前  Daishimae
にしあらい
Nishiarai
(東京都足立区) にしあらいだいしにし
Nishiarai-Daishi Nishi

参考

  1. 東上線と伊勢崎線は繋がっていた。
    • このため、東上線の車両も本線系統の工場で検査を受けるようになり、川越工場は廃止。
    • 秩父鉄道ATSが8000系に搭載されることもなかった。
  2. 大師線は複線化され、少なくとも8両編成の電車が運行されていた。
  3. 環七の真上に高架線が走っていた?
  4. 日暮里舎人ライナーが開通されるときに西新井大師西駅が新駅として出来てた。
    • 同様に都営地下鉄三田線開通時に新たに板橋本町駅が開設。
    • 「大師前」と紛らわしいので「西新井大師西」ではなく「上沼田」とか「江北六丁目」を名乗っていたのでは?
      • 「大師西」だったかも。
  5. 南北線神谷駅が出来ていた。
  6. 東上線の上板橋駅には準急・急行が停車していた。
  7. 駅ナンバリング設定時にスカイツリーラインや東上線とは別の記号(Tobu nisHiita→TH?)が設定されている。
  8. 特急は100系(りょうもう)と350系が乗り入れていた。ただし東上線池袋始発は350系のみ。
    • 上記の熊谷線も全通していた場合、100系も池袋始発になる。
    • TJライナーは350系10両編成で運行されていた。
  9. 西新井は一部の特急を除く全列車が停車していた。
    • 特急は通過していたかもしれないが、快速は停車していただろう。
      • 快速は北千住~春日部ノンストップに意義があるのでは・・・と思ったが、普通に停車しそうな気がする。
  10. 東武の本線系統と東上線系統の停車駅案内が別々のものになることはなかった。
  11. スカイツリー開業をきっかけに浅草始発の東上線列車が設定されたかも。
    • このため動態保存の8000系がもう1編成ある。その際塗装がクリーム色一色になったりして。
    • 開業当初、浅草始発の東上線列車を運行→需要の低下により廃止→スカイツリーで復活 だと思う。
  12. 伊勢崎線の半蔵門線直通用には9050系(あるいは車体幅を狭めた「9070系」?)が増備され、半蔵門線の押上開業まで東上線で使用されていた。
  13. 日光方面から自社の路線のみで池袋まで行けるようになっていたため、日光線特急がJR線に乗り入れることはなかった。むしろ浅草発着より池袋発着のほうが多くなっていたかもしれない。
    • もともと東上線沿線から浅草へ集客を考えていたため、構造的に池袋乗り入れは無理らしい。
  14. 史実での北千住口複々線化ぐらいの時期に、日光特急やラッシュ時の越谷方面からの列車が使用するため、竹ノ塚付近~大師前、板橋本町付近~大山付近の短絡線が建設され、スイッチバックをせずに越谷方面から池袋への直通が可能になる。
  15. 埼玉県民の池袋志向が県東部にも広まる。
  16. 建設は東武。
  17. 東武スカイツリーライン沿線から山手線西部へのアクセスが便利になる。
  18. 都電荒川線の大塚~王子の利用者が減っていた。
    • 都電荒川線自体別ルートで存続していたかもしれない。
  19. エイトライナーの計画にも影響を与えていた。

高島平線

  1. 三田線との直通がかなわなかった以上、8000系2両辺りが往復運転を行うだけとなる。
    • 線形を改良して池袋方面へ直通させる構想も何度か出ているはず。
    • 有楽町線や副都心線の一部列車が高島平まで直通している可能性も十分考えられる。
  2. 三田線は高島平どまりのままだった。

その他

大和自動車交通トロリーバス

北品川駅~東陽町駅の本線と木挽町から分岐し日本橋小網町への支線を計画していた。

  1. 都営トロリーバス計画は大幅に縮小していた。
    • 西武鉄道や京成電鉄のトロリーバス計画も実現していた。
  2. 恐らく昭和40年代後半にトロリーバスとしては廃止されていた。
    • その際バス事業に進出し大和自動車交通は現在のタクシー専業ではなく、バスとの兼業となっていた。
    • あるいは同ルートにトロリーバスとは別の鉄軌道を建設していたかも知れない。

秋川鉄道

  • 五日市~檜原村を結ぶ予定だったらしい。
  1. 五日市線延伸としての開業。
    • 上野原駅まで延伸する計画があるものの実現には未だに進んでいない。
    • 当然ながら途中で国有化されている。
      • 岩井支線が廃止になるまでは武蔵五日市を境に五日市線と檜原線に分かれていたかもしれない。
      • 国有化は南武鉄道・青梅電気鉄道と同時に行われた可能性が高い。
  2. 檜原村は町制化していたか?
  3. ここもE233系だらけか。上野原駅まで延長するだろうが。
  4. 檜原村の知名度はもう少し上がっていた。
  5. 逆に赤字路線になっているような気がする。
    • 下手したら赤字83線に入ってそうな気もする。

大東京鉄道

  • 鶴見~等々力~経堂~桜上水~西永福~荻窪~練馬~東武練馬~川口~竹ノ塚~金町間
  1. 戦時中~戦後にかけて在京私鉄がこの路線の帰属を巡って争った。
    • 狭軌で建設された場合、練馬を境に西南方面が東急、北東方面が東武になっていた。
  2. 鶴見と川口が東京都の一部だと思われていた。
  3. 東武練馬が改名していた。
  4. 金町以南も計画されるが頓挫。
  5. 環状7号線・環状8号線の地下鉄計画が存在しない。
  6. レール幅が現在の京浜急行電鉄京成電鉄と同じ場合、相互直通運転による環状運転を実施してるハズ。

城東電気軌道(東荒川-西荒川間)

  • 荒川放水路に架橋して線路を繋ぐ計画があったが未成に終わった。
  1. 都電になった後は錦糸堀-今井間が25系統として設定されるので、26系統は別の路線に割り振られていた。
    • 事実上の後継である都バスの亀26・上26系統も番号が25になっていた。
  2. 都電の廃止後に橋をそのまま放置するとは思えないので、首都高小松川線の開業と共に廃止されて一般道に転換されていた。
  3. 「都電が江戸川区にも走っていた」と言う事実がもっと知られていた。

武蔵中央電気鉄道(未成区間)

詳しくは→こちら

  1. 八王子~砂川~田無~目白間の「目白線」と八王子~所沢~大宮間の「大宮線」があった。
    • さらに、敷設免許を申請していた大宮~与野~鳩ヶ谷~草加~流山~柏、鳩ヶ谷~舎人~西新井~綾瀬~北千住も開業していた場合、単独で大手私鉄の仲間入りを果たしていただろう。
  2. 西武鉄道に買収されていた可能性もある。
    • 池袋線、新宿線に次ぐドル箱路線を有し、レッドアローを目白~八王子間で運行している。
    • 同社の「目白線」「大宮線」となる。
    • 後に京王電鉄と合併した事を考えると、むしろ京王の路線になっていたかも。
  3. JR中央線は民営化までに高尾まで全線複々線化していた。
    • 総武緩行線、メトロ東西線が八王子、高尾まで乗り入れている。
  4. 快速「むさしの号」は、武蔵野線開業時から運転されていた。

都電恵比寿長者丸線延長

  • 恵比寿長者丸~池上~川崎間及び池上~大森間
  1. 恵比寿長者丸線が戦時中に休止になる事もなく、都電全廃まで残っていた。
  2. 7系統辺りが川崎・大森まで延ばされていた。
  3. 川崎市電への乗り入れも検討されるも改軌費用などから没に。
    • 戦前に出来ていれば川崎市電も1372mmになっていたかも。その代わりに大師線に乗り入れ出来なくなるが。
  4. 都営バスが大田区に本格的に乗り入れていた。
  5. 横浜市電の生麦~鶴見間が復旧出来ていれば京浜間が一時期路面電車だけで移動できるようになっていたかもしれない。

武州鉄道

競合路線があるのに免許を交付してもらうために賄賂を贈ったのがばれて計画は消滅。(関連項目:Wikipedia:ja:武州鉄道汚職事件

  • モノレールとして建設する案と普通鉄道として建設する案の2案があったとされている。
  • 吉祥寺~御花畑
  1. 西武秩父線は存在しなかった。
    • あっても、地味な路線になっていたかもしれない。
    • 直通運転などで武州鉄道側が勝った場合、西武秩父線(あるいは西武池袋線飯能以北も?)が廃止に追い込まれていた可能性もある。
  2. 武州鉄道では被ってしまうので「武州モノレール」…いや「秩父モノレール」となっていた。
  3. 東京モノレールは第2のモノレール式電車として開業していた。
  4. 最終的には多摩モノレールと合併していた?
  5. 建設費が予想以上にかさんで青梅で建設打ち切りになっていた。
  6. モノレールの欠点が明らかになり、普通鉄道に計画変更されていた可能性も。
    • いずれにせよ秩父までの全通は難しかっただろうが。
    • その場合西武に乗っ取られていた可能性も否定できない。
      • 奥多摩開発計画がより具体化し、青梅線に乗り入れる特急が走っていた。
  7. 全通した場合、世界最長のモノレール路線としてギネス認定されていた?
  8. 中央線の混雑が激しくなっていた。
  9. 学生の利用を当て込んでムサビに駅を作るが、朝鮮大学校や創価の人も乗り込んで、争議の標的に。
  10. 東急百貨店吉祥寺店の場所は、武州鉄道系の商業施設。
  11. 混雑している中央線への客の流入を防ぐため自社で都心方面へ延伸するか井の頭線への乗り入れを模索する。
    • 場合によっては京王に買収されていたか、あるいは井の頭線も武州鉄道になっていたかもしれない。
      • あるいは中央緩行線と接続していたかも。
    • 自社で延ばすにしても新宿への乗り入れは難しいだろう。
    • 荻窪で丸の内線に入るか、中野で東西線に入るか、
    • 用地買収が済むころには都心へどう接続するか決めているはずなので乗り入れ先に合わせた規格で建設。
  12. 武蔵村山市と旧名栗村にも鉄道が走っていた。
    • 青梅街道沿線の交通情勢が大きく変わっていた。
      • 都バス最長路線の青梅車庫〜花小金井〜西武柳沢線は早々に分断されていた。
      • 西武拝島線もかなりの客を奪われていた。
    • 武蔵村山、東大和も史実より早く市制していた。
  13. 西武秩父線と競合するが、都内と接続する分西武に分がある。
    • 秩父への路線を作らなくても東大和市・小平市-都心間で競合するので西武に買収されたかもしれない。
  14. 青梅まで線路を作ったら、既に西武が開業しているので秩父までの路線建設計画は破棄。

東京都港湾局月島線

越中島貨物線から伸びていた東京都港湾局晴海線から分岐して月島を経由し、汐留貨物駅へ抜ける貨物線計画。

  1. 汐留や晴海の再開発に影響が出る。
  2. ゆりかもめは豊洲で建設を終了していた。
    • 一方大江戸線のルートは現実通りだった。
  3. 両端がJR線に挟まれているため旅客化はない気がする。

お台場ロープウェイ

世界都市博覧会が開催されていた場合、メインゲート(東京テレポート駅)~東京ビックサイトにロープウェイが運行する予定であり現在でもその柱がビックサイトの敷地内に残存している。

  1. 現在でも残っていたら東京オリンピック開催決定あたりから延伸構想が次々に出てくる。
    • 中央防波堤方面や豊洲・晴海方面などが有力。
  2. コミケでは青海展示場とビックサイトを行き来するために重宝される。
    • 場合によってはコスプレイヤーはこっちに乗れと誘導されるかも。

立川急行鉄道

  • 我孫子線:立川〜所沢〜鶴瀬〜与野〜越谷〜我孫子間
  • 国府津線:立川〜国府津間
  1. 路線の性質上、現在は国有化を経て武蔵野線の一部となっている。
    • 戦時中に南武鉄道と同時期に国有化されていたかも。
  2. 史実の府中本町から北上する区間は所沢まで武蔵野南線の一部となり、貨物専用線として開業していた。
    • 越谷から京葉線方面に南下する区間は史実通り旅客営業も行なっていた。
  3. 大手私鉄の場合、同時期に計画された京王電鉄の八王子〜大宮を結ぶ路線計画を踏襲する形で買収され、京王大宮線となっていた。

武州鉄道赤羽延伸

  1. 赤羽で国鉄駅に接続していたら廃止は免れていた
  2. 王子電気鉄道へ乗り入れていた。

東京鉄道

  • 池袋 - 高田馬場 - 飯田橋 - 大手町 - 洲崎(現在の東陽町一丁目付近)の免許を取得していたが、関東大震災を受けて着工前に頓挫。
  1. 計画が進んでいれば少なくとも関東大震災時点で少なくとも高田馬場-飯田橋間が開業済み。市街化が震災前に進んでいた飯田橋以東は未着工。
  2. 震災後の山手の発展に伴い業績は向上。
  3. 総武線の両国-御茶ノ水間開業と同時期に飯田橋-洲崎が開業。
  4. 路線が重複するので都電荒川線の鬼子母神前電停以南は建設されていない。
    • 副都心線は渋谷から高田馬場までの路線。
  5. 都電荒川線を運営していた王子電気軌道or高田馬場で接点のある西武の関連会社になっていたが、戦時中に営団に統合される。

東京市内外交通調査委員会市電気局対案路線

  1. 東武vs京成の浅草延伸争いは、東京市営の路線が浅草から延びてきたことによって、引き分けに終わる。
  2. 市営鉄道は向島から深川方面に向かってしまうため、両者乗り入れは出来ず。
    • こりずに日暮里経由の上野延伸を争う。
  3. 三田-六本木-牛込-本郷-上野を結ぶ路線があるため、南北線の南側は建設されず。
  4. 大江戸線は光が丘-六本木までの路線。
  5. 戦時統合で銀座線は市有化され、バス・路面電車とともに私鉄も東京市に一本化。
  6. 上野-浅草間の銀座線に合わせて深川方面・三田方面は第三軌条で直通。

東京電車鉄道

  • 甲武鉄道(のちの中央線)・川越鉄道(のちの西武)・大師電気鉄道(のちの京急)・大日本軌道の経営者である雨宮敬次郎が中心
  1. 大日本軌道の各支社(現在の静鉄・遠鉄・福島交通など)は電化の際に、東京から車両を転属させる為762mm軌間から馬車軌に改軌していた。
  2. 川越鉄道と敵対する東上鉄道・武蔵野鉄道を利することになるので、池袋線は池袋駅まで開業させない。護国寺から来た電車(実史の都電17系統)は、東池袋四丁目停留所から荒川線の線路に乗せて大塚方面へ向かわせる。